International Lavor Movement 2009/12/01(No.400 p48)

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2009/12/01発行 No.400

定価 315円(本体価格300円+税)

第400号の目次

表紙の写真 ピケをはる英富士通の労働者(10 月13日 マンチェスター)

表紙の画像
■羅針盤  民主党・連合政権を打倒しよう 記事を読む
■News&Review  韓国
1月ゼネストで李明博政権打倒へ   労働法改悪・公共部門民営化阻止
記事を読む
■News&Review  ヨーロッパ
大失業攻撃と闘うドイツ労働者   郵便・介護・自動車労働者を先頭に
記事を読む
■News&Review  日本
動労総連合3労組がJR東本社抗議行動   動労水戸・動労千葉はストライキ
記事を読む
■特集  オバマ来日・日米会談を弾劾する 記事を読む
■翻訳資料
1923年2・7大鉄道ストライキ―中国初期労働運動(上) 河原 善之 訳
記事を読む
Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
民主党政権の反労働者性  「基本政策」は新自由主義そのものだ
記事を読む
■世界の労働組合  アメリカ郵便労働組合
American Postal Workers Union:APWU
記事を読む
■国際労働運動の暦 1936年12月30日  44日間シットダウン
会社側のテロと闘い組合承認獲得
全米GMの操業に大打撃を与える ■GMフリント工場スト■
記事を読む
■日誌 9月 2009 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 ホンジュラスでのクーデター反対デモ(9月28日 サンフランシスコ)

月刊『国際労働運動』(400号1-1)(2009/12/01)

羅針盤

 ■羅針盤

 民主党・連合政権を打倒しよう

▼民主党・連合政権と資本に対し、4者4団体派や、JR総連カクマル、日本共産党、塩川一派など、あらゆる勢力が屈服し、労働者を裏切り、資本の先兵になっている。この中で動労千葉・動労水戸と国鉄1047名闘争だけが、資本と真っ向から対決し、攻撃を打ち破り勝利している。動労千葉・動労水戸・動労連帯高崎が呼びかけた10・16JR東日本本社前抗議行動は、JR資本の卑劣な組合破壊を弾劾し、国鉄1047名解雇撤回・JR体制打倒、11月1万決起への決定的闘争として打ちぬかれた。またこれと一体で、10・16法大解放闘争が、獄中8学生奪還、学祭規制粉砕、11月1万人結集の実現を真っ向から掲げた法大生の怒りの総決起として闘いとられた。
▼さらに民主党は「対等な日米同盟関係」「東アジア共同体構想」を打ち出している。国交相・前原の「羽田ハブ空港」方針は三里塚への新たな攻撃であり、アジア侵略=勢力圏化の根幹をなす攻撃だ。大失業と戦争に突き進む民主党・連合政権を、青年労働者が先頭に立って打倒しよう。連合指導部は、労働者と資本は非和解であり、労働組合は労働者が団結して資本と闘う武器だという階級的原則をねじ曲げ、労働者に襲いかかっている。
▼しかし、ここに敵の最大の弱点もある。国鉄1047名闘争を先頭とした4大産別決戦を軸に、動労千葉労働運動=階級的労働運動として、連合との革命的対決が始まっている。自治労での道州制をめぐる激突、郵政民営化絶対反対を貫きJPEX統合を実力で破綻させた全逓の闘い、教労での「日の丸・君が代」不起立などの決起。体制内勢力と激突し、労働者の階級的団結が拡大している。

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月刊『国際労働運動』(400号2-1)(2009/12/01)

News&Reviw

 ■News&Review 韓国

 1月ゼネストで李明博政権打倒へ

 労働法改悪・公共部門民営化阻止

 韓国・李明博政権は一切の労働運動、労働者の団結を許さないと、労組抹殺攻撃に踏み込んでいる。そのため、御用労組=韓国労組までがゼネストを宣言した。与党ハンナラ党と政策協定を結び、「労使政パートナー」路線を突き進んできた韓国労総。その韓国労総すら切り捨てるまでに危機を募らせているのがイミョンバク政権だ。
 世界恐慌情勢下、大失業攻撃に自らの職場=工場を占拠して解雇撤回の無期限ストライキを金属労組双龍自動車支部が闘いぬいていた7月、イミョンバク政権は、サンヨン・平沢工場にスト鎮圧部隊を派遣するとともに、国会では非正規職関連法のさらなる改悪に躍起となっていた。07年7月1日に施行された「期間制および短時間勤労者保護に関する法律」では、期間制労働者の使用期間を2年と定めていた。2年後には期間制労働者を正規職化しなければならない。その2年目を目前にして、「大量解雇の恐れがある」と盗っ人たけだけしく危機をアジり、2年を「4年」に延長しようと画策した。だが、この身勝手な改悪は破産せざるを得なかった。
 しかし、イミョンバクは言論統制・弾圧法であるメディア3法案(新聞法、インターネットマルチメディア法、放送法)を7月22日、強行採決。これによって、新聞・放送兼営の道が開かれ、新聞社・大企業による地上波テレビの経営・所有が可能となり、総合編成チャンネルと報道専門チャンネルの株式も30%まで所有できるようになったのである。

  □公務員労組つぶし

 7月21日、青瓦台を訪れた大阪府知事・橋下徹と会談したイミョンバクは、「短い間に多くの変化をもたらしたと聞いている。公務員の給与カットは、韓国ではなかなかできない」と称賛、ここに橋下と共鳴するイミョンバク大統領の姿勢が示されていた。
先立つ6月3日、公務員特別法の受け入れをめぐって分裂していた全国公務員労組と全国民主公務員労組、法院公務員労組が統合合意書に署名し、「15万公務員労働者の統合は、公務員労働者団結の礎石になる」と公式表明した。「全国統合公務員労働組合」は、組合員総選挙を経て10月に正式に組織統合し、12月に新たな執行部を確立、民主労総に加盟する。個別労組として活動してきた各地の公務員労組も次々に加入している。
 この18万人公務員労働者の団結への動きにイミョンバク政権は激甚に反応し、7月に野党4党と市民社会団体などの主催で開かれた時局大会に参加した公務員労働者への懲戒攻撃を皮切りに「公務員労組の芽」を摘もうと出てきた。9月30日には罷免2人を含む11人の重懲戒が行われ、さらに公務員労組の民主労総への加盟自身をとらえて、「公務員の政治的中立」に違反すると弾圧に打って出てきた。同日、イミョンバク自ら記者会見で今年に続いて来年も公務員労働者の賃金を凍結すると発表した。物価高騰の折り、実質賃下げが強行されたのだ。
10月1日、統合公務員労組は抗議声明を発し、「公務員労組の対国民広告は、形式と内容とも憲法が保障する正当な表現の自由であり、労組活動」と反論、賃金凍結についても「民間にも悪影響をおよぼし、賃金削減や凍結がドミノ現象のように起きる。1%の金持ちだけのための政治をやめて、根本的に見直せ」と突きつけた。
 10月9日付『世界日報』の報道によれば、行政安全部と法務部、労働部などは合同でタクスフォース会議を開き、非公務員が含まれた一般労組に公務員労組が加入できないように「国家公務員法」と「公務員労組特別法」を改悪することを決めた。また、労組加入禁止対象に「選挙関連業務者」を追加する。
統合公務員労組も即日、抗議声明を発表し、「結局、日本の公務員労組法のように『政府政策反対禁止条項』を入れ、公務員の口にクツワをはめるというのか」と批判した。「公務員労組創立以後6年間、一度も問題にならなかったことを今になって大げさに騒いでいる。イミョンバク政権は公務員労組の芽を摘み取ろうとしている」と弾劾し、「統合公務員労組が民主労総を選んだのは私たちの権利だ」「公務員労働者は政府とハンナラ党のあくどい弾圧にもかかわらず、統合の熱気を高めている」と語った。

  □複数労組・専従者賃金

 10月1日に就任した労働部のイムテヒ長官は、3年間延期となった「複数労組許容」と「労組専従賃金支給禁止」を予定どおり来年1月に実施することを表明した。労働界は複数労組許容時には自律的な交渉窓口が設けられるべきであり、労組専従の賃金も労使が自由に決められるようにすべきだと主張している。
「健康な労使文化はこれ以上先送りできない緊急の課題だ」とするイムテヒ長官がいの一番に訪問した先がソウル・メトロだった。ソウル・メトロこそ、「健康な労使文化の標本」だというのだ。
ソウル地下鉄労組は、行政安全部とともに「労使政平和宣言」を結び、代議員大会で否決されたが、あきらめずに民主労総脱退を進めている。
 韓国労総はこの「複数労組・労組専従賃金禁止」に反発し、11月7日、全国20万人を集めて労働者大会を開くことを決め、12月末にゼネストを構えている。民主労総も11・8全国労働者大会を闘い、イミョンバク政権との総力闘争に突き進もうとしている。現場労働者の怒りが両労総を突き動かしている。
イミョンバク政権は定期国会で韓米FTA関連法、期間制改悪など184法案を一気に通そうとしている。激突必至、労働者階級の怒りのすさまじさを見せつける時だ。
公共運輸連盟は傘下の鉄道、ガス、発電、社会保険、年金、医療などの労組が、イミョンバク政権が推し進める公共機関先進化方案=民営化を阻止する闘いに入った。
 10月10日には公共部門労働者大会を開き、公共機関先進化中断と公共部門における雇用拡大のために共同闘争で闘うことを決め、11月6日からストライキを含む共同闘争に突入することを宣言した。
 11・1日比谷で民主労総ソウル本部と合流したのを引き継ぎ、11・8ゼネスト情勢のソウルへ駆けつけよう!
(室田順子)
(写真 【上】公共運輸連盟は1万人を集めて「公共部門労働者大会」を開催【10月10日 ソウル】【下】懲戒処分を表現の自由の侵害と批判する公務員労働者)

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“移住労働者の摘発・追放反対!”

10〜11月、「未登録移住労働者」を集中摘発

 大恐慌下、世界各国で外国人労働者に対する摘発・追放の攻撃が吹き荒れている。韓国でもイミョンバク政権による未登録移住労働者への集中摘発が激化している。
9月に「不法滞在外国人自主出国および外国人不法雇用根絶キャンペーン」を繰り広げた上、10、11月に集中摘発を実施することを予告した。
 10月1日、ソウル京畿仁川移住労働者労組は、政府に未登録移住労働者に対する集中摘発を中断しろと要求した。移住労組は「未登録移住労働者を犯罪者と見ることを根本的に変えなければ暴力を防ぐことができない。無差別に連行・監禁し、強制退去させるのではなく、全面的な合法化だけが暴力の悪循環を取り除くことができる」と指摘している。
 すでに10月8日には、移住労働者放送MWTVの活動家ミヌ氏が出勤途中で入管職員に連行され、華城外国人保護所に収監される事態が起こった。ミヌ氏は雇用許可制はもちろん、産業研修制度さえなかった1992年に入国、以来18年間、移住労働者運動(2003年移住労働者強制追放反対座り込み)、多文化講師、歌手、メディア活動、学生として生活してきた。
 強制退去の危機に直面しているミヌ氏の救援のため、ソウル京仁移住労働者労組を始め、民主労働党ソウル市党、進法新党ソウル市党、弁護士グループ、韓国独立映画協会など各界の 30近い団体が、「ミヌの釈放のための共同対策委員会」(仮称)を立ち上げた。
 移住労組のチョンヨンソプ事務次長は「政府は集中摘発に合わせて移住労働者運動の代表的な人物を標的として摘発し、移住労働者運動を弾圧しようとしている」と批判した。
韓国では90年代に入って増大する外国人労働者対策として、93年11月に中小企業への「外国人産業研修生制度」をとおした単純労働力導入が始まった(98年、外国人山峡研修就業制度に拡張)。一方、「法外就労」の外国人数は93年末の約5万5000人から2000年7月末には約16万6000人に急増した。
その後、2004年8月に外国人雇用許可制が実施される。これは、300人未満の中小製造業、建設業、サービス分野6業種、漁業、農畜産業について政府の斡旋のもとに3年を限度に外国人労働者の就業を認めたもので、入管法に「非専門就業」という在留資格が新設された。就業期間中は韓国人労働者と同様に労働基準法、労働組合法など労働関係法が全面的に適用されてはいた。
 しかし、雇用許可制は事業場移動が3回に制限され、移動するには事業主の承認が必要とされた。さらに失職した場合の求職期間が2カ月に制限されており、2カ月以内に次の職を決めなければ在留資格を失い、「未登録」に転落するのだ。08年1月から今年1月まで、求職期間制限のために在留資格を失った移住労働者は2448人に上っている。
つまり雇用許可制は、外国人が韓国に定住することを前提にした移住労働者の受け入れの枠組みではなく、韓国が必要とする一時的な外国人労働者の受け入れと管理システムなのだ。
移住労働者問題に取り組んでいる「移住労働者差別撤廃と人権・労働権実現のための共同行動」は、「△移住労働者に職場移動の自由と同等な労働権保障、△移住労働者を使い捨ての部品扱いする雇用許可制の全面転換、△移住労働者の賃金を削減する宿泊費控除の中断、△移住労働者の人間狩り摘発の中断、△地方自治体による未登録移住労働者通報義務条項の廃止、△未登録移住労働者の全面的合法化」を要求している。
(写真 ソウル市の入管事務所前で、歌手ハリム氏が歌を歌い、ミヌ氏の救援を訴えた【10月14日】)

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月刊『国際労働運動』(400号2-2)(2009/12/01)

News&Reviw

 ■News&Review ヨーロッパ

 大失業攻撃と闘うドイツ労働者

 郵便・介護・自動車労働者を先頭に

 □大恐慌とドイツ=EU

 「リーマン破産から1年」といわれるが、世界大恐慌の引き金となった金融恐慌の口火を切ったのは、実は2007年の“パリバ・ショック”であった。ヨーロッパの中枢を占める銀行・金融機関が、ある意味ではアメリカ以上にサブプライムローンなどの不良債権をかかえこんでいたことが、恐慌の深化のなかで次第に明らかになってきている。そして現在、EU経済におけるクレディット・クランチ(貸し渋り)問題は、ますます深刻な問題となってきている。こうした状況のなかで、EU諸国全体の経済成長はなお低調【EU27カ国のGDPは、09年第3四半期で0・2%、第4四半期で0・1%の伸びにとどまる】であり、中心国ドイツ・フランス・イギリスは、失業率の上昇に直面している。
 とりわけドイツでは、青年(24歳以下)の失業率の増加が、その他の年齢層の3倍に達し、社会問題となっている。加えて、新自由主義政策の生み出した非正規雇用労働者が製造業の中軸を占め、雇用不安が全社会をおおっている。ドイツ国内に、貧富の格差が社会的に広がるだけでなく、貧困地帯が、旧東独を中心に生じてきている。
 EUの中軸をなすドイツ帝国主義は、自動車産業を強力なてこにし、EU内外を市場とした輸出大国として発展してきた。そのドイツが今、世界大恐慌による貿易の収縮で大打撃を受け、肝心の自動車産業で、後に見るオーペル問題に集中している国際争闘戦の激化に直面している。加えて、企業救済のための巨大な財政投入が、財政破綻を生み出し、経済財政政策の手をしばっている。
 ドイツ存立の基盤となっているEUそのものが、世界大恐慌のなかで、あえていえば、国家連合≠ニいうあり方に内在する矛盾を激発させ、解体の危機にあるといっていい。統合に次ぐ統合で、商品市場・資本市場として抱えこんだ中東欧諸国が、大恐慌に深刻な打撃を受け、次々に国家的破産に直面しているのだ【西欧資本の引き揚げ、工場閉鎖など】。

