COMMUNE 2008/09/(No.386 p48)

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09月号 (2008年9月1日発行)No.386号

定価 315円(本体価格300円+税)


〈特集〉  世界史を変えた米西海岸港湾封鎖

□反動打ち破り封鎖貫徹した11月派の国際主義
□既成巨大労組の内部から闘う労働者の大反乱
□サミット闘争惨敗語る塩川一派の反国際主義

●翻訳資料 イラン労働者の闘いの記録 イラン労働者支援国際連合の資料(08年6月) 丹沢 望 訳

●国際労働運動 南朝鮮・韓国/労働者階級の歴史的登場が課題−−室田順子

    6・29サミット粉砕闘争

三里塚ドキュメント(6月) 政治・軍事月報(6月)

労働月報(6月)  闘争日誌(5月)

コミューン表紙

羅針盤 サミットに大打撃

▼動労千葉の呼びかけのもとに結集した6・29渋谷デモの爆発は、G8洞爺湖サミットを痛撃し、最末期帝国主義に死を宣告した。7月15日には燃料高騰で生きていけない全国の漁民が、一斉に20万隻の休漁ストに立ち上がった。世界金融大恐慌の激化と階級支配の危機の中で、日帝・福田政権は、中学校の新学習指導要領解説書で韓国領・独島(トクト)を「日本固有の領土」と教えることを求め、国益主義と排外主義をあおり立てる攻撃に出てきた。これへの労働者階級の回答は、「国境をのりこえる苛烈(かれつ)な連帯闘争」(民主労総ソウル地域本部代表)で、帝国主義の戦争と排外主義攻撃に革命的に対決することだ。
▼サミット粉砕の6・29渋谷デモは、資本主義・帝国主義への怒りの反乱だ。5・28、29、警視庁公安刑事百数十人による法大キャンパスへの乱入・襲撃を、一歩も引かずに迎え撃った法大生と全学連の戦闘性が、青年労働者の魂をとらえ、資本と非和解の職場闘争・実力闘争が生まれ、デモ禁止攻撃を突き破る実力デモになった。あのデモの強固なスクラムは、階級的団結の象徴だ。マルクス主義で闘う力の証しだ。まさに今、資本主義の弔鐘が鳴りわたっている。プロレタリア世界革命の波が全世界を覆っている。革命前夜の恐怖にうち震えるG8の強盗どものみすぼらしい姿を見たか! われわれは、韓国の100万人決起を先頭に世界中でストライキやデモ、暴動に立ち上がっている労働者階級人民と固く団結し、G8の強盗どもに階級的怒りをたたきつけた。
▼世界金融大恐慌が今や現実のものとなり、日々激化している。3月の米証券大手ベアー・スターンズの破綻(はたん)に続いて、米住宅ローン総額の約半分、5兆2千億ドル(約550兆円! 日本のGDPに相当)もの住宅ローン担保証券を保有する米住宅金融公社2社、ファニーメイとフレディマックが、経営破綻寸前に陥っている。この2社の破綻は、世界の金融システムを全面的に崩壊させる。債務不履行による世界金融大恐慌の全面化と、ドル暴落に直結する。破綻の危機にある銀行は、全米で150行。すでに9行の地銀が救済合併され、米住宅ローン大手のインディマック・バンコープが先に経営破綻した。大変な情勢だ。これが帝国主義の「最弱の環」である日帝を直撃する。日帝を、これまで誰も経験したことがない新自由主義とグローバリズムのもとでの21世紀の新たな金融大恐慌が襲うのだ。
▼労働者階級こそは、労農同盟のもとに、この破産した資本主義・帝国主義を打倒・転覆してプロレタリア革命を闘いとり、社会主義・共産主義の実現に向かって前進し、階級社会を廃絶できる存在である。労働者には、この社会を根底から変革する力がある。それこそ国境を越えた階級的な団結の力だ。動労千葉など3労組が呼びかける11月労働者集会で、われわれは日韓米3国の労働者の国際的団結の力を、熱い心ではっきりと見た。動労千葉の国鉄分割・民営化絶対阻止の闘いは国鉄1047名解雇撤回闘争をつくり出し、改憲攻撃をも阻止してきたのだ。革命情勢の到来は、体制内的勢力に容赦なく破産を刻印すると同時に反動へと転化させる。だから、体制内勢力と決別することができない塩川一派は革共同から脱落・逃亡したのだ。青年労働者、学生は革共同に結集して闘おう。(U)

