International Lavor Movement 2013/10/01(No.446 p48)

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2013/10/01発行 No.446

定価 315円(本体価格300円+税)


第446号の目次
 

表紙の画像

 

表紙の写真 朴槿恵政権打倒へ10万人ロウソク集会(8月10日 ソウル)
■羅針盤 9・15―25は最大の決戦だ 記事を読む
■News & Review 中国
核燃料工場建設に反対するデモ  福島第一原発事故への怒りが背景に
記事を読む
■News & Review 日本
憲法9条を停止する集団的自衛権の行使容認  海外侵略戦争が自衛隊の基本任務に大転換
記事を読む
■News & Review エジプト
開始されたエジプト第二革命  軍部による独裁支配体制の再建を許すな
記事を読む
■特集 闘う韓国労働者と連帯を
新自由主義と激突する韓国・民主労総の闘い
記事を読む
■Photo News 記事を読む
■世界経済の焦点
アメリカ農業の歴史と現実  大規模経営促進と家族農業の零落
記事を読む
■世界の労働組合 韓国編  現代自動車非正規職労組 記事を読む
■国際労働運動の暦 10月18日  ■1946年電産10月闘争■
戦後革命の高揚を牽引
資本主義生産の基盤をなす電力を労働者が掌握した停電ストの威力
記事を読む
■日誌 2013 7月 記事を読む
■編集後記 記事を読む
裏表紙の写真 ファストフード労働者のデモ(7月29日 ニューヨーク)

月刊『国際労働運動』(446号1-1)(2013/10/01)

羅針盤

■羅針盤 9・15―25は最大の決戦だ

▼8月22日、動労千葉と弁護団は東京高裁・難波孝一裁判長に、1047名解雇撤回を闘い鉄建公団訴訟控訴審の弁論再開申し立てと第3次署名提出行動を行った。申請したのは、国家的不当労働行為に直接関わった連中の証人採用と弁論再開だ。特に当初は採用候補者名簿に載っていた動労千葉組合員12人を名簿から排除した直接の犯人、葛西敬之だ。東京高裁・難波裁判長にこれらの真実を闇に葬り去る権限などない。弁論再開で葛西を法廷に引きずり出し、国鉄分割・民営化の真実を満天下で暴き出そう。
▼動労千葉の営々たる闘いに
よって26年目にして初めて、国鉄改革法の真実が白日の下に暴き出された。昨年6月29日、東京地裁・白石哲裁判長は、動労千葉組合員らを清算事業団送りにしたJR採用候補者名簿不記載基準について「不当に差別する目的、動機のもとに本件不記載基準を策定した」と認定した。この白石裁判長が今春、突然更迭されたのが「白石事件」だ。これは、国鉄闘争が政権中枢を震撼させる「暗部」を暴く最高に熱い闘いであることだ。この闘いは、階級本体を組織し日帝の改憲願望を打ち砕く最高の改憲阻止闘争である。そして動労千葉と動労総連合の、国労共闘の組織拡大をかちとろう。
▼動労水戸と国労郡山工場支部を結んだ被曝車両(K544編成)をめぐる被曝労働拒否の闘いは、労組の違いや労働者の世代による分断、支社間の分断、JR本体と出向先の分断を超え、日々闘い抜かれている。9・15国鉄大闘争へ全国から総結集し、「解雇撤回・JR復帰」の10万筆署名を集めよう。そしてこの力で動労千葉鉄建公団訴訟控訴審の9・25反動判決策動を
粉砕することだ。

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月刊『国際労働運動』(446号2-1)(2013/10/01)

News&Reviw

■News & Review 中国

核燃料工場建設に反対するデモ

福島第一原発事故への怒りが背景に

 □中国史上初の大規模反原発デモ

 7月12日朝、広東省江門市で、1000人を超える核燃料工場建設に反対する大規模デモが起きた。これはおそらく、中国史上初の大規模な反原発デモであり、歴史的な大事件である。
 政府と中国核燃料グループは、今後200基の原発建設を推進しようとしている。このために400億元(約4800億円)をかけた核燃料加工工場建設プロジェクトを現在進めており、この巨額の利権をめぐって40都市が建設立地を争い、最終的に広東省江門市鶴山市が建設地に決定した。
 この核燃料工場建設計画の説明会が、4日より江門市内で開催されていたが、この席で政府側は「良い核燃料棒をつくれば、それは手で握ってもなんら放射線の影響はない」などと人を欺く許しがたい報告を行った。こうしたでたらめな報告で、危険極まる核燃料工場を建設しようとすることへの住民の怒りが爆発した。説明会は13日までであり、そこで建設計画が決まろうとしているのだ。さらにこの核燃料加工工場建設計画で、建設予定地ではすでに多くの農民の土地の強制収用が始まっている。こうした農地強奪への怒りも重なって大規模デモとなったのである。
 朝8時から江門市東湖広場に住民は集合し、署名を集め、核燃料加工工場建設反対を訴えた。警察はあらゆる手段を使って、住民たちを広場に封じ込めようとしたが、デモ隊はこの警察の包囲を突破し、メインストリートを堂々と行進、江門市政府の建物を包囲してしまった。警察はデモ隊が市政府に突入するのを防ぐのに精一杯だった。
 この大規模デモに恐怖した市政府は、13日に終了する予定の説明会をさらに10日間延長することを発表した。この発表を受けてデモ隊はいったん解散したが、午後になって再結集し、再び江門市政府へのデモが闘われ、「核燃料工場建設計画反対」のシュプレヒコールが連続的に市庁舎にたたきつけられた。そして14日にも大規模デモが呼びかけられ、呼応する動きが広まっていった。
 この労働者住民の連続的な決起に、市政府は完全に追いつめられた。そして13日午前中に、核燃料加工工場建設計画を撤回することを表明した。この建設計画撤回の発表は、労働者住民側の大勝利だが、ウソばかりつく政府を誰も信用していない。運動を沈静化させて、一挙に建設を強行するつもりであると見抜いた労働者住民たちは、やはり当初の計画通り14日に再び抗議行動に決起した。これに対して市政府は「あの声明は本れた」と、わざわざ再声明を
出すという事態にまでなった。
(写真 闘いを報道する香港紙)

 □200基の原発建設で核大国化をめざす中国

 現在中国政府は、すさまじいスピードで原発増設計画を推進している。現在中国ではすでに15基の原発が稼動しており、建設中の原発は30基ある(本年7月1日現在)。2020年までに、現在の5倍の5800万`ワットに原発の出力を拡大し、さらに30年までに2億`ワットにしようとしている。原子力発電の1基の最大出力は一般的に100万`ワットとされているから、これは中国政府は向こう17年間で現在の原発の200基相当分の原子力発電所を建設しようとしていることを意味する。また、2050年までに4億`ワットにまでするという構想もあり、なんと向こう37年間で約400基の原発を中国政府は建設しようとしているのである。
 原発建設は中国でも「金のなる木」とされ、膨大な利権を生み出す事業とされている。建設予定地の強制収用から始まって、その巨大プロジェクトがそもそも利権がらみであり、さらに電力事業そのものが、電力会社と癒着するスターリン主義官僚に膨大な儲けをもたらす。特に地方政府にとっては原発事業は、鉄道事業と並ぶドル箱であり、すさまじい官僚の汚職と腐敗を生み出すとともに、地方政府の経済的な延命をかけた政策になっているともいえる。
 また中国の「改革・開放」政策、それにともなう乱開発は、膨大なエネルギーの消費を生み出している。中国の現在の発電総量は、その7割以上が火力発電であり、中国は全世界で掘り出される石炭の半分近くを使用している世界最大の石炭消費国である。それが空前の大気汚染を発生させており、海を越えて日本にも影響を及ぼし、PM2・5問題となっている。こうした自分たちの政策による乱開発が生み出した現実をも口実にして、「クリーンなエネルギーへの転換」と称して原発政策を中国スターリン主義は推進しているのである。
 同時にこうした原発建設は、当然にも中国の核兵器開発と一体であり、中国をますます核大国化させ、米帝との対抗的な政治的軍事的経済的な世界政策を展開していく上での政策的な決定的な要にもなっている。世界政治の展開という観点からも、原発政策は中国スターリン主義にとって最重要な政策なのである。
 したがって中国での原発建設は、そのスターリン主義的な独裁政治のもとで、経済優先、政治優先で、津波の危険が危惧(きぐ)される沿岸地域や、地震多発地域にも次々と平気で建設されている。例えば遼寧省に建設されている紅沿河原発は、中国でも最も地震を引き起こしやすいとされている地震帯の上に建設されている。この原発建設地近くの唐山市では1976年には24万人の死者を出した「唐山地震」が発生しており、ここはしばしば大地震が起きている地域なのである。しかし中国政府は「中国の原発は福島事故の教訓も取り入れた最新型で、安全」と繰り返している。こうなれば、今後の大事故は不可避とさえいえる。
 また中国の原発では、原発1基あたりの年間の平均トラブル数が2件以上であり、そのトラブル数の多さも懸念されている。中国では経済が優先されることから、稼動しながらの修理も行われているといわれている。
(写真 「反核」と書かれたプラカード)

 □スターリン主義による核翼賛イデオロギー

 こうした驚くべき現実にもかかわらず、核に対する幻想というものが、スターリン主義の支配下にある中国では根強く存在してきた。それは「原子力開発は科学の進歩であり、科学の進歩は社会の進歩であり、これがマルクス主義である」というスターリン主義的なエセマルクス主義のイデオロギーから原子力開発が賞賛され、教育を通じて流布され、反体制的進歩的といわれる知識人層も含めて原子力開発を支持する傾向が一般的だからである。だから核開発に対する批判というものは表になかなか出てこなかった。
 さらに言えば、石炭労働者の悲惨な現実がある。世界最大の石炭消費国である中国では、連日のように炭鉱事故が起きており、炭鉱労働者が死んでいる。「改革・開放」政策の下で石炭は「掘れば掘るほど儲かる」産業となり、違法な民間のヤミの炭鉱が地方政府と結託・癒着してその庇護の下、あちこちで掘られるようになった。当然にも作業施設もお粗末で安全対策もでたらめである。中国政府の公式の発表によれば、2011年に炭鉱事故は1200件発生し、1970人が死亡したことになっているが、これは一日あたり3・3件の炭鉱事故が発生し、5人以上の労働者が連日死亡していることを意味する。実に異常な現実であるが、こうなるともうあまりに日常茶飯事な現実になってしまい、逆に新聞に事件としても載らなくなる。さらに公害対策などないままの炭鉱開発が生み出すすさまじい大気汚染・環境破壊、PM2・5問題である。
 こうした中国の炭鉱産業の状況、環境破壊と炭鉱労働者の悲惨な現実が、リベラルといわれる中国の良心的な知識人層まで、火力発電から原子力発電への転換を支持する現実的な理由となっていた面もあったのである。

 □福島原発事故が労働者の怒りを解き放った

 しかし、この中国の原発開発に対するイデオロギー的な状況が今、大きく変わろうとしている。そのきっかけとなったのが、やはり3・11福島原発事故である。
 3・11福島原発事故は、原発は一度事故が起きればその地が人も動物も住めない状況となる上、放射線被害が人体に対して半永久的に影響を及ぼし続けるという現実を中国の労働者民衆にも赤裸々に示した。原子力技術は人類の希望でもないし、ましてやマルクス主義の真理でもなく、逆に人類を破滅へと追い込みかねないものであることを事実をもって示した。「核と人類は共存できない」という現実に、中国の労働者民衆は気づいたのである。
 この7月12日の反原発デモが闘われる中で、ウェイポ(中国版ツィッター)で、次々と原子力開発を批判する書き込みが出てきた。
 「日本の元原発技師は血の涙を流して訴えている! 生涯最後の叫びを上げている! 信じがたい福島原発内部の現場の状況を暴露している。政府は、もはや目前の利益のために、人の命をもてあそんではならない! 政治家は原発事故が起きれば一部国外に逃亡できるかもしれないが、絶対に逃げ切ることなどできない」
 「(ここに核燃料工場が建設され、)一度何かあれば、100`内の人はすべて移動せざるを得なくなり、生物が住める状況ではなくなる。広州、仏山、珠海、雲浮はすべてこの範囲内だ。さらに江門や開平、新会など30`圏内が死亡地域となることはいまさら言うまでもない」
 フクシマの怒りは中国の労働者階級の怒りと結びつき、それが今、中国の労働者民衆の闘いとなって爆発し始めたのである。それが12日の反核デモであった。こうした意味でまさに歴史的な大事件なのである。中国での反原発闘争がフクシマと結合する中で、ついに始まったのである。開始された中国での反核闘争は、中国スターリン主義が急激に進めようとしている原発政策・核政策のもとで、燎原の火のように発展するのは必然である。この事件のネットでの書き込みは、政府当局によって次々と削除されたが、こんなことで闘いをつぶすことなどできはしない。
 中国では現在、労働者の多くが派遣労働という形での非正規労働者となっている。また労働者階級の暴動的な闘いは、こうした非正規労働への政治的な規制を強めさせてはいるが、逆に資本と政府は、外注化を生産現場にそのまま導入することで非正規労働を継続・拡大しようとしている。職場で労働者は徹底的に搾取・収奪され、「生きられなく」されている。こうした中国における新自由主義的な事態の進行と一体で、中国政府が経済と世界政治の両面から推進する原発政策・核大国化政策は、さらに労働者階級を原発事故と放射能汚染の危機にさらし、さらには核戦争に直面させようとしている。こうした意味でも中国の労働者は「生きられなく」なっているのである。
 そしてこの現実は、日本の労働者階級が直面している現実と完全に同じである。フクシマの怒りは、本質的に労働者階級の怒りであり、実際にも労働者階級の自己解放、革命によってしか解決の道はない。中国で開始された反原発の闘いも、本質的にスターリン主義政府と資本の攻撃に対して「生きさせろ!」と闘いぬき、解放を求める労働者階級の階級的怒りであり、スターリン主義打倒の新たな中国革命によってしか解決しえないのである。求められているのは、労働者の国際的団結である。その要になるものこそ「非正規職撤廃・外注化阻止」と「すべての原発の即時廃炉」のスローガンである。
 国鉄闘争を推進し、原発闘争を発展させ、原発・核に反対する中国の労働者、民衆との連帯をかちとっていこう!
 (河原善之)

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月刊『国際労働運動』(446号2-2)(2013/10/01)

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■News & Review 日本

憲法9条を停止する集団的自衛権の行使容認

海外侵略戦争が自衛隊の基本任務に大転換

 日帝・安倍は、8月5日、閣議で内閣法制局長官に外務省の小松一郎を任命した。小松は、第1次安倍政権下で発足した有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(以下安保法制懇と略)」がまとめた「集団的自衛権の行使容認」の報告書作成に関わるなど、これまでの「集団的自衛権の行使はできない」との政府解釈の見直しを主張してきた人物だ。
 安部の集団的自衛権の行使を認める超重大な改憲攻撃を絶対に許してはならない。

 □まず憲法9条を見よう

 憲法9条は・戦争の放棄・戦力の不保持・交戦権の否認・を定めている。
 「第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸空海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 憲法9条は縦横上下あらゆる方向から見ても徹底的に戦争を放棄している。これを戦争賛成と読み替えるいかなる方法もありえないように、徹底的な戦争放棄条項になっている。

