International Lavor Movement 2009/07/01(No.395 p48)

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2009/07/01発行 No.395

定価 315円(本体価格300円+税)


第395号の目次
 

表紙の画像

表紙の写真 UTLAの座り込み闘争(5月15日)

羅針盤 6・14渋谷―15法大連続闘争 記事を読む
News&Review  パキスタン
  首都近郊に迫るパキスタン・タリバン
  「致命的脅威」と危機感つのらせる米帝
記事を読む
News&Review 連邦直轄部族地域のタリバン 記事を読む
News&Review  ソマリア
  自衛隊3軍が中東・アフリカに展開
  海賊法案は全世界への侵略戦争法だ
記事を読む
News&Review  日本
  首都で道州制粉砕の陣形築く  5・9全都労働者総決起集会開く
記事を読む
■特集 世界大恐慌下で動乱渦巻く欧州 記事を読む
■翻訳資料
  オバマ大統領のプラハ演説  (2009年4月5日)丹沢 望 訳
記事を読む
Photo News 世界各地でメーデー 記事を読む
■世界経済の焦点  自動車産業の歴史的な崩壊
  膨大な過剰生産力/大恐慌の最大実体
記事を読む
■世界の労働組合  全米教育協会(National Education Association:NEA) 記事を読む
■国際労働運動の暦   ■7・14第2インター結成■
  社会主義の国際組織   マルクスらの国際労働者協会を継ぎ
記事を読む
■日誌 4月 2009 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 サンフランシスコ・メーデー(5月1日)

月刊『国際労働運動』(395号1-1)(2009/07/01)

羅針盤

 羅針盤 6・14渋谷―15法大連続闘争

▼日本帝国主義を根底から撃つ闘いが動労千葉によって呼びかけられた。戦争・改憲と民営化・労組破壊の攻撃と対決し、国鉄1047名解雇撤回、法大弾圧粉砕、改憲阻止、麻生政権打倒を掲げた6・14渋谷―6・15法政の連続大闘争だ。こうした闘いの前進に追い詰められ恐怖した国家権力は5月15日、4・24法大闘争で逮捕した6学生のうち、文化連盟の恩田亮君、倉岡雅美さんを起訴した(4人は奪還)。さらに2人を暴力行為等処罰法違反をデッチあげて再逮捕、織田陽介全学連委員長ら計11人の学生を逮捕し、4・24法大集会の件で1人を逮捕する新たな弾圧を行ってきた。この大反動は、階級闘争の前進に対する支配階級の悲鳴だ。労働者・学生の全力決起で打ち破ろう。
▼09年5・1メーデーをまさに革命情勢のただ中で迎えた。全国のメーデー集会会場で、膨大な労働者・労働組合との感動的な合流が、激烈な党派闘争の中でかちとられた。米帝オバマのプラハでの核兵器独占と侵略戦争強行の演説を賛美し、米帝への全面擁護に走る日本共産党スターリン主義。さらに道州制導入攻撃と闘わず、逆に闘いの圧殺者として登場し、北朝鮮脅威論と排外主義の「核廃絶1000万人署名」を打ち出した連合。この日共と連合の敵対を粉砕して登場し、労働者と合流したことは決定的だった。
▼帝国主義の侵略戦争と世界戦争の危機が激化している。こうした中で動労千葉が呼びかける6・14中央政治闘争、6・14―15連続闘争こそ、まさに日帝の戦争・改憲と民営化・労組破壊の攻撃と対決し、国鉄を先頭に4大産別決戦に勝利し日本革命を切り開く闘いだ。労働者階級と労働組合の国際的団結で、大恐慌と戦争に反撃しよう。

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月刊『国際労働運動』(395号2-1)(2009/07/01)

News&Reviw

 News&Review

 パキスタン

 首都近郊に迫るパキスタン・タリバン

 「致命的脅威」と危機感つのらせる米帝

 □ワシントン3首脳会談

 5月6日、オバマ米大統領は、ワシントンでアフガニスタンのカルザイ大統領、パキスタンのザルダリ大統領と会談した。この会談の主要な目的は、パキスタンのザルダリ大統領との間で、パキスタン・タリバン運動の掃討作戦についての強力な一致をかちとることにあった。
 この間の経過を振り返ると3月27日、オバマ政権が2万1000人のアフガニスタン増派とパキスタンのタリバン掃討作戦を重視したアフガニスタン新政策を発表した。
 4月3、4日の北大西洋条約機構(NATO)の首脳会議では、8月アフガニスタン大統領選に向けて5000人増派を決めた。
 4月17日には東京でパキスタン支援国会合が開かれ、日帝・麻生が「パキスタンの安定なくしてアフガニスタンの安定はない」と米帝の意を受けしゃしゃり出て、今後2年間で支援50カ国が総額50億j(約5000億円)を上回る拠出を表明して閉幕した。
 第2節   □勢力拡大するタリバン

   □勢力拡大するタリバン

 最近のパキスタン・タリバンは、勢力を拡大し、4月23日には首都イスラマバード近郊に迫るほどになっている。4月24日の朝日新聞の報道によると、
 「アフガニスタン国境に近いパキスタン北西辺境州を拠点とする反政府武装勢力タリバンが、首都100`の地点のブネール地区まで兵を進めるなど攻勢を強めている」と伝え、これについてクリントン米国務長官が22日、米下院外交委員会の公聴会で「政策を誤ればパキスタンがテロリストの手に落ちる危険性がある」「米国と国際社会の安全と安心にとって、致命的と言える脅威だ」と述べたとしている。  「アフガニスタン国境に近いパキスタン北西辺境州を拠点とする反政府武装勢力タリバンが、首都100`の地点のブネール地区まで兵を進めるなど攻勢を強めている」と伝え、これについてクリントン米国務長官が22日、米下院外交委員会の公聴会で「政策を誤ればパキスタンがテロリストの手に落ちる危険性がある」「米国と国際社会の安全と安心にとって、致命的と言える脅威だ」と述べたとしている。
 数百名のタリバンは、ブネール地区への侵入を始め、地元政府やNGO、教育施設などを襲撃し、政府関係者を追放、モスクも占拠した。検問所も設置し、地元テレビは武装兵が「イスラム法に反した活動が多すぎる」と叫びながら巡回する映像を流した。
 北西辺境州マラカンド地域では、4月13日にザルダリ大統領が、イスラム法を唯一の法制度とするというタリバンの要求を受け入れたばかりで、タリバンはスワート地区に前線基地を設置し、北西辺境州の一部を事実上支配している。
 こうした現実に直面した米帝はパキスタンのザルダリ大統領にパキスタン・タリバン運動を一掃するようにすさまじい圧力を加えた。
 4月26日、パキスタン軍は北西辺境州でタリバン掃討作戦に突入した。掃討作戦は、下ディール地区から始まった。パキスタン軍は、28日にはブネール地区にも突入した。5月6日の新聞報道によると、ブネール地区北部ではなお300〜400人が住民と一体となって抵抗を続けているという。
 スワート地区でもタリバンは5日までミンゴーラの政府庁舎を占拠し、軍は6日から戦闘機やヘリコプターを投入し空と陸からタリバンを攻撃した。タリバンは地区に無数の爆弾を仕掛け、軍兵士2人が爆発で死んだ。
 インドとの戦争を本来任務とするパキスタン軍は、もともと同志であるイスラム教徒・タリバンとの戦いに士気喪失し厭戦気分を深めている。
 第3節  □北西辺境州のタリバン

  □北西辺境州のタリバン

 パキスタンのタリバンと呼ばれる「イスラム法実施運動(TNSM)」は1992年に北西辺境州のマラカンド管区と連邦直轄部族地域(FATA)のバジョール管区に生まれた。
〔訂正 前号で部族地域を「北西辺境州に属する」としたのは誤りです。正しくは「連邦直轄」部族地域です〕
 創設2、
3年後、このメンバーは黒ターバンを巻くようになりこれが団体のシンボルになった。94年にはシャリーア(イスラム法)の実施を要求し、官憲と激突を繰り返し、反乱が拡大し、スワート地区の行政機能が崩壊するに至った。94年11月にはベナジール・ブット首相がTNSMの要求に屈服しマラカンド地区にシャリーアの導入を認めた。
 パキスタンで94年に生まれたタリバンは、パキスタンの支援を得て内戦のアフガニスタンに進撃し、96年に首都カブールを制圧した。
 政権を握ったタリバンは、TNSMが北西辺境州に支部をつくれるように大規模な資金援助を行った。TNSMは、01年9・11以後の米軍のアフガニスタン侵略戦争に際してタリバン側に1万人の部隊を送りだし、多数の戦死者を出し、大きな打撃を受けた。02年1月15日にムシャラフ政権による非合法化の攻撃を受け地下に潜った。
 TNSMが息を吹き返したのは05年10月8日の大地震の救援活動に積極的に関わることによってだった。その後、北西辺境州・マラカンドと連邦直轄部族地域・バジョールに勢力を拡大している。このタリバン勢力が、北西辺境州の一帯を支配するまでになっている。
 アフガニスタンは「オバマのベトナム」になりつつある。パキスタンの連邦直轄部族地域や北西辺境州を拠点に、タリバンはアフガニスタンの南部・東部を固め、北部やカブールに攻め込んでいる。
 日帝麻生は、オバマを全力で支援し、アフガニスタンへの自衛隊派兵を狙っている。「外への侵略戦争、内への階級戦争」の攻撃に対して「戦争・改憲、民営化・労組破壊」粉砕を掲げ、国鉄決戦基軸に4大産別決戦で勝利していこう。
 (宇和島洋)

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月刊『国際労働運動』(395号2-2)(2009/07/01)

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 連邦直轄部族地域のタリバン

 □ワジリスタンのタリバン

 01年9・11以後、米帝のアフガニスタン侵略戦争によってパキスタンに撤退したタリバンは、部族地域のワジリスタンに結集した。
 米帝の圧力を受けたパキスタン軍のタリバン掃討作戦が始まった03〜04年頃から、地元タリバン勢力であるバイトゥラ・マフスードが率いる「テフリク・エ・タリバン・パキスタン(TTP)」が台頭してきた。部族地域、特にワジリスタンを基盤とする地元タリバンである。
 03年10月に、武装勢力掃討作戦のためにパキスタン軍が部族地域の南ワジリスタン管区に入った。04年3月から大規模作戦が展開され、04年4月、および05年2月に地元部族との和平合意が結ばれた。
 この合意により、パキスタン政府側が軍を撤退させる代わりに、地元部族側は外国人武装勢力を立ち退かせる約束をした。この和平合意によってマフスードの勢力は100
0人から2万人に膨らみ、南ワジリスタンを完全に制圧することができた。
 南ワジリスタンの掃討作戦の結果、アフガニスタンから逃れてきたタリバンの大半は北ワジリスタンに移動し、掃討作戦も北ワジリスタンに移った。南北ワジリスタンの戦闘は激しく、パキスタン軍は10万の兵力を投入し、432人の死者を出した。
 パキスタン軍による掃討作戦は泥沼に陥り、軍事力ではなく和平合意によって事態を解決しようする動きが強まった。
 07年までに部族地域の四つの管区で和平合意が締結された。04年と05年の南ワジリスタン、06年9月に北ワジリスタン、07年3月にバジョール、8月と9月にモーマンドである。
 しかし、米帝の側から和平合意への批判が相次いだ。
 米軍のアイケンベリー中将(前アフガニスタン連合軍司令部司令官)も「北ワジリスタン合意は期待した成果をあげていない、タリバン側の越境攻撃作戦は1年前に比べ2〜3倍に増加した」と言っている。
 和平合意に苛立つ米軍は、アフガニスタンから部族地域に対する越境空爆を開始した。これが現在に至るまで続き激化している。
 多くの民間人が捲き込まれ殺され、米帝に対する怒りをますますかきたてている。
(写真 モスクの外で自動小銃を構えるガスマスクをした神学生)

 □ラール・マスジット事件

 07年になるとパキスタン全土で頻繁に自爆戦闘が戦われるようになった。その頂点になったのが07年1月から7月までの半年間にわたったラール・マスジット籠城事件である。7月に治安部隊がモスクに突入し、籠城者と治安部隊双方に500人以上の死者が出たパキスタン全土を震撼させた事件だった。
 「ラール・マスジット」とは、イスラマバードの中心部に1960年代に建てられたデオバンド系のモスク(イスラム教礼拝所)である。壁も内部も赤く塗られ「赤いモスク」を意味する。
 ラール・マスジットは、タリバンの影響力が強い北西辺境州や部族地域の学生が集まってくるモスクとして知られていた。「聖なる戦士」を訓練し資金援助するモスクとしても知られていた。隣接する女子神学校「ジャミア・ハフサ」と男子神学校「ジャミア・ファリディア」には数千人の男女神学生が在籍し、過激なイスラム思想を教育する場として国際的にも知られていた。2人の聖職者の兄弟がこの施設を運営していた。
 ことの発端は07年1月にこのモスク関連の建物が違法建築として取り壊されたことに抗議して、モスクに附属するマドラサ(神学校)の女子神学生が近くの児童図書館を占拠したことにある。
 篭城した女子神学生、男子神学生らは、パキスタン全土でのシャリーア(イスラム法)の適用を求めた。3月になると神学生らは反イスラム的なものへの撲滅運動を開始した。CDやビデオ店主に音楽や映画の販売中止を求めたり、床屋に髭を剃ることを中止することを要求した。
 6月に入り、神学生らは中国人のマッサージ店に「売春宿」であるとして押しかけ、中国人数名を拉致監禁した。翌日釈放されたが、中国からこの事件について強い抗議が行われ、外交問題になった。
 ついにムシャラフ大統領は、7月10日に治安部隊を施設内に突入させ、30時間に及ぶ激戦の末に500人とも1000人とも言われる多くの死者を出した。

 □宥和政策が破産

 パキスタンの政権は「9・11」以前は一貫してタリバンを支援してきた。タリバンをつくったのはパキスタン政府、特にパキスタン軍統合参謀情報局(ISI)であると言われるほどだ。
 「9・11」を契機に、米帝はムシャラフに「タリバン支援」から「タリバン打倒」に大転換することを要求した。ムシャラフは「タリバン打倒」を約束したが実行は至難の業だった。
 ムシャラフは、この困難を切り抜けるために、アメリカに対してはアルカイダのメンバーの拘束・引き渡しなどを行いつつ、国内では部族地域や北西辺境州のタリバン勢力との間で和平協定を結ぶ宥和政策をとってきた。
 この宥和政策を打ち破ったのが「ラール・マスジット」事件だった。しかしこの強硬策にパキスタン人民は猛然と反発した。ISIを標的にしたものを含めた自爆戦闘が飛躍的に増大した。南北ワジリスタンの和平合意はタリバン側から打ち切られた。
 ムシャラフは、対タリバン戦争遂行のために非常事態宣言と戒厳令の発令、大統領権限の独裁的強化を進めたが反発を呼び、08年2月の総選挙でムシャラフ派は惨敗した。
 そして現在は、人民党のザルダリ大統領―ギラニ首相の体制が生まれた。
 米帝はザルダリ大統領に対パキスタン・タリバン掃討作戦の全責任を負わせようとしているが、それができるはずがない。
 そもそもザルダリ大統領が生まれたのはムシャラフによる対タリバン強硬策の失敗に起因しているからだ。
 世界大恐慌と侵略戦争の時代を世界の労働者の国際連帯で闘おう。
 (益子孝史)

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月刊『国際労働運動』(395号3-1)(2009/07/01)

