COMMUNE 2006/2/01(No.358 p48)

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3月号 (2006年2月1日発行)No.358号

定価 315円(本体価格300円+税)


〈特集〉  亀裂走った連合の改憲方針

  □改憲を阻む教労・自治体などの4大産別決戦
  □自衛権発動・米軍と共同行動を宣言した見解
  □「7・14連合見解」に対する14単産からの意見
  ・資料 国の基本政策に関する連合の見解(案)

●翻訳資料 ノースウエスト航空のストライキ(下)

●国際労働運動 南朝鮮・韓国/民主労総、12・月ゼネストで非正規悪法阻止−−室田順子

    11・6全国労働者集会

三里塚ドキュメント(11-12月) 政治・軍事月報(11-12月)

労働月報(11-12月)  闘争日誌(10月)

コミューン表紙

   今春の闘いの課題

 耐震強度偽装問題、JR羽越線列車転覆事故、ライブドア粉飾事件と東京証券取引所の取引全面停止。これらの事態は、小泉=奥田の構造改革路線の実態がいかなるものかを赤裸々に暴き出した。規制緩和、「官から民へ」などのかけ声のもとに行われてきたこの間の攻撃は、結局「カネがすべて」、利益優先、偽装と腐敗、安全無視=人民虐殺を生みだし、今や総破綻しようとしている。また、米国産牛肉の輸入再開決定と危険部位混入発覚による再度の全面禁輸措置は、日米枢軸関係の強化を最優先して安全をないがしろにしたツケが現れたものだ。今や、民営化攻撃のもとで進行する貧富の差の拡大に対する労働者人民の怒りの声が渦巻き始めている。小泉の政治の先には労働者人民の未来はないことはいよいよ明らかだ。

 帝国主義の側から逆4大産別決戦と言うべき攻撃が激しく突きつけられている。郵政民営化攻撃との闘いはこれからが本番だ。自治体労働者に対しては、公務員制度改革=公務員削減の攻撃が強められている。そして自治労の改憲勢力化が策動されている。さらに、教育労働者に対しては「日の丸・君が代」強制、東京・杉並における「つくる会」教科書の強要の攻撃があり、さらに日教組の改憲勢力化が狙われている。教育基本法改悪の攻撃もいよいよ切迫している。国鉄労働者に対しては、1047名解雇撤回の闘いに対する解体攻撃、動労千葉に対する攻撃が強まっている。今春「日の丸・君が代」拒否の闘いを先頭に、大反撃の陣形を作り上げよう。11・6労働者集会で打ち固められた日韓米労働者の国際的団結を発展させよう。

 この4大産別決戦と固く結合し、重大化するイラク反戦闘争と新安保・沖縄闘争、共謀罪阻止を始めとする治安攻撃粉砕の闘い、そしていよいよ本格的な決戦となった改憲阻止を掲げた一大政治闘争を圧倒的につくり上げていこう。自衛隊の第9次派兵(首都治安部隊である東部方面隊の派兵)を阻止しよう。米軍再編、とりわけ沖縄の恒久基地化、辺野古崎新基地建設は新たな琉球処分だ。辺野古の不屈の実力阻止闘争の勝利を引き継ぎ、なんとしても阻止しよう。戦争と民営化攻撃推進のため通常国会へ超反動諸法案が提出されようとしている。改憲への国民投票法案の提出策動は、改憲に向かって外堀を埋める攻撃だ。公務員労働者と教育労働者、在日外国人から表現の自由を奪う悪法であり、絶対に葬らなければならない。

 こうした攻撃に対する闘いが問われている時、日本共産党は「11・5赤旗声明」を発表し、改憲阻止の統一戦線を破壊する姿勢をむき出しにした。彼らは、1月に24回党大会を開いたが、そこでの不破哲三議長の退任は、日共の党的な求心力の喪失を意味しており、一層の屈服と転向路線を促進するものである。帝国主義の末期的な危機、そこからの延命のための戦争と民営化攻撃に対して、戦争か革命か、帝国主義の延命か打倒かが問題の核心であるのに、日共は、なんと「資本主義の枠内の改革」を叫ぶことで、資本主義擁護のとんでもない運動を呼びかけているのだ。危機を深める帝国主義の利益と労働者階級の利益がけっして両立しないことがはっきりしてきている時に、綱領から階級的な思想を一掃したことの意味は決定的に大きい。日本共産党の傘下の労働者に、党中央と決別してともに闘おうと呼びかけたい。(た)

