International Lavor Movement 2010/06/01(No.406 p48)

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2010/06/01発行 No.406

定価 315円(本体価格300円+税)


第406号の目次
 
表紙の画像
表紙の写真 ブリティッシュエアウエイズのストライキ【3月22日 ロンドン】)
■羅針盤 「解決案」は廃棄以外ない 記事を読む
News&Review タイ
  先鋭化するタイの人民的決起
  タクシン派に結集する労働者・貧困層
記事を読む
News&Review 中国
  世界大恐慌下のバブル崩壊の切迫
  「流血GDP」に50万件の労働争議
記事を読む
News&Review 日本
  1047名闘争の屈辱的「和解案」
  “解雇撤回”を求め、断固粉砕を
記事を読む
■特集 民営化と闘うトルコの労働者 記事を読む
■翻訳資料 リッチモンド教組、裏切り執行部をリコール
  村上和幸訳
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点 中国危機の震源 バブルと民工荒
  中国労働者の闘いはスターリン主義打倒へ発展する
記事を読む
■世界の労働組合 全米農業労働者組合
  (United Farm Workers of America:UFWA)
記事を読む
■国際労働運動の暦 6月10日
  ■1987年韓国6月民主抗争■
  労働者大闘争に連続
  全斗煥―盧泰愚独裁のペテン的な延命策に労働者階級が歴史的決起
記事を読む
■日誌 2010年3月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 イタリアのゼネスト(3月12日)

月刊『国際労働運動』(406号1-1)(2010/06/01)

羅針盤

 ■羅針盤 「解決案」は廃棄以外ない

▼4月9日に政府と与党3党・公明党の間で合意された1047名闘争の「解決案」は廃棄する以外にない。4者4団体は、2月16日集会の段階では「解決金と年金相当分3300万円と、雇用は譲れない」と言っていた。だが政府「解決案」では、闘争団個人(家族)には、550万円+利子(合計1189万3750円)のみとなった。「和解金一人平均約2200万円」と報道されているが、その金額が個人に支払われるわけではない。あとは個人にではなく裁判費用に34億円、4者4団体に58億円を支払うというものだ。肝心の雇用は「保証できない」と明言して切り捨てたのだ。
▼何より許せないのは、「すべての訴訟を取り下げること。不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと。解決金は最終のもの。今後一切の……支援措置は行われないこと」と、まるで「罪人」扱いした上に「その旨を正式に機関決定せよ」というのだ。それが4月26日の国労臨時大会(社会文化会館)なのである。こんなデタラメな「解決案」は誰も納得できない。全国の職場から弾劾の決議を上げていこう。
▼4者4団体一部幹部の卑劣な策動を徹底弾劾するとともに、今こそ動労千葉が呼びかける「1047名解雇撤回、外注化阻止、国鉄闘争勝利の全国大運動」を全力でつくり出そう。「解決案」合意の翌10日に開かれた中野洋動労千葉前委員長の追悼集会には、全国から800人が大結集した。参加者は動労千葉争議団とともに絶対反対派の国労闘争団員と固く団結し、新たな全国大運動を開始することを誓った。60年安保闘争、70年安保・沖縄闘争を超える全階級的大運動に発展させよう。

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月刊『国際労働運動』(406号2-1)(2010/06/01)

News&Reviw

 News&Review タイ

 先鋭化するタイの人民的決起

 タクシン派に結集する労働者・貧困層

 □何が起きているのか

  タイの首都バンコクで4月11日、タクシン元首相支持派の「反独裁民主統一戦線(UDD)=通称赤シャツ隊」の集会・デモに対する国軍による強制排除行動で両者が衝突、「ロイター通信」の日本人カメラマンを含む含む21人が死亡した。UDDは先月3月14日以降、連日首都バンコク市内や東北各県で集会・デモを展開していた。   タイの首都バンコクで4月11日、タクシン元首相支持派の「反独裁民主統一戦線(UDD)=通称赤シャツ隊」の集会・デモに対する国軍による強制排除行動で両者が衝突、「ロイター通信」の日本人カメラマンを含む含む21人が死亡した。UDDは先月3月14日以降、連日首都バンコク市内や東北各県で集会・デモを展開していた。
 2006年、タクシン首相(当時)は外遊中に国軍によるクーデターで政権を追われ、海外逃亡の身となった。軍主体の臨時政権のもとでつくられた現憲法には、選挙違反を認定された政党の解体や役員などの議員権剥奪が規定されている。
 その憲法の下で行われた06年の総選挙では再びタクシン派が多数を獲得、タクシン派である「国民の力党」主導で政権を担うこととなり、軍がつくった憲法の改正を狙った。それに反対したのが黄色のシャツを着て08年に首相府や空港占拠などを行った「民主市民連合(PAD)」である。
 そうした中でタイの憲法裁判所は、08年12月、選挙違反を理由に、政権党であった「国民の力党」など与党3党を解党させ、ソムチャイ首相など3党幹部を5年間の公民権停止とし、タクシン派ソムチャイ政権は崩壊した。
(写真 軍に強制排除されるタクシン元首相支持派を撮影する村本博之カメラマン【4月10日】。11日に死亡した)

 □アピシット政権誕生

 タクシン派ソムチャイ政権崩壊後、国会内の多数派工作の結果生まれたのが、現アピシット政権である。アピシット首相の選出母体・民主党は、中道右派で財界寄り、軍部寄りであり、過去数十年にわたってタイを動かしてきた特権階級の代表で、タイの政治と経済を支配してきた都会の財閥などのエリート層が基盤であり、国王、貴族層、枢密院、軍指導部、裁判所などの権力機関に依拠した政権である。
 アピシット政権の下で、タクシン元首相は株の取得や汚職という首相犯罪で有罪判決が下され、身柄拘束の逮捕状が出されている。さらに裁判所は、今年2月下旬、タクシン元首相の国内資産の6割を不正取得だったとして没収した。
 アピシット政権に対するタクシン派の反撃の第1弾が、09年4月にタイ中部のパタヤで予定されていた一連のASEAN首脳会議プラス3(日中韓)を集会とデモで粉砕したことだ。ASEAN体制を根底から揺るがし、帝国主義のアジア支配に打撃を与える決起になった。
 その後、首都バンコクでのタクシン派の占拠闘争に対する軍の排除行動が行われ、激突の中で死者が出る事態となった。大恐慌下、帝国主義の世界支配の大動揺の中で起きたこの事態はきわめて重要であった。   その後、首都バンコクでのタクシン派の占拠闘争に対する軍の排除行動が行われ、激突の中で死者が出る事態となった。大恐慌下、帝国主義の世界支配の大動揺の中で起きたこの事態はきわめて重要であった。 
 そしてアピシット政権に対するタクシン派=UDDの反撃の第2弾が、今年3月14日からアピシット内閣の退陣と即時総選挙の実施を求める集会・デモであった。
 当然これには、海外にいるタクシンその人からビデオメッセージが送られている。タクシン派勢力が総選挙での勝利を機に政権奪還、憲法の改正、そしてタクシン元首相の復権を狙っていることは明らかである。明らかにタイの新旧支配層による権力闘争そのものである。

 □労働者・貧困層の決起

 しかし問題は、それに止まらないタイの国内矛盾の爆発としてこの過程が進行していることである。
 確かにUDDの母体はタクシン元首相支持派であり、タクシン首相時代に恩恵を受けた新支配層、東北各県の農民層が主体とされている。〔※タイの農業人口は49%〕
 そして重大なことは、3月14日から続いている集会やデモには、世界恐慌の影響で職を失った労働者や市民が多数含まれていることだ。集会参加者には日当が支払われているといわれているが、この集会には現内閣に怒り、生きていけない都市貧困層も多数集結しているという事実がある。
 タイ経済はこのところV字回復していると言われているが、都市労働者や失業者の厳しい現実は隠されている。
 UDDの指導部はタクシン元首相支持者であるが、デモ・集会には生きていく展望を奪われ、現状打破を求める既成の労働組合から排除された、非組織で首を切られた労働者が多く含まれている。したがって、彼らはタクシン派に差し当たりは未来を託すほかないように見えているが、タクシン派が囲い込めるほど単純なものではない。
 むしろタクシンが進めた新自由主義が、世界恐慌で破産して生み出した矛盾の爆発であるからだ。今回の人民的決起は、さしあたりはタクシン派の政治として進むかもしれないが、本質的にはその枠内に収まり切れない新自由主義の破産、資本主義の崩壊=世界大恐慌の矛盾の爆発としてあることをしっかりとらえなければならない。
 タイの国鉄など既成の労働組合幹部は、こうした動きには距離を置いている。タイの労働者のプロレタリア革命への道は、タクシン派への合流を乗り越え、労働組合の新たな組織化と既成労働組合幹部の打倒をもって、新旧支配層、アピシット、タクシンともども打倒するための闘いの中にある。そうした闘いこそ喫緊の課題となっている。

 □タクシン政治の特徴

 タクシン元首相は、アジア通貨危機の後の2001年に首相に就任し、政権当時、経済では新自由主義政策を進め、外資を積極的に導入する一方、自らの新たな権力基盤を権力と金を使って組織していった。そして強権政治でマスコミ統制を進める一方、旧来の権力者がまったく見捨ててきたタイ農村貧困層に対して麻薬撲滅を押し出すとともに小額融資制度、貧困零細農民の債務の免除、初等・中等教育機関の設立、医療制度の創設などによって貧困と麻薬に汚染されていた農民を自らの支持基盤へと組織化していった。
 特に出身地の北部や東北部での支持を広げ、それを基盤に総選挙では買収なども駆使して勝利した。それを背景にますます発言力と自己権力の強化へ走り、タイの旧支配層(国王、貴族層、枢密院、軍指導部、裁判所、都市中間層など)の権威や権利を突き崩し、その権益を奪う新興支配層を形成した。
 タイ国軍による06年のクーデターは権力基盤を失う危機感にかられた、プレム現枢密院議長によって計画され実行された権力奪回の闘争そのものだった。しかしその支配力は、軍の下での07年新憲法と総選挙によっても固定化できないまでになっていたということである。

 □3・14から連日闘争

 首都バンコクではUDDは3・14以降、連日集会・デモを開き、下院解散とアピシット首相の退陣を求める活動をすでに1カ月近く続けてきた(4月13日現在)。
 3月14日、UDDは各地から集まって10万人集会を開いた。政府はバンコク市内などに2週間、治安維持法を発令した。
 一方、3月15日に国軍施設に対し榴弾砲攻撃があり、兵士2人が負傷する事件が起きている。明らかに軍の武器が、軍そのものに対して使用される事態が発生した。
 3月16〜17日には、UDDは集会参加者から集めた血液を首相府や与党民主党前、首相私邸の門柱などに撒いて「血の抗議」を行った。
 一時2万人にまで減少していた集会動員は、3月20日からは東北部の動員に成功し、6万5000人の規模を回復し、市内をデモ行進。同夜にはバンコク市内の国防省付近で爆弾が爆発、1人が負傷、また同じ夜、バンコク近郊の国家汚職追放委員会本部でも爆発が起きる事態が発生していた。
 さらに3月23日、タイ保健省の敷地内の駐車場に撃ち込まれた小型砲弾2発が爆発。ケガ人はなかったが、駐車車両が破損した。同日夕方にはチェンマイの空港施設近くでも爆発があった。この一連の動きはUDDが一定武装していることを示している。
 こうした中で政府は、2週間の期限を迎えた治安維持法の3月30日までの延長を決定した。しかし大集会に対しまったく機能していない。
 3月27日、UDDはバンコク中心部で約10万人の反政府集会・デモ行進を行った。同日夜には、国軍系、政府系のテレビ局前2カ所で爆弾が爆発。市民ら少なくとも11人が負傷した。
 3月28日、8万人の抗議集会。アピシット首相は「交渉の窓口は開かれている」とし、3月28、29日と、二度にわたってUDDとの話し合いを行った。2回目の会談で首相は、12月解散・総選挙を打ち出したが、2週間以内の解散・総選挙を求めるUDDとの話し合いは決裂した。UDDは即時下院解散・総選挙実施が受け入れられない限り抗議集会とデモは続行すると宣言し、さらに戦術を強化した。    3月28日、8万人の抗議集会。アピシット首相は「交渉の窓口は開かれている」とし、3月28、29日と、二度にわたってUDDとの話し合いを行った。2回目の会談で首相は、12月解散・総選挙を打ち出したが、2週間以内の解散・総選挙を求めるUDDとの話し合いは決裂した。UDDは即時下院解散・総選挙実施が受け入れられない限り抗議集会とデモは続行すると宣言し、さらに戦術を強化した。  

 □全面的な激突へ

 4月3日からは集会場所を首都のショッピングセンターやホテルが立ち並ぶ商業街中心、ラチャプラソン交差点付近に移動。大型商業施設は営業を休止した。
 そしてさらに4月6日には、国内外の大手銀行や企業が事務所を構えるビジネス・金融街シーロク地区へとデモを拡大した。これをめぐっては治安部隊と一時衝突。アピシット首相が党首の与党・民主党の駐車場内では、手榴弾の爆発が起き、警官2人が負傷。政府は、これに対しUDD幹部10人に、逮捕状を請求。治安維持法による繁華街からの退去と11の幹線道路への立ち入りを禁止した。しかし、タクシン派はそれを無視して禁止区域でデモを行った。
 他方、バンコク市内では、3月末から4月6日まで、バンコク国際モーターショーが開かれたり、バンコク郊外にある日系企業の自動車工場や金属、玩具などのメーカーは、「影響がない」として生産や営業を続け、早い時間の帰宅や市街地への外出禁止などを通達する程度だった。ただし繁華街にオフィスを構える会社やデパートは、営業を停止することとなり、その損失が問題となった。
[※タイ国内には日系企業が6000社以上ある]。
 デモ開始からの経済的損失は、3週間で300億円(100億バーツ)に上ると言われ、これとは別に流通関係で1日6億〜9億円の損失が生じているとされている。

 □政府、非常事態宣言

 4月7日、政府は非常事態宣言を発出。反政府の主張をしていた衛星通信会社を「偏向報道」を理由に放送を中止させた。これに抗議したUDDは翌4月8日、直ちに数千人でこの放送局へ押しかけ、治安部隊を突破して占拠し、通信会社に放送の再開を約束させた。政府は新たに17人の逮捕状を出した。
  闘いの爆発的進展によってアピシット首相は4月12日からの「核テロ防止サミット」出席のためのアメリカ行きの予定を中止せざるを得なくなった。こうした中で、強制排除が決行された。   闘いの爆発的進展によってアピシット首相は4月12日からの「核テロ防止サミット」出席のためのアメリカ行きの予定を中止せざるを得なくなった。こうした中で、強制排除が決行された。
 タイの正月休みは4月13日から始まる。この日までに強制排除を行うべきだという意向が枢密院議長から示されたことが11日の流血へと発展したと言われている。死者の内訳やその実態はこれまでのところマスメディアは明らかにしていない。日本人カメラマンの死についても、実弾によるものであるとされながら、あいまいにされたままである。UDDは多くの犠牲者を出しながら、内戦的闘いに勝ち抜き、首都でこれまでと同じように占拠・デモ・集会を続行している。
 情勢が一段と緊迫する中で、選挙管理委員会は、アピシット首相の母体、与党・民主党の選挙違反を指摘し、告発するとした。これは、UDDの求める即時解散・総選挙への追い風であるが、行き詰まった事態収拾への動きとも言えるものである。
 「3カ月以内の総選挙」まで譲る意向があると伝えられるアピシット政権とUDDとの間で事態収拾へ向かって動いているということである。だが、タイの情勢はこうした両者の思惑を超えて、これからさらに本格的に激化する以外にない。(4月13日現在)
 (武長 幾夫)

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月刊『国際労働運動』(406号2-2)(2010/06/01)