 □総選挙とドイツ情勢

 9月27日、総選挙が行われた。結果は別表のとおり。
 社民党の大敗北によって、これまでの大連立(CDU/CSU+SPD)は崩壊し、代わりに登場したのは、議席の過半数を制したCDU/CSU+FDPの保守中道§A立政権である。
 歴史的敗北をきっした社民党は、1998〜2005年のシュレーダー社民党政権とそれを引き継ぐ2005〜2009年の保守=社民の大連立のもとで、11年間にわたり政権党として新自由主義政策のドイツ的貫徹として反労働者的政策を強行してきたのだ。
 社民党は、体制内労働運動=ドイツ労働総同盟(DGB)を手先とし、賃下げや社会保障制度の解体、企業減税などの「内に向かっての階級戦争」と同時に、ユーゴ内戦におけるNATO軍による空爆への参加をはじめとし、アフガニスタンへの派兵など「外に向かっての侵略戦争」を推進してきたのだ。
 この社民党から票を奪ったかにみえるのが、三つの旧野党であるが、まずFDPは、ただちに保守党との連立に入ったように、もともとブルジョア政党である。戦後史において、何回も保守あるいは社民勢力と連立を組んできている。
 では緑の党はどういう党か。この党は、その名のとおり「環境運動」から生まれてきているが、シュレーダー政権での連立党として、国防大臣を出し、上記のようにユーゴ空爆を推進した張本人である。
 左翼党だが、この党は、緑の党のあまりのブルジョア的転落に対して、とりわけ旧東独地帯での支持を集め、勢力を伸ばしてきた。しかし、今回の選挙で「アフガニスタンからの連邦軍の即時撤兵」をかかげながら、選挙運動の過程で、露骨な路線転換を行った。党首のラフォンテーヌ(旧社民党左派)を先頭として、「即時と言っても、今日明日ということではない」「後先のことを何も考えないではだめだ」「社民党とも相談してできるかぎり早く%P退するということだ」と公言するにいたり、ブルジョア・マスコミから、「政権党となる責任と自覚を持ってきた」などと評されている有様である。
 労働運動の面では左翼党は、ベルリン市議会で社民党・緑の党と組んで与党勢力となり、この数年リストラ・賃下げを先頭にたって推進し、ストライキで闘うベルリンの公共サービス労働者の敵として憎まれる存在になっている。
 実際、州段階の地方政治では、たとえば、ザールラント州とテューリンゲン州で州政府での連立を社民党と交渉している。
 発足した“保守中道政権≠ヘ、今まで社民党との連立で、かろうじてかかっていたブレーキを全面的に取り外し、大恐慌の深化するなかで、死の苦悶にあえぐドイツ帝国主義のむきだしの利害を貫徹する内閣である。まさに「内に向かっての階級戦争、外に向かっての侵略戦争」を強行する政権にほかならない。
(写真 【上】大量首切り阻止の闘いに決起したオーペル・リュッセルスハイム工場の1万人の労働者(2月27日)【下】アイゼナハのオーペル工場の労働者の全欧統一行動日集会【2月27日】)

 □賃金闘争の勝利

 5月以来、数次のストを打ち抜いた22万人の公的デイケア労働者(老人ホームや児童保育の仕事に従事)と公共サービス労働者の賃金闘争が、半年ぶりに終わった。社会福祉職員に関しては月額250ユーロ以上の賃上げ、教育労働者に対しては10%までの賃上げ、というのが妥結内容である。この長期闘争は、大恐慌下の戦闘的労働運動として、大きな意義をもっている。
 さらに、郵便労働者が、ヘッセン州の北部と東部、そして隣接するチューリンゲン、ニーダーザクセン、ウェストファーレン州も含めて、職場からの1500人の代議員を結集して職場代表者会議を開き、スト方針を決定した【これは、1年に4回と法的に認められた勤務時間内集会で、集配業務は広域にわたってストップした】。
 争点は、経営側が勤務時間を現行の38・5時間から40時間、さらに42時間にさえ引き上げようとしていること、そして初任給の引き下げ、さらに集配業務に関して、年度末の定期昇給で、現在の10・80ユーロが11ユーロになるはずだが、それを最低賃金額の9・80ユーロにまで引き下げようとしていることである。これをのまなければ、配達業務は編成替えとし、全ドイツで4500の職をなくす、というのだ。
 「やつらはやる気だが、われわれもやる気満々だ」「長期ストになるかもしれないが、その覚悟はしている」というのが、現場の声だ。

 □自動車労働者の解雇反対闘争

 ドイツの労働運動のもう一つの焦点は、GMのドイツでの子会社オーペル自動車をめぐる攻防である。
 米GM本社の破産状態のなかで、ヨーロッパ全土に拡大していたGMの子会社の売却が決定され、買い手がオーストリア=カナダの自動車関連会社のマグナ社と決まって、交渉が継続されてきた【ドイツ政府は、マグナ社によるオーペル買収のために、450億ユーロ(660億j)のローンとクレディットの提供を決定している】。このかん交渉内容が発表されたが、買収の条件が、ヨーロッパ全域のGM子会社における大規模な解雇と工場閉鎖という一大攻撃であることが、あらためて明確になった。
 ヨーロッパにおけるGMの子会社は、ドイツを始め、スペイン、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、ポルトガルなどにあるが、最主力はドイツを拠点とするオーペル社、これについでイギリスのヴォークザール社である。
 GMのヨーロッパ子会社の労働者総数は、4万9千人。そのうち1万560人の職を奪おうというのだ。ドイツのオーペル社3工場の首切りは4500人、それに次ぐ拠点スペイン北東部のサラゴサの工場は1650人である。工場閉鎖で真っ先にあげられているのが、ベルギーのアントワープ工場である。
 この大攻撃に対して、9月23日、資本の攻撃に直撃されているアントワープで、国際連帯行動が行われた。ここには、上記のヨーロッパ各地のGM/オーペル工場から国境を越えて自動車労働者が結集し、5000人の大集会となった。ドイツからは500人、イギリスからは200人という文字通りランク&ファイルの大衆動員である。
 しかし、集会そのものでは、既成労組の妥協的姿勢と戦闘的ランク&ファイル大衆の路線的対立が鮮明となった。「経営の立場から考えよう」「解雇の痛みを、各工場で平等に共有しよう」などという組合官僚に対して、「国際連帯で闘おう」「攻撃が最大の防御だ」「団結の力をみせてやろう」などという発言がぶつけられた【そもそも、IGメタル(金属労組)の幹部は「オーペルが、GMから、アメリカから独立することはいいことだ」などと言っていたのだ】。
 この国際連帯集会に先立って、スペインのサラゴサ(7000人の工場がある)では、全市をあげた1万5000人のデモが闘われている。
 世界大恐慌のなかで、日米欧を軸とする資本の争闘戦が熾烈化している自動車産業では、とりわけ激しく集中・合併と大リストラの嵐が吹き荒れている。この間の自動車産業の景気回復などといわれていることの内実は、自動車資本救済のための公的資金の投入(エコカーの奨励とか買い替えの援助とか)に支えられているもので、各国政府の財政危機・財政破綻を促進するものであり、長期にわたって継続されるものではない。
 自動車労働者の大量解雇と工場閉鎖に対する闘いは、米欧を始めとして、これからますます激化する。「絶対反対」「階級的団結」の立場に立つランク&ファイルの職場を基礎にした闘いこそが、勝利の道を切り開く。
 とりわけ、ドイツは、オーペルの主力工場リュッセルスハイムをはじめとして、ボーフム、カイザースラウテルン、アイゼナハの4工場をかかえ、自動車労働者の闘いは、ドイツ労働運動の戦闘化にとって、重要な役割を果たすに違いない。
 (川武信夫)
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 ドイツ総選挙の結果

  得票率 議席(増減)
CDU/CSU 33.8% 239(+13)
SPD 23% 146(−76)
FDP 14.6% 93(+32)
左翼党 11.9% 76(+22)
緑の党 10.7% 68(+17)
その他 6%  
議席総数 622

(注)
CDU/CSU=キリスト教民主党/キリスト教社会同盟〔=同盟=l
SPD=社民党
FDP=自由民主党
左翼党=SPD左派と民主社会党(旧東独のスターリン主義党の後継組織)が合併

  

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月刊『国際労働運動』(400号2-3)(2009/12/01)

News&Reviw

 ■News&Review 日本

 動労総連合3労組がJR東本社抗議行動

 動労水戸・動労千葉はストライキ

(写真“JRは不当労働行為を認めろ”とシュプレヒコール【10月16日 JR東本社前】)

 □“最高裁判決を守れ”

 国鉄1047名解雇撤回を第一に掲げる11・1全国労働者総決起集会の成功に向けて、国鉄労働者が先陣を切った。
 10月16日、動労千葉・動労水戸・動労連帯高崎の3組合が呼びかけてJR東日本本社への緊急抗議行動が意気高く闘い抜かれた。緊急の呼びかけにもかかわらず参加者は280人にふくれあがった。
 動労水戸はこの日、7〜9月の3波のストライキに続いて、第4波のストライキに28人の組合員が突入し、総決起した。真っ赤な「動労水戸」の組合旗が、ひときわ存在感を示した。
 動労水戸は、08年12月18日に、運転士登用差別事件で最高裁の勝利判決をかちとっている。国鉄時代に運転士資格をとっているにもかかわらず、動労水戸の組合員であるという理由でJRになっても運転士に登用されないという明らかな不当労働行為を最高裁も明確に認定し、「97年6月1日付けで運転士に発令したものとして取り扱い、運転士として就労させること」をJR東日本に命じた。ところが、JR東日本当局は、この判決を逆手にとって、動労水戸の組織破壊を策しているのだ。9人の組合員が福島県白河市にあるJR東日本の総合研修センターでの「研修」とは名ばかりの陰湿な扱いを受けているのだ。
 午後5時、運転士登用差別事件の当該である動労水戸・木村郁夫書記長のリードでJR東日本本社前での抗議行動が始まった。「JRは不当労働行為を認めろ!」「JRは最高裁判決を守れ!」「不当労働行為を認め謝罪しろ!」「新たな不利益強制、組織破壊を許さないぞ!」「ストライキで闘うぞ!」。夕方のラッシュでごった返す新宿駅南口は闘う労働者によって制圧され、圧倒的な解放感の中で「11・1労働者集会」のビラがどんどん手渡された。
 動労水戸の石井真一委員長は「JRは最高裁で負けたにもかかわらず、“不当労働行為はやっていないんだ”と開き直って、運転士にしなければならないということを逆手にとって、通勤に4時間もかかるようなところで運転士になれということを強制してきている。絶対に許すことはできない。今、9人の組合員に、まったく必要のない教育が行われている。さらに攻撃を続けるなら、われわれは徹底的に闘い続ける」と戦闘宣言をたたきつけた。
 動労総連合の川崎昌浩書記長は「動労総連合はJR東日本の悪辣な不当労働行為に反撃していきたい。今、日本中で労働者が次々と首を切られている。数万人、数十万人、百万人単位だ。こんな状況に労働者を突き落としたのは誰なのか! この社会に渦巻く怒りを11・1日比谷に総結集し、巨大な反撃を開始しよう」と訴えた。
 動労連帯高崎の和田山繁委員長は「尼崎事故は分割・民営化が破産したことを示している。高崎線においても毎日のように車両故障が発生している。点検をするでもなく、ベテランを配転しようとしている。動労総連合の一員としてともに闘いぬく」と発言した。
 研修センターに入れられている当該の動労水戸の組合員は、「約1カ月、会社のデタラメを認識した。常磐線に走っていない電車の研修をやらせたり、水郡線には影も形もない気動車の訓練を受けさせている。会社は本当にわれわれを運転士にする気があるのか。われわれが音を上げるまで、嫌がらせをやっている。若い人は、朝の5時前に起きて40`歩行をやらされている。11月10日、11日までの教育期間だが、本当に教育をやっているのかと怒りを感じる。ふざけるんじゃない! まともな教育を行うべきだ。白河で2度目のストライキだが、何度でも闘う」と怒りを込めた。
(写真運転士登用差別事件の勝利判決の当該の動労水戸の発言を聞く参加者【10月16日 新宿中央公園】)   

 □新宿を揺るがすデモ

 新宿中央公園に移動した参加者は、デモに先立って集会を開催した。
 動労水戸の石井委員長は「JR東日本を絶対に許さないという闘いを貫徹してきた。われわれは分割・民営化を許さない闘いをやってきた。しかし、会社は最高裁決定をなきものにしようとしている。運転士であったら得られたであろう賃金も一円も払わない。会社と団交してきたが、一切、会社はわれわれの要求を聞かない。研修所の初日にストライキに決起した。そして組織拡大をかちとってきた。本当に心強い。不当労働行為を徹底して追及していく」と訴えた。
 動労千葉の田中康宏委員長は「運転士登用差別裁判で勝ったのはわれわれだ。当該の動労千葉や動労水戸の仲間たちは、23年前に一生懸命勉強して運転士の免許を持っている。それを“動労千葉や動労水戸にいたら絶対に運転士にはしない”と差別を続け、最高裁で負けてもひどい不当労働行為を続けている。片道4時間もかかる運転職場に異動を迫って“最高裁判決の履行だ”なんて言っている。はらわたが煮えくりかえる思いだ。千葉では、安全も何もかも放り出し、ベテランの組合員を検修業務から外して組織破壊攻撃を続けている。もはやJRの民営化体制は終わりだ。われわれは23年間、一切節を曲げずに闘い抜き、勝利してこの場に結集している。われわれは決して負けていない。ここで敵の攻撃をぶっ飛ばし、国鉄分割・民営化以来の一切の現実をひっくり返す反転攻勢に出よう」と訴えた。
 動労連帯高崎の和田山委員長は「高崎では派遣切りにあった労働者とも連携を強めて闘っている。JR総連カクマルも、ちんたらして元気がない。カクマルの牙城であった高崎でもチャンスが到来している」と発言。
 研修センターで闘っている動労水戸の組合員は、当局が強制している研修がいかにデタラメな内容であるかを怒りを込めて具体的に暴露し「現場に戻ったら、しっかり仇をとらしてもらう」と述べた。
 最後に法大文化連盟の洞口朋子さんが、この日午後の法大解放集会での2学生不当逮捕を怒りをこめて弾劾し、「学生も連帯して闘う」と力強くアピールした。
 午後7時、JR東日本本社へのデモに出発した。公園で集会を見守っていた労働者が「がんばって来いよ!」と檄を飛ばす。赤旗を林立させて進むデモ隊に沿道から圧倒的注目が集まり、ビルの窓から身を乗り出して拳をあげる人も現れた。本社前にさしかかると、ひときわデモ隊の怒りは高まった。「JR東日本は謝罪しろ!」「組合つぶしを許さないぞ!」「1047名の解雇を撤回しろ!」
 デモ隊は、意気軒高とJR代々木駅までのデモを貫徹した。デモ解散地で動労水戸の辻川慎一副委員長が「自分の最大の誇りは動労水戸の組合員だ。われわれは“仲間を絶対に守る”という原点に返って4波のストに立ち上がった。白河の研修所で大変だという話だが、動労水戸の毒をまき散らしている。ウイルスみたいに確実に全国に広がる。今こそ動労総連合が多数派に飛躍する時だ。労働者を侮辱する一切の思想と闘いぬいて“目の前の労働者が必ず立ち上がるんだ”という確信をもって11・1労働者集会に向けて突き進もう!」と総括を提起した。
(写真 JR東本社を弾劾するデモ隊【10月16日】)

 □動労千葉も高裁で勝利

 

10・16行動に先立って、動労千葉も予科生運転士登用差別事件で、東京高裁の逆転勝利判決を9月30日にかちとった。動労千葉は中労委の反動命令、東京地裁の反動判決を覆し、動労水戸の最高裁判決を受け、そして何よりも動労千葉の団結した力で、この勝利判決をもぎとったのだ。
  判決は、動労千葉の組合員で1980年、81年、82年に運転士資格をとった組合員(55、56、57予科生)が、分割・民営化以降、23年経った今も運転士に登用されていないこと、一方、運転士に登用された者はほとんどすべてがJR総連であるという事実を的確に認定した。そして、「1998年1月1日付けで運転士に発令したものとして取り扱わなければならない」として組合側勝訴の判決を言い渡した。
  これは、分割・民営化から23年を経過しながらも当該の予科生を始めすべての組合員が職場での団結を守り抜きながら、JR―JR総連カクマルの結託体制と断固として闘ってきた、その成果だ。
  判決は、この結託体制による不当労働行為を明確に認定している。
  @松田昌士常務取締役(当時)は、「会社にとって必要な社員、必要でない社員の峻別は必要。会社の方針派と反対派が存在する限り、特に東日本は格別だが、穏やかな労務政策をとる考えはない。反対派は峻別して断固として追及する」と述べた。
  A住田正二代表取締役(当時)は、JR東労組の大会で「(分割・民営化反対を掲げている人)が残っていることは会社の将来にとって非常に残念なことですが、いわば迷える子羊だと思います。名実共に東鉄労(現JR東労組)が当社における一企業一組合になるようご援助いただきたい」と述べた。
  B力村人事部長(当時)も、「東鉄労を基軸とした一企業一組合を少しでも早く達成して欲しいと期待しています」と述べた。
  そして、「(会社は)本件予科生からの運転士発令に関して、所属労働組合を理由として動労千葉予科生を不利益に扱い、動労千葉の弱体化を図ったというべきであり、このような扱いは労組法上の不利益扱い及び支配介入に該当する不当労働行為というべきである」と断定しているのである。

 

 

 

(写真左 組織破壊粉砕へストライキに立った動労千葉【10月1日 幕張車両センター】) (写真右 研修センターに入れられた初日にストを決行した動労水戸【9月14日 白河】)

 □動労千葉が幕張でスト

 さらに、動労千葉は10月1日、幕張車両センターでストライキを決行した。
 この間、当局は幕張で第一組合の動労千葉のベテラン組合員を交番検査からはずし、支部役員2人に派出への強制配転を発令した。動労千葉が「平成採」の組合員を始めとして、組織拡大を実現しているため、組織破壊を策動しているのだ。
 動労千葉は、これに対して断固としてストライキを闘い抜いた。当局は、JR東労組の「平成採」が動労千葉に加入させないという一点で、スト対策を行い、国労組合員らにスト破りを強制した。動労千葉はこれに対して、一切を組織拡大で決着をつける意気込みで闘いぬいている。
 11・1に結集した力をさらに大きく広げ、国鉄闘争を先頭に〈戦争・改憲、民営化・労組破壊〉の攻撃をうち破る国際的なうねりをつくりだそう。鳩山民主党・連合結託政権を打倒しよう。
 (大沢 康)

