International Lavor Movement 2011/01/01(No.413 p48)

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2011/01/01発行 No.413

定価 315円(本体価格300円+税)


第413号の目次

表紙の画像

表紙の写真 工場占拠で闘う現代自動車の労働者(11月16 日 全州)

■羅針盤 4・9反革命をうち破った 記事を読む
■News & Review 韓国
 “工場を死守して現代資本を降参させる”
 現代自動車非正規労働者が工場占拠スト
記事を読む
■News & Review アメリカ
 米中間選挙でオバマ、歴史的大敗を喫す
 大恐慌下で労働者の怒り爆発
記事を読む
■News & Review 日本
 11・7全国労働者集会に5900人
 1047名解雇撤回! 国際的団結固く
記事を読む
■特集 「分割・民営化25年問題」と国鉄闘争 記事を読む
■討議資料 国鉄分割・民営化―JR体制破綻の実態 記事を読む
■Photonews 記事を読む
■世界経済の焦点 為替戦争の本格的開始
 米帝が仕掛ける/人民元めぐり米中激突
記事を読む
■世界の労働組合 イギリス編
 イギリス機関士・機関助士労働組合
 (Associated Society of Locomotive Engineers and Firemen:ASLEF)
記事を読む
■国際労働運動の暦 1月14日
 ■1929年元山ゼネスト■
 植民地下最大のスト
 賃上げと人権を求めて地域ぐるみ日帝・資本と対決した朝鮮労働者
記事を読む
■日誌 2010 10月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 学費値上げに抗議する英学生(11月10日 ロンドン)

月刊『国際労働運動』(413号1-1)(2011/01/01)

羅針盤

■羅針盤 4・9反革命をうち破った

▼11・7労働者集会の勝利は、4・9政治和解によって国鉄闘争を終息させるという大反動をうち破り、動労千葉を主軸とする国鉄闘争全国運動と11月集会派こそが日本階級闘争の責任勢力(権力党派)になると宣言したことだ。6・13集会からスタートした国鉄闘争全国運動は、いよいようなりをあげて爆発しようとしている。11月集会を闘い抜いたすべての労働者・学生が、この4・9反革命を突き破って自分たち自身の勢力を登場させる中にこそ勝利の道があることを確信した。
▼11・7をもって、JR東日本における検修・構内業務全面外注化攻撃を粉砕する大闘争に突入した。ここに、日本労働運動における現下の最大の攻防点がある。4・9反革命を根底的にうち破っていく道も、動労千葉を先頭にした11月勢力がJRの平成採青年労働者を層として獲得し、主流派にのし上がっていくこと、それを国鉄闘争全国運動と「動労千葉を支援する会」の拡大によって全産別に押し広げていく中にある。
▼11・7集会において「非正規職撤廃・派遣法撤廃」を掲げ、2千万青年労働者と300万学生を獲得する闘いを本格的に開始した。帝国主義侵略戦争をめぐっての極右ファシスト勢力との大激突に勝ち抜き、粉砕して、戦争を阻止する力はただ労働者階級の団結にのみあることをはっきりさせた。11月集会が示した国際連帯の力は圧倒的だ。アメリカ、韓国、ドイツ、ブラジルを始めとした海外の同志たちとのかけがえのない交流と団結、ここに世界革命の展望がある。そして国境を越えた固い団結の中から、プロレタリア世界革命に向かっての労働者党建設の欲求が生み出されてきている。

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月刊『国際労働運動』(413号2-1)(2011/01/01)

■News & Review 韓国

“工場を死守して現代資本を降参させる”

現代自動車非正規労働者が工場占拠スト

 11月7日、全国民主労働組合総連合(民主労総)の全国労働者大会がソウル市庁前で開かれ、4万人が集まった。今年はチョンテイル烈士が「勤労基準法を守れ!」と焼身決起してから40年、95年民主労総創立から15年。世界大恐慌のもとで激化する大失業と戦争に労働組合、労働運動の闘いが鋭く問われている。

(写真 4万人が集まった11・7民主労総労働者大会【11月7日 ソウル市庁前広場】)

 □KEC、キリュン、現代

  慶北道亀尾(クミ)で10月30日、金属労組のキムジュイル亀尾支部長が傘下のKEC支会の労資交渉過程で抗議焼身するという事件が起きた。タイムオフ制(労組専従賃金禁止)などをめぐる対立でストに入ったKEC支会に対し、会社は工場閉鎖で報復。スト127日目の10月21日、男女組合員200人が半導体工場占拠に突入した。10月31日にようやく実現した労資交渉の席が、実は労組幹部を警察に売り渡す罠(ワナ)だったのだ!
 11月1日には1895日の闘いでキリュン争議が勝利した。キリュン電子が非正規職解雇者の直接雇用を約束したのだ。11月3日には現代起亜自動車本社前で100日を超える野宿座り込み闘争をしてきたドンヒオート社内下請け支会組合員たちが全員復職することになった。合意書に直接雇用を盛り込めなかったが、イベギュン支会長は「本当の使用主である現代起亜(ヒョンデキア)資本の使用者性の認定と、非正規職の正規職化が最終的な目標だが、その前段階として現場組織が団結する橋頭保をつくった」と評価した。

 

(写真 11月15日から工場占拠ストを続ける蔚山第1工場に1200人が集結【11月16日】)
(写真 左側からイサンス蔚山支会長、ソンソンフン牙山支会長、カンソンヒ全州支会長)

(写真 家族対策委をつくって闘う家族たち【11月22日 コンテナで閉鎖された蔚山工場前】)

 □ストライキの芽が出た

  11月15日午前5時半、現代自動車蔚山(ウルサン)非正規支会は蔚山工場シート1工場に奇襲突入。さらに催涙弾を乱射する警察、用役ガードマンらの襲撃と激突し、逮捕者、負傷者を出しながらも翌16日には1200人が第1工場に突入して集結。労組はここで第2、第3工場で働いていた約500人の組合員を現場に戻す。現場でストライキを宣伝し、正規職を含めて第2、第3工場でのストライキを組織しようという現場実践闘争方針だった。その結果、第2、第3工場も波状的ストライキに突入、牙山(アサン)非正規支会、全州(チョンジュ)非正規支会でも会社側の暴力的弾圧を打ち破ってストライキに入った。
 工場占拠の発端は、現代自動車資本が組合加入率90%となった社内下請け企業を廃業させた上、新企業への雇用継承の条件に組合脱退を要求したことだった。労組は奴隷的契約を拒否、この機をとらえて実力行使に出たのだ。
 組合員は口々に語る。「工場占拠は偶発的に始まったかのように見えるかもしれませんが、私たちはすでに胸の中にストライキの種を育てていました」「工場を止めなければ大法院判決だけでは不法派遣問題は解決できない」「今、私たちはこの状況を変えられる。非正規職は資本がつくった言葉だ。子どもたちには譲れない」「どうせ始まった闘いだ。退く所もないのだから、楽しい闘いにしよう」「目標ですか。正規職です!」
 今年7月22日、大法院が現代車の不法派遣を認定し、2年以上継続して働いている非正規職労働者は正規職と見なされるとの判決を出した。判決直後から非正規3支会は猛然と集団組合加入を組織化し、600人だった組合員は11月12日現在2349人だ。
 3支会は7・22大法院判決を踏まえ、元請けの現代車を相手に2010年賃金交渉および団体交渉を要請したが、現代車は応じなかった。
 現代車非正規職3支会の要求は、△社内下請け労働者全員の正規職化、△闘争過程で不当解雇された組合員を正規職として原職復帰、△社内下請け労働者入社日を基準とする差別賃金の未払い分の支払い、△進行中の非正規職労働者の構造調整中断の4点だ。
 20日の民主労総嶺南(ヨンナム)圏決意大会で4工場のファニナ組合員(34歳)が「現代自動車は交渉に応じろ」と焼身に及んだ。組合員たちはファニナ同志の快復を祈るとともに、「もう誰も死ぬのをやめよう。生きて必ず正規職になって見せよう」と誓い合った。
 工場占拠8日目の22日、現代自動車非正規職3支会長が蔚山第1工場に集まり、ストを一層強化することを決めた。カンソンヒ全州支会長は「現代車支部が決定的な役割をしている。1工場座り込みを維持・保護して全国闘争にしなければならない」と語り、ソンソンフン牙山支会長も「私たちは正規職の連帯を信じる。牙山では6班正規職40人中、2人以外は残業を拒否した」と紹介した。
 自らの力を自覚した労働者の団結が現代資本を揺るがしている。
 (室田順子)

 

 G20粉砕へ日韓共同闘争 勝利の道示す動労千葉

 G20厳戒態勢を打ち破って11月9日にソウルに入国した100人を超える動労千葉訪韓団は、11・7労働者集会をともにかちとった民主労総ソウル本部の同志たちと再合流しG20粉砕を闘った。
 10日夜、「G20糾弾! チョンテイル烈士精神継承! 労働弾圧やめよ! ロウソク文化祭」に参加し、11日にはゼネストに立ち上がった金属労組とソウル駅前広場で合流。さらに「韓米FTA強行と労働弾圧のイミョンバク政権糾弾大会」と、続く「人が優先だ! 経済危機の責任を転嫁するG20糾弾! 国際民衆行動の日」本大会に参加し、集まった1万人を超える労働者・農民・都市貧民・学生と実力デモを貫徹した。
 訪韓闘争は日本からの出国、韓国への入国から始まった。動労千葉の動輪旗とポール、のぼりとゼッケンの持ち込みが不当にも禁止された。韓国では8日に7人のフィリピン人が入国不許可で強制送還になったほか、ネパール、インドネシア、パキスタン、さらにアフリカ各国の市民団体代表者のビザ発行が拒否された。徹底弾劾する。労働者が国境を越えて合流し、共同闘争を展開することは支配階級を震え上がらせている。
 10日夜、動労千葉を先頭とする訪韓団は、ソウル中心街にある普信閣(ポシンガク)前で開かれたロウソク集会に参加した。会場中央にはソウル上京闘争中の約120人の金属労組亀尾(クミ)支部KEC支会組合員が陣取っていた。「キムジュニルを生きさせろ! 警察署長は退陣しろ!」「KEC闘争勝利! 民主労組死守!」と書かれた赤いゼッケンが目を引く。
 この集会で動労千葉は「日本から1047名闘争を闘っている動労千葉、田中康宏委員長が参加しています」と紹介され、大きな拍手で迎えられた。4・9政治和解に抗し「国鉄闘争の火を消すな」と動労千葉が提起した国鉄全国運動は、民主労総傘下の連盟・労組指導部32人の賛同を得て、韓国でも熱い注目が広がっている。
 集会中、05年以来、交流を深めてきた韓国の労働者が引きも切らず動労千葉に顔を見せ、熱い抱擁が続いた。
(写真 ソウル駅前で開かれたG20糾弾集会には4時間ストライキを闘って決起した金属労組を軸に1万人が集まった【11月11日】)

 □金属労組がスト決起

  翌11日午後2時前、ソウル駅前で「KEC資本糾弾! 逮捕を強行した警察責任者を処罰せよ!」と要求し4時間のストライキに立ち上がった金属労組の決意大会が始まった。ソウルには忠清圏と首都圏の金属労組員2500人余りが集まったが、同時に釜山(プサン)、昌原(チャンウォン)、大邸(テグ)、蔚山などでもスト集会が開かれた。
 壇上に並んだKEC、双龍(サンヨン)自動車、韓進(ハンジン)重工業など争議労組の代表が次々にイミョンバク政権の労働弾圧を弾劾し、こぶしを振り上げた。
 午後2時すぎ、「韓米FTA(自由貿易協定)強行・労働弾圧イミョンバク政権糾弾大会」が開かれた。今回の再協議で米帝は30カ月以上の牛肉輸入の開放を要求している。参加者は「韓米FTA全面廃棄」を声高く叫んだ。
 さらに午後3時から「人が優先だ! 経済危機の責任を転嫁するG20糾弾国際民衆共同行動の日」本大会イベントが進行した。
 アメリカ、メキシコ、ブラジルなどの海外代表団とともに動労千葉の田中委員長も壇上に並んだ。
 大会後、1万人にふくれあがった参加者がデモに出発しようとすると警察部隊がこれを阻む。しかし、デモ隊は多数の力で実力突破。降り出した雨が途中から激しくなり、雷がとどろく中を4車線を占拠したデモ行進が続いた。

 

(写真 11・11G20粉砕デモを民主労総ソウル本部とともに闘った動労千葉訪韓団【中央右が田中康宏動労千葉委員長、左隣がソウル本部のノミョンウ首席副本部長】)
(写真 11・11G20粉砕デモ動労水戸と動労西日本ののぼりが翻った)

 □この道を進もう

 G20粉砕デモの後、動労千葉訪韓団はソウル本部とともに総括集会を持った。団長の田中委員長はソウル本部の手厚いもてなしに感謝した後、「4・9政治和解という大反動を跳ね返してかちとったという意味で今年の11月労働者集会は大きな成果があったと確信しています。それと11月組織化の過程でこれからの進む方向が限りなく鮮明にできたことはすばらしい。新しい闘いが始まりました。この3日間ソウルに来て学んだことも、僕ら自身が日本で本当に闘う労働運動をつくらなければいけないということです」と東京、ソウルと続いた一連の闘いを総括した後、「これから1年間、来年の11月集会には今年の5900名を絶対に倍にする。その決意はいいですか!」と呼びかけた。訪韓団全員が歓声で応えた。
 11・7日比谷からソウルG20、さらに横浜APEC粉砕闘争を労働者階級の国際連帯として打ち抜いた意義は限りなく大きい。断固この道を進もう!

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月刊『国際労働運動』(413号2-2)(2011/01/01)

■News & Review アメリカ

米中間選挙でオバマ、歴史的大敗を喫す

大恐慌下で労働者の怒り爆発

 □民主党、下院で過半数割れ

 11月2日に行われた米中間選挙でオバマ大統領の率いる民主党が1930年代以来の歴史的な大敗を喫した。民主党は下院で過半数を割り、野党の共和党に主導権を奪われ、上院ではかろうじて過半数を守ったが、大幅に議席を減らした。
 大恐慌下の社会的な崩壊と分裂、支配階級の分裂と対立、階級対立と階級激突の表れだ。大恐慌と大失業に対する労働者階級の怒りが爆発し、オバマは大敗北したのだ。
 中間選挙を前に、政権中枢から経済と軍事の最重要閣僚が相次いで離脱していた。10月1日、オバマの右腕としてホワイトハウスを取り仕切ってきたエマニュエル大統領首席補佐官が辞任した。9日には、国家安全保障問題担当のジョーンズ大統領補佐官が辞任した。オバマはいわば身内からも見放された。
 オバマは、経済では雇用創出のための輸出倍増を叫び、帝国主義間・大国間の市場争奪のための争闘戦を強め、通商戦争、為替戦争からブロック間戦争・世界戦争にのめりこもうとしている。
 9月24日、アメリカ議会下院の歳入委員会は、人民元切り上げをさらに進めるよう、中国に対する圧力を強める法案を可決した。今年6月に中国が人民元の弾力化を表明した後も大きな効果が見られないことにアメリカ議会では不満の声が上がっていた。
 オバマは輸出倍増と言うが輸出競争力があるのは、武器や原発など戦争関連だ。
 米政府は、サウジアラビアに対し、F15戦闘機84機やブラックホーク、アパッチなどの軍用ヘリコプターなど総額600億j(約4・8兆円)の武器を売却することを決めた。これは対イランである。イスラエルはこの武器が自国に向かってくる危険があると猛然と反対した。
 オバマは11月6日、アジア歴訪の最初の訪問地となるインドで、アメリカがインドに戦闘機のエンジンや軍用輸送機などを輸出する総額約10
0億j(8100億円)の商談が成立したことを明らかにした。これは対中国であり、対パキスタンである。米帝は輸出倍増と称して全世界に最新鋭の武器を売却して戦争の危機を過熱させているのだ。
 10月13日、米帝が9月15日に西部ネバタ州で臨界前核実験を強行したことが明らかになった。オバマ政権は「核なき世界」などとペテンをふりまくが、やっていることは帝国主義間・大国間の争闘戦を真っ先に仕掛け、核への依存を強め、対北朝鮮・中国、イランへの核戦争策動を強めているのだ。結局、最終的には戦争・世界核戦争で米帝危機の乗り切りを図ろうとしているのだ。