News&Reviw

 News&Review 中国

 世界大恐慌下のバブル崩壊の切迫

 「流血GDP」に50万件の労働争議

 □中国の景気回復の持つ危機性

 世界大恐慌は中国経済のいびつさを暴くものとなっている。この間の景気回復の実相を見れば明らかだ。09年のGDP成長率8・7%という数字は、世界大恐慌の中では「驚異的」であり、中国経済が一定の経済的力量をもっていることを示してはいる。
 だがその実態は、資本形成=投資がGDPへの寄与度92・3%に達しているのであり、4兆元景気刺激策=財政と金融の出動による資金の膨大な投入の下での公共投資・設備投資・不動産開発がつくりだしているものなのだ。
 実際、銀行融資では、09年の新規融資額は前年比95%増の9兆6000億元となっており、しかもその実態は90%が国有企業への融資だ。他方で、政府(中央・地方)の債務が急増しており、中央政府も1億元近い財政赤字を抱えた。特に地方政府においては、4兆元計画の3分の1を負担することで09年の地方政府財政支出は前年比23%増の2・6兆元の大赤字であり、傘下の投資会社の資金調達分を含めると、国家財政部の推計では4兆元以上の債務があるとされる状態だ。
 さらに、不動産開発投資額は09年は前年比16・1%増の3・6兆元にもなり、住宅価格は09年12月の前年同月比7・8%上昇、1月には同9・5%高、2月には同10・7%高で、不動産・住宅バブルの勢いを強めている。市場にあふれる資金が不動産住宅に回り、投機現象が明らかに起きているのだ。値上がり待ちの「塩漬け物件」なども増えつつある。
 輸出は人民元安維持政策の下で、一時の急落から若干回復したものの、欧米日の帝国主義の経済危機に規定されて、旧来のレベルに戻ることは全く展望できない。
 また外需の陥没を埋めるべき内需拡大(個人消費の拡大)は、低家賃住宅建設や補助金による家電や自動車の購入の促進を図る措置が採られたが、10年の1〜2月期の小売売上高は17・9%増で、20%を超えた08年時期の伸びより弱い。とくに補助金による家電や自動車などの高級品は売れても、日常品は伸びないという消費の二極分化が起きており、スーパーなどの低迷が続いている。つまり富裕層(一部の農民も含む)の購買力は伸びているが、基盤的な購買力はさほど伸びていない。
 以上から言えることは、中国の景気回復は、やみくもな財政・金融の投入によるもので、経済自身の力強さによるものではないのだ。中央財政や地方政府の膨大な債務(銀行融資)の上に、人民元安維持政策なども加わって市場に資金があふれている中で、過剰生産状態の処理は進まず、逆にインフレや資産バブル状態が進み、中国経済そのもののバブル状態が加速されているのである。景気回復は、資産バブルの崩壊を契機に中国のバブルの恐るべき崩壊を準備しているのだ。

 □今期全人代での「発展方式の転換」の提起

 中国スターリン主義は、景気回復を自賛しつつも、大恐慌の重圧を感じて、今年の全人代で「経済発展方式の転換」を打ち出した。外需依拠ではなく内需拡大による経済発展へ、そして産業構造のローテク構造からの脱却、新産業の発展へということだ。
 (【表】GDPに対する寄与の度合い)
 しかし、実際には成長率を確保する景気刺激策の下で、労働集約型産業の淘汰は進まず、逆に資金が国有企業に流れることで過剰生産を加速する重複設備投資などが行われる状態が続いている。また新産業の発展などといっても、もはや「安価な労働力」に頼れなくなってきている(次項の「民工荒」を見よ)。しかも争闘戦激化の下での新産業の発展などは全帝国主義が死活をかけるものであって発展の見通しは困難だ。
 内需拡大については、根本的に一国社会主義論に基づくスターリン主義支配構造の下での労働者・農民からの搾取・収奪に全面依拠した「発展」のあり方では、「13億の市場」などが開ける展望などない。GDPに対する賃金総額の比率は90年代の15%台から08年には10・7%に落ち込んでいる。搾取は強まっているのだ。
 政治協商会議の委員が報告しているように「収入の上位1割と下位1割の所得格差は88年の7・3倍から07年の23倍に拡大」しており、経済発展の果実がスターリン主義官僚とこれと結託した資本家や企業管理者層に集中している現実が益々深まっているわけだ。官僚の汚職も年々増え続けており、徴税を強化すると言っても党内外の既得権益層は抵抗を強めていて何の対策もとれない。労働者・農民からの搾取・収奪構造は強まる一方なのだ。
 また全人代では今年の国防費予算が7・5%増とされたが、これは数字のごまかしであり、中国脅威論を回避しつつ、空母建造、弾道ミサイル迎撃システム、核兵器の高度化などの予算は国防費に含めない形で、軍備の増強を図るものだ。軍部の制服組は「インド洋に補給基地を設ける必要がある」と公然と表明をしている。米中確執を頂点として強まる重圧に対する身構えた展開に踏み出しているもので、大恐慌の下で進む市場争奪戦、資源獲得合戦が引き寄せる戦争への道に引き込まれつつあるのだ。
 最3章 □労働者階級の上に吹き荒れる新自由主義政策
 景気回復は、労働者階級人民への犠牲を強めるものとして進められている。
 第一に、失業者の問題である。3月下旬に温首相が、公的場で中国の失業者は「2億人」と発言した。中国の農業を含む全就業者人口8億数千万人のうち2億人が失業状態にあるというのは実態に近い感触だ。09年末の都市部登録失業率は4・2%である。これは農民工や都市部の臨時工を含んでおらず真の実態を表すものではないが、それでさえ、今年の全人代で「4・6%以下」に抑えるとされており、失業者は景気回復にもかかわらず増え続けているわけだ。失業問題は毛沢東時代にも、改革開放政策の下でも全く解決されないことが明白になっているのだ。
 第二に、非正規雇用の圧倒的増大である。これは今日中国においては失業対策としてむしろ積極的に推進されており、今日では私企業だけでなく国有企業も景気調整弁として積極的にこれを多用しつつある。現在では農民工の2億5000万人に加えて都市部の臨時工や派遣工が2億人近くおり、総就業人口8億数千万の5割を超える事態である。いわばスターリン主義政権の新自由主義政策展開の下で、5億人近くの「ワーキングプア」が、スターリン主義体制のための経済発展の下支えにされているのだ。
 第三に、最近中国南部・東部の沿海地域で「民工荒」(農民工不足)が発生し、地方政府と企業は最低賃金アップや労働条件の改善などに必死になっている。これは直接的には景気刺激策で内陸部の公共事業などの急増で職が増えたことから来ているが、本質的には膨大な農民工・臨時工の犠牲の下で「安価な労働力」に依拠した中国の輸出力優位という条件の消滅が近付いているのだ。中国の持つ潜在力の限界性の表れと見るべきものだ。
 第四に、政府(特に地方)の債務急増などの無理をした景気刺激の半面では、各地方政府管轄の社会保障整備の繰り延べ、教育予算の削減、定年退職者の養老金の増額拒否、リストラ退職者や代用教員、民弁教員(省級レベル採用の教員)の退職に当たっての補償増額拒絶、退役軍人への追加保障の拒絶などという事態が軒並み各地で起きており、頻々と陳情が繰り返されている状態がある。
 その一方では、資金確保のための地方政府の下での不動産乱開発が相次いでおり、地方政府が09年に不動産(土地使用権)売却で得た収入は前年比63%増の1・6兆元にもなっている。土地の収用や再開発による立ち退き問題は頻発しており、失地農民や小額補償金で住居を追い出される人たちが後を絶たない。
 今日「流血GDP」(炭鉱などの労災対策もなく、開発再開発での地上げを含む住民の暴力的叩きだしの上につくられたGDP)という言葉が流行っている。権力を独占したスターリン主義が新自由主義政策を展開し、人民の安全や生活を破壊し、犠牲を転嫁して、「成長」にしがみついて支配の正当性を誇示しようとしていることに対する民衆の怒りに満ちた揶揄だ。

 □労働者の闘いの発展

 胡錦濤政権はこの現状に、人民慰撫策と愛国教育の強化と弾圧の強化で望んできたが、いまや弾圧の強化に傾斜する姿勢を強めている。
 汚染粉ミルク被害者家族や四川大地震校舎倒壊の調査、医療過誤問題の告発などでさえ、「国家政権顛覆扇動罪」を適用し、獄にぶち込んでいる。民主化活動家や人権活動家や弁護士に対する締め付けは強まる一方だ。
 報道の規制は常軌を逸しており、中央宣伝部指定の18分野(政治や紛争のみならず、全生活領域が全部入る)は新華社(党中央統括)の記事の転載のみで、独自取材は禁止となった。全人代向けに13の新聞社が戸籍制度改革を急げという共同社説を載せたら、直ちにその筆者は解雇処分、各新聞社の責任者は警告処分を受けた。インターネット統制にも数万人というサイバーポリスを監視に配置し、政府批判は即座に削除し、筆者を拘束している。
 グーグル問題は中国のスターリン主義指導部にとっては、情報の統制が支配の死活問題であるため、検閲解除など認めるわけにはいかないことを示す。つまり社会の情報の一切を統制しないと、体制を揺るがす事態(闘争)が起きることを感じているのだ。
 こうした階級的緊張状態の中で中国労働者階級は不屈に闘っている。昨年の労働争議は50万件以上と急速に増えている。いくつかを見る。
 昨年12月下旬に河北省衡水市で5000人の教員の2日間の授業ストが、当局がピンはねして流用した賃金の追加支給と賃金のアップを要求して闘われた。この闘いは追加支給を今年から支払うということを約束させたが、依然として公務員と格差がある教員賃金の問題は未解決だ。一昨年の四川、重慶、湖南などでの教員の大規模ストを引き継ぐもので、教育労働者の中には不満が蓄積されている。
 今年1月15日、江蘇省蘇州市で世界的に著名な携帯電話部品の委託製造をしている台湾企業(1万5000人就労)で、年末一時金の取り消しを契機に企業への万余の労働者の怒りが爆発し、集会・ストを敢行し、警察の包囲と衝突した(「前進速報版」に既報)。多くの企業の「労働契約法」への脱法行為に対する怒りが充満している中で起きたものだ。
 3月15日には河南省商丘市で数千台の5日連続のタクシーストが、ガソリン価格高と当局の費用徴収の過酷さに抗議して闘われた。当局は指導者を17日に逮捕したが、ストは続いた。タクシーストは一昨年の重慶の万余のタクシーストップを始めとして全国的なタクシーストの波があったが、タクシー労働者の団結力の強さを示すものだ。
 他にも労働者のスト、道路封鎖、工場内座り込みなどが多数起きている。とくに早期退職させられたもと国有企業の労働者の道路封鎖などによる陳情行動が各地で津波のように押し寄せている。
 総工会は中国の党・政府が死活をかけている「社会の安定維持」の一翼を担って、労働者を「労働契約法」に規定された調停や裁判誘い込むことで、集団的闘争の爆発を抑え込むことに「努力」している。だが、総工会の統制を超えて闘争は頻発している。中国スターリン主義指導部は、昨年末、新華社傘下の週刊誌『瞭望』で、「中国は労資矛盾による集団事件の誘発が高度に発生する時期に入った」と述べ、専門家の発言を借りて、労資紛争は以前より激烈化しており、ますます集団性を強めて、暴力的状態を呈していると吐露している。
 中国の労働者階級人民の闘いは、大恐慌の進行の中で、中国スターリン主義の労働者・農民に犠牲を集中する経済社会建設の反人民性に対して、より本格的な集団性=階級性を強め闘いに立ちあがっていく。大恐慌と世界革命情勢の到来の中で、国際労働者階級の高揚をつくりだす闘いの重要な一環として、中国労働者階級人民との国際主義的団結を必ずやつくりだしていこう。 
 (賀山 宏)

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月刊『国際労働運動』(406号2-3)(2010/06/01)

News&Reviw

 News&Review 日本

 1047名闘争の屈辱的「和解案」

 “解雇撤回”を求め、断固粉砕を

 □「4・9合意」粉砕を

 4月9日、政府・与党(民主党・国民新党・社民党)と公明党が、国鉄1047名問題についての「解決案」で合意し、国労本部などの4者4団体が直ちにこれを受け入れることを表明した。国鉄闘争は、この「解決案」によって屈辱的な敗北の末に解体されるのか、それともこの「解決案」を葬り去り、あくまでも解雇撤回を求めて新たな1047名闘争を再構築するのかという、重大な岐路に立っている。
 「1人あたり2200万円」などとマスコミによって宣伝されている「解決案」の中身は、実はとことん「和解金」を切り下げ、採用差別の不当労働行為を不問に付し、JRの責任を免罪し、年金や雇用についてはゼロ回答というものである。23年に及ぶ国鉄闘争を泥靴で踏みにじる、とんでもない反動的な代物である。今も続くJRの不当労働行為と第2の分割・民営化攻撃とも一切闘わないことを強制するものである。
 政府は、日本航空の1万6
000人首切りを始めとした、大恐慌下で進められる大リストラをさらに推進し、社会保険庁の550人分限免職に続いて、道州制導入=36
0万人公務員労働者の全員解雇―選別再雇用の大攻撃を貫徹するために、戦後最大の労働争議である国鉄1047名闘争を根絶することに全力を挙げているのである。
 そもそも政府の立場は、「1047名は万全の雇用対策を講じてきたにもかかわらず結果として解雇された方々」「政府としての責任はすべて果たしている」「ただ長くかかっている話でございますし、かなり御高齢になっておられますので、その意味では何らかの政治的解決が必要との考えに同意する」(1月29日・衆院予算委員会での前原国交相答弁)というものである。つまり、“1047名の解雇は正当だった”という立場なのである。
 しかし、この「解決案」は、はなから動労千葉争議団を排除したものであり、国労闘争団員の中からも「断固拒否」を貫く絶対反対派を生み出している。断固闘い抜くならば絶対に粉砕できるものなのだ。

 □“涙金”の金銭和解

 「4・9解決案」は、1047名が求めてきた要求とは、かけ離れたとんでもない反階級的な代物である。4者4団体の幹部が言いふらしてきた「雇用・年金・解決金」の3項目がすべて完全に踏みにじられている。
 和解金については「1人平均1563万3750円」とされているが、それは「高裁判決金550万円に遅延金利分を加えた1189万円」と、「訴訟費用等374万円」となっている。これは、当初の2・23各党担当者素案で示された「解決金1650万円、年金相当分1300万円、計2950万円」から大きく後退している。
 結局は、鉄建公団訴訟の09年3・25高裁判決の「期待権侵害に対する慰謝料としての550万円」の支払いでしかないということである。年金相当分は完全に消えてなくなったのだ。
 また「訴訟費用等」は、4者4団体の弁護団がせしめるものとなる。
 しかも、今回新たに団体加算金58億円が加わった。これは国労本部などの4者4団体を買収するための金である。それまでの素案などにあった闘争団の「事業団への支援金」は完全に消し去られて、新たに加わった項目であり、国労本部などがいかようにでも使えるものなのだ。
 したがって、闘争団員に支払われるのは、結局は高裁判決の550万円とその利子、計1189万3750円だけだということだ。

 □「雇用」はゼロ回答

 雇用については、「政府はJRへの雇用について努力する」としているが、続けて「JRによる採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用されることは保証できないこと」と明記されている。
 すでにJR各社は真っ向から雇用を拒否する意思を表明しており、これは“一人も採用されなくても文句を言うな”ということなのである。
 これまで「200人をJRに雇用要請」などとしていたことは、まったくのペテンであったということだ。
 しかも、この「解決案」は「四者・四団体(原則原告団910名全員)が、次の事項について了解し、その旨を正式に機関決定すること」と居丈高に言い放っている。
 それは「すべての訴訟を取り下げること」と、「不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと」「今回の解決金は最終のものであり、今後一切の金銭その他の経済的支援措置は行わないこと」と、すでに述べた「採用は保証できない」ということである。
 910名とは、国労闘争団と全動労争議団の鉄建公団訴訟等の原告団の人数である(すでに述べたように、動労千葉が排除されているだけでなく、原告ではない国労闘争団員らも除かれている)。つまり、この原告団に一人残らず、このような屈辱的な条件をすべて飲ませることを迫っているということである。
 「不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと」とは、“国鉄分割・民営化は正しかった”“解雇は不当労働行為ではない”と認めろということだ。それだけではなく、分割・民営化後も続くJRの不当労働行為とも闘うな、ということなのである。それは国労解散―連合合流の道だ。

