International Lavor Movement 2011/08/01(No.420 p48)

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2011/08/01発行 No.420

定価 315円(本体価格300円+税)


第420号の目次

表紙の画像

表紙の写真 反原発の新宿2万人デモ(6月11日) 

■羅針盤 大量の被曝と汚染が拡大 記事を読む
■News&Review 韓国
 「夜は寝よう」深夜労働撤廃を要求
 金属労組ユソン企業支会の労働者がスト
記事を読む
■News&Review ヨーロッパ
 反原発闘争と反失業闘争が拡大
 労働者の闘いがEUの危機を促進
記事を読む
■News&Review 日本
 6・5国鉄集会、被災地の怒りと結び
 JR体制打倒の新たな国鉄決戦へ
記事を読む
■特集 全世界からヒロシマ・ナガサキへ 記事を読む
■翻訳資料 「反戦の母」シンディ・シーハンの闘い
 高村涼子 訳
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点 財政破綻下のギリシャ
 数万のストで民営化・首切り・大増税と闘う
記事を読む
■世界の労働組合 ドイツ編
 ドイツ統一サービス産業労働組合(Vereinte Dienstleistungsgewerkschaft:ver.di)
記事を読む
■国際労働運動の暦 8月6、7日
 ■広島・長崎の原爆被爆■
 帝国主義戦争の帰結
 「核と人類は共存できない」ことを示した最大の階級的犯罪との闘い
記事を読む
■日誌 2011年5月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 黒人青年を虐殺した警官の仮釈放に抗議(6月13日サンフランシスコ)

月刊『国際労働運動』(420号1-1)(2011/08/01)

羅針盤

■羅針盤 大量の被曝と汚染が拡大

▼6・11反原発100万人デモは全国200カ所にのぼる闘いとして大高揚し、これと結合した世界各地での闘いも大爆発した。とりわけ東京・新宿での闘いは、反原発・反失業の根源的な怒りと、今こそ「労働組合をよみがえらせよう」「社会を変えよう」という青年労働者・学生の自己解放をかけた闘いの息吹がしっかりと結合し、戦闘性と躍動感に満ちあふれた。
▼福島第一原発の大事故は今やチェルノブイリをも超える史上最悪の事態に発展した。1〜3号機はメルトダウン(炉心溶融)を起こし、拡散する放射能は原発労働者と福島を始め広範な地域の労働者人民を被曝させ、大気・水・土壌・海や農畜産物、海産物の汚染を拡大している。事故処理にあたる労働者は基準をはるかに超える被曝労働を強制され、命を奪われている。子どもたちには「年間20_リシーベルト」というとてつもない被曝線量が「基準」として押しつけられている。だが菅政権と日帝ブルジョアジー・東京電力は、現在進行中の事故と放射能汚染に対し、ウソと情報隠しを続け、何ひとつ解決策をもってはいない。まさに核・原発と人類は絶対に共存できない。そして今や核・原発なしに存在できない資本主義・帝国主義とスターリン主義の戦後世界体制は、完全に終わりを告げた。
▼全原発の即時停止・廃炉を実現する闘いの鍵を握るのは、労働者・労働組合だ。電力労働者を始め、あらゆる職場の労働者、農民、漁民、全住民が生きるために団結し、立ち上がるなら原発を止めることは絶対に可能だ。6・5―6・11の息吹と力を、6・19フクシマから8・6ヒロシマ―8・9ナガサキへとひとつに結び、反戦・反核・反原発の大闘争を巻き起こそう。

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月刊『国際労働運動』(420号2-1)(2011/08/01)

News&Reviw

■News&Review 韓国

「夜は寝よう」深夜労働撤廃を要求

金属労組ユソン企業支会の労働者がスト

 □5・18から闘いは続く

  韓国・牙山(アサン)にある自動車部品メーカーのユソン企業の労働者の闘いが5月18日から1カ月を超えて続いている。「夜は寝よう」と、深夜労働撤廃(3交替24時間稼動を無くして昼間連続2交替制とする)完全月給制を要求して激しく闘っている。
▼5月18日 会社側はユソン企業支会がストライキに入るや違法な「攻撃的職場閉鎖」で対抗してきた。雇い入れた用役を使って組合員だけを完全に工場から閉め出し管理職をラインに投入したりした。
▼5月19日 組合員たちは会社側の阻止線と激突して実力で用役と管理者を追い出し、工場占拠籠城をかちとって闘った。
▼5月24日 権力が導入された。午後4時、機動隊31個中隊を投入して、工場内の組合員450余人と工場の外にいた死守隊200人を全員連行した。
▼5月26日 連行されて釈放された組合員たちは一人の離脱者もなく、「組合事務室に行こう」と会社正門に押しかけ、2000人の金属労組組合員も集まり、10個中隊の機動隊と激突した。
 以後、工場の近くにビニールハウスを設置して闘いを続けている。
▼6月13日 ユソン企業支会は組合員臨時総会を開き今後の闘争方針を決めた。会社側が主張する個別復帰には一切応ぜず「一括復帰」を宣言し、「一括復帰宣言、責任者処罰、昼間連続2交替制誠実交渉」を闘争要求として確定した。
 6月14日からは、工場門前で毎日午前中、出勤闘争(実力で出勤させろという闘争)を繰り広げている。

(写真左 「組合事務所に行こう」とユソン会社正門に2000人が押しかけ、10個中隊の機動隊と激突【5月26日】)
(写真右 組合員臨時総会を開き、工場への「一括復帰」の闘争方針を決めたユソン企業支会【6月13日】)

 □人間として生きる権利

  ストライキ闘争は、09年に労使がすでに合意して11年1月1日を目標に施行することにしていた「昼間連続2交替制及び月給制」の特別交渉中の過程で起こった。労組は合意案に基づいて10年に会社側にこれに関する準備をすることを要請しており、要求案を作って昨年末に初の交渉を始めた。
 しかし、会社側は労使合意の履行に全く意欲を示さなかった。会社側は10余回の交渉が行われる間、ただの1回も案を提示しなかった。地方労働委員会調停中、最後に会社側が4組3交替案を出したが、労組は「夜間労働を深化させて労働強度を強化する改悪案」だと拒否した。結局、調停委員会は「調停中止」決定を出した。
 労組は5月17日、18日両日にかけて争議賛反投票を行い、78%でストライキが可決され、18日午後、2時間部分ストに突入したのだ。
 労組の要求は昼夜間交替勤務を廃止して「夜には寝よう」という常識的要求だ。労働者の健康権、労働強度強化反対、雇用安定を確保しようということだ。
 しかし会社側は昼間連続2交替制を施行すれば生産量が下がり賃金を維持することができないと主張した。工場が昼夜連続で回っていなければならないというのは資本の利潤だけを追求し、労働者の人間らしい暮らしと健康権は全く考えないものだ。
 また、金属労組傘下事業場は昼間連続2交替制施行について何年目かの論議中だ。現代(ヒョンデ)車、起亜(キア)車なども原則だけは合意したが、「勤務形態変更推進委員会(現代車労使)」などのように実務単位を構成して具体計画について論議中であるが遅々として進んでいない。
 部品業の中では京畿道安城にあるトゥウォン精工(株)だけが労使合意し、昨年9月から昼間連続2交替制および月給制を施行している。ユソン企業支会関係者はこの状況でユソン企業まで昼間連続2交替制及び月給制に合意したら使用者側に負担になるのでなんとしても食い止めようというのだ。
 政権の迅速な公権力投入、労組委員長を含む2人の拘束など手段と方法を選ばない弾圧が続いている。なんと李明博(イミョンバク)大統領がラジオ演説でユソン企業闘争を「年俸7千万をもらう勤労者(まったくのデマ)たちの違法ストライキ」と非難し「労使協力を通して生産性を高め、相生経済を必ず成し遂げよう」と述べた。
 このような政権と資本の迅速で積極的な弾圧はユソン企業労働者が韓国製造業の利潤創出の核心に対して脅威を与えているからだ。
 電子、自動車、造船など韓国の主要輸出産業の競争力の源泉は低い時間給と長時間労働を通した費用削減、そして産業インフラ、労働管理などの国家的支援だ。経済危機以前の07年基準で自動車産業労働者の労働時間を比較してみると、韓国の場合、年2304時間でドイツ(1350時間)に比べて1000時間程度多く、先進国家中労働時間が長いという日本(2072時間)をはるかに超える数値だ。
 このような長時間労働が可能なのは基本給比率が絶対的に低いからだ。ユソン企業労働者の場合、入社9年目の基本給は123万4316ウォン(約9万2200円)で、時給に換算すると約5900ウォン(約440円)程度であり、これは現在の最低賃金4320より1580ウォン高い水準にすぎない。このような低い基本給を補充するためにユソン企業労働者は月平均30時間の延長労働、80時間の夜間労働、37時間の週末特勤を行っている。【1000ウォン=74・7円】
 このような長時間―夜間労働は1年6カ月の間に4人の労働者が自殺したり脳出血、急性敗血症などで突然死する悲惨な結果を生んだ。
 ユソン企業支会の闘いは全く当然の要求を掲げた闘いであるが、現代自動車を始め資本の喉元を突く闘いである。金属労組全体、民主労総全体の闘いとして絶対に勝利をかちとるだろう。労働者として生きるための現場で団結し実力で闘う労働者に強い共感を持って連帯しよう。

 

 

(写真左 韓進重工業支会の闘いを激励する労働者【6月12日】)
(写真右 手を振って応える籠城中のキムジンソク指導委員)

 □韓進重工業の闘い激励

  6月11日夜から6月12日にかけて、約700人の労働者市民がソウル、水原(スウォン)、全州(チョンジュ)、光州(クァンジュ)、平沢(ピョンテク)、順天(スンチョン)など各地から「希望のバス」を仕立てて、釜山(プサン)の韓進(ハンジン)重工業を訪れ、85号クレーンで高空籠城闘争を続けている釜山本部キムジンソク指導委員をはじめとする韓進重工業支会の闘いを激励した。
 午前1時、「希望のバス」参加者は、韓進重工業正門の前に到着した。用役と警官が消火器を噴射して暴力をふるったが、「希望のバス」の労働者たちは韓進重工業組合員たちの体を張った防衛で工場への進入に成功した。
 「希望のバス」には1895日の闘争で勝利したキリュン電子労働者と才能教育労働者たちも参加した。
 報告集会でキリュン電子のキムソヨン分会長は、「この闘争は非正規職、正規職が区分できない闘争だ」とし、「会社は正常なのに労働者を解雇するこの世の中を安心して働ける世の中に変えよう」と話した。
 「希望のバス」参加者と韓進重工業の労働者は短い報告大会の後すぐにキムジンスク指導委員が158日高空籠城城をしている85号クレーン前に移動。キムジンスク指導委員も明かりをつけて答えた。徹夜で文化祭が繰り広げられた。予想以上の参加者で準備した朝食が足りない位だった。

 

(写真 「学費半減」を要求し、学生ら2万人が集会【6月10日 ソウル】)

 □学費半額を要求してソウル2万人集会

  6月10日夜、韓国ソウルで学生をはじめとする2万人が清渓川(チョンゲチョン)広場を埋めた。学生の要求は「学費(韓国では登録金)半額」だ。世界大恐慌下における新自由主義が蔓延する社会の中で、迫害される青年労働者学生の「生きさせろ」という怒りの声が、高騰する「登録金」に反対することを導火線としてついに爆発したのだ。
 集まったのは大学生だけではない。10代から老人まで「学費問題は自分の問題」だと考える人びとが集まった。
 3年前に弾圧で消された「ローソクの火」が戻ってくるはっきりした兆しがここにある。
 「学費半額闘争」で、学生を先頭に労働者市民たちが世の中を変えようと闘いを始めたのだ。
 3年前の08年6月10日には100万人がローソク集会(注1)に集まって闘った。
 今年は6・24抗争(注2)24周年を迎えて、21世紀韓国大学生連合、全国登録金ネットワーク、野党4党などが呼びかけた。
 6月11日のハンギョレ新聞は、トップ記事に「3年ぶりに赤く染まった清渓(チョンゲ)広場、今日はMB(イミョンバク)除籍の日」と題して光化門ローソク集会の報道を載せた。
 韓国の階級闘争を一貫して牽引してきた韓国学生運動が、大恐慌、戦争と大失業の攻撃の激化の中で、新自由主義攻撃が学費高騰という形で大学を襲うことに対して、「生きさせろ」の闘いを開始し、新たな高揚を始めている。
 (大森民雄)
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注1
 ローソク集会 08年5月2日から、李明博政権による米国産牛肉輸入再開に反対する一連のデモが起きた。日没後に行われ、参加者は蝋燭に火を灯して集まったことから「ローソク集会」と呼ばれる。約100日間、デモが続き、当初の牛肉輸入問題から、教育問題、朝鮮半島大運河構想、公企業民営化反対など李明博政権に対する退陣要求へと闘いが拡大した。6月10日は、6・24抗争21周年であり100万人が集まった。

注2
 6・24抗争 1987年6月10日から約20日間にわたり続いた民主化運動。闘争の結果、全斗煥(チョンドゥファン)政権から大統領選挙法の改正などを柱とする「6・29宣言」を引き出した。しかし、軍事政権の延命のための賭けとしての「民主化」は事態の反革命的収拾にはならず、それ以後、7、8、9月と巨大な闘い、とりわけ労働者階級の決起、いわゆる「87年労働者大闘争」を生み出した。本誌10年6月号「国際労働運動の暦」参照。

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月刊『国際労働運動』(420号2-2)(2011/08/01)

News&Reviw

■News&Review ヨーロッパ

反原発闘争と反失業闘争が拡大

労働者の闘いがEUの危機を促進

 □生命尽きた帝国主義

 今、世界大恐慌下のEUを動かしているキーワードは、「ギリシア=EU危機」「エジプト革命と中東・北アフリカの激動」そして、「フクシマ」である。そして、これらすべての根底にあるのは、歴史的生命の尽きた帝国主義が延命のために、一切の攻撃を集中している労働者階級人民の怒りが、各地で闘いとして爆発しつつあるということである。この間のG8の議題やECB(ヨーロッパ中央銀行)のレポートからも次の点が明らかになっている。すなわち、世界大恐慌の深刻化の中で、ギリシャを始めとして、アイルランド・ポルトガル・スペインそれにイタリアなどのいわゆる南欧諸国の財政危機が、国家的破綻として爆発しつつあり、それがEUの解体的危機を生み出している中で、〈西アジア・北アフリカ情勢〉と3・11が、強烈な打撃を与えているということだ。

 □「フクシマ」の衝撃

 まず、3・11は、EU経済・世界にとっては、直接には、東日本の海岸地帯の壊滅によるサプライ・ルートの崩壊をもたらした。アメリカだけでなく、ヨーロッパの自動車・電機産業にとって、不可欠な部品供給の断絶としての打撃である。さらに、日本経済の陥没は、争闘戦の敵手の敗北ということにとどまらず、帝国主義全体にとって、全世界の階級的制圧力の弱化として、決して喜ぶべきことではないのである。とりわけ、「フクシマ」が重大だ。「安全でクリーンな核エネルギー」「日本の高度な原発技術」というデマは、スリーマイルとチェルノブイリを経験した世界の帝国主義にとって、好都合な神話だったのだ。それが、瞬時にして吹っ飛んだことの衝撃は、3・11後にドイツ・スイス・イタリアの3国の政府が、原発政策の転換を打ち出さざるをえなかったことに表されている。

 □メルケル政権の欺瞞

 ドイツでは、3・11の衝撃を受け、3月12日から連続して反核・反原発デモが、数万人の規模で全土を覆った。その中で地方選挙を迎えることとなったメルケル政権は3月14日、急遽「原発の運転を延長する政策をとりあえず3カ月延長する決定を行ったが、地方選挙の結果は、引き続く与党の惨敗だった〔本誌6月号参照〕。
 この敗北を「フクシマで負けた」と総括したメルケル政権は、原発政策の手直しを開始し、6月6日、「2022年までに17基(うち8基は現在停止)の原発を閉鎖し、電力政策の転換を目指す」と閣議決定した【そもそも、メルケル政権は、昨年秋に、シュレーダー社民党政権の脱原発政策を変更して、原発の運転を平均12年間延長する政策を決定していたのである】。
 この「2022年までに原発を閉鎖」という決定は、現在運転を一時停止している8基は運転再開せずそのまま閉鎖。うち1基は「予備機」として13年まで温存。残る9基は、15年、17年、19年に1基ずつ、21年に3基、22年に最後の3基を閉鎖するという段階的計画で、「即時全面停止・廃止」とはほど遠いものであり、反核・反原発運動の沈静化を狙っていることは明らかである。メルケルは「私たちは、エネルギー構造の変革〔ドイツの発電の原子力依存度は、22・5%(2010年)〕と経済成長とが調和することを世界に示す」と説明しているが、これに対して、ドイツ経団連と電力業界は、ただちに反発し、RWE(エネルギー企業)も、原発の運転一時停止命令の無効を求めて提訴を行っている。