 □米韓安保協議で共同声明

 米帝は、北朝鮮の崩壊情勢をみすえ軍事的対応を急いでいる。
 10月9日、韓国の宋泰栄国防相とゲーツ国防長官がワシントンで米韓安保協議を開いた。協議後に発表した共同声明で、北朝鮮の「不安定な事態」への対応準備を初めて盛り込んだ。
 共同声明は15年までに、北朝鮮崩壊に伴う6つのケース(難民の大量発生、大量破壊兵器の流出など)に備えた共同作戦計画「5029」の完成を目指すことで合意した。さらに共同声明で、米韓が昨年6月に合意した「米韓同盟未来ビジョン」の軍事分野を具体化する「国防協力指針」(ガイドライン)を打ち出した。
 米韓同盟は北朝鮮との全面戦争を主目的にしてきた。今回はそれと同時に、在韓米軍を他地域での戦闘に使いやすくする指針を入れた。米軍再編による在韓米軍の縮小路線が進み、対北朝鮮戦争の主軸を韓国軍が全面的に担うということだ。
 そして12年4月から15年末に延期された米軍から韓国軍への戦時作戦統制(指揮)権の移管に向けた今後5年の実施計画文書「戦略同盟2015」と、米韓両軍の共同作戦計画作成の方向などを定めた戦略企画指針にも署名した。さらに米側は戦時作戦統制権移管の延期はないことを明確にした。米韓連合軍の主役は韓国軍であることが明確にされた。
 韓国は、大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)に基づく海上封鎖訓練を10月13、14日に韓国南部の釜山近海で行った。米、日など15カ国が参加した。北朝鮮崩壊に伴う核拡散を対象にしたものであることは明白だ。
 海上訓練には日米韓豪の四カ国が艦艇などを派遣し、大量破壊兵器を積んだ艦船の摘発訓練を行い、フランスやカナダなど10カ国が参観した。 米韓安保協議に見られるようにイミョンバク政権は、北朝鮮の崩壊をみすえて北朝鮮侵略戦争態勢に突入している。ところが、3月末の哨戒艦沈没事件では海軍の指揮系統の乱れや士気の低さが露呈した。
 そして6月2日投票の統一地方選挙では、イミョンバク政権の与党が哨戒艦事件を前面に押し出し、北朝鮮に対する脅威をあおって選挙戦を闘ったが、大敗を喫してしまった。韓国人民は、北朝鮮に対する戦争を拒否したのだ。今も続く朝鮮戦争の苦しみを知っているがゆえに、二度と同胞が戦火を交えることを拒絶した。その根底にはかつての軍部独裁を打倒した民主労総に結集する階級的労働運動の力がある。この階級的力関係が韓国軍の動向に重大な影響を与えている。
 こうした中で、韓国軍中枢の腐敗が暴露された。
 イミョンバクは、大統領任期後半の課題に「公正な社会の実現」を掲げた。ところが軍幹部の子弟が軍に入隊する際に、比較的勤務が楽な部隊に配属されるなど特別待遇されていることが発覚した。
 野党民主党の国会議員が政府から入手し、10月5日に発表した資料によると、韓国軍の現役将官級(大将、中将、少将など)約400人の息子39人が兵役に就いていた。陸軍にいる息子32人のうち、歩兵などの戦闘兵はわずか6人(18・7%)だけ。陸軍兵士全体の戦闘兵の比率は約50%になっている。
 また韓国政府は07年末にアフガニスタンから軍部隊を撤退させて以来、今年7月に約2年半ぶりの韓国軍再派兵に踏み切った。北朝鮮情勢の激変を受け、米韓同盟を強化する立場からだ。約230人が現地入りしている。民間要員約130人の警護に当たる韓国軍部隊は最終的に350人規模となる。派兵期間は12年12月末まで。この危険なアフガン派兵部隊の中にも将官の子弟は含まれていない。
 人口4800万人の韓国は、北朝鮮との軍事的対峙のために現有総兵力は69万人(陸軍56万、海軍6・8万人、空軍6・3万人、予備役380万人)体制を敷いており、そのために厳しい徴兵制を取っている。
 それだけに軍内における将官の子弟への優遇の発覚は、北朝鮮侵略戦争態勢の根幹を支配階級(ブルジョアジー)自ら揺るがす事態となる。
 支配者階級のための戦争に被支配階級である労働者人民を強制的に徴兵し「国のために戦争で命を捨てろ」とあおりながら、支配階級自らは「国のために自分は死ぬのは嫌だ」と卑劣な心情を吐露していることになるからだ。

 □敗色濃いアフガン戦争

 10月7日、米帝のアフガニスタン侵略戦争は10年目に突入した。米帝はアフガニスタン10年戦争(同時並行的にイラク8年戦争)を戦い、このまま北朝鮮侵略戦争から対中国戦争・世界戦争に絶望的にのめりこんでいく情勢にある。まさに末期的な危機だ。帝国主義打倒の世界革命以外に労働者階級の未来はない。
 オバマは来年7月撤退開始を打ち出しているが、戦略的敗勢は深まるばかりだ。
 米軍は、「掃討、確保、構築」と呼ばれる反米武装勢力に対する平定戦略で、タリバンを掃討し、治安を確保し、住民の生活向上をはかりタリバンとの関係を断絶させ、新たな統治体制を構築するとの展望を描いている。しかし、米軍戦略は「掃討」の段階で行き詰まっている。
 2月に始まった南部ヘルマンド州マルジャの戦闘は現在も続いている。9月下旬に始まったタリバンの拠点、南部カンダハル州の掃討作戦も進展がない。他方でアフガンでの米兵の死者数は増えるばかりで7月に66人と1カ月の死者の過去最高を記録し、米兵の死者全体で1300人を超えた。
 この9カ年の戦費総額は約3360億j(約28兆円)。現在も1年で約1千億j(約8兆円)が出費されている。
 アフガン駐留米軍司令官のペトレイアスが「この戦争に勝つとは思わない。子どもの時代まで戦い続けることになるだろう」と吐露した、と最近出た「オバマの戦争」という本の中に書かれている。
 米軍中枢が極端な厭戦主義、敗北主義に陥っている。兵士の疲弊・崩壊もすさまじいが中枢崩壊もそれ以上だ。
 9月末、ゲーツ国防長官は、「米国民にとって、戦争は個人の生活に影響をもたらさない、遠くて不快なニュースの一項目になっている」「9・11以後も、多くの米国人は兵役を『だれか(ほかの人)がするもの』と考えている。」と述べた。
 問題は米国民一般ではなく米政治中枢の問題である。上下院議員の軍経験者も大幅に減少している。ベトナム戦争中の70年には上下院議員のうち398人が軍経験者だったが、現在は120人しかいない。イラク・アフガン戦争にはほとんど従軍していないということだ。
 マイケル・ムーア監督の映画の中で、監督が議会の前で議員をつかまえて「議員の息子はイラク・アフガン戦争に行っているのか」と質問している場面があった。ほとんどが「ノー」の答えだった。米帝の政治中枢そのものがイラク・アフガン戦争を自分の戦争と考えていない。韓国の将官の息子と同じような問題がアメリカではより深刻だ。
 根底には新自由主義の民営化路線がついに戦争の民営化にまで行き着いたことがある。イラク戦争は「戦争民営化の実験場だった」とも言われる。
 『軍事研究』12月号には、09年9月時点での「アメリカ国防省と正式契約を結んでいる民間軍事会社(戦争請負会社)の総人数は24万2230人で、内訳はイラク11万3731人、アフガン10万4101人」となっている。
 アメリカはイラク戦争開戦時に米軍15万人を投入したが、占領・統治の過程で民間軍事会社に所属する民間人を10万人以上の規模で投入した。戦闘・警備・兵站の戦争の全分野に及んだ。
 開戦時、ラムズフェルド国防長官は、戦争の民営化を徹底的に推進した。その背景には91年のソ連崩壊に伴い行われた米軍の大リストラがある。米軍は200万人体制から140万人体制に縮小された。60万人の軍人が職を失った。アメリカだけではなくソ連、東欧諸国など軍のリストラが行われ、大量の軍人が職を失い民間軍事会社を設立したり職を求めた。
 ラムズフェルドは、これらの雨後の竹の子のように生まれた戦争請負会社にイラク戦争の一部を外注化した。それが戦争の民営化であった。
 イラク戦争では「国を守るため」という題目を掲げながら、実際にはかなりの分野を戦争企業に任されている現実がある。人を殺し殺される戦争で、国は傭兵を雇い、傭兵会社は戦争を金儲けの手段としている。戦争がすべての国民の義務ではなく、兵員を金で買うことができるものになった。かつてローマ帝国が傭兵に依存して滅亡したような事態が起きている。
 戦争の民営化は、戦争を不可欠とする帝国主義にとって末期症状そのものだ。帝国主義の侵略戦争はブルジョアジーの利益のための戦争だ。その戦争の不正義性が暴かれ、労働者階級人民を動員できなくなっているのだ。帝国主義の最末期的な危機が到来している。革命に転化する時だ。
 この戦争請負会社も、重大な岐路に立たされている。アフガニスタンでは、カルザイ大統領が8月に52の戦争請負会社に解散命令を出した。10月3日には第1弾として8社に解散命令が出された。米帝は必死に再考を求めている。米軍のイラク・アフガン侵略戦争の隠された支柱となっていた民間戦争請負会社の解散命令は、米軍の戦争戦略の根幹を揺るがすものだ。
 (宇和島 洋)
(写真 アフガニスタン南部カンダハルで、爆破ゲリラで負傷した兵士を救護ヘリに運ぶ米兵【10月2日】)

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月刊『国際労働運動』(413号2-3)(2011/01/01)

■News & Review 日本

11・7全国労働者集会に5900人

1047名解雇撤回! 国際的団結固く

(写真 5900人の団結ガンバロー≠フ叫び【11月7日】)

 □1047名解雇撤回へ新たな闘争宣言

 2010年11・7全国労働者総決起集会は、日比谷野外音楽堂に昨年を上回る590
0人が会場を埋めつくし、大成功した。これまでの呼びかけ3労組(全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械労組港合同、動労千葉)に加え、6・13集会をもってスタートした国鉄闘争全国運動が呼びかけ団体となり、4・9政治和解の大反革命を打ち破り、国鉄1047名解雇撤回に向けた新たな闘争宣言を発した。
 演壇には、「国鉄1047名解雇撤回!非正規職撤廃!」「大失業と戦争に突き進む菅政権に怒りを!」のスローガンが掲げられ、大失業・戦争と闘う全世界の闘う労組代表も続々と結集し国際的団結が一層深まり、大恐慌をプロレタリア世界革命に転化する闘いの展望を指し示した。新自由主義攻撃を打ち破り、階級的労働運動をよみがえらせていく道筋がここにある!≠ニ誰もが確信した。

 □各界から熱い連帯の言葉

 集会の司会は動労水戸の根本透さん、ちば合同労組の五日市麻美さんが務めた。
 開会あいさつに立った港合同の中村吉政副委員長の呼びかけで、11月集会の先頭に立って尽力してきた故・中野洋動労千葉前委員長を偲んで黙祷が行われた。中村副委員長は「4者4団体は4・9和解に調印し闘争を終結しましたが、私たちは国鉄闘争の火を消すな≠スローガンに6・13大集会を開き、新たな国鉄闘争を開始した。今、JRには非正規労働がはびこっています。非正規労働を許すな!≠フ声をあげJR資本を追い詰めよう。本集会参加者の強い意志として国労闘争団、動労千葉争議団、国鉄臨職・和田弘子さんの解雇撤回まで闘い抜くことを確認しましょう」と訴えた。
 連帯のあいさつでは、まず憲法と人権の日弁連をめざす会代表の高山俊吉弁護士が、「裁判所や司法を経済の要求や国家統制の要求に応える構造に変える裁判員制度は破綻を色濃く見せている。改憲と戦争の策謀に抗する気運を高めよう」と呼びかけた。三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原進事務局次長は、「成田をハブ空港の位置から引きずり下ろした。三里塚は大局的にみて勝利の展望を手にする所まで来た。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)は日本農業を壊滅させるとともに、労働者に対する攻撃でもある」と訴えた。北原鉱治事務局長、市東孝雄さんら多数の反対同盟員がともに登壇し「労農連帯・農地死守」「TPP絶対反対」のノボリをひるがえした。9月に7選を果たした元全軍労牧港支部青年部の宮城盛光北中城村議は、「基地撤去、解雇撤回、そして日米安保同盟粉砕の闘う原則を沖縄の労働運動によみがえらせよう」と訴えた。とめよう戦争への道!百万人署名運動の西川重則事務局長は、「国際連帯による戦争絶対反対の運動を展開し、すべての労働者・市民が小異を残し大同につく確信を持って、世界の平和をつくりだすことを確認したい」と熱く語った。
(写真 呼びかけ3労組と海外代表団を先頭にデモ行進【11月7日】)

 □海外代表団が続々発言

 続いて海外代表団が続々とアピールに立った。
 民主労総ソウル本部からは42人もの大代表団が来日した。ノミョンウ首席副本部長は、イミョンバク政権が進める派遣法改悪―派遣業種拡大を暴露し「日本と韓国の労働者が力を合わせ派遣法撤廃、生存権と労働基本権確保の闘いを展開しよう。労働者の団結と連帯で危機に陥った資本主義にとどめを」と訴えた。全国拘束手配解雇労働者現状回復闘争委員会(全解闘)のキムウニョン委員長の「資本の弾圧に対して、太平洋の巨大な波のように大規模な労働者の攻勢をかけ、資本の生命を絶ち、労働解放の日まで共に闘います」というメッセージを全国公務員労組犠牲者者現状回復闘争委員会のキムウンファンさんが代読した。
 ILWU(国際港湾倉庫労組)ローカル34のホアン・デルポソさんは「6月、ILWUはイスラエル船の荷扱いをボイコットした。多くの労組幹部は『オバマ民主党が大恐慌をのりきれる』と言い続けているが、恐慌が政治家の手で解決できるわけがない。恐慌に対する唯一の回答は、労働者が職場生産点で自らの力で組織をつくることだ」と語り、UTLA(ロサンゼルス統一教組)中央委員であるイングリッド・ガネルさんは「オバマは、マスコミや金持ちの言いなりになって教育改革を進めようとしている。日米の公教育に対する攻撃はまったく同じ。日本と全世界の労働者と一緒に公教育と労働者の権利を守る闘いに参加できて光栄です」と強い連帯の意を表明した。TWSC(運輸労働者連帯委員会)のスティーブ・ゼルツァーさんらも登壇した。
 ドイツ・レーテデモクラシーのための委員会(KRD)のアウグスト・カイテンさんは「世界恐慌は、新たな戦争の道を開くとともに、全世界で労働者の闘いを呼び起こしている。プロレタリア世界革命の時代がついに来た」と喝破した。
 体調不良で来日がならなかったブラジル・コンルータス(全国闘争連盟)のディルセウ・トラベッソさん、無期懲役と闘い抜いている星野文昭さんらのメッセージが紹介された。フィリピン労働党副議長、フィリピン航空従業員組合委員長のゲリー・リベラさんからもメッセージが寄せられた。
 さらに滞日外国人労働者の大部隊が登壇し、広い野音の演壇を埋めつくした。クルドやビルマを始め多くの労働者が日帝・入管当局への怒り、国際連帯、自由を求める叫びを上げた。
(写真 海外代表団が登壇。韓国・民主労総の42人の代表団【上】。アメリカ、ドイツの代表【下】)