 □憲法9条が生まれた訳

 戦前、日帝はアジア・太平洋戦争から第2次世界大戦に突入し敗北した(1945年8月15日)。世界大戦後、全世界で戦後革命が起きたが、アジアと日本でも同様であった。49年中国革命が勝利し、朝鮮半島でも南北分断を打破する革命が進んでいた。フィリピン、ベトナムでも民族解放闘争が闘い抜かれていた。 日本でも戦後革命が闘われた。先頭に労働者階級が立っていた。敗戦から1年後には組織労働者の99%、400万人が労働組合に結集していた。農民も土地闘争に決起していた。そして47年2・1ゼネストに向かっていた。米占領軍が介入し、日共スターリン主義が裏切り、戦後革命は敗北したが日帝支配者階級に大打撃を与えた。
 戦後革命に直面した日帝と米帝(米占領軍)は、プロレタリア革命を阻止するための予防反革命として、「戦後民主化」に踏み切った。労働者階級への大幅な譲歩と妥協であった。
 その最大の柱が、戦後憲法の制定によるブルジョア議会制民主主義への統治形態の大転換と憲法9条であった。
 憲法9条は、日帝の延命のために不可欠だった天皇の戦争責任の免罪と引き換えに導入されたものだ。
 憲法9条は戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた。これはブルジョア国家の憲法としてはあり得ない条項である。それは、戦争を二度と許さないと決起した日本の労働者階級の決起、何よりも日帝がアジアで繰り広げてきた極悪の戦争犯罪に対する朝鮮―中国―アジア人民の激しい怒りが、帝国主義者を締め上げ、強制したものだ。
 これは、戦後の日帝の憲法に戦争と内乱に対処する規定が存在しないという帝国主義にとって致命的な弱点を抱え込むものだった。
 そうした致命的弱点を補完したのが日米安保体制だ。9条を始めとする戦後憲法体制の帝国主義としての根本的な脆弱性を、日帝は日米安保という日米軍事同盟で補完してきた。そのために沖縄を米軍に売り渡し、日本全土を朝鮮、ベトナム、アジアへの侵略戦争の前線基地・兵站基地にしてきた。50年代に始まる日帝の再軍備、自衛隊の創設も、日米安保体制の一翼に組み込まれてきた。
 こうして戦争放棄の憲法9条と日米安保、自衛隊の存在は日帝の政治危機を絶えずつくり出してきた。60年安保、70年安保・沖縄闘争、そしてベトナム戦争、イラク・中東侵略戦争(湾岸戦争)、PKO派兵、アフガニスタン・イラク侵略戦争など日米安保と米軍の戦争体制、自衛隊の海外派兵、沖縄の米軍基地などは、戦争放棄の憲法9条を踏みにじる行為として大政治問題となった。

 □国連憲章51条に飛びつく

 1950年の米帝の朝鮮侵略戦争を契機に、米帝は日本の再軍備に走り、自衛隊という軍隊がつくられた。しかしこれはどこからどう見ても憲法9条に違反している。日帝はこの違憲の自衛隊の存在を合理化するために、憲法9条の上に国連憲章51条を置いた。憲法9条の戦争放棄条項の中に戦争の可能性を持ち込む帝国主義者どもの大ペテン、大トリックだった。
 国連憲章第51条〔自衛権〕に以下の文言があった。
「この国連憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」
 日帝はこれに飛びつき、以下のように主張した。
「国連は、主権国家に対して個別的自衛権と集団的自衛権は国家固有の権利として認めている、だから日本国家にも個別的自衛権と集団的自衛権がある、個別的自衛権が認められているから自衛隊の存在は認められる、ただそれは日本を防衛するために必要最小限度のものでなければならない、必要最小限度であれば、それは陸空海その他の戦力には当たらない」
 こうした大ペテンを使って憲法9条を踏みにじって戦争を正当化する論理を持ち込んだのだ。そして自衛隊を憲法9条違反ではないと言い張った。だが、労働者階級人民はそれに納得しなかった。
 自衛権とは、帝国主義国家の自衛権を指している。日帝ブルジョアジーの利益を守るという意味である。自衛権を発動する、自衛権を行使するということは、日帝ブルジョアジーの支配する国家を武力で守るということである。
 だから自衛権と戦争の放棄はまったく相いれない。戦争の放棄とは自衛権とは両立しえないものだ。
 だから自衛権の発動は、日帝の国家を守るというものから、日帝ブルジョアジーの利益の範囲の拡大に従って、アジア・太平洋から全世界に拡大していく。自衛戦争の範囲は自国に止まらず、世界戦争にまで発展していくのである。戦前の日帝の戦争がそうだった。 第4章 □憲法9条は集団的自衛権を根本的に否定
 次に集団的自衛権の問題である。
 これまで政府・内閣法制局は、集団的自衛権について、国会において以下のように答弁してきた。
 1981年の政府答弁書は次のようになっている。
 「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止をする権利を有しているものとされている。
 我が国が、国際法上、このような権利を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法9条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲に止まるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであり、憲法上許されないものであると考えている」 以上の集団的自衛権に関する内閣法制局の見解は、戦後60数年にわたって、憲法9条と集団的自衛権の関係について述べてきたものである。
 集団的自衛権はあるが、その行使は憲法9条の制約によって許されない、というのが政府解釈である。
 国連憲章51条にとびついて集団的自衛権はあるとまでしたが、憲法9条の戦争放棄の徹底性の前に、集団的自衛権の行使は憲法上できないとせざるをえなかった。
 改めて憲法9条と集団的自衛権の内容を比べて見る。
 憲法9条が徹底的に戦争を放棄しているのに対して、集団的自衛権とは、自国が攻撃されてもいないのに、密接な関係にある国(同盟国)が攻撃を受けた時に、自らも反撃できる(戦争する)権利である。憲法9条は、集団的自衛権(個別的自衛権も)を根本的に否定していることは自明のことである。

 □安倍の集団的自衛権行使の見直しの攻撃

 では、安倍が企む、これまでの集団的自衛権の行使に関する政府解釈の見直しとはいかなるものか。
 これまで内閣法制局がブルジョア政府なりに整合性を持たせようと積み上げてきた憲法9条と集団的自衛権の行使に関する論議を安倍は一方的に破棄して、集団的自衛権の行使を容認すると一方的に宣言した。
 つまりブルジョア民主主義的な手法を止めて、独裁的な政治決断をするということだ。内閣法制局が、憲法9条がある限り集団的自衛権の行使はできないというのを無視して、集団的自衛権の行使を容認すると一方的に宣言する。
 これは集団的自衛権を禁止する憲法9条の停止であり、破棄である。安倍は一片の宣言で憲法9条を無効にするのである。
 憲法9条は法律的には残っている。しかしその全内容は蹂躙されつくしている。墓場に突き落とされている。それが集団的自衛権の行使の容認の意味である。
 安倍は集団的自衛権の行使を容認させるために様々な策動を行っている。
 8月16日、「安保法制懇」の動きが報道された。それによると今秋にもまとめる報告書で、集団的自衛権の行使に関しては全面的に容認する一方、「地理」「国益」を尺度に一定の歯止めをかけることも提起すると言われている。また、法制懇のメンバーは、「自衛隊法をポジ(できること)リストからネガ(できないこと)リストに変える」と主張し、同法について「市民への加害」「捕虜虐待」など国際法で禁じられている行動以外は全部可能とするネガリストへの転換を図るという。つまり、9条があるから個別的自衛権の範囲を狭めるということなど、集団的自衛権の行使が容認されるという下ではあっさりと破棄され、自衛隊は無限の行動の自由を得ようとしているのだ
 8月21日、朝日新聞が山本前法制局長官との会見記事を掲載した。前半は、集団的自衛権の行使容認は難しいとしながら後半で以下のように述べた。
 「しかし最近、国際情勢は緊迫しているし、日本をめぐる安全保障関係も環境が変わってきているから、それを踏まえて、内閣がある程度、決断され、その際に新しい法制局長官が理論的な助言を行うことは十分あり得ると思っている」
 これは安倍の狙い・意図を代弁している。
 そしてその憲法違反の実行法(国家安全保障基本法、自衛隊法改悪)を国会の多数で暴力的に可決することなのだ。集団的自衛権の行使とは戦争である。海外侵略戦争である。無制限な侵略戦争である。自衛隊は、すでに集団的自衛権の行使の容認を前提とする海外侵略戦争を基本任務とする体制に大転換を開始している。
 こうした安倍の改憲攻撃の根底にあるのは、世界大恐慌と3・11情勢、そして新自由主義の大破産である。それが帝国主義間の争闘戦を激化させ、日帝に侵略戦争を強制している。こうした日帝の絶望的危機の全矛盾は労働者階級人民に押しつけられていくのだ。人民の反撃の闘いを抑圧しているのが民主党であり、連合などの体制内労働運動だ。先の参院選で、民主党は大凋落し、連合も大破産した。労働者階級人民は、体制内勢力を見限り、真に労働者の利益を代表し闘う勢力との結合を求めた。それが山本太郎さんへの66万票余の投票となった。展望は切り開かれた。
 安倍は、改憲手続きすることなしに憲法9条を完全に解体してしまうことを狙っているが、労働者階級人民をなめるんじゃない。山本太郎氏の当選は、安倍に大打撃を与えた。労働者階級のリーダーが登場した場合に、人民の怒りが百万人、1千万人の規模で大爆発するということだ。改憲阻止闘争においてはそれをはるかに上回る規模で生みだされることは確実だ。
 そして8月に一斉に行われたJP労組、自治労、日教組、国労の大会では、労働者の怒りが、不満が噴出する大会となった。そうした中で体制内執行部は、民主党から自民党への大転向を画策している。改憲勢力に転じようとしているのだ。今こそ、闘う労働組合を甦らせ、階級的労働運動の大発展を切り開く時がきた。
 日本の労働運動は、国鉄決戦を基軸に発展し、非正規職化、外注化、大幅賃下げとの公務員労働者、4大産別の労働者、全労働者の闘いに発展しつつある。
 (宇和島洋)

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月刊『国際労働運動』(446号2-3)(2013/10/01)

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■News & Review エジプト

開始されたエジプト第二革命

軍部による独裁支配体制の再建を許すな

 □ムルシ政権打倒の空前の決起

 ムルシ政権成立から1周年を迎えた6月30日、エジプト全土で1千万人を超える労働者階級のムルシ政権打倒の巨大なデモが展開された。英BBC放送は、「人類史上最大の政治行動」と報道した。タハリール広場とその周辺は再び100万人の労働者人民で埋まり、大統領宮殿も数十万人の労働者人民に包囲された。アレキサンドリアやスエズ運河地帯の諸都市では労働者が街頭を占拠した。ムルシ政権打倒の声は文字通り全国に満ちあふれ、警察は完全に対応不能に陥った。軍も直接弾圧に乗り出せない状態に追い込まれた。
 労働者階級は、この1年間のムルシの統治の下で、労働者の生活が改善どころか、ますます悪化したことに激しい怒りを燃やしていた。首切りや失業の増大、物価の上昇、貧富の格差の拡大は激化するばかりだった。ムルシが労働者の生活を改善する措置を何もとらなかったからだ。
 こうした状況に労働者階級が苦しんでいるにもかかわらず、さらにムルシがIMFからの48億jの融資と引き換えに労働者階級を地獄に突き落とす超緊縮政策を導入しようとしたことは怒りの炎に油を注いだ。ムルシ政権に対する労働者の当然の抗議行動も激しく弾圧され、ストライキは禁止された。ストライキ闘争で闘った多くの労組活動家は逮捕され、警察で拷問を受け軍事法廷に送られた。
 その一方でムスリム同胞団のメンバーは中央・地方の行政機関や国営企業などで有利な地位を与えられた。ムスリム同胞団系の資本家も様々な便宜を与えられ巨額の富を蓄積した。
 さらにその上に、ムルシ政権は、アメリカ帝国主義のシリアやイランに対する侵略戦争政策に全面的に協力したばかりか、イスラエル政府との協力を継続してガザのパレスチナ人民に敵対する政策を採り続けた。政権の危機突破のための極端な保守的イスラム化政策も労働者人民に押しつけられた。労働者階級はこうした現実の下で1年間生活する中で、もはやムルシの支配を打倒する以外に生きることができないことを学んだ。こうして労働者階級は13年の最初の5カ月間に5544件ものストライキとデモに立ち上がった。労働者階級は階級総体としてムルシ政権打倒の闘いに決起し始めたのであり、6月末には第二革命は不可避の情勢に突入した。
(写真 スエズ鉄鋼労働者のストライキを支持する独立労組連盟の労働者の集会【8月】)

 □予防反革命クーデターの陰謀

 こうした情勢に驚愕した米帝とエジプト軍部は、労働者階級によるムルシ政権の打倒という第二革命を阻止するためにクーデターに訴えた。軍部は事前に米統合参謀本部や米政府と綿密な計画を練り、十分な国内政治工作を行ったうえで7月3日、クーデターを行った。とりわけ、ムルシ打倒闘争を組織していた「タマルド」(反乱)という組織の指導部への工作は重要な意味を持った。
 13年4月に反ムルシ署名を集める運動として出発したタマルドは、米帝やエジプトのブルジョアジーと強い関係のあるエルバラダイ(元IAEA事務局長)の救国戦線、イスラム主義政党の「強いエジプト党」、かつてムルシの大統領選出を支持した小ブルインテリゲンチャの組織「4月6日青年運動」、ムバラク時代最後の首相、アーメッド・シャフィークを含む旧ムバラク派、さらにはトロツキストの一派である「革命的社会党=RS」などの実に奇怪な寄せ集め集団である。タマルドは2200万筆の反ムルシ署名を集め、ムルシ打倒運動の組織化の先頭に立ったが、それは、労働者革命を実現するためではなく、労働者人民のムルシへの怒りを利用して新たなブルジョア支配体制を再建するためであった。
 軍部はクーデターを前にしてタマルドの承認を取り付け、クーデターをムルシ打倒という「国民的要求」にこたえた軍の「民主主義的な」軍事介入に見せかけようとしたのだ。
 他方タマルドは米帝やEU政府とも密接な連絡を取りながら、軍の力を借りてムルシを打倒し、挙国一致政府を形成することで労働者革命を防止し、資本主義体制下でエジプトの再建と安定を図ろうとした。そしてこの一連の過程を「第二革命」と称している。
 このような陰謀に、トロツキストのRSが関与したのはなぜか。RSは現在の相争う諸政治勢力のどちらについたら労働者にとって有利になるかというふうにしか問題を立てない。労働者階級自身が権力を掌握するために労働者は今、どう闘うべきかという観点が完全に欠落しているのだ。これではブルジョアジーや小ブル急進勢力のしっぽに労働者階級をつなぎ止めることにしかならない。RSのエジプトにおける行動は、イギリスのSWP(社会主義労働者党=トニー・クリフ派)やアメリカのISO(国際社会主義者組織)などのトロツキストの大組織の支持を得ており、これらのトロツキスト組織の立場も徹底的に批判されなければならない。

 □暫定内閣の反革命的性格

 クーデター後、軍部は暫定内閣を樹立した。暫定大統領にはムバラク体制と深いつながりがあり、腐敗した司法体制を維持し続けてきたアドリ・マンスール最高憲法裁判所長官が就任した。首相には新自由主義者の経済学者で、IMFと連携した緊縮政策を全面的に推進する立場に立っているハゼム・エル・ベブラウィが任命された。外交担当副大統領にはエルバラダイが任命された。財務大臣は世銀所属の研究者であるアーメッド・ジェラルだ。副首相と国防大臣には、クーデターを指導した軍最高司令官のアル・シシ将軍が着任した。これを見れば分かるように、暫定内閣はブルジョアジーの内閣以外の何ものでもない。
 その上で、暫定内閣はエジプト革命の真っただ中で御用労組の支配を突き崩して戦闘的な労働運動を組織して闘い、今日245万人を組織する大組織に発展したエジプト独立労組連盟の委員長を労働・人的資源担当大臣に任命して、同労組の体制内への取り込みを狙っている。組合内からの多くの反対の声を排して入閣したこの元委員長は、暫定内閣の下でのストライキの抑制を呼び掛けた。独立労組連盟の現場労働者はこの呼び掛けに激しく反対し、暫定内閣の下でも闘いを継続することを宣言している。
 第4章□反革命的踏切りを決断した軍部
 軍のクーデター以降、軍やムバラク派資本家、政府官僚などの反革命勢力の巻き返しが猛然と開始されている。
 クーデターによるムルシ政権解体後、ムルシの釈放と復権を要求して抗議集会とデモを続けるムスリム同胞団と軍の対立が激化し続けた。軍はムスリム同胞団の抗議行動を「テロリズム」と規定して弾圧を強化し、7月8日と27日にムルシ派の集会やデモを襲撃し、合計120人以上を虐殺した。この弾圧にもかかわらず、ムルシ派が抗議行動を継続し、軍との衝突がエスカレートする中で、ついに8月14日、軍はムルシ派の抗議集会場に突入し、銃や催涙弾、棍棒などで激しい弾圧を行い、635人を虐殺した。以後8月18日までの間に800人以上が軍によって虐殺された。家族や友人も含めた軍の無差別的虐殺は徹底的に弾劾されなければならない。

