COMMUNE 2001/3/01(No303 p48)

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No303号 2001年3月号〈2001年3月1日発行)

定価 315円(本体価格300円+税)

〈特集〉 石原「環境革命」の大ペテン

1 石原ディーゼル規制できれいな空は戻るのか
・ 労働者を大気汚染犯にする環境確保条例
・ 「環境革命」の名の下で環境破壊を実行
・ 判決が示す耐えがたい大気汚染の現実 
・ 大気汚染公害患者への医療費助成を削減

2 大量生産・大量消費・大量廃棄促進する循環法
・ 循環型社会提起の背後に廃棄物処理の困難
・ 企業利益を擁護する各種リサイクル法

3 杉並病を認めず住民の戦いの圧殺をねらう石原
・ 杉並病に怒りを爆発させた住民の戦い
・ 石原の住民運動圧殺策動の全面展開

●翻訳資料 米国家戦略研究所日米関係特別報告
”米国と日本---成熟した協力関係への前進”
 2000年10月11日 INSS(国防大学国家戦略研究所) 村上和幸 訳

 ニューズ&レビュー  南朝鮮・韓国/金融改革・公企業民営化と対決 室田順子

 反対同盟新年旗開き

三里塚ドキュメント(11-12月) 内外情勢(11-12月) 日誌(10月)

 羅針盤 反革命集団の末路

 革共同政治局は、新年アピールで改憲阻止闘争を最大最高の階級決戦として闘いぬくことを提起し、従来の2つの戦略的スローガン(「連帯し侵略を内乱へ」と「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」)に加えて、「戦争国家化阻止=改憲粉砕・日帝打倒」を3番目のスローガンに掲げて闘うことをアピールしている。日帝が憲法調査会を突破口に改憲攻撃を本格的に進めていること、その核心は憲法9条の改悪にあることをはっきりさせ、「改憲とはすなわち戦争・侵略戦争のことである」ことを全人民に訴えて、戦争に反対するすべての人民の力を改憲阻止闘争に総結集しなければならない。日帝は、ガイドライン関連法に続き、有事立法、教育基本法改悪などあらゆる水路から戦争国家化をめざしている。闘う体制を構築しよう。

 森第2次改造内閣は、改憲に向かって突撃する超反動内閣である。しかし、その基盤は、日帝の経済危機の深刻化の中で、きわめて不安定である。とりわけKSD(ケーエスデー、中小企業経営者福祉事業団)をめぐる汚職問題は深刻だ。20億円にも上る政界工作資金が自民党および個々の議員に流れ、それが自民党の選挙資金源になっていたのである。小山、村上議員、さらには額賀経済財政担当相などの議員の問題にとどまらず、自民党全体の問題なのである。自民党政治のどうしようもない腐敗と行き詰まりを示しているのだ。参院選を前に森政権は追い詰められている。自公保の3党体制の危機でもある。没落帝国主義・日帝の政治委員会の体内から噴き出した必然的な腐敗として弾劾し、人民の怒りをたたきつけなければならない。

 6月都議選は、石原都政との対決であるだけでなく、参院選の前哨戦として国政なみの意義をもつ重要な選挙である。ここで一個の政治勢力として登場することをかけた闘いである。今年前半の最大決戦として、何がなんでも都革新の結柴誠一候補の勝利をもぎり取らなくてはならない。ファシスト石原の排外主義と差別主義、侵略戦争国家体制づくり、労働者への犠牲転嫁の攻撃、福祉切り捨ての攻撃、ファシスト的デマ政治などの一切に対する階級的批判を徹底的に強めなければならない。マスコミにあおられた「石原人気」に恐れをなしてすべての勢力が石原に協力し追随し、批判もできない中で、結柴候補だけが石原と真っ向から対決を掲げて闘っている。そこにわれわれの最大の党派性があり、その鮮明さに勝利の要諦がある。

 2001年冒頭、われわれを最も興奮させ奮い立たせている事件は、ファシスト・カクマルとJR総連が分裂と対立を深め、カクマルの38年間の反革命的歴史の中で空前かつ最大の危機を迎えていることである。カクマル黒田がJR総連を「階級敵」として「打倒する」ことを宣言、JR総連幹部の拉致・監禁という白色テロルに訴えるところまで事態は進んだ。かたや反革命的白色テロ、かたや権力の懐に飛び込んで会社と一体となる。もはや修復のできない対立である。問題の根本は、カクマル黒田と松崎の「原罪」としての国鉄分割・民営化への率先協力にある。日帝・中曽根の攻撃の協力者となって、国労を解体し総評を解体する攻撃の先兵になることをカクマル黒田が決断し、松崎をとおしてJR総連路線を推進してきた。その悪行の行き着いた果てが今日の事態なのだ。今こそカクマルに死を宣告するときである。 (た)
                        

