International Lavor Movement 2010/02/01(No.402 p48)

ホームページへ週刊『前進』季刊『共産主義者』月刊『コミューン』出版物案内週刊『三里塚』販売書店案内連絡先English

2010/02/01発行 No.402

定価 315円(本体価格300円+税)


第402号の目次

表紙の画像
表紙の写真 職をよこせとデモする青年労働者(11月28日 ロンドン)
■羅針盤/大恐慌と日米間争闘戦の激化 記事を読む
■News & Review 韓国
  労組抹殺攻撃にゼネストを宣言  鉄道労組、歴史的な8日間ストライキ
記事を読む
■News & Review ドイツ
  全土で大学占拠を軸にストとデモの嵐  夏から12月まで“熱い秋”かちとる
記事を読む
■News & Review 日本
  国労5・27弾圧判決で暴処法粉砕の大勝利  向山被告は無罪確定、国労組合員6被告は「罰金」
記事を読む
■特集 ルラ政権と闘うブラジル労働者 記事を読む
■翻訳資料
  カリフォルニア大学理事会、学費大幅値上げを可決、学生と教員が州と全国の公共教育の侵害に抗議
  米インターネット放送『デモクラシー・ナウ』のインタビュー(11月20日)     土岐一史 訳
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
  東アジア共同体の凶暴性と脆さ    90年代以来の小沢路線が示す対米対抗性
記事を読む
■世界の労働組合
  全米運輸労働組合(Transport Workers Union of America:TWU)
記事を読む
■国際労働運動の暦    2月22日
  1848年フランス2月革命   王政打倒と階級間激突
  「共産党宣言」と時期を同じくしてプロレタリア革命の現実的出発点
記事を読む
■日誌 11月 2009 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 サンフランシスコ州立大学占拠闘争【12月9日】)

月刊『国際労働運動』(402号1-1)(2010/02/01)

羅針盤

■羅針盤/大恐慌と日米間争闘戦の激化

▼内外情勢は、すさまじい危機と激動に突入している。何よりも世界大恐慌が、底知れぬ深さをもって進行し、米欧日帝国主義を始め、世界の政府と大企業・大銀行を揺さぶっている。
▼しかもこの情勢の中で、帝国主義間・大国間の保護主義と争闘戦がかつてなく激化し、世界経済の分裂化・ブロック化のすう勢を促進し、それがまた大恐慌を加速している。米帝を先頭とした恐慌対策の膨大な財政投入は、政府の財政赤字を天文学的に拡大し、無際限の米国債発行がドル大暴落という危機を爆発させようとしている。ドル大暴落が現実となるその時こそ、まさに世界大恐慌の最深の奈落へ転落するのである。
▼こうした中で日米争闘戦が今や完全に一線を越えた。普天間基地移設をめぐる日米対立は、日米作業部会と「日米同盟の深化」の協議を停止へと追い込み、3度目の日米首脳会談もできない事態に突入した。小沢・鳩山=民主党・連合政権の「緊密で対等な日米同盟」「東アジア共同体構想」は、本質的に日米争闘戦の激化と改憲・戦争の路線なのだ。
▼この情勢の根底には、普天間基地の即時閉鎖と米軍基地全面撤去を求める沖縄と全国の労働者人民の怒りと闘いが断固として存在し、立ちはだかっている。それが日米安保を揺さぶり、オバマと鳩山を階級的政治的に痛撃しているのだ。
▼早くもすさまじい危機に立った鳩山政権は、大恐慌情勢のもと、大失業と改憲・戦争、生活破壊、労組破壊の攻撃に全力を挙げてきている。労働者、労働組合の団結と決起で、民主党・連合政権と全面対決し、この反動政権を打倒し、プロレタリア日本革命への道を切り開くために総決起し闘う時である。

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号2-1)(2010/02/01)

■News & Review 韓国

 労組抹殺攻撃にゼネストを宣言

 鉄道労組、歴史的な8日間ストライキ

 11月26日午前4時、全国鉄道労働組合(キムギテ委員長、組合員2万4060人)が、韓国鉄道公社の一方的な団体協約解約に対し、無期限ゼネストに突入した。以来8日間、歴史的な94年6月の6日間を超える最長の鉄道ストが闘いぬかれた。
 政府が法律で強制する「必須維持業務」の要員を確保した上での合法ストとして闘われた鉄道ストは、スト6日目の12月1日現在、旅客列車の平均運行率は60%、貨物列車に至っては20%となり、物流拠点の釜山と京畿道・義王には積み出されないまのコンテナがたまった。
 12月1日には、全国輸送産業労組貨物連帯(組合員1万5000人)が鉄道ストに連帯し、鉄道貨物の代替輸送を全面拒否することを決めた。
(写真 鉄道労組ストライキ出陣式には組合員6000人が集まった【11月26日 ソウル駅前】)

 □突然、団体協約破棄!

 鉄道労組ストの発端は労使交渉が進行中の11月24日、鉄道公社が一方的に既存の団体協約を解約することをファックスで通告してきたことだ。
 25日、鉄道労組は緊急記者会見を行い、「鉄道労組60年の歴史上、初めての団体協約解約は労使関係自体を破綻させようとする企図だ」と弾劾し、「26日午前4時から無期限全面ストで対応する」と宣言した。
 キムギテ委員長は「会社側が団体協約解約通知の数時間前の24日午後、突然これまで要求することもなかった無争議宣言など新たな要求案を出してきた。これは事実上、労組の降伏宣言を要求することにほかならず受け入れなかった」と交渉の経過を語り、「すでに賃金を9%削減しておきながら、会社側は追加賃金カット、年俸制および定年延長なき賃金ピーク制など、8項目にも及ぶ賃金改悪案に固執しており、ストライキで闘う以外にない」と怒りをあらわにした。
 このような一方的な団体協約の破棄は、すでに発電5社とガス公社でも相次いで強行されており、李明博政権による公共部門先進化=民営化・労組破壊攻撃との激突は不可避となっていた。
 26日にソウル駅前で開かれたゼネスト出陣式には組合員6000人が集まった。鉄道労組は「今日の私たちの闘争は鉄道労働者の血と汗、犠牲でかちとった団体協約を紙切れにすることはできないという鉄道労働者の怒りであり絶叫だ」「また私たちの闘争は鉄道労働者に同僚を踏みにじって生き残らなければならない競争を強要する鉄道公社に対する正当な抵抗であり、500人余りの鉄道労働者に対する告訴・告発と立件、解雇と懲戒で威嚇する鉄道公社の弾圧に対抗した民主労組を死守する闘いだ」と宣言した。

 □公共部門3万人が集会

 鉄道スト3日目の11月28日、民主労総と韓国労総の公共部門労働者3万人あまりが果川政府総合庁舎前大運動場に集まり、「イミョンバク政府の先進化政策阻止」を掲げる共同決意大会を開き、12月ゼネストへと闘いを進めることを宣言した。11月初めに共闘を宣言した公共運輸連盟(民主労総)と公共連盟(韓国労総)の初の共同集会として司会から発言者まで1対1で行われた。すでに韓国労総は10月15日の臨時代議員大会で与党ハンナラ党との政策協議を破棄し、ゼネストで闘うことを全会一致で決議。民主労総との連携を強め、12月ゼネストへと突き進んでいた。
 キムドファン公共運輸連盟委員長は、「政府が今度も労政交渉に出なければ、12月に両労総共同ストライキで対応していく」と発言し、ペジョングン公共連盟委員長も、「イムテヒ労働部長官が昨日、労組専従の賃金支給禁止を公共部門から始めると言ったが、私たちが実験対象なのか」と政府を糾弾した。
 鉄道労組のキムギテ委員長は「政府は働き口がなくて大騒ぎなのに、なぜストライキなのかと言うが、公共部門の働き口をなくしたのは誰だ!」と政府を弾劾した。
 鉄道労組は12月3日、8日間に及んだ歴史的ストライキを勝利的に総括し、4日朝から現場復帰することを決めた。3日午後6時、キムギテ委員長は「愛する2万5千人の鉄道組合員に差し上げる文」を発表し、「私たちはすでに半分は勝利した。正当なストライキにあらゆる不法で対抗したホジュニョン社長と官僚の責任を明確に問う」と宣言、「しばらく現場に戻り、第3次ストライキを準備しよう」と呼びかけた。
 鉄道労組は、終始、必須維持業務を遂行する合法ストを貫いたが、鉄道公社側は初日から代替要員を投入する不当労働行為に終始した。スト期間中に配置された代替要員は6千人を超え、しかもほとんどが現場経験がまったくない鉄道大学生や軍人、70歳を超えた退職者なのであり、日を追うごとに鉄道運行の危険性が高まっていた。
 しかも、11月30日にはキムギテ委員長ら指導部15人の逮捕令状を請求、翌12月1日には逮捕令状を入手して鉄道労組本部などに家宅捜索を強行し、同時に「進歩ネットワークセンター」から鉄道労組のサーバーを押収するという暴挙に及んだ。
 その上でイミョンバク政権は1日、鉄道ストを「違法スト」と規定する政府談話を発表。「ストは経済回復ムードに水を差し、膨大な経済的損失を招く無責任な行為」と決めつけ、「公共機関先進化(=民営化)政策に反対し、解雇者復職を求めるなど、労働組合活動の合法的な範囲を超えた違法なスト」だと言い放った。ふざけるな!
 さらに鉄道公社はスト中断後も組合員864人を職位解除し、委員長以下12人の労組幹部の懲戒に着手した。告訴した190人余りの組合員の懲戒も検討中という大弾圧に出ている。しかし、代替輸送を拒否した貨物連帯を始め、インターネットなどでもイミョンバク政権への怒りが増大するとともに闘う鉄道労組ストへの共感と支持が大きく広がっている。

 □韓国労総への怒り噴出

 イミョンバク政権が来年1月1日に実施を宣言している複数労組窓口一本化・労組専従賃金禁止問題の解決をめぐり両労総の12月共同ゼネストへ闘いは進んでいた。韓国労総でも11月30日午後まで進められたゼネスト投票には組合員50万人が参加し、80%の組合員がゼネスト賛成に投じていた。
 しかし、30日午後、政財界と談合した韓国労総執行部は、懸案の「複数労組許容の窓口一本化」と「労組専従賃金禁止」をめぐって態度を一変した。
 チャンソクチュン韓国労総委員長は、「原則として労組専従の賃金は組合自らが負担するよう努力する」「専従者が多すぎないようにし、専従者が労使共生を促進する仕事をするようにする」と言い、複数労組問題については、「複数労組許容反対」を表明したのだ。
 12月4日、韓国労総・経済人総連・労働部・与党ハンナラ党の4者協議での合意に至った。その内容は、複数労組施行は2年半延期する、労組専従者賃金支給禁止は来年7月1日に組合員1万人以上の事業場から実施する(1万人以下の事業場については段階的に施行する)というものだ。
 韓国労総指導部の裏切りに傘下の連盟を始め、現場労働者の怒りが噴き出した。
 全国化学労連は2日、「今回の背信に込み上がる怒りを禁じ得ず、委員長を含む常任役員の総辞職と即刻の非常対策委員会構成」を要求した。
 すでに民主労総との共同集会を実現した韓国労総公共連盟は、「労働者を代表するもう一つの軸である民主労総との協調をさらに強め、労働組合を否定して一方的に労使関係を破綻させる政府と資本に対し、われわれの要求が貫徹されるまで強力に闘う」と宣言し、「屈辱的な白旗降伏は絶対に受け入れない」として臨時代議員大会の招集を要求した。
 韓国労総仁川地域本部の七つの労組も4日に声明を出し、「野合合意をわが組合員はけっして受け入れない」「チャンソクチュン委員長は自分の誤りを組合員の前で謙虚に謝り、独断的な発言を撤回せよ」「ゼネスト闘争が恐ろしいなら、当然委員長職を退くべき」と激しく迫っている。
(写真 12月ゼネスト戦取へ民主労総が「密室野合糾弾・民主労組死守・李明博政権退陣決意大会」を開催【12月8日 ソウル・国会前】)

 □全国公務員労組に弾圧

 新たにヤンソンユン委員長を選出した全国統合公務員労組は11月28日に代議員大会を開き、名称を「全国公務員労働組合」と改め、設立申告のための規約を確定した。ヤンソンユン委員長は「団結と統合の精神でイミョンバク政権と闘っていこう」と呼びかけた。
 しかし、12月1日に設立申告を行った公務員労組に対し、イミョンバク政権は、設立申告を突き返すという暴挙に打って出た。
 ソウル市陽川(ヤンチョン)区は3日、ヤンソンユン委員長の解任を通知した(解雇だ!)。去る7月に野党主催で開かれた「全教組・全国公務員への時局宣言弾圧を糾弾する大会」に参加したことが公務員法の集団行為禁止規定などに違反したとしてソウル市懲戒委員会が処分を決めたというのだ。
 さらに翌4日、労働部は設立申告について、規約に記載されている「公務員の政治的地位向上と民主社会・統一祖国建設」を削除するか、規約改正しろという補完要求を付けて突き返してきたのだ。ヤンソンユン委員長ら解任者が組合員に含まれていることも設立申告を認められない理由だという(ヤラセだ!)。さらに同日、全国53支部の労組事務室を強制閉鎖したのだ!
 4日午後、記者会見を行った公務員労組は「当選5日後に委員長当選者を解任し、労組申告書を突き返し、労組事務室まで強制撤去したのは『労組抹殺行為』だ」と弾劾した。さらに「組合員の自主的な権利を守り、『国民のための公務員労組』を守るため、さらに強い抵抗と全面的な実践を展開する」と決意を明らかにし、12月12日に大規模な全国公務員労働者大会の開催を予告した。
 イミョンバク政権はこの大会が「政府の政策に反対する政治集会」と規定し、「先輩公務員を動員して説得し、バスで上京するのを阻止しろ」との「対応指針」を全国の地方自治体に下ろした。これに非協力・消極的な自治体、結果的に大会参加者が多かった自治体には財政的ペナルティを課すとまで記されている。
 イミョンバクはそれほど闘う公務員労働者が怖いのだ。この攻防の主導権を握っているのは闘う労働者、公務員労組だ。
 公務員労組は、「どんな弾圧も、公務員労組は労働者としての権利を守り、政権ではなく国民の公務員になるという意志をくじくことはできなかった」「私たちはより強力な抵抗と全面的な実践を展開するだろう」と宣言した。閉鎖された労組事務室前でのテント座り込みも始まっている。
 民主労総はイミョンバク政権の労組抹殺攻撃と闘う本格的な対政府闘争に入った。12月8日、ソウル市ヨイドにある国会前で「密室野合糾弾、民主労組死守、イミョンバク政権退陣決意大会」を開いた後、指導部がヨイド文化広場でテント座り込み闘争に突入。この座り込みテントを拠点として、翌9日から女性連盟、民主一般連盟を皮切りに各産別労組・連盟が順次リレー集会を開き、16、17日には1万人規模の上京闘争を組織し、18日に全国同時多発闘争、19日に数万人規模の民衆大会をともに闘い、20日以降、本格的なゼネスト体制に入る。
 12月から2010年へ、韓国の階級闘争はイミョンバク政権の民営化・労組破壊攻撃との文字どおりの激突局面に入った。
(室田順子)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号2-2)(2010/02/01)

■News & Review ドイツ

 全土で大学占拠を軸にストとデモの嵐

 夏から12月まで“熱い秋”かちとる

 ヨーロッパ全土で、大恐慌の深刻化の中で、アメリカ・カリフォルニアの教育労働者と学生に呼応した闘いが燃え上がっている。
 「教育は商品ではない!」「大学をわれわれ学生の手に!」をスローガンとする学生たちが、EU主導の「教育改革」(ボローニャ・システム)に反対して決起しているのだ。とりわけドイツの学生たちが、“2009年全国教育ストライキ”の旗のもとに、オーストリア、イタリア、フランス(『前進』速報版で報道)とともに戦闘性と大衆性を発揮して、今年の夏以来12月にいたるまで闘い続け、“熱い秋”をかちとった。
(写真 ドイツ・ハノーバーの学生デモ【11月17日】)