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 News&Review

 ソマリア

 自衛隊3軍が中東・アフリカに展開

 海賊法案は全世界への侵略戦争法だ

 憲法も法律も無視

 海賊対処新法は、民主党の実質的「賛成」で4月23日衆院本会議で採決が強行された。政府・与党は今国会での成立を狙っている。
 海賊対処新法を巡る国会論議では、麻生首相は漁船を海賊船と誤って射撃した自衛隊員の責任を問わないことを明言した。その理由として「現場の判断を萎縮させないためだ」と言っている。
 さらに「海賊の追跡」などで自衛隊が他国の領海に立ち入ることもできるとしている。こんな暴論がまかりとおっているのは、民主党が「全面賛成」に回っているからだ。
  □3軍1000人が展開   □3軍1000人が展開
 ソマリア沖での海自護衛艦による船団護衛活動は、3月30日から4月26日までで11回、護衛した船舶数は31隻となった。この11回の警護活動中、警護対象外の外国船籍の「救助」は、3回を数えた。LRAD(指向性大音響発生装置)、さらにSH60K哨戒ヘリを発進させ「不審船」を威嚇している。
 海上警備行動では日本関係船舶以外の警護はできない規定になっており、完全な違法行為を行っている。防衛省はこれについて「船員法」14条を適用し「人道的観点から対応した」などと居直りを決めている。憲法も法律も無視した暴走を始めているのだ。
 そして浜田防衛大臣は、4月17日にソマリア沖へ海賊対策と称して海自P3C哨戒機2機(厚木基地)をジプチ空港に派兵するための準備命令を発した。そしてP3Cの「機体警備」と称して陸自・中央即応連隊1個小隊40人の派兵を決定した。装備は小銃、機関銃、イラクで使用した軽装甲車まで持ち込む。さらにジプチ空港にP3Cの駐機と「警護」に必要な物資を輸送するために小牧基地からC130輸送機が派兵される。
 すでに対テロ戦争でアフガニスタン沖に展開している海自艦船2隻に、「海賊対策」を口実にした海自護衛艦2隻とP3C、陸自即応連隊、空自C130輸送機の新規派兵を合わせると陸海空3軍1000人以上がアフガニスタン沖、ソマリア沖、アデン湾の中東・アフリカ一帯に派兵されるのだ。
 最初は海上保安庁の仕事などと言っていた話が、どんどんエスカレートして本格的な侵略戦争軍隊としての自衛隊派兵に拡大された。絶対許せない。

 ソマリア侵略戦争

ソマリアは、1960年6月に北部のイギリス領ソマリランドが独立し、7月にイタリア信託統治領ソマリランドが独立し、それが合邦しソマリア共和国となった。しかし、独立後も南部を中心に部族間、地域間の抗争が続いてきた。
69年に軍部がクーデターを起こしバーレ将軍が権力を握った。バーレ大統領は「社会主義」を標榜していたが、91年にアイディード将軍派によって追放され、以来、内戦が本格化した。
92年、国連ソマリア活動(UNOSOM)が多国籍軍で展開した時、その主力部隊であった米軍が、アイディード将軍の軍隊の攻撃を受けて18人が戦死した。これによって米軍は撤退した。

□米・エチオピアの進攻

94年に首都モガディシオのイスラム教徒を中心に結成されたのが「イスラム法廷連合」だ。イスラム法に基づく秩序の回復と国家統一を掲げ、暫定政府に対する武装闘争を開始した。長い戦乱に苦しむ国民の支持を受けて勢力を拡大、06年6月に首都モガディシオを支配下に置いた。
アフガニスタンのタリバンも同じ94年に生まれた。思想も行動もよく似ている組織だ。隣国パキスタンで育成され支援されたタリバンは2年間でアフガニスタンの政権を奪取したが、隣国エチオピアとの対立関係にあった法廷連合が06年に首都モガディシオを制圧するまでに12年かかった。
それというのも93年の敗北を機に直接の軍事介入をあきらめた米帝が、法廷連合を「アルカイダと関係のあるテロ組織」とし、地方軍閥の連合政権である暫定政府を援助し「平和の回復と反テロ同盟」を結成させ法廷連合打倒を目論んできたからだ。だが、06年6月に暫定政権はモガディシオを追われ南西ソマリアの都市バイドアに撤退した。
ところがアメリカやアフリカ連合(AU)は、法廷会議(法廷連合改め)の行動はソマリア統一を妨害するものと敵対を深めた。
12月24日、米軍に支援されたエチオピア軍はソマリアへの空爆を開始し、法廷会議への戦争を宣言した。その後エチオピア地上軍が侵攻し、法廷会議はモガディシオからキスマユに撤退、その後南部からケニア国境に敗走した。暫定政府は北部のソマリランド自治区域を除き、全土を掌握したと宣言した。米軍の特殊部隊がエチオピア軍に参戦していた。
イスラム法廷会議の主要幹部がエリトリアに逃走後、残された若者を中心に編成されたのが、イスラム武装勢力「アルシャバブ」だ。アルシャバブは急激に勢力を伸ばし、モガディシオを含む中南部で政府軍や駐留するアフリカ連合(AU)の平和維持軍への攻撃を続け、08年8月にはソマリア第3の都市で南部の主要港キスマユを制圧した。
米帝は、アルシャバブがアフガニスタンのアルカイダのキャンプで訓練を受けているなどと言い、国務省は「海外テロ組織」のリストに載せた。
またアメリカは、ソマリアの海賊はアルシャバブの資金源になっているとの宣伝を開始している。
ソマリアは無政府状態というが、そういう状態をつくり出したのは米帝なのだ。米帝の傀儡政権にならないイスラム法廷会議を「アルカイダと関係がある」などと言いなして打倒対象とし、ソマリア人民の支持を得た政府権力が誕生することを許さないのだ。
内戦に突入した90年代からさらに01年9・11以後はエチオピアを利用して米帝は一貫してソマリア侵略戦争を継続しているのだ。
そして海賊問題は、米帝にとってはソマリアのイスラム武装闘争勢力・アルシャバブへの「対テロ」戦争だ。アルシャバブの資金源が海賊だというのだ。
日帝の海賊対策は、米帝の「対テロ戦争」への協力としてある。米帝のソマリア侵略戦争への共同参戦である。これは「集団的自衛権」の行使でもある。
4月15日には、アラビア半島のアルカイダが、ソマリアやジプチのイスラム教徒に「海や陸には数えきれないほどの標的となる敵がいる」「十字軍に対する部隊を組織し攻撃せよ」と呼びかけている。
(写真 ソマリア派兵阻止呉現地闘争【3月14日】)

海賊新法逐条批判

●第1条【目的】

海賊新法第1条【目的】はおおよそこう言っている。
「重要な資源の大半を輸入している日本は、海上の交通が重要である、だから海賊行為を取り締まり、海上の公共の安全と秩序の維持がきわめて重要である」 「重要な資源の大半を輸入している日本は、海上の交通が重要である、だから海賊行為を取り締まり、海上の公共の安全と秩序の維持がきわめて重要である」
海上輸送の安全・確保が日本の生命線であると主張している。
3月14日、ソマリア沖に向けての2隻の護衛艦の出港式で麻生も、「(海賊は)貿易の多くを依存する日本にとり、国家の生存を脅かすものであります」と言った。
海の安全を妨害するものがあれば、軍事力に訴えてでも海上交通路を守り抜くという戦争宣言を発したのだ。
海賊を絶好の口実として、全世界の海に(そして陸へ)自衛隊をいつでも、どこへでも出兵できる戦争体制を日帝は造ろうとしているのだ。
なぜなら世界大恐慌の下で、資源、勢力圏をめぐる帝国主義間争闘戦が激化しているからだ。世界貿易は縮小に向かい、各国が保護主義を満展開させ、世界経済はブロック化に向かっている。
日帝は、第3次世界大戦がいずれ訪れることを想定してその準備に入っている。世界大恐慌によって米帝の没落は激しく、いつドル暴落が起きるか分からない。その時、日米対立が爆発する可能性もある。日米安保が永遠に不滅であるはずがない。
ゆえに大恐慌下で、日帝は自らの生存をかけて、憲法も法律も無視する暴走を開始したのだ。
そのために「ソマリアの海賊は許せない」などということを誇大に宣伝し、取り締まるのは当然とし、最初はおずおずと「海上保安庁をソマリアに出したい」と小出しにし、野党が反対しないことを見きわめ、それなら自衛隊を出した方が成果があがると話を膨らませて、ついに1000人の陸海空3自衛隊の派兵まで進めてきたのだ。
ソマリアの海賊とは、ソマリアで最も貧しい人々である。それを米軍は射殺し、インド軍は無関係の漁船を海に沈めている。軍隊が来ると人民の危険が増すばかりだ。自衛隊もソマリア人民を射殺するために行き、死体を護衛艦に新設した死体安置所に入れ、生き残った人を海賊罪で逮捕し護衛艦に新設した留置所に入れ、日本まで運んで裁判にかけ、死刑の極刑を課そうとしているのだ。日帝の国威をかけてソマリア人民を裁こうとしているのだ。

●海賊罪の新設

第2条で「海賊行為の規定」をしている。
海賊行為とは、公海か日本領海で▽暴行などで航行中の船舶の運航を支配、▽人質をとり財物などを要求、▽船内に侵入したり船舶に著しく接近するなどの行為とする。
第3条で、海賊罪を規定している。
▽海賊行為をした者は無期か5年以上の懲役
▽人を死亡させたときは死刑か無期懲役
▽海賊目的で凶器を準備し航行した者は3年以下の懲役
▽その他

●任務遂行の武器使用

第5条で、海賊対処は海上保安庁が基本的措置を担うと確認している。
第6条で任務遂行のための武器使用について規定をしている(要旨はこうだ)。
「海賊行為を行っている者が、制止に従わず、なお船舶を航行させて海賊行為を継続しようとする場合に、当該船舶の進行を停止させるために他に手段がないとする相当な理由のあるときには、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる」 「海賊行為を行っている者が、制止に従わず、なお船舶を航行させて海賊行為を継続しようとする場合に、当該船舶の進行を停止させるために他に手段がないとする相当な理由のあるときには、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる」
海保にはこれまで領海に限定して任務遂行のための武器使用が認められていた。これを第6条で、領海だけではなく公海においても海賊行為を制止するために必要な武器使用を認めるとした。先制的射撃、船体射撃などの武器使用を認めた。海保には01年末の12月22日、「不審船」への銃撃、撃沈、乗員虐殺事件の前歴がある。戦後初めて海上保安庁が自衛隊と連携し武力行使をした。第6条はこれを法的に追認するものだ。

●9条第1項を踏みにじる

第7条で、海賊対処のために自衛隊が必要な行動をすることができると規定している。自衛隊にはこれまで憲法9条第1項「武力による威嚇、または武力の行使の放棄」の規定によって、任務遂行のための武器使用は認められてこなかった。第6条、第7条でこの憲法9条的な制約を一挙に踏みにじって海賊対処のための自衛隊の任務遂行のための武器使用を認めるのだ。自衛隊の任務遂行のための武器使用は米軍の海賊対策並みの実戦を認めることになる。
日帝は、こうしたペテンを使って武力行使の道を海賊対処法で突破しようとしている。絶対許すことはできない。
戦争・改憲、民営化・労組破壊に対し4大産別決戦を軸に勝利しよう。
(益子孝史)

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月刊『国際労働運動』(395号4-1)(2009/07/01)

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 News&Review

 日本

 首都で道州制粉砕の陣形築く

 5・9全都労働者総決起集会開く

 □戦争・改憲と民営化・労組破壊と対決し

 〈戦争・改憲と民営化・労組破壊〉の攻撃と全面対決し、第2次国鉄決戦を基軸とする国鉄・自治体・教労・全逓の4大産別決戦を闘いぬき、世界大恐慌をプロレタリア革命へと転化する――これが、日本革命の新たな戦略方針だ。革共同は、この戦略方針の下に、5〜6月決戦を闘いぬき、11月労働者集会の1万人結集に向かって、断固とした飛躍を開始した。
 第2次国鉄決戦は、104
7名闘争における国労の鉄建公団訴訟に対する3・25反動判決と対決し、動労千葉と国労5・27臨大闘争弾圧被告団を先頭として、4・25尼崎事故4周年弾劾闘争が650人の現地結集をもって闘いとられ、新たなスタートを切った。
 1980年代、アメリカのレーガン、イギリスのサッチャー、そして日本の中曽根によって新自由主義政策が開始された。それは、戦後の資本主義―帝国主義体制が行き詰まるなかで、その危機を徹底した規制緩和と労組破壊によって打開しようとするものであり、新たな戦争に突き進むものだった。中曽根による国鉄分割・民営化攻撃は、国労を解体し、総評・社会党を解体することによって、“お座敷をきれいにし、床の間に立派な憲法を安置する”という狙いのもとに、あらゆる国家的不当労働行為を発動して強行されたものだ。40万人いた国鉄労働者をわずか数年間で半分の20万人に削減するというすさまじい首切り攻撃だったのだ。
 だが、動労千葉が2波のストライキをもってこの攻撃と真っ向から対決し、団結を維持し、さらに1047名の解雇撤回闘争が不屈に闘いぬかれたことによって、国鉄分割・民営化攻撃は、根底的なところで未貫徹のままだ。そして今、4者4団体による「政治解決」路線を打ち破り真の解雇撤回闘争を打ち立てること、そして動労千葉の「平成採」青年労働者の獲得による組織拡大を軸にして、第2次国鉄決戦が闘いぬかれているのである。
 この闘いは、現下の大恐慌と戦争の情勢をプロレタリア革命へと転化していく最先端の闘いである。日本の労働運動は、国鉄決戦という不抜の砦を持ち続けることによって、階級的労働運動を再生させる道筋をつくりだしているのである。
(写真 自治体労働者、教育労働者を始め380人が結集【5月9日 東京・文京区民センター)

 □4大産別決戦を軸に

 なぜ、国鉄を軸とする4大産別決戦が重要なのか。
 戦前は、学校が子どもたちを戦争に送る教育をやり、役場が戦争に動員する機関となった。さらに、郵便局は、地域の労働者を掌握していた。国鉄は輸送の中心であり、これらはみな公務員だった。この4大産別の労働者が戦争政策の中心を担ったのだ。
 戦後、GHQは、日本の帝国主義を解体するために、あらゆる方策をとったが、その核となったのが、労働組合の育成である。国鉄は国労であり、郵便局は全逓、教師は日教組だ。日教組は「教え子を再び戦争に送るな」というスローガンを掲げた。また、地方自治を確立し、自治体労働者はその担い手として働く労働者として、自治労を組織した。これらが戦後の戦闘的労働運動の中軸を担ってきた。国家権力機構内に労働運動の中軸を握る産別が存在するということである。
 連合は今、経団連と「労使共同宣言」を結び、ワークシェアリングという名の首切りと賃下げの「政労使合意」を行うところまで転落している。だが、4大産別にはまだ、現場には闘いがあり、なによりも膨大な青年労働者が働いている。この労働者たちを労働者階級として組織することが最重要の課題なのだ。
 さらに学生運動が重要だ。法政大学で強行されている暴力行為等処罰法をも使った前代未聞の大弾圧は、新自由主義大学として戦争に向けて学生運動を根絶やしにしようとする大反動攻撃である。
 動労千葉が呼びかける6・14〜15連続闘争は、1047名解雇撤回の国鉄闘争を基軸に大恐慌下の〈戦争・民営化、労組破壊〉攻撃と対決する最先端の闘いであり、法政大学に対して労学が団結して闘いを宣言する闘争である。大結集をめざして闘おう。

 □自治体・教労を先頭に

 こうした中で開かれた「資本主義は終わりだ! 道州制・民営化絶対反対! 5・9全都労働者総決起集会」(文京区民センター)は、自治体労働者、教育労働者を先頭に380人の労働者を結集し、3・6大阪府庁前行動に続き、首都・東京で道州制攻撃に反撃する陣形をつくる重要な集会としてかちとられた。
 中野区職労の北島一恵さんが鮮明で決意あふれる基調報告を行った。(要旨別掲)
 森川文人弁護士が「世界は革命情勢。国民を国家の手先とする裁判員制度に8割の国民が反対だ。いい裁判員になろうというのは誤り。制度は廃止あるのみ」と述べた。
 法大生の洞口朋子さんは「4・24法大解放闘争は1500人の集会を実現して大爆発した」と生き生きと報告、当日逮捕された6学生の奪還を訴えた。
 動労千葉の清水匠執行委員が特別報告に立った。「中曽根首相(当時)は、国鉄分割・民営化で国労・総評―労働組合運動を解体し、改憲・戦争に突き進むことを狙っていた。しかし動労千葉はこれをストライキで打ち破り、現在、平成採のJR労働者を獲得して前進している」と動労千葉の闘いの勝利性、普遍性を明らかにすることで、道州制・民営化粉砕決戦の勝利の展望を示した。また第2次国鉄決戦―1047名解雇撤回闘争を原則を貫いて闘うと宣言、動労千葉が呼びかける6・14〜15連続闘争、夏季物販闘争への総決起を訴えた。
 北島邦彦・杉並区議は、山田宏区長の北朝鮮拉致被害者家族支援ブルーリボン着用攻撃反対の緊急闘争を報告。
 1047名闘争の解雇撤回闘争を貫いている国労秋田闘争団の小玉忠憲さん、国労小倉闘争団で国労5・27臨大闘争弾圧裁判被告の羽廣憲さん、5・27弾圧被告団の原田隆司さんが登壇して決意表明した。小玉さんが、「道州制、やれるものならやってみろ。公務員360万人が団結したら革命だ」と力強く発言。  日逓の青年労働者が非正規14人雇い止め攻撃との闘いを報告。福祉労働者連帯ユニオンの青年労働者が医療・福祉を突破口とする道州制との闘いを訴えた。日本機械工業労組の代表は、36年ぶりの半日ストを貫徹したことを報告。東京西部ユニオンの代表は、合同労組も道州制・民営化と闘う決意を明らかにした。

