International Lavor Movement 2013/12/01(No.448 p48)

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2013/12/01発行 No.448

定価 315円(本体価格300円+税)


第448号の目次
 

表紙の画像

〔表紙写真〕最高裁への新10万筆署名を訴え(11月3日 日比谷野音)

新自由主義と対決する国鉄決戦 総特集
今こそ解雇撤回・JR復帰へ  外注化阻止・非正規職撤廃!
記事を読む
第1部 JR体制打倒へ突き進んだ国鉄労働者の闘い 記事を読む
●動労千葉鉄建公団訴訟 一審判決と二審判決の対照表(要旨) 記事を読む
●資料 『JR西日本井手正敬会長と語る国鉄改革前後の労務政策の内幕』 記事を読む
動労千葉・動労総連合の外注化阻止・非正規職撤廃の闘い 記事を読む
福島圧殺を許さず被曝労働を拒否する国鉄労働者の闘い 記事を読む
分割・民営化―外注化の破綻示すJR北海道の事故 記事を読む
第2部 解雇撤回・JR復帰、最高裁へ新10万筆署名を 記事を読む
安倍―葛西を打倒し解雇撤回・JR復帰をかちとろう 記事を読む
■葛西語録 記事を読む
動労千葉・鉄建公団訴訟、解雇撤回・JR復帰の判決を求める新たな最高裁判所署名運動の呼びかけ 記事を読む
■国鉄決戦年表 記事を読む
〔裏表紙写真〕5600人が団結ガンバロー(11月3日 日比谷野音)

月刊『国際労働運動』(448号1-0)(2013/12/01)

新自由主義と対決する国鉄決戦 総特集

今こそ解雇撤回・JR復帰へ

外注化阻止・非正規職撤廃!

 「今こそ闘う労働組合を全国の職場に!」をメインスローガンに掲げて開催された11・3全国労働者総決起集会(全日建運輸連帯労組関西地区生コン支部、全国金属機械労組港合同、動労千葉、国鉄闘争全国運動が呼びかけ)は、5600人の大結集の下、国鉄決戦勝利と労組拠点建設へ、新たな歴史的な第一歩を切り開きました。何よりも動労千葉鉄建公団訴訟で解雇撤回・JR復帰をかちとる2014年最高裁決戦へ、新たな10万筆署名を推進する総決起集会としてかちとられました。また、外注化阻止・非正規職撤廃闘争こそが新自由主義を全世界的に打倒する普遍的闘いであることを確信する集会となりました。韓国・民主労総やドイツ鉄道労働者との国際連帯を打ち固め、日本帝国主義・安倍政権打倒へ、福島圧殺を許さない反原発闘争、改憲阻止闘争など、あらゆる怒りの闘いを一つに束ね、闘う労組の拠点をつくり出すことを誓い合いました。
 本誌「新自由主義と対決する国鉄決戦 総特集」は、そのような志を持って闘う労組活動家たちからの「国鉄闘争の分かりやすいパンフレットが欲しい」との要請にできる限り応えたいという思いで、国鉄労働運動の歴史と直面する課題や、「国鉄決戦でプロレタリア革命へ」という路線の意義にも触れながら、編集しました。多くの労働者の皆さんが本誌を活用し、新たな国鉄10万筆署名運動に全力を挙げることを訴えます。

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月刊『国際労働運動』(448号1-1)(2013/12/01)

第1部 JR体制打倒へ突き進んだ国鉄労働者の闘い

 第1章 動労千葉鉄建公団訴訟9・25 東京高裁判決の意義と反動性

 @「不記載基準」により動労千葉組合員を名簿から外したのは不当労働行為と認定

 解雇撤回・JR復帰を求めた裁判闘争

 9月25日、東京高裁第12民事部(難波孝一裁判長)で、動労千葉鉄建公団訴訟の控訴審の判決が言い渡された。
1987年4月1日に強行された国鉄分割・民営化に伴い、新会社=JRに不採用となり(同年2月16日)、国鉄清算事業団に送られた7628名の労働者のうち、90年4月1日をもって清算事業団からも解雇されたのが1047名である。この訴訟は、この1047名の解雇撤回・JR復帰を求めて、清算事業団を引き継いだ鉄建公団(現・鉄道運輸機構)を相手取って闘われてきたものだ。
1047名のほとんどが国労、全動労(現・建交労鉄道本部)、動労千葉の組合員であり、動労千葉組合員は12名がJR不採用となり、9名が清算事業団から解雇された。この動労千葉争議団の高石正博さん、中村仁さんら9名が原告となって2004年12月24日に裁判が始まった。
一審で東京地裁民事第11部(白石哲裁判長)は昨年6月29日の判決で、清算事業団からの解雇は「有効」としたが、国鉄が新会社の設立委員に提出する採用候補者名簿を作成するにあたって〈1983年4月以降に停職6カ月以上または2回以上の停職処分を受けた者は名簿に記載しない〉という本件名簿不記載基準を策定して動労千葉組合員を名簿に記載しなかったのは不当労働行為だと認定した。
これは、1047名解雇撤回闘争に関わる裁判において初めて具体的な事実をもって不当労働行為を明確に認定させた画期的な意義を持つ。
しかも、その不記載基準が策定されなければ、「JR東日本に採用されたはずであるといいうる」とまで認定したのである。
二審・東京高裁では、この画期的判決に対する密集せる大反動(後述)の中で、どのような判決が出されるのか予断を許さない緊迫した状況で判決日を迎えた。

(写真 東京高裁の反動判決を弾劾する原告と動労千葉組合員と支援の労働者ら【9月25日 霞が関】)

 高裁・難波裁判長も不当労働行為を認定

 東京高裁・難波裁判長は、一審と同様に、清算事業団からの解雇は「有効」としたが、国鉄が名簿不記載基準を策定して原告らを採用候補者名簿から排除したことについては不当労働行為と認定した。
 判決は、国鉄当局が当初は動労千葉所属の組合員を基本的には採用候補者名簿に記載する方針で同名簿の作成準備を進めていたにもかかわらず、改革労協(現・JR総連)に突き上げられて〈停職6カ月または停職2回以上〉という本件名簿不記載基準を策定し、動労千葉組合員などを名簿から排除したことについて、原判決を踏襲した。そして「国鉄分割・民営化に反対する姿勢を示していた労働組合に属する職員を、このような労働組合に所属していること自体を理由として、差別して不利益に取り扱う目的、動機(不当労働行為意思)の下に、本件名簿不記載基準を策定し、一審原告らに対しても、これに従ってJR東日本の採用候補者名簿に記載しなかったものと推認するのが相当である」と認定した。
 そして、鉄道運輸機構に慰謝料500万円の支払いを命じた。損害賠償請求権に関する消滅時効を主張した鉄道運輸機構の主張も退けた。

 国労闘争団に対する05年9・15判決を覆す

 これは、国労闘争団の鉄建公団訴訟の一審において、当時東京地裁の裁判官だった難波裁判長が出した05年9・15判決を自ら覆すものだ。
 9・15判決は、動労千葉争議団と同様の名簿不記載基準によってJR不採用となった国労闘争団員については、その基準は「合理的」として、慰謝料の対象からさえ外していたのだ。しかし、今回の判決は、それとまったく異なる結論を出した。
 このことの持つ画期的意義を今一度明確にしなければならない。
 〈停職6カ月または停職2回以上〉という本件名簿不記載基準は、87年の分割・民営化当時は公にされていなかった。国鉄改革関連8法が成立したのが86年11月28日。直ちに同年12月4日に公布・施行され、新会社の設立委員が任命された。そして、12月11日に開催された第1回設立委員会で、「国鉄在職中の勤務の状況からみて、新会社であるJR各社の業務にふさわしい者であること」という内容の採用基準を決定した。これ以外には、年齢や退職予定がないことなどの形式的条件が示されただけである。
 JRへの採用差別をめぐって争われた労働委員会の審問の中で初めて本件名簿不記載基準の存在が明らかになったのだが、それ自体の不当労働行為性は問われることはなかった。だが、動労千葉の鉄建公団訴訟は、一審・二審を通じて、この基準の策定が不当労働行為だったことを確定させたと言えるのだ。