 □全国教育ストライキ

 “2009年全国教育ストライキ”は、6月15日から19日の全ドイツ数十都市、27万人のデモを第1波として、第2波の11月17日のEUの教育改革に反対する「国際行動週間」の8万5000人のデモをピークに、11月から12月、ドイツ全国のほとんどの大学を連日次から次へと、嵐のように揺さぶる占拠闘争として爆発した(9nに一覧表)。
 占拠闘争は、きわめて大衆的な規模で、大講堂、大教室などに泊まり込み、そこで学生集会や討論会を開く、という闘いとして展開された。大学当局は、12月2日のフランクフルト大学でのように、いくつもの大学で構内に警官隊を導入して学生を暴力的に排除する攻撃に出たが、学生は再占拠をくりかえし、「闘いはこれからだ」と決意を固めている。
□学生が訴えているもの
 ドイツの学生たちを、世界大恐慌のもとで、このような大衆的戦闘的な行動に決起させているのは何か。そして、この決起は何を意味しているのか。
 第一に、新自由主義攻撃のもとでの大学教育をはじめとする教育の荒廃、教育への市場原理の導入、教育の民営化策動が、学生の怒りの対象となっているということである。この現状を促進しているのがEUの統一方針として強行されつつある教育改革(ボローニャ・システム)〔7nのコラム参照〕である。
 教育条件の悪化、資本の奴隷となるための教育、学生間の競争のあおりたて、世界大恐慌下の大失業と不安定雇用化、労働者の権利の剥奪という現実は、学生からますます生きる展望を奪っている。
 こうした中で学生たちの掲げる要求は、「要求一覧表」(8n)に示すように、きわめて広範囲にわたっているが、その核心点は、次の四点である。
@教育の機会均等(入学資格の限定や高額な授業料による大学進学への制限を撤廃せよ=授業料の無料化)
A教育課程と学位取得の仕組みのEU的単一化による勉学への過重負担に反対
B大学の民主化(学生の発言権の承認、教育への財界の介入反対)
C教師(教育労働者)の勤務条件(労働条件)の改善(教員数の増員、非正規雇用など不安定雇用の廃止)などである。
 第二に、“2009年全国教育ストライキ”の特徴は、大学占拠という闘争が、国境を越えて展開されていると同時に、闘いが、大学から高校へと波及していることが特徴だ。大学への進学がますます困難になり、さらに就職の見通しも立たない状況におかれている点では、高校生の不安と怒りは大きい。
 高校生の掲げる要求の中では、高校教育の三分化(大学進学コースのギムナジウム、実業高校、非進学コースの義務教育高校)という差別化を撤廃せよ、という声が上げられている。また、デモに参加している若者の間には、訓練生(企業内の養成工)が多い。彼らは、「受けた訓練にふさわしい職場を保障せよ」という要求を掲げて、学生の闘いに合流してきている。失業中の労働者も参加している。
 ここに、60〜70年代の学生運動と違った、世界大恐慌下の学生運動の階級的性格がある。
 第三に、こうした「教育ストライキ」は、学生の要求の中に、教師の労働条件が触れられているように、教育労働者の民営化に対する数年来の闘いによって激励され、展開されていることは明らかである。
 先端を走るアメリカ・カリフォルニアでは、教育労働者と学生・高校生の具体的な統一行動が組織されている。
 第四に、こうして全ドイツのほとんどすべての大学、都市を揺るがした大学占拠闘争は、フランスやイタリアの教育闘争とともに、大恐慌に立ち向かうEU労働者階級の巨大な決起の明らかなまえぶれである。
 体制内労働運動が、死の苦悶にあえぐ帝国主義=資本主義の絶望的な「外へ向かっての侵略戦争、内へ向かっての階級戦争」に屈服している時に、学生のキャンパスからの大衆的な決起は、既成の諸組織の枠と制動をこえて、発展しつつある。
 第五に、法大闘争とアメリカ・カリフォルニアの教育労働者・学生の間でかちとられつつある国際連帯が、このドイツを先頭とするヨーロッパの学生、そして教育労働者の闘いとの交流として実現されようとしているということである。
  第2章 □オーストリアでも

 □オーストリアでも

 ドイツ学生運動の第1波(6月)をさらに激化させたのが、10月22日のウィーン大学の大講堂占拠闘争だった。数日間でオーストリア全土に占拠闘争が拡大した。学生の要求はドイツと同じく、大学入学への制限の撤廃、授業料の廃止などEUの「教育改革」反対という点で一致している。そして、大講堂や大教室の占拠が、きわめて大衆的戦闘的に行われたことが特徴だ。
 隣国オーストリアの学生の闘いに強烈な衝撃を受けたドイツの闘う学生は、11月17日をピークとする「国際行動週間」を前にして、「オーストリアのように闘おう」と、ただちに各大学で次々に大講堂・大教室占拠の闘いに突入し、国際連帯の力を発揮した。
 17日、デモの中心地ベルリンでは、1万5000人が市内デモに結集、占拠中の自由大学の大講堂は、ストライキの司令塔として、学生の熱気に包まれた。
 11月17日の「国際行動週間」は、ドイツをはじめとしてイタリア、フランス、オーストリア、スイス、ポーランド、ハンガリー、セルビア、マケドニアなどで取り組みが行われた。EU外でも、カリフォルニアをはじめとするアメリカで、またインドネシア、バングラデッシュ、西アフリカのシエラレオネでも、学生のさまざまな国際連帯行動が闘われた。
 12月2日、数十の大学占拠が続いている中で、フランクフルト大学で、大学総長が問答無用の最後通牒を発し、深夜、警官隊が、占拠中の学生集会所に突入、学生を暴力的に排除し、大学構内から大学周辺におよぶ地域で、抗議する学生に催涙ガスと警棒をふるっての暴力的弾圧を行った。翌日戦闘的大衆的な抗議デモが行われ、警察権力を大学内に導入し、学生に暴力をふるった総長の責任を追及し、退陣を要求した。
 12月10日ボンで、“ボローニャ・システム”のドイツへの導入をめぐり、各州の文部大臣と連邦政府の協議を行うための会合が開かれることになった。これに抗議するために、教育改革に反対する全国連合は、全国からボンへの結集を呼びかけ、当日、1万人にのぼるデモ隊が、ボンの市内を埋め尽くした。
 2009年のドイツは、こうして学生たちの闘いで、世界に響く“熱い秋”を闘いとったのである。
 (川武信夫)
-----------------------------------------------------------

 ボローニャ・システムとは

 EUの教育改革計画。03年EU欧州理事会が、「2010年までにEUを世界で最も競争力のある、ダイナミックな知識を基盤とした経済空間とする」という目的で策定した〈リスボン戦略〉に基づいて、その教育における貫徹として、EU加盟国だけでなく、ヨーロッパの46カ国を包含して進めようとしている高等教育改革の計画。
 「ヨーロッパの高等教育を世界最高水準に高めるために」、ヨーロッパの大学の間を自由に移動でき、どこの大学で学んでも、共通の学位、資格を得られるように「ヨーロッパ高等教育領域」を確立しようというものである。
 これは、従来のヨーロッパ的な高等教育のあり方〔それも国ごとに異なる〕に、アメリカ的な学士・修士・博士というような段階的区分とか単位制度とか、研究・教育の評価制度などを導入し、成果主義・成績主義・選別主義・効率主義・競争原理などをもちこみ、これを基準化しようとするもので、学生間の競争だけでなく、大学相互の競争をあおりたて、同時に、大学を企業の求める人材を供給する機関に変えようとするものである。ひとことで言って、教育に市場原理を持ち込もうという改革案である。
 学生を先頭に、教師の間からも、反対の声が高まり、10年の本格化を目前にして、抗議が激化している。
-----------------------------------------------------------

 “2009年全国教育ストライキ”の掲げる要求

・教育と勉学条件の破滅的状態に反対、生活と教育のあり方を自分たちで決める権利を
・学習時間の短縮、全国一斉試験、硬直的な学習計画、点数主義、すし詰め教室などによる学校ストレスを解消せよ
・成績主義、とりわけ入学・卒業の均一資格制度の強制的導入反対
・学校への門戸解放(誰でも入れる学校へ)―高校の三分化制度の廃止、教育における選別を止めろ
・小中学校・高校教師、大学教官、社会教育者などに専門知識と教育技術を保障すること
・教育・文化施設への万人の立ち入り自由、教育費用負担の全面的廃止
・研究費、訓練費、幼稚園費の負担を全廃せよ
・養成した労働者の就職を保障せよ
・親と関係なく、返済義務のない独立の奨学金制度を
・大学進学へのあらゆる制限をなくせ! とりわけ高校卒業試験〔大学入学資格を取るための〕と大学入学資格制限による障害の廃止
・公共交通運賃の無料化
・個人介護、給食、通学輸送などの無料化
・教育への公的財政投入を要求、財界の介入反対、教育関係者の賃上げ
・教育への財界、軍隊、警察の介入反対
・あらゆる教育施設における共同決定権の強化による民主化の促進
・すべての州における財政権と政治的決定権をもった学生組織の制度化
・大学における最高決定機関としての大学評議会と財団評議会の廃止
・大学と高校の運営にかんする三者評議会への学生の参加
・ 派遣労働、パートタイム労働、その他非正規雇用の廃止、われわれは、“何でも屋の新 型実習生”ではない ・ 派遣労働、パートタイム労働、その他非正規雇用の廃止、われわれは、“何でも屋の新 型実習生”ではない
・“ハルツW(社会保障制度改悪法)”の廃止、500ユーロ(約7万5000円)の基本保障、週30時間労働、10ユーロ(約1500円)の最低賃金(時給)を要求する
-----------------------------------------------------------

 09年11〜12月ドイツの大学占拠の一覧表

11月3日 ハイデルベルク
11月4日 ミュンスター、ポツダム
11月5日 ダルムシュタット、マールブルク、ミュンヒェン、チュービンゲン
11月9〜10日 グライフスバルト、ドゥイスブルク、ドレスデン、ミュンヒェン
11月11日 ベルリン、ハンブルク、コーブルク、ゲッチンゲン、バーゼル、ビーレフェルト、ウュルツブルク、ヒルデス ハイム、ランダウ、ミュンヒェン
11月12日 ベルリン、オズナブリュック、アーヘン
11月15日 ギーセン
11月16日 リューネブルク、シュトゥトゥガルト、フライブルク、チュービンゲン、カイザースラウテルン、パダーボーン
11月17日 エアランゲン、ブラウンシュバイク、アウグスブルク、トリアー、パッサウ、カールスルーエ、ロシュトック、ポツダム、イエナ、ニュルンベルク、ボン、ミュンスター
11月18日 ザールブリュッケン、フルダ、ジーゲン、バンベルク、バイロイト、カッセル、レーゲンスブルク、デュッセルドルフ、エアフルト、ブッパータール、ハノーバー、ハッレ、パッサウ
11月19日 ケルン、オルデンブルク、ボーフム、キール
11月20日 ハンブルク
11月23日 ライプツィッヒ、カールスルーエ、ウィースバーデン
11月24日 フルダ、レーゲンスブルク、ケルン
11月25日 デュッセルドルフ、ヒェムニッツ、コーブレンツ、エスリンゲン、ルートウィヒスブルク、ブレーメン
11月26日 ハンブルク
11月30日 ブレーメン、ハンブルク、ダルムシュタット、ボーフム、フライブルク、ハイデルベルク、フランクフルト、ボン
12月1日 ニュルンベルク
12月2日 ベルリン、デュッセルドルフ
12月3日 ビーレフェルト
12月7日 コンスタンツ
12月9日 ハンブルク
12月10日 エアフルト

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号2-3)(2010/02/01)

■News & Review 日本

 国労5・27弾圧判決で暴処法粉砕の大勝利

 向山被告は無罪確定、国労組合員6被告は「罰金」

 □「共謀」も認定せず

 11月27日、国労5・27臨大闘争弾圧裁判の第一審の判決公判が東京地裁刑事第10部(植村稔裁判長)で開かれた。02年の不当逮捕以来、7年余りを経てついに迎えたこの日の公判には200人余りがつめかけた。
 植村裁判長は冒頭、向山和光被告に無罪、国労組合員の6被告には、富田益行被告に60万円、羽廣憲、東元の各被告に40万円、橘日出夫、原田隆司、小泉伸の各被告に20万円の罰金刑を言い渡した。ただし、「未決勾留日数を1日5000円に換算して刑に算入する」としているため、実際の罰金額は各被告ともゼロになる。これは、実質的に無罪判決に等しい。
 何より重要なことは、7被告に対する暴処法(暴力行為等処罰に関する法律)の適用を完全に粉砕したことだ。日帝権力・検察が描いたストーリーは、“中核派幹部である向山被告がリーダーとなって、共謀して国労組合員が国労本部派の組合員に多衆の威力をもって暴力行為を行った”というものだ。検察の求刑は向山被告に懲役1年6カ月、国労組合員の各被告に懲役1年。その“首謀者”である向山被告を東京地裁は無罪とし、国労組合員の各被告も、「暴行」で罰金刑にしかできなかったのである。
(写真 暴処法を粉砕した勝利を確認した上で、有罪判決を弾劾して裁判所に向けてシュプレヒコールをあげる被告団と支援者【11月27日】)

 □検察は控訴を断念

 もちろん、罰金刑であれ、有罪としたことは断じて許されない。被告たちはただちに控訴し、あくまでも無罪をかちとるまで闘い抜くことを表明している。
 これに対して、検察側は控訴を断念した。暴処法適用が粉砕された敗北を認めたのだ。これで向山被告の無罪は確定した。大勝利だ。
 判決は、国鉄分割・民営化によって1047名が首を切られた過程や、政治解決路線をとる国労本部が権力に屈して解雇撤回闘争を裏切っていった過程、5・27臨大の議案の内容や、同大会に際し国労本部が国労共闘を先頭とする反対派を告訴する目的でビデオカメラを準備した事実などを詳細に認定した。そして、「(被告の)ビラ配布・説得活動自体は憲法28条の保護のもとにある」と認めざるを得なかった。
 判決がこうした認定をした以上、7被告全員に無罪が宣告されるのが当然だ。だが、東京地裁は、「被害者」と称する本部派組合員の証言やビデオ映像から暴行は認定できると決めつけ、6被告を有罪とした。
 他方で判決は、被告の行為を「ビラを受け取ろうとしないなどの本部派の組合員の態度に立腹した結果」とし、本部派の対応にもみ合いの原因があったことを認めている。そして、各被告の「暴行」は「その時々の状況に応じた各実行犯の判断に基づくもの」として、共謀があったとする検察側の主張を退けた。また、「各被告の暴行が多衆の威力を示して行われたと認定することはできない」として、暴処法の適用も否定したのだ。
 これは、本件を「中核派の組織的犯行」にデッチあげた検察側の主張が完全に崩壊したことを意味している。
 こうして東京地裁は、被告団の闘いに追いつめられながらも、被告をあくまでも有罪にすることに固執し、政治的意図をもって、有罪判決を出したのだ。
 しかし、戦前以来、労働運動に対する弾圧のために猛威をふるってきた暴処法の適用を、これほど見事に打ち砕いたことは決定的な大勝利なのである。法政大弾圧で同じ暴処法で獄に捕らわれている学生たちの闘いにとっても極めて大きな意義を持つ。