 □青年労働者らが発言

 教育労働者と自治体労働者が青年労働者を先頭にずらりと登壇し、次々と発言した。
東京教組の組合員は、「今年度から教員免許更新制が本格実施になった。30時間の受講で最低3万円を自己負担させられ、さらに修了手続きに3300円が要る。本当にひどい制度です。私たちも免許更新制廃止へ声を上げていくが、皆さんにも声を上げていただきたい」と訴えた。
区職の青年労働者は、「職場で『道州制反対』のビラを受け取り、自分たち自身がこうした攻撃の危険にさらされていることを実感した。自分たちがもっと平成生まれ、同年代の人とつながり、考えていかないと、道州制の波にのまれ、自分たちの立場が危うくなる。社会の不安も渦巻いている。この流れを止め、新しい、もっとよい社会をつくりたい」と発言した。
東交の青年労働者は、「自分の仕事は事故と隣り合わせ。事故が起きないようにと、助役や司令室を追及している。組合幹部は言い訳ばかり。火消しに躍起となっている。そんなことで安全が守れるのか。事故が起きれば最初に死ぬのは運転士。尼崎事故はひとごとではない。道州制について、われわれが最初に標的になると分かってきた。360万公務員労働者が団結すれば阻止できると確信をもってがんばっていきたい」と訴えた。
都校職組の労働者は、「『ハローワークの求人欄におまえの学校が載っている』と知人に言われた。非常勤職員への道州制攻撃が始まっている。『日の丸・君が代』不起立闘争に敵対する日教組ダラ幹打倒の闘いを東京から起こす。職場組合員を信頼して闘う」と決意を語った。
東京清掃の労働者は、「自治体労働者を戦争動員に駆り立てる側に立つことを求める攻撃が激化している。自治労本部の路線は間違っている。われわれの闘いを職場全体のものにしていこう」と訴えた。
まとめと戦闘宣言を江戸川区職労の佐藤賢一さんが行った。「大恐慌の時代、日本経団連も麻生政権もボロボロだ。労働者が立ち上がるチャンスが来た。労働者が主体の社会をつくろう。道州制による戦争・改憲・民営化・労組解体を叫ぶ麻生政権を打倒し、侵略戦争を阻む勢力として決定的な団結と決起をかちとった」と集会を総括した。
(大沢 康)

5・9全都労働者集会基調(要旨)

  私たちは、3・6大阪府庁前行動をもって開始された道州制粉砕=体制内指導部打倒の闘いを引き継ぎ、東京で本格的に発展させるために、3回の集会実行委員会をもち、討論を重ねてきました。本日の集会をもって、東京における新たな闘いの宣言を発しましょう。
国鉄1047名解雇撤回闘争を先頭に4大産別(国鉄・郵政・教労・自治体)決戦を闘いぬくことが、恐慌と戦争、革命の時代の戦略方針であり、道州制決戦とはまさに自分たちの職場の団結、労働組合をめぐる決戦だということです。民営化攻撃の先兵と化した体制内指導部をぶっとばし、闘いを職場から巻き起こして労働組合をよみがえらせるということだし、資本主義の救済かその打倒かをかけた党派闘争として、職場の労働者をどちらが獲得するかという決戦に突入したのです。職場生産点で闘いぬき、動労千葉がよびかける6・14渋谷デモ、6・15法大闘争への大結集を実現しましょう。
世界金融恐慌は、今や1929年を越える世界大恐慌となって爆発しています。労働者には、大量首切りと賃下げ、貧困と大失業を強制し、わずかな社会保障も奪い、破産した新自由主義をとことん押し進め、労働組合を解体・変質させて団結を破壊し、教育も福祉も医療も奪う「究極の構造改革」=道州制・民営化攻撃を日々進めています。
道州制攻撃は、「国のかたちを変える」、9条改憲と侵略派兵、戦争体制づくりと連動した改憲攻撃そのものです。公務員360万人全員解雇をもって自治労・日教組を解体し、4大産別をはじめ全労働者の団結破壊、労組破壊を強行する攻撃です。
4大産別の労働者が階級的立場で闘いぬくならば、それが6000万労働者―2000万青年労働者、非正規職労働者の総反乱の引き金となり、結集軸となって日本労働運動が不死鳥のようによみがえることになるのです。4大産別決戦は、日帝ブルジョアジーと連合の「労使共同宣言」体制を実力でぶち破り、連合支配を下からくつがえしていく闘いです。その爆発を切り開く最大の突破口が第2次国鉄決戦です。
連合・全労連本部打倒、4者4団体路線粉砕こそが、労働者の未来を開くのです。
私たち一人一人が動労千葉のように職場でぶったち、労働者の怒りに依拠し、体制内勢力と対決し、資本や当局と徹底的に闘いぬくなら、道州制攻撃は粉砕できます。動労千葉を先頭に労働者の国際連帯を推し進め、資本主義を打ち倒す11月1万結集をかちとりましょう! 自らの飛躍と団結をかけて闘いぬきましょう!

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月刊『国際労働運動』(395号5-1)(2009/07/01)

 

(写真 キャタピラー労働者の集会【09年4月27日 グルノーブル】)

特集

 ■特集 世界大恐慌下で動乱渦巻く欧州

 はじめに

 

世界大恐慌はますます激化している。最末期帝国主義が繰り出す新自由主義政策のもとで、ブルジョアジーは90年代以降、金融の自由化や金融工学の技術革新によって自己資金を何十倍・何百倍の額で運用してきた。EU帝国主義の主要銀行もこれを率先してきた。その金融バブルがはじけた。フランスの最大手銀行のパリバが発端になったということは、EU帝の脆弱性の象徴だ。そしてEUの全矛盾を押しつけられてきた中・東欧諸国は経済的破産状態に突き落とされ、労働者階級の荒々しい決起が始まった。
第1章は、金融大恐慌下の欧州経済の現状を「実体経済の後退」「パリバショック」など5項目で整理した。
第2章は、工場閉鎖・大量首切りが激化するフランスでストライキ・工場占拠を闘う労働者の闘いを紹介する。
第3章は、体制内労働運動の反動的流れに合流したフランス第4インターの崩壊と転向を徹底的に弾劾した。

■第1章

 

 統一的対策とれないEU

 実体経済縮小に保護主義

 GDPマイナス4%減

 

欧州ではこの間、金融恐慌に伴う信用収縮によって、自動車等耐久財消費、住宅投資、設備投資等の大幅な減少、実体経済の縮小が起きた。
欧州連合(EU)の欧州委員会は、5月4日、09年のユーロ圏16カ国の実質的成長率がマイナス4・0%に落ち込むとの経済予測をまとめた。前回1月の経済予測から2・1ポイントの大幅な下方修正だ。これは激しい落ち込みでアメリカの予測マイナス2・9%を大きく上回っている。
EU統計局の発表によると、域内で最大の経済力(3割)をもつドイツのGDPが09年第1四半期(1〜3月)に前期比マイナス3・8%と、70年の統計開始以来で最大の落ち込みを記録した。ドイツは08年第2四半期から景気後退に入り、4四半期連続のマイナス成長を続けていた。
ドイツのGDPに占める輸出依存度は日本の2倍以上の4割に及ぶ。それだけに、金融危機による輸出の落ち込みは経済の屋台骨を直撃する。
外需依存型経済であるドイツの輸出は09年1月は前年同期比20・7%減少した。09年1月の機械受注は同マイナス37・9%と急減している。輸出は米国向けのほか、EU域内向けも大きく減少している。

 パリバショック

 世界金融大恐慌の発端は07年8月、フランス最大手銀行BNPパリバが傘下の三つのファンドを凍結したことにあった。
投資家の解約で資金が引き揚げられ、三つのファンドの総資産が7月27日の20億7500万ユーロ(約3300億円)から、8月7日には15億9300万ユーロ(約2600億円)へと急減した。このため換金に対応できる原資がなくなり、資金繰りもできなくなった。それでサブプライムローン債権を担保としたファンドの解約を停止したため、一挙に信用不安が高まり世界に拡大した。
これまでヨーロッパの主要銀行はハイリスクな投資銀行業務に傾斜していた。ヨーロッパの主要銀行は、国際的には米国の投資銀行とヘッジファンドによって進められた金融イノベーションと規制緩和の波に率先して対応してきた。「ユニバーサルな銀行」(銀行業務と証券業務を兼営)として、世界中の主要市場において投資銀行部門を自由に成長させ、それを利益の主な源としてきた。
地域的には、ヨーロッパ統合と規制緩和によって銀行が国境を越えてヨーロッパ全域で業務を行うことができるようになったこと。銀行は高貯蓄・低金利の加盟国で預金を集め、アイスランド、アイルランドのような地域的ブームに沸くハイリスク・ハイリターンな市場や、米国の金融デリバティブに投資し利益を得た。
しかし金融バブルははじけた。米ゴールドマン・サックスはユーロ圏の銀行の損失見通しを9220億ユーロと試算した。英国の金融機関の損失見通しは最大2400億ポンドと試算した。スイスも入れると欧州金融機関の損失合計は150兆円にふくれ上がる可能性があるとしている。(2・27日経)
この損失は以下の3重苦からなっている。まず米国のサブプライムローン関連で損失を被った。続いて自国の住宅バブル崩壊に伴う住宅価格下落に伴う不良債権が増加、さらに中東欧向けの巨額の融資の焦げつきが銀行経営にのしかかりつつある。

 英・金融立国の危機

 イギリスはユーロ圏外にとどまりながら、ヨーロッパの国際金融センターとしての地位を高めて、長期にわたる景気の拡大を実現してきた。それだけに産業構造、雇用構造上、金融業の比重が高く、銀行総資産の規模はGDPの5倍に達している。
 現在のイギリスを指してヘッジ・ファンド運用で著名なジム・ロジャーズは次のように言っている。
 「イギリスは終わった。北海油田の原油は今後枯れていき、金融街シティもめちゃくちゃだ。もう売るものがなにもないイギリスには投資しない」  「イギリスは終わった。北海油田の原油は今後枯れていき、金融街シティもめちゃくちゃだ。もう売るものがなにもないイギリスには投資しない」
 新自由主義の旗手・サッチャーによる金融ビックバン(1986年)によってザ・シティはみずから外にむかって門戸を解放した。金融のウィンブルドン化(ウィンブルドンのテニス大会はイギリスで行われるがイギリスのプレーヤーが不在)と揶揄されたが、日本をはじめ世界中から名だたる金融機関が結集し、シティは空前の活況を呈した。金融もモノづくりも、いわば他人のふんどしで相撲を取りながら、イギリス経済は息をふきかえし、16年にわたって成長を謳歌してきた。
 だが、アメリカ同様、基幹産業らしきものもほとんど消滅し、地方都市はシャッター街になった。
 世界からマネーを集め、自国経済の活性化につなげる「金融立国」路線が、急激な信用収縮で破綻に直面している。借入依存度の高さは主要国では群を抜く。海外勢の英銀向け融資は昨年8〜11月に約2割減り、資金を調達できなくなった英銀は融資を抑制。昨年10〜12月期の実質経済成長率はマイナス1・5%と1980年代以来の大幅な落ち込みになった。
 今年3月7日、イギリス大手銀行ロイス・バンキング・グループの英政府の株式保有率が65%になり、実質国有化された。これで英大手銀行4行が国有化され、独立銀行は2行のみとなった。

 中・東欧諸国の危機

 欧州経済の強みは、同一経済圏に東欧という発展途上地域をかかえ込んでいることだった。東欧諸国は高成長が続き、ドイツをはじめユーロ圏の輸出や設備投資に寄与した。東欧諸国からのユーロ圏向け輸出が拡大し、EU(欧州連合)域内からの直接投資も拡大した。
 この依存関係は、特に金融面で東欧経済をいびつな関係に変えた。東欧諸国の金融業界では主に西欧に本店をおく金融機関のシェアが異常に高く、国内資本や米系をしのいでいる。
 その原動力となっていたのが自動車産業である。ここ数年来、西欧の大手自動車メーカーが中・東欧に工場を多数建設したため、輸送用機器部門が中・東欧の輸出の半分を占めるようになった。
 しかし、バブルが弾けるとその反動で急激な資金流失がおきた。輸出激減で外貨獲得ができなくなり、ハンガリー、ウクライナ、ラトビアは、巨額の対外債務から通貨危機、そして経済危機へと発展した。
 中・東欧以外で、最初に経済危機に直面したのはアイスランドだった。
 人口わずか30万人。北海道より少し大きな面積の北極海に浮かぶ小国が、世界金融大恐慌の直撃を受けて銀行が破綻し国家破綻に直面した。銀行資産はGDPの10倍以上にのぼった。アイスランドの銀行は投資ファンドの資金引き揚げによって通貨クローナが暴落、個人マネーも逃避した。深刻な景気悪化から政府に対する抗議行動が続き、今年1月保守系連立政権が崩壊しハーディ首相が辞任した。
 西欧の金融機関の融資姿勢が悪化すれば、東欧への資金流入はますます細る。欧州はこうした負のスパイラルの入り口に立たされている。

 EUの構造問題性

 「(ユーロは)ひとつの経済圏だが、連邦政府も、共通の財政もない」(12月4日欧州中央銀行トリシエ総裁)  「(ユーロは)ひとつの経済圏だが、連邦政府も、共通の財政もない」(12月4日欧州中央銀行トリシエ総裁)
 EUの欧州委員会は昨年12月に2000億ユーロ、GDP1・5%の経済対策を決めた。欧州委員会は300億ユーロを支出、残りの1700億ユーロは各国に対策を求めたが、その実施は各国しだいだ。英仏は受け入れたが、追加的な景気対策の圧力への警戒からドイツは慎重だった。EU経済が危機に直面したとき、各国政府は協調した財政的・戦略的対応をとることについて合意ができず、各国が個別に財政的救済措置を実施した。
 1999年に実施された通貨統合によってユーロ圏に加盟する国々は金融政策をもたない。金融監督機能はあるものの、金融政策は欧州中央銀行(ECB)が行う。極端な信用収縮に陥った際、各銀行に対する資本注入や資金供給を決定するのは欧州中銀ではなく、各国財務省である。
 EUの基本条約に財政赤字を3%以下にすることなどを決めた「安定・成長協定(財政協定)」がある。
 今年1月、欧州委員会は今年中にユーロ圏16カ国中7カ国が財政協定違反になるとの判断を明らかにした。フランスやイタリア、スペインなどが財政赤字3%の基準を超え、特にアイルランドは11%に達する見込みだ。財政赤字の急拡大で将来的にユーロ圏が財政規律を維持できなくなる恐れが出てきた。
 サルコジ大統領は昨年10月、「ドルが唯一の基軸通貨ではない」と強がったが、ドル暴落の危機は同時にユーロ危機の深まりなのである。

 保護主義の台頭

 今年2月、仏政府はフランス国内の雇用と工場の維持を条件に、オペル(ドイツ、米GMの子会社)のライバルである仏自動車大手プジョー・シトロエンとルノーに低利融資を行うなど、総額78億ユーロの支援を決めた。EUのパローゾ欧州委員長は「他の加盟国にマイナスの影響を与えてはいけない」とフランスの自動車産業支援に警告した。フィヨン首相は「支援策はEU法令に完全に適合している」と反論。サルコジ大統領は、「アメリカが国内産業を保護するのであれば、欧州も同じことができる」と開き直った。
イタリアは個人に自動車買い替えを促す見返りに、自動車業界に国内の生産維持を要求。政府は新規雇用での英国人の優遇に動く。ドイツは新車への買い替えに補助金を出す。こうした自国産業保護に傾く西欧諸国には、中・東欧が反発を強めている。
今年3月19日からの欧州連合の定例首脳会議を前に、チェコとフランスの新旧EU議長国の間で意見対立が噴出した。昨年後半の議長・サルコジ仏大統領が「仏国での生産拠点の存続」を条件に付けたのに対し、現議長であるチェコのトポラーネク首相が「経済保護主義の拡大だ」と激しく反発した。
経済危機に直面している中・東欧を巡っては、一部の中・東欧国が巨額支援を要請したのに対し、主要国が拒否するなど足並みの乱れが表面化した。
ハンガリーのジュルチャーニ首相は首脳会議に先立ち「最大で1900億ユーロ(23兆円)の基金拠出が必要」と発言。「中・東欧は今年だけで3000億ユーロの資金の借り換えが必要で、それが無理なら経済は瓦解する」と支援を訴えた。これに対し、ドイツのメルケル首相は「すべての中・東欧国が同じ状況だとは思えない」と即座に拒否した。
欧州ではドイツを筆頭に1200万人以上が自動車メーカーや関連企業で就労し、製造業の3分の1を占める。EUは3月1日の緊急首脳会議で、保護主義の阻止へ協調することなどを盛り込んだ共同声明を採択したが、やっていることは保護主義である。
クライスラー、GMの破綻を機に、自動車産業の再編や自国産業保護をめぐって独仏伊帝国主義の間で、さらには中東欧諸国との対立が激化している。
帝国主義がある限り世界大恐慌がもたらす戦争と資本攻勢から逃れることはできない。欧州では労働者階級のストライキの波がわき起こりつつある。革命情勢が切迫し、まさに世界革命が求められている。