 □ドイツの反原発運動の高揚

 この間、3月12日を新たな出発点として、「フクシマは警告している」「原発即時撤廃」を掲げたドイツの反核・反原発運動は、歴史的な高揚を迎えている。3月26日に全国で50万人、5月28日には再び16万人が決起している〔『前進』速報版〕。この間、「月曜デモ」が継続され、フクシマの闘う仲間への連帯メッセージが送られてきている。
 この間の一連の地方選挙で、原発反対を打ち出して与党を敗北させ、州政府のトップに登場してきた「緑の党」は、さっそくメルケル政権の「原子力からの転換」に屈服し、「原発即時停止」を降ろしている。これに対し、6月11〜12日に、「原発即時停止」を掲げる反原発40団体が、ドイツの核政策のシンボルであるブロクドルフ原子力発電所(シュレスウィヒ・ホルシュタイン州)の閉鎖を要求し、“ブロクドルフをブロックしよう”という共闘会議を結成し、原発への通路での座り込み闘争を行っている。

 □周辺諸国でも闘い進む

 ドイツに続いて、原発からの脱却政策をとりだしているのが、隣国スイスである。スイス政府は、5月25日、国内に5基ある原発を、寿命を迎える2034年までに廃炉とし、改修や新規建設はしないという国家目標を決定。現在の原発依存度は約39%である。これに対し、「すべての原発、即時停止」を求めて、140の組織が「核反対の人間の潮」というネットワークを結成し、5月24日、2万人のデモをバーゼルなどの諸都市で行った。
 ドイツのもう一つの隣国オーストリアでは、5月25日、ウィーンで「反原子力会議」を開催。ポルトガル、ギリシア、アイルランドなど、非原発保有国11カ国の参加のもとに「反原子力宣言」を発表した。これは、原発を維持しているオーストリア周辺の中・東欧諸国の労働者人民に対するアピールでもある。【オーストリアは1978年(スリーマイル事故の1年前)、国民投票で、ドナウ川のほとりの〈世界一安全な原発〉といわれていたツベンテンドルフ原発の稼動を否決。99年には、憲法に「原発建設禁止」を明記した】

 □伊・国民投票で原発再開否決

 6月13日、イタリアで国民投票が行われ、中心的争点であった「原発の再開」が、96・7%という圧倒的多数で否決された。ベルルスコーニ政権は、5月末の地方選挙でも保守連合が敗北〔20年ぶりで、過半数を割る〕を喫しており、この結果によってさらに大打撃が加わった。「原発再開を止めたぞ」「原発はいらない」「ベルルスコーニは、もう出て行け」と叫ぶデモが、ローマを始め、ミラノ、ベニスなどイタリア各地で街頭にあふれ出た。
 国民投票は、@原発の再開、A水道の民営化、B政府閣僚の裁判免責〔スキャンダルまみれのベルルスコーニの卑劣な工作〕、などについて行われた。投票率は57%で、有効数を突破し、国民投票は成立した。これは、イタリア政治にとって、16年ぶりのことである。この間、国民投票は何回か行われてきたが、毎回、有効投票率に満たなかった。今回も、ベルルスコーニが直接支配下に置く民間のマスメディアはもとより、公営のテレビも、政府の圧力のもとで、国民投票への呼びかけはもとより、報道さえもやらない、という恐るべき報道管制下で行われた。だが、イタリアの労働者人民の怒りは大きく、国民投票の成立自体が、政府不信任の表明という意味を持ってしまった。水道の民営化も反対多数、閣僚の裁判免責も認められなかった。
 とりわけ争点となったのは、原発問題である。イタリアでは、1986年のチェルノブイリ事故後に、原発をストップすることを決定した。ところが、ベルルスコーニ政権は、これを逆転し、原発再開を政策として打ち出した。そこへ、福島第一の原発事故が爆発し、イタリア人民の原発への疑問と怒りが、政府の目論見をふっとばしたのである。ベルルスコーニは、はやばやと敗北を認め、原発再開の政策を取り下げることを明らかにした。

 □核・原発堅持を確認したG8

 5月26〜27日に開かれたG8サミットは、「原子力の安全」を最優先課題として押し出した。日帝が「福島第一」の危機的状況をコントロールできず、チェルノブイリ以上の危険を全世界にもたらしているのに対して、米帝と仏帝の主導のもとに、核政策・原発堅持の方針を確認した。3・11直後のサルコジの来日、そして迅速な米軍の展開・派遣は、帝国主義が、争闘戦の武器、階級支配の武器としての核、第2次世界大戦後の戦後体制の暴力的軍事的柱であった核を、世界大恐慌・大失業・戦争の現在において、決して手放さないという階級意思を誇示し、日帝の脱落を許さない、ということを突きつけたものであった。今回のG8は、それを再確認したのである。
 ところで、G8が「原子力の安全」のために設定しようとしている「世界共通の原発の安全基準」の作成にあたっては、価格競争で優位に立つ中国や韓国に対する競争力を高めたいという思惑がある。帝国主義は、日帝を含めて、世界大恐慌からの脱出の戦略の環として原子力産業=原発輸出を位置づけており、とりわけ「新興国」への売り込みに、米仏日などの企業・資本だけでなく、ロシア(国営原子力企業ロスアトム)や中国・韓国などの諸国の資本が、自国の原発建設を強行すると同時に、低コスト(労働者の低賃金、安全の無視)を武器に、市場争奪戦でひしめきあっているという現実がある。

 □緊縮政策にストで反撃

 財政危機の中で、巨額の債務返済不履行の危機に立つギリシャのパパンドレウ首相(社会)が、6月15日、野党の保守党に「挙国一致内閣」の結成を呼びかけた。EUとIMF(世界通貨基金)の指示する緊縮政策を、ギリシャ労働者人民の抵抗を粉砕して強行するための策動である。
 その前日6月14日、政府の新たな増税と財政支出の削減〔公務員労働者の賃金カットなどを含む〕計画に対し、交通労働者を始め、行政機関や国営企業など多くの産業部門でストライキに立ち上がり、商店もこれに参加した。そして、数千人のデモ隊が、20日も前から、ずっと国会包囲を続けている。体制内労働組合のもとで、この間、労働者の賃金は平均30%下がった。デモ隊は、登院しようとする国会議員たちに、「泥棒め、裏切り者、俺たちの金はどこにいったんだ」とくってかかり、催涙弾を発射する警官隊と激突をくり返している。

 □スペインで大デモ

  ギリシャに続いて財政危機が叫ばれるスペインでは、5月22日の地方選挙を前に、政府の「選挙前夜のデモ・集会禁止」を、「社会党と人民党(保守党)の連立政権反対」「二大政党に投票するな」と叫び、首都マドリッド中心の広場を埋め尽くすデモ隊が、実力で打ち破った。この間、1週間にわたって、政府の緊縮政策反対、大失業反対などを掲げる6万人に上る大デモが、首都マドリッドを始め、バルセロナ、バレンシア、セビラ、ビルバオなど50都市で、連日行われてきた。「職をよこせ」「生きさせろ」「社会保障のカット反対」「緊縮政策反対」などが中心で、「エジプトと連帯しよう」「カイロに続け」などというスローガンを叫び、街の広場にテントを張って泊まり込む数百人のデモ隊もいた。スペインの失業率は21・3%、失業者数は490万人という記録的な数で、EU諸国の中で最大であるが、青年の失業率は5割以上で、彼らの不安と怒りが、デモで爆発しているのだ。
 5月22日の地方選挙の結果は、与党PSOE(社会党)の全国的敗北であった。
 EU危機の中で、反原発の闘いと反失業・反緊縮財政の闘いが、階級的労働運動の再生・労働組合の戦闘的再建としてかちとられていくかどうか、ここに一切のかぎがある。  (川武信夫)
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 ●世界の原発

アメリカ  104基
フランス   58基
日本     54基
ロシア    27基
韓国     21基
イギリス   19基
ドイツ    17基
カナダ    17基
イタリア    0基
スウェーデン 10基
フィンランド  4基
ベルギー    7基
オランダ    1基
スペイン    8基
スイス     5基
ウクライナ  15基
チェコ     6基
スロバキア   4基
ハンガリー   4基
ルーマニア   2基
ブルガリア   2基
スロベニア   1基
中国     13基
インド    19基

※この他、インドネシア、ベトナム、トルコ、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカ、台湾など10カ国で原発導入計画

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月刊『国際労働運動』(420号2-3)(2011/08/01)

News&Reviw

■News&Review 日本

6・5国鉄集会、被災地の怒りと結び

JR体制打倒の新たな国鉄決戦へ

(写真 1780人が国鉄闘争勝利へ団結ガンバロー【6月5日 日比谷公会堂】)

(写真 福島、宮城の被災地から駆けつけた人々が登壇し、怒りの発言が続いた)

 □全国から1780人

 6月5日、「国鉄分割・民営化絶対反対! 1047名解雇撤回! 新自由主義・震災解雇と闘う反失業大闘争を! 国鉄闘争6・5大集会」が、東京・日比谷公会堂に全国から1780人を集めて開かれた。
 昨年6・13大集会でスタートした国鉄闘争全国運動が1年を経過し、全国に40の地方組織、動労千葉を支援する会が発足し、昨年「4・9政治和解」による国鉄闘争終結策動に抗して、闘う労働組合を甦らせる運動が前進している。さらに、3・11東日本大震災によって情勢は一変し、被災者を始めとする労働者人民の怒りが高まっている。
 こうした中で開かれた6・5大集会は、新たな国鉄決戦と反原発闘争、反失業大闘争をひとつのものとして結合して闘う道筋を鮮明に示し、参加者に大きな感動と勇気を与える画期的な集会となった。
 司会を全国金属機械労組港合同の中村吉政副委員長と動労水戸の石井真一委員長が務めた。中村副委員長が、全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部と三里塚闘争への大弾圧を弾劾し、「4・9政治和解から1年を経て成果があったでしょうか。闘わなかったら何も得られない」と、国鉄闘争全国運動を大きく飛躍させることを訴えた。
 開会あいさつを呼びかけ人の元国労九州本部書記長の手嶋浩一さんが行い、「原発事故は完全に人災です。資本家どもは資本蓄積のためなら人殺しでも何でもする連中です。恥を恥とも思わず、人殺しを犯罪とも思わない資本、これに屈服する連合は今や犯罪集団、人殺し集団と言っても過言ではない」と激しく訴えた。
 連帯あいさつでは、まず関西地区生コン支部の2人の執行委員が発言に立った。関生支部に対して5月11日、大阪府警が昨年5月14日の関西宇部に対する抗議行動を口実として13人を逮捕(その後、起訴)する大弾圧をかけてきた。武谷新吾執行委員は「大手ゼネコンによる集団交渉つぶしをはね返したことが今回の弾圧の本質です。国鉄闘争を勝利的に解決することが仲間の早期奪還にもつながる」と決意を表明した。西山直洋執行委員は「警察は逮捕されたメンバーの家族に対して、『組合を辞めろ』と言っている。まさに国家的不当労働行為です。警察によるこんな不当労働行為は一切認めない」と訴えた。
 「日の丸・君が代」不起立処分と闘う教育労働者の根津公子さんが、解雇策動を粉砕し、この3月で退職を迎えたことを報告し、「闘えば勝てるんだ、権力側が狙っていることは覆せるんだということを実感した」と語った。

 □“労働組合を一からつくり出す”

 動労千葉からの報告を田中康宏委員長が行った。
 「私たちは、去年の4・9政治和解に対して、こんな形で国鉄闘争を終わらせたらこの日本から労働運動、労働組合が消えて無くなってしまう危機感を感じ、色んな方と相談してこの運動を呼びかけました。3月11日以来の状況を見る中で、この運動を始めて本当に良かったとあらためて感じます」
 「国労は7月定期全国大会で規約を変え、闘争団員を最後的に組合員じゃなくそうとしています。完全に企業内御用組合になるということです。これが去年の和解で政府が意図したことです。さらに大震災の現実をも口実にして公務員賃金1割カットが出てきました。資本家たちは“首切りも賃下げも好き勝手にやれる”と一気に動き出します。この攻撃の中心に国鉄闘争つぶしがあります。だから、ここから反撃を開始しないといけない。“それはできる”と感じています。私たちは何度もストに立ち、10年間にわたって業務外注化を阻止してきました。現場で闘えば勝てるんです」
 「われわれの力で職場から具体的な運動をつくり、この1〜2年で2倍、3倍、5倍、10倍の力を持ち、すべての怒りの声と結びついていく。もう一度原点に返って労働組合を一からつくり出していく。今日の集会を、その新たな出発点とすることを訴えます」

 □“全国運動を広げよう”

 これを受け、国鉄闘争全国運動呼びかけ人各氏が次々と発言に立った。
 日本近代史研究者の伊藤晃さんは「『日本の復興』が叫ばれています。必ず焼け太りする勢力が出てきます。公務員賃金の切り下げや社会保障給付の引き下げ、被災地の復興を口実に規制緩和を進め、道州制のきっかけをつくろうとしている。労働組合もここで転向のきっかけをつかもうとしている。一人ひとりの声を責任追及に向けるべきです。働く者の権利、生きる権利からすべてのことを出発させることです」と、全国運動を広げることを呼びかけた。
 韓国労働運動史研究家の金元重(キムウォンジュン)さんは「韓国で新しい労働者教育の全国的機関『社会労働研究院(仮称)』が6月17日にソウルで創立大会を持ちます。形は違いますけれども、同じ時期にスタートしている韓国と日本の新しい民主的な労働運動再構築のための運動に手を携えて協力していきたい」と表明した。
 愛媛県職員労働組合の宇都宮理委員長は「愛媛でも伊方原発廃止まで闘いたい」と述べ、「公務員賃金引き下げについて公務員連絡会は、合意しました。労働組合として許されません」と語気を強めた。
 世田谷地区労働組合協議会顧問の花輪不二男さんは「責任をとらない政府を逃しちゃいけない。中曽根は、国鉄分割・民営化に際して『一人も路頭に迷わせない』と言っておきながら責任をとらない。また、これに同調して政府にお願いをする労働組合も許せない」と訴えた。
 元安芸労働基準監督署長の大野義文さんは「機関銃以上に危険きわまりない放射性物質を排出して労働者や地域住民の人生を破壊したら、どんな犯罪行為と言えるのか」と原発事故を弾劾し、「不当労働行為に対する基本は原職復帰と謝罪です」と訴えた。
 三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長は「一人ひとりが力を合わせて決起しなければ、これからの若者、幼子たちの将来はどうなるのか。労働者と農民が一体となって政治をやるような世の中にしなければ日本の将来はない」と訴えた。

 □被災地から次々訴え

 国鉄闘争全国運動関西準備会(大阪市職)の赤田由行さんのカンパアピールに続いて、福島、宮城の被災地から大挙駆けつけた人々が登壇し、烈々たる訴えを行った。
 福島県教職員組合元委員長(国鉄闘争全国運動呼びかけ人)の清野和彦さんは「放射線量で言えば、福島市内もほぼ退避地域に入るのではないかと言われています。しかし福島市は避難地域に入れないでしょう。新幹線が寸断され、パニック状態になるからでしょう。でも私は、世の中がここまで来た以上、パニックでも起こさない限り前に進めないと感じています。これから被曝者が何人出るか分からない。政府や東電は責任を持つべきだ。二度と繰り返さないためには、ウソつきは許してはならない。敵はやっつけなければならない」と激しく訴えた。
 続いて、子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク、国労郡山支部(解雇撤回を共に闘う国労の会共同代表)の橋本光一さん、ふくしま合同労組の市川潤子委員長、ふくしま合同労組の青年組合員が発言した。
 宮城からは、宮城県教職員組合仙台支部の小原真喜子さん、仙台市職労副委員長(東日本大震災現地救援対策本部長)の神保美彦さんが発言した。神保さんは「仙台市職労では3月末に組合の行動を一切中止すると流された。委員長が『今、労働組合がやることはない』と言った。『そうじゃないだろう』というところから闘いを始めた。組合幹部を批判するだけではなく、私たちが職場で闘いを一つひとつつくろう」と訴えた。