 

 

翻訳資料

 翻訳資料

イラン労働者の闘いの記録

イラン労働者支援国際連合の資料(08年6月)      

丹沢 望 訳 

 ■解説■

  今月号の翻訳資料は、イランにおける労働運動の急速な発展情勢に関する「イラン労働者支援国際連合」(IASWI)発行の資料を訳出した。イラン労働者支援国際連合は、2000年1月にカナダ労働組合会議、カナダ自動車労組、カナダ公務員労働者同盟、カナダ郵便労働者連合などの労働組合を中心として、世界各地の諸労働組合の賛同を得て結成されたイラン労働運動支援機関である。
  イランでは厳しい報道規制が行われ、メディアでの労働運動に関する報道はほとんど行われていない。世界的にはイランに労働運動が存在することさえも知られていない。
  だがIASWIの資料によれば、労働者階級のイラン・イスラム政権に対する激しい闘いが連日各地で爆発している様相が明らかになる。
  イランでは79年2月イラン革命が労働者階級を主体とした人民革命として実現されたにもかかわらず、ホメイニなどのブルジョア的宗教勢力によって権力が簒奪(さんだつ)された。だが、労働者階級は81年のイラン・イラク戦争が開始されるまでの2年間にわたって労働者評議会を全国で形成し、ホメイニ政権と全面的に対決して闘ってきた。この闘いはイラン・イラク戦争の激化を労働運動解体とイスラム権力の確立のテコと位置づけたホメイニ派によっていったんは一掃されてしまった。
  だが、90年代末のラフサンジャニ大統領(当時)らのいわゆる「改革」運動の開始とともに、労働運動と学生運動が復活し、激しくイラン・イスラム政権を揺さぶり始めたのである。この流れは今日、ラフサンジャニの失脚とアハマディネジャド反動政権の登場という逆風によってももはや抑えきれない勢いで発展しつつある。
  今号の翻訳資料ではテヘランのバス労働者の闘い、ホドロ自動車工場でのストライキ闘争、サトウキビ工場労働者の断固たる長期ストライキ闘争などについて最新の情報を掲載した。
  いずれもイランの労働者が、
各地で政府の御用組合の制動をはねのけて独立組合を結成し、イラン革命以降積もりに積もった怒りをついに一斉に爆発させる情勢を作り出していることが鮮明に読み取れる資料である。
  労働者階級の闘いの爆発によってイラン・イスラム政権は完全に追い詰められ、激しい弾圧によって労働運動を解体しようとしている。
  今日のイラン労働運動の特徴は、このような弾圧をものともせず、イスラム政権の根底的打倒と社会主義革命にむかって前進していることである。79年イラン革命の労働者革命としての本質が、30年のイスラム政権による支配をはねのけて今蘇ろうとしている。もはやこの勢いはいかなる弾圧によっても止めようがない。このような情勢下で、イラン革命を主導した石油労組というイラン労働運動・革命運動の牽引(けんいん)車も不気味な胎動を開始している。
  このようなイラン労働者階級の闘いが中東の階級情勢を根底から転換する巨大な突破口を切り開くものであることをしっかりと見据えよう。

 08年6月のイラン労働運動ニュース

  ホドロ自動車のスト

  イラン・ホドロ自動車製造会社で数千人の労働者がストライキに突入している。抗議闘争は08年6月28日のハンガー・ストライキという形をとって開始された。その後、この闘いは全会社に拡大し、数千人の労働者が抗議闘争とストライキに参加している。労働者たちは以下のような要求を掲げている。
・自由な労働組合活動と、会社の保安要員の職場への立ち入りの禁止
・強制的な時間外勤務の廃止
・生産性向上手当の増額
・生活費の高騰に対応した賃上げ
・臨時雇い契約の廃止と労働者の正規職としての雇用
・下請け企業を増やすことの停止と全労働者のホドロ社員としての雇用
・職務配分に関する決定機関への労働者代表の参加
・重労働や危険労働に関する委員会への労働者の参加
・新規雇用を行うことによって重労働を軽減すること
  会社側は、契約業者や派遣会社の活用によって従業員に悲惨な労働条件を強制し、団結権のような労働者の基本権を侵害し、時間外勤務を強制してきた。多くの労働者が10年以上も臨時契約で雇われてきた。労働者がストライキに突入すると、会社側は、労働者共産主義統一党などの「非合法」の左翼反対派グループの扇動が行われた後にストライキが開始された、と労働者を脅迫し、会社の保安係にこのような組織の活動をすべて報告することを要求する声明を発表した。会社側と政府はこのような形で労働者を恫喝し、ストライキを破壊するために暴力を行使する口実を見つけようとしている。だが、このような脅しにもかかわらず、ストライキは08年7月1日の段階でまだ継続されている。
【首都テヘランのホドロ自動車製造会社には1万人の労働者が働いている(会社全体では10万人の労働者が働いている)。現在のストライキは会社でのハンスト(会社の食堂で食事をしない)という形で行われ、ほとんど全員がハンストに参加している。
  会社側は労働者のストをつぶすために6人の活動家を解雇し、政府の情報機関員を呼び入れて監視を強化している。】