 

 

翻訳資料

 米国家戦略研究所日米関係特別報告

 “米国と日本――成熟した協力関係への前進”

 2000年10月11日 INSS(国防大学国家戦略研究所)

 村上和幸訳 

【解説】

 本文書は、大統領交代を前にして、国家機関である国防大学国家戦略研の出版物として、しかも民主・共和両党の軍事戦略担当者の共同作業によって書かれた。共和党はアーミテージ元国防次官補、サコダ元国防省日本部長ら、民主党はナイ元国防次官補、キャンベル元国防副次官補らだ。本文書は、基本的に米帝支配階級の意志そのものだ。
 むろん、29年世界恐慌を超えるすさまじい危機の到来、激烈な帝国主義間争闘戦、階級闘争の爆発のなかで、米帝の政策は矛盾に満ちたものとならざるをえない。政策意図がストレートに貫徹できるわけではない。だが、本文書の案が新政権の戦略方向の基準となるとみておかねばならない。
 本文書の特徴は、まず対日争闘戦の激烈さだ。異例な表現で日帝と日帝経済を非難している。日帝の独自外交を容認するような言い方をしつつ、具体的には必ず米国と事前調整せよと要求し、独自のアジア勢力圏化をたたいている。(本文書の公表日は、10月12日の朱鎔基首相訪日とほぼ同時というタイミングだった)
 従来の米日の対中外交を否定し、中国への軍事重圧の格段の強化を打ち出した。中国スターリン主義の体制的転覆を事実上公言したのだ。そしてその軍事戦略への日帝の補完的動員の拡大を狙っている。対日要求として、集団的自衛権否定の破棄、PKOへの制約の撤廃、新安保ガイドラインで決められた水準を越える共同作戦への参加を提示した。なによりも、第9条改憲を打ち出している。96年日米安保共同宣言の時点で、当時のペリー国防長官などは日本の改憲動向――対米対抗的軍事大国化に危機意識を持ち、くぎを差す発言をした。その後も折に触れ、同様の指摘が繰り返された。だが今回、はっきりと改憲推進の提言が出された。
 日米帝の相互に争闘しながらの朝鮮・中国―アジア侵略戦争への突入がきわめて切迫している。
 本文書では、沖縄の項のみ囲みの中に入れ、大活字で別格扱いだ。ここでは、今年1月の性暴力事件に対する元司令官の「米軍の反対する政治家が事件を宣伝している」なる発言とまったく同じ居直りが表明されている。
 安保・沖縄闘争、改憲闘争の大爆発で日帝を打倒し、世界プロレタリア革命の時代を切り開こう。
【強調、( )内の挿入は原文のまま。〔 〕は訳者による補足】

………………………………………

 アジアは歴史的変化の苦しみのさなかにあるが、米国の政治、安全保障、経済その他の利害計算に大きな比重を持つべきだ。世界人口の53%、世界経済の25%を占め、対米貿易が往復で年6千億jにのぼるアジアは、米国の繁栄に死活的だ。政治的には日本、オーストラリアからフィリピン、韓国、台湾、インドネシアに至るまで、この地域の諸国は民主主義的価値の普遍的吸引力を示している。中国は巨大な社会的経済的変化に直面しているが、その帰趨はまだ明らかではない。
 欧州の大戦争は、少なくとも一世代の間は考えられない。しかし、アジアの紛争の見込みが遠いとはとてもいえない。この地域には、世界最大で最も近代的な軍と核武装大国がいくつか存在し、また核能力を持った国がいくつかある。朝鮮半島と台湾海峡では、米国を大規模紛争に直接巻き込む戦闘が今すぐにもおこりうる。インド亜大陸は大きな発火点だ。世界第4の人口大国インドネシアで続く騒乱は東南アジアの安定を脅かしている。米国は一連の二国間安保同盟でこの地域と結合しており、それがこの地域の事実上の安全保障構造になっている。
 この有望だが潜在的に危険な状況のなかで、米日の二国間関係はかつてなく重要になっている。世界第2の経済規模、優れた装備の有能な軍を持ち、またわが国の民主主義的同盟国である日本は、米国のアジア関与の要石だ。米日同盟は米国の世界安保戦略にとって中心的だ。
 日本も大変転期にある。グローバル化の力に大きく動かされ、第2次大戦後最大の社会的経済的変容のただ中にある。日本の社会、経済、国家のアイデンティティー及び国際的役割は、明治維新での変化に匹敵するほど根本的に変わる可能性がある。
 第2次大戦終了以降、日本はアジアで肯定的役割を果たしてきた。教育を受けた行動的な選挙民を持つ成熟した民主主義国として、政権交代が平和的におこりうることを示してきた。日本政府は、この地域全体に対する能動的外交と経済的関与によって地域の安定強化と信頼醸成に寄与してきた。
 90年代初期のカンボジア国連平和維持活動への参加、種々の防衛交流及び安全保障上の意見交換、ASEAN地域フォーラムへの参加及び「〔ASEAN〕プラス3」グループ形成は、日本の能動性の高まりを証明している。特に日本の米国との同盟は、地域の秩序の基礎として役立ってきた。
 われわれはここに、米日関係の6つのカギになる要素を考察し、21世紀の持続的同盟の基礎を作るための両党の行動案を提案する。