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月刊『国際労働運動』(400号3-1)(2009/12/01)

(写真 サンフランシスコゼネスト75周年デモでの各国代表【7月5日】)

特集

 ■特集  オバマ来日・日米会談を弾劾する

  はじめに

 11月12日、米大統領オバマが来日する。その狙いは、世界大恐慌の真っ只中で、日米軍事同盟を強化し、アジアと世界に侵略戦争を激化・拡大し、さらに世界戦争に向かっていくためだ。そして鳩山政権は、8・30で自民党を打倒した労働者階級人民の怒りに応えるかのように装いながら、断末魔の危機にあえぐ日帝を救済することを使命とする反革命政権だ。帝国主義労働運動である連合を政権の内側に抱え、労働者を裏切り、自民党以上に日米同盟を強化し、侵略戦争に打って出ていくためだ。
 第1章は、オバマのイラク・アフガニスタン侵略戦争の凶暴性とその大破産を突き出している。
 第2章は、自民党を上回る民主党・連合政権の侵略戦争政策について徹底的に弾劾している。
 第3章で、この間、世界各国で体制内指導部を打倒して世界革命を求めて前進する労働運動を取り上げた。

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月刊『国際労働運動』(400号3-2)(2009/12/01)

■第1章特集

 ■特集  オバマ来日・日米会談を弾劾する

 危機を深めるオバマ政権 イラク・アフガン戦争で大破産

 「チェンジ」「改革」を掲げて当選したオバマだが、就任から9カ月、支持率は50%を切り(8月)、特にアフガニスタン侵略戦争の拡大に対する労働者人民の怒りはすさまじいばかりだ(不支持率58%)。
 オバマは、「ブッシュとは違う」ことを宣伝文句にしていたが、そのウソが暴かれている。オバマは「協調」という言葉を使っているが、実はブッシュの世界戦争路線をブッシュ以上に激しく推進している。しかし、オバマの世界戦争路線はイラクで、アフガニスタンで大破産している。世界大恐慌とも重なり合ってさしもの軍事超大国・米帝にも死の時が迫りつつある。
 そして何よりも米帝を打倒する墓掘り人たる米労働者階級が各職場からのランク&ファイルの闘いを軸にしながら闘う労働組合を再生させつつ力強く登場している。

 イラクからの撤退

 米軍を中心とするイラク駐留多国籍軍は、7月31日を期限に英、豪、ルーマニアの各軍が撤退し、ブッシュが主導した「有志連合」軍は解体し、米軍13万人だけが残っている。6月末に都市部から撤退した戦闘部隊は、来年8月末までに全土から撤退する。在イラク米軍地位協定に基づく米軍の駐留期限は2011年末までであり、それまで駐留する米軍は5万人で、イラク治安部隊の教育訓練や作戦支援に限定されている。
 シーア派、スンニ派、クルド人などの宗派・民族間対立はなんら解消されていない。そして反米民族解放勢力のゲリラ戦闘が米軍撤退をみすえて激化している。
 今、イラク最大の政治問題が中央政府とクルド自治区の対立だ。米軍が来年1月のイラク国民議会選挙が終わるまで約13万人の米軍を残留させるのは、アラブ対クルドの対立が選挙過程で爆発するのを恐れてのことだ。
 クルド自治政府が編入を目指す北部の産油拠点キルクークや、その周辺では、イラク政府軍とクルド自治政府の軍隊ペシュメルガの間で、治安権限をめぐる小競り合いが頻発している。
 米軍の13万人駐留部隊の武力によってイラクの見せかけの「安定」があることは明らかで、米軍の撤退によって、イラク情勢と中東情勢全体の危機が爆発的に進んでいくことは不可避だ。

 アフガニスタン増派

 オバマは9月23日、国連総会で大統領就任後初の演説を行った。オバマは、「過激派は世界各地にテロの芽をまく。長引く紛争は永遠に続く」「地球規模の課題に立ち向かうため、今こそ加盟国が責任を分かち合うときだ」と訴えた。「長い戦争」はブッシュの謳い文句であり、オバマはそれをそのまま「長引く紛争は永遠に続く」と言った。
 オバマは、アフガニスタンこそが「対テロ戦争の主戦場」として、就任早々にアフガニスタンに3万人の増派を決定した。そして増派した部隊を最前線に立てて、8月アフガニスタン大統領選挙に向けて、「剣の一撃」作戦を実施した。しかしこの7〜8月末までの2カ月間は、タリバンが攻勢を強め、東部・西部さらに北部までが南部と同じような激戦地になってしまった。米軍と英独仏伊などISAF軍の戦死者が「うなぎ登り」に上昇した。戦死者数は過去最悪を更新し続けている(09年度9月下旬で360人)。
 英仏独伊など主要な参戦国でアフガニスタン撤退の世論が過半数を大きく超えた。アフガニスタン侵略戦争の継続のために各帝国主義国の政権が危機に陥っている。
 アフガニスタン侵略戦争の米軍指揮官・クリスタル司令官は、このほどアフガン侵略戦争の「評価報告書」を出したが、それはオバマのこの間のアフガニスタン侵略戦争の大破産を認める報告書だ。クリスタルはここで4万人のさらなる増派を求めている。
 この報告書をめぐって「オバマ政権の内部でも「撤退派」と「増派」派の二つに分かれ大激論が起きている。
 米軍兵士は長い戦争の中で疲弊しきっている。TBI(外傷性脳損傷)とPTSD(心的外傷後ストレス障害)によって、イラク・アフガニスタンに派兵された3分の1が苦しんでいる。厭戦主義が蔓延し、まさに軍の中から反戦・革命の炎が噴き出そうとしてきている。
 米軍の大掃討戦にもかかわらず、アフガニスタン大統領選挙の投票率は前回より半減の35%、投票総数600万票のうち不正投票が150万票。10月20日、選挙の結果はカルザイが50%に僅かに達せず、11月7日に決選投票となった。米軍はまた大きな難題を抱えた。不正選挙に象徴されるようにカルザイ政権のカイライ政権としての腐敗はすまさじく人民の怒りがゲリラ戦争として爆発している。 さらに米軍は、パキスタン軍を督促して、パキスタンの「パキスタン・タリバン運動」の掃討戦を実施させているが、パキスタンの内戦を激化させるばかりだ。10月10日には、ラワルピンディーにあるパキスタン陸軍司令部が武装集団に占拠される戦闘が起きた。パキスタン・タリバン運動が戦闘声明を出しているが、その実力をまざまざとみせつけた。
 米帝にとって最大の政治問題は、アフガニスタン侵略戦争が敗勢に陥り、勝利の展望がまったく見えないことだ。米軍自身が崩壊状態に陥り、ISAFも似たような状態に陥っている。
 内政最大のテーマとしていある医療保険改革問題でも破産状態に陥っていることに絡んで、オバマは、増派の政治決断を先のばしにし、強行のタイミングを計っている。
 そこに日帝・鳩山がアフガニスタン給油活動の中止を決めた。米帝にとっては、大打撃だ。アフガニスタン侵略戦争体制の再構築が死活的になっている。給油活動に替わるアフガニスタン支援を日米同盟の証として強力に要求してくることは必至だ。
 世界大恐慌によって、経済的に大没落し、窮地に陥った米帝が、肝心の軍事力においても大没落したのだ。米帝のあらん限りの力と、米英仏独伊の帝国主義諸国とその他の諸国との連合軍を形成しながらアフガニスタンの「対テロ戦争」に勝利できないのだ。既に「ベトナム」の比ではない敗勢にたたき込まれている。最末期帝国主義の末路が軍事においても歴然と現れている。

 イラン攻撃

 オバマは9月23日の国連演説で、核開発問題で北朝鮮とイランを名指しし、「(両国が)国際規範を無視するなら、国際社会は一致して、国際法が空虚な口約束ではないことを示さなければならない」と軍事攻撃の恫喝を加えた。
 24日にはオバマが主宰して「核不拡散と核軍縮」をテーマに国連安保理首脳会合が開かれ、核保有国である米ロ英仏中5カ国が「核兵器のない世界をめざす」などというペテン的な決議を採択した。米軍のイランへの核攻撃は緊迫している。オバマは戦術核兵器の使用を準備している。
 05年5月付けワシントン・ポスト紙は、「03年1月の米大統領命令に基づき、イラン、北朝鮮等の脅威が緊急的である状況を踏まえ、イラン、北朝鮮の核関連施設を破棄する目的で米国核兵器の使用を許可する軍事計画CONPLAN8022が作成された」と報じた。
 これについてロンドン大学のダン・プレッシュは次のように述べている。
 「対イラン核攻撃の目標を、ナタンツ及びイスファハンとしている。たとえばナタンツ施設は地下深くにある。核兵器での攻撃以外では目標の破壊が困難である。目標地に対する10キロd級3発での攻撃時、イスファハン57万人、タブリズ90万人、テヘラン60万人、対象都市11カ所、死者260万人が想定される」  「対イラン核攻撃の目標を、ナタンツ及びイスファハンとしている。たとえばナタンツ施設は地下深くにある。核兵器での攻撃以外では目標の破壊が困難である。目標地に対する10キロd級3発での攻撃時、イスファハン57万人、タブリズ90万人、テヘラン60万人、対象都市11カ所、死者260万人が想定される」
 オバマの「核廃絶宣言」とは、「オバマの核廃絶」に反対して核を持ったり、持とうとするイランや北朝鮮は、核兵器を使用してでも止めさせることが正しいとするものだ。そのためにイランへの核施設攻撃で、イラン人民に260万人の死者が出てもかまわないとしているのだ。

 北朝鮮への戦争態勢

 オバマは北朝鮮への戦争態勢を強めている。
 米韓合同軍事演習が8月17日から韓国各地で始まった。これに対して朝鮮人民軍最高司令部は、「軍事的挑発行為があれば、核抑止力を含むすべての攻撃・防衛手段を総動員する」と警告した。
 今回の演習で決定的なことは、韓国国防当局が発表しているが、これまでの米韓連合軍の作戦計画「5027」に替わる新たな作戦計画が実施されたことだ。「5027」の「北朝鮮の攻撃を阻止した後に反撃する」戦略ではなく、対北朝鮮「先制核攻撃」戦略の演習だ。
 米帝は、北東アジア戦略を見直し、米韓首脳会談で「米韓同盟を再定義」し「韓国に核の傘」を約束し、その合意文書「米韓同盟未来ビジョン」には「韓国主導で半島統一」を明記した。これに基づいて韓国国防総省は「朝鮮半島の国防計画」を改定し、北朝鮮全域のミサイル基地などに対する先制攻撃の概念を盛り込んだ『国防基本計画』を発表した。この基本計画に基づく5カ年「中期計画」には13兆4000億円の巨費を投じて核攻撃に備えた防護システム導入や北朝鮮の中枢や核・ミサイル施設を破壊する地中貫通弾の導入が盛り込まれている。
 しかし米日帝の北朝鮮侵略戦争は、韓国の民主労総ソウル地域本部を先頭とする韓国の労働者階級、日本の動労千葉を先頭とする階級的労働運動を闘う4大産別の労働者、そしてアメリカのILWUを先頭とする労働者階級の階級的労働運動の力で、必ず阻止することができる。

 「長い戦争」は破綻した

 アメリカの戦後の軍事費の変化を示す図がある。パンフ「『核の脅威』をつくり出しているのは誰か」(吉田義久著)に掲載されている。
 この図を見ると、米軍事費は51〜53年の朝鮮戦争の山、65〜71年のベトナム戦争の山、80〜90年までの米ソ大軍拡競争の山、91年の湾岸戦争の山、そして90年代は山が下り、01年アフガニスタン侵略戦争から始まりイラク侵略戦争へとつながるブッシュの世界戦争の山がある。
 このように軍事費は、米国家予算の一定レベルを維持する「聖域」となっている。これが「聖域」化されたのは、第2次世界大戦の過程で軍産複合体が形成され、とりわけ核兵器の登場が米帝の経済・政治・軍事を規定するようになってからだ。制度化されたのは、朝鮮戦争の軍事総括を契機としている。
 1954年、ダレス米国務長官は、ソ連に対抗して「アメリカは圧倒的な核戦力を背景にして、いかなる場所、いかなる時であっても、ソ連本土に直ちに報復できる態勢を作り上げるべきである」と演説した。
 この演説を機に、51年には1000発であった核兵器が61年には8000発に増えた。恒常的な核戦争体制が確立され、その維持・改良のために膨大な軍事費が固定化された。
 こうした核政策を推進したもう一人がウィルソン米国防長官だった。ウィルソンは41年から53年までGMの社長をしていた。第2次世界大戦中のGMは自動車会社というより米国最大の軍需産業だった。
 ウィルソンGM社長は、44年、戦時生産委員会の所長として「大恐慌を再現したくなかったら、アメリカは恒常的な戦争経済を必要とする」と述べていた。その言葉通り、アメリカに恒常的な核戦争体制が構築され、米帝は「恒常的な戦争経済」をビルトインした。
 そしてダレス国務長官やウィルソン国防長官を指名したアイゼンハワー大統領は1961年に次のような離任演説を行った。
 「第2次世界大戦までアメリカには軍事産業が全くありませんでした。しかし今、私たちは、巨大な規模の恒常的な軍事産業を創設せざるを得ませんでした。これに加えて350万人の男女が防衛部門に直接雇用されています。私たちは、アメリカのすべての会社の純収入よりも多いお金を毎年軍事に費やします。莫大な軍備と巨大な軍事産業の結びつきという事態は、アメリカの歴史において新しい経験です。私たちはこの事業を進めることが持つ深刻な影響について理解し損なってはなりません」  「第2次世界大戦までアメリカには軍事産業が全くありませんでした。しかし今、私たちは、巨大な規模の恒常的な軍事産業を創設せざるを得ませんでした。これに加えて350万人の男女が防衛部門に直接雇用されています。私たちは、アメリカのすべての会社の純収入よりも多いお金を毎年軍事に費やします。莫大な軍備と巨大な軍事産業の結びつきという事態は、アメリカの歴史において新しい経験です。私たちはこの事業を進めることが持つ深刻な影響について理解し損なってはなりません」
 80年代は世界経済が成長期から停滞・没落期に突入することによって新自由主義がレーガンなどによって開始されたが、レーガンは「規制緩和・民営化・労組破壊」を徹底的に推進するとともに、対ソ大軍拡競争をあおり、とてつもない国家予算を軍需産業に注ぎ込んだ。この軍拡競争における敗北とアフガニスタン侵攻の敗北がソ連崩壊の原因とされる。
 91年のソ連崩壊により、恒常的核戦争体制を維持する理由を失ったが、米帝はそのまま巨大な核戦争体制を維持した。米帝の政治中枢と軍需産業は一体であったからだ。
 ブッシュ大統領(父)は、ソ連崩壊とほぼ同時の91年に湾岸戦争を引き起こし、次のクリントン大統領は、94年には北朝鮮侵略戦争寸前まで行き、99年にはユーゴスラビア侵略戦争を強行した。
 そしてブッシュは、01年「9・11」をテコとして、「対テロ戦争」という終わることの無い長い戦争を宣言し、アフガニスタンからイラク侵略戦争に突入していった。これはまさに世界戦争の始まりであった。01年のITバブル崩壊という経済的危機の打開を軍事経済的に突破していくというあり方をとったのだ。
 そのうえで、米帝はITバブルの崩壊を、さらに資本主義史上最大の住宅バブルで乗り切りを図り、サブプライムローンを証券化して全世界を巻き込む金融大恐慌を引き起し、新自由主義の大破産を迎えたのだ。
 そして世界大恐慌とイラク・アフガニスタン侵略戦争で米帝は歴史的大敗北を迎えつつある。政治・経済・軍事のすべての領域において見るも無残な大敗北・大破産をとげたのだ。
 オバマは、ブッシュの破産を認めることを通して、米帝の恒常的戦争体制としてある「長い・長い戦争」の体制と論理を建て直すために登場したと言える。
 2010年度の国防予算として5337億j(約53兆円)を計上した。イラク・アフガニスタン戦争経費として別に2055億j(約20兆円)を計上した。
 これは、見かけ上の国防予算で、反戦団体「WAR RESISTER LEAGUE」によると、実際の軍事費は連邦予算総額(265兆円)の54%で145兆円であるとする。とてつもない額だ。
 アメリカ国家そのものに寄生し、癒着し、国家予算の大半を吸い続け、政治中枢を牛耳る軍需産業の利益をもたらしてきた米帝も、巨大な財政危機にあえいでいる。米財務省が10月16日に09年度財政赤字が1兆4171億j(129兆円)に達したと発表した。前年度の3倍だ。ドル暴落の危機が差し迫っている。
 世界大恐慌は帝国主義間争闘戦を激化させ、侵略戦争と第3次世界大戦を不可避にしている。戦争と大失業の時代は、何よりも階級闘争を激化させ、労働運動の中で、体制内派と革命派の分岐をつくり出し、労働運動と革命党の結合によって必ず帝国主義打倒、世界革命の勝利をかちとることができる。
(図 第2次大戦後国防省支出額、2008年ドル評価換算)