 □1047名解雇撤回へ

 続いて、動労千葉争議団、国労闘争団、弁護団からの報告が行われた。
 動労千葉争議団長の高石正博さんは、北海道の石勝線の事故について闘わない国労を批判し、「敵を追い詰める中で自分たちの要求を取っていく。こういう闘いがなぜできないのか」と訴えた。
 動労千葉争議団の中村仁さんは「今大事なのは、労働者の一人として、大変な被災をしている当該の人たちの気持ちになれるかです」と訴え、解雇撤回まで闘う決意を表明した。
 国労秋田闘争団(鉄道運輸機構訴訟原告)の小玉忠憲さんは、鉄道運輸機構の代理人の弁護士が原発差し止め訴訟で東電の代理人であったこと、JR東海会長の葛西が原発の推進に「国の存亡がかかっている」と叫んでいることを弾劾し、「国鉄1047名解雇撤回の闘いは反原発の闘いと一体です」と訴えた。
 国労鳥栖闘争団(鉄建公団訴訟原告)の石崎義徳さんは「私は国鉄闘争を闘い抜き、国鉄当局の責任を追及します。これが、今、労働者が置かれている状況を少しでも改善する道だと思います」と決意を語った。
 弁護団からは、動労千葉顧問弁護団長の葉山岳夫さんと鉄建公団訴訟・鉄道運輸機構訴訟弁護団の森川文人さんが発言した。
 決意表明では、雇い止めと闘う郵政非正規労働者、社会保険庁分限免職者、JAM神奈川ジェコー労組行田分会、沖縄県中城村議の宮城盛光さん、全学連委員長代行の坂野陽平さんらが発言した。動労千葉青年部再建準備委員長の北嶋琢磨さんは「全国の闘う若い労働者たちと一緒に、1日でも早い青年部再建を目指して連帯して闘い抜く」と熱い決意を表明した。
 「全国の職場・地域に国鉄闘争全国運動を組織し、階級的労働運動を復権しよう」という「共同宣言」を採択。動労千葉を支援する会の山本弘行事務局長は、動労千葉が23号発行している「震災レポート」が世界のウエブサイトやブログに転載された数が179万件に上ることを紹介し、全国運動を全国・全世界に広め、会員を拡大することを呼びかけた。
 スタンダード・ヴァキューム石油自主労組の入江史郎委員長が「敵の労働運動つぶしに国鉄闘争で仕返しをしよう」と閉会あいさつを行い、動労西日本の大江輝己委員長のリードによるインターナショナル斉唱、動労千葉の長田敏之書記長の団結ガンバローで、熱気のうちに集会を締めくくった。
 集会には、アメリカから、校内の軍国主義に反対する連合(CAMS)、ロサンゼルス統一教員組合(UTLA)のアーリン・イノウエさん、運輸労働者連帯委員会(TWSC)、ドイツから、レーテデモクラシーのための委員会(KRD)からメッセージが寄せられた。
(写真 「基地再編攻撃絶対反対! 外注化阻止! 組織拡大!」を掲げた動労千葉総決起集会【6月16日】)

 □新たな国鉄決戦へ

 国鉄決戦は、7月国労全国大会での完全な闘争団切り捨てと連合化への道に走る国労本部打倒の決戦の渦中にある。また、千葉では、銚子運転区の廃止と「銚子運輸区」「佐倉運輸区」の新設の基地統廃合による動労千葉銚子支部を始めとする組織破壊攻撃、京葉車両センターでの業務の一部外注化が狙われ、動労千葉は総反撃に立っている。こうした新たな国鉄決戦に勝ち抜き、国鉄闘争全国運動をさらに大きく発展させよう。       (大沢 康)

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月刊『国際労働運動』(420号3-1)(2011/08/01)

(写真 昨年の8・6ヒロシマ大行動の1800人のデモ。商店街を元気に進むデモ隊に沿道の青年・学生が次々合流【2010年8月6日】)

特集

■特集 全世界からヒロシマ・ナガサキへ

 はじめに

 大震災、原発事故は、すべてを激変させた。命と生活、ふるさとを奪う大災害を起こしながら、資本家階級は居直り、ささやかな汚染軽減の要求さえ「風評をあおる」と攻撃している。体制内労働組合の指導部は、反原発闘争に敵対し、大量解雇、人事院さえはなから無視した公務員の大幅賃下げに協力している。
 既存のシステムは根本から行き詰まり、あらゆる価値観が崩壊し始めた。第2次大戦後と同じように、根本からの変革が求められている。
 本特集の第1章では、この事態をヒロシマ、ナガサキからとらえ直し、全世界に呼びかけていく。第2章は、新自由主義の総破産の時代の中でヒロシマ、フクシマの闘いが全世界の労働者の団結をつくり出すことを明らかにする。第3章は、国鉄闘争を軸にした労働組合の再生こそ勝利のカギであることを示す。

■第1章

 福島原発事故を居直る ― 国策=核武装で増長した東電

 ヒロシマで団結し、生きるために闘おう

 1945年8月6日、9日の原爆投下の惨禍から始まったヒロシマ、ナガサキの「にんげんをかえせ」という労働者人民の根源的な闘いは、占領軍、国家権力の弾圧と闘い、既成指導部の裏切りと格闘し、全国、全世界の労働者人民を動かしてきた。この闘いの中に、労働者人民には、あらゆる困難を乗り越え、団結を取り戻す力があり、展望があることが示されている。
 そして3・11以後、あらゆる所から生きるために自発的な協力が芽生え、団結した闘いが始まっている。そして、巨万の青年の決起が開始されている。
 だが、闘いは始まったばかりだ。多くの労働者、農民、漁民、自営業者が圧倒的な大災害と大事故の中で必死に生き、態勢を立て直さなければならない状態の中で、国家権力、資本の攻撃を受け、苦闘している。
 生きるために闘いが必要なこの時、連合と全労連の既成指導部は組合員に「震災休戦」を押し付け、その陰で歴史的な裏切りに走っている。
 今こそ国鉄闘争を軸にして、労働組合を労働者自身の手に取り戻し、生き抜き、勝利しなければならない。今年の8・6ヒロシマはそのためにこそある。

(写真 6・5集会で登壇した福島、宮城からの代表)

 被曝強制=傷害・殺人を許すな!

 政府・東電は、放射能放出の事実を隠し、深刻な被曝を強制している。
 福島第一原発のメルトダウン(炉心溶融)は、5月12日になってから発表された。その後、核燃料が圧力容器に穴を開け、下まで突き抜けていることも発表された。こんな重大なことを政府も東電も御用学者も隠し、ニセの安心感を与えつづけてきたのだ。
 福島第一原発で働く労働者には、線量計さえ持たせずに働かせた。それが明らかになっても、東電は「津波で線量計が流された」などと言い訳して居直っている。
 下請け、孫請け、ひ孫請け……が東電の指揮命令下で使われている。違法な「偽装請負」や「二重派遣」であるのに、東電も政府も当然のことのようにふるまっている。
 東電は、福島原発事故発生から3カ月以上たっても、現場でどの下請け会社の労働者が何人いるかということさえ知らせていない。東電は、体内被曝した本人にも「検査結果を教えられない」と言っている!
 また東電は、福島事故で汚染された地下水を食い止める地下ダム建築を拒否し、その計画の公表にさえ反対した。「株価が下がり株主総会を乗り切れないから」と。金のためには大量の超高濃度汚染水を垂れ流すのだ。
 そして、福島の学校では年間20_シーベルトまでの放射線量が子どもに強制されている。法定の「放射線管理区域」をはるかに超える線量だ。父母の必死の闘いによって、文科省は線量を下げる「努力」をすると言うようになったが、20_シーベルト基準自体はまだ撤回していない。
 これらはすべて、意識的な大量殺人、大量傷害だ。
 こんなやつらはとことん打ちのめし、倒す以外にはない。

 最大の「国策」の破産

 政府や東電が言うとおり、「原発は国策」だ。1954年の原子力予算成立以来、長期にわたって政府も財界もマスコミも大学も右翼・ヤクザも、あらゆる力を総力動員してきたものだ。
 福島原発事故で、このすべてが破綻した。だから、福島事故に対する根底からの怒り、根本的な批判が大衆的な規模で始まっている。
 飯館村では、村ぐるみ、原子力損害賠償法による賠償のもくろみに怒りの拒否をたたきつけている。限定的賠償ではなく、すべての責任を原発推進者が負えと根本的な要求をしているのだ。学校の20_シーベルト問題では、あらゆる締め付けを食い破って父母の怒り、教育労働者の怒りが爆発している。この決起こそ、これまでのあり方を根本的に転覆する力だ。全日本、全世界の団結を強化し、怒りを解き放とう。
 そのために、原発=国策を根源から批判していこう。

 日本は超兵器級プルトニウムを持っている

 日本の原子力政策は、サイクロトロン(加速器)などを使った巨大な研究施設、原発、使用済核燃料の再処理、高速増殖炉などを合わせた、総合システムになっている。
 これによって日本は、超兵器級プルトニウムを手に入れた。すでに高速増殖炉常陽にあるプルトニウム239は、六ケ所村の再処理工場で処理すれば、ミサイル核弾頭に最適のプルトニウムが取り出せる。米軍の核弾頭より純度が高い99・6%のプルトニウム239だから、強力かつ超小型で保存性能も高い。
 原発は、この核兵器を作る核燃料サイクルの一環だ。
 それをカモフラージュするために福島第一原発3号炉では、プルトニウムを混ぜた燃料を使っている。それが原発事故を一層破滅的にしたのだ。
 超兵器級プルトニウムを作る高速増殖炉などを管轄しているのが文科省であり、その核関連予算は11年度予算案で2441億円だ。原発を管轄する経産省(1812億円)より多い。国策の本音がどこにあるか良くわかる。
 東電が、この超巨大事故を起こしながら傲慢に居直っているのも、国策=核武装を担っているから、絶対に国家に守られるはずだと確信し、増長しているからだ。

 国鉄分割・民営化は改憲・核武装のため

 1954年に中曽根康弘が原子力予算を通した時から日本の原子力政策は始動した。
 中曽根は読売新聞、東芝、日立、三菱重工、石川島播磨重工など、資本家階級のバックアップの下で、科学技術庁長官・通産相という原子力を管轄するポストについた後、80年代、首相として国鉄分割・民営化を強行した。
 この国鉄分割・民営化のために、他産業、マスコミ、右派労組、地域社会等々、あらゆる力が総動員された。石川島播磨重工・東芝出身で経団連会長だった土光敏夫が、第二次臨時行政調査会長となり資本家階級の総力を挙げて「行革」=国鉄分割・民営化を、全社会的に貫徹する役割を担った。
 そして、御用組合が、この国鉄分割・民営化攻撃の先頭に立ち、また総評解体・連合結成という労働運動再編の主役となった。それは電力総連や、電機労連、基幹労連(造船重機)などだ。電力総連は、戦後日本の階級闘争の最先頭で闘ってきた電力労働者の組合=電産を破壊することによって作られた組合だ。
 中曽根は、国鉄分割・民営化の意図について、
 「国労をつぶし、総評・社会党を壊滅に追い込むことを明確に意識して国鉄分割・民営化をやった」  「国労をつぶし、総評・社会党を壊滅に追い込むことを明確に意識して国鉄分割・民営化をやった」
 「行政改革によってお座敷をきれいにして、立派な憲法を床の間に安置する」  「行政改革によってお座敷をきれいにして、立派な憲法を床の間に安置する」
と露骨に語っている。
 核兵器は自国内では使えないから、核保有は、どんなに憲法解釈を拡大しても憲法違反になる。改憲は核武装のために必要なのだ。
 原発と核武装、そして国鉄分割・民営化は一体の政策として、同一の勢力によって行われてきたのだ。
 この国鉄分割・民営化は、米レーガン政権による航空管制官労組解体、英サッチャー政権の炭鉱労組解体と同時期に行われ、世界の新自由主義の三大突破口となった。
 レーガンも50〜60年代に原発産業であるGE(福島原発の製造元)に雇われ、原発推進と労組破壊で実績を上げて大統領に上り詰めた人物だ。サッチャー政権の炭鉱閉山・炭労破壊攻撃も、火力発電から原発への移行促進政策と一体で行われた。
 そして、昨年4月9日の国鉄闘争の「政治和解」を強行することによって、原発に反対してきた伝統を持つ旧総評系の日教組、自治労の指導部が総屈服し、連合の執行委員会で8月19日、原発推進が可決されたのだ。これは、民主党政権の経済成長戦略の承認――原発輸出政策の承認――であり、核開発競争=核武装競争を全世界に拡大することの承認だ。
 これで、原発の稼働率を上げるために定期点検の項目や期間の大幅カットがやられるようになった。だから福島原発事故は、原子炉が四つも苛烈事故を起こすという事態にまで拡大したのだ。
 このように、原発は核武装と一体のものであり、また、核武装は労働組合破壊と一体なのだ。そこで、核武装とは何か、戦後の歴史の中で考えてみよう。

 占領軍の弾圧・分断と日本共産党の「米軍=解放軍」規定

 1945年の被爆後、ヒロシマ・ナガサキの闘いは、医療を要求することや被爆の事実を言うことさえ占領軍に弾圧される中から開始された。「プレスコード」(45年9月〜52年4月の新聞準則)によって原爆についての報道や文芸作品は禁圧され、被爆者は分断・孤立を必死に打ち破る闘いを強いられた。
 これは、闘いの内側からの歪曲と抑圧があったため、さらに困難なものとなった。
 当時、圧倒的な力をもって労働者・人民の指導部となっていた日本共産党は、原爆を投下した米軍を「解放軍」であると規定していた。
 この「解放軍」規定には二重のおぞましさがある。まず、労働者人民の大虐殺を「解放」と呼ぶ非人間性だ。そして、“労働者は自分たち以外の強大な力によってしか解放されない”という労働者蔑視と他者依存の主張だ。

 アメリカ帝国主義、世界支配のために原爆投下

 ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下は、戦後の世界をアメリカが圧倒的に有利に支配するためのものだった。
 もともとアメリカ帝国主義は、29年世界恐慌と30年代階級闘争の大激動を解決できずに第2次大戦に突入した。
 1934年の三つのゼネストや36〜37年のGM自動車工場の占拠闘争勝利を始めとする労働運動の怒濤のような高まりは、資本家階級を労働者に打倒されてしまうという恐怖にたたき込んだのだ。
 だから、ルーズベルト大統領は、ニューディール政策(33年〜)、ワーグナー法(労働組合法、制定35年)によって必死に労働運動を取り込み、革命を予防しようとした。しかし、結局のところ、戦争に突入する以外に大恐慌・長期大不況から回復することはできなかった。
 ソ連とアメリカの同盟によってアメリカ共産党スターリン主義指導部を協力させ、主要労働組合から「ストライキをしない誓い」を取り付けたにもかかわらず、組合員の戦闘性を抑えることはできず、戦争中でさえ大きなストライキが起こっていた。
 本土が戦場となった欧州や日本で、戦後に革命が起こるのは、第1次大戦の経験から見ても、確実だった。
 そして、この第2次大戦の最中から中東、アジア、アフリカ諸国で民族解放運動、革命運動が高揚していた。
 だから、アメリカ帝国主義が戦後の世界を支配していくためには、原爆の超巨大な物理的破壊力によって労働者・人民に無力感を与え、制圧することが必要だった。
 また、伝統的な英仏の植民地・勢力圏を奪い、圧倒的なヘゲモニーを確立するためにも、ソ連スターリン主義を屈服させ、アメリカ帝国主義の圧倒的ヘゲモニーの下に帝国主義とスターリン主義の分割支配体制を形成していくためにも原爆を開発し、すさまじい破壊力で恫喝することを狙ったのだ。
 このようにして核は、戦後世界の軍事外交政策の決定的な要因になっていった。
 五つの国連常任理事国はすべて核保有国となった。
 そして、人類を何十回も絶滅できる大量の核兵器がつくられていった。これが第2次大戦後、受注が激減して危機に瀕していた軍需産業を救い、軍産複合体を拡大するものとなった。現在、アメリカの軍需予算(国防省+エネルギー省〔核関連分〕+退役軍人省)は国家予算の62%にもなっている(10年度)。
(写真 1934年のサンフランシスコ・ゼネスト)