 □“絶対反対”を貫けば粉砕できる

  4者4団体の一部幹部が、この間、絶対反対を表明している闘争団員に対して、恫喝的な切り崩しを迫ってきたのも、絶対反対派が存在する限り、この「解決案」自体が崩壊するからにほかならない。
動労千葉の昨年秋からの5波のストライキは、JR東日本の検修・構内業務の全面外注化の4月1日実施を完全に阻止した。反合理化・運転保安闘争路線に基づくこの闘いは、JR体制をとことん追い詰めている。こうして追い詰められた敵の側が打ち出してきたのが、この「解決案」なのだ。
動労千葉は、国鉄分割・民営化に対して2波のストライキで40人の解雇者(うち9人が清算事業団からの解雇者)を出しながらも、団結を維持し、JR体制に乗り込んだ。そして直ちに解雇撤回闘争をJR本体の闘いと結合して闘い抜くという路線のもとに、常に反合理化と解雇撤回を一体のものとして闘ってきた。
90年4月1日の清算事業団の雇用期限切れを前にした90年3月のストライキは、清算事業団闘争を反動的に収束させてしまおうとした策動を吹き飛ばし、1047名があくまでもJR採用を求めて闘い抜き、清算事業団から整理解雇されるという事態を生み出した。当時、動労千葉の中野洋前委員長は「整理解雇で勝利だ」と主張し、「国労を逃がさないための闘いだ」と言って、国労の72時間ストに合わせたストを前倒しして84時間ストとして打ち抜いた。この闘いが1047名闘争を生み出したのである。
動労千葉は、「国鉄分割・民営化攻撃との闘いは何ひとつ終わっていない。動労千葉と動労千葉争議団9名にとって全てはこれからである。国鉄闘争の火を消してはならない。われわれは、23年間の長きにわたり動労千葉の闘いを支えてくれた支援の力に応えるためにも、1047名解雇撤回、民営化・外注化・労組破壊攻撃と対決し、その勝利の中に労働者と労働組合の未来がかかっていることを確信し、闘い続ける決意である」(4・9声明)と訴えている。
動労千葉と絶対反対派の国労闘争団員の闘いを結合し、動労千葉の呼びかける大運動をともにつくりだそう。
(大沢 康)
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●政治解決の基本内容

■4党の前原国交相への申し入れ(「国鉄改革1047名問題の政治解決に向けて(申し入れ)」)の核心点

1.和解金 一人平均1,563万3,750円
総数910世帯(約142億円)
@高裁判決金は550万円、遅滞金利分(注)は639万3,750円
(小計 1,189万3,750円)。
A訴訟費用等374万円。
(注)支払日までの金利分とし、平成22年6月30日の支払を想定。
2.団体加算金 58億円
4者・4団体が、国鉄清算事業団を解雇された者1,029人の生活面の支援を続けてきたことに鑑み、当時、斡旋に応じて再就職した者の雇用主に支払われていた雇用奨励金及び住宅確保奨励金を参考とし、4者・4団体に団体加算金を支払う。算定に当たっては、4者・4団体の非営利性に鑑み、特段の配慮を行う。
(なお、本団体加算金については、団体の判断により今後の原告等の就職活動、自営業の資金等に活用することも可能)

■4党と政府の合意文書「国鉄改革1047名問題の解決案(四党申入れ)について」

1.政府は、以下のことを条件として、平成22年4月9日に民主党、社会民主党、国民新党及び公明党(以下「四党」という。)から申入れのあった「国鉄改革1047名問題の政治解決に向けて」による解決案を受け入れる。
(解決案受入れの条件)
四者・四団体(原則原告団910名全員)が、次の事項について了解し、その旨を正式に機関決定すること。
@この解決案を受け入れること。これに伴い、裁判上の和解を行い、すべての訴訟を取り下げること。
A不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと。したがって、 今回の解決金は最終のものであり、今後一切の金銭その他の経済 的支援措置は行われないこと。
B政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRによる採用 を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用さ れることを保証できないこと。
2.四党は、1.を了解する。
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 中野動労千葉前委員長追悼集会に800人

 “遺志継ぎ労働運動復権する”

 演壇に飾られた中野洋前委員長の遺影は笑っていた。誰からも慕われ、また組合員と労働者階級に限りない信頼を寄せていた故人の人柄を示していた。
 4月10日、動労千葉の中野洋前委員長の追悼集会・偲ぶ会が千葉県労働者福祉センターの大ホールをあふれる800人を集めて盛大に開催された。
 第1部・追悼集会の冒頭、司会の長田敏之書記長が「中野前委員長は、“ミスター動労千葉”、動労千葉の歴史そのものです。その偉大な功績を引き継いでいかなければいけない。2月の終わりにお見舞いに行き、『3月1日、2日とストに入る』と訴えたところ、声を振り絞るように『負けるな!』の一言でした。いずれ顧問の墓前に『労働者は立ち上がったよ』という報告をできる運動をつくりたい」と述べた。
 主催者を代表して田中康宏委員長は、中野前委員長が4年間の闘病中も闘いの先頭に立ち続け、ガンの進行を抑えてきたことを振り返り、「中野顧問は『労働組合とは素晴らしいものだ。労働者の団結した力をおとしめなければ、世の中を変えることも、歴史を動かすことも、社会を動かすこともできるんだ。だから労働者を蔑視しない限り、勝利できるんだ』『労働組合の運動は、自分の一生をかけるにふさわしい運動だ』と言い続けた」と述べ、前日に発表された「解決案」を弾劾し、「JR東日本の検修業務の全面的な外注化の4月1日実施を止めた。このことは、中野顧問が一番喜んでくれていると思う。是非、報告したい。中野顧問が築き上げてきた動労千葉、この素晴らしい労働組合の闘いを絶対に引き継ぐ」と決意を明らかにした。
 追悼の言葉が、追悼集会と第2部の偲ぶ会で、各界の多彩な人々から語られた。
 動労千葉弁護団の鈴木達夫弁護士は、「中野さんから学んだことは『革命とは労働者自身の事業である』ということだ」と語った。三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原進事務局次長は、「兄貴のような存在として付き合わせていただいた」という思い出と三里塚闘争勝利への熱い思いを語った。
 韓国から駆けつけた民主労総ソウル本部のイジェウン本部長は「故人が生前、労働階級のために献身された精神を引き継ぎ、資本に対する大反撃を準備します」と冥福を祈った。

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月刊『国際労働運動』(406号3-1)(2010/06/01)

特集

 ■特集 民営化と闘うトルコの労働者

 はじめに

 トルコでは、タバコ・アルコール飲料・食品関連労組の労働者たちが、画歴史的な民営化反対闘争に決起している。タバコ・アルコール専売公社(TEKEL)の民営化に伴う全員解雇と他の公共部門への極端に劣悪な再雇用条件に反対する労働者の闘いは、きわめて暴力的な政府の弾圧を跳ね返して、同じ民営化攻撃と闘っている公共部門の全労働者階級の総決起の引き金になっている。また国際的にも圧倒的に注目される闘いとして発展している。
 第1章では、TEKELの労働者の闘いの画歴史性を、体制内労組の闘争圧殺の打破、労働者階級自身の主体的決起の決定的意義を軸に明らかにする。第2章では、トルコのクルド人民の独立運動への弾圧のエスカレートと、それを跳ね返す闘いの発展について分析する。第3章では、現在のトルコの体制的危機の実態と、労働者階級の闘いの決定的意義について明らかにする。
 ■特集

 ◆民営化と闘うトルコの労働者

 階級的労働運動の登場 体制内派の支配を打破

 ●全土揺るがす闘いの開始

 トルコでは、体制内派に支配されたトルコ労働運動の閉塞状況を打ち破る新たな階級闘争の大波が打ち寄せている。タバコ・アルコール飲料専売公社(TEKEL)の民営化にともなう解雇攻撃と闘う1万2000人の労働者の断固たる民営化反対・解雇撤回、雇用の保障を求める闘いが、トルコ全土を揺るがす真に大衆的で階級的な闘いとして爆発し、トルコ階級闘争の様相を一変させるような重要な闘いとして発展している。
 この闘いは、80年軍事クーデーター以降、30年間にわたって閉塞状況にあったトルコの労働運動を根底から変革する決定的な要素をはらんで発展している。それはトルコ国内の労働運動のみならず、国際的労働運動にも重要なインパクトを与えている。

 ●民営化と首切りとの闘い

 トルコ経済の危機のなかで、公共部門の全面的民営化路線をとってきた歴代政府は1999年から煙草・アルコール専売公社を民営化しようとしてきたが、労働者の抵抗の前に阻止されてきた。だが、貧困階級と労働者の味方をキャッチフレーズにして03年の総選挙に勝利して成立した公正・発展党の政権は、IMFからの160億jの融資と引き換え条件として、TEKELの民営化を強行した。
 03年11月にまずアルコール工場の民営化を強行した。アルコール工場は、トルコのあるコンソーシアムに2億92
00万jで売却された。当時の製品在庫は1億2600万jもあり、その上原材料7000万jが国によって購入されていた。しかも政府は、所有権の移転の前に、アルコール工場の国有銀行や財務省に対する2億jの負債も帳消しにし、退職労働者の年金も政府が別に支払うとした。アルコール工場を購入したコンソーシアムはこれだけでぼろもうけをしたのだ。
 さらに政府が支払いを2年間猶予している間に、この新所有者は、アルコール工場をアメリカのテキサス・パシフィックグループになんと9億jで転売したのである。これによってコンソーシアムは労することなく莫大な金を手にしたのだ。他方、民営化後には、労働者1万2000人のいったん解雇、他の職場への配転が行われた。
 その上で08年2月、今度はタバコ部門の民営化が決定された。タバコ工場はイギリスに拠点のあるブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)に売却された。BATはこれらの工場のうち12工場を09年2月に閉鎖し、1万2000人の労働者を解雇した。BATにとってはトルコの生産性の低いタバコ工場がほしかったのではなく、トルコのタバコ製造業を買収によって解体し、自分たちの工場で生産したタバコの市場を独占的に確保することが目的だったのである。これに伴って政府は労働者の雇用を保障するとして、他の公共部門への再雇用策を打ち出した。
 だが、これはとんでもない反労働者的代物であった。政府の再雇用策とは、労働者を法律457号の第四条のCに規定する協約(通称4―C協約)を適用する雇用形態にして再雇用するというものであった。すなわち、@1万人の労働者を10カ月の臨時雇用に転換し、10カ月ごとに契約を更新する(つまり労働者は10カ月ごとに職を失ったり、他の職種や場所に配転を強要されるかもしれない不安定な状態に置かれる)、A賃金を40%削減する、B正規の雇用ではないので、労働組合を組織する権利はない、というものであった。まさに労働者の生きる権利を根底から否定する内容であった。

 ●弾圧に屈服しない労働者

 TEKELの労働者たちは、この再雇用政策に激しい怒りを燃やして決起した。労働者たちは、政府の民営化全面展開政策の下ですでに4―C協約の適用を受けている労働者や、これから4―Cの適用を受けるだろう公共部門の労働者たちとの討論を経て、自分たちの闘いが全公共労働者の未来を決定する重大な決戦的闘いであることを自覚した。こうしてTEKELの労働者たちは、09年12月15日、不退転の決意をもって政府との激突を開始した。
 この日、TEKELの労働者たち数千人は、政権党である公正・発展党に対する抗議闘争を行うために、全国からアンカラ市内に向かった。警察が労働者たちのアンカラ市内への突入を阻止するために築いたバリケードを突破して、労働者たちは公正・発展党の本部前で集会を行った。これに対して、知事がデモと集会を禁止し、公正・発展党の本部を防衛するために戦車が派遣され、多数の警察官が動員された。翌16日、警察は公正・発展党の周辺から労働者を排除し、近くの公園に労働者たちを追い込んだ。そのうえで、警察は17日、放水銃、催涙ガス、警棒で公園内の労働者たちに襲いかかり、多数の労働者に重軽傷を負わせた。TEKELの労働者を代表する組合であるタバコ・アルコール飲料・食品関連労働組合(Tekgida-is)の委員長や、ナショナルセンターであるトルコ労働組合連盟(Turk-is)の委員長を含む多数が逮捕された。
 TEKELの労働者の闘いはこの弾圧によって壊滅的に解体されたかに見えた。
 だが、彼らはこの弾圧を受けても一歩も後退しなかった。彼らは、いったん公園から蹴散らされた後、今度はトルコ労働組合連盟の本部の前に結集した。ここで抗議闘争を継続し、ブルーのビニールシートでテントを作って首都駐留体制を作り始めた。
 2010年1月6日には、全国47の工場で組合員の全員投票を行い、投票した818
0人のうち8150人の賛成で闘争を断固継続することを決定した。一組合がこれほどの弾圧を受けてなおかつ闘争を継続する決議をあげるなどということは、この30年間なかったことである。

●サカルヤ・コミューン

 2010年1月以降、TEKELの労働者たちはトルコ労働組合連盟本部の前の路上に全国から続々と結集し始めた。当初、警察はアンカラに通ずる道に検問所を設けてTEKELの労働者の首都結集を阻止しようとしたが、労働者たちは抜け道を通ってアンカラに入った。
 首都に結集した労働者たちは、トルコ労働組合連盟本部のある「サカルヤ大通り地区」の路上に無数のテントをつくり、常時数千人が寝泊りする体制を作った。数日にして巨大な労働者のテント街が出現したのだ。
 警察はこのテント街の撤去を狙ったが、TEKELの労働者が所属するTekgida-isがトルコ労働組合連盟の傘下にあるため、この連盟の建物周辺に労働者が結集するのを弾圧するのを躊躇した。そのうち数日で巨大なテント街が出現してしまったため、警察はもはや弾圧することができなくなってしまったのだ。
 労働者たちはこの場所で生活しながら、抗議行動や演説、討論会などを行い、周辺のデモに打って出た。ここには、全国から左翼的な労働組合であるDISK(革命的労働組合総連合)やKESK(公務員組合連盟)の活動家や反体制運動家が支援と討論をするために駆けつけた。また民営化に直面しているあらゆる組合、職種の労働者がこのテント街にやってきて、民営化攻撃との闘いをめぐってTEKELの労働者と討論した。
 このテント街はトルコの労働者たちが階級的に覚醒する重要な場所となった。TEKELの労働者は、体制内派の労働組合連盟であるトルコ労働組合連盟に所属し、労働官僚に支配されていたため、かなり保守的な労働者であった。TEKELの労働者のなかには、1日5回の祈りを欠かさない敬虔なイスラム教徒の労働者も、労働者の味方面をして登場した現政権党の公正・発展党を支持する労働者も多数いた。また、彼ら自身が認めているように、同じ組合内のクルド人労働者に対する偏見をもち、日頃からクルド人労働者とは距離を置いていた労働者たちも多くいた。
 その彼らが、民営化反対の闘いの中でクルド人の同僚と手を組んで国家権力と激突し、全国の左翼的活動家と交流し、熱気あふれる討論を積み重ねるなかで、急速に階級
意識を覚醒させていった。彼らは、全面的民営化という公正・発展党の政策が、全労働者に向けて仕掛けられた攻撃であり、公正・発展党は労働者階級の敵であることを認識した。また彼らが所属するトルコ労働組合連盟が、公正・発展党と協力して労働者の闘いを抑制しようとする体制内派労組であり、この指導部と闘わないかぎり自分たちの闘いを継続することさえできないことを理解した。さらには、このテント街でクルド人同僚と腕を組んで闘い、ひざをつきあわせて討論するなかで、自分たちのクルド人に対する偏見が間違っていたことも認識した。
 他方、テント街に討論や激励で訪れた労働者にとっても、ここでの討論は重要な意味をもった。特に同じ民営化攻撃を受けている労働者にとっては、トルコ労働組合連盟の指導部による制動をはねかえして闘っているTEKELの労働者から学ぶことで、自分たちの闘いの展望を見出すことができた。また、さまざまな階級闘争の課題について、全国の左翼的活動家たちと何時間も、場合によっては徹夜で討論することで、階級的に闘うことの重要性を認識していった。全国の闘う活動家同士の人的つながりが巨大な規模でつくられたことも大きい。
 このようにサカルヤ大通りの数市街に広がるテント街は、労働者がTEKELの労働者が団結して政府や体制内派と闘う場所であるとともに、民営化との闘いのあり方をめぐって討論し、階級的労働運動とはなにかを学ぶ場所となった。そしてこの猛烈な熱気を目の当たりにして、国家権力もテント街の破壊に踏み込むことができなくなったのである。もし警察が暴力的にテント街を撤去しようとしたならば、全国の労働者がアンカラに結集し、激烈な闘いを展開しかねない状況にあったからである。
 このような状況を見て、労働者たちはこのテント街を「サカルヤ・コミューン」と呼ぶようになったのである。