 □労働者への軍事的恫喝

 こうした激しい弾圧を軍が強行した最大の目的は、第二革命を目指して突き進むエジプト労働者階級に対する軍事的恫喝のためだ。
 クーデター後のムスリム同胞団への弾圧と虐殺が激しくなればなるほど、軍に対する労働者人民の幻想は消失していった。こうして労働者人民の怒りの矛先が再び軍に向かいかねない状況が生じた。虐殺の激化の中で、軍を支持していた「タマルド」も分裂し、自由主義ブルジョアジーの代表であるエルバラダイや、4月6日青年運動、革命的社会主義者党は、軍を支持するムバラク派資本家と袂を分かって軍を批判し始めた(これ自体は軍のクーデターを支持した責任を深刻に総括しない無責任な態度だが)。このため軍は、ムスリム同胞団との対立に一気に決着をつけると同時に、軍に対する反乱行為が労働者人民にとっていかなる結果をもたらすかを思い知らせるために激しい軍事的弾圧に打って出たのだ。

 □強権的支配体制再確立めざす軍

 軍の目的は労働者階級との力関係を推し量りつつ、機を見て労働者革命をたたきつぶし、軍とムバラク派資本家の共同支配体制を再建することだ。軍は8月13日、全国27県のうち25県でムルシが任命した県知事を罷免し、新たに25人の知事を任命した。そのうち19人は軍の将軍であり、2人は元ムバラク派の裁判官である。その上で8月14日、定政府に1カ月間の非常事態宣言を出させた。ムバラク体制下で労働者人民を監視し、弾圧していた秘密警察も復活する計画も発表した。
 軍はIMFからの融資48億j導入と、食料や燃料の補助金廃止と大幅値上げで労働者人民を地獄にたたきこむ超緊縮政策を展開することで、大恐慌下で未曽有の危機に陥ったエジプト経済を再建するためには、ムルシ政権にとってかわって軍とムバラク派資本家による超強権的な政権を再確立し、労働者人民の反抗をたたきつぶす体制を強化する必要に迫られたのだ。

 □米帝のエジプト政策の破産

 米帝は、暫定内閣を成立させたクーデターを、クーデターと呼ばず、軍による民主主義的な介入であるとして、年間15億jの援助を継続することを明らかにした。さらには、米帝は湾岸の反動王政諸国にもエジプト支援を要請した。その結果サウジアラビアが50億j、アラブ首長国連邦が30億j、クウェートが40億jの支援を表明した。
 だがクーデター後、軍とムスリム同胞団の和解と安定的な政権の形成を追求していた米帝は、今日、軍のムスリム同胞団への徹底弾圧政策と軍部独裁体制の強化を基本的に容認せざるをえなくなった。米帝はエジプトのムスリム同胞団との関係が悪化すると、ムスリム同胞団との関係の強いトルコやカタール、チュニジアなどの政府との関係も悪化し、米帝のシリアやイランなどに対する侵略戦争政策に重大な影響を与えかねないと考えていた。だが、労働者人民による第二革命の切迫に対するエジプト軍部の恐怖と危機感は強烈であり、そうした米帝の中東政策に配慮する余裕はなかった。こうして米帝はエジプトおよび中東全域をめぐる政策を整合的に展開する力を失いつつある。

 □革命的前衛党の建設を

 第二革命をたたきつぶすための新たな軍部独裁体制の確立を目指す軍に対して労働者階級は労働組合の闘いのさらなる発展と前衛党の建設によって闘う以外ない。
 ところが今日、11年の2月革命以来の闘いを牽引してきた独立労組連盟の指導部は、暫定政府の労働大臣に就任した前委員長を始めとして多数派が軍のクーデターやムスリム同胞団の弾圧を支持する立場に立っている。
 だが、独立労組連盟が総体として軍を支持しているわけではない。14人の執行委員のうち5人が軍を支持せず、軍が呼びかける「反テロリズム集会」に参加することに反対した。多くの現場労働者も、執行委員会による暫定政府の統治期間におけるストライキ停止決議に反対して闘っている。たとえばスエズ鉄鋼工場の4200人の労働者は、未払い賃金の支払いを要求して3週間のストライキを行った。軍はこの工場を包囲し、スト指導部を逮捕したが、労働者は独立労組連盟所属の労働組合やマハラの繊維労働組合、人権団体の支援を得て不屈にストを継続している。エジプト各地の多くの現場労働者が軍部の超緊縮政策強制と弾圧、そして労組指導部の統制を打ち破って再び決起するのは不可避だ。
 問われているのは、革命と反革命の錯綜する困難な激動過程において、正しい路線の下に労働者革命を指導うる労働者の前衛党の建設だ。2年半のエジプト革命の中でさまざまな経験を積んだ労働者階級は必ずや労働組合の闘いの発展と一体で革命的前衛党を創設し、エジプト革命を完遂するだろう。
 (丹沢 望)

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月刊『国際労働運動』(446号3-1)(2013/10/01)

(写真 民主労総などが開いた「双龍車解雇者復職、非正規職正規化、国勢調査実施汎国民大会」【8月24日】)

特集

■特集 闘う韓国労働者と連帯を

新自由主義と激突する韓国・民主労総の闘い

 

 

 はじめに

日本の労働者階級が国鉄決戦を柱に日帝・安倍政権との正面激突の決戦に突入した中、韓国においても新自由主義との大決戦が始まった。民主労総の闘う労働者は、公共部門の民営化絶対阻止、非正規職撤廃、労働三権獲得を掲げて、朴槿恵(パククネ)政権との絶対非和解の闘いに突入した。
それは、90年代末以来の15年に及ぶ韓国における新自由主義との死闘を引き継いで、今や資本の支配を根底から打ち倒す闘いへと発展しようとしている。世界大恐慌と争闘戦激化、朝鮮半島をめぐる戦争的緊張の中で、大恐慌をプロレタリア革命に転化していく労働者階級の闘いが、国境を越えて新たな火を噴き始めたのだ。
本特集では第1章で、朴槿恵政権の危機と闘いの現実を報告する。第2章ではその背景として、98年以来の韓国における新自由主義との攻防を振り返り、最後に民主労総の闘いが新たな飛躍の時を迎えたことを明らかにする。

第1章

 T 朴槿恵打倒へ10万人デモ――体制への根底的怒り噴出

 

(写真 国家情報院の大統領選挙不法介入の真相究明を求める5万人を超えるロウソク集会【8月10日 ソウル市庁前広場】)

 本年2月25日の朴槿恵(パククネ)の大統領就任式から半年、朴槿恵政権は早くも、その存立基盤が土台から揺らぐような重大な政治的危機を迎えた。
朴槿恵が選挙時に掲げた「経済民主化」などという「公約」のペテンは、すでにすっかりはげ落ちている。朴槿恵政権の本質が李明博(イミョンバク)前政権同様、わずか1%の財閥大資本の利益を体現するものでしかないことは、労働者階級の前にもはや完全に明らかになった。
 それだけではない。政権の危機が進むに伴い、朴槿恵の父親がかつての軍事独裁者朴正熙(パクチョンヒ)であることを思い出させるような強権政治への移行も、労働運動弾圧を突破口に始まっている。これへの全人民的な危機感と怒りが、大統領選挙時の不正が明るみに出たことをきっかけに、一挙に燃え広がる情勢を迎えている。
(写真 ソウルの国会議事堂前広場で開かれた大統領就任式で敬礼する朴槿恵【2月25日】)

 ロウソク集会再び

 8月10日、ソウル市庁前の広場で、5万人のロウソク集会が開催された。広場は足の踏み場もなく、入りきれない人々は周辺の建物や木の上によじ登って集会に参加した。
ソウル以外でも、釜山(プサン)、大邱(テグ)、蔚山(ウルサン)など5カ所で集会が開かれ、全国で計10万人が集まった。
 主催は全国284の市民団体で構成された「国家情報院の大統領選挙介入と政治介入の真相および隠蔽(いんぺい)糾明のための緊急時局会議」。昨年12月の大統領選挙への国家情報院による介入・政治工作と警察当局によるその隠蔽、朴槿恵政権の居直りに対し、労働者人民の中から噴出した激しい怒りがこの集会に結集した。会場では、「大統領直属機関である国家情報院が憲法を無視し破壊しているのに、朴槿恵は何をしているのか!」と糾弾の声が飛び、朴槿恵の謝罪と国家情報院長の即時解任、徹底した真相究明と責任者処罰を求める叫びが上がった。
 国家情報院とは、元をたどれば軍事独裁政権時代の治安弾圧の中心機関だ。朴正熙政権時代のKCIA(中央情報部)、全斗煥(チョンドファン)・盧泰愚(ノテウ)政権時代の国家安全企画部がその前身である。この国家情報院が昨年の大統領選で朴槿恵を当選させるために、トップの院長が直接指揮して組織ぐるみで不正な世論工作を行っていたことが暴露されたのだ。
 しかもこの闘いは、直接には選挙の民主主義的手続きを踏みにじったことへの怒りの決起であるが、そこにとどまるものではけっしてない。その背後には、大恐慌下、新自由主義下で大失業と貧困のまっただ中にたたき落とされている韓国労働者人民の、このままではもはや生きていけないという根源的な怒りの噴出がある。さらに、朴槿恵政権のもとで国家情報院が再び権力の中心に座り、人民の監視と言論統制、労働運動弾圧や反政府運動圧殺に動くことを絶対に許してはならないという危機感と怒りがその根底にある。
 闘いの発端は、朴槿恵政権と与党・セヌリ党が事態のもみ消しに必死となる中、6月21日、500人の学生が国家情報院に押しかけ、糾弾集会を行ったことに始まった。その翌週、6月28日には緊急時局会議の主催による5千人のロウソク集会が開かれた。以後、毎週末の集会は7月6日には1万人、7月13日には2万人と回を追うごとに膨れ上がり、8月にはついにソウル5万人、全国10万人という規模に達した。参加者はあらゆる層に広がり、学生団体、宗教団体、弁護士、知識人などから「時局宣言」という名の闘争宣言が次々と発せられた。
8月14日には、保守的な団体とみなされてきた大邱のカトリック教会の司祭たちも、創立以来初めてという「時局宣言」を発して朴槿恵政権糾弾の闘いに合流した。
(写真 2008 年5月3日、清渓広場で行われたロウソクデモ)

 崖っぷちに立つ政権

 この情勢は、2008年5〜6月の米国産牛肉輸入問題に端を発した数十万人、100万人のロウソク集会・デモを思い起こさせるものだ。当時、韓米FTAが調印以来1年経っても国会批准できない情勢の中で、この年2月に就任したばかりの李明博政権がFTA推進の一環として、BSE(牛海綿状脳症)に汚染された米国産牛肉の輸入制限を解除したことに、大衆的な怒りが燃え上がった。警察権力はこのロウソク集会を「不法集会」と決めつけて弾圧しようと試みたが、逆に怒りの火に油を注ぎ、李明博は政権打倒の寸前にまで追いつめられたのだ。
今回の国家情報院糾弾のロウソクデモがどこまで発展するかは未知数だ。しかし、朴槿恵政権の危機の深さは、李明博政権時と比べても一層深まっている。何よりも、世界大恐慌の爆発のもとでの韓国経済の根本的な矛盾と危機の深まりが、すさまじいまでの格差社会と労働者・農民の生きられない現実となって襲いかかり、あらゆる怒りが爆発寸前となっているからだ。
 朴槿恵はこの怒りを抑え込もうと必死になってきたが、もはやどんなペテン的術策も通用しないところまで事態は来ている。今や朴槿恵政権を支えているのは唯一、民主党や統合進歩党などの全野党、全既成政治勢力の屈服である。彼らは「民主主義を守れ」と言いながら選挙のやり直しすら要求せず、朴槿恵の謝罪と「再発防止策」でお茶を濁そうとしているのだ。日帝・安倍政権がその政権基盤の根底的な脆弱(ぜいじゃく)性にもかかわらず、既成野党の総屈服と翼賛化に支えられて一見あたかも「強固な政権」として成立しているのと、ほとんど同じ構図である。朴槿恵の場合はその上に、政権自身の求心力さえ喪失しつつある。
 労働者人民が求めているのは国家情報院そのものの解体であり、朴槿恵政権の打倒である。帝国主義資本と結託し、労働者や農民に一切の犠牲を押し付けて肥え太ってきた巨大財閥が支配する韓国社会を、根底からひっくり返したいという熱望である。この大衆的な怒りと熱望を一個の階級的な力に結実させていくことができるかどうか。一切の鍵はそこにかかっている。情勢はきわめて重大な段階にさしかかった。

 労働組合の登場が鍵

 

重要なのは、民主労総が大統領選時における路線的動揺と混迷を脱し、現場労働者を先頭に、公共部門の民営化絶対阻止・非正規職撤廃・労組破壊攻撃粉砕を掲げて、朴槿恵政権との絶対非和解の闘いにすでに突入していることだ。そして今回のロウソク集会・デモの中に闘う労働組合の組織的隊列が登場し、市民運動中心のロウソク集会と労働運動との結合が始まっていることだ。ここに勝利への最大の展望がある。
7月13日には、ロウソク集会に先だって、鉄道労組を先頭にKTX(韓国高速鉄道)民営化絶対阻止の総決起集会が同じソウル広場に5千人を集めて開かれ、そのまま夜の2万人集会に合流した。「KTX民営化阻止」のロウソクと「国家情報院糾弾」のロウソクが完全に一体となって燃え上がった。夜の集会では2011年に韓進(ハンジン)重工業で309日間のクレーン籠城(ろうじょう)闘争を闘ったキムジンスクさんが演壇に立ち、「朴正熙時代に北のスパイ』を大量にデッチ上げて民衆を弾圧した情報機関が、今は大統領を直接、作り出している」と弾劾した。そして、朴槿恵政権のもとで労働者が次々と死に追いやられている現状に激しい怒りをたたきつけ、現代自動車非正規職支会をはじめとする非正規職撤廃闘争への連帯を訴えた。
 8月17日には、10日に続いて再びソウル広場を埋めた4万人のロウソク集会参加者を前に、鉄道労組の委員長が「朴槿恵がKTX民営化を推進し続けるなら、公共鉄道を守るために市民とともに最後まで闘争する」と宣言した。
すでに李明博政権の末期から、資本家階級と労働者階級との非和解的激突は一大社会問題に発展し、それ自身が重大な社会的危機を生み出していた。今日、韓国の労働者1800万人のうち非正規職労働者は公式統計でもその半数、900万人を超える。大学を卒業しても正規の職に就けるのは5分の1でしかない。青年の大多数が今や事実上の半失業状態に置かれ、生涯にわたって生存ぎりぎりの生活を強いられようとしている。さらに、相次ぐ大量整理解雇の嵐。貧困の果てしない増大。その一方で一握りの巨大財閥のみが労働者の犠牲を踏み台にして肥え太っていく構造に、圧倒的な労働者人民の怒りの声が集中し、噴火の寸前まで来ていたのだ。
そこには、98年の金大中(キムデジュン)政権に始まり、廬武鉉(ノムヒョン)政権、李明博政権と、15年間・3代の政権にわたって展開されてきた新自由主義攻撃が、労働者階級の生存条件そのものを破壊し、韓国社会全体を崩壊のふちにたたき込んできた現実がある。そしてこれに対する現場労働者の命がけの決起が今日、体制の根幹を揺るがす大問題にまで発展し、労働者支配の一大破綻をつくりだしているという状況がある。
(写真 「KTX民営化阻止」と「国家情報院糾弾」のロウソクが合流し2万人集会となった【7月13日 ソウル広場】)