 □関生支部、動労千葉のアピールに奮い立つ

 呼びかけ労組から関生支部の高英男副委員長、動労千葉の田中康宏委員長が集会の基調となるアピールを行った。
 高副委員長は、竹中工務店や大林組という大手ゼネコンに生コン価格の値上げを同意させた5カ月に及ぶ激烈なストライキの経過を報告し「今回のストは、たとえ少数であっても切実な要求を掲げれば多くの仲間を結集できることを証明した。この闘いを全地域・全産別で取り組める普遍的闘いとして拡大することが、日本の労働運動の再生を可能にする」と、産業別労働運動と国鉄闘争の勝利の展望を確信に満ちて報告した。
 動労千葉の田中委員長は、国鉄全国運動を呼びかけた経過を報告するとともに「この運動の中に労働者と労働運動の未来がかかっていることを確信して闘い続ける」と意気高く述べ、本格的激突に入った検修全面外注化阻止闘争について「この秋から来春にかけて動労千葉はストライキを構えて闘いに立ち上がる。来年は本日を倍する仲間たちの結集を実現しよう」と訴えた。
 2労組の提起に、全参加者が職場実践への決意を新たにした。

 □全国運動からの訴え

 国鉄闘争全国運動の呼びかけ人が次々とアピールした。日本近代史研究者の伊藤晃さんは、「新自由主義攻撃は、4・9和解の思想を今後も基軸とする。菅政権はその先頭に立っている。新自由主義に対し、日本の労働運動の主流は著しく無力だ。これらへの批判は、私たちが現実の事態に対抗しうる新しい無数の運動をつくりだすことでしか有効にならない。全国運動をその場にしたい」と訴えた。韓国労働運動史研究者の金元重さんは、「韓国・キリュン電子の解雇撤回闘争で、10人の復職をかちとった。全国運動も、彼女たちの不屈の運動に学んでいきたい」と語った。愛媛県職労の宇都宮理委員長は、「動労千葉労働運動の正しさ、仲間を守りきる団結力に勇気づけられ、現業廃止攻撃と闘っている」と報告した。元安芸労働基準監督署長の大野義文さんは、「全国で監督署が摘発した百万円以上の割増賃金の是正金額は1663億3392円。国家・資本の横暴を許すわけにはいかない」と訴えた。元国労九州本部書記長の手嶋浩一さんは、「国鉄全国運動に必要なことは、この(和解調印した)人たちの中から、なお『分割・民営化は許せない』と立ち上がってくる人をどれだけつくれるかが焦点だ」と語った。
 さらに鉄建公団訴訟・鉄道運輸機構訴訟代理人に加わった福岡弁護士会・山崎吉男弁護士がアピールを行った。

 □争議団・闘争団の決意

 国鉄1047名闘争当該の動労千葉争議団と4人の国労闘争団員が登壇すると、ひときわ大きな拍手が上がった。
 動労千葉争議団の中村仁さんは「4・9和解はなんという和解なんですか。絶対に許さない! 非正規職の労働者たちも団結して頑張っている。この闘いに学び、物販を通して全国の人とつながって、社会を変える闘いの先頭に立ちます」と元気に発言。国労旭川闘争団の成田昭雄さんは「全国どこに行っても格差・貧困への青年の怒りで満ちている。原告団の一員として『分割・民営化絶対反対』を貫くとともに、再び鉄道労働者をリストラし、地方と住民生活を破壊する新自由主義と体を張って闘う」と断言した。国労小倉闘争団の羽廣憲さんは「JR貨物は『第2のJAL』と言われています。民営化は完全に破産しています。国鉄全国運動を前進させJR体制を打倒する時だ」と力強く叫んだ。

 □青年労働者と学生からの決意表明

 東京の全逓青年労働者、三浦半島の教育労働者、仙台市役所・動労千葉を支援する会、東京・精研労組青年部、さいたまユニオン行田分会、法政大文化連盟・斎藤郁真委員長、動労千葉を支援する会・新潟の坂場信夫代表が、それぞれ闘志あふれる決意表明を行った。閉会あいさつを関生支部の福嶋聡さんが行い、ス労自主の中村和憲副委員長が行動提起をした。港合同昌一金属支部の大塚亮執行委員と中蕪T和委員長の音頭でインターナショナル斉唱、団結ガンバローを行い参加者はデモに出た。「解雇撤回」「非正規職・派遣法撤廃」の声が都心に響き渡った。

 □国際連帯の圧倒的前進

  11・7集会は、前日6日に千葉市民会館で開かれた労働者国際連帯集会と合わせ、国際連帯闘争を大きく前進させた。また、韓国・民主労総が、チョンテイル烈士が「勤労基準法を守れ!」と焼身決起してから40年を迎えて開催した全国労働者大会と同日に行われた。そして、100人を超える動労千葉訪韓団が11月9日にソウルに入国し、G20糾弾闘争をともに闘った。
 さらに、11・13〜14横浜APEC粉砕闘争を反戦共同行動委員会の主催で闘い抜き、熱い11月≠全力で駆け抜けたのである。
 (大沢 康)

(写真 前日に行われた11・6労働者国際連帯集会【千葉市民会館】)

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月刊『国際労働運動』(413号3-1)(2011/01/01)

(写真 11・7全国労働者総決起集会後、「1047名解雇撤回」「検修・構内業務外注化阻止」を掲げてデモする動労千葉)

特集

■特集 「分割・民営化25年問題」と国鉄闘争

 はじめに

  国鉄分割・民営化から23年目を迎えた今日、分割・民営化の破綻は隠しようもなく露見している。「国鉄改革25年問題」などと喧伝(ケンデン)されている問題である。この事態は国鉄の分割・民営化の枠組みが完全に破綻していたことを示している。ここから日帝は4・9反革命による1047名闘争の解体と「国鉄改革の完遂」の攻撃を激化させている。
 第1章では、「分割・民営化25年問題」の本質、すなわち三島・貨物の経営破綻問題と「完全民営化」の道筋すら示すことのできない日帝・国交省の現実を明らかにする。
 第2章では、JR東日本の外注化攻撃に焦点を当て、この攻撃と対決し、外注化攻撃を阻止し続ける動労千葉の反合・運転保安闘争路線の勝利性を明らかにする。
 第3章では、国鉄全国運動の課題と勝利の展望を明らかにする。そして最大の決戦期を迎えた検修全面外注化攻撃との闘いの意義と勝利の核心を明確にする。

■第1章

 

 国鉄分割・民営化の大破綻 三島・貨物会社の経営破綻

 「国鉄分割・民営化25年問題」は、JR三島(北海道、四国、九州)会社と貨物会社の完全民営化が、今や絶望的になっていることだ。それどころか民間会社としても成立しない経営の破綻状態が問題となっている。旧国有鉄道は、1987年にJR7社(北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州、貨物)に分割された後、日本国鉄清算事業団に継承され、さらに改組を経て、現在は、鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道運輸機構)に継承されている。
 分割・民営化から23年を経た現在もまだ、株式公開されたのはJR東日本、JR東海、JR西日本のみであり、JR三島(北海道、四国、九州)会社と貨物会社は、この鉄道運輸機構が株式の100%を所有する特殊法人のままである。この事態は国鉄分割・民営化の枠組みがそもそも完全に破綻したことを示している。
 さらに、分割・民営化の破綻的現実を指し示すものとして、JRにおける安全の崩壊がJRの全領域において突き出されている問題である。05年の尼崎事故、羽越線事故に見られるように、安全無視・営利優先の鉄道経営が必然的に招いたものである。同時にこの現実は、労働組合が闘いを放棄し、そればかりか率先して資本の合理化攻撃を推進した結果でもある。JR総連、JR連合が競い合うように「国鉄改革の完遂」を叫び、資本との結託体制の下で合理化攻撃に積極的に関与しているのだ。
 特に2000年以降、JR東日本における外注化・合理化攻撃は、安全部門(駅業務、検修業務、設備部門)の機能破壊を極限的に進行させている。

 経営安定基金うち切り

 JR三島会社は、当初より赤字経営を前提に、経営安定基金1兆2781億円の運用益や種々の税制上の優遇措置(「承継特例」「三島特例」)などを講じることにより経常利益を確保する形で設立された(35nのグラフ参照)。人口の少ない三島地域で、経営が自立的に成立することなど不可能なのだ。旧国鉄時代を見ても、山手線など首都圏エリアの営業収益が全体を補う関係にあった。経営問題から見て、分割・民営化の破綻は最初から明らかであった。三島各社に配分された経営安定基金は、JR北海道6822億円、JR四国2082億円、JR九州3877億円となっている。これらの算定基準は、経常的に発生する営業赤字の予測値からはじき出されたものである。
 当然のように三島会社は、営業損益を計上し、経営安定基金運用益を繰り入れなければ経常利益が出ない状態(=経営破綻)が現在まで続いている。この経営安定基金運用の枠組みが、分割・民営化から25年目の2012年度に最終年度を迎えることになっている。国交省、鉄道運輸機構が「国鉄改革25年問題」と騒ぎ立てる根拠もここにある。これこそ「分割・民営化25年問題」そのものであり、分割・民営化の大破綻を示すものである。

 分割・民営化体制の推移

 発足当初、運用益は3社合計で933億円あった。しかし、政府の超低金利政策により1996年度には573億円と当初計画の61%まで落ち込んだ。また同時に、JR貨物も連続赤字を計上し、分割・民営化10年を前に、三島・貨物会社の経営破綻問題が公然化したのだ。97年は清算事業団の解散時期とも重なり、また国鉄長期債務の新たな累増問題がJR全体を揺るがしていた時期でもある。分割・民営化の「順調な進捗(シンチョク)」を装わなければならない政府とJRにとって三島・貨物会社の経営破綻は決定的問題であった。「分割・民営化10年問題」の発生である。
 そのために政府は、97年度から5年間、鉄道運輸機構(当時は鉄道整備基金)が三島会社の経営安定基金から4・99%の固定金利で借り受けて運用益を捻出(ネンシュツ)する救済措置を設定した。これは分割・民営化枠組みの破綻を覆い隠すもので問題の先延ばしに過ぎなかった。2002年度からは、固定金利を3・73%に引き下げた形で、07年までさらに5年間、支援措置が継続されることになった(「分割・民営化15年問題」)。そして07年度からも、5年間の継続支援を決定した(「分割・民営化20年問題」)。最終年度は、分割・民営化25年を迎える2012年となる。この先は運用益に流用していた資金が底を突き、このままの枠組みでの運用は不可能になる。分割・民営化の決定的破綻が突き出される事態となった(「分割・民営化25年問題」)。
 さらに三島会社に対する税制上の優遇措置も一部を除いて2012年に最終年度を迎える。JR7社に対しては、分割・民営化から10年間に限り、経営安定のために固定資産税、都市計画税などの軽減措置が講じられた。この措置は96年に終了の予定であったが、経営状況の厳しい三島・貨物会社に対しては、97年度以降も引き続き減免措置が5年間延長された。その内容は、国鉄から承継した貨物会社の固定資産税を2分の1(承継特例)とし、三島会社についても同様の措置が講じられた(三島特例)。この他、貨物会社に対しては、新たに取得する機関車・貨車についても減免措置が講じられた。02年度からは、承継特例、三島特例ともさらに5年延長、その他の貨物の特例措置も2年間延長された。また、07年度以降についても承継特例、三島特例ともに5年間の再延長が決定されている。これらの特例措置は、経営安定基金運用と同様に2012年3月に最終期限を迎える。
 第3節 JR貨物の経営破綻  

 JR貨物の経営破綻  

 分割・民営化に際して、JR貨物は、膨大な老朽化した車両および地上設備をそのまま引き継いだ。1970年代以降、貨物輸送に対する設備投資は行われていない。「国鉄の負の遺産」と言われる膨大な不良資産が積み上げられていた。「貨物安楽死論」がまことしやかに語られ、貨物部門の切り捨てが事実として進行していた。そのような中で分割・民営化は強行された。
 国鉄から広大な土地を承継した貨物会社には、経営安定基金などの財政支援策は十分に講じられなかった。税制上の承継特例などの減免措置や動力用の軽油への非課税措置のみであった。また、本州3社と同様に国鉄の長期債務の一部944億円の負担が義務付けられた。そして何よりもJR貨物が線路を持たない第二種鉄道業者として発足したところに最大の矛盾がある。顧客対応の自由なダイヤ設定ができず、第一種鉄道業者であるJR各社にすべて委ねられている。自前の線路はJR貨物の8380`の営業区間のうち45`ほどしかなく、線路使用料として「アボイダブルコスト」をJR各社に支払っている(年間約150億円)。これも経営逼迫(ヒッパク)に拍車をかけている。
 貨物会社の経営は以下のような推移をたどっている(34nのグラフ参照)。
()1987年の分割・民営化から6年間はバブル期の影響で黒字で推移した。(87年から92年までの6年間)
()93年から赤字に突入。阪神淡路大震災など自然災害の影響も大きいが、日本の産業が停滞する中で脆弱な経営基盤が深刻な赤字を生み出した。8期連続の赤字を記録(93年から2000年まで)。
()2001年に黒字基調に転換した。この黒字転換は、@中期経営計画「新フレイト21」(97年度〜2001年度)のもとでの次元を超えた合理化攻撃の結果である。「新フレイト21」は、01年度の経常利益を50億円、社員数8900人、営業費に占める「人件費負担率33%」を数値目標に設定した。A02年度からの「ニューチャレンジ21」では、02年度の社員数8700人を3年間で200
0人削減することを含め、営業費を100億円削減、さらに貨物基地を半減するというすさまじい合理化攻撃が行われた。B05年度からの「ニューストリーム2007」では、大幅な人員削減の一方で、増送計画を打ち出すなど、慢性的要員不足と安全崩壊を職場にもたらした。合理化攻撃の結果、08年の上期までコンテナ輸送の伸びを受け、7期連続の黒字を記録した(01年から08年まで)。
()2008年9月のリーマン・ショック以降、恐慌情勢の中で2期連続の赤字に突入(08年から09年度)。中期経営計画「ニューストリーム2011」(08年〜11年)を策定した。
 JR貨物の経営はその経営基盤や経営規模などに大きく規定され破綻は進行している。老朽化した車両は更新が進まず、電気機関車などの約6割が標準使用年数を超えている。それらの延命工事費が経営を圧迫し続け、新たな長期債務を生み出す要因ともなっている。国内の年間物流総量は91年の69億dをピークに、年々減少傾向にあり09年度は53億dにまで落ち込んでいる。その中で貨物会社の占めるシェアは、輸送トンで1%弱、輸送d`で4・5%に過ぎない。(d`:輸送量キロに輸送距離キロを掛けたもの)
 黒字基調で推移した時期の輸送収入の伸びは、トラック輸送からあふれた分が貨物会社に流れ込んだものと言われている。また人件費や物件費などの営業費を削減する徹底した「収支改善」(=合理化)によるものである。JR貨物は、00年以降、11年連続ベアゼロ、定期昇給凍結・延伸、一時金の低額回答など次元を画する賃下げを労働者に強制し続けてきた。しかし、08年度以降、2期連続赤字に突入し、10年度も赤字必至の状況にある。先に見たように、承継特例などの財政支援策も12年度が最終年度となっている。JR貨物は、経営の目途すら立たない中で完全民営化など問題にもならないのだ。

 貨物会社の「2009年度決算書」と「2010年度事業計画」

 JR貨物の「2009年度決算書」を見ると、全事業収益(連結)は1522億円(前期比5・7%減)。営業費に1537億円要しているから事業利益は▲15億円。経常利益も▲46億円の損失であり、純利益は▲27・5億円という結果となった。また、分割・民営化以降、23年間のスパンで見ても、純利益のトータルは▲200億円を超えている。資本金190億円(株式総額)を超える額だ。さらに長期債務も増え続け、残高は1930億円である。これは09年度の営業収益1522億円をはるかに超えている。旧国鉄から承継した土地などの売却益で債務超過(=経営破綻)を回避している状態なのだ。その土地も底を突きつつある。
 「2010年度事業計画」(10年5月10日)は、「経営の現状は、会社発足以来の最大の危機である」ことを確認するとともに、「背水の陣で収支改善に取り組み、黒字転換と上場への道筋を付ける」としている。「収支改善」とは徹底したコスト削減(=人件費削減)を指す。
 事業計画の「収支想定」の内容は驚くべきものである。対前期比で人件費が▲40億円、物件費▲43億円の削減など、営業費全体を▲81億円削減し、1524億円に圧縮するとしている。1580億円の営業収益を見積もっているから、営業利益は56億円。最終的に経常利益15億円としている。前年度の経常利益▲46億円の赤字を埋めて、15億円の黒字を出すということは 60億円を超える収支改善を図るというものだ。ほとんど不可能な数値だ。JR貨物・小林社長は、人件費▲40億円の削減を「苦い水だが飲んでもらう」と言い放っている。
 また、「業務運営の基本方針」としては、「駅業務の多能化の拡大」と併せて「運転士の勤務制度の改正」を進めるとしている。鉄道事業の大幅な人員削減の中で、超長時間・超長距離運転をさらに強制する内容となっている。「ニューストリーム2011」(08年から11年)の見直しにも言及し、「要員規模については抜本的に見直す」ことを重ねて強調した。11年度の社員数を6400人(09年度から780人減)としている。まさに「乾いた雑巾を絞る」というものであり、強労働、安全無視もはなはだしい内容だ。