 ハフタッペの労働者、 ストライキを終了(08年6月29日)

ハフタッペ市のサトウキビ会社の労働者たちは40日以上に及ぶストライキを終えた。経営側が未払いの3カ月分の給料の支払いを含む労働者側の要求に応じることを約束したため、労働者たちはストを15日間停止することに合意した。
ストライキ期間中、労働者とその家族はアーバズ−アンディメシュク間の道路を封鎖し、給料未払いに対する抗議とその他の要求貫徹の意思を表明した。治安部隊は労働者たちを制圧するために放水車で包囲した。
彼らの要求は以下のようなものであった。
3カ月の未払い賃金の支払い、独立組合を組織する権利、労働者に対する法的訴追を止めること、逮捕された労働者の釈放と彼らや他の労組活動家に対する法的処分を止めること、会社の最高責任者と会社の保安責任者を首にすること、などだ。
ショーシ市の治安当局は4人の労組活動家を逮捕した。その名前は、ネジャット・デーリ、アーマッド・ラジ、イラジ・アベディーニ、モハマッド・レイッシである(6月18日現在)。
【なお7月8日、労働者たちは再びストライキに突入した。会社側が2週間以内に未払い賃金を支払う約束をしたために、労働者たちは7月7日までいったんストライキを中断していた。だが、2週間の期限を過ぎた後、会社側が交渉期限の延長を申し込んできたのに対し、労働者たちは解決を引き延ばして闘争を解体しようとする策動だとして再び怒りを爆発させたのだ。】

 クルディスタン人権擁護 団体及び人権活動家の報告

・08年6月2日、ケルマンシャー石油化学工場で100人の労働者が、厳しい労働条件と、賃金や手当の未払い、長時間労働、福利厚生の質の悪さに抗議してハンガーストライキに入った。
・08年6月11日、、昨年6月以来投獄されていた「労組創設準備委員会」のメンバーであるバクチアル・ラヒミとカリム・ダトーパルを10万jの保釈金で釈放した。彼らは「国家安全に対する陰謀罪」で告発されていた。
・34人の労働者がキミアガラン・エムローズとキミア・ゴスタルの二つの化学工場での爆発事故で死亡した。事故は5月26日に起きた。
・政府の御用組合である「労働者の家」の執行委員長であるアリ・タレビは、イラン・テルメー社とテヘラン・パトー社の300人の労働者は8カ月に渡って給料が未払いであると発表した(5月22日)。
・ゴルナル植物油工場の330人の労働者がレイオフされた
・「アラク工業会社」の180人の労働者は、工場の民営化に反対して工場から「労働局」への13`メートルの道をデモ行進した。彼らは民営化によって諸手当の給付を廃止された(5月22日)。
・タバスの「労働者の家」の委員長であるゴラムレザ・モハマデによれば、タバスの浄水場の38人の労働者が首を切られ、ケリット・ダム・ビルダー社の労働者たちの給料が4カ月間不払いになっている(5月22日)。
・マザンダランのハリール工場の労働者たちの給料は5カ月間不払いになっている。またマザンダランの「労働者の家」の執行委員長のナスローラ・ダルヤベイギによれば、マザンダラン酸化クロムメッキ工場の労働者たちの給料も4カ月不払いになっている(5月22日)。
・ガラチャック・バラミン・レンガ窯会社の800人以上の労働者は、2週間前から低賃金に抗議してストライキに入っている(5月22日)。
・タレガニ木工工場の53人の労働者の給料は17カ月間不払いになっている。彼らは家族とともに労働社会省の前で座り込みに入っている。
・ガズビン地方のブルーラクとパッド・サニッチという二つの工場で50人以上の労働者が首を切られた(6月9日)。
・ラリスタンの「労働者の家」の執行委員長のハッサン・ガバミによれば、ラーサル掘削会社の150人の労働者の給料が6カ月間不払いになっている(6月1日)。
・同様にハッサン・ガバミによれば、シリン・ターム工場の50人の労働者がレイオフされた(6月10日)。
・ファルナク・アンド・マーナク社の400人以上の労働者が6日間のストライキに入っている。彼らは不払いになっている給料と諸手当の支払いと作業靴・作業服の支給を要求している(6月10日)。
・サルマン・セラミック工場の500人の労働者の給料が3カ月間未払いになっている(6月11日)。
・カバール織物工場の労働者の給料が12〜17カ月未払いになっている。労働者たちはこれに抗議して、フーマン市に至る道路を封鎖した(6月11日)。
・アル・ボーズタイヤ工場の1000人以上の労働者が、07年の新年の手当を受け取っていない。労働者たちはこれに抗議するために再度ストライキに入った(6月11日)。
・タバス・チロク鉱山の50人の労働者たちが、仕事の配分がされなかったことに抗議してストライキに入った(6月16日)。
・サンガン石材採掘所の労働者の給料が遅配となり、これに抗議して労働者が集会を行う。警察部隊が数人の労働者を逮捕した(6月16日)。
・ウロミーレンガ窯工場の3000人以上の労働者が、賃上げと労働条件の改善を求めて20日間のストライキに入っている。スト突入20日目に警察部隊が労働者を襲撃し、24人を逮捕した。彼らは後に誓約書を書かされて釈放された(6月17日)。
・ケシット・オ・サナト・カシの30人の契約労働者と100人の正規職労働者は8〜12カ月の間給料が不払いになっている。年間手当も、新年手当なども支払われていない(6月17日)。
・長距離電信電話会社の労働者は4カ月給料未払いになっている。労働者たちは知事公邸前で集会を行った(6月19日)。