 

 

翻訳資料

  ノースウエスト航空のストライキ (下)

 労働運動はどこへ行く? 2005年10月2日

 ピーター・ラシュレフ(セントポール市のマカレスター大学歴史学部教授)

 丹沢 望訳

【解説】

 AMFA(アメリカ航空整備士労組)の労働者は、05年12月、会社側の新たな協約案を受け入れてストライキを終結するかどうかの一票投票を行った。これは会社側の激烈な攻撃のエスカレーションに直面した一部の組合指導部が仮調印してしまった全員解雇を申し渡す協約案に対するランク・アンド・ファイルのスト参加全労働者の承認を求めるものとして行われたものである。
 ランク・アンド・ファイルの活動家たちは、この協約を「航空業界の労働運動の歴史上最悪の協約」と呼んで、スト参加労働者の間で協約拒否の闘いを組織した。その結果、12月30日に発表された一票投票の最終集約によれば、ランク・アンド・ファイルは、一部指導部のスト終息の思惑を乗り越えて、総投票数2223票のうち、1258票の反対(57%)と965票の賛成(43%)で協約締結を拒否し、ストライキを続行することを決めた。これはランク・アンド・ファイルの労働者の極めて大きな勝利であり、アメリカ労働運動の歴史を塗り替える決定である。
 AMFAの労働者は、労働運動のナショナルセンターや他の航空関係労組からの支援を一切受けられないどころか、支援の提供を阻止されるという巨大な困難に直面しているにもかかわらず、断固として8月20日以来の長期ストライキ闘争を継続する決意を固めた。
 ノースウエスト航空側は、この協約案で880人のスト破り整備士の新規雇用と、それ以外の雇用のアウトソーシング、4400人のAMFAの労働者全員のレイオフと首切りを強引に認めさせ、ストライキを圧殺しようとしたが、この策動は失敗した。これによってAMFAのランク・アンド・ファイル労働運動とノースウエストとの最後の決戦情勢へと突入した。
 資本側はなんとしてもこの攻撃を貫徹しようと決意を固めており、情勢は楽観を許さない。だが、AMFAはアメリカの戦闘的潮流からの支援を受けて、決戦情勢下の闘争態勢を強化している。
 現在、AMFAの労働者の闘いを支援しているのは、年金・医療給付の大削減、大幅賃下げなどの同様の攻撃に直面しているAFL−CIO傘下の大労組、全米自動車労組(UAW)やILWU、ミネソタ大学のAFSCME(全米州・郡・市従業員組合)の3つの支部、いくつかのSEIU(サービス従業員国際組合)の支部、UNITE−HEREローカル17などである(本文参照)。
 とりわけ、GM、フォードで年金・医療給付の大幅削減、大幅賃下げ攻撃に屈服したUAW本部の譲歩と闘っているランク・アンド・ファイルの労働者は、AMFAの闘いを自らの闘いと同様の質をもった闘いと位置づけてスト資金援助などの強力な支援態勢をとっているのである。
 アメリカ労働運動は、こうしたAMFAやUAWの闘いに加え、ニューヨークの交通を全面的にストップさせた交通労働者の闘いなど、戦闘的階級的労働運動の新潮流が大資本攻勢と真っ向から対決して闘う段階に入った。
 このようなアメリカのランク・アンド・ファイル労働者の闘いと連帯し、日本における階級的労働運動の潮流のさらなる発展を勝ち取ろう。