 A国鉄改革法体制護持するために「JRによる選別の可能性も」と詭弁

 不当労働行為なら解雇撤回以外にない

 労働組合法第7条は、使用者に「労働者が労働組合の組合員であること、労働組合に加入し、若しくはこれを結成しようとしたこと若しくは労働組合の正当な行為をしたことの故をもって、その労働者を解雇し、その他これに対して不利益な取扱いをすること」などを「不当労働行為」として禁じている。
 不当労働行為を認定したのなら、現状回復=解雇撤回・JR復帰以外の結論はない。原告が採用候補者名簿に記載されていたものとして扱い、JR東日本職員としての地位を確認するしかないはずだ。
 だが9・25判決は、解雇を「有効」とするだけではなく、極めて反動的で矛盾に満ちた主張を展開している。

 一審判決を否定するための極反動の論理

 一審判決は、@で触れたとおり、名簿不記載基準の策定・適用を不当労働行為と断じた上で「本件名簿不記載基準が策定されなければ、原告らは採用候補者名簿に記載され、その結果、JR東日本に採用されたはずであるといいうる」と認定した。そして「上記不法行為に基づく損害として、原告らがJR東日本に採用されたであろうことを前提にした経済的利益(逸失利益)を観念する余地がある」とし、不当にもJR不採用から3年間に限ったとはいえ、その間の賃金差額分(JRで働いていた場合と国鉄清算事業団在籍時の賃金差額。1人あたり約242万円〜127万円)の支払いと、不法行為による慰謝料として各300万円の支払いを鉄道運輸機構に命じた。これは、実質的にJRの責任を認めるものであり、国鉄改革法体制の根幹を揺るがしかねない判決である。
 ところが9・25控訴審判決は、ここを「(仮に本件名簿不記載行為が行われなかったとしても、原告が)JR東日本の採用候補者名簿に記載された上、同社に採用されたはずであるとの証明はいまだされていない」と書き換え、損害賠償の支払い命令も取り消した。
 その上で「本件不記載行為がなければ一審原告らがJR東日本に採用されたはずであるとまでは認められないものの、本件の事実関係の下では、一審原告らが採用された可能性は相当程度にあったことも否定できない」とし、JR採用への期待を侵害したことへの慰謝料各500万円の支払いを命じた。慰謝料の根拠も一審判決とはまるで違う。

 「採用の自由」論は不採用を居直る詭弁

 難波裁判長は、何を根拠にJR東日本に採用されたはずであるとは言えない≠ニ強弁しているのか。
9・25判決は、JR東日本は国鉄とは別個独立の新法人であり「いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、自由にこれを決定することができる以上、採用候補者名簿に記載されることが、直ちに同社に採用されることを意味するものではない」と言い放ったのだ。
しかし現実には、名簿登載者は例外なく全員がJRに採用されている。この点について9・25判決は次のように言う。JRは名簿に記載された国鉄職員を全員採用したが、それは「国鉄において、本件基準〔国鉄在職中の勤務状況からみて、当社の業務にふさわしい者であること〕に照らして採用することが不相当であると判断する職員を採用候補者名簿に記載しないとする方針の下に同名簿を作成していたことを前提としたからである」、仮に希望者全員を名簿に記載していたらJR各社が「名簿記載の者全員を採用したか否かは明らかではない」――つまり国鉄が選別しなければJRが選別した可能性がある∞JRがやれば「採用の自由」だから不当労働行為にはならない≠ニいう詭弁だ。
JRや裁判所はこれまで国鉄とJRは別法人だ。仮に採用過程で組合差別があっても、JRは国鉄が提出した名簿登載者をそのまま採用したのだからJRに責任はない≠ニいう理屈で組合差別と大量解雇を居直ってきたのではないのか。
難波裁判長は国労鉄建公団訴訟の05年9・15東京地裁判決でも、「不当労働行為が行われなかったとしても、原告ら全員が……JR北海道、JR九州に採用されたはずであるとの証明はいまだされていない」と今回と同様の反動的判示をしているが、大幅な定員割れだった本州で、当初は名簿に載っていた原告らを意図的に削り落とした本件では、こんな理屈はストレートに成立しない。
困り果てた難波裁判長は、一審判決での認定を否定するために、名簿登載者が全員採用された事実に目を閉ざし、名簿不記載の責任はJRには及ばない≠ニした03年12月の最高裁判決(国労、全動労の採用差別事件でJRの責任を認定した労働委員会命令を取り消した判決)とは真逆の「JRによる選別の可能性」との理屈を展開せざるをえなかった。とにかく、「国鉄とJRは別法人」という国鉄改革法の枠組みを守り抜くために、こうした矛盾だらけの詭弁を使うしかないところに追い込まれているのだ。

(写真 国鉄とJR【設立委員)は共謀して採用差別を行った。左から、斎藤英四郎、井手正敬、葛西敬之)

 設立委員と井手・葛西の謀議暴く証拠から逃げ

 もう一点、9・25判決が意図的に逃げ回ったことがある。それは、控訴審において原告側から証拠として提出した「国鉄改革前後の労務政策の内幕」という文書(井手文書)である(10〜11nに掲載)。
 この文書は、名簿不記載基準の策定にあたり、設立委員会委員長の斎藤英四郎(経団連会長)が井手正敬(国鉄総裁室長、元・JR西日本会長)と葛西敬之(国鉄職員局次長、現・JR東海会長)と謀議を重ね、葛西がその基準をつくって設立委員会も了承したというものだ。国鉄とJR(設立委員)は別個どころか完全に一体だったのである。国鉄とJRは別法人≠ニいう虚構を暴く決定的事実である。9・25判決は、この事実に触れられないのだ。

 暴かれた「国鉄改革」のどす黒い真実

 国鉄分割・民営化による大量解雇は、国鉄改革法23条を盾にして強行された。改革法23条は、JR職員の採用手続きを「国鉄による採用候補者名簿の作成」と「JR設立委員会による採用候補者名簿からの採用者の決定」の2段階に切断した。「国鉄とJRは別法人」という虚構のもと、国鉄当局が行ったあらん限りの不当労働行為をJRから切り離し、その責任を及ばせない仕組みをつくったのだ(国鉄改革法は、第5章で詳述)。
 採用候補者名簿作成の最終段階では、井手文書にあるように、葛西や井手らがJR設立委員長の斎藤英四郎らと綿密に打ち合わせを行い、改革法23条の仕組みのもと、名簿不記載基準を策定した。
 設立委員には国鉄総裁も加わっていた。設立委員会の実務作業も、国鉄官僚によって構成された設立委員会事務局が担っていた。頭の先からつま先まで国鉄と設立委員会は一体だったのだ。
 しかも、設立委員会は国鉄からの資料提供なしに独自に職員の選別などできなかった。また「JRによる選別」が可能ならば、名簿提出期限ぎりぎりに名簿不記載基準を策定し、無理やり原告らを名簿から削除する必要などなかったはずだ。
 さらに重大なことは、この名簿不記載基準は、動労カクマルらの処分歴が問われないよう、動労が完全に分割・民営化の手先になった83年4月以降の処分歴を対象としていることだ。動労カクマルと結託した不当労働行為なのだ。
 例えば、葛西は86年5月、動労新幹線各支部三役会議で「私は不当労働行為をやらないという時点で、つまり、やらないということはうまくやるということでありまして」と発言した。名簿不記載基準が策定される直前の87年1月23日、動労、鉄労などの改革労協が「国鉄改革に敵対している者までも新事業体に移行せざるを得ない」「正直者が馬鹿を見ない対処方を要求して、国鉄当局に申し入れる」とした。そして2月2日、改革労協が鉄道労連結成大会を開催し、「国鉄改革に反対する不良職員が採用されかねない。しかし、このようなことは許されるものではない」という特別決議を上げた。