 □被告団の正義を示す

 この勝利は、国鉄分割・民営化と人生をかけて対決してきた被告団の闘いの正義性が、裁判所を徹底的に追い詰めたことによって実現された。1047名の一人である羽廣被告はもとより、国労組合員の各被告は、国鉄分割・民営化攻撃、そしてJR体制による不当配属などのあらゆる不当労働行為と不屈に闘ってきた。
 そして、国労本部に2000年5月30日に突きつけられた、「JRに法的責任なし」とするJR不採用問題に関する4党合意(自民党など3与党と社民党)にあくまでも反対し、闘争団とともにそれを粉砕する闘いの先頭に立ち、3度の大会で4党合意受諾を阻み、01年1月の大会で警察権力の重包囲の中で4党合意受諾を強行されても、鉄建公団訴訟に立ち上がった闘争団員とともに闘い抜いてきた。それに対して、自民党などは02年4月に3与党声明を出し、国労本部に「鉄建公団訴訟原告の闘争団員への統制処分をしなければ、4党合意から離脱する」と突きつけて開催させたのが02年5月27日の国労臨時大会であった。
 国労共闘は、これに対して“闘争団を切り捨てるな”と本部派の代議員らが宿泊するホテルの前で、ビラまき・説得活動を行った。その組合員に対して、酒田充東京地本委員長(当時)や鈴木勉東京地本法対部長(当時)らは、警察に現場逮捕を要請し、あるいは組合員らの行動をビデオで撮影し、警視庁公安との綿密な打ち合わせのもとに、吉田進長野地本書記長(同)らが、“暴行を受けた”とする「被害者」をデッチあげ、国労共闘の労働者と支援者を不当にも逮捕したのが、この国労5・27臨大闘争弾圧である。
 被告団は、逮捕以来1年3カ月に及ぶ獄中闘争を完全黙秘・非転向で闘い、裁判においても検察側の質問に対しては黙秘するという形で完黙を貫き通した。あくまでも国鉄分割・民営化を弾劾し、1047名解雇撤回を始めとする国鉄闘争の先頭に立ち、とりわけJR西日本、JR貨物関西支社に所属する5人の被告たちは、107人の犠牲者を出したJR尼崎事故を徹底弾劾し、JR体制打倒に向けて不屈に闘い抜いているのだ。
 裁判においても、そうした姿勢を断固貫き、国家権力とJR資本、そして国労本部を弾劾する階級裁判として徹底的に自らの正義性を主張して検察側と争った。
 この点では、08年2月22日に旧弁護団を解任し、新弁護団を結成して闘い抜いたことが極めて重要であった。旧弁護団は、暴行の事実はなかったことを“証明”するという方針のもと、被告たちに弁明的な供述を行わせるものであった。それは、権力への「自白路線」であり、「偽装転向」にまで行き着く。しかも、1047名解雇撤回の旗を投げ捨てた国労本部などの4者4団体路線を擁護するまでに転落した松崎被告との裁判分離を求めた被告たちの意見を聞き入れず、そうした裁判方針を被告たちに強制しようとした。これを許さず、旧弁護団を解任し、新たな裁判闘争を開始したことがもたらした勝利なのである。これは、4者4団体路線を徹底的に弾劾し、国労内の動労千葉派として国労共闘を飛躍させる闘いでもあった。

 □勝利にわく報告集会

 判決後の夕方に東京・文京区民センターで開かれた国鉄闘争勝利総決起集会には520人が結集し、暴処法を粉砕した歴史的勝利にわいた。
 富田益行被告団長が、「向山被告は無罪、暴処法も共謀も粉砕しました!」と報告すると、会場から大きな歓声が上がった。そして、「被告団は“JR資本と正面から闘って1047名の解雇を撤回させる”という路線を打ち立てて今日の判決を迎えた。この判決を見て、JR西日本資本は『どういう処分をするか』と必死で考えていると思う。12・3JR西日本包囲闘争からトコトンJR西日本本社を攻め、来年の尼崎闘争までの決戦を闘う」と今後の方針を明らかにした。
 橘日出夫被告は「戦前にもこんな勝利はなかった」と、かちとった地平の大きさを明らかにした。小倉地区闘争団の羽廣憲被告は「私は被解雇者なので『解雇撤回』をどこまでも貫き、日本全国を駆け巡って労働者の怒りに火をつけていきたい」と抱負を語った。東元被告は「私たちは本日の有罪判決を、JR資本、国家権力、国労本部、民主党・連合政権を倒す絶好のチャンス到来ととらえている」と喝破。小泉伸被告は「20万円の罰金でも僕らは現職ですから処分は来る。『大阪冬の陣』『大阪夏の陣』でJR資本を攻める」と決意を語った。原田隆司被告は、「敵はなんとしても解雇したかったはずなのに、こんな判決しか出せなかった。胸を張って職場に帰り、尼崎事故を現場から糾弾する」と訴えた。向山和光被告は、「この勝利を突破口に、来年4月尼崎闘争までの5カ月間決戦に突入しよう。1047名解雇撤回、JR体制打倒に向けた怒濤の進撃を開始しよう」と、今後の方針を提起した。
 弁護団も勝利感いっぱいに発言に立った。鈴木達夫主任弁護人が「腹の底からわきあがる勝利感でいっぱいだ。ついに11月派の団結で暴処法をうち破った。何よりも、法廷を貫いた完全黙秘・非転向の闘いの勝利だ。共謀立証も全部うち破った。暴行の認定も極めて粗雑で許し難い。およそ刑事裁判の認定として耐えられるものではない」と断じ、「『禁固以上の刑であれば執行猶予でも解雇』という就業規則がある職場がほとんどだが、『罰金で即解雇』という就業規則はそう多くはない。JRもそうだ。しかし、敵はこのまま放っておくはずがない」と、被告団とともに闘う決意を明らかにした。

 □外注化阻止へ進撃を

 集会では、全国から駆けつけた国鉄労働者が発言した。
 九州の国労闘争団員は「政府にお願いするということは“解雇撤回”を主張しないということ。原則を貫き、国労本部打倒の立場で闘う」と発言。国労秋田闘争団の小玉忠憲さんは「5・27弾圧は、闘争団を切り捨て、1047名闘争を終わらせるために国労本部と警察権力がデッチあげた事件。これをぶっ飛ばしたのはすごい勝利だ」と述べた。動労千葉争議団の中村仁さんは「全国の労働者の怒りとひとつになり、絶対にわれわれが主流派になろう」と呼びかけた。
 動労西日本の大江照己委員長は「被告たちへの処分攻撃との攻防が始まる。ともにJR西日本幹部の息の根を止める闘いに立つ」と宣言。動労水戸の石井真一委員長は「われわれは勝利の大進撃を開始している」と述べ、運転士登用差別事件の最高裁判決を逆手にとった遠隔地配転などの新たな不当労働行為を打ち破っている勝利を報告。動労千葉の繁沢敬一副委員長は「検修外注化と乗務員へのライフサイクル攻撃粉砕の闘いの要は組織拡大にある。一日も早く青年部を結成するために全力で闘う」と決意表明した。
 検修職場で働く国労組合員は「JRと和解するために合理化と闘わないというのが国労本部の方針。検修外注化を止めるには、この本部を打ち倒すしかない」と語った。
 最後に国労共闘の吉野元久代表が「戦前・戦後をとおして初めて、労働運動の力で暴処法弾圧を打ち破った」と勝利を謳歌するとともに、「この地平から半年間の決戦に打って出よう。4者4団体の裏切りに対して闘争団・家族に強烈な怒りがわき起こっている。1047名を一人残らず獲得する闘いに入ろう。国労共闘は動労総連合とともに、職場で外注化阻止の新たな闘いに立ち上がる。JR本体の組合員と闘争団員・家族が一つになって、JR体制に挑んでいこう」と訴え、集会を締めくくった。

 □JR西に直ちに行動

 12月3日には、JR西日本本社包囲闘争が130人の結集で闘われた。「有罪=即解雇」のもくろみが粉砕されたJR西日本本社とJR貨物は、門を固く閉ざして、申し入れを一切拒否した。JRはいまだに5人の現職の組合員を処分することはできない。誰が勝利者かは明らかだ。
 12・3闘争は、国鉄104
7名闘争勝利、JR東日本の検修外注化絶対阻止、JR体制打倒への突破口を開いた。これは10春闘の最大の課題だ。動労総連合と国労共闘の総力を挙げた闘いで、この決戦に勝利しよう。
 (大沢 康)  (大沢 康)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号3-1)(2010/02/01)

GM自動車工場の金属労組(コンルータス所属)が賃上げスト(09年9月21日 サンジョゼドスカンポス市)

特集

■特集 ルラ政権と闘うブラジル労働者

 はじめに

  中南米では、世界大恐慌の発生の前、すでに1990年代末〜00年代初めに各地で革命が勃発している。
ただ、プロレタリア革命を意識的に指導する勢力の未形成のために決定的な革命勝利に至っていないだけだ。しかし、決定的・壊滅的な敗北もしていない。いわば1917年ロシアの2月革命後に似た状況が次々に出現したのだ。
この中で、中南米最大の国ブラジルで、労働者党ルラ政権と体制内労働運動の抑圧を乗り越えて新たな階級的労働運動が台頭している。
第1章では、労働者の革命決起と大恐慌・ドル信用崩壊の中で、米帝の中南米支配が崩壊してきていることを示す。
第2章で、ブラジルの労働者党ルラ政権の新自由主義政策とそれを支える体制内「左派」を批判する。
第3章で、ブラジルの体制内労働運動から脱し、新たな階級的労働運動を建設しつつある闘いを見ていく。

■第1章

 米帝の「裏庭支配」の崩壊 中南米革命はもう始まっている

 ボリビア民営化反対蜂起

 ボリビアでは、IMF・世界銀行の構造調整政策によって、対外債務の強盗的な取り立てのために、鉄道、電話、航空、石油・ガス会社を外資に売り渡した。
 2000年、世銀の要求でボリビアは、コチャバンバの水道民営化に踏み切った。水道を買収した米ベクテル社は、水道代を月20jに値上げした。ボリビアの最低賃金が月70jだ。コチャバンバ市民の生活費は月100jだ。水道代を払ったら、食べ物が買えない。
 00年1月から、元労働組合員の退職労働者を先頭にして、コチャバンバ市民は、水道民営化反対デモに決起した。さらに同市周辺の農民が、灌漑用水を要求し、警察、軍隊のブロックを粉砕し、市内に突入してデモに合流した。
 ゼネストや各地の道路封鎖によって、市内ばかりでなく、全国的に経済が停止状態になっていった。4月8日、政府は戒厳令を布告した。
 教員組合は、各地で賃上げストライキに決起した。首都ラパスの学生は市街戦を開始した。農民は各地で道路にバリケードを築き、九つの州のうち、五つの州は、警察や軍隊が入れなくなり、中央政府の支配が届かなくなった。
 戒厳令布告後、4日間にわたる激闘の末、ついに政府は、民営水道会社に「安全を保障できない」と告げざるをえなくなり、水道会社は撤退を余儀なくされた。潜伏していた、労働運動指導者オスカル・オリベイラは、「水と命を守る連絡委員会」(労働組合、農民、専門職団体などの統一戦線)を代表して水道会社役員たちの安全な退去を保証する協定にサインし、勝利を宣言した。
 03年にも05年にも労働者は蜂起し、ロサダ政権とメサ政権を打倒した。そして労働者自身がガス、石油の設備を接収し、労働者管理闘争を次々に始めていった。
 これが、05年のエボ・モラレス政権の成立につながっている。モラレスは、コチャバンバ闘争の指導者の一人であったが、その中では一貫して右派であった。
 政権に就いても、その前から始まっていた労働者の石油・ガス生産管理・販売を抑圧し逆転させたのだ。そして、石油・ガスの反民営化=国有化要求を抑えようとし、それが抑えられなくなって行ったのが、軍にペトロブラス社(ブラジル資本)の石油精製工場を占拠させてその映像を発信して「国有化」を宣言するパフォーマンスだった。見かけの戦闘性とは裏腹に、実際の意図は、「労働者は占拠するな。軍隊がやる」ということだ。そして、無償接収ではなく、90年代に外資に売り払ったものを巨額の金で買い戻したということだ。また、外資のボリビアにおける独占支配の構造は最大限に残したのだ。
 モラレス政権は、倒産・解雇や不払い賃金をめぐる労働者の工場占拠の闘いを抑圧し、敵対している。そして、彼自身の出身である農民の闘いも抑圧し、可耕地の90%を5%の者が所有する極端な大土地所有制は変えられていない。
 だが、重要なことは、ボリビア革命は壊滅させられず、改良主義的に取り込み、歪曲することさえやり切れていないことだ。
 コチャバンバ水道蜂起を戦って勝利したオスカル・オリベイラらは、モラレス政権への入閣を拒否し、労働組合を職場で組織化し、資本と最後まで闘う道を選んだ。
(写真 ボリビア、コチャバンバ市の水道民営化反対蜂起【2000年4月】)

 ベネズエラ労働者の米帝との激突

  アメリカ帝国主義にとってボリビア以上に戦略的に重要な国がベネズエラだ。原油採掘量は常に世界のトップテンに入っているし、アメリカの原油輸入先の4〜5位だ。しかも、アメリカから目と鼻の先にある。
 02年4月11日、ここでアメリカ帝国主義とベネズエラの経営者団体・軍部は、チャベス政権に対するクーデターを起こした。
 石油国有化は、チャベスがやったのではない。彼は「私有財産の擁護」を明示している。ただ、彼は2000年のOPEC会議で、石油貿易にドルを使わない「コンピュータ化されたバーター貿易」を提案した。ドルの下落で損をし続けている産油国にとっては当然の政策だ。だが、アメリカにとっては、いつドル暴落が起きてもおかしくない状態の中で、最後の命綱=石油貿易の独占的ドル決済を失うことを意味した。(石油のユーロ決済に踏み切ったイラクに対しては、空爆を拡大し、01年9・11以後は地上戦の準備を開始した)
 アメリカ帝国主義は、国務省、国防省、CIAが直接にチャベス政権転覆に全力をあげただけではない。アメリカ労働運動のナショナルセンター、AFL―CIO(米労働総同盟・産業別組合会議)の中央執行部も総力でクーデターの準備をした。
 AFL―CIOは、国務省のNED(民主主義基金)を使って、ベネズエラの御用組合のCTV(ベネズエラ労働者連盟)を援助し、ともに会議を開いて4月9日からの2日間「ストライキ」の作戦を練った。情報網の構築、軍部やアメリカ当局との連携体制づくりを必死に作っていった。そして、アメリカ国内では、CTVがクーデターに賛成していることを使って「労働組合のための民主主義回復」であるかのようなデマ宣伝をくりひろげた。
 このAFL―CIOの手法は、1973年のチリのクーデターの時とまったく同じだった。だが今回は、首都カラカスの労働者の蜂起が軍部を圧倒し、2日間でクーデター政権は打倒されたのだ。
 ただ、ここでわれわれが見ておく必要があることは、チャベス政権は、一部の人々が美化するような「左派政権」ではないということだ。
 何よりも重大なことは、労働者階級自身が主体的に決起することを抑圧し、労働者を「救済の対象」にしていることだ。一部の人々がチャベスの「画期的成果」「人民参加」として賛美する「ボリバル主義サークル」は、労働者が国家権力を奪取し、労働者自身が社会を運営していくことを押し止め、地域的な税金の使い道の議論などに活動を限定していくものだ。労働者階級自身が生産を軸とした社会全体の運営の主体になることを抑圧している。だから、次のような事件が次々に起こる。
 09年1月29日、アンソアテグ州の三菱自動車の工場で、不当解雇反対で工場占拠していた労働者に警察が発砲し、2人の労働者を殺した。その後も、裁判所は、工場の強制退去手続きを進めている。同州の警察は、この間、石油労働者の賃金闘争などで弾圧を繰り返している。知事は、チャベス派である。

 アルゼンチン工場占拠とソビエト

    01年、アルゼンチンでは、都市労働者が決起し、デラルア政権を打倒した。工場占拠が行われ、それを貫徹するために「人民会議」が次々につくられていった。いわば「ソビエト」であり、労働者権力の萌芽だ。
 中南米の中でもアルゼンチンは最も工業化が早く、一人当たりGDPも1位だ。労働者の闘いの蓄積も大きい。
(写真 学生・教職員のストライキ。警察が催涙銃で教師を殺害したことに抗議【アルゼンチン】)

 エクアドル蜂起

  00年1月蜂起によって、マヌアド政権が打倒され、「人民会議」が形成され、今も闘いが続いている。

 ペルー・フジモリ政権打倒

   ペルーでは、「文民政権」とは言いながら、本質的に軍事独裁政権と変わらなかったフジモリ政権が打倒された。
  (写真 ペルーの蜂起【2002年7月】)