 ●体制内派の制動を打破

 テント街を出撃拠点として確保した労働者たちは、1月中旬から大反撃の闘いを開始した。1月15日、1万2000人のTEKELの労働者の家族は、全国からアンカラに結集し、テント街の労働者とともに3日間の座り込み闘争に入った。さらにその後3日間のハンストに入った。
 1月17日には、全国から560台のバスに乗ってアンカラにやってきた2万5000人の労働者が、政府のTEKELの労働者に対する攻撃に抗議する大集会を行った。この集会ではトルコ労働組合連盟のクムル委員長がゼネストを呼びかけるのではと期待されていたが、クムル委員長はこの点については一言も言及しなかった。このためTEKELの労働者たちは演壇上に駆け上って45分間にわたって演壇を占拠し、クムル委員長を弾劾し、会場の労働者に向かって直接ゼネストの呼びかけを発した。集会に参加した労働者たちもゼネストを呼びかけないクムル委員長を弾劾し、辞任を要求する叫び声をあげた。集会後、TEKELの労働者たちはトルコ労働組合連盟の本部に押しかけ、クムルの事務所のある2階のフロアーを占拠し、抗議闘争を行った。他方、連盟本部前のテントにいた2000人のTEKELの労働者とその家族は、要求貫徹のために水も飲まない決死のハンストへの突入を宣言した(このハンストは多数の労働者の体調が危険な状態になったため、いったん中断されたが、その後、断続的に継続された)。
 追い詰められたトルコ労働組合連盟の指導部は、エルドガン首相とのボス交で闘争収拾を図ろうとした。1月28日には、トルコ労働組合連盟の指導部とエルドガン首相との交渉が持たれたが、連盟の立場は労働者救済のために政府に慈悲を乞うというものでしかなかった。結果は、臨時雇用の期間を10カ月から11カ月に延長するとしたに過ぎないものであった。当然にも労働者側はこの提案を拒否した。こうしてボス交による解決策は破産し、トルコ労働組合連盟指導部は、労働者のTEKEL労働者連帯ゼネスト要求の巨大な圧力に形だけでも応えざるを得なくなった。2・4全国ゼネストの呼びかけは、トルコの六つの労働組合連合(ナショナル・センター)の統一的呼びかけとして行われた(後に反動的なイスラム系列の二つの労働組合連合がこの呼びかけを撤回。トルコ労働組合連盟のいくつかの組合もゼネスト参加を拒否した)。80年の軍部クーデター以降、違法とされていた連帯ストが労働者の突き上げでついに30年ぶりに実現するかもしれないという期待が広がった。
 だが、連盟の官僚たちはストライキを組織すると見せかけて実際には真のゼネストを組織することを回避し、職場でのストライキ組織活動はほとんど行わなかった。このため2月4日には、職場でのストライキは自然発生的に行わ
れただけであった。
 ところが職場でのストライキが連盟の官僚の闘争放棄で失敗したにもかかわらず、トルコ全土の労働者たちは、この日、街頭に数十万人の隊列を登場させた。81の地方の州都のすべてと各地の小さな町で、労働者は自主的に街頭に進出して、TEKELの労働者を支持する闘いを爆発させたのである。アンカラ以外でも、イスタンブール、ディヤルバキール、アダナ、アンタクヤなどで抗議行動が組織された。ついにトルコの労働者階級は体制内指導部の制動を打ち破って大衆的決起を開始したのである。

 ●体制内指導部の闘争放棄

 アリバイ的ゼネストによって労働者の批判をかわそうとした体制内指導部は、以後、一切職場での闘いを組織することを放棄し、最高裁判所に4―C協約が違憲であることを訴えて労働者を救済しようという法廷戦術に切り替えた。体制内指導部は、現政権がイスラム政治勢力であり、地主階級に基盤を持ち、軍部や最高裁判所などの反動的世俗勢力と対立していることに目をつけて、二つに分裂する支配階級の一方の勢力の支援の下にTEKELの民営化問題を「解決」しようとしたのである。だが、民営化は支配階級総体が推進しようとしているものであり、TEKEL民営化問題の根本的解決策が現政権と対立する勢力から出されるわけはないのだ。実際、3月1日、最高裁は、3月2日までにこの4―C協約に基づく雇用を受け入れるか、解雇されるかを選択せよという政府の要求に対しては、この期限設定があまりに短いとして、8か月間の猶予期間を設定すべきであるという決定を行ったが、4―C協約そのものについては、これまで何の見解も述べていないのである。
 これに対して、労働者側は体制内指導部に期待せずに独自の闘いを組織し始めている。2月20日行われたTEKEL労働者連帯行動日はまさにそのような闘いであった。
 この日全国から3万人の労働者がアンカラに結集して集
会とデモを行い、民営化と真に闘う統一戦線が形成された。集会後、多くの労働者がテント街を訪れ、翌日の昼までTEKELの労働者たちと交流を深めた。

 ●闘争態勢の再構築

 闘争の長期化の中で、3月初旬、TEKELの労働者たちは、78日間の首都テント街での闘いをいったん終了し、闘争態勢を再構築するためにそれぞれの工場のある場所に帰った。長期のテント生活の疲れをとるとともに、今後の長期的闘争態勢の強化を図る必要があったからだ。以後の方針としては、各月に1回アンカラに集結し、大衆的抗議闘争を展開するという方針がだされた。
 この方針に基づいて、4月1日と2日にTEKELの労働者たちは、再びアンカラに集結し、トルコ労働組合連盟本部の前での集会と記者会見を行おうとした。だが、国家権力は、警官隊を配置して連盟本部に至る道を封鎖し、集会を破壊した。しかし、労働者たちは翌日までアンカラに残り、抗議デモを行った。これに対し警察はデモを弾圧し、15人を逮捕した。TEKELの労働者の闘いは一種の息継ぎの段階にあるが、労働者たちの闘争意欲は旺盛である。今後、いくつかの労働組合連合によって5月26日に、ゼネストが予定されており、6、7、8月とTEKEL労働者の首都結集方針も出されている。5月26日のゼネストは、またしてもいわゆる「ガス抜き」の要素が濃いものとして設定されているが、TEKELの労働者と全国の労働者は、それをも利用して新たな闘いを組織していくであろう。まだまだ闘いはこれからである。

 ●新たな闘争組織の形成

 TEKELの労働者たちは、自分たちの組合が所属するナショナル・センターであるトルコ労働組合連盟が、民営化に反対する闘いを真剣に組織する意志がないことを認識すると、独自の闘争組織を形成し始めた。それは各工場ごとに職場委員を選出し、全国で30人程度の職場委員が集まって組合とは別にストライキ委員会を形成したり、闘争方針を決定するというものであった。基本的な闘争方針は、TEKELの労働者が所属するタバコ・アルコール飲料・食品関連労組が決定するのではなく、この職場委員の会合で決定されている。この闘いに対する支援カンパも、闘わない組合幹部のもとに送られないように、自分たちで組織し管理している。
 このようなロシア革命における工場委員会のような闘争組織は、既成の組合による闘いの制動を阻止し、各工場のランク・アンド・ファイルの意思をもっともよく反映するものである。現在のところ、この闘争組織を指導する前衛党が存在しないため、内部の意見の不一致や、方針上の動揺などが正しく解決されないきらいがある。だが、そうだとしても、このような闘争組織が労働者自身の手によって形成されたことは重要な意味がある。それは労働者の戦闘性をストレートに体現し、体制内派の闘争収拾策動を封じ込める決定的な役割を果たしているからである。また労働者がこのような組織の下に活動し闘う経験をしたことは、将来、労働者の前衛党が形成され革命的指導体制ができた場合に、さらに生き生きとした革命的なランク・アンド・ファイル運動を形成する基礎となるであろう。

 ●民営化・解雇攻撃との闘い

 TEKELの労働者たちは、民営化や解雇攻撃に直面している他の部門の労働者とも連携した闘いを展開している。他の公共部門でも続々と民営化攻撃が始まっている。
 トルコの消防士たちもイスタンブールで、消防部門の民営化・首切りと闘っている。09年11月25日には、民営化で職を失うことになるイスタンブールの消防士がデモを行っている。この闘いは、公共部門で働く200万人の労働者のスト権と団交権を要求する1日ストライキと数万人のデモの一環として行われた。
 TEKELの労働者たちが闘いを開始したのと同じ頃の09年12月23日、イスタンブール地方政府の消防士たちも、民営化を前にして4―C協約適用に反対する闘争を行った。これはこの日の数日前、消防士のデモに対して警察が襲撃し数人を逮捕したことに対する抗議闘争でもあった。
 09年12月22日にも、消防士は民営化反対のデモの決起した。ヨーロッパとアジアを結ぶ橋の上で15人の消防士が鎖で自分たちをお互いにつなぎ、道路に寝て交通を遮断した。警察はこれを襲撃し、消防士たちに暴行を加えた。
 消防士たちは、公共部門で働く労働者200万人の民営化による首切り政策に総力で反対するとともに、TEKELの労働者との連帯と、トルコの全労働者の階級的団結を訴えて闘っているのである。

 ●鉄道労働者の闘い

 09年11月25日、トルコの鉄道労働者は、スト権と団体交渉権を要求するストライキに突入し、多数の電車の運行を阻止した。これに対してトルコ国鉄当局は、16人の鉄道労働者を解雇した。これに対して鉄道労組は16人の解雇撤回を要求して再度12月16日にストライキに突入した。当局はまたしても30人の労働者を解雇した。
 12月21日、合計46人の解雇撤回を求めて、統一運輸労組の20人の組合員が鉄道管理本部の建物を占拠し、解雇が撤回されるまで占拠を続けると宣言した。また鉄道労組は解雇が撤回されないならば、ゼネストに突入することを宣言した。
 鉄道労働者の闘いの決意の固さを目の当たりにした当局は、鉄道管理本部が占拠された当日、16人の解雇を撤回せざるを得なかった。しかし、労働者たちはさらに残りの30人の解雇撤回を求めて闘争を継続し、09年12月26日、鉄道
労働者は、組合員の解雇撤回を要求して24時間の「警告ス
ト」に突入した。労働者たちはアダナの中央駅前に結集し、公務員労組連盟(KESK)と統一運輸労組二つの労働組合の統一抗議行動に参加した。スローガンは「首切り反対!われわれは圧力に屈しない」であった。
 11月から12月にかけての1カ月に3回の鉄道労働者たちのストライキは、この40年間で最大のストライキとなった。

 ●教育労働者の闘い

 09年11月25日の公共労働者のストライキには、教育の民営化に反対して闘っている教育労働者も参加した。この教育労働者たちのストライキに対して、教育相はイスタンブールの15000人の教師に関する調査を開始している。
 各学校の校長たちは、11月25日にストライキに参加し、授業を行わなかった教師に関する報告をあげるように指示を受けており、教師たちも当日、授業を行わなかった理由を提出するように強要されている。今後、教育労働者に対する処分や弾圧は不可避であるが、教育労働者たちは、教育の民営化阻止にむけて、新たな闘争体制を打ち固めようとしている。
 このような鉄道労働者のストライキと消防士や教育労働者の民営化反対闘争は、TEKELの労働者の闘いと完全に連携して、民営化・首切り反対の闘いを全国的に活性化する牽引車となっている。彼らは、TEKELの労働者の闘いを全面的に支援して闘っている。彼らの闘いは、これまで政府の厳しい弾圧によって暴力的に押さえ込まれてきた。政府は鉄道労働者や消防士が闘いを開始するやいなや、放水銃や催涙弾で攻撃し、暴力的に鎮圧する政策をとってきた。
 しかし、彼らは、TEKELの労働者が同様の暴力的方法によって弾圧されても、ひるまず闘いを続けていることに励まされ、暴力的弾圧に負けない闘いを組織し始めたのである。このようにTEKELの労働者の不屈・非妥協の闘いは、民営化・首切り反対の闘いに決起しているトルコの労働者全体に勇気と希望を与え、トルコの階級闘争の歴史を画する発展段階を切り開いたのである。

 クルド解放闘争の新段階 トルコ労働者との連帯

 ●クルド独立運動弾圧の激化

 第1章で見たようなトルコの階級情勢の激化のなかで、トルコの労働者階級とクルド人民の独立闘争が結合することに恐怖するトルコ政府によるクルド独立闘争への弾圧も急激に激化している。公正・発展党政権は、EU加盟の条件を満たすためにクルド人に対する差別・抑圧政策の改善策を打ち出し、クルド語やクルド文化に関する厳しい制限を緩和するとしているが、これはあくまでもEU加盟を認めてもらうためのペテン的緩和措置でしかない。実際にはトルコの支配階級は、経済危機と政治不安の醸成という状況下で、労働者階級の政府・資本家に対する闘いの爆発に加え、クルド人の独立運動が活性化し、トルコの支配体制が総崩壊することを恐怖しているのである。だからこそ、労働運動とクルド人の独立運動の爆発的発展をなんとしても暴力的に阻止しようとしているのである。
 09年12月11日、トルコの憲法裁判所は、「武装した分離主義戦士と関係をもっており、トルコの不可分性と統一を脅かしている」として、クルド人民と連帯して闘っている民主社会党(DTP)を閉鎖し、非合法化した。憲法裁判所はまた、DTP党首のアーメット・チュルクを含むこの党の2人の国会議員を国会から追放した。さらに37人の党員に5年間政治活動を禁止し、他の政党に加入することも禁止した。DTPの全資産も没収した。
 DTPは2005年に、PKK(クルド労働者党)との協力を理由として解散されたクルドのいくつかの政党が合併して形成された党であり、国会に21の議席をもつ政党である。
 この判決は、クルド人の独立国家を求めて闘っているクルド労働者党(PKK)の創設者であるアブドラ・オジャラン氏に対する刑務所の取り扱い方に対する怒りの抗議行動で警察と衝突するデモが数週間続いた後に出された。

 ●相次ぐ排外主義的襲撃

 この判決後、09年12月から2010年1月にかけて、クルド人に対する右翼ファシストの襲撃事件が全国各地で頻発した。12月13日には、アンタルヤ市の小さな村でリンチ事件が発生した。この村の広場に結集した右翼排外主義者たちは、激しい投石などで労働者の小屋や住宅を破壊して回った。
 12月16日には、ムス市で右翼の商店主が、DTP非合法化に抗議するクルド人のデモ隊を銃撃し、2人を殺害し、6人に重軽傷を負わせた。
 イスタンブールでも、同日、同様の襲撃事件が起きた。右翼ファシストに金で雇われた3人のトルコ人がDTP非合法化に抗議するデモ隊を銃撃し、何人かに怪我を負わせた。この事件では、トルコ政府は逮捕された右翼を釈放する一方で、銃撃されて怪我をしたクルド人を、非合法デモへの参加と非合法組織への参加の容疑で逮捕するという暴挙に出ている。
 だが、クルド人たちはこのような国家権力と右翼勢力の襲撃を跳ね返して、ただちに「平和・民主主義党」を新たに結成した。民主的社会党の禁止後、4万5000人がこの新党に登録した。
 これに対して国家権力は新党への攻撃も開始した。新党結成から数日後に警察は新党に移籍した80人の党員をなんの理由もなく逮捕した。このなかにはこの政党の指導者と9人のクルド人市長が含まれていた。この作戦はクルド人地域にある11の都市で行われた。クルド人指導者の家の家宅捜索も相次いで行われた。
 ハッカリ市では数千人の住民が新党の結成を祝い、住民たちが新事務所前での集会のあとデモに出ると、警察はこのデモを催涙ガスや放水銃で攻撃した。住民たちは投石で反撃し、商店主たちは店のストライキを行った。政府の事務所や施設も弾圧に抗議する住民によって破壊された。

 ●爆発する抗議闘争

 このような弾圧はトルコ全土での抗議闘争を爆発させる引き金になった。
 12月29日、イグディール市では、市長が新党の党員となったことを歓迎した数百人の住民が市庁舎の前に集まった。集会後、住民たちは新党への最近の攻撃に抗議して路上でのすわり込み闘争に入った。住民たちは私服の警察官が情報活動を行っているのを発見して追い払い、制服警官による発砲を受けながらも最後まで抗議行動を闘いぬいた。
 トルコ東部の大きな都市であるバン市では、1万人のクルド人が新党の事務所から地方政府の建物に向かって抗議デモを行った。途中で座り込み闘争に入り、交通を10分間に渡ってストップさせた。他のクルド人の都市、バトマン市でも、1万5000人のクルド住民が政府による新党への攻撃に対して抗議するデモを行った。ここでもデモ隊は路上で座り込み闘争を行い交通を10分間に渡って遮断した。
 クルド人の都市であるアルダハンやエルズルム、エルシス、マラズギルト、カジズマンでは、大衆が参加する記者会見が行われた。4番目に大きなクルド人の都市であるアダナンでは、人権協会が、クルド人市民に対する襲撃に抗議して市内の公園で記者会見を開いた。すべての進歩的な団体や党がこの記者会見に参加した。
 大4節 ●労働組合のクルド人との連帯行動
 クルドの党の閉鎖に対し、DISKやKESKなどの労働組合が抗議行動に決起した。DISKに所属する公共労働者は、クルドの国会議員に対する攻撃や市長の逮捕などに抗議して4時間のストライキを行った。労働者たちは毎日8時から9時までの間ストライキを行うことを決定した。
 10年1月12日には、DISKやKESKなどの労働組合と人権団体の「民主主義プラットホーム」が、ファシスト勢力によるクルド人やシンチロマ(ジプシー)、トルコの少数民族であるアルメニア人などに対する排外主義的攻撃の激化に抗議する行動を行った。
 労働組合がこのような民族差別と排外主義的攻撃に抗議して闘い、トルコ人労働者とクルド人・少数民族の労働者の分断攻撃を許さない闘いに決起したことは画期的な意義をもつ。
 トルコに居住するクルド人は1500万人(トルコの全人口の4分の1)といわれるが、トルコの支配階級は、このクルド人への差別と抑圧をトルコの労働者階級の分断・支配のために利用してきた。また、08年8月に暴露されたように、トルコ軍の反ゲリラ特殊部隊は、70年代以降、労働運動や左翼に対して無数のテロルや破壊活動を行っただけでなく、無差別テロや爆破事件などを引き起こし、それを「クルド人テロリストの仕業」に見せかけて、トルコ人とクルド人の対立を激化させてきた。
 トルコ政府はこれまで、クルド人の民族としての自立性を否定するためにクルド人を「山岳トルコ人」と呼び、クルド語やクルドの文化・伝統の一切を否定し、クルド人の民族独立への欲求を踏みにじってきた。トルコ東南部に多く居住するクルド人が独立運動を開始すると、トルコ政府はクルドの独立運動を「国土の統一を破壊する分離主義者の運動」宣伝し、アメリカ帝国主義がベトナム侵略戦争の際に行った焦土作戦と同じ方法で無慈悲にクルド人を虐殺し、追放し、支配してきた。

