COMMUNE 2005/4/01(No.348 p48)

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4月号 (2005年4月1日発行)No.348号

定価 315円(本体価格300円+税)


〈特集〉 介護を奪う介護保険見直し

□世界戦争を目前にした社会保障の全面的解体
□予防介護を口実にし生活援助サービスを削減
□高齢者介護の現場から改悪案の核心点を撃つ

●翻訳資料 米帝の世界支配を基本任務としたAFLIC−O中央(下)

●国際労働運動 南朝鮮・韓国/労組抹殺攻撃に決死の反撃−−室田順子

    2・19座間司令部包囲

三里塚ドキュメント(1月) 政治・軍事月報(1月)

労働月報(1月)  闘争日誌(11-12月)

コミューン表紙

   戦争協力拒否運動

 イラク情勢は、1・30国民議会選挙にもかかわらず、一層米帝にとって泥沼的になっている。ブッシュの2期目の大統領1月就任演説に続く2月2日の一般教書演説は、米帝が「自由の拡大」と称して全世界に侵略戦争を広げていくことを宣言するものだ。イラク侵略戦争を継続・激化させ、イラン、シリアへ、北朝鮮・中国へ戦争を拡大しようとしているのだ。米帝の危機の激しさは、侵略戦争・世界戦争によってしか延命できないところまで進行している。基軸帝国主義である米帝が、自ら世界秩序を破壊しないでは生きられないという帝国主義としての末期性がそこに表れている。逆に言えば、世界のプロレタリアートと被抑圧民族人民が団結して帝国主義を打倒する世界革命によってしか人類の生きる道はないということである。

 日帝・小泉はこの米帝と日米枢軸を結んで延命しようとしている。そして日本経団連・奥田体制は、小泉「改革」路線をブルジョアジーの側から全力で推進している。経団連は、「国の基本問題検討委員会」の提言で、日米同盟強化と東アジア経済圏をうたい、集団的自衛権の行使を明確化した憲法9条改悪を提唱した。そして教育基本法改悪を打ち出している。昨年末の経労委報告では、「攻めのリストラ」を呼号して、労働者に全面的に犠牲を集中して体制の延命を図る姿勢を鮮明にしている。そこでは「工場法時代の遺制を引きずる労働基準法などの抜本的改革」なる表現で、搾取の制限の完全撤廃まで叫んでいるのだ。日帝の危機はそこまで深い。文字どおり小泉=奥田体制による、なりふり構わない政治経済攻撃である。

 3、4月卒入学式闘争は、今日の日帝・小泉、ファシスト石原の戦争国家化攻撃に対する階級的反撃の最前線の闘いである。教育労働者に対する「日の丸・君が代」強制の攻撃は、労働組合、階級的労働運動を破壊・解体する攻撃である。そして昨年の300人を超える不起立闘争が、日本の労働者階級の闘いの推進軸となったように、今年それを上回る闘いを実現することで、労働運動の分岐・流動・再編・高揚の情勢を一段と鮮明に推し進めることになる。だからこそこれに追いつめられ恐怖するカクマルは、「告訴・告発」運動をもって、権力を呼び込み、労働者的団結を解体しようとしているのだ。そして、このことをわれわれから批判されると「フキリツ運動は挑発者の運動」などと叫んで、真っ向から敵対している。

 この教育労働者の「日の丸・君が代」強制攻撃に対する闘いは、最高の戦争協力拒否の闘いである。陸・海・空・港湾労組20団体が一貫して掲げてきた「有事法制を完成させない、発動させない、従わない」という3ない運動は、いよいよ戦時下の今日、すべての労働者の切実な課題となってきたのである。JR総連カクマル・松崎が「法律で決まったら軍事輸送を拒否すべきじゃない」と公然と発言している(『創』1月号)。要するに戦時にあっては労働組合は戦争に協力するべきであり、JR総連はそうすると宣言したのだ。カクマルの不起立闘争に対する敵対も、結局戦争協力拒否の非妥協的な闘いへの恐怖と敵対である。このような反動を断固として打ち破って、「日の丸・君が代」強制拒否の闘いを貫き、郵政民営化阻止、経労委報告路線粉砕を掲げて05春闘を動労千葉を先頭に闘いとらなくてはならない。(た)

 

 

翻訳資料

 ●翻訳資料

 米帝世界支配を基本任務としたAFL−CIO中央(下)