 冷戦後の漂流

 西側諸国の全体的同盟のパートナーとして、米日は冷戦勝利のために協力し、またアジアの民主主義と経済機会の新たな時代を先導してきた。しかし、共通の勝利の後、米日関係は――両者が現実の脅威と潜在的リスクに直面しているにもかかわらず――焦点と一貫性を失い、針路が揺れてきた。
 ソ連封じ込めの戦略的束縛から解放されると、双方とも二国間同盟の現実的・実践的で火急の必要性を無視した。具体的な協力と明確な目標設定の代替物を探す善意の努力によって意見交換が行われたが、これは散漫なもので、共通の目的は何ら明確に規定されてこなかった。国際安保の新たな概念を試す作業は断続的に続けられたが、二国間安保関係の再定義・再活性化には見るべき成果がなかった。
 米日双方で、このような努力が焦点が定まらず、完遂されなかったことは明らかだった。日本では、「アジア化」という考え、経済的相互依存と多国間機構によってこの地域が欧州地域同様の道をたどるという希望にひかれる人びとがいた。米国では、冷戦の終了を経済的繁栄への回帰の機会と考える人が多かった。
 90年代初期は、主に日本市場へのアクセス問題をめぐる緊張が高まった時期だった。米国には、日本からの経済的競争を脅威とみなす者がいた。しかしこの5年間で、通商の緊張は消滅した。日本の経済的能力についての妬みと懸念は、日本の景気後退と高まる金融危機への落胆に変わっていった。
 両国とも同盟の再定義・再活性化の必要性に対処できなかった。実際、両国は同盟を当たり前のものとしてしまっていた。同盟は90年代中期までは明白に漂流していた。この時期になって、朝鮮半島の危機――また沖縄の暴行事件の惨事――が米日の政策担当者の関心をとらえたのだ。これらの出来事は遅まきながら二国間関係軽視の代償についての認識を促した。その後、96年3月の台湾海峡の対立は、両国での二国間安保同盟の再確認の努力をさらに促した。
 96年の米日安保共同宣言は、一挙に両国民の関心を同盟の衣替えの必要性に向けていき、米日防衛協力の指針の改定、沖縄に関する米日特別行動委員会の96年報告、及び戦域ミサイル防衛研究の協力に関する二国間合意の形で、防衛関係を最新化し具体的変化をもたらした。しかし96年の宣言は、象徴性のみ一人歩きし、上層部が持続的関心を払い支援することがなかった。その結果、米国と日本は再び政策調整が乏しくなり、ささいな口論に舞い戻ってしまった。
 米日関係悪化のコストは、潜在的にも顕在的にある。90年代末までには、多くの米国の政策担当者が自己更新能力がないように見える日本への関心を失った。
 日本では多くの人が、米国が傲慢で、自国の処方箋が他国のあらゆる経済的・政治的・社会的要請に適用できるわけではないことが分からないと考えている。多くの政府当局者と世論形成者は、米国のやり方を商業的・経済的利益のための利己的正当化だと感じ、米国がグローバル化の自己中心的なバージョンに没頭していると思って憤激している。
 米国の関心と利害がアジアの他の所に転じてきたのは明らかだった。最近は、米国の政策担当者の主要な焦点は、中国との二国間関係になっていた――89年の天安門広場の親民主主義デモ以来、中国との関係は何度も危機に見舞われてきたのだ。米国も日本も、96年の宣言で定められた安全保障の案件を進攻的に推進しようとはしなかった。その主な理由は、米日の安保協力関係の再活性化に対する中国の敵対的反応への懸念だった。
 中国は、この米日協力関係が中国の地域外交を抑制するための広範な方策の重要な一環と見なす旨、まごうことない言葉で表明した。そして米国は――それほどではないが日本も――中国との関係改善を追求した。また両国は、封じ込め戦略の考え方を重視しない明確な意向を示した。
 事実、米日間の唯一の積極的な安全保障上の意見交換は、北朝鮮をなだめて自己孤立化から脱出させようとしたことの副産物にすぎなかった。米国も日本も韓国も、緊密な協力と目的の一致が、北朝鮮への対処の最も効果的な戦略を生み出すことで一致していた。
 この過程での気後れ、躊躇、目標の欠如は、誰かだけの責任ではないし、過度に単純化して責任を問うべきではない。むしろ、今や米日同盟の改善・再活性化・再焦点化に新たな関心をよせるべきだという認識が必要なのだ。
 両国とも政治の変わり目と重要な変化の時――米国は新大統領、日本は経済・政治・社会の変容の継続――に、アジアの不確実な安全保障環境に直面している。同時に、中国とロシアの政治的・経済的な不確実性、朝鮮半島の緊張緩和の壊れやすさ、今後も続いていくと思われるインドネシアの不安定性――これらすべてが米日双方に共通の課題を投げかけている。
 日本は枯渇して行き、没落は回復不可能だと主張する人は、米国の力が国際社会で退潮すると信じられていたのがわずか10年前のことだったことを想起してほしい。80、90年代に日本人の一部が米国の力の潜在力と持続性を忘れたことが愚かだったことと同じく、日本の力の大きさの持続性を過小評価することも無謀なことであろう。