 帝国主義とスターリン主義の分割支配体制

 ここでもう一度、スターリン主義と核との関係を考えてみよう。
 先に述べたように、アメリカ共産党はルーズベルト政権のニューディール政策と第2次大戦に全面的に協力している。そして核兵器開発プロジェクト=マンハッタン計画にも、最初から多くの共産党員や共産党の支持者が関わっている。
 たとえば、マンハッタン計画を主導したロスアラモス国立研究所の所長で「原爆の父」といわれる物理学者ロバート・オッペンハイマーは、共産党に近い人物だった。彼の妻、弟などは党員だった。
 マンハッタン計画はソ連に対して秘密にされていたが、実際には、多数の党員、支持者からの情報で、スターリンはポツダム会談の前に原爆を知っていた。
 「7月24日、私はスターリンに『われわれは飛び抜けた威力の新型兵器を持っている』と何気なく触れた。彼は特別な興味は何も示さなかった。『日本に対してうまく使うことを希望する』と言っただけだった」(『トルーマン回想録』)
 また、入手した情報をもとにして、ソ連は早くも194
9年には核実験に成功した。こうして互いに核軍拡競争をしつつ、世界を帝国主義とスターリン主義が分割支配していった。最も重大なことは、日本の労働者階級、人民の頭上に原爆を投下することをソ連がポツダム会談で承認したということだ。
 アメリカ帝国主義が戦後日本での革命運動の勃発を恐れていたのと同じく、ソ連スターリン主義も日本の労働者階級自身が決起することを恐れてた。スターリン主義は「労働者階級の解放は労働者自身の事業」というマルクス主義の核心を破壊する反革命であり、労働者自身の主体的な決起を何よりも恐れるのだ。
 このスターリン主義による原爆投下の承認と核軍拡競争の反労働者性、非人間性を絶対にあいまいにしてはならない。
(写真 ポツダム会談【チャーチル、トルーマン、スターリン】)

 原水禁運動の高揚

 1954年3月1日、アメリカは、ビキニ環礁で水爆実験を行い、マーシャル諸島住民と多数の日本漁船が死の灰をあびた。第五福竜丸船員の被爆と久保山愛吉無線長の死亡は全国的な大問題となり、ここから原水爆禁止運動が発展していった。
 ビキニ被爆の2日後の3月3日、中曽根康弘は、国会に原子力予算を盛り込んだ予算修正案を提出し、4月3日、初の原子力予算が通過した。そして、マスコミをあげて「原子力平和利用」のキャンペーンが行われ、核兵器への怒りをそらす策動が行われた。【『アメリカの核支配と日本の核武装』吉田義久著、第6章参照】
 日本共産党は、アメリカの核実験には反対だが、「原子力の平和利用には賛成」という立場を強調し、この流れを促進した。
 日本学術会議は4月23日に「原子力研究の三原則(公開・民主・自主)」の声明を総会で決議した。これが翌55年の原子力基本法第2条に盛り込まれる。
 「自主」は「日本の自主性」という意味だ。アメリカより日本の支配階級のほうが良いというとんでもない民族主義の立場で論外だ。
 また、原子力研究が「公開・民主」と相いれないことは、明々白々だ。
 第一に、50年代の赤狩りでローゼンバーグ夫妻を死刑にしたのを始め、多くの原子物理学者、技術者が「スパイ」として追及されたことが示したように、核開発は最高の軍事機密で、「公開」の正反対のものだ。
 第二に、資本主義と原子力の公開は相いれない。資本は利潤を損なう情報は必ず隠す。原子力のように危険きわまりないものは、ますます隠す。現在、東電が全世界の注視の中で弾劾されながら、なおかつ情報提供を露骨に拒否していることを見ても、資本と「公開」が水と油であることは明らかだ。
 日本共産党は、三原則がペテンであることを百も承知で学術会議決議と原子力基本法を美化し、「三原則を守らせて原子力を推進すべきだ」と言ってきたのだ。
 だから、原子力関連で働く共産党員が、自分の職場で行われている不正や事故隠しに危機感を持ち、真面目に「公開」の原則を適用して告発すると、共産党指導部は徹底的にそれを抑圧したのだ。
(写真 「原爆スパイ」として逮捕されたローゼンバーグ夫妻)

 科学を巨大技術崇拝にすりかえた日共

 そして、原子力研究施設に反対する運動や原発の廃止を要求する運動に対して、日本共産党は、「反科学主義」と罵倒し、敵対してきた。「科学」の意味を正反対のものにしてしまうやり方だ。
 もともと近代科学は、権力や権威を無批判に信じるのではなく、論証や実験による確実な証明を求める、というところから出発してきた。しかし日本共産党は、「科学」を巨大産業・巨大研究への崇拝にすり替えてしまった。
 1986年のチェルノブイリ事故で共産党員の中にも「平和利用」路線への疑問が広がったが、不破哲三は従来からの路線を貫徹するように強い口調で指示している。
 「(党として)核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは一度もないのです」(7中総発言、03年6月23日)

 社共を真に乗り越える反核闘争

 日本の労働者階級は、反核闘争の中から社共を乗り越える運動をつくり出していった。
 本来、他の国の核兵器と闘うためには、その国の労働者と連帯して共に闘わねばならない。その国の労働者に反核闘争への決起を呼びかけねばならない。核兵器を含むすべてのものを生産し、運搬しているのは労働者だ。労働者が団結し闘えば、核兵器を作り、使う現在の社会をひっくり返すことができる。「労働者階級の解放は労働者自身の事業」こそが、革命運動の核心だ。
 だがソ連は核実験を強行した。これはアメリカの労働者を大虐殺しても良いと宣言し、核軍拡競争を推進するものだ。「核には核で対抗するしかない」ということで、「労働者に反核闘争などできるはずがない」という労働者不信を撒き散らすものだ。
 日本共産党は、このソ連核実験を支持したのだ。これによって原水禁は分裂した。
 革共同は米ソ核実験反対闘争を断固として貫徹し、原水禁運動の分裂と混迷を突破し、原水禁運動を闘ってきた労働者人民とともに新たな発展を切り開いていった。
 だがそのためには、共産党や社会党に対して、正しい原則を対置すれば済むということではなく、革共同自身のこれまでの狭い態度を克服することが不可欠だった。
 「昨年〔61年〕9月に再開されたソ連官僚政府の一連の核実験は……反戦闘争戦術の最初の適用の試練であった。すでに61年8月のわが同盟第1回大会は、日本革命的共産主義運動に内在する『原水禁運動』にたいするセクト主義的な態度ならびに『帝国主義の打倒なくして平和なし』という原則的立場を直接に『原水禁運動』に対置するという極左空論主義的傾向について、根本的な検討をよびかけた」(1962年三全総報告『本多延嘉著作選』第一巻)
 こうした闘いを貫くことによって、全世界の先頭をきって60年代後半の闘い、70年闘争を切り開く基礎をつくったといえる。それは、労働者の国際的団結の前進が日本階級闘争を根底的に変革することに確信を持った闘いだったからでもある。
 「帝国主義とスターリン主義の権力政治にひき裂かれた国際プロレタリアートを団結させ……ていく世界革命運動の荒々しい魂を、この米ソ核実験反対の革命的反戦闘争は直感的に日本労働者階級の内部に呼びさましたのである。だからこそ、この革命的反戦闘争の訴えは、日本共産党の経営細胞のなかにまで深刻な動揺をもたらした」(同)
 そして原潜反対闘争、67年10・8羽田闘争(日本のベトナム参戦国化と核武装への道に対する闘争)、原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争、沖縄の永久核基地化反対闘争を戦略的な闘いの焦点にしていった。日本の労働者階級人民自身の欲求と闘いが解き放たれ、真に社共を乗り越える道が開かれたのだ。
 「アメリカと日本の両国人民がアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とこれへの日本帝国主義の加担の道に対し、ベトナム反戦という共同の事業をもって応えた」(同)
 こうして、フランスの68年「5月革命」、同年8月のチェコスロバキア人民のソ連スターリン主義に対する闘いなど全世界で高揚した新たな階級闘争の先頭に日本の階級闘争が立っていった。
 全世界の60〜70年代階級闘争は、それまでの階級支配のあり方をそのままでは続けられないところまで追い込んだ。その闘いの根底には、常にヒロシマ・ナガサキを軸にする反核闘争があったのだ。
 新自由主義は、それに対する帝国主義の絶望的な巻き返しとして登場したのだ。

■第2章

 新自由主義の世界的崩壊 ―国際連帯の爆発的発展へ

 支配体制の破綻と電源三法

 第1章で述べたように、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下によってつくられた帝国主義とスターリン主義の支配体制は、労働者階級人民の全世界的な連帯した闘いによって、破綻に追い込まれた。
 アメリカ帝国主義はベトナム戦争に敗北していく。
 そして、帝国主義の世界経済は、71年ニクソンショック、73年石油ショック、74〜75年恐慌と決定的に行き詰った。
 まさにこの時期に日本では、電源三法をテコにして原発の大量建設が開始されたのだ。世界第2位の原発国フランスもこの時期からだ。
 支配体制の破綻を乗り切るために、原発を野放図に建設しだしたのだ。原発反対勢力だけでなく、「原発は危険だから慎重に扱う」という人々さえ敵視されるようになった。安全軽視は、安全敵視、安全排除へとエスカレートしていった。
 こうして、原子炉が四つも同時に苛烈事故を起こすという、とんでもないフクシマの事態がつくり出されたのだ。

 階級戦争を一切に優先する新自由主義

 80年代から全世界に本格的に登場した新自由主義は、これまでの階級支配の破綻によって登場したものだ。だから、他の一切を振り捨てて、労働者階級に対する階級戦争に突進するものとなった。
 だから新自由主義は、資本家階級の観点から見ても、矛盾だらけだ。つかのまの延命のために、自殺行為に等しい政策を繰り返している。
 たとえば、80年代のレーガン政権は、大幅減税と超巨大な軍事支出――しかも、スター・ウォーズ計画のような実現性がないもの――を組み合わせた破滅的政策を行い、アメリカの債務国化を加速した。
 労組破壊と賃金の大幅カット、社会福祉の破壊と大衆課税強化・金持ち減税に突進したために、このようなメチャクチャな政策になったのだ。
 また、労組破壊・民営化政策は、軍の民営化、刑務所の民営化にまで拡大した。
 米軍の民営化政策があまりにも拡大したために、現在イラクやアフガニスタンでは、兵站が崩壊し、米軍の敗北を促進している。民営軍事会社は、国防省・米軍幹部と癒着して補給調達資金をピンハネし、欠陥兵器、腐った食糧を前線に配給して平然としているのだ。
 アメリカの資本家は刑務所民営化、看守組合などの労働組合の破壊を狙った。だが、それも資本主義国家としては、破滅的な自殺行為だ。刑務所を経営する資本は、無料の労働力を使って莫大な利益を上げているが、その利益のために司法政策に重大な影響力を行使し、刑務所人口を2
50万人以上に膨張させている。全世界の刑務所人口の25
%以上がアメリカにいるというすさまじい監獄国家になっている。これが社会崩壊状況を促進している。
 だが、自殺行為だと分かっていても、今延命するためには、その道をさらに突進するしかないのだ。
(写真 ゼネラル・エレクトリック・シアターというテレビ番組【1954〜62年)の司会者レーガン)

 国鉄分割・民営化の破綻と階級的労働運動の台頭

 日本の分割・民営化も同様だ。
 もともと国鉄は戦争遂行のための輸送の一体的運用や巨大独占資本の全国的輸送のために、さまざまな鉄道会社をひとつにまとめて作られたものだ。資本家階級全体の利益を貫くためには、「全国一体の国鉄」でなければならなかった。だが、戦後の電産の闘いをつぶすために電力を9分割した経験を踏まえて、労働組合破壊を最優先して分割・民営化をしたのだ。
 また、国鉄の巨大な資産のぶん取りがもうひとつの目的だった。
 だが、労組破壊を一切に優先して突進したために、全国的に鉄道を運行するという力が急速に崩壊してきている。
 しかも動労千葉を始めとする分割・民営化反対闘争は、不屈に継続しており、反転攻勢への組織化に奮闘している。
 しかも、これが2003年の11月集会以来、韓国、アメリカの労働者とともに国際連帯を強めて拡大している。
 たしかに国鉄闘争への集中攻撃は激化しているが、これは、敵の危機感の現れだ。
 今、青年労働者を圧倒的に組織し、大反撃にでる千載一遇のチャンスが来ているのだ。国鉄闘争を基軸にして、労働組合を甦らせることができるのだ。

 オバマ政権の打倒へ

 動労千葉が国際連帯の絆を強めてきたILWUローカル10(国際港湾倉庫労組第10支部)は、タフトハートレー法適用の恫喝を振り切って、ウィスコンシン労働者連帯の港湾封鎖を貫徹した。(動労千葉は、2003年の11月集会からILWUローカル10とともに闘ってきており、今回の闘争に対して共に闘う声明を出している)
 自分の職場で組合員が議論し、団結して、ウィスコンシン州の労働組合破壊の攻撃に対して、港湾封鎖で闘ったのだ。これは、アメリカの労働運動全体を甦らせていく決定的な闘いだ。
 1980年代にレーガンが航空管制官組合を破壊した時、既成労働運動指導部は、口先だけで、実際にはまったく連帯ストを打たなかった。それによってその後の新自由主義の労働者攻撃の嵐を許すことになってしまったのだ。今度のILWUローカル10の闘いは、この歴史を総括し、階級として団結すれば労組破壊攻撃を撃破できる確信を全米の労働者に示したのだ。
 アメリカ中部のウィスコンシン州では、州知事の公務員労組破壊立法に対して、民間労組を含めて10万人以上の大集会と州議会前泊まり込みが「タハリール広場のように」連日行われた。州議会泊まり込み占拠闘争も行われた。そして、強行採決され、労働運動の既成指導部が、「あとはリコール選挙しかない」として、闘いを民主党支持運動にねじ曲げ、ストライキや集会の続行を抑圧しているにもかかわらず、戦闘的な闘いが続いている。ILWUローカル10の実力闘争による激励が、労働者を奮い立たせているのだ。
 戦後アメリカの労働運動史上、このようなすばらしい連帯闘争が行われたことも、また法案成立後も撤回を求める闘いが不屈に続行されていることも、画期的な事態だ。
 全米第2の巨大教組であるロサンゼルス統一教組(UTLA)と、第3のシカゴ教組を始め、各地で大量解雇反対、教育の民営化反対の闘いが爆発している。
 オバマが2008年当選時にばらまいた「チェンジ」への幻想は今、巨大な怒りに転化している。
 大恐慌、州政府の財政破綻の中で、「財源がないから賃金カット」という攻撃に組合員が全然屈していない。「財政危機に労働者は責任ない。どんな危機だって、金はある所にはあるもんだ。ある所から取ればいいんだ」――これが、圧倒的な労働者の声になている。

 オバマの原発推進、核兵器推進

 また、ブッシュ時代まで凍結されていた原発の新規建設も今年1月、オバマは行うことを宣言した。フクシマ事故後も「原子力ルネッサンス」政策を続行している。
 核兵器関連予算の2011年度の要求額は10年度より9・8%も増額している。そして辺野古新基地建設を始めとして沖縄米軍基地の核基地としての再編強化を策動している。
 アフガニスタン戦争はブッシュ以上に拡大し、劣化ウラン弾攻撃、無人機による無差別虐殺も激化させている。
 しかし、日本の既成原水禁運動の指導部や日本共産党は、このオバマがほんの少し美辞麗句を並べたことを、「核のない世界を目指している」と賛美してきたのだ。
 彼らは、オバマに手紙を書いたりして、「アメリカの労働者階級は信用できないが政府当局は頼りになる」というイデオロギーを振りまいた。
 だが、今や、化けの皮ははがれている。オバマは敵だ。日本の民主党・連合政権も敵だ。信用できるのは、労働者同士の連帯だ。

 世界を揺るがすエジプト革命

 すでに世界革命の時代が切り開かれている。エジプト2月革命は、それをはっきり示している。大恐慌、大失業、物価暴騰の中で、労働者が職場、地域丸ごと決起する時代になっている。
 エジプトは、世界の石油埋蔵量の3分の2がある中東の要にある国だ。だから、アメリカ帝国主義が総力をあげてムバラク体制にテコ入れしてきた。エジプトの労働者階級は、その全重圧を跳ね返して決起し、勝利している。だから、エジプト革命は、世界のどこでも通用するのだ。ウィスコンシンでも渋谷、新宿でも青年が“タハリール広場”を実現しようとしている。
 現在、米欧の帝国主義は、リビアなどに必死に介入しているが、中東全域に拡大した闘いを抑えることはできない。アメリカ帝国主義の中東石油支配の崩壊が始まっている。アメリカ帝国主義は自国の労働者の闘いからも、中東労働者の闘いからも追い詰められている。
 石油支配を最後の命綱にしているドルの大暴落は、もはや不可避だ。