 ハリー・ケルバー 2004年11月8日〜12月13日

 村上和幸訳 

【解説】

 昨年、アメリカで百万人労働者行進労働運動(MWM)が350万人を代表する労組の賛同を得て歴史的一歩を踏み出した。労働組合を労働者自身の手に奪還することを目指した新潮流運動がついに主流派への飛躍を開始したのだ。
 この翻訳資料は、こうした新たな潮流の闘いに呼応し、AFL−CIO指導部のアメリカ帝国主義の侵略・労働運動破壊の先兵としての姿を暴き、非和解的な闘いで打倒する必要性を訴えている。

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 ロムアルディはCIAの長年のエージェント

 CIAのラテン・アメリカの現場将校を10年以上務めたフィリップ・エイジーは『CIA日記』という著書の中で、「ラテン・アメリカの労働運動における作戦の中で、ロムアルディはCIAの中心的エージェントだった」と語っている。ロムアルディは、ORITの長になる前からCIAと関係しており、60年代初めになっても、このスパイ組織に奉仕していた。
 1950年に、ジャコボ・アルベンス・グスマンがグアテマラの大統領に選出された。金持ちの数家族が大部分の土地と資源を支配している国で、農地改革を掲げて選出されたのだ。彼自身は共産主義者ではなかったが、数人の共産党員を入閣させ、左派労組を支持したため、ミーニーの怒りをかった。ユナイテッド・フルーツ社の所有地の没収は、ミーニーと国務省の怒りの火に油を注いだ。
 54年6月、CIAが組織し、資金援助し、ミーニーが支援したクーデターがアルベンスを倒し、アルマス大佐を政権につけた。彼は左派組合だけでなく、すべての労組を非合法化する命令を出した。ロムアルディはクーデター中もその後もグアテマラにいたが、経営者が政府の黙認の下で「扇動者」とみなしたすべての労組活動家を大量解雇したことを認めている。彼は、「イクスカン地方では労働者は日給50kで週81時間の労働を強制されている」と語っている。
 アルマスの政権奪取から2年間で数千人のグアテマラ人が右翼テロリストに拷問、殺害されたが、ロムアルディは「大統領自身一生懸命やっていて、健全で自由で独立した労働組合運動の再生を心底から願っている」と主張した。

