International Lavor Movement 2012/02/01(No.426 p48)

ホームページへ週刊『前進』季刊『共産主義者』月刊『コミューン』出版物案内週刊『三里塚』販売書店案内連絡先English

2012/02/01発行 No.426

定価 315円(本体価格300円+税)

第426号の目次

表紙の画像

表紙の写真 イギリスで公務員ら200万人がゼネスト( 11月30日)

■羅針盤 外注化阻止・非正規職撤廃 記事を読む
■News & Review 韓国
 イ政権揺るがす韓米FTA無効化デモ
 韓進・キムジンスク女史、クレーン降りる
記事を読む
■News & Review イラク
 米軍が11年末迄にイラクから完全撤退
 新自由主義の侵略戦争は完全に破産した
記事を読む
■News & Review 日本
 動労千葉が基地再編攻撃に指名スト
 京葉構内業務外注化の12月実施を阻止
記事を読む
■特集 中国バブル崩壊へ 革命求める労働者 記事を読む
■翻訳資料
 死をもたらす医産複合体  ――いかにして企業は生命そのものを奪うのか
 『デモクラシー・ナウ』2011年10月31日 城山 豊 訳
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
 タイ大洪水が日本資本直撃
 自動車工場など水没し決算予想もできず
記事を読む
■世界の労働組合 フランス編
 フランス労働総同盟(Confdration gnrale du travail:CGT)
記事を読む
■国際労働運動の暦 2月5日
 ■1920年八幡製鉄争議■
 溶鉱炉の火を止めた
 1万5千人の労働者が生産を止め資本と国家に階級的力つきつける
記事を読む
■日誌 2011 11月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 ドイツで核廃棄物輸送車両を阻止(11月 ゴアレーベン)

月刊『国際労働運動』(426号1-1)(2012/02/01)

羅針盤

■羅針盤 外注化阻止・非正規職撤廃

▼全産別・全職場で外注化阻止・非正規職撤廃を闘おう。東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会に対する大量解雇=労働組合破壊は、非正規職撤廃をめぐる最先端の攻防だ。鈴木コンクリート工業の社長は、鈴コンで働く労働者に「会社が嫌で文句があるなら辞めたら」と言い放った。これは全労働者に向けられたものであり、多くの労働者や学生が浴びせられてきた言葉だ。いったい誰のおかげで社長は飯を食っているのだ。労働者が汗水たらして日々働いているからではないか。
▼ギリシャでは労働者がゼネストを闘い、交通機関、官公庁、病院、学校、工場などすべてを止めている。99%以上を構成する労働者、農民、漁民こそが社会を動かしているのだ。1%にも満たない資本家など、労働者から搾取・収奪して金もうけしている寄生虫ではないか。大王製紙の前会長はカジノに100
億円もつぎこみ失った。これが資本家の正体だ。資本家どもは労働者から搾取して何百億円、
何千億円もの富を築き、非正規職の青年労働者は100円ショ
ップのカップめんで命をつないでいる。解雇されたら生きていけない。解雇は殺人なのだ!
▼生産の担い手であり社会を動かしている労働者が賃金奴隷にされ、資本家から「嫌なら辞めたら」と言われて誇りを奪われる。ここに「命よりも金もうけ」という資本主義の根本矛盾がある。ここに資本主義を打倒する労働者の怒りがある。社会を動かしている労働者こそ、この転倒した資本主義社会を根本から打倒し、労働者が主人公の新しい社会をつくることができるのだ。鈴コン労働者とともに、資本家どもに激しい怒りを爆発させ、やつらを支配の座から引きずり下ろそうではないか。

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号2-1)(2012/02/01)

News&Reviw

■News & Review 韓国

イ政権揺るがす韓米FTA無効化デモ

韓進・キムジンスク女史、クレーン降りる

(写真 韓米FTA無効化を訴え鍾路1街から光化門方向の道路上で汎国民集会を開いた【2011年12月3日 ソウル】)

 □韓米FTA批准強行に怒りの闘い

 11月22日、韓米FTA批准案がハンナラ党単独で国会を強行通過した。これに怒る労働者市民の都心デモが警察の「水大砲」攻撃をはねのけて連日爆発している。
 22日から26日までの連日の都心デモはFTAを絶対に阻止するという圧倒的多数の労働者市民の意志を示して、李明博(イミョンバク)政権を恐怖に陥れた。民主労総は闘争指針を出し、11月24日には拡大幹部ストライキを配置して、この一連の闘争に全力投入することとした。
 11月30日には李明博政府を揶揄することを専門にしていて、当局から脅迫を受けている「ナコムス」というインターネットメディア主催のコンサートがヨイドで開催され5万人を超える参加者を集めて成功した。
 12月3日夕には、韓米FTA批准無効化を訴える大規模汎国民大会が1万人を結集してソウルの光化(クァンファ)門から鍾路(チョンノ)1街にかけての道路を封鎖して開かれた。この日の韓米FTA無効化のための集会は午後3時にソウル駅広場で民衆運動陣営の「民衆の力」が韓米FTA批准無効全国民衆大会を開催し、光化門で予定される韓米FTA批准無効汎国民ローソク大会に参加するために街頭行進を行ったが、警察が光化門広場一体を警察バスの壁で囲んで封鎖した。警察の封鎖で光化門広場に入れない民衆大会参加者たちは教保(キョポ)文庫付近の鍾路1街道路にあふれた。そしてここで個別に集会に参加するために来た数多くの労働者市民と合流した。警察の阻止を押しのけて普信閣前まで行進して汎国民大会の空間を確保した。こうして集会をかちとった。
 民主労総は12月8日に2次拡大幹部ストライキを行い、全国11カ所で「韓米FTAかっぱらい無効、李明博退陣」決意大会を開いた。12月10日にはFTA批准無効汎国民大会が再び大規模で開催された。
 李明博政権・ハンナラ党は鎮まることのない労働者市民の怒りの決起に大打撃を受けて狼狽しながらも「2008年のローソクデモの水準までは至らないだろう」とうそぶいている。しかし、10月26日のソウル市長補欠選挙日に選管委員会のホームページにサイバー攻撃をかけて、投票場所の情報などを閲覧できないようにしたのが、ハンナラ党の議員秘書だったことが判明して大問題になっていることも重なって、窮地に追い込まれている。
 韓米FTA無効化の闘いの勝利は労働者人民のすべての闘いの展望を切り開くものになるだろう。

 □309日の高空籠城で勝利の展望を開く

 11月10日、韓進(ハンジン)重工業85号クレーンで309日間の高空籠城を続けた民主労総釜山(プサン)本部キムジンスク指導委員が生きてクレーンから降りた。
 キムジンスク女史はこの日のために訓練を欠かさなかった二本の足でゆっくりゆっくり踏みしめながら鉄階段を降りてきた。下で出迎えた同志たちに向かって発した言葉は以下のとおりだ。
 「皆さん、ご苦労様でした。ジュイク氏もこのように歩いて降りていたらどんなに良かったでしょうか。309日の間、一時も忘れられない名前がキムジュイク、クァクジェギュです。多くの人たちが309日をどう耐えたのか聞きたいと言います。85号クレーンであったことを知っている人ならその事件をどうして忘れてしまうことができるでしょうか。今、解雇者・非解雇者の区分がなくなりました。100%満足はしませんが、私や皆さんすべてが、これまで最善を尽くしてきました。今日これから先は同志たちの心のやましさ、闘争中にあった互いの心の澱(おり)を洗い流していきましょう。皆さん、今日から新たな始まりであり、出発です。笑顔で最後までトゥジェン!!」
 韓進重工業ヨンド造船所でのこの10年以上にわたる解雇撤回闘争の悲痛な歴史をなんとしても乗り越えるために命を投げ出して解雇撤回をかちとろうとしたキムジンスク女史の思いが凝縮している言葉だ。勝利をかちとり、生きて自分の足で降りてくることができた。しかし「100%満足」できる勝利ではないし、闘争過程で解雇者・非解雇者一体の闘争として闘いきれずさまざまなわだかまりもあったことも事実だ。この勝利を起点に「新たな始まり」を開始する必要があるし、それに勝利していく展望はしっかりとかちとられた。
 妥結内容は「1年後に復職」と相互の刑事上の告訴告発の取り下げだ。
 双竜自動者解雇撤回闘争ではこの約束が反故にされ、困難な闘争が続いている。前途に悲観した組合員の自殺が相次いで起こっている。妥結内容を実現するには強固な闘争が待っているが、それに勝ちきる力は十分にある。
 今回の勝利は全国の多くの現場の整理解雇、非正規闘争に大きな激励を与え、今後の闘争の勝利を切り開く展望と力を与えることは間違いない。
(写真 韓進重工業の85号クレーンから笑顔で降りるキムジンスク女史【11月10日 釜山】)

 □「希望バス」運動が勝利の動力に

 韓進重工業ヨンド造船所の解雇撤回闘争で今回の勝利をもたらした動力として、「希望バス」運動の力はやはり決定的だった。この運動の実践過程で「キムジンスクの闘い」が、本当にすべての労働者人民の闘いになった。新自由主義攻撃の中での解雇攻撃、非正規問題がすべての労働者に重くのしかかり、もう黙っていられない問題なっている時に「キムジンスクを救おう」という求心軸をもってその怒りが爆発したのだ。しかも悲壮な闘いではなく、労働者階級の連帯闘争は労働者の自己解放として楽しくやろう、古めかしい枠を乗り越えて共同闘争形態に様々な創造的な労働者文化を持ち込もうという主張と実践のもとで。
 キムジンスクと「希望バス」運動を主導したといわれる、ソンギョンドン詩人は代表的な「1980年代型」のオールド・レフト、つまり正統的左派労働活動家だ。階級の利害関係が体と心に染み付いた活動家だ。この2人が全階層の、あらゆる世代の新しい形の闘いをつくり出したのだ。
 韓進重工業の解雇は不正義だという圧倒的な世論を形成し、李明博政権・ハンナラ党をグラグラに揺すぶった。野党・民主党も国会で韓進重工業の解雇問題について解決の努力を口にせざるを得なかった。
 「希望バス」の実践は、部門と地域を越えて、全社会的な連帯文化をつくり出すことが可能だということを示した。そして全社会に蔓延している企業の構造調整の核心である整理解雇と非正規職化問題を全社会の表面に押し上げた。この問題が全労働者階級の問題であることをはっきり確認させる契機を与えた。
 闘争解除後のキムジンスク女史の逮捕は実力で阻止されたが、「希望バス」運動を主導したソンギョンドン詩人は逮捕・拘束された。しかし、「希望バス」運動は全国の闘争事業場とともに闘う運動体として、止まるところなく活動を展開していくとしている。
(写真 病院で談笑しているキムジンスク女史とソンギョンドン詩人)

 □「統合進歩党」発足には左派の批判も

 12月5日、民主労働党、統合連帯、国民参与党が、45人の受任委員が参加して受任機関合同会議を開き、統合進歩新党の党名と党憲、綱領などを決定した。これによって「統合進歩党(略称、進歩党)」が正式に発足した。(「統合連帯」は進歩新党の統合論議過程で統合推進派が分離したもの。国民参与党は元ヨルリンウリ党でいわゆる盧武鉉(ノムヒョン)党の部分)
 進歩党はイジョンヒ(民主労働党出身)、ユシミン(国民参与党出身)、シムサンジョン(統合連帯出身)の3人の共同代表制で運営され、カンギガプ民主労働党議員が院内代表を、イウヨプ民主労働党政策委議長とノハンネ国民参与党政策委議長とシンオンジク前進歩新党ソウル市本部委員長が共同政策委議長を、チャンウォンソプ民主労働党事務総長が事務総長を務める。広域市別創党大会を経て来年1月15日に中央創党大会を開き統合手続きを最終的に終える予定。
 今年の1月から始まった進歩政党統合交渉の末に、この形の「統合進歩党」の発足となった。統合交渉の中で、一時は民主労働党と進歩新党の合党という線で決まったが、民主労働党が根強く国民参与党との合党を追求し、その過程で進歩新党が分裂し、進歩新党には「独自派」が残った。
 統合進歩党は12月13日から新しい政党の名前で国会議員の予備候補登録を受け付けるなど総選挙体制に突入するという。一方の民主党と「革新と統合」が主導する統合政党とは選挙連帯に積極的に乗り出すとされる。先月のある世論調査では統合進歩政党の支持率が14・7%となったという。
 左派は盧武鉉時代に新自由主義政策をとことん推し進めた反労働者的新自由主義者が何の反省もなく進歩政党の一員として一緒になることなど許せない、「チョンテイルと盧武鉉の出会いはあり得ない」「右傾化の極致」を示すもの「議席確保だけを目的としたもの」と批判している。新しく発足した統合進歩党に対する民主労総の「排他的支持」をめぐっても左派は絶対に阻止するという構えであり、民主労総内での論争が起こることは必至だ。
 2012年は、総選挙、大統領選挙で、まさに政治の年になる。その中で、労働運動の課題をしっかりと闘いとって、真の労働者階級の政治勢力化をかちとっていくことが求められる。
 (大森民雄)
(写真 「統合進歩党」の3人の共同代表)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号2-2)(2012/02/01)

News&Reviw

■News & Review イラク

米軍が11年末迄にイラクから完全撤退

新自由主義の侵略戦争は完全に破産した

 □米軍はたたき出された

 米帝オバマは10月21日、イラク駐留米軍を年内に完全撤退させると発表した。
 米軍は、イラク石油労働者を始めとするイラク労働者階級人民のデモ、ストライキ、そして全人民の反米武装闘争によって無残にもたたき出されたのだ。
 駐留米軍は12月2日、バグダッド郊外にある最大の基地で、司令部が置かれていた「キャンプ・ビクトリー」をイラク側に返還したと発表した。広大な同基地には、最大時に米兵4万2000人が駐留、6万5000人の民間軍事請負会社の契約スタッフなどが働いていた。イラクには最も多い時で505の米軍基地があった。
 米軍が完全撤退に踏み切るに至ったのは、イラク残留の条件として米兵の免責特権の維持を要求したのに対して、イラク側が頑として免責特権を拒否したからだ。
 03年のイラク侵略戦争開戦後、これまでに米軍は440
0人を超える死者を出した。負傷者は数十万人もあり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やTBI(外傷性脳損傷)などが多い。陸軍はイラク・アフガニスタンの両戦争で完全に疲弊し、軍解体というべきような状態に陥った。
 イラク側の民間人も含めた死者数は、アメリカのジャスト・フォーリン・ポリシーというNGO(非政府組織)が09年1月までで133万9771人と推計している。
 アブグレイブ刑務所に象徴される、米軍によるイラク人民に対する残虐行為・虐待が行われた。米軍の無差別の家宅捜索が人民を苦しめた。深夜、早朝に米軍兵士は民家に押し入り、女は顔を隠され、男は頭部に袋をかぶせされ軍用トラックに乗せられて刑務所や収容所に送られた。占領開始から3年で推定6万1500人が逮捕・拘束され、07年春には約1万90
00人が拘束されていた。
 米議会調査部(CRS)によると、過去10年間に米国防省がイラクにおける軍事活動に費やした費用は約7570億jに上った。
 大規模戦闘となったファルージャなどでは今、障害を持った新生児が増えており、米軍が無差別爆撃で使った劣化ウラン弾の被曝が疑われているが、米軍は開き直っている。今なおイラクは侵略戦争禍に苦しんでいる。

 □イラク戦争とは何であったのか

 01年9月11日、巨大な反米武装闘争が米帝中枢を直撃した。米帝の中東支配、ムスリム人民に対する過酷な支配に対するムスリム人民の決起だった。
 米帝ブッシュは、「対テロ戦争」を宣言し、アフガニスタン侵略戦争に突入した。
 次にブッシュは、イラクのフセインが「大量破壊兵器を隠し持っている」とデッチあげて03年3月、イラク侵略戦争に突進した。しかしイラクには大量破壊兵器などなかった。ブッシュ政権中枢の全世界を巻き込んだ詐欺行為に基づく侵略戦争だった。
 イラク侵略戦争とは最末期帝国主義の絶望的延命をかけた新自由主義の戦争だった。新自由主義による民営化攻撃が行き着いた社会的腐敗の極致として、軍隊と戦争までが民営化され、営利目的になり「戦争ビジネス」が誕生し、恐慌下・大不況下での金融資本と軍事産業の莫大な金儲けの手段になっていた。戦争それ自身がビジネス、営利事業となったのだ。
 帝国主義者が侵略戦争に動員する時に使う、「国のため」「国民のため」という美辞麗句がはぎ取られ、戦争は「企業の金儲けのため」ということが恥ずかしげもなく国家(政府)によって公言されるに至ったのだ。つまり金のために公然と他国に押し入り、国土を破壊し、人殺しをやるということだ。これでは自分が強盗であることを宣言するに等しい。これでは戦争に正義も大義も人道もないことを自認するものである。兵士は何のために戦争をするのか、人を殺すのか。兵士の前にいるのはイラクの労働者人民なのだ。労働者の兄弟なのだ。納得できるわけがない。だから数十万人の兵士がPTSDに苦しんでいる。こんな戦争が長続きするわけがないのだ。米陸軍は疲弊の極に達して半ば崩壊したのだ。これがイラク侵略戦争だった。
 ブッシュはイラクに「民主主義を打ち立てる」と言った。その意味は、これまでのフセイン支配体制を転覆してまっさらな状態をつくり出し、そこに米帝ブルジョアジーにとって都合の良い統治形態を生み出すことであった。
 イラクを広大な米軍の軍事基地が点在する中に、民営化・規制緩和がされ市場原理主義が隅々まで行き渡る経済モデル国家にしようとする身勝手な構想を描いていたのだ。こんなものはイラク人民の怒りによってたたきつぶされ、無残な敗北に終わったのだ。