 B12年6・29東京地裁判決に対する「白石事件」などの大反動を打ち破る

 その上で、反動判決にもかかわらず、難波裁判長をして、不当労働行為を明確に認めさせたのは、2010年の「4・9政治和解」の大反動を押し返し、「解雇撤回・JR復帰」の原則を貫いて不屈に闘ってきた成果である。
 裁判闘争においては、一審東京地裁で、元国鉄職員課補佐の伊藤嘉道を証人として引きずり出し、元国鉄職員局次長・葛西敬之(現・JR東海会長)らの指示により、いったんは採用候補者名簿に記載された動労千葉の原告らを、過去の停職処分を理由とした名簿不記載基準を急きょ策定して排除したことを証言させたことが決定的であった(別掲参照)。これが一審の東京地裁・白石裁判長による不当労働行為認定の判決に結実した。

 国家意思を示した「白石事件」

 だが、その白石裁判長が、この春に突然、東京地裁労働部の総括判事の地位を追われ、民事第21部(目黒区にある民事執行センター)という閑職に更迭され、右陪席の裁判官も青森に左遷された(白石事件)。
 東京高裁においては、難波裁判長が一人の証人調べもすることなく、5月8日に結審を強行した。それに対して、6・9国鉄闘争全国運動全国集会で10万筆署名に全力を挙げる決意を打ち固め、署名は9月26日の集約で4万4327筆に達した。

 秋田闘争団・小玉さんに対する上告棄却

 さらに、9月10日には、動労千葉争議団と同じ基準でJR不採用になった国労秋田闘争団の小玉忠憲さんの鉄道運輸機構訴訟において、解雇を有効とし、消滅時効により賠償さえ拒否し、不当労働行為も否定した、最高裁の上告棄却決定が出された。これは、東京高裁・難波裁判長に超反動判決を出せと迫る、国家意思の突きつけだった。
 こうした中で、9月15日には、動労千葉と国鉄闘争全国運動の呼びかけにより東京・代々木公園で総決起集会が開催され、勝利判決をかちとる決意を打ち固めた。

 国鉄改革法体制粉砕し全解雇者の解雇撤回を

 9・25判決を受けて、翌9月26日には国鉄闘争全国運動の呼びかけ人会議が開かれ、最高裁に向けた新たな署名運動を開始すること、JR北海道の相次ぐ事故に示される安全の全面崩壊という現実に怒りも新たに、26年間のすべてをかけて、国鉄分割・民営化を問い直す闘いに総決起することを確認した。
 この新たな最高裁署名を全力で集め、2014年の最高裁決戦へ攻め上り、なんとしても勝利判決をもぎり取ろう。国鉄改革法体制を粉砕し、全解雇者の解雇撤回・JR復帰をかちとろう。
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 動労千葉組合員は、当初は名簿に記載されていた。「停職6カ月、または2回以上」の基準で名簿から排除するよう指示したのは葛西だった!

 ●伊藤嘉道(国鉄職員課補佐)証言要旨

(2009年12月16日、証言当時、JR東日本高崎支社長)

@職員からの希望調査を集約して各新会社(現JR7社)に振り分けた最初の名簿ができたのは87年1月中頃である

Aその中には不採用となった動労千葉組合員12人を含めて名簿不記載基準でJR不採用となった職員(計117人)も含まれていた。それを外すという基準で名簿に載せないということは指示していない

B「停職6カ月、または停職2回以上」の不採用基準に該当する者を名簿から排除するよう指示したのは葛西職員局次長である

C基準を適用して名簿を作り直したのは設立委員会事務局に名簿を提出した2月7日の直前である。1月のぎりぎりの末か2月の頭ぐらいだった

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月刊『国際労働運動』(448号1-2)(2013/12/01)

●動労千葉鉄建公団訴訟 一審判決と二審判決の対照表(要旨)

  12年6・29東京地裁・白石判決 13年9・25東京高裁・難波判決
国鉄による不当労働行為の認定 国鉄当局としては、いったんは原告らを含む動労千葉所属組合員をも基本的には採用候補者名簿に記載する方向で動いていた(少なくとも、これを排除する明確な方針をとっていたものではなかった)にもかかわらず、改革労協側の姿勢に触発されるなどして、動労千葉等、分割・民営化に反対する労働組合に属する職員を不当に差別する目的、動機の下に、本件名簿不記載基準を策定したと推認するのが相当である。国鉄が上記のような不当な目的、動機に基づいて本件名簿不記載基準を策定したことは、本件採用基準を解釈・運用する立場にある国鉄に与えられた裁量権の逸脱ないし濫用に当たるというべきであって、このような本件名簿不記載基準を策定して、原告らをJR東日本の採用候補者名簿に記載しなかったことは、原告らに対する不法行為を構成すると認定するのが相当である。 国鉄当局としては、当初は、一審原告らを含む動労千葉所属の組合員をも基本的には採用候補者名簿に記載する方針で同名簿の作成の準備を進めていた(少なくとも、これを排除する明確な方針をとっていたものではなかった)にもかかわらず、改革労協側の姿勢に触発されるなどして、国鉄分割・民営化に反対する姿勢を示していた労働組合に属する職員を、このような労働組合に所属していること自体を理由として、差別して不利益に取り扱う目的、動機(不当労働行為意思)の下に、本件名簿不記載基準を策定し、一審原告らに対しても、これに従ってJR東日本の採用候補者名簿に記載しなかったものと推認するのが相当である。そして、これを覆すに足る証拠はない。
JRに採用されたか否かについて(賃金相当額) 本件名簿不記載基準が策定されなければ、原告らは採用候補者名簿に記載され、その結果、JR東日本に採用されたはずであるといいうるから、上記不法行為に基づく損害として、原告らがJR東日本に採用されたであろうことを前提にした経済的利益(逸失利益)を観念する余地があるということはできる。
しかしながら、不法行為に基づく損害賠償請求権と、雇用契約関係の存続を前提としたいわゆるバックペイ(無効な解雇後の賃金)の請求権とは、もとよりその性質が異なるものであり、上記不法行為の実質は、原告らに対する国鉄によるJR東日本への採用妨害行為というべきものであって、原告らが労働能力を喪失したわけではなく、上記不法行為と相当因果関係のある損害としては、原告らが他に再就職する可能性を念頭に置いて、一般的、客観的見地から再就職するのに相当と考えられる合理的期間の賃金相当額のみを認めるのが相当であると解される。〔清算事業団において再就職促進法が定める〕3年という期間が再就職に要する期間として十分なものといえることに照らすと、上記合理的期間としては、3年間と認めるのが相当である。したがって、上記3年分の賃金相当額に限られるというべきである。〔清算事業団在職中の収入を損益相殺して、逸失利益を算定。原告1人当たり約242万円〜127万円〕
仮に、一審原告に対して本件名簿不記載行為が行われなかったと仮定した場合でも、一審原告がJR東日本の採用候補者名簿に記載された上、同社に採用されたはずであるとの証明はいまだなされていないというべきである。
JR東日本は、国鉄とは別個独立の新法人であり、経済活動の一環として雇用契約締結の自由を有しており
、自己の営業のために労働者を雇用するに当たり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、自由にこれを決定することができる以上、採用候補者名簿に記載されることが、直ちに同社に採用されることを意味するものではない。
JR各社(その設立委員)は、採用候補者名簿に記載された国鉄職員を全員採用したが、これは、国鉄において、本件基準に照らして採用することが不相当であると判断する職員を採用候補者名簿に記載しないとする方針の下に同名簿を作成していたことを前提としたからである。仮に、採用希望者の全員を同名簿に記載する方針の下で同名簿が作成された場合においては、上記JR各社(その設立委員)が同名簿記載の者全員を採用したか否かは明らかではないというべきである。
慰謝料について 国鉄による本件名簿不記載基準の策定は、設立委員会へ採用候補者名簿を提出する直前に急遽策定されたもので、その結果、原告らはJR東日本に採用されなかったものであり、不採用となった当時、原告らに対しその不採用の具体的理由すら明らかにされなかった。原告らが、長年国鉄に勤務を継続しており、その職場に愛着を有していたのは想像に難くないこと、他方で、原告らは、第1波スト、第2波ストという動労千葉による公労法違反のストライキに関与しているもので、そのこと自体は否定的に評価せざるを得ないこと、その他の諸般の事情を総合的に考慮して、前記財産的損害とは別に国鉄による前記不法行為による慰謝料としては、一律に各300万円と認めるのが相当である。 一審原告らは、国鉄がJR東日本の採用候補者名簿を作成するに際し、国鉄から本件不記載行為により違法に不利益取扱いを受けたことで、国鉄から正当な評価を受けて、JR東日本の採用候補者名簿に記載され、JR東日本に採用されることに対する期待をそれぞれ侵害され、また、動労千葉に加入していることによりかかる差別を受けたものである。上記期待については、本件不記載行為がなければ一審原告らがJR東日本に採用されたはずであるとまでは認められないものの、本件の事実関係の下では、一審原告らが採用された可能性は相当程度あったことも否定できないから、不法行為の侵害の対象となる法的利益として認めるのが相当である。上記精神的損害に対する慰謝料は、本件違法行為の態様、被害の重大性等を総合考慮すれば、1人当たり500万円と認定するのが相当である。