■第2章

  体制内派と闘う仏労働者

 キャタピラーとコンティネンタル

 激化する世界大恐慌下で、工場閉鎖・大量首切りが激化するフランスで、労働者の闘いが職場を戦場にしたストライキ・工場占拠、激突的団交などとして爆発している。
 元首相ドビルパンは「内乱状態だ」と叫び、マスコミは「革命か」「反乱か」などと論じ、「確かに経済危機は深刻だ。だが政治状況は安定している。それは労働組合がしっかりしているからだ」と結論付けている。ここに、フランス階級闘争・労働運動の直面する問題の核心がある。1月、3月の100万、200
万百万規模の“ゼネスト”で表現された労働者の怒りは、体制内指導部によって、サルコジ大統領の下での「政労使交渉に圧力をかける」という枠の中におしこめられようとしているからだ。
 しかし、資本の攻撃にさらされている現場労働者の怒りは、この枠に閉じ込められているわけではない。工場閉鎖や人員削減、時短による賃金カット、労働条件の悪化などに反対する闘いが、フランス各地で、体制内労働運動指導部の屈服的指導や警察や司法をも動員した攻撃と非妥協的に対決しながら、数週間、数カ月にわたって闘い続けられている。その中から、キャタピラーとコンティネンタルの二つの闘いを報告する。

 キャタピラー労働者の闘い

粉砕された妥結案
 4月20日、南仏のキャタピラー社グルノーブル工場の職場集会で、ランクアンドファイル(現場労働者)の怒りの声が爆発した。「首切りを認めるこんな妥協案がのめるか」「交渉は、パリでなく、ここの職場でやれ」「決めるのは幹部じゃない。現場のおれたち労働者だ」「労働者が決起する時だ」「労働者は勝利するぞ!」
 労働組合代表(CGT=フランス労働総同盟など)が提案した政労資交渉での妥結案は、職場の絶対反対によって粉砕された。グルノーブル工場の労働者は、人員削減の撤回を要求して4月27日、ストに入った。以後攻防が続いた末、5月11日の労資交渉が決裂し、労資が正面から対決したまま現在に至っている。

 大量首切り攻撃

 キャタピラー社は、建設機械の巨大なメーカー・多国籍企業で、今年初頭、全世界の工場で5000人、フランスで733人の人員削減を発表した。キャタピラーのフランス工場は、南仏グルノーブルとエシロンにあり、労働者数は2550人。キャタピラー社は、昨年まで巨額の収益(35億j)をあげてきたが、世界大恐慌情勢下で今年中に受注が55%後退すると見られている。このため会社の生き残りのためには、総計2万2000人の首切りが必要だ、としてこの攻撃をかけてきた。
【注 キャタピラー社 アメリカに本部をおく多国籍企業で、ブルドーザーなど建設機械を始めとする産業機械の世界的なメーカー。それ以外にも、装甲車を製造し、イギリスをはじめとする諸国の軍隊に供給している。同社のD9装甲ブルドーザーは、イスラエル軍のパレスチナ民間家屋の破壊に用いられた】

 工場占拠で闘う労働者

 この大量首切り通告に、グルノーブルとエシロン工場の労働者は怒りを爆発させた。この間、時間短縮で賃金が30%カットされていたところに、この攻撃だ。労働者は、直ちにこの二つの工場で抗議集会をやり、2月27日、全日ストに突入。3月2日、再度スト。工場前にピケをはり、タイヤを積み上げて燃やす。機動隊と対峙。ピケット支援のために数百人の学生や派遣労働者が合流、臨時食堂をつくるなどして連帯する。会社側は、組合との交渉で「退職金を受け取って人員削減に合意するなら、この間の“いきすぎ”(ストやピケのこと!)は問わない」などと言って、労働者の屈服、分断を策動。
 3月18日、職場大会で、工場占拠(会社建造物の労働者による封鎖)を決定、機動隊が出動。市当局が調停にのりだす。
 3月19日、全フランスの「全産業連帯行動」(事実上のゼネスト)に参加、以後、連日、工場前集会、街頭宣伝などに、300〜400人規模で決起。
 3月29日に会社側は、工場占拠を理由に組合との交渉再開を拒否。これに怒った労働者は、会社幹部5人を、「交渉開始を約束するまで会社から出さない」と決定。機動隊が工場を包囲。4月1日、会社が「スト中の賃金を払う」と約束して解放される。【マスコミが“社長監禁事件”として、ソニー・フランスの例などと並べて大々的に報道】

 体制内派の屈服許さず

 一方、CGTなど組合指導部は、サルコジ大統領に“おごそかなアピール”と称する請願状を出す。それは、「キャタピラー社とその下請け会社再建のために、〈グローバリゼーション調整ヨーロッパ基金〔人員削減の犠牲者救援のための基金〕〉から、5億ユーロを支出することをEU当局に要請してほしい」「それが離職者が誇りを持って去っていける条件」といった内容であった。
 サルコジは直ちに反応し、「キャタピラー社を救うために私の力が要求されているのなら、喜んで組合代表と会おう」と回答し、介入の姿勢を示した。しかし労働者は、職場大会でサルコジの介入拒否を決定した。いったん工場占拠は解くが、ピケは強化して経営委員会と労働監督局の構内立ち入りを阻止した。
 4月16日、グルノーブル高等裁判所からキャタピラー社の19人の労働者に対し「業務の自由妨害」で出頭命令。これに抗議して、4月17〜18日、再び工場占拠。
 4月19日、CGTなどの組合代表が、パリで経済大臣の立ち会いのもとで会社側と交渉、紛争解決協定に署名した。それは人員削減を733人から600人に減らすこと、週労働時間への規制を廃止し、年間労働時間の総計で調整すること、という内容であった。
 4月20日、この妥結案は、職場大会で、現場労働者の怒りによって粉砕された。組合幹部は、「これは最終決定ではない」などと言い訳して、いったん自分たちがサインした妥協案を政労使交渉の場にもちかえり、修正を試みたが、会社側は「約束違反だ」として組合当事者を告訴するとはねつけた。

 再度ストライキに突入

 

4月24日、会社側は、交渉が中断されているなかで、3月末の「会社幹部監禁事件」に対して、「氏名不詳の人物」を裁判所に告訴した。
  4月27日、時間短縮のため一時帰休していたキャタピラーの二つの工場の労働者2000人が、この日から職場に復帰する予定であった。しかし、600人を結集した職場大会でスト突入を決定した。60%のスト参加となる。労働者は街頭デモに出発。この日、裁判所は、キャタピラー社によるリストラ計画承認要求を却下した。
  4月29日、会社側は、市当局の斡旋で行われることになった労資交渉へむけて、人員削減733人の予定を60
  0人に減らす条件として、新たに労働時間の柔軟化(交代制の変更=労働強化)を要求してきた。組合指導部の対応は、組合員の判断に任せる、という無責任なものだった。
  「会社幹部監禁事件」での告訴を突きつけたままの会社側に怒りを燃やした現場労働者は、5月6日、2工場の職場大会での圧倒的多数の投票で、この会社側提案を粉砕した。こうして、5月11日にグルノーブル市庁舎で行われた政労資交渉は、現場労働者の首切り絶対反対の強固な姿勢によって、決裂に終わった。
(写真 再度のストに突入したキャタピラー労働者【09年4月27日】)

 

 仏全土を震撼させた闘い

  キャタピラー闘争は、7週間、現場労働者が団結を固め、職場を基礎に、巨大多国籍企業の大リストラ攻撃と闘いつづけ、フランス全土を震撼させてきた。その闘いは、資本との非妥協的な対決として貫徹されてきた。それは、始めからキャタピラー資本の攻撃と正面から闘おうとせず、政労使交渉に妥協点を求め、労働者を屈服させようとしてきたCGTなど体制内労働運動指導部との日常的な闘争ぬきにはありえなかった。
 労働者の資本への怒りをサルコジ大統領への「お願い」にねじまげ、一日も早く闘争を終わらせようとしてきた体制内組合幹部の策動は、4月20日、5月6日と、職場集会で二度にわたり粉砕され、闘いは振り出しに戻された。
 キャタピラー資本は、組合幹部は妥協しようとしているが、「問題は“300人の絶対反対主義の少数派”がいることだ」といって、あらゆる方法をもって、2550人の工場内のこの“300人の少数派”(!)を孤立させようとしている。だが、職場労働者の怒りと闘志は、この300人を核にして燃え上がるばかりだ。あくまで「733人首切り」「労働強化」を要求している資本に対する闘いは、これからだ。

 コンティネンタル労働者の闘い

 国境を越えた団結
 「歓迎、フランスのコンティネンタル労働者、ようこそドイツへ」「工場閉鎖・首切り反対」「独仏のコンティネンタル労働者は共に闘うぞ」「コンティネンタル資本による労働者の分断許すな」「万国の労働者、団結せよ!」
 4月23日、ドイツ北中部ハノーバー市(ニーダーザクセンの州都)の中央駅は、このようなスローガンが独仏二カ国語で書かれた巨大な横断幕の下で、フランスから15両の列車で到着した1200人の労働者と迎える2000人のドイツ側労働者の国際連帯の渦に埋め尽くされた。この日、独仏に工場をもつコンティネンタル社の株主総会が開かれるのだ。同社は、フランス北西部オワーズ州とドイツのハノーバー近郊のタイヤ製造工場を、2010年に閉鎖すること、そして2工場でそれぞれ780人、1120人の大量首切りを行うと3月に発表した。これに対し労働者は激しい闘いを行い、とりわけフランスでは、工場占拠などの実力闘争が数週間にわたって展開された。ドイツのマスコミは「フランスからライオンがやってきた」と書いた。
 コンティネンタル社は、タイヤ製造の世界第4位の多国籍企業。全世界に工場を持ち、13万人の労働者を雇用。この間の世界大恐慌のなかで、昨年末までに需要後退を口実に全世界ですでに8000人の労働者の首を切り、今年に入って3カ月たらずのうちにさらに6000人の人員削減を行った。現在、半数に近い労働者が時間短縮や一時帰休を強制されている。
(写真 独仏二カ国語の横断幕をかかげてデモするコンティネンタルの労働者)

 フランスでの闘い

 フランス・クレロア工場の闘争は、工場閉鎖・リストラ計画が発表された3月11日の翌日に爆発した。12日に工場で行われた会社側の説明会で、同社の社長は、怒った現場労働者に卵をぶつけられ、組合旗を槍のようにつきつけられた。
 3月19日のフランス一斉デモでは、コンティネンタル労働者は、18台の車を連ね、家族ぐるみで登場、パリの街頭で製品のタイヤを燃やし、連帯と支援をアピールした。
 4月21日、フランス・コンティネンタル労働者の怒りは、激しい行動として燃え上がった。工場閉鎖と大量のリストラ計画を違法として訴えていた組合の主張を、裁判所が却下したのだ。労働者は、工場所在地のオアーズ県庁舎と会社の受付に突入し、抗議の意志をぶつけた。会社側は、「工場の安全の保障がない」として、操業を中止し、フィヨン首相は、「暴力行為は許さない」と恫喝した。
 このような労働者の怒りには、歴史的背景がある。07年2月、フランス・コンティネンタル社は、週35時間制を、賃金すえおきのままに週40時間制に転換することを提案したが、クレロア工場の労働者は全員投票を行い、51%の多数でこれを拒否した。ところが、会社は7月、「週40時間制への転換をのまなければ、工場を閉鎖する」という脅しをかけてきた。これに対し、組合(CFTC、CFE―CGC)は、2012年まで職を保証するという約束とひきかえに、月100ユーロの賃上げで週40時間制への移行を受け入れた。これ以後、「8チームでの4交代制」のもとでのすさまじい労働強化が職場に強制された。同時に、メキシコ、東欧諸国に工場を移転し、低賃金をてこに工場間のコスト競争をあおった。今回の工場閉鎖、大量首切り通告は、この「約束」をふみにじるものであった。「譲歩」では、工場閉鎖を阻止することができないことが全労働者に明らかになった。

 新地平切り開く闘い

 こうしたなかで迎えるコンティネンタル社の株主総会に対して、独仏の労働者の国際連帯行動が計画されたのだ。
 独仏3000人のデモは、鉄柵と機動隊で守られた株主総会会場に向かい、組合代表を送り込んだ後、ハノーバー市内の会場で国際連帯決起集会を開いた。メキシコのコンティネンタル社の工場からも組合代表が参加した。集会は、「国内でも、国際的にも、団結だ!」「会社がわれわれに戦争を仕掛けてくるのなら、われわれも職場からの戦争で反撃しようではないか」「われわれはもう羊ではない。われわれはライオンだ」「いままで会社によって分断されてきたわれわれは、今日ここに、国境を越えて団結している」「今日は歴史的な国際連帯の日だ。新たな闘争の始まりの日だ」―独仏の労働者が、かわるがわるマイクをにぎり、闘いのエールを交換しあい、シュプレヒコールをあげた。
 4月27日に、「4月21日の乱入事件」にかんして7名の労働者に警察から召喚状が発せられたが、700人が参加した職場集会で不当な召喚には応じないことを決定、500人が警察署に抗議デモを行い、政労使交渉再開までは処分保留の約束をかちとった。
 4月29日の政労使交渉で結果が出ないまま、5月11日の労使交渉では6月16日まで延期、と決定。クレロア工場の操業は、4月22日以来ストップしている。
 その間、5月1日メーデーでは、クレロア工場労働者が、郡都コンピエーニュのデモの先頭に立つ。ソディマックス、レア、イネルジーなど闘争中の労働者も、これに続き、デモの後に連帯交流集会に参加した。
 5月6日には、コンティネンタル社の工場で、なお操業を続けているサルグミーヌ工場(ドイツ国境に近いモーゼル県)に、クレロア工場の300〜400人の労働者が突入して、同工場の労働者との合流を追求した。
 コンティネンタル社の労働者の闘いは、積年の体制内労働運動指導部によって強制された資本への「譲歩」と屈服政策を打ち破り、職場の闘いと国際連帯の闘いに根ざした絶対反対の闘いに発展する新段階に入っているのである。

■第3章

 

 仏第4インターの転向

 体制内労働運動に反動的合流

 世界大恐慌と闘う仏労働者階級

 抑制する労組指導部
 世界大恐慌がEU諸国を直撃しているなかで、フランスの労働者階級は、今年冒頭、1月29日と3月19日に全国で数百万人の“ゼネスト”に決起した〔引用符を付けたのは、体制内派指導部が、資本・権力との激突を恐れ、ゼネストという呼び方を避けて、“全産業一斉行動”などと称しているからだ〕。1月には、一昨年来のストライキ闘争を牽引してきた国鉄労働者・教育労働者など公共部門の労働者が動員の中心だったが、3月には、工場閉鎖やリストラの嵐と闘っている民間企業の労働者が前面に登場した。フランス経済の危機のなかで、自動車産業を始めとする全国の多くの工場で、工場閉鎖、時短、リストラ、賃金カットが労働者を襲い、これに対する職場での闘いが、全国で燃え上がっているのだ。
 だが、こうした1995年の大ゼネスト以来の労働者階級の巨大な決起にもかかわらず、サルコジ超反動政権に決定的な打撃を与えるには至っていない。体制内労働運動が、サルコジ政権に完全に屈服しているからだ。
 第1項  労組を恫喝するサルコジ