 ●分断支配を打破する闘いの開始

 トルコの労働者は、長い間このような分断支配を打ち破り、クルド人労働者とともに、労働者を支配する資本家を打倒する闘いに決起することができなかった。
 だが、この間の民営化政策との闘いやTEKELの労働者の闘いのなかで、クルド人労働者がトルコ人労働者とともに資本家、政府と闘い、両者の利害が共通のものであることを双方が理解し始めたことは階級闘争の質を決定的に転換させた。体制内派指導部の制動を打ち破った資本家や政府との階級的激突のなかでこそ、労働者階級は真の敵が誰であり、団結すべき相手が誰であるかを見極めるのだ。
 とりわけ左翼的労働組合のイニシアチブの下に、トルコ人労働者がクルド人労働者の労働者としての権利や民族的権利を守る闘いに決起し始めたことは決定的である。階級的労働運動の発展と、その下でトルコ人労働者とクルド人労働者の団結を勝ち取る闘いの強化こそが、長期にわたるクルド人の差別・抑圧の歴史に終止符を打ち、クルド人の真の解放をかちとる唯一の道である。

 体制的危機に突入したトルコ 階級決戦に決起する労働者

 ●経済危機の深刻化

 今日、トルコ経済は深刻な危機に直面している。08年第4四半期の実質GDP成長率が前年比マイナス4・6%を記録した後、09年にはさらに悪化し、同マイナス5%を超えたといわれる。これは2001年以来のマイナス成長となる。内外需の急減、生産の大幅減速の結果、失業率も15%程度となった。対外債務も08年12月末に507億jであったものが、09年には1100億jに膨れ上がっている。
 トルコ経済が急激に悪化したのは、トルコが08年以降の金融危機の直撃を受けたからである。トルコ経済は従来から国内投資を海外資金に依存するという構造的問題を持っていた。資源が乏しく産業基盤も弱体なため、原材料輸入→加工→輸出という経済構造を持ったトルコ経済は、外資の導入によって支えられてきた。海外資金が順調に流入している限り、この経済構造は維持することができた。
 だが、08年以降の金融危機と世界的な信用収縮で外資の流入が停滞すると、トルコ経済は急激な景気減速局面に突入した。とりわけ、欧州系金融機関の危機は資金流入減少の決定的契機となった。これに加えて、大恐慌下で主要な輸出対象地域であるEU経済が一段と悪化し、従来低コストの労働力に依拠して一定水準を維持していたEU向け輸出が急速に落ち込んだ。トルコ経済は、世界金融危機と大恐慌の直撃を受けたのである。世界経済総体の金融危機、大恐慌からの回復による金融フローの回復がないかぎりトルコ経済は危機から脱却できない。だが当面そのような展望はない。
 こうしたなかで、トルコ政府は、一方で財政拡大による景気刺激と、政策金利の高め設定の維持で資金の導入を促進しようとしてきたが、財政危機の進行と、インフレの高進という現状では、このような政策を遂行することは不可能である。したがって切羽詰ったトルコ政府は、現在、資金面の支援をIMFにあおいで危機の乗り切りを図ることに全力を注いでいる。
 だがIMFはトルコ政府に対して、資金面での支援の条件として緊縮的な財政・金融政策を施行し、民営化を推進することを要求している。こうしてトルコ政府は、労働者階級に犠牲を集中する緊縮財政政策と民営化政策を全面的に推進し始めているのである。
 政府の民営化政策は、国鉄、教育、電信電話、航空産業、水道、タバコ・アルコールなどさまざまな分野に及ぶ全面的なものだ。これらは財政赤字の削減や効率化などを理由としているが、労働者の大量解雇、非正規化、労働条件の悪化、賃下げなど矛盾のすべてを労働者に転嫁して当面の経済危機を乗り切ろうとするものである。トルコでは国営企業の比重は非常に大きく、その民営化は他の国の場合と比較してきわめて大きな影響を労働者階級に及ぼす。
 政府のこうした経済政策は、労働者階級の激しい怒りを爆発させている。「労働者や貧困者の味方」をキャッチフレーズに登場した公正・発展党は、結局は資本家の利益を代弁する党であり、労働者階級への矛盾のしわ寄せで自分たちの危機を乗り切ろうとする支配階級の党であることを労働者は完全に理解した。
 しかも政府が民営化を暴力的に推進しようとしているのに対し、労働者階級は、80年軍事クーデター以来の巨大な階級的決起で反民営化闘争を開始している。いまや本格的な階級間の激突が不可避の情勢に入っている。 

 ●支配階級の分裂

 こうした情勢下で、支配階級内部においても激しい分裂が起きている。現在の政権党である公正・発展党はイスラム政治勢力として、世俗主義を国是とする軍部や人民共和党の支配を打ち破って200
0年代初頭に登場した。07年の総選挙では圧勝し、イスラム化政策を全面的に推進し始めている。現在では世俗主義勢力との当面の激突を回避するために中道色を押し出しているが、その最終目的はトルコのイスラム化である。
 公正・発展党は、富裕層・エリート層、軍部などの世俗主義を掲げる支配勢力が第二次世界大戦後、外資に依存した急速な工業化を推進するなかで、農業と農村が破壊され、都市化が進行し都市貧困層が急増したことを背景に勢力を拡大してきた。労働者や貧困層の不満を組織してこれまでの支配勢力と対抗することで勢力を拡大してきた。
 今日両者は、軍事クーデター策動や、軍部の陰謀や非合法活動の暴露などによって相互に激しく激突している。だが両者は基本的にはトルコの支配階級の二つの潮流を代表するものであり、労働者階級と根本的に対立する勢力だ。新自由主義政策を全面展開し、労働者階級を抑圧・搾取する点では何の相違もない。
 労働者階級は、当初、公正・発展党の貧困層にこびる政策や民主化政策などにひきつけられた。だが公正・発展党が経済危機のいっそうの進行のなかで、そこからの脱却のために民営化政策を全面展開し、労働者階級に対する全面的攻撃を仕掛けるなかで、この党への幻想を次第に打ち破りつつある。
 トルコの労働者階級にとっては、支配階級の分裂という情勢下で、全面的反撃の闘いを組織することによって、両支配勢力を同時に打倒する以外に生きる道はない。そしてそのような闘いは、TEKELの労働者の闘いを先頭にすでに開始されている。
 トルコの労働者階級にとって今日の最大の課題は、真の労働者階級の前衛党を創設することだ。階級情勢は完全に煮詰まっているが、真の前衛党なしには、労働者階級総体の闘いを旧支配体制の打倒へと組織していくことはできない。トルコの労働者階級との国際連帯の一層の強化によって、世界革命に向かう道を圧倒的に切り開く闘いに今こそ突進していこう。

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月刊『国際労働運動』(406号4-1)(2010/06/01)

翻訳資料

 ■翻訳資料 リッチモンド教組、裏切り執行部をリコール

 村上和幸訳

 【解説】

 ●3・4=歴史的転換点

 2010年3月4日、カリフォルニア州の保育園から大学まで、全教育機関のゼネスト、大デモが行われた。商業マスコミさえ、100万人が参加したと報道している。この根こそぎ的な決起によって、アメリカの階級的力関係は地滑り的な変動を開始した。
 オバマ政権の「教育改革」の反労働者性、反人民性への怒りが解き放たれ、オバマを支持する体制内勢力に対する怒りの決起が始ったことは特に大きな意味を持っている。労働者が自分たち自身の職場の団結の力に確信を持ち、二大政党制から独立した勢力として登場した。そして体制内勢力の裏切と闘い、労働組合権力を奪還する闘いが大前進を開始した。
 ここに紹介するリッチモンド教組のランク&ファイル闘争は、そうした大変動と一体で勝利したものだ。
 カリフォルニア教育闘争は、08年から急激にエスカレートした州の教育予算カットへの反撃として始まった。

 ●UTLAが先陣

 闘いの火ぶたを切ったのは、UTLA(ロサンゼルス統一教組)だった。まず、08年6月に教育予算カット反対の一時間ストに決起した。そして、09年1月、大量解雇提案に対して、UTLA西部地域を先頭にした職場でのテストボイコット闘争と街頭での1万人デモが組織された。そして、5月には、39人が逮捕される実力座り込み闘争に決起し、さらに2週間に及ぶ校門前ハンスト闘争が粘り強く闘われた。

 ●45年ぶりの大学闘争

  このUTLAの闘いが全教育労働者、学生に衝撃と自信を与え、9月24日には、カリフォルニア大学の全キャンパスで一斉ストライキ、集会、デモがかちとられた。特に、カリフォルニア州北部のバークレー校のストライキ集会は「45年ぶり」といわれる巨大な結集を実現した。11月には、南部のロサンゼルス校を軸にして、さらに巨大な実力闘争がかちとられた。
 10・24バークレー会議
 特に重要なことは、革命的左翼の拠点、バークレー校の運動が主導して、労働組合のストライキを学生が共にピケットを担うことで一体化し、学生運動と労働運動の間の分断を打破したことだ。さらには、従来は、まったく別々の組合に組織され、別々に運動していた大学と高校以下の運動を統合していったことだ。また、広大なカリフォルニア州で別々に動いてきた北部のサンフランシスコ湾岸地域と南部のロサンゼルスを中心とする地域が結合していったことだ。
 バークレー校の運動が呼びかけた10・24バークレー会議には、UTLAが最初から積極的に参加している。
 この10・24会議が、3・4の「全州教育ストライキ・1日行動」を呼びかけたのだ。

●体制内労働運動の流入

 このように、元々、10・24会議は革命的、戦闘的なヘゲモニーでかちとられたものだった。だが、圧倒的な大衆的高揚を前にして、これに体制内労働運動指導部が次々に参加してきた。
 CTA(カリフォルニア教育協会)、CFT(カリフォルニア教員連盟)を始めとして、主だった体制内労働運動指導部が、軒並み参加し、そして傘下の労働組合を3・4に動員していったのだ。
 民営化を推進するCTA
 しかし、CTA指導部などが10・24会議→3・4教育ゼネストに参加したのは、CTA指導部などが左傾化したということではまったくない。それに参加しなければ、現場の組合員に打倒されてしまうという恐怖から参加したにすぎない。
 3・4教育ゼネストの核心は教育の民営化反対だが、CTAは、むしろ教育の民営化を今でも推進しているのだ。
 CTAは、高校以下の教育の民営化の軸になっているチャータースクール(公設民営校)の導入の推進を公言している(翻訳資料B)。現実にチャータースクール化が、学校丸ごとの教育労働者の首切り、総入れ替え、教組破壊攻撃として行われていることにまったく触れず、あたかも労働者と教育委員会が対等に参加して、「革新的教育方法」「新たなチャンス」を提供するものであるかのように言っている。

 ●多数派に飛躍し、労組権力の奪取へ

 このCTAと学区当局、リッチモンド教組執行部が結託し、大恐慌・州財政危機を理由にして教育予算カット、チャータースクール大量導入の攻撃をしかけてきた。
 だが、ごく少数から出発したランク&ファイルの戦闘的組合員は、大恐慌・財政危機の犠牲を労働者が引き受けることに断固として反対を貫いた。巨大銀行が救済を受け、経営者が莫大なボーナスを得ている時に、なぜ労働者が減給しなければならないんだ! 巨額の戦費に比べてほんの少額の教育費を削減して何の意味があるんだ! そして執行部の裏切りを跳ね返して独自の反撃を開始した。
 09年8月には、スト権投票で93%の組合員のスト賛成票を組織した。職場の労働者の切実な要求に根ざして団結を組織するならば、体制に真っ向から反対して圧倒的多数が組織できるのだ。
 執行部は、スト指令を出さなかったが、組合員の戦闘性を恐れた学区当局は、隣町のオークランド市のホテルにスト破り要員を集め、そこで訓練を開始した。10月3日には、戦闘的組合員は、ホテル前にピケットを張り徹底的にスト破り訓練を弾劾した。
 こうした中で、執行部は11月、賃下げ、医療給付のカット、さらにはチャータースクールの大量導入まで行うために裏切的な労働協約を締結した。そして、協約批准投票の結果をごまかし、11月9日には、それを追及した組合員に対しては警察を呼んでけしかけた。だが、それを跳ね返して、11月には再集票を行わせ、その結果、労働協約否決の逆転勝利をかちとった。しかし、執行部はさらに卑劣な不正投票を行い、12月に超裏切的な労働協約の「批准投票可決」を強行してしまう(A)。
 この凶暴な攻撃に対して闘い続けたランク&ファイルの闘う教育労働者の集団が、この4月についに組合権力の奪取に成功したのだ(@)。その闘いの組織化のために、09年1月には遠くロサンゼルスからUTLA西部地域議長のセシリー・マイアトスクルさんが駆けつけ、そして共に、3・4を全力で闘った。全州的な規模でのランク&ファイルの団結で勝利したといえる。また、マイアトクルスさんは、09年日比谷の11月集会を共に担っている。国際的に団結した労働者こそが、体制内勢力に勝利し、民営化・労組破壊との闘いを切り開いているのだ。
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@ウエスト・コントラコスタ郡の教組、委員長をリコール
 コントラコスタタイムズ 2010年4月5日

 ウエスト・コントラコスタ郡のリッチモンドの教員組合のピクシー・ヘイワード・シッケリ委員長は、リコールされたため、任期を満了することができなくなった。
 リコールを推進した組合員の一人、ルーシー・ジュストは、「教師の声がようやく届いた。これがわれわれの声だ」と述べた。
 リコールは、54%の組合員の賛成で成立した。そして委員長選挙では、ダイアン・ブラウンが2期目を狙うヘイワード・シッケリを破って当選した。ブラウンが正式に委員長に就任する7月1日までの間、現副委員長のテリ・ジャクソンが、リッチモンド教組委員長の職を引き継ぐことになった。
 ヘイワード・シッケリは、コメントを求める電話に応答しなかった。
 ヘイワード・シッケリのリコール運動が始まったのは、学区当局との間の労働協約案が組合員批准投票で僅差で可決された後のことだった。一部の組合員は、その投票の集計に不正があったと主張した。数日後の再集計で、結果が逆転し、協約案は否決された。
 12月に行われた2回目の労働協約合意も、一部の組合員によれば、討論の機会がほとんどないままに強行されたのだという。
 また、ヘイワード・シッケリ執行部の組合員に対する態度について、情報を与えず、討論を圧殺するやり方だと不満を述べている。
 ジュストによれば、「彼女は、組合員が望んでいることではなくて、自分がやりたいことをやっている」。
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A「公教育の破壊へと歩を進めるために、教師は十字架にかけられた」