 政治

 これまでの10年間、与党自民党は、内部分裂、伝統的な利権集団の利害衝突、主要な選挙区での亀裂の拡大に直面してきた。だが、自民党は衰え行く権力にしがみつくことに主な力を注いできた。同時に野党も、信頼性ある、練られた政策を提示できていない。結局、自民党は政権維持のため四苦八苦し、野党は政権を担う代替案を出せず、国民は信頼しうる代わりの指導者がいないためやむなく自民党を政権に返り咲かせる、ということになっている。その結果、政府はどっちつかずとなり、乗り切り以上のことはできない。
 しかし、国際経済の無情なグローバル化の圧力に迫られた経済改革とリストラの必要性によって、政治が変わる可能性が高い。これらの経済的力は、「鉄の三角形」――これまでの政・財・官のなれ合い関係――の独占的な力を打破しつつあり、権力を分散させつつある。日本の政治秩序は長い変化の過程にある。
 日本の議会制度は、長期的利益のために短期的な痛みを要求する政策の実施を困難にしている。この政治体制は、リスクを嫌う。しかし、その次の世代の政治家や一般大衆は、経済力だけでは日本の未来を保障するのに不十分になっていることを理解している。そしてまた、日本国民は、国旗・国歌に公式の地位を与え、また尖閣諸島などの領土要求を強調している。それらは国民国家の主権や領土保全をいっそう重視するようになっている証拠だ。
 米国でも同様のことがおこっている。外交政策での議会の役割の増大、州政府や自治体の影響力の高まり、個人への権限付与、テクノロジーに加速された民間部門の劇的変容が経済の変化の起爆剤になっていること――これらはかつて中心的だった外交政策担当諸機関の影響力を弱めている。
 しかし、まさに日本のリスクを嫌う指導層が国の経済の変化を押しとどめてきたのと同様に、米国政府の明確な方針の欠如も多くの損失をもたらしてきた。行政府のリーダーシップは偶発的なものでしかなく、米日関係の戦略は十分に練られたものにできていない。そしてそのことによって、この同盟の重要性に対する政治的支援と国民の理解がいっそう減退することになってしまった。
 もし米国が日本との関係でリーダーシップ――つまり傲慢さ抜きの卓越性――を発揮できれば、両国は過去50年間に育まれた協力関係の全面的潜在力に気づくことができるであろう。もし現在の日本で進んでいる変化が最終的にもっと強力で反応性の高い政治的経済的システムを作っていけば、米日協力は、将来の地域的・世界的な舞台で積極的で相互に支え合う、根本的に建設的な役割を担う両国の能力を高めるであろう。