  労組を恫喝するサルコジ

 サルコジは、03年から06年に至る労働者人民の闘いの高揚によって強いられたシラク大統領時代の後退をとり戻すすべく、07年5月の大統領選挙で、「もっと働き、もっと稼ぐ」というスローガンをかかげて勝利した。就任すると直ちに超反動的な4改革法案(税制改革、刑法改革、ミニマム・サービス確保法〔注〕、大学改革法)を、野党の屈服の下で議会で成立させた。同時に、日刊紙『ルモンド』に論文を発表し、「私は、強い、責任ある労組を求めている。そのため、以前から〔前政権ジュペ内閣の内務大臣在任中から〕主要労組幹部との定期的会談を、私的に行ってきた。今後も、労組幹部との対話は継続していきたい」と、CGT、CFDTなど体制内労組のいっそうの屈服を要求した。さらに、「最終的に事を決定するのは国家だということを忘れないでほしい」と恫喝し、政労使交渉で労働運動の決着をつけるという基本政策を宣言した。
【注 〈ミニマム・サービス確保〉とは、公共サービス・交通機関のストの際に、最低限のサービス提供に関するプランの策定や、48時間前までにスト通告を行うことの義務付けなど〔これは教育分野にも拡大された〕を指す】
 このような「強い、責任ある労組」というサルコジの要求は、CGT、CFDTなどの既成大労組=体制内労組幹部に対して、「労働者の革命的闘いを体制内におさえこむ力をもった労働組合になれ」と恫喝しているのだ。

 体制内派の支配の危機

 これは、CGT、CFDTなど幹部の利害と一致している。というのは、これらの組合の組合員数、影響力はこの間、後退を重ね、戦闘的労働者の離反、組合脱退者の増大、批判勢力の少数派労組の台頭などによって、体制内労働組合の労働者支配が、危機に直面しているからだ。
 CGT、CFDTなど体制内労働運動指導部は、199
5年の大ゼネストの衝撃をうけて登場した社共(+緑の党)の連立ジョスパン内閣(1997〜2002年)が、反労働者的な緊縮政策を強行した際に、これを支えた。2002年の大統領選挙で、社会党のジョスパンは惨敗した。その後のシラク政権の下での新自由主義攻撃に対しても、これら体制内労働運動はもともと闘う構えがなかった。
 それどころか、労働者の怒りが爆発すると、それが権力との激突になることを恐れた。たとえば、激戦地である国鉄労組(SNCF)では、CGT系の指導部が、何とかゼネストになることを避けようと、闘争日をずらしたり、地域、部門毎に分断してスケジュールを決めるなどして、国鉄労働者の怒りの階級的爆発と発展をおしとどめようとしてきた。そのため、組合員の離反をまねき、他の少数労組(たとえばSud=“連帯労組”など)が、CGTにかわってフランス国鉄労働者のなかで勢力を伸張した。
 サルコジは、こうした体制内労働運動指導部の危機をみすかして、その勢力を回復させるために、労組法の改悪を行って、組合の代表権(一定の職場・経営を代表して企業=経営側と交渉する権利)を、大組合に有利、小組合に不利になるように改変した。こうして、CGT、CFDTなどの救済にてこ入れしたサルコジは、政労使交渉の場に体制内労組をひきこんで、労働法の抜本的改悪という戦後労働法体系を転覆する反革命的突破を強行した。

 体制内派の屈服的政策

 しかし、こうしたサルコジとCGT、CFDT幹部との協力体制の下でも、世界大恐慌激化情勢のなかでは、労働者の怒りをとどめることはできない。今年1月、3月の“ゼネスト”がそれを示している。歴史的な労働者階級の怒りの爆発を自分たちのコントロールのもとで、政労使交渉の枠の中におさえこむこと、そして権力と資本に自分たちの動員力と統制力を見せ付けて、高く売り込むこと、さらに労働者の階級的力の爆発を、決してブルジョア政治権力を揺るがすものとしては発展させないこと、これがこの二つの“ゼネスト”の政治的目的であった。メーデー後の「スケジュール」論議で、5月29日が、「政労使交渉を要求する」次の統一的行動日と決まったが、その方針は何と「多様な形態の、各地での分散的な行動の日」というゼネストをどう避けるか、というとんでもないものだ。
 CGT、CFDTのような大組合ではない少数組合は、現場の闘いの高揚と、サルコジ政権の労働政策との板ばさみで、体制内多数派の「統一行動」に参加しないと、政労使交渉に参加できないという恐怖から、従来の枠をこえた「8労組共闘=統一行動」への参加に踏み切ったのだ。

 闘う労働者に敵対する第4インター

 体制内派への転向
 世界大恐慌の激化のただなかで、サルコジ政権に屈服する体制内労働運動からの決裂、労働運動の流動・分岐を革命的にかちとることが、緊急の課題となっているまさにその時に、フランスの既成左翼・体制内左翼に反対する勢力だったはずの第4インター・LCR(フランス革命的共産主義者同盟)が、本年2月、党を解散した。
 その上で「反資本主義新党」という名称の組織に改組し、エコロジストなどの市民団体を取り込んだ組織に変身し、フランス共産党や「左翼党」(社会党から分離)などとの統一行動に合流するという、体制内勢力への屈服・一体化へむけて一大転向を行った。事態は、まさに世界大恐慌の激化過程で、次のように進行した【『速報 国際労働運動』09年3月第22号、参照】。

 「左翼戦線」の結成

 08年11月 「左翼党」(PG)(注)という新党が、社会党から分離して結成された。その指導者は、社会党員でジョスパン内閣の大臣をつとめてきたメランションという人物で、狙いは今年7月のヨーロッパ議会選挙へむけての「左翼戦線」を結成することである。
【注 「左翼党」(PG)は、ドイツの同名の党をならって結成された。ドイツの「左翼党」とは、社民党の左派と、旧東ドイツの共産党(スターリン主義党)の後身=民主社会党が合併して、緑の党(社民党との連立内閣に参加し、国防軍のユーゴ空爆強行の推進役となった)に対する左からの批判勢力として登場したが、現実には首都ベルリン市議会で社民党と共に多数派を形成、労働者に対するリストラ・民営化攻撃などの先兵となっている】
 09年1月、フランス共産党大会が、この「左翼党」のアピールを受けて、EU議会選挙へむけての「左翼戦線」結成をめぐる討論を行った。大会には「左翼党」以外に、なんと、フランスの代表的トロツキスト二派(LCR〔フランス革命的共産主義者同盟〕とLO〔=労働者の闘い派〕、が招待された。
 さらに「左翼党」は、解党と新党結成を準備していたLCRに対して、このような共産党を含めた「左翼戦線」への参加をよびかけた。
 09年2月5日、こうした流れをうけて、LCR(フランス革命的共産主義者同盟)が解散大会、翌6日、同じ会場でNPA(反資本主義新党)を結成。大会には、「左翼党」が傍聴するほか、共産党が「左翼戦線」への参加を呼びかける同党の機関紙を参加者全員に配った。

 革命を放棄するNPA

 NPAの綱領的文書には、「革命」「労働者・労働者階級」「マルクス主義」「共産主義」などの言葉がまったくない。代わりに書かれているのは、〈利潤追求からの脱出〉とか〈私たちの期待にまったくこたえないこの社会と根本的な決裂をする〉〈体制内左翼を葬り去ることではなく〉〈現状に不満なすべての左翼を結集させること〉などであった。この文書はこうしたあいまいな表現をとりながら、政治的路線としては「新たな左翼連立戦線をつくることだ」とはっきりと述べ、当面7月のEU議会選挙での共闘、さらには社会党・共産党との連立内閣形成への協力を誓っているのだ。革命情勢の到来のなかで、社共と組んだ「左翼戦線の形成」、これはまさに1930年代の「人民戦線」戦術そのものだ。
 スターリンは、ファシズムに対して、プロレタリア革命を対置するのではなく、民主主義の擁護=ブルジョアジーとの統一戦線に参加することを労働者階級に強制した。トロツキーが命をかけて反対したスターリン主義の裏切り的政策を、元トロツキストであるNPAの指導部が、労働者人民に強制しようとしているのだ。
 こうして発足したNPA(反資本主義新党)は、1月、3月の8労組統一行動で、体制内派の「政労使交渉路線」への批判のひとかけらもない賛同声明を発表し、彼らと並んで行進し、「統一、統一」と叫んで、戦闘的労働者の怒りの爆発をおさえる先兵になり下がったのだ。

 労働者人民の離反

 こうした転向に対する批判は、最近の政党支持率調査に表れている。それによれば、社会党(25%)以外の左翼諸派への支持率は、NPA(反資本主義新党)は7%、「左翼戦線」(左翼党+共産党)が3%、LO(“労働者の闘い”派)が2%で、この三者の合計は12%で、2月中旬の調査時の合計18%(それぞれ9%、6%、3%)より後退している。世界大恐慌の激烈な進行と労働者人民の激しい怒りの爆発のなかで、NPAの裏切り的願望は、早くも破産をつきつけられている。
命脈のつきた資本主義=帝国主義の絶望的な攻撃に対して、職場での団結を基礎にした絶対反対の闘いを、体制内労働運動のあらゆる制動を粉砕して貫徹すること、階級的労働運動を復権することが、全世界の労働者階級の共通の課題となっている。キャタピラー・コンティネンタルの労働者の非妥協的な職場闘争は、これを示している。  命脈のつきた資本主義=帝国主義の絶望的な攻撃に対して、職場での団結を基礎にした絶対反対の闘いを、体制内労働運動のあらゆる制動を粉砕して貫徹すること、階級的労働運動を復権することが、全世界の労働者階級の共通の課題となっている。キャタピラー・コンティネンタルの労働者の非妥協的な職場闘争は、これを示している。

■年表 フランスの階級闘争 (1995〜2009年)

1995年 大ゼネスト
1997年〜2002年 シラク=ジョ スパン政権=“保革共存”
2002年 大統領選、社会党敗北、 LO、LCRなど“急進左翼” 派は総計で10%の得票
2003年3、4月 大デモ
2005年5月 国民投票でEU憲 法の批准を拒否
2005年11月 パリなど都市郊 外での移民労働者を中心とする 青年たちの暴動闘争
2006年 CPE(初期雇用契約) に対する労働者と青年の闘争
2007年5月 大統領選でサルコ ジ当選
2007年10〜11月 サルコジの 「改革政策」反対のスト、デモ、 学生はキャンパス占拠
2008年5月 交通・教育労働者 など人員削減などに反対しスト
2009年1月29日  “ゼネスト” に250万人の労働者が決起 2009年1月29日  “ゼネスト” に250万人の労働者が決起
2009年3月19日 再度“ゼネ スト”、300万人
3〜5月「教育改革」反対の大学 占拠・デモが全国へ拡大
5月1日 メーデーに120万人
2009年前半 コンティネンタル、 キャタピラーその他、民間労働者の工場占拠闘争激発

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月刊『国際労働運動』(395号6-1)(2009/07/01)