 □ラムズフェルドの戦争の民営化

 イラク侵略戦争は戦争民営化の実験場であった。
 イラク侵略戦争に投入された兵力は1991年のイラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)が66万人であったのに対して、26万3000人だった。うち米軍は21万4000人(地上部隊である米陸軍と米海兵隊が約10万人、これに海空軍と兵站含め)、他にイギリス軍4万5000人などが加わった。極小化した兵力の派遣を行ったのだ。
 米軍部は、イラク開戦にあたって50〜60万人の兵力が必要だと進言していた。国防長官のラムズフェルドがこれを強引に抑え込んで21万人強という兵力数にした。ここにはイラク侵略戦争を戦争の民営化の実験場にしようとするラムズフェルドなどの新自由主義攻撃があった。
 80年代から90年代にかけてアメリカでは新自由主義攻撃が全面化し、民営化・労組破壊攻撃が進んだ。水道、電気、高速道路、ゴミ収集など大規模な公営事業はあらかた民営化されていた。刑務所も早くから民営化されていた。
 残された公営事業と言えば軍、警察、消防、国境警備、秘密情報、疾病対策、公教育、政府機関の統括などがあったが、これらの民営化は国家統治の根幹に関わる問題だった。
 民間の利益のために軍の民営化、戦争の民営化を実行しようとしたのが国防長官に就任し、軍の最高責任者となったラムズフェルドだった。
 アメリカでは公営企業の民営化と並んで90年代、民間企業で外注化が進んだ。
 80年代、日帝の対米輸出ラッシュは「集中豪雨」とまで呼ばれた。米帝はこれを「日本株式会社の挑戦」と呼び、これに対抗するためこれまでの企業のあり方を反革命的に転換し、外注化、請負化、非正規職化を推進した。
 一つは、ナイキ方式で自社工場を持たず、商品の生産は請負業者やその下請け業者の複雑なネットワークに委託した。もうひとつはマイクロソフト方式で、企業の「中核能力」を担う従業員株主による中央管理部門だけを維持し、その他の仕事すべてを派遣社員に任せた。いずれも企業が工場と正規労働者を「負担」として切り捨てこれを構造改革と称した。
 ラムズフェルドは戦争の民営化にこれを適用した。戦争と軍業務の外注化を促進しようとしていた。企業が工場と正規労働者という負担を切り捨てたように、軍は少数の中核スタッフを残して大規模な正規軍を縮小し、非正規職にあたる予備役や州兵を動員する。さらに基地建設や軍需輸送、運転業務、さらには拘束者の尋問、医療保険などの多くの軍の業務をブラックウォーターやハリバートンといった民間戦争請負企業と契約し任せる。数十万人の兵力が節約でき、民間戦争会社に莫大な企業利益を与えることができるというわけだ。

 □米帝のイラク統治

 5月1日、米帝ブッシュは『戦闘終結宣言』を発した。イラクは、国連安保理決議1483に基づいて連合国暫定当局(CPA)の統治下に入ることになった。つまり米帝のイラク占領統治が国連によって合法化された。
 米帝のイラク占領統治が始まると、復興政策が米ブルジョアジーの戦争ビジネスの対象となり、戦争請負会社の事業となった。イラク人は完全に排除されていた。
 ポール・ブレマーがCPA代表に就任すると、直ちに元バース党員すべてを公職追放した。50万人の兵士を始めとして官公庁職員・警察官・消防士などの国家公務員を解雇した。医師、教師、技術者も解雇された。公共部門をズタズタに切り裂いた。
 「解雇された兵士がそのまま武器を持っている。だから武装したイラク人が数十万いることになる」。解雇された50万人の兵士は生きるために反米武装闘争に決起した。職を奪われた多くの労働者がそれに続いた。
 ブレマーは次に「イラク経済復興のためには、非効率的な国営企業を民間の手に渡すことが不可欠」として、国営企業を直ちに民営化すると発表した。侵攻前のイラクは国営石油会社および200社に上る国営企業によって支えられていた。イラクの公的部門は他国に比べても大きく、石油・港湾・運輸・電力産業、さらにセメントから食用油、主要な食糧と原材料が国営企業で生産されていた。イラク労働者の75%が公的部門で働いていた。その中でも中心となるのがイラクのGNPの70%(政府収入の95%)を占める石油部門であった。
 イラク国営石油会社の民営化に対しては、石油労働組合が民営化は労組破壊であると激しく反対し阻止した。CPAは、イラク国営石油会社の利益から200億jを差し押さえた。「イラク開発資金」の名目で、自由裁量で使うことにした。
 次に着手したのが新経済法の制定だった。アメリカ(外国)企業をイラク新市場に誘い、新工場や小売店を建設させるために45%の法人税を15%に引き下げた。アメリカ(外国)企業のイラク資産1
00%保有を承認した。投資家はイラクであげた利益を100%無税で国外に持ち出せるし、イラク国内への再投資の義務もなかった。投資家は40年の長期リースや契約も可能で、しかもその後も更新可能というものだった。
 復興予算は、米予算から380億j、諸外国から150億j、イラク石油から200億j、総額730億jの巨額に上った。

 □完全に破産した復興

 ところがイラクの工場を再開し、経済の基盤をつくり、雇用を創出し、社会保障費を確保できるように復興資金がイラクの工場に投じられることはなかった。イラク国民は計画の蚊帳の外に置かれていた。イラク人に金を渡す代わりに米政府はヴァージニア州やテキサス州の民間企業にイラク復興の施設などを発注し、あとは現地で組み立てるだけだった。その取付作業からもイラク人を雇用しなかった。契約を受注したハリバートンなどはわざわざ周辺諸国(クウェート、バーレーンなど)の労働者を雇った。
 ブレマー発令の法律を実施する経済政策も、運営したのも民間の会計監査法人だった。大手国際監査法人KPMGの子会社ベリングポイントは2億4000万jでイラク「市場主導型システム」を受注した。
 民間軍事請負企業はイラクの軍や警察の訓練を委託された。警察の訓練を請け負ったのはダインコープ社だった。短い訓練期間に質の悪い指導が組み合わされ、新しい警察にシーア派民兵が隅々まで入り込んだ。彼らは宗派間対立に制服を悪用した。
 イラク各地の米軍基地の建設と運営を一手に受注したのがハリバートンだった。同社は基地内の道路の維持管理から害虫駆除、映画館やディスコ・ナイトの実施まであらゆることを運営した。ミニ・ハリバートン・シティが出現した。イラクでのハリバートンの総受注額は約200億jとされる。
 アメリカの請負業者を監視するのもアメリカの請負業者。イラクに民主主義を根付かせる任務もアメリカの請負業者に外注化された。復興資金はすべてアメリカの企業に流れた。米軍のイラク戦費の多くが民間戦争請負業者に流れた。
 イラクの国営企業は、慢性的な電力不足で稼働停止していた。最大手の企業でさえ下請け、孫請けの仕事にありつけない状況だった。非常用発電機さえ入手できなかった。7カ所の国営セメント工場も同じだった。
 何十億jという金が費やされたが、膨大な仕事の大部分は手つかずのままだ。米企業バーソンズは142カ所の病院の建設を1億8600万jで受注したが、完成したのはわずか6カ所だけだった。主要な復興事業の契約が完了する06年12月の時点で、米監査官事務所はイラクで米企業が関連した87件の詐欺容疑の捜査を進めていた。
 何十億jを請負業者に配分し終わるとCPAは跡形もなく消滅してしまった。そしてアメリカの請負企業は取るだけの金をとってイラクから撤退してしまった。
 「何が復興だ。今だって未処理の水を飲んでいるよ。浄水場は何十年前に建てられたのにほっておかれている。電気だって一日2時間しかつかない。おまけにガスもこない。森から拾ってきた薪で煮炊きしている」。イラク労働者の怒りの声だ。
 03年夏の間はグリーンゾーンのゲートの外では連日抗議デモが行われた。新たに創刊された数百の新聞は、ブレマーや経済政策の批判で埋めつくされていた。
 貿易の自由化・無制限の輸入と外国企業がイラク資産を100%保有することを認めたことが実業家の怒りを買った。外国資本がイラクの工場を二束三文で買い上げることに激怒していた。
 国営企業の民営化とは、アメリカの民間企業に売りつけるために、労組を破壊し労働者の3分の2を解雇することだと分かった。労働組合は民営化反対に立ち上がった。
 イラクの人口は2600〜2700万人、労働力人口は700〜800万人と言われる。全人口に占める労働力人口の割合が27〜29%と30%を切っている。これはイラン・イラク戦争、フセインの独裁と労働者流出、米英・国連の経済制裁、そして今回のイラク戦争・占領の結果だ。
 イラク労働省の公式統計では失業率は28・1%。実質は50%、あるいは70%と言われている。350万人〜560万人という失業者の大群が生み出されている。またイラク戦争や戦闘終了宣言の後も、イラク国民の約7割が貧困に苦しんでおり、多くの人が手持ちの財産を処分したり、子どもを働かせたりして何とか家計を支えているとの報告もある。
 米帝のイラク侵略戦争は新自由主義の戦争であり、イラク人民から、仕事と生活に必要な水・電気・ガス、食糧・生活物資のすべてを奪った。そして命をも奪った。
 イラク労働者人民は命懸けの武装解放闘争に決起してついに米帝をたたき出した。新自由主義を根底から打ち破った。中東に独裁政権打倒、米帝打倒の革命的なうねりをつくりだした。

 □石油労働者の闘い

 そして米帝の最大の狙いである国営イラク石油会社の民営化による石油資源の簒奪に対して、民営化阻止を掲げてストライキで闘い勝利したのがイラク石油労働組合であった。イラク労働運動が米帝の侵略戦争を根幹で粉砕し、イラク革命の主役として登場したのだ(本誌08年7月号/イラク特集参照)。
 イラクの石油労働者の労働組合は1950年代の戦闘的伝統を持った組合であったが、1987年にサダム・フセインの労働運動弾圧政策の下で禁止された。指導者のハッサン・デュマを始め抵抗闘争を行い、投獄されたり、亡命したりしながら闘い抜いてきた。フセイン体制が打倒され、指導部が出獄し、帰国し労働運動を再建し活動を開始した。
 4月20日には南部労働組合を結成している。最初は賃金未払いとの闘いに始まり、占領下の生産管理闘争に進んだ。
 米英軍は油田に大量の軍隊を配置しながら油田を放置し荒れるのに任せた。国有イラク石油掘削会社を破産させ米英の会社が乗っ取ろうとしたのだ。石油労働者はこの企みを見抜き、生産管理闘争で対抗して勝利した。
 石油精製部門でも自主管理闘争を通じて職場の支配権を握った。8月には賃上げ闘争を開始した。3日間のストライキで南部地域の石油生産をストップさせ、北部・中部の石油生産と輸送が武装勢力のゲリラ戦争でストップさせられたのと連携する形で、ブレマーに大打撃を与えた。不屈の闘いで04年1月にブレマーを屈服させ賃上げをかちとった。
 ブレマーは04年9月以降、石油産業の民営化を打ち出してきた。これはイラク石油の開発・生産・販売からあがる利益のほとんどを外国資本に譲り渡す内容を含んでいた。そして国有企業の民営化は労働運動破壊の攻撃であった。石油産業民営化と石油法案に反対する闘争は05年から開始された。06年には全石油労働組合を全国組織として拡大する闘いに挑戦し、2万6000人にまでなった。
 石油労働者は米傀儡のマリキ政権(06年5月に発足したイラク正式政府の首相)との闘いに突入した。マリキの戦車、戦闘機を繰り出した恫喝をはねのけて石油労働者は大ストライキで反撃し07年6月、民営化と石油法案を粉砕した。イラク石油労働者の闘いがイラク階級闘争を根底で支えているのだ。
 またイラク石油労働組合は帝国主義の侵略戦争や占領支配と闘い勝利するためには、侵略戦争を仕掛けている帝国主義諸国の労働者との国際連帯が重要だということを自覚している。アメリカのILWU(国際港湾倉庫労働組合)ローカル10とも交流している。
 米帝は新自由主義の実践としてのイラク侵略戦争に完全敗北した。その狙いは民営化・労組破壊であり、石油を始めとしてイラクからあらゆるものを強奪しようとするものだった。それは自滅し破産した。
 それは石油労働組合の闘いを中軸とする労働運動の力で粉砕されたのだ。イラク労働者階級人民のストライキ・デモが米帝を圧倒し、さらに武装解放闘争で米帝は打倒された。米帝の中東支配の暗雲が解き放たれた。
 そして大恐慌と戦争と大失業、新自由主義による民営化・労組破壊・非正規職化によってアフリカ・中東に膨大な労働者が生まれ帝国主義打倒の主役に躍り出た。チュニジア蜂起、エジプト革命はイラク労働者人民の米帝による侵略戦争粉砕の闘いと一体のものである。労働者階級はひとつであり、大恐慌をプロレタリア世界革命に転化するために闘う時だ。階級的労働運動路線の下に前進しよう。
 (宇和島 洋)
(写真 占領下のイラクでイスラエルによるパレスチナのガザ大虐殺に抗議する集会を行うイラク石油労働者ら【2009年1月15日】)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号2-3)(2012/02/01)

News&Reviw

■News & Review 日本

動労千葉が基地再編攻撃に指名スト

京葉構内業務外注化の12月実施を阻止

 □線見訓練を拒否

 動労千葉は2011年11月5日から、佐倉運輸区・銚子運輸区新設、ローカル線切り捨てに反対し、本人希望を無視した配転のための線見・ハンドル訓練を拒否する指名ストライキを決行している。まず、銚子支部の対象者から突入し、12月20日から千葉運転区支部の組合員も指名ストに突入している。
 この攻撃は、動労千葉の団結破壊を狙ったものであり、同時に「国鉄分割・民営化25年」(12年4月)に向けたJRの大再編攻撃の一環だ。JR東日本千葉支社管内だけでも数百人の規模で運転士・車掌を配転する。JR千葉支社は、新設する運輸区の要員や行路数も明らかにせず、ましてや誰をどこに配転するかも明らかにしないまま、線見訓練を強制してきたのだ。
 線見訓練は、運転士が新たな行路を運転するために、実際の行路を指導役の運転士が乗務し(訓練対象者は添乗)、次に訓練対象者がハンドルを握って乗務する。最低でも往復5回、ハンドルを握って乗務する必要がある。
 JR東日本千葉支社が11年6月に提案した運転基地再編計画は、銚子運転区、成田車掌区を廃止し、銚子と佐倉に運転士と車掌を一緒にした新たな運転職場(運輸区)をつくるというものだ。新しい銚子運輸区は運転士と車掌を合わせて100人程度、佐倉運輸区は250人程度とされており、JR体制の大再編、JR総連・東労組の切り捨ても絡んだ国鉄分割・民営化以来、最大級の運転基地再編だ。これはまた、ローカル線切り捨ての攻撃でもある。
 JR千葉支社は、佐倉運輸区・銚子運輸区について、5月に開設すると提案してきた。
 今回、訓練指定された動労千葉組合員は、いずれも転勤をまったく希望していない。千葉支社は希望調査すらせず、佐倉・成田地域から1時間程度を通勤範囲とし、勝手に訓練対象者を指定してきた。動労千葉は「異動は本人希望に基づき行う」という組合要求貫徹に向け、断固として闘いに突入したのだ。
 11月5日の労働者国際連帯集会で、ストに突入した銚子支部の小倉明副支部長は「長期の闘いになるが支部の団結で当局を倒していきたい」と語った。千葉運転区支部の大野茂支部長も「千葉運転区支部でも12月から線見訓練が入る。指名ストで徹底的に闘いぬく」と決意表明した。
 銚子支部は11月に12人、12月に17人、千葉転支部は12月に8人がストを貫徹した。