 「国鉄改革25年」問題を恫喝的に喧伝する国交省

 監督官庁の国交省は、JR貨物の赤字問題に対して危機感をあらわにした。09年3月19日、「中期計画の確実な達成と経営基盤の強化」について「申」(=通達)を出した。極めて異例な事態である。
 「申」には、@「ニューストリーム2011」の確実な達成と、それが困難な場合には、速やかに計画を見直して11年度までに経常利益(黒字)にすること。A経常損益額(黒字)達成に向けた道筋および対応を株主総会までに報告することを迫った。
 これに対してJR貨物は6月15日、「中期計画の見直し等に係わる当社の考え方」を明らかにした。
 その内容は、「コストダウン実行本部による効率化施策の強力な推進」を柱とするもので、取り組むべき「課題」として、@「乗務範囲の拡大による運転士・機関車の運用効率の向上」、A「貨車全検基地、小規模検修基地の適正配置」、B「採用の抑制、賞与等の見直しによる人件費の削減」、C「修繕工事等、経費の削減」など、徹底した効率化・合理化攻撃の実施である。検修基地の統廃合、修繕工事の削減などは安全部門の切捨てに直結する事態である。
 この回答を受け6月19日、鉄道運輸機構は、「完全民営化に向けた考え方」を改めて質すとともに、@これまで実施してきたコスト削減策では不十分、さらなる削減を大胆に行うこと。A収支改善を軸に、中期計画を見直すこと。Bコスト削減施策を確実に実行していくための方策や削減額の見通しを具体的に示すようさらに求めた。

 分割・民営化の破綻を示す1・21「国交省見解」

 2010年1月21日、国交省は、JR三島・貨物の経営破綻を自認した上で危機意識を次のように示した。
 @三島・貨物問題は「国鉄改革から25年目」を迎えている。A民営化から25年たって、いつまでも国鉄の看板を背負って政策はできない。B本州JR3社も国策会社としてできたわけではない。三島・貨物会社も国策会社ではない。C三島・貨物問題は(12年度の概算要求編成時期の)11年8月に向けて重大な関心事であるが、まず黒字体質の状況になっていないと先に進めない。そのために10年度決算が黒字になるかどうか非常に意味がある。新しい鉄道政策を考える上で、10年度の決算は重要なポイント。E国交省としてもJALの問題が終わったので次はJR貨物と考えている。
 要するに、「新しい鉄道政策」の策定のためには、10年度決算の黒字化が至上命題であることを重ねて主張した。「JALの次はJR貨物」なる言辞は、JAL再建に向けたすさまじい合理化攻撃(社員の3分の1、1万6千人削減、整理解雇など)をJR貨物も実施せよ、というものである。
 この認識の上に立って国交省、鉄道運輸機構は、「20
12年は『国鉄改革25年』の節目であり、国としてはここで『国鉄改革』の決着をつける。そのためにJR三島、貨物会社は自立のための道筋を自ら示せ」と「完全民営化のためのロードマップ」の提示を三島・貨物会社に要求した。分割・民営化破綻の重さにのたうち回っているのだ。

 JR貨物のロードマップ

 2010年5月、JR貨物は「完全民営化のためのロードマップ」を提示した。
 ロードマップは@「財務基盤の強化や、国の支援を前提としながら、鉄道貨物輸送の特性(全国ネットや環境負荷)など、外部環境の変化(長距離ドライバー不足、環境問題、道路事情など)を活かして鉄道シェアの拡大、鉄道輸送の刷新を図る」、A「2018年を目途に経常利益100億から120億を安定的に確保して株式上場をめざす」というもの。そのために、B「2
018年までに社員数を現行6540人体制から4500人体制とする」「輸送設備(機関車・貨車)の削減、列車キロも10%削減する」とした。
 以上のように「ロードマップ」は、極限的人員削減を柱に不採算部門の切捨てを進めるなど、「第2次分割・民営化攻撃」の内容を先取り的に示すものだ。また、「鉄道貨物輸送の特性」や「外部環境の変化」などを挙げているが、これらは何ら展望のある話なのではない。05年2月に発効した地球温暖化防止「京都議定書」の定めた「CO2排出量」の削減量から算出して、約28億d`分の輸送量がトラックから鉄道にシフトすることを夢想しているに過ぎない。トラックから鉄道への転換(モーダルシフト)にしてもトラック業界との間で何ら合意形成に至っていない。民主党が「交通基本法」「モーダルシフト推進法」の制定に動いていることを勘案して出されたものである。ロードマップの狙いは人員削減の大合理化なのである。

 国交省・重点施策「2010年政策集」

 2010年6月23日、国交省は「政策集2010」を提示した。政策集は、第1項目でアジアへのインフラ輸出など東アジア共同体構想実現に国交省が主導的に動くことが確認されており、列記されたすべての政策が日帝の新成長戦略推進の骨格をなすものである。「未完の国鉄改革の完遂」もその重点施策のひとつなのである。
 政策集「別紙57」(次頁)で、三島・貨物の「自立・完全民営化」問題を取り上げている。三島・貨物の経営の現状を「国鉄改革から25年目を迎えるにも関わらず、今なお、健全な事業体としての経営基盤を確立するに至っていない」とする一方で、「経営の自立に対する支援の必要性」として次の2項目を示した。
 @未完の国鉄改革の完遂を図るため、JR4社の財務基盤の安定化及び収益基盤の強化を行い、経営の自立・完全民営化を図ることが必要。
 A国は、日本国有鉄道改革法に基づき国鉄改革を確実かつ円滑に遂行する責務を有しており、4社の経営の自立・完全民営化への支援を国策として行う必要。
 国交省は、三島・貨物会社に対して「支援を国策として行う」ことを明確に確認している。これは国策会社からの脱却を主張した「1・21国交省見解」と完全に矛盾する内容となっている「国鉄改革25年」を前に「国鉄改革の完遂」への展望など皆無であることを示しているのだ。また、「支援」の基盤となるべき財源については一切明らかにしていない。「絵に描いた餅」に過ぎない代物である。

 財政支援策の目途立たず

  国交省は鉄道運輸機構の「特例業務勘定(国鉄清算事業)」の余剰金を政策財源に流用する考えを先行させていた。この政策財源をめぐって国交省と財務省との綱引きの模様が明らかとなった。
 2010年4月27日、行政刷新会議「事業仕分け」第2弾は、鉄道運輸機構に対して1兆3500億円に上る剰余金を国庫に返納するように求めた。(剰余金は本州3社の株式売却益、旧国鉄保有地の売却益、国の補助金など)
 これに対して5月14日、国交省と民主党との「政策会議」では、余剰金を「新幹線建設の財源、三島・貨物の完全民営化のために使用」する案がまとめられた。この動きを牽制するように6月12日、野田財務相は「国庫返納」を強く主張した。財務省は、旧国鉄の長期債務の償還に充てる考えを示した。9月24日、会計検査院も財務省と同様に国への返納を国交省に求めた。これに対して国交省は、「鉄道の不採算路線への支援や、新幹線など新たな運輸施設の整備に充ててほしいとの要請もあるため、使途を限定せず検討したい」と抵抗を示した。JR7社などは、余剰金を「三島・貨物会社の完全民営化に向けた経営基盤強化、整備新幹線の整備に活用」するように前原国交相(当時)に要望書を提出した。このように財源問題ひとつ取っても何ひとつ展望はないのである。「国鉄改革の完遂」に向けた打開策は皆無の状態なのである。

〔「国土交通省政策集2010」より

 JR 北海道、JR 四国、JR 九州及びJR 貨物の自立・完全民営化に向けた取組の推進 ・JR 北海道、JR 四国、JR 九州及びJR 貨物の自立・完全民営化に向けた取組の推進
(別紙57)
 未完の国鉄改革を完遂させるとともに、高齢化社会及び地球環境問題への対応並びに地域経済の活性化を図るために必要な全国鉄道網を維持・再生させるため、基幹的な鉄道会社であるJR 北海道、JR 四国、JR 九州及びJR 貨物に対して、財務基盤の安定化や収益基盤の強化を図り、早期の自立・完全民営化を図る。〕  未完の国鉄改革を完遂させるとともに、高齢化社会及び地球環境問題への対応並びに地域経済の活性化を図るために必要な全国鉄道網を維持・再生させるため、基幹的な鉄道会社であるJR 北海道、JR 四国、JR 九州及びJR 貨物に対して、財務基盤の安定化や収益基盤の強化を図り、早期の自立・完全民営化を図る。〕

■第2章

 

 外注化を阻止する動労千葉 反合・運転保安闘争路線の勝利性

 以下、JR東日本の外注化・合理化攻撃の分析を中心に論考を進める。ここで確認すべき事柄は、ひとつは、2000年以降のJR東日本の外注化攻撃(第2の分割・民営化攻撃)の実態とそれらが必然的に生み出した安全の崩壊という問題。二つには、JR結託体制のもとで外注化・合理化攻撃を積極的に推進した東労組カクマルの反階級的本質。三つには、以上二つの事柄を暴き出している動労千葉の存在と闘いということである。何よりも、反合・運転保安闘争路線の勝利性を確認するものである。

 〔1〕鉄道事業からの転換図る『ニューフロンティア21』

 10年前に出された中期経営構想『ニューフロンティア21(NF21)』(2000年11月)は、JR東日本の完全民営化をにらみ、「シニア協定」(2000年3月)に示される外注化攻撃を突破口に、7万5千人体制(当時)から1万人もの人員削減を狙う、第2の分割・民営化攻撃への突入宣言と言うべきものであった。そして、分割・民営化では積み残していた賃金体系の改悪を狙うもので、総額人件費削減の日経連(現・経団連)方針が全面的に貫かれていた。
 『NF21』の「事業戦略」の項を見ると、鉄道事業は第3番目に位置付けられ、「ステーションルネッサンス(=駅の再生、いわゆる駅ナカ商売等々)」「IT化」などの営利優先の企業戦略を打ち出している。
 当時、JR東日本の収益の90%は鉄道事業であった。そこに手をつけるということは鉄道会社のあり方を抜本的に転換することを意味した。構想の中にメンテナンス費用の縮減が数値目標化されたことは決定的だ。安全部門の切り捨てを明確にした。JR東日本は、車両の検修部門や保線、電力などの設備部門など、日本の鉄道の歴史の中で蓄積されてきた技術力のほぼすべてを外注化の対象にした。この外注化・合理化攻撃が、第2の分割・民営化攻撃の主軸をなすものである。〔その後、中期経営構想は『ニューフロンティア2008(NF2008)』(05年〜08年)、『グループ経営ビジョン2020―挑む―』(08年〜17年)へと進んで行く。後述。〕

 全面協力する東労組

 これに対してJR東労組は、「会社は完全民営化を前提として、『NF21』で世界に冠たる鉄道会社の基盤をつくるスタートを切った」と絶賛し、「東労組も世界に冠たる労働組合として進むべき道と到達点を示さなければならない」と、合理化推進の立場を改めて明らかにした(『緑の風』01年2月15日号)。
 それもそのはずである。この外注化・合理化攻撃のすべての内容は、90年代末、JR東日本と東労組とが締結した三つの覚書の中で既に確認されていたものだ。
 一つは(イ)「設備部門におけるメンテナンス体制の再構築」(97年)――設備部門(保線、土木、建設、機械)の外注化攻撃。この覚書には「責任施工の深度化」が明記されており、丸投げでの外注化に道を開いた。「再構築」などとペテン的言い回しで合理化攻撃の本質を巧みに隠蔽している。
 二つは(ロ)「21世紀を展望した効率化の実施に関する覚書」(98年)――新自由主義規制緩和を見据えた業務の効率化・合理化案。東労組が効率化の必要性を積極的に承認することで覚書に実効性を与えた。
 三つは(ハ)「大量退職期を迎えるなかでの高齢者の雇用に関する覚書」(99年)――この覚書がそのまま「シニア協定」(00年3月)として成文化されている。退職者(シニア)の「雇用の場の確保」を口実に、グループ会社などへの「鉄道業務の委託(=外注化)」が決定された。狙いは全面外注化にある。この覚書の内容が、「グループ会社と一体となった業務体制(運輸車両関係)の構築に関する協定」(00年9月、後述)の中に盛り込まれ、検修全面外注化実施への道筋が付けられた(01年段階では逐次的に、09年10月の検修業務外注化では全面的に)。
 (イ)(ロ)(ハ)の覚書で確認された事柄が、それ以降の合理化攻撃の指針となっている。東労組カクマル(=松崎)が「覚書」締結に積極的に動いた。松崎は、中央派カクマルとの分裂の中で、JR東日本の経営戦略に深々と関与することで延命の方途を探ろうとしていた。彼らの反階級的裏切りは、すべての合理化攻撃の中に刻印されている。

 「シニア協定」を打ち破った動労千葉

 上記「シニア協定」に対して動労千葉は、全職場に掛けられた外注化攻撃と喝破し、組織の団結を打ち固め絶対反対を貫き歴史的勝利を勝ち取った。以降10年間、動労千葉は外注化を完全に止め続けている。反合・運転保安闘争路線の勝利性を鮮明に指し示すものである。
 同時に、動労千葉の存在とその闘いが、東労組カクマルを内部に抱えた労務政策の破綻性を暴き出している。
 現在、JR東日本は、東労組=松崎と距離を置き、一体的体制から相対化しようとしているが、JR再編を含めた労務政策転換の展望は一向に見出せない。動労千葉の反合・運転保安闘争路線の推進がJR体制の矛盾を突き出し、さらに拡大させているのだ。

 〔2〕外注化・合理化攻撃による安全の崩壊

 2000年6月、大塚(当時)社長就任と同時に、(ニ)「設備メンテナンス体制の再構築について」(01年実施)と(ホ)「グループ会社と一体となった業務体制の構築(運輸車両関係)に関する協定」(01年実施)の二つの合理化案が提示された。
 (ニ)(ホ)の第一の問題は、業務の外注化により、本体での技術の継承性の途絶とそこから必然化する安全の崩壊という問題である。個々に見てゆくと、(ニ)は、鉄道輸送の根幹をなす設備メンテナンス部門(保線、土木、建築、機械、電力、通信)での外注化攻撃である。また、「設備メンテナンス総量の縮減」が明示され、要員削減も同時に打ち出された。
 (ホ)は、車両検修業務と構内入換業務の大幅な外注化と要員削減を含む合理化攻撃となっている。「シニア協定」と一体の合理化攻撃である。
 第二の問題は、マル投げでの外注化に行き着くという問題である。(ニ)において「パートナー会社の責任施工の深度化」が打ち出されている。工務の現場ではJRの責任者不在の工事が横行しているのだ。実際、工期は短縮され予備日ももうけられず、そのために活線工事、非線閉工事、夜間工事など、安全無視の作業が下請け・孫請け労働者に強制されている。そのために、下請け・孫請け労働者の死亡事故が多発している。分割・民営化以降、350人もの下請け労働者の命が奪われている。
 (ホ)に関して決定的事実が明らかになった。JR東日本と東労組が(ホ)の締結の際に交わした「議事録確認」では、外注化の実施を「7〜8年の間に委託の最終段階までもっていく」ことが確認されていたのだ。09年までに検修全面外注化実施が目論まれていたわけだ。09年10月に提示された検修部門全面外注化攻撃(後述)は、01年時点で両者間に合意が成立していたのだ。