 欧州の反原発闘争

 ドイツを始め欧州各地でフクシマ事故後、ただちに大規模な反原発闘争に決起し、勝利している。
 この反原発闘争の巨大な力は、1979年の米カーター政権の中距離弾道ミサイルの欧州配備計画阻止の闘いから生まれてきたものだ。
 その後、ドイツ緑の党が急速に腐敗変質を深め、政権に入って旧ユーゴやアフガニスタンへの侵略派兵を推進していくなどの困難な事態があったが、そうした一部指導部を乗り越えて、ユーゴ反戦闘争、イラク、アフガニスタン反戦闘争が闘われた。その力で、現在の70万にのぼる大反原発闘争が組織され、メルケル首相に原発使用延長を断念させる勝利をかちとったのだ。
 スイス、イタリアでも反原発闘争は勝利している。
(写真 ドイツの反原発闘争。「フクシマは警告している」【3月26日】)

 1000万イラク反戦デモの象徴、シーハンさん

 特に、今年のヒロシマ、ナガサキにシンディ・シーハンさんが参加することは、決定的だ。これは、ヒロシマ・ナガサキが全世界の反戦闘争と一体化することを意味する。
 というのは、03年全世界800カ所、1000万人以上の巨大デモを始めとする現代の反戦闘争の中で、最も普遍的に、大衆的にそれを体現しているのがシンディ・シーハンさんだからだ。
 彼女は、イラクで戦死した兵士の母としての根源的な悲しみと怒りでブッシュを追い詰め、アメリカはもちろん、全世界の反戦運動の象徴となってきた。しかも、反戦運動を民主党支持にねじまげようとする既成指導部のさまざまな圧力を乗り越えて、反戦の原則を貫いてきた。
 2007年にサンフランシスコで行われた国際労組反戦会議では、ILWUローカル10(国際港湾倉庫労組第10支部)、動労千葉などとともに、労働者が職場・生産点で闘って戦争を止めることを確認した。翌08年のILWUのイラク反戦港湾封鎖の闘い、そして09年の再度のサンフランシスコ労組国際会議でも共に闘ってきた。
 動労千葉のシーハンさんとの連帯は、2大政党制の抑圧と闘うアメリカの労働者階級との連帯であり、世界の反戦運動との連帯だ。
 シーハンさんとともに今年のヒロシマ、ナガサキから全世界数十億の労働者に呼びかけ、労働組合の再生、反核・反原発闘争の巨大な団結をつくろう。

■第3章

 階級的労働運動の力で ―核・原発の廃絶へ闘おう

 未曽有の危機に突入した日帝

 新自由主義政策の下で安全を徹底的に無視した原発を野放図に建設してきた日帝は、大地震と大津波による原発事故で今日未曽有の危機に突入している。東北地方の最先端産業を始めとする諸産業は重大な被害を受け、日帝の輸出主導の経済は戦後最大の破局的危機に直面している。農業、漁業も放射能汚染で壊滅的打撃を受けている。
 また、事故を起こした原発の解体処理や、膨大な量の放射能汚染水やガレキの処理などには、長期にわたり巨額の資金が必要になっている。
 そして何よりも、原発事故で被害を受けた労働者や農民、漁民に対する補償額は天文学的数字に上っており、財政面でも日帝の破産は不可避だ。大恐慌情勢下で危機に陥っていた日帝は、まさに存亡の危機にたたき込まれたのだ。
 だからこそ日帝政府は、今日、労働者人民の命を守ることを放棄し、日帝の未曽有の危機の乗り切りのためにのみ全力を注いでいる。

 労働者に犠牲を強いる

 日帝政府は、被災地への救援活動を放棄し、被災地および東日本の放射能汚染の実態を完全に隠蔽し、膨大な労働者人民に大量の被曝を強制している。とりわけ、被災地福島県では、年間20_シーベルの被曝許容量の強制によって、子どもたちと住民の命を重大な脅威にさらしている。
 政府は放射線量の計測も徹底的にごまかし、被災地においてさえもきちんとした計測をしていない。その上、公的機関が計測した放射線量データ以外の公表を禁止したり制限している。周辺諸県では、地上1〜1・5メートルの放射線量に関してはほとんど計測がされていない。
 住民の健康を無視した放射線量隠蔽政策が採られているのは、日帝にとって、原発推進政策と原発輸出政策を維持するためにも被害実態を徹底して隠蔽する必要があるからだ。日帝は他の帝国主義との争闘戦に勝ち抜き、日帝資本の利益を維持するために住民の命を犠牲にすることもあえて辞さない態度をとっているのだ。

 資本主義救済のための復興政策

 日帝ブルジョアジーは、労働者住民の命を守るより、日帝経済の未曽有の危機を乗り切ることを優先している。そのために産業復興のための政治休戦を労働者人民に強制している。政治休戦とは命を守るための闘いを一切やめて日本の資本主義の復興に協力しろということを意味する。
 だが、産業復興とは資本主義の復興である。今の資本主義の新自由主義的あり方がこのような原発事故を引き起こしたというのに、何の反省もなくこの体制を復興させようというのだ。
 ブルジョアジーの本音は、JR東海会長の葛西敬之の「政府は稼動できる原発をすべて稼動させて電力の安定供給を堅持する方針を宣言し、政府の責任で速やかに稼動させるべきだ。今やこの一点に国の存亡がかかっている」という発言によく表されている。日帝ブルジョアジーは原発推進政策の継続によって日本経済を復興させようと断固決意しているのだ。
 しかもブルジョアジーは、復興の資金負担を労働者人民に全面的に転嫁しようとしている。政府は一方で東電救済のために国家財政を投入しながら、他方で労働者人民に対しては、公務員の賃金引き下げ、消費税の引き上げ、電気料金値上げなどを押し付けようとしている。さらには復興のためという口実で未曽有の大量の震災解雇・便乗解雇を行い、労働者の非正規職化を一気にエスカレートさせようとしている。悲惨な津波被害や原発事故を起こした上で、労働者人民にすべての犠牲を押しつけて自分たちだけは生き残ろうとする日帝ブルジョアジーのあまりに非人間的なあり方に労働者人民は激しい怒りを爆発させている。

 労働者人民の怒りの爆発

 何よりも被災地の労働者人民の怒りの決起は、ブルジョアジーに打撃を与え、全国の労働者人民に闘いへの呼びかけを発するものとなった。
 被災地の労働者人民は、放射能汚染に加え、被災地の救援活動や復旧作業、仮設住宅の設置や集められた救援金の配布、避難先の準備などのサボタージュや遅れなどによって、営々たる努力で築きあげられた村や町の共同体が解体されていることに激しい怒りを燃して非和解的に立ち上がりつつある。福島の母親や父親は、子どもの命を守るために、被曝許容限度を20_シーベルトに設定した政府に対する闘いに決起し、政府・文科省を追い詰めている。漁民や農民も放射能汚染による生活の全面的破壊に怒りを燃やし、被害の補償を求めて闘いに立ち上がっている。
 そして被災地の労働者たちは、震災を口実とした解雇や非正規化攻撃に対して敢然と立ち上がり始めている。これらの闘いは政治休戦を完全に打ち破り、全国の労働者、農民・漁民の決起を引き出している。
 われわれは、被災地の労働者人民と固く団結し、共に闘うためには、この怒りに徹底的に肉薄し、共有する真剣な努力をしなければならない。

 決起開始した青年労働者

 3月17日、労組交流センターと全学連の呼びかけで渋谷で行われた最初の反原発デモは、政治休戦と自粛の強制を突き破る歴史的決起であった。恐るべき原発事故を引き起こしたばかりか、労働者人民の救援活動をほとんど行わない政府や東電に対する怒りの爆発を自粛ムードをかもしだす中で押さえ込もうとした国家権力の制動を打ち破り、怒りの声を上げたことが、労働者人民の反原発運動の歴史的爆発の突破口を切り開いたのだ。労働者・学生による3月20日の渋谷デモと3月31日の東電抗議デモは、全国の労働者に怒りの決起を呼びかけるのろしとなった。
 動労千葉や労組交流センター、全学連の反原発デモへの決起に勇気づけられた青年労働者たちは、4月10日と、5月7日にそれぞれ1万5000人の反原発デモに立ち上がった。青年労働者たちは、原発事故と政府・東電が情報を隠して被災地や隣接する諸県の労働者人民にすさまじい被爆を強制していることや、原発は安全だという宣伝や教育にだまされていたことに激しい怒りを抱いた。同時に、原発事故を引き起こしたにもかかわらず何の反省もせず、平然として原発労働者に恐るべき量の被曝を強制し、非人間的な労働条件で働かせている東電のあり方そのものが、自分たちに非正規労働を押し付けて、利益を独占している日本の資本家のあり方とまったく同じであることを鋭く感じとった。
 すでに今回の大震災と原発事故以前から、青年労働者たちは、新自由主義の下で、大失業と労働条件の悪化、低賃金を強制されており、この状況が原発事故以降さらに悪化し、自分たちの未来はますます展望のないものになることを予感した。彼らは、原発を直ちに廃止しなければ自分たちの命と生活が徹底的に破壊されること、また失業、低賃金、非正規労働、極悪の労働条件を青年労働者に強制する現在の日本の資本家の新自由主義政策と対決しない限り、自分たちの未来はないことを感じ取り、ともかく今抗議の声を上げ行動しなければならないと考えて決起したのだ。
 政府が政治休戦を宣言し、震災と原発事故からの復興のために挙国一致で努力することを呼びかけたにもかかわらず、青年労働者たちはこれをあえて拒否して立ち上がった。連合を始めとする一切の労働組合が政府に協力する立場に立ち、共産党も含めた一切の政党が反原発の闘いを呼びかけなかったにもかかわらず、青年労働者たちは、自らの主体的判断で立ち上がった。しかも日本帝国主義の国策である原発推進政策に真っ向から対決する闘いに参加することで、彼らは日々意識を革命的に変革しつつあり、ますます積極的行動に立ち上がる決意を固めている。
(写真 新宿アルタ前の反原発集会【6月11日】)

 労働組合の闘いの重要性

 労働者階級は、労働者への犠牲強要の極限的形態としてある原発事故を契機として、もはや闘う以外に生きる道がないと感じて反原発の闘いに団結して立ち上がった。だがこの闘いは、いくつかの巨大な反原発デモや、抗議闘争だけでは決して勝利できない。日帝は、原発推進政策の継続と、震災解雇と労働条件の悪化と賃下げを巨大な規模で行うことを決断している。巨大なデモや抗議闘争それ自身はきわめて重要な意義を持つ。だが、反原発の闘いが労働者階級総体による職場を基礎とした壮大な全国的闘いと結合して発展しない限り、日帝を追い詰めることはできない。
 労働組合が、日帝の新自由主義政策総体との闘いのきわめて重要な一環として反原発闘争を位置づけ、労働者総体の団結した闘いを組織することによって、反原発闘争も巨大な大衆的・持続的発展の基盤を確保できる。動労千葉を先頭とする国鉄闘争全国運動が反原発闘争をこのように位置づけて闘っていることの中にこそ、反原発闘争勝利の真の展望が示されているのだ。
 労働組合に組織されておらず、体制内労働運動に絶望して個別的に闘いに決起している多くの青年労働者が、このような労働組合の重要な役割を把握し、階級的労働運動を担う動労千葉のような労働組合を自ら組織する闘いこそが勝利の道であることを確信した時、反原発闘争のみならず、日本の階級闘争は根底から変わるであろう。
 すでに青年労働者自身が、原発廃絶のためには、根底的な体制変革的闘いが必要であること、そしてその闘いは、震災を理由とした解雇や労働条件の悪化や賃下げを彼らに強制して延命しようとしている新自由主義を粉砕し、自らの命と生活を守る闘いと一体の闘いであることを感じ取っている。原発事故への怒りを契機に自己解放闘争に決起し始めた青年労働者とともに闘う中で、勝利の道を求める青年労働者が展望を見出せるような闘いを組織しよう。反原発闘争と国鉄闘争全国運動との結合をかちとった6・5集会の大成功こそ、そのような勝利の展望を示した。

 体制内労働運動と闘おう

 だが連合などの体制内労組指導部は、政府の「復興のための挙国一致」政策に全面協力し、階級的観点から震災や原発事故を起こした原因について批判し、反原発闘争を組織することを一切放棄した。それどころか、連合は、原発事故も放射能汚染もたいしたものでないかのように宣伝し、むしろ風評被害こそが問題だとして政府と東電を免罪し、擁護しさえしたのだ。
 労働者階級の原発への怒りが爆発すると、この怒りが原発を推進してきた自分たちに向かうことを恐れた連合は「原発推進方針の凍結」などと言い出している。だがこれは、当面は原発推進という立場を隠すが、いずれ時期を見て凍結を解除し、元の立場に戻ろうというペテン的なものでしかなく、原発推進の立場を根本的に反省し撤回するものでは絶対にないのだ。
 反原発闘争の発展のために、連合による労働組合の支配を覆し、新自由主義攻撃と真に対決できる階級的労働運動を今こそ圧倒的に強化しよう。震災解雇労働相談全国センターの設立をもって開始された新たな青年労働者の組織化の闘いに勝利しよう。

 世界に発信されたアピール

 日本における原発即時停止・廃止の闘いの開始は、世界に強烈なアピールを発した。とりわけ、子どもたちに年間20_シーベルの被曝を強いる文科省に対する福島の母親・父親たちの決起には全世界が感動した。
 そしてこの母親たちの必死の決起が福島の教育労働者の決起を引き出した。日教組中央が昨年の4・9の国鉄1047名解雇撤回闘争の裏切り的和解以降、原発推進政策に転換し、今回の原発事故に関して何の闘いも組織しない中で、母親たちの決起に突き動かされた福島県教組が、子どもたちが校庭等で活動できる制限値を年間20_シーベルトに設定することに反対する声明を出したことは決定的な意味を持った。福島県教組が立ち上がり、母親たちとともに闘い始めたことによって、この闘いは労働者階級に支えられた強力な闘いとして発展し始めたのだ。労働組合が地域住民とともに闘いに立ち上がることはかくも大きな意義があるのだ。
 この闘いが国際的に発信されると、全世界の教育労働者たちが福島の母親たちと福島県教組の教育労働者の闘いに心から共感して熱い連帯のメッセージを寄せ、自分たちもともに闘う決意を表明している。福島の闘いは、全世界の労働者を獲得し、同じような闘いに決起する決意を固めさせ、世界の反原発運動の新たな発展のテコとなったのだ。