 □検修・構内業務の全面外注化阻止へ闘う

 動労千葉は11月11日、「基地再編攻撃粉砕! 京葉構内外注化阻止! 組織拡大!」をスローガンに総決起集会をDC会館で開催した。
 田中康宏委員長は「現在、運転基地再編攻撃との攻防のただ中にある。当局は、移行のスケジュールも要員数も明らかにしないまま、とにかく線見訓練だけを強行している。こんなことは前代未聞だ。数百人にも及ぶ異動を組織破壊攻撃に使いきろうとしているからだ」と当局の狙いを徹底的に断罪した。
 さらに京葉車両センターでの構内業務外注化についても「10月1日実施を止め、11月1日実施も止めた。ジワジワと会社を追い詰めている。千葉支社は計画を縮小して『12月1日実施は無理だが年内にも実施したい』と言っている。核心は来春の検修業務全面外注化にある。だからなんとしても外注化の実績をつくりたいのだ。京葉車両センターでの外注化を絶対阻止し、攻めて攻めて来年4月の決戦に持ち込もう」と述べた。
 実際に、動労千葉は12月1日実施を阻止した。JR当局が正式に提案した合理化案が2カ月以上も実施できなかったことは前例がない。これは、動労千葉の総力を挙げた闘いの成果だ。現職組合員と、外注会社の千葉鉄道サービスで働くエルダー組合員(定年後の再雇用者)が一致団結して展開した「外注業務を請けないでくれ」「青年たちの未来を奪ってはならない」という職場オルグによって、外注会社で構内運転業務の要員が集まらないという状況をつくりだした。また、ストライキや非協力闘争と組織拡大の闘い、そして偽装請負を徹底的に追及して闘ったことによってJR当局を徹底的に追い詰めてきた。こうした中で、青年労働者の反対の声が次々と上がり、東労組千葉地本との団交も決裂している状況だ。
 この間、動労千葉・動労総連合は、JR東日本がこれまで行ってきた検修・構内業務の一部外注化に関して偽装請負の実態があることから、厚生労働大臣あての「偽装請負に関する申告」を行ってきた。動労千葉に続いて、動労水戸、動労連帯高崎も申告を行った。これを受けて、茨城、埼玉の各労働局がJRの職場に直接調査に入るという状況も切り開いている。
 動労千葉は、こうした勝利的地平の上に立って、9月に提訴していた「京葉車両センター構内業務外注化差し止め仮処分」をいったん取り下げることを決めた。
 こうして、2012年4月にも強行されようとしている検修・構内業務の全面外注化阻止へ闘う決戦態勢を打ち固めているのである。
 また、JR西日本米子支社後藤総合車両所で働く国労組合員が、JR西日本が行っている下請け会社への業務委託―外注化が違法行為(偽装請負)であることを厚生労働省鳥取労働局に申告・告発する闘いに決起している。
 動労千葉―国鉄労働者の闘いは、全産別にわたる外注化・民営化・非正規職化攻撃を打ち砕く切っ先となっている。労働組合の復権をかけて、2012年を闘い抜こう。    (大沢 康)
(写真 「基地再編攻撃粉砕! 京葉構内外注化阻止! 組織拡大!」を掲げた動労千葉の総決起集会【11年11月11日  DC会館】)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号3-1)(2012/02/01)

(写真 2011年11月29日から、上海のシンガポール系家電工場で工場移転による解雇と対決しストに決起した労働者たち)

特集

■特集 中国バブル崩壊へ 革命求める労働者

 はじめに

 大恐慌の深まりによる帝国主義間・大国間の争闘戦の強まりは、中国スターリン主義から、経済成長と政治的軍事的安定の条件を奪いつつある。米帝は対中国対峙・対決に踏み切り、TPP(環太平洋経済連携協定)による包囲と中国の「接近阻止戦略」の破壊に踏み出している。
 中国スターリン主義は対抗的に軍事力と外交を強めているが、国内の社会建設の矛盾の深まりの中で、労働者人民は階級的団結を奪還して闘いを爆発させている。
 第1章は大恐慌の深まりが中国スターリン主義の崩壊を促進していることを、不動産バブルの崩壊、インフレなどの状況を中心に述べる。
 第2章は中国スターリン主義の軍事外交的強化の対抗性を突き出し、国際階級闘争に対する反革命性を暴く。
 第3章は、新自由主義攻撃の中で、労働者階級の階級的団結を固める闘いが体制打倒へ発展していることを描く。

■第1章

 不動産バブルが急崩壊――バブル経済の破綻が寸前に

 世界大恐慌は中国経済の成長構造の崩壊引き出す

 世界大恐慌の中で、米帝は莫大な財政赤字と大量の失業者を抱えている。ドル崩壊が迫り、基軸国として没落しつつある。EUは国債危機が深まり、ユーロの存在さえ揺らいでいる。日帝も東日本大震災と福島原発事故を受けて脱落の危機を抱え込んだ。「中国頼み」の声が叫ばれているが、中国や新興国の経済も大恐慌による経済の収縮の波及で変調をきたし、世界経済の危機を救う力などない。
 中国経済はこれまで新自由主義の下でのバブル経済を支える「世界の工場」として発展することで帝国主義の延命を助け、同時にそれを条件として中国自身の経済成長を成し遂げてきた。
 だが、世界大恐慌の中で、中国経済はこれまでの成長構造が成り立たない状態に入りつつある。中国経済は投資と輸出を二本柱として経済成長を遂げてきたが、その構造が失われる過程に入ったのだ。消費の「伸び」でそれを埋めることは、労働者農民を収奪することで成り立っているスターリン主義体制の下では不可能だ。世界経済の中で1割を占める大きさを持った中国経済の成長の衰退は、世界経済の収縮に巨大な影響を与え、それがまた中国の経済に跳ね返ってくる悪循環の中に入ろうとしている。
 何よりも、大恐慌の深化の中で帝国主義各国は経済のブロック化、軍事同盟など自国延命のための死活的な行動に踏み切っている。とりわけ米帝は、中国に自国の経済の生死を制せられる状態、さらにはアジアを中国が押さえるばかりでなく経済的にも軍事的にも米国の影響力を殺ぐ事態になろうとしていることに没落の具体的危機を見て、これを転覆する対中対峙・対決に踏み切り、TPP(環太平洋経済連携協定)と南中国海問題への介入を切り口に矢継ぎ早やに攻撃を強めている。
 これは北朝鮮侵略戦争を含めた中国侵略戦争を視野にまで入れた展開なのだ。これに日帝も延命のためにかみこもうとしている。これに対する中国の対応は、軍事力の強化に頼るものでしかなく、米日帝の延命のための世界戦争に引き込まれる事態を阻止できない。中国経済の帝国主義体制への依存をもってする経済社会建設路線は、ついには破綻する。

 不動産バブルの崩壊は中国バブル崩壊の始まり

 中国の不動産バブル崩壊は始まった。統計局発表によると全国70都市の10月の住宅価格が前月比で下落したのは、大都市を含む34都市(中古は38都市)で、9月より17都市(中古は13)増えた。横ばいは20都市、上昇は16都市(中古は13)、まだ上昇しているのは住宅購入制限策の導入がまだか、始めたばかりの内陸部の2〜3線級都市。下落率は平均では0・3%であるが、大都市(北京、上海、広州、深など)では20%から30%もの値下がり販売物件が9月段階から現れており、値下がり前に買った者が開発企業に集団抗議行動を起こすことが各所で起きている。
 まだ不動産投機の波は完全に引いたわけではないが、短期債の外資の逃避なども始まっており、明らかに基調は下落に入った。しかもこの9〜10月という例年の販売最盛期にもかかわらず、成約数が激減しており、北京では前年同期比の47%減、上海では同37%減、広州では同59%減などとなっており、在庫が山積みで、在庫額は大手開発企業4社だけでも4500億元分ある。さらに国土部の調査では10月末までの住宅未着工用地が全国で16・6万f、住宅面積では約25億平方bに上るばかりでなく、建設中の住宅面積が35・5万fある。何年もかかる消化量と言われている。
 そのうえ不動産開発企業の金融危機が浮上しており、上場不動産企業の平均負債率が70%を超え、しかも大半の業者は金融引き締めの中で、銀行ではなく12〜30%の高金利の投資信託、私募ファンド、民間金融(高利貸)、海外での起債などの資金などを借りており、その額は1兆元(12
兆円)を超えている。11年末から12〜13年に償還期が集中しており、開発企業の倒産がすでに起きているが、11年末から12年にかけて激化する。すでに不動産仲介業者は全国で倒産や廃業に追い込まれ、北京では6000業者のうち1000業者が倒産している。また、鉄道建設のための不動産投資も、7月の高速鉄道事故以降、鉄道部の資金繰りが悪くなり、続々と建設が延期され、用地提供した地方政府に負債が重くのしかかっている。有名アナリストや学者の中には、不動産の価格は今の5割まで下がる、価格下落は最長3年に及ぶと分析している者も出てきている。
 バブルの崩壊は12年段階にさらに激化する。これは開発業者の債務問題だけでない。地方政府系の融資平台(投資会社)の債務は14兆元(うち銀行からの債務は3兆元規模)もあり、銀行など金融機関の不良債権問題が一気に浮上する。さらに、住宅産業のすそ野の広い産業に打撃を与え、すでに生産過剰になっている中国の産業全般に莫大な重圧になっている。輸出危機の下で打撃を受けている中国経済に不動産バブル崩壊が重くのしかかっていく状況がこれから本格的に始まる。

 欧米への輸出が急減

 輸出は、10年段階で中国の輸出の4割近くを占める欧米(EU19・77%、米18・0%)への輸出が激減する見通しになり、それを現在はASEAN(東南アジア諸国連合)やその他の新興国への増加で埋めつつあり、輸出そのものはマイナスにはなっていないが、伸び率は激減している。しかもASEANや新興国には世界経済の危機と収縮の中で変調が訪れており、見通しは完全に不透明だ。10月の広州交易会(中国の輸出動向を占うもの)で、4月の交易会に比べて欧州向け成約額が19%減、米国向けは24%減になったが、12年の前半の輸出は相当に厳しくなる。すでにいくつかの地域で、輸出の減少と金融引き締めの中での資金難により、数百社規模で輸出向けの中小企業の倒産が起き、一部の工業団地はゴーストタウン化するありさまで、政府は慌てて金融政策の「微調整」に走りだしている。
 中国経済は07年夏のパリバ・ショック、08年秋のリーマン・ショックでバブル崩壊をいったん経験している。GDP(国内総生産)成長率は07年の13%から08年の9・0%になり、08年第4四半期では6・8%、09年の第1四半期で最低の6・1%まで落ち込んだ。不動産価格も株式も08年段階で大暴落した。この景気後退の中で2000万人の失業者が生まれた。政府財政収支も赤字(企業の税金の減収)になった。そこからインフラ投資中心の4兆元の景気対策と金融の超緩和政策によって、強引にバブル状態に戻したのが今日の中国経済だ。
 重要なのは、今度のバブルは08年段階に比べて、金融の超緩和の中で、投機性の強い資金が支えていることだ。不動産市場に流れ込んだ資金は半分以上が投機性の強い資金であり、銀行融資も3分の1は借りた国有企業が民間金融を通して不動産市場に回したと言われている。さらに銀行の預金を下ろして、投資会社に回す個人や企業もかなりの数にのぼり、10月の統計では、家計部門(個人)で7272
億元の預金が減っている状態だ。今度のバブル崩壊は、リーマン・ショックの比ではない深い傷を中国経済社会に与えるだろう。
 不動産バブルの崩壊は、もともとバブル性の強い中国経済の成長構造を破綻させるものになる。投資と輸出で経済を牽引してきたのが中国経済だ。輸出では、欧米の長く続いたバブル経済に依拠して伸びてきて、貿易黒字を積み上げてきた。他方投資はお金を刷って賄うものであり、そのレベルは他国に類のない過剰なマネーサプライ(78年から09年にかけてのGDPの伸びは92倍だが、マネーサプライ(M2)の伸びは705倍だ。日本では10年のマネーサプライはGDPの50〜70%だが、中国では260%)をつくりだしている。過剰流動性で成長してきた経済なのだ。
 いま起きているインフレも、それでなくとも過剰なマネー状態なのに、4兆元景気刺激策と金融の超緩和政策によるマネーの市場への大量放出が行われたのが最深の原因だ。加えて、米帝の「QE2(金融の量的緩和第2弾)」などの世界経済危機の中で帝国主義が採っている金融の超緩和政策による余剰マネーが利潤を求めて中国など新興国に投機資金として流入し、過剰流動性を加速させている。インフレは政府の行政的介入で抑え込みつつあるように見えるが、景気減速で金融緩和に戻れば、いつまた火がつくかわからない。他方で流入している投機資金は逃げ足が速く、景気の落ち込みをさらに加速する動きをすることになる。それは9月の外貨準備が16カ月ぶりに前月比608億j減ったことで始まっている可能性がある。
 中国スターリン主義は07年の17回党大会で、輸出と投資に牽引される経済成長から、輸出、投資、内需のバランスある展開による経済成長への構造転換を決定したが、それは容易ではない。固定資産投資は毎年変わらず25%前後の伸びを続けており、特に4兆元景気刺激策の展開の中では、それは30%レベルまで増えて、金融緩和と相まって不動産バブルやインフレをつくりだした。
 不動産投資は固定資産投資の中で、約20%を占める大きな要素であり、バブルでその割合は増加気味になり、それがインフレをつくってきた。輸出減退を埋めるべき消費の増大については、政府の家電下郷や自動車販売に関する補助金政策の下で、10年前半までは20%レベルの伸びの勢いを伴って消費拡大をつくりだしてきたが、インフレが明示になり、補助金政策が終わるや17%台の伸びになってしまった。
 労働者・農民の搾取・収奪による経済成長を構造的基本とするスターリン主義体制下の新自由主義展開によって、GDPに占める消費の割合は91年には48・8%あったものが、10年には37・5%まで減っているのだ。その核心は労働者人民の所得の伸びの少なさである。1997年から07年までの11年間、中国のGDPに占める「労働報酬」の比率は53・4%から39・7%に落ちている。所得は微増で、経済の成長との関係では労働者人民は貧しくなっているのである。第12次計画(11〜15年)までに、「所得2倍化」が叫ばれ、それに対応して最低賃金の値上げが毎年続いているが、他方のインフレなどの事態がある限り、実質の所得の上昇にはならないことを示しているのだ。スターリン主義支配の下での労働者の所得の飛躍的増加などあり得ないのである。

 経済破綻に対する労働者の怒りの爆発

 大恐慌は深まり、各国帝国主義の存立を揺るがす危機の中で、米帝を先頭に、国家の体重をかけた死活的争闘戦に踏み込んでいる。米帝は、対中対峙・対決に踏み出した。中国の規制の多い経済ルールをこじ開けて、アメリカ・スタンダードの自由化を押し付けるためにTPPで包囲し、南中国海問題への介入を通して軍事的にも重圧を加えようとしている。もはや世界戦争が視野に入る情勢に入りつつある。中国の願望である帝国主義体制との平和共存の中での経済成長とそのための平和安定の条件は失われていく。
 同時にそれは中国スターリン主義が「経済の成長」によって労働者人民の怒りを慰撫し、爆発を先延ばしするやり方を破産させる。中国の労働者人民は「格差拡大」「二極分化」とはまさに中国が階級社会そのものであることをつかみ、自分たちが生きるためには階級的団結を取り戻して闘わなければならないことをつかみとっていく。それは先行的に昨年の5〜6月のホンダの労働者の闘いで始まり、今年に入って、4月の上海のコンテナトラック運転手たちの闘いを先頭に始まっている。
 12年の中国の階級闘争は、中国共産党の第18回大会の足元を揺るがす、これまでとは次元を画する中国労働者階級の闘いの登場を示すものとなるだろう。

■第2章

 米帝の対中対峙・対決強化――軍事力強化で対抗する中国

 米帝のTPPと南中国海問題介入への踏み切り

 すでに述べたように、米帝のTPPと南中国海問題への介入の狙いは経済的のみならず外交軍事的にも中国の「解体」を狙う攻撃である。中国にはこれまでと次元を画する大重圧が襲い掛かっている。
 これまで中国は、米帝との経済的相互依存関係をテコにしつつ、米帝の世界支配の衰退に乗じて、世界―アジアへの勢力の拡大を進め、「台湾の確保」を掲げながら「接近阻止戦略」の構築強化を進めてきた。その重要な環として南中国海の独占的領有を図り、資源の確保とともに南中国海を「中国の内海」として固めて、接近阻止戦略の第一防衛線の内側の海(黄海、東中国海、南中国海)の制空、制海権を固めようとしてきた。
(図 米軍の主なアジア展開)

