International Lavor Movement 2010/11/01(No.411 p48)

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2010/11/01発行 No.411

定価 315円(本体価格300円+税)


第411号の目次

表紙の画像

表紙の写真 中国・深せんのブラザー工業のスト(9月7日)

■羅針盤 11・7集会が歴史的決戦に 記事を読む
■News & Review 韓国
 KTX女性乗務員の裁判に勝利
 鉄道公社を使用者と認定し、解雇責任問う
記事を読む
■News & Review 中国
 集団協議制、戸籍制度改革、三農改革の破産性
 労働者の闘いに破局深めるスターリン主義
記事を読む
■News & Review 日本
 菅政権の公務員制度改革との決戦へ
 首切り・賃下げの大攻撃に反撃を
記事を読む
特集 侵略国家へ転換を提言/新安保懇 記事を読む
■翻訳資料 労働組合シオニズムとヒスタドルート
 国際ユダヤ人反シオニスト・ネットワーク労働運動グループ/パレスチナ支持労組連合(米)、2010年4月13日
 土岐一史 訳
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
 米銀危機の再噴出へ
 住宅価格の下落で不良債権は激増に転じる
記事を読む
■世界の労働組合
 UNISON(ユニゾン)
 〔公務員・医療・電力部門等を組織〕
記事を読む
■国際労働運動の暦 11月13日
 ■1970年全泰壱烈士記念日■
 韓国民主労総の原点
 朴独裁下の劣悪な労働条件を糾弾
 焼身自殺で労働者の決起の道開く
記事を読む
■日誌 8月 2010 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 フランスの年金改革反対デモ(9月7日 マルセーユ)

月刊『国際労働運動』(411号0-1)(2010/11/01)

羅針盤

■羅針盤 11・7集会が歴史的決戦に

▼4・9政治和解という歴史的な大反革命と断固対決しよう。4・9で、国家的不当労働行為が容認され、解雇自由も認められ、解雇しても政府や資本の責任が一切問われないとなった。労働基本権の全面否定とはく奪だ。4・9政治和解を労働組合が認めた瞬間、労働組合を資本の側に丸ごと売り渡すことになるのだ。新成長戦略との闘いは、4・9政治和解を粉砕する闘いそのものである。
▼国鉄全国運動で6千万労働者と深く結びつき、動労千葉を支援する会を全国1千カ所にうち立て、3千人の会員をつくりだそう。11月集会を6千万労働者の最先頭で決起する1万人集会としてかちとろう。青年労働者を先頭に派遣法・非正規職撤廃のうねりをつくりだそう。4・9政治和解は、沖縄闘争や三里塚闘争をつぶす攻撃でもある。だが、9月12日の沖縄県北中城村議選挙では「基地絶対反対・民営化阻止」を闘う宮城盛光さんが当選し、名護市議選では辺野古新基地建設反対派が過半数の議席を獲得した。沖縄の労働者人民は沖縄闘争解体攻撃をうち破り、辺野古新基地建設阻止・菅政権打倒に突き進んでいる。
▼三里塚闘争は、市東孝雄さんの実力決起を先頭に、反対同盟と労働者の闘いが労農連帯の強化をつくりだし、三里塚闘争解体攻撃をうち破って勝利している。10・10三里塚全国闘争への大結集で、第3誘導路建設阻止、市東さんの農地強奪を断固粉砕しよう。大恐慌の激化のもとで、世界の労働者階級の闘いが激しく爆発している。11・7集会を労働者国際連帯の大発展としてかちとろう。新たに発刊された革共同の『綱領草案』で武装し、革共同に結集しよう。11月へ、プロレタリア世界革命へ突き進もう!

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月刊『国際労働運動』(411号1-1)(2010/11/01)

■News & Review 韓国

KTX女性乗務員の裁判に勝利

鉄道公社を使用者と認定し、解雇責任問う

 8月26日、ソウル中央地法(地裁)は、韓国鉄道公社がKTX女性乗務員の実質的使用者だと認定し、鉄道公社に対し、不当に解雇したことによる民事上の責任を課すという判決を出した。KTX女性乗務員の不屈の闘争がかちとった偉大な勝利だ。200
8年12月2日の「勤労者地位認定仮処分申請」に続き、連続でKTX乗務員が鉄道公社に勝ったのだ。また、2年以上現代自動車で勤務した下請け労働者は正規職とみなせとした大法院(最高裁)判決ともあいまって間接雇用の非正規職現場にもたらす鼓舞的影響力ははかりしれない。
 この判決に対し鉄道公社は控訴する予定だ。
(写真 ソウル中央地法で勤労者地位確認等請求訴訟で勝訴した後、喜びの涙を流すKTX解雇乗務員【8月26日】)

 □鉄道公社が外注化

 KTX乗務員闘争は、公共機関の無分別な外注化で生み出された違法派遣の象徴的存在だ。公共機関は予算削減と労務管理負担を減らすためにいわゆる「非核心業務」の外注化を持続的に推進した。
 裁判闘争を共に闘ってきたチェソンホ弁護士は次のように語っている。
 「韓国鉄道公社にはKTX乗務業務を外注化する計画がありませんでした。KTX乗務員勤労者地位訴訟裁判で公社は『KTX開通のために3千余名の追加要員投入が必要であるが、当時、建設交通部(現国土海洋部)が要員増に反対して定員をくれないので、どうすることもできずKTX乗務員を外注化した』と明らかにしました。さらに深刻なことには、当時、公社(鉄道庁)が労働部から『乗務業務を外注化すれば違法派遣に該当する』という回答を受けている状態だったのです。公社は違法だということを知りながら新規要員がないからとそのまま押し付け、結局このような結果を生んだのです」
 「参与政府(盧武鉉(ノムヒョン)政府)の時、公共機関の非正規対策が発表されたんです。常時勤務2年以上の無期契約職転換と、一方では核心業務と非核心業務に分けて外注化を求めました。核心か非核心かというのは恣意的判断なんですよ。労働法的な基準から見ても常時業務か否かがあるだけです。ですから公企業が思いのままに外注化を行ったのです。このようなやりかたですから、偽装請負問題が発生するしかないわけです」
 「参与政府(盧武鉉政府)の時、公共機関の非正規対策が発表されたんです。常時勤務2年以上の無期契約職転換と、一方では核心業務と非核心業務に分けて外注化を求めました。核心か非核心かというのは恣意的判断なんですよ。労働法的な基準から見ても常時業務か否かがあるだけです。ですから公企業が思いのままに外注化を行ったのです。このようなやりかたですから、偽装請負問題が発生するしかないわけです」
 「鉄道公社でも偽装請負と疑われる事業はKTX乗務業務だけではありません」
 偽装請負であるかどうかを判断する基準は大きくは二つだ。事業経営上の独立性と業務遂行の独自性だ。実際、乗客業務を一緒にやっている鉄道公社所属の正規職チーム長と委託(請負)会社所属の乗務員は分離できない条件だった。分社化や外注化を推進した他の公社もまた偽装請負をやっているのだ。
 第2章  □「しつこいやつが勝つ」

  □「しつこいやつが勝つ」

 判決後のインタビューで鉄道労組KTX乗務支部のオミソン支部長とキムヨンソン状況室長は次のように語っている。
――お祝いする。勝訴判決後に以前の同僚たちからたくさんの連絡を受けたでしょう。
オミソン(以下 オ) そうだ。今、34名が先に訴訟にかけた状態で119名が更に訴訟中だ。その人たちからお祝いの電話をたくさんもらった。裁判にかけたいという人たちも連絡が来ている。
――きのう、鉄道公社が控訴の意思を明らかにするや、鉄道労組も強く批判している。
オ ろう城闘争を行っている間ずっと公社の責任者たちが「法で解決しよう、一審の結果が出たら従う」と言ってきた。公企業が嘘を言ったらいけない。
――二審勝利も確信しているか?
オ 鉄道公社は裁判の間中、ずっと自分の主張をまともに立証できなかった。どんな資料を更に出すというのか? 双方が資料をあまりにたくさん出すので判事がもう出すなというほどだった。2審に行ってもわれわれが勝つ。
――2004年に入社して、初めて「処遇に問題がある、私たちはだまされた」と感じたのはいつだったのか?
オ 鉄道庁から鉄道公社に変わって正規職との給与と処遇に格差がもっと大きくなった。鉄道公社所属に変えてやると言っていたのに、ずっと弘益会だの鉄道流通だの言って処遇はだんだん悪くなっていった。
キムヨンソン(以下 キム) 労組を作る前までは保健休暇を希望する日に取れなかった。また、初めは当時、キムセホ鉄道庁長が来て激励しながら「一家」だと言ったのに、初めの年が給料が一番良くて、ずっと下がっていった。
――5年を超えて闘って来たのだが、その間、世の中に対する認識も大きく変わったと思うが。
キム 以前はマスコミを信じきっていたが、今はニュースが出たらもう一度考えて見る。双龍(サンヨン)自動車の鎮圧現場を見て衝撃だった。「私ならあれほどまで闘えないだろうな」と思った。
――初めからこんなに長くたいへんだと分かっていたら闘いを始めたか?
キム やらなかっただろう。はじめは本当に分からなかった。入社して2年働いて5年闘った。
――KTX乗務員業務をいつまでやったか? 判決が確定したらまたKTXに乗るのか?
オ、キム 2006年6月25日まで働いた。きっとまたKTXに乗るだろう。
――KTX闘争で鉄道労組と組合員も大きく変わったのではないか? どう考えるか?
オ 鉄道に非正規職がかなり多い。その時は組合員加入もできなかった。私たちの闘争の後に非正規職がたくさん組合に加入した。正規職の視線も変わった。鉄道省から公社に変わって構造調整が雇用不安に直結してみんな自分の問題だと思ったのだろう。
キム 初め私たちは非正規職の意味も分からなかった。同じ仕事をしても誰々は公社所属で私たちはそうではなかった。新しく来た人たちの中には私たちを「鉄道流通職員」と呼ぶ人もいて、同じ鉄道解雇者であっても正規職と私たちの処遇が違った。しかし鉄道労組は他の所に比べて非正規職闘争に多くの援助を与えてくれたし、正規職労組の中で非正規職を1番先に受け入れた。
――非正規職闘争に対する社会的視線も大きく変わったのではないか?
キム ほとんど見ないが、昨日は私たちの記事に対する書き込みを見た。以前には80%悪口だった。今度は半分以上が「ご苦労様」という激励だった。ロウソク集会の後インターネット市民たちが変わったと考える。
オ 変わったらいいなという望みはある。私もこうなれるんだと感じてこそ可能だ。闘う当事者よりもマスコミの役目が大きい。
――長期間闘争で組合員たちの経済的困難も大きいようだが。
オ 困難だった。やっと仮処分に勝って昨年から鉄道公社が1月に180万ずつ支給したが、本訴訟に負けたらまた吐き出さなければならない金だった。不安で使い難かった。20代後半を闘争にささげて30代に再就職しようとしてもみんな難しい。アルバイトをする人も多い。
――現代(ヒョンデ)自動車の不法派遣とKTX問題での勝訴で希望を持つ人たちが多い。だれかが非正規職闘争をやると言ったらどんなふうに言ってあげたいか?
オ たいへんだ、やめなさい(笑)。頑張りきるも頑張りきれぬも紙一重だ。あとでは自尊心が傷つき、悔しくて、真実を明らかにする時までもうちょっと頑張ろうと勝ちぬいた。
キム 困難な闘いだ。嫌いな言葉だが本当にしつこいやつが勝つということ。先輩たちが困難でも最後まで残ったら何か一つでも得るだろうと言ったが、その時は意味が分からなかった。今は人生を見る目が前とは少し変わった。
 第3章  □団結した労働者の力で

  □団結した労働者の力で

 裁判ですべてが解決するわけではない。それは闘っているKTX女性乗務員が一番良く分かっている。団結した労働者の力が勝利をこじ開けていく。しかし、今回の勝利は原職復帰までの闘いの展望をより確かにした。彼女らの闘いに肉薄して連帯しよう。
 (大森民雄)
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 KTX女性乗務員の闘い

 時速300`でソウル―釜山、ソウル―木浦間を走る韓国高速鉄道が営業を開始したのは04年4月1日。同時に誕生したKTX女性乗務員407人は全員が1年契約の派遣労働者だった。開業前に韓国鉄道公社が行った乗務員教育では「準公務員待遇」「1年後には正規職に転換する」とまで言われたが、実態は不法派遣だった。女性乗務員たちは05年9月に労組を結成し「不法派遣撤回、鉄道公社による正規職としての直接雇用」などを要求して闘いを始めた。同年12月には民主労総公共連盟鉄道労組に加盟、鉄道労組KTX支部として06年3・1鉄道ゼネスト突入、5月に全員解雇。闘争継続中。
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 屋上籠城24日目 金属労組キリュン闘争報告

 8月14日、16日と強制撤去のショベルカーが襲いかかってきた。キリュン電子女性労働者の旧社屋籠城闘争の近況報告です(9月6日)。
 先週、キリュン分会は台風と暴雨の中で連帯集会と、毎日夕方ローソク文化祭を行い、日曜日にはソウル独立映画製作チームの助けを受けて、独立映画を上映しました。
 キリュン分会はコーツD&D(キリュン)から住民らに配布したアピール文に対して労働者庶民が生きるための南部運動本部とキリュン共対委の名で、地域住民らに宣伝物を配布しました。宣伝物の内容は私たちは工事に反対するのではなく、キリュン電子の敷地売却および開発と関連した疑惑が真実として明らかにされることを望み、開発前に6年引きずってきた非正規職問題をまず解決せよという内容でした。
 ところで宣伝物の効果があったのか、コーツD&D(キリュン)は9月2日、役職員一同の名で第2次アピール文を配布し、自分たちはキリュン電子と関係ない不動産開発業者であると証明する関連書類を民主労総、民主労働党、金属労組、クムチョン区庁、マスコミに内容証明で配布して、それにも関わらず依然としてキリュン電子組合員らが虚偽事実を流布していると言って、「出版物による名誉毀損嫌疑」で追加告訴をし、千人に近い住民らの連署で青瓦台および区庁に嘆願書を提出したと言います。
 キリュン電子分会はいつ撤去班が入ってくるか分からない状況で屋上籠城を24日目に続けていますが、不法をしでかしたキリュン電子が不法を謝罪し直接責任を取ることができるよう粘り強く闘って行きます。この1週間同志の連帯に感謝します。
 トゥジェン!!
(写真 8月14日朝、キリュン電子旧社屋正門前籠城場を撤去しようとすると、組合員らが撤去を防ぐため旧工場警備室屋上に上り、籠城している)

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月刊『国際労働運動』(411号2-2)(2010/11/01)

■News & Review 中国

集団協議制、戸籍制度改革、三農改革の破産性

労働者の闘いに破局深めるスターリン主義

  □闘いに追いつめられたスターリン主義

 現在中国で、広州の「広東省企業民主管理条例」をはじめ、深せんや東莞など経済特区や経済技術開発区を持つ主要な都市で、賃金問題などに関する労組による集団協議制度が採用されようとしている。一方で中国政府は、「同一労働、同一賃金」を謳い文句にした新たな「賃金法」を年内に制定しようとしている。
 この背景にあるのは、ホンダをはじめとする全国で今年闘われた労働者のストライキの連続的な爆発であり、それに中国スターリン主義が追いつめられていることである。 しかし一方でこれらの方策は、明らかにこの中国の労働者の歴史的決起を懐柔し、闘いを体制内的に取り込み、粉砕する目的をもって行われている。労働者の自主労組運動に対して、崩壊しつつある総工会の再建という目的をもって行われている。
(写真 深せん市の兄弟工業有限公司【日本のブラザー工業の中国における工場】で、数百人の労働者がストライキに突入した【9月7日】)

 □集団協議制度とは何か

 集団協議制度を典型的に示しているのは「広東省企業民主管理条例案」であり、各機関の細かい検討を経て、9月下旬に成立するとされている。
 この条例案の要旨は、以下3点にまとめられる。
 @企業従業員の20%以上が賃金やボーナスなどで集団協議を行うことを要求してきた場合、総工会は民主的に代表を選出して、必ず企業に対して同協議の開始を求めなければならない。
 A労組がない企業でも、20%以上が集団協議を行う代表を置くことを要求してきた場合、総工会の指導のもと、代表を選出して、協議を求めることができる。
 B労働者が法律に基づいて賃金集団協議の要求を出していない段階、あるいは集団協議期間中においては、労働者はストライキ、サボタージュまたはその他の過激な行動により企業に対して賃金調整を要求してはならない。企業が規定どおりに賃金集団協議を行わない場合、ストライキやサボタージュを理由にした従業員との労働契約解除はできない。
 問題点は二つある。一つはこの集団協議は、あくまでもスターリン主義の体制を支える労働組合である総工会の指導のもと、あるいはそれを窓口にして行われるということである。
 もう一つは、労働者のストライキを厳しく規制し、違法行為として明確に弾圧できる法的根拠をつくろうとしていることである。つまり自主労組の結成やそれによるストライキは、全部弾圧されるのである。こんな条例があったら、今回のホンダのストライキなど違法ストとして徹底的に権力によって弾圧の対象にされていくだろう。「企業が集団協議を行わない場合」はストライキが容認されるとも読めるが、その場合も前提はあくまでも総工会による集団協議追求の存在≠ネのである(なお、この場合は外資系企業が想定されていると見られる)。
 要するに今回、広州をはじめとして全国主要都市で定められようとしている集団協議制度とは、総工会を再建して、津波のように全国で沸き起こっている労働者のストライキを体制内的に取り込み、それでも自主労組を結成したりストライキを闘う労働者を徹底的に弾圧するための条例なのである。一方で政府が年内に定めようとしている「賃金法」も、これらの条例とともに、あまりに低い賃金水準を上げることで労働者の怒りを懐柔し、闘争から乖離させ、中国スターリン主義の労働者支配を維持しようとしているのである。