  テヘランのバス労働者の闘い

 マンスール・オサンロー、エビン監獄に戻される

テヘラン及び郊外バス・バヘッド社の労働組合の執行委員長であるマンスール・オサンローは、ラバフィネジャド病院で08年5月26日に目の手術を受け、同病院の心臓病治療室からエビン監獄の診療施設に移された。医師が診療施設に置くべきだと勧告したにもかかわらず、08年6月30日にはエビン監獄の第350セクションに移された。オサンローは組合組織活動を行ったとして5年間の懲役の刑を受けている。

  ゴラムホセイニ氏の逮捕

ゴラムホセイニは、国家の安全を脅かす活動を行ったとして重罪を科され、エビン監獄に収監されている。だが彼は、バヘッド社の社長やテヘランの市長と、彼の復職について話をしたかっただけの一人の悩みを抱えた労働者であっただけである。バヘッド社の労働組合員であるゴラムレザ・ゴラムホセイニが先週収監された後に、彼の弁護士は司法当局による彼の収監と虐待について批判している。
Dastranj紙で報告されているように、パルビッツ・コルシド弁護士は、暴動と秩序紊乱(びんらん)行為による国家の安全を脅かす行動という告発に対して、「このように高度に安全が確保されている場所で、彼一人でどのようにして国家の安全を脅かすような行動をとることができたろうか」と述べている。
彼は、先週の国際婦人デーの際に、1万2000人を収容できるアザディ・スタジアムで逮捕された。集会にはテヘラン市長とバヘッドバス会社の社長が出席することになっていた。
バヘッドバス会社の労働組合員であるエブラヒム・マダディによれば、ゴラムホセイニは首切り命令が労働省の紛争処理委員会によって取り消された数少ない組合員の一人であったが、会社側は彼が復職するのを拒否している。ゴラムホセイニの弁護士のコルシドが述べているように、「司法当局は収監命令を出すことによって、より厳しい処分が行われるようにゴラムホセイニに厳しい対応をしている。この収監措置は、殺人罪で告発された者に対するのと同じ司法判断だ」。ゴラムホセイニに対する厳しい措置は継続されているが、今日、彼の家族が治安判事の事務所に行ってきたが、何の結果も得られなかった。(イランのDastranj紙6月28日付)