 大企業及び中南米の軍とAIFLDの癒着

 AFLーCIOのミーニー会長は、ORITを快く思わなくなっていった。加盟諸国の間での争いが多すぎたし、ORITの成果は少なすぎた。9年後、ORITは廃止された。62年、ミーニーは自分が支配する新たな国際組織、アメリカ自由労組開発協会(AIFLD)を設立した。
 AIFLDは、ラテン・アメリカに巨額の投資をしているアメリカの最も強力な企業家たちを理事にした。エクソン、シェル、IBM、コパーズ、ジレットなどの代表だ。ラテン・アメリカ最大の外国人土地所有者=ユナイテッド・フルーツのトップ、ピーター・グレースが理事会の議長となった。
 AIFLDが軍事クーデターを含むあらゆる手段で中南米の貧困な諸国へのアメリカの投資家の安全を確保しようとしていることは明白だった。AIFLDは全国郵便配達労組(NALC)の永年の委員長の息子、ウィリアム・C・ドアティーを事務局長にした。彼の父はCIA資金を外国の労組指導者に流すパイプ役だったことで知られている。フィリップ・エイジーは『CIA日記』の中で、息子ドアティーは、「CIAの労働運動作戦における代理人だった」と書いている。
 63年、創立からわずか1年後、AIFLDは英領ガイアナという小さな国で、労働運動を分裂させるために、ストライキに100万j以上の資金援助を行った。選挙で選ばれたチェディ・ジャガン政権をイギリス軍の侵攻によって転覆するための地ならしだった。
 同年AIFLDは、ドミニカ共和国の合法的に選ばれたフアン・ボッシュ大統領に対する反対派に、資金・戦略計画・宣伝を大量に提供した。2年後、海兵隊2万人がこの島に上陸し、保守的な将軍たちの権力を回復した。AIFLDは全面的にそれを支持した。
 64年のCIAに支援されたブラジルのクーデターは、AIFLDの訓練を受けたブラジルの労組に支持された。少し後でAFLーCIOは、ブラジルの労働者に「安定をもたらすため」として賃金凍結受け入れを勧告した。
 ドアティーは、アメリカの議会で、AIFLDの任務について次のように説明している。
 「われわれの(企業との)協力は、もっと魅力的な投資環境を作っていくという形をとっている」
 AIFLDの信託理事会の議長だった、W・R・グレース財閥のピーター・グレースは、「AIFLDは、労働者に、彼らの会社の利益を増大させることを教えるのだ」と露骨に語っている。
 AIFLDは、アメリカの多国籍企業の利益のために搾取しうる国の労働者の忠誠心をつくるためのさまざまなプログラムを行なった。CIAの資金援助を得てAIFLDは、ウルグアイの労働者に住宅建設プロジェクトを提供するなどして、主流派のナショナルセンターへの対抗をそそのかした。エクアドルでは、講習会の出席者に金を渡して数千人の労働者を集め、労使関係と自由市場経済の信条について「訓練」した。
 AIFLDは、事実上すべてのラテン・アメリカとカリブ海諸国で、総計24万3668人の現役の労組役員又は将来そうなる可能性がある者を「訓練した」といわれている。その中で、1600人以上が米国にある施設での特別訓練と給付を受けてきた。
 AIFLDのもっとも汚い秘密作戦の一つが、73年にチリで行われたものだ。AIFLDは、選挙で選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を転覆した軍事政権とCIAを支援した。アジェンデ政権は、チリの銅産業を国有化すると言い、また一連のラディカルな改革を開始したために、アメリカ企業の敵意を招いたのだ。アジェンデ政権は、ソ連への共感を示したとして非難された。
 その2年前、AIFLDはチリの右派労組指導者や右派政党指導者に数百万jを流した。特に通信産業や運輸産業にスパイ網を作ることが作戦の焦点だった。だから、9月11日にクーデターが起こった時、通信ラインは反乱軍が自由に使え、反乱軍は素早く行動できたのだ。
 AIFLDは、アジェンデ政権の転覆に大喜びし、その駐チリ代表だったロバート・オニールは、ワシントンのAFLーCIO本部に「緩慢だが着実にマルクス・レーニン主義のシステムを導入しようとしたチリの政府に対して、最初の大規模な中間階級の運動が起こった」と自慢げに書き送った。
 アジェンデに取って代わったピノチェト将軍は、長い歴史を持つ労働者保護を奪い、多数の労働組合員を投獄・拉致・殺害した。

 大戦後、欧州に秘密介入

 第二次大戦終了から間もなく、AFLはフランス・イタリア・ドイツ・ギリシャで既存の親共産主義的な労組・機関を分裂させるための地下作戦を開始した。
 ついこの間までヒットラー・ドイツに対して同盟していたアメリカとソ連の間で冷戦が始まり、熱を帯びていった。両超大国の労働運動も、それぞれの国の代理として冷戦を闘った。
 AFLの44年の大会で自由労働組合委員会(FTUC)が設立され、外国の労組の支援を委託された。労働運動の大物リーダー、ジョージ・ミーニー(当時、AFLの書記長)、デービッド・デュビンスキ(国際婦人服労組委員長)、マシュー・ウォル(写真製版工労組委員長)、ジョージ・ハリソン(鉄道事務員労組委員長)がFTUCの手綱を握っていた。
 FTUCは、「予算外」の機関であって、財政運営はAFL上層の労組指導者にさえ秘密にされた。その最初の行動はジェイ・ラブストーンの執行書記への任命と、アービング・ブラウンのAFLの唯一の在欧州代表への指名だった。
 ブラウンは、ニューヨークのブロンクスで1911年に生まれた。ニューヨーク大学で経済学士号を取り、数年間、シカゴ南部のフォード工場やケンタッキー州ハーラン郡の炭鉱などでの厳しい労組組織化の活動にたずさわった。
 ブラウンがこうした仕事の中で傑出した存在になっていった訳は、鋭い頭脳、疲れを知らぬエネルギー、場所と人物に関する写真に撮ったかのように記憶する力、そして国内外の重要な労働運動指導者や政府高官との友好関係を作る才能である。
 アービング・ブラウンは、ジェイ・ラブストーンと緊密な関係だった。ジェイ・ラブストーンが欧州における反共労働運動の戦略を立て、アービング・ブラウンがそれを遂行した。このパートナーシップは、20年以上続いた。