 □戸籍制度改革の意味

 今、これらの「改革」と一体で、戸籍制度改革が大きな問題になってきている。
 そもそも中国における戸籍制度改革問題とは何か?
 中国には農村戸籍と都市戸籍があり、1958年に「戸口登記条例」で、この区別が定められた。農民は農村からの移動・移住を禁じられ、原則として都市民になることはできない。毛沢東は「世界革命を放棄し、一国社会主義建設を自己目的化した」スターリン主義者として、農民を農村に生涯固定することで、都市への食糧供給を保障し、食糧問題を乗り切ろうとした。さらに農村からの収奪によって、資本の本源的蓄積を進め、都市の工業化を進めていこうとした。この過程が、大躍進から文化大革命にいたる過程であり、それは「一国社会主義建設」の必然的結果として破産を遂げていくのである。
 中ソ対立はこの破局にさらに拍車をかけ、林彪事件を経て、毛沢東自身が米中国交回復、日中国交回復へと政策の転換を余儀なくされていく。そして78年の第11回三中全会での搶ャ平の講話をもって、「改革・開放」政策が開始されるのである。これは崩壊しつつある中国スターリン主義の絶望的延命策であった。
 しかし「改革・開放」政策が開始されて30年以上がたつが、毛沢東時代の戸籍制度は基本的に変わることはなかった。これはなぜか?
 それはスターリン主義政府の政策にとっても、資本にとっても、農民は都市では非合法的存在であった方が良かったからである。
 78年に「改革・開放」政策と一体でとられた「生産(農地)請負制」は、それまでの人民公社的な集団耕作を否定し、個別の農家による土地耕作権を認めた。この結果、「万元戸」などと称された一部富農も生まれ、郷鎮企業なども農村に生まれた。しかしこれは一時の夢に過ぎなかった。急激に成長する都市経済の前に、これらの農村の富農や企業は、一部を除いてその多くが没落していくのである。
 一方で「生産請負制」の導入は、それまでの集団耕作では表面に出てこなかった農村の「過剰労働力」を表面化させ、しかもそれは、都市と農村の経済格差が開けば開くほど、増大していった。
 外資導入政策、国有企業へのてこ入れ、スターリン主義権力を背景にした乱開発、バブル経済政策などで、都市経済は急成長し、労働力不足が発生する。一方の農村での「過剰労働力」の存在。こうして大量の農民が、生きていくために都市に非合法的に流入してくる。本来禁じられている農民の都市への移動や居住が実際に行われる。その数は農民工として、現在2億300
0万人にも達している。
 このような戸籍制度がある限り、農民戸籍の彼らは都市での存在自身が違法であり、正規の仕事にはつけない。あくまで非正規労働として、あるいは企業との間に正式な労働契約のない斡旋業者を通じたヤミ労働として、徹底的に資本の食いものにされていく。この膨大な「違法労働」「奴隷労働」の農民の存在こそが、実は「改革・開放」政策のもとでの中国経済の急成長を支えた。そしてこの安価で非正規な奴隷労働を維持するために、中国スターリン主義は戸籍法を変えることなく維持してきたのである。
 しかし、こうした農民工の膨大な存在は、今や中国スターリン主義の支配を揺るがす問題となってきている。
 一つは、彼らの怒りの決起が歴史的に開始されたということである。青年労働者を先頭に農民工が正規の賃金を求め、自主労組の結成を求め、全国で立ち上がり始めている。今回の全国での一連のストライキは、明らかにスターリン主義の労働者支配を揺るがすものとなった。
 二つ目に、彼らの存在自身が、スターリン主義の労働者支配の要としてある総工会を崩壊の危機に追い込んでいることである。農民工はほとんどが非正規労働者であり、そもそも総工会に所属できない。一部の都市で正規の定職を得た農民工が所属しているだけである。「改革・開放」政策の展開のために、農民の非合法的な奴隷労働を徹底的に使った中国スターリン主義だが、この結果として、総工会に属さない膨大な労働者を生み出してしまった。つまり総工会支配の崩壊であり、それはすなわち中国スターリン主義の労働者支配の崩壊に直結する事態を生み出してしまったのである。
 2000年代前半ですでに、総工会の組織率は、全労働者数の50%を切っていた。しかし所属している労働者の多くは国有企業の労働者であり、基幹産業の労働者である。つまり中国スターリン主義にとって国有企業は、スターリニストの国家支配の基盤であり、また巨大な利権のために必要なだけでなく、それとともに労働者支配の根幹をなすので、「改革・開放」政策のもとでも存続し必要とされているのである。その支配が崩壊過程に入ったのだ。
 こうした中で「戸籍制度改革」が、中国スターリン主義にとって避けられない課題になっている。青年をはじめとする農民工の激しい闘いに追いつめられて、彼らの都市移住を緩和することで、彼らの怒りを緩和しようとしている。そして重要なことは、一方で農民工の総工会への加盟を拡大し、総工会による労働者支配を再建しようとしていることである。

 □三農改革とは何か

 またこれと一体で、農業・農村・農民改革(「三農改革」)が言われている。これは毛沢東と搶ャ平時代を通じて徹底的に収奪され疲弊した農村問題それ自身が、いまや無視できない大問題になっていることを示している。人口の80%が農民である中国。労働者としても徹底的に搾取・収奪される農民。まさに中国の労働者の問題と農民の問題は、完全に表裏一体の関係としてあり、一体の矛盾として今噴き出しているのである。
 そして中国スターリン主義は、この三農改革を通じて、農村を新たな商品市場として開発しようとしている。13億の人口がいる中国だが、実際の市場は都市の3億人だといわれる。極限的に貧困化している農村は、市場として成立していないということだ。だから三農改革で農村を豊かにして10億人市場を新たに確保し、内需拡大で中国経済の発展を維持しようというのだ。それ自身夢物語のような話だが、この政策はますます農民を資本の食いものにする政策であるとともに、農民工の決起に示される農民の怒りを中国スターリン主義が極めて恐れていることを示している。

 □反スターリン主義、階級的労働運動の爆発を!

 以上から、労働者・農民の闘いの前にいかに今の中国スターリン主義が破産と危機を深めているかが明確になる。
 こうして中華人民共和国建国以来、画歴史的ともいうべき改革を一挙に進めることで中国スターリン主義はこの危機を乗り切ろうとしている。それが「集団協議制度の採用」であり、「賃金法」であり、「戸籍制度」改革であり、「三農改革」などである。
 総工会を再建して、とめどなく爆発する労働者のストライキや自主労組結成の動きを体制内的に取り込み、それでも闘おうとする労働者に対しては徹底的に弾圧をしようとしている。その多くは農民工の労働者であるが、戸籍制度を改革して彼らに都市戸籍を認めるとともに、総工会への加盟を強めようとしている。一方で、農民工を生み出し、疲弊し矛盾を深める農村を改革し、農民の怒りを懐柔するとともに、中国経済の命運をかけた内需拡大政策につなげようとしている。
 ここには、崩壊の寸前にある中国スターリン主義の姿が赤裸々にあらわれている。スターリン主義は、「世界革命を放棄し、一国社会主義建設を自己目的化」した存在であるがゆえに必然的に破産する。それが今日の中国であり、われわれの目の前で衝撃的に進んでいる事態なのだ。
 これらの政策に依拠した中国スターリン主義による労働運動の解体、体制内的取り込み攻撃を粉砕し、階級的労働運動の爆発的発展をかちとることが、今の中国の労働者階級の最大の課題である。
 また米帝や日帝などの世界の帝国主義、帝国主義世界経済体制がこの中国経済とリンクする形で延命している現状の下での中国スターリン主義の崩壊は、帝国主義世界体制を根底から揺るがし崩壊させる。バブル経済の崩壊も目前に迫っている。
 「反帝・反スターリン主義」の旗を高々と掲げて、決起する中国そして全世界の労働者と固く団結して世界革命に突き進もう。
 そのために、国鉄全国運動を前進させ、今年の11月労働者集会の1万人結集を実現しよう!
 (河原善之)

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月刊『国際労働運動』(411号3-3)(2010/11/01)

■News & Review 日本

菅政権の公務員制度改革との決戦へ

首切り・賃下げの大攻撃に反撃を

 □菅改造内閣の布陣

 9月14日、民主党の代表選が行われ、菅直人が小沢一郎を破って代表に選出された。菅は直ちに組閣人事を発表。官房長官には公務員制度改革担当相などを務めてきた仙谷由人(自治労協力国会議員団長)を再任し、総務相には鳥取県知事時代から「地方分権」を最先頭で唱え、民主党の公務員制度改革案を「右」から批判してきた片山善博を民間から起用した。また、行政刷新・公務員制度改革担当相には蓮舫を留任させ、国家戦略・「新しい公共」担当大臣に、民主党政調会長と兼務で玄葉光一郎を据えた。
 この布陣を見ても分かるとおり、菅政権は、「新成長戦略」「東アジア共同体」などとともに、「公務員制度改革」に突き進む政権であることは明らかである。
 菅が勝ったのは、対米対抗性の強い小沢よりは菅≠ニいう米帝の思惑も背景にあるが、何よりも日帝ブルジョアジーの強力な後押しのもとで、露骨なブルジョアジー救済策を打ち出してきたからにほかならない。企業減税しかり、消費税増税しかりである。日本経団連が直ちに「歓迎」を表明したことに、それは明らかである。「市民派」を装ってきた菅は、今や、大恐慌と日帝の「再弱の環」としての現実を前にして、「このままではギリシャにようになる」との危機感もあらわに、日本帝国主義の救済に全力を挙げようとしているのだ。それは大失業と戦争の攻撃を一層激化させる。
 その最大の焦点のひとつが公務員制度改革なのである。

 □「2012年問題」

 公務員制度改革の焦点となっているのが2012年である。12年は同時に、1987年の国鉄分割・民営化から25年を迎える。これは「国鉄改革(国鉄分割・民営化)25年問題」と言われており、JR貨物、JR三島会社に対する財政支援措置が打ち切られ、その経営が完全に破綻するという問題に行き当たり、JR資本の一大合理化、第2の分割・民営化の攻撃がこれまで以上に強まるというものである。
 この国鉄―JR問題と公務員制度問題が完全に重なり、労働者階級への一大階級戦争となって襲いかかろうとしている。そこに向けての階級決戦が日帝・菅政権のもとで本格的に始まろうとしているのだ。
 「4・9政治和解」による1047名闘争の解体攻撃は、資本の首切りの自由を保障し、非正規職化を圧倒的に推し進めていくために強行されたものである。そして動労千葉を解体し、階級的労働運動を根絶することを狙ったものである。これに対して、動労千葉が「国鉄闘争の火を消すな!」と訴えて6・13集会をもって国鉄闘争全国運動が始まったことは決定的に重要な位置を持っている。
 国鉄分割・民営化以来、労働者派遣法が制定されるなど、労働法制の改悪が進められ、多くの労働者が失業と非正規職化で明日をも生きられないという現実に突き落とされている。そうした攻撃を一層推し進めるためにも、公務員労働者の身分保障があるため容易に解雇ができず、さらに人勧(人事院勧告)制度のもとで、好き勝手に賃下げができない(実際には、後で見るように、人勧によって賃下げが行われ、それをも超える賃下げが強行されている)という現実を根本からひっくり返そうとしているのである。
 2012年が焦点だと述べたが、公務員制度改革のスケジュールはどうなっているのか。
 2008年6月に、自公政権のもとで国家公務員制度改革基本法が成立し、国家公務員制度改革推進本部が設置され、その本部が09年2月に提示した「工程表」で、「平成24年(2012年)までに新たな人事制度に移行し、基本法に基づく措置を全て実施する」としたことによる。
 民主党政権になっても、このスケジュールのもとに公務員制度改革の具体化が進められ、国家公務員法の改悪などが菅政権のもとで行われようとしているのである。
 天下りの禁止、縦割り行政の打破、国防や外交などの国の権限を強化するための体制を強めるということに公務員制度改革の狙いはあるが、労働者階級にとって大問題なのは、公務員労働者の大量首切りと非正規職化、大幅賃下げを強行し、自治労、日教組を解体し、それらの攻撃を全社会に押し広げていくということにある。
 これらと「地域主権」の名のもとに画策されている道州制導入による360万人の公務員の一旦全員首切りの攻撃が一体で進められようとしているのだ。

 □「生首を切る」

 それは、この間の国会審議を見れば明らかだ。
 今年8月3日の衆院予算委員会では次のような、断じて許されない論議が行われた。
 玄葉公務員制度改革担当相「(人事が滞留する)そういった人たちをどうするのか。生首をバサッと切るのか、あるいは……希望退職のようなものを募るのか」「能力主義、成績主義を徹底させていく、そういう公務員制度改革にしていきたい」
 江田憲司(みんなの党)「とにかく労働基本権を公務員に早く付与してください。それで民間並みのリストラ、人員整理ができるようにしましょう」「もうひとつは、給与法を改正してください。できのいい人には2倍、3倍給料あげてもいいんだけれども、できの悪い人には3分の1、4分の1給料を下げられる、相対的には給料を下げる」
 原口総務相「江田さんがおっしゃったように給与体系を変える」「出先機関を原則廃止して地方へ移管する」「共済制度そのものにも踏み込む」
 江田「今の制度があるから生首が切れないんですよ」「JALだって生首切るんでしょう」「早く生首が切れるような、リストラができるような法改正をしてください」
 「生首を切る」「給料を3分の1下げる」ということが平然と国会の場で語られているのである。これが怒りなしに聞くことができるか。
(写真 自治労大会で公務員360万人首切り粉砕を訴える自治体労働者【8月26日 徳島】)

 □労働基本権回復のペテン

 しかも、労働基本権を公務員に付与することで民間並みのリストラができるようにするということが言われている。連合や自治労、日教組などは、2012年には公務員の労働基本権が回復されるということを盛んに宣伝している。だが、そこにはとんでもないペテンがあるのだ。
 労働基本権とは何か。言うまでもなく、それは団結権、団体交渉権、争議権(スト権)の労働3権のことであり、憲法28条でも保障されている労働者の当然の権利である。戦後直後には憲法に基づいて公務員労働者にも労働3権が保障されていたが、戦後革命が高揚し1947年の「2・1ゼネスト」に上り詰める中で危機感を持ったGHQ(連合国最高司令官総司令部)のマッカーサーが「2・1スト中止」を指令し、当時、連合国を「解放軍」と規定していた日本共産党の屈服もあり、戦後革命は圧殺される。公務員が革命に決起することを恐れ禁じたマッカーサー書簡とそれに基づく政令201号により公務員のストライキ権は剥奪される。そして、国家公務員法が改悪され、労働基本権剥奪の「代償措置」としての人事院の設置(人勧制度)などに至り、戦後公務員制度がつくられた。
 それは公務員賃金を低く抑えつつも身分を保障し(分限免職などの規定も簡単に発動させない)、団結権と団体交渉権(ただし協約締結権は現業労働者に限定)は認めるが、スト権は絶対に認めてこなかった。
 しかし、公務員労働者は(公労協の3公社5現業〔=国鉄、全逓など〕を先頭に)実力でストライキに立ち上がり、処分攻撃をはね返しながら、総評労働運動の中核部隊として闘い抜いてきたのである。「スト権奪還」は、公務員労働者の悲願であり、1975年の公労協の8日間にわたるスト権ストまで闘われたのである。団結権とはスト権をもって保障されるものであり、それらは一体のものだからだ。