……………………………………

 以上のようなことは、ノースウエスト航空の9月中旬の破産宣言決定の際にも起きた。それはストライキ突入後1カ月で、連邦破産法の変更が予定されていた日から1カ月前のことであった。3年間も破産法のもとにあって、労働者を分断し、賃金を引き下げ、年金給付義務を放棄したユナイテッド航空の例で励まされたノースウエスト航空は、同様の法律の下で破産状態に入ろうとした。
 ノースウエスト航空はAMFAのストは、彼らが何事かを決定するにあたって何の影響も与えず、破産過程が進行する際にAMFAは何の発言権も持たなかったと主張している。それは確かに経営者の意図するところであっただろう。それは非常によく考え抜かれた計画としてすでに有効性を証明されたものであった。
 毎日の経営決定や実務、経営実践やその結果を法廷に持ち込むことによって、ノースウエスト航空の経営者は次第に組合側の調査に弱くなり、大衆にアピールしようという態度をとるようになる。たとえば、9月末の週に、ノースウエスト航空は破産法廷の判事と公衆の面前に現れ、経営者トップに年間ボーナスを支払うことを許可するように求めた。判事はそれを許すかもしれないが、それは、組合とその支援者がこれを声高に大衆の注意を引くために引き合いに出すことができた後にである。
 興味あることに、この告知は、ちょうどAMFAが戦略的調査を行い、闘争推進のための広報活動を拡大するためにレイ・ロジャーズと彼の企業キャンペーン会社を雇い入れたことを発表したまさにその時に行われた。破産はノースウエスト航空の他の組合との団体交渉を進めるに当たってノースウエスト航空に有利であったのに対し、組合の非通常的戦略に対しては弱点を持つものでもあった。
 ノースウエスト航空経営者がよく考え抜かれ、財政的にも豊かな組合を潰す戦略を効果的に実施したことは、航空産業だけでなく全産業の企業経営者やそのコンサルタントの注意を引いた。もしノースウエスト航空が成功を収めれば、他の組合も同様の包括的戦略に直面したであろう。だが重要なことは、この闘いはまだ終わってはいないということだ。一方での破産、他方での他の組合との未だ解決していない関係があり、しかもノースウエスト航空が、現場に戻された管理職たちや部分的にしか訓練されていない整備士によって安全性とスケジュール通りに飛行機を飛ばす能力があるかどうかまだ疑問があるという情勢下で、前途には紆余曲折が予想される。

 永遠の連帯?

 スト労働者が他の組合から受け取るもののうち、支援があるか否かという要因ほど重要なものはない。航空産業界では、ユージン・デブス〔注3〕が1世紀前に提起した、ばらばらの労働組合を一つの大きな鉄道労働組合にするという論議を彷彿とさせる論議がおきている。パイロット、客室乗務員、整備士、荷物取り扱い係、チケット係、ホワイトカラー労働者など、さまざまな職業グループはそれぞれ同じ航空会社の異なった組合に所属し、さらに航空業界全体の異なった組合に所属している。
 連帯ストの合法的道があったにもかかわらず、行動の統一は何十年も効果的に阻止されつづけた(タフト・ハートレー法は鉄道労働法によって規制される産業には適用されない)。
 それぞれの組合は、交渉のテーブルで相互に競い合わされた。この10年間の譲歩が要求される環境ではますますそうであった。大きな組合は、諸組合を統合する効果的な機構を持っていなかった。

 注3 ユージン・デプスの鉄道労組結成の闘い

 ユージン・デブスは1893年にARU(アメリカ鉄道労組American Railway Union)を結成。鉄道労働者の大同団結をめざした。1894年、シカゴのプルマン車両会社の労働者は賃金の25〜40%の引き下げ、高額社宅家賃の据え置きに反対して、会社側との交渉を求めたが、会社側はそれを拒否。プルマンの労働者はARUに支援を求め、闘いは26万人の鉄道労働者が参加するストライキに発展した。ARUの指導の下に労働者はプルマンの車両を一斉に機関車から引き離し、6月末には全米の鉄道が止まった。この闘争に連邦政府軍が派遣され、抵抗する労働者を銃撃戦をふくめて武力で弾圧し、34人の労働者が虐殺された。ARU指導者のユージン・デブスはこの闘争で逮捕され、獄中で社会主義を学び、1897年にアメリカ社会民主党〔後の社会党〕を結成する。