 カリフォルニア州リッチモンドの教員組合、譲歩協約を強行

 ジョー・キッショア 09年12月19日(ワールド・ソーシャリスト・ウェブサイト)
 12月14日、カリフォルニア州ウエスト・コントラコスタ統一学区(WCCUSD)のリッチモンド教組の教師たちは協約を僅差で妥結した。協約は、賃金据え置きやクラス定員数の増加、健康保険の大幅カットなどを認めるものであった。
 ウエスト・コントラコスタ統一学区に所属するのは、カリフォルニアのサンフランシスコ沿岸の数都市、リッチモンド、ヘラクレス、ピノール、エルセリト、サンパブロ、それにエルソブランテやケンジントンの一部地域である。学区側は、1600万jほどの赤字を解消するためとして強硬に譲歩を迫ったのである。
 教師たちは無協約のまま仕事を続けて18カ月間討議を重ねた。そのあげく、423対415という僅差で新協約が可決された。この票差は、投開票に不正があって出た結果である。譲歩への反対は根強いものであった。その協約は、教師のみならず生徒にとっても痛みを伴うものであるからだ。
 8月に教師は圧倒的多数でストライキを行うことを決めたが、組合――カリフォルニア教員協会(CTA)傘下のリッチモンド教員組合(UTR)――は一度も実施しなかった。11月には、教師は同様の協約を701対671で否決している。その「ノー」という否決票も、教師が集計し直すよう要求して組合がそれに応じ、ようやく明らかにされたのであった。
 そのわずか1カ月後、UTRの指導部は合意に達した新しい協約を持ち帰って、極端に短い周知期間しか置かずに投票させたのである。この協約が通ったのには、教師の投票率が著しく落ちたことが一因に挙げられる。賛成票は423票で、組合員の4分の1にも満たない。
 教師にとって最も痛手となる削減は、現役教師と退職者に全額支払われてきた医療給付の廃止である。2010年7月以前に退職する教師には医療給付金が全額支払われる。この規定は、経験豊かで給与の高い教師を追い出し、低賃金で保障も少ない若い教師を学区が雇えるようにしようとしているのである。
 雇用者側が支給する医療給付に制限を設け、新採用者と2010年度までに退職しない教師は自費で出費を余儀なくさせられる。これは、今後さらなる削減を行うための第一歩となる。若い教師たちにとってはまた、相当の過重労働が待ち受けているのである。
 クラスの定員数が拡大され、6年生から12年生までのほとんどの主要教科で「クラスの最大定員数」が38人となる。低学年でも同様に最大クラス定員数が増やされる。幼稚園から3年生までは31人(現在は20人)となり、4年生と5年生は33人となる。こうしたクラス定員数は、一人ひとりの生徒に対して十分気配りし指導するにはあまりに多い人数である。
 協約はまた、年間5日間の給与支払い日数を減らしたうえに、賃金は凍結するというもので、2・5%の賃金カットである。
 全国的に労働者に降りかかっていることだが、カリフォルニア州の財界も政界も経済危機を賃下げの機会に利用しており、メディアがそれをバックアップしているのである。
 オークランド・トリビューン紙は、社説でこの協約を支持し、「学区にとって幸いなことに、こうした削減がなされるのが多くの教師が(全国的なレイオフ状況で)仕事を求めている時期と合致していることである。その結果、賃金や社会保障が削減されても、学区当局は新しい人材を採用できる機会を得るであろう」と明言している。
 リッチモンドの小学校の保育教師であるスティーブ・グリーブスは、この協約は「紛れもなくわれわれの生徒の権利を侵すものです。クラス定員数を最大平均で38人にするということは、平均で38人という限りにおいて、一つのクラスには60人詰め込み、もう一方のクラスは16人にするということが可能なのです」と語った。
 「こうした大人数のクラス定員というのは、教育が共同学習のための学業の場というよりは行動管理の場になってしまうということです」
 「私たちは医療給付をきちんと得るために、国内のほかの多くの教師よりも少ないサラリーで良しとしてきたのです。組合指導部は私たちをだまし、こうした伝統を裏切ったのです」と、グリーブスは付け加えた。
 「公教育の破壊へと歩を進めるために、教師は十字架にかけられたのです」と、リッチモンドのシェルドン小学校6年担任の教師、エドアルド・マルチネスは述べた。
 ほかの多くの学区と同じように、リッチモンド地域の学校も何年間も資金不足が続いてきた。マルチネスは、「企業に課税するのを嫌った政府が財政問題を長引かせてきたのであり、そのために私たちへ供給される物がどんどん少なくなっていきました。画用紙はほとんど支給されませんし、紙細工に用いる色紙はまったくありません。私の教室には鉛筆削りがないんです。つまり、生徒たちは各自が持ってくる紙や鉛筆を使うのです。持っていない生徒は、ほかの生徒から借りるのです」と語った。
 グリーブスは、UTR指導部のやったことに多くの教師たちが反感を覚えていると言った。「UTR指導部は、学区当局と合意に達したこの協約を土曜日の午後(投票の2日前)まで誰にも知られないようにしておいて、銃で脅すようなやり方で妥結にもっていったのです。協約の可否投票があることを知らなかったり、投票日直前の通告で予定を変更できなかったりで、たくさんの人たちが投票できませんでした」
 投票のやり方に不正な行為があったと、多くの教師たちが不満を述べている。直前の投票通告ということだけではなく、投票場所が遠隔地であった。それに、身分証明書を提示して投票を求められもしなかったので、何度も投票が可能であったと懸念を口にする教師たちもいた。突然の投票実施であったにもかかわらず、UTRは投票の再集計を拒否したのである。
 投票の詳細はどうであろうと、UTRとCTAは、学区がこれ以外はないとした路線を完全に受け入れ、協約を妥結させようと決めていたのである。
 UTRの委員長ピックシー・シッケリは、「経済状況と学区の状況が厳しい折の交渉会議であり、非常に難しかった」と、投票終了後に語った。教育委員会の女性スポークスマンは、「われわれが望んだような協約にはなりませんでした。ただ、こうした情勢下でかちとれた最良のものではあります」と言明した。
 はっきり言えば、この「情勢」は民主党と共和党が推し進めてきた国と連邦政府レベルの政策の産物であって、現在はオバマ政権が舵を取っているのである。UTRとCTAのこの裏切り行為は、根本的に政治の問題である。彼らが、民主党に従属しているということと密接な関係があるのだ。その民主党が州議会を動かしているのである。
 夏に民主党は、K―12〔注〕の教育費から60億j削減するという合意を共和党のアーノルド・シュワルツネッガー知事と交わしており、それが今回の州全体の学区でこうしたひどい削減になったのである。
〔注 K―12 幼稚園から高校3年まで〕
 両党は、経済危機を理由に金持ちや企業の税金を上げることは一切しなかった。WCCUSDの1600万jの財政赤字は、カリフォルニアで一番の大金持ちローレンス・エリソンの純資産(フォーブスによれば270億j)の千分の1にも満たない額である。エリソンは、サンフランシスコ沿岸のウッドサイドに2億jの大邸宅を所有している。
 教師の給与や給付金を維持していく「金がない」という主張に対して、中学教師であるマルチネスはこう述べた。「世界最大規模の経済を誇る国で、こんな言い草は陳腐です。学区内には(石油巨大企業の)シェブロンがあり、この企業は莫大な利益を得ているのに、とんでもないことです。お金がないというのは、政府に力がなくてその役割を果たせないのか、それとも企業と結託して公教育を破壊しようとしているのか。私は後者のほうだと思っています。教育政策のほとんどはビジネスラウンドテーブル〔BRT―日本経団連に相当する財界団体〕の指針に沿って立てられており、州政府の教育政策は公教育を破壊する方向へと舵を取り続けているからです」
 たしかに、公教育に対する攻撃は今やオバマ政権が率先して行っている。オバマ政権は、チャータースクールや教師の成積給、テストを増やすなどといった右翼的な対策を促進している。ミーガーの景気刺激対策費は、政府の「レース・トゥ・ザ・トップ」と呼ばれる教育改革プログラムのこうした対策を導入することとタイアップしているのである。
 オバマ政権は何兆jも銀行に投入しておいて、財政赤字に直面している州には財政援助を拒んでいる。政府は今年の春と夏のカリフォルニアの財政危機をモデルケースとして見ているのであり、ティモシー・ガイトナー財務長官は、財政危機にある州に大幅な資金援助はせずに「州の信用度を回復する改革を導入する」と言明した。
 この政策が今、単にカリフォルニアだけでなく他の州でも行われているのである。教育費の削減が実施されたのは、ミシガンで5億4000万j、インディアナで3億j、サウスカロライナで1億1500万j、メリーランドの中の1学区で1億1000万ドル、オークランドで4300万ドル……と、リストは続いていく。
 今年度の50州全体での財政赤字は1800億jに達する。巨額ではあるが、銀行に投入された額や下院議員を通過したばかりの軍事費6360億jに比べれば見劣りのする額である。
 カリフォルニアが見舞われた経済危機はことに厳しいものであるが、こうした経済危機は、社会福祉や教育への資金を大幅に削減し、労働者全体の賃金を減らす好機として利用されている。
 カリフォルニア州では来年度は200億jの財源不足が予測されており、さらなる削減が行われるであろう。一方で、オバマ政権は2010年を「財政責任」の年としており、国内における社会保障や社会事業の一層の削減が最優先で断行されることになる。
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Bチャータースクール

 CTA(カリフォルニア教育協会のホームページより)

 チャータースクールの目的は、異なる教育方法、革新的教育方法の採用を促すことによって、教師にプロフェッショナルとしての新たなチャンスを提供し、生徒の学習を改善するものである。チャータースクールの概念は、内在的に、意味のある教育改革は、現場レベルで推進され、すべての「利害関係者」――教師や他の学校職員、教育委員会委員、他の被選挙公務員、保護者や他の地域住民――の参加の下でなされねばならないというものである。
 CTAは、チャータースクールがカリフォルニアの教育システムにおいて生徒、保護者、教師に、公立学校の環境内で教育機会を提供する役割を有していると考えている。
 すべてのチャータースクール職員は、生徒への質の高い教育を確保するため、また、学校職員への専門職としての権利を確保するために、組織化されねばならない。チャータースクールの教員は、他の公立学校の教員に求められるものと同等の教員資格ないしは他の免許、証明書を有さねばならない。
 チャータースクールは、州が求めるすべての説明責任、テスト基準を満たさねばならない。すべての記録は、諸学区の学校と同様に公表されねばならない。すべての公開会議・公文書法がチャータースクールに適用されねばならない。
 チャータースクールの設立許可は、学区当局が、管轄学区内の学校に対してのみ与えることができるものとする。サテライト学校、分校等は、別個のチャータースクールとして承認され、州全体のチャータースクール数の数の制限の対象とする。
 いかなるチャータースクールも、生徒を人種、言語、皮膚の色、民族的出自、宗教、性的志向、障害、婚姻的地位、経済的地位によって差別してはならない。
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Cリッチモンドの戦闘的教育労働者の立候補綱領(抄訳)

 (今回、リッチモンド教組の執行部を奪取した「プログレッシブティーチャーズ派の一候補者の公約)

 カリフォルニアの公教育は破壊に直面している。州財政危機は、多くの学区の財政的破滅をもたらしている。私は、3月4日の「公教育を守るためのストライキと一日行動」を支持する。オークランド教組、UTLA、カリフォルニア州立大学教員労組、カリフォルニア教員連盟は、この行動に賛同している。この日の大ストライキ、集会、ボイコット闘争は、この危機を公衆に認知させるとともに、財政危機、解雇、公教育破壊に対するわれわれの闘いの歴史的な転換点になるであろう。私は、次のことを提案する。
1、学校への財政支出
 財政支出の公平が必要だ。豊かな学区の学校は非常に豊かで、貧しい地域の学校は貧しい。
 刑務所と刑務所産業への財政支出の拡大に反対する。
2、民営化とリストラ
 民営化と学校の「リストラ」を終わらせる必要がある。私はオバマの教育長官ダンカンに反対する。彼は、学校を私的機関に譲り渡し、チャータースクールを運営させようとしている。
 ここで 1月12日に行われた、UTR(リッチモンド教組)、UTLA、OEA(オークランド教組)の教師たちによる「公教育を守る。民営化の教訓と譲歩協約の次のステップ」と題する討論会のビデオを見て欲しい(http://blip.tv/file/3089609)。UTRからはダイアン・ブラウン、OEAからはバルダストン元執行委員、UTLAからは西部地域議長マイアトクルスが参加していた。  ここで 1月12日に行われた、UTR(リッチモンド教組)、UTLA、OEA(オークランド教組)の教師たちによる「公教育を守る。民営化の教訓と譲歩協約の次のステップ」と題する討論会のビデオを見て欲しい(http://blip.tv/file/3089609)。UTRからはダイアン・ブラウン、OEAからはバルダストン元執行委員、UTLAからは西部地域議長マイアトクルスが参加していた。
3.健康と安全
4.標準テストとバイリンガ ル教育
 私は標準テストの使用に反対する。標準テストは、テストづけ教育にし、若者の未来を準備する批判精神を養わない。
 われわれは、すべての学校でバイリンガル教育〔注〕が必要である。
〔注 バイリンガル教育 特に移民労働者の子どもに、強制的に英語でのみ教育することに反対し、母語での教育と英語での教育を共に保障すること〕
5.政治家による学校の乗っ取り
 軍による学校での募兵
 イラク、アフガニスタンで使うための生徒の募兵を学校で行うことに反対する。若い生徒、特に労働者階級や貧しいラティノ、黒人の生徒が募兵のターゲットにされている。数千億jの戦費は、国内での教育費に対する脅威であり、侮辱である。
6.学校の商業化と費用集め
 学校の商業化に反対する。企業が製品を学校に押し付け、不健康な脂ぎった食品を売ったりし、それによって学校の費用を寄付させるという仕組みに反対する。全米でもっとも豊かなカリフォルニア州が、生徒に企業のセールスをさせ、それで学校の費用をまかなっている。

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月刊『国際労働運動』(406号5-1)(2010/06/01)

■Photo News

■Photo News

●フランスで反サルコジのストライキ

 【写真@ フランス西部のレンヌでのデモ】
 【写真A フランス南部のマルセイユでのデモ】
 3月23日、フランスでは公務員労働者の全国一斉の「反サルコジ」ストライキと街頭デモが行われた。労働者・学生ら約100万人が職場・学園でストに突入し、177カ所でデモを行った。ついにサルコジ政権の反動攻勢に対する反撃が始まった。スト参加者は、国鉄で28.3%、小学校で52%、中高等学校で40%となった。電気、ガス労働者や農民、失業者、学生や外国人労働者も闘いに加わった。デモはパリでは6万人、ボルドーで2万人、マルセイユで5万人、ナントで2万5千人、ルマンで3万人が参加した。
 【写真B、C ストで電車が止まったパリの駅】
 3月23日の100万人全国スト・デモに続いて、フランス国鉄労働者が4月6日から8日まで全国ストに突入した。サルコジ政権が強行する激しい人員削減・民営化攻撃に抵抗する今年3度目の怒りのストライキだ。このストで高速鉄道TGVの3分の1、全国の在来線の約半分が運休に追い込まれ、フランス国鉄に1日2000万ユーロの大打撃を与えた。フランス労働者階級は、この二つの闘いをもって、サルコジ政権に対する激烈な反撃の闘いに突入した。

●イタリアでも100万人のストライキ

 【写真DE ストに決起し、デモにたつローマの労働者】
 3月12日、イタリアでも極右・ベルルスコーニ政権の経済政策に反対して100万人のストライキがたたきつけられた。イタリア最大のナショナルセンターCGIL(イタリア労働総同盟)が呼びかけ、学校や病院などで8時間、交通機関では4時間のストライキに決起した。首都・ローマでは数十万人のデモが行われた。

●イギリスでBA客室乗務員の第2波スト

【写真F 組合旗を持ってデモする客室乗務員(3月29日 ヒースロー空港】
【写真G ヒースロー空港でピケをはる客室乗務員】
 英最大の航空会社ブリティッシュ・エアウエイズ(BA)の客室乗務員労組は、3月20〜22日に決行した第1波ストに続き、3月27〜30日、第2波ストを断固として貫徹した。1万2000人の労働者がストに突入し、イギリス最大のハブ空港ロンドン・ヒースロー空港で41%の運行をストップさせた。このストは、客室乗務員の1000人解雇を含む人員削減、2年間の賃金凍結計画、労組つぶしに対する大反撃の闘いとなった。他の部門の労働者も連帯のストを打ち、ピケットラインに立ち、空港労働者同士の団結を打ち固めた。体制内指導部の制動を打ち破った闘いとしても、このストは画期的なストとなった。

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月刊『国際労働運動』(406号6-1)(2010/06/01)

世界経済の焦点

 ■世界経済の焦点 中国危機の震源 バブルと民工荒

 中国労働者の闘いはスターリン主義打倒へ発展する

 中国スターリン主義は「改革・開放路線」のもとで、外国資本の野放図な導入と「安価な労働力」の酷使によって驚異的とも言われる経済成長を続けてきた。今日の大恐慌到来によって米経済が致命的なダメージを受けたことに比して、中国は08年秋の4兆元(53兆円)というとてつもない額の追加財政による景気刺激策で危機を乗り切ったかのようにも言われている。だが現実には帝国主義の危機と連動して中国の経済的危機は根底的に深まり、労働者階級人民の怒りを解き放とうとしている。中国経済の矛盾の焦点として、ここでは不動産バブルと農民工の問題について考察する。