 □協約締結権で合意

 しかし、今、「労働基本権の付与」として言われていることは、スト権の奪還ではない。実は、連合(自治労、日教組など)の側から、スト権を返上し、労働協約の締結権のみの回復で政労使合意をすでに行っているのだ。
 現在、みんなの党の党首で自民党時代の行革担当相だった渡辺喜美は自著『公務員制度改革が日本を変える』で次のように書いている。
 「私は公務員にも民間並みの信賞必罰を行うために基本権をフルセットで解禁することを提案しました。しかし、組合が争議権付与にビビってしまったため、協約締結権まで付与することを、私が大臣当時に方向づけました」
 「私が行革大臣のころ(08年)、一般公務員に労働基本権をフルセットで解禁しようと画策していたところ、組合の幹部が大臣室にやって来て『フルセットでは困る』と訴えてきました。……結果、このときは、協約締結権までということに収まりました」
 日帝は、スト権を与えても、動労カクマルを先頭に「ストはやらない」と誓い、国労のようにストを放棄し、あるいは全逓(JP労組)のように完全な御用組合にすることを見据えているのだ。
 だが、なんということか!要するに、連合(自治労、日教組など)幹部どもは、スト権が回復されたら、現在の公務員労働者への攻撃に対してストに立ち上がる単組が現れ、さらにはギリシャなどのように公務員労働者のゼネストが闘われるような事態になることに「ビビり」、スト権は与えないでくれ≠ニ哀願したということなのだ。

 □賃下げも要求する

 それだけではない。8月末の自治労大会で、自治労本部の徳永委員長は、「非正規の賃上げと引き換えに正規の賃下げの検討に入る必要がある」と発言しているのだ。
 激増する公務職場の非正規労働者の賃上げはもちろん絶対に必要だ。本来、正規職員にしなければならないのだ。
 ところが、自治労・徳永はあたかも非正規労働者の立場に立つかのようなふりをして、非正規の激増を容認し、正規労働者の賃金を下げよと叫んでいるのだ。
 このように、現在の連合、自治労、日教組などの幹部に労働組合の権力を委ねておくことは一刻も許されない。国鉄闘争全国運動を全国の職場に広め、それを足がかりに組合権力を奪取する闘いに果敢に打って出る時だ。

 □マイナス人勧に反撃を

 人事院は8月10日、国家公務員の2010年度の月例給と一時金を2年連続で引き下げる勧告を行うと同時に、労働基本権など公務員制度問題についても報告した。
 勧告は@月例給を757円、0・19%引き下げA一時金を0・2カ月分減額し(4・15カ月から3・95カ月へ)、合わせて平均9万4千円の削減を要求している。
 昨年の平均15万4千円削減に続くものであり、平均賃金はこれで1999年から約80万円も下がっている。さらに地方自治体では、人事委員会の勧告以上に自治体独自の賃金カットなどが強行されてきた。
 しかも菅政権は、公務員人件費の「2割削減」をうたい、勧告以上の賃下げを狙っている。こんな勧告自体断じて許されない。このような攻撃を打ち破るためにこそ、スト権が必要なのだ。そして、スト権がなくても、処分を恐れず断固としてストに立つことが求められているのだ。
 今秋の都労連の賃金確定闘争を始めとする秋季賃金闘争に全力で立ち上がろう。
 公務員労働者の闘いが、日本労働運動を甦らせる鍵である。戦後の国鉄、全逓を始めとする公労協の闘いに続いて、自治労、日教組の中からランク&ファイルの闘いをつくり出し、総決起しよう。国鉄全国運動と派遣法・非正規職撤廃、国際連帯をかけて11・7全国労働者総決起集会に1万人の大結集を実現しよう。その先頭に公務員労働者が立とう。
 (大沢 康)

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月刊『国際労働運動』(411号4-1)(2010/11/01)

(写真 9万人が読谷村運動広場に結集し、米軍基地に対する根底的怒りを爆発させた沖縄県民大会【4月25日】)

特集 特集 侵略国家へ転換を提言/新安保懇

 はじめに

 日帝自衛隊は、01年アフガニスタン侵略戦争、03年イラク侵略戦争に参戦し、侵略戦争軍隊に転換してきた。今は海賊対策と称してソマリア侵略戦争に参戦し、災害対策と称してハイチ、パキスタンに自衛隊を派遣している。しかし世界大恐慌が始まり、帝国主義各国は保護主義に走り、為替戦争が始まり、世界経済はブロック化へ向かい、その先は世界戦争である。この情勢で、民主党・連合は日帝ブルジョアジーの先兵となり本格的な侵略戦争国家へ大転換しようとしている。それが新安保懇談会の報告だ。
 第1章は、新安保懇談会報告の批判を行っている。中国脅威論をまくしたて自衛隊の海兵隊化を主張している。
 第2章は、オバマ政権がQDRで対中国戦争へと重心を移そうとしている点を明確にしている。
 第3章は、日米安保の実体である在日米軍基地の侵略戦争実態を暴いた。

■第1章

 陸自の海兵隊化を先行 菅政権の安保・防衛政策

 政治危機の絶望的激化

 9月14日の民主党代表選は、現首相・菅が小沢を大差で破り勝利した。
 菅政権の正体は、大恐慌下で日帝ブルジョアジーの意思を全面的に体現して、外に向かっては「東アジア共同体」を掲げた侵略と戦争、内に向かっては公務員大攻撃を軸とする階級戦争の激化に全力を挙げる、むき出しのブルジョア救済内閣である。
 菅政権は年末に策定する新防衛大綱をもって、自衛隊の本格的な侵略軍隊化への大転換を狙っている。

 新安保懇談会報告

 8月27日、「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(新安保懇)が菅首相に報告書を提出した。政府はこれをふまえ、年末までに「防衛計画の大綱」の改定を進める計画だ。
 この報告書の重大性は「受動的な平和国家から能動的な『平和創造国家』へと成長することを提言」していることだ。この能動的な「平和創造国家」は、小沢「普通の国」をはるかに超える侵略戦争国家への大転換を打ち出したものだ。大恐慌下の大失業と戦争という「新たな時代」の日帝の新国家戦略として打ち出したのだ。
 「新たな時代」とは、大失業と戦争が渦巻く世界大恐慌下で日帝が絶望的な危機を深めている時代のことだ。日帝としては、国際的にも国内的にもこれまでどおりのやりかたでは一歩も前進することができない時代に入ったことだ。
 菅政権の新成長戦略はその突破を目指すものだが、それは国内的には労働者の非正規化攻撃や公務員制度改革、道州制攻撃とともに、原発・港湾整備・新幹線などの「インフラ輸出」というアジア侵略のエスカレーションを図るものだ。「東アジア共同体」構想の実現に向かって突き進むしかない。だがそれは米帝・欧州帝・中国などとのアジアをめぐる争闘戦を極限的に激化させる。つまりどんなに破綻的であろうと侵略戦争とそれを遂行できる帝国主義への飛躍をもってこの危機を突破する以外にない。
 つまり新成長戦略を軍事的に支えるものとして「能動的な平和創造国家」=侵略戦争国家が打ち出されている。
 報告書は、「米国の抑止力の変化、朝鮮半島情勢の不確実性の残存、中国の台頭に伴う域内パワーバランスの変化、中東・アフリカ地域から日本近海に至るシーレーンおよび沿岸諸国における不安定要因の継続といった課題にどう対処するかにある」と言っている。
 つまり米帝の力量が相対的に低下している中で、北朝鮮侵略戦争、中国侵略戦争、さらには中東・アフリカから日本に至るシーレーンの防衛を日米同盟を堅持しつつも、基本的に日帝の力で突破しなければならないとしている。国家丸ごとの侵略戦争国家への大転換を主張している。
 そして「防衛力のあり方」の「基本的考え方」として、「従来の装備や部隊の量・規模に着目した『静的抑止』に対し、平素から警戒監視や領空侵犯対処を含む適時・適切な運用を行い、高い部隊運用能力を明示することによる『動的抑止』の重要性が高まってくる」としている。
 一言で言えば、自衛隊を臨戦体制に置くということだ。日本の領空・領海をハリネズミのようにして、いつ何どきでも自衛隊が戦争に突入できるように構えるということだ。

 陸自の海兵隊化

 こうした方向を象徴するのが「陸自の海兵隊化」だ。自衛隊丸ごとの侵略戦争軍隊化だ。防衛省が陸上自衛隊普通科(歩兵)連隊の一部をアメリカ海兵隊型の部隊に改編することをすでに先行実施している。
 8月31日の朝日新聞によると、陸自が「水陸両用部隊」への改編を検討しているのは、九州南部を担当する第8師団(熊本)の一部や、沖縄本島に常駐する第15旅団の中の普通科連隊。占拠された離島に近づいて奪回したり、後続部隊のための陣地を確保したりする機能をもたせる考えで、モデルは米海兵隊。陸自は06年1月から、米カリフォルニア州の演習場に、西普連や第8師団、第15旅団などから部隊を派遣。離島防衛を想定した共同訓練を、米海兵隊と続けてきた、とある。
 陸自の海兵隊化を検討しているのではなく、06年から先行実施しているのだ。陸自は03年12月から06年7月までイラク・サマワに常駐し、陸自隊員は対ゲリラ戦争訓練をしてイラクに向かっていた。その頃から陸自の海兵隊化が始まっていたのだ。
 それを日帝自衛隊の基本方針としてはっきりさせて推進するということだ。

 離島防衛で自衛隊配備

 離島防衛などと「防衛的言い方」をしているがきわめて侵攻的な戦争政策だ。
 一つは南西諸島の防衛と称して中国艦隊が南西諸島(九州の南方から台湾の東方にかけて点在する諸島の総称。大隅諸島、トカラ列島、奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島)の間を抜けて太平洋に出てくるのを監視すること、いざとなったらこのラインで中国艦隊を封鎖すること、そのために石垣島、宮古島への自衛隊配備の検討が始まっている。
 二つには「2500の離島」と言うが、問題になっているのは釣魚台(ティアオユイタイ)だ。この島の領有権をめぐる対立を、日帝は意識的に対中国戦争に発展させようとしているのだ。
 9月7日、中国領・釣魚台(日本名「尖閣列島」)付近で中国漁船と海上保安庁の巡視船2隻の「衝突」が引き起こされた。海上保安庁は船長を公務執行妨害で逮捕し、漁船と乗組員を石垣島に連行した。これは戦争行為そのものだ。

 釣魚台は中国領

 マスコミは釣魚台は日本領だと大宣伝している。事実は釣魚台は歴史的にも完全に中国の領土である。
 @日帝は1894年に「日清戦争」を開始し、戦争の勝敗が確定した戦争末期の1895年1月に台湾省に先駆けて釣魚台に「国標柱」を建て、4月の「下関条約」による台湾略取の一環として略奪した。日帝は敗戦後もこそくに領有権を主張している。
 A釣魚台は中国大陸に接続する大陸棚が海面に突き出たものだ。沖縄(琉球)群島との間には2千b以上の海溝(沖縄トラフ)が横たわる。
 B昔から台湾漁民の漁場であり、しけの時の避難場所であり、水の補給や休息の場所であった。
 「離島防衛」とは、南西諸島で自衛隊を中国と軍事的に正面対峙させ、自衛隊・日本全体を戦争的緊張の中にたたき込み、排外主義をあおり、侵略戦争を準備する攻撃だ。
 報告書は、「武器輸出3原則の見直し」「非核3原則の見直し」「集団的自衛権行使」「敵基地攻撃能力の獲得と行使」「日本版NSC(国家安全保障会議)の設置」「PKO参加5原則見直し」など戦後の日帝の「国家」「軍事」のあり方の根本的な転換を主張する内容で埋め尽くされている。北朝鮮・中国侵略戦争のための新安保懇報告を絶対に粉砕しよう。

 名護新基地建設阻止

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設受け入れの是非が争われた9月12日の名護市議選では、移設に反対する稲嶺進市長派が16人当選(定数27)し圧勝した。沖縄県民の普天間基地移設反対の意思が強烈に示された。もはや普天間も嘉手納も一切の米軍基地撤去しかないということだ。
 沖縄県民は日帝国家権力と徹底的に闘う決意を固めた。沖縄県民の移設絶対反対の意思は、11月28日投開票の沖縄県知事選でもはっきりと表現されるだろう。鳩山政権下で噴き出した米軍基地撤去を求める県民の怒りは、もはやとどまることを知らない根底的な信念になっている。
 沖縄では、県民の基地反対の気持ちを逆撫でする事態が次々と起きている。
 沖縄本島の北にある東村高江に新しいヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を建設する話は96年のSACO(沖縄特別行動委員会)で日米が合意した。北部訓練場の半分にあたる約4000fを返還する代わりに、高江に6カ所のヘリパッドを新設する話だ。
 新設されるヘリパッドは約160人の住民が住む集落を囲む形になっている。しかも海兵隊は2012年にCH46ヘリを垂直離着陸機「V22オスプレイ」に交代させると公表している。オスプレイは事故続きのいわくつきの航空機だ。住民たちは07年7月の着工から座り込みを始め工事を阻止してきた。
 SACO合意では東村に隣接する安波訓練場も条件付きで返還が決まった。条件とは高江のヘリパッド新設予定地につながり、北部訓練場に空海から上陸できる水域と土地を新たに提供し本格的な訓練施設を追加することであった。名護新基地とぴったり符合する話だ。名護に新基地をつくりオスプレイを配備し、訓練を近くの高江のヘリパッドで行うという許しがたい攻撃だ。
  米軍普天間基地の辺野古移設の策動を続ける日米両政府は、工法の最終決定を11月沖縄県知事選の後に先延ばしするなど、危機と破綻を深めているが、さらに重大な事実が明らかになった。   米軍普天間基地の辺野古移設の策動を続ける日米両政府は、工法の最終決定を11月沖縄県知事選の後に先延ばしするなど、危機と破綻を深めているが、さらに重大な事実が明らかになった。
 辺野古への移設手法をめぐる8月中旬の日米実務者、専門家協議で、米政府が、軍用機の飛行経路(有視界飛行)に関して地元に騒音被害がないかのような日本政府の説明は海兵隊の運用の実態とかけ離れていると主張して、日本側と対立したという。24日付琉球新報が報じた。
 「地元に配慮して騒音被害がないようにする」という06年米軍再編の日米合意以来の説明がとんでもないウソだった。
 さらに名護新基地に自衛隊常駐が検討されていることが明らかになった。県民の腹の底からの怒りを呼び起こしている。
 さらに政府は、8月25日に嘉手納弾薬庫に保管されている劣化ウラン弾について容認する見解を県に示していたことが分かった。米軍は95年12月から96年1月にかけて鳥島射爆場で劣化ウラン弾152
0発を投下している。劣化ウラン弾は二つのイラク戦争で使用した核爆弾だ。絶対に認められない。
 そして8月28日、「新安保懇」は、先島諸島(宮古列島・八重山列島)に自衛隊配備を提言した。沖縄戦で大きな犠牲を出し、戦後は広大な米軍基地に苦しみ闘い続けてきた。そして普天間基地即時返還、名護新基地移設阻止の闘いが大きく高揚している時に対中国戦争のための石垣島、宮古島、与那国島への自衛隊配備を持ち込んできた。
 沖縄は、72年ペテン的「返還」以後、自衛隊の沖縄配備に激しく抵抗してきた。「軍隊は住民を守らない」。これが沖縄戦の教訓だ。県民の怒りは拡大する一方だ。
 9月12日、沖縄・北中城村議会選挙で宮城盛光候補は激戦の末7期目の当選をかちとった。保育所民営化絶対反対・辺野古新基地建設絶対反対で闘い勝利した。4・9政治和解=労働組合解体攻撃に絶対反対を貫いて勝利した。
 菅政権の新成長戦略と一体的である安保・沖縄政策は労働者の怒り、労働組合の存在・闘いと、絶対に激突せざるをえない。国鉄全国運動で職場の労働者を組織し、労働貴族・ダラ幹を打倒し、組合権力を握って連合支配をうち破ろう。闘う労働組合と活動家は11・7労働者集会に総決起し、新成長戦略粉砕・菅政権打倒をかちとろう。日米安保粉砕、名護新基地建設阻止、沖縄基地全面撤去をかちとろう。北朝鮮―中国侵略戦争を阻止しよう。

■第2章

 オバマの対中軍事政策 米韓合同演習で中国を挑発

 韓国哨戒艦沈没事件を口実に、7月下旬から米韓合同軍事演習が連続的に行われている。これは北朝鮮―中国侵略戦争の策動だ。演習は年末まで断続的に続く。米日韓の北朝鮮侵略戦争策動を粉砕し、日米安保粉砕・米軍基地全面撤去へ闘おう。

 史上最大の侵略大演習 

 ここでは米原子力空母ジョージ・ワシントンを軸として、7月25日から28日まで日本海で行われた米韓軍事演習の内容を暴露・弾劾する。
 演習は、参加人員8000人、艦艇20隻、航空機200機で史上最大の米韓合同演習として行われた。
 演習では各艦船のレーダーがコンピューターを通して艦隊全体が巨大なひとつの目を持って、広範な作戦範囲内にある北朝鮮・中国の航空機や艦船の動向をすべて掌握し、警戒・監視しながら作戦行動した。
 演習にはステルス戦闘機F22ラプターが参加した。F22ラプターはステルス機能を生かし北朝鮮の警戒をかいくぐって領内に侵入し、堅固な地下施設破壊のために作られた小口径爆弾SDBで核施設の破壊を狙う。北朝鮮本土の爆撃を想定しているのだ。
 北朝鮮の潜水艦に対する演習というが、北朝鮮侵略戦争が対中国戦争へ発展することを想定した演習が行われた。空母を米韓両軍の戦闘機が護衛する訓練などは、中国が開発中という「空母キラー」と呼ばれる対艦弾道ミサイルを想定したものだ。
 なお海上自衛隊員4人がジョージ・ワシントンに乗り込み、米韓合同演習に参加したことは重大だ。米日韓一体の戦争体制づくりを狙っている。
(写真 7月25日、韓国南部の釜山港で、米韓合同軍事演習に参加する米海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンと韓国海軍の大型輸送艦【左奥】)