翻訳資料

 ■翻訳資料

 オバマ大統領のプラハ演説

(2009年4月5日)丹沢 望 訳

【解説】
 09年4月5日、オバマがプラハで「核廃絶宣言」をしたという大宣伝がされている。
 だが、オバマ演説は、どう読んでも、「核兵器を半永久的に持ちつづける」「核の性能を上げる」「『核抑止力』の名の下に核を行使する」としか読めない。
 オバマ演説の特徴は第一に、「私は米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する」と言った直後に、「私が生きている間には達成されないでしょう」として、核兵器廃絶を永遠の彼岸に追いやっていることだ。オバマは47歳だ。「私が生きている間」ということは、実際上、廃絶しないということだ。
 しかも、廃絶どころか「削減」さえも実行すると言ってない。「努力」するだけだ。
 第二に、オバマは核兵器を保持、備蓄し、実際にそれを使うことを明らかにした。「抑止を行い、安全な(=完全に防衛された)、確実な(=確実にターゲットを破壊する)、効果的な(=破壊効果が高い)核兵器の備蓄を維持する」と宣言したのだ。核戦力を高度化し、核独占を強化し、核兵器を行使するということだ。
 具体的には、北朝鮮とイランを名指しで槍玉にあげている。オバマは北朝鮮が「長距離ミサイル用に使うことが可能なロケットの発射実験を行った」に過ぎないこと、イランが「まだこれから核兵器を製造するところ」であることを認めながら、それにもかかわらず、両国に対する核攻撃を含む攻撃を示唆している。核廃絶どころか、核の使用をちらつかせ、北朝鮮とイランを恫喝しているのである。
 第三の特徴は、核の米帝による独占を宣言したことだ。核拡散阻止と、核兵器削減、「テロリスト」による核保有と使用の阻止を掲げて、核兵器を米帝のみが独占しようとしているのだ。
 オバマは世界大恐慌情勢のもとで米帝が生き残るために、核を独占し、帝国主義諸国との争闘戦に勝利しようとしているのだ。それは日帝の核保有を阻止し、ロシア、フランス、イギリス、中国などの核を徹底的に削減する意図を持ったものでもある。
 チェコなどの東欧諸国へのミサイル防衛(MD)の配備などは、そうした戦略的目的に貫かれたものである。
 また原子力の平和的利用の権利の擁護という主張も、米帝の原発企業が、世界の原発建設を独占することで経済危機突破の一つの契機にしようとする意図に貫かれているものでしかない。
 第四の特徴は、「テロリストによる核兵器入手阻止」を口実として、イランや北朝鮮、アフガニスタン、パキスタンなどへの侵略戦争に突進し、諸帝国主義をこの侵略戦争に動員しようとしていることだ。さらには、「テロリスト」やイランなどの核保有の危険性を口実として、東欧などにMDを配備し、ロシア、西欧諸国との争闘戦に勝利しようとしているのだ。
 世界大恐慌にのたうちまわり、世界戦争・世界核戦争に突入する帝国主義を、われわれは今こそ打倒し、世界革命をかちとらねばならない。
 まさにこの時、日本共産党は「核兵器廃絶へ歴史的チャンスを生かそう」と大宣伝している。志位委員長は、オバマ演説に「大きな感銘」「歴史的な意義を持つものであり、心から歓迎する」と絶賛する手紙をオバマに送った。
 他の体制内勢力もこぞってオバマを賛美し、広島・長崎に招待する運動が繰り広げられている。連合・原水禁・核禁会議の「核兵器廃絶1000万人署名」なるものは、米帝の巨大な核戦力や劣化ウラン弾の使用には一言も触れず、オバマ演説を賛美し、北朝鮮などへの核拡散の恐れのみをあおる排外主義運動だ。
 だが、この体制内勢力のオバマ演説賛美の大合唱は、彼らのすさまじい危機の現われだ。大恐慌の中で資本・国家権力に屈服する彼らは、もはや、労働者を抑えられなくなっている。戦後日本の労働者階級の反戦意識・階級意識の根強い基盤となっている反核運動を根こそぎ破壊しなければ安心できない。
 また、「大統領・支配階級こそ救済者だ。労働者などに何もできるはずがない」という労働者蔑視のイデオロギーで労働者の自己解放闘争を抑えねば安心できない。だから、彼らはオバマ演説の歪曲程度ではおさまらず、偽造にまで走ったのだ。
 彼らはオバマ演説の全文を機関紙などに決して掲載しない。なぜならば、たとえそれが米大使館などの翻訳で、意図的誤訳や歪曲などがあるものであっても、機関紙などに掲載され労働者人民が読めばたちどころにその本質を理解し、オバマやその演説を絶賛する日共や体制内派指導部に対する怒りを爆発させてしまうからだ。
 本誌掲載の翻訳資料は、オバマ演説を徹底的に正確に訳したものである。体制内派の偽造を暴露し、彼らを打倒するための絶好の武器だ。
 「オバマ核廃絶宣言」をねつ造し、反核運動・労働者自己解放を破壊する日本共産党、連合などの体制内勢力を徹底的に粉砕しよう。
【この翻訳の原文は、ホワイトハウスの報道向け発表である。なお、翻訳の正確性に興味ある読者には、当翻訳と在日米大使館の日本語訳と比較検討することを勧める。当翻訳がいかに正確でかつ分かりやすいかが分かる。大使館訳は、以下のサイトで読める】
http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20090405-77.html
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オバマ大統領のプラハ演説 (09年4月5日)
 暖かい歓迎をありがとうございます。【以下、冒頭の儀礼的あいさつの4段落のみ省略】
 私が生まれたころ、世界は分裂しており、世界の国々は今とは大きく異なる状況に直面していました。当時、私のような人間がいつの日か米国大統領になると予想する人は、ほとんどいませんでした。米国大統領がいつの日かこのようにプラハの聴衆を前に話をすることができるようになると予想する人は、ほとんどいませんでした。そして、チェコ共和国が自由な国となり、NATO〔北大西洋条約機構〕の一員となり、統一されたヨーロッパの指導的国家になると予想する人はほとんどいませんでした。そのような考えは、夢のような話として片付けられたでしょう。
 私たちが今日ここにいるのは、世界は変わることができないという声に取り合わない人が大勢いたおかげです。
 私たちが今日ここにいるのは、壁のどちら側に住んでいようとも、またどのような外見であろうとも、自由はすべての人間の権利だと主張してたちあがり、そのために危険を冒した人々の勇気のおかげです。
 私たちが今日ここにいるのは、プラハの春のおかげです。信念に基づき、ひたすら自由と機会を追求する行動が、戦車と武器の力で国民の意思を弾圧しようとする人々を恥じ入らせてくれたおかげです。
 私たちが今日ここにいるのは、今から20年前に、新しい時代への移行を約束せよと求め、あまりに長い間奪われてきた基本的人権を求めて、街頭デモを行ったプラハ市民のおかげです。Sametova Revoluceすなわち「ビロード革命」は私たちに多くのことを教えてくれました。平和的な抗議が帝国の基礎を揺るがし、イデオロギーの空虚さを明るみに出すことができること、小国が世界的事件において基軸的な役割を果たせること、若者が先頭に立って旧来の対立を克服することができることを教えてくれたのです。そして精神的なリーダーシップはいかなる武器よりも強力であるということが証明されたのです。  私たちが今日ここにいるのは、今から20年前に、新しい時代への移行を約束せよと求め、あまりに長い間奪われてきた基本的人権を求めて、街頭デモを行ったプラハ市民のおかげです。Sametova Revoluceすなわち「ビロード革命」は私たちに多くのことを教えてくれました。平和的な抗議が帝国の基礎を揺るがし、イデオロギーの空虚さを明るみに出すことができること、小国が世界的事件において基軸的な役割を果たせること、若者が先頭に立って旧来の対立を克服することができることを教えてくれたのです。そして精神的なリーダーシップはいかなる武器よりも強力であるということが証明されたのです。
 平和で統一された自由なヨーロッパの中心で、今、私が皆さんにお話しすることができるのはそのためです。指導者たちが信じなかったときでさえも、普通の人々が、分裂を克服できると信じたからです。壁を取り壊すことができると信じ、平和が勝利できると信じたからです。
 私たちが今日ここにいるのは、あらゆる困難にもかかわらず、アメリカ人とチェコ人が、この日が必ず来ると信じたからです。
 私たちは、こうした歴史を共有しています。しかし今、この世代、私たちの世代が、現状に満足して踏みとどまっていることはできません。私たちも選択を迫られています。世界が統合に向かうにつれ、相互のつながりが増しています。そして、世界的な経済危機、気候変動、旧来の対立という根強い脅威、新たな脅威と破局的な兵器の拡散といった事態がわれわれの制御能力を超えて急速に進行してきました。
 いずれの課題も、すぐに、あるいは容易に解決できるものではありません。いずれも、私たちが相互の意見に耳を傾けて協力しあうこと、時に生じる意見の相違ではなく、共通の利害に重点を置くこと、そして私たちを分裂させ得るいかなる力よりも強い、共通の価値観を再確認することが必要な課題ばかりです。これこそ、私たちが取り組み続けていかなければならないものです。私がヨーロッパへ来たのは、その取り組みを始めるためです。
 私たちが再び繁栄を謳歌するためには、国境を越えて協調した行動を取ることが必要です。そうした行動とは、新たな雇用をつくり出すために投資することであり、成長を阻む保護主義の壁に抵抗することです。また、金融システムを、乱用や今後の危機を防ぐための新たな規則を備えたものに改革することです。
 そして私たちは、人類全体の繁栄と人間性を守るために、金融危機にはほとんど責任がなかったにもかかわらず、そのために最も影響を受け、苦しんでいる新興市場諸国や貧しい人々に手を差し伸べる義務があります。それ故、私たちは、誰もが何らかの援助を受けることができるように、今週初め、国際通貨基金に1兆jを超える資金を拠出する決定を下しました。
 地球を守るために、私たちのエネルギー消費の仕方を変えるのは今です。私たちは共に気候変動に対処するため、化石燃料への世界的な依存に終止符を打ち、風力や太陽光などの新たなエネルギー源を利用し、すべての国が責任を果たすことを要求しなければなりません。皆さんに誓って申し上げますが、米国は、この世界的な取り組みの先頭に立つ準備ができています。
 私たちは、共通の安全保障を提供するために、同盟を強化しなければなりません。NATOが設立されたのは今から60年前、共産主義がチェコスロバキアを支配した後でした。この時、自由主義世界は、遅ればせながら、自由主義世界の分裂を容認したままにしておく余裕などないことを学んだのです。そこで私たちは団結して、史上最強の同盟を構築しました。そしてその後何年間も、何十年間も協力を続け、ついに鉄のカーテンが開かれ、自由が流れる水のように広がっていきました。
 今年、チェコ共和国はNATO加盟10周年を迎えます。20世紀には、チェコ共和国が参加することなく重要な決定が下されたことが何度もありました。諸大国が皆さんを失望させたり、あるいは皆さんの意見を聞かずに皆さんの運命を決めることもありました。私はここで約束します。米国は決してチェコ国民に背を向けることはない、と。私たちは、共通の価値観、共通の歴史によって、そして永続的な同盟の約束によって結ばれています。北大西洋条約第5条には、一加盟国に対する武力攻撃は全加盟国に対する攻撃だ、と明記されています。これは、今の時代にも、いつの時代にも適用される約束です。
 米国が攻撃されたとき、チェコ共和国の国民はこの約束を守りました。何千もの人々が米国の国土で殺害されたとき、NATOはそれに対処するため行動しました。アフガニスタンにおけるNATOの任務活動は、大西洋の両側の人々の安全にとって不可欠なものです。私たちは、ニューヨークやロンドンなど各地を攻撃した、まさにそのアルカイダ・テロリストを標的としています。そして、アフガニスタン国民が自らの将来に責任を負えるよう支援しています。私たちは、自由主義諸国が、共通の安全保障のために一致協力できるのだということを実際の行動で示しています。そして私は、米国民が、この事業に際してチェコ国民が払った犠牲に敬意を表し、亡くなった方々を追悼していることをお伝えしたいと思います。
 どの同盟も、手をこまねいている場合ではありません。私たちは、新しい脅威がどこからやってくるものであろうとも、それに対処するための非常事態計画を準備しておくために、NATO加盟国として協力し合わなければなりません。国境など無視してやって来る危険に対処するために、NATO加盟国相互の、そしてまた世界各地の国家や機関との協力関係を強化しなければなりません。そして、共通の懸念事項に関して、ロシアと建設的な関係を構築するよう努力しなければなりません。
 さて、今日私が重点を置いてお話しする課題のひとつは、米・チェコ両国の安全保障にとって、また世界の平和にとって根本的な問題、すなわち21世紀における核兵器の今後のあり方、という問題です。
 何千発もの核兵器の存在は、冷戦が残した最も危険な遺産です。米国とソ連の間に核戦争が起きることはありませんでしたが、何世代にもわたり人々は、この世界が一瞬の閃光の下に消失してしまうこともあり得ると承知の上で生活していました。プラハのように何世紀にもわたって存在し、人類の美しさと才能を体現した都市が消え去ってしまう可能性がありました。
 今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。歴史の不思議な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、核攻撃の危険性は高まっています。核兵器を保有する国家が増えています。核実験が続けられています。闇市場での核の機密と核物質の取引は非常に頻繁に行われています。核爆弾の製造技術が拡散しています。テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、全世界的な不拡散体制を軸としていますが、規則を破る人々や国家が増えるに従い、この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。
 これは、今や世界中のあらゆる人々にとって重要な問題となっているのです。ひとつの都市で1発の核兵器が爆発すれば、それがニューヨークであろうとモスクワであろうと、イスラマバードあるいはムンバイであろうと、東京、テルアビブ、パリ、プラハのどの都市であろうと、何十万もの人々が殺される可能性があります。そして、それがどこで発生しようとも、世界の安全、安全保障、社会、経済、そして私たちの生存それ自体に与える影響には際限がありません。
 こうした兵器の拡散を止めることもチェックすることもできない、私たちは究極の破壊手段を保有する国家や人々がますます増加する世界に生きる運命にある、と主張する人もいます。このような運命論は、極めて危険な敵です。なぜなら、核兵器の拡散が不可避であると考えることは、ある意味で、われわれ自身が核兵器は不可避的に使用されると認めることになるからです。
 私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて共に戦いに立ち上がらなければなりません。そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国にはそのように行動する道義的責任があります。米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、その先頭に立つことはできます。その活動を始めることはできます。
 従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するよう尽力することを、信念を持って明言いたします。私は単純な愚か者ではありません。この目標は、すぐに達成されるものではありません。おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。この目標を達成するには、忍耐と粘り強さが必要です。しかし今、私たちは、世界は変わることができないという声など無視しなければなりません。「イエス・ウィ・キャン(そうだ、われわれにはできる)」と主張しなければならないのです。
 では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。まず、米国は、核兵器のない世界に向かって進む、具体的な措置を取ります。冷戦時代の考え方に終止符を打つために、米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、他国にも同様の措置を取ることを求めます。しかし勘違いしないでいただきたい。核兵器が存在する限り、わが国は、いかなる敵であろうとこれに対する抑止
を行い、チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保障するために、安全、確実で効果的な核兵器備蓄を維持するのです。しかし、その上で私たちは、核備蓄量を削減する努力を始めます。
 米国は今年、核弾頭と核備蓄量を削減するために、ロシアと新たな戦略兵器削減条約の交渉を行います。メドベージェフ大統領と私は、ロンドンでこの作業を開始しました。そして今年末までには、法的拘束力を持ち、かなり大胆な新しい協定を目指す予定です。これは、核兵器のさらなる削減に向けた準備段階となるものであり、この試みにすべての核兵器保有国を参加させることを目指します。
 全世界的な核実験の禁止を実現するために、私の政権は、米国による包括的核実験禁止条約の批准を直ちに、積極果敢に推し進めます。この問題については50年以上にわたって交渉が続けられていますが、今こそ、核実験を最終的に禁止する時です。
 そして、核爆弾の製造に必要な物質の供給を断つために、米国は、国家による核兵器製造に使用することを目的とする核分裂性物質の生産を、検証可能な形で禁止する新たな条約の締結を目指します。核兵器の拡散阻止に本気で取り組むのであれば、兵器用高純度核物質の製造を停止すべきです。これが初めの一歩です。
 第2に、私たちは共に協力しあうための基盤として、核不拡散条約を強化します。
 条約の基本的な合意内容は理にかなったものです。核保有国は核軍縮へ向かって進み、核兵器を保有しない国は今後も核兵器を入手せず、すべての国が原子力エネルギーを平和的に利用できるようにする、という内容です。核不拡散条約を強化するために、私たちはいくつかの原則を受け入れなければなりません。国際的な査察を強化するための人的・物的資源と権限の増強が必要です。規則違反が発覚した国や、理由なしに条約を脱退しようとする国が、即座に現実の報いを受けるような制度が必要です。
 そして、私たちは、各国が、拡散のリスクを高めることなく、平和的に原子力エネルギーを利用できるようにするために、国際核燃料バンクなど、原子力の民生利用での協力に関する新たな枠組みを構築すべきです。これは、核兵器を放棄するすべての国、特に原子力の平和利用計画に着手しつつある開発途上国の権利でなければなりません。規則に従って行動する国家の権利を否定することを前提とする手法は、決して成功することはありません。私たちは、気候変動とたたかい、すべての人々が平和に暮らせる機会を拡大するために、原子力エネルギーを利用しなければなりません。
 しかし、私たちは前進するに当たり、何の幻想も抱いてはいません。規則を破る国も出てくるでしょう。いかなる国であろうとも規則を破れば、必ずその報いを受けるような制度を整備する必要があるのは、そのためです。
 今朝、私たちは、こうした脅威に対処するための新しい、より厳格な手段が必要であることを、改めて実感させられました。北朝鮮が再び規則を破り、長距離ミサイル用にも使うことが可能なロケットの発射実験を行ったのです。この挑発行為は、行動を取ることの必要性を浮き彫りにしています。それは、本日午後の国連安全保障理事会での行動だけでなく、核兵器の拡散を阻止するという決意の下に取る行動です。
 規則は、拘束力を持たなければなりません。違反は、罰せられなければなりません。言葉は、実際に意味を持たなければなりません。世界は結束して、核兵器の拡散を防ぐために立ち上がらなければなりません。今こそ、国際社会が断固とした対応を取る時です。北朝鮮は、脅迫と違法な兵器によって安全保障と尊敬をかちとる道を切り開くことは決してできない、ということを理解しなければなりません。すべての国家が、より強力な国際体制を築くために協力しなければなりません。私たちが協力して北朝鮮に圧力をかけ、方針を変更するよう迫らなければならないのはそのためです。
 イランは、まだこれから核兵器を製造するところです。私の政権は、イラン・米国間の相互の利益の尊重と相互の尊敬の立場に立って、イランとの関与を求めていきます。私たちは対話を信じています。しかし、対話の中で明確な選択肢を提示していきます。私たちは、イランが政治的にも経済的にも、国際社会の中で正当な位置を占めることを望んでいます。私たちは、厳しい査察の下で原子力エネルギーを平和的に利用するイランの権利を支持します。これこそ、イラン・イスラム共和国が取ることができる道です。しかし、他方で、イラン政府は、さらなる孤立と、国際的な圧力や、すべての国々にとって安全保障上の危険を高めることになる、中東地域における核軍拡競争の道を選ぶこともできます。
 はっきり言いましょう。イランの核開発・弾道ミサイル開発活動は、米国だけでなく、イランの近隣諸国および米国の同盟国にも真の脅威を及ぼします。チェコ共和国とポーランドは勇敢にも、こうしたミサイルに対する防衛システムの配備に同意してくれました。イランからの脅威が続く限り、私たちは、費用対効果の高い、実績のあるミサイル防衛システムの導入を続けていきます。イランの脅威がなくなれば、私たちの安全保障の基盤が強化され、ヨーロッパにミサイル防衛システムを配備する動機がなくなります。
 最後の点は、私たちは、テロリストが決して核兵器を入手することがないようにしなければならないということです。これは、世界の安全保障に対する、最も差し迫った、かつ最大の脅威です。1人のテロリストが核兵器を持てば、巨大な破壊力を解き放つことができます。アルカイダは、核爆弾の入手を目指す、そしてためらうことなくそれを使う、と言っています。そして、管理が不十分な核物質が世界各地に存在することが分かっています。国民を守るためには、直ちに、目的意識を持って行動しなければなりません。
 本日、私は、奪われたりする危険性の高い世界中の核物質を4年以内に確実に管理することを目的とした、新たな国際活動を発表します。私たちは、新しい基準を設定し、ロシアとの協力を拡大し、こうした重大な核物質を厳重に保管するための新たな連携活動の構築に努めます。
 また私たちは、闇市場を解体し、核物質の輸送を発見してこれを阻止し、金融手段を使ってこの危険な取引を停止させる活動を拡充しなければなりません。この脅威は長期的なものとなるため、私たちは、「核拡散に対する安全保障構想」や「核テロリズムに対抗するためのグローバル・イニシアチブ」などの活動を、持続的な国際制度に転換するために協力すべきです。そして、今後1年以内に、米国の主催による「核安全保障に関する国際サミット」を開催することから始めていかなければなりません。
 私たちが、このように広範な課題について行動を起こせるのだろうかと疑問を持つ人もいると思います。国家間には避けられない立場の相違があるため、真の国際協力が可能であるかどうか疑問を持つ人もいます。そして、核兵器のない世界の話を聞き、実現不可能と思える目標を設定することに価値があるのかという疑問を持つ人もいます。
 しかし間違ってはいけません。そうした考え方の行き着く先は分かっています。諸国家や諸国民が、それぞれの相違点によって自分たちを特徴づけることを良しとすれば、相互の溝は深まります。私たちが平和の追求を怠れば、永久に平和をつかむことができません。希望ではなく恐怖を選んだときにどうなるかは分かっています。協力を求める声を非難したり無視したりすることは安直ですが、卑怯なことでもあります。戦争はそのようにして始まります。人間の進歩はそこで終わってしまうのです。
 この世界には、私たちが立ち向かわなければならない暴力と不正があります。私たちは、分裂するのではなく、自由な国家、自由な国民として結束することによってそれに立ち向かわなければならないのです。武器を捨てることを呼びかけるより、武器を取ることを呼びかける方が、人々の感情をかき立てるものです。だからこそ、私たちは団結して平和と進歩を求める声を上げなければなりません。
 それは今もプラハの街にこだまする声です。それは1968年の精神です。ビロード革命のときに聞こえた歓喜に満ちた声です。一発の銃弾も発射することなく、核武装した帝国の打倒に貢献したチェコの人々の声です。
 人間の運命は、私たちが自ら切り開くものです。ここプラハで、より良い未来をつかみ取ろうとすることによって、私たちの過去の歴史に敬意を示そうではありませんか。私たちの間にある溝に橋を架け、私たちの希望を礎として、この世界をこれまでよりさらに繁栄し、さらに平和なものにする責任を引き受けようではありませんか。共に手を携えれば、それを実現することができます。
 ありがとうございました。プラハよ、ありがとう。