 だからこそ朴槿恵は昨年末の大統領選挙において「社会的分裂の回避」をうたい、「経済の民主化」「国民生活の再建」というスローガンを最大の柱に掲げて登場した。そして「社会的合意なしの民営化強行はしない」「非正規職問題を解決する」などという大ウソを恥知らずにも選挙の公約とすることによって当選した。新自由主義に屈服して逆にその推進者に転落してきた野党勢力への労働者大衆の不信と絶望の深さに乗じ、あたかも自分こそ「改革者」であるかのようなペテンを装って政権の座をかすめとったのである。
だが、李明博政権の破産の上に、今度は自らの正体を押し隠して支配の破綻をのりきろうとするこんなやり方は当然にも通用しない。今や、朴槿恵の「公約違反」を弾劾する声は全社会に満ちあふれている。労働者階級だけではない。大資本によって生活を破壊された農民の怒り、資本のための都市再開発によって立ち退きを強制された露天商などの怒り、新自由主義のもとで犠牲にされ切り捨てられてきたあらゆる人々の怒りがせきを切って噴出する局面を迎えている。その水路となり結集軸となるものこそ、資本と絶対非和解の闘いを貫いている労働組合の団結した闘いだ。
(写真 「朴槿恵大統領、責任を取れ」という大横断幕を掲げるロウソク集会参加者【8月17日】)

 「無労組経営」が崩壊

 7月14日には、「無労組経営」を誇ってきたサムスン財閥においてついに、労働組合が誕生した。サムスン電子製品のアフターサービスを担当する技術者たちが、民主労総金属労組サムスン電子サービス支会を結成し、資本との公然たる闘いに立ち上がった。 彼らは全員、非正規職労働者だ。サムスン資本は現代(ヒョンデ)自動車資本と同様、社内下請け業者との偽装請負契約を結ぶことによって労働者のほとんどを不法に働かせてきた。「勤労基準法を守れば経営難になる」などと公然と居直り、時間外手当も一切払わず過労死寸前の労働を強制した上に、「売上高世界一」を誇る巨額の利益をはじき出していたのだ。それを支えてきたのが「労働組合=アカ」として、労働者のどんな団結も絶対に認めず、芽のうちに摘み取るというやり方であった。今回もすさまじい破壊攻撃が加えられたが、それを打ち破って400人を結集した組合結成大会が堂々とかちとられた。このことは資本に大打撃を与え、ブルジョアジー全体に衝撃を与えている。
 この間の韓国における新自由主義攻撃の最大の狙いが労働組合と労働運動の破壊、とりわけ民主労総の破壊・解体にあったにもかかわらず、それが今日に至るもまったく成功していない。逆に、その存在と闘いが支配階級ののど元に突き刺さるトゲとなり、新たな成長をも開始している。そして今や、新自由主義への全人民的な怒りと結びついて体制の根本的変革を求める力へと転化しようとしているのだ。ここに、現在の政治危機、体制的危機の根源がある。朴槿恵政権を崖っぷちに追いつめている最大の原因はここにある。
(写真 サムスンの「無労組経営」を打ち破り、金属労組サムスン電子サービス支会創立総会をかちとる【7月14日】)

 真の危機はこれから

 しかもこれはまだ事の始まりにすぎない。今日の世界大恐慌の進展は、階級激突情勢の先鋭化をますます不可避としている。
韓国経済はこの間、サムスン電子などを筆頭に海外への輸出を飛躍的に伸ばし、形の上では急成長を遂げてきた。だがそれは、サムスンの「無労組経営」に典型的に示されるような労働者への徹底した搾取によるコストダウンと、他方での日帝の没落に支えられたものだった。そして今、世界大恐慌の一層の深まりの中で、韓国経済の貿易依存度と輸出依存度の異様な高さ(2010年に貿易依存度は88・5%、輸出依存度は46・0%で、どちらも日本の3倍)は逆に、大変な危機を内包するものとなっている。また米日欧帝国主義による超金融緩和政策が崩壊し、新興国市場に流れ込んでいた投機資金が一斉に引き上げられれば、大打撃を受ける国の一つが韓国である。
 サムスンや現代自動車が「最高益」などをいかに誇っても、その内実は米欧日の帝国主義に市場と資金の両面で深々と依存し、帝国主義世界経済の動向に左右されるという致命的弱点を抱えたものでしかない。大恐慌がいま一歩進めば、97年のアジア通貨危機当時をも上回るような底なしの危機に一瞬にしてたたき込まれるリスクを抱えているのが、今の韓国経済である。それは同時に、労働者人民の決定的な総反乱、文字通りの革命情勢を一気にたぐり寄せずにはおかない。朴槿恵も韓国ブルジョアジーも、このことを完全に自覚し、恐怖におびえ切っている。
 そうであればあるほど朴槿恵政権は、自らと財閥資本の生き残りをかけて、新自由主義攻撃の一層凶暴で極限的な展開にますますのめり込んでいくしかない。全面民営化の強行と全労働者の総非正規職化、民主労総の解体と労働運動の根絶・一掃だ。だがそれは今や、朴槿恵と韓国支配階級に最大の困難をつきつけている。それは朴槿恵政権の側から韓国労働者階級に生きるか死ぬかのむきだしの階級戦争を挑むものであり、プロレタリア革命の火薬庫に彼らの側から火をつけるものとなるからだ。

 革命的情勢の接近

 米帝と日帝もまた、この情勢を最大の危機感をもって注視している。
 米日帝国主義、とりわけ米帝は今春、朝鮮半島を一触即発の危機にたたき込むすさまじい戦争挑発攻撃に打って出た。それは、北朝鮮スターリン主義・金正恩(キムジョンウン)体制の崩壊的危機をにらんだ米帝の対北朝鮮・対中国の侵略戦争策動であり、米新軍事戦略の発動であった。だがそれは、北朝鮮スターリン主義への戦争重圧であると同時に、発足したばかりの朴槿恵新政権を直接に支えるという目的をも持っていた。
これまでも、韓国の支配体制が危機に陥った際に、北朝鮮との対決に労働者人民を「挙国一致」的に総動員するのは、帝国主義と韓国支配階級の常套(じょうとう)手段だ。だが今回の事態は、極右勢力が国家主義・反共主義をどんなにあおろうと、資本こそ最大の敵だということを韓国の労働者階級に忘れさせることはもはや絶対にできないことを突きつけた。2010年の秋、現代自動車非正規職支会による蔚山(ウルサン)工場占拠闘争のさなかに発生した延坪島(ヨンピョンド)での南北砲撃戦に、「戦争は延坪島ではなくここ蔚山で起きている!」との叫びが労働者の中から上がったが、この叫びは今日、全労働者のものになりつつある。
 朴槿恵政権が延命のためにあがけばあがくほど、政治支配の危機がさらに爆発していくことは明白である。韓国情勢がこれから、エジプトやブラジルで起きているような巨大な革命的大激動の真っただ中に入っていくことは間違いない。

第2章

 U 打ち破られた労組破壊攻撃――新自由主義と死闘の15年

 今日の朴槿恵政権の危機、政治支配の危機の爆発は、過去15年間にわたる韓国における新自由主義攻撃とその破綻が必然的に生みだしたものだ。その核心は、民主労総の闘いをつぶそうとして必死にしかけられた攻撃が結局、大破産に行き着いたことにある。
韓国における新自由主義との闘いは、90年代半ばの金泳三(キムヨンサム)政権時から始まり、97年アジア通貨危機とIMF(国際通貨基金)による管理体制への移行を契機に一挙に、激烈に進行した。95年の民主労総結成はほとんどその直後から、韓国を襲ったすさまじい新自由主義攻撃の嵐との激突に次ぐ激突過程への突入となった。
 それは、「世界最強の労働運動」として登場した民主労総を何がなんでもたたきつぶそうとする国際帝国主義と韓国政府・資本の総力を挙げた攻撃と、これを実力で打ち破って進もうとする韓国労働者階級との、まさしく壮絶な死闘の過程であった。
今日の危機の深さをつかみきるためにも、この15年間をもう一度振り返ってみよう。
(写真 1980年代末の労働法改正を求める労働者の闘い)

 【1】金大中政権下の闘い――大量整理解雇に怒りの決起

 韓国経済は、60〜70年代に軍事独裁政権下で「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる高成長を達成した。それは労働組合の非合法下や重税による労働者・農民の生き血を吸うような強搾取と収奪の結果であり、65年日韓条約に始まる日帝からの外資導入、ベトナム参戦による特需に支えられていた。1987年の民主化と労働者大闘争は軍事独裁政権を崩壊させ、93年に登場した金泳三政権のもとで96年にはOECD(経済協力開発機構)加盟を果たし、「先進国入り」を誇った。しかしそれは金融自由化と市場開放を伴うものであり、それまできわめて手厚い保護政策の上に経済成長を図ってきた韓国経済に劇的な変化をもたらすものとなった。
 97年に発生したアジア通貨・金融危機は、この韓国経済を一挙に底なしの危機にたたき込んだ。日帝の金融危機の爆発が「日本発の金融恐慌」として世界を覆い、帝国主義の金融資本が新興国に流し込んでいた資金の回収に一斉に走った。この中でウォンが急落し、中央銀行である韓国銀行の外貨準備高はみるみる激減し、国家的なデフォルト(債務不履行)の危機に直面した。韓国政府はIMFに緊急融資を要請。金泳三政権は97年12月3日、570億jという巨額の金融支援と引き換えに、韓国経済全体をIMFの管理下に入れることで合意した。

 IMF改革の実態

 IMFと米帝は、韓国政府の救済要請を受け入れる条件として、IMFによる韓国経済の統制と、そのもとでの「金融・財閥・公共部門・労働市場」の四つを柱とする大規模な「構造改革」を強要した。それは、帝国主義資本、とりわけ米の巨大金融資本が韓国経済を直接支配し、そのもとで財閥の大再編をはじめ韓国の経済システム全体を改変し、労働争議を根絶一掃して新たな新植民地主義的搾取にのりだそうとするものであった。また同時に、日帝が長年にわたって韓国に築いてきた権益を米帝が実力で奪い取り、日帝のアジア勢力圏形成への動きをたたきつぶすという、激しい対日争闘戦でもあった。
 その第一は、金融引き締めと超緊縮財政の強制である。高金利のもとで経済成長率を年3%以内に抑えることを義務づけ、かつ帝国主義への債務返済を一切に優先させて、経済危機を食い物にして帝国主義資本がぼろもうけすることを可能にした。
 第二に、全面的な規制緩和による外資の自由な導入である。外国人による株式所得制限を撤廃させて韓国企業に対する外資の100%出資を可能とし、外国人による土地取得への制限も撤廃した。
 第三に、韓国財閥の再編である。韓国の基幹産業を独占してきた大財閥は朴正熙政権下で国家的支援を受けて育成されたものだが、米帝・IMFはこれを「ビッグディール」と呼ばれる業種交換によって1財閥1業種に特化させ、系列会社を2分の1に縮小する大手術を行った。その上で米欧の大企業が再編後の財閥との資本提携関係を結んだ。
 第四に、国営企業の民営化や、鉄道・通信・電力・ガスなどの公共部門の分割・民営化攻撃である。公共部門の民営化は後述するように労働者階級の闘いによって挫折するが、浦項(ポハン)製鉄などの国営企業は完全に民営化された。
そして第五に、労働運動の解体とあらゆる労働争議の絶滅・一掃の要求である。そのため、外国資本のもとでは労働者の搾取に対する規制をすべて取り払う「経済特区」の設定をも策動した。
 この結果起きたことは、労働者の大量首切り・大失業であり、搾取と収奪の強化であり、中小企業の大規模な倒産であった。その一方で、外資への売却や合併・買収によって資本の集中と淘汰・再編が一挙に進み、その中から帝国主義資本と結託した少数の財閥が新たな巨大独占体を形成して全経済を支配するという構造がつくりだされた。
 今日、4大財閥と呼ばれるサムスン・現代・SK・LGの売上高合計が韓国GDP(国内総生産)に占める割合は2011年に55・2%、トップのサムスン1社だけで21・9%という恐るべき寡占状態が生み出されているが、その根源は97年末から2001年まで続いたこのIMF管理体制にある。これが韓国社会をそれまでとはまったく異なる状況にたたき込み、貧富の差をはじめあらゆる矛盾を生み出してきた元凶である。

 整理解雇との闘い

 IMFによるこの超緊縮政策と大規模な「構造改革」攻撃は何よりも、労働者階級への徹底した犠牲転嫁とすさまじいまでの生活破壊攻撃として襲いかかった。この攻撃はしかも、97年末の大統領選で当選し、98年2月に発足した金大中政権によって強力に推進された。軍事独裁政権下で一時は死刑判決を受け、民主化闘争の「輝ける闘士」とみなされていた金大中のもとで、今日のギリシャで起きているような攻撃が全労働者人民に一気に襲いかかったのだ。
 その核心は、95年に結成されたばかりの民主労総の破壊にあった。87年労働者大闘以来の闘いを経て結成され、世界で最も戦闘的な労働運動としてその名をとどろかせていた民主労総の解体は、韓国の支配階級のみならず国際帝国主義にとっても絶対不可欠の課題であった。
その決定的武器としてしかけられたのが、「労働市場の柔軟化」と称する雇用と賃金破壊の攻撃、とりわけ整理解雇制の導入と、それとセットになった勤労者派遣法制定=派遣労働者制導入の攻撃であった。
 整理解雇制の導入を含む労働法の改悪は96〜97年に大問題化し、結成されたばかりの民主労総はその阻止を掲げて75万人の一大ゼネストを闘っていた。だがIMF合意の履行を誓約した金大中はそれまでの「整理解雇反対」の立場を翻し、逆に「経済危機克服のために苦痛の分担を」と言いなして、労働者に進んで資本の犠牲となれと要求した。そして大統領就任式に先立つ2月6日、労使政委員会に民主労総執行部をも引きずり込んで、労組活動のペテン的な「自由拡大」の約束と引き換えに整理解雇制導入への合意を強要した。続いて2月14日には導入法案の電撃的成立を強行し、即日施行した。
 これによって「緊迫した経営上の必要」という口実を使った資本のほしいままな整理解雇が可能になり、98年7月現代自動車での1600人解雇を突破口に、大量解雇の嵐が吹き荒れた。98年末には財閥再編に伴う10万人解雇攻撃が労働者を襲い、公共部門でも統廃合による13万人もの解雇が強行された。99年2月には政府統計でも失業率8・9%、実質失業者は400万人を超えた。
 だが闘う労働者は、即座にこれへの怒りを爆発させて立ち上がった。民主労総の代議員大会は2・6合意の直後にその承認を断固として拒否、執行部の総辞職とイガビョン新委員長の選出をかちとり、吹き荒れる解雇攻撃を実力で粉砕する闘いに打って出た。現代自動車では36日間の工場占拠闘争が闘われ、自動車部品メーカー大手の万都(マンド)機械では、籠城ストに決起した組合員と家族2480人が1万7千人の戦闘警察による襲撃と闘い、全員が連行された。大宇(デウ)自動車の破綻に伴う大量解雇では警察権力の武力弾圧と血を流して闘いぬいた。
 こうした激烈な闘いを通して、金大中への幻想は大衆的に打ち破られた。逆に、この過程を通して民主労総は組織的にも強化され拡大していった。大量整理解雇への怒りは御用労組である韓国労総傘下の労働者をも突き動かし、民主労総と韓国労総の共同闘争が取り組まれる中で、民主労総への新たな合流もかちとられた。95年の創立時に862労組・41万8千人だった組合員は、01年末には1513労組・64万3千人と23万人も増加した。この中で99年には全国教員労組が合法的地位を獲得し、続いて民主労総も、創立から4年目にして労働組合のナショナルセンターとしての正式認可をもぎとった。
(写真 整理解雇制撤回を求めゼネストに突入した現代自動車労組【1998年5月27日】)