 中国が猛然と反発

  米韓合同軍事演習に対して中国スターリン主義が強烈に反発し、対抗的な軍事演習を行っている。米帝はこの間、対北朝鮮政策としては中国を利用する6カ国協議で対応してきた。北朝鮮の核武装化を6カ国協議の枠の中で抑え込む政策だ。しかし、世界大恐慌の下で北朝鮮危機が激しく進行し、韓国哨戒艦「天安」沈没事件が勃発した。韓国のイミョンバク政権は、これを絶好の口実として「北朝鮮の仕業」と断じて北朝鮮への戦争的危機をあおった。朝鮮半島は一触即発の戦争危機に陥った。   米韓合同軍事演習に対して中国スターリン主義が強烈に反発し、対抗的な軍事演習を行っている。米帝はこの間、対北朝鮮政策としては中国を利用する6カ国協議で対応してきた。北朝鮮の核武装化を6カ国協議の枠の中で抑え込む政策だ。しかし、世界大恐慌の下で北朝鮮危機が激しく進行し、韓国哨戒艦「天安」沈没事件が勃発した。韓国のイミョンバク政権は、これを絶好の口実として「北朝鮮の仕業」と断じて北朝鮮への戦争的危機をあおった。朝鮮半島は一触即発の戦争危機に陥った。
 米韓日は国連などあらゆる機会をとらえて北朝鮮の孤立化を図った。北朝鮮の崩壊を促進する戦争戦略「5030」を発動している。
 ところがこの戦争戦略は、実は対北朝鮮のみならず対中国戦争としてもあるのだ。米韓合同演習は、実は対中国戦争として構えられている。
 ジョージ・ワシントンは、米韓合同演習を終えると8月16日にベトナム沖で、米ベトナム合同軍事演習を行っている。ここには西沙諸島、南沙諸島の領有権をめぐるベトナムと中国との対立がある。ここに米帝が対中国の軍事的観点から介入した。
 北朝鮮をめぐり、ベトナムをめぐり米帝の対中国戦争を見すえた対応が激しく始まっている。とりわけ北朝鮮問題は中国にとって死活的な課題となっている。いわば中国の勢力圏としてある北朝鮮が帝国主義によって切り取られる問題であり、中国スターリン主義の崩壊につながりかねない問題である。
 ここでは中国スターリン主義の対応は本質的に受動的で対抗的に積極的なものであることをみなければならない。かつてカクマルが「ソ連起動力論」などを叫び、世界の悪の根源はソ連であると主張した。今もこの情勢で「中国脅威論」が叫ばれている。
 しかし中国の資源や市場争奪戦への参入の契機が、中国スターリン主義体制の護持のためであること、改革・開放路線の下で爆発的な経済成長を達成してきたが、8%成長が体制護持のために絶対の線であること、それを必死に維持するために資源(石油・食料)・市場を国家丸ごとの体制をかけて確保しようとしていることだ。軍事力の拡大・強化もこの点を押さえて見る必要がある。
 つまり資源・市場獲得競争と言っても帝国主義の利潤動機とは根本的に違うことだ。そのため中国労働者階級人民の反乱を死ぬほど恐れている。それが体制の崩壊に直結しかねないからだ。

 中国の脅威を強調

 米の「4年ごとの防衛見直し(QDR)2010」は、
 「合州国は遠距離において大規模な作戦を発動し維持できる唯一の国家である」  「合州国は遠距離において大規模な作戦を発動し維持できる唯一の国家である」
 と言い、米帝が現在において世界支配において唯一のリーダーシップを取る国家であることを宣言している。
 「米帝の国防戦略」として4点あげている。
1、今日の戦争に打ち勝つ
2、紛争の抑止と阻止
3、相手を打破し広範な不測事態において成功するための準備
4、完全志願制部隊の保持と強化
 以上の4点が絶対の課題だ。3項は中国を意図している。そして重要任務として6点をあげている。
1、合州国を防衛し国内の民間当局を支援
2、対内乱、安定化、およびテロリズムの作戦に成功
3、協力国の安全保障能力の育成
4、接近阻止の環境における攻撃を阻止および打破
5、大量破壊兵器の拡散防止と対処
6、サイバースペースにおける効果的な作戦
 4、6項は中国軍事力の増強を念頭に置いた記述だ。5項は北朝鮮、イランの核問題を対象としている。
 QDRは、急速に強大化する中国の軍事力を国防戦略と軍事力整備を検討する際の主要な対決の「可能性のある相手」と明確に位置づけている。中国の「接近阻止」の戦略をきわめて重視している。
 QDRは次のように述べている。
 「そのような挑戦をする手段を備えた国は、広範な精巧な武器を取得しつつあり、接近阻止戦略を協同して支え、地域に対する米軍の投入を妨害し、前方に展開するそれらの部隊の作戦を遅滞させることを狙いとする能力を備えている」  「そのような挑戦をする手段を備えた国は、広範な精巧な武器を取得しつつあり、接近阻止戦略を協同して支え、地域に対する米軍の投入を妨害し、前方に展開するそれらの部隊の作戦を遅滞させることを狙いとする能力を備えている」
 そして中国は
 「大量の新型中距離弾道ミサイルと巡航ミサイル、進歩した兵器を備えた新型の攻撃型潜水艦、能力を向上させた長距離防空システム、電子戦とコンピューターネットワーク攻撃能力、新型戦闘機、および宇宙システムを開発し配備しつつある。中国は軍近代化計画の速度、規模、および最終的目標についてごく限られた情報しか公表しておらず、当然に長期的な意図に関して多くの疑問が上がっている」 米帝は、西太平洋地域における中国の接近阻止戦略を、米国の前方展開(在韓米軍、在日米軍、ガアムなど)と戦力投入に対抗してこれを阻止する戦略ととらえているが、根本的に地球規模で展開する米軍の米国益のための行動の自由に対する脅威とみなしている。  「大量の新型中距離弾道ミサイルと巡航ミサイル、進歩した兵器を備えた新型の攻撃型潜水艦、能力を向上させた長距離防空システム、電子戦とコンピューターネットワーク攻撃能力、新型戦闘機、および宇宙システムを開発し配備しつつある。中国は軍近代化計画の速度、規模、および最終的目標についてごく限られた情報しか公表しておらず、当然に長期的な意図に関して多くの疑問が上がっている」 米帝は、西太平洋地域における中国の接近阻止戦略を、米国の前方展開(在韓米軍、在日米軍、ガアムなど)と戦力投入に対抗してこれを阻止する戦略ととらえているが、根本的に地球規模で展開する米軍の米国益のための行動の自由に対する脅威とみなしている。
 米帝は、中国を軍事的な脅威とみなし、対策に全力をあげている。史上最大規模の米韓軍事演習はそれをはっきりと見せつけた。
 しかし米帝は大恐慌とイラク・アフガニスタン両戦争で敗北を重ね、かつてない苦境に陥っている。米帝の経済的権威、軍事的権威の凋落(ちょうらく)も甚だしい。大恐慌が促進する帝国主義・大国間の資源・市場をめぐる争闘戦、世界経済の分裂化・ブロック化が世界戦争を不可避とするが、米帝がもうひとつの大戦争を構えること自体が、アメリカ革命と世界革命の引き金を引くことになる。

 「イラク撤退」の危機性

 8月18日、戦闘部隊の撤退が報じられる直前に、オバマ大統領はフロリダ州マイアミで演説し、「(大統領就任から)今月末までに、計10万人の米兵をイラクから撤退させ、戦闘任務を終えることになる」と「責任ある撤退」が順調に進んでいることをアピールした。
 オバマは、声明で「今後はイラク治安部隊が国の安全に責任を負い、米軍は助言と支援の役割に回る」「残る5万人規模の米軍は、イラク治安部隊66万5000人を訓練し、来年末までに完全撤退する」方針を確認した。
 イラク治安部隊は何の準備もできていない。大使館、領事館などの警備はイラク治安部隊に任せず、米国務省は民間警備会社の警備員を7000人に倍増する方針だ。イラク軍の大尉も「米軍抜きの治安維持は無理」と断じている。米軍が撤退してから部下から「燃料不足でパトロールにも出られない」との報告が入るようになったという。
 イラク治安部隊の訓練のための予算が確保されるかも疑わしい。イラク・アフガニスタン戦争合わせて戦費は1兆jという発表もあったが、実は3兆j(260兆円)との試算もある(8月11日朝日新聞)。
 イラク戦争を「戦う価値がない」と否定的にとらえる世論は6割超。米ABCが7月に実施した調査で71%が8月末の戦闘部隊撤退を支持した。現役や退役後の兵士の自殺は過去最悪を記録。米社会に「戦争疲れ」「厭戦気分」が蔓延し、民主党は11月中間選挙で苦戦している。

 アフガニスタンでの敗勢

 アフガニスタンにおける米軍の敗勢もより深まっている。アフガニスタン駐留米軍の7月の死者は66人に達した。アフガニスタン開戦以来の外国人部隊の死者は2000人を突破した。
 新たに着任した駐留米軍のペトレアス米司令官は、来年7月撤退のオバマの公約について、「私がその時期について縛られているわけではない」と断言。戦況全体について「われわれは進展しているが、戦争に勝利するには、多くの進展を重ねる必要がある。これは長期の取り組みだ」と述べた。バイデン副大統領の「来年7月数千人の米兵帰還」発言について「現時点でいかなる予想も時期尚早」と楽観的な希望に対しては慎重論を述べた。
 カルザイ大統領は、8月17日、アフガニスタン国内で活動する民間軍事会社52社に対して、年末までに解散するように命じる大統領命令を出した。52社で3〜4万人が働いているといわれる。民間軍事会社は、外交官や国連職員の警護に加え、駐留外国軍の後方支援なども担っている。民間軍事会社の要員が市民を射殺する事件が発生し民間軍事会社に対する非難の声が上がっている。しかしアフガニスタン軍がこれまで民間軍事会社が担ってきた後方支援活動を代替する力はなく、「非現実的な話で、解散を強行すれば混乱が広がるだろう」とカブールの外交官などは話している。
 そしてアフガニスタン情勢は、ISAF(国際治安支援部隊)の内部からの崩壊がどんどん進んでいる。米軍の撤退への流れは、当然にもISAFの撤退をも促進していくのだ。米軍だけでなく欧州各国軍でも厭戦気分が広がっているからだ。カナダのハーバー首相は「10年も駐留すれば十分だ」と各国の気持ちを代弁している。
・オランダ軍の撤退が始まった。南部ウズルガン州担当で1950人駐留
・カナダ軍 11月中旬撤退 カンダハル州担当 2380人駐留
・イギリス軍 14年中に撤収 ヘルマンド州 9500人駐留
・ポーランド軍 13年撤収 2630人駐留
 QDRでは、すべての項目において「同盟国と協力国」の立場に配慮し協力関係の強化を主張している。しかし世界大恐慌の進展、米帝の敗戦による権威失墜、帝国主義・大国間対立の激化により、もはやこれまでのような米帝の思うがままの多国籍軍の形成は不可能に近い。
 そしてグローバル化の結果として全世界に膨大な労働者階級が生まれた。インドの1億人のストライキが爆発した。労働者階級が全世界を獲得する世界革命の時が迫っているのだ。

■第3章

 在日米軍基地の侵略実態日米安保とは恒常的戦争

 日米安保は米帝の世界支配の一環として、東アジアからインド洋・中東・東アフリカに至る軍事支配の要である。在日米軍基地、特に沖縄は前方展開の最前線基地だ。
 日帝は日米安保で米帝の圧倒的な軍事力による世界支配に依存し、在日米軍基地を提供することで戦後的経済成長を実現し、政治・経済的な世界的な展開を保障されている。
 しかし労働者人民にとって日米安保とは戦争である。日米帝の侵略戦争のための軍事同盟、日米安保の実態を明らかにしていきたい。

 嘉手納基地

 米空軍の嘉手納基地の常駐機はF15戦闘機を中心にして約120機と言われている。ところが今年5月11日から岩国基地所属のFA18ホーネット戦闘攻撃機15機とAV8Bハリアー垂直離着陸攻撃機6機の計21機が飛来した。そして5月26日からはステルス戦闘機F22Aラプターが合計12機飛来した。6月25日には再びFA18が12機岩国基地から飛来し、この段階での外来機は報道によれば24機を数えている。
 8月13日にはF22がさらに8機飛来し、この段階で嘉手納基地の外来機はFA18とAV8B、さらにF22が合計20機と総計40機を超えるという事態になった。
 また8月20日には、F15戦闘機4機がKC135空中給油機1機を伴って事前通告なしに嘉手納基地に飛来した。同日には13日から嘉手納基地に駐留していたF22戦闘機8機がKC135空中給油機2機とともにグアムに帰還している。このF22と今回飛来したF15は同じバージニア州ラングレー空軍基地に所属し、現在グアムに一時配備されているものである。
 F15、FA18、F22、AV8Bが代わる代わる嘉手納基地に飛来するという激しい運用が日常的に行われているのである。
 このようにして嘉手納基地に飛来している外来機はいったい沖縄で何をやっているのか?
 5月12日にはFA18がクラスター(集束)爆弾の投下演習を行い、同17日には4機のFA18がそれぞれクラスター爆弾1発を装着して離陸した。いずれも鳥島射爆場に投下したと見られる。空母艦載機であるFA18と最新鋭のステルス戦闘機F22が嘉手納基地を中心に展開し、クラスター爆弾やナパーム弾の投下演習を繰り返している中に、北朝鮮侵略戦争策動と一体となった沖縄米軍基地の今日の姿がある。

 普天間・海兵隊

 8月11日の琉球新報によると、宜野湾市の調べでは、普天間基地の常駐ヘリ部隊は、1年のうち約半年間は海外展開していることが明らかになっている。また県内に駐留する第3海兵遠征軍(3MEF)傘下にある第31海兵遠征部隊(31MEU)の09年の海外展開は、5、6、9月を除いたすべての月にまたがっていた。07年は1〜8月に第262海兵中型ヘリ中隊がイラクに派遣されるなど頻繁に海外展開されている。
 31MEUは、海兵隊員2000人と海軍兵200人で編制され、紛争や自然災害さらにフィリピン、タイ、オーストラリア、韓国など米の同盟国の訓練を目的に海外に出動している。
 その他の沖縄海兵隊のイラク・アフガニスタン参戦の実態は以下の通り。
 07年に第3海兵師団は海兵隊員をイラクに派遣し、軍事転換チームを4個編制してイラク軍兵士を訓練した。同じ年に訓練チームを5個編制してアフガニスタンに派遣し治安部隊を訓練した。
 08年8月末に戦闘強襲大隊の隊員など60人がイラク・アンバル州での7カ月の任務を終えて沖縄に戻った。路肩爆弾の探知や爆発物の処理をイラク軍に教えた。
 08年11月、第3偵察大隊の隊員180人が7カ月のイラク・アンバル州での任務を終えて沖縄に戻った。反米武装勢力に対する偵察、監視、襲撃を任務としていた。
 08年1月、沖縄から20人の海兵隊員がアフガニスタンに同軍の訓練のために派遣された。同年4月にも80人がアフガニスタンに派遣された。任期は9カ月だった。
 08年3月には普天間基地に配備されている第172海兵隊航空団支援隊の560人がイラクのアンバル州に派遣された。7カ月の期間で25カ所以上のヘリ着陸場を建設し、10万3062dの荷物を輸送した。
 08年3月、第4戦闘兵站(へいたん)大隊の隊員400人がイラクのアンバル州に派遣され、補給、輸送路の警備、破損した車両の修復などをした。
 09年3〜4月、第9工兵支援大隊の400人が7カ月の派遣期間を終えて沖縄に戻ってきた。イラクでは建物の建設、道路の舗装、イラクの西部国境地帯で国境に金網を設置する工事に従事した。

 増強される岩国基地

 岩国は米海兵隊の航空団の基地で固定翼機が配備されている。FA―18Dホーネットが沖縄・嘉手納に飛び鳥島で射爆訓練を行っている。
 今年5月29日、沖合1`のところに建設されていた米軍岩国基地の新滑走路の運用が始まった。新滑走路は長さ2440bで幅60b。日米両政府は在日米軍再編で、神奈川県の厚木基地から岩国基地に空母艦載機の移転で合意した。
 移設された米軍岩国基地(岩国市)について、米軍が1999年の段階で、移設事業による港湾施設拡充後の貨物取り扱い能力を試算し、「米軍の海上輸送作戦を支援するに十分な能力を持つ港湾になる」と分析していることが分かった。北朝鮮―中国侵略戦争に備えたものだ。