 ゴラムホセイニ氏の拘留と 人権侵害を弾劾する  バヘッドバス労働組合

司法週間を迎えるにあたって、イランイスラム共和国の司法当局は、司法大臣を始めとして、法律の遵守、市民の権利や正義と人間としての尊厳の尊重について語り、司法制度が人権思想を復権させようとしていると宣言している。しかし実際には、不愉快な事件が起こり、すべての人々にいやな印象を与えている。バヘッドバス会社の勤勉な運転手で労働組合員のゴラムレザ・ゴラムホセイニ氏は、法的機関から彼を復職させるようにという命令を得たにもかかわらず、バヘッドバス会社の経営陣と情報局がこの命令に従うことを拒否したために復職できなかったのである。
経営陣が彼と会うことを拒否したので、ゴラムホセイニ氏は、08年6月24日、午後8時、バヘッド社によって開催され、ガリバフ氏も発言することになっていた全国婦人デーの会場のアザディ・スタジアムに行き、バヘッド社の社長に会おうとした。残念ながら、バヘッドバス会社に配置されていた情報局員と治安警察員のナジャフザデの共同警備活動によって、彼は侮辱的攻撃を受けた上で逮捕されジャラル・アラーマド通の治安警察第2分署に連れていかれた。彼はそこで一晩を過ごし、夜勤の連中に殴打された。彼は08年6月25日の朝4時に、「治安を乱す行為」の罪でハダッド判事によってエビン刑務所の独房に移管すると命令された。
テヘラン及び郊外バス会社の労働組合員は、3人の子どもををもちガレハサン・ハンに居住するゴラムレザ・ゴラムホセイニに対する治安警察員による虐待と拘留を激しく弾劾し、彼の即時・無条件の釈放を要求した。
テヘラン及び郊外バス会社の労働組合員は、イランの権威ある機関、とりわけ労働者の組織は自由に行われるべきだと主張する労働省や、イランおよび国際的な労働組合、特にITFやITUCやILOの関連委員会、民主主義と正義を求めるあらゆる組織や諸個人に対して、ゴラムホセイニ氏の即時・無条件の釈放のために広範な活動を展開することを要請している。

  獄中のイラン労働者との連帯の夕べ

  ニューヨークで開催

 08年6月3日午後7時、イランの投獄された労働者や労組活動家との連帯の夕べが、ニューヨークのブレヒト・フォーラムで開催された。ニューヨーク・タクシー連盟の執行委員長のバイラビ・デシとイラン労働者支援国際連合の代表のウーリ・サーバが講演を行い、ミミ・ローゼンバーグが司会となった。
最初にミミ・ローゼンバーグが参加者を歓迎するあいさつを行い、プログラムを明らかにし、講演者を紹介した。
この催しは投獄されたテヘランバス運転手支援特別委員会の主催で行われた。共催者は、IASWI、レーバー・ノーツ、平和と民主主義のためのキャンペーンであった。

 労働者の連帯を一歩一歩再建しよう(IASWIのウーリ・サーバの講演)