 「新保全体系」によるメンテナンス体制解体

 分割・民営化以降、政府は新自由主義規制緩和を次々に実施し、運輸関係にまでその範囲を広げた。国交省は「省令151号」(01年12月)を決定、業者の責任で技術基準を改定できるとした。これを受けてJR東日本は「新保全体系」(02年4月実施)を提示した。これにより車両の検査周期の延伸と検査内容が全面的に緩和された。また、要員削減と外注化が同時に進行した。安全問題が効率化の名の下に切り捨てられたのだ。必然的に車両故障、事故、輸送障害が頻発することになった。動労千葉はこの「新保全体系」実施に対して反合・運転保安闘争路線を貫き、4日間のストライキを貫徹した(02年3月28〜31日)。東労組は「新保全体系」を単独妥結、合理化推進を表明した。
 この「新保全体系」実施と検修外注化の中で現在、車両検査体制はガタガタの状態になっている。JR東日本では、部内要因による輸送障害が100万`当りでの発生件数で大手私鉄の8倍にも達している現状なのだ(09年度国交省発表)。

 「車両メンテナンス近代化第V期計画」

 「車両メンテナンス近代化第V期計画」(03年12月実施)は、03〜05年までの3年間で検修基地の統廃合や、首都圏3工場の役割を抜本的に見直すという大幅な合理化計画だ。千葉支社管内で見ると、習志野電車区の廃止(03年12月)、幕張電車区では217系車両の検修業務を鎌倉総合車両所へ移管、幕張電車区から木更津支区の切り離し、「幕張電車区」を「幕張車両センター」に改編したことなど、基地統廃合にとどまらず拠点職場の解体による組織破壊攻撃として強行された。東労組は動労千葉破壊のため、幕張電車区の車両センターへの改編を当局とともに進めた。
 利潤を生まない保守部門(=安全)は、ことごとく切り捨てるというのがこの計画の狙いである。東労組は、同計画を単独妥結するとともに「メンテナンス近代化大集会」(03年11月)を開催、同計画推進を宣言した。

 駅業務の外注化攻撃

 中期経営構想『NF200
8』に基づき、駅業務の抜本的変更、業務委託拡大など駅の外注化攻撃が「NF200
8における今後の駅のあり方」として打ち出された。これは、首都圏5支社(大宮、八王子、横浜、東京、千葉)の360駅を対象に、大・中規模駅は非正規の「契約社員」に置き換え、小規模駅は全面外注化するというものである。07年4月の実施の時点で約1000人もの駅要員を削減するとした。東労組は、わずかな「賃金の特別措置」を盛り込んだ「覚書」と引き換えに単独妥結した(06年8月)。

 ライフサイクル攻撃

 06年の清野新体制発足とともに、「ライフサイクルの深度化」(08年6月実施)が打ち出された。首都圏7支社(5支社+水戸、高崎)の平成採運転士を駅に強制異動させる攻撃である。駅輸送職の要員不足を平成採運転士の異動で穴埋めするというものだ。JR東日本は分割・民営化から一貫して、駅輸送職を養成してこなかった。当時、40歳以下の駅輸送職は、首都圏7支社で150人余りしかいない。前記「今後の駅のあり方」と一体で、駅業務の全面的外注化を狙う攻撃である。
 東労組は、この「ライフサイクル」攻撃を単独妥結した(08年3月)。08年6月の第1次実施、09年第2次実施、10年2月第3次実施、さらに11年1月には第4次実施が狙われている。

 〔3〕中期経営構想『グループ経営ビジョン2020―挑む―』の反動性

 『挑む』(08年3月)は、「10年先のあるべき姿を見据えた経営ビジョンを策定」(清野社長)と言うように、JR東日本が目指す経営戦略が示されている。そこで強調される内容は、駅の集客機能の重視であり、金融・流通産業への転換ということである。つまり、JR東日本が生き延びるために「鉄道会社」からの抜本的転換をこの10年で成し遂げるというものである。すさまじい効率化・合理化・外注化の推進だ。『NF21』の内容がさらに進められている。
 『挑む』は、「7つのギアチェンジ」として7つの経営戦略目標と、「継続する挑戦」として5つの事業拡大戦略を掲げる。特徴点は、2017年度までに「運輸業以外」の営業収益を4割程度(現在3割)まで引上げるなど、「NONレール事業」に経営主体を移行させるというものである。「Suica(スイカ=電子マネー)事業を第3の柱として確立する」としている。また、「3年以内に、人事・賃金制度の戦略的見直し」を行うとしており、人員削減、外注化の高進とあいまって、賃下げなど賃金制度の全面改悪(特殊手当の廃止等)に突き進もうというものだ。
 この『挑む』の下で、「首都圏グループ会社と整備会社の統廃合」が実施された(09年4月)。これは、首都圏7支社の12企業をすべて廃止し、JR東日本本社傘下グループに統合するというものである。グループ会社の労働者に対しては「一旦(イッタン)解雇・選別再雇用」の大合理化攻撃である。

 〔4〕検修全面外注化実施を阻止した動労千葉の闘い

 2009年10月、JR東日本は、検修・構内部門の全面外注化である「グループ会社と一体となった業務体制のさらなる推進」を提示し、実施日を10年4月1日とした。これまでの「エルダー社員の雇用の場の確保」などというペテン的表現から「コストダウンを徹底した効率的な事業運営」のためだと、狙いが合理化にあることを鮮明にさせた。「グループ会社等への委託を拡大する」ことが明示されている。
 この外注化攻撃は、検修・構内部門の「完全別会社化」から、現場労働者の転籍の強制まで行き着くものである。労働者の雇用、賃金、退職金など、すべてが破壊されることになる。これまでの設備部門の外注化と比べても徹底的なエスカレートである。また、組織破壊を念頭に置いた攻撃でもある。まさに『NF21』で示された「第2の分割・民営化攻撃」を完成させる内容を持っている。
 JR東日本は『NF21』からの10年を総括して『挑む』を提示したわけであるが、この検修全面外注化攻撃は、次の10年間での「第2次分割・民営化攻撃」の強行を宣言したものである。
 国鉄分割・民営化以降、あらゆる企業で吹き荒れた外注化攻撃は、新自由主義政策・民営化路線の核心をなす攻撃であった。動労千葉は、反合・運転保安闘争路線を掲げ、外注化阻止の闘いを貫いてきた。千葉支社管内の外注化導入を阻み、さらにJR東日本全域で外注化を阻止してきた。

 2010年度実施阻止へ

  闘いはこれからも熾烈を極めていく。動労千葉は、検修外注化阻止決戦を「第2次分割・民営化反対闘争」と位置づけ、反合・運転保安闘争路線の真価をかけ、三河島事故・鶴見線事故以来の国鉄労働運動の総括をかけて、数年がかりの大闘争に入ることを宣言した。JR東日本は、検修・構内業務の外注化の「10年度内実施」を公言し、12・4ダイヤ改定で千葉管内のローカル線大幅削減、新型車両の大量投入と検修業務の大合理化、基地統廃合、さらに11年2月に京葉車両センターでの検修一部外注化などで動労千葉の拠点破壊を狙っている。
 これに対して動労千葉は、12・4ダイ改阻止の12・3ストライキを打ち抜き、さらに闘争体制を確立している。国鉄1047名解雇撤回闘争と不可分一体の闘いとして検修・構内業務全面外注化阻止に総決起しよう。
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〈JR東日本での相次ぐ下請け労働者死亡事故〉

・08年9月 黒磯駅構内、感電死亡事故
・08年9月 八戸線、狭窄死亡事故。
・09年9月 新幹線仙台駅構内、転落死亡事故
・09年12月 新幹線荒川橋梁付近、落下物下敷き死亡事故
・10年3月 青梅線宮ノ平駅、木注折損、下敷き死亡事故
・10年3月 総武快速線両国駅構内、保守車両狭窄死亡事故
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■第3章

 

 国鉄全国運動の爆発を 4・9反革命を粉砕しよう

(写真 新たな国鉄闘争全国運動のスタートを宣言した6・13大集会)

 4・9反革命を見据え

 2010年4・9政治和解とは、動労千葉とともに闘ってきた1047名の国鉄労働者の闘いとその100万人支援陣形を、帝国主義的強権で解体し一掃する攻撃である。同時に、動労千葉と1047名の闘いを分断し、動労千葉を圧倒的に孤立させ、圧殺しようとする恐るべき反革命攻撃である。80年代の国鉄分割・民営化攻撃に匹敵する大反革命だ。労働運動の再編攻撃としては、89年連合結成以上の意味を持つ攻撃だ。4者・4団体派が裏切ったなどというレベルの問題ではない。
 民主党菅政権は、労働者階級に半ば足をかけ、ボナパルティズム的に成立している超反動政権である。菅政権はその反革命的特質をフルに使い、体制内派の反革命的取り込みを通して4・9反革命を実行したのだ。
 6月28日に最高裁で和解が成立した際の前原国交相(当時)の談話は、次のように言い放った。
 「国鉄改革は、経営が破綻した国鉄を分割・民営化することにより、その鉄道を我が国の基幹的輸送機関として再生することを目的とした戦後最大の行政改革と認識しており、23年以上を経た今日、国鉄改革は、国民に対して大きな成果をもたらしたものと考えております」
 「国土交通省としては、今後とも、未だ完全民営化を果たしていないJR三島会社(JR北海道・四国・九州)やJR貨物の経営の自立をはじめ、国鉄改革に関する未解決の課題への取り組みを強化し、その完遂に全力を挙げてまいります」
 「国鉄改革の完遂」とは、国鉄分割・民営化を正当化し、それと闘う階級的労働運動の解体・一掃を策すことを意味している。4・9反革命はその始まりである。分割・民営化攻撃の完遂かその粉砕・転覆をかけたすさまじい闘いが今進行しているのである。4・9反革命は、労働者階級のかけがえのない前衛部隊を抹殺するための攻撃であり、革命運動の絶滅攻撃だ。闘う労働者は今こそ階級的怒りを奮い立たせ、4・9反革命粉砕の渾身の総決起を開始しなければならない。

 党と労働運動の変革を

 大恐慌が大失業を生み出し、戦争にまで突き進もうとしている時代、帝国主義がその歴史的生命力を失い、反動と暗黒の政治の中でしか延命できない時代において、一切の命運は労働者階級の自己解放=革命勝利にかかっている。体制崩壊と危機と混乱に陥っているのは敵階級の側である。労働者階級が社会の主人公として立ち上がり団結すれば、労働者階級の圧倒的勝利をかちとれる情勢なのである。労働者の多くは怒りに満ちて決起を開始しようとしている。そうした革命情勢がどんどんつくられ、成熟してきているのである。
 主体の問題としてこの情勢を捉えるならば、今絶対に必要なことは、革共同が全党をあげて動労千葉の労働者と一体となり、そして本当に実践的に職場の労働者と結びつき、団結を築き上げていかなければならないということである。そのためには党と労働運動、労働組合運動の根底的な変革を今こそなしとげなければならない。
 4者・4団体派、体制内派が多くの労働者を支配し、闘いを抑圧している現実と無縁、無関係なところで原則論や戦闘的なこといくら言っても始まらない。そういう狭さ、未熟さを克服していかなければならない。労働者階級自己解放の思想と時代認識、路線の正しさに裏打ちされた原則性と柔軟性、「義理と人情」をもって職場の労働者の怒りと結びつき、労働者全体を組織する能力を身に付けること。問われているのはわれわれ自身の変革と飛躍をかけた労働組合運動の実践であり、組織拡大である。
 そのためには、労働組合のもつ可能性、革命性に本当に確信を持ち、動労千葉が実践している階級的労働運動の発展に展望をもつことである。そして、この闘いの決定的武器になるもとのして、動労千葉が闘いの中で切り開いてきた反合・運転保安闘争路線があることを強烈に確認し、前進していくことである。これが国鉄全国運動の中に貫かれる核心でもある。

 新自由主義と対決する新しい労働運動を

 2010年6・13集会は、ものすごい熱気と高揚感、一体感を全員が共有して大成功した。「国鉄闘争の火を消すな!」のスローガンに集約されるように、国鉄闘争が本来持っていた大きな可能性を指し示すものとしてかちとられた。4・9反革命をのりこえ、動労千葉と動労千葉労働運動を全国的な階級的労働運動の結集軸に押し上げる決定的武器として国鉄全国運動は開始された。
 全国運動は、国鉄闘争を全労働者階級の闘いとして確認し、これを徹底的に闘うことを確認している。すなわち「国鉄分割・民営化絶対反対」「1047名解雇撤回」という国鉄闘争の大原則を100%貫き闘うものである。同時にその闘いは、新自由主義と対決する新しい労働運動をつくるという巨大な革命的目標に向かって進むものである。すなわち、4・9反革命をのりこえるという問題は、破産した旧来の体制内労働運動を根底からのりこえる、まったく新しい本物の階級的労働運動を一からつくりだすということである。闘う労働者自身の力で本来の階級的労働運動を全国のすみずみまでつくりあげる。そのために4・9反革命との徹底的対決を全労働者の階級決戦としてやり抜くことである。
 国鉄闘争全国運動の呼びかけ文では、次のことを確認している。
 「国鉄分割・民営化は戦後最大の労働運動解体攻撃でした。そして、ここから今日に至る民営化・規制緩和の大きな流れが始まり、1千万人をこす労働者が非正規雇用、ワーキングプアに突き落とされました。市場原理・競争原理にすべてを委ねることを最善の道とした新自由主義政策は、必然的に激しい労組破壊攻撃を意味するものであり、その最も典型的で暴力的な姿が国鉄分割・民営化だったのです」
 「こうした攻撃に、30年近くにわたり頑強に抵抗し続けた国鉄労働者の闘いは、日本はもとより国際的にも希有の存在であり、新自由主義の攻撃に対抗し、労働運動を再建する大きな力を形成するものでした。特に、この攻撃にストライキで立ち向かい、団結を守りぬく動労千葉の闘いは注目に値するものです。また、1047名闘争を中心に全国各地に無数の地域共闘が生まれ、闘いの火を燃やし続けてきたことは、日本の労働運動にとって大きな財産でした」
 しかもこれは一般的な階級的労働運動の呼びかけではない。この運動の決定的なところは、階級的労働運動をいかにつくるのか、現場がいかに闘うのかについて、動労千葉と動労千葉を先頭とする国鉄闘争が切り開いた地平と歴史的成果を徹底的に生かしきろうというところにある。現場で創造的に職場闘争を組織し、生きた現実の労働者と具体的に結合していくテコとして、動労千葉労働運動の地平を生かしきろうという点が決定的なのである。

 動労千葉の反合・運転保安闘争路線の勝利性

 その点で確認しなければならないのは、動労千葉の反合・運転保安闘争路線の勝利性ということであり、何よりも実際に4・1検修外注化を阻止した「実績」ということである。この外注化を実際に阻止したということの持つ意味・意義をもっと鮮明にしていく必要がある。
 70年代以降の新自由主義攻撃は、民営化と外注化攻撃として進められた。民営化もその実態は、外注化と非正規雇用化だ。外注化攻撃は、労働者の団結を破壊し、業務を奪い取り、それを下請け、外注会社に丸投げする。そして正規雇用をすべて非正規雇用に突き落としていく。この攻撃は、公共部門だけではなく、民間も含めた全産業で90年代以降に強烈に進められ、現在も進行している。
 問題は、この外注化攻撃と対決し、打ち勝つ労働運動が成立するか否かというところにある。新自由主義の時代における反合理化闘争の歴史的な突破が求められていた。つまり、世界恐慌下の新自由主義攻撃と闘う新しい労働運動の構築という問題である。ここに動労千葉の反合・運転保安闘争路線の決定的な歴史的な大きさ、存在意義がある。
 動労千葉は、鉄道の安全問題を切り口に外注化攻撃と真っ向から対決して打ち破ったのだ。モノ取りや改良主義の運動ではなく、真に団結を総括軸に、戦術的には限りなく自由自在に展開し、現場の労働者の団結で力関係をつくっていく労働運動。現場の労働者の気持ちや怒りを本当に現実の労働運動としてつくりだす路線。現場の労働者が団結すれば、合理化や外注化は止められる――この当たり前の労働運動を本当に成立させた動労千葉の反合・運転保安闘争路線のもつ意味は実に大きいものがある。
 動労千葉は「外注化との闘いは全労働者の未来をかけた闘いだ」と訴えて検修・構内業務全面外注化と敢然と闘ってきた。動労千葉の外注化阻止の闘いは、新自由主義を打ち破る労働運動が現に成立することを明確に指し示している。それは、戦後の反合闘争の限界を完全にのりこえたものである。4・9反革命をのりこえ、動労千葉労働運動を階級的労働運動の陣形として全国的に創り上げていこう。