 グリーンベレー

 沖縄のトリイ・ステーションに第1特殊部隊群第1大隊(グリーンベレー)が配備されている。第1大隊は3個中隊で編成されており兵員数は400人。
 沖縄のグリーンベレーの主たる任務は「不朽の自由作戦フィリピン」である。
 米帝の「対テロ戦争」は、「不朽の自由作戦」と名乗ってアフガニスタンを中心にフィリピン、ソマリア、トランス・サハラなど世界6カ所で展開されている。フィリピンにおける「不朽の自由作戦」は、フィリピン・ミンダナオ島と周辺海域でのイスラム武装闘争勢力を対象とした侵略戦争である。米軍(米太平洋特殊作戦コマンド)はミンダナオ島におけるイスラム勢力と対決するフィリピン軍を訓練や助言などの方法で主導している。沖縄のグリーンベレーは、01年9・11以前の01年3月から一貫してフィリピン南部に派遣され活動している。
(図 ■在日米軍基地及び主力戦闘部隊)

 米軍横須賀基地

 横須賀を母港とする米空母は、朝鮮半島や台湾を柱に東アジア全体から中東―アフリカ東海岸までをにらんでいる。横須賀を母港とした最初の空母であるミッドウェーは91年のイラク・中東侵略戦争に参戦した。次の空母インディペンデンスは96年の台湾危機の際に二つの空母戦闘群のひとつとして派遣された。98年1月にはイラク情勢緊迫の下で急遽(きゅうきょ)ペルシャ湾に派遣された。
 次の空母キティホークはアフガニスタン侵略戦争参戦のために01年10月に艦載機を15機ほど搭載し横須賀を出港、北アラビア海でアメリカ軍特殊部隊約600人と約20機の米陸軍ヘリの発着基地となった。
 03年1月、イラク侵略戦争のためにキティホークは横須賀を出港した。キティホークの艦載機は、3月20日開始したイラク侵略戦争で3000回以上出撃し、90万d近い爆弾を投下しイラク人民多数を虐殺した。そして横須賀に来たジョージ・ワシントンは、今や北朝鮮侵略戦争のための米韓合同演習の主力として参加し、北朝鮮侵略戦争そのものを仕掛けようとしている。
 ジョージ・ワシントンの艦載機はFA18Fスーパー・ホーネット(すずめ蜂)戦闘攻撃機などの各種のホーネット戦闘攻撃機などである。厚木基地を拠点としている。
 空母が横須賀にいる時は、艦載機は厚木基地で猛烈な騒音を上げて離着陸訓練を繰り返す。夜間の離着陸訓練をNLPというが、厚木でもこれが行われ生活破壊の騒音が大問題になっていた。
 そのために91年3月からNLPは、硫黄島(厚木でも)で暫定的に行われているが、05年10月29日に日米政府が署名した「日米同盟:未来のための変革と再編」で米軍再編を具体的に決めた。その中で硫黄島は遠すぎるので「できるだけ早く代替施設を選定する」とされている。また空母の艦載機は厚木から岩国に移駐することも決められた。しかしこの移駐には岩国の労働者人民が猛然と反対し、住民投票(06年3月12日)では反対が過半数を超えたが、受け入れ推進派が市長選(08年2月11日)で選出され、激しい反対闘争が続いている。

 佐世保基地

 佐世保は、沖縄の海兵隊を戦場の最前線に運ぶ強襲揚陸艦エセックスとドック型輸送揚陸艦デンバー、ドック型揚陸艦トーチュガ、同ハーバーズ・フェリーなどが母港としている。佐世保の揚陸艦は、98年10月末にペルシャ湾に派遣された。イラク情勢が緊迫したためだった。ペローウッド(エセックスの前の強襲揚陸艦)、ドック型輸送揚陸艦ダビュー、同シャーマンタウン、それに沖縄の第31海兵遠征隊が乗り組んだ。
 04年8月に沖縄国際大学に墜落した普天間基地所属のヘリは、イラクへの派兵部隊であった。この事故によってイラクへ向かおうとしていた強襲揚陸艦エセックスとハーバーズ・フェリーとジュノーは勝連半島沖での待機を余儀なくされた。その後、米軍は県民の猛反発の中で普天間基地のヘリを強引に強襲揚陸艦に搭載してイラクの戦場へと向かった。

 寄港が増える米原潜

 横須賀、佐世保、沖縄のホワイトビーチに米海軍のロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦(原潜)が寄港している。
 寄港回数が増え、07年48回、08年61回、09年は17隻59回に上った。沖縄のホワイトビーチ32回、横須賀基地17回、佐世保基地10回となっている。
 平時の原潜の任務は情報収集とされる。敵潜水艦の動向探知、沿岸部での通信電子情報収集だ。ホワイトビーチ寄港が増えているのは、対象を中国海軍に移したからだ。
 08年10月16日、初めて巡航ミサイル搭載型原潜オハイオ(原潜で最大の1万6764トン)が横須賀に寄港した。11月14日にはホワイトビーチに寄港した。オハイオは、核弾頭付き弾道ミサイル(SLBM)搭載の戦略原潜であったが、改造され、「海中からの核ミサイルの発射」から、「敵目標近くへの海軍特殊部隊の派遣及び支援」へと大きく変化した。24基の核弾道ミサイル発射筒のうち22基をトマホーク発射筒に改め最大で計154発を搭載可能とし、残りの2基を海軍特殊部隊「シールズ」のために改造、小型潜水艇を搭載している。敵地を巡航ミサイルで攻撃し、特殊部隊を敵地に上陸させる対北朝鮮、対中国を見すえた改造だ。
 10年9月3日、米海軍の最新鋭バージニア級攻撃型原子力潜水艦「ハワイ」(乗員136人、7800d)が横須賀基地に寄港した。
 バージニア級はロサンゼルス級、シーウルフ級の後継として開発された攻撃型原潜。対潜水艦・水上艦戦用の魚雷発射管4基のほか垂直発射管12基を備え、巡航ミサイル・トマホークによる陸上攻撃が可能。海軍特殊部隊「シールズ」の隊員や小型潜水艇を輸送する。
 06年の米国防総省「4年ごとの防衛政策見直し」(QDR)は海軍力の分野で、特殊作戦と巡航ミサイルによる精密誘導攻撃の能力強化を重視。太平洋地域での軍事態勢強化を打ち出し、10年末までに潜水艦の60%を同地域に重点配備することを決めていた。
 重大なのは、米軍はロサンゼルス級攻撃型原潜の一部に核弾頭付きトマホークを搭載し、核攻撃態勢をとる方針を続けていることだ。
 米議会の「戦略態勢委員会」の最終報告(09年5月)は「アジアにおいて拡大抑止は若干のロサンゼルス級攻撃型潜水艦の核巡航ミサイル=トマホーク陸地攻撃核ミサイルの配備に大きく依存している」と指摘している。

 三沢のFの任務

 米軍三沢基地にはF16ファイティング・ファルコン戦闘機36機が配備されている。三沢のF16の任務は敵防空網破壊と敵防空網制圧で、高速対レーダー・ミサイルを発射して敵のレーダー基地や地対空ミサイル基地を破壊することにある。戦争になったら真っ先に投入される部隊だ。
 03年からのイラク侵略戦争に参戦している。07年1月に三沢の第14戦闘飛行隊はイラク・バクダット郊外のハラド基地に派遣され、地上部隊に対する近接航空支援(反米武装勢力と戦う地上部隊を空から援護する)を行った。1〜5月の4カ月間に1440回の戦闘出撃を行い、500のレーザー誘導弾を11発、その他の誘導弾を11発投下した。
 07年5月に交替してイラク派遣された三沢の第13戦闘飛行隊の4機は8月12日、イラク・ハラド基地を出撃し、GBU―38と呼ばれるGPS(全地球測位システム)と慣性航法装置を組み合わせた精密誘導爆弾(240`)を12発以上、アフガニスタン東部の反政府武装勢力タリバンの拠点に投下した。往復約6800`、11時間に及ぶ長距離飛行で、小型の戦闘機としては前代未聞の作戦。そのため、13回にわたって空中給油を受け、6カ国の上空を通過したという。
 このイラク―アフガニスタン間の長距離爆撃は、イラン攻撃の予行演習だったと指摘する声がある。
 三沢基地の第13飛行隊のF16戦闘機部隊が09年2月23日、韓国に向けて出発した。派遣期間は半年。同基地のF16が訓練以外に韓国で任務に就くのは初めて。
 米政府が09年4月、三沢基地に配備しているF16戦闘機約40機すべてを早ければ年内から撤収させるとともに、米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)のF15戦闘機50機余りの一部を削減させる構想を日本側に打診していたことが報道された。オバマ米政権の発足に伴う国防戦略の見直しを反映した動きだ。
 以上、在日米軍の侵略戦争実態を報告した。まさに一日の休みもなく米軍は沖縄を軸とする在日米軍基地を前方展開基地としてイラク、アフガニスタン、フィリピン、ソマリアなどで戦争している。
 これを支えているのが日米安保である。沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒の闘いが反戦・反基地闘争として前進させられなければならない。連合が戦争翼賛勢力と成り果てた今、国鉄闘争全国運動をもって連合支配をひっくり返して反戦政治闘争を発展させていこう。11・7全国労働者総決起集会の成功をかちとろう。

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月刊『国際労働運動』(411号5-1)(2010/11/01)

翻訳資料

■翻訳資料 労働組合シオニズムとヒスタドルート

国際ユダヤ人反シオニスト・ネットワーク労働運動グループ/パレスチナ支持労組連合(米)、2010年4月13日

土岐一史 訳

 【解説】

 イスラエル軍によるガザ封鎖、支援船の襲撃に対して、全世界の労働者がイスラエルとの闘いに決起している。
 米西海岸のILWUローカル10(国際港湾倉庫労組第10支部)の労働者は6月20日、オークランド港でイスラエル船の荷役を拒否した。(写真)
 そしてこの闘争に対して、体制内指導部を含めて、地域の労働組合組織が賛同した。
 また労働貴族で有名なイギリスのナショナルセンターであるTUC(労働組合会議)さえ、イスラエルボイコットに賛同している。
 これはかつてない画期的な事態だ。イスラエルをめぐる力関係、そして帝国主義国内の階級闘争の力関係が大きく変わったのだ。
 というのは、従来、どれほどイスラエルが暴虐をふるっても、アメリカ労働運動の既成指導部はイスラエルを支持してきたし、また、体制内「左派」勢力も、イスラエルには手を出さないという姿勢を貫いてきたからだ。01年9・11以後のイラク反戦運動においても、イスラエル・パレスチナが問題になったとたんに統一戦線が分裂するということが続いてきたのだ。
 イスラエルとそれを支える運動・シオニズムは、一方で、金の力、暴力の力を持っていると同時に、あたかも、差別反対闘争の一種であるかのような装いをとり、それに反対する者を、ナチスのユダヤ人迫害・虐殺の加担者であるかのように糾弾することをもって社会的な力を得てきた。特に、労働運動の既成指導部は、これを口実にして、シオニストのヒスタドルート(イスラエル労働総同盟)と密接な協力関係を作ってきた。
 だから、ヒスタドルートについて正確に暴露することが絶対に必要だ。
 ヒスタドルートは、労働運動右派でさえない。最初から植民地入植者の経営体であり、さまざまな企業を経営してきた。またパレスチナ人襲撃・虐殺を行う軍事組織、行政組織を作り、イスラエル国家そのものの原型になってきた。
 そして、ナチスと協力し、同胞を大虐殺に売り渡すことによって、ユダヤ人移民の波を作り出した組織なのだ。
【原文は各引用文に詳細な出展が示されているが、紙数の関係で一部のみを訳出した】
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(写真 イスラエル船ボイコットのピケットを張る地域の労働者【6月20日 オークランド】)

 概観

 アパルトヘイト・イスラエルへのボイコット・出資引き揚げ・制裁(BDS)の呼びかけにおいて、すべてのパレスチナの労働組合が、標的をシオニスト労組ナショナルセンターたるヒスタドルートに絞っている。それは後述するように、ヒスタドルートが、自分たちの「進歩的」機関というイメージを、1920年代から続くパレスチナ人への人種差別、アパルトヘイト、土地強奪、民族浄化の攻撃の先頭に立ち、かつそれを隠蔽(いんぺい)するために使ってきたからだ。ヒスタドルートは、1900年代初頭から続く労組シオニズムの要石となってきた。

 植民地計画

 1890年代の終わりに端を発するシオニズムは、公然たる植民地計画として形作られた。シオニズムは、先見の明のある帝国主義的後援者に、ユダヤ人をまとめてヨーロッパから排除することを約束した。テオドール・ヘルツルの言葉で言うと、戦略的要地に「野蛮に対する文明の前哨基地を築き」〔ヘルツル『ユダヤ人国家』〕、ヨーロッパやアメリカ合州国での急進的社会主義へのユダヤ人労働者階級の支援を弱体化させるためだ。ヘルツルが列挙するように、「私はユダヤ人を革命党から引き離すつもりだと説明した」〔『ヘルツル日記全集』)

 ほとんどなかった労働者階級の支持

 ほとんどのユダヤ人がまだ労働者階級だった頃、労組シオニズムは、これらの約束を実現する要の役割を担うことになった。だが当初は、彼らの約束は何一つ成就しなかった。「労組シオニズムは、ユダヤ人が離散したいかなる国でも、ユダヤ人労働者階級の主要な組織で勝利することができなかった」からだ。
 ユダヤ人の大部分が住むロシアでは、社会主義運動はシオニズムと非和解に対立していた。シオニズムが反ユダヤ人ポグロームを後援する当のツァーリの役人の歓心を買っていたからだ。同様にアメリカでは、「貧困ゆえに、(ユダヤ人)労働者は革命的少数派が組織する組合へ流れており」、「最盛期には、ユダヤ人労働運動はシオニズムを毛嫌いしていた」。彼らが明らかに、移民労働者の権利のために闘おうとしていなかったからだ。

 反ボリシェビズム

 1917年11月2日、イギリスがバルフォア宣言を発表し、パレスチナに「ユダヤ人の民族的故国」を建設することを約束した目的の一つが、ユダヤ人労働者階級のシオニズムへの敵意を逆転させることだった。
 イギリス政府は、ボリシェビキへのユダヤ人の支援を弱体化させることをことのほか熱望していた。イギリスの主要な同盟国、ロシアを戦争から離脱させると宣言していたからだ。バルフォア宣言のわずか5日後に革命が起こると、イギリスはシオニストと協力して、急進的なユダヤ人をボリシェビズムだと中傷した。
 当時の戦争司令官、ウィンストン・チャーチルは、19
20年2月にこう言明した。「トロツキーの……ユダヤ人支配下の世界規模の共産主義国家という構想は、新しい理想(シオニズム)によって直接挫折させられ、後景化するだろう。……現在シオニストとボリシェビキ的ユダヤ人との間で始まった闘争は、ユダヤ民族の魂をめぐる闘争にほかならない」

 植民地的「国家の原型」

 このような脈絡で1920年に設立されたのがヒスタドルートだ。ヒスタドルートは労働組合と称したものの、実際にはユダヤ人国家の原型だった。それは、弱体だったユダヤ人ブルジョアジーに代わって、主要なシオニストの植民地化プロジェクト、経済的な生産活動と販売活動、労働者の雇用、軍(ハガナー)を握っていた。1930年、ヒスタドルートはマパイを結成した。それはのちにイスラエル労働党になった。
 その結果、ヒスタドルートを支持することは、他国における労働運動を支援することとは全く別のことだった。それは明白に、パレスチナのユダヤ人労働者の植民地化策動への公然たる支援を意味する。
 当然、シオニストの演説や実践、特にますます影響力を強めていたシオニスト労働運動の中心的な目的は、明らかにパレスチナに住んでいるアラブ民族の存在を、国の合法的要求という形で否定することだった。