 □超巨額追加財政による重工業偏重の投資増加

 「最大の貿易輸出相手国である米国の金融恐慌の影響が全世界に波及した時、中国も当然大きな打撃を受け、輸出は十数パーセント減少した。だが金融危機は起こらず投資と消費は健在だった。その背後には公共投資を中心とするインフラ投資があった。4兆元という巨額の追加財政をすみやかに決断した対応力が、致命的な危機を回避した」――以上のような説明が流布されている。
 「民主主義的な手続き」が不必要であることが中国の強みであるかのようにさえ言われた。
 だが、その巨額の財政的テコ入れが中国スターリン主義の危機を内部から進行させていることが明らかになってきた。たしかに4兆元という額の投入は、他に比類のない規模である。さらにこの時中央政府の指示で金融が緩和され、銀行の人民元新規貸し出し増加額は9・6兆元(126兆円)と、建国以来最高に達した。投資・融資の大部分は大手国有企業に向けられ、鉄道・道路・飛行場などのインフラ建設に流れた。最大の恩恵を受けたのが、基幹産業を支配する国有企業と地方政府であった。
 09年第1四半期の設備投資の増加率は43%(価格上昇分を差し引くと実際は33%)という急激なものだ。だがその内実はというと、各地方政府の指導部が重化学工業発展への指向をむき出しにしたために均衡と合理性を欠き、製造業への投資増加が76%、そのうち鉄鋼への投資が107%、コンクリート産業への投資が101%、第1次産業への投資はわずか0・4%という極端に偏ったものだった。
 このような重工業偏重は関連物資の価格高騰や石炭、石油などのエネルギー資源の不足をもたらし、一般の消費とまったくかみ合わない経済のゆがみとなっている。「“重複する固定資産投資”は中国国有企業の名物」とやゆされているほどである。「計画経済」から程遠い中国経済の現実を表すことばだ。

 □国有企業の不動産投機でバブルは崩壊寸前

 大盤振る舞いの財政と金融緩和は設備投資の増加を促進するとともに、大手国有企業に不動産市場での投機資金を与え、不動産価格の高騰をもたらし、不動産バブルを促進している。豊富な資金を手にした国有企業が地上げ、投機にのめりこんでいるのだ。
 国有企業は傘下の「財務公司」(ファイナンス・カンパニー)というノンバンク金融機関を持っている。国有銀行から融資された資金が、この財務公司を経由して不動産市場に流れる。これは日本の不動産バブルで名を馳せた住専(住宅金融専門会社)にあたるものと言える。
 これによって住宅建築ブームに火がつけられた。ここで言う住宅建築とはもちろん庶民の家とは無関係である。現在の中国では住宅購入者のうち8割が投資目的、2割が居住目的と言われている。中国の各地方で、多目的高層ビル、大邸宅、高級マンションなどが次々と建てられているが、人影はまばらで賃貸にも出されず空室のままにされているものが多い。もっぱら投機が目的だからである。実際に今年1〜2月の都市部不動産価格の上昇率は、前年同月比10%前後を保っている。
 政府系のシンクタンクである中国社会科学院は09年12月に発表した経済青書で、「中国の不動産価格はすでに合理的な域を超えており、中国の85%の家庭は住宅を買う能力がない」と指摘した。
 言うまでもないが、不動産価格が永久に高騰し続けることなどありえない。中央政府は不動産取引の規制に乗り出しているが、事態はすでにバブル破裂がいつ訪れるかという段階だ。
 人間生活にとって不可欠の条件である住宅が、かたや富裕層によって投機、地上げ目的で次々と建てられ、かたや農民工にとっては年収の20倍を超える価格でとても手が届かない。――このような社会的ゆがみ、人間生活の疎外が今日一層深まっている。そして不動産投機にのめり込むことによって、地方政府の財政状況は著しく悪化している。バブルの破裂によってそうした矛盾が一挙に露呈しようとしているのだ。

 □低賃金と長時間労働を強いられてきた農民工

 これまでの中国経済の発展は、「農民工」と呼ばれる都市に出稼ぎに出た農村出身の膨大な労働者の存在によって支えられてきたと言っても過言ではない。中国国家統計局の発表によれば09年の農民工の総数は2億3千万人である。農民工は河南、河北、安徽、山東、四川の5省の出身者がほとんどで、これらの人びとが東部沿海部の都市などに出稼ぎに出てくる。その2割が家族ぐるみの移動である。
 中国では戸籍が農村と都市で完全に分割されており、農民工は農村に戸籍を置いたまま都市に出てきて、低賃金と劣悪な労働環境を強制され、労働法令の保護も十分なされず、市民権や社会保障も十分に与えられない存在としてあった。農民工の子どもたちは都市に居住していても地元の学校に行くことができない。まさにこの低賃金長時間労働によって、中国製品の輸出競争力が保たれてきたのである。(農村と都市とでは、人口比で全人代への代表を送る定数の格差があらかじめ4対1と法律で定められていたが、本年の全人代で同じ比率に改定された。)
 農民工の始まりは、80年代後半にさかのぼる。このころ農村戸籍の出稼ぎ労働者がより高い賃金を求めて都市へ移動・定住するようになった。中国政府はこれを「盲流」と呼んで抑制政策を採った。だが92年にケ小平の南巡講話があり、93年に「社会主義市場経済」が推奨され改革・開放路線を突き進んでいく中で、農民工は重宝されるようになっていった。まさに無尽蔵で使い捨ての低賃金労働力として、企業は徹底的に農民工をこき使ってきた。しかしそうした構造を崩壊に向かわせる転換になったのもこのたびの世界金融恐慌、世界大恐慌情勢であった。
 輸出産業の軒並みの大ダメージによって、農民工たちは今まで自分が働いていた工場・職場が突如として倒産し閉鎖される、あるいは新たな就職口を失うという事態に直面させられた。09年2月の春節(旧正月)ごろには250
0万人の農民工がリストラされ再就職できない失業者になってしまった。もう故郷に帰るしかない、という状況に追い込まれてしまったのだ。

 □民工荒(農民工不足)は中国労働者反乱の予兆

 09年4月ころから農民工不足――いわゆる「民工荒」が顕在化し始めた(荒は欠乏の意)。2010年は春節で故郷に帰りそのまま都市に戻ってこない農民工の動向が一層顕著で、現在では広東省の珠江デルタ地帯で200万人、東莞市では100万人、深市では40万人の労働力が不足していると言われる。
 労働力不足が特に深刻になっている職場は、賃金待遇や労働環境が劣悪な労働集約型企業に顕著である。賃金は月に600元から700元、毎日10〜12時間の長時間労働を強いられ、経営者が労働者の逃亡を恐れて身分証を預かったり給与2カ月分を差し押さえるといった悪徳な収奪を行っていた資本が真っ先に窮地に陥っている。産業としては製靴、玩具製造、電子部品、服装加工、プラスチック製造加工などで著しい。この事態に際し、各地方、各都市では労働者の最低賃金を引き上げる動きが相次いでいる。広東省政府は5月から21%引き上げて月額1030元(1万3990円)に、浙江省では4月1日から14%引き上げて1100元(1万4300円)に等々。
 中国共産党は「和諧社会」をしきりと強調し、農民工の待遇改善や農村の発展への努力をたびたびアピールしている。
 だが農村と都市との差別的分断を固定化しつづけ、農民工を極端な低賃金の労働者として徹底的に利用することで経済を拡大してきた、その恩恵にあずかってきたのはほかならぬ中国スターリン主義ではないか。
 われわれは「民工荒」を客観的に解釈し論じているわけにはいかない。たしかに大規模なインフラ整備などを進める内陸部での労働への需要の高まりも、沿海部の都市の労働力不足を生じさせる一因である。だが労働者は単に景気の波に翻弄され押し流されている存在ではない。
 ここには生身の身体を持つ血のかよった労働者たちの生きんがための闘いがある。長きにわたって劣悪な条件で過酷な労働を強いられてきた労働者たちが、ストライキや争議をつうじて基本的権利を奪い返し、階級として自己を形成していく過程が進んでいるのである。民工荒は中国労働者の反乱の予兆である。それはやがて中国スターリン主義体制を打倒する闘いへと発展せざるをえない。

 □日中国際連帯を進めスタ打倒の第2革命へ

 中国地方紙など13紙が3月1日付で共同社説を掲載し、「戸籍改革のタイムスケジュールを打ち出すべきだ」と主張した。これは現在の農村と都市とで分断された戸籍制度を見直し、統一戸籍実現へ向けて、中国共産党中央指導部の支持をある程度当てこんでの動きであった。だが3日夜にはインターネット主要ニュースサイトに「戸籍問題に関する社説、記事、論評の転載を一切禁ず」という通達が来た。そして複数の掲載紙の編集責任者に警告処分が下され、後にそのうちの一人が解任されたと言われる。
 農村と都市の分断的統治が破られれば支配体制の動揺と崩壊につながることを、スターリン主義は反革命的に予感したのである。中央と地方のスターリン主義的官僚組織による支配体制のもとで、資本主義と見まがうばかりの投資と商品経済をはびこらせることで、中国はまさに前例のない社会を運営してきた。それは生成期の資本主義における暴力的収奪とスターリン主義的官僚統制・支配とがかけ合わされたような激烈な矛盾を絶えず露呈しながら、高い経済成長を至上命題とし続けてきた。
 帝国主義世界経済は、中国という異質な体制を自らのうちに組み込みながら最後の延命の道を探っている。中国労働者の低賃金は、全世界的な新自由主義攻撃(徹底的な労働者の賃金削減)に利用されてきた。だが、そうした経済拡大の条件が失われていく中で、世界経済全体が中国を起点に一段と危機を深めている。
 求められていることは日中労働者階級の連帯と共同の闘いである。世界の労働者はまさに一つの軍勢となって日本革命、スターリン主義を打倒する中国第2革命、世界革命へと前進しなければならない。
 (田宮龍一)

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月刊『国際労働運動』(406号7-1)(2010/06/01)

世界の労働組合

 ■世界の労働組合 全米農業労働者組合

(United Farm Workers of America:UFWA)

(United Farm Workers of America:UFWA)

 ■概要

 UFWAは、2つの農業労働者の組織、農業労働者組織委員会(Agricultural Workers Organizing Committee : AWOC)と全国農業労働者協会(National Farm Workers Association : NFWA)が結合した農業労働者の連合体として1962年に設立された。創設者は、移民の劣悪な農業労働を改善しようとその生涯をかけて闘ったセサール・チャベスと、今でも80歳という年齢で労働運動の先頭に立っている女性闘士ドロレス・ウェルタである。  UFWAは、2つの農業労働者の組織、農業労働者組織委員会(Agricultural Workers Organizing Committee : AWOC)と全国農業労働者協会(National Farm Workers Association : NFWA)が結合した農業労働者の連合体として1962年に設立された。創設者は、移民の劣悪な農業労働を改善しようとその生涯をかけて闘ったセサール・チャベスと、今でも80歳という年齢で労働運動の先頭に立っている女性闘士ドロレス・ウェルタである。
 UFWAは当初、貧しい移民農業労働者の失業保険などをかちとるための人権組織として発足したが、1965年にフィリピン系の移民労働者がほとんどであったAWOCがカリフォルニア州デラノの葡萄農園でストライキに起ち、それをセサール・チャベスが率いるNFWAが支持し支援活動を行ったことで、急速に労働組合として成長していった。現在の組合員数は、約2万2000人である。AFL−CIO傘下であったが、2005年にチームスターズなどと共に脱退してチェンジ・トゥ・ウイン連盟(Change to Win Federation)を設立した。  UFWAは当初、貧しい移民農業労働者の失業保険などをかちとるための人権組織として発足したが、1965年にフィリピン系の移民労働者がほとんどであったAWOCがカリフォルニア州デラノの葡萄農園でストライキに起ち、それをセサール・チャベスが率いるNFWAが支持し支援活動を行ったことで、急速に労働組合として成長していった。現在の組合員数は、約2万2000人である。AFL−CIO傘下であったが、2005年にチームスターズなどと共に脱退してチェンジ・トゥ・ウイン連盟(Change to Win Federation)を設立した。

 ■季節農業労働者の悲惨な生活

 1930年の大恐慌の頃に、職を失った労働者たちがアーカンサスやオクラホマからカリフォルニアの大農園に職を求めて家族と共にやってくるようになり、続いて1940年代にはメキシコやフィリッピンからの移民がこれに加わっていった。こうした農業労働者たちは、作物の収穫に合わせて農園から農園へと南から北へ職を求めて移動しなければならず、低賃金で何の社会保障もない、暑さと埃まみれの劣悪な労働環境の下で働かされていた。定住できずに家族と共に農園を転々とし、与えられる住居はブリキの掘っ立て小屋でトイレや水道の設備もないみすぼらしい生活である。農薬の使用が増えていく一方で労働者に対する保護は一切行われず、素手で作物を収穫させられていた。
 セサール・チャベスは15歳の頃から家族と共に農園から農園へと渡り歩いて棉摘みの労働に従事してきた。彼は、メキシコ系やほかのラティーノの移民たちの市民権の獲得や生活向上をかちとるための運動に関わりながら、農園の季節労働に就く者たちの労働組合をつくって労働者としての権利を獲得することをひたすら目指してきたのである。

 ■歴史に刻まれる農業労働者の労働争議―デラノ・ストライキ

 1965年9月8日、カリフォルニア州デラノ(ロスアンジェルの北西にある小都市)の葡萄園でフィリピン系労働者が待遇改善を求めてストライキを敢行した。半年後の1966年、セザール・チャベスを中心としたNFWAはこのストライキを支持し、デラノから州都であるサクラメントまでの340マイルに及ぶ葡萄園労働者の大行進を実行し、カリフォルニア全域のヒスパニック系葡萄園労働者のストライキを実現した。
 NFWAは葡萄園労働者のストライキをサポートするために、全米市民に食用の葡萄をボイコットするよう求める不買運動や抗議の断食を繰り広げた。このストライキは5年の歳月に及び、全米の注目を浴びて労働者側の勝利に終わり、アメリカで初めて農業労働者が労働争議において勝利を収めた事件として歴史に刻まれることとなった。
 第4章 ■「シ、セ、プエデ!(Si, se puede)」

 ■「シ、セ、プエデ!(Si, se puede)」

 この行進は、デラノを出発する時には75人であったが、サクラメントに到着した時には1万人に達していた。行進が行われた1966年にはまた、農業労働者の労働組合と経営側とのアメリカ初の労働協約が交わされた年でもある。移民労働者の惨状を訴えて立ち上がったセサール・チャベスたち農業労働者の闘いは、やがて学生運動、ベトナム反戦運動、人種差別反対運動などの闘士たちが合流して広汎な労働組合運動の盛り上がりを見せた。
 バラク・オバマの「Yes, We Can」という合い言葉は、もともとスペイン語の「シ、セ、プエデ(Si, se puede)」というUFWのモットーとして知られ、1972年にアリゾナ州のフェニックスで、労働組合を敵視する州知事のリコールを求めてセザール・チャベスたちが24日間の抗議断食を行った時に生まれた言葉なのである。  バラク・オバマの「Yes, We Can」という合い言葉は、もともとスペイン語の「シ、セ、プエデ(Si, se puede)」というUFWのモットーとして知られ、1972年にアリゾナ州のフェニックスで、労働組合を敵視する州知事のリコールを求めてセザール・チャベスたちが24日間の抗議断食を行った時に生まれた言葉なのである。

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月刊『国際労働運動』(406号8-1)(2010/06/01)

国際労働運動の暦

 ■国際労働運動の暦 6月10日

 ■1987年韓国6月民主抗争■

 労働者大闘争に連続

 全斗煥―盧泰愚独裁のペテン的な延命策に労働者階級が歴史的決起

 1987年6月民主抗争に始まる韓国の労働者大闘争は、韓国の労働運動の分水嶺と言える偉大な闘いである。戦後の南朝鮮・韓国の人民の上に君臨してきた独裁政権、とりわけ61年5・16クーデターで登場した朴正熙軍事政権、そしてその朴が79年に政権内部で暗殺された後に登場した全斗煥の軍事独裁政権に続く実に26年間の長期の苦闘を強いられてきた労働者階級がついに、巨大な組織的闘いを開始した決定的な転換点である。80年5月の光州蜂起を暴力的に圧殺した血の独裁者である全斗煥に真っ向から対決して立ち上がったのである。