 「エア・シーバトル」

 これまでは米帝はどちらかと言えば受け身に対応する姿勢であった。しかし大恐慌の深化の下で米帝が崩壊的危機に落ち込む中で、没落からの脱却をかけた絶望的で死活的な反撃に踏み切った。
 台湾への武器売却の強行を切り口に、ベトナム、フィリピン、インドネシアなどとの軍事を含む関係の強化を進める一方、米軍は新部局を設置し、中国の接近阻止戦略を打破するための「エア・シーバトル」態勢構築の具体的な展開に乗り出した。オーストラリアへの海兵隊の駐留の確保、沖縄の新基地建設の促進強要などはその一環だ。さらにインドとの協力関係の強化を強め、ビルマ(ミャンマー)にクリントン国務長官を派遣して、アジアの中国支持国の引きはがしにも踏み込んでいる。こうした事態について米帝の高官は公然と、対中国の関係は「東西冷戦体制」次元の構えで進めていると言っている。

 対米対抗性を強め従来の枠組みを超える軍事力

 11年11月の東アジアサミットでの中国は、米帝の攻勢とそれを後ろ盾としたASEANの勢いの前に押され、南中国海問題での「行動規範」(すでにある「行動宣言」を中国とASEANに国際法的拘束力ある行動の縛りを設けるもの)策定を進めるということに賛成せざるを得なかった。だが実際には時間を稼いで、2国間交渉で経済的に相手を買収して中国に有利に協定を結び、「行動規範」を骨抜きにすることを狙っている。あくまで南中国海の「中国の内海」化を目指しているからだ。
 この南中国海の米中の争いが、死活的意味を持つのはこれが北朝鮮問題をにらんだ攻防の重要な環をなしているためだ。北朝鮮スターリン主義の体制危機の深さは、エネルギー枯渇の下で国の工業の稼働率3割程度であり、さらに深刻なのは平壌周辺の労働者人民にさえ食糧が行きわたらない状態にまでなっている。北朝鮮は「先軍政治」と称する軍による監視・弾圧の強化の下で、労働者人民の不満を抑え、なけなしの資金や物量を核兵器開発に投入し、それに体制の延命をかけている。
 (図 アジア太平洋における米軍の展開と中国の新型弾道ミサイルDF21Dの射程)

 北朝鮮・中国侵略戦争を狙う米帝

 こうした状況を見据えて米帝は体制崩壊を促進し、その中で「核拡散防止」を掲げて軍事的に踏み込んで、米帝の主導の下での朝鮮半島の統一を行おうとしているのである。それは北朝鮮侵略戦争であり、中国侵略戦争への突破口になっていく。
 この事態をにらんで、中国スターリン主義は北朝鮮の体制の延命のために北朝鮮の世襲的後継体制を承認しつつ、経済支援を丸抱え的に強めている。北朝鮮のウラン濃縮活動を「原子力の平和利用」とすることで一致し、無条件の「6カ国協議」の再開で、事態の悪化を食い止めようとしている。
 しかし米帝はウラン濃縮活動の進展に危機感を抱きつつも、「6カ国協議」再開には応じず、米朝協議で断続的に対応しつつ、自分の最も有利な条件を整えようとしている。「トモダチ」作戦など日帝との関係強化はその一環である。北朝鮮が体制危機の深まりの中で新たな瀬戸際戦術に出る時をつかんで、中国も反対できない形で攻撃しようとしている。世界革命を放棄し、国際的労働者人民の闘いの力を無視・敵視した北朝鮮や中国スターリン主義の一国社会主義の「防衛」戦略は、「抑止力」としての核兵器を持ったとしても成功するはずがない。帝国主義軍事力を粉砕するのは唯一労働者階級の帝国主義打倒の革命だけだからだ。
 米帝の対中対峙・対決が明確化になった中で、中国の軍事力強化の方向はこれまでの「抑止力」強化から、一線を越えた対米対抗性を持つものに踏み出そうとしている。直接的には「台湾との統一を妨害する米軍の力の排除」や「シーレーン防衛の確保」ということを押し出してはいるが、実際には西太平洋やインド洋(インドを包囲する「真珠の首飾り」)へ軍事展開を広げ、そのうえ空母艦隊を創設していく計画がそれを示している。
 中国の軍事力強化は、接近阻止戦略の軸をなす海軍力の大強化、現代化が中軸で、潜水艦の現代化・増強、戦略的原子力潜水艦の増強を進めつつ、さらに今日では修復した「ワリャーグ」を練習艦として使いながら、自前の空母の建造で空母戦略を推進する計画である。
 さらに米中国防相会議で、公然と米空母攻撃用の対艦ミサイルの開発、ステルス戦闘機の開発などを表明している。南中国海に面する海南省南部には海軍の大基地が構築され、潜水艦の秘匿された基地もあり、空母の母港にもなる予定といわれている。さらに軍事力強化では、ICBM(大陸間弾道弾)の射程と命中精度をあげて、アメリカのほとんどをカバーできる体制にした。また弾頭を複数化するMIRV(マーブ)化も進めている。
 目立つのは兵力を減らして、ハイテク化する動きであり、サイバー戦争に備えるとして、膨大な数の要員を育成中だ。さらに宇宙や極地や深海も資源確保としてだけでなく、勢力圏としても確保しようと、資金の投入と技術の強化を図っている。

 スターリン主義の限界

 中国スターリン主義は、世界革命放棄の下で帝国主義包囲下の経済社会建設を進めてきている。中国スターリン主義の外交・軍事は平和共存が軸(それしか経済発展の条件はない)にあり、それを守るための帝国主義など諸国との外交的綱渡り(牽制や妥協)と、他方での帝国主義に対する抑止力としての軍事力強化に力を入れるものとして展開してきた。
 だが帝国主義が危機を深め、死活をかけた絶望的な攻撃に踏み出す情勢の中では、帝国主義の戦争準備を抑えることはできず、ますます軍事力強化で対抗することに収れんされていく。さしあたり「抑止力」的位置づけで、相手の攻撃に反撃できる軍事力を強化しているが、帝国主義の攻撃がその抑止力を踏み越えてくることになれば、その対抗は抑止力のレベルでは止まらないことになる。
 現在、米帝の対中対峙・対決の攻勢の前で、中国の「戦争しない」「先制攻撃しない」という姿勢は揺らいでいる。さらに争闘戦の激化に巻き込まれて、先を争うような軍事力の強化の姿勢に引き込まれ、対抗性を強めているが、それは中国が戦争の一方の主役となる道に確実に進んでいることなのだ。
 軍事大国化することで人民解放軍の機関誌「解放軍報」の論調が変わっている。そこでは軍の任務は、アヘン戦争以来、奪われてきた中国の領土を取り戻すことであると公然と主張されている。だから当然その中には南中国海が含まれており、その根拠は明帝国の時代に、鄭和が艦隊を率いてそこを通ったからだとしている。さらに国が強くなったら、国の核心的利益が広がっていくのは当然としている。つまり経済的軍事的な大国になった中国が勢力を拡大していくことを正当化する論理が軍内部で強まっている。
 米帝の朝鮮侵略戦争を含めた対中対峙・対決の展開の中で、周辺諸国や米国への対抗性の強い軍事への位置づけが強まっている。このままでは中国「社会主義」が世界戦争の一方の主役になり、国際労働者階級と中国労働者階級に対する反革命的大犯罪を犯すことになる。問われているのは反帝国主義・反スターリン主義の世界革命である。

 国際労働者階級人民に敵対するスターリン主義

 中国スターリン主義は世界革命放棄=一国社会主義論の下で、エジプトを始めとした、世界的に立ち上がっている労働者階級の闘いを、「社会主義・中国」の外交関係、国際関係を動揺させ、世界の安定を乱すものだとして敵視している。さらに、世界の闘いが中国国内に波及して中国労働者人民の闘いを鼓舞することを恐れ、その情報を封殺し、これと連動するような動きを一切許さないために全力を挙げている。国際労働者階級の階級的団結を分断し、中国の労働者階級人民を孤立させ、スターリン主義体制の下にいつまでも組み敷くためである。
 今日の大恐慌の深まりの中で、29年恐慌から第2次大戦に至るソ連スターリン主義の犯罪を中国スターリン主義は繰り返そうとしているのだ。本質的に受動的で対抗的に積極的な中国の軍事力強化を、日米帝国主義の世界戦争への突進もろとも、世界と中国労働者階級人民の怒りの闘いで、粉砕しなければならない。

 核・原発の護持が基本

 この項目の最後に、中国スターリン主義の核問題、原発問題についてコメントしておきたい。中国スターリン主義の核兵器への「信頼」は極めて強い。人民戦争論の毛沢東の時代でも、大躍進の破綻の中で餓死者3000万人以上の災厄(59年〜61年)が起きている中で、膨大な資金と人材を投入して原爆を自力で開発した(64年)。
 その過程で広範に放射能がまきちらされ、原爆開発に携わった学者、労働者、軍人はもとより、新疆自治区に設置された原爆実験場の周辺のウイグル民族など少数民族人民に100万人規模の被害を出している。これを隠して、核兵器開発をさらに展開し、核兵器所持が大国の条件と公言して、核兵器に対する依存をますます強めている。核兵器での米帝に対する反撃力の確保は中国スターリン主義の体制護持の優先課題であり、核兵器廃絶などスターリン主義体制の下ではありえない。核廃絶と中国スターリン主義の打倒は切っても切り離すことができない。
 原発問題も、核兵器問題と同じく、放射能問題はまったく度外視(秘密裏に処理)されており、経済成長にとって必要なエネルギーとして科学的に最も優れたものとして「信仰」され、多くの被曝者をつくりだしながら、原発の設置に邁進している。現在14基の原発が稼働中で、20年までに60基新設する計画であり、現在30基が建設中である。しかし原発技術者の育成が間に合わないという問題が浮上しており、高速鉄道の建設計画と人材不足による事故の発生という関係と同じ問題をはらんで進んでいる。
 スターリン主義は労働者階級の自己解放を否定することを思想的実践的な核心にしているが、それと一体のものとして、人間そのものを犠牲にしても生産力の発展を目指す(今日の中国の経済発展至上主義に良く表れている)考え方なのだ。生産力主義の最悪の展開そのものとして中国の原発問題への取り組みはある。福島原発事故の衝撃を受けて爆発している世界的な原発廃絶の闘いは中国労働者人民と団結して、こうしたスターリン主義の原発政策を粉砕して前進していかなくてはならない。

■第3章

 職場で資本・政府と闘う――闘って階級的団結を回復

 中国の労働者階級人民は、1949年の新中国建国から今日まで奪われてきた階級的団結を取り戻す闘いに立ち上がりつつある。大恐慌が深まり、中国スターリン主義下での新自由主義攻撃が破綻をあらわにし、バブルやインフレの中で生きんがための若い世代を先頭とする闘いが始まっている。それはスターリン主義による労働者階級の自己解放的決起への抑圧を突き破る労働者階級の階級的団結の復権である。この間のスターリン主義下の新自由主義攻撃により労働者階級がどのような苦難を受けているかをつかむことから始めよう。

 スターリン主義下の新自由主義攻撃の実態

 中国スターリン主義の一国社会主義論に基づく経済社会建設は、新中国建国以来、労働者と農民からの強収奪によるものであり、改革・開放政策の下でも、その基本構造は変わなかった。そのうえ経済の効率追求として、新自由主義的政策を採り入れ、その結果、農民工、膨大な解雇=失業と非正規雇用(臨時工や派遣工や請負労働)を生み出した。搾取と収奪が吹き荒れ、経済成長の下で、「格差の拡大」「二極分化」が進行する社会になり、社会の下層に労働者と農民、上層にスターリン主義官僚と経営者層(資本家層)という独特の階級社会となった。
 スターリン主義体制が労働者と農民の血と汗を搾り取って、自分たちのみが富裕化する経済成長を「誇っている」状態となっているのだ。膨大な失業者が存在し、労働者の非正規雇用が就業労働者の大半を占める状態になり、社会の大半がワーキングプア化している。
 「社会主義」と称しながら、中国社会は帝国主義経済体制に半ば組み込まれることを経済発展の条件としてきた。それは帝国主義の新自由主義攻撃による延命に手を貸すことになったばかりか、中国の労働者階級と農民階級を資本の搾取の下に投げ出し、しかも国有企業を始めとした国内企業においても膨大な解雇、非正規雇用、請負労働などを導入して、労働者に対する搾取と収奪を行ってきた。
 中国スターリン主義は労働者階級に対し「すでに中国革命によって解放されているのだから全人民の利益を担うのだ」として、労働者階級の階級性、自己解放性を一貫して抑圧し、中華総工会を使って労働者階級の階級的団結を許さなかった。こうした支配の下で中国の労働者階級は事実上無権利状態に置かれ、外資を含む資本や企業による農民工を含む労働者階級に対するやりたい放題の搾取・支配が貫かれたのである。
 新自由主義攻撃は、労働者階級の団結を破壊し、資本の原生的=むき出しの搾取を欲しいままにする自由を回復しようとするもので「工場法以前」の状態に労働者を追いやることを目的にしている。中国の改革・開放政策は、この新自由主義の、まさに「天国」と言われるような状態を資本や企業に提供してきたのだ。

 解雇の自由と非正規化

 何よりも中国の労働者階級が被った大攻撃は、企業における解雇(権)の導入である。国有企業では労働者の職業の選択の自由はないが、企業は解雇を自由に行うことはできなかった。改革・開放政策になり、国有企業の「余剰人員」の削減と労働力の流動性の確立のために、労働者を全部、有期契約労働者にするとともに、大リストラを行い、97年から06年までの10年間に5000万人以上が国有企業からリストラされた。これらの人々は早期退職者となり、技能訓練などの上で再就職するか、再就職したとしても条件の悪いものか臨時工になるか、あるいは失業するか生活保護となる以外になかった。
 現在でもこの問題は解決していない。解雇され失業した人々(一般早期退職者以外にも、解雇された代用教員、民弁教員〔地方政府が認めた教員〕、企業に配属された退役軍人の退職者など。どれも100万人以上の規模)が、解雇時点での、補償の少なさや社会保険加入問題をめぐって、各所で政府に対する生きるための陳情活動を弾圧をものともせず10年以上続けている。

 非正規雇用の実態

 非正規雇用の実態は、統計がないので確実な数値がないが、『中国社会主義市場経済の現在』(お茶の水書房)所収の溝口由己「中国の非正規就業の問題と特徴」によれば、『中国統計年鑑』では農民工を数に入れない統計で、00年で非正規雇用数が50%を超え、06年では59・4%の1億6825万人で、内訳は私営企業の下に3954万人、個人事業主の下に3012万人であり、1億人が内訳不明だが、国有企業や国の事業体の非正規雇用だという。
 農民工を加えて非正規雇用を考えると、農民工は04年の人口センサス(全数調査)では1億260万人なので、そこから求められる都市戸籍就業者の58・7%の1億5535万人の非正規就業者と合わせて、2億5799万人が04年段階の非正規就業で、それは都市就業者の70・2%と結論付けている。11年段階ではさらに国有企業や事業体での派遣工が激増していることなどからこの数字より高くなっていることは確実だ。非正規率が70%(!)を超えているのが中国の現実なのだ。
 私営企業の多くは派遣労働者(農民工が主)を大量に使っていて、賃金は基本給と成績給に分かれ、基本給は政府が決めた最低賃金かそれより以下が普通で非常に低く、ノルマがきつく罰金が厳しく、残業なしでは生活できない状態が普遍的だ。
 闘争を行ったところでは基本給が高くなっているが、それでも残業なしではカツカツの状態である。さらにここ数年、大型の国有企業(中国石油、シノペックなど)が大量の派遣工や臨時工を入れ、正規の職員を減らしている実態(3分の2まで派遣工となっているところもある)が顕著になっている。
(図 出稼ぎ農民工を含む非正規就業率の推移)