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月刊『国際労働運動』(400号3-3)(2009/12/01)

■第2章特集

 ■特集 オバマ来日・日米会談を弾劾する 

 民主党・連合政権の反動性 帝国主義的な安保・防衛政策

 民主党・連合政権は、自民党支配を打倒した労働者階級の怒りに震えあがり、資本主義救済のために連合の帝国主義労働運動の幹部を政権に取り込んで戦争と改憲、大失業(大量解雇と賃下げ)の攻撃を強める危機的なブルジョア政権だ。労働者階級とは絶対に非和解だ。
 鳩山由紀夫首相は「緊密で対等な日米同盟」と「東アジア共同体」構想を安保・外交政策の二本柱にしているが、この日米軍事同盟強化と東アジア共同体構想こそは、日帝ブルジョアジーの資本家的利害を体現した帝国主義的な侵略戦争・世界戦争の政策であり、自民党政権以上に反動的・反革命的な軍事・外交政策である。

 激化する日米争闘戦

 9月23日、国連総会の場で初の日米首脳会談が行われた。鳩山はオバマとの会談で、「日米同盟を外交の基軸として重視していく」「日米安保体制はアジア太平洋地域の平和と安定の礎であり、いかなる問題も同盟の基軸を強化する形で協力したい」と、日米軍事同盟の重視と強化の方針をはっきりと主張した。
 さらに日米首脳会談に先立つ9月21日、同じ国連総会の場で鳩山は中国の胡錦濤国家主席と会談し、「東アジア共同体」構想を提唱した。この鳩山の構想の内容は、「アジア共通通貨」や、日中韓を中心とした東アジア集団安全保障体制の構築などが既に出されている。
 10月10日、北京で日中韓首脳会談が開かれた。この場で、鳩山は「日本は今までややもすると米国に依存しすぎていた。日米同盟は重要だが、アジアの一員としてアジアをもっと重視する政策をつくりあげていきたい」。そのうえで東アジア共同体について「核となるのが日中韓の3カ国だ。まず経済的連携の強化からスタートしたい」と述べた。
 10月14日、米国のカート・キャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は訪問先の北京で、「アジアにおける主導的な枠組みは確定していない。いずれにしろ米国をカヤの外に置くべきではない」と発言した。
 これは、9月初めに岡田克也外相が「東アジア共同体」の参加国について、「日本、中国、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)、インド、オーストラリア、ニュージーランドで考えている。米国は加えない」と発言したのに激甚に反応したものだ。
 一方のオバマは、10月4日のG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議/米、英、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)において「米中主導」とも言うべきG4(米、中、EU、日)を提唱した。
 その1週間前(9月25日)にピッツバーグで20カ国・地域=G20首脳会議(金融サミット)が開かれている。この会議を前に、米帝が最大議題として「世界経済の不均衡是正」を押し出した。「これまで中国・ドイツなどがモノを米国に売り、米国が債務を積み上げてきた」(オバマ)が、これをやめて中国・日本などが内需を拡大すべきだと提案したのだ。
 米帝が「不均衡是正」を訴え“世界経済のエンジン役を降りる”ことを国際会議で公言したのは初めてであり、米帝の没落の画期をなすものだ。
 米帝は自らの没落と役割放棄を求めると同時に、中国と組んでG20をG8(G7プラスロシア)を超える「最上級の会合」に格上げする地ならしをした。これは明らかに欧州と日帝にとっては地位と「存在感の低下」であり、それぞれが反対の態度を表明している。世界大恐慌による世界経済の地殻変動は、米帝が中国を取り込む形で対日欧の争闘戦を強烈に展開する構図となっている。
 鳩山の「東アジア共同体」構想は、こうした米帝の対日欧の争闘戦からの必死の脱出の策動であり、中韓を取り込んだ東アジアの勢力圏化を狙ったきわめて帝国主義的なあがきである。
 こうした日米の帝国主義間争闘戦が激しく闘われる中で、鳩山とオバマは、それぞれの思惑で「日米同盟が基軸」を確認したが、今後、11月のオバマ初訪日に向け、日米間でインド洋における海自給油継続、アフガニスタン侵略戦争の支援、日米地位協定見直し、沖縄普天間基地移設などの具体的課題をめぐって、矛盾・対立と争闘戦が具体的に激化、深刻化していく。

 新政権への米帝の動向

 米国戦略体制議会委員会(共同議長/シュレシンジャー、ペリー両元国防長官)は、5月にオバマ政権に対して、日本との核問題対話は核拡大抑止(核の傘)への信頼性を増大させると勧告した。
 シュレシンジャーは、民主党政権の誕生を念頭において小沢一郎の「日本はそのつもりになれば核弾頭数千発を容易に製造できるだけのプルトニウムを保有している」という趣旨の2002年の発言を取り上げ、「同盟国が米国の核抑止力の保護に信頼を置かなくなると、独自の核抑止力を求め、新たな核開発競争に進む場合が多い」「米国は日本に中国のさらなる核兵器数百基のさらなる増強の脅威を提起して『核の傘』の保護を強調すべきだ」と述べた。
 日本の核武装を防ぐためにも日米同盟が重要であるとしている。
 米シンクタンク戦略問題研究所のジョン・ハレム所長(元国防副長官)は、アフガニスタンに対する再増派の可能性に関連して、日本のアフガニスタン支援について、「給油活動の撤収」だけの場合、「同盟関係にマイナスを与える」と警告し、さらに民生支援の積み増しなどではなく「自衛隊のヘリコプター部隊の能力は高く、アフガン本土への輸送ヘリコプターの派遣に踏み切れば非常に大きな貢献になる」と語った。
 アーミテージ元国務副長官は9月21日付読売新聞に寄稿し、以下のように述べた。
 民主党が「対等な日米関係」について語るのなら
 「地域と世界の安全保障や外交政策に関して、もっと積極的で精力的な努力が日本に求められる」  「地域と世界の安全保障や外交政策に関して、もっと積極的で精力的な努力が日本に求められる」
 「歴史的に見て既存の諸大国が中国のような台頭する大国を受け入れる時には、経済と安全保障に関して地域を下支えしてきた地殻に変動が発生しかねない。中国の上昇を制御する最も効果的な方法は、強力で最も手入れされた日米同盟を堅持することだ」  「歴史的に見て既存の諸大国が中国のような台頭する大国を受け入れる時には、経済と安全保障に関して地域を下支えしてきた地殻に変動が発生しかねない。中国の上昇を制御する最も効果的な方法は、強力で最も手入れされた日米同盟を堅持することだ」
 アフガニスタン侵略戦争、イラク侵略戦争に日本を強引に引きずり込んできたアーミテージは、民主党の「対等な日米同盟」論に危機感を抱き、アフガニスタン侵略戦争をやりぬくためにも日米同盟が必要であり、それが対中国関係を構築する上でも重要な意義を持つと強調している。
 米帝にとって、最大の困難は、アフガニスタン侵略戦争における勝利の展望がまったく見えていないことだ。ここは、9・11後の「対テロ戦争」の「本来の戦場」であり、まさに米帝にとって死活がかかっている戦場だ。ところが完全な敗勢に陥り、泥沼的状態を抜け出す道筋が見えず、米帝内部でも政権と軍部が路線をめぐって対立を深めている。
 英仏独伊などのNATO諸国でも厭戦主義が高まる中、アフガニスタン侵略戦争に強力な同盟国として日帝を動員することが絶対の課題だということだ

 小沢の国連中心主義

 オバマ訪日の最大の狙いは、アジアと世界への軍事同盟としての日米同盟の維持・強化を確認し、米軍再編、とりわけ普天間基地の辺野古移設を再確認し、日帝のアフガニスタン支援を取り付けることだ。また、核をめぐる政治においても日帝・鳩山政権との共同歩調のムードをかもし出し、核独占と核の使用に向かっての敷居を低くすることを狙っている。
 岡田克也外相は10月11日、アフガニスタンの首都カブールを電撃訪問し、カルザイ大統領と会談し、新たなアフガン復興支援策として反政府勢力タリバンの元兵士への職業訓練を実施する方針を表明した。
 民主党の小沢一郎は、かねてからアフガニスタンに国連中心主義の立場からISAF(国際治安支援部隊)への自衛隊派遣を提言していた。
 「私は、日本国憲法の考え方からいって、米国であれどの国であれ、その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣して協力することは許されないと解釈しています。同時に、国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致するという考えに立っています」  「私は、日本国憲法の考え方からいって、米国であれどの国であれ、その国の自衛権の行使に日本が軍を派遣して協力することは許されないと解釈しています。同時に、国連の活動に積極的に参加することは、たとえそれが結果的に武力の行使を含むものであっても、何ら憲法に抵触しない、むしろ憲法の理念に合致するという考えに立っています」
 「私は、国連の決議でオーソライズ(正当化)された国連の平和活動に日本が参加することは、アフガンのISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しないと言っているのです」  「私は、国連の決議でオーソライズ(正当化)された国連の平和活動に日本が参加することは、アフガンのISAFであれ何であれ、何ら憲法に抵触しないと言っているのです」
 「今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています。我々は米軍活動という枠組みから離れ、ISAFのような明白な国連活動に参加しようと言っているのです」  「今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています。我々は米軍活動という枠組みから離れ、ISAFのような明白な国連活動に参加しようと言っているのです」
 アーミテージは、“アフガンで自衛隊は血を流せ”と叫んでいるが、小沢は、国連中心主義の立場から、ISAFへ参加すると主張している。   アーミテージは、“アフガンで自衛隊は血を流せ”と叫んでいるが、小沢は、国連中心主義の立場から、ISAFへ参加すると主張している。 
 米帝は来年が安保50周年であることを口実に、後50年は続くような日米安保の再定義(日米同盟の飛躍的強化)を求めてくる。いわばアフガニスタン侵略戦争を米帝と共に最後まで戦う日米同盟だ。
 はっきりしていることは、アフガニスタン侵略戦争が米帝の墓場になっているように、日帝にとっても墓場になるということだ。
 民主党・連合政権によるアフガニスタン侵略戦争への自衛隊派兵の策動を断固粉砕しよう。
 小沢一郎は今年2月24日、在日米軍再編に関連し「米国もこの時代に前線に部隊を置いておく意味はあまりない。軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンス(存在)は第7艦隊で十分だ」と述べ、将来的に日本に駐留する米軍は海軍関係だけで十分との認識を明らかにした。
 また、「あとは日本が自らの安全保障と極東での役割をしっかり担っていくことで話がつくと思う」とし、政権交代した場合、国連活動への協力などを通じて在日米軍基地の整理、縮小に取り組む考えも示唆した。
 小沢は「米国に唯々諾々と従うのではなく、私たちもきちんとした世界戦略を持ち、少なくとも日本に関係する事柄についてはもっと役割を分担すべきだ。そうすれば米国の役割は減る」と強調した。
 要するに、小沢は、自民党のような対米「従属的」な日米同盟ではなく、日帝ブルジョアジーの国益を守るために日帝の軍事力を増大し、積極的にアメリカを支えることを通していずれアメリカにとって替わっていくべきであるとし、そのための「対等な日米同盟」を主張している。
 世界大恐慌情勢、帝国主義間争闘戦の激化、侵略戦争、世界戦争に対応した日帝への反革命的飛躍を主張している。鳩山政権とは、まさに自民党以上の帝国主義的な侵略戦争・世界戦争政権なのだ。

 普天間基地移設問題

 鳩山は、9月24日、国連総会に出席のため訪米中に、記者会見し、普天間移設問題について「私のベースを変えるつもりはない」と、あくまで「普天間県外移設」を前提に移設計画を見直す考えを表明した。
 ところが、10月7日、鳩山はこれまでの普天間基地の「県外移設」について、「時間というファクター(要因)によって変化する可能性を否定しない」「日米で合意した前提がある。その前提の下で、県民のみなさんにも理解しうるような形がつくれるかどうかが一番問題だ」と、06年に日米合意した「日米再編のロードマップ」を持ち出してきた。これには14年までに普天間基地を名護市・辺野古に移設することが約束されている。そして16日には、「普天間来年中に決着」と結論を先延ばしにすることを表明し、来年1月の名護市長選の結果を見て決めるとした。
 10月20日のゲーツ米国防長官の来日を前にして、米国防省高官は、「日本政府が現行計画の滑走路の位置を50b沖合に移動させると提案した場合、容認もありうる」との譲歩案を示し、辺野古への移設の約束履行を強く求めた。50b沖合移転は仲井真知事が提案しているものだ。
 今回の衆院選で、労働者階級人民の自民党政治への怒りが爆発し、自民党を惨敗に追い込んだ。それは、人民の現状変革を求める革命的決起であった。
 沖縄においては、自民党は全ての議席を失った。その決定的なテコになったのは民主党の掲げた「普天間県外移設」であった。
 沖縄労働者人民の「基地の島沖縄」への怒りが爆発した。普天間基地移設は大ペテンであって、移設どころか実は名護市・辺野古に普天間基地をはるかに上回るV字型1800bの滑走路2本、駐機場と空母も停泊できる軍港を兼ね備えた巨大軍事基地を建設する攻撃に怒りをつらせていた。
 その怒りが、「普天間県外移設」をスローガンに掲げた民主党に大量に流れ込み、民主党など野党の圧勝がもたらされたのだ。
 ところが鳩山は「県外移設」の舌の根も乾かぬ内に、辺野古移設容認へと態度を変え、労働者人民の怒りを押さえつけ、連合などの体制内労働運動派の裏切り者を総動員して、沖縄闘争への反革命に走り始めている。民主党・連合政権の本性はここにある。
 しかし、「普天間基地即時返還」「名護新基地建設反対」の闘いは、血みどろの闘争となり、沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒に至るまで止むことない沖縄闘争の柱に座っている。
 96年4月、クリントン・橋本会談で決定した普天間の県内移設のペテンは、今や完全に破産している。鳩山などに何の決定権もない。沖縄人民の闘いは普天間基地即時撤去・名護新基地建設阻止を求めているのだ。これは今や固い岸壁のようになって日米両帝国主義の前に立ちはだかっている。
 「沖縄の意志を見定める」などと言う鳩山のふざけた言動を徹底的に弾劾しなければならない。民主党・連合政権が「これからの50年間の日米同盟の安定」などと言いながら、とんでもない裏切りを強行しようとしていることに対して、沖縄を先頭に労働者人民の怒りをたたきつけよう。
 問題の核心は、民主党・連合政権に対するお願い運動や要求運動ではないということだ。あらゆる意味で破産しきった日帝ブルジョアジーを救うために登場した民主党・連合政権との階級的対決ということだ。今こそ、国鉄分割・民営化の強行の上に成立した連合―帝国主義的労働運動に対して毅然と対決し、階級的労働運動の再生を掲げて日本の階級闘争の柱となって闘っている動労千葉のように闘うことが重要だ。
 10月4日、集会実行委員会の主催による「国鉄1047名解雇撤回!道州制・民営化絶対反対!闘う労働組合を甦らせよう!11・1すべての労働者は日比谷へ!10・4労働者総決起集会」が那覇市内で開かれた。
 国鉄1047名闘争は、日米同盟の新たな強化・再編と対決する沖縄闘争にとって、その一切を決する意味を持っているのだ。民主党・連合政権を打倒しよう。
(図 米軍再編ロードマップの主な内容)

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月刊『国際労働運動』(400号3-4)(2009/12/01)

■第3章

特集

 ■特集 オバマ来日・日米会談を弾劾する

 国際階級闘争の急進展 世界大恐慌下の革命的闘いへ

 中南米

 7月国際会議の成功

 この7月、サンフランシスコでILWUローカル10、34(国際港湾倉庫労組第10、第34支部)、動労千葉、民主労総ソウル地域本部などが呼びかけた労働者国際会議が行われ、ブラジル、トルコ、フィリピンからも階級的労働組合の代表が参加した。会議では動労千葉の民営化=労組破壊、戦争と闘う実践と路線が報告され、圧倒的な共感を呼び、動労千葉が提案した決議案(国鉄1047名闘争勝利、法大弾圧反対、11・1労働者集会への参加呼びかけ)が満場一致で可決された。
 この決議のもとで、ブラジルの階級的ナショナルセンター・コンルータス(全国闘争連盟)は、「南米の労働者の勝利は、世界の労働者の闘いと不可分一体だ」として、11・1集会への参加を決定した。コンルータスを代表してファビオ・ボスコさんが参加する。コンルータスは、ルラ労働党政権の新自由主義政策を支持する既成のナショナルセンターと決別し、民営化=労組破壊、戦争と闘っている組織だ。