  1980年に私はテヘランの繊維工場で働いていました。工場で働いていた労働者は約350人でした。私は、女性や12〜17歳の子どもたちとともに製織部門で働いていました。労働者たちは工場の24時間操業を維持するために三つのシフトに分けられていました。
1979年の革命の後、工場で最も人気があり、戦闘的で進歩的な5人の選ばれた組合活動家からなる労働者評議会を設立しました。労働者評議会の選挙以前には、工場には指名された労働者代表がいましたが、彼らは労働者を代表するような行動をまったくしませんでした。
労働者評議会は未払いになっていた諸手当の払い戻しの闘いをまず最初に行いました。労働者評議会はかろうじて正規の手続きに基づいて総会を開催することができましたが、それはすぐに最高決定を行う機関になりました。シフトの交代時には、われわれは次のシフトの労働者と労働者の関心のある問題を討論するために集荷場で15分間の集会を行いました。演説者は綿の梱包を「演壇」として使いました。次の6カ月間にはわれわれは昼食時間を確保し、温かい食事や作業着、適正な空気清浄機などを獲得しました。階級意識が徐々に形成されていきました。
イランとイラクの戦争が始まると、黄金の時代は終わりました。前線のための生産、生産、生産を課題とすることが唯一の方針となりました。
労働者評議会の3人のメンバーが生産を妨害する陰謀を行い、組合総会の開催を呼びかけたとして首を切られました。総会開催が定期的なものであり、生産に影響を与えるものではなかったにもかかわらずです。どんな抗議も「利敵行為」や「反イスラム革命」とみなされ、厳しく弾圧されました。われわれの達成物が一つひとつ奪われ、労働運動はつぶされ、組合組織は解体され、階級闘争は死を覚悟しなければできなくなりました。
全国の状態も多かれ少なかれ同様のものとなりました。戦争は労働者階級が達成したものの大部分を解体しました。労働者評議会、労働組合は暴力的に攻撃され、次の2年間には逮捕と迫害、投獄、訴追の波が組合活動家や進歩的労働者を一掃しました。新自由主義は、自らのヘゲモニーを確立するために「州の再編」を強制しました。民営化と多数のレイオフ、雇用の不安定、階級階層の変動などはイランの新自由主義政策の特徴をなすものでした。パートタイムや移民労働者(アフガニスタン人)たちが「産業予備軍」に加えられました。これらは、長期的には同じような悲惨な状況をもたらすであろうアウトソーシングや長時間労働、新たな消費パターン、負債の増大など、カナダ、アメリカ、ヨーロッパ諸国などの先進的工業諸国で進行している特徴的事態と同様の特徴を持ったものです。
以上の事態が進行しているにもかかわらず、イランの労働者は依然として世界の労働者階級のうち最も戦闘的な部分をなしています。彼らには戦闘的に闘う以外の選択肢は残されていないのです。
イランにおける労働者の社会的権利や労働権の侵害に関する最近の報告書によれば、2006年の最初の6カ月間には公的に発表された失職者数は12万人以上に達しました(労働省発表)。91の工場で2万549人の労働者が首を切られました。180の工場や職場で2万6000人の労働者が未払い賃金の受け取りを待っています。だがそうした労働者の実際の数はゆうに数十万人に及ぶのです。
歴史的には、「イラン国有石油会社」の労働者はイランの全労働者階級を牽引する主要な役割を担ってきました。グローバリズム資本主義体制下で、石油労働者はさまざまな請負業者の下での一時的な契約労働者にされました。請負業者は石油労働者を89日間雇用し、恒常的に契約を更新しています。今日、イランでは非常に多くの労働者が一時的な契約労働者となっています。
結局、わが国の労働者階級のうち公共サービス部門の労働者が最も均質化された部分をなしています。2004年にはテヘラン及び郊外バス会社(シェルケート・バヘッド社)の1万7000人の労働者は、独立の労働組合を結成しましたが、イスラム政権からただちに反動攻撃を受けています。現在も、労働組合の指導者たちは何度も逮捕され、殴打され、投獄されています。しかし、闘いは今日まで継続しています。マンスール・オサンローは07年6月以来ずっと獄中にいますが、彼は孤立してはいません。
マフムード・サレイは労働者を組織したとして1年以上も獄中にいます。アサルーエのタハ・アザディ、ジャバンミール・モラディ、シーズ・アマニ、サイード・ハズラティなどの多くの人々がいまだに投獄されています。アフト・タペーサトウキビ会社のジャリール・アハマディ、フェレイドーン・ニコーファルド、アーマッド・ネジャーティ、ゴルバン・アリポア、モハマッド・ヘイダリメア、アボルファズル・アベディーニや、アルボーズ・タイヤ社やシャホー・サナンジャイなどの会社の労働者に対する訴訟はいまだに取り下げられていません。
グローバルな資本主義体制は高度に組織化され、さまざまな機能を備えています。レオ・パニッチが述べているように、われわれは「国境を越えた連帯」を再建する必要があるし、「われわれの多様性を力の源泉として生かす」必要があります。北アメリカでそれを実現するためには、現在の組合の集権化された官僚的構造と機能を変革する必要があるのです。われわれは根底的に民主主義的で、根底的に社会主義的な組織をつくりださなければならないのです。上から下に命令を出す組織は、下から意思決定を行う組織へと変革されなければなりません。
ひとつの例としてCUPE(カナダ公務員労組)の国際連帯委員会は「労働者と労働者の関係を重視するモデル」を発展させてきました。彼らは委員会の会合を活動家グループや草の根組織や諸運動団体に開放しました。このような形の国際連帯はもはや、支援の手紙などの文書によるものや支援金仲介団体にとどまるものではなくなりました。それは基本的に、現在の階級闘争やデモに組合員を参加させるための教育活動などを行う社会主義的フラクションや、会議、委員会の組織を行います。それは労働者に「地方的、全国的、国際的規模の連帯闘争の結合」に関する教育を行い、さらにはそういう自覚やデモや集会への参加を促すものです。
新自由主義は明らかに、労働者連帯アメリカン・センター(AFL−CIOの機関)などの組織を通じて自分たちの課題を設定し、その課題の解決を目指しています。
私たちは、新自由主義イデオロギーがイランのいくつかの労働組合に浸透していること、そしてそれに対しては常に理論的・実践的に対決する必要があることに留意しなければなりません。労働者間の連帯を再建する活動は、いかなる場合でも政府や政府が資金を出している団体から独立して行われなければなりません。
私はもう一点付け加えたいと思います。イランにおける新自由主義やイスラム政権との対決という課題は、介入という形でなされるべきではありません。私たちはいかなる規模のものであれ、アメリカやその同盟国の軍事介入には明確に反対します。私たちはすでにイランの労働者階級の闘いを長年にわたって根絶する8年間もの戦争を経験しています。こんなことはもううんざりです!
最後に、急速に変動する世界において、国際連帯を徐々に発展させるのでは不十分です。食料価格は高騰しています。大量飢餓が起きています。インフレが爆発しています。企業は記録破りの利益をあげています。次に不況がきたら、われわれは絶対的に国際連帯を再建しなければなりません。数千人のアルボーズ・タイヤ社の労働者、ハフタッペ・サトウキビ会社、シェルケート・バヘッドバス会社の労働者たちが闘い続けています。投獄されている労働者たちも闘い続けています。彼らはわれわれの支援を必要としています。彼らは直ちに無条件に釈放されなければなりません。戦闘的な労働者間の連帯が一つひとつ再建されなければなりません。