 ノースウエスト航空の 組合の独特の歴史

 IAMはAMFAを「レイダー」(他の組合から組合員を奪いとる者という意味)とか、「エリート主義者」と激しく非難し、これまでのところAFL−CIOとその支部に対し支援を差し控えさせている。ノースウエスト航空におけるAMFAへの関心は、93年の一連の譲歩協約の過程で高まった。ノースウエスト航空は破産申請すると脅して労働者から大きな譲歩を得た。20%の賃金削減と引き換えに、経営者は普通株の買い戻しを約束した(実現はしなかったので、いくつかの裁判がおこされた)。また、3〜5年後に賃金を元に戻すとも約束した(これもそうしなかった)。
 労働者がこれに対しノーと言うと、IAMのディストリクト(地域本部)143は、同じ問題について投票、再投票、再々投票を繰り返した。投票する者が少なくなると、ようやく譲歩協約が採択された。組合員は直ちに、IAMディストリクト143とローカル1833の組合役員を組合事務所から追い出すという民主主義的手段を行使した。新たな役員が次の協約交渉で無能力であると実証されると、整備士の核になる集団がAMFAに接近し、投票カードを回し、加盟組合の変更に成功した。
 この整備士たちは、自分たちには民主性と透明性があり、組合員の管理下に置かれる組合が必要で、IAMによって代表される各種の労働者と連携することなく、熟練整備士だけでもっとうまくやれると主張した。彼らの職業別組合主義的傾向は、他の労働者に対する一種のエリート主義とIAMへの不満を示すものであった。
 興味あることに、この過程でIAMは用務係と清掃係をAMFAの管轄下に置くように会社との交渉単位〔注4〕を再編するためにNMB(全米調停委員会)への影響力を利用した。IAMはAMFA加盟に賛成する者たちに勧誘されなかったこれらの労働者がIAMに残留することに投票し、所属変更を敗退させることを期待したのである。しかし、99年にはAMFAは代表権選挙で勝利して会社と協約交渉を行い、10年以上も賃上げがなかった労働者たちにかなりの(20%あるいはそれ以上の)賃上げをもたらした。AMFAは組合員の忠誠心を固める組合内部の活動も行った。

 注4 交渉単位(bargaining unit)

 資本と交渉する労働者集団の範囲を指す。「○○市の××工場の従業員」とか「そこの○○という職種」といった決め方をする。アメリカの労働法制では、その「交渉単位」の全労働者の30%(ワグナー法体系)、35%(鉄道労働法体系)の署名を集めて組合承認選挙を行い、過半数の承認票を獲得しないと、労働組合として認められて団交、スト等ができない。逆に、経営側がその過半数の票を獲得すれば、組合から脱退させ、組合をなくすこともできる。
 たとえば、その工場の事務所の従業員を交渉単位に含めるか否か、そこの近くにある工場の従業員を含めるか否か、等々で投票結果が左右されるから、「どの範囲を交渉単位とするか」が、まずもって経営側と労組組織者側が、どちらに有利な土俵を作るかという勝負になる。近年、NRLBやNMBは、交渉単位の決定を経営側に一方的に有利に裁定するようになり、これが組合運動つぶしの有力な手段になっている。
 なお、アメリカでは排他的交渉代表制がとられ、適正な交渉単位において過半数の労働者の支持を得た労働組合のみが交渉権を取得し、その組合がその交渉単位内の全労働者のために排他的な交渉権を得るのに対し、日本では労働組合は自己の組合員についてのみ団体交渉を持つとともに、組合員を少数しかもたなくても団体交渉権が認められるため、事業所に複数組合が共存する場合もある。
 AMFAの諸支部は労働官僚もフルタイムの役員も持たない。AMFAの役員は労働者と同じオーバーオールを着て、自分たちが代表する男女の組合員と同様の仕事をしている。AMFAの団体交渉方式は、ランク・アンド・ファイルの傍聴者にドアを開いている。経営者側の激しい抗議にもかかわらず、交渉会談を見たい組合員はだれでも歓迎される。AMFAは清掃係と用務係をその構成員にしようと努力しようとはしなかったが、彼らは支部レベルでは組合活動に組み入れられていった。
 読者は客室乗務員の間でいったい何がおきたかを理解する必要がある。客室乗務員は長い間、チームスターズの乱雑に拡大したローカル2000によって代表(これはこの動詞をゆるやかな意味で使った場合にいえることだが)されていた。90年代中頃には、ロン・ケーリーをチームスターズの全国委員長に選出したランク・アンド・ファイルの抗議とエネルギーの波は、ローカル2000を揺さぶった。
 チームスターズ民主化同盟〔注5〕支持者に率いられる候補者たちがローカル2000の指導部に選出された。彼らは、内部組織化活動(電話網や電子メールのリンクで結ばれた「コンタクト・アクション・チーム」は支部の1万4000人以上の組合員を団結させた)と組織内教育を精力的に行った。