 決着しない賃金条例

 この問題では数年来、議論が起きている。ここでは『経済観察報』に載った「3年寝かされてきた〈賃金条例〉は再びこう着状態に」という記事から紹介する。〈賃金条例〉は労働契約法の労働者の権利を賃金にも敷衍しようと持ち出されたもので、内容は最低賃金および賃金の正常な増加の仕組み、さらに同工同酬=i同じ仕事には同じ賃金を)などが規定される。08年に労働契約法が施行された時には起草に入っていたが、対立が大きくまとまらず、調査のうえで議論するとなり、11年の議論でも決着しなかった。
 議論点は第一に全国商工連(中小企業団体)が最低賃金および賃金の正常な増加の仕組みに反対していること、第二に同工同酬≠ノ国家資産委と国有企業が反対していることだ。前者は12次5カ年計画の中で、労働者の所得を倍増すると決定したことで反対は下火になっている。後者の問題はスターリン主義経済体制の中核である国有企業とその管理者の国資委が、国有企業の労働者の半分以上を占める派遣工や臨時工に正規職員と同じ賃金や待遇を与えることに反対していることだ。
 理由は利潤を上げ、競争力を高めるために、正規労働者を減らして非正規雇用を増やしているのに、同工同酬≠ナはそのうまみがなくなるからだ。中央政府が労働者の賃金2倍化を唱えている中で、中央企業(中央政府管理の国有企業)が非正規雇用化を先頭で進めているのであり、実際の現場では賃金切り下げという逆の事態が起きているのだ。中国の経済成長の条件であるグローバリズムが、逆に中国の労働者保護政策の貫徹を阻害する現実をつくりだしているのである。

 ●外注化・請負労働

 請負労働は外注化の増大の中で全産業で一般化している。建設業が日本の下請けの連鎖と同じような形であり、請負労働者の典型である。大半は農民工が担っているが、リストラされた労働者もこれに加わっている。言うまでもなく低賃金で、社会保険の加入などはなく、「自己責任」で生きていけという状態になっている。いま中国の各都市でタクシーやバス、トラック運転手のストが続々と起きているが、こうした運転手も請負形態の労働者だ。中国のワーキングプア化攻撃の最前線になっている。

 〈安全無視の炭鉱事故〉

 中国における労働者の苦難の問題として労災問題(特に炭鉱事故)にも触れておきたい。炭鉱事故の多発、それによる死亡者数の多さが基本的にいつまでも続いている。数年前には1年で6000人も死亡する事態であり、中央の号令で小型の民間炭鉱や無許可の炭鉱の採掘を禁止する方針を軸に安全対策を行ってきたが、現在も3000人台の死者が出る状況だ。
 炭鉱経営者と管轄局役人が結託し、安全対策を後回しにているのが現実だ。労働者が自分自身の命を守るために安全問題の主体になり、企業と闘争をしない限り事態を変えることはできない。スターリン主義体制はそれを禁止しているから事故を本当には減らすことができない。労災問題ではさらに労働者の塵肺問題が深刻な社会問題になっている。これも労働者の闘いを抑えて企業がやりたい放題にやっていることの結果であることは言うまでもない。

 生きんがために陸続と決起する中国労働者階級

 スターリン主義支配下での新自由主義攻撃の嵐の中で、中国の労働者階級はいま生きんがための闘いに続々と立ち上がっている。労働者階級としての利害を貫徹する闘いであり、階級性を抑圧してきたスターリン主義と激突して、階級的団結を取り戻す闘いが奔流のようにわき起こりつつあるのだ。

 〈端緒を切ったホンダの闘い〉

 明確な端緒を切り開いたのは、10年5〜6月の広東省佛山のホンダ部品工場の労働者の闘いだ。総工会の敵対と対決して労働者の利益を貫徹し、大幅賃上げを獲得するとともに、自分たちの手で工会を作り直し、労働組合的団結を取り戻した。それは今日、総工会による取り込み策動の網の中にあるが、今年の賃金闘争で労働者代表を選んで交渉を貫徹し、会社側と激論して、インフレの下で生きられる賃金を要求し、30%の賃上げをかちとった。ホンダの労働者は総工会の中で格闘しているのである。

 〈上海コンテナのスト〉

 11年の闘いはさらに前進した地平を開いている。年初よりのチュニジア、エジプトから始まるジャスミン革命の影響を受けて、上海のコンテナトラック運転手は特筆すべきスト闘争をやりぬいた。
 11年4月20日から3日間闘われたストは、上海の80%ものコンテナトラック(5000台)の運転手を結集して闘われ、警察と衝突しつつ、上海港の埠頭に荷物飽和の状態を強制し、埠頭当局や船会社を相手に果敢な闘争をやりぬいた。闘いにより上海当局の埠頭費用の削減やその他の費用のみだりな徴収の禁止などの通達を引き出し勝利した。闘いは浙江省の寧波、天津などの港に波及した。

 〈中国独立労働組合連合会の声明〉

 この闘いの最中の24日、「中国独立労働組合連合会」の声明が出された。声明は、自分たちが上海、寧波、天津さらに、広東省佛山、貴州省の貴陽で独立労組を組織し、労働者の利害を貫徹するためにストを起こしたことを明らかにし、さらに多くの他職種の労働者がストを起こし、この運動に参加せよと呼びかけている。
 声明はまた中華総工会を労働者の利益代表ではないと断罪し、労働者の利益のためには独立労組として闘う以外にないと宣言している。これはまさに中国労働者階級が階級的団結を奪還して、階級的自己解放の闘いに突き進む闘いを意識的に始めた姿である。スターリン主義体制の新自由主義攻撃の下で、生きるためには闘わなければならないことをつかみ、階級的団結を奪還し、団結を抑圧してきた総工会支配を打ち破り、自らの手で労働組合的団結をつくりあげ、闘いを続けなければならないと言っているのだ。中国労働者階級は階級的団結の奪還を意識的に目指す闘いの段階を切り開きつつある。

 〈鉄道労働者のスト〉

 

この上海のストの後、階級的団結をつかむ闘いは広がっている。7月23日、浙江省温州で起きた高速鉄道事故による労働者人民の怒りの高まりの中で、8月2日から数日、湖南省長沙の株州機関区の機関士がストに入った。中国の鉄道建設の闇雲な展開が運営体制と矛盾を来たし事故は起きたのだが、それが鉄道労働者にいかに過重負担を強いているかをこのストは衝撃的に明らかにした。
 「10日も家に帰れないのはざらだ」と怒って残業費なしの残業を弾劾し、残業費要求のストに立ったのだ。在来線の多くの人員が高速鉄道に回され、残ったものに規定時間の160時間を超えて200時間以上も働かせ、低賃金の上に残業代も払わず働かせることに怒りが爆発したのだ。高速鉄道建設を急ぐスターリン主義体制に抗して総工会支配の強い鉄道で労働者が闘いに立ち上ったのだ。

 

(写真左 2011年10月17日、深センの日系シチズンの委託工場で1178人の労働者がストに立ち上がった)
(写真右 日立グローバルストレージテクノロジーズの深の工場で、12月5日以来1000人規模のストが続いている)

 〈シチズン労働者のスト〉

 さらに、10月17日、広東省の深センの日系シチズンの委託工場の冠星工場で1178人の労働者によるストが起きた(前号の本誌に掲載)。2週間もストは続いたが、その後は日帝と地元政府の結託した弾圧体制の下で、警察官が作業場に張り付き、監視の下に「強制労働」させられている。しかし彼らは不屈に未払い残業代支払い、社会保険の支払い、不当解雇への反対を取り下げずに闘っている。
 日帝資本の外注化・請負労働がこうした労働者への支配抑圧をつくりだしているのだ。だが、大恐慌の中での資本の延命策で強まる労働者への攻撃は逆に労働者の階級的怒りを巻き起こし、不屈に団結して闘う労働者を生み出しているのだ。

 〈靴工場で8千人のスト〉

 11月19日には広東省東莞の台湾資本の靴工場で、大恐慌の直接の波及である注文の減少を理由として人員削減や残業の停止を会社側が行ったことに対して、8000人の労働者がストに立ち上がった。基本賃金が少なく、残業なしでは生きられないこと、会社都合の解雇に抗議する闘いが爆発したのだ。こうした問題は中国の輸出企業ばかりでなく、非正規雇用の労働者に普遍的なものだ。残業しないと生きていけない基本賃金しか与えていない状況が国有企業を含めた企業の実態なのだ。
 中国各地の政府が最低賃金制度による賃金のアップを進めているが、まだまだ残業なしで生きられるレベルではない。企業もスターリン主義政府も労働者が人間的に生きていくことを考えていない、それが経済成長のためのスターリン主義による新自由主義政策採用の真実なのだ。労働者は自分と仲間が団結して力を持って闘わないと生きられないことをつかんで立ち上がっているのだ。
 さらに大恐慌の中で労働者が生きるためには、企業や資本の攻撃を打ち破るだけでなく、これを経済成長のための貢献者として擁護し、労働者の闘いを弾圧するスターリン主義支配も打ち破っていかねばならない。すでに上海のコンテナトラック運転手たちは、自分たちの利害を貫徹するために、独立労働組合を組織して闘うと宣言している。この宣言は大恐慌の中で生きんがための闘いが発展する中で、本当に力強い広がりをつくりだすであろう。

 〈大連の1万余の大デモ〉

 それを予知させる動きはすでに胎動しつつある。8月14日、遼寧省大連で郊外のプロキシレン製造化学工場の移転要求の1万2千余の大示威行動が起きた。大連市庁舎前に大結集した参加者に市当局は大動揺し、即時操業停止と早期移転を行うと決定し、参加者に発表する異例の対応をした。これは労働者と市民の凝集した闘いを軸にして、インターネットや携帯電話で急速に結集の呼び掛けが広がってかちとられたのである。

 〈陸豊のソヴィエト的闘い〉

 さらに、11月18日〜21日には、広東省陸豊市の鳥坎(ウーカン)村民1万3千人が総決起した。村が解放区になり、警察も寄せ付けず、20日全住民集会を開き「中国農民自治委員会」建設を訴え、「独裁反対」などの旗を手に21日に陸豊市政府までデモをし、市政府と交渉し、村幹部の土地転売の不正、村委員会の選挙の取り消しを認めさせた。
 村民はソヴィエトのように大衆全体によって選ばれた代表や各種の役割を持った組織を作り、組織立った行動によって、一切弾圧を寄せ付けない闘いを貫いた。陸豊は27年11月に中国最初の労農ソヴィエト(陸豊海豊ソヴィエト)が誕生した地だ。その伝統がいま中国スターリン主義の動揺過程への突入の中で労働者農民の生き生きとした団結の闘いの炎としてよみがえろうとしているのである。
(写真 11月18〜21日、広東省陸豊市の鳥坎(ウーカン)村民が「独裁反対」などを掲げてデモに決起)

 労働者の闘いこそ中国スターリン主義打倒する

 今年、中国労働者階級はより本格的な大恐慌の波及、不動産バブル、バブル的中国経済の破綻による経済的苦境に立ち向かうことになる。スターリン主義体制は国家予算で国防費より多い治安維持費を投入せざるをえなくなっている。労働者の職場の団結の活動は抑え難く、労働組合的団結を獲得しそれを軸にして、インターネットなどの手段を駆使するならば、闘争の力強さと大衆性の発展を押しとどめることはできない。この闘いこそ89年天安門闘争の限界を乗り越える道であり、まさにそのような闘いが大きな胎動の時に入ったのだ。
 国際労働者階級は、こうした中国労働者階級の闘いに連帯し、これを支援するために、大恐慌にあえぎ破産した新自由主義に取りすがる各国帝国主義の延命攻撃を打ち破る闘いを強めていかなければならない。それは中国労働者階級人民への激励となり、帝国主義やスターリン主義の分断攻撃を打ち破って固い団結をつくりだすものだからだ。
 いざ、闘わん。

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号4-1)(2012/02/01)

翻訳資料

■翻訳資料

 死をもたらす医産複合体  ――いかにして企業は生命そのものを奪うのか

 死をもたらす医産複合体  ――いかにして企業は生命そのものを奪うのか

『デモクラシー・ナウ』2011年10月31日 城山 豊 訳

『デモクラシー・ナウ』2011年10月31日 城山 豊 訳

 【解説】

 この資料は、医療の独占支配の実態を描いた『死をもたらす独占――企業による生命そのもののショッキングな横奪と健康状態・将来の医療への影響』を最近出版した、ハリエット・ワシントンに対するインタビューである。
 医療の営利追求の極限化、医産複合体――医療機関と製薬会社、医療機器メーカー、保険会社、銀行、政府などが癒着・一体化したもの――が、生命そのものを商品化し、独占支配し、命を奪っている実態が暴かれている。

 野放図な独占支配を狙うTPP・医療特区

 現在、TPP(環太平洋経済連携協定)と一体でつくられようとしている医療特区の問題を考える時、この資料は非常に参考になる。
 TPP・医療特区は、特許権、知的所有権のために特区の患者がモルモット扱いされ、犠牲になる。そして、全国・全世界の多くの人民が医療の独占価格によって、死に追いやられる。
 現在のTPP交渉の特徴は、従来の日米2国間通商交渉やGATT(関税および貿易に関する一般協定)やWTO(世界貿易機関)の通商交渉と比べて、交渉過程がさらに徹底して秘密にされていることだ。
 これまでTPP交渉に参加してきたペルーやチリなどでも、交渉の内容は国民には一切知らされず、各国間で最終合意に至った後で、その既成事実のみを国民に突きつける方針が採られている。
 TPPの内容があまりにも暴虐非道であるために、人民の怒りの反乱を恐れているからだ。

 「知的所有権」の恣意と横暴――独占への国家援助

 「知的所有権」の野放図な拡大・強化は新自由主義の全世界的な本格化の重要な柱だった。1980年、アメリカ連邦最高裁が生物に特許を認めたことが、その画期となった。
 特許権とは製造・販売・利用の独占を国家が特に認可するということだ。独占への国家援助だ。
 TPPは、これまでのWTO(世界貿易機構)やFTA(自由貿易協定)と比べても、極端に独占を強化する協定だ。たとえば、医薬品の特許期限が切れても、治験(製造承認を得るための臨床試験)のデータは「知的所有権」としてさらに長期間独占させることが狙われている。すでにジェネリック薬品(特許切れ薬品のコピー品)が販売されていても、当局にその認可を得たときに元の薬品の治験データを使っていたら、突如として「知的所有権侵害」とされてしまう。
 実際、現在のアメリカでは、同様の国家政策で、巨大製薬会社は莫大な独占利潤を得ている。抗がん剤などを1年で600%も値上げしているのだ。
 元来、「知的所有権」は非常にあいまいなものだ。
 どんなに「新しい」知識でも、社会的に切り開かれてきた知識を前提にして作られている。どこまでが、その人、その会社によって新規に作られたのかを厳密に決定することは不可能だ。
 だから、「知的所有権」は、権力を持った支配階級が都合の良いように決定できるものであり、それを被支配階級に強制していくものとなる。
 また強大な国家が基準を決定し、他国に強制するのに都合が良いものである。本文で触れられているが、インドで伝統的に治療に使われてきた植物ニームを米特許当局が米資本に「発明品」として特許権認可したことは、その一例だ。
 東電は事故時の操作手順書を「知的所有権」として公開拒否した(黒塗り)。
 数百数千万人の命と健康より資本の知的所有権のほうが重大だと公然と主張できる東電。これも新自由主義の「知的所有権」拡大強化の産物だ。
 われわれは何としても、医療の東電化を阻止しなければならない。
【〔 〕内は訳者補足】