 植民地的人種差別

 次の30年の間に、この前提は、パレスチナ人とユダヤ人のグループによる、真の平等に基づいた共同の労働組合運動へ向けた取り組みを常に抑圧し、究極的には破壊することになる。
 ヒスタドルートの役割はたちどころに明らかになった。1921年、労組シオニズムの指導者イツハク・ベンツビはこう断言した。パレスチナのアラブ人はイギリスの植民地主義による抑圧を受けておらず、ユダヤ人の入植・定住から実際に恩恵を受けている。アラブ民族主義は大衆に根ざしたものではなく、反動的なアラブの地主やユダヤ人共産主義者を含む「外部の煽動者」が無知なパレスチナ人をだまして植えつけているものだと。
 ヒスタドルートの指導者にはほかに、1947〜48年のナクバ〔イスラエル建国時のパレスチナ人大虐殺〕の期間にパレスチナの先住民の大半に対する組織的民族浄化を実行し、その結果イスラエルの初代首相となったダビド・ベングリオンがいる。
 ベングリオンはヒスタドルートに、アラブ人労働者は別の組合へ組織するよう指示した。「意識的で文化的なユダヤ人労働者の歴史的使命は、イスラエルの地に労働者の自由なコミュニティーを建設することであり」、「労働、規律、相互責任の規律正しい協同生活を営むようアラブ労働者を教育する」ことができるからだという。
 1927年、労組シオニズムの指導者ハイム・アスロソロフは、シオニズムは黒人労働者を熟練労働や組合から排除してきた南アフリカの人種差別を見習うべきだと主張した。1932年、アラブ労働者の組織化を統制するために、ヒスタドルートはパレスチナ労働者同盟(PLL)を立ち上げた。

 「土地と労働者の征服」

 だが労組シオニズムの第一の目標は、「土地の征服」と「労働者の征服」という一個二重の運動だった。それはアラブの農民を土地から引きはがし、アラブの労働者やその製品をボイコットするものだった。
 こうしたヒスタドルートの運動は、ほとんど即座にアラブ労働者階級の抵抗を生み出した。1925年には、ハイファの鉄道労働者はパレスチナ・アラブ労働者協会(PAWS)を設立した。1934年、ヤッファのパレスチナ人港湾労働者は、アラブ労働者協会(AWS)を設立した。
 1936年、イギリスが推進したシオニストの入植と土地占拠に対して、パレスチナ人の6カ月のゼネストが闘われた。これは古今東西で最長のゼネストの一つだ。ヒスタドルートは、この機をとらえて、ユダヤ人労働者をスト中のパレスチナ人鉄道労働者やパレスチナ人港湾労働者に置き換えた。
 その次には、植民地主義への武装反乱が起こった。イギリスはこれに対して、両大戦間で最大の軍事作戦で応じた。その中には、アラブの村落への航空機、火砲による爆撃が含まれる。それでも反乱を鎮圧できないことがわかると、イギリスは労組シオニストのハガナーその他のユダヤ人民兵を武装させ、アラブの住民へのテロを行わせた。反乱は、パレスチナ人の死者2万人、その他多くの人の投獄、国外追放を経て、193
9年にようやく鎮圧された。

 民族浄化計画

 こうしたパレスチナの頑強な抵抗によって、ヒスタドルートは、パレスチナを「民族なき土地」にする目標を達成するために、一層野心的な運動をおこなうことを決意した。ユダヤ人国庫・国土局局長のヨーゼフ・ワイツは、1939年にこう発言した。
 「われわれの間では、国内で両民族が共存する場所がないことは鮮明であろう。……アラブ人をここから隣接する国へ移動させる以外に方法はない。全員を移動させるのだ。ただの一個の村も種族も残してはならない」

 ナチスとの協力

 こうした人口統計学的バランスを達成するために、労組シオニストたちは並行して、ユダヤ人入植者の供給を増やす必要があった。この目的に向かって、彼らは1933年8月25日に「ハーヴァラ」を締結した。これは、ナチスが裕福なユダヤ人を資本丸ごとドイツからパレスチナへ移住させることを認めるという移住協定だった。それと引き替えに、労組シオニストは、国際的ボイコットなどの反ナチス・レジスタンスを積極的に破壊した。
 労組シオニストたちは、パレスチナの植民地化のためにさらなるナチスの支援を求め、1937年10月には、のちにホロコーストを組織するSS隊代表のアドルフ・アイヒマンをパレスチナのキブツ(ユダヤ人入植地)に招待し、ナチスのスパイとして活動することを要請された。1938年に起こったクリスタルナハト(11月9〜10日にドイツ、オーストリアなどで起こったナチスによるユダヤ人大虐殺)の後でさえ、ドイツのユダヤ人難民がパレスチナ以外に避難先を見出さないよう全力を挙げた。
 なんと1944年には、労組シオニストのレショ・カシュトナーがアイヒマンとの間で、著名なシオニストを助命する見返りに、シオニストが75万人のハンガリーのユダヤ人に、差し迫ったアウシュビッツへの移送について口をつぐむことで合意した。
 今日ではほとんど知られていないが、当時このシオニストとナチスとの同盟は公然たる事実だった。ベングリオンは1938年、こう公言した。
 「私がもし、ドイツにいる子ども全員をイギリスへ送って助けるか、半分の子どもをイスラエルの地(パレスチナ)に送って助けるという二つの選択肢を与えられたとしたら、後者の方を選択するであろう。われわれは子どもたちの命だけでなく、イスラエルの民の歴史のことも考慮しなければならない」

 ナクバの指令

 1940年代までに、ヒスタドルート指導部は国際的なシオニスト運動を支配下においた。彼らは「ユダヤ人国家」の分離・承認をアメリカ、ソ連双方から取りつけたことに直接責任を負っている。
 その結果起こった1947〜48年のナクバで、彼らはダレト計画を決行した。これは一連の詳細な関係書類であり、これによって彼らは、先住のパレスチナ住民の少なくとも80%を暴力的に排除した。
 ベングリオンによって指導されたこの民族浄化は、ヒスタドルートの「進歩的」との評判や、ソ連の支持によってほとんどカモフラージュされた。ジョナサン・クックはこう述べている。
 「物理的にパレスチナの住民を追放するに当たって、ベングリオンは当時の政治的好機に応じて、ヘルツルの労組シオニズムを再評価した。とりわけ彼は、ヘルツルの望みたる追放の目標を達成する一方、世界に向かっては、難民の大量移住はほとんど自発的なものだという宣伝活動を大々的に行った」

 ヒスタドルート国家

 上記の事件を決行した労組シオニスト勢力は、そのまま新生イスラエル国家の指揮権を握り、ベングリオンが初代首相になった。ハガナーやパルマッハをはじめとする労組シオニストの軍隊は、新生「イスラエル国防軍」となった。
 ヒスタドルートはそれ自身が国家の中に組み込まれ、その枠内で、パレスチナ人に対する民族浄化とアパルトヘイトを継続・合法化する上で主要な役割を担った。世界の労働界に向かっては自己を労働組合と称していたが、実際には1948年から1977年までイスラエルの与党だった労働党を通じてイスラエルを支配していた。その間ヒスタドルートは、イスラエルで2番目に大きな経営者になっていた。実際、イスラエルの入植がもっとも進んだのは、労働党政権のもとでだった。

 CIAの手先

 70年代初め、ヒスタドルートはアフリカでのCIAやモサドの作戦の導水路だった。ヒスタドルートは後に、エルサルバドルの山村共同体を弱体化させるために、AFL-CIOのAIFLD〔アメリカ自由労組開発協会〕プログラムやCIAと協力した。

 南アフリカのアパルトヘイトとの協力関係

 ヒスタドルートは、イスラエルとアパルトヘイト・南アフリカとの貿易を「ほとんど独占」しており、バントゥスタン政策に喜んで協力した。南アフリカとヒスタドルートの合弁企業であるイスコール社が戦車の装甲を製造した。ヒスタドルートが全部、または一部の株式を有する企業が、反アパルトヘイトのゲリラの通行を妨害するための電子壁の設置に協力した。

 レバノンとガザでの戦争

 どちらの党が政権に就こうと、ヒスタドルートは、あらゆるイスラエルの戦争や占領に協力してきた。
 例えば2006年、ヒスタドルートの事務総長のアミル・ペレツは労働党の国防大臣になり、野蛮な2006年のレバノン戦争を遂行した。シャロン政権の片腕として、彼はヨルダン川西岸の入植地を拡大し、アパルトヘイトの壁を建設した。
 ヒスタドルートは、このことについて今に至るも沈黙している。
 もう一人、労働党国防大臣のユード・バラクは、悪名高い2008〜2009年のガザ戦争を遂行した。これで少なくとも1400人が死亡し、そのうちの400人が子どもだった。彼は明々白々な人種差別主義者たるネタニヤフ体制のもとで国防大臣の地位にとどまった。
 ヒスタドルート自身も、ガザへの戦争を次のように言って支持した。「(ヒスタドルートは)イスラエル国が組織的なテロのネットワークの指揮・統制センターを攻撃することが緊急に必要であることを認める」

 パレスチナ労働者の虐待

 一方パレスチナ人にとっては、ヒスタドルートは労働組合では断じてなかった。むしろ実態は、ジョナサン・クックが次のように述べているとおりだ。
 「こうした人種隔離雇用形態を押しつけていたのは、公式の公共機関であり、国家独占体であり、政府そのものだった。最も重要なのが、労働組合のナショナルセンターであると同時に、奇妙にも、イスラエル最大の雇用者の一つでもあるヒスタドルートだった。『ヘブライの労働運動』の伝統のもとに、ヒスタドルートは、パレスチナ人の少数派を労働者問題についての世論から排除するために、何十年も容赦なく活動してきた」

 1948年占領地における労働者

 ナクバの後、1948年占領地になんとかとどまったパレスチナ労働者は、1966年まで軍政のもとに置かれた。「社会主義」と自称するキブツからも排除され、ヒスタドルートへの加盟資格もなく(1959年まで)、ヒスタドルートの策略で低所得層に押しやられた。
 1976年、ヒスタドルートは雇用者と連合して、「土地の日」に参加したイスラエルのパレスチナ人労働者への報復を行った。労組シオニストの政権は、スト中のパレスチナ人6人を射殺した。
 1989年の報告書は、ヒスタドルートが所有する企業が、パレスチナ人労働者の組織的排除の最悪の記録をもっていると報告している。ヨナタン・プレミンガーは、今日「移民労働者は、法律的にはヒスタドルートが行う団体交渉での協定の対象になっている。ただし労働法違反はほとんど取り締まられず、国の代表はほとんど常に、いかなる争議においても経営者の側に立っている」と報告している。
 ヒスタドルートは2005年8月、ナザレで立ち上げられたウィスコンシン計画(米ウィスコンシン州で行われた医療・社会保障の民営化)を支持した。これは1万700
0人の労働者や失業者の治療をイスラエルや外国の営利企業に渡すものだった。
 最近、経済学者が、197
0年以来イスラエルが、パレスチナ人労働者から社会保障の名目で総額20億jをだまし取っていたと報告した。この差額のほとんどは、被占領パレスチナ地域のイスラエル人入植地の基金として積み立てられ、その他はヒスタドルートに支払われた。もっとも労働者はそれからは排除されていた。ヒスタドルートは、補償の約束にもかかわらず、今もこれらの基金の80%以上(3000万j)を保有している。
 それだけではない。199
0年にヒスタドルートは、ほとんどが旧ソ連出身者だったユダヤ人移民を訓練するために、パレスチナ人労働者から2パーセントの増税を課すべきだという建設業界の要求を受け入れた。つまり彼らは、「自分たちを排除する人間の訓練を支援」させられたのだ。もっと悪いことに、この基金の一部は、2008〜09年にガザを攻撃したイスラエル軍の携帯用コンロを買うために流用された。

 1967年の被占領パレスチナ地域

 被占領パレスチナ地域では、パレスチナ人労働者へのヒスタドルートの扱いはさらに悪い。労働党政権の1967年戦争後、ヒスタドルートは、ヨルダン川西岸やガザの併合を固定化する上で中心的な役割を担った。ダニ・ベン・シンホンは次のように述べている。
 「労働者を擁護する労働組合として振る舞うどころか、ヒスタドルートは、陸軍の労働許可の分配基準を受け入れた。パレスチナ人の労働によって自らの製造業関係、農業関係の利潤が保障されると同時に、労働組合として、パレスチナ人の支出から年金基金、健康保険、組合の執行機関という形で着服する可能性を得た」
 1968年、ヒスタドルートは、人口の隅々にまで労組シオニズムを布教するという自らの役割を再確認した。1970年代、ヒスタドルートは、パレスチナ人労働運動活動家に対する全国的な弾圧、尋問、拷問に協力し、「その国際的威光を、パレスチナ人組合が国際的認知を受けることを阻止するために利用した」。2001年6月、ヒスタドルートのアミル・ペレツ議長は、「被占領アラブ地区内での労働者の状態」に関するILO特別会議を非難した。
 今日、「産業地区」で低賃金で危険な仕事に就いている、ヨルダン川西岸地区のイスラエル入植地に所属する約5万人の労働者が、自身が加盟することのできない、しかも自分たちを代表してもいないヒスタドルートに組合費を支払わされている。
 ヒスタドルートはまた、ガザの労働者に支払うべき障害者手当や年金の支払いを拒否している。
 総じて、南アフリカの民主主義と統治のプログラムの人権研究部会の中東プロジェクトは、次のように結論している。
 「パレスチナ人の労働組合は存在するが、イスラエル政府やヒスタドルート(イスラエル第一の労働組合)によって認定されておらず、イスラエルの雇用者や企業に雇われたパレスチナ人を充分に代表することができない。これらの労働者は組合費をヒスタドルートに払わされているが、それは彼らの利益や関心事を代表しておらず、パレスチナ人はヒスタドルートの政策を練る段階で声を上げることができない。パレスチナ人の組合はまた、パレスチナ人が建設その他の部門で働いている被占領パレスチナ地区において、イスラエルの入植に影響を及ぼすことを禁止されている」

 労働組合のBDSの破壊

 対外的には、こうした恥ずべき記録の数々にもかかわらず、ヒスタドルートは、自分たちがあたかも進歩的な労働組合団体であるかのごとく振る舞い、イスラエルのアパルトヘイトの存在を否定し続け、それをやめさせるための試みを一貫して破壊し続けてきた。
 07年6月1日、ヒスタドルート議長のオフェル・アイニは、イギリスの総合単科大学労働組合(UCU)を、ボイコット・出資引き揚げ・制裁(BDS)決議を上げた廉で非難した。アイニはこう言った。「ガザ地区へのイスラエルの占領が終わったにもかかわらず、パレスチナ人は流血と暴力の道を進み続けることを決意している」
 07年11月、アイルランド労働組合総同盟の訪問団は、ヒスタドルートが、イスラエルの財界や政府とともに、「パレスチナ人が武装占領下で耐え忍んでいる現状」、1948年占領地での全面的な「アラブ人やパレスチナ人に対する差別」や、パレスチナ労働組合総連盟のBDSへの支持について嘘をつき、その存在を否定していると報告した。
 09年2月、南アフリカの港湾労働者が、ガザの大虐殺にイスラエルの荷物の取り扱いを拒否することをもって応えた時、ヒスタドルートは次のような不誠実な宣言を行った。「労働組合が政治問題に介入することは容認できない。とりわけボイコットを受けているこれらのイスラエル企業は、パレスチナ人労働者をも雇用しているのだ」
 09年6月、ヒスタドルートは、ドイツの労働組合ナショナルセンターのDGBと「TULIP」(イスラエルとパレスチナを結ぶ労組員会議)で協力することを確認した。この目的は、国際的なBDSへの労働組合の支持が広がっていることを止めることだった。
 だがその後、トルコ政府がガザ戦争を批判すると、ヒスタドルートは報復として、イスラエル人組合員をトルコへ旅行させないというボイコットを働いた。
 09年8月、スコットランドTUCのパレスチナ訪問団は、次のような報告書を出した。「ヒスタドルートは、ヨルダン川西岸が占領されていることを片時も認めようとしなかった」
 09年、BDS賛同の一環として、スコットランドとイギリスの両TUCは、ヒスタドルートとの関係を見直すと言明した。
 09年終わり、シオニストの指導的なシンクタンクであるロイト研究所は、ヒスタドルートに、高まるイスラエルへのボイコット・出資引き揚げ・制裁(BDS)への国際的な労組の支援への反対活動を強化すべきだと勧告した。

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月刊『国際労働運動』(411号6-1)(2010/11/01)

■Photo News

●中国深せんのブラザー工業でストライキ

 写真@A

 9月7日、中国深せんにある日本のブラザー工業の工場で数百人の労働者がストライキに決起した。労働者たちは、仕事量の増大や残業代カット、12時間以上におよぶ長時間労働に抗議して9日までストライキを継続した。10日以降は、労働者代表を選出し、資本側と交渉を続けている。従業員1万人を雇用して、プリンターを生産しているブラザー工業の労働条件、賃金がこの間急速に悪化したことから、労働者の怒りは限界に達し、ついに大衆的反撃が開始されたのだ。(写真@A)労働者を極限的に搾取する日帝企業と、中国スターリン主義が結託した体制に対する中国労働者の歴史的反撃は、ますます全土に拡大している。

●インドで1億人がゼネストに決起

 写真CD

 9月7日、インド(人口12億人)でなんと1億人のゼネストが爆発した。インドの9つの主要組合が統一して呼びかけ、全国で公共部門の労働者をはじめ、自動車、炭鉱、電力、銀行、保険、航空産業、船舶、軍需産業などの労働者がストに決起した。ストライキは、物価上昇、民営化、外資の投資、非正規化、政府の労働政策に抗議する闘いとして打ち抜かれた。(写真CD)新興工業国BRICsの重要な一角をなすインドでの、巨大な労働者階級の決起は、帝国主義の最後の延命策・新自由主義政策の総破産を不可避とする歴史的決起である。