 安全保障

 アジアにおける利害はきわめて大きいのだから、21世紀の両国関係についての米日の共通の認識とアプローチの確立が急務だ。目に見える、そして「真の」米日防衛関係によって、アジアの紛争の可能性は劇的に低下する。日本が提供している基地の使用によって、米国は太平洋からペルシャ湾までの安全保障環境に影響力を行使できる。改定された米日防衛協力の指針は、統合防衛計画立案の基礎だ。この指針は米日同盟における日本の役割拡大の天井ではなく、床とみなすべきだ。冷戦後の地域的状況の不確実性のために、いっそうダイナミックな二国間防衛計画策定のアプローチが必要になっているのだ。
 集団的自衛が日本で禁じられていることは同盟の協力に束縛となっている。この禁止が解除されれば、さらに緊密で効果的な安保協力が可能になるであろう。この決定は日本国民のみが行いうる。米国は、日本の防衛政策の性格を形成する国内の決定を尊重してきたし、今後もそうするべきだ。しかし米国政府は、日本がこれまで以上に貢献し、もっと対等な同盟パートナーになろうとすることを歓迎すると明確に示す必要がある。
 われわれは、米国と英国の特別な関係が米日同盟のモデルだと考えている。その実現のためには、次にあげる要素が必要だ。
◇防衛約束の再確認。米国は日本及び尖閣諸島〔釣魚台〕を含むその施政下の地域を防衛する約束を再確認すべきだ。
◇危機管理立法の成立を始めとする、改定米日防衛協力指針の着実な実施。
◇米3軍と日本のそれらの相手との堅固な協力。施設の使用のいっそうの統合性、訓練活動における一体性の実現のために奮闘すべきであり、また81年の合意に基づく軍の役割と任務を改定・最新化すべきだ。両者は、古いパターンに従うのではなく現実を写した訓練に投資すべきだ。また、国際テロリズムや国境を越えた犯罪活動などの新たな課題及び長年来の潜在的脅威の課題についての相互支援のあり方、また平和維持・平和創出活動での協力のあり方を明確にすべきだ。
◇平和維持活動及び人道救援活動への全面参加。他の平和維持活動参加国への負担にならないように、日本は、これらの活動に92年にみずから課した制約を解除する必要があろう。
◇多用途性、機動性、柔軟性、多様性、生存能力という特性を有する戦力構成の形成。いかなる手直しも作為的数字にもとづいて行うべきではなく、地域の安全保障環境を反映すべきだ。このプロセスを進めるとき、戦力構成の変更は、協議と意見交換のプロセスを通じて行うべきであり、相互に同意できるものであるべきだ。米国は、日本列島における米軍のプレゼンスを再構築するために技術の変化と地域の動向を利用すべきだ。米国の能力が維持されるかぎり、米軍の日本での足跡を減らすよう努力すべきだ。これには、米軍基地の統合や沖縄に関する米日特別行動委員会96年報告の合意事項の早急な実施が含まれる。
◇米国の防衛技術を日本が入手可能にすることの優先課題化。防衛技術は、同盟全体の不可欠の構成要素と見るべきだ。われわれは、米国の防衛産業が日本の企業と戦略的な同盟を結び、最先端技術及び〔軍民〕両用技術の双方向の流れを増大させるよう促すべきだ。
◇米日ミサイル防衛協力の領域の拡大。
 われわれは日本がもっと大きな役割を担うことを支持しているが、日本の役割増大から両国内で健全な議論が引き起こされるであろう。米国政府当局者や議員たちは、日本の政策が米国の政策と何でも同一になるわけではないことを認識せねばならない。今や、負担の分かち合いから力の分かち合いへと進む時だ。またそれは、次期政権がその実現のために相当の時間を割く必要があることを意味する。

 沖縄

 在日米軍の約75%が沖縄に集中して駐留している。これは安全保障問題、距離の問題のためだ。沖縄は、東中国海と太平洋の間にあり、韓国、台湾、南中国海まで飛行機で1時間だ。
 嘉手納の米空軍基地は、この地域一帯への米国の戦力投入のための決定的な一環だ。それは日本の防衛にとっても決定的だ。沖縄の第3海兵遠征軍は、自己補給力を持った、地域の諸問題への迅速な対応のための統合前方群であり、非戦闘員退避から侵略撃破のための大規模陣形を構成する最先端戦闘部隊にいたるまでの役割を担う。
 しかし、沖縄への米軍部隊の大量の集中は日本に明白な重荷になっている。また日本にとってほどではないが米国にも、訓練の制限などによって重荷になっている。海兵隊は運用頻度が高く年齢構成も若いために、米軍の沖縄県駐留に何らかの変化を望む日本国民は、海兵隊を特に詮索してきた。
 海兵隊側では良き隣人たるべく奮闘してきたが、基地周辺から圧迫され即応性及び訓練はますます制約をこうむっている。米軍要員の不祥事の統計は大きく低下しているのに、現在の政治状況では、ひどく不幸な行動がままあると、それへの関心が大きく増幅される。
 99年、沖縄に関する米日特別行動委員会(SACO)合意では、沖縄の米軍基地の再編、統合、削減が決められた。米軍施設を普天間海兵隊飛行場を含む11施設、約5千f削減するこの合意を、米国と日本は完全に履行すべきだ。
 SACO合意には、第4の目標も含めるべきだったとわれわれは考えている。つまりアジア太平洋地域全体への分散化だ。軍事的観点からは、この地域全体への広い柔軟なアクセスを持つことが米軍にとって重要だ。しかし政治的観点からは、沖縄の人びとが担っている重荷を軽減し、われわれのプレゼンスを持続的で威信あるものにすることが不可欠だ。日本での戦力構成を考える米国人はSACO合意でとどまるべきではない。米国は、この地域全体での海兵隊のもっと広く柔軟な配備と訓練の選択肢を考慮すべきだ。