 中南米では革命が始まっている

中南米では、すでに革命そのものが始まっている。
ボリビアでは03年と05年、ロサダ政権とメサ政権に対し労働者が蜂起。05年には労働者がガス、石油生産を管理した。支配階級は蜂起を制圧できない状態だ。06年に就任したモラレス大統領は、労働組合と先住民族の出身であることで幻想をあおり、闘いを必死で抑え込もうとしている。 アルゼンチンでは01年に労働者が決起してコミューン型組織「人民会議」を次々つくり二重権力状態になり、デ・ラ・ルア政権が崩壊した。
エクアドルでは00年、労働者と先住民族の蜂起でマヌアド政権が打倒され、「人民議会」が各地に形成され、二重権力状態となった。
ペルーでは00年、腐敗と抑圧を極めたフジモリ大統領が、労働者の怒りの決起で打倒された。メキシコでは、06年のオアハカ州コミューンを始め、ゼネスト、巨大デモ、工場占拠が闘われている。
この革命的激動の軸に座っているのが、中南米の最大国家ブラジルの階級闘争だ。
労働党と決別し
現在のコンルータスを担っている諸勢力は、1970年代末からの大工業地帯での大ストライキの波から生まれた。現大統領ルラもこの闘いの指導者だった。彼らは、80年の労働党結成も、83年のCUT(統一労働センター=唯一のナショナルセンター)結成も、一緒に担ってきた。
しかし労働党は、当初から労働者の闘いを体制内に抑え込んだ。そして地方議会や諸都市の市長の座に進出するにつれて利権まみれになって資本家階級と一体化し、IMF(国際通貨基金)の対外債務取り立て強行と政府の民営化、大衆増税、福祉破壊政策に屈服を深め協力していく。
02年に大統領に就任したルラは、大資本家を副大統領とし、新政権の中央銀行総裁に米巨大銀行の頭取を据えて、出発した。

 全世界の団結を

 この「労働党」とは名ばかりのブルジョア政権を支えているのが、第4インターの入閣だ。彼らはルラの年金破壊に賛成し、巨大デモで闘う労働者を裏切った。第4インターのロセト農業改革相は、農地改革を求めて土地を実力占拠した農民を、大土地所有者の暴力団と警察を使って虐殺した(入閣直後の1年間で60人)。CUTもルラ体制に全面協力している。
 コンルータスは04年、労働党やCUTと決別して、「労働者階級の独立した社会主義組織」「全世界の労働者の団結」を掲げて結成された。
 当初は、公務員労組から始まったが、現在ではGMの最大の自動車工場などでCUTを打倒し、労組執行部を握っている。06年5月のコンルータス第1回全国労働者階級大会は、180万人を代表する2700人の代議員が結集した。

 アメリカ

 プエルトリコで島ぐるみゼネスト

 アメリカの植民地、プエルトリコで、10月15日、教育労働者を始めとする公務員、港湾労働者、トラック運転手、学生が先頭に立って24時間ゼネストに突入した。人口400万人のプエルトリコで、首都サンフアンだけでも、15〜20万人がデモをしている。CNNの報道でさえ、「これは平和的形態の蜂起」だと報道した。
 このゼネストは、大恐慌、財政危機、32億ドルの財政赤字をかかえるプエルトリコ州政府が、公務員1万7000人の解雇を発表したことへの反撃だ。これから今後数ヶ月でさらに3万人の解雇があると予想されている。すでに6月にも4000人の公務員労働者が解雇されている。

 カリフォルニア全大学がストライキ

 9月24日、カリフォルニア州全域の州立大学、公立大学で、AAUP(全米大学教授協会)、UPTE(大学専門職・技術職労組、1万2千人)、UCSA(カリフォルニア大学学生協会、20万人)が一斉に授業放棄・ストライキに突入した。
 9月24日の授業放棄、ストライキが、直接に掲げているのは、給与カットや授業料値上げ反対だ。だが、この怒りの底流には、大恐慌による財政危機を理由にして一挙に教育の民営化を進めようとする連邦政府、州政府に対する怒りがある。全米の公務員大量解雇・民営化への反転攻勢が、ついにカリフォルニアで開始された。

 韓国

 8・6双龍自動車争議が終結

 5月22日に双龍自動車の平沢工場を占拠し無期限ストに突入、整理解雇撤回・総雇用を要求し、資本・国家権力との壮絶な死闘を戦い抜いて76日。8月6日午後、労使合意に至り、ストライキ闘争の幕を閉じた。
 最後までハンサンギュン支部長のもと組合員の団結を守り抜き、大恐慌下の労働者はかく戦うという、労働者階級の真骨頂を示した闘いだった。この一点で偉大な勝利を歴史に刻んだ金属労組サンヨン自動車支部の工場占拠ストは、世界の労働者を鼓舞激励し、サンヨンに続く決起を生み出している。
 6日夕、スト終結の報告大会で、ハンサンギュン支部長は「労働者間の傷が埋められないような戦争になった。使用側がこれを誘導した。労働者らは政権と資本の殺人鎮圧に対抗して、生存権を要求しながら戦った」と振り返り、「労働組合22年の歴史上初めての事態だった。私はサンヨン自動車労組設立委員会準備委員長として労組とともに生きてきた。労働者の存立基盤である労組が崩れてはいけない絶体絶命の瞬間が持続している」と、新たなステージでの闘いの継続と組合員の団結を訴えた。
(写真 77日間のストライキを戦いぬき、組合員とハンサンギュン支部長らが抱き合う【8月6日 平沢】)

 イギリス

 英労働組合会議がイスラエル商品ボイコット

 9月17日、650万人を擁するイギリスのナショナルセンターTUC(労働組合会議)が、イスラエル商品不買運動とイスラエルとの武器取引禁止の提案を圧倒的に可決した。
 TUCは、典型的な帝国主義的労働運動の組織だ。「労働組合」の名で労働者の闘いを抑えつけ、イスラエルの準国家機関であるヒスタドルート(イスラエル労働組合会議)との密接な友好関係を長い間結んできた。だが、このTUCでさえ、ついにイスラエルのガザ虐殺戦争とガザ封鎖を弾劾し、商品をボイコットする決議をあげるにいたったのだ。
 今回の議案は、FBU(消防士組合、4万8000人)によって提出された。FBUの04年大会では、体制内派執行部の反対を押し切って、ランク&ファイルが提出した労働党脱退決議案が圧倒的に可決された。消防の合理化、低賃金に対する大ストライキへの労働党ブレア政権の弾圧に、怒りが爆発したのだ。その翌年には執行部選挙でついに体制内派指導部を打倒した。
 世界大恐慌・大失業・戦争の嵐が吹き荒れる中で、全世界の労働運動は、既成の体制内指導部の反動的制動を激しい党派闘争をもって打ち破り、ストライキに決起している。それが国際連帯を促進し世界革命を準備している。

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月刊『国際労働運動』(400号4-1)(2009/12/01)

翻訳資料

 ■翻訳資料

 1923年2・7大鉄道ストライキ―中国初期労働運動(上) 河原 善之 訳

 1923年2・7大鉄道ストライキ―中国初期労働運動(上) 河原 善之 訳

 はじめに

 本稿は、1923年の京漢鉄道での大ストライキの資料をもとにしつつ、中国の初期労働運動について紹介しようとまとめたものである。
 中国は建国60周年を迎える中で、多くの矛盾を爆発させている。
 その最大の矛盾は、急激に進行した「改革・開放」政策によって、賃労働と資本の矛盾が深まり広がり、それが中国の体制を揺るがす事態になってきていることである。1年間に5万件以上ともいわれる労働争議の続発は、労働者の怒りが中国の資本家やスターリン主義体制と対決して発展しようとしている。またこの急激な市場経済と資本主義的生産様式の拡大は、(あえて言えば)日本以上の極限的な格差社会を生み出し、それが都市と農村の格差と差別の拡大、漢民族と諸民族の格差と差別の拡大へと発展している。この間起きているチベットでの暴動やウイグルでの暴動にも、中国スターリン主義の伝統的な民族差別政策の上で、今の「改革・開放」経済のもとでの資本主義化の進展、賃労働と資本の矛盾の拡大、そしてそれに伴う民族間での経済格差と差別の拡大が背景にある。農業・農民問題、民族問題は、労働者の闘いと一体で中国の体制を揺るがす大きな問題になってきているのである。中国における労働者階級の闘いが、世界史を左右する重要な位置を持ってくることも明らかである。
 私たちは、スターリン主義を倒し、資本主義を倒す新たな中国革命を、世界革命と一体でかちとるために、中国の労働者階級との連帯を呼びかけ、階級的団結をかちとっていかなければならない。
 中国には、20年代に世界史を揺るがす労働者の大闘争があった。国内資本家と対決し、侵略資本と対決し、さらには虐殺や直接の軍艦からの砲撃とも対決して闘いぬかれた労働者1000万人以上が参加する大ストライキがあった。これは後にソ連スターリン主義やその中国版である毛沢東主義によって歪められ、見捨てられていくが、しかし労働者は、解放を求めて団結して闘ってきたのである。
 中国労働者階級との階級的団結を形成する課題を私たちが実現していくために、そして中国の労働者階級が、スターリン主義・資本主義と対決する階級的な闘いを復活させていくことを訴えるために、本稿をまとめた。またこの時代の中国の労働者の闘いの歴史を振り返ることは、この労働者の闘いをつぶしていったソ連そして中国スターリン主義の問題を明らかにすることでもあり、同時に「労働者階級の解放は労働者自身の事業でなければならない」(第1インターナショナル規約)という立場の正しさをあらためて鮮明にするものだと思う。そして今後の中国の労働者階級の闘いの発展の可能性を示唆するものと思う。
(なお、引用している資料の多くは、『二七大ストライキ資料選集』工人出版社1983年1月出版に拠っているが、これは後に編まれた資料集であり、それぞれの資料の元の出典を引用文では明記することにした)
(写真 大ストライキがあった鄭州にある二七記念塔)

 初期の中国共産党―労働学校で組織作り

 

1917年のロシア革命の影響のもとで、1920年に共産主義者のグループが上海で生まれ、21年には中国共産党が結成されている。そして結成されたばかりの中国共産党は、積極的に労働者への工作を始めていく。
その組織化の武器となったのが、労働学校だった。
「1920年の夏、中国共産党の成立以降(注=この段階ではまだ中国共産党は正式には発足していない。上海で共産党の母体となる共産主義者の団体が生まれたことを指していると思われる)、直ちに労働者新聞を発行した。上海で出版されたのは“労働者”(後に“仁声”と改名)と呼ばれ、広州で出版されたのは“労働の声”と呼ばれ、いずれもみな週刊だった。上海ではさらに店員への宣伝用の専門パンフレット“仲間”もあった。これらの刊行物は大部分、出て数カ月で出版停止になった。
労働者への組織活動は、1921年から始まった。
1921年、北京党支部は長辛店で、労働補習学校を開校することに着手した。長辛店は京漢路線の北側の一区画にあるターミナル駅で、北京から20`だ。ここには大きな工場があり、3000人余りの労働者がいた。張特立とケ中夏同志が前年にここ来て労働者と接し、この地で学校を開くことを計画した。このころはまだ“平民教育を提唱する”という名目を(表向き)掲げ、何人かの決意した労働者とじっくり協議し、相当な準備をして、ついにこの年の元旦に開学を決定した。ここで指摘しておかなければならないことは、当時学校を立ち上げた者の中には、何人かの有力な職長(注=今でいう職制)が、言いくるめられて参加していたことだ。なぜなら彼らの賛助がなくしては、開校することはできなかったからだ。学校の経費は、義捐金に依っていたのだ。教員はすべて、“北京大学学生会”を称して派遣された。初めは常駐の教員は1人で、呉雨銘だった。その後、教務が増えると、教員も数名となり、党員でない同志も雇った。この学校は、昼と夜の班に分かれ、昼は労働者の子弟が、夜は労働者が学んだ。多くは青年労働者で、年長の一部の労働者は学習が好きではなかった。
この学校は当然にも、私たちの党がこの地で工作にとりかかるための単なる手段であり、これによって大衆に接近し、その目的は労働組合をつくることにあった。果たして、(開校から)半年も立たない5月1日のメーデーには、長辛店で中国史上空前のまごうことなき労働者大衆のデモが公然と発生したのだ。
参加者は1000人余りであり、そして大衆大会を経て、労働組合が成立した」
(ケ中夏『中国職工運動簡史』1942年版)
〔注 なお、この文章に出てくる「大きな工場」とは、恐らく列車をつくるとか、補修するとかなどの何かの鉄道関係の工場だと思われる。当時鉄道労働者とは、駅の乗務員や運転士などを指すだけでなく、鉄道を敷く建設労働者や、列車やその部品をつくる、あるいは補修する工場労働者などもすべて鉄道労働者とされていたようだ。もっと言うと、当時の駅は、病院など色々な施設をもったものだったと思われる資料もある。なお後で「駅工場長」という耳慣れない日本語が訳語として出てくるが、これも当時の駅長は駅だけでなく、その付属の工場なども含めた全体の責任者だったからではないかと思われ、駅長と訳すとイメージが変わってしまうので、あえてこのような単語にしておいた〕
これはその1921年5月1日のメーデー大会に参加した労働者の手記である。
「私が北京にいる時に、長辛店の労働者が、5月1日に労働記念大会を開催しようとしているという話を耳にした。私は一人の労働者だから、喜んでこの彼らの大会に参加した。私が着いた頃、労働者たちはすでに会場に集まっており、その数は1000人以上で、この地域の労働者のほか、天津や保定など各地から来た労働者、さらに工場地区にある国民学校の学生、労働補習学校の学生もいた。土曜日に、彼らはビラをつくり、各地で撒いたが、そのために今日の参加者は特別多いのだ。昨日撒かれたビラの中身を写し取った。“皆さん、皆さん、明日は太陽暦の5月1日で、労働者の祭典です。工場の労働者は記念大会を開こうとしています。みんなで集まって、語り合い、演説し、にぎやかに過ごしましょう。明日は日曜ではありませんか? 全員が聞きに来ることができます! 8時半開会です! 早めに来てください。”
8時半になると開会の鐘がなり、最初に労働者の陶さんが出て、李懋銀さんを首席に推挙し、全員で確認した。(中略)工場地区にある国民学校と労働補習学校の学生は歌を歌ったが、その歌詞は次の通りだ。

自由の美しさよ! 世界の望むもの
我らの燃えたぎる血を集めてそれに捧げよう
強権的な制度のすべてを一掃しさろう
5月1日の素晴らしい朝を心に刻もう
赤旗を翻えし光輝く道を進んでいこう
各々がその能力を尽くしその必要なものを得る
金持ちも貧乏人もなく互いに助け合うことに責任をとる
全員が力を尽くしともに進んでいこうではないか!」
(張錫彬 北京《晨報》1921年5月2日)

  この大会では、労働者の生活苦の中で「8時間の労働、学習のための1時間、休息のための8時間」を獲得しようと訴えられ、さらに資本家の横暴が弾劾された。
そして闘うための強固な団体が必要であるとして、労働組合の結成が提起され、決議されて、ここに長辛店労働組合が発足したのだ。その後、参加者はデモ行進をした。
この長辛店労働組合の結成の後、同月5日に運転士らの組合である長辛店京漢鉄路労働組合が結成され、さらに列車修理工場や鉄道工事作業場にも組合がつくられていったという。
一方中国共産党の上海支部は、1921年にまず上海西部の紡績工場地域である小沙渡での工作から始め、やはり労働補習学校を開始した。長辛店と小沙渡はいずれも中国共産党の最初の労働運動の出発点になった。そして武漢、湖南、済南、広東の各地で労働運動工作が始まったのである。
こうして各地に労働組合が次々と結成されていった。
後に23年の二七大ストライキのひとつの中心地となる鄭州には、駅のすぐ近くに「二七記念塔」がある。1971年に、「二七大ストライキを記念」して建設された。このようにこの塔自身は、中国スターリン主義者が自分たちの政治目的で建てたものだが、中には当時の貴重な資料がいろいろと展示されている。
労働学校で使用した『労働学校教科叢書』などのテキスト、当時翻訳されたマルクスの『共産党宣言』や宣伝用のパンフレット、機関紙なども展示されている。さらに当時、鉄道労働者が仕事や闘争の武器としてつかった道具などなど……。
こうしたマルクス主義の古典学習などが、労働学校を通じて当時の中国の労働者の中で行われ、労働組合や党をつくっていったことは、非常に感慨深いものがある。なお、この当時の労働学校は、マルクス主義の学習だけではなく、当時の教育水準が低かった労働者の教養を高めるための一般的な教育活動や娯楽活動も行っていた。