 注5 チームスターズ民主化同盟(Teamsters for a Demo-cratic Union)

 チームスターズ(IBTInternational Brotherhood of Teamsters)は19世紀につくられた御者組合がそのルーツ。ただ、マフィア支配の組合として有名だった。この腐敗したマフィア支配の組合を民主化するためチームスターズ民主化同盟(TDU)が結成され、1991年の役員選挙で、ロン・ケリーが会長に選出されることになった。こうした運動は、他の組合にも大きな影響を与え、AFL-CIOの民主化をもとめる「新しい声 New Voice」派を生み出す背景ともなった。1995年にこれは、カークランド会長を辞職させ、スウィーニーに率いられる新しいAFL−CIO体制を生み出すことになった。
 しかし、まもなく反動がやってきた。チームスターズが、UPS(United Parcel Seavice)
世界最大の宅配企業)でストを打ち抜き、パートの正社員化などを勝ち取った直後の 1997年8月、ロン・ケリー会長は、1996年の組合役員選挙で、組合の資金を不正に選挙に流用したとして、当選の無効と次回選挙への立候補禁止が命じられた。こうした政府の介入は、『マフィア組合を政府の信託管理下に置く』という措置(RICO法≒組対法による措置)の下で行われた。そして1998年にやり直された組合役員選挙で会長に選ばれたのは、あのジミー・ホッファの実の息子、ジェームス・ホッファだった。泥沼のような選挙戦、一部候補者への脅迫など−が展開されたという。後にケリーの「不正選挙」の嫌疑は晴らされたが、執行部を奪われたことは元に戻らなかった。(『国際労働運動の新時代』p266〜)
 しかし、ロン・ケーリーが打倒され、ジェームズ・ホッファーにとってかわられると、チームスターズの全国指導部は、ローカル2000の指導部に断固たる処置を取り始めた。ホッファーは自分の「個人的代表者」を任命し、組合の執行委員会や組合員の全ての会合に参加させた。この「個人的代表者」は、ホッファーの出身ローカル(双子都市のローカル120)に自分の影響力を確保するためのものとして知られていたものであったが、組合指導部をゲイ呼ばわりしたり赤呼ばわりしたりして執行委員会を混乱させ、その活動を停止させた。
 ノースウエスト航空の整備士たちがAMFAへと離脱した直後、不満を持った客室乗務員たちはチームスターズから脱退するための活動を開始し、AMFAをモデルとして、PFAA(客室乗務員組合)と呼ばれる自分たちの独立組合を立ち上げた。ホッファーがローカル2000を「信託管理」〔注6〕のもとに置くことによって対応すると、チームスターズは所属組合選択選挙で敗退した。

注6 信託管理(Trusteeship)