 世界が注目した動労千葉震災レポート

 そしてこのような闘いを日本と世界の全労働者階級の共通の闘争課題にするために動労千葉は英文の「震災レポート」を全世界に向けて発信して闘った。また韓国の労働者たちに対しては、ハングルに訳された「救援対策本部ニュース」が発信された。
 動労千葉の「震災レポート」は、3月14日に第1号が発信されて以降、6月初旬までに25号が全世界の数百の闘う労働組合、反核団体、個人などに発信された。
 「震災レポート」は、まず労働者自身の力による被災地の救援を全世界に呼びかけた。この要請に応え、全世界から圧倒的なカンパ・救援物資が寄せられた。11月労働者集会への参加を通じて動労千葉と交流のあった韓国民主労総、ILWU(国際港湾倉庫労組)ローカル10、ローカル34、UTLA(ロサンゼルス統一教組)、ATU(都市交通合同労組)ローカル1555、TWSC(運輸労組連帯委員会)、ドイツの「レーテ・デモクラシー」、ブラジルのコンルータスなどから続々と多額の救援カンパ、支援物資と激励の手紙が送られてきた。
 さらに「震災レポート」は、政府や東電資本による情報の隠蔽や改ざん、原発労働者の労働実態や被曝の強制、放射能汚染の実態、報道管制の現実の暴露、連合などの労働組合や日本共産党などの原発推進路線の批判、原水禁、今回の原発事故に対する原水協の対応不能化の現実などの暴露を通じて、今こそ労働者階級が決起して、被災地救援活動を組織し、さらに全労働者人民の決起と結合して労働運動の力で全原発を廃止し、震災を口実とする解雇や賃下げ、労働条件の悪化を阻止する闘いが必要であることを全世界の労働者階級に訴えた。また被災地の労働者人民の闘いや、福島の母親、父親の闘い、福島や郡山の教育労働者の闘い、全国の労働者人民の反原発闘争や農民や漁民の闘いを生き生きと紹介した。
 このアピールは、全世界の労働者階級の心をがっちりとつかんだ。動労千葉が世界の数百の労働組合や反核団体に発信した「震災レポート」は、これらの労働組合や反核団体のホームページに掲載されただけでなく、英・米・独などの各国の「レイバーネット」(各国の左派労働運動勢力に大きな影響力を持つインターネットのホームページ)にも、英文のみでなく、諸団体、諸個人の自主的翻訳作業によってドイツ語やフランス語に翻訳されて掲載された。
 さらに「震災レポート」は、諸団体や個人によって転送に転送が重ねられ、6月中旬現在、グーグルの検索で「震災レポート」に関して言及したホームページやブログが全世界で180万件も掲載されるにいたっている。
 全世界の労働者階級が感動したのは、労働者階級こそが反原発闘争の牽引者であり、労働組合として団結した労働者階級が主軸となって、農民・漁民・市民の闘いを組織することこそが、原発廃絶の唯一の道であるという点を、動労千葉がきわめて鮮明に打ち出したからだ。しかもそうした闘いを実際に動労千葉が責任を持って担いぬいているからであった。新自由主義政策の全面展開に抗する国鉄闘争全国運動を立ち上げ、この階級的労働運動の発展によって、今回の原発事故を引き起こした日帝の原発推進政策を粉砕し、同時に労働者人民が人間的に生きることのできる新たな社会を建設する大運動を発展させていこうとする動労千葉の闘いは、全世界の労働者階級がまさに求めている闘いであった。それは帝国主義諸国において「エジプト革命」と同質の闘いを切り開くものであった。このような動労千葉の闘いは、全世界の労働者階級の反核運動に巨大な展望を与えたのだ。

 シーハンさん迎え、8・6―8・9反戦反核闘争へ

 今年の8・6広島―8・9長崎の反戦・反核闘争にはアメリカの反戦運動を代表するシンディ・シーハンさんが参加する。
 シーハンさんは、04年4月に、イラク侵略戦争に派遣された長男のケーシー・シーハンさん(当時24歳)がバグダッド郊外で戦死して以降、母親から若い子どもたちを奪う侵略戦争に反対する断固たる闘いに決起し、アメリカのイラク反戦運動の闘うリーダーとなった。また後に、米民主党のペテン的イラク反戦運動を弾劾し、ILWUなどの労働組合と連携しながら、階級的立場から反戦・反核運動を展開する立場に立って闘っている。
 シーハンさんは、福島原発事故後に広島・長崎で行われる反戦・反核集会は、全世界に核や原発の廃絶と侵略戦争反対のアピールを発する決定的な集会になると確信している。そして彼女は、反戦・反核を貫く姿勢を失った原水禁や原水協の集会ではなく、階級的労働運動を推進する勢力の集会を選択して参加する。それはシーハンさんが、階級的労働運動と反核・反原発の闘いを結合して闘う勢力こそが、唯一核と原発を廃絶し、真に反戦の闘いに勝利しうる勢力であると考えているからだ。
 反戦の母・シーハンさんを迎え、福島原発事故以降の日本の労働者階級の闘いに圧倒的に注目している全世界の労働者階級人民に対し、反戦・反核闘争の勝利の展望を示す闘いとして今年の8・6広島―8・9長崎の闘いを圧倒的な規模で大爆発させよう。全世界に階級的労働運動の力で反戦・反核・反原発闘争の発展と全原発の廃止を実現することを呼びかける歴史的な闘いに決起しよう。
(写真 ブッシュの別荘前でキャンプを張り、弾劾行動を続けるシンディー・シーハンさんたち)

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月刊『国際労働運動』(420号4-1)(2011/08/01)

翻訳資料

■翻訳資料 「反戦の母」シンディ・シーハンの闘い

高村涼子 訳

高村涼子 訳

 【解説】

 「反戦の母」

 2005年、シンディ・シーハンは、「反戦の母(ピース・マム)」と呼ばれて一躍マスコミの注目を浴びる反戦運動の象徴的存在となった。その原点は、息子の命を戦場で奪われ悲しみにくれる日々を送って、戦争の正当性に疑問を抱いたことにある。彼女の運動は、親として息子の死の意義を希求するところから始まった。
 2004年4月4日、24歳になる息子ケーシーがイラクのバクダット郊外サドルシティーで戦死した。シンディ・シーハンは、「発言する兵士家族の会」の一員となり、他の遺族とともにイラク戦争を始めた張本人の前大統領ジョージ・ブッシュと会見した。ブッシュは終始丁重であったが、シンディ・シーハンのことを「お母さん」、息子ケーシーを「大事な方」と呼ぶだけで、けっして個人の名前で話しかけようとはしなかった。シンディー・シーハンは、個人が愛や平和のために死んでいくのではなく、顔のない単なる駒として利用され命を落としていくことの不正義を実感したという。
 2005年1月、シンディ
ー・シーハンは「平和のための戦死者家族の会」を設立し、ブッシュ政権の戦争責任を追及して、米軍の即時撤退を求める運動を猛然と開始した。3月にはイラク開戦2周年目の闘いの先頭に立ち、また戦争のための納税を拒否して税金の不払いを宣言している。
 2005年8月、シンディは「弾劾ツアー」と掲げたバスで、ブッシュが夏の休暇を過ごす保養地テキサス州クロフォードに支援者とともに押しかけ、道ばたにテントを張って「キャンプ・ケーシー」と名付けて座り込み闘争を始めた。全米各地から次々と代わる代わる支援者がやってきて、多くのマスコミも加わって賑わい、キャンプ・ケーシーは世界中が注目するところとなった。
 彼女は「私の息子は『崇高な使命のために死んだ』ということですが、『崇高な使命』とはどんな使命かとブッシュ大統領に尋ねたい」と面会を求めた。
 「この戦争の真の目的は、石油とブッシュの仲間に金をばらまくためのものである」と弾劾している。
 逃げ回るブッシュの姿を映すマスコミの報道に、「シンディと対話しろ!」「シンディと会え」の声が高まった。一方、右翼からも激しい攻撃を受けたが、8月6日から4週間の間、シンディー・シーハンたちの座り込み闘争は続いた。彼女はこの闘いについて記した文の最後に、次のように述べている。
 「私たちには力があります。普通の市民でも変化をもたらすことができるということを、一人の母親が示しました。私たち民衆は、ブッシュに説明責任を果たさせなければなりません。ブッシュが私たちに確実に答えるようにしなければなりません。議会に対して、あるいはメディアに対して、彼が答える必要がないのであれば、私たちは、彼に否が応でも私たちに対して答えさせましょう。(『私たちには力がある!』)
 シンディ・シーハンはエネルギッシュに国中を飛び回り、集会には無くてはならない顔、「反戦の母」としてもてはやされるようになった。だが、彼女を壇上に上げる反戦運動の指導部と彼女の葛藤は大きくなっていった。彼らは、当時野党だった民主党がブッシュ政権にかわって政権を取ればアフガニスタン・イラク戦争が解決するのだから、民主党を支持しようという路線だったからだ。
 だが、民主党はごく一部の議員を除いて戦争支持の投票をしていた。シンディ・シーハンがほんの少し民主党批判をほのめかすだけで、体制内「左派」指導部は、“民主党には不満かもしれないけれど、ブッシュよりましなのだから、民主党批判は敵を利することになる”という論法で激しくシンディ・シーハンに圧力をかけた。
(写真 ワシントンDCで開かれた反戦集会で演説するシンディ・シーハン【2005年9月24日】)

 突然の引退宣言 「グッドバイ・アメリカ」

 2007年5月28日、シンディ・シーハンは反戦運動からの突然の引退を宣言した。民主党が選挙で大勝し、下院の多数派を握った後、イラク駐留軍の撤退期限を盛り込まない戦費追加予算案をホワイトハウスと妥協した直後のことであった。
 反戦運動のリーダーとして走り続けてきた2年半の間に、シンディはまた失ったものも大きかった。28年間続いた結婚生活、残された3人の子どもたちとの生活、運動のために投げ打った財産、そして彼女自身の健康。そして、民主党への強い失望感があった。そしてそれ以上に民主党を「批判」しながらも、実際の行動では「よりまし」論をとり、民主党への投票を呼びかけることを一切に優先してしまう、体制内「左派」への失望があった。彼女が引退の決心を綴ったディリー・コス紙に宛てた手紙には、次のような一文がある。
 「当初私が抗議の矛先をブッシュ大統領と共和党に限定していた『左派』だった頃には、民主党支持者の『お気に入り』になってもてはやされたが、矛先を民主党にも向けると、右翼と同じような表現で私に対する批判が強まってきた。私が、平和の問題や人びとが無駄に殺されているという問題は、『右か左か』〔『共和党か民主党か』という意味〕ではなく『正義か不義か』の問題だと言っても、二大政党のシステムの中で、誰も私の主張に耳を傾けないでしょう……さよなら、アメリカ。あなたは私の愛する国でもないし、ようやく気付いたけれど、どんなに犠牲を払ってもよいと思える国ではないわ。そっちが変わろうとしない限り、私はアメリカを選ばない。(『目立ちたがり屋のいい厄介払い』)
 「アメリカ帝国主義に苦しめられている世界中の人たちを手助けすることからは引退しないけれども、このアメリカ社会の構造の中で、自分や自分の愛する人たちが消耗し、痛めつけられるのはもう終わりにしたい」

 私は引き下がらない

 引退宣言をしてから5週間後、シンディ・シーハンは再び怒りとともに戻ってきた。民主党と決別して、自分をマルクス主義者と規定し、真の反戦活動家として起ったのである。「ブッシュ一味がこれ以上ファシズムと暴力の泥沼にこの国を引きずり込むのを、彼らと一緒に休みを取って見過ごすことはできません」と、ブッシュ政権への責任追及を強めていった。
 2008年の大統領選で、ほとんどの進歩派と言われる勢力がオバマへの投票を呼びかけ「チェンジ」への期待をあおって沸き立っていた時も、シンディ・シーハンはオバマのペテンを見抜いていた。
 「『チェンジ』も、私たちは全く希望が持てません……(ガザの)虐殺を前に、そして、私の仲間と多くの『平和』運動が、シオニストの次の戦争モンスターに『チェンジ』を期待しているのを見ると、絶望します」(『私たちは皆ガザ人だ』)
 彼女は、2008年のILWUローカル10が主導した西海岸全港湾の封鎖闘争を全面的に支持して闘った。また、翌年の動労千葉が参加したサンフランシスコ労働組合国際会議に出席し、労働者の力で世界を変えることを訴えている。
 以下の翻訳資料は、ウィスコンシン州のウォーカー知事が公務員労働者の団体交渉権、ストライキ権を事実上廃止する法案成立を強行しようとしていることに対し、実力闘争で闘っている労働者にあてたものだ。
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 ■シンディ・シーハンから労働者への連帯メッセージ

  労働者のみなさん、私も労働者の一人としてみなさんとともに闘います!
 平和を求めて不屈に闘う私のことを「ピースマム(平和の母)」と呼ぶ人たちがいます。2004年に私の息子ケーシーは、金儲けのための戦争と傲慢な帝国主義の究極的犠牲となり亡くなりました。彼は、家族に負担をかけまいと、大学の授業料を自分で稼ぎたいという思いだけで軍隊に入隊しました。労働者は日々生活のために相当の犠牲を払っているのであり、私もまたみなさんと同じ労働者だからです。
 その犠牲は、子どもたちのため、そして伴侶のためですが、国のためでもあります。しかし、今日私たちに求められている犠牲は(二大政党両党の指導部に責任があるのは間違いありません)、個人の自由や連帯責任、無条件の平等という観点からして、ものすごく行き過ぎた非良心的なものであり、とても信じ難いひどいものです。
 政治家たちが思いやりとか気遣いなどということをよく口にしますが、政治家や企業のトップが事業運営の経費がかかりすぎると考えた途端に、こんな話はすっかりどこかに行ってしまい、労働者が最大の犠牲を払わされるのです。
 こんな社会は変えなくちゃ。もう闘いは始まったのです!
 これは断じて財政問題ではありません! 国の財政赤字は、景気の循環で減ったり増えたりするのです。私たちの権利を奪おうとするやつらは、それを承知の上で嘘をついている! 権利を放棄させようと脅しているのです。
 やつらに負けないで! 断固闘いましょう!
 これは政治の問題ではありません! 誰かが保守とかリベラルとか言って問題にしようとしていますが、そんなことともまったく関係がありません。直近の世論調査では、アメリカの労働者の60%がみなさんの団体交渉権を断固支持しています!
 みなさん、これは財政問題ではなく、政治問題でもありません。「人権問題」なのです!
 大統領や知事、あるいは議会や理事会がみなさんの権利を奪い取ろうと結託するなら、みなさんは団結権を行使してやつらと闘うべきです!
 兄弟姉妹のみなさん、基本的人権こそが今この危機に大事なのです! これを死守するため、共に闘います!
 一歩も退かず、当然自分たちに理のあることはすべて闘いましょう。でも、原則的で勇敢なみなさんの立場をあくどい政治的利益のために利用されないようにしてください。政治家は私たちの運動を使ってスタンドプレーをするのがお手のもので、私たちを捨て駒に票をかせいだり政治献金を集めたりしますが、当選してしまうとすぐに都合よく公約を反故にする方法を心得ているのです。
 みなさんの権利が攻撃されているわけですが、どうしてこんなことになったのかをちょっと考えてみてください。こうなったのは、毎年のように「二つの悪のうちでまだましなほう」を選んできたからです。次の選挙で投票するときにはこの事実を忘れないでください。そして、「二つの悪のうちまだましでも、悪であることに違いはない」ということを。
 人権を守ろうとアメリカが本気になるのであれば、アメリカの前途を担う人たちの権利を擁護し拡大しなければなりません。その人たちとは、労働者階級です。
 ありがとうございました! みなさんを応援しています!

 2011年2月25日
 連帯をこめて
 シンディ・シーハン

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月刊『国際労働運動』(420号5-1)(2011/08/01)

■Photo News

  (写真@A)

  (写真BC)

 ●広州で十数万人の大暴動

  6月10日、広東省の省都の広州市で露天商の妊婦が治安保安員によって暴行を受けたことから、中国スターリン主義の暴力的な治安弾圧に抗議する労働者の暴動が発生、11日には、十数万人の未曽有の大暴動に発展した。中国スターリン主義の「改革・開放」政策の先進地帯である広州では、政府および資本に対する労働者階級の怒りが長年にわたって蓄積しており、それがついに爆発したのだ。このため13日には、大量の中国軍が武力制圧のために出動し、市内に入った(写真@A)
 中国では6月9日にも、湖北省の利川市で2万人の労働者人民が共産党市政府を包囲し、建物の中に突入して内部を徹底的に破壊している。この闘いは、共産党員でありながら、住民の利益を守るために闘っていた冉建新さんが、市政府によるでっち上げで逮捕され、拷問を受けて死亡したことに抗議する闘いであった(写真BC)
 両事件に見られるように、中国の労働者階級のスターリン主義支配に対する怒りは極限的に高まっている。

  (写真DE)

   (写真FG)

  (写真HI)

 ●6・11反原発100万人行動

 6月11日、全国で歴史的な反原発100万人行動が行われた。
 東京では、新宿、芝公園など3カ所で大規模なデモが闘いとられ(写真D)、最終的に新宿アルタ前で合流し、2万人集会が行われた(写真E)。このほか大阪で5000人、神奈川で4000人(写真F)、前橋で1000人(写真G)、つくば市で550人(写真H)、仙台で500人(写真I)、岡山で500人、広島で300人、さいたま市で250人、新潟で200人、宇都宮で200人、郡山で200人が反原発デモに立ち上がった。この日の闘いで、反原発闘争の全国的な爆発的発展の地平が切り開かれた。

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月刊『国際労働運動』(420号6-1)(2011/08/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点 財政破綻下のギリシャ