  イランにおける2008年メーデー

政府は全国で独自のメーデー行事をすべて禁止した。労働者がメーデーの前の金曜日(イランでは休日)にテヘラン−カラジュ間ハイウエイの近くのチトガル公園でピクニックを行うことさえも禁止された。約1000人の労働者とその家族に対して、政府は1000人の治安部隊を送って公園を封鎖した。このような弾圧措置にもかかわらず、労働者たちは直ちに近くのジャハン・ナマ公園に移動し、メーデーを祝ったのである。他の都市でも政府による禁止措置がとられ、治安部隊がやってきたが、デモや集会が行われた。
『イラン・ニュース』によれば、政府によって公式に認められ、政府がスポンサーとなっている「労働者の家」が組織する唯一のメーデー行事に労組の活動家は参加することを禁止された。この公式行事は、テヘランのケイロール・アマルスタジアムで行われ、「労働者の家」の最高幹部のアリレザ・マージョビ(国会議員でもある)が参加することになっていた。だがそれは事前の告知もなく中止された。治安部隊は独立労働組合の活動家がスタジアムに入ることを許さなかった。テヘラン及び郊外バス・バヘッドバス会社の労働組合員であるレザ・シャハビ氏や、新たに結成されたイラン自由労働組合の組合員であるジャファル・アジムザデ氏などは警察によって入場を拒否された。昨年は独立組合の活動家がこの公的メーデー行事の会場に自分たちのスローガンや要求を持ち込んでいる。
いくつかの確認のとれた報告によれば、サナンジャイのメーデー集会の主催者の何人かが逮捕された。集会はサナンジャイの社会保障省の建物の前で行われ、集会後、数人の主催者と活動家が逮捕され投獄された。これらの人々は後に全員保釈金を出して釈放された。
イラン自由労働組合は、クルディスタン地方のオシナビエ市でのメーデー行事で3人の労組活動家が逮捕されたと報告している。3人はメーデー行事が始まる前に仕事中に逮捕された。 イラン自由労組の代替執行委員のタハ・アザディ氏と執行委員のジャバンミール・モラディ氏、さらにサイド・ハザラティという労働者がアサルヤ市のメーデー行事で逮捕された。
Roozonlineというホームページによれば、「多くの活動家が政府主催とは別のメーデー集会には参加しないようにという情報省からの電話を受けた」。
サケズではメーデー行事を阻止するために数百人の警察部隊が派遣されたが、パン製造労働者、市職員、石油労働者、教育労働者、大学や高校の学生などがメーデー行事に参加した。
メーデーの要求項目は、5月1日を公的な休日とすること、現在は非合法とされている団結権、スト権の承認、労働者評議会の結成、失業保険の設立、短期の契約労働の廃止、移民労働者の権利の保障などである。