 ---------------------------------------------------

エイミー・グッドマン 全国、全世界のオキュパイ〔占拠〕運動の主要テーマの一つは、巨大企業のわれわれの命に及ぼす力がますます増大していることです。今日は、生命そのものを企業が支配していることを見ていきましょう。
 ゲストは、医療倫理学者のハリエット・ワシントンさんです。彼女は人間の生命を支配するようになってきているものを「医療産業複合体」と呼んでいます。今度、その支配の拡大について調査して本を出しました。この30年間に遺伝子に関するものだけで4万以上も特許が認められてきました。出願中のものはもっとあります。ワシントンさんは、遺伝子特許を取得したバイオテクノロジー会社や製薬会社が患者の医療上の必要より利益に関心を持っていると論じています。
 ワシントンさんの新著は『死をもたらす独占――企業による生命そのもののショッキングな横奪と健康状態・将来の医療への影響』です。以前には『医療アパルトヘイト――植民地時代から現在にいたるアメリカ黒人の医学実験の暗黒の歴史』を著しています。
グッドマン――なぜこの本を書いたのですか。
ハリエット・ワシントン 従来の医学研究の価値観は愛他的なものでした。それが、別のものに置き換えられてしまいました。研究も、新たな治療法の開発も、薬の価格設定も企業が不透明なものにしているのです。私は、非常に心配しているのは、そういうことです。
―― 前著の『医療アパルトヘイト』の研究から、どのようにして『命を奪う独占』が生み出されたのですか。
ワシントン 意外かも知れませんが、『命を奪う独占』は『医療アパルトヘイト』から生み出されたものではありません。以前から二つの問題意識をもっていました。一つは黒人を使った医学研究で、あと一つは、同意を得ずに実験をすることです。二つを一緒にすると本が大きくなりすぎるので、『医療アパルトヘイト』を書いた後に、今回の本を出したのです。アフリカン・アメリカンだけでなく、アメリカ人全体に影響する問題です。
―― ジョン・ムーアさんの話をどうぞ。
ワシントン 彼のケースは象徴的です。有毛細胞白血病を発症し、デビッド・ゴルデ医師に「命が助かるためには手術が必要だ」と言われました。彼の22ポンドの脾臓は摘出され、その後アラスカからロサンゼルスまで定期検査に呼び出されました。血液と精液はサンプルとして取られました。
 ガンの再発がないかどうか確認するため、ということでした。実際は、ムーアには知らせずに、ゴルデ医師は、彼の脾臓とその細胞組織に関する特許をとったのです。この特許で、巨大な研究所を作りました。この後ろにいたのがサンドという製薬会社です。
 彼は、ムーアの体からできた製品を商品化しようと計画しました。ムーアはその時は良くわからなかったのですが、最終的に弁護士に相談し、弁護士が特許を見つけ研究所を見つけたのです。
―― 彼はどういう医者ですか。
ワシントン ロサンゼルスの血液専門医でした。彼と彼の大学が共同で特許を所有しました。そして、彼らはサンド社と300万ドルで契約を結びました。ムーアはまったく知りませんでした。
―― どうして彼はこのことを知ったのですか。
ワシントン ゴルデ医師は後になって用心深くなって、ムーアに対して追加的な同意書を迫ったのです。ゴルデに、ムーアの捨てられた価値のない細胞組織の全面的な管理権を認める同意書でした。そこでムーアは少し警戒して弁護士の所に行くと、弁護士がすぐ特許を発見したのです。細胞組織の価値が大ありだったことは、言うまでもありません。
―― 大学の役割は?
ワシントン 大変多くの場合、大学は基本的に特許の所有者になっています。その特許を私企業にライセンスを譲渡するわけです。巨額の金を得ることができます。これらの特許はどこから生じたのかと言えば、われわれの体であり、血税によって研究された分子構造によって生じたものです。
―― 大学と私企業の関係を説明して下さい。
ワシントン 非常に密接です。今日では多くの場合、大学は企業の一部門のようになっていると思います。大学は企業カルチャーを身につけています。今日では、重要なことは特許であって患者ではないということです。それが医学研究の中心です。
―― ムーアの細胞組織について……
ワシントン 彼の細胞組織は非常に珍しく価値のあるものでした。しかし、今日において、普通の細胞組織を持つわれわれすべてが、ムーアと同じ運命になる危険があります。なぜなら、莫大な量の通常の細胞組織もまた価値を持っているからです。もし、病院に行って手術を行うとすると、同意書を求められ、それは、私的企業に対して細胞組織の管理権を与えるものとなります。
 アルダイス社は、その中心的な会社です。ハーバード大学、デューク大学の病院に行くなら、あなたの細胞組織の行き着く先はこの会社です。
―― それで、彼らは何をしようとするのですか。
ワシントン 患者の大部分はこのことを知りません。これらは大変価値のあるものです。それらを使って新薬を作ることができるし、新薬の試験ができる。巨大な価値のあるものだが、ほとんど多くがかたちばかりのほんの少額の金が払われているに過ぎない。
―― 細胞組織の行き先は?
ワシントン さまざまな場所です。薬をテストする研究所などです。基本的に、医学的に重要な分子構造物を見つけ出すための研究所に持ってゆくことになる。たとえば、細胞組織が、あるサイトカイン(生体機能調節タンパク質)を分泌することが発見されたら、それらを培養して作り出すことができる。莫大な細胞組織は、医療や医学研究のほとんどの分野においてきわめて価値のあるものです。知らず知らずのうちに、これらが取られてしまうのです。
―― ヘンリエッタ・ラックスの話をお聞かせください。
ワシントン 私が彼女を知った90年代半ばごろでした。
 彼女は31歳のボルティモアの黒人の主婦で、その細胞は珍しい特質を持っていました。細胞は「不死身」と呼ばれました。その細胞は、60年経た今日においてもなお生き続けています。
 彼女は子宮ガンを発症しジョンズ・ホプキンス大学病院に行きました。ジョージ・ゲイという内科医が担当しました。そのころ彼は培養細胞株を作り出すのに没頭していました。長期に生き続ける細胞株を見つけようとしていました。
 細胞株は細胞の集まりです。医学研究にとってそれは極めて有用です。それを使うと、人体そのものを使わないでも、薬剤や外科手術を安全にテストすることができます。長期に生存するものを探していましたが、それらはすべて、すぐ死んでしまいました。ところが、ヘンリエッタ・ラックスの細胞株を調べると、まったく死ななかったのです。それで細胞分裂させ続けた。
 ジョージ・ゲイにとっては金鉱でした。私は、ジョンズ・ホプキンス大学のビクター・マキュージック博士に「ラックスの細胞で医学がどれだけ進歩したか」と聞くと、「全部数えようとすると、あまりに多すぎて数えることができない」と答えました。極めて重要なものは、ポリオワクチンの開発です。ヘンリエッタの細胞がなければ、それの完成はありませんでした。
 アメリカの医療にとってこの細胞は極めて重要です。しかし、ヘンリエッタ自身は亡くなる前に細胞が取り出されたことを知ることはありませんでした。彼女の夫は細胞が取り出されることを拒否していましたが、ゲイ博士は結局、取り出したのです。
 また、彼女の子どもたちや家族は、彼女がアメリカ医学の大恩人であることを知るよしもありませんでした。医者たちは定期的に彼女の家族のもとになだれ込んだ。ジョン・ムーアのようにさらなる細胞と血液を求めて。この者たちが言ったのは、「母の死因となった同じガンが発症していないか確認したい」で、これと同じ嘘をジョン・ムーアが言ってきたのです。それらの細胞や組織も極めて重要な科学的実験に使われました。
―― これで、どのくらい儲かったのですか。
ワシントン それを誰も語ろうとしません。1サンプルあたり200jで売買されました。特許権はありませんでした。しかし重要なことは、それがおよそ、10億回も売買されたということです。だれも算定できない金額になります。
―― けれどもたくさんいる彼女の家族は医療保険さえ受けることができない。
ワシントン 1ペニーも受け取っていません。けれども、90年代にこの家族と数多く話したときに、この金額自体にはあまり関心を示さなかった。
―― 薬の価格について話して下さい。
ワシントン 製薬産業は薬に高額な価格が付けられていることについて否定しません。彼らが言っていることは、新しい薬品を開発するごとに、8億jから20億j〔約640億円から約1600億円〕の費用がかかる。それで、研究や開発費用を回収するために高価格を設定していて、次の開発、次の新しい方法の導入のためにも高価格である必要がある、ということです。
 しかし、それは真実ではありません。
 私はこの本の中で、経済学者のメリル・グーズナーの助けを得ながらこの論議についての分析を行いました。基本的に彼らは、この数字を出すにあたって、われわれが使う薬全体を算定しなかったということです。極端にまれで高価な、極めて狭い範囲の薬しか計算せずに何億ドルという数字を出したのです。グーズナーが言うように、8億jも20億jもはした金ではない。政府による研究費用の支出によって、次の新しい開発方法の導入が行われているのです。そもそも政府支出の金は誰が出したのか。それはわれわれの血税です。彼らの言っていることはまったくといっていいほど作り話に過ぎません。
 薬の開発費用が非常に高額であることが彼らの主張する唯一の、薬価が高額であることについての理論的根拠です。真実の理由は、国民が自分の生命を維持する薬のために、企業が高い価格に設定するのを政府が認めていることです。最も高価な薬が、最も深刻な病気のためのものであることは偶然ではありません。
―― ジェネリック医薬品について説明して下さい。
ワシントン ジェネリック医薬品はコピーであるがまったく同じ薬である。安く買うことができた。企業がアメリカ政府の特許延長制度を利用して、Makenaという早産予防薬の特許を延長できようになったとたん、価格をつり上げました。Makenaのジェネリック薬の製造を止めさせることができるようになったからです。以前は、アメリカの女性はMakenaを全過程の分で400jで購入できました。ほとんど全ての人が購入できた価格です。その薬が今では3万jになりました。保険に入っていない女性は購入できません。この結果は破滅的なものになるかもしれません。この薬を購入できないことが原因で、一生涯病気を持つ子どもが生まれるかもしれないのです。
―― 著書の「バイオ植民地主義」の章について説明してください。
ワシントン 土地や鉱物資源や宝石や動物を発展途上国から略奪する考え方が、現在の人体や細胞組織や植物を略奪することに結びついている事実について書きました。たとえば、ニームという樹木は古来からのインドの薬で世界で広範に使われているものですが、これに対して私企業が特許を取りました。突然にアメリカの会社が特許を取り、インドの治療師や村人がこれを使うのを禁止したのです。この特許は後に無効になりましたが、この事実はある種の考え方をあらわにしています。先進国は発展途上国の富を奪って裕福になろうとしていることです。
―― 自分の細胞株が特許化された時、その人はどのように管理権を持つことができるのでしょうか。
ワシントン 自分たちの管理権をもつことはできません。裁判に訴えることはできますが、裁判所は、一貫して私たちの自分の細胞組織、遺伝子への権利を否定しています。訴訟を起こしても、医療機関、私企業、製薬会社が書類の山を提出してきます。彼らはこう言うのです。「もしわれわれの特許権を無効にするなら、医学研究の進歩を遅らせることになる」と。裁判所は極めて多くの場合、こうした論議に支配されてきました。
―― 日日草について話してください。
ワシントン それは発展途上国で発見され、薬剤になったうちの一つで、たとえば前立腺ガンに効くきます。探検家や植物学者が開発途上の世界に入り込んだ時、呪術師がこれらの植物を見せた時、探検家は次のようなことは決して言いません。「私はこの植物を国に持って帰り、特許を取る。管理権は私が持つことになる」などとは。これがまさに、日日草について起こったことであり、ほかの薬も同様なのです。
―― WTO(世界貿易機関)とTRIPS(知的所有権の貿易関連の側面に関する協定)はどのように関与しているのですか。
ワシントン TRIPS協定が実行したことは基本的に、ごくわずかの医療しか行われていない貧しい発展途上国――たとえばナイジェリア、ブラジル、タイ――の人々に対してヨーロッパやアメリカの特許権を強制したことです。これらの国々で今まで医薬品を利用できたのは、インドで安い薬が作られていたからです。インドはリバースエンジニアリングの手法を用いてヨーロッパの薬を作り出し、安く発展途上国に流通させました。それで、南アフリカやタイの人々は貴重な生命維持薬を手に入れることができました。しかしTRIPSはこれを不可能にしました。「特許を侵害する」ということで、今日インドの工場では作ることができなくなりました。
 幸いにも、発展途上国の人々は結集し、ドーハやカタールに行き、そこでWTOに認められた会合を持ちました。そして、たいへん重要な譲歩を勝ちとりました。すなわち、「マーチイン(参入する)」権利です。この権利は、全ての政府に企業の特許を無効にする権限を与えるものです。生命を維持する薬の特許を持つ会社が薬を作ろうとしないなら、政府は命令して安く製造できる会社に特許権を与えることができるものです。
 アメリカの会社に「あなた方は抗レトロウィルス薬をあまりにも高価にしている。それを必要とするエイズ患者がいる。われわれがこの薬を管理することにして、安く作ってくれる会社に管理権を与える」、と言ったのです。アメリカの商務長官は非常に怒りました。アメリカは「知的財産権の窃盗」についての数多くの声明を出してきました。バイオ植民地主義の歴史を考慮するならば、言っていることは歴史の皮肉というべきものです。
 発展途上国の人々は立ち上がりました。私には一筋の光明が見えます。不公正なTRIPSの規制に対し、彼らが断固として拒否し続けているからです。
―― ハイチとモンサント社について話してほしい。
ワシントン 地震によって破壊された後のハイチでは、人々は貧しく、本当に飢えていました。本当に危機でした。そこでモンサント社はたいへん寛大にも「贈与種子」を提供しました。「贈与」という言葉を使い、ニュースでも「贈与」と流された。しかし私にとって興味深かったのは、それがハイチ政府に贈与されようとしていたことです。貧しい農民はそれに金を支払うようになっていました。
―― 誰に?
ワシントン 政府に支払うようになっていました。モンサント社はハイチ政府に種子を与え、農民はハイチ政府に支払い、種子を受け取らなければならなくなっていました。贈与として、安い価格ではあったが。しかし、彼らは貧しい農民であって、重荷を背負わされようとしていた。種子がハイチに届くには困難が伴ったので、それを手に入れたとき、ハイチ政府はたいへんありがたがりました。
 しかしハイチ農民は反対に、モンサント社の種子を燃やそうとしました。モンサント社に加担したくなかったのです。インドなどで、モンサント社が種子を贈与したとき何が起きたかを知っていたからです。この種子は作物を収穫できるが、それから種子を採ることができず、したがってそれを再び植えることができないのです。そして、貧しい農民は再び種子を買わなければなりません。
―― それは、ターミネーター・シード(死んでしまう種)として知られているものですか。
ワシントン その通りです。植え付けの時が来るたびに、モンサント社から種子を買わねばなりません。
 次にモンサント社は「除草剤に耐性を持つ種子」を贈与したいと言ってきました。ハイチ政府はこれを拒否しました。この「除草剤に耐性を持つ種子(ラウンドアップ・レディー・シード)」は除草剤ラウンドアップに耐性を持つ種子であって、その除草剤はたいへん危険な、毒性の高いものです。こうした考えは、大地を耕作し肥沃にしないで、種子を採り、植え付け、最後には地域すべてに、毒性の高い、非常に高価な除草剤を浴びせかけるようになります。
(写真 巨大銀行ウェルズファーゴを弾劾するカリフォルニア看護師労組の組合員。「99%のための経済を! 全員に医療保険を!」【11年11月3日 サンフランシスコ】)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号5-1)(2012/02/01)

■Photo News

 ●米西海岸で港湾占拠・封鎖の闘い

 (写真@)

  (写真AB)

 12月12日早朝から、アメリカ西海岸の各港湾で、港湾占拠、封鎖の闘いが開始された。
 動労千葉が連帯を強化しているオークランド港とワシントン州のロングビュー港では、港湾ターミナルが封鎖された(写真@)。オークランドの「西海岸港湾封鎖運動」のホームページでは、ロングビューでの港湾労組(ILWUローカル21)破壊とTPP推進に抗議する動労千葉と全国労組交流センター、星野文昭さんを取り戻そう全国再審連絡会議、全学連などの伊藤忠抗議闘争について報道された。
 西海岸最大の港湾、ロサンゼルスのロングビーチ港では、午前4時半から行動が開始され、集まった労働者たちによって、港湾への入り口が封鎖された(写真A)。また、サンディエゴでは、警察が暴力的に介入するまでの間3時間にわたって港湾が封鎖された。警察は、バンクーバー、ヒューストンでも港湾封鎖闘争を暴力的に弾圧した(写真B)。シアトル、アラスカでも港湾封鎖行動が行われた。シアトルでは催涙ガスや、発光弾などが使われた。
 オークランド、サンディエゴ、シアトルでは、この警察の暴力的介入に抗議するため、13日にも港湾封鎖闘争が継続される。

 ●伊藤忠に抗議行動

  (写真CD)

 12月12日、この日、動労千葉、全国労組交流センター、星野さんの再審をかちとる全国連絡会議、全学連などの参加で、アメリカ西海岸の港湾労組(ILWU)の組合を破壊し、TPP締結をにらんで外注化と非正規化を推進する伊藤忠に対する抗議行動が展開された。
 この闘いは、同日行われる「占拠運動」のアメリカ西海岸の全港湾封鎖闘争に連帯する闘いだ。11月労働者集会に参加して、ワシントン州ロングビュー港に建設された巨大なEGT(穀物輸出施設)に対する闘いへの支援を訴えたILWUローカル21のダン・コフマン委員長や組合員に対する連帯の気持ちも込めて、断固たる抗議行動が行われた。伊藤忠側は、厳重な警戒態勢を取り、警察導入も狙っていたが、これを跳ね返し、戦闘的な抗議行動を最後まで貫徹した(写真CD)。

 ●フィリピン航空東京支社に抗議闘争

  (写真EF)