 ブラウンは、賄賂でフランス労働運動を分裂させた

 ブラウンは必要とあらば強硬策をとることもできた。彼は47年から48年にかけて、マルセーユの港や南部の他の港の共産主義的な港湾労組から港の支配権をもぎ取るために、ならずもの、犯罪者集団を雇った。こうして同盟国の船舶が食料・機械など品薄になっていた物資をフランスとイタリアに供給できるようにしたのだ。
 ブラウンには才があったとはいえ、巨額の資金がなかったら、共産党員に指導された労組に挑戦して、港湾を同盟国船舶の荷役に使えるようにすることはできなかったのだ。彼は、その金で外国の労組指導者に賄賂を贈り、デモを組織し、ストを呼びかけ、スト破りを行い、労組の選挙に影響を与え、共産党の集会を破壊したのだ。
 45年から48年の間にブラウンは、AFLの財政や、国務省、エクソン・GE・シンガーミシンなどの欧州に通商上の利益を有する大企業から資金を受け取った。その後、48年に米国はマーシャル・プラン(欧州復興計画)を開始し、130億jを西欧に分配した。
 マーシャル・プランは資金の5%を管理運営の目的及び西欧同盟を再建する目的のために使用すると規定していた。ブラウンは、マーシャル・プランの指揮者エーブリル・ハリマンと結託していたから、8億j〔ママ〕の中からかなりの額を、彼の膨張する活動にあてる裏金として獲得できた。
 マーシャル・プランが50年に終わった時、47年に設立されていたCIAがブラウンの秘密作戦への資金供給を引き継ぎ、さらに巨額化した。CIAは数千万ドルをFTUCに注ぎ込んだ。ブラウンの秘密作戦には利用価値があると判断したからだ。CIAもFTUCも、これらの送金について報告する義務は負っていなかった。