 民営化攻撃を粉砕

 金大中政権との激突は、公共部門の民営化攻撃をめぐって一層激しく展開された。金大中はまず98年に浦項製鉄など五つの公営企業とその子会社の売却に着手。続いて韓国通信(現KT)の民営化にのりだした。01年に入ると電力公社、ガス公社、鉄道庁などの分割・民営化プランが海外への売却方針をも伴って打ち出された。
 これに対して02年2月25日、民主労総傘下の発電産業労組、韓国労総傘下のガス労組と全国鉄道労組の3労組が、「国家基幹産業の民営化・海外売却阻止」を掲げて史上発の同時ストライキに突入した。翌26日には民主労総も連帯ストに決起した。警察権力によるスト鎮圧を避けるため、発電労組は「散開闘争」という戦術を生み出して闘った。5300人の組合員が520組のグループに分かれて全国に散り、野宿をもしながら、携帯電話やインターネットで指令を受けて離合集散を繰り返して闘いぬくという戦術である。発電労組はこの闘いを、驚異的な団結の力によって38日間も不屈に貫いた。
 こうした闘いによって、金大中の民営化攻撃はいったん挫折に追い込まれ、先送りされた。またこの闘いの後、ガス労組や鉄道労組は韓国労総を脱退して民主労総に加盟した。韓国労総の拠点だった鉄道労組はすでに01年5月、全組合員の直接選挙によって御用執行部を打倒し民主労組派の権力を打ち立てていたが、02年11月に同じく全組合員の投票によって民主労総への移行を決定した。
(写真 公営企業民営化に対してストライキに突入した公共連盟の総力決起大会【02年2月25日】)

 【2】盧武鉉政権下の闘い――非正規職撤廃闘争の開始

 03年2月、金大中政権に代わって登場した盧武鉉政権は、前政権が開始した攻撃を引き継ぎ、一層全面的に推進した。民主労組の顧問弁護士として労働運動にも関わっていた盧武鉉は、「人民とともに進む」と公約して当選したが権力の座に着くやいなや豹変し、資本の手先となって前政権以上に暴力的に労働者階級に襲いかかった。
 盧武鉉が政権発足後、真っ先にやったことはイラク侵略戦争への韓国軍の派兵だ。そして労働運動つぶしのためのむきだしの暴力的攻撃と、他方で民主労総指導部に対する懐柔・取り込み策動の開始だった。盧武鉉政権のもとで首切り攻撃とともに非正規職の量産が決定的に進んだ。すでに金大中政権下の激烈な搾取と大衆収奪によって01年には債務の返済が完了し、IMF管理から脱却していたが、盧武鉉は自ら新自由主義攻撃の一層の満展開に突っ走った。非正規職化を推進する悪法をつくり、資本の不当労働行為を合法化して労働争議の圧殺を容易にする攻撃をも強行した。韓米FTAを推進し、締結したのも盧武鉉だ。
 盧武鉉政権の5年間は、これらをめぐって、民主労総の切り崩しや指導部の体制内的変質を許すか否かをかけた激しい攻防となった。だが現場労働者の渾身の決起は指導部の屈服を許さず、打ち破って進んだ。

 損賠攻撃に死の抗議

 02年の大ストライキの爆発に打撃を受けた資本と政権は、労組つぶしのために一層卑劣な手段に訴えた。ストへの報復として、労働組合に対する損害賠償請求と財産・賃金などの仮差し押さえを乱発し始めたのだ。労組や組合幹部だけでなく、組合員個人もその対象とされた。こんなやり方は争議権、団結権の完全な否定だ。スト自体を犯罪視するものであり、労働組合の抹殺にほかならない。
03年1月、金属労組斗山(トサン)重工業支会のペダルホ組合員がこれに焼身抗議を行い、死亡した。斗山重工業は、金大中政権が民営化で国家 基幹産業であった韓国重工業を斗山財閥に破格の安値で売却したものだ。買収後、斗山資本が真っ
先にやったのが1千人を超える労働者の整理解雇であり、労組との団体協約の一方的破棄だった。これに抗議して47日間のストライキを闘った労組に巨額の損害賠償が請求され、賃金が全額、6カ月間も差し押さえられ続けたことへの憤怒の告発であった。
 この年10月には、やはり損倍で賃金だけでなく自宅も差し押さえられた韓進(ハンジン)重工業のキムジュイク支会長が、籠城を続けていたクレーンの上で首をつり、労働組合と労働者の生存権死守を死をもって訴えた。8年後の2011年にキムジンスクさんがその遺志を継いで登ったのと同じクレーンだ。
 もうこれ以上、仲間を死なせてはならない! そのためには民主労総の全組合員が命がけの闘いに立つ以外ない。敵の卑劣な攻撃は労働者の怒りを燃え立たせた。損倍・仮差し押さえ攻撃はその後も激化の一途をたどったが、闘う労働者は団結の力であらゆる困難を打ち破って前進した。
(写真 03年10月17日、韓進重工業のキムジュイク支会長がクレーン上で抗議自決)

 非正規労働者の決起

 

盧武鉉政権が行った最大の悪行が、非正規職の増大とその劣悪な現実への怒りの爆発を抑え込むために持ち出した非正規職法の制定である。
政府は04年11月、「非正規労働者の保護が目的」と称して、期間制(有期契約)労働者や短時間労働者に関する法律の新設と、98年に施行した派遣法の改悪案を国会に提出した。その狙いは実際には、派遣労働の職種による制限を取り払うなど、非正規職をますます大量生産していくことに法のお墨付きを与えるものだった。
これに対して民主労総は、05年、06年とゼネストを含む総力阻止闘争に立ち上がった。この過程で非正規職労働者の恐るべき低賃金と強労働に対する怒りが広がり、何よりも非正規職労働者自身の中から「非正規職の撤廃!」を求める渾身(こんしん)の決起が次々と噴出していった。 現代自動車では社内下請けの労働者が03年から04年にかけて次々と非正規職支会を結成し、05年1月から蔚山5工場での座り込みストに突入した。今日まで続く不法派遣弾劾・正規職化を求める闘いの開始である。さらに現代ハイスコなど、非正規職の新労組が次々と結成されて闘いを開始。05年7月にはキリュン電子の女性労働者が組合を結成、8月からやはり正規職化を求めてストに入った。以来、1895日間にわたって不屈に闘われ続けたキリュン電子闘争の始まりだ。06年に入ると、KTXの女性乗務員が鉄道公社による直接雇用を求めて決起し、解雇され、同じく長期にわたる闘いに突入した。
これより先、03年5月には、02年に結成された貨物連帯に結集した運送ドライバーたちが「俺たちも労働者だ!」と叫んで釜山港を完全に止めるストに立ち上がった。彼らは個人事業主扱いされて労働者としての権利もすべて奪われた特殊雇用労働者だ。また05年4月にはソウルで、移住労働者による労働組合が初めて創設された。盧武鉉の言う「非正規職保護法」には、これら特殊雇用労働者や移住労働者の権利は一切認められていないことにも怒りが高まった。
06年8月には、政府と与党が5万4千人の公共部門非正規職を「無期契約職に転換する」という新たなペテン的政策を打ち出した。だがその賃金や労働条件は今までとまったく変わらず、予算の削減や外注化でその職場が廃止されれば自動的に解雇されるものでしかない。
06年秋、民主労総は20万人ゼネストに決起、その中心には金属連盟とともに公共部門労働者が立った。
(写真 7万人が結集し、ゼネストを宣言した民主労総労働者大会【04年11月14日 ソウル・光化門】)

(写真 現代自動車門前での「不法派遣糾弾及び正規職化戦取のための蔚山労働者決意大会」【05年1月19日】)

(写真 不当逮捕を糾弾する金属労組キリュン電子分会組合員【04年10月18日】)

 屈服路線打ち破る

 盧武鉉の攻撃はこうして繰り返し粉砕され、非正規職法案は06年11月末にかろうじて国会を通過し成立した。続いて12月末には「労使関係先進化ロードマップ」関連法案の成立が強行され、07年1月から施行された。
この「労使関係先進化」とは盧武鉉が大統領就任時に掲げた公約である。盧武鉉はこれを当初、労使の「パートナーシップの形成」として打ち出した。 そしてこれを達成するためのロードマップ(行程表)を作成する労使政委員会を設けて、そこに民主労総を再び引きずり込むことをたくらんだ。それをテコに民主労総執行部を懐柔してその屈服を引き出し、内部からの路線転換と変質・解体を策動しようと狙ったのである。
 そして実際、04年以降、民主労総内ではこの労使政委員会参加問題をめぐって大激論が始まった。99年以来闘いを指導してきたタンビョンホ委員長に代わって04年1月に登場したイスホ執行部は、「社会的交渉路線」を打ち出し、政府・資本との取引を軸において、労働者のストライキを交渉を有利に進めるための単なる圧力手段にすりかえようとした。資本との絶対非和解の階級戦争が現に火を噴いている中で、"は強大であり、闘っても勝てない”という敗北主義・日和見主義によるものだ。
 だが現場労働者の怒りはこれを許さなかった。05年、代議員大会は流会に流会を重ねた。05年10月、イスホ執行部は資本の買収工作が暴かれて総辞職したが、続くチョジュノ執行部もイスホ路線を踏襲した。しかし現実の闘いが爆発する中、もはや資本との取引など問題にもならないところまで闘いは進んでいた。民主労総の指導部を取り込んで闘いの発展を抑え込もうとした盧武鉉の思惑は完全に外れた。
 ここからロードマップ攻撃は、韓国労総の裏切り妥結をもテコにしてその性格を完全に変えた。最終的に成立した法案は、「スト圧殺法」とも言うべき、むきだしの労働運動弾圧法となった。決定的なのは、ストライキ時の代替要員投入(スト破り)の合法化と、スト権を制限できる「必須公益事業場」の大幅拡大、不当解雇に対する使用者処罰条項の削除と金銭解決導入だ。労働者の怒りはさらに燃え上がった。
(写真 ゼネストを宣言した民主労総の全国労働者大会。動労千葉と全学連の旗が翻った【2006年11月12日 ソウル市庁前広場】)

 公務員労組巡る激突

 盧武鉉政権とのいまひとつの激突点は、公務員労働者の労働基本権をめぐる攻防だった。政府は04年末、公務員労組特別法の制定を強行し、公務員労働者の争議権を一切認めず、団結権と団体交渉権も制限した。そして特別法阻止のストに決起した全国公務員労組に対し、400人以上を解雇、2500人懲戒の重処分を下した。さらに法に基づいて設立申告を出さなければ不法団体とみなすと宣告。これに対して全国公務員労組は労働3権を保障しない特別法の承認を拒否し、「あえて法外の道を行く」と宣言。06年4月には民主労総に正式加盟した。これによって民主労総の組合員数は80 万人を超、数の上では韓国労総を抜いた。
 非正規職法とロードマップ関連法という二大悪法の成立後、資本攻勢は一気に激化し、これに対する労働者階級の徹底抗戦も激化した。非正規職撤廃闘争はイーランドの売り場封鎖闘争をはじめ流通、金融、建設などあらゆる分野に広がり、相互に連携して発展した。これらの闘いは韓米FTA粉砕闘争とも結合し、李明博政権下の大激突へと継続された。

 【3】李明博政権下の闘い――民営化・労組破壊との激突

 08年2月新大統領に就任した保守・ハンナラ党(現セヌリ党)の李明博は、「失われた10年を取り戻す」と称して、金大中・盧武鉉の両政権がやろうとしてやりきれなかったことを断固やると宣言して登場した。それは、新自由主義政策の核心=公共部門の民営化の本格推進であり、その前に立ちふさがる民主労総と戦闘的労働組合・労働運動の徹底破壊・解体であった。

 全面民営化に直進

 現代建設の社長だった李明博は、韓国労総と政策協定を結びその支持をとりつけることで政権の座についた。韓国経済の再生には「小さな政府、
大きな市場、効率性」が不可欠とし、そのためには「労使が協力する国」をつくり、FTAを通じて市場開放を推進し、「公共部門を大胆に民間に委譲し、競争を誘導する」とぶち上げた。
 就任直後に打ち出されたのは、@産業銀行の民営化(及びその大株主である土地公社、道路公社の民営化)、A鉄道を筆頭に発電、ガス、上水道など公企業の段階的民営化、BMBC(文化放送)、大宇造船、ハイニックスなど政府が大量の株を保有する企業での株式売却、C公共機関の全面的な統廃合だ。鉄道の民営化では、鉄道を旅客と貨物に分離するなどの分割・民営化案を提出したが、これは01年に金大中政権が提案し鉄道労組のストライキによって粉砕されたのと同じものだ。その後、盧武鉉政権が鉄道庁を鉄道公社と施設公団に分離したがそれ以上には進まず中断されていたものである。それがまたぞろ持ち出された。(今日の朴槿恵政権のKTX民営化も、この攻撃を完全に引き継ぐものだ)
 さらに08年の夏から秋にかけて「公企業先進化推進計画」が3次に分けて発表された。第1次として仁川国際空港などの民営化、第2次として勤労福祉公団など29機関の統廃合と民営化、第3次としてエネルギー関連公共機関(地域暖房公社、韓国電力、5つの発電会社、ガス公社)と韓国放送広告公社、鉄道公社の民営化及び競争システム導入だ。そしてこれらの計画を推進するために、日本の小泉内閣の経済財政政策担当大臣で郵政民営化を推進した竹中平蔵を韓国に呼び、大統領特別顧問に登用した。

 労働運動弾圧の激化

 李明博政権はこの民営化攻撃を貫徹するためにも労働運動弾圧にまず総力を挙げた。08年3月、政府の労働部・行政安全部・法務部が一斉に政権の施政方針に当たる業務報告を提出した。労働部の報告は「労使関係が経済再生と雇用創出の原動力になるようにする」とうたい、労働組合の賃上げ要求自制とスト放棄を核心とする「労使協力宣言」を拡大することに全力を挙げる、というものだ。そしてこれに協力する企業や団体には多額の支援金を出すと表明した。
 続く行政安全部の報告では、デモ鎮圧・逮捕のために特殊訓練を受けた専門部隊を警察内に新設し、デモ現場の不法行為に対しては仮差し押さえを伴う損害賠償請求と即決裁判で臨む、との強硬方針を打ち出した。さらに法務部の報告では、「不法集団行動の根絶」を掲げ、とくに「政治ストライキの主導者と背後で操作する者を徹底して追跡し、厳しく処断する」と息巻いた。政権を奪回した保守政党と資本家階級が、民主労総を先頭とした労働者階級の団結と闘争をどれほど恐れているかを示すものである。事実、この直後から争議現場への警察権力の介入と弾圧が一気に激化した。
攻撃の矛先は労働運動以外にも向かった。09年1月、ソウル市龍山(ヨンサン)地区で、再開発に反対し立ち退きを拒否して籠城していた住民を警察特攻隊が襲撃し、建物が炎に包まれる中で住民5人が死亡するという惨事が発生した。李明博は怒りの爆発を恐れて警察による虐殺の真実隠蔽に躍起となり、追悼集会をも禁止するなど弾圧を拡大した。
 李明博政権はさらに、労働組合内の一部の企業防衛主義に染まった分子をけしかけて、韓国労総とも異なる完全な帝国主義労働運動派の第3労総デッチあげを策動した。だがその中心となったソウル地下鉄労組では、民主労総脱退を強行した執行部を組合員が辞職に追い込んで粉砕した。

 新たな労組破壊攻撃

 2010年冒頭には、労働法のさらなる大改悪が強行された。韓国では軍事独裁時代から一企業一組合しか認められず、官製組合である韓国労総が支配する職場に民主労組をつくって闘うのは困難だったため、民主労総は結成当初から複数労組の承認を求めてその法制化をかちとった。だがその施行は、実に十数年にわたって延期に次ぐ延期を重ねてきた。そして資本と政権は逆に複数労組許容と一体で交渉窓口を一本化するという卑劣な攻撃に出たのだ。労使交渉の窓口は過半数を占める労組にしか認めず、少数労組や産別労組には使用者の同意がない限り団体交渉権を認めないという攻撃である。
 いまひとつは、労組専従者への会社による賃金支給を禁止して、有給で行われる労組活動の範囲を労働・経営・公益の三者からなる審議委員会で決めるというタイムオフ制を導入したことである。何人を対象に何時間まで認めるかは、この場で毎年決定する。これは労組専従の活動を制限する狙いをもつと同時に、それをとおして政府と資本が労組活動に公然と介入するもの
だ。
 李明博政権が労働法に盛り込んだこの二つの極悪条項は、後者は10年7月から、前者は11年7月から施行された。これらは民主労総の活動を重大な困難に直面させた。しかし現場の闘いは、それをも団結の力と実際の闘いで突き破って発展していった。