●ギリシャで民営化反対の交通スト

 写真DE

 9月8日、ギリシャの公共交通労働者は、政府が、6000人の鉄道労働者の半分の首切りと、公営鉄道の48%の売却というすさまじい首切り・民営化政策を打ちだしたのに対し、5時間のストライキに突入した。(写真DE)バス、地下鉄、国内外の鉄道が正午から停止した。この闘いは、政府が大規模な内閣改造を行い、本格的に緊縮財政攻撃=資本救済と首切り民営化攻撃を開始しようとしていることに対する先制攻撃となった。

●フランスで年金制度改悪反対の闘い爆発

 写真FG

 9月7日、フランスでは、サルコジ政権の年金給付年齢の引き上げ計画に反対して、全国で300万人の労働者が怒りの声を上げた。運輸、教育、司法、医療、国営・民営のメディア、金融、自動車、石油関連の労働者を含む、公共・民間両部門の労働者はこの日、一日ストを行うとともに、全国200カ所でデモに立ち上がった。(写真FG)フランスでは今年6月に200万人の年金制度改悪反対の抗議行動が行われたが、今回のデモはこれを上回る今年最大のストライキとデモになった。デモには、パリで27万人、マルセーユで20万人など多数の労働者が街頭に進出した。この闘いによって支持率が30%にまで低下したサルコジ政権は完全に追い詰められている。

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月刊『国際労働運動』(411号7-1)(2010/11/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点

米銀危機の再噴出へ

住宅価格の下落で不良債権は激増に転じる

 アメリカ経済は5月頃から減速しており、今秋にも経済成長・工業生産がマイナスに転じる可能性が強くなっている。07年夏から始まった世界大恐慌が3年を経て再び激化し、2番底に向かうのだ。その場合、米銀危機が再噴出するのは避けられない。つまり、世界大恐慌の再激化は金融恐慌の再爆発を伴うことになるだろう。それは、07年以降の、特に08年9月リーマン・ショック以降の米銀危機が、恐慌対策によって無理やり隠されているにすぎないからだ。むしろ、住宅バブル崩壊を強引に途中で食い止めたため、バブルの全面崩壊による金融恐慌の再爆発が不可避となっている。以下、この間の米銀危機の進展、恐慌対策と銀行救済の実態、米銀危機の潜在的激化を見ていこう。

 □住宅バブル崩壊で不良資産・不良債権

 米銀は米住宅バブル崩壊によって大打撃をこうむった。住宅価格の下落により、住宅ローン担保証券の価格が暴落し、これを保有していた米金融機関は巨額の評価損を強いられた。これが不良資産である。同時に、住宅ローン債権や商業用不動産の債権でも、返済が滞って不良債権と化した。国際通貨基金(IMF)推計によると、08年〜2010年に処理すべき米金融機関の不良資産・不良債権は1兆600億j(約89兆円)に上る。
 注意しなければならないのは、すでに08年時点で、不良資産・不良債権問題の中心がサブプライムローンからプライムローン、および商業用不動産ローンに移っていたということである。サブプライムローンが貧困層向けであるのに対し、プライムとは「最良の」という意味で、普通のアメリカ人の住宅ローンを指す。サブプライムとプライムの間に「オルトA」というローンもある。これら普通の住宅ローンが、失業率の急騰で返済できなくなったのだ。延滞債権額でみると、08年4〜6月期から、プライムローンがサブプライムローンを上回った。
 商業用不動産には、オフィスビル、工業施設、ショッピングなどの商業施設、賃貸アパートなどの集合住宅の4分野がある。住宅ローンの証券化率が62%超なのに対し、商業用不動産は25%強にとどまり、金融機関の貸出債権として保有される割合が高い。破綻時のリーマン・ブラザーズの問題資産は602億jと、年間利益の10〜12年分にも及んだが、その内訳では商業用不動産関連が一番多い(不動産関連には商業用不動産ローン担保証券を含む)。
 住宅ローン  172億j
 うちサブプライム 16億j
   オルトA   37億j
   2次証券化  5億j
 不動産関連  326億j
 買収関連融資 104億j

 □未曽有の恐慌対策

   で大銀行を救済    で大銀行を救済
 リーマン・ショックをへて米経済は、金融機関の破綻続出、金融システムの実質崩壊という未曽有の危機に陥った。これに対し米帝はあらゆる恐慌対策を発動し、恐慌の深化をかろうじて食い止めてきた。
 @08年12月からFF(フェデラルファンド)金利の誘導目標を0・00〜0・25%に引き下げた。実質的なゼロ金利政策だ。
 A市場への資金供給枠を2兆1300億jに拡大した。具体的には、連邦準備制度理事会(FRB)が金融機関から国債を3000億j枠、不動産担保証券を1・2兆j枠で買い込むこととした。実際にFRBは、価格が暴落して誰も引き受けない住宅ローン担保証券などを猛烈な勢いで買い取った。10年8月時点で、FRBは住宅ローン担保証券を1兆1200億j、米国債を7800億j、
ファニーメイ・フレディマックなどの政府機関債を160
0億j保有している。総額で日本円で170兆円もの買い上げだ。
 B金融機関に7000億j枠の資本注入枠を設け、政府による保証も1兆8000億j枠とした。FRBによる資本注入は実際に2040億jが実施され、うち約3分の2は返済されたが、7月時点でなお数百行が計650億jも借りたままだ。政府保証というのは、銀行や金融商品で損失が出れば政府が保証するというシステム。シティグループやバンク・オブ・アメリカの資産についての保証、さらには個別銀行の枠組みを超えて金融商品であるMMF(マネー・マーケット・ファンド)やCP(コマーシャルペーパー)の保証にまで及んだ。
 Cモルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスという投資銀行が銀行持ち株会社に移行することを許可し、これによって公的資金の投入などが可能となった。
  第3章 □粉飾会計の容認と住宅2公社の支援

 □粉飾会計の容認と住宅2公社の支援

 こうした金融政策の大々的な発動にとどまらず、米帝は大恐慌下の「非常手段」にまで踏み込んだ。
 何よりも、金融機関の粉飾会計を国家として容認し奨励した。09年4月には、時価会計の一部を緩和した。金融機関が保有する金融資産の評価額について、時価会計ではなく、金融機関の独自の見積もりで決められる対象を広げた。これにより、証券化商品の市場価格が暴落していても、損失を計上しなくてもよくなった。この粉飾会計は09年1〜3月期決算にまで逆上って適用されたため、銀行の決算は表向きは改善した。
 また、商業用不動産ローンについても、09年10月にFRBなど銀行監督当局が、担保不動産の評価額が融資額を下回っていても、返済見通しがあれば不良債権としなくてもよい≠ニの通達を金融機関に出した。「返済見通しがある」と勝手にこじつければ、不良債権にしなくて済むという、これまたとんでもないやり方だ。
 さらに、ファニーメイ・フレディマックの住宅2公社を政府管理下に置き、2公社に計1500億jもの大金を支援し、さらにFRBは2公社から住宅ローン担保証券をすべて買い入れた。その買い入れ額は09年だけで1兆250
0億jにも及んだ。
 これは二つのルートで、恐慌対策として決定的な役割を持った。一つは、09年の新規の住宅ローンの9割を2公社が引き受けており、住宅市場のほぼすべてがFRB資金によって支えられた。もう一つは、FRBによる住宅ローン担保証券の買い入れによって、住宅ローン担保証券の価格暴落が食い止められ、それを保有する金融機関の損失が避けられるようになった。しかし後述するように、これは住宅バブル崩壊を無理して食い止めたことを意味し、大恐慌を再爆発させる決定的な要因とならざるをえない。

 □米銀の貸し渋りと信用崩壊の長期化

 こうした銀行救済の恐慌対策にもかかわらず、銀行の貸し渋りは続いている。米大手銀行の融資残高は08年4〜6月期から実質的に減り続けている。09年は10%減、10年もそれに近いペースで減っている。銀行融資の担保となる商業用不動産価格が下落しているためだ。
 一方、FRBに積み上げられた銀行からの準備預金は約1兆jと、危機前の100倍に膨らんでいる。金融緩和策でいくら資金供給をしても、民間への貸し出しにつながらず、資金が安全な中央銀行に戻ってきている。日本の2000年代初頭とまったく同じ現象だ。銀行が投資するのは安全と見られている米国債である。米銀の米国債(住宅2公社などの政府機関債を含む)保有額は6月時点で、前年同月比14・6%増の1兆4800億jにも及ぶ。
 こうした貸し渋り、中銀への資金還流、国債購入への依存という事態は、信用が崩壊したままの状態がずっと続いていることを示す。この間の米銀の決算は、証券部門の利益で銀行部門の損失を穴埋めする構造が続いており、株価が崩れれば一瞬にして危機的な状態に舞い戻るものでしかない。また、経営に問題があるとみられる金融機関数は、6月末時点で829となり、3月末に比べて54行増えた。本質的には何も改善しておらず、再びいつ金融恐慌に突入してもおかしくない。
 第5章 □住宅価格の再下落は

(図 アメリカの住宅・商業不動産価格の推移)

 □住宅価格の再下落は避けられない

 大規模な恐慌対策の発動は、バブル崩壊を人為的に途中で食い止めるものだった。しかし、恐慌対策は一方で国家財政の大破綻を引き起こすこととなった。米財政赤字は09年度、10年度、11年度と3年連続で1兆jを超す見込みだ。このためオバマ政権も、この間の景気減速に対して財政面からの刺激策がとれなくなっている。他方で恐慌対策はけっして万能なものではなく、すでに政策効果が切れはじめている。FRBによる住宅2公社の担保証券の買い取りは3月に終了している。09年のGDPでの「政府支出」は前年比1・8%増だったが、10年はマイナスになる見通し。政府による景気押し上げ効果が年後半には消える。
 つまり米帝は、景気が「2番底」に向かって減速しつつあるのに、財政破綻のために大規模な財政措置を再びとることもできない、というジレンマに直面しているのである。今回の世界大恐慌で最も重要な過程の真っ只中にいる、と言って過言ではない。
 目下の最大焦点は、住宅価格の再下落が切迫していることにある。20都市の住宅価格をみると、09年4月に底をつけ、10月まで回復したものの、その後はほぼ横ばい。06年央から09年4月までの下落率は32・6%にとどまる。
 図を見れば分かるように、2000年の100からピークの06年には200へと、2倍になっている。これがバブル部分だ。日本のバブルがそうだったように、バブルは全部が崩壊せざるをえない。下落率は必ず50%に達する! 恐慌対策によって一時的にバブル崩壊を食い止めたが、そのままバブル部分を残したままいけるはずがない。理論的にみて、住宅価格の再下落は必至なのだ。
 すでに、5月の新築1戸建て住宅販売件数は前月比32・7%減の年率30万戸と、マイナス幅は過去最大、販売水準も過去最低となった。4月末で住宅減税(初購入者に約75万円の減税)が終了した影響が大きい。さらに7月も最低水準を更新している。月間単位ではすでに住宅価格が下落に転じつつある。
 また、商業用不動産に関しては、満期が5年程度の短いものが中心で、10〜14年に1・4兆jもの満期が到来する。担保価値の下落によりローンの借り換えができず、 債務不履行が急増する可能性が大きい。大手金融機関よりも、商業用不動産への貸出に依存してきた中小金融機関へのダメージが大きく、これら中小金融機関からの借り入れに頼る中小企業への打撃となっていく。  また、商業用不動産に関しては、満期が5年程度の短いものが中心で、10〜14年に1・4兆jもの満期が到来する。担保価値の下落によりローンの借り換えができず、 債務不履行が急増する可能性が大きい。大手金融機関よりも、商業用不動産への貸出に依存してきた中小金融機関へのダメージが大きく、これら中小金融機関からの借り入れに頼る中小企業への打撃となっていく。
 09年末時点で米国の住宅ローン債権は約10・8兆jと巨額のままだ。また同じく商業用不動産貸出は3兆3830億jで、うち1兆6901
億jが預金取扱金融機関(商業銀行および貯蓄金融機関)に貸出債権として保有されている。今後、これらの全面的な不良資産化、不良債権化が起きるのだ。
 ほかならぬ米帝の未曽有の恐慌対策の結果、大恐慌が3年をへて再び激化しようとしている。29年大恐慌でもなかったことだ。大恐慌をプロレタリア世界革命に転化すること、それがますます現実性を持ちつつある。
 (島崎光晴)

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月刊『国際労働運動』(411号8-1)(2010/11/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合

UNISON(ユニゾン)

〔公務員・医療・電力部門等を組織〕

 ■概要

 組合員140万人を有するイギリスの公務員労組UNISONは、ユナイト労働組合(Unite:組合員200万人)に次いでイギリスで2番目に大きな労組である。1993年7月に全国公務員組合(NUPE)、国家地方公務員組合(NALGO)及び国営医療職員組合連合(COHSE)の3組合が合併して新労組UNISONを結成した(UNISONは略称ではなく、正式名である)。
 UNISONは正規・非正規を問わずすべての公共機関の労働者を対象にしており、地方自治体労働者、教育労働者、運輸労働者、電気・ガス・水道などのライフライン労働者、ソーシャルワーカー、それに警察官までをも含んでいる。UNISONの中にはそれぞれに独立した全国組織があり、その下に地域ごとの組織がある。また、UNISONが組合員全体の意見を網羅するようにと、黒人や少数民族、女性、レズビアン、ゲイ、同性愛者、障害者などがそれぞれの部会を組織している。組合内には青年部や退職者部もある。

 ■「百万人の一人」キャンペーン

 UNISONは、「百万人の一人」になって声をあげ、労働者の要求を通していこうという組織化キャンペーンに力を注いでいる。それぞれの支部組織でもキャンペーンに力を入れて、「組合とは何か」「組合は何のためにあるのか」を宣伝し、若者の組織化に役立てている。
 3組織が合併して新組合UNISONを結成するに際して、中央本部がテレビで合併の意義を大々的に宣伝し、有名になったのが「アリとクマ」というアニメーションを使ったキャンペーンである。1匹のアリがクマの前で「通して!」と声を上げても無視されてしまうが、何万という数のアリが一緒になって「どけ!」と叫ぶと、クマがすごすごと道をあけるという、「百万の声は力になる」と組合加盟を訴えるコマーシャルであった。
 UNISONは、労働者の収入に応じて組合費の額を11段階に細かく規定している。また、看護師学校や職業訓練校に通っている学生も組合に加盟することができ、組合費は年間10ポンド(約1500円)を払えばよいことになっている。2年以上組合に籍を置いた退職者組合員は、退職時に15ポンド(約2250円)を支払えば生涯組合員として残ることができ、解雇やレイオフされた組合員は年間4ポンド(約600円)で失業中の2年間は組合員であり続けることができる。
(図 「アリとクマ」のキャンペーンポスター。「要求を通したければ、UNISONに加盟して声をあげよう!」)

 ■公務員労働者の2006年大規模ストライキ

 地方公務員の年金受け取り年齢を60歳から65歳に引き上げるという政府の年金改悪法案に反対して、2006年3月28日に公務員の24時間ストが行われた。ストライキの規模は1928年ゼネスト以来80年ぶりの大規模なもので、11公共サービス部門の労働組合から150万人を超える労働者がストライキに参加した。
 UNISONは、各支部組織が大々的にストライキを訴えるキャンペーンを行ってスト権投票を実施し、この大規模なストライキを中心的にリードしていった。この日はほとんどの公共機関がストップし、学校も休校となるなど市民生活に大きなインパクトを与えた。これに恐怖した政府は話し合いには応じているが、民間部門の企業の年金受け取り年齢65歳に準じるとして、交渉は平行線をたどっており、今も闘いは続いている。
(写真 2006年3月28日のストライキ)

 ■民営化の代償を支払わされているのは人民だ!