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月刊『国際労働運動』(395号7-1)(2009/07/01)

 Photo News

 世界各地でメーデー

 

(写真1) (写真2)

 (写真3)

5月1日、アメリカでは、主要大都市で数十万人の労働者がメーデーデモに立ち上がった。ロサンゼルスのデモはそのうち最大のデモとなり、ラテン系移民労働者を中心として、6万人が移民労働者の適法化を要求してデモを行った(写真1)。4000人の教職員解雇攻撃阻止の闘いに決起しているロサンゼルス統一教組(UTLA)の教育労働者たちもこのデモに参加した。サンフランシスコでは、最大の隊列をもって参加したILWUのパレード・チームを先頭に2000人のメーデーデモが行われた(写真2)。このほか、シアトルで5000人、シカゴ、ポートランドでもそれぞれ2500人の労働者がデモに決起した。韓国・ソウルでは、民主労総を先頭に、3万人の労働者・学生・人民が警察と激突しながら、「ロウソク精神継承、民生・民主主義再生、イミョンバク政権審判・汎国民大会」が開催された(写真3)

(写真4) (写真5)

(写真6) (写真7)

  フランスでは、全国283カ所で120万人がメーデーデモに立ち上がった。首都パリでは、16万人の労働者が決起した(写真4)。ボルドーで5万人、マルセイユで3万5000人(写真5)、トゥールーズで3万人などが、メーデーデモをサルコジ政権に対する単なる圧力手段としてのみ利用しようとする既成指導部の屈服的姿勢を許さず、サルコジによる新自由主義政策強化に対する怒りを爆発させて決起した。ドイツでは、全国400カ所で集会・デモが行われ、あわせて50万人の労働者が参加した。西部・ルール地方の工業都市ドルトムントでは、ネオナチ数百人の襲撃を跳ね返してメーデーデモが貫徹された(写真6)。ベルリンでは、289人の大量逮捕攻撃を粉砕して、戦闘的左翼が若者を中心に1万5000人の集会・デモを行った(写真7)

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月刊『国際労働運動』(395号8-1)(2009/07/01)

世界経済の焦点

 ■世界経済の焦点

 自動車産業の歴史的な崩壊

 膨大な過剰生産力/大恐慌の最大実体

 現在の世界大恐慌は、自動車産業での過剰な生産設備、つまり過剰生産能力を最大実体として生じている。自動車産業は世界で年300兆円の市場規模を持ち、ガソリン・整備・保険など関連産業を含めると年600兆円と世界のGDPの1割を占める。その自動車が、帝国主義国だけでなく中国・タイ・インドなども含めた全世界的な過剰生産力状態に陥っている。自動車産業を基軸とし頂点として延命してきた現代帝国主義は、ついに終わりを迎えた。「ブルジョア的諸関係は、自分の生み出した富を手のなかに容れておくには狭くなりすぎた」(『共産党宣言』)ということだ。

 □31年は稼働率35%に

 アメリカの29年大恐慌も、自動車産業の過剰生産力を最大実体としていた。
 20年代アメリカでは電化、部品・製品の標準化・規格化によって、流れ作業による大量生産方式が登場したが、その典型が自動車だった。25年には、生産額、賃金支払額、付加価値額、原材料費のいずれでも自動車が米製造業内で第1位となった。自動車生産台数は21年の160万台から25年418万台、29年529万台と激増した。アメリカは先住民を虐殺・駆逐して移民によって築かれた社会だったため、家屋間が隔たっていて自家用馬車を必需品としていた。これが自動車産業を急拡大させる背景となった。
  しかし、29年大恐慌で設備過剰に一気に陥った。特にフォードが27〜28年に工場の75%をスクラップ化して、「ニカラグア運河建設に匹敵する」と言われるほどの大規模な設備更新を行ったため、設備過剰は激烈なものとなった。自動車生産台数は32年には143万台にまで激減。設備稼働率は29年の85%から31年の35%へと惨落した。また、自動車関連産業である鉄鋼、石油、ゴム、ガラスの4大部門でも過剰設備が露呈した。29年から32年の生産低下率をみると、輸送機械、鉄鋼、金属の3業種が70%を超えた。   しかし、29年大恐慌で設備過剰に一気に陥った。特にフォードが27〜28年に工場の75%をスクラップ化して、「ニカラグア運河建設に匹敵する」と言われるほどの大規模な設備更新を行ったため、設備過剰は激烈なものとなった。自動車生産台数は32年には143万台にまで激減。設備稼働率は29年の85%から31年の35%へと惨落した。また、自動車関連産業である鉄鋼、石油、ゴム、ガラスの4大部門でも過剰設備が露呈した。29年から32年の生産低下率をみると、輸送機械、鉄鋼、金属の3業種が70%を超えた。
 大恐慌が革命に転化されなかった結果、米自動車産業は生き延び、第2次大戦過程の兵器生産によってより肥大化して行った。

 □生産力水準変わらず

 第2次大戦後の帝国主義は、このアメリカ的生産力水準を各国に取り入れることで戦後発展をとげた。この生産力水準は、もともとの基幹産業である鉄鋼―機械産業に、自動車や電機などの耐久消費財産業や住宅建築産業・石油産業を上乗せし、さらにエレクトロニクス部門を組み合わせたものだった。戦後の最大の景気主導部門となったのは自動車・家電などの量産型耐久消費財産業だった。
 しかし74〜75年世界恐慌で、全世界的にこれが過剰生産力状態に陥った。さらに90年代以来のIT化にしても、新たな生産力水準を生み出すものではなかった。IT化は「情報の通信」が本質であり、生産力水準と生産力体系を変える性格のものではなかった。
 自動車産業が世界的な過剰資本状態に入ると同時に、帝国主義間の自動車をめぐる争闘戦が激化した。80年には自動車生産で日本が米を抜き世界1位となった。翌81年には日本の対米自動車輸出の自主規制措置がとられた。日本の自動車資本は、80年代半ば以来の円高に対応する必要もあって、特に90年代以降に米現地生産を拡大した(前nコラム)。トヨタとGMの合弁会社も作られ、米側はそこからカンバン方式やカイゼン活動など日本の生産システム・労資関係を取り入れることも行った。しかし、米ビッグ3は何よりも他国メーカーの買収・提携を最大の方策とし、「必要な技術はカネで買う」戦略をとった。一時は日本の自動車メーカー11社のうち7社が外資傘下となり、うち5社が米ビッグ3傘下に入った。

 □ビッグ3の経営破綻

 06年からの米住宅バブル崩壊は、住宅ローンを借り増して自動車購入などの消費に充てるあり方を崩壊させた。日本ではバブル崩壊後の20年間で自動車生産台数は250万台減少したが、アメリカではわずか1年で300万台も急減した。住宅バブル下で隠蔽されてきた米自動車産業の〈過剰資本・過剰生産力状態〉が、バブル崩壊で一挙にさらけ出されたのだ。すでにクライスラーは4月末に破産法を申請し、GMも破産か国有化が必至となっている。
 これは同時に、ビッグ3が米市場を始め世界市場で日本資本との競争に敗退した結果でもある。トヨタは07年に世界生産台数でGMを抜いて首位になった。ビッグ3の大型車への偏重、他企業買収の重視、系列金融機関の収益への依存などが、国際競争力を低下させた。〈帝国主義世界経済の分裂と基軸帝国主義の没落〉が、基幹産業である自動車でも劇的に進んだのだ。
 29年大恐慌の際には自動車が過剰生産力状態に陥ったとはいえ、ビッグ3の経営が破綻するまでにはなっていない。独占力があったため、売れなくても価格を維持して生き延びた。
 しかし今や、何十年にもわたって加重された過剰生産力と、帝国主義間争闘戦での敗退という両面から、ついに米帝の基幹産業である自動車が崩壊するまでに至った。米帝の没落の、帝国主義の歴史的終焉の画期をなす。

 □外需依存で致命的に

 日本の自動車資本はもっと破滅的な状況にある。日本の自動車の海外生産台数は05年度以来、国内生産を上回っている(表参照)。しかも、自動車輸出額は02年度から07年度まで過去最高を更新しつづけてきた。海外売上高比率は68・2%に上昇した(08年3月期)。つまり、国内以上に海外で生産したうえ、国内で作ったものの7割近くを輸出してきたのだ。これほどの外需依存は例がない。米バブル・中国バブルが崩壊した今、この自動車の海外生産と輸出が大破産しはじめた。特にトヨタは現地生産で米市場に深々と侵入した結果、致命的ダメージを受けつつある。
しかも、日本経済は自動車を頂点とした産業構造にある(左のコラム)。自動車が崩れると、「輸出立国」という日帝の資本蓄積構造自体も崩壊してしまうのだ。いや、これはまだ序の口だ。すでに自動車をめぐって各国の保護主義が始まりつつあるが、大恐慌の深まりにつれて保護主義が本格化するのは必至である。ドルが暴落していけば、米帝の凶暴化はあらゆる予測を超えるものとなる。その時に最も打撃をこうむるのは、ほかならぬ日本の自動車資本であり、日帝なのだ。
「最弱の環」である日帝を打倒する革命的情勢は、ますます煮詰まっていく。必ず大恐慌を革命に転化しよう。
(島崎光晴)

 ●日本車の米現地生産 アメリカ市場でも日米逆転

 

日本の自動車資本は、80年代半ば以降、米国での現地生産を拡大してきた。70年代以来、日本車の対米輸出が激増したのに対し、米帝が米現地生産を誘導する政策をとったからである。そこには、日本の自動車資本の展開力がアジアに向かうことを阻んで、米国内に封じ込めようとする狙いがあった。日本側としても、急激な円高による国際競争力の低下に対応して、米現地生産で米自動車市場を確保しようとした。
デトロイト周辺を避けて、UAW(全米自動車労組)の支配が及ばない南部に工場を立地した。日本車工場には労働組合がない。日本の電機メーカーは国内の労資関係・労務管理をそのまま国外に輸出しているが、自動車の場合は国内よりもさらに強搾取の労資関係を持ちこんだのだ。
90年代後半からトヨタとホンダは米現地生産を急拡大させた。トヨタのテキサス州アントニオ市の工場は、用地が東京ドームの170個分と自動車工場で世界最大級だ。ホンダのアラバマ州工場は、台東区の半分ほどの面積。約4400人の社員のほとんど全員が、工場の敷地に隣接した州立の「トレーニングセンター」の経験者で、そこにはホンダとまったく同じ生産機器が配備されている。また、日本勢の系列部品メーカーもこぞって米現地生産に進出してきた。
08年7月、米新車販売台数で日本車8社合計の販売台数がビッグ3を初めて超えた(図)。日本勢のシェアは43%に達した。世界最大市場である米自動車市場での日本逆転だ。

 ●素材・電機の「車載産業」化 全産業の崩壊に連鎖する

 もともと自動車は総合組み立て産業であるが、近年は素材・電機部門が「車載産業」化するまでになっている。
 新日鉄は技術者をトヨタに派遣し、新鋼材を共同開発している。日本国内の鋼材受注の22%が自動車向けだ(08年10月)。新日鉄は米国・中国・インドなどで自動車用鋼板の新工場を建設してきたが、いずれもトヨタの現地工場に供給するのが主目的。
 トヨタの「レクサス」の最上位モデルには100個もの制御用マイコンやモーターが積まれている。ソフトウエアの分量は約700
万行と、平均的な地銀の勘定系システムに相当する。車1台に地銀と同等のソフトが積まれているわけだ。また、トヨタは松下電器と共同で、ハイブリッド車に搭載する電池を大幅に増産している。半導体・マイコン、ソフト、電池などで自動車とエレクトロニクスという2大産業が一体化しつつある。
 工作機械も、国内受注の約2割が自動車向け。ただし、「金型」などが他産業に分類されていることを考慮すると、実態は工作機械の6〜7割が自動車向けとされる。
 海運も、帝国主義国として例外的に大手3社が生き残っているが、日本車の輸出が伸びつつけたことで競争力を維持できたからである。

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月刊『国際労働運動』(395号9-1)(2009/07/01)

世界の労働組合

 ■世界の労働組合

 全米教育協会(National Education Association:NEA)

 全米教育協会(National Education Association:NEA)

  ■概要

 NEAは、組合員320万人を有する全米最大の教員全国組織で、米国で最も長い歴史を誇る。
 いずれのナショナルセンターにも属していない独立組合だが、全米で最大の労働組合である。
 創設は1857年で、元々は労働組合ではなく、校長や地域の教育行政の責任者まで含めた教育専門職の組織として、教職の質向上と教員の利益増進、公教育の理念促進を目的に創設された。
 第2次大戦後、特に1960年代に地方組織ごとに次々に労働組合に転換していった。現在も、職能団体のままの地方組織も極少数だが残っている。
 現在はワシントンに本部を置き、現委員長はデニス・バン・ラーケルである。
 NEAは、全米に州支部が50あり、その下には1万4000を超すローカル組合がある。NEAの組合員は、就学前教育から高等教育機関に勤める教職員、退職教員、教員志望の学生と、幅広い層にわたる。

 ■巨大な組織

  アメリカには教育労働者の全国組織が2つある。組合員数140万人のAFT(アメリカ教員連盟)がもう1つの全国組織であるが、各地の教員組合は基本的にどちらかに属している。しかし、組合員数の規模からいっても、NEAはAFTを倍する巨大な組織である。550人の組合専従職員が本部や各地の支部で働いており、組合の年間予算は3億jをはるかに超える。   アメリカには教育労働者の全国組織が2つある。組合員数140万人のAFT(アメリカ教員連盟)がもう1つの全国組織であるが、各地の教員組合は基本的にどちらかに属している。しかし、組合員数の規模からいっても、NEAはAFTを倍する巨大な組織である。550人の組合専従職員が本部や各地の支部で働いており、組合の年間予算は3億jをはるかに超える。
 毎年7月に開かれるNEAの代議員会議(Representative Assembly:RA)には、9000人の代議員が各地から集まる。討議は、小委員会やさまざまなフラクションの会議も含めて、約1週間つづく。組合大会が2年〜4年ごとに行われる組合が多い中で、最高議決機関の会議に毎年、ランク・アンド・ファイルが集まるNEAには、まだ組合民主主義がそうとう生きているといえよう。  毎年7月に開かれるNEAの代議員会議(Representative Assembly:RA)には、9000人の代議員が各地から集まる。討議は、小委員会やさまざまなフラクションの会議も含めて、約1週間つづく。組合大会が2年〜4年ごとに行われる組合が多い中で、最高議決機関の会議に毎年、ランク・アンド・ファイルが集まるNEAには、まだ組合民主主義がそうとう生きているといえよう。
 1998年に、2つの全国教員組織NEAとAFTを併合させようという話が持ち上がったが、NEAのこの年の年次総会で否決された。

 ■「テロリスト組織」呼ばわり

 こうした議決機関があるので、NEAのランク・アンド・ファイルの労働者は、闘いの必要性を提言するという行動を起こすことができる。
 現在アメリカでは、大恐慌下の資本主義が生き残りをかけて教師に対する猛攻撃をかけ、公教育をつぶしにかかってきている。公立学校の民営化攻撃が激化し、大量解雇攻撃がかけれられている。オバマ政権は、生徒の学力テストの成績を給与に反映させる「成果給」導入を、連邦政府としては史上初めて本格的に推進している。かつて成果給に反対してきたAFT本部も、現在それに積極的に同調している。
 こうした状況下でもランク・アンド・ファイルが闘いを貫いているので、「落ちこぼれゼロ法」、「成果給」、「スクールバウチャー制」などに対して、NEAはまだなんとか反対の立場を維持している。
 ブッシュ政権下の2004年当時、「落ちこぼれゼロ法」の具体的な方針が明らかになった。それが標準学力テストの名の下に教育を破壊するとんでもないものだとわかって、州知事との会合で、組合員の教師たちが痛烈な批判をした。そのとき、ブッシュ政権の教育長官ロッド・ペイジが、NEAのことを「テロリスト組織」と呼んだのである。
(写真 NEA代議員大会に参加したランク・アンド・ファイル労働者【08年7月】)

 ■民主党との癒着

 ここ数十年来、NEAは民主党の大統領候補を支援してきた。ジミー・カーターに始まり、バラク・オバマに至るまで、大統領に推薦し、絶大な資金提供もしている。国会議員や州知事選の民主党立候補者も推薦し、バックアップしている。
 組合幹部たちは、政治家や資本家と結託し、特権を得て、結局は資本家たちの言いなりになっていく。
 バラク・オバマの教育提案も「落ちこぼれゼロ法」を推進し、学校の民営化を図り、成果給導入というブッシュ政権以上の超反動的な教育政策を強行している。大統領選でオバマを支持した教員たちも、今その本性を知って、ランク・アンド・ファイルの大闘争に起ち上がっている。