 100万の怒り爆発

 こうした李明博政権による民営化攻撃と労働運動圧殺の攻撃は、その凶暴性にもかかわらず結局は大破産に追い込まれた。
李明博をまず襲ったのは、08年のロウソク集会100万人の大決起だった。「李明博退陣!」を叫んで燃え上がったこの巨大な大衆闘争は、米国産汚染牛肉の輸入反対とともに5大要求を掲げた。@医療・公企業の民営化反対、A水の私有化反対、B教育の自律化反対、C大運河建設反対、D公営放送死守である。「教育の自律化」とは教育現場を激しい学校間競争・生徒間競争にたたき込む政策で、これに怒った中学生・高校生が「異常な牛肉、異常な教育反対!」のプラカードを掲げて街頭に出たのが闘いの発端である。歴代の政権が進めてきた新自由主義攻撃に対する広範な労働者人民の積もりに積もった怒りが、牛肉問題をきっかけに一挙に解き放たれたのだ。
 だが肝心の民主労総指導部はこの闘いに立ち遅れた。100万人のロウソクデモは労働組合の旗とその組織的隊列を牽引(けんいん)車としてではなく自然発生的な「市民運動」として展開され、その限界を突破できなかった。その結果、最後は巨万の民衆が大統領官邸の周囲に築かれた権力のバリケードをのりこえ、恐怖に震える李明博を打倒・追放する寸前まで行きながら、官邸突入への革命的決断を下すことができずに引き下がった。
その背景には、イスホ執行部の「社会的交渉」路線以来、民主労総指導部の内部に体制内的な改良主義、議会主義への傾斜が生み出されていたという問題がある。それは、労働者の階級的団結に依拠し資本との絶対非和解を貫いて闘い抜くことを否定していく路線であった。本質的には資本への屈服を組織するものでしかない。階級対立の先鋭化と革命的情勢の始まりのもとでは当然にも破産し自滅するか、闘いを圧殺する側に転落していく以外にないものだ。

 双龍車闘争が転換点

 民主労総の直面したこの危機を突破し、韓国労働者階級の階級的戦闘的前進を再びかちとる突破口となったのは、09年の双龍(サンヨン)自動車の闘いだった。海外資本への売却に伴う大量整理解雇の撤回を求めて工場を占拠し一歩も引かず闘った、金属労組双龍自動車支部の77日間にわたる壮絶な闘争は、全労働者の魂を揺るがした。「解雇は殺人だ!」と訴え、警察権力や資本の傭兵=暴力ガードマンらによる殺人的襲撃との白兵戦をも闘い抜き、最後までハンサンギュン支部長(当時)のもとに組合員の団結を守りぬいた闘いは、民主労総の原点をよみがえらせた。大恐慌下の大失業攻撃と闘う労働者階級の真骨頂がそこに示された。
 その翌年には、現代自動車非正規職支会が蔚山で25日間の工場占拠ストを闘いぬいた。現代自動車の社内下請け労働者が長期にわたる闘いにより、日本の最高裁に当たる大法院で不法派遣を認定する判決をもぎとったことをきっかけに、非正規職労働者の怒りが爆発し、正規職化を求める闘いに実力で打って出たのだ。正規職の組合である現代自動車支部執行部の恥知らずな裏切りと分断攻撃をもはねのけて貫かれた闘いは、全社会に反響を呼び、非正規職闘争を一挙に一大社会問題に押し上げた。
 11年には、韓進重工業の整理解雇に対し、民主労総釜山地域本部指導委員のキムジンスクさんが309日間のクレーン籠城闘争を闘い抜いて感動的な勝利をかちとった。8年前に同じクレーンに登り、悲憤の死を遂げた故キムジュイク支会長のリベンジをも賭けた闘いだった。彼女の闘いを支援する「希望バス」が組織され、全国から数万人が結集する大闘争に発展した。
 双龍自動車の闘いや現代自動車の闘いはその後も不屈に継続され、全国に散在する「長期闘争事業場」と呼ばれる労働争議現場の闘いを一つに結合し、資本と絶対非和解の闘いを貫いていく拠点として発展しつつある。また民営化攻撃との大決戦に突入した公共部門労働者の巨大な隊列と結びつき、新自由主義を真っ向から打ち破っていく闘いとして前進しようとしているのだ。
(写真 ヘルメットと鉄パイプで武装した双龍自動車支部組合員【2009年6月3日】)

 【4】階級の新たな指導部建設へ――日韓の国際連帯の発展を

 

新自由主義との死闘の15年を経て、韓国労働者階級の闘いは今や、新たな決定的飛躍の局面を迎えた。問題となっているのは、今日の危機を朴槿恵政権と財閥支配打倒の労働者革命へと導いていくことのできる、労働者階級の新たな指導部の建設である。
民主労総内の体制内派、議会主義派は、労働者階級の闘いの一切を昨年末の大統領選挙とそこでの野党統一候補支持に流し込むことによって、一層の腐敗と変質を深めてきた。「労働者政治勢力化」の名のもとに一昨年から進行した民主労働党の解散とそれに代わる新党の創設は、激しい内部分裂をも引き起こしながら結局はその全員が、盧武鉉の側近であった民主統合党のムンジェイン候補支持に行き着くことで完全な破産をさらけだした。その一部は今や階級対立を否定して、改良主義・社民主義や労資協調主義の路線を公然と掲げ始めるにいたっている。
だが既成指導部のそうした路線的破産と変質・混迷の対極で、現場労働者の中から、新自由主義との全面対決と資本の支配の転覆、社会の根底的変革を真っ向から掲げて闘う新たな潮流が確実に成長し始めている。体制内勢力や親スターリン主義勢力との路線的分岐と対決の中から、現場労働者を軸にした階級的労働運動の新たな発展がつくりだされつつある。そしてこれと一体で、真の労働者政治勢力化=労働者階級の本物の党の建設をめざす闘いが本格的に始まろうとしているのだ。
動労千葉と民主労総ソウル地域本部との間に2003年以来の10年間にわたって積み重ねられてきた日韓労働者の国際連帯もまた、ここにおいて新たな飛躍と発展を遂げようとしている。労働者階級とは本質的に、国際的に一つの階級だ。全世界的に吹き荒れる新自由主義攻撃は、労働者階級の民族・国籍・国境を越えた国際的団結によってこそ、これを打ち破って勝利への展望を開いていくことができる。それは同時にプロレタリア世界革命を現実にたぐり寄せる道である。韓国と日本の労働者階級の連帯した闘いは、その最先端、突破口を開くものである。
国鉄解雇撤回・JR復帰を求める10万筆署名には韓国からも1500筆を超える署名が寄せられている。日韓労働者が立ち向かう敵と、求められている闘いはまったく同じだ。不屈に闘う韓国民主労総の現場労働者とますます固く連帯し、国鉄決戦を基軸に、民営化・外注化・非正規職化阻止の大決戦に突き進もう。今秋11月労働者集会を世界革命へと向かう国際連帯の大集会としてかちとろう。

(写真 全国労働者総決起集会で演壇に勢揃いした民主労総ソウル地域本部の代表団【2012年11月4日 東京・日比谷野音】)

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第4章

 25日 現代自動車非正規職蔚山工場占拠闘争の記録

 パク・チョムギュ著 広沢こう志訳

 2010年11月15日から12月9日、韓国の現代自動車ウルサン工場の社内下請けの非正規職労働者が、正規職化を求めて25日間の工場占拠ストライキに立ち上がった。著者のパク・チョムギュ氏は、金属労組の団体交渉局長としてろう城現場で寝食をともにし「日記に書いた」。そして、できあがった一冊の本が『25日』。その本が4月1日、動労千葉国際連帯委員会の翻訳で労働者学習センターから発行された。
2010年7月22日、「2年以上勤務した現代自動車社内下請け労働者は不法派遣であり正規職である」と大法院(最高裁)判決が出た。「われわれは正規職だ!」と勢いづいた非正規職の青年労働者たちが労組に結集、11月15日、600人が第1工場ろう城ストライキに突入した! 以来25日、全州工場、牙山工場を含め1800人がともに闘った。最後までろう城現場を守った249人の戦士たちが誇り高く語る。「第2、第3の占拠ストをやり、非正規の『非』の字を聞いただけで会社の膝がガクガクするような闘いをやりましょう」「すごく誇りに思います」
 この本の1ページ、1ページがストライキが生み出すきらきらと輝く体験で埋め尽くされている。「25日間の幸福な時間は終わった」。しかし今もウルサンの非正規職労働者の闘いはあらゆる困難をのりこえて不屈に続いている。
 今、すべての同志、すべての労働者に読んでほしい一冊だ。

●労働者学習センター発行、A5判240頁。頒価1000円、10冊以上は800円。
●注文先は、労働者学習センター 千葉市中央区要町2―8 DC会館
電話 043―222―7207 ファックス 043―224―7197
E-mail: doro-chiba@dorochiba.org

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第5章

 韓国民主労総の123周年世界メーデー宣言

 123周年世界メーデー、労働者の権利宣言 宣言せよ権利を、叫べ平等の世界を!

 

 

(写真 民主労総の2013年メーデー大会)

 労働の開始は、人類の始まりだった。今日は123周年の世界メーデーである。しかし、世紀をこえて、今も労働者の権利は脅かされている。この脅威は、私たちの時代の貧困と不安、絶望と死という野蛮を呼び込んでいる。この脅威は、人間と自然、人と人の間の共存と連帯を破壊する。この脅威は、韓国で日々高まっている。民主的な意思疎通も、権利主体としての労働をも否定するパククネ政府が登場した。雇用は、権利を封じ込める資本の武器となり、メディアは、労働者の権利を語らない。労働者は権利を口にした瞬間、路上に追い出される覚悟をしなければならない。時には暴力にも耐えなければならない。家庭でも職場でも、どこにも労働者に安全な場所はない。一緒に生きよう! そして今日、私たちは再び労働者の権利を宣言する。

 私たちには、団結して闘争する権利がある!

 資本と政治官僚は、唯一の権力として君臨する。彼らは少数だがすべてを掌握し、社会の富を生産する労働者民衆は絶対多数でありながら、団結して闘う権利すら否定されている。労働組合の結成は監視と解雇の対象となり、警察と用役やくざ(ガードマン、資本の私兵)の暴力に踏みにじられている。ストライキは業務妨害罪で断罪され、大量解雇で死んでいった仲間たちは、その死の悲しみを街頭で訴える権利すら奪われた。私たちは、すべての社会的弱者の団結して闘争する権利を要求する。民主主義を要求する。
 私たちには、整理解雇、非正規職のない世の中で生きる権利がある
 整理解雇は、最も冷酷な経済的暴力である。資本は、間違った経営の責任をとらず、労働者に転嫁して解雇する。解雇は、労働者を死に追いやる絶望のドアである。自殺率1位の大韓民国、この絶望に何の責任もとらず解決策も示さない政府は、国家を運営する資格がない。非正規職として差別され蔑視される苦しみや不安を無視したまま、国民の幸福を語ることはできない。国民の幸福は、整理解雇・非正規職のない平等の世の中で始まることを私たちは宣言する。

 私たちには、正義にかなった分配を保障される権利がある

 電気代を払えず、ろうそくを灯していて焼け死んだ少女がいる。お金がなくて飢えて、家がなくて凍って死ぬ人々がいる。世の中から抹殺されたまま、誰も知らない孤独死を迎える高齢者がいる。死ぬほど働いても借金だけがたまっていく悲惨な人々がいる。公共部門の民営化は、彼らから生きる最後の希望と最小限の福祉を奪う行為だ。676万人以上の国民が最低賃金さえ受けられずにいる。体がきつくても休みたいと言うことすらできず、お金がなければ病院に行かないと言う労働者がいる。最低賃金を引き上げろ! どんな貧困も放置してはならず、これは政府と資本の義務である。私たちは正義にかなった分配を要求する権利を有している。

 私たちには、死なずに健康に働く権利がある

 人類は、命よりも大切な価値に出会ったことがない。それでも過去11年間に、韓国で27370人が労働災害で死亡した。銃声がないだけで、産業現場は戦場と変わらない。毎年、何千人もが資本の金もうけの銃弾を受けて死んでいっている。長時間労働が強制され、体が悪くても我慢し、けがをしてもろくに補償されない世界で、私たちは生きている。私たちは、生命の権利を宣言する。

 私たちには、ともに平和に生きる権利がある

 戦争の危機を高めて、天文学的な武器取引で富を蓄積している勢力は誰か。他方、戦争で犠牲になるのは誰か。まさに労働者とその息子や娘である。戦争をあおる権力には、どんな理由であろうが正当性はなく、不当な権力は民族の分裂を扇動する。入試戦争は子どもを殺し、就職戦争で青年たちが死んでいく。生きるための戦争ですでに疲れ切っている労働者は、平和を望んでいる。私たちは、平和な共同体で暮らしたい。平和の権利を宣言する!
123周年メーデー、労働者の権利宣言は、すべての社会構成員のための叫びである。この神聖な人間の権利のために、私たちは、巨大資本と権力に対抗して闘争するのであり、私たちは今日、緊急の課題から闘いを開始し、明日、民衆とともに勝利する。トゥジェン! 公共部門の労働基本権をかちとり民主労組を強化しよう。

トゥジェン! 整理解雇撤、解雇者の復職をかちとり、非正規職の正規職化を実現しよう。
トゥジェン! 公共病院の廃止をくいとめ、医療の公共性、社会公共性を強化しよう
トゥジェン! 労災死亡処罰法の強化、最低賃金の引き上げをかちとろう。
トゥジェン! 南北対決中断、対話の回復と平和協定の締結、労働者が先頭に立とう。 集まれ! 民衆よ、宣言せよ権利を! 叫べ平等の世界を!