 始まった労働争議

 「1922年1月から、中国でストライキの第一次の高揚が始まった。この高揚は1923年2月に終わるが、13カ月の長さに渡って続き、大小のストライキが100件以上、参加人数は30万人以上となった」(ケ中夏『中国職工運動簡史』1953年版)
 また、別の資料によるとこの時期に、187件のストライキがあり、ストライキ参加者数は記録にある69件だけでも28万3000人に達したという。
 この期間の闘いは、192
2年1月の香港での海員のストライキに端を発した。実に3万人の労働者によって闘われた56日間の闘争である。
 香港を中心とする海員労働者は、すでに前年21年3月に中華海員工業連合総会を結成していた。彼らは、「賃上げ」「差別待遇反対」などを掲げて、22年1月13日に、ストライキに突入した。
 このストライキに対してイギリス香港政庁は戒厳令を敷き、組合解散を命ずるなどしたが、労働者の団結は固く、港湾労働者や中国人使用人など約2万人もストライキに入り、続々広州に引き揚げたため、香港はまひ状態に陥った。3月4日には、イギリス兵が労働者に発砲して数名の死者と数百名の負傷者を出す沙田事件が起きた。だがこれは逆に労働者側の意気を高める結果となり、組合側の要求をほとんど認める形で争議は終結したのである。
 またこの香港の大ストライキに呼応して、上海の郵政労働者、日帝資本である日華紡織会社の労働者、揚子江の海員など、上海や広州でも相次いで労働者がストライキに入った。また京漢鉄道労働者を始めとして、全国で支援活動が行われた。
 さらに1922年7月に漢陽製鉄所労働者がストに入り、同年8月には上海の海員2000人、上海の製糸業の婦人労働者2万人、漢陽兵器工場の労働者2000人以上、そして先ほど触れた長辛店の鉄道労働者3000人以上のストライキが起きている。
 同年9月には、安原の鉄道・鉱山労働者1万7000人のストライキがあり、11月には上海で日華紡織会社のストライキ、イギリス・アメリカ煙草会社の労働者9000人がストライキに入った。
 こうして1922年から23年の初頭にかけて、中国各地でストライキの嵐が吹き荒れたのだが、ここでは8月24日から始まった京漢鉄道長辛店鉄道労働者のストライキを紹介したいと思う。
(写真 当時刊行された労働学校叢書の中の『労働運動史』の発行を伝えるチラシとマルクスの肖像)

 22年8月の京漢鉄道長辛店労働者のストライキ

 「牛馬となること幾年月/ブタのように飲み食いし、柳のようによれよれの服を着る
/軍閥の刀や鞭は、血でぐっしょりぬれている/労働者は、いつ苦境から抜け出すのか」
 京漢鉄道の労働者が歌っていた歌とされている。こうした苦境の中で、21年から各地に労働組合ができ、そして全国的なストライキの嵐の中で、彼らもストライキに立ったわけだ。
 では、そもそも彼らはどのような要求を掲げてストライキを闘ったのだろうか?
 「京漢鉄道長辛店労働者ストライキ宣言」(上海《申報》1922年8月27日より)から、彼らが要求した項目を紹介する。
 「一、私たちは、いわれもなく我々を虐待した汽車部総班長の郭福洋、電務科長の黄綿綿、書記の王龍山、機関所電気場担当官の談萌棠、科長の徐家■ら5人を罷免することを要求する。この5人は、平素から労働者を虐待し、騙し、給料差し引きなどの劣悪の手段で過酷な罰を加え、その罪は書きつくせない。我々が彼らを放逐しないならば、その暴威の元で、永遠に安まる日がない。我々はすでに、鉄道当局に彼らの罪悪を一つ一つ呈上したが、当局は結局我々の要求を受け入れなかった。我々はやむを得ず、仕事を停止することにする。
 二、我々は、生活上の困難を感じており、歴史の中で積み重なってきた弊害を除かなければならないと思い、鉄道当局に八つの条件を要求する。ここに我々が要求する八条を次に記す。
(一)職場で今後、人を雇ったり首にするときは、必ず労働組合を通さなければならない。職場の担当者が、自分勝手に人を推薦することはできない。
(二)長辛店の労働者には、雇われて十余年、あるいは七、八年になっても、いまだ一回も給料が上がっていない者がいる。これは「米は珠、薪は桂(物価は高く、生活が苦しい)」といわれる状況そのものであり、労働者の苦境は困難を極めている。今まではともかくとしても、今から、上がっていない給料をただちに上げることを要求する。
(三)臨時雇いの労働者で、およそ2年過ぎた者は、常勤の労働者にすべきである。
(四)運転士の一等の給料は、何年間従事すればその給料を得ることができるようになるのか、当局が明確に発表することを要請する。
(五)今回の奉直戦争の烽火が上がり、労働者は(仕事で)敵の前面にも行き、倍する苦しみを受け、銃の林、銃弾の雨の中にも出入りし、何人かの生命は失われた。すべての人の給料を一級上げるべきである。
(六)北京、琉璃河、高碑店、保安などでは、当局は官舎を建てて、鉄道労働者が休めるようにし、一家離散という悪弊をなくすべきである。
(七)長辛店の労働者は非常に多くて、泊まるところがない。鉄道当局は官舎を建てて、労働者の宿舎の便をはかるべきである。
(八)労働者で、公務によって怪我をしたものは、病気にかかっている間、賃金が支払わなければならない。
 以上、要求する八条件である。すべて我々が当然得るべき権利であるが、鉄道規章にも出てこない。さらに鉄道当局は、結局、我が要求に対応することさえしようとしない。我々はやむを得ず、労働者全体でストライキをせざるをえない」
 当時の労働者の状況と闘いがうかがわれる資料だ。経営者の処分から、人事問題、賃上げを始めとする賃金問題、戦時下での労働に伴う補償、そして住宅の要求などをしていることが分かる。
 この24日のストライキでは、京漢鉄道の各地から3000人以上の鉄道労働者が長辛店に結集し、手に手に「食べられないということは、死ねということだ!」「資本の専制を倒せ!」「死をも覚悟だ!」「目的を遂げなければ止めない!」「労働者は闘い抜く」「国賊・高恩洪(注=当時の民国政府交通部総長)打倒!」などの訴えが書かれた旗を持って闘った。
 ストライキは次第に周辺各駅に拡大し、労働者の戦闘的なデモは、政府交通部の政庁、および民国政府交通部総長の高恩洪の自宅を包囲した。民国政府は、この鉄道労働者のストライキを武力で弾圧する動きも見せたが、不屈の労働者の闘いの前に、26日に結局労働者の要求を全面的に飲み、鉄道労働者は当局がそれを承認したのを確認してストライキを解除した。
 3日間にわたる鉄道ストライキは、まさに労働者の大勝利のうちに終わったのだ。(以上、北京《晨報》1922年8月25日、同8月27日、同8月29日、及び『長辛店労働組合ストライキの勝利を全国の仲間に告げる書』に拠る)
  第5節 23年2月の京漢鉄道労働者の大ストライキ

 23年2月の京漢鉄道労働者の大ストライキ

 21年5月1日メーデーを契機にした京漢鉄道労働者の労働組合結成から、22年の労働争議の全国的な高揚、この8月の京漢鉄道のストライキの勝利という流れの中で、この京漢鉄道では16の労働組合が結成され、2万人以上が加盟するところまで組織が拡大した。
 こうした中で、京漢鉄道総労働組合の結成が課題となった。いわゆる単産の確立が課題となったのである。4月9日に各労働組合の代表を集めて総労働組合の結成が決定され、このストライキのあった8月から準備会が開催され、規約などが作られ始める。そして23年2月1日に、鄭州で成立大会が開催されることになった。(天津《益世報》1922年8月26日、《向導》第20期1923年2月27日などに拠る)
 鄭州は、先に述べたように23年2月のストライキを記念する塔が戦後建てられた地であるが、現在、河南省の省都となっている。黄河の流域にあり、3500年前に商(注、日本では普通、殷王朝と呼ばれる)の都があったところとしても知られている。
 こうした歴史からもうかがわれるように、古来交通の要所となっており、現在でも貨物輸送のターミナルとなっている。街の郊外を歩くと、トラックが大量に走り、運送会社の敷地・駐車場が目につく。今では、輸送の主力がトラックなど自動車に移りつつあるのかもしれないが、モータリゼーションが進んでいなかった戦前では、鉄道が運輸の基軸であり、鄭州は鉄道のターミナル地点として重要な位置を占めていたといえる。そして京漢鉄道とは、北京と武漢を結ぶ鉄道であり、鄭州はその中心部に位置するターミナル駅だったわけだ。
 こうしたことから、鄭州が京漢鉄道総労働組合の結成大会の会場にふさわしい場所として選ばれたのだと思われる。
 この総労働組合の結成大会を、時の直隷派軍閥呉佩孚は認めず、これを武力で禁止しようとした。今まで呉佩孚は「労働者の保護」を掲げ、労働立法推進などの進歩的態度を外見的にはとっていたが、これはあくまでも張作霖ら奉天派との対抗上の政治的なものに過ぎず、北京政府の最も安定した収入源であった鉄道に共産党の組織が出現するのは許せなかったのだ。
 (22年8月の長辛店のストライキの結果、賃上げなどで呉佩孚は毎月6万元、1年間で70〜80万元の損失を受けたとされている。
 ちなみにこのころの1元は、現在どのくらいかだが、比較する参考として賃金をあげてみる。鉄道の技術労働者の月給が、一日平均11時間労働で、二十数元から、勤続年数が長いと40〜50元だったようだ。だがこれは、技術職扱いだから当時の労働者としては極めて待遇の良いほうらしい。ちなみに鉄道の肉体労働者や臨時雇いの月給は8〜12元。当時の肉体労働者と技術職ではかなりの賃金の開きがあったようだ。これも争議の一因になっていったわけだ。以上の当時の鉄道労働者の賃金に関しては、「《栖梧老人回憶録》工人出版社1957年」に拠っている。なお、当時の普通の単純労働の労働者の賃金は、1日12時間労働で、10元から12元くらいの月給だったと言われている)
 「2月1日の明け方、鄭州全体が緊急戒厳体制となっており、実弾をつめた銃を背負った軍隊や警察が街路に沿って並び、店は閉まっており、歩く人の姿はなく、強敵をほとんど前にしているようだった。鄭州京漢労働者全員と各地の代議員は、小さな問題に対する彼らの大げさなやり方を笑わずにはいられかなったが、軍閥が自ら人々の自由に滅茶苦茶に干渉してくることを憎悪しないわけにはいかなかった。“必ず開会するぞ! 武力には屈しないぞ!”とみんなは声をあげた。各代議員は、五州大旅館で隊列を整えて出発し、楽隊が先導し、各路線各所の労働組合が送った扁額(注=横長の額)などがこれに続いた。各自は手に手に赤旗を持ち、順序良く行進をした。
 一方で鄭州の労働者同志の全体は、事務所から出発して迎えにむかう。会場からそう遠くないところに来たとき、軍隊と警察は彼らを包囲し、銃を挙げて威嚇し、前進を阻止してきた。みんな憤慨し、まず代表が再三説得したが、とうとう許可されることなく、街の中心で2時間近くも直立させられ、怒りがやまなかった。そこで決死の勇気をふるって軍隊の阻止戦に突入して道を開き、会場になだれこんだ。
 初めに主席から組織の趣旨が説明され、今回の強権による理の通らない弾圧に心から怒ろうと訴えられ、そしてついに京漢鉄道総労働組合が正式に成立したと重々しく宣言された。群集は、“京漢鉄道総労働組合万歳!”“労働者階級の勝利万歳!”と大声で叫んだ。この時すでに会場の四方は軍隊によって包囲されていた。これによって群衆の気持ちはさらに高まり、喜びに満ちた音楽が演奏され、群集の声は建物を揺るがした。黄殿辰(鄭州警察局長)はすでに現場におり、あらゆる手段で脅したが、群集は普段と同じように会を進行させた。ようやく午後4時になって、重包囲を突破して、散会が宣言された。」
 「この日(2月1日)の午後、代議員の各旅館は、すべて軍隊の監視下におかれ、ひそひそ話さえできなかった。総労働組合に対しては、万年春菜旅館で、所定の食事を売り出すことが禁止された。各代議員は一時完全に自由を失い、飲食さえ得られなかった。各団体が贈ってきた扁額などの贈り物は、ことごとく壊されて道端に捨てさられた。送り届けることは許されなかった。総労働組合の事務所は、軍隊によって占拠され、労働者の出入りは禁止され、室内にあったすべての文書や備品は尽く破壊された。“どうしてこのように強暴なのか?”と聞くと“呉大元帥の命令だ”と(兵士の)全員が応えた。この晩、事務所は閉鎖された」
(以上二つは、《向導》第20期1923年2月27日)
 このような中で、総労働組合はこの晩秘密会議を開催し、この呉佩孚による労働組合への大弾圧に抗議して、4日昼からの大ストライキを決議したのだ。
 そしてこのストライキで、以下の五つを要求として掲げた。
 「(一)交通部から京漢局長・趙継賢、及び南区間所長・馮■を罷免し、呉巡閲使(注=呉は呉佩孚)、■師長(注= ■は ■雲鵬という人名)及び豫省(注=河南省のこと)当局に、黄殿辰を罷免することを要求する。  「(一)交通部から京漢局長・趙継賢、及び南区間所長・馮■を罷免し、呉巡閲使(注=呉は呉佩孚)、■師長(注= ■は ■雲鵬という人名)及び豫省(注=河南省のこと)当局に、黄殿辰を罷免することを要求する。
 (二)鉄道当局に、成立大会開会の際の損失6000元を賠償することを要求する。
 (三)当日鄭州で軍閥が差し押さえたあらゆる一切のものを、総労働組合の鄭州事務所に軍隊の音楽の演奏を伴って送り返すこと、および鄭州の分会事務所を占領している軍隊をただちに立ち退きさせ、鄭州分会の扁額を再び掛けること、さらに一切の会の損失について鄭州分会が請求書を出すので、鄭州地方長官は弁償すること、これらを鄭州地方長官に要求する。
 (四)毎週、有給の休みを設けることを要求する
 (五)1年間に1週間の有給休暇を要求する」(「京漢鉄道総労働組合全労働者ストライキ宣言 2月4日」 上海《新聞報》1923年2月9日)
 (つづく)
(写真 当時の労働者組織化のための機関紙)

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月刊『国際労働運動』(400号5-1)(2009/12/01)

 Photo News

 (写真 上@A、 下BC)

 

10月15日、アメリカの植民地、プエルトリコで教育労働者を始めとする公務員、港湾労働者、トラック運転手、学生が先頭に立って24時間ゼネストが貫徹された。人口400万人のプエルトリコで、首都サンフアンだけでも15〜20万人がデモを行った(写真@A)。このゼネストで役所、企業、商店、公私立の学校も活動を停止した。デモ隊は金融街も制圧し、その業務をストップさせた。このゼネストは、政府が公務員1万7000人の解雇を発表したことへの反撃として行われた。左派の労働組合が呼びかけたものであるが、右派系の労働組合も現場労働者の怒りの声に押されて参加し、大規模なものになった。米本土にはプエルトリコ出身の労働者が、プエルトリコの人口よりも多く居住しており、プエルトリコでのゼネストはアメリカの労働運動に巨大な影響を与えるであろう。
米カリフォルニア州では、州全域で州立大学、公立大学で、AAUP(全米大学教授協会)、UCSA(大学専門職・技術職労組 1万2000人)が一斉に授業放棄・ストライキに突入し。この闘いは、州教育予算の240億jもの削減、賃金カットや大学の民営化、用務員・警備員などの首切り、大幅学費値上げに反対する巨大な反撃の闘いとなった。カリフォルニア大学バークレー校では、5000人の教授・講師、職員、学生が集会を開き、構内デモを行ったあと、校外に打って出て、座り込み闘争などを展開した。(写真B)アービン校でも同様の闘いが行われた(写真C)。

 

  (写真 上DE、 下FG)

  イギリスの郵便労働者たちは、賃上げ、合理化問題、労働条件の改善をめぐって、10月22日に24時間の全国ストライキに突入する。通信労組(CWU)に組織される郵便労働者たちは、英ロイヤル・メール当局が労働者側の提案を全面的に拒否したため、ストライキ以外に選択肢はないとしている。ストライキの第一日目は、郵便センターの労働者と運転手(4万2000人)がストライキに入り、二日目は、集配部門の労働者(7万8000人)がストライキに入る。郵便労働者たちは先週、3対1でストライキを支持した(写真D 「われわれは金のためにストライキをしようとしているのではない」と書かれた横断幕を掲げてスト投票をした郵便労働者)。ストライキが実施されれば、イギリス全土で郵便業務に大混乱をもらしかねず、政府は重大な打撃をうけるであろう(写真Eこれまでの断続的ストライキと「物ダメ」闘争でできた大量の未配達郵便物の山)。
10月14日、アメリカのデトロイトでは、公共料金の支払い援助と住宅から追い出されないための援助を求める住民5万人が市議会前の長蛇の列をなした。家賃や公共料金を支払えない若い労働者から、失業者、退職者などが、市の「ホームレス化防止、住宅支援計画」(3400人分)の申し込みに殺到し、けが人まで出る騒ぎになった(写真FG)。デトロイト市内の失業率は29%に達しており、冬を前にして、電気やガスを止められたり、住宅から追い出されれば、死を待つしかないことから、必死に行列に加わったのだ。ちなみに昨年にはデトロイトの18万1000世帯が、料金未納で暖房をストップされている。アメリカでは大恐慌の影響はここまで深刻化している。