 諜報

 米日双方にとっての東アジアでの潜在的脅威と明白な危険の性格が変化しているため、両国間の諜報能力の協力と一体化を拡大せねばならない。二国間同盟の重要性にもかかわらず日本との諜報共有は、この分野でのわが国のNATOパートナーとの関係がますます緊密化していることと比べ実に対照的だ。世界的趨勢はこの方向に向かっているし、資源〔予算・人員等〕減少や平和維持・平和創出などの新たな活動からしても、ますます諜報能力の協力・一体化が必要だ。
 皮肉にも冷戦終了ととともに脅威があいまいになり、しばしば政策選択が複雑になるため、協力して世界中の共通の脅威についての死活的情報を収集・分析する必要性がきわめて高くなってきた。日本政府は、現行の米日諜報関係ではもはや不十分だと主張してきた。
 米国にとって日本との協力を拡大する余地があることは明白だ。同盟国同士は、比較分析、競争的分析に基づいた政策行動について、それぞれの相違を明らかにするととも合意に達する必要がある。諜報共有は、この目標への道となる。そして、各国の比較優位に基づいて分析作業を割り振って分業することは、きびしい資源の制約のある諜報担当諸組織にとって利益になる。日本は、世界中に関与しているのだから、戦略的な諜報意見交換において貴重な情報と洞察をもたらす能力がある。
 すでにずっと前から、日本との諜報協力の戦略的ビジョンが必要だったのだ。米日の諜報関係強化がうまくいかないと結局、この同盟の中での共通の理解と行動が必要な事態が発生した時、両国の認識が――ときに政策も――乖離するリスクが大きくなる。
 日本にとっても諜報協力改善は重要だ。日本の国際貢献増大のためには、日本自身の諜報能力強化と米国との協力の拡大が必要だ。
 諜報協力の強化は、日本自身の政策形成、危機管理、意志決定の改善に役立つ。また日本はアジアでも世界でも、ますます多様化する脅威、複雑化する国際的責任に直面しており、そのために国家安全保障に必要なものについての理解の改善が求められている。
 米国政府が行わねばならないことは、次のことだ。
◇国家安全保障問題担当補佐官は、諜報協力を政策と諜報の優先課題にせねばならない。
◇CIA長官は、米国の政策担当者たちと連係して、日本の国家安全保障の優先順位にかなう方法で日本との協力を拡大せねばならない。違法移民、国際犯罪やテロリズムなどの国境を越えた諸問題はすべて、両国での省庁を越えた連係した取り組みが必要だ。
◇自国の衛星を含む独立した諜報能力を育てたいという日本の理のある希望を米国は支持すべきであろう。〔諜報〕共有の質を高めるためには、これに早急に配慮せねばならない。
◇分析センターへの共同の人材派遣、相互教育プログラム、諜報ネットワークを育てるためのそういった肩を並べた作業に、米国は、政策の中での優先順位を与えねばならない。
 米日間の諜報関係強化には、両国での政治的支援も必要だ。その点で、日本政府は次のような基礎的措置が必要だ。
◇日本の指導者は、機密情報保護のための新法への国民的・政治的支持を獲得する必要がある。
◇諜報能力改善は日本の政策立案をもっとうまく助けることになるが、日本の指導者は自国自身の意志決定過程にも取り組む必要がある。諜報共有は、米日間だけでなく、日本政府内部でも必要だ。
◇経験上きわめて重要なことは、諜報のプロセスに日本の国会をどう入れていくかについて意見交換すべきだということだ。民主主義における諜報に対する監視は、政治的支援を持続させるために決定的に重要な要素だ。
 端的にいって、日本が将来の防衛の必要性に対処し政府を再編するにあたって、われわれの諜報協力について公然と論議すべき時がきているのだ。