 いかにしてAFLは新たな世界的労組連合を破壊したか

 45年9月、56カ国のナショナルセンターの代表が世界労働組合連盟(WFTU)の結成のためパリに集まった。CIOや全米炭鉱労組、アメリカの鉄道の諸労組も、イギリス労働組合会議(TUC)も、欧州、アジア、アフリカのほとんどの有力労組も加盟した。
 一つの大きな例外がAFLだった。ミーニーは、「WFTU加盟を拒否したのは、その加盟組合には言論、出版、集会、及び信教の基本的自由が欠けているからだ」と述べた。WFTUは、「戦後世界において、共産主義者が世界的政治力を確保するための闘いの主要な部分だ」という。
 AFLは、WFTUを破壊するための強力なキャンペーンを開始した。ブラウンは、WFTU内の反共人脈を使い、親ソ的労組が反対していたマーシャル・プランとNATOをめぐる分裂を激化させていった。ベルリン封鎖をめぐる危機とチェコスロバキアでのロシアの膨張主義的な動きも、WFTUからの離脱を推進していたブラウンを助けることになった。
 49年12月、イギリス労働組合会議やCIOなど53カ国の組織労働者代表がロンドンで会合し、国際自由労連(ICFTU)を結成した。ミーニーの夢は達成されたが、CIAの背後での策動と資金提供があってこそ可能だったのだ。
 しかし、生まれたばかりのICFTUはミーニーが期待したような言いなりになる道具ではなかった。多くの加盟組合は互いに敵対する国々からきていた。アラブ諸国とイスラエル、ギリシャとトルコ、インドとパキスタンなどだ。工業諸国の労組と第三世界の労組との間には緊張があった。他に、東欧の共産主義労組との関係を深めている労組もあり、アメリカの労組指導者は、眉をひそめていた。そして、大部分の労組は、アメリカ労働運動の代表団の傲慢な態度に憤慨しはじめていた。
 ブラウンは、ブリュッセルのICFTUスタッフを「形式的官僚主義」と呼んで苛立ち、ミーニーの許可を得て、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカの労組の養成のプロジェクトを野心的に進めるようになった。これはICFTU指導部をさらに憤慨させた。ICFTU指導部はコンセンサスによって動いたので、決断を要する動きはほとんどしなかったのだ。
 69年まで20年近く、AFLとICFTUの不安定で脆弱な関係が続いた。69年にミーニーは、ラブストーンの反対にかかわらずICFTUから脱退した。「ICFTUの運営にはまったく失望した。中に残る理由はもう全くない」。
 ICFTUの加盟組合の中に、労働者訪問団の交換国際連帯共同集会などによって東欧、特にソ連の労組との関係を作っていく傾向が拡大していたことについても、ミーニーは怒っていた。
 CIAに関する最高権威であるジョン・ラネラによるとICFTUは50年以降、AFL及びCIOを通じて、CIAから豊富な資金を得ていたという。彼は、「CIAは、50年代にCIOの全米自動車労組委員長ウォルター・ルーサーと彼の弟、ビクターを通じて西独の労組にも援助を与えていた」と言っている。
 CIAのエージェントだったフィリップ・エイジーは、彼の内部告発本、『ザ・カンパニーの内幕―CIA日記』の中で、「CIAの気に入った労組作戦は、最高レベルではAFL会長ジョージ・ミーニー、AFLの対外責任者ジェイ・ラブストーン、AFL代表アービング・ブラウンを通じて支援されていた。彼らはすべて、CIAのニーズにあった有力なスポークスマンだと見なされていた」と言っている。
 47年、トルーマン大統領は両院合同会議で、ギリシャ政府を共産党のゲリラが支配する瀬戸際にあるから、阻止せねばならないと演説した。トルーマンは、ギリシャ向けに3億j、トルコ向けに1億jの予算を要求し「武装した少数派や外部の圧力に隷属させられようとすることに抵抗している自由な人びとへの支援が米国の政策でなければならない」と宣言した。
 この危機の中でブラウンは、ギリシャの非共産主義的な諸労組の統一が米国に特に役立つと考えるようになった。だが、ギリシャの労働者の主流はナチとイタリアの占領及び国内のファシストと戦ってきたギリシャ共産党のゲリラだったから、この任務は難しいものだった。
 また、非共産主義的な諸労組のリーダーは、労働組合運動の基本的原理について惨めなまでに未経験だった。しかも共産党は、平均賃金が必要生活費の4分の1をカバーするのがやっとという貧困の蔓延を利用していた。
 ブラウンは、非共産主義的な諸労組の統一を助けるにあたって、「政府によるコントロールと政党による支配から自由な全国的労働組合運動の組織化」というプログラムを用いた。そして、「自由労働組合勢力が役員選と労組組織の再建にあたって民主的権利を保障されるように、AFLとイギリス労働組合会議の援助と監視を求める」ことを彼らに合意させた。
 連邦議会は資金供与に賛成し、(最終的に7億j近くになった)イギリスが近東に作った真空に米国の勢力が入っていった。長期戦のはてにギリシャのゲリラは撃破され、ギリシャの政府と経済は改革され、地中海情勢は安定した。ブラウンは、この共産主義にたいする勝利を確保した彼の役割を誇りとした。
 ブラウンは、「自由な」労働組合に強力に肩入れしたが、米政府や反労組的雇用者による国内の労働者の基本的権利の否定についてはほとんど批判しない。彼は、労組と経営側の団体交渉を自由な組合の不可欠の条件として認めていたが、米国内でのほとんどの労働者に団体交渉が欠如していたことは無視した。彼は共産主義体制との闘いに生涯を費やしたが、彼のボス、ミーニーが熱烈に擁護した資本主義体制の欠陥は受容した。

 ブラウンの遺産についての様々な見解

 アービング・ブラウンは、89年にパリで死去した。ウォールストリート・ジャーナルのセス・レプスキー記者はブラウンについて「自由な労働者が欧州労働運動の支配権をめぐって共産主義者と争った第二次大戦後の巨大な争奪戦における、アメリカ労働運動の指導的な組織者、哲学者、戦略家だった」と書いた。
 ブラウンは、AFL−CIOのレーン・カークランド会長を始めとする労働界の指導者から多数の弔辞を受けた。カークランドは、「われわれは巨人を失った。他のいかなる個人も、世界中のあらゆる国で労働者の権利を守ることをアービングほどには成し遂げられなかった」と述べた。
 しかし、ブラウンの反共主義は、労働者の自由の大義ではなく、国際資本の企業利潤とワシントンの帝国主義的企図に奉仕したものだという批判が存在する。彼は、正当な独立心のある地元の労組の破壊に熱中したCIAのエージェントだという告発もされている。
 彼の死の一年前、ブラウンは、レーガン大統領によって、文民の最高の勲章である「自由章」を授けられた。89年、AFL−CIOの最高の栄誉である「ジョージ・ミーニー人権賞」が追贈された。
 おそらく、彼の犯した最悪の事は、世界的に共産主義労組を壊滅させるためにCIA資金を受け取ったことよりも、彼の地下活動がすべて、あたかも組合員には無関係のことであるかのように、数十年にわたって組合員に秘密にされていたことであろう。