2013年5月1日
123周年世界メーデー記念大会参加者一同

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月刊『国際労働運動』(446号4-1)(2013/10/01)

■Photo News

 ●米オークランド都市鉄道でスト

  (写真@)

  (写真A)

 動労千葉とも国際連帯の絆を結んでいるカリフォルニア州・オークランドの都市鉄道BARTで働く3000 人の労働者たちは、労働協約改訂の際、賃上げと労働条件の改善、年金負担の軽減などをめぐって資本側と激突し、7月2日から4日半のストライキに突入した(写真@)。SEIU(国際サービス従業員労組)ローカル1021とATU(合同運輸労組)ローカル1555に所属するBARTの労働者は、マスコミの反労働者キャンペーンに抗して、オークランドの交通を麻痺させる大ストライキを実現した。ストライキ後も経営側が交渉で労働者側の要求を認めなかったため、労働者たちは8月1日にオークランドで大集会を開催し (写真A)、新たなストライキが設定された。これに対してサンフランシスコ高裁は、ジェリー・ブラウン州知事の要請に基づき、8月4日からの60日間を冷却期間とし、ストライキ禁止命令を出した。だが、労働者たちは新たなストライキ闘争に向けて断固
たる準備を開始している。

 ●米ファストフード労働者の歴史的決起

 (写真B)

  (写真C)

 7月29 日から8月1日にかけて、アメリカのファストフード労働者たちは、生活できる賃金と労働組合を結成する権利を要求してアメリカのファストフード歴史上最大のストライキに立ち上がった。労働者たちは、シカゴ、セントルイス、デトロイト、ミルウォーキー (写真B)、ニューヨーク (写真C)。カンサスシティー、フリントで闘いに立ち上がった。この闘いには数千人の労働者たちが参加した。

 ●エジプトで鉄鋼労働者のストライキ

  (写真D)

  (写真E)

 ストライキに対する軍部の弾圧が激化している中で、スエズ鉄鋼の労働者4200 人は未払い賃金の支払いを要求して断固たるストライキに入った (写真D)。すでに8月中旬にはストライキは3週間目に入った。軍は工場を包囲してストライキを弾圧し (写真E)、2人の指導的労働者を逮捕したが、独立労組連盟やマハラ繊維労組の労働者の支援をうけて、この2人の労働者を奪還し、ストライキ闘争を継続している。軍と協力する独立労組連盟の一部の指導部の制動を排して闘われたこのストライキ闘争の意義は大きい。

 ●中国で開始された反原発運動

 (写真F)   (写真G)

 7月12日、広東省江門市で、核燃料工場建設に反対する1000人の大規模デモが行われた (写真F)。この工場は、200基の原発建設を推進するために必要となったものであるが、説明会では燃料棒の危険性を軽視した説明が行われたため、住民の怒りが爆発した。農民たちも工場建設のために土地が強奪されることへの怒りを爆発させた。この日朝から市内の東湖広場に結集した住民は、警察の包囲を突破してメインストリートを行進し (写真G)、市政府の建物を包囲した。この闘いは中国の歴史上初めての反原発闘争となった。13日、市の共産党委員会などはこの建設計画を撤回したと発表した。

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月刊『国際労働運動』(446号5-1)(2013/10/01)

世界経済の焦点

■世界経済の焦点

アメリカ農業の歴史と現実

大規模経営促進と家族農業の零落

 7月29日、千葉地裁民事第3部・多見谷寿郎裁判長は、三里塚芝山連合空港反対同
盟・市東孝雄さんに対し、祖父の代から100年にわたり耕してきた農地の明け渡しを命ずる不当判決を下した。法も道理も踏みにじったこの反動判決は、国策の名で農地を強奪して進められてきた成田空港建設の暴力的本質をあらためて示した。
 同時にそこには日本帝国主義・支配階級が農民・農業をどれほど軽んじ、蔑視しているのかが象徴的に表されている。
 TPP(環太平洋経済連携協定)がこのまま進められれば間違いなく、日本農業と地方の農村地域は壊滅的危機に瀕する。安倍政権は農業への企業の参入を促進し、経営規模拡大を進めることを「農業改革」と称し、中小農家の犠牲の上に対米関係を築き日帝の延命をはかろうとしている。
 市東さんをはじめ三里塚反対同盟はこの農民切り捨て攻撃に対し、日本農民の最先頭で不屈に闘っている。
 現代の農業問題を考える上で、今回はアメリカの農業に関する考察を進めていきたい。

 □「大平原」の丸い農地

 

アメリカ中部の大穀倉地帯である「大平原」=グレートプレーンズにおける農業は、「アメリカの大規模で近代的な農業」の典型例として引き合いに出される。
ここで行われている灌漑農業は、センター・ピボットと呼ばれ、半径が400bから1`に及ぶ巨大な自走式散水管で化学肥料入りの水を散布するというものだ。そのために農場は真円形になっている。
巨大トラクターで耕耘(こううん)して飛行機で種を蒔き、大量に汲み上げた地下水に農薬と肥料を混ぜて散布し、巨大コンバインで収穫する。日本でわれわれが体験するような丹精込めた土づくりから始ま
る農業とは、発想からして根本的に異質な方法である。このように自然環境から奪えるだけ奪うやり方は、収奪農法と呼ばれる。農地の寿命は平均約20年。この間に農地の塩分濃度が高くなって栽培は困難となり(塩害)、廃棄される。そして周辺に新たな
農地を開発し、使い捨てていく。この繰り返しだ。
この農法が成り立ってきた条件は、グレートプレーンズの真下にあるオガララ帯水層という世界最大級の地下水層の存在だが、ここからとてつもない量の水を1世紀もの間取り続けてきたことによって、水位は下がり続け、井戸が涸渇し、砂漠化が進行していることが指摘されている。
(写真 アメリカ中部に巨大な真円形の農場が並ぶ)

(写真 巨大な自走式散水管=センター・ピボット)

(写真 アメリカ中部の地下水層のあるグレートプレーンズ)

 □ますます巨大化

 07年の統計で米国の農場数は約207万。全就業人口の1・7%にあたる290万人が農業に従事している。家族経営・個人経営が90%で、そのほかは法人経営、個人共同経営(経営者の89%が男性、97%が白人)。米国内で100万j(約1億円)以上の農畜産物を販売した大規模農場は5万7千で、全体の2%強に過ぎないが、これらが全米販売総額の59%を占めている。
 平均農場面積は190f。日本の農家の100倍以上の広さにあたるが、家族農業の経営はけっして楽ではない。多くの農家が農業収入のみでは生計が成り立たず、そのほかの収入に依存しながら生き残りをはかっている。
 その一方で企業が経営する大規模農場は着々と利潤を上げ、ますます巨大化している。
 アメリカの農業は機械化、農薬と化学肥料の大量使用、土壌管理の徹底などによって、さらに「工業的農業」と呼ばれる手法と巨大規模の経営形態などによって、世界有数の高い生産性を実現した。1900年代初頭以降、農業の土地面積が拡大していった。
 過去50年間、大規模農場の数が増加する一方、小規模農場の数は減少しその傾向は続いている。多くの場合大企業が、必然的に競争に敗れていく小規模農場を買収していった。
 大型の農機の普及によって生産性が向上する一方、農機の購入は大きな出費となって農場経営にのしかかる。
 大規模農場では、空調設備を備えた10万j(1千万円)以上もするようなトラクターや収穫機が使用されているが、小規模経営では最新の農機の入手は現実にはますます困難になってきている。
 さらに機械操作はより複雑になり、特殊化しているため、ある程度の規模以上の農場でなければ、経営の効率化に結びつかない。
 小規模農場は、最新の技術革新の恩恵から疎外されている。簡単なトラクターでは、大規模農場にまったく太刀打ちできるはずもないのだ。

 □低賃金の農場労働者

 アメリカに広大な土地があることは農業経営の自然条件だが、今日のような大規模化はけっして「自然の成り行き」ではなく、政策的にも促進されたものだった。最も大規模な農場が多くの利益を得るような仕組みがつくられた。
 農業補助金は生産物の総量に基づいて計算されてきたため、大規模農場に多くが支払われ、それが大農場のさらなる資本化と経営拡大を可能にした。
 税制は大規模農家にさらに拡大する動機を与えた。
 雇用労働者に依存する大規模農場は、連邦労働法の適用免除を受けた。野菜や果樹など収穫の機械化が困難な作物の大規模経営では、賃金の安い移民労働者の存在が欠かせない存在だった。全米随一を誇るカリフォルニア州の野菜・果樹生産はメキシコからの低賃金農場労働者に支えられてきた。
 加えてバイオテクノロジーの発展は、農業のあり方を根本的に変質させた。もともと農業研究はアメリカでも主に公的機関によって行われてきたが、今日それにとってかわったのは種子、農薬、肥料などを扱う民間企業である。
 科学者は、害虫や厳しい気候に対する作物の抵抗力を高めるために、あるいは大きくて味が良く、栄養価の高い作物を作るために、作物の遺伝子構造を組み換えたり、別の作物の遺伝子を移植したりという実験を繰り返した。ある実験では、寒冷気候への小麦の抵抗力を強化するために、ナマズ(動物界)の遺伝子を小麦(植物界)の遺伝子と混合したという。
 そうした研究成果は「特許」という形で企業活動の特権となり、ますます農業の規模拡大を促進しながら、家族労働を主体とする自立的農業経営を零落させていった。

 □大規模化への批判

 こうした大規模優先の農政にアメリカの中から批判・反省が加えられたことがないわけではない。
 黒人の農業従事者は、アメリカ農務省(USDA)の貸付金制度における差別が、黒人の農業従事者減少の主な原因であることを訴え続けてきた。白人が容易に利用できた政府による低金利の農業貸付金を黒人が受け取るのが困難だったことで、廃業を余儀なくされる事例が相次いでいたのだ。97年に集団訴訟が起こされ、USDAは黒人農業従事者に対する差別があったことを認め、彼らに賠償金を支払うとともに、貸付金の返済を免除する措置をとった。
 農務省内の公民権アクションチームは「人種差別に加えて、政府の政策と慣行が小規模農場の農家を差別してきたこと」と認め、農務長官に小規模農場に関する委員会の設置を勧告した。
 USDAは、小規模農場経営者、学会、州および地方政府、アメリカ原住民、農場労働者などの代表30人で構成される「小規模農場に関する委員会」を招集し、同委員会は全米各地で公聴会を開催した。98年1月にレポート「行動の時」を公表し、「大規模化、さもなくば離農」式の農政からの脱却を提言した。
 そこでは、大規模農場への利益集中、大規模農場による高価な生産手段の独占、環境破壊、農村社会の崩壊などへの懸念、危機感が表明されている。
 そして20年前と比較して「農場数は30万軒減少し、農家の収入は13%少なくなった。今や4つの企業が肉牛市場の80%以上を支配している。わが国の農場の約94%は小規模農場であるが、その収入は全農場収入の41%に過ぎない」と確認し、「20年の間に、政策の選択によって資産と富を大規模農場と巨大なアグリビジネス企業に一層集中させる構造的な偏りを犯してきた」との反省を示した。
 だがこうした現実に即した危機感が、実際に大規模化の進行を妨げるものとはならなかった。新自由主義のもとで、穀物商社、化学企業、さらに食品の流通・加工・小売りなどの巨大独占資本は、相互提携関係と農業への支配を強め、人間社会の基礎である「食と農」は今や巨大ビジネスとして存在している。

 □労農連帯・国際連帯

 1970年代のアメリカでは、ニクソン政権による農産物輸出拡大政策のもとで、東欧諸国や開発途上国での需要増大に対して、作付け面積の拡大と化学肥料や農薬(特に除草剤)の大量使用、灌漑設備の拡充などによる増産で応え、未曽有の穀物輸出高を達成した。
 穀物輸出量は、70年の4100万dから80 年には1億1300万dと、10年間に2・8倍に増加し、全世界の穀物輸出量に対するアメリカのシェアは35%(70年)から50%超(80年)に急上昇している。
 これは軍事力に比肩する威力を有した、米帝世界支配の戦略物資であった。
 この頃の「政府主導」ぶりに比べると現在の状況は一定の様変わりをしている。政権と癒着した巨大アグリビジネスによる農産物の生産・流通・交易の統制、さらに種子や肥料・農薬を「特許」で押さえて高く売り込み、法律と訴訟ざたで拘束し黙らせるというやり方がそれだ。
 これら巨大独占資本の利益を「国益」として、米帝オバマ政権はTPPを進めている。現実にはそれは米国と全世界における農業の変質・破壊を進め、農民を塗炭の苦しみに追いやり、食の安全を投げ捨てて企業利益を追求し人民を命の危険にさらすものだ。そして米帝の主導のもとで、その手法をなぞりながら、日帝・安倍政権は延命を策している。
 「巨大資本の金もうけの犠牲にされてたまるか!」という怒りが全世界に満ちている。今や、アメリカをはじめ全世界の労働者・農民と連帯し、日米帝国主義の打倒へ向け、TPP反対の闘いを一層前進させる時だ。
 (田宮龍一)

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月刊『国際労働運動』(446号6-1)(2013/10/01)

世界の労働組合

■世界の労働組合 韓国編

現代自動車非正規職労組

 現代(ヒョンデ)自動車非正規職労組は、韓国の自動車最大手である現代自動車で働く非正規職の労働組合で、10 年以上にわたり社内下請け労働者の正規職転換を求めて不屈の闘いを続けている。正式名称は、全国金属労働組合(金属労組)・蔚山(ウルサン)支部非正規職支会、全羅北道(チョルラプクト)支部現代自動車全州(チョンジュ)非正規職支会、忠清南道(チュンチョンナムド)支部現代自動車牙山(アサン)工場社内下請け支会で、通常この3支会を総称して「現代車非正規職労組」あるいは「現代車非正規職3支会」と呼んでいる。

 ■労組結成の時代的背景

 現代自動車の非正規職労働者は、2003年から牙山工場、蔚山工場、全州工場で次々と労組を結成した。
 韓国では1997 年のアジア通貨危機以降、IMF(国際通貨基金)の求める新自由主義構造調整が労働者を襲い、非正規職の導入が大規模に進められた。
 現代自動車でも98年以降、生産ラインに社内下請けという形で非正規職を入れはじめるが、見逃してはならないことは、2001 年に正規職労組(金属労組 現代自動車支部)が非正規職の使用を16.9%まで認めることで使用者側と合意して以降、非正規職が1 万人を超えたという事実だ。「非正規職の拡大を押しとどめるための応急処置」というのがその理由だった。
 2003年2月に就任した盧武鉉(ノムヒョン)大統領は、公約であった非正規職問題の解決をかなぐり捨て、資本による労働者の非正規職化と労組破壊に手を貸し、複数の産別で労働者の抗議の自死が相次いだ。現代自動車非正規職労組の結成は、こうした時代的背景の中で勝ち取られた。

 ■ 2010年7・22大法院判決

 2004年、政府・労働部は、現代自動車の社内下請け全127社と全工程9234本について不法派遣と判定した。非正規職労組はこれをバネに組織拡大を実現し、正規職転換闘争を展開した。その後、2005、06年の闘争が成果を上げられなかった中で組織力は低下するが、2010 年にその状況は一転する。
 7月22 日、大法院〔最高裁〕は「2年以上勤務した現代自動車社内下請け労働者は不法派遣であり正規職」とする判決を出した。この判決を受けて金属労組は、判決説明会や集会などを通して全面的な組織化活動を展開し、その結果、現代自動車非正規職支会の組合員数は3支会合わせて970人から2370人へと拡大した。非正規職支会ではその力を背景に、社内下請け全員の正規職化などを掲げて会社側に交渉を求めるが、会社側はこれを拒否する。

 ■蔚山工場占拠ろう城闘争

 会社側はさらに、闘争経験がなく正規職との団結が弱い工程を狙って組織破壊の攻撃をしかけてきた。大法院判決後に組合員が加入した蔚山工場シート第1部に狙いを定め、そこに入る下請け業者を見せしめ的に廃業させた。
 だが会社側の狙いは外れ、蔚山非正規職支会は第1、第2工場で奇襲ストを展開し、2010年11月15日、蔚山第1工場占拠ろう城に突入した。ろう城闘争は、正規職労組指導部による闘争収拾策動に苦しめられつつも、若い指導部を先頭に踏ん張りぬき、正規職や支援勢力との連帯を実現し、25日間にわたって闘いぬかれた。最後までろう城を守りぬいた249 人をはじめ3支会合わせて1800 人が参加したこの闘争は、交渉への移行を確認していったん終了した。
(写真 蔚山第1工場での25間占領闘争を終えた現代自動車非正規職支会の組合員【2010年12月9日】)

 ■送電鉄塔ろう城闘争

 その後も大法院判決を無視し続ける会社側に対し、蔚山非正規職支会のチェ・ビョンスン解雇者とチョン・ウィボン事務長が、2012年10月17日、蔚山工場敷地内の送電鉄塔を占拠し、新たな闘争をたたきつけた。高まる社会的非難に追い詰められた会社側は、11月22日、大法院判決の直接の当事者であるチェ氏のみの正規職採用を提案。しかし、ろう城者と支会側は「チェ・ビョンスン一人の問題ではない」としてこの欺瞞策をはねつけた。
 2013年6月、会社側は、不法派遣の数を最低4000人と公に認めつつも(金属労組の調査では8千人強)、3500人に限り2016年までに正規職として新規採用するとした2012年末の方針を固守している。支会側は、「新規採用ではなく、あくまでも社内下請け労働者全員の正規職転換」を主張し、鉄塔ろう城も続けられたが、8月8日、次なる闘いに向け296日目にろう城はいったん解かれ、現在に至っている。
 団結と闘争を堅持し会社側の不法派遣の事実を満天下に示した現代自動車非正規職支会の闘いは、闘争収拾を図る正規職労組執行部との緊張をはらみつつ現在進行中であり、全国の共闘者たちも、8月末に「希望バス」という形で7月に続き蔚山への結集を計画している。〔『25日――現代自動車非正規職蔚山工場占拠闘争の記録』を読んでほしい。特集33n参照〕