 経済関係

 日本経済の健全性が二国間関係の繁栄のために不可欠だ。日本経済の繁栄、成長継続、頑健さは、米国のアジア全体での利益にとって有利だ。日本は今も米国製品の第3位の顧客であり、現在の弱さが続くことは米国の労働者と企業にとって機会の喪失を意味する。日本が弱いとグローバルな資本の流れの不安定性が増す。また日本の民衆が、内向きで、不満で、不安定であれば、同盟の中での役割の拡大をあまり望まなくなるだろうし、またそれがあまりできなくなるであろう。
 日本はこの90年代、経済の停滞とリセッションを経てきた。92年から99年まで平均経済成長率は、たった1%だった。90年代終わりには97〜98年及び99年後半のリセッションがあった。
 経済回復のカギはグローバル化への民間部門の対応を許すことだという認識、そして市場開放によって、日本の持続的経済成長が回復するか否かが大きくきまる。それは、規制緩和続行と貿易障壁削減であり、また市場のいっそうの開放のためのルール・諸機構の強化などだ。
 改革への障壁は大きい。成熟した労働者(そのうち20〜30%がいまだに居心地良い終身雇用の聖域をもっている)、保護された産業、諸産業を監督することに長らく慣れきった官僚が現状維持を続けている。しかも日本人は他の選択肢がなくならないかぎり根本的変化を嫌う傾向がある。日本には、日本の経済問題はまだ危機的規模にたっしてないと主張する人もいる。切迫感の欠如と既存の慣行の急転換に抵抗する国民性が、政治的・心理的に痛みがある必要な構造改革措置の採用を妨げている。
 同時に、日本が経済問題への対処で若干前進していることを認識することも重要だ。たとえば金融部門の規制緩和措置、いわゆるビッグバンと98年の銀行救済緊急措置は、米欧の多くのエコノミストの高い評価を受けている。外資の直接投資は劇的に増加してきた(他の主要な工業国と比べるとまだ低いが)。こうした展開の中で競争が拡大し新たなビジネスモデルが導入された。企業は、系列より収益性を重視するようになりはじめた。この動きは古めかしいケイレツ・システムを弱めている。企業家精神が勃興し、ベンチャーキャピタル市場が成長している。
 IT部門は、急成長している。新たな会社が発足し、多くの経済部門にもたらされる潜在的利益は大きい。しかし、IT部門の成長がこの10年間の停滞から経済を救い出せるか否か、エコノミストの見解は分かれている。規制の障壁が成長を抑制し、他の諸産業への情報技術の採用を遅らせている。
 回復への障害は残っている。特に、銀行問題への取り組みはまだ十分ではないし、財政的刺激策は利益誘導型公共投資にあまりにも依存しすぎている。このような公共投資は、長期的成長を促進する力があるとしても、わずかなものだ。このような欠陥のある財政手法のため、債務とGDPの比率は少なくとも1・2対1にのぼり、世界の他の主要先進国経済よりはるかに高くなっている。
 民間部門の活力を使い経済の変革を推進する、もっと革新的なアプローチが今や必要になっている。日本にとって代償はまだ高くつくであろう。日本経済の長期的健全性の回復のためには日本の政治家がこれまで拒んできた短期的コストが必要だ。米国は日本に対して、次のような方針にそった政策の立案を要請すべきだ。
◇日本経済のいっそうのシステム改革。市場をもっと信頼して国内及び国内のすべてのプレーヤーに開放することが、持続的経済回復にとって決定的だ、すなわち、
◇短期的財政的・金融的刺激策の継続。債務問題が拡大しているとはいえ、日本政府は将来の成長を促進する領域に力を集中すべきだ。どこにもつながらない橋・トンネル・新幹線の建設の時代は終りにせねばならない。
◇会計、取引慣行及びルール策定について透明性を高める必要がある。経済統計の質は改善すべきであり、金融機関及び地方自治体に本当の財政状態の全面的明確化を求めるべきだ。政府は、政府情報の開示にあたって、同様にいっそうオープンでなければならない。
◇規制緩和は、たとえば通信など、経済に有益な潜在力を有する分野で特に加速すべきだ。
◇日本とシンガポールの自由貿易協定は、南朝鮮、カナダ、米国及び他の利害関係を持つ諸国との同様な協定についてのテストケースとして、われわれは応援していかねばならない。
 日本市場を開放させ構造変革を推進させる米国政府の対日交渉の能力は減退している。正しいコーポレートガバナンス〔企業統治〕基準の形成や取引慣行の透明性の拡大などの諸領域では、米国政府の関心と行動が今後とも重要だ。
 米国は、二国間協力関係の改善を進めるものとして、次のような今後数年間のカギになる諸目標を追求すべきだ。
◇米国の経済的利害は、声を一つにして表明すべきだ。米国政府は、日本が行っているシステム変革に効果的に対処するため、米国の優先順位を明確にすべきだ。そこで、次期政権は経済課題の絞り込みについて米国民の支持を得る必要がある。
◇政府は、日本への外資の直接投資の拡大についての交渉を始める必要がある。外国企業は新たな技術と新たなビジネスモデルを持ち込み、経済を直接助けるとともに、日本企業への競争による衝撃を通じても助けることになる。
◇新政権は、グローバルな貿易交渉の新たなラウンドを政権の最高の優先課題とせねばならない。米国のリーダーシップはこの事業にとって死活的だ。ここで、米国とそのパートナーは工業品関税、農業補助金、金融サービス貿易への障壁の除去を求め、また国際的に受け入れられる会計基準、特に金融機関の国際会計基準についての交渉を追求すべきだ。
◇米日経済関係は重要なのだから、たとえ米日が紛争を解決して新たに協力するためにWTOに提訴する場合であっても、二国間貿易交渉は今後とも不可欠の手段だ。
◇米国は、日本と韓国の経済協調の萌芽を積極的に支持すべきだ。