 12月12日、伊藤忠抗議行動の後、抗議行動に参加した部隊は、赤坂見付にあるフィリピン航空東京支社前に登場した。
 フィリピン航空は、フィリピン航空労組(PALEA)の労働者3500人のうち2600人を外注化し、外注化を拒否した労働者の首を切るという暴挙に出ている。これに対し、PALEAの労働者は、9月27日にストライキを貫徹し、以後、3カ月間にわたって連日1000人のピケットや泊まり込みテント闘争を継続している。
 今回の抗議闘争は、PALEAの闘う労働者と連帯して、当事者のフィリピン航空への抗議申し入れ行動として行われた(写真E)。代表団は、フィリピン航空東京支社の責任者に対して申し入れと抗議を行い(写真F)、12月中に申し入書に対するしかるべき回答を動労千葉あてに行うことを約束させた。

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号6-1)(2012/02/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点

 タイ大洪水が日本資本直撃

 自動車工場など水没し決算予想もできず

 10月からのタイ洪水が、タイに進出し生産拠点としてきた日本資本に大打撃を与えている。とくに自動車資本は、タイをアジアなどへの輸出拠点にするとともに、日本国内も含めた必須不可欠の部品供給網(サプライチェーン)としてきた。日本の自動車産業は、東日本大震災で部品供給網の寸断に直面したが、タイ洪水によってそれ以上の深刻なダメージを受けている。日帝はTPP(環太平洋経済連携協定)参加の政策に踏み切り、アジア侵略をエスカレートさせようとしている。しかし、アジアの生産拠点化という肝心の経済実体ではむしろ大破産に陥り、脱落帝国主義としてのたうち回っている。

 □6b超の防水堤も超え7つの工業団地が浸水

 7つの工業団地の浸水によって約1万の工場が閉鎖され、約66万人の労働者が影響を受けた。入居する725社のうち6割超の447社が日系企業である。これは、タイに進出している日系企業の約35%にあたる。
 ロジャナ工業団地にはホンダ、ニコン、パイオニア、森精機製作所、日立金属など147社の日系企業が工場を構えていた。工業団地は川からの距離に応じて、最低でも1・5〜2bの堤防設置が義務づけられている。ロジャナ団地では周りを囲む高さ6・5bの防水堤を越えて浸水が進み、避難命令が出た。水位は最大4bにも達した。浸水というより、冠水あるいは水没だ。
 さらに、首都バンコクの全50区のうち北部・西部を中心に約半数の地区が浸水した。政府はバンコク北縁の防水壁によって水を止めて、東西に誘導して海に排出する作戦だった。しかし、被害が長引く地域の住民が水門を開けるよう要求したり、防水壁を破壊したりしたため、首都も浸水した。
 11月半ばから、浸水した7工業団地のうち4団地で排水作業が本格化した。ロジャナ工業団地では1日100万dが排水されているという。しかし、たとえ排水できたとしても清掃、電力などのインフラ復旧、生産設備の入れ替えなどが必要となり、簡単に復旧できるものではない。11月末に政府の復興計画を策定するウィラポン委員長は、復旧作業の完了は「来年4月ごろ」との見通しを示した。ほぼ半年間にわたって洪水被害を受けるということだ。

 □森林伐採と都市開発で保水・貯水できず

 タイ南部は低地にあるため毎年のように洪水が起きるが、今回の被害は過去半世紀でも最悪となった。例年は雨期終盤の10月中旬に雨量が増えて洪水が出るが、今年は7月から北部・中部で豪雨が続き、降雨量が例年より4割も多かったという。
 しかし、けっして「天災」ではない。大洪水の最大原因は、森林伐採によって保水能力が低下したことにある。また、限度を超えた「都市開発」により、本来なら貯水機能を果たしてきた田んぼや沼地が失われ、極端な増水が起きるようになった。
 しかも、バンコクは周囲に防水堤を張りめぐらしたうえ、首都圏内に降った雨を排水する設備を築いてきたので、バンコク自体の被害は減ってきた。その分、周辺地域の水位が上がり、首都防衛の犠牲になってきた。「タイ政府が外国企業を誘致するため、洪水に対して脆弱な地域の工業団地を造ってきたのは事実だ。治水は首都バンコクを守ることが最優先で、周辺の工業地帯の浸水被害は想定できていなかった」(ニューズウィーク日本版11・9号)。しかし、そうまでしてきたにもかかわらず、首都バンコク自体も洪水から守ることはできなかった。

 □低賃金求め日本の7000社が進出

 日本資本が東南アジアで最も早く、かつ大規模に投資をしてきたのは、ほかならぬタイである。その背景には、タイ王室と日本の天皇家との結びつきがある。バンコク在中の日本商社マンがタイ王室と懇意になったうえで、商社が中心になって「開発計画」を作り、それをタイ政府が日本政府に「援助要請」し、これに日本政府がODA(政府開発援助)をつけて「援助」する、という癒着構図があった。最近でも、11月9日にトヨタ社長の豊田章男がタイの工場再開へハッパをかけるために乗りこんだが、その後にタイ宮内庁を訪問し、そこで記者会見を開いている。
 10年のタイへの直接投資額は2792億バーツ(約7035億円)と前年比倍増となった。うち日本からの投資額は1000億バーツと圧倒的な1位である。また、タイにおける日本の現地法人の売上高業種別シェアをみると、製造業が77・6%を占め、中でも輸送機械(=自動車)が46・0%と高い割合を占める(09年)。
 タイには約7000社の日本企業が進出している。うち約2000社が生産拠点を有する。中国の日系企業は約2万社なので、タイは中国に次ぐ。マレーシアの約1400社、インドネシアの約1300社を大きく上回る。中国でもそうだがタイでも、日本資本は低賃金が最大の目当てだ。タイの人件費は日本の5分の1と言われる。そうした低賃金で搾取することで、日本資本は植民地主義的な超過利潤を得ているのだ。
 しかも、この間の円高や東日本大震災を受け、日本資本はタイへの投資を加速している。11年1〜6月の外国からの直接投資額は前年同期比30%増の1550億バーツ(約4200億円)、投資件数は25%増の471件となった。うち日本からの投資額は2・3倍の875億バーツ(約2370億円)、件数も65%増の241件にのぼった。

 □日本車シェア9割タイを輸出拠点に

 とくにタイは日本の自動車メーカーの東南アジア最大の生産・輸出拠点となっている。日本資本のアジア(国内除く)での自動車生産台数は、06年に北米での生産を抜いた。アジア生産は00年からの6年で2・5倍に増えた。その拠点がタイと中国だ。
 日本資本の海外投資・現地生産は、現地市場志向型と輸出志向型の2種類があるが、タイでの自動車生産は200
0年代に急速に輸出志向型の性格を強めた。とくに97年のアジア通貨・経済危機以降、タイ・バーツ安を利用して自動車の輸出基地にする動きが強まった。各社が日本から移管し集約した1dピックアップトラックでは、生産台数の半分が世界に輸出されている。
 これに伴い日本から部品メーカー・素材メーカーもタイに進出した。下請け企業も含めた系列ぐるみの現地生産だ。7工業団地には日本の未上場の中小企業が96社も進出している。中国よりタイの方が集積度が高い。
 こうして日本車8社で、タイの自動車生産の9割を占めるまでになった。10年のタイの自動車生産は前年比65%増の165万台と過去最高を更新した。10年前の実に約43倍にもなる。トヨタのタイ工場では56秒に1台が生産される。これは国内主力の堤工場(愛知県豊田市)に匹敵し、世界に約50あるトヨタの完成車工場で最速をなす。世界一の生産性の工場だ。さらに三菱自動車、スズキ、フォードが新工場を建設中である。
 日本車メーカーは、手厚い外資誘優遇策を利用してタイでの集中生産のメリットを追求してきた。自動車は外資100%が認められたうえ、「エコカー計画」はさらに優遇された。「ガソリン1gで20`b以上走行できる排気量1300cc以下の低燃費車を年10万台生産する」という要件で、設備・部品の輸入関税、法人税が減免される。これを使って、日産は10年7月からタイで生産した「マーチ」を日本に輸入している。主力量産車の海外生産・輸入の初のケースだ。
 その他、@ブリヂストン、住友ゴム、横浜ゴムのタイヤ3社は、タイを主要な輸出拠点として位置づけている。A一部の電子部品メーカーの集積度は自動車をしのぐ。パソコンなどの記憶装置に使うハードディスク駆動装置(HDD)が代表例。HDDの世界出荷の5割がタイ製で世界最大の輸出国をなしている。B小型モーターの日本電産など多くの部品会社が「城下町」を形成する。CさらにJFEスチールと新日鉄は、日本から輸出する自動車の表面処理鋼板(亜鉛メッキ加工)を13年からタイ新工場での現地生産にシフトする。D鶏肉加工品では10年度の輸入量・約38・7万dの過半がタイ産で、冷凍エビも輸入の2割をタイに依存している。

 □自動車各社「まるで大震災と同じ構図」

 タイ大洪水で最も打撃を受けたのは日本の自動車産業である。ホンダはロジャナ団地の組み立て工場が浸水、高さ3bまで水に漬かった。組み立て工場の浸水はホンダだけ。
 トヨタは、7工業団地の外にあるパンポ工場とサムロン工場を守るために、計40万個の土嚢を使い高さ1・8bの防水壁で囲った。自動車の内装部品を生産する河西工業は、かろうじて金型を守り、神奈川県や三重県の工場にタイから金型を持ち込み、タイ人従業員約50人を動員して生産している。電装部品のケーヒンは、水没した金型を潜水作業員を使って引き上げた。
 しかし、多くの下請け部品メーカーが浸水被害にあい、部品供給が滞った。このため10月に、日本車8社すべてが生産停止に追い込まれた。自動車は1台あたり2万〜3万個の部品で造られており、一つでも欠けると生産できない。トヨタや日産の現地幹部は「まるで東日本大震災と同じ構図だ」と語る。
 11月中旬〜下旬にホンダを除く各社が、部品の代替調達で操業を一部再開したが、全面再開とはなっていない。「洪水以前の状態にいつ回復するかは不透明」(いすゞ自動車の細井社長)である。
 その打撃の大きさを物語る事実がある。11月半ばに自動車各社の12年3月期の決算予想の発表があったが、ホンダとトヨタは「タイ洪水の影響が算定できない」として決算予想を急きょやめた。被害の大きさが算定できないほどの惨状なのだ。
 被害はタイにとどまらず全世界的だ。トヨタは、日本・北米・東南アジアなど9カ国の工場で減産に入った。トヨタはタイからカーナビゲーション、オーディオ、メーターに使う電子部品など多数の部品を調達している。タイで調達が滞る可能性のある部品約100点のうち、半数以上もが日本向けに輸出されている。タイ洪水の影響で日本国内で生産を停止したのは20車種にも及んだ。「アジア的サプライチェーン」が崩れたのである。

 □一段と脱落帝国主義と化す日帝の打倒を

 日本経済はますますアジアへの依存を深めている。主要企業が11年3月期にアジア地域で稼いだ営業利益は1兆2
462億円と、日本国内の利益・約7400億円を上回った。だからこそ日帝・野田政権は、TPP参加にしゃにむになっているわけである。
 しかし、東日本大震災による部品供給網の寸断、そして今回のタイ洪水と、国内外でより低賃金を求めて進出したところで次々に大打撃を受け、構造的弱さを露呈させている。帝国主義間・大国間争闘戦での優位確保から脱落している。まさに脱落帝国主義だ。労働者階級が団結して闘うかぎり、日帝打倒の展望はますます切り開かれていく。
 (島崎光晴)
(写真 水没したロジャナ工業団地のホンダの組立工場。12月には排水できたが1カ月以上も水に漬かった)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号7-1)(2012/02/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 フランス編

フランス労働総同盟(Confdration gnrale du travail:CGT)

フランス労働総同盟(Confdration gnrale du travail:CGT)

 ■概要

 フランスの5大労働組合ナショナルセンターは、CGTのほかに労働総同盟・労働者の力(CGT−FO)、フランス民主労働連盟(CFDT)、フランスキリスト教労働組合連盟(CFTC)、管理職総同盟(CGC)である。その中で、CGTは組合員数はCFDTに次ぐ2位であるが、得票数では1位のフランス最大のナショナルセンターである。CGTの組合員数は約71万人だが、2008年の代表者選挙の得票率は34%であった。
 フランスと日本は「労働組合」の概念が違う。企業内労働組合に相当するのはフランスではサンディカと呼ばれるが、最大組織のCGTでも一つのサンディカの組合員数は平均40名程度で、活動家組織に近い。企業内で従業員代表を決定する選挙が2年あるいは4年に1回行われ、選出された代表の所属するサンディカの影響下で労働者は動く。ストには「非組合員」も参加する。したがって、得票率が重要な要素となる。CGTの現書記長はベルナール・チボー(共産党幹部)である。

 ■初のナショナルセンター

 CGTは、1895年にフランスにおける初のナショナルセンターとして結成された。労働組合の統合を主張するアナルコ・サンジカリストの影響が強く、1914年以前は反軍隊の方針を掲げていたが、第1次大戦ではCGT組合員の戦争動員に協力した。しかし、1917年のロシア革命に触発されたフランスの労働運動は高揚し、CGTは1918年からの2年間で飛躍的に加盟組合員を増やして250万人の大組織となった。
 CGTでは、ボルシェビキを支持する「革命派」と穏健路線の「改革派」に分岐し、1919年にキリスト教サンジカリストが脱退してフランスキリスト教労働者同盟(CFTC)を結成した。1921年には、共産党に指導された革命的サンジカリストが脱退して統一労働総同盟(CGTU)を結成したが、1935年に人民戦線結成の気運の中で再び復帰した。さらに、第2次大戦後のマーシャルプラン受け入れをめぐって共産党系指導部のゼネスト決行方針に反対した穏健派が脱退、1947年にフランス労働総同盟・労働者の力(CGT−FO)を結成した。
 このように、現在のフランスの5つのナショナルセンターは、いずれもCGTを起源としている。

 ■米帝AFLの支配介入

 第2次大戦後、世界的に労働者階級の闘いが高揚し、戦後革命情勢となった。1944年にAFLが設立した自由労働組合委員会(FTUC)は、階級的労働運動を破壊するためにアメリカ国務省と一身同体となって活動した。
 1946年1月のFTUCの会合で、「西側の労働運動を全体主義の支配から救う観点からすればフランスは第一の国だ」として、フランス最大の左派労働組合組織であったCGTの次期大会の代議員の中に反共ブロックを作って大会を分裂させる計画を立て実行に移したが、失敗に終わった。しかし1947年初め、FTUCは5万jを使ってCGTを分裂させ、その結果別組織として誕生したのがCGT−FOである。

 ■資本主義揺るがす大ゼネスト

 CGT執行部は現在もフランス共産党のヘゲモニーの下にある。
 1980年代の社会党政権に入閣した共産党は、フランス資本主義を立て直すための「緊縮政策」を推進した。CGTは「民営化なしに公共部門は守れない」として、ルノー自動車・銀行などの民営化を推進した。だが、CGTの一般組合員の怒りは激しく、労働組合の新潮流SUD(連帯労組)などが生まれ、CGT内部でも1990年代には組合役員選挙で4割近くの反執行部票が出る事態となった。
 1993年の民間部門の年金「改革」、95年の公務員・公共企業体の年金「改革」に対して、ついに95年春のルノーのストを皮切りにストが続発し、秋には68年5月以来の鉄道を中心とする各ナショナルセンターの壁を越えた巨大なゼネストに発展した。CGTも一般組合員の闘いに押され、ゼネストに参加せざるをえなくなった。この闘いで、フランス国鉄の民営化計画も挫折させられた。
 ニコラ・サルコジが大統領の座についてからは、人員削減・民営化攻撃に抵抗する大規模な全国一斉ストが繰り返し行われている。2009年3月には200カ所以上の都市で300万人がストに参加し、2010年にも「反サルコジ」の闘いは、5大労組全国組織による全国一斉ストライキと街頭デモをもって激しく行われた。現在に至るまで、フランスの新自由主義政策に真っ向から反対する労働者の闘いは戦闘的に続いている。
(写真 2010年3月23日の100万人全国一斉スト)

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号8-1)(2012/02/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 2月5日

■1920年八幡製鉄争議■

溶鉱炉の火を止めた

1万5千人の労働者が生産を止め資本と国家に階級的力つきつける

 『鎔鉱炉の火は消えたり――八幡製鐵所の大罷工記録』というタイトルの冊子がある。著者は、このストライキの指導者だった浅原健三。1920年2月5日、八幡製鉄の労働者2万人が一斉にストライキに突入し、すべての生産をストップさせた記録である。
 当時、ロシア革命後の世界は、ヨーロッパで、朝鮮や中国で、そして日本でも、革命的決起のうねりが巻き起こっていた。その中で1920年の八幡製鉄の労働者の決起は、生産現場の労働者が組織的に資本と国家に反逆した闘いとして重要な意味を持っている。
 八幡市(現福岡県北九州市)の八幡製鉄所は、日本随一の官設工場で、2万5
千人の労働者が働いていた。戦争による鉄価の暴騰、製鉄所の活況という「繁栄の裏に、燃えるが如き不平不満が、煤煙と機械油とに汚れた労働服の裡に生成しつつあった。機縁があれば、隙があれば、労働者は一挙に起つべく身構えつつあった」(前掲書)