 チリの軍事政権打倒

 1973年の軍事クーデターへの敗北後、労働者階級は不屈に闘いを再建し、ついに1990年には軍事政権を退陣に追い込んだ。2006年には、100万人以上の高校生が、教育予算カット反対のデモに決起し、1000以上の高校が占拠されている。
    *   *    
 アメリカ帝国主義の中南米支配の崩壊を示しているものは、以上のような労働者階級の闘いに加えて、支配階級内部においてもアメリカの求心力ががた落ちしている事実だ。
 いわゆる「左派政権」であるかどうかとは無関係に、あらゆる政権がアメリカ離れをしているのだ。

 中南米ドル支配の崩壊へ

  南米の主要国で、今もアメリカ帝国主義の勢力圏といえるのは、コロンビアだけだ。 現在、特に重大なのは、世界大恐慌に脅える中南米各国が、競ってドルから逃げ出そうとしていることだ。
アルゼンチンは、09年4月、中国と100億j分の通貨スワップを行った。両国の中央銀行が互いの通貨、ペソと元を交換しておき、輸入に際しては相手国通貨で支払えるものだ。ドルを介さずに貿易できる。
中国は、マレーシア、インドネシア、韓国などとも通貨スワップをしており、6月時点で950億jにのぼる。
最も米帝、IMFに忠実に新自由主義政策を行ってきたブラジルも、5月に訪中して両国間の貿易を互いの通貨で行う検討を開始した。
6月にはロシアで行われた最初のBRICs(ブラジル・ロシア・中国・インド)会議に参加した。これは、中国・ロシアが中心となった上海条約機構の機会に行われたもので、ここにはパキスタン、イランなども加わっている。アメリカはオブザーバー参加を申し込んだが拒否された。
この6月会議で、ドル体制からユーロ、元などの通貨バスケットによる貿易決済への移行を徐々に進めていこうという議論がされている。
この会議の底流に、対中国、ロシアの米軍による包囲網づくりの資金が、両国などの米国債購入によってまかなわれている構造を突破する衝動があることは周知の事実だ。深刻な財政難のアメリカがアフガニスタンなどに米軍基地をつくれるのは、中国、ロシアなどが対米貿易依存構造、恒常的対米黒字のために米国債を買っているからだ。自分の金で自分の首を絞めるロープを買っているわけだ。
貿易通貨の問題は、国家の存亡をかけた激しい争闘戦だ。こういう状況下での露骨なBRICs会議にブラジルは参加したということだ。
さらに09年5月、ルラは中国を訪問し、中国から100億jの水力発電投資を呼び込む協定をした。09年、対アメリカ貿易が縮小したため中国はアメリカを抜いて、ブラジルの第一の貿易相手国となった。
EUは以前から対中南米経済関係ではアメリカより大きい。対ブラジルの貿易シェアではアメリカ14%に対してEUは23・4%(08年)だ。投資面でも、フォルクスワーゲン、ダイムラーベンツ、ルノー、フィアットを始め多くの企業がブラジル、アルゼンチンに進出している。
また、09年11月にはイランのアフマディーネジャード大統領のブラジル訪問、直後のブラジル外相のイラン訪問と頻繁なイラン外交を展開し、アメリカの対イラン制裁に反対する考えを明らかにしている。また、ルラは、同時期にEUの中心国ドイツを訪問している。
*   *    
ブラジル・ルラ政権は、一方でブラジル軍をアメリカのハイチ・クーデターを守るために派兵し、他方では、中国やロシア、そしてEUの対米的な争闘戦に乗り、大恐慌の荒波をしのごうと必死になっているのだ。しかし、こんなバランス取りが通用するほど大恐慌下の革命的激動は甘くない。

■第2章

 

戦争と民営化のルラ政権

 ルラの手先=第四インター

 第1章で見たように中南米各地で革命が勃発しているが、中南米の軸であるブラジルでは、まだそこまでいっていない。巨大な労働者階級の存在と戦闘的な労働運動の伝統を持ちながら、なぜそうなっているのか。
まず現在のルラ政権の性格から検討していこう。

 軍事政権を突き破ったABC地域の金属労組

 ルラ政権の労働者党は、1970年代末〜80年代初めのサンパウロ周辺の工業地帯での金属労働者の大ストライキの勝利によってつくられた。
 その時期は、1964年のクーデター以来の軍事独裁政権の支配下にあった。
 その軍事独裁政権の弾圧に屈せず、また官製労組の抑圧を打ち破って、自動車産業を中心とする金属労働者たちは闘いに決起したのだ。
 60年代、軍事政権は、経済政策としては、輸入代替のための工業化を進めていった。外資導入で資金と技術を調達すると同時に、関税とさまざまな規制で国内産業を輸入品から保護し、国内産業を育成しようとした。
 軍事政権の人的な基盤は、北東部、北部の大地主層であった。これは、19世紀までの奴隷制時代からの支配構造を受け継ぎ、大農園は自前の私兵や警備会社を使って農業労働者の闘いを抑えこみ、地域全体を支配していた。だが、彼らは単なる旧時代の延長ではなく、人的にも都市の大銀行、大企業と重なり、アメリカのアグロビジネスとつながっている。こうした彼らの立場から工業化を進めたのだ。
 この軍事政権の下で戦前の人口の70%が農村人口という状態から、圧倒的多数が都市人口という構造に変化していく。(今日では、都市人口が80%を超える)
 その新たな労働者階級が集中していたのが、ブラジル最大の経済都市サンパウロに接するABC地域だ(ABCは、サント・アンドレ、サン・ベルナルド、サン・カエタノの頭文字)。ここのフォード、フォルクスワーゲン、トヨタ、ベンツなどの自動車工場や部品工場の労働者が、金属労組として団結した。
 1978年、サンベルナルドのベンツ工場とフォード工場の部分的停止から始まった闘いは、次々にABC地域の工場に広がっていった。19
79年4月には、サンベルナルドとジアジマの金属労働者が初のゼネストに決起した。
 ルラは、この1978〜80年のABC地域金属労組の大ストライキ闘争の指導部だった。
 このスト勝利による吸引力によって、80年にPT(「労働者党」)がつくられた。

 労働者自己解放の原則を否定する「労働者党」

 だが、この最も労働者的な闘いから生まれたはずのPTが、真の意味で労働者の利害を代表していくものにはならなかったのだ。
 それは、結成の最初から、あらかじめ労働者自己解放を原理的に否定したものだからだ。そして労働者的な規律を否定する組織原理に基づいてつくられたものだからだ。
 PTは、労働者自身が、闘い、団結を強化拡大し、権力を奪取してこの社会を自分たちで運営できる存在だということを認めていないのだ。「労働者党」を名乗りながら、根底のところで労働者蔑視の思想にからめとられているのだ。
 規約や組織構造の上でも、労働者階級を他の階級・階層と同列に置き、労働組合を他の市民組織、社会運動組織と同列に置いている。これが、「レーニン主義的な組織」「規律でがんじがらめの組織」を克服する「新たな自由な組織」の形だと宣伝した。
 だが、労働者階級とは、資本主義社会の中ですべてを奪われているがゆえに、すべてを奪還しうる階級である。労働者階級のみが真に革命的な階級なのである。
 だから、他の階級・階層、他の運動体と同列に置くということは、現実には、同列どころか、労働者階級を他の後ろに置き、労働者階級の利害を排除することになるのだ。そして、「労働者的な規律からの自由」とは、現実には、「特権の自由」しか意味しない。
 この原理が実証されたのが、80年代のPTの党勢拡大の過程だった。
 PTは党勢を拡大するとともに、地方議会に進出していった。そこで労働者による統制・規律に従う必要のないPT議員たちは、ブルジョア議会の論理に取り込まれ、そしてついには議会的特権、利権にまみれていった。特に諸都市の市長に当選するようになると、市の予算を狙う資本家たちがPT市長やその側近たちに接近し、地方財界とPT幹部たちの癒着関係が深まった。
 こうして、80年代末には、PTは労働者の党とは完全な別物に変質していた。

 極右との癒着

 2002年の大統領選でPT(労働者党)のルラは、一方で労働組合の指導者だったことを宣伝しながらも、他方で、副大統領候補に大資本家を起用し、支配階級に自分が味方であることを売り込んだ。彼が選んだ副大統領候補ジョゼ・アレンカールは、極右キリスト教原理主義団体、「神の王国世界教会」の政治組織であるPRB(ブラジル共和党)のリーダーだ。また、ブラジル最大の繊維会社グループのオーナーである。
 さらにルラは、IMFやアメリカの銀行を回ってあらかじめカルドーゾ前大統領のウルトラ新自由主義政策を継続することを約束していた。
 そして、選挙公約でも公然
と、暴利の対外債務を全額支
払うことを約束した。(前の彼の大統領選公約には、支払猶予や減額が含まれており、89年の最初の立候補の公約では、対外債務そのものが不当・無効だと述べていた)
 ルラは、労働者の立場から資本家の立場に移行したことをアピールしたのだ。
 大4節 民営化・労組破壊、社会保障破壊を強行
 中央銀行総裁には、エンリケ・メイレレスを任命した。アメリカの巨大銀行、フリートボストン・ファイナンシャルの国際金融部門のトップとしてアメリカで働いていた人物だ。
 メイレレスは、前政権以上の超高金利政策を実行し、労働者人民の強搾取、強収奪を行った。
 ルラは、就任後すぐに「年金改革」に着手し、公務員年金の支給額の大幅カット、支給開始年齢の引き上げを行った。また、年金基金の民営化も行っていった。
 さらに公共企業体の民営化を急速に進め、国策的事業である国営石油会社さえ、部分民営化を推進した。
  労働法制の改悪   労働法制の改悪
 労働者に対してはスト規制などを厳しくするとともに、資本に対しては「柔軟化」の名の下に労働法規制の例外を多数設けて労働法を有名無実にした。

 公立大学の民営化

 公立大学の民営化を、「企業と大学のパートナーシップ」という形をとって進めている。また、公立大学の予算を大幅にカットし私立大学の予算を大増額している。
 教授や大学スタッフの大量解雇を行い、公立大学からまともな研究の要素を一掃し、純粋な企業就職者養成機関にしようとしている。
 ブラジル最大のサンパウロ大学では、2006年から一挙に学生運動への弾圧が激しくなった。軍事政権時代でさえ、軍や警察がキャンパスに入ることはほとんどなかったのに、軍警察が常駐している。キャンパスの地面に集会への呼びかけを書いただけで逮捕だ。そして、キャンパス内には監視カメラが多数設置されている。
(写真 サンパウロ大学のストライキ。軍警察との激突【07年6月】)

 ブラジル軍ハイチ派兵―米帝のクーデターの手先

 ルラ政権の反人民性の露骨さを示しているのが、04年からのブラジル軍のハイチ派兵だ。
 ハイチのアリスティド大統領は1990年暮れの選挙で勝利した後、軍のクーデターで追放されている。しかしそういう状況にあってなお、2000年の大統領選では再び彼が選出された。ハイチ人民の民意は明白なのだ。
 これに対してアメリカ帝国主義が戦略的利害と利権を守るために侵略したのが04年のクーデターだ。ハイチ軍と警察に対して労働者人民が決起し、激突が開始された。この時、米軍海兵隊が出動し、アリスティド大統領を拉致して中央アフリカまで連れ去った。これ以上ないほど明白な侵略だ。
 アメリカ帝国主義は、ブラジルのルラ政権にハイチ平和維持軍の指揮をとるように要請した。それだけルラは、米帝侵略者に反人民性を認められているのだ。
 今もハイチ国家警察とブラジル軍を先頭とするMINUSTAH(国連ハイチ安定化ミッション)は、人民の虐殺をエスカレートしている。
(写真 エタノール燃料推進でブッシュと会談するルラ807年3月】)

 農民虐殺の直後に、遺伝子操作作物を認可

 さらにルラ政権の反人民性の露骨さを示しているのが、遺伝子操作作物をめぐる農民弾圧である。
 MST(土地なし農民運動)はルラ政権の支持団体として、指導部は変質を深めてきたが、メンバーは闘っている。このMSTのメンバーである農民たちが、06年3月以来、巨大種苗会社、シンジェンタ社の実験農場を占拠してきた。同社が法律に違反して、遺伝子操作作物の植え付けを行っていたからだ。07年10月21日、武装した私兵部隊が農民たちを襲撃し、バルミル・モタ・ジ・オリベイラ氏を射殺し、5名に重傷を負わせた。
 だが、ルラ政権は、シンジェンタ社が違法に遺伝子操作作物を栽培したことの責任も、オリベイラ氏殺害の責任も問わず、その直後にその当の遺伝子操作大豆を認可したのだ。
(写真 違法に遺伝子操作作物を栽培しているシンジェンタ社をMSTが弾劾【06年6月11日】)

 砂糖きび農場の奴隷労働

 ブラジルは、最も早くからガソリンの代替品として砂糖きびからエタノールを大量生産してきた国だ。ルラ政権は、07年のブッシュとの会談以来、エタノール生産を急激に拡大している。
 「環境にやさしい」「地球温暖化対策」などと宣伝しているが、とんでもない。
 ブラジルの砂糖きび農場の労働者は、一日、12dを刈り取るノルマが課せられる。それ以下だと賃金はゼロだ。12dを刈り取るには、ナタを8万6千回打ち下ろさねばならない。この極限的過労で、手首、肩、腰などが深刻なダメージを受ける。労働者のほとんどが、10年ともたない。
 こうして砂糖きびを安く生産しても、エタノール燃料は補助金なしには成り立たない。しかも、CO2削減に意味のあるほどの量のガソリン代替をしようとするなら、アマゾンの森林を大規模に農地にするしかない。このどこが「環境にやさしい」だ。
 また、ルラは大統領選で農地改革を公約したのだが、それをいっこうに進めず、土地なし農民への農地配分も、前政権のペースよりはるかに下回っている。それと巨額の補助金によるエタノール生産によって大農場の奴隷労働がはびこっているのだ。