 規約違反、汚職・腐敗や内紛が起きて混乱している支部を権利停止し、本部が直接管理すること。実際にはダラ幹がランク・アンド・ファイルの闘いを強権的に抑圧する手段として用いられることが多い。(「ジャニター(清掃・営繕労働者)に正義を」キャンペーンを始めたSEIUローカル36をSEIU本部は、信託管理にして、その闘いを指導したローカル執行部を追放した。追放されたローカル執行部は激しい本部との激闘の末に再選挙で復活。
 政府による信託管理は、上記注5のように、マフィア支配を排するという名目の下に、実際は、ランク・アンド・ファイルのマフィア執行部との闘いを抑え込むために使われている。
 ノースウエスト航空が93年に普通株供与の見返りに組合に譲歩を受け入れさせると、会社側は各組合の代表者に取締役会の席を提供した。しかし、協約合意のインクが乾くや否や、これらの特別取締役は会社に対して受託責任があり、自分たちが代表しているとされる組合や労働者に内部情報を与えることができないと主張した。
 さらに、1万人の整備士、清掃係、用務係がAMFAを自分たちの利害を代弁するものとして選択し、1万4000人の客室乗務員がPFAAを選択すると、ノースウエスト航空は組合指導部に対して特別取締役の席を与えるのを拒否した。会社側は、IAMとチームスターズを、あたかも両組合を拒否したまさにその労働者を未だに代表するものであるかのように扱った。そしてIAMは依然としてその地位にいるのである。閉じられたドアの後ろで、AMFAとPFAAの活動家とその支持者はノースウエスト航空によって自分たちの二つの組合が破壊されるという悪夢のシナリオについて論議した。このシナリオは、ノースウエスト航空とチームスターズのなれあい協約によって自分たちの資格を奪われ、配転されるのに、ノースウエスト航空は組合のある航空会社としてとどまるというものだ。だが不思議なことが起きた。
 整備士、用務係、清掃係、客室乗務員に敵対的な2つの組合(IAMとチームスターズ)は、いわゆる「労働運動」内部の敵対的な2つの潮流になっているのだが、この2つの組合は、労働者の支援を動員するスト労働者の能力を過小評価した。IAMとAFL−CIOはこれまでずっと公然とAMFAに敵対し続けてきた。IAMは、その組合員にAMFAのピケットラインを越えるように指令しただけでなく(ローカル1833の委員長を更迭すると脅し、ピケットラインを越えないならばこのローカルを「信託管理」すると脅した)、ノースウエスト航空と交渉して、仕事を「引き受ける」こともした。AFL−CIOの「団体交渉部」のリック・バンクスは、すべての州の労働組合連盟や市の中央労働組合団体や支部に対して、AMFAのストライキに食料や資金、その他の物質的支援、ノースウエスト航空のボイコットの擁護などを与えないように個人的に指示した。AFL−CIOの全国委員長のジョン・スウィーニーは、「不平はAMFAと共有するが、ストライキをしている労働者とは共有しない」と宣言した。
 双子都市の地区労組評議会の指導者たちは、支部組合に対し、AMFAに支援を与えたり、集会でAMFAの闘いについて言及したり、AMFAの発言者を自分たちの集会で歓迎しないように水を差すために素早く動いた。
 チームスターズは公然とは敵対しなかったが、その態度は様子見というものだった。
 IBTの副委員長のトム・キーグルは、双子都市に居住していたが(彼はそこでいくつも徴集している給料のうち2つを徴集していた。私は「給料を稼いでいた」とはあえて言わない)、AMFAの指導者からの呼びかけを受け取ることを拒否した。
 ILWU(国際港湾倉庫労働組合)の全国委員長のジェームズ・スピノザの仲介にもかかわらず、IBTの全国委員長のジェームズ・ホッファーも同様に何もしなかった。個々のUPSのドライバーはAMFAのピケットラインを越えることを拒否したし、ある者はピケットラインに参加さえしたが、チームスターズからの支援はやってこなかった。
 これはさらに、チームスターズがノースウエスト航空の客室乗務員に代表権選挙の投票用紙を回したという報告によって事態はさらに複雑になった。それもCWA(全米通信労組)に所属する客室乗務員組合から同様の告知があった直後にである。
 雇用と賃金の削減をもたらす協約の交渉真っ最中に、しかも整備士のストライキの真っ最中に三つ巴の代表権をめぐる小競り合いが起きたことは、いかにしてこの闘いで団結を固めるかを客室乗務員が把握することを困難にした。
 私は、労働組合からの支援が何もなかったといいたいわけではないが、しかしこれはマス・メディアによって何度も何度も繰り返された敗北主義的持論であった。実際、私は、双子都市のノースウエスト労働者連帯委員会に深く関与してきたし、同様の組織がボストン、デトロイト、サンフランシスコに存在する。これらの地方活動家のネットワークは、数十の組合と数百人のランク・アンド・ファイルの労働者に、ストライキ労働者支援を促し、それを確保し、動員してきた。特に重要な支援は、2年前に自らもストライキを行ったミネソタ大学のAFSCME(全米州・郡・市従業員組合)の3つの支部からと、2001年にAFSCMEとともにミネソタ州でストライキを行ったミネソタ専門職労働組合(MAPE この組合の評議会議長のエリオット・セイデは、AMFA支援にとりわけ積極的に反対したが)、いくつかのSEIUの支部、UNITE−HEREローカル17(この組合の委員長のジェイエ・リュークニクは、組合の代表者がノースウエスト航空を使用しないようにという覚書を全国執行委員会に出させることができた)、全米鉄鋼労組(USW)ディストリクト11のデイビッド・フォスター、レイク・アンド・プレインズの大工・指物師友愛会(BCJ)、全米食品商業労組(UFCW)ローカル789、ミネソタの統一交通労組(UTU 鉄道の組合)、アメリカ郵便労組(APWU)のいくつかのローカル、全米友愛電機労組(IBEW)やUAW(全米自動車労組)CWA(全米通信労組)の個々の活動家、ATU(運輸合同労組)などから行われた。