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月刊『国際労働運動』(400号6-1)(2009/12/01)

世界経済の焦点

 ■世界経済の焦点

 民主党政権の反労働者性

 「基本政策」は新自由主義そのものだ

 鳩山由紀夫を首班とする民主党政権が9月に発足した。支配階級が今までのあり方ではもはややっていけない窮地に立たされたという意味で、民主党政権の登場は革命情勢の到来の証左にほかならない。だがもちろん革命は待っているだけでもたらされるものではない。いやそれどころか、民主党=連合の結託した政権は、資本主義の救済者として、労働組合の階級的再生、労働者の革命的決起を押しつぶす使命を担って登場したブルジョア階級の政権である。
  第1節 □民主党=連合政権への一切の幻想をうち砕け

 □民主党=連合政権への一切の幻想をうち砕け


 8月30日、日本の労働者人民は選挙において自民党政治に決定的NOを突きつけ、麻生政権を引きずり倒した。民主党が圧倒的な議席数を獲得した。だが、民主党の政策や方針で労働者階級が多少なりとも救われるかのような幻想を日共、4者4団体、塩川派などの体制内勢力がふりまくことを許してはならない。日本労働者階級の進むべき道は、「民主党政権打倒! プロレタリア革命」であることを呼びかけよう。
 国鉄1047名解雇撤回闘争において4者4団体派は、「民主党政権になったのだからなんとか解決してください」と絶望的に一層の屈服を深めている。だが現実にはその民主党政権のもとで、国鉄分割・民営化攻撃と不屈に闘い続けてきた動労千葉に対する、幕張支部破壊、デッチあげ事件を口実としたDC会館への不当捜索などの組織破壊攻撃がかけられている。三里塚における現闘本部撤去と農地強奪の策動、法政大学における学生への不当処分と見境のない逮捕・弾圧。これらすべてが民主党政権によって行われている。まさに連合=体制内労働組合は革命の現実性がどこに存在しているかを察知し、そこに襲いかかってきたのだ。
 われわれは、1917年ロシア2月革命で帝政が打倒された後に登場した臨時政府に対し、帰国したレーニンが「一切信用するな!」と固く戒めたことを思い出し、鳩山政権に対する一切の期待と幻想を打ち砕いて前進しよう。
  第2節 □民主党はまぎれもない新自由主義の政党だ

 □民主党はまぎれもない新自由主義の政党だ

 民主党は新自由主義の党である。新自由主義政策こそ最末期帝国主義の選択の余地のない延命策であるが、民主党の本質・神髄はまさにここにあることをあいまいにしてはならない。
 今、民主党が、「子育て支援」「後期高齢者医療制度廃止」「高速道路無料化」「学費援助」「障害者自立支援法廃止」「農家への戸別所得補償」などを打ち出して、格差緩和、生活支援、弱者救済の装いを取っていたとしても、本質はそこにはない。
 1998年に発表され、現在もそのままの民主党の「基本政策」には以下のように書かれている。
 「経済/自己責任と自由意思を前提とした市場原理を貫徹することにより、経済構造改革を行う。これにより、3%程度の持続可能な経済成長をめざす。
 規制改革/規制改革を長期的経済発展の基本と位置づけ、経済的規制は原則廃止する」
 「自己責任」「市場原理」「規制廃止」という新自由主義の基本がすべて挙げられている。そして誰でも知っている民主党の党是は「ムダをなくす」だ。これは福祉政策を否定した「小さな政府」を意味する。まさに新自由主義そのものである。
 民主党は今でこそ、自民党・小泉構造改革を断罪し否定する方向を進んでいるふりをしているが、もともとはその小泉自民党と改革の内容とテンポを張り合い、代案を提示していた関係だった。鳩山は小泉に対し、「改革者」としてエールを送っていた。
 郵政民営化に際しては、自民党から「民主党は労働組合に配慮しているからリストラはできない」と言われたことに反発し、05年に民主党の枝野幸男幹事長代理は「郵政労働者8万人のリストラをする」と具体的な数字を挙げた「対案」を示した。
 07年には最低賃金法改定案と労働契約法案が、密室における自民・公明・民主の修正協議案でまとめられ成立した。連合中央はこれに率先協力し一役買った。労働者の「首切り自由」を認めたこの民主党の大裏切りは絶対に許されない。
 前述の民主党「基本政策」には「雇用・労働/産業・企業の構造変化に伴う雇用・就業形態の多様化とリストラの進展に対応し、雇用安定・勤労者保護の充実を図る」とあり、経営がいかにつごう良く労働力を動員するかに腐心する姿勢をしめしているが、労働者の権利などに言及したところはまったくない。
 今、この民主党があたかも労働者・庶民の味方の顔をして、福祉や生活での援助を行おうとしているのは、まさに今日の大恐慌情勢が恐るべき勢いで進展し、それが人民の反乱、労働者の革命的決起に火を付けることに恐れおののいているからにほかならない。だがそれも早晩破産は必至だ。
 民主党はこれまでの自民党政治のあり方に大幅な変更を加えている。国家戦略室、行政刷新会議という機構を編成し、「脱官僚」を掲げ「政治主導」で国家予算などを決めていこうとしている。各地の公共事業の見直しが、マスコミの関心を引いている。それが話題となるのは、これまでの自民党政治の独特の利権と情実にまみれたあり方、利益集団の衝突と調整のせめぎ合いの中から決められる予算決定のあり方に、「対決」的な手法を政権の側から持ち込んできたからだ。
  第3節 □「政治対官僚」図式で階級対立をあいまいに

 □「政治対官僚」図式で階級対立をあいまいに


 それはたしかに従来の利権の周囲にうごめいていた人びとにとっては破壊的作用をもたらす重大事態と言えるだろうが、「政治対官僚」といった対立図式で事態を描き出すこと自体が、階級闘争の本質と現実をあいまいにさせるごまかしだということだ。
 対立しているのは労働者と資本家という2大階級である。ここから離れることはできない。
 現在の大恐慌情勢の深刻化は、資本主義そのものがこれまで蓄積してきた矛盾の爆発であって、民主党政権の行ういくばくかの「手当」によって解消されるものではまったくない。
 10月16日、来年度予算の概算要求がまとめられ、一般会計の要求総額は95兆円という過去最高額に膨れあがった。各省が金額を明示しない「事項要求」を加えると、97兆円を超すとみられている。その一方で46兆円を見込んでいた今年度税収は、40兆円を割り込むことが予想されている。09年度予算を見直すことで3兆円の財源をひねり出したことを、民主党政権は自慢げに押し出していたが、「焼け石に水」に等しい。
 鳩山政権は大量の赤字国債発行を強いられながら、マニフェストの内容をひたすら後退させていくしかない。そこに労働者人民の未来はない。
 「国や地方の膨大な借金」とは、支配階級とその政治委員会がつくり出したもので、労働者が負うべきものではまったくない。そもそも赤字国債の買い手自体が基本的にブルジョアジーであり、その「原資」は高い搾取率で労働者階級から奪ったものなのである。
 労働者階級は今こそ、こうした階級関係を根本から覆し、自らの労働力を売って搾取されるしか生き延びられない現状を変革し、支配階級として権力をにぎり、自らの力で自らを解放しなくてはならない。それが革命だ。
  第4節 □「道州制」でリストラ・首切りをやりたい放題

 □「道州制」でリストラ・首切りをやりたい放題


原理的には社会主義においては、社会的生産や分配における過程において、何らかの「ムダ」=不要な部分があったとしたら、それを取り除くことは社会全体の労働時間の短縮=負担軽減になる。だが、民主党の唱えている「ムダを削る」は、労働者階級にとって何かプラスになることなのか。全く逆だ。公務員のリストラ・首切りに直結する反労働者的政策であることを、はっきりさせなくてはならない。
民主党政権は、政府が地方に置いている行政機関である地方整備局、地方農政局などの「出先機関」を廃止することを明言している。ここでは国家公務員33万人のうち、6割強の21万人が働いている。とてつもない大リストラである。
民主党は「地方分権」をテーゼとしているが、その実質的な内容は「道州制」そのものにほかならない。すなわち各地方を大企業・ブルジョアジーの支配に任せて公務員労働者の徹底的なリストラを好きなようにやらせるということだ。
結局は資本主義救済のために、労働者の徹底的な搾取・収奪、大リストラに道を開く。それが民主党政権の正体なのである。
(田宮龍一)
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廃止が狙われている国の出先機関

    支出総額(円) 定員(人)
国交省 地方整備局 64,047 21,567
北海道開発局 8,377 5,648
地方運輸局 467 4,418
農水省 地方農政局 9,801 15,347
経産省 経済産業局 1,295 1,886
環境省 地方環境事務所 126 407
厚労省 地方厚生局 66 1,520
都道府県労働局 6,423 22,245

(注)支出総額は2006年度決算、定員は08年度末

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 民主党「基本政策」の主項目

 1998年4月27日

 行財政

 中央集権的な政府を「市民へ・市場へ・地方へ」の観点から再構築する。それは官僚機構の容れ物を変えるだけの表面的なものではない。官と民の関係、中央と地方の関係など本質的な権限の構造を勇気をもって変革する。

 分権社会

 中央政府の役割をスリム化し、外交・防衛、司法などのルール設定・監視、年金をはじめとするナショナル・ミニマムの確保など、国家と国民生活の根幹に係る分野に限定する。それ以外については住民に最も身近な「基礎的自治体」が、それぞれの意思決定に基づきサービスを提供することで、柔軟・迅速・民意反映の政治・行政を実現する。地方独自の財源を十分に確保し、中央政府の役割を明確なルールに基づく地域間の財政調整などに限定する。過渡的措置としては国から地方への包括交付金制度をただちに導入する。

 経済

 自己責任と自由意思を前提とした市場原理を貫徹することにより、経済構造改革を行う。これにより、3%程度の持続可能な経済成長をめざす。

 規制改革

 規制改革を長期的経済発展の基本と位置づけ、経済的規制は原則廃止する。環境保全や消費者・勤労者保護などのための社会的規制は透明化や明確化を進める。

 社会保障

 少子・高齢社会の到来に対応し、「普遍」「個人」「自立支援」を原則とした社会保障制度を構築して国民の将来への不安を解消する。育児・介護支援制度については、介護財源のあり方も再検討しつつ、NPO活動の支援などサービス提供を含めた体制の充実を図る。医療・医療保険制度は、市場原理をも活用しながら、情報公開を徹底し、抜本的な制度改革を行う。高齢者医療は税を主たる財源とする。公的年金制度は、世代間扶養の原則を踏まえつつ、負担における税の比重を高める方向で長期的に安定した制度に改革する。個人年金・企業年金の役割を重視する。高齢者や障害者などが安心して暮らせるバリア・フリー社会を実現する。

 雇用・労働

 産業・企業の構造変化に伴う雇用・就業形態の多様化とリストラの進展に対応し、雇用安定・勤労者保護の充実を図る。公的能力開発制度の拡充や民間の教育訓練、個人の自発的な職業訓練に対する支援を強化する。仕事と家庭が両立しやすい条件づくりを進め、仕事最優先から生活の充実へというライフスタイルの変化を促すため、労働基準法制の整備などを進める。女性や高齢者の雇用機会拡大を支援する。

 外交姿勢

 予防外交をはじめとした積極的な外交を展開し、国連を中心とする世界平和の構築をめざす。米国との関係を様々なレベルで一層緊密化させながらその成熟化を図る。先の戦争の反省を踏まえて近隣諸国との基礎的信頼関係を構築し、アジア各国との外交・経済関係を深化させていく。アジア太平洋地域の平和と安全にとって重要な存在である中国に対し、長期的視点に立った友好協力関係を発展させる。新生EU・ロシアとの幅広い分野での友好関係を深める。

 安全保障体制

 

日米安全保障条約を引き続きわが国の安全保障政策の基軸に据える。アセアン地域フォーラム(ARF)を積極的に充実・発展させ、アジア太平洋多国間安全保障の確立に努力する。基地問題を現状固定的に捉えるのではなく、将来は状況に応じて変化しうる要素があることに着目し、日米両国が、米軍基地のあり方等を協議・模索していく。なお、沖縄米軍基地の整理・縮小・移転について引き続き努力する。

(ゴチックは引用者)

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月刊『国際労働運動』(400号7-1)(2009/12/01)

世界の労働組合

 ■世界の労働組合

 アメリカ郵便労働組合

 American Postal Workers Union:APWU

 American Postal Workers Union:APWU

 ■概要

 APWUは、合衆国郵政公社(United States Postal Service:USPS)に働く郵便物集配施設の職員を中心にしたAFL―CIO傘下の労働組合で、約33万人の組合員を有する世界最大の郵便労組であるが、民間企業の郵便事業に従事する約2000人の郵便労働者も組合員に含まれている。USPSの中にはAPWUのほかに、全国郵便取扱労働組合(NPMHU、5万人)と全国郵便配達労働組合(NALC、郵便配達員の労組)などがある。  APWUは、合衆国郵政公社(United States Postal Service:USPS)に働く郵便物集配施設の職員を中心にしたAFL―CIO傘下の労働組合で、約33万人の組合員を有する世界最大の郵便労組であるが、民間企業の郵便事業に従事する約2000人の郵便労働者も組合員に含まれている。USPSの中にはAPWUのほかに、全国郵便取扱労働組合(NPMHU、5万人)と全国郵便配達労働組合(NALC、郵便配達員の労組)などがある。
 APWUは、アメリカの郵便事業が大統領府の直属官庁から分離し、合衆国郵政省(Post Office Department)が公社化されてUSPSになった1971年に、5つの郵便労組が合併して創設された。現委員長はウィリアム・ブラスである。ブラスは2001年に初のブラック・アメリカンとして全国組織の組合委員長に選出され、もっとも影響力のあるブラック・アメリカンと称され全国的に有名になったが、任期の切れる来年2010年には引退を表明している。  APWUは、アメリカの郵便事業が大統領府の直属官庁から分離し、合衆国郵政省(Post Office Department)が公社化されてUSPSになった1971年に、5つの郵便労組が合併して創設された。現委員長はウィリアム・ブラスである。ブラスは2001年に初のブラック・アメリカンとして全国組織の組合委員長に選出され、もっとも影響力のあるブラック・アメリカンと称され全国的に有名になったが、任期の切れる来年2010年には引退を表明している。

 ■1970年の郵便大ストライキ

  郵便労働者の組合は古く、1874年にまでさかのぼる。しかし、アメリカの郵便事業が郵政省として行われていた当時は、労働組合に団体交渉の権利はなく、労働条件も賃金も米連邦議会の言いなりであった。そのためずっと低賃金のままであったので、ほとんどの郵便労働者は政府の食糧配給券を受けるほど困窮しているという実情であった。   郵便労働者の組合は古く、1874年にまでさかのぼる。しかし、アメリカの郵便事業が郵政省として行われていた当時は、労働組合に団体交渉の権利はなく、労働条件も賃金も米連邦議会の言いなりであった。そのためずっと低賃金のままであったので、ほとんどの郵便労働者は政府の食糧配給券を受けるほど困窮しているという実情であった。
 1970年3月18日、不満が積もりに積もった郵便労働者たちがニューヨーク市で何千人という規模のウォーク・アウト(職場放棄のストライキ)を行った。数日後には30都市で20万人もの郵便労働者が参加するという大ストライキに発展し、郵便物の集配が止まって世間の注目を浴びるところとなった。
 米連邦議会が賃金を6%アップすることに同意してストライキは終結したが、このストライキによって合衆国郵便事業組織改正法(Postal reorganization Act of 1970)が成立し、労働組合が賃金、福利厚生、労働条件について団体交渉をする権利が保障されるようになったのである。  米連邦議会が賃金を6%アップすることに同意してストライキは終結したが、このストライキによって合衆国郵便事業組織改正法(Postal reorganization Act of 1970)が成立し、労働組合が賃金、福利厚生、労働条件について団体交渉をする権利が保障されるようになったのである。
(写真 1970年に大ストライキを闘った郵便労働者)

 ■MWMでイラク占領終結を求める決議

 2004年10月にILWUのローカル10やローカル34が呼びかけてワシントンで行われた百万人労働者大行進ミリオン・ワーカー・マーチ(Million Workers March)には、動労千葉の派遣団も大挙して参加した。APWUはAFL―CIO中央の制動にもかかわらず、このMWMの賛同決議を全国大会であげた。そしてMWMでは、アメリカのイラク占領の終結、主権のイラク人民への早急な返還、および米軍部隊の彼らの故郷と家族のもとへの帰還を呼びかける決議を行った。  2004年10月にILWUのローカル10やローカル34が呼びかけてワシントンで行われた百万人労働者大行進ミリオン・ワーカー・マーチ(Million Workers March)には、動労千葉の派遣団も大挙して参加した。APWUはAFL―CIO中央の制動にもかかわらず、このMWMの賛同決議を全国大会であげた。そしてMWMでは、アメリカのイラク占領の終結、主権のイラク人民への早急な返還、および米軍部隊の彼らの故郷と家族のもとへの帰還を呼びかける決議を行った。
 もう一つの郵便労組で右派系のNPMHUは、MWMへの賛同ということではないが、やはり全国大会で圧倒的多数で反戦決議をあげた。この労組が反戦決議をあげたのは歴史上、初めてである。