 カークランドは米政府の外国労組支配資金で秘密の帝国を作った

 1979年、死にかけていたミーニーが代議員にカークランドを会長に選出することを要請して大会が開かれ、そこで、彼が次の会長に選ばれた。会長になりたがっていた何人かの者も含めて、誰も異議をとなえなかった。
 カークランドは、労働運動の実際の経験はほとんどなかった。非常に小さな組合である船長・航海士・水先案内人組合の組合員だったことはあるが、その組合活動も1年に満たない。
 彼が熱心だったことは、国際関係だった。彼は48年に有名校ジョージタウン大の外交大学院で外交の学位を得て、外交官としてのキャリアを目指したようだ。
 彼は、AFLで研究スタッフとして働き、社会保障局で1960年までライターとして働いた。同年、ミーニーに引き抜かれて、彼の助手になった。
 ミーニーは、カークランドが自分同様の頑強な反共主義者であり、また自分によく尽くすと感じた。AFLーCIOの国際事業へのカークランドの影響力は増大し、ミーニーは満足した。彼のワシントン政界内での評判と実力も増大していった。しかし彼の権力の絶頂期でも、彼の名前を知っている組合員は3%そこそこだった。
 カークランドはAFL−CIO会長としての労組の組織化や団体交渉にはほとんど興味を示さなかった。彼に言わせれば、そういう役割・活動は、自律的な各傘下労組の領域だった。彼はピケットラインや集会にはほとんど現われなかった。労組の野球帽をかぶったり、ウィンドブレーカーを着たりした時は、居心地悪そうだった。
 彼は、世界大に広がった労組帝国を、自ら支配する4つの地域機構を通じて管理することに、ほとんどの時間とエネルギーを使った。彼の配下が、世界中の85カ国で活動し、米政府の政策と米企業の利益を守るために働いていた。
 AIFLDは、ラテン・アメリカとカリブ海諸国で活動していた。アフリカ・アメリカ労働センター(AALC)は、アンゴラからジンバブエまでアフリカの20カ国以上で活動していた。アジア・アメリカ自由労働協会(AAFLI)は、アジア・太平洋の約30の国で活動していた。バングラデッシュ、インドネシア、南朝鮮、フィリピン、タイ、トルコに駐在員を持っていた。自由労働組合協会(FTUI)は、ヨーロッパ諸国に集中していた。
 カークランドは、この4つの協会全部の理事長だった。事実上同じ執行委員会メンバーが、4協会のすべての理事会に任命されていた。4協会の情報は組合員にはほとんど届かなかった。特に、秘密作戦に関することはそうだった。
 カークランドはこれらの協会の財源は、大部分が労働運動からの金でまかなわれていると主張しているが、本当は、ほぼ全部が米国政府や他の外部資金から来ていたのだ。彼は、この4つの協会が、労働運動の独立した発言権のために役立っているという神話を維持しようとした。
 たとえば、1987年には、米政府及び米国民主主義基金(NED)からの直接の贈与が4つの協会の資金の98%を占めていた。AFL−CIO自身は、自分の対外活動にたったの2%を拠出したにすぎない。
 政府が、カークランドの協会に豊富な資金を提供したのは、政府の外交政策と米企業のニーズを支持してたゆまぬ努力をすることを期待したからだ。協会は、期待に熱心に応えた。AFL−CIOに忠実な、アメリカ式の組合の世界的ネットワークを作るための資金を政府が提供してくれたからだ。
 フィリピンでは、アジア・アメリカ自由労働協会(AAFLI)がフィリピンの労働組合会議〔ナショナルセンター〕の指導者を買収し、血なまぐさい独裁者マルコスを支持させ、もっと米企業に有利な環境を作るために大量の資金を使った。AAFLIは、マルコスに反対する独立労組を弱体化させる活動も行い、そのリーダーの逮捕を賞賛した。
 南朝鮮でも、同様の活動が展開された。AFL−CIOは、韓国政府の後援を受けた組合を支持し、大量の資金を与えて、戦闘的な独立労組のナショナルセンターの台頭を防止しようとした。
 カークランドがレーガン時代に4つの大陸のナショナルセンターへの彼の影響力を拡大する新戦略を描いていた時、他方で米国内の労組は組合員の減少と交渉力の減退によって弱体化していった。
 94年の連邦議会で、下院、上院とも、スト参加者の永久代替要員の導入を禁止する労働者公正法案が承認された時、懸念された議事妨害を防止するには、上院でたった7票さえ上積みすればよかった。だが、カークランドは、この時にヨーロッパにいて、国際労組会議に参加していたのだ。