 ボストンの支援者たちはAFL−CIOからの反対があったにもかかわらず、地域社会と全国で、ストライキ労働者にかわって闘いを強化するためにジョブズ・ウイズ・ジャスティス(公正な雇用を」を掲げる運動)を動員することができた。
 UAWの全国指導部は、理解を超えるほど大きな積極的意義のあるものとして続けられている労働組合の行動に対して88万j(それぞれのストライキ労働者に対し200j当たりで計算された)を寄付した。
 デトロイトとサンフランシスコでは、ストライキ支持者はレーバー・デイの行進に参加し、地区労組評議会に対し支持決議を出させ(サンフランシスコとアラメダでは成功した)、この闘いの知名度を高めた。この4つの市すべてで、支持者はデモと寄付金調達者を組織し、スト破りや会社の役員と対決する直接行動にAMFAとともに参加した。
 双子都市では、多くの人々が参加したいくつかのドラマチックな行動が行われた。スト突入から2週間目には、数百人のAMFAの組合員と支援者が、ホテルから空港にスト破りを運ぶバスを阻止した。すべての仕事が数時間遅れた。その2週間後、空港近くでの集会を終えて解散した支援者たちが100台以上の車列を作って、スト破りのバスが入るメイン・ゲートへ続く道を渋滞させ、またしても仕事を数時間遅らせた。
 これらの行動は、閉じられたマスコミの目にストライキを再度突きつける手助けとなった。またそれはノースウエスト航空の修理作業を行う能力に影響を与え(会社側は組合を訴えたり、警察にピケット許可を取り消すように圧力をかけたりした)、参加者の間に団結意識を高め、またストライキ労働者が孤立していないのだということをデモンストレーションすることによって、彼らの士気を高めた。
 しかし、そのような行動でストライキに勝利できるとはだれも信じていない。ALPA、PFAA、IAMは、AMFAがピケットラインをしく法的権利があるにもかかわらず、それを尊重することを拒否している。それが決定的な弱点であり、失望をもたらすものとなっている。IAMの指導部はあまりにも公然とAMFAへの敵意を示しているので、彼らのとっている立場は驚くべきことではない。IAMの6人のランク・アンド・ファイルの組合員は、自分の組合からもう2度と職場に復帰できず、他の組合も資金的援助をしてくれないぞと脅されたにもかかわらず、ピケットラインを越えることを拒否した。彼らは町のヒーローになり、闘いのモラルを守る軸となった。同様に仕事につくことを拒否し、安全規則違反について報告し、それについて公に明らかにした一握りの客室乗務員がそうであったように。
 ストライキが始まると、PFAAの指導部は、PFAAが組織としてAMFAのピケットラインを尊重すべきかどうか郵便による投票にかけた。しかし指導部たちは投票期間中は何もせず座視していた。その間、ノースウエスト航空の経営者たちは客室乗務員たちを力ずくで働かせた。経営者たちは、客室乗務員を首にする権限などないにもかかわらず、出勤することを拒否した者は首にすると脅迫する2通の覚書と数通の電子メールを送った。
 経営者たちはレイオフされていた1000人以上の客室乗務員を呼び戻し、ノースウエスト航空は、アジア発の便では、アメリカ人の客室乗務員を日本人とタイ人の客室乗務員にとりかえるプランがあると周知させた。だが、この投票は何の結果も出さなかった。
 パイロットたちは、自分たちの年金に影響を与えるとして、ノースウエスト航空の破産を阻止する決意を固めてこの闘争に関与してきた。彼らは、会社の活動をストップさせる力を持ち、またそれを使う法的権利があることを知っていた。だが、それが会社をただちに破産に追い込むことを恐れていた。
 しかしいずれにせよ、ノースウエスト航空が破産申請をした今となっては、ALPAは、整備士たちと共に歩んで自分たちの運命を自分自身の手でつかむよりも、ノースウエスト航空の年金を「改革」するコールマン法に期待するほうを選択したように見える。
 個々のパイロットは、安全上の疑問を提示し、出発を遅延させたり、さらには飛行をキャンセルしたりしたが、組合は集団的に行動することを拒否した。
 一方、ノースウエスト航空は客室乗務員に対する恐怖支配を続けていた。数十人が「1問1答」で答える集まりに呼び出された。そこでは、彼らは会社側の代表に一室に閉じこめられ、運行上の安全問題について文書にしたことについて処分すると脅迫した。ある乗務員は、東京への便でトイレの中で、煙感知器の配線を切断した可能性があるとしてFBIによる取調を受けた。またある客室乗務員は、ストライキの初期にAMFAのピケットラインを越えるのを拒否したとして、見せしめ的に「首切り」された。彼女が鉄道労働法で保証された権利の枠内にあるということが明らかになると、経営者たちは直ちに「自宅待機」扱いになっていると彼女に伝えた。報道機関は彼女のこの地位の変更について決して報道しなかった。
 ネオ・リベラリズムの時代の労資関係にようこそ。われわれは1985〜86年のホーメルのストライキ〔注7〕以来、いやもっと前からかもしれないが、こうした時代のさまざまな徴候を目撃してきた。企業の経営者、政府、組合指導部は、以前も同様のシナリオにしたがってきた。だがそれは、決してこれほど徹底的に迅速に、かつ強烈に一挙に行われたものではなかった。
 このような事態が展開されたのが、IWW〔注8〕創立100周年に、また全国労働関係法(ワグナー法)通過の70周年に、さらにはAFLとCIOの統合50周年とホーメルのストライキの20周年と重なったのは皮肉に思える。
 同時に、私はこの闘争はまだまったく終わっていないということを強調したい。AMFAのランク・アンド・ファイルは、断固として闘争態勢を維持しているし、ノースウエスト航空の他の諸組合もまだ譲歩を要求する協約条項に合意はしていないし、破産状態の深刻さもまだその姿を明らかにはしていない。そしてアメリカ労働運動という眠れる巨人もいつ目覚めるかもしれないし、今の労働運動はウオブリーズがもじったように、「アメリカン・セパレーション・オブ・レーバー」〔注9〕(アメリカの労働運動は分断されている)」ではないぞと主張するかもしれないのである。