 ■USPSの早期退職制度実施に同意

 
 今年、2009年7月にUSPSは、景気後退と紙媒体から電子媒体への移行に伴い郵便物の量が激減したとして、早期退職制度を打ち出した。これに対してウィリアム・ブラス委員長は「経営陣はコスト削減を迫られているが、残念ながらその対象が郵便物集配施設の職員を中心とする労働組合員に偏っている」と指摘しながらも、USPSの財政状態からやむをえないとして妥結した。さらに、「非正規職労働者の導入で、早期退職による減員分を補充する」という当局提案にも合意してしまった。
 USPSは、今後は一部の郵便局の閉鎖などを行う計画で、大量の解雇攻撃がAPWUの組合員にかけられることになる。
 ランク&ファイルの闘いの正念場だ。

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月刊『国際労働運動』(400号8-1)(2009/12/01)

国際労働運動の暦

 ■国際労働運動の暦 1936年12月30日

 44日間シットダウン

 会社側のテロと闘い組合承認獲得

 全米GMの操業に大打撃を与える

  ■GMフリント工場スト■

  今日の大恐慌の中で倒産の危機に直面しているアメリカ最大の製造業GM(ゼネラル・モーターズ)で、1936〜37年に巨大なストライキが闘われた。29年大恐慌下の30年代階級闘争の中で、34年のサンフランシスコ・ゼネストと並ぶ大ストライキである。
 当時の全米自動車産業の労働者は約40万人。GMはその半分以上の26万人余を雇っていた。全国の大小57都市に大規模な工場を擁し、それらの都市では警察、裁判所、役所、マスコミを握っていた。まさにアメリカの産業の象徴だった。
(写真 州兵と対決するGM労働者)

 ●労組否認する会社

 GMの労務政策は一貫した労組の否認で、各工場に会社が組織した御用組織と工場長との話し合い以外は認めなかった。その力でスピードアップが進められ、労働者がライン上でぶっ倒れ、救急車で運ばれるようなことが日常化していた。
 組合承認を要求していた全米自動車労組(UAW)に対抗して、GMを始めとする自動車産業の大企業が組合員を差別解雇したことが発端だった。36年暮れ、オハイオ州クリーブランドやアトランタのGM工場で座り込みストが開始され、他の工場にも波及していった。12月30日、ついにGM体制の心臓部であるミシガン州フリントの工場で数千の労働者が座り込みストに突入した。自分が働いている機械のそばで座り込みストに入ることは、資本や権力との闘いできわめて効果的だった。会社側は、設備に傷が付くことを恐れて突入できないし、スト破りを送り込むこともできない。
 工場の外には労働者の家族の女性、子どもと支援の労働者が巨大なピケットラインをつくった。
 座り込みの労働者たちは工場の中で生活し流れ作業台上の未完成の自動車の中で眠った。家族たちは毎日食料を差し入れた。
 政治家たちはこの座り込みストに震え上がった。「こともあろうにアメリカ的生活様式と私有財産の誇りであり、力であり、栄光であり、まさにその頂点に立っているゼネラル・モーターズで座り込みをやるなんて――これは法と秩序を愚弄するもの、まさに赤色蜂起だ」(ボイヤー、モレース『アメリカ労働運動の歴史』)と叫んだ。アメリカの支配階級にとってこの闘いは共産主義革命そのものだった。
 資本家たちは州兵を導入し、労働者を蹴散らすことを知事に要求、革新系を自負する知事は追い詰められ、GM副社長クヌードセンとCIO(産業別労働組合会議)会長ルイスを呼び、「交渉」を始めた。
 座り込みの労働者を強制退去させる裁判所の差止命令が出されたが、この命令を執行することはできなかった。副社長は労働者を飢えさせようと工場内への食料の差し入れを妨害して、工場の入り口を封鎖したりした。しかし、家族は警官と実力で立ち向かい、あらゆる手段で闘って工場内の労働者の闘いを支えた。

 ●白色テロ打ち破る

 ストライキ35日目には、フリント市当局が数百人の自警団員に武器を与えて特殊警官を編成した。しかし座り込みの労働者たちは知事に対し「われわれの死の責任を負うのは知事だ」と不退転の決意を通告する。
 スト突入から44日目、2月11日未明、GMはついに降伏、組合を承認し、「労働時間や賃金やスピードアップについて全国的な団体交渉に応じる」と声明を発した。闘い抜いた数千人の労働者は躍り上がり、抱き合い、叫び、涙を流した。
 全米の労働者がフリントの闘いをかたずをのんで見守り、支援した。フリントの勝利は、デトロイト、シカゴ、ミルウォーキーと次々と波及し、座り込みスト戦術は全米に広がった。
 このシットダウン・ストの勝利によって小さな組合UAWが一挙に数十万人の労働者の組合加入をかちとった。この闘いが現在、新鮮な思いでよみがえりつつある。2009年5〜8月の韓国・平沢の双龍労働者の77日間の工場占拠ストライキに、フリントの闘いは今日的に受け継がれている。
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 1930年代米労働者の主な闘い

 1934年7月 サンフランシスコの港湾労働者を中心にゼネスト
 1936年1月29日 ゴム工業労働者、オハイオ州アークロンのファイヤーストーン・タイヤ会社の第1工場で、流れ作業台のスイッチを切り、そのまま工場に座り込みストに突入。猛威を振るった「シットダウン(座り込み)スト」の始まり
 1936年夏 ニュージャージー州キャムデンのアメリカ・ラジオ会社の工場で団体交渉と組合の承認を要求して6000人がスト突入。連日ピケットラインが襲撃され、175人が逮捕投獄された
 1936年末〜 全米各地のGM工場でシットダウンストライキ突入(本文参照)
 1937年5月30日 サウス・シカゴの鉄鋼会社リパブリックの争議で、300人のピケ隊が行進中、警官が発砲、死者10人(メモリアルデーの殺りく)

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月刊『国際労働運動』(400号9-1)(2009/12/01)

日誌

 ■日誌 9月 2009

1−2日千葉 成田駅頭で街頭宣伝
三里塚現闘は「市東さんの農地を守ろう!」ののぼり旗を立て、10・11三里塚集会と11・1労働者集会への結集を訴えた
1−15日 裁判員裁判に全国で“拒否”訴え
青森では1−2日、青森地裁で行われた全国3番目の裁判員裁判に、とめよう戦争への道!百万人署名運動・青森県連絡会の仲間や賛同人が決起した。2日は朝から大運動呼びかけ人の高山俊吉弁護士と織田信夫弁護士も参加した
神戸では7日、とめよう戦争への道・百万人署名運動大阪府連絡会の呼びかけで、神戸地裁で早朝からビラまきを行った
大阪では8日、百万人署名運動奈良県連絡会、全国連西郡支部、大阪星野さんを取り戻す会、関西労組交流センターなどから延べ40人が結集し、早朝から闘いぬいた
山口では8日、山口地裁で中国地方初の裁判員裁判が行われ、広島と山口の仲間9名で抗議、宣伝活動を行った
福岡では9日、福岡地裁での九州初の裁判員裁判の開始に対し、25人の仲間が半日の抗議行動
千葉では14日、千葉県初の裁判員裁判に対し、裁判員制度はいらない!千葉県実行委員会に結集する広範な労働者・市民30人が朝から千葉地裁前に集まり、裁判員拒否者が怒りの声を上げ、昼には動労千葉組合員も合流し、80人が地裁を包囲するデモを行った
高松市では15日、高松地裁で行われた四国初の裁判員裁判に対し、地元香川、徳島、岡山の仲間が抗議行動を行った
津市では15日、東海地方初の裁判員裁判に対し、裁判員制度はいらない!東海連絡会が呼びかけた津地裁前行動とデモ行進に、地元三重をはじめ愛知・岐阜の百万人署名運動や東海合同労組、ス労自主など労働組合も結集した
6日東京 全国社保労組大会で“免職粉砕”訴え
全国労組交流センター自治体労働者部会は、東京・千代田区平河町の都市センターホテルで開かれた自治労・全国社会保険職員労働組合第4回定期大会の代議員・傍聴者に「社保庁解体絶対反対。1000人分限免職攻撃を11月労働者集会1万人結集の力でぶっ飛ばそう」と訴えた
6日広島 8・6参加で戒告処分
広島県教育委員会は、広教組組合員の倉澤憲司さんに対して8月6日の10年経験者研修に参加しなかったことを理由に戒告処分を発令した
6−10日東京 “11・1日比谷野音へ”街宣
6日夕方、JR蒲田駅前で、なんぶユニオンを中心に街頭宣伝が行われた。国鉄1047名闘争への関心は高く50代の社保庁労働者が感動して署名するなど、賛同署名に応じ、チケットを買い求める人が相次いだ
10日夕方、JR新小岩駅前で、東部ユニオンを中心に街頭宣伝が行われた。家族に元国労の労働者がいるという30代の女性が賛同署名に応じてチケットを購入し、集会参加を確約した
10日夕方、東京北部交流センターが池袋駅東口で街宣に立ち上がり、賛同署名が次々と集まり、チケットも売れた
7日大阪 八尾北医療センター労組が大会
八尾北医療センター労働組合第9回定期大会が、労組破壊・団結破壊をうち破ってかちとられ、「医療センター民営化許さぬ」と戦闘宣言
9日東京 西部ユニオンの分会がスト
東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会の労働者5人が配車トラブルの責任追及で正午から時限ストに突入した。8月29日からの順法闘争も続行中だ
10−12日東京 法大決戦勝利へ全学連大会
全学連第70回定期全国大会が東京・文京区民センターで100人の結集で開かれ、獄中8学生奪還を固く誓い、「教育の民営化粉砕!」の路線を武器に、300万学生の総反乱をつくりだす全学連運動の復権へ大前進が開始された。坂野陽平委員長代行などの新体制を確立した
14日福島 動労水戸が第3波スト
動労水戸は、福島県白河市にあるJR東日本研修センターで、7〜8月の2波のストライを打ち抜き新規組合員を獲得したのに続き、第3波のストを打ち抜いた。JR東日本は、運転士職登用差別事件で最高裁で敗北したにもかかわらず、不当労働行為を一切謝罪することなく、運転士にするためと称して、通えもしない職場への遠距離配転を策動している。すでに運転士資格を持っているのになぜ研修を受けなければならないのか。研修初日に対象者9人がストで反撃した。午後2時過ぎ、研修センター門前に動労水戸の組合員を始め、茨城、福島、宮城、栃木、東京などから闘う労働者・学生が駆けつけた。2時50分、スト突入の時間に合わせて連帯のシュプレヒコールを上げた
17日千葉 一坪共有地裁判、仲戸川裁判長追及
三里塚反対同盟の鈴木幸司さん、いとさん夫妻の一坪共有地裁判の口頭弁論が開かれ、70人の労農学市民が支援・傍聴に参加した
18日宮城 東北せっけん労組が新工場門前闘争
東北石けん労組は名取市愛島台新工場門前で「直ちに解雇を撤回しろ!」と訴えた
19日広島 動労西日本本部を再建
広島市東区民センターで動労西日本・本部再建大会が開催され、大江照巳委員長体制が確立された。旧執行部の脱落・逃亡から1年余、広島支部が準備委員会となり本部再建を準備してきた
20日大阪 合同労組が大結集
大阪・浪速区人権文化センターに関西合同労組4支部委員長、ス労自主大阪支部連合会委員長、京都ユニオン自立委員長、大阪北部ユニオン委員長の呼びかけに応えて、関西の一般・合同労組組合員が総結集し、「道州制粉砕!解雇撤回!非正規雇用撤廃」をスローガンに11月労働者集会1万人結集へ総力決起する体制をつくった
20日新潟 動労千葉を支援する会・新潟を結成
新潟市内で開かれた結成集会は県内の国鉄闘争・労働運動の主流派宣言を発した
21日群馬 市東さん迎え集会
高崎市労使会館で「市東さんの農地を守ろう!9・21群馬集会」が、会場を埋める80人の参加でかちとられた
22日千葉 福島清一同志を偲ぶ会開く
8月26日に急逝した元全逓労働者・福島清一同志を偲ぶ会がDC会館で行われた
23日東京 11・1集会第2回実行委開く
11・1全国労働者総決起集会の第2回実行委員会が東京都内で160人の結集で開催された。国鉄1047名解雇撤回を前面に押し立て、職場からの闘いと団結を組織することがこの時代を変える力であることが確認され、1万人結集へ向けて団結を固めた
26日千葉 “市東さんの農地強奪を許すな”
千葉県三里塚集会がDC会館で開かれ、260人が参加し10・11三里塚への総決起を誓い合った。三里塚反対同盟からは北原鉱治事務局長、伊藤信晴さん、宮本麻子さんが発言に立った。動労千葉の田中康宏委員長が労農連帯の実践の中から力強いアピールを行った
26日大阪 11月1万人へ総決起集会開く
「国鉄1047名解雇撤回!道州制絶対反対!11・1労働者集会1万人決起で民主党・連合政権打倒へ突き進もう」関西労働者総決起集会が210人の労働者・学生を結集して開かれた。“時代認識と路線”で勝負し、11・1へ総力戦へ突入した
26日横須賀 米空母母港化に怒り
「空母母港化36周年・原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀基地母港化1周年抗議・原子力空母配備撤回を求める全国集会」が横須賀市のヴェルニー公園で行われ、神奈川県労組交流センターと婦人民主クラブ全国協議会は、鳩山民主党・連合結託政権打倒を真正面から掲げ、11・1への結集を訴えて大合流した
27−28日千葉 動労千葉が定期大会
第38回定期大会は、結成30周年を迎えた1年間を総括し、幕張支部役員への強制配転による組織破壊攻撃に対して幕張車両センターでの10・1ストを闘うなどの運動方針を決定した。田中康宏委員長は@1047名解雇撤回闘争の復権、A幕張支部への組織破壊攻撃粉砕の闘い、B65歳まで働ける労働条件の確立、C11月労働者集会への1万人結集、D重大な決戦に入った三里塚現地闘争への総決起の5点を提起、一切を組織拡大に結実させようと訴えた。君塚正治副委員長が退任し、大竹哲治新副委員長を選出した
30日東京 運転士登用差別事件で勝利判決
動労千葉組合員に対する運転士登用差別事件について、東京高裁は、一審判決を破棄し、当該の動労千葉組合員を「1998年1月1日付けで運転士に発令したものとして取り扱わなければならない」とする組合側完全勝利の判決を出した。階級的団結と絶対反対で闘えば勝利できることを示した決定的で感動的な地平だ
30日岡山 国鉄1047名解雇撤回などで集会
倉敷労働会館で「国鉄1047名解雇撤回! 道州制・民営化絶対反対!」を掲げ、岡山労働者総決起集会が開かれ、30人が集まった

(弾圧との闘い)
14日東京 法大5・28裁判で無罪判決
法大での08年5・28暴行デッチあげ弾圧裁判で東京地裁刑事第18部は、新井拓君と中島宏明に無罪判決を出した。法大当局と警察のデッチあげを認定した。07年4・27弾圧について、新井君が安東学生部長を「圧迫した」とのデッチあげについては「懲役3カ月、未決算入3カ月、執行猶予3年」の不当判決を行ったが、今回の判決は実質的な完全無罪、完全勝利だ
17日東京 迎賓館・横田差し戻し審第17回公判
東京地裁刑事第20部で、板垣宏同志、須賀武敏同志、十亀弘史同志が次々と発言に立ち、一審無罪判決を覆そうとする検察・裁判所を弾劾した
29日 2名をデッチあげ逮捕
警視庁公安部と栃木県警は「電磁的公正証書原本不実記録・同供用」なる口実をもってA同志とB氏を不当逮捕した

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月刊『国際労働運動』(400号A-1)(2009/12/01)

編集後記

 ■編集後記

 アメリカの失業率は9・8%。ミシガン州は15・8%、カリフォルニア州は12・2%で全米で1500万人が失業している。8月25日に車購買促進の助成制度が打ち切られた途端に米自動車(新車)販売台数は125万台から70万台に急落した。これは自動車生産の削減、首切り、さらなる失業者を生み出していく。
 「食えなくなった」若者の軍への「志願」が急増し、募兵は100%を超えるようになった。しかしオバマと米軍はアフガニスタン侵略戦争における戦略的敗勢の下で展望を失い、増派も撤退もままならない。米軍崩壊と兵士の革命化が進むのは必至だ。
 オバマは保護主義を発動し、資源と市場争奪の争闘戦を激化させ、侵略戦争に突入していく。大恐慌とは大失業と戦争であり世界革命を不可避とする。

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