 2010年4月10日、政府の民営化攻撃に反対して公共部門の労働者がロンドンで数万人規模の集会とデモを開催した。この集会をリードしたUNISONの代表は、「絶対的に必要なものを提供し続けている公共サービスにおいては民間企業に任せることはできない」と述べ、「民営化の失敗の結果として、代償を支払わされているのは普通の人民であり、そうしたときに銀行家たちは退職し数百万ポンドの年金をもらって守衛のいる邸宅に住んでいる」と批判した。
 イギリスでも今、政府の政策に反対して大規模なデモにランク&ファイルの労働者が立ち上がっている。

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月刊『国際労働運動』(411号9-1)(2010/11/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 11月13日

■1970年全泰壱烈士記念日■

韓国民主労総の原点

朴独裁下の劣悪な労働条件を糾弾

焼身自殺で労働者の決起の道開く

 自らの死をもって労働者の決起を訴えた全泰壱(チョンテイル)(22)は、韓国の階級的労働運動の原点となっている。
 61年軍事クーデター以来の朴正熙(パクチョンヒ)の軍事独裁政権下で、60年代末、朴は、外国資本の投資を誘致するために外国企業支援政策を打ち出した。69年末から70年初め、「外資企業の労働組合及び争議調停に関する特例法」や「馬山(マサン)自由輸出地域設置法」を制定し、外国人企業では労働者の団結権や団体行動権を行使できないようにした。これに反対する闘いが起こると、朴政権は緊急調停権を発動し、外国資本や職場の閉鎖と資本撤収を乱発、数万人の労働者が賃金も支払われず路頭に放り出された。全泰壱青年が立ち上がったのは、このような劣悪な労働者の状態の中でだった。
(写真 焼身自殺した平和市場【左】の脇に立つ全泰壱烈士の彫像)

 ●平和市場の被服工場

 全泰壱は、48年8月に大邱(テグ)市に生まれ、64年ソウルに家族で上京、17歳の65年にソウル市東部の清渓川(チョンゲチョン)沿いの平和市場内にある被服会社に入社、裁断補助、裁断士として勤務する。   全泰壱は、48年8月に大邱(テグ)市に生まれ、64年ソウルに家族で上京、17歳の65年にソウル市東部の清渓川(チョンゲチョン)沿いの平和市場内にある被服会社に入社、裁断補助、裁断士として勤務する。 
 当時、被服工場では、天井の低い屋根裏のような仕事場で、ミシン工補助として2万人もの若い女性労働者(14〜20歳)が酷使されていた。日も当たらず換気もできない部屋で1日14時間もの労働を強いられ、食べていけないほどの低賃金だった。この劣悪な労働環境に怒りをもって先頭に立って闘ったのが、全泰壱だった。
 70年9月、裁断士が集まって労働条件の改善のため「三棟懇親会」を組織し、全泰壱は会長に選出された。10月、三棟会の代表が平和(ピョンファ9市場事務所を訪問し、屋根裏部屋の撤去や労働組合結成支援など8項目の要求書を提出。これに対する約束は守られなかった。   70年9月、裁断士が集まって労働条件の改善のため「三棟懇親会」を組織し、全泰壱は会長に選出された。10月、三棟会の代表が平和(ピョンファ9市場事務所を訪問し、屋根裏部屋の撤去や労働組合結成支援など8項目の要求書を提出。これに対する約束は守られなかった。 
 11月13日午後、平和市場の前で12人の若い労働者が、被服労働者の作業条件改善を求めるスローガンを叫んだ。労働者が集まった直後に、警察と市場警備が駆けつけて、抗議活動を解散させようとした。労働者は一歩も退こうとしなかった。さまざまな抗議を繰り返しながら、一向に改善されることのない現状を今日こそ突破しようという切迫した空気に包まれていた。
 全泰壱は、小競り合いの中、しばらく姿を消した。戻ってきた彼はガソリン缶を持って、突然自分の体にかぶり火を点けた。勢いよく燃える炎に包まれた。
 「われわれは機械ではない」「勤労基準法を守れ」「日曜日は休日にせよ!」と炎の中で叫んだ。
 仲間の手で火を消した時もうろうとした意識の中で「私の死を無駄にしないでくれ」と訴えた。病院で母の李小仙(イソソン)さんに「私が成し遂げられなかったことを成し遂げてください」と言い残して息を引き取った。

 ●遺志を継いで

 平和市場の同僚労働者は、全国連合労組清渓被服支部と呼ばれる地域単位の組合を作り、500人の労働者が参加、全泰壱の遺志を継いで闘った。李小仙さんは息子の願いに従って象徴的な指導者として、また「すべての労働者の母」として重要な役割を果たした。暴行や投獄などの弾圧を受け、苦難の道を歩んだが、その精神は生き続けた。
 全泰壱の闘いは、学生たちにも大きな衝撃を与え、労働者と連帯する闘いが決死的に闘い抜かれた。学生の民主化闘争と労働運動の間に連帯が形成された。
 全泰壱烈士の遺志を継承し、脈々と闘いぬかれた自主的で民主的な労働組合運動は、87年労働者大闘争をターニングポイントに主流に躍り出る。そして95年11月11日、労働者こそが「生産の主役であり、社会変革と歴史発展の原動力である」と高らかにうたい、民主労総が創立された。
 2005年、清渓川復元事業に伴い清渓6〜7街を「全泰壱通り」と命名し、彼の彫像と銅板が敷かれた橋が建設された。毎年11月に民主労総の労働者大会が開かれるのも、全泰壱烈士の精神と闘いを受け継ぐという趣旨によるものだ。全泰壱の決起から40年を迎える今年、ソウルでは、継承する闘いが行われる。
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 1970年代・朴政権下の主要な労働者闘争

(1)全泰壱烈士の焼身と清渓被服労働組合の結成
(2)三元(サムオン)繊維労組の結成と分会長ユヘウの拘束及び分会長職剥奪
(3)半島(バンド)商事労働組合、民主労組結成と死守の闘い
(4)東亜日報労組の結成と会社側の不当労働行為及び行政当局の労組結成申告済証差し戻し
(5)サムスン製薬幽霊労組粉砕の闘い
(6)トンイル紡績民主労組死守の闘い
(7)インソン社労組の結成と幽霊労組との闘い
(8)テピョン特殊繊維労組労働者の闘い
(9)民主労組死守のための高麗皮革労働組合の闘い
(10) ウォンプン毛紡の労組民主化闘争 (10) ウォンプン毛紡の労組民主化闘争
(11)ナミョンナイロン労組の改編及び賃上げ闘争
(12)ミンジョンジンのガス窒息死と抗議事件
(13)YH民主労組活動と新民党舎籠城闘争

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月刊『国際労働運動』(411号A-1)(2010/11/01)

日誌

■日誌 8月 2010

1日東京 革共同集会、国鉄・沖縄決戦を宣言
北区赤羽会館で行われた革共同政治集会は840人の結集で大成功をかちとった。今年前半の過程で闘いに加わった青年労働者・学生を先頭に集会は新たな力がみなぎった。世界大恐慌の激化・深化・発展と労働者階級の闘いの世界的高まりは、ロシア革命を引き継ぐプロレタリア世界革命の時代がついに到来したことを告げている。日本の階級闘争はその最大の焦点のひとつだ。4・9政治和解攻撃に対する労働者階級の反撃が動労千葉を先頭に開始された。集会は「国鉄全国運動を発展させよう」「仲間をつくる」「組合権力をとる」の発言・決意であふれた。労働者階級全体と広く深く結合する能力を獲得する、そのための党の根底的な変革・飛躍の闘いが革共同集会の成功をもって始まった 集会に先立ちビデオが上映され、会場の熱気は高まった。「本集会を革共同政治集会史上最強で最高で最大の政治集会としてかちとりましょう」という司会の熱烈な開会宣言で集会が始まった。北野聡史同志が「国鉄全国運動と安保・沖縄闘争の爆発・高揚で、大恐慌と大失業・戦争をプロレタリア革命へ!」と題して基調報告を行った。北野同志は「世界は革命情勢だ」と指摘したうえで、「今こそ革共同は自らの殻を大胆にうち破り、階級的労働運動と革命的共産主義運動を一体的に推進する中で、労働者階級との結合をどこまでも広く深く実現し、力ある勢力として登場する歴史的使命がある」と声を大にして訴えた。三里塚反対同盟の北原鉱治事務局長は「三里塚では今、市東孝雄さんをたたき出すという卑劣な、人道上許せない攻撃がかけられている」と激しく弾劾した。11月1万人結集への3カ月決戦の火ぶたを切った
5日広島 産別交流集会で熱い討論
広島市東区民文化センターで、あわせて8つの産別労働者交流集会が開かれ、熱い討論が繰り広げられた。国鉄労働者交流集会には、動労西日本、動労千葉、動労水戸、国労共闘の労働者と国鉄全国運動の呼びかけ人の大野義文さん(元安芸労働基準監督署長)らが参加し、活発な討論が行われた。自治体労働者交流集会には80人が結集した。広島市職労の仲間が司会、仙台市職労の神保美彦さんが基調報告。動労千葉のように資本と非和解の反合闘争を展開し、動労千葉を支援する会に1000人を組織しようと訴えた。教育労働者集会は「闘う日教組を奪い返そう!/反戦反核!」を掲げてもたれた。郵政労働者交流集会は、地元・広島を始め全国各地から参加した全逓労働者の活発な討論の場となった。「合同・一般労働組合全国協議会」の結成大会が、160人の参加でかちとられ、全国12労組の参加でスタートした。医療福祉労働者全国交流集会には全国の医療福祉労働者約50人が結集した。さらに電通、民間交通運輸労働者交流集会でも活発な論議が交わされた
5日広島 全学連が全国学生集会開く
全学連主催の全国学生集会が、9月全学連大会に向けた全国学生の熱意あふれる集会として90人の大結集で大成功した。ドイツから来日した3人の学生が万雷の拍手を受けて登壇し、ローラ・アイゼンベルクさんがアピールを行った
5日広島 全国青年集会かちとる
オキナワとヒロシマを結ぶ全国青年労働者集会が広島市東区民文化センターで開催され、590人が大結集した。北朝鮮侵略戦争が火を噴こうとしている情勢において、既成労組幹部がこれに総屈服する中、集会は、オキナワ・ヒロシマの怒りと結びつき、反戦・反核闘争を闘う労働組合をよみがえらせる歴史的な出発点となった
6日広島 8・6ヒロシマ大行動
「全世界の労働者・民衆の団結で核をなくせ!/改憲・戦争をとめよう!/被爆65周年8・6ヒロシマ大行動」が広島県立総合体育館小アリーナで開催された。全国から参加した労働者・学生は1800人にのぼった。高陽第一診療所医師の吉田良順さんが「アメリカが新たな核投下を狙っている今、全世界の労働者が資本と闘った時に核廃絶は実現できる。その日のために闘おう」と開会あいさつを行った。集会の基調を大行動呼びかけ人でセイブ・ザ・イラクチルドレン広島代表の大江厚子さんが提起した。「戦争反対!」「核をなくそう!」。炎天下、熱気に満ちたデモ隊列が広島一の繁華街を進んでいくと、沿道はものすごい注目だ。菅や米英仏の核大国の式典参加を弾劾するチラシが次々と受け取られ、10代、20代の学生や青年労働者がデモに飛び入り参加した
6日広島 620人のデモで祈念式典を糾弾
「米韓軍事演習を弾劾するぞ!北朝鮮への侵略戦争を阻止するぞ!」「オバマ賛美の式典を粉砕するぞ! オバマ代理人のルースは帰れ!」「労働者の団結で核戦争を止めるぞ! 沖縄米軍基地を撤去するぞ!」――原爆投下から65年目の8・6広島、真夏の太陽を跳ね返す怒りのシュプレヒコールが、菅や米駐日大使ルース、英仏など核武装国代表を引き込んだ祈念式典を直撃した。全国被爆者青年同盟と8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会が主催した菅来広・祈念式典弾劾デモには北海道から沖縄、さらにドイツ、韓国からの参加者も迎え620人の大部隊となった
6日広島 田母神帰れ、核武装講演会を弾劾
ヒロシマ大行動とデモを闘った労働者・学生は、引き続き夕方から元航空幕僚長の田母神俊雄の講演会を弾劾して集会とデモに立った。午後5時、250人の労働者・学生が原爆ドーム前に集まって集会を開催し、被爆者青年同盟の被爆2世・3世が次々マイクを握って弾劾した。続いて講演会場のリーガロイヤルホテル広島を一周するデモを貫徹した
8日長崎 “国鉄全国運動進め核廃絶へ”
原爆投下から65周年を翌日に迎える長崎で、8・6広島−8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会の主催による長崎反戦反核集会が開かれた。会場の長崎県勤労福祉会館に、広島での闘いの息吹を引っさげて、九州を先頭に全国の労働者・学生など92人が帝国主義の核政策、とりわけ日帝の核武装の野望に怒りを燃やして結集した
9日長崎 式典弾劾し戦闘的デモやりぬく
原爆投下から65周年の8月9日、統一実行委に結集する労働者と学生は、核抑止力を是認し、原発を推進する菅が臆面(おくめん)もなく祈念式典に出席することを徹底弾劾するデモに立ち上がった。毎年炎天下での闘いが恒例の8・9長崎だが、今年は曇天のもと時折り小雨が降る中での集会・デモとなった。早朝に朝鮮人長崎被爆者追悼式に参加したのち、爆心地からほど近い城栄公園に結集した労働者・学生73人は、午前10時、意気高くシュプレヒコールを上げて集会を開始した
21日岡山 基地と裁判員に反対で連続行動
「とめよう戦争への道!百万人署名運動岡山」の主催で、岡山市内の商店街で、「普天間基地撤去!名護新基地建設阻止!」の街頭宣伝とデモ行進を行った。ビラまきと沖縄米軍基地と9条改憲に反対する署名を集めた
21〜22日神奈川 闘う婦民全国協の新時代へ
婦人民主クラブ全国協議会第27回全国総会が横浜市鶴見で開催された。大恐慌の時代、戦争か革命かが問われる時代に、それをチャンスとしてとらえ、大恐慌・大失業・戦争を革命へ、国鉄全国運動を職場地域で闘いぬき、反戦闘争を先頭で担う新たな飛躍の決意を固めた。新生婦民全国協の出発として、丹治孝子さんを代表とする新体制が確立された。西村綾子さんは特別顧問とし、相模原市議選5期目に挑戦することを決定した
25日徳島 前夜集会、自治労大会決戦に向け高揚
自治労大会の前日、徳島市内で全国自治体労働者総決起集会が開かれ、高揚した。全国の自治体労働者や星野再審全国連絡会議のもとで闘う人びとなど65人が参加した。
26日東京 「支援する会・東京南部」の結成総会
冒頭、動労千葉の闘いの軌跡をDVD上映。動労千葉を支援する会事務局長の山本弘行さんが「6・13以降、ものすごい勢いで各地に動労千葉を支援する会がつくられている。国鉄全国運動の意義は、職場にとことん依拠して徹底した職場闘争を進めること、そして反戦闘争を闘い、職場に支援する会をつくること。職場に仲間が3人いれば結成しましょう。全国で1000の支援する会をつくりましょう」と訴えた
26〜27日徳島 自治労徳島大会で大宣伝活動
全国労組交流センター自治体労働者部会と徳島労組交流センター、星野暁子さん始め星野全国連絡会議は自治労徳島大会第1日目の8月26日、50人を超す参加で会場前を席巻し、結集する自治労組合員4000人に「社保庁型公務員360万人首切り協力の自治労グランドデザイン構想粉砕、自治労本部打倒」、国鉄全国運動、沖縄闘争を訴える大宣伝活動をやりぬいた
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 (弾圧との闘い)

11日東京 星野最新へ東京高裁で一部証拠の開示
東京高裁第11刑事部(若原正樹裁判長)で3者協議(弁護団・裁判官・検察官)が行われ、検察側は現場関連写真の一部を開示した。星野文昭同志と弁護団による第2次再審請求、証拠開示の申し立てと一体で、「星野さんをとりもどそう!全国再審連絡会議」は再審開始・全証拠の開示を熱烈に求めてきた。この運動的前進が検察官を追いつめた勝利だ
25日徳島 徳島刑務所、金山同志面会を不許可
徳島刑務所は、金山克巳同志の星野文昭同志との面会を不許可とした。友人面会拒否の一段のエスカレートであり、断じて許すことができない。徳島刑務所は、5月20日以来、連続4回、6人の友人面会を拒否してきた。その理由としてあげていたのが「星野同志が提出した5人のリストに入っていない」ということであった。金山同志は「5人のリスト」に入っているのだ。面会拒否の理由はない。この日一緒に面会する予定であった星野暁子さん、徳島救う会の仲間と3人で猛然と抗議した。すごすごと現れた「第1統括」なる職員は、「面会させる必要が認められない」「所長の裁量だ」と繰り返すばかりだ

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月刊『国際労働運動』(411号B-1)(2010/11/01)

編集後記

 ■編集後記

 1975年米帝はベトナム戦争に敗北した。ベトナム人民の民族解放闘争の長期強靱な戦いに米軍は厭戦主義に陥り、軍隊の反乱、そして米国内で学生・青年労働者の反戦闘争がわき起こり、ついには革命情勢へと発展していった。労働者階級の帝国主義打倒の革命的決起が血に飢えた帝国主義者に止めを刺し戦争を止めさせた。
 ベトナム戦争敗北後、全世界で民族解放闘争が燃え盛った。カンボジア、ラオス、イラン、アンゴラなどだ。ベトナム戦争の敗北とドル・ショック、74〜75年世界恐慌が重なったのは必然だ。米帝の世界支配の終わりを意味していた。
 新自由主義で帝国主義はしばし延命したが世界大恐慌とイラク・アフガニスタン戦争の敗北はベトナム戦争の敗北以上の意味を持つ。それは世界革命達成の水路を開くことだ。

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