 

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月刊『国際労働運動』(448号1-3)(2013/12/01)

●資料 『JR西日本井手正敬会長と語る国鉄改革前後の労務政策の内幕』

 この資料は、『JR西日本井手正敬会長と語る国鉄改革前後の労務政策の内幕』という懇談会議事録からの引用である。
 懇談会は、日時は、「二〇〇〇年九月一日、九時〜一五時」で、参加者は、JR西日本側から井手正敬会長、坂田正行経営企画部長の2名、JR連合側から葛野和明会長、明石洋一事務局長、出井勝彰顧問の4名。総計6名による懇談会である。
 1947年の2・1ゼネストの頃から、70年のマル生闘争から87年の分割・民営化とその後の状況など、内容は多岐にわたるが、そのうち、国鉄分割・民営化に関する核心部分のみ引用する。
 これは、動労千葉鉄建公団訴訟の控訴審において、動労千葉側から、決定的な証拠として提出したものである。
 JR西日本会長の井手正敬が、JR設立委員会に足しげく通い、過去の処分歴を対象にした「選考基準」はJR設立委員会委員長・斎藤英四郎の指示により葛西敬之国鉄職員局次長(現・JR東海会長)が作成したことを証言した決定的な文書である。しかも、「過去3年」に限って動労カクマルが対象にならないようにした経緯も語っている。
 ここで、「林さんに会っちゃった」という林とは、運輸省官房審議官の林淳二のことである。つまり、運輸省も設立委員会と密接な関係をもっていたことを示すものである。
 国労はこれを入手していながら、「政治解決」路線の下でほとんど無視・抹殺してきたが、これほど国鉄とJR(設立委員会)が一体となって不当労働行為を強行したことを示す資料はない。
……………………………………

 「選考基準」は斎藤英四郎の指示で、ギリギリの線で葛西君が案を作った

井手 三〇万人を二一万五、
〇〇〇人にする際の選考方法についてどうするかということについては、いろいろと曲折がありました。我々は、このチャンスに、管理体制の立て直しをすべく、助役に向かってつばを吐いたとか、その種のことで過去に何回も処分を受けたものは、やっぱりこの際、排除したいという気持ちは強かった。でも、それをあまりに強く当局から言うと、不当労働行為になりかねない。
 そこで当時、斎藤英四郎さんが委員長をしておられたんだけど、この人のところに葛西君と出かけ話に行って、そこで、委員会としてきちんとした選考基準を出してもらわないと困るんだと言いに行った。いろいろ話をして、それで、結果的にはまず、選考基準に合致しなかった者は駄目なんだということにしよう。そして、選考基準は、斎藤さんが作れと言うので、不当労働行為と言われないギリギリの線で葛西君が案を作り、それを斎藤さんに委員会の席上、委員長案として出してもらい、それは了承された。もっともこの辺は、運輸省のシナリオには全くないことであったので、運輸省では、誰が斎藤委員長に鈴をつけたのかが、大騒動となった。
 もっともその際、松崎の言うように、悪い組合、いい組合という気持は全くなかったけれども、やっぱり過去の処分歴みたいなものはきちんとしたいという。それに対して、運輸省のほうの考えた選考方法は、極めて機械的で甘かったように覚えている。
 これは裏話だけれども、斎藤英四郎さんのところにお願いに行った時に、たまたま行ったら、林さんに会っちゃった。おまえ、何しに来たんだって、こう言われて、あの時は困ったな。
 だけど、斎藤さんに、新しい会社でそういう組織を破壊するようなことばかりやっていた連中に大手を振って歩かせるということは、おかしくなるし、そういう過去の処分歴みたいなものが、当然選考基準に入ることはいいじゃないかと言って説得した。今日、一、〇四七問題で、二三条絡みで議論されているけれども、やっぱりああいう時に、組合の所属に拘わらず、過去に停職を何回も受けた人間とか、そういう者をやっぱりきちんと選考基準・判断基準の中に入れることは、いいじゃないかというのは僕らの気持ちだったし、斎藤さんもそういうのを理解してくださったんだから、決して不当労働行為じゃなかったような気がするんだけどね。

 「選考基準」は動労がかぶらないように「過去3年」の処分歴とした

明石 たまたまその話が出たところで、ちょっと聞かせていただきたいんですけれども、動労と国労というその選考基準の中で、私が聞いている話は、動労の悪い時代があった。処分歴がはるかにあった。そこを何年間前までは切っちゃって、それ以降の処分歴で判断するというやつがあったという……。
井手 それは、ちょっと違う話があって、これは、僕はちょっと関係していないけれども、過去に、要するに、首になっちゃった人を再採用するという約束を職員局が当時、動労松崎としたとかしないとかいう話があって、これは最後まで揉めたんですよね。松崎はその点について、騙されたと言っているんだけどね。僕は職員局との間で何かあったのだろうと思っているが、その内容は、今おっしゃったことは、私の記憶の中にない。しかし、今言ったように、何か過去に、要するに国鉄を首になっちゃった人間を再採用しましょうかという、約束があった、ないということも耳に入ってくるくらいだから、僕は、もしかしたら、職員局の関係の中には、そういうことがあったのかもしれないという気がしなくはないね。
坂田 過去三年か何年かにさかのぼって。
明石 そうですよね。
坂田 それ以前に。
葛野 そう。動労がかぶらないように。
坂田 だから、動労はずるいから、早くから雇用対策に応じちゃったわけだね。
葛野 やはり労働組合ではなかったんだよな、動労は。
井手 当時の、私なりに聞こえてきたのは、何か三年間だけストライキをやらないと言ったのだが。松崎が我慢しろと。

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月刊『国際労働運動』(448号2-1)(2013/12/01)