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月刊『国際労働運動』(446号7-1)(2013/10/01)

国際労働運動の暦

■国際労働運動の暦 10月18日

■1946年電産10月闘争■

戦後革命の高揚を牽引

資本主義生産の基盤をなす電力を労働者が掌握した停電ストの威力

 戦後革命の高揚の中で、1947年2・1ゼネストに向かっての大きなうねりを実現したのが前年の産別会議10月闘争だった。その中でも電産(日本電気産業労働組合、46年時点では電産協=日本電気産業労働組合協議会)の果たした役割は大きかった。この年8月に結成された産別会議(全日本産業別労働組合会議)は21組合155万9619人で、右派の総同盟(日本労働組合総同盟)85万人よりも多数だった。
(写真 全日本産業別労働組合会議結成大会【46年8月19日】)

 ▼産別会議を牽引

 国鉄では7万5千人の整理解雇の攻撃がかかった。海員は6万人の整理が打ち出されていた。国鉄では9・15スト決行の構えで交渉を行い撤回させた。海員は8、9月ストを展開し、完全雇用のための協議会の設置をかちとった。
 この勝利感、高揚感の中で産別会議の10
月闘争に突入した。産別傘下の主要単産が全部闘争に入った。10月1日、東芝63工場で4万6000人がストに突入した。中軸は電産と全炭だった。労働協約が初めてむすばれ、賃金が上がり、団体交渉では労働者側が圧倒的に優勢だった。この10月闘争の大高揚から、闘いは全官公庁共闘会議の結成を経て、2・1ゼネストへと上り詰めていった。
 電産は10月7日、交渉を持つが決裂、18日に全国5分間停電ストに突入した。この戦術は世界の労働運動にも例のない激しい闘いだ。50年代初めまで繰り返されたこの停電ストは、資本主義生産の基盤をなす電力を労働組合が握っていることを鮮烈に突きつける、革命的な役割を果たした。
 電産の3項目要求は@電気事業の民主化A生活費を基準とする最低賃金制の確立B退職金規定の改訂だった。実力闘争を軸に闘い抜いて、12月22日、勝利的に妥結する。
 電産は、発電から配電、営業、事務の現場まで全国18万人を擁する巨大な産業別組合を目指していた(単一組織になるのは翌47年5月)。命がけの危険な労働に従事した下請け、孫請けの労働者も、大卒の技術者も、対等の存在として闘った。しかも執行部は大卒で、丹念に調査して交渉に臨むために、常に会社側は太刀打ちできなかった。中央労働委員会などで組合側はとうとうと賃上げ要求の正当性を主張する。全組合員の生計調査をやって、生活給中心の要求額を決める、いわゆる「電産型賃金」を切り開いた。後の総評の賃上げ闘争の原型をつくったと言える。
▼問題は労働者の権力
 電産が先頭に立って切り開いた闘いは、明白にプロレタリア革命の問題をはらんでいた。資本家階級の側は敗戦によって、社会を運営していく能力を喪失しており、職場でも、団体交渉でも、社会の主人公としての労働者の誇り高い存在と闘いが圧倒していた。米帝占領軍の軍事力がかろうじて秩序を維持する役割を果たしていたに過ぎない。
 だが、生きていけない労働者の怒りと戦闘性があふれていたにもかかわらず、当時圧倒的な信頼を集めていた日本共産党は、まったくプロレタリア革命に向かう路線も意志も持っていなかった。したがって、2・1ストに向かって労働者階級は空前の決起で上り詰めながら、スト前日のGHQによる禁止通告に徳田球一ら日本共産党幹部が屈服することによって、敗北させられていったのだ。
 日帝権力は、50年代初めまで労働運動の中心にいた電産を破壊し、電産労働運動を亡き者にするために、レッドパージを行い、電力9分割を強行し、そのもとに第2組合を作って分裂活動を推進し、電産を圧倒的少数派に追いやり、代わって電労連(後の電力総連)による組合支配を図った。階級的労働運動の圧殺の上に、今日のような50基もの原発が労働者人民を脅かす社会が出現したのだ。会社の先兵となって原発政策を進め、被曝労働を下請けの非正規労働者に押しつける電力総連幹部の姿は、まさに原発との闘いが階級的労働運動の課題であり、革命の課題そのものであることを教えている。
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 産別会議10月闘争

8. 1 日本労働組合総同盟結成(総同盟)
 19 全日本産業別労働組合会議結成(産別会議)委員長聴濤克巳
 29 国鉄、海員、全炭、新聞通信放送、港湾の各労組首切り反対ゼネスト共同闘争委員会設置
9.10 海員組合ゼネスト、9.20解決
 14 国鉄整理案撤回で解決
 16 電産、最賃制確立など諸要求を提出
 27 労働関係調整法公布、10.13 施行
10. 1 産別会議の10月闘争始まる。全炭、東芝スト突入
7 電産、初の交渉、決裂
18 電産、5分間停電スト開始
19 政府、電産に労調法を初適用、強制調停
11. 3 日本国憲法公布
  26 全官公庁労組共同闘争委員会結成
  27 電産、12.2 からのストを指令
12.22 電産争議解決、「電産型賃金」成立

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月刊『国際労働運動』(446号8-1)(2013/10/01)

日誌

■日誌 2013 7月

1日東京 星野救援会が全国総会
星野再審全国大集会の翌日、港勤労福祉会館で13 年星野全国総会が開催された
3日東京 動労総連合、出向無効確認訴訟開く
動労総連合の強制出向無効確認訴訟の第3回口頭弁論が、東京地裁民事第11 部(団藤丈士裁判長)で開かれ、「出向者をJRに戻せ!」と訴えた
4日東京 参院選、山本太郎候補が第一声
小雨が降る中、参院選東京選挙区で立候補した山本太郎氏は新宿駅西口で第一声を上げた
5日広島 広大自治会を再建したぞ!
4月から始まった自治会再建運動は、8日間の選挙戦で投票総数は1306票(全広大生の約1割)。うち603票の信任票で再建が決定し、百武拓委員長(理学部3年)が誕生した
5日東京 官邸・国会前金曜行動
首相官邸・国会前などで金曜行動が行われ、多くの労働者民衆が怒りの声を上げた
6日東京 チャーター機による強制送還弾劾
法務省は75人のフィリピン出身者をチャーター機で強制送還した。9日にはフィリピン外務省も記者会見し、成人男性54人、成人女性13人、未成年8人の合計75人の送還を明らかにした
7日大阪 関西空港反対全国集会かちとる
関西空港反対全国集会を泉佐野市内で開催した。地元住民はじめ142 人が参加した
9日千葉 第3誘導路裁判を闘う
千葉地裁民事第3部(多見谷寿郎裁判長)において、第3誘導路裁判の弁論が開かれた。三里塚反対同盟と支援は、市東孝雄さんを天神峰から追い出すために造られた第3誘導路に怒りをかき立て、法廷に詰めかけた
10日 暴処法控訴審 証人I君が宣誓拒否貫く
一審で全員無罪をかちとった法大「暴処法」弾圧裁判控訴審の第4回公判が、東京高裁第12 刑事部(井上弘通裁判長)で開かれた。デッチあげ「証言」をさせるために、「事件現場にいた」とされる法大OBのI君を「証人」として出廷させたがI君は宣誓拒否を貫いた
11日東京 NAZEN東京を結成
杉並区の座・高円寺2において「なにがなんでも!全原発廃炉 7・11 東京集会」がNAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議=な全)の主催で行われ、350人が参加した
11日東京 学祭規制撤廃しろ、法大包囲デモ 
7・11法大包囲デモが行われた。自主法政祭に向けた全学説明会を前に、学祭規制をめぐってサークル員の怒りは日々高まっている。法大文化連盟・首都圏学生が結集し、真正面から学祭規制撤廃・不当処分撤回を闘った
12日東京 金曜行動 再稼働申請に怒り爆発
原子力規制委員会による新規制基準の施行と関西電力など4社6原発12基の再稼働に必要な安全審査の申請に対し、東京では首相官邸・国会前などで激しく金曜行動が闘われた
13日千葉 「荒木さんお別れ会」開く
DC会館で「荒木さんお別れの会」が開かれた。全国労組交流センターと同教育労働者部会が主催し、全国から130人の仲間が集まった
13〜15日福岡 星野絵画展が大成功
「獄中38 年。無実を証明する全証拠開示を!星野文昭絵画展」を福岡市健康づくりセンター(あいれふ)で開催した
14日千葉 農地強奪判決阻止、全国総決起集会
市東孝雄さんの農地裁判判決が29日に迫る中、三里塚芝山連合空港反対同盟の主催で「市東さんの農地を守ろう7・14 全国総決起集会」が千葉市中央公園で開催された。全国から約900人の労働者・農民・学生・市民が、反対同盟と連帯し市東さんの農地を守る一心で、猛暑の中を結集した
14日東京 参院選、「山本旋風」が首都を席巻
渋谷ハチ公前広場を、数千もの人びとがぎっしり埋め尽くす。多くの聴衆が山本太郎さんの訴えを聞きに集まった
14 日大阪 西郡、全国水平同盟を結成
部落解放の新たな全国組織・全国水平同盟がついに結成され「今再び部落解放へ新たな宣言を発する時が来た」と呼びかけた。大阪府八尾市西郡・桂人権コミュニティセンターに西郡住民を始め350人が結集し、歴史的な結成大会が大成功した
15日東京 鈴コン闘争共闘会議 必ず解雇撤回
豊島区民センターで東京西部ユニオン鈴木コンクリート工業分会の第5回定期大会が行われ、続いて「7・15鈴コン闘争支援・連帯共闘会議結成1周年集会」が開かれ、135人が参加した
16日茨城 動労水戸、3波のストライキ
動労水戸は被曝車両K544の検査・運用に反対し、「JRは労働者・利用者に被曝を強制するな」と7月12、16、17日に3波のストライキを闘った。16日、勝田車両センターで働く組合員は朝の点呼時から抗議闘争を展開、他の職場の組合員も続々とストに入り勝田車両センター門前に集まった。150人の大門前闘争となった
16日広島 倉澤さん「8・6処分」撤回闘争
広島県人事委員会は、09年8月6日の「原爆の日」に年休権を行使して8・6ヒロシマ大行動に参加した広教組組合員・倉澤憲司さんへの不当処分撤回の請求に対して、棄却する裁決を行った。翌17日、倉澤さんと「8・6処分を撤回させる会」は記者会見を行い、不当裁決を強く弾劾した
16日東京 ビデオ国賠最終陳述 保管委託は違法
東京地裁民事第45部(山田明裁判長)で第13回ビデオ国賠訴訟が開かれた。星野文昭同志の第一審で証拠採用されていたビデオテープ(1971年11月14日の沖縄返還協定批准阻止闘争を報道するテレビニュースを警視庁が録画したもの)を、裁判所が警視庁公安部に保管委託し、警視庁公安部が紛失した(!)ことを弾劾する訴訟である
17日東京 国労組合員資格訴訟を闘う
国労組合員資格確認訴訟の第9回口頭弁論が東京地裁民事第11部(団藤丈士裁判長)で開かれた。夕方には「共に闘う国労の会」主催の「9・25判決うちやぶれ!裁判報告・国鉄闘争総決起集会」が文京区民センターで開かれ、70人が結集した
17日千葉 反対同盟、千葉地裁へ署名を提出
反対同盟の署名提出行動が千葉地裁に対して行われた。この日までの集約で署名は1万1922筆。市東孝雄さんを先頭に地裁建物に入り、民事第3部書記官室へ向かい、署名を提出した
19日東京 星野再審三者協議、写真ネガ複写要求
東京高裁第12刑事部で星野文昭さんの証拠開示
を迫る三者協議が開かれた。弁護団6人は全員参加して証拠開示をかちとる決意の強さを示した
19日東京 前進社国賠 証人調べ23人請求
前進社国賠訴訟の第14回口頭弁論が東京地裁民事
第1部(後藤健裁判長)で行われた。この日までに原告は、警視庁公安部の星隆夫ら11人と捜索令状を発付した裁判官、そして原告と捜索に立ち会った同志ら11人の総計23 人の証人調べを請求した
19日東京 官邸前、大間の小笠原さんが訴え
恒例の首相官邸前・国会前の反原発金曜行動が闘われた。青森県下北半島の大間町で電源開発(Jパワー)の大間原発建設に反対して闘っているあさこはうす≠フ小笠原厚子さんが駆けつけた
20日東京 山本氏当選へ、100 万の怒りが集中
最終日、渋谷ハチ公前広場で開催された「選挙フェス」に集まった数千人もの人びとが、山本さんの最後の訴えに万雷の拍手で応えた
21日東京 山本太郎氏、66万6684票で堂々の当選
投開票された参議院選挙で、東京選挙区(改選5議席)から出馬した山本太郎氏(38)が66万6684票を獲得し、堂々の4位当選をかちとった
21日 関西・東北、革共同集会が高揚
関西と東北で革共同政治集会がかちとられた
関西 大阪市内で革共同関西政治集会が210人の結集で開催された。13年前半決戦の勝利の地平を踏み固め、4カ月決戦を党と階級の総力を挙げて勝利する総決起集会としてかちとられた
東北 仙台で、革共同東北政治集会が150人の結集で大成功した。13年前半戦のDVDが上映され、4カ月決戦の決意がみなぎった
21日東京 ヒバクシャの怒りの根源を問う集会 
文京区民センターで8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会主催の反戦反核東京集会が開催され105人が参加した
22日東京 経産省前テント裁判、取り下げを要求
東京地裁103号法廷において、国が提訴した経産省前テントへの「明渡請求訴訟」の第2回口頭弁論が行われた。地裁前に約400人が結集した
25、26日静岡 警察に守られた国労大会に怒り
伊東市で開かれた国労第82回全国大会に対し、「共に闘う国労の会」は地元の静岡労組交流センター、神奈川労組交流センターの労働者とともに、参加者に闘う方針の確立を訴える行動に立った
26日東京 星野国賠、証人採用拒否弾劾する
東京地裁民事第38部(谷口豊裁判長)において星野面会・手紙国賠の第9回裁判が開かれた。谷口裁判長は、原告が求める前徳島刑務所長の松本忠良ら3人と星野文昭同志の証人採用を拒否した
26日東京 参院選後、最初の金曜行動
金曜行動の参加者も格段の増加だ。首相官邸前、国会前、財務省上交差点周辺では大抗議行動が展開された
27日千葉 動労千葉を支援する会が定期総会
動労千葉を支援する会の2013年度総会がDC会館で開催された
28日東京 革共同政治集会に885人
豊島公会堂で革共同政治集会が開催され、885人の結集で大成功を収めた。集会の基調報告は「革命的共産主義運動50年と大恐慌―プロレタリア世界革命の時代の到来」と題して、天田三紀夫革共同書記長から提起された
28日大阪 NAZEN関西を結成
市内に120人が集まり、NAZEN関西結成集会を開催した
29日千葉 三里塚農地裁判、不当判決を弾劾
千葉地裁民事第3部・多見谷寿郎裁判長は、三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの農地裁判において、市東さんに農地の明け渡しと建物の収去を命じる反動判決を言い渡した。千葉市中央公園で総決起集会が開かれ、全国から280人の労農学人民が結集した

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月刊『国際労働運動』(446号9-1)(2013/10/01)

編集後記

■編集後記

 8・15労働者と市民のつどいで、福島から駆けつけた佐藤幸子さんがあいさつした。その一部を紹介する。
 「事故から2年半、福島は声を上げられない状態にどんどんなってきています。一昨年の秋、チェルノブイリでツバメの調査をしてきた先生が、飯館のツバメは卵が産めなくなったと言っていました。その先生が今年『原発周辺に戻ってきているのはわずか10%』と発表したそうです。ツバメは毎年同じ所に戻ってきますが、もう戻ってこれなくなっているのです。こんなことを隠す福島県、政府、本当に許せません」
 「福島の現実を全国の皆さん、目をそらさずに自分のこととして見つめてください。もうこれ以上同じ過ちを繰り返してほしくないんです。そういう思いでやってきました。どんなバッシングにも負けません」

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