 第四インターの加入戦術

 ルラは、前政権以上に激しく、年金破壊、教育破壊、賃下げなどを行った。
 その上、政府・与党幹部の金銭的不正腐敗は、明るみに出てきたものだけとってもすさまじい。PTの議長、書記長など軒並み腐敗事件にかかわり辞職しているありさまだ。
 だが、これだけのことをやっても、ルラ政権が労働者の怒りで打倒されていないのは、なぜだろうか。
 ルラが戦闘的な労働運動の出身であり、従来の右派政権よりはマシだという幻想だけでは、これだけの長期政権にはならない。
 やはり、ルラ政権に怒りを持つた労働者の決起を押し止める装置があることが鍵だ。
 その装置になっているのが、第四インターナショナル統一書記局派だ。【最近、マルクス主義、トロツキー主義を捨てて、NPA(反資本主義新党)なるものをつくったフランスのLCRや日本で三里塚闘争分裂破壊策動を行って腐敗し、四分五裂になって極少数派に転落した「かけはし」等の諸グループの系統】
 第四インター統一書記局派は、80年の結成時からPTに加わっている。そして、今なお続けている。いわゆる「加入戦術」をとったのだ。
 これは、第四インターの長年の伝統だ。第四インターの様々な潮流が社共の党員になる方針(「加入戦術」)や、党員にならない場合でも選挙では「社共に投票せよ」という方針でやってきたのだ。
 これらは、単なる「戦術」問題ではない。マルクス主義の本質にかかわる問題だ。
 彼らが、こうした方針を出す考え方の基準は、次のようなものだ。
 革命に有利な客観的状況はどちらか。社共が大きく、保守党が小さい状況か。保守党が大きく、社共が小さい状況か。――という基準だ。
 欠落しているのは、主体の問題だ。社共などに加入した者が、その党員としての活動のプロセスでどうなるか、労働者の団結がどうなるかということだ。また、社共に投票せよと呼びかける行為を通じて、また呼びかけられた人が社共に投票する行為を通じて、それぞれの主体の階級意識がどうなるかということだ。
 そして、党として他党に加入してなおかつ、「共産主義者は見解・意図を隠すことを軽蔑する」という『共産党宣言』の結語の立場が貫けるのか否かということだ。
 こうした根本的な問題がある加入戦術を第四インターはPT加入にも適用したのだ。
 確かに、彼らは、PT指導部を若干批判するが、結局は、「内部から変える必要がある」論に集約してしまう。労働者を引き戻して再びPT支持者にするための枕言葉にすぎないのだ。
 彼らの「批判」を実際に読んでみよう。選挙後に出された総括だ。
 「ルラはいっそう広範で新たな支持を、候補擁立を見送った他党や大企業家の双方から得ようとする方向に傾いた。著名な銀行家や大金融企業のトップは、ルラ候補への支持を表明した。企業家の一部は将来の政権の経済チームに加わるよう依頼された(PT指導部から)と報道機関は報じた」(統一書記局派国際機関誌『インタナショナルブーポイント』02年11月号)
 すでに選挙前にルラが、ブラジル最大の繊維会社のトップを副大統領候補に指名しているのだ!
 「PT左派の成績に注目すべきである。自分たちが全く同意しなかった全国政治方針に従わなければならなかったことを考慮すれば、それはかなり良いものだった」(同)
 PTの幹部の中では反対したが、ブラジルの労働者大衆に対しては、PT全国方針に従い、PT中央への批判を隠した!
 「当選した70〜80人のPT連邦議員中、党内の候補選出選挙で選ばれたDS(「社会主義的民主主義」=PT内第四インター派)は10人で、議員数の15%への増加である(DSの中には、リオグランデドスル州現副知事ミゲル・ロセト、……が含まれる)」(同、カッコ内も原文)
 PTの新自由主義政策に従う自派議員の数が増えたことが総括なのだ。
 しかし、第四インターの裏切りは、実はもっと激しい。
 PT指導部は、第四インターをさらに深々と抱き込むことを狙った。そのために、上の引用文からも分かるように、80年代から地方議員や市長、知事の座を与えたのだ。ブラジル南部のリオグランデドスル州の副知事や同州の首都であるポルトアレグレ市の市長の座も、こうして第四インターの幹部は手に入れた。
 だい10節 農民を暴力的に弾圧した第四インター閣僚
 こうして第四インターも、巨大な財政を動かせる行政の長の「うまみ」を覚え、地方ブルジョアジーとの癒着を深めていった。
 ミゲル・ロセトが連邦議員になったことは、上の引用文で勝利の総括の最大のポイントになっている。
 このロセトが、ルラ政権の農業改革相としてやったことは、
@閣僚として、ルラのすべての新自由主義政策を推進。
A担当相として、農地改革の公約破り。――巨大地主の農地の接収をやらないだけでなく、広大な耕作放棄地、休耕地、未耕作地があるにもかかわらず、土地なし農民に農地を配分するペースは、前政権より格段に落ちた。
B土地なし農民の弾圧――MST(「土地なし農民運動」)の農民たちの土地占拠闘争に対して、警官隊を派遣して暴力的に弾圧している。
  世界社会フォーラム   世界社会フォーラム
 この第四インターや他のPT党員が89年から04年まで市政を握ってきたポルトアレグレで開かれたのが、WSF(世界社会フォーラム)だ。
 第1回WSFが01年1月ボルトアレグレで開催され、第3回まで毎年、同市で開かれている。そして第4回は別の国でやったが、第5回(05年)は同市に戻っている。
 WSFには、財政その他の便宜は州政や市政に依存し、また政府や企業に援助されたNGO諸団体がメインの構成団体になっている。つまり、ルラのPT(労働者党)の力で成り立ったものだ。
 実際、ルラは、第1回WSFからその最もメインの集会場に登場して演説している。ルラは、大統領選の絶好の演壇として使ったのだ。あたかもルラが新自由主義とは違う、労働者の味方であるかのように見せかけ、PTの裏切路線に「左翼的」ベールをかぶせるのに役だったのだ。その後も毎年、彼はWSFのメインの演説者だ。

 「もう一つの世界は可能」?

 WSFのスローガン「もう一つの世界は可能だ」は、何とでも解釈できる。資本主義廃絶のスローガンだと思っている人もいる。
 だが、当時すでに革命が始まっていた中南米の脈絡の中で考えれば明確になる。
 第一に、権力奪取、プロレタリア独裁樹立が直接の課題になっている時に、それを隠していることだ。『共産党宣言』が言っているように、「共産主義者は自分の見解・意図を隠すことを軽蔑する」。まだ共産主義者になっていなくても、真剣にこの社会を変革しようとするなら、誰でもそう考える原則だ。
 「労働者は救済の対象ではなく、自己解放の主体」なのだから、労働者階級全体に対して、公然と見解を述べ、討論していかねばならないことは自明の理だ。
 WSFが見解を隠していることは、労働者階級を救済の対象、操作の対象としているからだ。
 第二に、現実に存在するものを「打倒する」「廃絶する」と明確に言わずに、「別の世界」と言っていることが現実に意味することは、「複数の世界が並行して存在することは可能」ということだ。
 「職場で何があっても放っておこう。警察が弾圧を狙っても、弾圧されないようにすれば良い。そんなことより、別世界のことを考えよう」ということだ。職場の資本との闘争、国家権力との闘いの困難からの逃亡の誘いだ。
 第三に、労働者自身が労働者階級を解放し、普遍的に全人間を解放すること、新たな世界の建設の主体が労働者であることについて、示唆さえなく、100%隠されていることだ。
    *   *
 以上のような第四インターや他の様々な「左」の装いをした勢力、体制内「左派」勢力の支えがあってこそ、ルラの新自由主義政策が可能になっている。
 こうした労働者階級を絶えず従属的なものとして扱い、救済・操作の対象におとしこめる勢力と闘い、労働者階級自身が独自の勢力として自己を組織していかねばならない。
 労働者を軽蔑し、おとしめる思想と決別し、労働者が自己を信頼して団結していくならば、必ず勝利できる。
 そのために、これまでのルラ労働者党を支えてきた自己のあり方から決別し、労働者階級自身の独自の結集を目指しているコンルータスについて、次章で見てみよう。

■第3章

 

コンルータスの11月集会参加中南米労働運動との大合流

 09年7月の動労千葉とコンルータスの出会い

 動労千葉を軸とした09年11月集会は、歴史的な突破口を切り開いた。
 03年11月から積み重ねられてきた日米韓の国際連帯の発展・深化の上に立って、その陣形にブラジルのコンルータス(全国闘争連盟〔階級的労働組合のナショナルセンター〕)の代表が参加したことは決定的だ。
 この集会と一連のコンルータスと動労千葉との交流の中で、
@新自由主義を最先端で打ち砕く国鉄1047名闘争の世界的意義と戦争、民営化・労組破壊との闘いの路線が確認され、
A米オバマ政権、日本の民主党・連合政権、ブラジルのルラ労働者党政権(すべて体制内労働運動に支えられている)との死活的な闘いが合意され、
B大恐慌下での労働運動の方向について基本的な一致がされ、
C労農同盟の戦略性が確認された。
D労働者階級の世界的な党の必要性が確認された。
Eそして、帝国主義国の労働者と移民労働者の団結の重要性を確認して、具体的な共同の闘いが開始された。
 これは大恐慌下で戦略的な意味を持つBRICsの労働運動と結合しただけではない。第1章で述べたように、すでに中南米では革命が続発している。そしてコンルータスは、最初から中南米諸国の労働運動との結合の中でつくられてきた組織なのだ。コンルータスとの結合は、直ちに中南米全域の労働者との結合になっていく。
 だが実は、このコンルータスとの結合は、それそのものを準備した結果として得られたものではない。
 動労千葉とコンルータスの交流は、09年7月サンフランシスコ会議の準備過程で、そこにコンルータスが出席すると知らされるまでは皆無だった。
 サンフランシスコのゼネスト75周年の集会とILWUローカル10、34の主催の国際労働者連帯会議を共に担った動労千葉は、そこでコンルータス代表のファビオ・ボスコ氏に出会った。
 そこで動労千葉の提起を聞いて、直ちにコンルータスは、絶大な信頼を動労千葉に寄せたのだ。全体会議でのボスコ氏の発言の中には何度も「動労千葉のように」という言葉が出てきた。
 そして、09年11月、東京・日比谷での全国労働者総決起集会にボスコ氏を派遣することが決定されたのだ。
 しかし、なぜ、会った瞬間に動労千葉を理解し、熱烈に動労千葉を支持するまでになのだろうか。そこには、彼ら自身の二十数年にわたる苦闘があった。
(写真 コンルータスの旗を持って拳を振り上げるファビオ・ボスコさん【09年11月1日 東京】)

「学長やめろ!」とデモ行進するサンパウロ大の学生

 体制内労働運動からの脱却の苦闘

コンルータスは、2003年、ルラ政権発足後、ルラ支持のCUT(中央統一労組)指導部との闘いの中で、CUTのおよそ3分の1の役員たちを結集して設立された。
 公然たるCUTからの分離組織の組織化は、03年のルラ政権の年金改悪に対する公務員労組の40日間ストライキの組織化の時からだ。このストを統一的に指導する必要性から、コンルータスが生まれた。
 78〜79年のABC地域の大ストライキをルラらとともに闘った労働者が軸になっている。
 こうしたコンルータス設立の中心になった労組活動家たちも、批判を持ちながらも実際にはルラのPTの中で80年のPT結成以来、PT党員となり、またCUTの役員となってそれを支持してきたのだ。前章で述べたように80年代にPTの資本への屈服転向過程が急速に進んだのだ。CUTも同様の屈服・腐敗が進んだ。これは、自分たちの目の前で起きたことだ。だが、PT、CUTへの「批判的支持」のスタンスを変えられなかった。
 そして、ずっとルラとともにPTに加入し、そしてともにCUTを結成して活動してきた。その中で、PTとCUTの変質と腐敗への批判をもってきたが、それでもPTへの加入を続け、ようやく92年、ルラ指導部の当時のコロル政権との癒着を批判して除名された時、公然と決別を開始できたのだ。
 だが、それはあくまでも開始であって、その後も、「批判的支持」のスタンスから完全に脱却するのはたいへんだった。
 こうしたあり方を真剣に再検討し、そこから決別することは、たいへんな苦闘をともなった。また、PT主流派、CUT主流派だけでなく、他のPT内・CUT内「左派」諸潮流からも、公然たるPT、CUTとの対決に対する反発を受けたが、それと対決することも容易ではなかった。
 そして今もさまざまに形を変えて、そうした苦闘は続いている。第四インターナショナル諸潮流の「加入戦術」の思想が活動家たちをいかに強くしばってきたかを物語っている。
 しかし、肝心なことは、労働者が労働者であるかぎり、あらゆる困難を乗り越えて労働者としての団結をつくり出し、闘いに決起していく実例を示していることだ。
 自分たち自身がPT、CUTに加入して、「批判的」ではあれ支持してきてしまったことからの脱却の苦闘を経験し、そしてPT、CUTやその中の体制内「左派」との対決の困難を味わっているからこそ、動労千葉の闘いの真価が一瞬にして理解できたといえる。
 そこで、コンルータスの具体的な闘いの姿を見てみよう。
(写真 コンルータスの水道局民営化反対デモ【06年4月19日 ゴイーア州】)

 コンルータスの概要

 中心になったのは、ABC地域で78〜79年の大ストライキを組織した労組活動家たちだ。公務員、金属労組、建設労組が当初の主な基盤である。
 また、コンルータスには、労働組合だけでなく、他の労働組合内の反対派フラクも加入している。また、学生運動組織、住民組織、女性解放運動の組織などもコンルータスの構成組織になっている。
 04年3月のコンルータス全国集会には、180の労組・諸組織から1800人の代表が参加した。06年5月のコンルータス第1回全国労働者階級大会は、180万人を代表する2700人の代議員が参加した。
 08年7月のコンルータス第1回大会には、305の労組や労組内左派グループ、108大学学部の学生組織などから、2814人の代議員が参加した。

 GM労働者のPT、CUTとの決別と世界恐慌下の大ストライキ

 とりわけ大きなことは、09年3月、サンパウロ近くのGMのサンジョゼドスカンポス自動車工場で、労働組合をCUTの体制内派幹部から奪い返した闘いの勝利だ。
 大恐慌の本格化とアメリカGM本社の破産法11条申請に向かっていく過程で、戦略的な大工場での戦闘的な反撃が開始されたのだ。
 これは生産の海外移転、工場閉鎖とその恫喝をもってアメリカの労働運動を屈服させ、破壊してきたアメリカ帝国主義の階級支配の根本を揺るがす闘いであり、全世界の労働者階級を圧倒的に激励するものだ。
 GMサンジョゼドスカンポス工場の労働者は、全世界の労働者に次のようにアピールを発している。
(写真 GMサンジョゼドスカンポ工場で、コンルータスが組合選挙に勝利。ルラ支持派、CUTを打倒)

 全世界の自動車組み立て工場での解雇と諸攻撃への闘いの呼びかけ

  「われわれは、国際的な恐慌の進行を目の当たりにしている……。何十億、何千億jもの公的資金が企業に投入される一方、労働者には解雇、社会的権利や賃金の放棄が強いられている。
  こんなことが許せるか! われわれは、この恐慌に責任はない! この恐慌のために金を払うべきなのは、何年にもわたって利潤をかせぎ、ボーナスを取ってきた一握りの者たちでないか。……
  政府と企業は、われわれを相互に対立させようとしている。一つの国の労働者の賃金を示して、他の国の労働者の賃金を下げさせ、また雇用を守ると称した恥ずべき取引を促している。
  残念なことに、全世界のさまざまな労組や労組連盟が、この論理を受け入れている。……断固、ノーと言おう。いかなる解雇にも、いかなる権利と賃金の切り下げにも反対しよう。……
  この状況を変えるため、われわれは、他の労働者、労働組合、工場委員会、活動家に国際会議の実現を訴える。そこでわれわれは、国際的恐慌に対決し、これまで人質にされ取引材料にされてきた雇用・権利・賃金を守る統一的闘いについて討論していこう。
  GMサンジョゼドスカンポス工場の労働者一同
  サンジョゼドスカンポス金属労組
  ブラジル・コンルータス(全国闘争連盟)
  ELAC(ラテンアメリカ・カリブ海諸国労働者連携会議)」 

【ファビオ・ボスコ氏の11月集会の発言〔抜粋〕】

  「資本主義は29年以来最悪の経済恐慌の渦中にあります。労働者に恐慌の責任など一切なく、その代償を払うなど問題外です。
残念ながら、多くの労働組合は企業救済を支持し、譲歩交渉に明け暮れています。
すべての搾取と抑圧を終らせる社会主義社会、この最終ゴールの達成に向かって前進し勝利するためには、闘いを全国的、国際的規模で結合させる必要があります。
資本主義的搾取に終止符を打とう! あらゆる抑圧を粉砕せよ!
帝国主義によるイラク、アフガニスタン、パレスチナ、ハイチの軍事占領を許すな!
企業救済と譲歩に反撃しよう!
労働者階級の闘いの前進を勝ち取ろう!
国際連帯、永遠なれ!
万国の労働者、団結せよ!」
*     *   
大恐慌の中で、巨大資本と闘い、ルラ労働者党政権、体制内労働運動と闘うブラジル労働者と固く連帯して闘おう。
全世界のプロレタリアートの共同の闘い――戦争、民営化・労組破壊との闘いを、職場・学園で組織し、組織し、組織しよう。

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号4-1)(2010/02/01)

翻訳資料

 ■翻訳資料

 カリフォルニア大学理事会、学費大幅値上げを可決、学生と教員が州と全国の公共教育の侵害に抗議

 米インターネット放送『デモクラシー・ナウ』のインタビュー(11月20日)

 土岐一史 訳

ゲスト

ボブ・サミュエルズ AFT(全米教員連盟)カリフォルニア大学支部長。彼はChanging Universitiesというブログを管理している。 ボブ・サミュエルズ AFT(全米教員連盟)カリフォルニア大学支部長。彼はChanging Universitiesというブログを管理している。