動労千葉・動労総連合の外注化阻止・非正規職撤廃の闘い

  第2章 動労千葉・動労総連合の外注化阻止・非正規職撤廃の闘い

 @「シニア制度」反対闘争以来12年間外注化を阻止した動労千葉

 外注化の受け入れとセットのシニア協定

 鉄道業務の外注化は、第2の国鉄分割・民営化と言うべき大攻撃である。それは、鉄道業務を数百もの子会社にバラバラに外注化し、そこで働く労働者を出向に出し、そして転籍を迫り、ついには総非正規職化する攻撃だからだ。
 動労千葉の外注化阻止闘争は、1999年にJR東日本より提案された「シニア制度」を拒否する闘いから始まった。「シニア制度」とは、年金制度が改悪され、年金の支給開始年齢が60歳から65歳へと段階的に引き上げられるのに伴い、定年後の労働者にJRの関連会社への就職の機会を提供するというものである。雇用延長でも定年年齢の引き上げでもなく、単なる雇用の斡旋に過ぎない。
 しかもこれは、00年3月にJR東日本とJR東労組が結んだ「シニア雇用に関する協定」で示されたように、業務の外注化に協力する労組の組合員だけを対象にするというものだ。つまり定年後の労働者の雇用と外注化をセットで推進するという極めて悪辣な攻撃なのだ。東労組は「再雇用が保証されているのは東労組の組合員だけ」と大宣伝し、会社と一体となって組織破壊攻撃を仕掛けてきた。
 国労も何ひとつ抵抗できず、保線・電力・信号通信などの設備部門が一気に外注化され、三千数百人もの労働者が強制出向に駆り出された。
 同年9月にはJR東日本は「グループ会社と一体となった業務体制の構築」を提案。交番検査(90日以内・3万`以内に行う検査)や構内入換・誘導業務など、検査・修繕(検修)部門、構内運転部門のほとんどを外注化するものだ。01年3月、東労組は、「グループ会社と一体となった業務体制の構築(運輸車両関係)に関する協定」を締結した。それは、検修部門だけでなく運転士や車掌も含めてグループ会社での「雇用の場の確保」を図る≠ニされていた。
 動労千葉は、当然にも「シニア協定」の締結を拒否した。「合理化絶対反対は組合の命だ」「絶対に職場を明け渡すわけにはいかない」という労働組合の原則を貫いたのだ。だが、これは並大抵の闘いではなかった。「再就職できなければ生活していけない」と退職する組合員と、動労千葉執行部は厳しい討論を重ねた。そして、組合で再就職先を探すなどした。脱退者も出たが、4年目からは退職者全員が動労千葉のもとに団結して闘い抜いた。
 これにより、他支社では逐次外注化が進められたが、千葉支社は、検修・構内部門の外注化に手を付けることができなくなった。
 「シニア協定」は結局、04年の高年齢者雇用安定法の改正により雇用継続制度などが義務づけられたため、就業規則化せざるを得なくなり、それ以降、動労千葉の組合員もエルダー社員としてJR東日本に雇用され、CTS(千葉鉄道サービス)に出向することとなった。

 「ニューフロンティア21」経営計画の提案

 この「シニア制度」に始まる外注化攻撃の背景には、JR東日本が00年11月に打ち出した「ニューフロンティア21」という中期経営構想がある。これは鉄道のあり方を抜本的に転換する大合理化攻撃であった。鉄道事業が「事業戦略」の3番目の位置に落とされる。第1は、「ステーションルネサンス」と称して駅をショッピングモールにするような計画で、第2はスイカなどのITを活用した新たなビジネスモデルをつくるというものだ。その上で、鉄道業務の全面的な外注化を進めるというのである。動労千葉はこれを、95年の日経連「新時代の『日本的経営』」のJR版であり、第2の分割・民営化攻撃としてとらえ、猛反撃に立ったのである。

 組織破壊攻撃には組織拡大で立ち向かう

 JR千葉支社は、動労千葉の抵抗で外注化が進まないことにいらだち、動労千葉への組織破壊攻撃に手を染めてきた。特に、検修・構内部門での動労千葉の最大の拠点である幕張支部に対しては、01年末には、繁沢敬一本部副委員長、長田敏之本部組織部長(当時)が、幕張から配転させられた。09年に入ると、動労千葉組合員が交番検査から排除され、支部の役員も次々に配転させられた。
 この渦中で、動労千葉は、組織拡大を実現していった。東労組の青年労働者はもとより、国労の労働者も含め約20人が動労千葉に結集した。動労千葉は11年、ついに青年部を結成した。こうした闘いが、実に12年間もの間、外注化を阻止する大きな地平を獲得したのである。

 レール破断に対する安全運転闘争に立つ

 この12年間、動労千葉は様々な闘いに立ち上がるが、ここでは、千葉支社管内で相次いで起きたレール破断に対する安全闘争を見ていく。
 05年に107人の乗員・乗客の命が奪われるJR西日本福知山線の尼崎事故の大惨事が起きた。ちょうど同じ時期、千葉ではレール破断が頻発するという非常事態が続いた。これは保線業務を外注化し、線路を巡回する周期を延ばしたりした結果だ。第4章で論ずる、今のJR北海道の事態と共通する問題である。
 動労千葉は、尼崎事故弾劾闘争として、レール破断に対する安全運転闘争に立ち上がる。管理者が運転台に乗り込み監視する中で、列車のスピードダウンを行うというもので、運転士一人ひとりが処分の恫喝を受けながら100日間も続けた闘いだった。
 しかし、この闘いの結果、千葉支社管内で130`にわたるレールを交換させるという成果をかちとった。動労千葉の反合・運転保安闘争路線の力がいかんなく発揮された闘いだった。

 A12年10・1外注化強行に対する動労千葉・動労総連合の闘い

 検修・構内外注化攻撃の本格的開始

 2009年10月、JR東日本は「グループ会社と一体となった業務体制のさらなる推進」を提案した。これは検修業務のほとんどの業務を一括して外注化するとし、実施時期を「10年4月以降」とした。これに対して動労千葉は、外注化阻止の本格的な決戦に突入することを宣言した。
 動労総連合に結集する動労千葉、動労水戸、動労連帯高崎は、外注化は偽装請負を必ず伴うことを指摘し、労働局や厚生労働省に申告する闘いにも取り組んだ。この中で、JRは偽装請負を隠蔽し取り繕うための方策の検討を余儀なくされた。
 動労千葉を先頭とする闘いは、東労組をも揺さぶり、青年労働者の怒りが噴き出す中で東労組も簡単には妥結できなくなった。こうして、10年4月実施も11年4月実施も阻まれた。

 「外注化阻止・非正規職撤廃」の路線うち出す

 動労千葉は、こうした中で、外注化とは、そこで働く労働者を強制出向に駆り立て、ついには転籍・非正規職化していく攻撃であることを暴いた。11年10月にも京葉車両センターの構内運転業務が一部外注化されようとしている中で、同年8月30日、動労千葉は東京・すみだ産業会館で「偽装請負を告発する大集会」を開催した。そこで「外注化阻止・非正規職撤廃!」の路線を打ち出した。
 国鉄分割・民営化から始まった新自由主義の下で、非正規職労働者が今や全労働者の38・2%を占めるに至っている。08年のリーマン・ショックで金融大恐慌が激化し、派遣労働者らが雇い止め・解雇攻撃を受け、「派遣村」がつくられるなどの深刻な事態となった。こうした中で、外注化による非正規職化を許さない闘いと、非正規職労働者を労働組合に組織し、正規・非正規の分断を打ち破り、非正規職を撤廃させようというのが「外注化阻止・非正規職撤廃」の路線なのである。