 11・7集会5900名の総力で外注化攻撃を粉砕しよう

 2010年11・7労働者集会は、11・6国際連帯集会と一体となって、「国鉄104
7名解雇撤回、検修全面外注化阻止」の新たな戦闘宣言と2011年の労働組合をめぐる階級決戦への突入をかちとる、歴史的大集会であった。
 それはさらに体制内勢力が屈服、転向し、翼賛化、産業報国会化を深める中で、「派遣法・非正規職撤廃」をかかげ、2000万青年労働者、6000万労働者階級、全世界の労働者と結びつき、団結を呼びかける唯一の決定的な大集会となった。
 11月集会は、何よりも4・9政治和解という一大反革命と真っ向から対決し、呼びかけ3労組、国鉄全国運動を先頭とする職場生産点の闘い、6・13国鉄全国運動の全成果と地平を結集させ、さらに階級的労働運動を白熱的、全面的に発展させる総決起としてかちとられた。
 4・9反革命との闘いは、1047名闘争の不屈の前進であり、動労千葉の検修外注化阻止決戦の新たな開始である。検修外注化攻撃は、国鉄分割・民営化を打ち破った動労千葉と1047名闘争を圧殺するためにも振り下ろされた大反動である。
 4月1日実施は一旦は阻止したが、4・9反革命との攻防の中で、4・9反革命の絶望的で凶暴な貫徹として、現在、全面的に再開されようとしている。この外注化決戦は、外注化攻撃を4大産別を始め全産別に拡大しようとする一大反革命との激突である。その激闘の過程に11月集会をもって完全に入ったということである。外注化決戦を国鉄全国運動と職場闘争をもって完膚なきまでに粉砕しようということである。
 それは2011〜12年決戦への突入として、道州制・民営化、360万公務員の「一旦全員解雇・選別再雇用」攻撃、郵政民営化・外注化攻撃、教育の民営化攻撃との全面的な激突となるのである。
 だからこそ、11・7労働者集会の5900人の結集を出発点に、国鉄全国運動の本格的全面的発展に突き進もう。
(写真 検修外注化4月1日実施を阻止した動労千葉の幕張車両センターでのスト【2010年2月1日】)

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月刊『国際労働運動』(413号4-1)(2011/01/01)

討議資料

■討議資料 国鉄分割・民営化―JR体制破綻の実態

 国鉄分割・民営化と長期債務問題

 【解説】

  1950年代半ばから1960年代初頭にかけて、国鉄の経営は黒字基調で推移した。しかし、60年代半ば以降、急速なモータリゼーションの影響で、鉄道(旅客・貨物)輸送の需要は徐々に低下し、収入は落ち込んでいく。東海道新幹線が開業した64年度には、損益ベースで黒字から赤字に転落した。こうした経営環境を無視して、国鉄は、輸送力増強路線を強力に推進した(第1次、第2次5カ年計画)。資金難などから同計画は破綻した(64年)。今度は政府が、輸送力整備計画を国鉄の計画から政府計画に移し替え、資金難の解決を図ろうとした(65年、第3次長期計画)。国鉄問題の基本的枠組みはこのとき出来上がった。66年度決算では、繰越欠損金(単年度で処理できない赤字)が発生した。
 第3次長期計画の発足以降、69年から70年代にかけ3次にわたる再建計画が出され、財投資金をテコに大規模な設備投資が行われていく(山陽新幹線、青函トンネル、東北・上越新幹線、瀬戸大橋などの着工)。その結果、71年度には損益勘定が資金ベースでの赤字に転落。73年度には負債総額が資産合計を上回る債務超過(=破産)の状態に陥った。その後も80年代にかけて毎年、採算の目途もないまま、営業収入の2割から3割に相当する巨額の設備投資が継続的に実施された。首謀者は自民党の運輸族議員たちである。彼らは、鉄道建設審議会や鉄建公団、本州四国連絡橋公団などを私物化し、「我田引鉄」の無謀な鉄道建設を強引に推進したのだ。当然の帰結として長期債務は累増した。国鉄最後の86年度決算では、長期債務残高は25・1兆円。その約7割に相当する17・1兆円は国鉄時代最後の10年間で発生した。
 1981年3月、政府は、経済・財政の建て直しと「戦後政治の総決算」を掲げ「第二次臨時行政調査会(第二臨調)」(会長・土光敏夫)を発足させた。「第二臨調」は「官営」は非効率であり「民営」が効率的であると大キャンペーンを展開した。82年7月、「第二臨調」第3次答申は、国鉄の分割・民営化方針を打ち出した。政府、マスコミは連日、長期債務の原因が国鉄労働者の怠業のせいだとする「ヤミ・カラキャンペーン」を展開した。さらに、分割・民営化によって長期債務問題は解決するなどと大宣伝を行った。当時、中曽根元首相は、「『国鉄改革』は『臨調・行革』の203高地」、「『行革』で大掃除をして、お座敷をきれいにして立派な憲法を安置する」などと、分割・民営化の反動的狙いをあからさまに語っている。
 1987年4月の分割・民営化の時点で、国鉄長期債務などの総額は37・2兆円に上っていた。この37・2兆円の債務を、JR(本州3社と貨物)が5・9兆円を、新幹線保有機構が5・7兆円を、残額の25・5兆円を国鉄清算事業団が引き継いで返済するものとされた。ところが「処理すべき国鉄長期債務25・5兆円が、分割・民営化から10年を経た1998年度には、減少するのではなく逆に28・3兆円(長期債務が24・2兆円、年金負担金が4・1兆円)にまで膨らむなという処理の破綻が明らかとなった。
 長期債務の累増を生み出した最大の問題は、国鉄清算事業団における債務処理枠組みの脆弱性にあった。長期債務の7割近くを承継した国鉄清算事業団は、土地及びJR株式の売却収入という不確実な財源を基盤としていた。そのために、所要資金の大半を長期債務によって調達するという異常な事態が続いた。その結果、JR発足後の10年間に清算事業団で新たに18・6兆円の長期債務が発生した。すなわち、巨額な長期債務が膨大な利払費を生み出し、その利払費がさらに新たな長期債務を発生させ、結局は「利子が利子を呼ぶ」という悪循環に陥った国鉄時代の財務構造が、分割・民営化以降も基本的になんら変わることなく清算事業団において再生産され続けてきたということである。
 この24・2兆円の債務の償還は、「国鉄清算事業団の債務の処理に関する法律」(98年10月)によれば、「毎年度、一般会計が1・06兆円程度(そのうち、利払いが6600億円程度、債務元本が4000億円程度)を負担」するとされた。しかし内容は、「返せない元本は度外視し、利払費の6600億円程度を何とか捻出する」というものでしかなかった。利払費6600億円の財源措置としては、財政投融資金(大蔵省資金運用部資金、簡保生命保険)から2500億円程度、郵貯特別会計から2000億円程度(98年度からの5年間の時限措置)、たばこ特別税から2100億円程度を充てるというもの。そして問題の元本の24・2兆円については60年間にわたって償還するものとした。単純に計算しても通年ベースで4000億円が必要になるが、その財源は、たばこ特別税の増税分の一部、145億円を充てるとするのみで、不足分の3855億円については「当面は、一般会計の歳出・歳入両面にわたる努力により対応する」(財政構造改革会議)といういい加減なものであった。
 現在の債務の償還状況を「国債・借入金残高の種類別内訳の推移」(財務省)で見ると、2010年度末見込みで、債務残高は名目で約1・16兆円となっている。しかし、借換償還により約18・7兆円が国債に振り替わっていることから、約20兆円が依然として一般会計に残されたままなのである。分割・民営化から23年経た現在においても、一般会計が承継した旧国鉄債務は、現金償還されたのは約5・5兆円のみで、全体の21%が償還されたに過ぎないのだ。このように長期債務の償還は、財源のめどもないまま将来の超長期的な課題として先送りされているだけなのだ。

 《中曽根語録》

・1996年10月6日 NHK放送大学インタビュー「総評の牙城は国鉄だったんですね。これは総評の中核だったわけです。分割・民営化によって、国鉄労働運動を崩壊させました。非常に左翼的な戦闘的な労働運動が、これで変わって、どちらかというと民社的な協調主義的な労働運動に変わった、いわゆる連合ができる素地をつくった」
・「アエラ」1996年12月30日号「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」

 いわゆる1047名問題に関する和解の成立について

 平成22年6月28日 国土交通大臣談話

1.本日、最高裁判所において、鉄道・運輸機構といわゆる1047名問題の原告のうち904名との間で、裁判上の和解が成立いたしました。
2.この問題については、本年4月9日、民主党、社会民主党、国民新党及び公明党の四党から、人道的観点からの解決案について申し入れがありました。
 政府としては、同日、四者・四団体(原則原告団910名全員)が、次の事項について了解し、その旨を正式に機関決定することを条件として、これを受け入れることを表明しました。このことは、四党も了解されたところです。
@解決案を受け入れること。これに伴い、裁判上の和解を行い、すべての訴訟を取り下げること。
A不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと。したがって、今回の解決金は最終のものであり、今後一切の金銭その他の経済的支援措置は行われないこと。
B政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRによる採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用されることは保証できないこと。
3.今回の和解の内容は、四党から申し入れのあった解決案及び政府と四党で了解した解決案受け入れの条件に沿ったものです。6月30日には、鉄道・運輸機構から原告に対し解決金が支払われるとともに、原告は訴訟を取り下げることとなります。
4.四党から解決案について申し入れがあった際にも申し上げましたが、国鉄改革は、経営が破綻した国鉄を分割・民営化することにより、その鉄道を我が国の基幹的輸送機関として再生することを目的とした戦後最大の行政改革と認識しており、23年以上を経た今日、国鉄改革は、国民に対して大きな成果をもたらしたものと考えております。
 しかし、一方で、国鉄改革は、約7万4千人の方が鉄道の職場を去り、鉄道の職場に残られた方々でも、約5400人の方々が北海道、九州を離れ、本州の地で生活を始めなければならなかったなど、大きな痛みを伴いました。国鉄改革は、こうした方々のご理解とご協力、そして現在まで続くご労苦の上に初めて成り立ったものであり、改めて深く敬意を表します。
5.(略)
6.国土交通省としては、今後とも、未だ完全民営化を果たしていないJR三島会社(JR北海道・四国・九州)やJR貨物の経営の自立をはじめ、国鉄改革に関する未解決の課題への取組みを強化し、その完遂に全力を挙げてまいります。

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【 図 国鉄分割・民営化後の組織形態の変化 】

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【 図 JR貨物の経常損益の推移 】

【 図 JR北海道の経常損益の推移 】

【 図 JR四国の経常損益の推移 】

【 図 JR九州の経常損益の推移 】

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月刊『国際労働運動』(413号5-1)(2011/01/01)

■Photonews

  (写真@A)

 ●イギリスで学費値上げ反対闘争が爆発

  11月10日、学費の3倍化に反対して、全国から学生5万人がロンドン市内に結集し、抗議デモに決起した(写真@)。学費は今後毎月10万円程度に値上げされるが、そうなるとほとんどの学生が大学に行けなくなる。値上げは、政府が教育予算を大幅に削減し、不足分を学生から徴収するようにしたからである。
 学生たちの怒りは激しく、デモは主催者の穏健な学生組織の思惑を超えて、機動隊と衝突し、保守党本部への突入・占拠闘争へと発展した(写真A)。この日の闘いをもって、イギリスの学生運動は完全に新たな地平に立った。教育の民営化という新自由主義的攻撃と真正面から闘う学生運動の始まりだ。

 

  (写真BC)

 ●アイルランドでも学生が歴史的決起

  11月3日、アイルランドでも学費2倍化に抗議して、1960年代以来と言われる4万人の学生の大規模抗議デモが首都・ダブリンで行われた(アイルランドの人口は450万人)(写真BC)。学費の値上げはイギリスの場合と同様に、多くの学生の教育を受ける権利を奪うものであり、同時に学生を非正規職労働者、失業者へと突き落とすものである。このデモで、学生たちは財務省の建物に突入しようとして弾圧に出動した騎馬警官などの警察部隊と激突した。
 アイルランドでも既成の学生組織(アイルランド学生組合・USI)の立場は、戦闘的で革命的な実力闘争を排除し、体制内に学生運動を抑え込もうとするものである。だが、学生たちの怒りはこの枠にとうてい収まりきるものではなくなっている。さらなる学費値上げが策動されている現在、学費値上げ、教育民営化などの新自由主義攻撃に対する学生の怒りは、必ずや大爆発するであろう。

   (写真DE)

 ●ソウルの全国労働者大会に4万人

  11月7日、日本での労働者集会と時を同じくして、韓国で民主労総の全国労働者大会がソウル広場に4万人を結集して開催された(写真DE)。大会は「労働基本権死守、労働法再改正、非正規職問題解決、G20糾弾」を掲げ、とりわけ非正規職闘争を全国的・全人民的闘争に押し上げていくことを打ち出した。G20厳戒体制の中、権力はソウル中心部でのデモを禁止したが、参加者は集会後、金属労組の組合員を先頭に阻止線を張る警察と激しく対決して闘った。

   (写真FG)

 ●韓国で現代車非正規支会が工場占拠スト

 11月15日、蔚山(ウルサン)の現代車非正規支会は蔚山工場シート1工場に突入を試み、正門前で出勤闘争に入った。警察とガードマンの襲撃と50人の組合員の逮捕にもめげず、支会は2工場でストライキに入り、生産ラインを完全に停止させた。午後6時には、150人の労働者が工場を占拠し、午後9時には夜勤の労働者が工場占拠に合流した。さらに午後10時には、他の事業部の非正規支会の組合員も工場に進入し、約800 人による工場占拠に入った。この数は翌日には1000人を超えた。全州工場でも連帯ストが準備されており、正規職労組の連帯闘争も始まっている。この闘争は現代車が不法派遣問題を下請け企業の廃業をテコにして「解決」しようとしたことに対し、派遣労働者の正規職化を求める労働者の怒りの爆発として開始された。(写真F工場正門前で非正規夜勤労働者が集会 写真G工場に向け行進する非正規労働者)  11月15日、蔚山(ウルサン)の現代車非正規支会は蔚山工場シート1工場に突入を試み、正門前で出勤闘争に入った。警察とガードマンの襲撃と50人の組合員の逮捕にもめげず、支会は2工場でストライキに入り、生産ラインを完全に停止させた。午後6時には、150人の労働者が工場を占拠し、午後9時には夜勤の労働者が工場占拠に合流した。さらに午後10時には、他の事業部の非正規支会の組合員も工場に進入し、約800 人による工場占拠に入った。この数は翌日には1000人を超えた。全州工場でも連帯ストが準備されており、正規職労組の連帯闘争も始まっている。この闘争は現代車が不法派遣問題を下請け企業の廃業をテコにして「解決」しようとしたことに対し、派遣労働者の正規職化を求める労働者の怒りの爆発として開始された。
(写真F工場正門前で非正規夜勤労働者が集会 写真G工場に向け行進する非正規労働者)

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月刊『国際労働運動』(413号6-1)(2011/01/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点 為替戦争の本格的開始