ゼン・ドクターマン 抗議行動に参加したUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の学生

エイミー・グッドマン

 抗議する数千人の学生と警備の武装警官に囲まれる中で、UC(カリフォルニア大学)の理事会は11月19日(木曜日)、授業料の32%の値上げを可決しました。学生とUCの全キャンパスから集まった労働組合活動家からなる2000人の抗議デモは、理事会の開かれたUCLAのコーべル・カモンズ会館の外で、乱闘服に身を包んだ警察の大部隊と対峙しました。21人の理事が、ほとんど議論もなく授業料値上げに賛成しました。値上げに反対したのは学生理事ジェシー・バーナルだけでした。
 学生が会館の周囲でもキャンパンス中でも、そして街頭や教室でも抗議行動を行い、デモをしたので、理事の何人かは、投票後も会館から出られなくなりました。このデモは、UCの学費が初めて年間1万jを超えるものになるという、今回の授業料値上げに反対するカリフォルニア大学全体のストの一環です。木曜日の早朝、UCLAやUCの他のキャンパスの学生が、キャンベル・ホールにバリケードを築いて建物を占拠しました。1969年の黒人学生自治会の集会中、この建物の中で射殺された2人のブラックパンサーに敬意を表し、学生たちはこの建物を「カーター・ハギンズ・ホール」と改名しました。デモに参加した学生の一人が、自らが立てこもるホールの中で、今回の行動の模様をつぎのように述べました。
 UCの学生 私は学生ですが、組織の代表ではありません。キャンベル・ホール、今改名されたカーター・ハギンズ・ホールからの声明です。11月19日午前12時30分頃、学生はUCLAのキャンベル・ホールを占拠しました。いよいよ声明を発表し、要求を出す時が来ました。禁止命令への回答として、われわれは何も要請しません。何も要求しません。奪取します。占拠します。われわれは、本来みんなのものであるこの場所でこそこそすべきでないということを身をもって知らなければなりません。
 われわれは幻想を持っていません。UCの理事会は予算カットと授業料値上げを可決するでしょう。議決過程の極めて非民主的なやり方、教育を受けられず、仕事を持てない人々の窮状に対する無関心は、驚くに当たりません。この危機は構造的なものであることをわれわれは知っています。それは単なる理事会の問題ではなく、単なるサクラメント(カリフォルニア州の州都)の犯罪的な予算カットの問題ではなく、単なる経済危機の問題ではなく、この社会の根本に関わる問題です。
 しかしわれわれは、問題の巨大さが、しばしば何もしないことの言い訳に使われることも知っています。われわれは自らの居場所、われわれが生き、働いているこの大学で反撃し、抵抗する道を選びます。従ってわれわれは、闘争に関わるすべての人に、共感だけでなく、積極的な支援を寄せるよう訴えます。大学へ通いながら二つも三つも仕事を持っている学生に、大学の設立趣旨に対する違反が教育を受けさせる権利を閉ざすことを意味する保護者に、レイオフされた教師、講師に、退学させられた学生に、仕事がどんどんなくなるという経済状況の中で卒業証書の価値がどんどん下落している労働者に、われわれは言いたい。われわれの闘いはあなたの闘いであり、別の道は可能であると。それを掴み取る勇気さえあれば。われわれは、この闘争を広げなければならないと決意しています。それがわれわれの要求を実現するための条件なのです。

エイミー・グッドマン

 学生が退去を拒んだあと、警察は50人以上の学生を逮捕しました。
 より詳しくこの件を知るために、ロサンゼルスから2人をお招きしました。ゼン・ドクターマン氏、彼はLAの大学院生です。彼は電話での対談となります。もう一人、ロサンゼルスのスタジオにお招きしました。ボブ・サミュエルズ氏、彼は全米教員連盟カリフォルニア大学支部の支部長です。彼はChanging Universitiesというブログを管理しています。 より詳しくこの件を知るために、ロサンゼルスから2人をお招きしました。ゼン・ドクターマン氏、彼はLAの大学院生です。彼は電話での対談となります。もう一人、ロサンゼルスのスタジオにお招きしました。ボブ・サミュエルズ氏、彼は全米教員連盟カリフォルニア大学支部の支部長です。彼はChanging Universitiesというブログを管理しています。
 ようこそお越しくださいました。まずゼン・ドクターマン氏にお伺いします。LAの大学院生で、闘争の現場にいたわけですね。起こったことを説明してください。

ゼン・ドクターマン

 わかりました。私が闘争現場にいたのは主に水曜日でしたので──水曜日は、警察が学生にテイザー銃(高圧電気ショック銃)を撃ち、殴打しているのを目撃しました。昨日はほとんど現場を離れていたのですが、理事会が開かれている最中、人々がコーベル・カモンズ会館を取り囲み、理事が会場を出る際に車を取り囲んだと聞いています。そして、多くの学生が授業料値上げを阻止しようと直接行動に立ち上がりました。

エイミー・グッドマン

 ボブ・サミュエルズさん、その時の状況を説明して下さい。どうして授業料値上げなのですか? 授業料の32%値上げの口実は何ですか?

ボブ・サミュエルズ

 カリフォルニア大学総長のユードフは、州の大学への補助金が20%カットされるからと言っています。そもそも州の補助金は、大学の総予算の15%に過ぎないのですが、その補助金カットがあるから授業料値上げは仕方ないと言っているわけです。私たちは、大学は全体では前例のない収入を上げている、授業に金をつぎ込もうとしないのが問題だと主張しています。そのかわりに……

エイミー・グッドマン

  前例がないというのはどういうことですか?

ボブ・サミュエルズ

  彼らは連邦景気刺激基金から多額の金を得ています。彼らは最高額の研究助成金を得ています。附属病院からの収入も最高額に達しています。彼らの収入のほとんどは、カリフォルニア中で駐車料金や家賃や医療費を取ったりして上げたものです。こうした収入は本年が最高でした。助成金も最高額です。だから実際には、昨年は州から最高額の金をもらっていたわけです。何しろ連邦景気刺激基金をもらっているわけですから。

エイミー・グッドマン

 では、何をもって正当化しているのですか? 金の行方についてもっと詳しく説明してください。

ボブ・サミュエルズ

  御存じのように、大学は金がない、学生や授業につぎ込む金がないと言っています。それで今やっていることが、学部教員を何百人もレイオフし、特に終身雇用権のない講師をレイオフして、クラスの人数を増やすということです。
 そしてその金は、エリート教授やエリート幹部の給与に集中しています。全体で、年収20万j以上の人は3000人を超えています。そのうちの多くが40万j、50万jももらっています。その大半は幹部やそのスタッフです。大学は今や、教員がますます少なくなり、学生はますます多くなり、幹部はますます多くなっています。
 その結果起こっていることは、学生が卒業するのにかかる年数がますます多くなっているということです。彼らは必要な授業を受けることができません。私はLAで必修作文のクラスを教えていますが、当局は学部丸ごとレイオフしています。われわれは授業を要求していますが、当局が何をしようとしているのかがわかりません。学部長は、大学は学部教育に費やす金がないのだと主張しているのです。

エイミー・グッドマン

  学部教育に費やす金がないということですか。しかし当局として、金が大学全体の非教員スタッフに集中しているというのはどうなんですか? あなたは、大学には三つの基本層があると言っていますね?

ボブ・サミュエルズ

 その通りです。
 カリフォルニア州〔の公立大学〕には、まず(カリフォルニア大学)があります。その中にロサンゼルス校とかバークレー校などがあるわけです。そしてCSUシステムがあります。それからコミュニティーカレッジ(地域短期大学)が……

エイミー・グッドマン

 CSUシステムというのは?

ボブ・サミュエルズ

 カリフォルニア州立大学【訳注】のことです。それから地域短期大学があります。学生の進路については、マスタープランがあって、一番成績のいい学生がカリフォルニア大学へ進学することになっています。これはカリフォルニアの学生の上位10パーセントです。その次の学生がカリフォルニア州立大学へ進学することになります。その他の大部分の学生は、地域短期大学へ進学します。
【訳注】 CSUは「州立」がついており、UCの名称には「州立」がついていないが、後者も州が設立し、運営している州立大学である。
 今起こっていることは、カリフォルニア州は現在、高校から4年制大学へ進学する率が全国で2番目に低いということです。カリフォルニア州より学生数が少ないのは、ミシシッピ州たった一つだけです。われわれが危惧しているのは、この学費値上げで、入学者が減って、州外の学生の割合が増えるのではないかということです。カリフォルニア州は恐らく来年には……高校から直接大学に進学する率は全国最低になるでしょう。

【訳注】「ワコビア・エデュケーション・ローン」のこと。アメリカでは公的な奨学金制度の破壊、公的学費ローン貸与機関サリーメイの民間会社化などで、学生が民間銀行のローンで学費を払わざるをえなくなっている。失業、賃下げなどでローンの返済が困難になると、ただちに生活が徹底的に破壊される。アメリカでは個人の借金の取り立てがほぼ無制限に認められているからである。
だから理事会は、信じられないほど悪質な投資をUCに強制もしくは駆り立てておいて、いざ投資が破綻したら、今度はそれを学生や、教師や、労働者に転嫁しようとしているのです。

エイミー・グッドマン

 それで、非教員スタッフや当局の問題はどうなんでしょうか。
 ボブ・サミュエルズ 大学管理部門は、肥大化の一途をたどっています。彼らは幹部をどんどん雇っています。彼らが何をやっているのか、正確なことはわかりません。カリフォルニア大学にはこんなジョークがあります。幹部が2人部屋へ入る時には、いつも3人が出て行くと。だから何をしているのか正確なことはわかりませんが、とにかくどんどん増えています。

エイミー・グッドマン

 それで、幹部はどんな賃金カットを喰らっているのですか?

ボブ・サミュエルズ

 幹部が賃金カットを受けているといっても、実質的には賃金カットにはなっていません。実際、学費の値上げを決めた理事会の同じ会議で、彼らは、幹部や最高給の人たちに対する何百万jもの給料引き上げや特別ボーナスを決めているのです。それに、全体で報酬を巡るスキャンダルが頻発しています。しかも判明したところでは、多くの幹部たちや、スポーツのコーチや、ほんの一握りのスター的な教授たちを雇うための裏金を払っており、当局は密室の取引をしているのです。自分がつくったルールを自分で破っており、金は常に大学の上層部へ流れています。大学は進歩的な機関だとわれわれが思っているあいだに、大学は大企業のように運営されているのです。これが第一の懸念です。
 私がお話ししたい話は、この2年間で、投資に失敗してUCは230億jもの大損をしたということです。この大損を出した理由の一つが、不良資産や不動産に多額の投資をしたことにあります。このハイリスクの資産への投資というエール大学方式をまねて、当初はボロ儲けをしました。その後全国で起こったことが、大学、とりわけ私立大学で起きています。これらの大学は、金をどぶに捨ててしまったため、授業料を再び値上げし、クラスを減らし、教師を減らさざるを得なくなり、とりわけ終身雇用権のない教員が最も弱い立場に立たされているということです。全体では、終身雇用権のない教員は全クラスの50%以上を教えていますが、この人たちがレイオフや解雇をされそうになっているのです。当局はさらに、労働者の給料を下げ、仕事の量は増やそうとしています。しかも、組合とは交渉しようとしていません。

エイミー・グッドマン

 ユードフ総長はどんな戦略を立てているのですか?

ボブ・サミュエルズ

  彼は、州がみんな悪いんだと言って、大学を民営化したいのだと思います。そのことを示すはっきりとした証拠があります。UCの予算が州によってカットされたあと、開き直って、州に2億jを貸し付けたのです。教師を一時帰休させ、学費を値上げして、クラスを減らしているさなかに、2億jを州に貸し付けるとは何事かとみんな言っています。そうしたら彼はこう言いました。「われわれが州に金を貸せば、利子がついて儲けになる。だが、教師の給与のために金を払ったら、その金は消えていくだけだ」と。彼によれば、教育は損をする活動であって、大学はただひたすら学生を教え、教師を雇う事業から脱却すべきだというわけです。

エイミー・グッドマン

  さっき、多額の損失が出たとおっしゃいましたね。

ボブ・サミュエルズ

 その通りです。その230億jは、ほとんどが年金基金や基本基金、短期投資で成り立っています。だからこれは、実に長期的な問題なのです。UCは今も、2000億jの予算があります。昨年全体で得た収入は、他のどの年よりも多いのです。学費を値上げする必要などありません。教師を首にする必要などありません。コースを減らす必要もありません。当局は専攻や副専攻をなくすと言っています。彼らはオンライン授業を行うと言っています。当局はこうしたドラスティックなことをやろうとしています。だから今眼前で起こっていることは、当局が研究や、幹部には投資し、学部の授業とは関係のないことについては投資するということです。

エイミー・グッドマン

 ボブ・サミュエルズさん、カリフォルニア州で起こっていることが、他の州にとって持っている意味は何でしょうか?
 ボブ・サミュエルズ そうですね、大学、特に一流有名大学は、ますます中流階級の上、あるいは上流階級しか入れなくなっているということです。大学は教育機関を民営化しようとしています。その教育機関は……1980年頃に起こったのは、州が高等教育への予算をカットし始めたということですが、そこで大学は金を稼ぐ新たな方法を模索して、寄付を募ることと研究をすることに集中しました。特に企業や連邦政府が金を出す研究です。その結果、多くの大学で、授業に投入されるのは予算の10%にしか達せず、、従って大学にとって二義的なものになってしまっているのです。
 それと、これはほとんど知られていませんが、大学はある意味で、投資銀行、あるいは投資の最前線なのです。カリフォルニア大学では、理事が大学の財政を監督するわけですが、理事は知事が任命します。12年間の任期です。現在はほとんどの理事が共和党員で、増税に反対するだけでなく、高等教育への予算を削るだけでなく、まあ彼らは色んな方法でそれらに関わっているのですが、それだけでなく、共和党知事によって選ばれた実業家たちだということです。あるいは不動産屋、投資銀行の頭取です。理事会の新しい理事長はワコビア〔全米第4位の銀行持株会社〕の元トップで、確かサブプライム学生ローンを販売していたと思います。彼らは学費ローンで儲けています【訳注】。しかも、彼らがを不動産担保証券や不動産へどんどん投資するよう働きかけていた矢先にそれらが暴落したのです。

エイミー・グッドマン

 『USAトゥデイ』の最新の給与に関する調査で、少なくとも25校の大学のアメリカンフットボールのコーチが、今シーズン200万j以上をもらっており、これは2年前の数字の2倍強に相当するということが暴露されたことについて語っていただいて、終わりにしたいと思います。

ボブ・サミュエルズ

 バークレー校の教職員は先週、体育学部への補助金をやめよという決議を上げました。バークレーは表向き、学費から3000万jから4000万j援助していると言っています。ほとんどの人は知りませんが、大部分の体育学部が金をどぶに捨てており、大きな学部は多額の金をどぶに捨てています。学費の多くは体育学部につぎ込まれます。しかも、その学費は建設公債の担保に使われているのです。

エイミー・グッドマン

 ゼン・ドクターマン氏に締めくくっていただきましょう。
  訂正があります。先ほどLAのキャンベル・ホールで52人の学生が逮捕されたとお伝えしましたが、正しくはカリフォルニア大学デービス校で、管理棟からの退去を拒否した時の出来事でした。
 ゼン・ドクターマンさん、今後の予定は何ですか?