 京葉車両センターの一部外注化との闘い

 京葉車両センターの一部外注化は、千葉でまったく外注化が進まず、外注先のCTS(千葉鉄道サービス)が検修・構内業務をやった実績がないという現実に追いつめられた上での攻撃だった。動労千葉は、11年9月30日にストに立つとともに、エルダー社員をオルグし、動労千葉だけでなく他労組組合員も誰も外注業務に就かないという状況をつくり出した。そして京葉車両センターの東労組の青年労働者からも怒りが噴出した。そのため、10・1外注化強行ができず、JRは、なんとか管理者とカクマルの2人を要員として、「1日勤」の構内運転業務の外注化を、翌12年1月27日に強行した。

(写真 検修・構内業務の外注化強行を弾劾する動労千葉組合員と支援の労働者ら【12年10月1日 幕張車両センター前】)

 12年10・1外注化―強制出向に対する闘い

 しかし、12年4月の外注化強行はできず、窮地に立ったJRに手を差し伸べたのは、またしても東労組カクマルだった。6月にJR東日本は「グループ会社と一体となった業務体制のさらなる推進」の修正案を出してきた。それは、外注化の対象から機動班業務を除き、実施時期を12年10月とした上で、構内計画業務の外注化はその1年後に実施するというものだ。東労組は「組合案」を出して、JRと集中して団交を行い、修正提案を直ちに受け入れ、妥結したのだ。
 動労千葉、動労水戸、動労連帯高崎は8月28日、ストに立つとともに、外注化による強制出向の対象となる60人(その後、5人が対象から外れ55人に)が強制出向差し止めの仮処分を東京地裁に申し立てた(現在、強制出向無効確認訴訟が闘われている)。さらに9月、動労千葉、動労水戸が出向の事前通知に対して猛然と抗議し、指名ストなどを闘った。こうして10・1を迎え、動労千葉は、1日から5日まで、44人の出向者を先頭とする職場での抵抗闘争と2波のストでJRとCTSをガタガタに揺さぶった。
 今年10月1日の構内計画業務の外注化に対しても断固として闘い抜いた。

 偽装請負そのものの外注化の実態

 外注化の結果起きたことは、偽装請負隠しのためのデタラメな業務の横行である。
 請負業務に関する基準は、1986年労働省告示で定められているが、@業務を請け負う会社が、労働者の管理や業務遂行・指揮・命令を本体から独立して自らできる力を持っていなければならない、A自己の責任で準備し調達する機械、設備、機材等で業務が処理できること、または、自ら有する専門的な技術、経験に基づいて業務を処理できること――この二つの条件が必要である。だが、CTSはどの条件も満たしていない。
 だから例えば、入区列車等に対するJRの指示(通告)を、「単なる情報提供」に言い換えて指揮・命令していないことにすると言う。だが、こんなことが通用するはずがない。構内入換業務などは、安全のために「通告」という最も厳格な指揮・命令の下に行われなければならない。それがJRとCTSに分断されたら安全は崩壊するのだ。
 さらに、外注化後、CTSで19人の「プロパー社員」(CTSの直接雇用社員)が採用され、JR・CTS双方で40人もの管理者が増員されている(4億円もの人件費!)。「高齢者の雇用の場の確保のため」「コスト削減」の建て前もかなぐりすて、すべてが動労千葉の組織破壊と排除のために進められているのだ。
 これに対して、動労千葉は、JRとCTSの双方で徹底抗戦を強化し、組織拡大を進める方針を確立している。

 動労西日本の闘い

 JR西日本においては、動労西日本が平成採の青年労働者を獲得し、「JRは労災の責任を取れ」と12年、13年の春闘ストに立った。また、6月1日、組合員を出向先の「レールテック」からJR西日本土木技術センターに取り戻す勝利もかちとっている。

 B日帝の延命をかけた路線としてのJR東日本「経営構想X」

 JR東日本は12年10月1日の検修・構内外注化強行の後、10月30日に「グループ経営構想X 〜限りなき前進〜」を発表した。それは、JRになって通算5回目となる経営構想であり、2020年頃までを見据え、経営の基本的方向性と具体的に実行することをまとめたとしている。
(図 JR東日本の社員数の推移と系統別社員数)

 国鉄改革と大震災を出発点と位置づける

 「私たちの出発点」として、第一に「国鉄改革は、私たちの変わらぬ『出発点』です」「国鉄の失敗を繰り返さないために……改革の目標を深く胸に刻み……企業経営の原点としていきます」と言っている。国鉄分割・民営化にかけた日帝ブルジョアジーの総意、すなわち民営化・外注化、非正規職化、労組破壊の攻撃を今後もさらに徹底して進めると宣言しているのだ。体制内労組幹部がいかに屈服しようと、JR資本が何にも増して恐怖しているものは階級的労働運動だ。それがここには端的に示されている。
 第二に、「東日本大震災を国鉄改革に次ぐ『第二の出発点』と位置づける」と叫んでいる。それは、大震災と原発事故によって日本帝国主義が「脱落帝国主義」としてより一層の危機を深めている中で、そこから脱出するための新自由主義攻撃を推進する戦略的資本として自己を位置づけているということである。

 「グループの成長」掲げ外注化・非正規職化へ

 そして、「仕事を通じて、社員一人ひとりが成長することが、グループの成長を実現する。そしてさらに活躍の場が広がることにより、社員の一層のチャンスが生まれる。こうした『社員一人ひとりの成長』と『グループの成長』を重ね合わせ、サイクルをまわしていくこと、それが『限りなき前進』です」と言う。
 これは、グループ会社への外注化を一層推進するということだ。
 さらに、「個々のグループ会社が役割・使命の達成に向け、自らの判断でその強みを最大限に発揮していく『水平分業』と、各社が連携し、グループ発展のために何ができるのかを常に考え行動する『全体最適』の2つの理念を徹底し、グループ価値の向上をめざします」とも言う。
 「水平分業」「全体最適」とは、鉄道事業をバラバラに分割し、子会社に外注化することを意味している。そして「積極的な人材交流」という言葉に示されるように、強制出向が当然の前提にされている。これは転籍の強要に至る攻撃だ。検修業務を完全に外注化・非正規職化する攻撃が企まれているのだ。それは極限的に安全を破壊する。
 また、駅業務の外注化を大々的に進めるということだ。すでに07年に導入したグリーンスタッフ(GS)と称する非正規(契約期間5年)の労働者を大量に雇い止めにし、東日本ステーションサービス(東日本環境アクセスの「駅業務事業部門」を分割し、13年4月1日に発足)などの子会社に超低賃金で雇い入れ、駅業務の外注化要員として働かせている。
 これはまた、「ライフサイクルの深度化」と称して、運転士を駅に強制配転させる攻撃と一体である。
 さらに、「経営構想X」は、2015年度までに「山手線全駅」にホームドアを設置すると打ち出した。ホームドアの設置は、ホームでの仕事の中心を担う国労組合員を直撃し、その一掃を狙う大攻撃だ。JRの宣伝とは裏腹に、ホームドア設置は安全を根本的に解体するものだ。
 グラフのとおり、JR東日本は、87年発足時から12年度までに、2万3370人もの人員削減を強行しているが、さらにJR本体の人員を削減しようとしているのだ。

