2010年4月23日15:13

動労千葉鉄建公団訴訟で田中委員長が証言

 動労千葉鉄建公団訴訟の第24回口頭弁論が4月21日、東京地裁民事第11部(白石哲裁判長)で行われ、田中康宏委員長への証人尋問が行われた。4月9日に政府と与党3党・公明党が「解決案」に合意し、国鉄1047名解雇撤回闘争を解体するために国家ぐるみで襲いかかってきている中で、きわめて重要な裁判闘争となった。
 証言に立った田中委員長は、あらためて1987年国鉄分割・民営化に至る経過をたどりながら、いかに前例のない労組破壊攻撃が吹き荒れたのかを生々しく証言した。

 田中委員長は「85年に国鉄再建監理委員会が最終答申を出し、国鉄当局が雇用安定協約破棄を通告してきた。雇用不安が激しくあおられる中で、当局による不当労働行為はやりたい放題になった。国鉄分割・民営化は、まさに国家的不当労働行為そのものだった」と述べた。そして「この時、労働組合がいかにあるべきかが根本から問われた。闘えば間違いなく犠牲は出る。悩みに悩んだ。しかし闘って団結を守る以外に道はないと決断した」と、85~86年の「分割・民営化反対」を掲げたストライキに立った時の思いを明かした。
 尋問は、このストに対する大量報復処分の問題に進んだ。原告の9人はこの時の処分を理由にJR不採用とされた。国鉄当局は2波のストで解雇28人、停職59人の処分を出した。田中委員長は「全国全線区で闘われた75年スト権ストですら解雇15人。動労千葉の2波のストに対する処分は過去に前例のない重処分だ。しかも、本人はストに入っておらず現場の支部役員をやっていただけで処分を受けるなんて聞いたこともない」とその異常性を指摘した。しかも28人の公労法解雇は97年3月に撤回され和解が成立している。それよりもはるかに軽い処分である停職処分を理由に9人の原告がJR不採用となったのは「まさに矛盾そのもの。9人の不採用がいかに理不尽なものかを示している」と田中委員長は断じた。
 さらに、昨年12月の伊藤嘉道(当時国鉄職員局補佐、現JR東日本高崎支社長)の証言について田中委員長は「9人の名前はもともとは採用候補者名簿に登載されていたのに、鉄道労連(現JR総連)の突き上げを受けた葛西敬之職員局次長(現JR東海会長)らが名簿から排除したという真実が初めて明らかになった。決定的な証言だ」と述べ、「この裁判でも『停職6カ月』又は『停職2回以上』という不採用基準をいつ、どこで、だれが作ったのかについて釈明を求め続けてきた。裁判の根幹に関わる問題だ」と指摘した。
 最後に、4月9日に合意が成立した「解決案」について問われた田中委員長は「JR不採用から23年、80年代初めから30年にわたって人生をかけて国鉄分割・民営化反対闘争を闘ってきたわれわれの思いを踏みにじるものだ。私も解雇された身だが、自分たちの解雇問題はもう自分たちだけの問題じゃない。分割・民営化以来、1千万人以上の労働者が非正規職に突き落とされてきた。この社会の現実を絶対に変えたいから私たちは解雇撤回を貫いてきた。原告らの解雇は撤回されるべきだ」と言い切った。
 続いて被告である鉄道運輸機構の代理人が反対尋問を行った。“動労千葉の2波のストは違法スト。不採用になったのは当然”と言わんばかりに田中証言に難癖をつけたが完全に一蹴された。反対尋問は次回も続く。
 原告代理人は最後に、伊藤証言で明らかになった新事実をふまえ、首切りの張本人である葛西敬之の証人採用をあらためて裁判所に要求した。
 裁判所門前での総括集会で田中委員長は「今日の裁判は新たな闘いの重要な出発点だ。国鉄分割・民営化反対闘争は何も終わっていない。新たな全国大運動を巻き起こし、この腐りきった社会を変えるまで団結して闘い抜こう」と訴えた。原告の中村仁執行委員は「労働者が置かれている現状を覆すためにも、国鉄当局が間違っていたことを今こそはっきりさせる必要がある。動労千葉は1047名闘争の先頭に立って闘う」と決意を表明した。(O)
 次回口頭弁論は7月28日午後1時30分から東京地裁で開かれる。

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