米帝が仕掛ける/人民元めぐり米中激突

 □G20・APECは争闘戦と戦争加速

 11月11〜12日の20カ国・地域(G20)首脳会議と、13〜14日のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議は、帝国主義間・大国間、さらに新興国の利害対立を浮き彫りにして閉幕した。G20諸国のGDPは全世界の8割、APEC諸国では5割を占める。だから一連の国際会議の動向は決定的だ。今回の最大焦点は為替問題であり、「経常収支の不均衡」問題だった。
 G20共同宣言では、「経常収支などの不均衡の是正」と「通貨の競争的切り下げの回避」とされた。@しかしもともとは「通貨の競争的な過小評価を避ける」と、中国に人民元の切り上げを迫る強い表現だった。中国の巻き返しで一般的な「切り下げ回避」という表現に変わったものだ。
 Aまた不均衡是正についても、米帝は「経常収支の黒字・赤字のGDP比4%以下」というような数値目標を盛り込ませようとしていた。しかし、中国や新興国だけでなくドイツなどの猛烈な反撃で、「参考指針」を設けて11年前半に具体的指針を作成する≠ニ大幅に後退。
 Bさらに「準備通貨国を含む先進国は為替レートの過度な変動や無秩序な動きを監視する」とされた。これは、米国のドル安容認を批判し、基軸通貨国の責任を明記するものだ。また、「新興国への急激な資本流入を抑制する規制を容認する」とされた。米帝等の金融緩和が新興国への資金流入となり、インフレ、バブル、通貨高騰を招いていることを批判し、資本流入の規制を認めさせる内容となったのである。
 米帝は、人民元切り上げをめぐり、G20に中国包囲網形成を策して臨んだが、蓋を開けてみれば、予想以上の米帝批判が吹き出し、米帝の思惑は事実上破産した。
 APEC首脳会議では、勢力圏形成をめぐる対立が非和解になった。高い成長率のもとで「世界の工場」から」世界の市場」へと変貌しつつあるアジア太平洋地域を、各帝国主義が経済連携作りで囲い込もうと狙い、ここでも争闘戦は新たな展開をみせた。共同宣言では、FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)構築を目指し、TPP(還太平洋パートナーシップ協定)、ASEAN+3、ASEAN+6の三つを取り上げ、地域的な取り組みの基礎とするとした。しかし、この三つは相矛盾するものだ。結局、米・日・中の三つどもえの争闘戦の様相を呈しつつ、具体的なことはなにも決まらなかったのである。
 日帝は何ひとつヘゲモニーらしきものを発揮できずに、危機の深さを露呈した。TPP参加問題、釣魚台をめぐる排外主義・国家主義の鼓吹、メドベージェフの国後島訪問などの動きは、このAPEC情勢と深く関係している。

 □人民元をめぐる米中激突は非和解に

 中国人民元の経緯を簡単に見ておこう。1994年、中国では二重相場制を廃止して、為替相場を一元化し、名目上は管理相場制とされるが実質的には米ドル・ペッグ制に移行した。その際、公定レートが4割ほど切り下げられた。その後、2005年に為替レート改革がおこなわれ、通貨バスケットを参照しつつ市場の需給に基づく管理変動相場制とよばれるものに移行した。人民元を1j=8・11元と2%切り上げ、1日あたりの変動幅を対ドルでは±3%(2007からは±0・5%)、そのほかの通貨にたいしては±1・5%とした。以来緩やかに上昇し、08年8月で1j=6・82元で、そこから2010年春頃まではほぼ平行線となっている。この間、中国経済は急成長し、2010年にGDPで世界第2位となった。
 米帝などからの人民元切り上げの要求は、05年頃からくすぶりつづけるが、10年に入って情勢は一変する。人民元は実勢より40%安いといわれ、米議会下院は人民元改革が進まない場合は報復関税をかける≠ニいう内容の制裁法案を可決した。これに上院も続こうとしている。
 米帝は9月以降、10月8日のG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)とそれに続くIMF・世界銀行年次総会の国際会議などで、中国包囲網の形成に奔走して、G20に臨んだ。一方、アジア・アフリカ・中南米の主な新興国・発展途上国(G24)は、「先進国の金融緩和が新興国への資本流入を招き、為替相場の上昇につながっている」という声明をG7前日に発表した。G24には、ブラジル、インド等が参加し、中国もオブザーバーとなっている。
 10月22、23日の20カ国(G20)財務相・中央銀行総裁会議は、表向きは「通貨安競争の回避」で合意した。しかし実際の議論は大荒れとなり、急激な資本流入と自国通貨高に悩む新興国側が「米金融緩和が原因」と米帝を次々と批判、基軸通貨国である米帝の責任を追及する会合となった。
 中国は、強まる人民元切り上げ圧力には、「人民元改革は、あくまでも中国のペースで行う」立場を堅持し、他方で市場でのジワジワとした人民元の上昇は一定容認している。こうした経過を経て、G20首脳会議はもたれた。人民元をめぐる米帝の対中国包囲網の形成という、いままでの延長ではない中国への迫り方とG20の結果は、政治的・軍事的に中国の突き崩しをねらう米帝の一連の動きと一体である。きわめて重大な新たな情勢として注目しなければならない。

 □米帝の金融緩和が引き起こす破壊性

 G20で、米帝の人民元切り上げ、経常収支の不均衡是正の要求に対し、新興国だけでなくドイツなども反発し、「米国の金融緩和問題こそ最大問題」と反論した。
 帝国主義各国は、世界金融大恐慌に対して財政だけでなく数度の金融緩和措置を繰り広げ、超低金利の上に量的な金融緩和を重ねている。この金融緩和でだぶついた資金が、成長を続ける新興国に流れ、インフレ圧力、経済のバブル化、各国通貨高(ドル安)を招き、新興国経済は深刻な事態になっている。
 09年3月に、米帝は300
0億jの量的金融緩和を行った。その上で10年11月3日、FRB(米連邦準備制度理事会)は追加の金融緩和に踏み切った。6000億jの米長期国債の購入に加え、FRBが保有する住宅ローン担保証券の償還資金も国債買い入れに充て、合計8500億〜9
000億j(約70兆円)も買い入れるという緩和策だ。
 米経済は失業率が高止まりし、景気回復は「失望するほどに遅く」、デフレ懸念も強まっている。こうした状況に対する非常手段として、量的金融緩和を重ねているのである。それは、国債発行のほとんどをFRBが購入する、つまり「中央銀行による財政の穴埋め」である。FRBは、財政との関係で「ルビコンの川を渡った」のだ。しかし、こうした金融緩和によって、デフレの危機や大恐慌が緩和できるものではない。

 □「円高」じつはドル安の進行

  民主党総裁選で菅が勝利した直後の9月15日、政府・日銀は1j=82円台突入寸前の円高に対して、1兆8000   民主党総裁選で菅が勝利した直後の9月15日、政府・日銀は1j=82円台突入寸前の円高に対して、1兆8000
億円を投入してドル買い介入に踏み切った。介入は6年半ぶりとなる。経済産業省の緊急調査で、1j=85円台の円高が続いた場合、製造業の4割が生産拠点を海外に移転すると回答したという。そういう状況下で、1j=82台円を防衛ラインとして介入に踏み切ったのだ。しかし、実際は、数日間だけ円安方向に振れただけで、たちまち円高基調に逆戻りし、11月半ば現在は1j=80〜82円台となっている。
 この介入は日本だけの単独介入である。効果が薄いだけでなく、通貨安競争が問題になっているときの介入であるだけに、米議会など世界中から非難の声があがった。
 ところで、日本の経済情勢で、なぜ「円高」なのかとよく言われる。実際はドル安ということだ。春〜夏のギリシャ・南欧の財政危機がユーロへの信任低下を招いた時期、円は対ドル、対ユーロで独歩高となった。それは、日本経済の金融大恐慌による傷が米・欧より浅いという、相対的なものにすぎない。実際、主要通貨とドルの関係では、オーストラリアなどは円ドル関係以上のドル安・オーストラリアドル高となっている。現在がドルの独歩安であることは明白だ。
 米帝のドル安容認というなかで、日本の大企業は、1j=70円台の円高に対応するあり方を検討し始めた。それは、今以上の大合理化・賃下げを伴うものだ。「70円台対応」などというのは、大失業と戦争の「新成長戦略」を前倒しして凶暴に推進する以外にはありえない。

 □今や公然と語られるドル基軸体制の転換

 米帝はドルの信認低下を承知の上で、ドル安に活路を求めている。11月9日の新聞報道によれば、世界銀行のゼーリック総裁がドル、ユーロ、円、ポンド、元の5大通貨を基軸とする新たな通貨体制に踏み出すべきだと提言した。またIMFは世界経済の構造変化に対応した増資と組織改革案をまとめたとし、これがドル基軸体制の変革の起点になる可能性があるとも言われている。
 さらに、中国人民銀行の周小川総裁は「われわれは国際的な金融システムの改革について再考する必要がある」とも述べている。
  ドル基軸体制にたいするこうした発言が世界銀行総裁とか中央銀行総裁とかから飛び出してくる事態は極めて重大だ。ポンドからドルへの基軸通貨の転換は、世界経済の編成が第2次大戦を経て大きく変わることで初めて起きえたのだ。また、30年代に再建金本位制が崩壊し、基軸通貨がない状態に陥り、世界経済は大混乱と分裂・ブロック化から収縮、そして結局は世界戦争に突入していった経過がある。ドル暴落の切迫はいよいよ重大な段階を迎えている。   ドル基軸体制にたいするこうした発言が世界銀行総裁とか中央銀行総裁とかから飛び出してくる事態は極めて重大だ。ポンドからドルへの基軸通貨の転換は、世界経済の編成が第2次大戦を経て大きく変わることで初めて起きえたのだ。また、30年代に再建金本位制が崩壊し、基軸通貨がない状態に陥り、世界経済は大混乱と分裂・ブロック化から収縮、そして結局は世界戦争に突入していった経過がある。ドル暴落の切迫はいよいよ重大な段階を迎えている。
 (富田五郎)
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 〈解説〉外国為替相場と国際競争力

 国際経済上でいわれる為替とは外国為替のことで、その相場=レートとは外国通貨と自国通貨の交換比率のことだ。「1j=○○通貨単位」と表現される。現在は変動相場制なので、日々刻々と外為市場での取引で相場が変動する。
 この表記では、「円高」の場合、円の数字が少なくなる。1j=100円の為替相場が1j=80円に変化したとすると、これを円高という。円で表現すれば、1円=0・01jが1円=0・0125jに変化し、0・025j上がっいることがわかる。
 次に、こうした為替変動が国際競争力にどう影響するのだろうか。1j=100円の時、日本で100万円の自動車は、米国では1万jだ。これが1j=80円の円高になると、日本では同じ100万円だが、米国では1万2500jで2500jの値上がりとなる。米国の消費者は、仮に同じ値段の日本車とアメリカ車を比べ、燃費の良さで日本車を買っていたとすると、その日本車が2500j値上がりしたら、今度は1万jのアメリカ車の方が安くなり、それを買う可能性が強くなる。こうして円高により、輸出産業にとってはその国際競争力が落ちてしまうのだ。日本での輸入車の場合は、これと逆になる。輸出産業では、円安ほど国際競争力が強くなり、円高は国際競争力を落としてしまう。
 国際取引は、貿易だけでなくサービスなど、さまざまなお金のやり取りがあり、それらをふくめた収支を経常収支という。この黒字国は自国通貨の外国通貨に対する為替レートが低いほど国際競争力があり、高いほど競争力を失う。世界大恐慌下ではどの国も国内需要の減少から抜け出せず、あらゆる国が輸出で稼ごうとし、輸出競争が激化する。それは通貨面では、自国通貨の切り下げ(外国通貨の切り上げ)競争となり、それが戦争的な激しさを伴って繰り広げられるので為替戦争と言われる。

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月刊『国際労働運動』(413号7-1)(2011/01/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 イギリス編

イギリス機関士・機関助士労働組合

(Associated Society of Locomotive Engineers and Firemen:ASLEF)

(Associated Society of Locomotive Engineers and Firemen:ASLEF)

 ■概要

 ASLEFは、1880年2月に56人の機関士らによって設立された。当時、鉄道従業員組合連合(Amalgamated Society of Railway Servants)に所属していた彼らは、グレート・ウェスタン鉄道が断行した賃金カットと労働時間延長に対してストライキで闘ったが、ASRSは調停による解決に委ねて一切の支援を行わなかったため、ASRSから分離独立してASLEFをつくり、設立当初から少数精鋭の労働組合として戦闘的な闘いを続けてきている。  ASLEFは、1880年2月に56人の機関士らによって設立された。当時、鉄道従業員組合連合(Amalgamated Society of Railway Servants)に所属していた彼らは、グレート・ウェスタン鉄道が断行した賃金カットと労働時間延長に対してストライキで闘ったが、ASRSは調停による解決に委ねて一切の支援を行わなかったため、ASRSから分離独立してASLEFをつくり、設立当初から少数精鋭の労働組合として戦闘的な闘いを続けてきている。
 ASLEFが設立された当時は大恐慌の真最中で、鉄道会社はこぞって賃下げを行い、労働条件を極限的に悪化させていた。ASLEFは初代書記長ジョセフ・ブルックを先頭に果敢に闘い、4年後の1884年には組合員が1000人を超えるまでに成長した。
 現在の書記長はキース・ノーマン。本部をロンドンに置き、組合員数は約1万8500人である。ASLEFは、国際運輸労働者連盟およびヨーロッパ運輸労働者連盟に加盟している。イギリス労働組合会議の傘下であり、設立当初から労働党の支持基盤である。
(写真 「労働者よ、労働組合の原点に帰ろう」)

 ■1911年の鉄道全国ストライキ

 ASLEFが設立された当時の鉄道労働者の労働条件は劣悪で、非常に低賃金で週に60〜72時間働かされ、そのうえに時間外労働も強制的に課せられ、機関車を走らせる運転士の仕事は危険と責任を伴う重労働であった。ASLEFは組合員数をまたたく間に増やして数年で1万人近くに達し、1887年にはミッドランド鉄道で最初のストライキを行った。
 1907年までには1万2000人の組合員を有するまでになり、ストライキ資金も十分に蓄えていた。1911年8月、イギリスで初めての全国ストライキが決行され、ほかの産業の労働者の支援を受けて、鉄道労働者は2昼夜線路の上に横たわってピケットを張り、団結して闘った。南ウェールズのラネリではスト鎮圧に軍隊が導入され、2人が軍隊の発砲により死亡した。
 この闘いにより、鉄道労働者の労働条件は向上し、ほかの産業も含めて労働者の基本的権利が法的にはじめて獲得されたのである。ASLEFは、その果敢な闘いぶりから「戦闘的左派」労組と呼ばれるようになった。

 ■テイク・バック・ザ・トラック!――再国有化キャンペーン

 1948年に国有化されたイギリスの鉄道ブリティッシュ・レイルウェイは、1979年にサッチャー政権が登場して全世界で最も徹底的な規制緩和と民営化攻撃が吹き荒れ、1994年1月に分割・民営化された。鉄道保有会社(レールトラック社)と、保守請負会社、列車を走らせる会社が別々で、しかも旅客会社などは数十もあるというでたらめさだった。民営化によりそれまで国有鉄道が行ってきた事業が百社以上に分割されたのである。その結果、安全・運転保安が崩壊し、重大事故が多発する事態になった。
 「民営化は安全面で失敗した」という国民世論が広がる中で、イギリスの鉄道労働者は鉄道会社の再国有化を求める闘いに立ち上がっていった。ASLEFの前書記長であったミック・リクスがRMT(鉄道海上交通労組)とTSSA(運輸従業員組合)に呼びかけて「テイク・バック・ザ・トラック(線路を取り戻そう)」を組織し、レールトラック社の再公有化を求めるキャンペーンを開始した。ASLEFのミック・リクスとRMTのボブ・クロウという2人の指導者の下で闘われた民営化反対ストは、両労組間の連帯を生み出し、今でも息づいている。