 鉄道の輸出=海外侵略の先兵となる

 「経営構想X」が打ち出したいまひとつ重大な柱が「海外鉄道プロジェクトへの参画」である。それについて次のように言っている。
 「日本コンサルタンツ梶iJIC)を中心に、海外鉄道コンサルティング事業を積極的に展開します。さらに、国内外の企業と協力し、オペレーション&メンテナンス分野(列車の運行や設備の保守などに関する計画・指導・支援)を含めた海外鉄道プロジェクトへの参画をめざします。特に、成長著しいアジアを重点地域と位置づけるとともに、各地域の鉄道プロジェクトに関して、リスクを見極めながら対応していきます」
 これは、民主党政権時代に打ち出され、安倍政権の「成長戦略」でも柱となっている原発や鉄道などインフラのパッケージ輸出の方針に沿い、JR東日本がその先頭で推進するということだ。
 安倍は5月29日、インドのシン首相と会談し、高速鉄道計画の共同調査や原子力協定交渉再開で合意した。これは新幹線や原発の輸出に向けて日帝が巻き返しを図ったとされるが、JR東日本も国交省などとともに現地を訪れ、官民一体で推進しているのだ。
 レーニンは、『帝国主義論』の序文で「鉄道網の分布、分布の不均等、鉄道網の発展の不均等――これは、世界的規模における現代の独占資本主義の総結果である。そしてこの総結果は、生産手段の私的所有が存在するかぎり、そのような経済的基礎のうえでは、帝国主義戦争が絶対に避けられないことをしめしている」と述べている。
 世界的に高速鉄道建設が計画されている中で、フランスや日本などの帝国主義国が競って自国の鉄道を輸出しようとしている。それは、侵略と戦争の政策と一体である。JR東日本はその先頭に立つことを宣言した。したがって、JR資本との闘いは、日本帝国主義を打倒する闘いそのものなのである。

 動労千葉の反合・運転保安闘争こそ合理化攻撃を打ち破る路線だ

 動労千葉の外注化阻止闘争も国鉄分割・民営化反対闘争も、その土台には「反合理化運転・保安闘争路線」がある。それはどのようなものか。

 船橋事故闘争で確立した反合・運転保安闘争

 動労千葉の反合・運転保安闘争路線は、1972年に起きた船橋事故に対する闘争の中で確立された。
 当時、千葉県の急激な人口増に伴い総武線の輸送力増強が行われ、合理化・スピードアップによって架線やレールの消耗、車両故障が多発する状況だった。そういう中で72年3月に船橋駅で停車していた電車に電車が追突する事故が起き、何百人という負傷者が出た。当該運転士の高石正博さんが直ちに逮捕されるという状況の中で、どう対応するかが問われた。
 国鉄当局は、過密ダイヤのためにATS(自動列車停止装置)のブザーを切った上での徐行運転を運転士に強要していた。しかも事故の原因となった信号停電という異常事態に際しての「ATSの取り扱い」が、一切教育訓練されていなかった。そして、過密ダイヤの路線にさらに多くの列車を走らせるために、本来の信号と信号の間に「0号」信号機を設置し、信号の過密化によって輸送力増強を図り、運転保安無視と労働強化を運転士に押しつけていた。
 「この事故は運転士の責任ではない。運転士に責任を押しつけるな」――これが現場労働者の気持ちだった。ところが国鉄当局は、「事故の原因は運転士の不注意だ」として、すべてを労働者の責任に転嫁してきた。これに対して現場労働者の怒りが爆発した。「明日は我が身」だと誰もが感じた。ここから反合・運転保安闘争が始まった。
 だがそれは、当時の動労の中にもあった「事故問題は労働組合運動としては成り立たない」という考え方との鋭い対決を必要とした。
 また、日本の労働組合は「闘えば必ず分裂する」という歴史があり、反合理化闘争を資本と非和解に闘い抜けた歴史がない。中野洋動労千葉前委員長は、このことを乗り越えたいと考え、次のように振り返っている。
 「僕自身、激しく迫りくる合理化攻撃に対して、革マルみたいに『合理化絶対反対』と言っていればいいみたいな、こういうやり方ではとても通用しないと思っていました。やはり合理化反対闘争を具体的につくりあげなければならない。……この事故が起きたとたんに、ある意味では『これだ』と思ったところがある。それでこの船橋事故闘争を労働組合運動の最大の闘いにしよう、あらゆる努力でやり抜こうと決意するわけです」(『俺たちは鉄路に生きる2』)
 具体的には、激しい順法闘争やストライキ、裁判所包囲デモなどを繰り返し、高石運転士は「有罪」となったが、76年に原職への復帰をかちとった。
 この闘いは現場労働者の組合に対する大きな信頼感をつくり出した。後の動労本部からの分離・独立(79年3月)の際に組合員が語った「船橋事故闘争みたいなことをやる労働組合が本当の組合だ。俺は千葉につく」という言葉こそ、この闘いが動労千葉の団結の基礎となったことを表している。
(写真 「高石運転士に事故責任を転嫁するな」「裁かれるべきは国鉄当局だ」と闘われた船橋事故闘争)

 資本に対する闘いで安全の確立を強制

 そもそも資本主義社会は、労働力を商品化し、労働力(人間)をモノと同じように売買し、利潤を上げることで成り立っている。合理化とは、機械化などにより余剰な労働力をつくり出し、より少ない労働力でより多くの利潤を上げようとするものだ。だから、直接的利益を生まない保安部門への設備投資や保安要員などが軽視もしくは無視され、合理化の矛盾は何よりも安全の危機として噴出する。だからこそ安全の確立という問題は、労働者の抵抗や労働組合の闘いがあって初めて資本にそれを強制することができる。これは、従来の民同的労働運動の発想を超える質を持った闘いでもあった。
 中野前委員長は、職場闘争について「僕らは運転職場ですから、運転職場で当局の最大の弱点は、安全ということなんですよ。つまり安全に列車を走らせるということは、何にも増して優先されなくちゃいけない。これは逆に弱点なわけです。敵のやってくることで安全を無視することがいっぱいある。これを逆手にとってやったのが、反合理化・運転保安闘争です」(同)と言っている。

 新たな時代の反合・運転保安闘争路線

 田中康宏動労千葉委員長は、外注化阻止闘争を闘う中で、「新たな時代の反合・運転保安闘争」を提起している。
 「新しい時代の反合・運転保安闘争は、運転保安の崩壊を許さないというだけでなく、雇用破壊を許さない反合闘争になる。……新自由主義のもとで激しく進んだ雇用破壊に立ち向かうことができた労働組合の闘いがまったくないわけです。だからわれわれがそれをつくる。それが新たな時代の反合・運転保安闘争です」(『動労千葉33』)
 国鉄分割・民営化攻撃が始まって以来30年に及ぶ新自由主義は、労働者を人間として生きていくことができないような現実にたたき込んだ。一方、資本主義社会である以上、資本は労働者から搾取することによって利潤を上げるのだから、労働力が再生産されなければならない。しかし、それすら不可能になりつつあるのが現実だ。
 新自由主義を本格的に導入したのは、人格としては、レーガン、サッチャー、中曽根だ。サッチャーは当時、「労働組合の力と対決すること、競争を妨げるあらゆる社会的紐帯を攻撃すること、福祉国家の諸政策を解体ないし縮小すること、公共企業体を民営化すること」を宣言した。
 そうして始まった新自由主義の下で生み出されたのが貧困、ワーキングプア、格差であり、医療や教育の崩壊だ。新自由主義のすべてが欺瞞でありウソだったのだ。
 この新自由主義に職場から反撃するのが、新たな反合・運転保安(安全)闘争なのである。全産別で反合理化(安全)闘争をつくり出そう。

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月刊『国際労働運動』(448号3-1)(2013/12/01)

 福島圧殺を許さず被曝労働を拒否する国鉄労働者の闘い

 福島圧殺を許さず被曝労働を拒否する国鉄労働者の闘い

 

(図 環境省汚染情報サイトより)