 ●契機は拷問虐殺事件

 この年、1月に警察によるソウル大生・朴鍾哲君の拷問虐殺事件が起こった。そして4月13日の全斗煥の「改憲棚上げ」声明に怒りが沸騰した。在野勢力と統一民主党は、5月27日民主憲法奪取国民運動本部を設置し、6月10日を「朴鍾哲君拷問殺人隠蔽糾弾・護憲撤廃汎国民大会」として設定した。この日の決起は全国で50万人と伝えられた。この日ソウル明洞聖堂に学生300人が籠城し@4・13護憲措置の撤回、A6・10大会関連拘束者と良心囚の全面即時釈放、B米国の独裁操縦と護憲支持の即時中断を主張した。この闘いが大きな力を発揮し、その後連日の大衆的な反政府闘争が一気に高揚した。
 釜山では18日、10万人の学生・労働者が、夕方から深夜にかけて主要な街頭を占拠、機動隊と火炎びん・投石・角材で激突し、一時は解放区と化した。この日、「催涙弾追放集会」が全国でもたれ、ソウルで3万人、全国16都市247カ所で決起がかちとられた。
 この間、6月9日の闘争で戦闘警察の催涙弾の直撃を受けて倒れた延世大学の李韓烈君が7月5日に死亡、9日に民主国民葬が行われ、150万ともいわれる人びとが集まった。
 この闘いの高揚に追いつめられた与党民主正義党の盧泰愚が29日、4・13改憲棚上げ声明の撤回を意味するペテン的譲歩案を示し、反革命的収拾を図った。すなわち@大統領直接選挙制の受け入れ、A金大中氏の赦免・復権、B国事犯以外の政治犯の釈放、C言論の自由の保障、などである。

 ●ストライキの激発

 しかし、軍事政権の延命のための賭けとしての「民主化」は事態の反革命的収拾にはならず、それ以後、7、8、9月と巨大な闘い、とりわけ労働者階級の決起、いわゆる「労働者大闘争」を生み出した。
 7月から9月までの3カ月間の争議は計3311件、1日平均30件を上回り、ピークの8月は1日平均83件。争議に参加した総人員は約122万人で、当時の常用労働者10人以上の事業体の総労働者数333万人の約37%に達した。この3カ月の争議件数は、60年代以来の全争議の総計をしのぐものだった。
 6・29「民主化宣言」以降、労働統制に動員されていた抑圧的国家機構が一時的に撤収する。組合を監視したり弾圧することができなくなった中で、抑えつけられていた怒りと不満が噴出したのだ。労働者の核心的要求は、作業場でのさまざまな差別待遇と非民主的慣行の撤廃、つまり、労働者が人間扱いされないような工場や事業所で「われわれを人間として扱え」という要求だった。
 口火を切ったのは、蔚山の現代エンジン、続いて現代自動車、現代重工業の労働者だった。強い労働統制の下にあった巨大独占資本で、労働者が自発的に決起し、民主労組が結成されたことは、全国の労働者に自信を与え、闘いの熱気が直ちに全国に広がった。
 8月11日に、労働部長官が「労使関係正常化のための特別談話」を発表し、国家権力の介入意志を示したが、これをはねのけて闘いは拡大した。9月に入り、現代重工業と大宇自動車での労働者の籠城闘争が武力で鎮圧され、労働者大闘争は「終息」に向かった。
 この闘いは、さらに幾多の曲折を経て、95年の民主労総結成につながっていくのである。
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■1987年韓国6月民主抗争

1.14 ソウル大生、警察で取調中拷問で死亡
4.13 全斗煥大統領、改憲棚上げを声明
  17 全国40大学で学生の反政府集会   17 全国40大学で学生の反政府集会
5. 8 改憲と民主化を求める動きが拡大 5. 8 改憲と民主化を求める動きが拡大
  27 民主憲法奪取国民運動本部を設置、6・10に集会を設定   27 民主憲法奪取国民運動本部を設置、6・10に集会を設定
6. 5 ソウル大、高麗大で警官隊と衝突 6. 5 ソウル大、高麗大で警官隊と衝突
   9 延世大生李韓烈君、催涙弾で負傷(7月5日死亡)    9 延世大生李韓烈君、催涙弾で負傷(7月5日死亡)
  10 民正党、次期大統領候補に盧泰愚代表を決定。改憲棚上げ反対集会は阻止され、学生500人が明洞聖堂に籠城   10 民正党、次期大統領候補に盧泰愚代表を決定。改憲棚上げ反対集会は阻止され、学生500人が明洞聖堂に籠城
  15 籠城を解除、市民1万人が反政府集会   15 籠城を解除、市民1万人が反政府集会
  16 デモ対策の非常戒厳令を無期限延期   16 デモ対策の非常戒厳令を無期限延期
  18 釜山10万、ソウル3万のデモ   18 釜山10万、ソウル3万のデモ
  19 大田で警官1人死亡   19 大田で警官1人死亡
  21 ソウル、釜山、光州でデモ続く   21 ソウル、釜山、光州でデモ続く
  26 民主憲法奪取のための平和大行進   26 民主憲法奪取のための平和大行進
  29 民正党・盧泰愚が「民主化」宣言   29 民正党・盧泰愚が「民主化」宣言
7. 1 全大統領、盧提案受け入れの特別談話 7. 1 全大統領、盧提案受け入れの特別談話
   9 李韓烈君の民主国民葬に150万人    9 李韓烈君の民主国民葬に150万人

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月刊『国際労働運動』(406号9-1)(2010/06/01)

日誌

■日誌 2010年3月

1〜2日千葉 動労千葉、弾圧破り第2波スト
動労千葉は、スト圧殺を図るJR資本の異常な弾圧体制をぶっ飛ばし、「外注化阻止・不当配転粉砕! 1047名解雇撤回・10春闘勝利!」を掲げて幕張支部を軸に第2波ストライキを貫徹した
1日北海道 北教組弾圧を粉砕せよ
札幌地検は北教組の委員長代理、書記長、会計委員ら4人を政治資金規正法違反で不当逮捕した
2日鳥取 裁判員制度廃止へ共感広がる
裁判員制度導入以来初の死刑求刑となるのではないかという「強盗殺人」事件の裁判が3月2日まで鳥取地裁で行われた。「裁判員制度いらない!鳥取緊急行動」の仲間は、のべ40人が決起した
4日アメリカ 全学連訪米団 バークレーで闘う
米カリフォルニア大学バークレー校で教育の民営化に反対する全学的大ストが敢行され、全学連訪米団6人がともに決起した。全学連とアメリカ学生運動とのこの歴史的な合流は、世界の階級闘争の歴史的な転換点となった
4日千葉 中野洋動労千葉前委員長の逝去を悼む
動労千葉の中野洋常任顧問(前委員長)が3月4日、逝去された。享年70。その未完の遺志を継ぎ、勝利まで闘うことを誓う声が全国を覆った
6日千葉 三里塚勝利千葉県集会
千葉県三里塚集会が、千葉市内のDC会館で行われ、150人が結集して大成功した
6、7日 3・8国際婦人デー行動
6日・7日の両日にわたって、国際婦人デー闘争が仙台・相模原(6日)、東京・大阪・広島・福岡(7日)の全国6カ所で行われた
東京 7日、コアいけぶくろで3・8国際婦人デー行動「労働者民衆に力あり! 国鉄1047名解雇撤回 戦争と大失業の民主党・連合政権打倒!」が開催され、170人が集会とデモを行った
関西 7日、大阪・阿倍野区民センターで開催され、70人の結集で大成功した。「闘えば勝てる」という確信を全参加者がつかんだ集会だった
7日東京 全国連中央本部の前進社襲撃を弾劾
全国連本部に率いられた30人が前進社本社前に現れ、重さ1・5`ものハンマーを振るった。革命党に対する武装襲撃だ。全国連本部の反革命を徹底弾劾する
7、8日千葉 故人の遺志継ぎさらなる闘いへ
中野顧問の逝去を悼む7日の通夜と8日の告別式に、2000人を超える人びとが訪れた。海外からも多くの仲間が参列し、中野顧問の旅立ちを見送った
12日東京 銀座局での死亡事故弾劾集会
全逓東京中郵「だんけつ」編集委員会主催の「銀座局での死亡事故弾劾/民営化で殺されてたまるか3・12集会」が都内で行われ、郵政労働者を中心に約50人の仲間が参加した
12〜14日千葉 動労千葉、怒りの第3波スト
動労千葉は、「館山検査派出廃止反対! 外注化阻止!」を掲げ春闘第3波ストライキに断固決起した
12日千葉 木更津運輸区に70人が抗議行動
午後5時から木更津運輸区前で、70人が抗議行動を行った。翌13日は午後1時に全支部の組合員と支援130人が館山駅前に結集し抗議行動を行った
13日岡山 動労西日本が第1波ストライキ
JR岡山駅で10春闘第1波ストライキに立った。岡山駅前で行われたスト突入集会で、山田和広副委員長は「動労千葉のストに連帯し、契約社員制度廃止・解雇撤回まで闘う」と宣言した
14日宮城 日就寮で労学集会
東北大学日就寮の敷地で「東北大学の学生寮食堂廃止に反対する3・14日就寮大行動」が行われ、70人を超える学生・労働者が全国から結集した
15日東京 北教組切り捨てる日教組本部倒せ
日教組第98回臨時大会が東京・教育会館で開かれた。全国労組交流センター教育労働者部会は会場前の宣伝行動に登場した
16日千葉 “廃道化を実力で阻止する!”
三里塚芝山連合空港反対同盟の呼びかけで、成田市役所・市議会包囲集会とデモが行われた。100人を超える労働者・農民・学生が市役所近くの栗山公園に結集しデモに出発した
16日福島 郡山国鉄集会開く
「国鉄1047名解雇撤回! JR検修業務全面外注化阻止! 郡山労働者集会」が、福島県郡山市で開催され50人を超える結集で大成功した
17日広島 動労西日本が第2波ストライキ
広島・五日市駅を拠点に10春闘第2波ストに立ち上がった。現場組合員3人がストに突入した
17日東京 法大生・倉岡さんに停学1年
法政大学人間環境学部教授会は、同学部生の倉岡雅美さんに対して不当な「停学1年」の処分を決定した。学生の力で処分を撤回させよう
19日広島 卒業式ビラで不当逮捕
広島市内の小学校卒業式での「日の丸・君が代」強制反対のビラまきで広島県労組交流センター会員Aさんが不当逮捕された
19日大阪 “青年労働者を代表し証言する”
西郡住宅裁判が、大阪地裁民事25部(稲葉重子裁判長)で開かれた。裁判を前に、岡邨洋部落解放同盟全国連合会西郡支部長を先頭に大阪市役所から大阪地裁へ昼休みデモ。裁判には西郡支部先頭に全関西から青年労働者が休暇を取って駆けつけ敵を圧倒した。
19日千葉 動労千葉 貨物定昇廃止に第4波スト
動労千葉は、「貨物定昇廃止・ベアゼロ攻撃打破!」を掲げて春闘第4波の貨物ストに決起し200人の組合員・支援の結集でJR貨物本社(千代田区飯田橋)への抗議行動を貫徹した
20日東京 3・20イラク反戦闘争に1880人
「イラク反戦7周年全世界一斉デモ、ワーカーズ・アクションin渋谷」が代々木公園に1880人の労働者・学生を結集し闘いぬかれた。4波のストライキで闘う動労千葉を先頭に、長蛇のデモ隊が渋谷の街を進んだ。「解雇撤回!」「基地撤去!」「鳩山打倒!」のかけ声がとどろいた
20日東京 日逓中野 K君先頭に就労闘争
日本郵便輸送(旧日逓)中野営業所に対する就労闘争が闘いぬかれた
22日北海道 日教組解体・労働運動絶滅狙う
札幌地検は、北教組の長田秀樹委員長代理と自治労北海道の木村美智留財政局長の2人を政治資金規正法違反で不当起訴、さらに同法の両罰規定にもとづき団体としての北教組を不当起訴した
24日富山 富山大・仲井君に退学処分
富山大・西頭学長は仲井祐二君(理学部)に対し「退学命令書」を通知してきた。斎藤・倉岡処分と一体のこの暴挙を徹底弾劾する
24日大阪 「和解案」弾劾、JR西にデモ
闘う闘争団と国鉄闘争を支援する関西共闘会議準備会の主催で「JRは不当労働行為を謝罪し23年の争議の解決を! 国鉄1047名と家族が納得できる解決を!」の集会とJR西日本本社デモが闘われた
26日東京 斎藤郁真君への退学処分弾劾
法政大学法学部教授会は、同学部生の斎藤郁真君(文化連盟委員長)に「退学処分」を下した
26日東京 「無償化」と朝鮮学校排除に抗議
JR阿佐ケ谷駅で「高校無償化」からの朝鮮学校排除に抗議する宣伝・署名活動に北島区議が参加した
27日東京 交流センター自治体部会が総会
労組交流センター自治体労働者部会の第14回定期全国総会が開かれた。社保庁解雇と闘う平口雅明さんを含め全国の闘う労働者が結集、2010年度の運動方針を確立した
28日千葉 三里塚、団結街道廃道阻止を宣言
三里塚芝山連合空港反対同盟主催の全国総決起集会が成田市天神峰の市東孝雄さんの畑を会場に開催された。全国から1530人の労働者・農民・学生・市民が団結街道廃道化攻撃への怒りを燃えたぎらせて駆けつけた
28日北海道 星野同志に連帯し署名活動
北海道労組交流センターは、この日の三里塚現地闘争に代表を送り出すとともに、星野文昭同志の35年間の獄中闘争に連帯し、第2次再審請求の署名活動を展開した
30日東京 卒業式で7年目の不起立貫く
東京都教育委員会は、3月卒業式で「日の丸・君が代」強制に反対して闘いぬいた教育労働者4人に対して不当処分を発令した
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 (弾圧との闘い)

5日東京 法大4・24弾圧裁判 
法大4・24解放闘争裁判の第11回公判が東京地裁刑事第17部で行われた。倉岡雅美さんに対する被告人質問の続きから開始された
8日東京 法大暴処法弾圧 玉聞が裏切り認める
法大暴処法弾圧裁判の第10回公判が東京地裁刑事第1部で行われた。法大闘争に敵対する裏切り者、玉聞祐樹に対する反対尋問が、弁護団と被告団の総決起でかちとられた
17日東京 法大4・24弾圧 元教員が熱く語る
法大4・24解放闘争裁判の第12回公判が3月17日、東京地裁刑事第17部で行われた。弁護側証人として遠藤比呂通弁護士が法廷に立った。遠藤氏は東北大学の教員として憲法学を教え、その後弁護士となった経歴を持っている人だ
23〜24日東京 歴史的最終弁論かちとる
東京地裁(刑事第20部・林正彦裁判長)で迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判の差し戻し審の最終弁論が行われた。弁論書は三百数十ページにも及ぶ大部で、超長期裁判を集大成し、3同志の無実・無罪を明らかにするものだ。2日間にわたって弁護団が堂々と陳述、3同志の最終意見陳述は圧巻だった
25日東京 法大暴処法弾圧 「最重要証人」を粉砕
法大暴処法弾圧裁判の第11回公判が3月25日、東京地裁刑事第1部で行われた。裏切り者、玉聞祐樹に対する3回目の反対尋問が続行された
30日東京 法大5・29弾圧 「控訴棄却」判決
東京高裁第8刑事部での08年5・29法大「建造物侵入」弾圧の控訴審で、控訴棄却という許しがたい反動判決が出された。内容は法大当局の下僕以下のもので東京高裁など打倒あるのみだ

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月刊『国際労働運動』(406号A-1)(2010/06/01)

編集後記

 ■編集後記

 徳之島で1万5000人の米軍基地絶対反対の集会が開かれた。会場には自治労や日教組の旗がたなびいている。まさに島ぐるみ決起だ。
 にもかかわらず鳩山は、「徳之島の皆さんの気持ちはよく分かります」などと言って、徳之島に普天間基地のヘリ部隊を移そうとしている。鳩山はとんでもない食わせ者だ。ウソを平気でついて恥じない。そしてキャンプ・シュワブ陸上案も破廉恥に進めるつもりだ。沖縄の怒りはすべての米軍基地を撤去するまで収まらない。
 鳩山政権は打倒あるのみだ。一切のウソとペテンがはがれた。鳩山・小沢もろとも日米安保という強盗どもの侵略戦争同盟、核戦争同盟を粉砕する時だ。沖縄闘争がその最先端にある。全米軍基地撤去=沖縄奪還、安保粉砕、日帝打倒をかちとろう。

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