 ■RMTと共に反戦・民営化阻止の先頭に

 ASLEF、RMT、TSSAの鉄道3労組は、イギリス戦争阻止連合にも参加し、2000年に入って以来ずっと100万人、200万人規模の集会を組織する先頭に立って闘っている。   ASLEF、RMT、TSSAの鉄道3労組は、イギリス戦争阻止連合にも参加し、2000年に入って以来ずっと100万人、200万人規模の集会を組織する先頭に立って闘っている。 
 2009年6月、ロンドンの地下鉄で48時間のストライキが行われた。「チューブ」の名で知られるロンドン地下鉄は1日360万人もの人が利用するが、RMTの運転士が投票によりスト権を確立し、ASLEFの組合員も多くがスト破りを拒否して共に闘った。このイギリス地下鉄労働者の闘いは、EU全体の新自由主義政策と鉄道民営化政策に反対する闘いの先端をなしており、意義は大きい。

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月刊『国際労働運動』(413号8-1)(2011/01/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 1月14日

■1929年元山ゼネスト■

植民地下最大のスト

賃上げと人権を求めて地域ぐるみ日帝・資本と対決した朝鮮労働者

 日本帝国主義の植民地支配下にあった朝鮮で、1929年に起こった最大のゼネストが元山(ウォンサン)ゼネストだ。
 元山は、現在の北朝鮮江原道の道庁所在地で、朝鮮半島東海岸の中心的な港湾工業都市だ。日帝植民地支配下の当時も、朝鮮東北部の交易の中心地だった。
 1919年3・1万歳運動の後、日帝は、ペテン的な「文化政治」を押し出したが、憲兵と警察による治安体制は一層強化された。だが、日帝は労働者の階級的決起を抑えることはできなかった。
(写真 1930年前後の元山埠頭)

 ●階級的組織化進む

 元山では1920年3月には港湾労働者の支部を始め六つの労働組合を集めて元山労働会を結成。25年には職業組合28、組合員13
50人を集めた元山労働連合会をつくった。元山ストの起こった29年1月には加盟団体54、組合員総数20
00人に成長していた。
 元山労連が指導したストとしては、まず27年に組合と元山運送業者との衝突がある。これはその年の6月に組合が運輸業者連合会に賃金値上げと統一賃金を要求して拒絶されたことから始まったストだったが、1週間後に要求は通り、次いで28年9月10日は、国際通運と国際運輸の両社で荷役賃値上げのストをやっている。
 元山ゼネストは、28年9月にイギリス系石油資本のライジングサン石油会社の従業員が日本人監督に殴られたことに対する抗議から始まった。元山労連は、経済闘争と人権闘争を結合して闘う指導を行った。
 元山労連は、28年9月14日、企業に対して@日本人監督の免職A最低賃金制の確立B賃金値上げC解雇手当の制定D作業中の負傷者に手当支給E作業中の死者家族への慰謝料支給の要求を出した。
 しかし、当時の朝鮮には工場法始め一切の労働立法がなかった。当時は新天皇の即位式を前に、警察もストをうまく抑えるために、進んで調停に立った。
 10月5日、労資双方の代表は元山署長の前で@暴行監督の解雇Aストによる犠牲は出さないBスト中の日給4割支給Cその他の要求は3カ月以内に神戸本社の条件を参考にして決める、ということで妥結した。
 しかし、3カ月たっても会社から返事がないので、元山労連は、会員に禁酒禁煙で毎日スト基金を5銭ずつ積み立てることを呼びかけ、@最低賃金の値上げA解雇手当支給B従業中の死傷者への補償など新たな要求を提出。翌年1月14日、会社はこれを拒否、従業員はストに立ち上がった。
 次いで国際通運会社と国際運輸会社の荷役労働者が、まずライジングサンとの連帯ストに入り、1月21日には元山全市の運輸労働者が同情ストに入った。
 さらに1月以降は元山の理髪職組合、靴工組合、精米工組合、印刷工組合、製車工の組合など18社180
0人の労働者がストに入り、まさに元山全市のゼネストになった。1万人以上が参加する地域ぐるみの闘争に発展した。これに対し、資本の側は、元山商業会議所を先頭に対抗し、文字通り階級対階級の激突となった。

 ●3カ月に及ぶスト

  一方、元山労連もスト破り防止のため、荷役労働者が仁川の新幹会支部に応援を頼んだ。これに対して元山商業会議所も、御用団体をつくり、元山労連を分裂させようとした。こうして4月1日、双方の間に乱闘が起こり、軍隊が出動してストは鎮圧され、在郷軍人会、青年団、消防組も元山市の警備という名目で労働者に威圧を加えた。幹部の大量検束、闘争資金の枯渇と分裂工作などにより、4月6日、組合側は就業を決議し、ゼネストは敗北した。3カ月に及ぶ激烈なストライキだった。
 朝鮮各地からの支援や、ソ連、中国などからの支援声明、日本でも呼応する集会や、小樽、神戸のライジングサン社労働者の同情ストが起こった。元山労働者の産業を越えた階級的決起は、植民地支配に巨大な打撃を与え、民族解放闘争の階級的・革命的な発展を切り開く質をもっていた。
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●1929〜30年の朝鮮の主な労働争議

29年4月 大田郡是製糸工場スト
   忠清南道公州の丸山清涼工場の女性20人のスト
   大田清涼株式会社の女性45人のスト
6月 平安南道鎮南浦の新興業漁業同業組合の漁夫200人スト
   咸鏡南道新興の朝鮮水力電気会社工事場の従業員200人がスト
7月 釜山で5カ所のゴム工場労働者の同盟スト
8月 釜山陶器のスト
9月 釜山の慶南印刷株式会社のスト
   釜山内国通運会のスト
30年1月 釜山紡績2000人の労働者が最低賃金値上げ、8時間労働制実施、食事の改善、民族差別待遇撤廃などを掲げてスト突入

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月刊『国際労働運動』(413号9-1)(2011/01/01)

日誌

■日誌 2010 10月

1日大阪 西郡住宅明渡裁判が結審
大阪地裁第11民事部(田中健治裁判長)で西郡住宅明け渡し弾劾裁判が開かれ、3年間の裁判の結審にあたり被告3人が気迫に満ちた最終意見陳述を行った
2日東京 右翼と対峙し渋谷駅前で大街宣
渋谷駅前で国鉄闘争勝利と11・7集会への結集を訴える街頭宣伝を行った
3日千葉 首都圏青年集会かちとる
首都圏青年労働者集会が千葉市で開催され330人が結集した
3日新潟 国鉄集会 青年の熱気
新潟市で「1047名解雇撤回・国鉄闘争全国運動を!大恐慌・新自由主義と闘う労働運動をつくろう!新潟集会」が開かれた
6日宮城 東北石けん労組が地労委1日行動
東北石けん労働組合は、結審の近づく中、地労委1日行動を闘いぬいた。朝8時から愛島台新工場門前闘争、午後2時から地労委での調査に臨んだ
6日大阪 “八尾北医療センター売却許さぬ”
八尾市役所は60人の労働者・住民の怒りで包囲された。夜6時半、プリズムホールに120人が結集し総決起集会がかちとられた
7日宮城 宮城労働者集会開く
仙台市内で宮城労働者集会が開催され、70人が参加した
8日神奈川 「全国運動・神奈川」が発足
横浜市で103人が参加して「国鉄闘争全国運動・神奈川」発足集会が行われた
9日東京 11・7第2回実行委、開かる
11・7全国労働者総決起集会の第2回実行委員会が都内で開かれた
10日千葉 10・10三里塚、1560人集う
三里塚芝山連合空港反対同盟が主催する三里塚全国総決起集会が開催された。集会場の成田市東峰の萩原進事務局次長の畑には、前夜から断続的に降り続く雨をものともせず、全国から1560人の労働者、農民、学生、市民が大結集した。集会は、三里塚への攻撃を労農連帯の力で必ず粉砕し、戦争への道を絶つという怒りと闘志が満ちた総決起の場になった
11日東京 法大生300人が右翼を包囲
大学と戦争をめぐる激突、戦争翼賛と戦争反対の対決が大学キャンパスで開始された。2台の右翼街宣車に対して、300人の法大生が正門前に出てきて街宣車を取り囲んだ
11日東京 星野再審連絡会議が事務所開き
新橋で、「星野さんをとり戻そう! 全国再審連絡会議」の事務所開きが行われた
12日フランス フランス労組がゼネスト
サルコジ政権による年金制度改悪に反対して、フランスの主要労組が全土でストに突入した
14〜15日東京 JP労組中央本部は総退陣しろ
豊島区でJP労組第6回中央委員会が行われた14日朝、労組交流センター全逓労働者部会の仲間は会場前に登場し、宣伝戦を闘いぬいた
15日大阪 JR西本社へ包囲デモ
JR西日本本社行動が、関西・米子・広島の国労組合員、九州、北海道の闘争団員、動労西日本などの国鉄労働者などを先頭に50人のデモとして闘われた
15日大阪 関西国鉄集会が画期的地平
「国鉄1047名解雇撤回! 職場・地域に『国鉄闘争全国運動』を広げよう! 改憲―戦争と民営化―労組破壊に立ち向かう闘う労働運動を! 関西労働者総決起集会」が、大阪市中央公会堂において360人の大結集でかちとられた
15日東京 法大デモ “学祭規制粉砕を”
後期最初の第4波法大包囲デモが打ち抜かれた。法大文化連盟委員長・斎藤郁真君(法学部2年、退学処分)が戦闘的にアピール。元気よくデモ隊は総長室に向けて出発した
17日秋田 秋田闘争団の地元でデモ
「国鉄1047名解雇撤回せよ! 民営化・非正規職化許すな! 生きさせろ! 10・17秋田集会」が秋田市で開催され、80人が結集、集会後ただちにJR秋田支社に向かってデモ行進に立った
17日福岡 解雇撤回を貫くと羽廣さんが訴え
10・17福岡労働者集会が全国に先駆けて結成された「国鉄全国運動・九州」主催で開かれた。圧巻だったのは、中村仁さん(動労千葉争議団)と羽廣憲さん(国労小倉地区闘争団)、手嶋浩一さん(元国労九州本部書記長)のパネルディスカッションだった
17日群馬 「支援する会・群馬」旗揚げ
高崎市労使会館で「動労千葉を支援する会・群馬」結成集会が動労千葉を迎えて30人の参加でかちとられた
17日愛知 東海で国鉄全国大運動を
「国鉄分割民営化反対! 1047名解雇撤回10・17東海国鉄集会」が名古屋市教育館で開かれた。動労千葉の川崎昌浩執行委員が「国鉄分割民営化反対・1047名解雇撤回全国運動からの訴え」を行った
18日千葉 NAAに全証拠出させよ
千葉地裁で市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれ、農地強奪攻撃への怒りをいっぱいにして、三里塚芝山連合空港反対同盟を始め労農学市民が傍聴席を埋めた
18日東京 米山良江さん法廷で堂々陳述
東京地裁631法廷で、米山さん本人と処分当時の東京教組委員長・谷口滋さんの証人尋問が行われた。米山さんは08年3月の卒業式の「日の丸・君が代」不起立による戒告処分と解雇(非常勤教員合格取り消し)の取り消しを求めている
20日東京 裁判員制度は絶対つぶせる
「幕引きの秋 裁判員制度10・20集会」が、東京・霞が関の弁護士会館2階講堂クレオで行われ、会場をいっぱいにする470人が集まった
21日広島 広島大で100人が学内集会・デモ
10・21国際反戦デーに100人の学生が浅原学長への申し入れ行動で学生プラザまでデモ行進した
24日福島 支援する会・福島を結成
動労千葉を支援する会・福島の結成集会が、30人の結集でかちとられた。「ドキュメント国鉄分割・民営化」のDVD上映を行った
18日神奈川 伊藤同志追悼集会しめやかに
革共同神奈川県委員会・川崎地区委員会に所属する伊藤好男同志の逝去を悼み、横浜市内の斎場でお別れ会が催された。伊藤同志は15日午後9時36分、帰らぬ人となった。61歳の誕生日を目前にした早すぎる逝去だった
23日東京 「甦らすな!共謀罪」
中野勤労福祉会館で「甦らせるな共謀罪法案!APEC戒厳態勢を撃つ」と題した集会が、共謀罪新設反対国際共同署名運動、破防法・組対法に反対する共同行動の呼びかけで開かれた。60人が集まり、APEC横浜会議の戒厳態勢の実態を暴き、法務省がもくろむ新たな共謀罪制定策動に先制的な闘いをたたきつけた
24日東京 国労「団結まつり」で11・7を訴え
JR亀戸駅前で、11・7労働者集会への参加を訴える街頭宣伝を行った
24日宮城 青年労働者集会開く
「たたかう労働組合・青年部をつくろう! 非正規雇用−派遣法を撤廃しよう! 国鉄1047名解雇撤回!戦争のための沖縄米軍基地を撤去しよう! みやぎ青年労働者集会」が仙台市内で行われ、45人が結集した
26日広島 「8・6処分」撤回闘争
昨年の8月6日に官製研修(10年研)への参加を命じた職務命令を拒否してヒロシマ大行動に参加し、不当処分された広教組組合員・倉澤憲司さんの処分撤回を求める第2回の公開口頭審理が、広島県人事委員会で行われた
28日大阪 パナソニック連帯労組、スト決起
パナソニック連帯労働組合は、パナソニック茨木事業所(薄型テレビ組み立て)で10月末解雇撤回を掲げてストライキに突入した
29日東京 法大闘争、1年生がデモに次々合流
11・7労働者集会に向かって大激動の法大キャンパスから第5波法大包囲デモが打ち抜かれた
29日東京 自立支援法の撤廃を
日比谷野外音楽堂で、障害者自立支援法に反対する障害者団体主催の大集会が開かれた。労組交流センターや関東障害者解放委員会は、正門前で情宣を行った
29、30、31日 石川さんと連帯し狭山集会
無実の部落民・石川一雄さんを狭山事件の犯人にデッチあげ無期懲役にした1974年10月31日の東京高裁・寺尾差別判決36カ年を糾弾し、国鉄全国運動の発展で第3次再審をかちとろうと、広島・東京・大阪で狭山集会が開催された
広島 29日、広島狭山集会は、広島市福島町で仕事を終えた労働者や学生、市民など40人を結集して開催された
東京 30日、部落解放東日本共闘会議の主催で、品川の南部労政会館で狭山集会が開催され、折からの台風を押し返して86人が結集した
大阪 31日、関西狭山集会は部落解放同盟全国連西郡支部・八尾北医療センター労組・関西労組交流センターの主催で西郡第3集会所で開催された。地元西郡を始め関西各地から130人が結集した

 (弾圧との闘い)

1日東京 暴処法裁判 研究者が証言に
法大暴処法弾圧裁判の第18回公判が東京地裁刑事第1部で行われた。弁護側証人の1人目として小川進さんが登場した
12日徳島 徳島刑務所の再審妨害許すな
星野暁子さんと星野文昭同志の兄の治男さん、いとこの誉夫さんが、徳島刑務所で星野同志と面会した。面会終了後、刑務所は、再審弁護人との「秘密交通権」を奪う攻撃をかけてきた
15日東京 前進社国賠訴訟 弁護団が求釈明書
東京地裁民事第1部(甲斐哲彦裁判長)で、前進社不当捜索国賠訴訟の第3回口頭弁論が行われた
21日東京 法大弾圧裁判控訴審
東京高裁第9刑事部(小倉正三裁判長)で法大4・27−5・28暴行デッチあげ裁判控訴審の第3回公判が行われた

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月刊『国際労働運動』(413号A-1)(2011/01/01)

編集後記

■編集後記

 今、生起している世界大恐慌が、1929年の世界恐慌を上回る歴史的なものであることが誰の目にもはっきりしてきた。
 29年大恐慌がもたらしたものは帝国主義諸国の保護主義、相互の通商戦争、為替戦争、そして世界経済のブロック化であり、それがブロック間対立へ発展し、ついに第2次世界大戦となって爆発した。今、歴史は明らかに繰り返している。
 アジア・太平洋地域は、米中日3国間の政治・経済・軍事的対立の焦点になっている。ブロック化をめぐる政治的駆け引きが続き、最終的には戦争に訴えるしかないものとしてある。
 今こそ動労千葉を先頭とする11月労働者集会派が、4・9反革命を粉砕して日本の労働組合を甦らせ、資本との階級的力関係の大変革をかちとり、帝国主義に対する巨大な反戦闘争を爆発させていこう。

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