注7 ホーメルのストライキ(Hormel Strike)

 1985年から86年にわたってミネソタ州のオースティンにある食肉梱包会社であるホーメル社において闘われたストライキ闘争。賃下げや労災事故の多発に抗し、UFCW(United Food and CommercialWorkers International Union 国際食品商業労組)中央に反対して戦闘的なローカルP−9の組合員がストライキに決起した。ローカルP−9の組合員は0度の倉庫でピケットを張り、警察や州兵、懲役、ワシントンの労働官僚(AFL−CIO中央)の無関心、UFCW中央の管轄権を口実にした排除、家族との摩擦、スト破りの背信行為、一貫した企業による強硬路線、迷路のような法律、裁判所管理、それらと闘ったが結局は敗北した。

注8 IWW(世界産業労働者組合Industrial Workers of the World)

 1905年にダニエル・デ・レオン、ウィリアム・ヘイウッドらにより組織されたアメリカ最初の産業別労働組合連合体。アメリカ労働総同盟(AFL)の保守的指導に飽き足らない西部鉱山労働者連盟、統一金属労組など7団体5万人が、全労働者の産業別組織化、資本主義制度廃止を目的とする革命的労働組合運動の確立を目ざして結集したが、翌06年には西部鉱山労働者連盟が脱退、08年にはデ・レオン派が分裂して、組織の指導権はアナルコ・サンジカリストが掌握した。組合員はウォブリーズwobbliesとよばれ、日本でもよく知られている『赤旗の歌』The Red Flagなど労働歌を多用し、西部の日雇い、出稼ぎ労働者を中心に激しいストライキ闘争やサボタージュ闘争を指導して、12年には組織人員も10万に増えたが、その後、後退した。

注9 American Separation of Labor(アメリカ労働運動の分断)

 IWWの活動家がAFL(American Federation of Labor)の名前をもじったもので、AFLはアメリカの労働者の Federation(連合、統一)どころか、バラバラに分断(Separation)していると批判した。