 外交

 伝統的に、米国は日本の国際的役割の拡大を鼓舞してきた。見逃されていることだが、実際日本はこれまでこの鼓舞に答えてきたのだ。とりわけ人道的活動や他の安全保障の非伝統的な諸分野ではそうだ。多くは米国と協力してそれらを行ってきた。日本は、世銀、IMF、国連、アジア開発銀行への第1位ないし2位の拠出国であり、主要なすべての多国間機構への第1位の拠出国だ。現在の協力の持続と新たな二国間の作業の開始への米日の国民の支持をぜひとも培っていかねばならない。
 外交協力では不意打ちがあってはならない。日本は、アジア通貨基金などの構想を米国政府との調整なしに推進したことが多かった。米国も、日本を自分の外交に引き入れるのが遅れることが多すぎた。両国関係が「後知恵での政策形成」という状態では双方とも損失をこうむる。日本の外交政策での協力を小切手外交だとしてイメージを落とすことは米国にとって過去のことだ。日本は、国際的なリーダーシップには、伝統的な拠出国の役割だけでなくリスクを取ることも伴うことを認識する必要がある。
 米国政府は、日本政府にとって多国間の取り組みが重要であることを認識せねばならない。そうした取り組みを日本政府は、米国のリーダーシップを弱める試みではなく国家のアイデンティティーの表現だと考えている。
 外交における独立した日本のアイデンティティーの追求は、米国外交と対立しない。米日は、総体的外交目標としては同じものを大きく共有しているのだ。両国は、多くの共通利害を持っている。
◇アジアでの米国の関与し前方展開したプレゼンスの維持
◇紛争予防、平和維持、平和創出活動にもっと効果的に対処しうる機構への国連の改革。米国は、日本の安保理常任理事国入り追求を今後とも支援していくべきだ。ただし、そこには集団的安全保障の明白な義務が存在するのであり、日本はそれと正面から取り組まねばならない。
◇中華人民共和国がこの地域の政治的・経済的諸問題において肯定的な勢力となることへの積極的支持。米日は、このことについて現在行われている戦略対話に関与すべきだ。
◇朝鮮半島での和解の促進。米国政府・日本政府は、3国調整グループ(南朝鮮、日本、米国)が3国の協力関係を拡大しつつ朝鮮半島に関する諸問題に取り組むことを今後とも支持すべきだ。
◇ロシアの極東における安定及びロシアの膨大な天然資源の開発への支援。米日は、対ロシア政策をもっと効率的に調整すべきだ。
◇ASEANの個々の加盟国に対する米日の政策が分かれる場合でも、行動的、独立的、民主的な、繁栄したASEANを応援すること。
◇インドネシアの領土的一体性と再生を支援する両国の努力の継続。
 日本の経済力は世界第2なのだから、対外援助政策の方向を被援助国の利益重視から援助国の利益重視に逆転させる口実に経済問題を使うべきではない。日本は、アジアの経済成長と開放性を推進すべきだ。日本政府が提唱している円の国際化は、日本の金融市場が透明でなければ成功しない。
 (以下「結語」の項は略)