ゼン・ドクターマン

 最初に、ボブ・サミュエルズが言ったことの繰り返しになりますが、学生は32%の学費値上げと闘っているだけでなく、大学とより大きな経済体制全体とのつながりに対して闘っているのです。われわれは大学の民営化と、それがもたらす影響と闘っています。大学の再隔離化、学費値上げが有色人種や労働者階級を高等教育から排除しているというあり方に反対しています。公共教育は、万人に開かれたものであるべきですから。しかし実際に目の前にあるのは、その任務と、実際に行われていることとのギャップなのです。
 だから私は、われわれにとって重要なのは、この闘争が、遠くウィーンで、ハイデルベルクで、もちろんバークレーで、ロンドンで巻き起こっている国際的な学生運動の一環であるということ、われわれが焦点を当てるべきことは、学費値上げやレイオフの問題だけでなく、もちろんそれも重要ですが、大学が学生とそこで働く労働者のものだということを認識することだと考えています。
だから、われわれの次のステップは、学部生と話すこと、労働組合と話すことになろうかと思います。実際われわれは、労働組合の人々、例えばAFSCME、UAW、UPTEと協力して、もっと多くの組合と、もっと多くの学生団体と、もっと多くの学部生と、もっと多くの仲間たちと話し合い、組織化に取り組んでいます。
 来年3月4日には大行動を予定しています。公共教育1日抗議デーです。この日にどんな行動をするかについては、多くの意見がありますが…全キャンパスの封鎖を決行し、授業ストライキをやる予定です。現在いろんなことが言われていますが、確実に言えることは、3月4日は、第2の11・18、11・19になるでしょう。UCだけでなく、公共教育全体にわたるものになります。

エイミー・グッドマン

 ゼン・ドクターマンさん、電話での対談に御参加くださいましてありがとうございます。

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号5-1)(2010/02/01)

 ■Photo News

  (写真@A)

  (写真BC)

 韓国では全国鉄道労働組合(組合員2万4060人)が、11月26日から12月3日まで8日間に及ぶ歴史的ストライキを勝利的に貫徹した(写真@AB)。鉄道公社による一方的な団体協約破棄に対して怒りの無期限ストに突入した鉄道労組に対し、鉄道公社側は代替要員6000人を投入して対抗した。しかも11月30日にはキムギテ委員長ら指導部15人の逮捕令状を請求し、翌12月1日には、鉄道労組本部などに家宅捜索を強行した。さらに鉄道公社は、スト労働者の懲戒処分を検討している。だが闘う鉄道労働者は韓国労働者人民の圧倒的支持を受け、意気軒昂と闘いを継続している。
 他方、全国公務員労組もイミョンバク政権との激闘を開始している。12月1日、全国統合公務員労組を改称し「全国公務員労働組合」を設立することを申告したにもかかわらず、政府はこれを受け取ることさえ拒否した。それに加え、12月3日にはソウル市ヤンチョン区は、ヤンソンユン委員長に解任を通知した。これに対し、民主労総は12月8日に国会前で抗議と新たな闘いを決意する集会を(写真C)開催し、大規模な闘争体制を構築した。

  (写真DE)

  (写真FG)

 フランスでは学期明けの11月24日、サルコジ政権の教育改革反対の第1回全国ストが爆発した。教育関係労組(FUSとFerc−CGTなど)の呼びかけで、ほとんどすべての教育機関の労働者がストに決起した。学生もこれに合流、全国的教育ストとなった。パリでは8000人の学生デモが高校生を先頭に行われ(写真D)、マルセイユでも高校生のデモが行われた(写真E)
 トルコでは、公務員労組(Kamu−sen)と公共部門労組連合(KESK)が、団体交渉権とストライキ権を求めてストライキに入り街頭デモを展開した。この公務員のストは憲法では違法とされているが、労働者たちは警察権力の介入を粉砕して断固たるスト権ストを貫徹した(写真F)。トルコ国鉄の労働者たちは、運転士のストライキで24日夜から25日いっぱい電車を全面ストップさせた(写真G)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号6-1)(2010/02/01)

世界経済の焦点

 ■世界経済の焦点

 東アジア共同体の凶暴性と脆さ

 90年代以来の小沢路線が示す対米対抗性

 小沢一郎と民主党・連合政権が狙っているのは、2010年の参院選に圧勝して、強権的なむき出しの独裁体制に転換し、〈戦争・改憲と民営化・労組破壊〉攻撃を全面化することにある。鳩山の「東アジア共同体」構想が凶暴化するのもそれからだ、と見るべきだ。自民党にはなしえなかった9条改憲を強行し、戦争によって東アジアを勢力圏化する攻撃が本格化していく。そこに貫かれるのは対米対抗性の強い小沢路線にほかならない。
 「東アジア共同体」策動と小沢路線の本性をとらえるために、80年代以降の日帝のアジア勢力圏化と日米安保政策の推移にまでさかのぼってみたい(現在のアジアをめぐる帝国主義間争闘戦については『共産主義者』163号の島崎論文を参照してほしい)。

 □アジア投資と円圏策動

 70年代に世界経済が分裂し不況に陥る中で、日米争闘戦は激化の一途をたどってきた。ただ、70年代から80年代は、米市場に対する日本資本の攻勢、日本市場の米資本への開放という日米の両市場が最大の争点だった。80年代後半からはアジア市場をめぐる激突に入っていく。80年代後半の日本資本の対アジア投資ラッシュと、それに伴う日帝の円圏策動は歴史を画するものだった。
 85年の「プラザ合意」以降、急激な円高が進んだこともあって、日本の輸出競争力は相対的に低下したため、日本資本は一段と海外生産を拡大した。85年度からの10年間の海外直接投資額は、85年度以前の累計の6倍にも膨らんだ。特に86〜90年のアジアへの直接投資額は51〜85年累計の1・67倍(対NIES)、1・52倍(対ASEAN)にも及んだ。製造業では電機産業が多かった。90年代になって中国への直接投資も増加していく。80年代後半から90年代前半を通して、日本経済は〈アジアの日系工場抜きに成り立たない構造〉に変化していった。
 こうした投資ラッシュによって日帝は、東アジア諸国経済への影響力・支配力を強めた。その基盤の上に、80年代末から90年代初めにかけてアジア諸国を日帝の経済圏・円圏にする動きを公然とさせた。
 89年にAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の第1回会議が開かれた。当初は日帝が音頭を取って設立させたものだったが、すぐに米帝が公然と日帝を批判し、日帝の主導権は失われた。
 90年末には、親日派のマレーシア首相・マハティールが「東アジア経済協議体(EAEC)」構想を提案した。米・カナダを排除した構想だ。もともとの名称は「東アジア経済圏」だったが、米帝の反発を考慮して「協議体」とした。これも米帝の猛反対にあって実現しなかった。
 91年のソ連解体は、帝国主義間争闘戦をますます激化させるものとなった。EUは93年にEU単一市場の形成に向かい、米帝は94年には北米自由貿易協定(NAFTA)を発効させた。帝国主義間が勢力圏を奪い合う時代が始まったのだ。
 このころの日帝の円圏策動について、95年6月6日付け日経新聞に次のような記事がある。「ひと月ほど前の話だが、ワシントン滞在中の与党訪米団と米財務省首脳陣との間で、こんなやりとりがあったという。武藤自民党総務会長が『ドル安で外貨準備の価値も低下している。アジア地域で円決済を増やし、円経済圏を作ってはどうかという声もあった』と言ったのに対し、サマーズ財務次官は『日本は米国を脅そうというのか』と食ってかかった」
 駐タイ大使で、のちに外務省経済部長、駐韓大使などを歴任する小倉和夫は91年に、“アジアは長い間、アメリカとヨーロッパに利用されてきた。だが日本がアジアに投資して一体となった。初めて真のアジアが生まれた”と明言している。この小倉なる人物は公然と「小沢派」と呼ばれていた。
 だ2章 □日米激突と小沢路線
 こうした日帝に対し米帝は、実際に戦争を引き起こすことで日帝をたたきふせようとした。91年には在日米軍司令官が「日本に米軍を置いているのは日本を軍事大国にさせないための瓶のフタ」と公言。同じ91年にはイラクのクウェート侵攻に対して米軍54万人を動員した大々的な戦争にうって出た(湾岸戦争)。米帝は没落を巻き返すため、世界の暴力的な再編、戦争発動を基本戦略とするに至ったのだ。
 こうした軍事を含めた対日争闘戦に対し、日帝も激しく対抗した。その基軸となったのが小沢路線にほかならない。小沢は92年の講演で、「日本人は国家間の生き残り闘争に気づいていない。米国がいつまで寛容な態度でいてくれるだろうか」と言っている。93年5月刊の『日本改造計画』では、“日米安保は二の次、国連中心主義で行く”とした。そして93年に自民党から分かれて、小沢を代表幹事とする新生党を旗揚げした。この55年体制の崩壊は国内要因もあるが、何よりも日米関係が最大要因だったのである。勢力圏をめぐる日米争闘戦が激化し、米帝が戦争を発動して対日重圧を加えてくるのに対し、日帝もまた小沢路線という形で対米対抗性を強めたのだ。
(図上 日本の最大の輸出先はアジア)
(図下 日本のアジア向け直接投資残高【07年末】)

 □戦争体制のない日帝

 しかし、この日米間の関係を決定的に変えたのが94年の北朝鮮をめぐる戦争危機だった。北朝鮮が核拡散防止条約の脱退を表明したことをとらえて、米帝は戦争を構えた。のちに『ニューズウィーク』誌は「秒読みだった『第2次朝鮮戦争』」と暴露したが、実際に米軍は高いレベルの戦争発動体制に入り、ボタンを押す直前まで行っていた。この過程で米帝は日帝に対して、戦争協力の1000項目の要請を出してきた。一度だけ朝日新聞で暴露されたが、戦争協力体制が未整備だった日本側に対して米側は「机を2回たたいて迫った」という。また、96年には台湾海峡をめぐる米中の軍事的緊張が高まり、ここでも日帝は戦争への無準備さをさらけだした。
 こうした日米激突をへて、日帝のアジア勢力圏化は大きく挫折する。97年のアジア通貨・経済危機に際して、日帝は米帝を排除した「アジア通貨基金(AMF)」の創設を画策し、通貨面でアジアを取りこもうとしたが、米帝の猛反対で大破産した。日帝は、軍事力を抜きにアジアに経済的に満展開した。しかし、それは本来の帝国主義のあり方ではない。軍事支配なしに経済的権益をとれるなどというのは、非常にまれな特殊の場合でしかない。日帝は戦争への無準備さを米帝からつけこまれ、帝国主義としての致命的な脆さを露呈させることになったのだ。

 □日米安保強化と戦争国家化

 こうした中で、96年には自民党・橋本政権下で、日米安保の再定義が行われ、「日米安保共同宣言」が出される。米帝は日帝を日米安保の枠内にしばりつけつつ、補完的に使うことを狙った。一方の日帝は、日米安保を強化する形で戦争国家化する現実的コースを取った。これを受けて日帝は、97年に日米共同作戦計画の新ガイドラインを締結し、99年には周辺事態法を成立させていった。
 さらに、米帝が01年からアフガニスタン・イラク侵略戦争に突入するなか、仏・独などがこれに対抗し、米欧は歴史的な分裂に陥った。しかし日帝は、明白に米帝との同盟の強化を選んだ。これにそって海自のインド洋派兵、陸自・空自のイラク派兵を強行していった。侵略戦争への参戦だ。さらに日本経団連は05年に改憲を提言し、「集団的自衛権の行使」にまで踏み込んだ。日本の資本家階級として実際の戦争を決断したものだ。

 □FTA合戦で日帝は敗勢

 そうした戦争国家化と参戦の上で、日帝は再びアジア勢力圏化を強めはじめる。03年の日本経団連の「活力と魅力溢れる日本をめざして」という「新ビジョン」=奥田ビジョンでは、「東アジア自由経済圏」が柱の一つとされた。これは、アジア諸国とのFTAで米欧が日帝を逆転して先行してしまい、日帝が締め出されかねなくなったからだ。 しかし、その後も日帝のFTA締結合戦での劣勢は変わらない。特に韓国とのEPA(経済連携協定)交渉が、04年末から今に至るまで中断し、その間に米・EUが韓国とFTAを締結してしまった。

 □大恐慌下の延命策

 日帝のアジア勢力圏化は、こうした絶望的な状況にあるが、しかし日本の資本家階級にとってアジアに突っ込む以外に延命の道はない。小沢・鳩山=民主党・連合政権が再び「東アジア共同体」構想を前面に立てているのは、そうした“後がない”ものだからだ。
 何よりも大恐慌下では、帝国主義は相互のつぶし合いを強めていく。力で負ければ帝国主義として敗退し崩壊してしまう。しかも、日帝は単に商品輸出だけでなく、海外投資で成り立つ構造になっている。08年度の日本企業の海外部門の売上高(日本からの輸出を含まず)は全体の36・2%だったが、営業利益の比率は52・5%と半分以上になった。海外投資の利益が半分以上にもなっているのだ。日帝にとって、この巨大な海外利益=海外権益を守らなければ崩壊してしまう。だからこそ、猛然と改憲と「東アジア共同体」に突っこみつつある。〈改憲・戦争と民営化・労組破壊〉攻撃との決戦の時が到来している。大失業と戦争に陥る帝国主義を必ずや打倒しよう。
 (島崎光晴)
--------------------------------------------

 日帝のアジア政策と日米関係の略年表(80年代半ば以降)

80年代後半 日本資本のアジア投資ラッシュ
89年    APEC第1回会議
90年    EAEC構想
91年    湾岸戦争
       ソ連解体
93年    小沢一郎『日本改造計画』
       新生党の旗揚げ
94年    北朝鮮めぐる戦争的危機
96年    台湾海峡での軍事的緊張
       「日米安保共同宣言」
97年    AMF構想
       日米新ガイドライン締結
99年    周辺事態法の成立
01年    米のアフガン・イラク戦争
03年    奥田ビジョン「東アジア経済圏」
04年    日韓EPA交渉の中断
05年    日本経団連の改憲提言
09年    鳩山「東アジア共同体」構想

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号7-1)(2010/02/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 

全米運輸労働組合(Transport Workers Union of America:TWU)

 ■概要

 TWUは、ニューヨークの地下鉄労働者によって組織され、1934年に設立された。その後、アメリカ東部を中心に都市交通の労働者が次々と加入していった。1945年にマイアミのパンアメリカン航空の地上職労働者が加わり、旅客乗務員や整備士なども組合に加入して、ノースウエスト航空、コンチネンタル航空、ユナイティド航空、アメリカンウエスト航空、サウスウエスト航空、アラスカ航空の各航空会社の労働者も組織されていった。
 加盟していたCIO(産業別組合会議)が1943年に結成した統一鉄道労働者会議に力を注ぎ、TWUはアムトラック(Amtrak)やコンレール(Conrail)など旅客運輸鉄道の労働者の組織化を行った。40年代末にはニューヨーク、ネブラスカ、ペンシルバニアに続いてサンフランシスコやヒューストンの鉄道労働者をもTWUの下に結集した。
 TWUは現在、鉄道、航空、ゲーム、運輸・公益の4部門を統括し、現役組合員と退職組合員あわせて20万人を有するAFL−CIO傘下の組合である。
(写真 TWUローカル100の集会【09年11月27日】)

 ■「揺るぎない団結」をモットーに戦闘的労組を建設

 1930年代のアメリカはまさに大恐慌の真っただ中で、失業率25%という情勢に乗じて、ニューヨークの地下鉄運輸企業は解雇も採用も意のままに劣悪な労働条件で労働者を働かせていた。1つの就職口に2万人が応募するという買い手市場の運輸業界で、企業内組合に対抗する労働組合をつくろうと秘密裏に活動を続けた地下鉄労働者は、ついに1934年、組合結成を宣言した。しかし、会社側の暴力的な妨害策動に阻まれて組織化はなかなか思うように進まなかった。
 1937年1月23日、ブルックリン-マンハッタン運輸会社(BMT)のケント・アヴェニュー発電設備工場で2人の組合活動家が解雇され、それに抗議してそこで働く労働者が全員シットダウン・ストライキに立ち上がった。それまでは工場の500人の従業員のうちTWUの組合員はわずか35人しかいなかったが、2日後には全員がTWUのバッチをつけてストに立った。BMTの他の職場のTWU組合員たちも応援に駆けつけて門前でピケットを張り、警察の介入を阻止した。まもなくBMT側はTWUを組合として認可せざるをえなくなったのである。

 ■ニューヨーク市で25年ぶりの公共職員ストライキ

 この歴史的ストライキのすぐ後の1938年に、ニューヨークの地下鉄は市の所有に移された。ニューヨーク市は公共職員のストライキを違法としていたため、ニューヨークの地下鉄で働くTWU組合員はスト権を奪われてしまった。
  2005年12月23日、TWUローカル100は、本部方針に逆らって3日間のストライキを決行した。市当局やマスコミ報道は、「違法スト」としてユニオンバッシングを声高に宣伝したが、ニューヨーク市民の反応は「TWUの年金や医療保険の要求は正当」という好意的なものであった。   2005年12月23日、TWUローカル100は、本部方針に逆らって3日間のストライキを決行した。市当局やマスコミ報道は、「違法スト」としてユニオンバッシングを声高に宣伝したが、ニューヨーク市民の反応は「TWUの年金や医療保険の要求は正当」という好意的なものであった。
 そしてこの2009年11月、フィラデルフィアでTWUローカル234がストライキに立ち上がった。2005年のストライキの時にも増して、ランク&ファイルの労働者から熱い共感のエールが送られている。TWUの労働者は、「ストライキこそ最終兵器」と果敢に闘っている。
(写真 首切りに抗議するTWUの労働者)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号8-1)(2010/02/01)