 数万のストで民営化・首切り・大増税と闘う

 □EU・IMFのギリシャ支援は1年で破綻

 6月20日、ユーロ圏財務相会合は「ギリシャが2012年初めまでに市場から資金調達を再開できる見通しはない」と声明した。確認されたポイントは以下である。
▽次回融資はギリシャ議会の財政法案成立にあわせ、7月中旬までに実行
▽追加支援の民間負担は非公式で自発的な借り換えで
▽追加支援は7月上旬までに明確化
▽ギリシャの全政党は財政再建の目的支持を
 昨年5月、EUは国際通貨基金(IMF)とともに3年間で1100億ユーロ(約12兆5000億円)の支援を決めたが、それは2012年からギリシャが市場から資金調達することを前提としていた。
 10年物ギリシャ国債の利回りは現在17%を超えている。ギリシャは10年間17%の利子を払い続けることはできない。ギリシャ支援は1年で破綻し、追加融資が必要となった。IMFの推定によると、ギリシャが向こう3年間で必要とする額は1450億ユーロに達するという。
 ドイツ政府は、ギリシャが必要とする全額を支援することに反対し、民間にも負担を求めようとした。ショイブレ財務相は、ギリシャへの支援額を減らすために、ギリシャ国債の償還期限を7年間延長する債務再編が必要だとする書簡を、6月6日に欧州中央銀行(ECB)やIMFに提出した。この提案に、ECBのトリシェ総裁は「いかなる形の債務再編や元本削減も是認しない」と強く反対した。
  ドイツ政府が民間投資家の積極的関与を求めている背景には、地方選挙での与党の敗北や、原発廃止問題などもあり、国民に不人気なギリシャ救済策での自国の負担を最小限に留めたいとの思いがある。   ドイツ政府が民間投資家の積極的関与を求めている背景には、地方選挙での与党の敗北や、原発廃止問題などもあり、国民に不人気なギリシャ救済策での自国の負担を最小限に留めたいとの思いがある。
 民間投資家の負担の可能性が高まったことによってムーディーズは6月1日、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は13日、ギリシャ国債の格付けをそれぞれ3段階引き下げた。ドイツ案の債務再編が実施されればギリシャ国債はデフォルト格付けに引き下げられる可能性が強くなる。デフォルトとなると、ECBが資金供給の担保としてギリシャ国債を引き受けることができなくなり、ECB頼みのギリシャの銀行システムが立ちいかなくなる。ギリシャ国債を多く抱えるフランスとドイツの銀行が深刻な危機を抱えることにもなり、ECBの資産も劣化する。
  英フィナンシャル・タイムズ紙(6月15日)によれば、ギリシャ国債の借り換え(ロールオーバー)の対象になるものは全債務の77%に相当する700億ユーロ。うち17%をギリシャの銀行が、14%を銀行以外のギリシャの投資家が、20%をギリシャ以外の銀行が、18%をECBが、残りの30%を銀行以外の海外投資家が保有している。   英フィナンシャル・タイムズ紙(6月15日)によれば、ギリシャ国債の借り換え(ロールオーバー)の対象になるものは全債務の77%に相当する700億ユーロ。うち17%をギリシャの銀行が、14%を銀行以外のギリシャの投資家が、20%をギリシャ以外の銀行が、18%をECBが、残りの30%を銀行以外の海外投資家が保有している。
 ギリシャに償還期限の延長または財政再建の放棄のいずれかを許せば、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアの各国もすぐに追随する可能性がある。世界の主な国の財政不安国への与信残高は別表の通りである。EUの中核国フランス、ドイツを直撃する。欧州大手銀行の中にはアイルランドやスペインの不動産向け融資の不良債権が増加している銀行もあり、ギリシャ危機からユーロ危機、ドル危機への引き金を引くことになる。
(表 主な国の銀行の財政不安国への与信残高【億ドル】)

 □ギリシャ国債の自発的な借り換えとは?

 6月20日、ギリシャへの金融支援についてEUのユーロ圏財務相会合は、民間機関に償還期限が到来したギリシャ国債を「非公式で自発的に借り換え(ロールオーバー)」、保有残高を維持してもらうことを決めた。域内の銀行、年金基金、保険会社が満期を迎えた国債の借り換えに順次応じれば、ギリシャの債務不履行のリスクが少なくなることを期待したものである。
 ギリシャへの第2次金融支援の規模は不透明であるが、民間負担は全体の2〜3割を想定しているようだ。ところで、現在のギリシャ国債の価格は額面100に対して55程度である。実質が額面の約半額程度で、返済の可能性の低い国債を自発的に借り換える投資家が、はたしてどれだけいるであろうか。
 ドイツのショイブレ財務相は「ギリシャの安定はすべての投資家にとっての利益であり責任である」と述べている。しかし、投資家は利益のみを求めて行動するのであり、ギリシャの安定を求めて行動するのではない。こうしたことが可能ならギリシャ危機などそもそも発生していないのである。
 米スタンダード・アンド・プアーズは「格付けが非常に低い国債について、自発的な借り換えでもデフォルトと解釈する可能性がある」(6月21日「日経新聞」)という見解を出した。
 ユーロ圏財務相会合は7時間の討議によって、根拠のない願望を声明する以外になかった。このギリシャ支援策が、たとえ始められたとしても、「市場」によって短時日のうちに崩されるであろう。
【注 債務再編とデフォルト(債務不履行) 債務再編とは債務を編成し直すこと、予定された利払いや元本の返済を猶予することなどをさす。デフォルトとは、債務の元利支払いができなくなること。「ハードな債務再編」ともいえる。格付け機関は、予定されていた利払いや元本の返済不履行のほか、債務者の救済のため債権者に不利な形での債務交換を債務不履行と定義している】

 □公務員 万人首切り、賃下げ、大増税

  ユーロ財務相会合は、IMFと共同によるギリシャ向け120億ユーロの融資決定を先送りした。120億ユーロは、昨年5月に決めた1100億ユーロの金融支援の第5弾である。ギリシャは7月15日に24億ユーロの国債償還期限を迎える。その支払いのために120億ユーロの融資は不可欠であるが、ユーロ圏財務相はその前に「財政戦略や民営化法案など重要法案の成立」を求めた。
 ギリシャ政府が6月にまとめた新たな財政再建計画では、公務員の人員削減や給与カット、増税などで11年は64億ユーロ、15年までに総額250億ユーロの赤字削減を見込んでいる。歳出では公務員の人件費圧縮、年金や失業保険の減額も打ち出した。
 全公務員の5分の1の15万人規模のリストラをはじめとする緊縮政策に対し、数万のストライキとデモが連日闘われ、国会が包囲され議員が自由に出入りできない状態が続いている。
 「泥棒、泥棒。俺たちのお金を返せ!」。5日には8万人以上が、15日には、2大労働組合が24時間ゼネストを実施、全土にわたって公共交通機関が大混乱した。また数万人のデモでアテネの中心部のシンタグマ広場が埋まった。
 ギリシャ社会主義運動(中道左派)のパパンドレウ首相は6月15日、野党第1党の新民主主義党(中道右派)に「連立を組めるなら職を辞してもよい」と申し入れたが拒否された。緊縮政策の立案者である財務相を更迭して内閣の信認を求め、22日可決されたが今後の展開は予断を許さない。ユーロ財務相会合は、ギリシャの全政党の屈服を迫り、労働者階級の不屈で戦闘的な闘いを押しつぶすことを、融資の取引条件にしようとしているのである。
 政党がいかに屈しようと、労働者階級が闘いぬく限り、民営化、首切り、大増税攻撃を打ち破ることはできる。

 

(写真左 新たな緊縮策への民衆の不満が爆発し、数万人の街頭デモが闘われた【6月15日 アテネ】)
(写真右 ギリシャの議会に押し寄せたデモ隊【6月15日 アテネ】)

 □労働者国際連帯の闘い

 ギリシャの財政危機が顕在化したのは2009年10月、パパンドレウ政権が登場して前政権の財政赤字を暴いてからである。昨年5月のギリシャ危機の爆発に対して、EU、IMF、ECBの「トロイカ」の支援によって、ギリシャは債務不履行を回避した。また、「ギリシャに続く国家」の危機に備えるための態勢もとった。アイルランドには昨年12月に、ポルトガルには今年5月に支援が行われた。
 ギリシャ支援は1年で破綻した。ギリシャの「放漫財政」や「公務員天国」が問題だと、日本の国鉄分割・民営化攻撃の時と同じギリシャバッシング、公務員バッシングが行われた。GDPの15%にもなったギリシャの財政赤字は、増税・公務員削減・民営化によって解決するとされた。しかし、問題の根本は2007年夏から始まった世界大恐慌がギリシャやEUの弱小国を襲ったところにある。
 ギリシャの主な産業は海運、観光、農業で、これといった輸出産業はない。日本の消費税にあたる付加価値税は昨年3月の19%が今では23%にまで引き上げられた。歳出削減も予定通り行われたが、実体経済がマイナスとなり税収が計画を下回っている。そのため、昨年は財政赤字を8・1%にまで圧縮する計画であったが実現できず、10・5%となった。GDPがマイナスとなれば、累積財政赤字のGDP比率は増大する。緊縮財政攻撃は、ギリシャの労働者階級の犠牲のうえに帝国主義が延命する方策である。
 ギリシャの財政危機に対して、昨年は1100億ユーロの支援を決定したEU、IMF、ECBのトロイカは、今年はまだ何も決めることができていない。
 6月7日、オバマ大統領はメルケル独首相と会談し、「(ギリシャが)債務不履行になれば破滅的な結果となる」「米国の経済成長はこの問題(欧州債務問題)にかかっている」と述べた。
 メルケル首相は「世界経済における欧州の責任は十分自覚している」「1カ国でも危機につながるならば、ユーロ圏全体の危機になる。われわれはそのようなことにならないように行動する」と述べた。
  帝国主義の延命をかけて、ギリシャの労働者階級への階級戦争がしかけられている。ギリシャのプロレタリアートはこれとたくましく闘っている。ギリシャのゼネストとの国際連帯行動が求められる。日本の反原発・反失業の闘い、そして国鉄闘争全国運動はその柱である。   帝国主義の延命をかけて、ギリシャの労働者階級への階級戦争がしかけられている。ギリシャのプロレタリアートはこれとたくましく闘っている。ギリシャのゼネストとの国際連帯行動が求められる。日本の反原発・反失業の闘い、そして国鉄闘争全国運動はその柱である。
 (常木新一)

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月刊『国際労働運動』(420号7-1)(2011/08/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 ドイツ編

ドイツ統一サービス産業労働組合(Vereinte Dienstleistungsgewerkschaft:ver.di)

ドイツ統一サービス産業労働組合(Vereinte Dienstleistungsgewerkschaft:ver.di)

 ■概要

 ver.diは、2001年7月に5つの労組(ドイツ職員労組 〔DAG〕、郵便局員労組〔DPG〕、 商業・銀行・保険労組〔HVB〕、 公務・運輸・交通労組〔OTV]、 印刷労組[IG Medien])が統合して結成された、ドイツ最大の労組である。しかし、発足時は320万人だった組合員も、失業者の増加や若者の組合離れ等の理由から、現在は220万人を下回るまでに減少している。  ver.diは、2001年7月に5つの労組(ドイツ職員労組 〔DAG〕、郵便局員労組〔DPG〕、 商業・銀行・保険労組〔HVB〕、 公務・運輸・交通労組〔OTV]、 印刷労組[IG Medien])が統合して結成された、ドイツ最大の労組である。しかし、発足時は320万人だった組合員も、失業者の増加や若者の組合離れ等の理由から、現在は220万人を下回るまでに減少している。
 ドイツ労働総同盟(DGB)の傘下にある8大産別労組の1つで、公共と民間を併合したサービス産業の組織であり、13の産業別部会と13の地域別部会を持つ。また青年、高齢者などの地域や産業を横断的にカバーするグループがある。本部をベルリンに置き、現委員長はフランク・ブジルスケが務めている。

 ■社会保障解体攻撃「アジェンダ2010」粉砕の闘い

 2003年に前首相シュレーダーが打ち出した「アジェンダ2010」施政方針は、所得減税などによる不況打破と雇用拡大をうたっていたが、その中身は、解雇制限の緩和、失業手当・年金支給の削減、医療費の患者 負担増という社会保障解体攻撃であった。  2003年に前首相シュレーダーが打ち出した「アジェンダ2010」施政方針は、所得減税などによる不況打破と雇用拡大をうたっていたが、その中身は、解雇制限の緩和、失業手当・年金支給の削減、医療費の患者 負担増という社会保障解体攻撃であった。
 不安定雇用労働者が増大し、失業者・高齢者が困窮化する一方で、大企業や高額所得者がますます富裕化することは必至だとして、ver.diが中心となって呼びかけ、同年11月1日に首都ベルリンで10 万人の労働者が反対のデモンストレーションに決起した。ver.diの委員長ブジルスケは、「すべての人は基本的な社会保障を受ける権利がある。金持ちがますます金持ちになり、貧乏人がますます貧乏になるのは許せない」と批判した。  不安定雇用労働者が増大し、失業者・高齢者が困窮化する一方で、大企業や高額所得者がますます富裕化することは必至だとして、ver.diが中心となって呼びかけ、同年11月1日に首都ベルリンで10万人の労働者が反対のデモンストレーションに決起した。ver.diの委員長ブジルスケは、「すべての人は基本的な社会保障を受ける権利がある。金持ちがますます金持ちになり、貧乏人がますます貧乏になるのは許せない」と批判した。
 労働者階級の猛反撃を受けた「アジェンダ2010」で、2005年にシュレーダーは退陣に追い込まれた。
(写真 2006年2月公共部門の労働時間延長案に抗議するデモ)

 ■法定最低賃金制度導入の闘い

 現在ドイツには法定最低賃金制度が存在しない。労働者が生活可能な所得レベルを保つためには制度導入が不可欠であると、Ver.diを中心にドイツの主要な労働組合が制度導入に力を入れている。時給5ユーロ前後で働く人の数は全国で200万人を超えるといわれ、広域一律7.5ユーロの法定最低賃金制度導入を政府に求めているが、制度導入は未だ実現していない。現段階では、業界や分野ごとに最低賃金を取り決め、使用者に合意を求める交渉で労働協約に規定される。
 Ver.diは、全ての業界・分野の事業者における法定最低賃金制度の適用を求める闘いを展開し、組合員および国民全体の生活向上を目標に、制度の法律化に取り組んでいる。
(写真 2006年2月ハノーバーで行われた公務員デモで演説するブジルスケ委員長)

 ■サービス産業の各分野でver.diが激しいストライキ闘争を展開

 ここ数年間でver.diは、いくつもの戦闘的な長期ストライキを闘い抜いている。ランク&ファイルの労働者は、解雇・賃金カット、社会保障・福祉サービスの切り捨てなどに対して激しい怒りを抱いており、ストの是非を問う投票には組合員の90%以上が賛成票を投じ、同時に国内のあらゆる箇所でストライキが貫徹されるという状況に至っている。
 統一賃金を求める公務員のストライキ、ドイツテレコムの労働者の賃上げ闘争、ルフトハンザの客室乗務員や地上職員の無期限ストで飛行機が128便欠航する事態や、ベルリンやフランクフルトなどの大都市で大規模な公共交通機関のストライキがたびたび行われている。

 ■米ウィスコンシンの闘いに連帯

  ver.diの組合員がウィスコンシン州の団体交渉権剥奪に反対して闘う公務員労働者を支援する決議をあげ、委員長ブジルスケが知事のスコット・ウォーカーに抗議の書簡を送った。また、米国T-Mobileによる反組合行動を非難する声明を発し、国内で連帯の抗議行動とデモも行っている。
 今、ランク&ファイルの国際連帯が広がっている。労働者に国境はない。全世界の労働者が連帯して、労働者が搾取され続ける社会を変えようとしているのである。

(図 頻繁なストライキを風刺した漫画。
 試験官「ドイツで人気のあるオペラの題名とその作曲家を1つあげてください」 受験者「ヴェルデイ″曲のストライキ≠ナす」)

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月刊『国際労働運動』(420号8-1)(2011/08/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 8月6、7日

■広島・長崎の原爆被爆■

帝国主義戦争の帰結

「核と人類は共存できない」ことを示した最大の階級的犯罪との闘い

(写真 昨年(2010年)8・6広島の祈念式典糾弾のデモ)

 8・6広島、8・9長崎は、階級闘争にとってきわめて重要な日付となっている。それは人類皆殺し兵器を持つに至った帝国主義(および対抗的に保有・開発したスターリン主義)の体制が、労働者人民が生きていくために絶対的に相いれない存在であることを人類史上に明らかにした決定的な指標であり、だからこそ戦後階級闘争にとって、反戦反核闘争は重要な位置を占めていたし、その闘いの中心的な日が8・6であり8・9であったのだ。