 NEDが、CIAに代わって資金を提供

 米国民主主義基金(NED)は、主要な資金提供機関となり、カークランドの協会は、その潤沢な寄金に大きく依存することになった。NEDは、企業、労組及び2大政党に公然と資金を提供するために、83年に連邦議会によって作られた。CIAの麻薬資金のマネーロンダリングを含む違法な資金づくりが、スキャンダルになったために、それに代わるものとしてNEDが作られたのだ。
 政府予算から年間3000万j以上を獲得して、NEDは、さまざまな社会的プロジェクトに資金を提供することになった。自由市場経済と民主的価値観を同一視し、対外投資のメリットを強調するものが対象である。
 AIFLDは、NEDのお気に入りの資金供与先だ。94年から96年にかけて、AIFLDは、第三世界の労組と組合員に、米国企業の国有化に反対し、外資の投資を促進する教義を教え込んだ。
 84年に連邦議会を通過した法律で、NED資金の公職立候補者の選挙運動への提が禁じられていたにもかかわらず、NEDは、戦略的に与えた贈与によって90年のニカラグア選挙、96年のモンゴル選挙で親米候補の選出のために影響力を行使することができた。90年のブルガリア、91年のアルバニアでは、民主的に選挙された政府の転覆を助けた。他の多数の国でも、選挙と政治のプロセスに介入した。こうした転覆活動はすべて、カークランドとAIFLDの承認の下に行われたのだ。
 NEDとAIFLDは、ともに、80年代のイラン・コントラ事件で重要な役割をはたした。オリバー・ノースの「プロジェクト・デモクラシー」ネットワークは、戦争を起こし、武器と麻薬の取引を行い、米国の法律に違反する他の諸活動に関与してきたのだが、NEDとAIFLDは、その資金の中軸的要素であった。
 NEDは、80年代中ごろのフィリピンの左派の蜂起に反対する労組やメディアを含む私的な団体にキャンペーン資金を提供した。90年から92年にかけて、キューバ系アメリカ人民族主義財団とそれを支持する反カストログループに25万jを寄付した。
 カークランドのAIFLDがレーガン大統領の政策をラテン・アメリカとカリブ海諸国で遂行していたまさにその時、ストをした1万人の連邦航空管制官の首をレーガンが切ったことは、強調しておくべきであろう。

 連帯センターは、アメリカ労働運動に役立つか?

 95年のAFL−CIO会長選の時、ジョン・スウィーニーは、「国境を越えた監視プロジェクト」の創設を提案した。AFL−CIO加盟労組と協力して、世銀などのグローバルな機関を監視し、国際的キャンペーンのための組織化戦略を練るというものだ。
 これは、多国籍企業が数万、数十万の高賃金雇用を低賃金諸国に移転し、国際労働運動連帯が緊急に求められている時に、すばらしい提案であった。だが、このプロジェクトは、ほとんど選挙運動の公約以上のものではなかった。
 スウィーニーは、国際労働運動連帯のためのアメリカセンター(連帯センター)を設けた。CIAのエージェントと協力してドミニカ、ガイアナ、チリなどでの民主的に選挙された政府を不安定化し、ソ連と親しいかあるいは米企業の利益に対して敵対的な政府を弱体化してきた、カークランド前会長の下での4つの地域機構を、連帯センターで取り替えたのだ。
 連帯センターは決定的に違ったものになると、われわれは教えられた。「連帯センターの目標」は、「センターは、労働者に、国際的に認められた労働者の権利についての情報を提供し、基本的な労組の教育・組織化スキルの訓練を供与する……」のだと。