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月刊『国際労働運動』(395号A-1)(2009/07/01)

国際労働運動の暦

 ■国際労働運動の暦

 ■7・14第2インター結成■

 社会主義の国際組織

 マルクスらの国際労働者協会を継ぎ

 

「万国の労働者団結せよ」掲げたが
7月14日と言えば、フランス大革命が思い出される。圧制の象徴としてバスチーユの牢獄が襲撃され解体されたのが1789年の7月14日で、この日がフランス革命の記念日となっている。それからちょうど100年後の1889年7月14日は、第2インターナショナルが結成された日である。
労働者階級の国際的団結の思想、プロレタリア世界革命の立場、「万国のプロレタリア、団結せよ」のスローガンは言うまでもなく1848年のマルクス、エンゲルスによる「共産党宣言」で世界に発せられていたが、具体的に国際組織として登場するのは、1864年9月にロンドンでマルクスも参加して創立された国際労働者協会だった。後に第1インターナショナルと呼ばれる団体である。
創立宣言と暫定規約は、マルクスが起草した。その前文には「労働者階級の解放は労働者階級自身の手でかちとらねばならない」と記されていた。政治団体、労働組合だけでなく、個人参加も認められ、加盟人数は最高時2万人ほどと言われる。
1871年のパリ・コミューンに対して、マルクスは「あれこそプロレタリア独裁だ」と総括し、バクーニンらの政治闘争否定の思想と激しく闘い、72年の大会でバクーニン派を除名、76年に国際労働者協会は空中分解した。

●第2インター結成

パリ・コミューン後の反動によって停滞していた労働運動が、80年代後半から再び復活し、ヨーロッパ各国に労働者政党が誕生した。こうした中で新しいインターナショナルをつくる気運が盛り上がり、1889年7月14日、パリのペトレル通りでマルクス主義者たちが国際集会を催した。20カ国400人に上る代表者が出席した。労働者政党や労働組合の組織加盟が原則で個人加盟は行われなかった。当時は「8時間労働制」の制定が大きなスローガンだった。
1886年5月のシカゴのゼネストとそれに対する弾圧との闘いに連帯して、1890年5月1日を期してメーデーを労働者階級の国際的団結の日とすることを決めたのが、第2インター結成の直接的な成果だった (本誌5月号の本欄「メーデーの起源」参照)。 1886年5月のシカゴのゼネストとそれに対する弾圧との闘いに連帯して、1890年5月1日を期してメーデーを労働者階級の国際的団結の日とすることを決めたのが、第2インター結成の直接的な成果だった (本誌5月号の本欄「メーデーの起源」参照)。
19世紀末、第2インターの中心的政党だったドイツ社会民主党内で、ベルンシュタインら革命を否定する日和見主義が発生し、激しい理論闘争が展開された。
1900年9月のパリ大会では、大会名を正式に「国際社会主義大会」とすることを決定。常設書記局をブリュッセルに置いた。
1904年8月アムステルダム大会では、日露戦争で交戦中だった両国代表プレハーノフと片山潜が大会冒頭で握手を交わし、国際的結束をアピールした。
1907年シュトゥットガルト大会では、ロシア代表のレーニンとポーランド・ロシアの代表であるローザ・ルクセンブルクが作成した修正案を受け、戦争が勃発したら、労働者階級は「戦争によって引き起こされた危機を利用して、資本主義を打倒するために全力をつくして戦う義務がある」との決議が採決された。
(写真 1904年のアムステルダム大会。日本の片山潜とロシアのプレハーノフが握手)

●戦争協力に転落し崩壊

帝国主義戦争に対する態度が労働者党の試金石だった。平時には「戦争反対」を唱えていても、いざ現実に戦争が切迫すると、「祖国を擁護する権利と義務」を語り始める者が出てくる。
14年7月、第1次世界大戦が勃発すると、ロシアのボルシェビキなど一部を除き、自国帝国主義の戦争を支持する側に転落した。
ドイツ社会民主党は、8月4日のドイツ帝国議会で戦時予算の議決に賛成投票した。フランス、オーストリアの社会主義者も同じ行動をとった。1914年8月4日は、第2インターが社会排外主義に転落した日として歴史に刻まれた。
同年9月、レーニンは第2インターの崩壊を宣言した。ボルシェビキに率いられた17年ロシア革命の勝利の後、世界革命をめざして第3インターナショナル(コミンテルン)が結成されたのは19年3月だ。

第2インターナショナルの歩み

1889年7月 第1回パリ大会
90年5月からメーデーを国際労働運動のための休日とする  90年5月からメーデーを国際労働運動のための休日とする 
1891年8月 第2回ブリュッセル大会
1893年8月 第3回チューリヒ大会
1896年7月 第4回ロンドン大会
1900年9月 第5回パリ大会
1904年8月 第6回アムステルダム大会。日露戦争で交戦中の両国代表プレハーノフと片山潜が大会冒頭で握手を交わす
1907年8月 第7回シュトゥットガルト大会  1907年8月 第7回シュトゥットガルト大会 
1910年 第8回コペンハーゲン大会
1912年11月 バーゼル臨時大会
1913年    ベルン大会
1914年7月 ブリュッセルで事務局会議    第1次世界大戦開戦
8月 ドイツ社会民主党、戦時予算に賛成。これによって第2インターは崩壊する

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月刊『国際労働運動』(395号B-1)(2009/07/01)

日誌

■日誌 4月 2009

1日宮城 東北大学で法大処分撤回署名
東北大学では、1日の健康診断から100筆を超える法大処分撤回の署名が新入生から集まっている。大学当局の入学式ガイダンスを木っ端みじんに粉砕し、4・24大結集運動を前進させている
2−5日 秋田、岡山、広島で戦争阻止の街宣
2日、秋田交流センター準備会の仲間は、「北朝鮮のミサイル迎撃」のPAC3配備に反対して、秋田駅前で緊急街頭宣伝に決起した
3日、岡山の百万人署名運動の仲間は、北朝鮮の人工衛星打ち上げを口実にした排外主義の大キャンペーンに抗する緊急街頭宣伝を行った
5日、広島県労組交流センターは、広島市中心街で北朝鮮の「人工衛星ロケット」発射にPAC3などを配備し戦争衝動を募らせる麻生政権弾劾の宣伝戦に立った
3日東京 共謀罪阻止 国会前で情宣・集会
労働者に対する団結破壊法=共謀罪新設を阻止する国会前行動を闘った。国会議事堂の向かい側に陣取り、座り込み宣伝と昼集会を打ち抜いた
5日東京 東京労組交流センター総会
東京労組交流センターの総会が行われ、3・20イラク反戦6周年闘争を軸とする春の闘いの総括と、それを踏まえた4〜6月闘争から11月労働者集会1万人結集にむけた運動方針を討議した。中央政治闘争の最大の結集点として6・14全国集会を東京で開催することを確認した
5日東京 裁判制度反対、山手線一斉街宣
「裁判員制度はいらない!大運動」が山手線一斉街頭宣伝。夕方からは渋谷駅ハチ公前で4・21日比谷集会を呼びかけた。弁護士も多数参加しての訴えには大きな反響があり、青年労働者・学生らが次々と署名した
8日東京 「追加処分」抗議学内集会とデモ
法大教授会が倉岡雅美さん(人間環境学部3年)に対し百パーセント不当な「追加処分」を決定したことに対し抗議の学内集会とデモに決起した
12日東京 富山再審勝利へ熱気の集会
大井町駅前の「きゅりあん」で富山再審集会が開かれた。初参加者18人を含む68人で成功した
14日東京 昼集会と第1波法大包囲デモ
法大キャンパス中央で新入生がビラまきに決起。狼狽(ろうばい)した法大当局を大衆的な弾劾の中、一瞬で粉砕した
14日京都 京大で織田委員長の講演会
京大で全学連・織田委員長の講演会が行われた。織田委員長は、学生の生き方として真っ向から革命を提起し大成功をおさめた
16日広島 広島大学で織田委員長の講演会
広島大学では「大学の主人公は学生だ! 教育の民営化絶対粉砕!」の4・24大結集運動が闘われており、織田委員長講演会は大成功した
17日埼玉 ジェコー第2波スト
92人の期間従業員解雇に反対して闘っているJAM神奈川ジェコー労働組合は、昼から組合員による五月雨式ストに突入した。行田本社工場では、解雇の白紙撤回まで闘うことを確認し、本社工場内に突入、7時間半の職場占拠を闘いぬいた
17日大阪 西郡、絶対反対の団結拡大
大阪地裁第25民事部(稻葉重子裁判長)で行われた「差し押さえ弾劾裁判」で根底的な怒りがたたきつけられた。「差し押さえ弾劾裁判」は、差し押さえられた供託者が「負けてたまるか!」と八尾市を提訴した裁判
18日長崎 裁判員制度反対で李弁護士が講演
「裁判員制度反対4・18長崎集会」が実行委員会の主催で開催され約30人が集まり、李博盛(リパクスン)弁護士が裁判員制度を批判した
18日茨城 「茨城・星野さんを取り戻す会」結成水戸市で「茨城・星野さんを取り戻す会」の結成集会を行った。全国で20番目の結成だ
18、19日千葉 交流センター女性部大会開く
全国労組交流センター女性部第16回定期大会が、千葉市内で行われた。勝利感あふれる職場報告を軸に、体制内指導部を打倒して闘う労組をつくり、団結体としての女性部を大恐慌下でつくり出そうと熱心な討議が行われた。
19日京都 民族差別を撃つ関西研究交流集会
動労千葉と民主労総ソウル本部を迎え、京都大学法経4番教室で「第18回外登法・入管法と民族差別を撃つ関西研究交流集会」が開かれた。350人が結集し「打ち破ろう分断! 取り戻そう団結! 民族差別・排外主義と入管体制を打ち破り、全世界の労働者は団結しよう!」と宣言した
19、20日東京 コンドルタクシー分会春闘スト
2日間にわたり、練馬の東京コンドルタクシーで春闘ストライキが行われた。福祉労働者連帯ユニオンの分会員2人が、1日ずつ早朝よりストライキに突入した
21日北海道 MKの参入に怒りのタクシーデモ
札幌市で、MKグループの22日からの開業を前に、MKの参入を認めた国土交通省北海道運輸局に抗議するタクシー労働者のデモが闘われた
21日東京 裁判員制度阻止、1850人が集会デモ
裁判員制度の実施予定まで1カ月に迫った中で、弁護士や学者たちが呼びかける「裁判員制度はいらない!大運動」主催の「裁判員制度実施をみんなで阻止しよう! 4・21日比谷全国集会と銀座デモ」に全国から1850人が結集した。裁判員制度絶対反対の旗が高々と掲げられ、実施阻止へむけた1カ月決戦の号砲が発せられた
24日東京 法大解放へ1500人立つ
法政大生の歴史的決起が始まった! 市ケ谷キャンパスで行われた法大解放総決起集会に、6学生の逮捕を打ち破り、法大生、全国の学生、動労千法大当局はこの日も正門とキャンパス中央を封鎖。法大当局・国家権力は、「無届け集会」なる公安条例違反容疑をデッチあげ、正門前の集会さえ禁止し、300人の警察権力が学生らに襲いかかってきた。この中で文化連盟副委員長の恩田亮君、倉岡雅美さんら5学生が逮捕。内乱的状態となった正門前に、どんどん法大生が合流。新入生を始め学生・労働者は法大当局・警察権力を徹底弾劾し、実力で集会をうちぬいた
24日東京 都立高・卒業式被処分者が提訴
今年3月、都立高の卒業式で「日の丸・君が代」不起立・不伴奏を理由に戒告・減給・停職の不当処分を受けた教育労働者6人が東京都人事委員会に対し処分撤回を求めて不服審査請求を行った
25日兵庫 尼崎事故4周年集会に650人
動労千葉が呼びかけ、実行委員会が主催した「尼崎事故4周年弾劾!反合理化・運転保安確立!1047名解雇撤回!全国総決起集会」には、関西を始め全国から650人が結集した。闘いの先頭には動労千葉・動労総連合と国労5・27臨大闘争弾圧被告団・闘う国労闘争団員が立った
26日大阪 泉州住民の会総会が成功
泉佐野市内で60人が集まり、「関西新空港絶対反対泉州住民の会2009年度総会」が開かれた。今年の総会は25年余の粘り強い闘いを踏まえ「ついに関空闘争が勝利する時代が来た!」という基調が貫かれたものになった
27日東京 翼賛国会を弾劾国会前行動
「裁判員制度はいらない!大運動」は、国会前集会と記者会見を行った。国会前集会には弁護士先頭に各市民団体など40人が集まり、署名1万2000を国会に提出した
29日東京 メーデー/連合中央と東京地公労
マル青労同と全国労組交流センターは、代々木公園で行われた連合中央メーデーに登場、3万6000人の労働者に「資本主義は終わった。大恐慌を革命に転化しよう」と訴えた。東京労組交流センターは公務員関係労組が勢ぞろいする東京地公労メーデーに登場した
29日広島 連合の広島中央メーデーに登場
広島県労組交流センターは、広島・中央公園で開かれた連合の広島中央メーデーに登場した
30日東京 法大解放へ闘いは続く
4・24闘争1500人の大高揚に続き、60人が参加して正門前集会と抗議デモが闘われた。追いつめられ正門を封鎖して弾圧する法大当局。土手には公安警察。「これが大学か!」「不当処分撤回しろ。6人の仲間を返せ!」。キャンパスの内と外で闘いは続いた。その後、法大総長室と、恩田亮・文連副委員長が勾留されている麹町警察署に怒りのデモをかけた

(弾圧との闘い)

9日 広島大 岡山大 全学連弾圧うち破る
岡山の同志と広大の全学連メンバーらの住居に対して、百パーセントデッチあげの「監禁容疑」による不当な家宅捜索が行われた。これに対し、広大、岡大の全学連メンバーを先頭に怒りの反撃をたたきつけ、権力のデッチあげ弾圧を完膚無きまでに粉砕し尽くす画期的大勝利がかちとられた
14、15日東京 5・29法大デモ弾圧裁判
2日間、東京地裁刑事16部と15部において、5・29法大デモ弾圧裁判の公判が開かれ、4・24法大集会に向けたキャンパスの闘いと一体で、法廷を「革命の演壇」と化す闘いがかちとられた。それぞれ3回にわたる公判廷での被告人質問のしめくくりとして、第2グループの仲井祐二君(富山大学)と田中藤男君(東北大学)、そして第1グループの原田幸一郎君(京都大学)、中島敦史君(広島大学)、野地川泰介君(同)がそれぞれ証言に立った
15日富山 富山大、2名の不当逮捕を弾劾する
富山県警は、富山大の武藤淳範(ぶとう・あつのり)君と大枝幸司さんを「建造物侵入」容疑をデッチあげて令状逮捕し、富山大学の学生自治会室ほか2カ所の不当な家宅捜索を強行した
16、17日富山 勾留請求却下で2人を奪還
16日には武藤君を、17日には大枝さんを奪還した。大勝利だ! 令状逮捕したにもかかわらず勾留請求が却下されるとは、前代未聞だ。どちらに正義があるかは明らかだ
17日東京 7・24法大弾圧裁判
東京地裁刑事第21部(半田靖史裁判長)で、7・24法大弾圧裁判の最終弁論が行われた。森川文人弁護士、指宿昭一弁護士が弁論を行い、つづく被告人3人の弁論は、4・24法大集会に向けた大アジテーションになった。

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月刊『国際労働運動』(395号C-1)(2009/07/01)

編集後記

■編集後記

 5月15〜16日、警視庁は「暴力行為等処罰に関する法律」違反をでっち上げて、全学連織田委員長や法政大学文化連盟委員長・斎藤君ら11人を不当逮捕した。4・24法大集会の件で1人の計12人。絶対許せない!
 日帝は4・24法大集会が法大生1000人の決起に大爆発したことに革命の火柱を見たのだ。06年3・14大弾圧以来3年を超える法大闘争での逮捕者はのべ107人、起訴は24人になった。しかし弾圧しても闘いの中で団結が拡大し、完全黙秘・非転向の闘いが貫徹された。今回は「暴力行為等処罰法」という戦前の治安維持法と共に労働運動弾圧に使われた組織破壊法を学生運動に初適用してきた。
 世界は革命情勢である。その革命情勢が最も赤々と燃え上がっているのが法政大だ。全人民の怒りの総決起で弾圧を粉砕し革命をさらに前進させよう。

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