 ●二つの都市が壊滅

 1945年8月6日、米軍機エノラ・ゲイ号は高度9600bで原爆を投下。原爆は午前8時15分、大手町(当時細工町)島病院の上空で爆発した。さらに3日後の8月9日午前11時2分、長崎市松山町の上空で、2発目の原爆が爆発した。前年に日本軍を掃討して米軍が日本本土空爆の発進基地にしたテニアン島から飛び立った米軍機による超特大の爆撃だ。広島に投下された原爆がコードネーム「リトルボーイ」と呼ばれたウラン型、長崎に投下された原爆が「ファットマン」と呼ばれたプルトニウム型である。
 原爆は爆発と共に閃光を発し、巨大な火球となって広島・長崎の街を一瞬の内にのみ込んだ。その後、キノコ雲が1万bの上空まで巻き上がった。
 耳も裂けるような大音響とともに、あたりは一寸先も見えない暗闇となった。家屋は倒壊し、暗黒の砂漠と化した街々から燃え上がる火の手が、夜のように真暗な空を赤々と照らした。
 たった2発の原爆で一瞬にして広島・長崎の街は消滅した。45年末までに広島14万人、長崎7万4千人の市民が死亡した。
 46年以降に見られる原爆による障害(後障害)の主な疾患は、悪性腫瘍、原爆白内障、染色体異常(リンパ球や骨髄細胞)などである。さらに直接被爆に加えて残留放射線による2次被爆もある。被爆者は今日まで日々核と帝国主義に殺され続けている。
 占領軍は、原爆がどれほど悲惨な現実を生み出しているかが知れ渡ることに恐怖し、プレスコードを敷いて原爆に関する報道を検閲・禁止した。
 米帝は巨大な大量破壊兵器を使用した「実績」をもって、核による脅迫の体制として戦後世界体制を形成した。スターリン主義は、プロレタリア世界革命に敵対し、この帝国主義の核に対抗する核開発を進めた。
 50年6月25日から始まった朝鮮戦争では、米軍は再び原爆の使用を検討した。占領軍の集会禁止の戒厳体制を破り、広島市で50年8月6日、平和大会が開かれた。デパート屋上から2万枚のビラがまかれた。

 ●ビキニ被爆の衝撃

  54年3月1日、米軍はマーシャル諸島のビキニ環礁で水爆実験を強行、米国が設定した危険水域の外で操業していた第五福竜丸が被爆した。船員23人全員が数時間にわたり放射性降下物の降灰を受けた。この水爆実験で久保山愛吉無線長が殺され、生き残った船員も長く後遺症に苦しんだ。
 この事件は日本中を恐怖に陥れ、怒りの声が高まった。杉並の主婦から原水爆禁止の署名運動がまき起こり、3千万の署名が集まった。55年8月6日に第1回原水禁世界大会が開かれ、その後、毎年8月広島、長崎で原水爆禁止世界大会を開いてきた。
 原水禁運動を牛耳る日共がソ連の核実験を防衛的なものだとして擁護するのに対し61年に全学連が「米ソ核実験反対」を掲げて闘った。8・6は革命的左翼の反戦反核闘争の日となった。71年8月6日平和記念式典への佐藤首相(当時)の出席を弾劾して、被爆者青年同盟が会場内で実力糾弾闘争に立ち上がった。
 日帝は54年ビキニ被爆後の反核闘争の高揚に追い詰められ、「原子力の平和利用」を掲げて原発推進という形で核武装を追い求めた。80年代の新自由主義政策のもとで原発増設を進め、福島第一原発の事故に至った。それは日帝自身によって引き起こされた第三の原爆に等しいものだ。

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 原爆から原水禁運動誕生まで

1942. 8.13 米軍部主導によりマンハッタン計画発足 1942. 8.13 米軍部主導によりマンハッタン計画発足
1945. 7.16 米、初の原爆実験 1945. 7.16 米、初の原爆実験
      7.25 トルーマン米大統領が日本への原爆投下命令       7.25 トルーマン米大統領が日本への原爆投下命令
      8. 6  広島に原爆投下       8. 6  広島に原爆投下
      8. 9  長崎に原爆投下       8. 9  長崎に原爆投下
      8.15 日本、無条件降伏       8.15 日本、無条件降伏
      9.21 米占領軍がプレスコード       9.21 米占領軍がプレスコード
1949. 8.29 カザフ共和国でソ連が原爆実験 1949. 8.29 カザフ共和国でソ連が原爆実験
1950. 8. 6  占領軍の禁止蹴り平和大会 1950. 8. 6  占領軍の禁止蹴り平和大会
1952.11. 1 米がマーシャル諸島で水爆実験 1952.11. 1 米がマーシャル諸島で水爆実験
1953. 8.12 ソ連が水爆実験 1953. 8.12 ソ連が水爆実験
1954. 3. 1 米のビキニ水爆実験で日本漁船第五福竜丸が被爆 1954. 3. 1 米のビキニ水爆実験で日本漁船第五福竜丸が被爆
      5. 9 東京・杉並公民館で水爆禁止署名運動杉並協議会結成       5. 9 東京・杉並公民館で水爆禁止署名運動杉並協議会結成
      9.23 第五福竜丸無線長の久保山愛吉さんが放射能症で死去       9.23 第五福竜丸無線長の久保山愛吉さんが放射能症で死去
1955. 8. 6 広島で第1回原水禁世界大会 1955. 8. 6 広島で第1回原水禁世界大会

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月刊『国際労働運動』(420号9-1)(2011/08/01)

日誌

■日誌 2011年5月

1日 闘うメーデー、全国各地で
東京 芝公園では全国労組交流センターの呼びかけでメーデー集会が開かれ、520人が参加した。集会後、東電を直撃するデモに立ち上がった
仙台 仙台市内の勾当台公園で午後2時から、「被災地発!怒りのメーデー 団結集会」がかちとられた。デモは、アーケード街を進むごとに人数が増え、200人のデモ隊が拍手で迎えられた
広島 広島連帯ユニオンや動労西日本など広島県下の6つの労働組合を中心とする実行委員会の呼びかけで「反失業・反原発 広島メーデー」がアリスガーデン前で開催された
北海道 国鉄闘争全国運動・北海道は札幌大通公園の連合メーデーで宣伝活動を展開した
長野 長野労組交流センターは連合メーデー会場の長野市・城山公園で宣伝を行った
愛知 愛知労組交流センターはJR名古屋駅前で街宣した
大阪 大阪城公園の連合メーデーでも宣伝行動が行われた。高槻・奈良・西宮・神戸・京都のメーデーに登場した。
2日東京 福島の母親ら300人が政府と交渉
「福島の子どもたちを放射能から守れ!」と参議院議員会館で「20_シーベルト撤回」を求める対政府交渉が行われ、福島のお母さんたちなど約300人が集まった
7日東京 渋谷で1万5千人の反原発デモ
渋谷で1万5千人が反原発デモに立ち上がった。午後2時、代々木公園のけやき並木で集会が始まった。デモはサウンドカーや鳴りものを先頭にひるむことなく貫徹され、「原発とめろ!」などのコールが渋谷の街にとどろいた
7日東京 富山再審闘争 全証拠の開示−再審を
品川で、無実の富山保信さんの再審無罪をかちとる会が主催する「富山さんの無実を裏付けた開示証拠/今こそ再審開始・無罪を! 富山再審集会」が行われ、53人が参加した
8日神奈川 在日・滞日外国人と共同闘争実現
横浜市鶴見で第22回外登法・入管法と民族差別を撃つ全国研究交流集会が開かれ、520人が集まった。韓国から民主労総ソウル本部とソウル京畿仁川(キョンギ・インチョン)移住労働者労働組合を迎え、日本の労働者と在日・滞日外国人労働者、難民・難民申請者との画期的共同闘争、国際連帯闘争が実現した
9日東京 「免状不実」で不当逮捕
警視庁公安部は、自動車運転免許証の更新に出向いたA同志を「免状不実記載」の容疑をデッチあげ、現行犯逮捕した。徹底弾劾する
11日大阪 高英男副委員長ら13人不当逮捕
大阪府警警備部は、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部の高英男(コヨンナム)副委員長ら13人を不当にも逮捕し、大阪市西区の組合事務所などを捜索した。徹底的に弾劾する
l4日沖縄 沖縄の怒りと結び那覇国際通りデモ
「原発なくせ! 基地なくせ! 日米安保粉砕! 辺野古新基地建設をとめよう」を掲げて、全学連の学生と全国労組交流センターの闘う労働者など350人が那覇・国際通りをデモで席巻した
14日沖縄 「復帰」39年5・14沖縄集会
那覇市民会館ホールで「復帰」39年5・14沖縄集会(実行委員会主催)が開かれ、350人の熱気あふれる集会となった
15日沖縄 5・15青年集会 青年部再建へ前進
「オキナワとヒロシマを結ぶ全国青年労働者交流集会in Okinawa」が那覇市青年会館で開催され、闘う労働組合をよみがえらせると職場で奮闘している青年労働者が全国から集まった 「オキナワとヒロシマを結ぶ全国青年労働者交流集会in Okinawa」が那覇市青年会館で開催され、闘う労働組合をよみがえらせると職場で奮闘している青年労働者が全国から集まった
15日沖縄 「平和とくらしを守る県民大会」
「復帰」39年目を迎えたこの日、宜野湾海浜公園野外劇場で「平和とくらしを守る県民大会」が3300人の結集で開催された。普天間基地即時閉鎖・辺野古新基地建設阻止へ、体制内指導部の制動をはねのけ、自治労、高教組・沖教組、全港湾を始めとする沖縄労働者2500人、本土からも800人を超える青年労働者が5・15平和行進に参加し、県民大会に合流した
15日沖縄 交流センター拡大運営委開く
那覇市内で全国労働組合交流センター第22回臨時拡大全国運営委員会が開催された
15日沖縄 5・15沖縄学生集会
全国から沖縄に結集した学生は那覇市内で「原発廃止! 基地撤去! 法大闘争勝利! 5・15学生集会in Okinawa」をかちとった 全国から沖縄に結集した学生は那覇市内で「原発廃止! 基地撤去! 法大闘争勝利! 5・15学生集会in Okinawa」をかちとった
15日沖縄 沖縄で星野闘争勝利全国交流集会
「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」は5・15沖縄闘争に決起した。那覇市内で「星野闘争勝利全国交流集会」が開かれ、首都圏、大阪、徳島、沖縄などから30人が参加した
16日沖縄 名護市内デモ
沖縄闘争3日目、早朝からの宣伝活動と辺野古現地訪問の後、250人で名護市内デモを闘いぬいた。「辺野古新基地阻止!」「基地も原発もいらない!」「震災解雇を許さないぞ! 賃下げ・首切り反対!」など元気なシュプレヒコールが響くと、市民がビルの窓から手を振った
17日東京 国労5・27臨大闘争弾圧裁判
国労5・27臨大闘争弾圧裁判の控訴審第4回公判が、東京高裁第10刑事部(村瀬均裁判長)で開かれた。弁護団が最終弁論を読み終えると、法廷は大きな拍手に包まれた
18日東京 動労千葉鉄建公団訴訟、次回で結審
動労千葉鉄建公団訴訟の第27回口頭弁論が、東京地裁民事11部で開かれた。白石哲裁判長はこの場で、首切りの張本人である葛西敬之(現JR東海会長)の証人請求を却下し、次回で結審することを宣言した。絶対に許せない
20日東京 三里塚現闘本部裁判、超反動判決
三里塚現闘本部裁判の控訴審判決が、東京高裁第15民事部(井上繁規裁判長)で行われた。裁判に先立ち三里塚反対同盟と支援は11時半に日比谷公園霞門に結集し、東京高裁の反動判決策動を弾劾し抜くデモに立った。裁判の傍聴には24人の傍聴枠に140人がつめかけた。井上裁判長は、「控訴を棄却する。仮執行処分を付する。裁判費用は全額被告が負担する」と言い捨てて法廷から逃げ去った。直ちに一団は、弁護団を先頭に執行差し止めの申し入れ行動に立った。ところが、井上裁判長は申し入れを受理するどころか面会すら拒否した。通路に職員を並ばせて弁護士以外を排除し、警察に通報した。そして、多数の警視庁公安刑事どもが、抗議する反対同盟員や支援の仲間に襲いかかり50人を逮捕した。絶対に許せない!
20日東京 日比谷野音、裁判員制度廃止へ820人
「5・20を裁判員制度廃止記念日に!全国集会 日比谷」が、日比谷野外音楽堂で開催され820人が集会・デモを闘った。主催は裁判員制度はいらない!大運動。開会直前、三里塚大量不当逮捕の報が飛び込んできた。怒りがみなぎる中、集会が始まった
21〜22日 5・23狭山 石川さんと連帯し決起
狭山事件の犯人にデッチあげられた石川一雄さんの「不当逮捕48カ年糾弾!第3次再審闘争勝利!5・23狭山闘争」が闘われた
東京 東京での狭山集会は21日、部落解放東日本共闘会議の主催で開催され、杉並区立産業商工会館に71人が参加した
大阪 関西狭山集会は22日、八尾市・桂人権コミュニティセンターで開催。部落解放同盟全国連西郡支部、八尾北医療センター労組、関西労組交流センターが主催し、180人が大結集した
広島 広島狭山集会は22日、広島市西区福島町の「いきいきプラザ」(旧西隣保館)で開催、主催した部落解放広島共闘会議の仲間35人が結集した
22日福島 郡山で現地対策本部が街宣
福島第一原発から約50`のJR郡山駅前で、現地救援対策本部が大街宣を行った。6・5大集会と、6・19怒りのフクシマ大行動への参加を熱烈に訴えた。宮城からも多数の仲間が駆けつけ、30人を超える署名隊が駅頭を席巻した
23日東京 福島の怒り 文科省を直撃
文科省は母親・父親を先頭に福島から駆けつけた人びとの怒りに包囲された。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク(子ども福島ネット)」が呼びかけた文科省行動に、福島からバス2台で70人、全体で650人以上が参加した
24日千葉 市東さん農地裁判、21人の証人を申請
5・20大弾圧から最初の裁判である市東孝雄さんの2つの農地裁判(行政訴訟と農地法裁判)が、千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)で開かれた。怒りに燃えた70人が結集し、傍聴席を埋めて闘い抜いた。
24日大阪 大阪府警による不当逮捕弾劾
大阪府警公安3課は、関西の党と労働運動に対する弾圧を強行した。一斉家宅捜索とA同志不当逮捕を断じて許さない
26日東京 6・5集会実行委開く
国鉄闘争全国運動6・5大集会の3回目の実行委員会が、都内で開催された
27日大阪 関生弾圧 労組解体狙う起訴許すな
大阪地検は、先に大阪府警警備部が不当逮捕した全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部の高英男(コヨンナム)副委員長ら13人を、不当にも起訴した。絶対に許せない!
28日東京 吉祥寺で反原発デモ
吉祥寺 反原発・反失業デモが東京・吉祥寺に大登場した。約150人で井の頭公園を出発したデモは330人にふくれあがった
29日千葉 三里塚で緊急抗議闘争
三里塚現地で5・20現闘本部裁判反動判決と50人不当逮捕に反撃する緊急現地闘争が闘われ、全国から185人が結集した
31日東京 新橋から150人が東電本店へ
「原発止めろ!新橋アクション」の呼びかけで東電本店直撃のデモが150人で打ちぬかれた
31日東京 反原発・労組つぶしが狙いの法案
菅政権が提出したコンピューター監視法案と強制執行妨害罪重罰化のための刑法改悪案が、法務委員会、本会議で相次いで採決を強行され衆院を通過した。帝国主義に対する労働者階級の怒りを結集して粉砕しよう

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月刊『国際労働運動』(420号A-1)(2011/08/01)

編集後記

■編集後記

 「福島を返せ! 田んぼを返せ、未来を返せ、人間を帰せ!」――張り裂けんばかりの怒りが政府・東京電力の原子力災害現地対策本部にたたきつけられた。
 6月19日に開催された「怒りの福島大行動」に地元福島の労働者・農民・学生を先頭にして全国から1510人が結集し、3・11大震災と福島第一原発事故以来の決定的な大闘争を打ち抜いた。
 30度を超える今年一番の日差しをつき、JR福島駅近くの「街なか広場」に全国から参加者が結集した。熱気溢れる集会をかちとり、午後3時、街なか広場を出発したデモ隊は、原子力災害現地対策本部、東北電力福島営業所に向かった。若い労働者、沿道から飛び入りする人も相次ぎ、デモ隊はふくれあがった。長蛇のデモ隊は怒りのシュプレヒコールをたたきつけた。

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