 連帯センターは、カークランドの作戦を続行

 連帯センターとカークランドの4つの地域機構は、酷似している。連帯センターの予算の4分の3は、国務省、国際開発庁、NEDから得ている。AFL−CIOは、これらの各機関それぞれの拠出金については発表していない。また、これらの機関の資金提供が何を期待して行われているのかについても、発表しない。
 カークランドの「世界帝国」と同様、連帯センターは事務所とスタッフをバングラデッシュ、ブルガリア、クロアチア、パラグアイ、スリランカ、タイ、ベネズエラ、ジンバブエ等、少なくとも26カ国に保持している。これらの国での連帯センターの活動が、アメリカの労働者や労組に役立っているかどうかは定かでない。
 連帯センターの長は、元国務省職員のハリー・カンブリスで、80年代の末にはカークランドのアジア・アメリカ自由労働協会で働いていた。彼はその時、南朝鮮とフィリピンで戦闘的労働組合に反対して汚い策動を行っていたのだ。
 カンブリスと彼のスタッフは、外国の労組指導者のための研修会、セミナーを開き、彼らに多額の金、事務機器、戦略的アドバイスを与えるというミーニー、カークランドの政策を続行している。その目標は、彼らの忠誠心を獲得し、米政府がかかわった危機の時には惜しみない協力が確保できるようにすることだ。
 大きな危機が、ベネズエラで02年4月に訪れた。ニューヨークタイムズの記事が、連帯センターが悪名高いNEDのパイプの役割を果たし、154・377jをベネズエラ労働総同盟(CTV)に与えたと暴露してしまった。CTV会長、カルロス・オルテガは、ストライキを指導して、民主的に選挙されたウゴ・チャベス大統領に対する反対運動を活発化させた。
 オルテガは、親米の企業経営者、カルモーナと密接に協力して02年4月11日、反チャベスのクーデターを仕組んだ。カルモーナの最初の行動は国会を解散することだった。しかし2日後、軍と労働者や貧困層の大波のような支持によってチャベスは復活した。国務省には非常に残念なことだった。
 クーデターの前に連帯センターはCTVのオルテガをワシントンに招いた。AFL−CIOは、オルテガが国務省代表を含む米政府高官と会う手配をした。そしてそこで、反チャベス派リーダーが、会合し、戦略を議論したのだ。
 入手可能な記録によっても、ベネズエラのクーデターの失敗の後でも、NEDが116・000jを02年9月から04年3月まで3カ月ごとに連帯センターに支払っていることがわかる。見返りとして、連帯センターは、この後援者が欲しがっている情報を含む報告書を5回にわたって4カ月ごとに提出している。

 連帯センターは国務省の機関か

 ベネズエラの事件は、連帯センターの舞台裏の活動にスポットライトをあてた。連帯センターは、世界の主要産油国の一つで、アメリカの石油利権のターゲットになっているベネズエラで、自由に選挙された政府の転覆を助けたのだ。この事件は、貧しい国の労組活動家にふんだんに分配された賄賂が、いかに労働運動を腐敗させ、彼ら自身の利益に反するものになっていったかを示した。
 これが連帯センターがベネズエラで行った恥ずべき活動なのだから、同じことをメキシコ、ナイジェリア、フィリピンなどで連帯センターの現地事務所が続けていることは疑えない。
 連帯センターがこれらのすべての国で行っていることは、国務省の目、耳、声となること以外の何であろうか。これがアメリカ労働運動の機関の役割であろうか。
 特に困った問題は、連帯センターとAFL−CIO国際局が厳重にその活動を秘密にしていることだ。カークランド時代のスパイ作戦とほとんど変わらない。
 スウィーニーがAFL−CIO会長になって10年近くたつが、国際局は自分たちの活動について、ブックレットも広報誌も出さず、新聞発表も他の形での情報提供も拒否している。公式の労組出版物でもAFL−CIOホームページでも情報を提供しない。国際局がわれわれの名で発言し行動していることは、明らかにわれわれとは無縁なのだ。
 連帯センターのホームページには、いくつか情報が載っている。だがほとんどが、著しく誇張された疑わしい成功例の自慢にすぎない。ベネズエラで行ったような陰険な秘密活動の具体的内容については何の情報も提供していない。
 連帯センターと国際局を覆っている秘密のベールを今こそ取り去らねばならない。アメリカの労働者は企業のアウトソーシングで多数の高賃金職を失っている。少なくとも、他国の労働者と労働組合に何が起こっているのか、またAFL−CIOが対外政策において何を言い、何を行っているか知らされるべきだ。
 多国籍企業はもっとも安価な労働市場を求めて侵攻的に打って出ている。われわれがあらゆる所の労働者と競争し、奈落に向かうレースに駆り立てられたくないなら、労働運動の国際連帯は不可欠だ。しかし、他の労組と労働者が何をやっているのか完全に何も知らないで、どうやって他国の組合や労働者との協力の絆を打ち立てることができるのだろうか。
 AFL−CIO国際局と連帯センターが秘密なやり方を変えるとは考えられない。スウィーニー会長は暗黙の了解を与えている。また、AFL−CIO執行委員会の51人のメンバーからも、反対はでていない

 (終わり)