国際労働運動の暦

 ■国際労働運動の暦 2月22日

 1848年フランス2月革命

 王政打倒と階級間激突

 「共産党宣言」と時期を同じくしてプロレタリア革命の現実的出発点

 1848年2月、共産主義者同盟の綱領として、マルクス、エンゲルス執筆の「共産党宣言」が発行された。「支配階級を共産主義革命の前に震え上がらせよ。プロレタリアは自分自身の鉄鎖以外に革命で失うものは何もない。プロレタリアが獲得するのは全世界だ。万国のプロレタリア、団結せよ!」。それは労働者階級自己解放の思想と闘いを初めて公然と宣言するものだった。
 時を同じくして、184
8年革命が全ヨーロッパを席巻した。フランス2月革命を始め、ウイーンとベルリンの3月革命、ミラノ3月蜂起、ハンガリー3月蜂起、プラハ6月蜂起など一斉に燃え上がった。
 48年の革命の背景には、45〜47年のヨーロッパを覆った大凶作と恐慌があった。鉱工業生産は縮小し、失業者が街にあふれた。フランスでは反政府派のブルジョアジーが、選挙法改正のための宴会運動を47年後半から進めていた。
(写真 「共産党宣言」)

 ●労働者代表の入閣

 2月22日、パリで労働者学生の大規模なデモが起こり、ブルボン宮を包囲した。人民と軍隊の間に衝突が起こり、国民軍が鎮圧行動に消極的な態度をとり、武装を解除された。国民軍の12連隊のうち、政府側についたのは2連隊だけだった。バリケード、市街戦ののち国王の退位宣言、臨時政府の成立となり、25日には第2共和政が成立。臨時政府には社会主義者、ルイ・ブランらが入閣した。
 臨時政府は、30年7月革命の後即位したルイ=フィリップの7月王政を共同して打倒したものの、その利害関係は相敵対する種々の階級の妥協の上に成り立っていた。共和主義的ブルジョアジーと小ブルジョアジー、王朝反政府派、そして労働者階級。そこには階級対立が厳然とあった。

 ●6月蜂起とその敗北

  2月の蜂起の中心部隊だった労働者階級は、労働時間、賃金、労働請負制の廃止など具体的な要求をめぐって臨時政府と対立した。ブルジョアジーは、労働者大衆の決起を自らの権力奪取のために利用しただけだった。「リュクサンブール委員会」という労働者対策の政府機関が作られ、「国民作業場」が設けられたが、前者は予算の裏付けがなく機能せず、後者は単なる失業対策事業に過ぎず、労働者の怒りの的だっただけでなく、小ブルジョアの反感を集め廃止となった。
  6月22日、パリの労働者は巨大な反乱に立ち上がった。「現代社会を分裂させている二階級間の最初の大会戦であった。それはブルジョア秩序の存続か滅亡かの闘いであった。共和制を覆っていたヴェールは、引き裂かれた」(マルクス「フランスにおける階級闘争」以下引用は同書より)
  ブルジョアジーの鎮圧軍は前代未聞の残虐性を発揮し、3000人以上の捕虜を大量虐殺した。多くの労働者がアルジェリアに流刑された。
  この6月の蜂起は、「階級支配をそのままにし、労働者の奴隷制をそのままにし、ブルジョア秩序をそのまま残した」これまでの革命と違い、この秩序そのものを侵害するものだった。「(そこには)大胆で革命的な闘争スローガンが現れた。ブルジョアジーの転覆!労働者階級の独裁!」
  マルクスは48年2月革命を総括して次のように言っている。
  「一八四八年から一八四
  九年までの革命年代記の比較的重要な各編はみな、革命の敗北! という表題をもっている」
  「一言でいえば、革命は、その直接的な、悲劇的な諸成果によって、その前進の道を切り開いたのではなく、逆に、結束した強力な反革命を生みだしたことによって、つまり、それと闘うことにより初めて転覆の党が本当の革命党に成長することができるところの一つの敵をつくりだしたことによって、前進の道を切り開いたのである」
  まさに1848年2月は、世界のプロレタリア革命運動が、本当の勝利の道を切り開く世界史的な出発点として記憶すべき時となったのである。
  (写真 2月24日、民衆のデモ) 

---------------------------------------------------

 フランス革命年表

1789・7 バスチーユ襲撃、大革命開幕
1792・9 国民公会、王政廃止
1794・7 テルミドールの反動
1799・11 ナポレオンのクーデター
1804・3 ナポレオン皇帝、第1帝政
1815・6 ナポレオン退位、第2復古王政
1824・9 ルイ18世没、シャルル10世即位
1830・7 パリ民衆蜂起、7月革命
   8 シャルル10世退位
      ルイ=フィリップ即位、7月王政
1831・11 リヨンで絹織物工の反乱、各地で労働争議が頻発
1834・4 リヨン、パリで労働者の暴動
1840・3 パリで6万の労働者大ストライキ
1843・5 アルジェリア住民の反攻
1846〜47 凶作、全国的不況で失業者続出
1848・2 パリの民衆デモ、軍隊と武力衝突
     ルイ=フィリップ亡命、第2共和政
   6 パリの労働者蜂起、敗北

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号9-1)(2010/02/01)

日誌

 ■日誌 11月 2009

1日東京 11・1全国労働者集会に5850人
世界大恐慌下、大失業と戦争に立ち向かう労働者の国際的団結が打ち立てられた。全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械港合同、国鉄千葉動力車労働組合が呼びかけ、日比谷野外音楽堂で開かれた全国労働者総決起集会には5850人が大結集した。国鉄1047名闘争が世界にとどろき、民営化絶対反対の闘いの中軸に押し上げられた
1日東京 労働者国際連帯のつどい開く
11・1集会の夜「労働者国際連帯のつどい」が都内で開かれた
2日東京 “社保庁1000人解雇絶対反対”
全国労組交流センター自治体労働者部会は、杉並の社会保険業務センター前、昼には全社連労組と共に厚生労働省・社会保険庁前に登場した
2日山梨 沖縄海兵隊北富士実弾射撃に抗議
とめよう戦争への道!百万人署名運動・山梨連絡会などが、北富士演習場で行われる在沖縄米海兵隊の県道104号越え実弾射撃訓練の本土移転演習に抗議行動を行った
3日東京 日米教育労働者が交流
UTLA(ロサンゼルス統一教組)のセシリー・マイアトクルスさんを招いて、「戦争&民営化・首切りと闘う日米教育労働者交流集会」が都内で開かれた
4日広島 日米教育労働者が交流
UTLA西部地域議長のセシリー・マイアトクルスさんが広島を訪れ、ヒロシマとアメリカの労働者の国際的団結を深めた
7日沖縄 県民大会前日、国際通りをデモ
沖縄労組交流センターを中心に約50人が沖縄県庁前と国際通りで街宣行動を行った
8日沖縄 11・8沖縄県民大会に2万1000人
「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する11・8県民大会」が、宜野湾海浜公園野外劇場内外に2万1000人を結集して開かれた。大会は、「普天間基地即時閉鎖・返還、県内移設絶対反対」の大会決議を採択した
8日韓国 民主労総、2009全国労働者大会
民主労総の「チョンテイル烈士精神継承2009全国労働者大会」が国会近くのソウル市ヨイド公園で、5万人の大結集で開催された。これは、東京の11・1労働者集会の大高揚と一つの国際連帯闘争として、大恐慌下で解雇、民営化・労組破壊と闘う万国の労働者の進路を指し示した
9日千葉 市東さん耕作権裁判
千葉地裁で反対同盟・市東孝雄さんの耕作権裁判の第13回口頭弁論が開かれ、反対同盟、顧問弁護団、傍聴に駆けつけた労働者・学生・市民が一体で闘った
9日、18日広島 裁判員制度絶対反対の行動
広島地裁では11月9日からの「強盗傷害致傷事件」と18日からの「殺人事件」の2回の裁判員裁判があり、百万人署名運動広島県連絡会の呼びかけで「制度の廃止を!」の行動が行われた
12日東京 “日米首脳の戦争会談粉砕”
文京区民センターで、反戦共同行動委員会の主催で翌13日のオバマ米大統領の来日を迎え撃つ労働者・学生総決起集会が開催された。「オバマ・鳩山戦争会談粉砕! 辺野古新基地建設阻止・沖縄米軍基地撤去! 民主党・連合政権打倒!」を掲げて350人が結集し、集会後、都心をデモした
12日広島 オバマ賛美を吹き飛ばす
8・6ヒロシマ大行動実行委員会の呼びかけによるオバマ訪日・日米首脳会談弾劾の集会とデモが行われた
12日福岡 オバマ訪日弾劾、天神で街宣
福岡県労組交流センターの労働者・労働組合が、福岡市内・天神の繁華街で「オバマ訪日弾劾・日米首脳会談粉砕」の街頭宣伝に立ち上がった
12日千葉 三里塚現闘本部裁判
千葉地裁において現闘本部裁判の口頭弁論が開かれ、ついに仲戸川隆人裁判長の強権的な訴訟指揮による結審が強行された。だが、三里塚芝山連合空港反対同盟と顧問弁護団を先頭に、支援が徹底弾劾して闘いぬいた
17日北海道 道内初裁判に“絶対反対”
北海道労働組合交流センターは、札幌地裁前で道内初の裁判員裁判に「絶対反対」で登場した
17日長崎 長崎初の裁判員裁判を弾劾
長崎で初の裁判員制度による裁判が開始され、「とめよう! 戦争への道 百万人署名を推進する長崎の会」は早朝より抗議行動に立った
18日神奈川 県知事・松沢発言弾劾の行動
神奈川労組交流センターなどかながわの5団体が、県知事松沢の「基地は辺野古に」発言の弾劾と打倒を訴える闘いに立った
19日大阪 下地の普天間を関空移設発言を弾劾
関西新空港反対泉州住民の会は、下地議員の「普天間基地を関空に持っていけ」発言を弾劾し、大阪航空局などに抗議申し入れを行った
22日茨城 動労水戸定期大会
動労水戸は、水戸市内で第28回定期大会を開催し、JR東日本の検修・構内業務全面外注化攻撃と総力で対決し、組織拡大方針を確立した
22日千葉 市東さん農地問題で集会
千葉市文化センターで市東さんの農地取り上げに反対する会主催による「講演&ディスカッション」が開かれた。三里塚反対同盟から事務局次長の萩原進さんと、空港会社(NAA)の農地強奪攻撃と闘う市東孝雄さんが発言した
22日福岡 裁判員裁判を検証する集会 
福岡市内で、市民のための刑事弁護を共に追求する会による第9回“パネルディスカッション やっぱりいらない裁判員制度”が行われた
24日奈良 裁判員制度絶対反対
奈良県で初の裁判員裁判が開かれた。「とめよう戦争への道!百万人署名運動奈良県連絡会」の呼びかけで、20人が抗議闘争を闘った
24日フランス 全土で「教育改革反対」スト
教育関係労組の呼びかけで、サルコジ政権の教育改革に反対してほとんどすべての教育機関の労働組合がストライキに決起した。学生も合流した
25日茨城 県内初の裁判員裁判を弾劾
「裁判員制度はいらない大運動!茨城実行委員会」の11人は、水戸地裁前を制圧した
25日トルコ 公務員労組がストライキ
公務員労組と公共部門労働組合が団体交渉権とストライキ権を求めてストライキに入り、街頭デモを展開した
26日韓国 鉄道労組が無期限ゼネストに突入
全国鉄道労働組合(キムギテ委員長、組合員2万4060人)が、韓国鉄道公社の一方的な団体協約破棄に対して無期限ゼネストに突入した
27日東京 5・27判決、6被告に罰金
国労5・27臨大闘争弾圧裁判の判決公判が開かれ、東京地裁刑事第10部(植村稔裁判長)は、国労組合員の富田益行被告に罰金60万円、羽廣憲、東元の各被告に罰金40万円、橘日出夫、原田隆司、小泉伸の各被告に罰金20万円の有罪判決を下した。国鉄闘争支援者の向山和光被告に無罪を言い渡した。地裁は、暴力行為等処罰法を適用できず、「共謀」も認定できないところに追い込まれた
27日東京 星野、第2次再審請求書を提出
星野文昭同志と再審弁護団は、東京高裁に第2次再審請求書を提出した。家族と弁護団、「星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議」の35人が横断幕を先頭に東京高裁に向かい、高裁に再審請求書と証拠の分厚いつづりを提出した
28日東京 11・28星野全国集会に430人
「獄中35年星野文昭さんを自由に/第2次再審勝利/11・28全国集会」が牛込箪笥区民ホールで開かれ、全国から430人が集まった。星野再審勝利・即時釈放の実現へ、総決起の場となった
29日東京 年金機構労組結成を弾劾
日本年金機構不採用の通知を受けた自治労全国社保労組組合員・平口雅明さんを先頭に労組交流センター自治体労働者部会の労働者30人は、不採用者を排除して社保労組支部代表者会議=年金機構労組結成大会を開く自治労本部・社保労組本部に対して怒りの弾劾・宣伝行動に立った
29日山梨 天野美恵さんを偲ぶ会
忍野村忍草で10月4日に逝去された天野美恵さんを偲ぶ会が行われた。黙祷の後、婦人民主クラブ全国協議会代表の西村綾子さんが「遺志を継いで戦争のない社会を築きたい」とあいさつ、これを受け、元忍草入会組合行動隊長の天野豊徳さんが入会闘争の歴史を語った

(弾圧との闘い)

13日東京 4・24法大裁判、怒りの意見表明
法大4・24解放闘争裁判の第3回公判が、東京地裁刑事第17部で行われた。検察冒頭陳述ではなぜ学生が逮捕・起訴されかつ長期勾留されているのかまったく不明であることを前回の法廷で弁護団・被告団から厳しく追及された検察は、意味不明の釈明を出してきた。自らの破綻をさらに自己暴露し、弁護団と被告団による、いっそう激しい追及が行われた
24日東京 迎賓館・横田爆取差し戻し審
迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判差し戻し審第19回公判が東京地裁刑事第20部(林正彦裁判長)で行われた。今回は弁護側立証の3回目であり、検察側立証を完璧に粉砕する内容をかちとった
25日東京 法大4・24弾圧裁判
法大4・24解放闘争裁判の第4回公判が東京地裁刑事第17部で行われた。冒頭、登石郁朗裁判長が19日付で保釈請求を却下したことに対し、怒りの意見表明が行われた。倉岡雅美さんは、「不当な長期勾留は8カ月目に突入し、極寒の独房で白い息を吐きながら過ごしている。ふざけるな! 私たちの理性の留め金ははずれる限界だ」と怒りをたたきつけた
26日東京 暴処法弾圧、織田君の退廷撤回
東京地裁刑事第1部で法大暴処法弾圧裁判が闘い抜かれた。8カ月を超える長期勾留に対し、「ふざけるな!」と怒りを燃やす仲間が、朝からビラまきで裁判所を包囲。一旦退廷させられた織田君の退廷撤回をかちとり被告の主導権を発揮した

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(402号A-1)(2010/02/01)

編集後記

■編集後記

 「コミューン」から「国際労働運動」に題名を変更してから1年が経った。この1年、国際労働運動は目覚ましい発展を遂げた。特に7月のサンフランシスコ国際会議は、全世界の労働運動が、戦争、民営化・労組破壊という共通の課題に直面し、これと闘う階級的労働運動の路線を実践し、苦闘、前進し、国際連帯を求めていることが明らかになった。そして動労千葉の提案した決議を全体で採択し、東京の11月労働者集会に結集することが確認された。
 そして11月労働者集会は、韓国・米国に加えて新たにブラジル、ドイツからも参加し、交流を深め、世界大恐慌に対する全世界の労働者階級の闘いの方向を打ち出した。この国際労働運動の発展とともに本誌の内容を豊かに発展させることができた。2010年の階級的激動を世界革命へ、闘い抜こう。

------------------------TOPへ---------------------------