 ●最初は自然発生的怠業

 長時間労働、低賃金、劣悪な職場環境(不衛生な食堂、便所、浴場など)に対する怒りが高まっていた。1918年秋には、一職工の西田健太郎(25)の食堂での演説を契機に自然発生的なサボタージュが行われた。
 19年8月、八幡市初の労働問題公開演説会が、浅原の指導で計画された。これは権力の弾圧でつぶされるが、参加しようとした労働者数千人が押しかけ、機が熟してきたことを告げた。
 浅原らは「労友会」を結成し、「賃上げ、8時間労働制」を掲げて労働者をオルグしていった。1カ月余で会費を納入する会員が3
000人に達した。製鉄所当局の態度はきわめて強硬だったため、激突は避けられなかった。
 20年1月、浅原は理事会の決定に基づき、上京して八幡製鉄所長官・白仁武邸に交渉に行ったが、労働者の力を見くびった白仁は要求を考慮する姿勢さえ示さなかった。
 1月下旬、罷工(ストライキ)基金が集められ、スト戦術が練られていった。中堅の指揮隊を運輸、外輪、機関庫、製鋼、堂山工場の5隊に分け、スト開始を午前6時50分とした。当時は昼夜2交替制で、出勤の時間に合わせ、出退勤の全労働者を決起させる。70の工場を12分し、五つの隊に編成して、敷地内を行進して本事務所を包囲し、要求を提出し、市中をデモして豊山公園に引き上げるという作戦だ。

 ●工場の全機能が停止

 

2月5日、ついに大罷工決行。全製鉄所の運輸機関は停止し、心臓部の中央汽缶場では、ボイラーの火が落とされた。蒸気は絶え、溶鉱炉の火が消えた。
 380本の煙突から煙が消え、機関車の煤煙も消えた。工場の大騒音もなくなった。すべての生産を担う労働者の力の大きさを示す闘いだった。
 慌てた当局と権力は指導者300人を逮捕し、切り崩しに全力を挙げたが、罷工は6日、7日と続いた。御用組合が作られ、10日から労働者の大半が入場。それでも当局側が何一つ要求を受け入れなかったため、闘いは終息しなかった。
 復業以来、憲兵と警官の監視下の強制労働を強いられる中、怒りが高まり24日、再び闘いが爆発した。朝の交代時間に、喊声とともに労働者が工場から雪崩出て、集合し、通用門から外に飛び出した。翌25日、無期休業を宣言。
 しかし26日、原敬内閣は突如衆院解散し、政治問題化しようと画策した労友会の思惑は崩れ、敗北に追い込まれた。解雇224人、起訴63人。スト終結後、賃上げと時間短縮・3交替制が実現した。労働者の総決起の力に震撼したのだ。
 浅原は、スト決行まで力を発揮したが、スト突入の5日に逮捕された後はかかわっていない。取り調べに対して、完全黙秘・非転向の態度ではなく警察と論争したりして、階級対立の非和解性の観点を欠落させていた。浅原は後に転向し、労働者階級を裏切り、自らの闘いと著書を裏切った。
(写真 九州の鉱山や製鉄所の労働運動の指導者だった浅原健三の闘争記録『溶鉱炉の火は消えたり』)

 -------------------------------------------------------

 ●八幡製鉄争議関連日誌(『溶鉱炉の火は消えたり』より)

18年秋   職工約1万人がサボタージュ 18年秋   職工約1万人がサボタージュ
19年8.30 労働問題演説会、弾圧で開けず
   10.16 八幡市で日本労友会の発会式    10.16 八幡市で日本労友会の発会式
   11末  労友会の会員3000人に    11末  労友会の会員3000人に
20年1上  労友会の浅原会長が上京、製鉄所長官に面会、要請 20年1上  労友会の浅原会長が上京、製鉄所長官に面会、要請
  1.23   罷工基金の募集始まる   1.23   罷工基金の募集始まる
  1.30   労友会の協議、スト決行を決議   1.30   労友会の協議、スト決行を決議
  2.4  労友会が、当局に嘆願書を提出。工場課長が受け取りを拒否   2.4  労友会が、当局に嘆願書を提出。工場課長が受け取りを拒否
  2.5  ストライキ決行。1万5千人の行進が近くの公園へ。浅原逮捕   2.5  ストライキ決行。1万5千人の行進が近くの公園へ。浅原逮捕
  2.7  製鉄所長官が要求拒絶の「諭告」   2.7  製鉄所長官が要求拒絶の「諭告」
  2.8  御用組合「労働組合同志会」発足   2.8  御用組合「労働組合同志会」発足
  2.24   第2波のスト。市内に1万5千人   2.24   第2波のスト。市内に1万5千人
  2.25   無期限休業を宣言   2.25   無期限休業を宣言
  2.28   罷工団、戦意を放棄   2.28   罷工団、戦意を放棄
  3.3  大半、就業   3.3  大半、就業

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号9-1)(2012/02/01)

日誌

■日誌 2011 11月

2日福岡 玄海原発再稼働に緊急抗議闘争
九州電力が1日深夜11時に玄海原発4号機の再稼働強行と2日中の発電再開を発表したことに対し、100人を超える仲間が緊急抗議行動に立った。行動は午後6時半まで続いた。合同労組レイバーユニオン福岡、とめよう戦争への道!百万人署名運動福岡県連絡会、NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)福岡準備会の仲間は、福岡・全九州の闘う人びととともに参加し、抗議行動を闘い抜いた。九電本店前には12時半頃から九州各地の仲間が結集した。突然の再稼働宣言を行った九電原子力発電本部・豊嶋直幸部長の「今回の再稼働で地元了解は必要ない」との発言に怒りが集中した
2日アメリカ オークランドでゼネスト
帝国主義世界体制の心臓部、アメリカ・オークランド市でゼネラル・ストライキによる労働者階級の大反撃が始まった。1946年のオークランド・ゼネスト以来65年ぶりの闘いだ。米西海岸で第2の巨大港湾、オークランド港は完全に機能を停止した。巨大な人の波がハイウェーを占拠し、市中心部から西オークランドの港湾地区に向かうのを、誰も止められない。ピケ隊は港湾施設の入り口でピケットラインを作り、施設内のトラックやコンテナの上に登って、港湾地区全体を占拠した
3日韓国 韓米FTAで労働者学生が国会突入
韓国では、韓米FTA(自由貿易協定)批准、済州島(チェジュド)海軍基地建設、韓進(ハンジン)重工業の整理解雇撤回闘争などをめぐり、労働者階級をはじめとした全人民とイミョンバク政権との死活をかけた激突が連日、闘われている。3日には、韓米FTA批准に反対する5000人の集会が開かれ、国会西門から構内へ突入しようとして警官隊と激突、23人が連行された。この闘いでこの日の国会本会議は中止に追い込まれた
4日千葉 民主労総が三里塚訪問
民主労総ソウル本部の訪日団32人が三里塚にやってきた。正午過ぎに成田空港に降り立った一行は、動労千葉の案内で天神峰に直行し現地調査に入った。団結街道が封鎖された市東孝雄さん宅前で監視やぐらに昇って第3誘導路工事の現場を目の当たりにし、さらに南台の市東さんの畑、東峰の開拓組合道路、東峰神社などを訪れた
5日千葉 動労千葉 線見訓練拒否のスト突入
動労千葉は、佐倉・銚子運輸区新設、ローカル線切り捨てに反対し、本人希望を無視した線見・ハンドル訓練阻止に向けて指名ストに突入した
5日千葉 労働者国際連帯集会かちとる
「激化する新自由主義攻撃と対決する労働運動を! 全原発を停止せよ! 非正規職撤廃!」を掲げた労働者国際連帯集会が、千葉市美術館講堂で開かれた
5日大阪 解雇撤回、パナソニックを弾劾
大阪北部ユニオン・パナソニック連帯労働組合は、「パナソニック大量解雇阻止、S組合員に対する雇い止め・解雇1周年弾劾」を掲げて、パナソニック資本と請負会社パスコに対する3波の行動を闘った
6日東京 全国労働者総決起集会に5950人
11・6全国労働者総決起集会が東京・日比谷野外音楽堂で開かれ5950人が結集し、福島原発事故と再稼働、大失業と非正規化攻撃に対する総反撃を宣言した。大恐慌下の新自由主義攻撃との闘いの渦中にある韓国やアメリカなど世界の闘う労組代表が参加した。ストライキで闘う動労千葉や動労水戸、1047名解雇撤回を闘う国鉄労働者を先頭に労働組合、労働者、学生、市民などが参加した。集会後、東京電力本店前を通り、銀座、東京駅前をデモ行進した。
6日東京 11・6若者集会、青年パワーあふれ
全国労働者総決起集会に先立ち、「原発とめて!非正規なくして! うちら99%で社会をひっくり返そーぜ!若者大集会」が午前中に開催された
8日東京 TPP反対・農地死守≠U千人集会両国国技館において「TPPから日本の食と暮らし・いのちを守る国民集会」が実行委の主催で開かれ、三里塚芝山連合空港反対同盟が参加者へのビラまき・情宣に立ち上がった
8日徳島 ゼルツァー氏、星野面会申し込む
米運輸労働者連帯委員会のスティーブ・ゼルツァーさんとお連れ合いの鳥居和美さんが徳島刑務所を訪れ、星野文昭同志との面会を申請した。しかし徳島刑務所はこれを不許可にした
10日韓国 釜山 韓進重工業争議が勝利
釜山の韓進重工業で整理解雇撤回を求めて309日間の高空籠城闘争を続けた民主労総釜山本部のキムジンスク指導委員が、ついに自分の足で85号クレーンから降りてきた
10日京都 京大、反原発で大衆団交
京都大学で大学奪還学生行動などの呼びかけによる11・10京大反原発団交が打ち抜かれた。40人の学生が参加、赤松副学長らを追及し6時間にも及ぶ団交の末に大学当局の全面謝罪をかちとった
11日東京 裁判員制度も原発もいらない
「裁判員制度も原発もいらない!」「最高裁は呼び出し状を送るな!」。「裁判員制度はいらない!大運動」が呼びかけ、弁護士を先頭に労働者・市民ら220人が最高裁への怒りのデモに立った11日千葉 動労千葉 運転基地再編阻止へ
動労千葉は、「基地再編攻撃粉砕! 京葉構内外注化阻止! 組織拡大!」をスローガンに総決起集会をDC会館で開催した。DC会館の大会議室を埋めつくす組合員が結集した 
12日福島 「若者会議」で細野原発担当相を弾劾福島市で開催された「ふくしま会議」の分科会として福島大学構内で開かれた「若者会議」において、福島大生と坂野陽平全学連書記長が環境大臣・原子力行政担当大臣の細野豪志に原発絶対反対の怒りをたたきつけた
12〜14日韓国 新自由主義と闘う日韓連帯
11・6集会を闘った国鉄闘争全国運動呼びかけ人の伊藤晃さん、金元重さんと動労千葉、全国の労働者・学生など総勢100人近い動労千葉訪韓団は、民主労総ソウル本部に迎えられ、12日の前夜祭から11・13労働者大会、14日の日韓労働者理念交流をともに闘った。全国学習誌産業労組才能教育支部は07年5月から団体協約原状回復と不当解雇撤回を闘ってきた。争議1423日目の12日、長期闘争事業場を回ってきた労働解放先鋒隊を迎え、整理解雇・非正規職撤廃の集会が開かれた。東北大学学生自治会の石田真弓委員長らも参加した。13日昼、動労千葉訪韓団は、京畿道南楊州市マソクのモラン公園の烈士墓地を訪問した
13日大阪 自治体・教育労働者が集会
関西労組交流センター自治体労働者部会・教育労働者部会が「橋下も平松もぶっとばせ!討論集会」を大阪市浪速区で開催し、5府県19単組から45人の仲間が参加した
13日福岡 福岡反原発集会 1万5千人が決起
「さよなら原発! 福岡1万人集会」が福岡市・舞鶴公園で開かれた。集会は、九州全県を中心に沖縄、韓国からも結集し、1万5千人の大集会になった。70年闘争以来の大結集だ。舞鶴公園をいっぱいに埋めた中心は青年や労働組合だ。各界・各層の人士たちも立ち、小さな子ども連れの姿も目立った
19日東京 鈴木コンクリート分会の緊急集会
杉並区内で東京西部ユニオン・鈴木コンクリート工業分会(内尾稔分会長)の闘争勝利をめざす緊急集会がかちとられた。悪天候を吹き飛ばし、会場を満杯にする135人が結集した
20日福岡 NAZEN福岡結成集会かちとる
福岡市で「核も原発もいらんばい!反原発集会&NAZEN福岡結成集会」が開かれた。参加者は72人。9・19−11・6−11・13さよなら原発福岡集会1万5千人の高揚を引き継ぎ、反原発を闘う意欲に満ちた集会だった
20日富山 NAZEN北陸の結成集会かちとる
原発が一番集中する北陸の地で、NAZEN北陸の結成集会が富山市内で約20人でかちとられた
21日東京 動労西日本山田副委員長が怒りの証言
動労西日本は、山田和広副委員長に対する「雇い止め解雇」撤回・契約社員制度撤廃に向け、中労委闘争を闘った。郵政非正規ユニオンの斎藤裕介委員長も闘いをともにし、全産別での非正規職撤廃へ団結を固めあった
21日宮城 けやき交通、青ノさん解雇撤回させる
みやぎ連帯ユニオンの青ノ歩副委員長が、震災を口実とした(株)けやき交通(仙台市)による不当解雇を撤回させ、原職復帰をかちとった
23日広島 IAEA講演中止せよ
ヒロシマの被爆者・学生・労働者は、原爆資料館隣の国際会議場で開催された「2011HICARE(ハイケア)国際シンポジウム/放射線の人体影響―放射線被ばく者医療の国際的なネットワークの確立に向けて」(23、24日開催)の中止を求め、抗議行動に立ち上がった。主催はHICARE(放射線被曝者医療国際協力推進協議会)と広島県。共催は原発推進機関であるIAEA(国際原子力機関)。後援は外務省、文科省、経産省など原子力村が勢ぞろいだ
29日大阪 国賀議員、関空問題で申し入れ
国賀祥司泉佐野市議が関空問題で国土交通省大阪航空局と大阪府に申し入れを行った。泉州住民の会と関西労組交流センターで14人が参加した。関空・伊丹の統合問題など6項目を申し入れた
 ------------------------------------

 (弾圧との闘い)

1日東京 星野再審ビデオ国賠請求訴訟開く
東京地方裁判所民事第45部(石井浩裁判長)で、「星野再審・ビデオ国家賠償請求訴訟」の第3回期日が開かれた。この国賠訴訟は、星野同志の一審で証拠採用されたビデオテープ2巻を警視庁公安部が「紛失」したことに対して、東京都と国の責任を追及するものだ
10日愛媛 愛媛県警のAさん不当逮捕弾劾
愛媛県警は愛媛労組交流センター事務局のAさんを「免状不実記載」容疑をデッチあげて不当逮捕した。11・6労働者集会の大高揚に追いつめられた野田政権による労働運動、伊方原発闘争、星野闘争の破壊を狙った反動だ

------------------------TOPへ---------------------------

月刊『国際労働運動』(426号A-1)(2012/02/01)

編集後記

■編集後記

 世界大恐慌の本格的な爆発の中で、ヨーロッパでは財政破綻国家が続出し、大増税、年金切り捨て、公務員労働者の首切りが労働者に襲いかかっている。これが労働者の怒りに火をつけ、ギリシャ、イギリス、ポルトガルなどで歴史的なゼネストが爆発している。
 日本の労働者にも同じ攻撃がかけられている。野田政権は、原発の再稼働と輸出、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加、大増税と消費税率10%への引き上げ、辺野古新基地建設と日米安保強化に突き進んでいる。日本でもゼネストが闘われるべき情勢なのだ。
 だが、連合という帝国主義労働運動が野田政権を支えている。連合支配を打ち砕くことにこそ勝利する道がある。反原発闘争と外注化阻止・非正規職撤廃の闘いを職場からつくりだし、連合支配をひっくり返そう。

------------------------TOPへ---------------------------