 @被曝車両・K544の検修業務を阻止した動労水戸

 広野まで営業運転再開

 11年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故が起きた。これらは新自由主義の破綻として起きた。常磐線は、第一原発から概ね30`以内と宮城県沿岸部が不通となった。ところが、わずか半年後の9月30日、野田政権は緊急時避難準備区域(福島第一原発から20〜30`圏内)の指定を解除した。それを受け、JR東日本は10月10日から常磐線久ノ浜駅(いわき市)〜広野駅(広野町)間の営業運転を再開した。
 これは日帝の原発事故収束宣言(12月16日)に向かっての第一歩だった。国によって緊急時避難準備地域の解除が行われ、「安全」が宣言された。避難者の帰還を促進するために、久ノ浜から広野間の電車を走らせた。JR東が政府と東電の先兵になって「ここまでは安全です」と帰還の一翼を担ったのだ。東電は、準備地域解除によって、これまで地域住民に支払っていた1人あたり月額10万円の補償を12年8月に打ち切っている。

 K544を勝田に回送

 JRはさらに広野駅に半年以上放置され、高線量で被曝しているK544電車を勝田車両センターまで持ってきてJRの労働者に検査・修繕させようとした。検修作業でほこりを吸い込めば放射性物質が体内に入り、内部被曝する。車両の掃除をする関連会社の人も含めて被曝労働が強いられる。しかも乗客を乗せる営業運転に使うという。国と東電の原発事故の責任逃れのために、労働者に被曝労働を強制するというのだ。
 ところが東労組や国労は、最初から闘うどころか、会社と一体となって組合員に被曝労働を強制しようとした。許されないことだ。
 動労水戸は、1986年11月、国鉄分割・民営化に絶対反対して組合を結成し、階級的労働運動を推進してきた。だから外注化阻止・非正規職撤廃闘争と一体で、資本と非和解となる被曝労働拒否の闘いに突入した。

 10月攻防に猛然と決起

 検修業務の大半を担うのは平成採の若い労働者だ。「仲間を守れるのは俺たちしかいない」。動労水戸は猛然と決起し、10月8日には勝田車両センター所属の11人が第1波ストを決行。9日にはK544の回送強行に対する抗議闘争に立った。この闘いによってJRは、K544の清掃作業と交番検査の中止を表明せざるをえなくなった。動労水戸はさらに13日、きちんとした除染を求めて第2波ストに決起した。
 この闘いを通して青年労働者の照沼靖功君が東労組から動労水戸に加入した。JR東は「続く者が出たら大変なことになる」と震え上がった。
 「放射能問題は、資本と労働者の非和解性をあいまいさなく示す。ここで労働組合はウソか本当かを問われて錬磨される。原発問題、放射能問題はその試金石です。この問題をめぐって労働者がストライキに立つことが、階級的説得力を持つんです」(辻川慎一動労水戸副委員長、全国労組交流センター事務局長『前進』2508号)。

 ラジエーター除染にスト

 動労水戸はさらに、水郡線・常陸大子営業所運輸科で気動車のラジエーター除染作業の強制に反対し、12年7月30日から8月23日まで7波のストに決起した。線量の高い郡山まで走行する気動車のラジエーターには放射性物質を含むチリが付着している。これを圧縮空気で吹き飛ばすという暴挙に対して、第1波は大子支部の全員がストに決起して作業を阻止。この闘いで青年労働者の羽部圭介君が東労組から動労水戸に加入した。

 13年3月の攻防に勝利

 JR水戸支社は13年3月14日、動労水戸が春闘ストに突入したその日に、K544の運行に向けた作業開始を通告してきた。25日夜、動労水戸は水戸支社に対し「K544の運用に係わる作業指示が組合員に出された場合、車両センターの全組合員がストに入る」と通告した。
 翌26日、水戸支社は、動労水戸組合員にK544を移動するための誘導作業を指示した。昼休み、職場集会が開かれ直ちに全組合員の抗議スト突入を決定した。この急なストに対しても青年労働者たちがK544への乗務を拒否し、誘導業務のスト破りを命じられた青年労働者が業務命令を無視し誘導に行かなかった。JRは結局、K544の運用を強行することができず、再び使用停止にして元の場所、勝田車両センターの隅に戻さざるを得なかった。

 7月の攻防に勝利

 ところがJR水戸支社は「財産の効率的運用のため」として、K544の検修作業を労働者に命じてきた。これに対し動労水戸は、「福島切り捨て・内部被曝強制を絶対許さない、K544運用阻止スト・抗議行動へ、郡山工場の仲間と共に闘おう」と訴え
7月12、16、17日、検修作業を拒否するストライキに立った。
 この闘いに追い詰められたJRは、機器箱も開けず、ドア検査も動作試験もブレーキ試験も省略した「偽装検査」で「交番検査は終了した」と強弁している。
 7月18日、K544は、勝田車両センターから郡山工場に回送された。

 A勝田の闘いを引き継ぎ、被曝労働を青年にやらせない国労郡山工場支部

 国労郡山工場支部の組合員は、3・11大震災と原発事故の現実と真正面から対決し、全国に檄を発して闘ってきた。恐るべき高放射線量下の労働を強いられながら、その現実と怒りをもって対決する中で、郡山工場支部は様々な立場や意見の違いをのりこえ、労働組合としての団結を再構築し、12年開成山野球場、13年福島での3・11大行動を呼びかけ、その先頭に立ってきた。それは、除染も放射能測定さえもかたくなに拒否する仙台支社管内にあって、支部一丸となっての外注化反対―被曝労働拒否の新たな闘いとして貫徹されている。
 13年6月に予定されていた倉庫業務の外注化をめぐり、組合員への出向の命令を出せないところにJRを追い込んだ闘いは、職場反合闘争を徹底的に闘う中から国労を階級的によみがえらせる展望を押し開いた。

 「内部被曝こそ問題だ」

 K544をめぐる闘いは、動労水戸から国労郡山工場支部に受け継がれた。全般検査をめぐる約3週間の攻防となった。郡山工場支部の組合員は動労水戸と連絡を取り合い、まず勝田車両センターでのでたらめな「交番検査」の実態を追及した。
 総合車両センター(工場)で行われる全般検査は、すべての機器を取り外し、詳細に調べて組み立て直す大がかりな作業になる。交番検査は車で言えば、6カ月点検で、全般検査は2年毎の車検と同じだ。労働者が車両に付着した放射性物質を吸い込む危険性がより高い。そうなれば深刻な被害が出る。
 にもかかわらずJRは、勝田車両センターで測定された空間放射線量のデータを盾に「安全に問題はない」「勝田車両センターでも交番検査をやっているから大丈夫」と言い張った。郡山工場支部の組合員は、「内部被曝、会社のやり方が問題だ」と連日、JRを追及した。それでもJRは「安全だ」として、放射能対策用の保護具を装備することも、工場独自で放射線量を測定することも拒んだ。

 青年を作業から外す

 しかし、郡山工場支部の粘り強い闘いは、タイベックス(原発作業員と同様の防護服)、マスク、ゴーグルを手配すること、平成採の青年を作業から外すことをJRに認めさせた。危険な作業であることを、JRは実質的に認めたのだ。検修作業は強行されたが、青年を作業から外させ、猛暑の中で完全防備の防護服を着用して作業にあたる国労組合員の姿は、青年の心を確実にとらえた。
東労組はこの問題で、「車両を2回、水洗いするから安全」というJRの言い分を丸のみし、それ以上の対策を要求することさえしなかった。
国労郡山工場支部はまた、上部機関の仙台地本に指名ストを要求した。それを握りつぶした国労執行部への現場の怒りは深い。国労執行部は勝田での「交番検査」を「正式な検査」と言って、郡山での全般検査の強行を容認したのだ。そこには、福島はもともと放射線量が高いから被曝労働を強いられても仕方がないというおぞましい考えがある。
これに対し、「(労働者も住民も被曝させて構わないという)JRの姿勢こそ問題だ」と核心点を突き出す郡山工場支部組合員の声は、闘いの中で資本との対決性を生き生きとよみがえらせた労働者魂を示している。国鉄分割・民営化反対を貫き国労にとどまってきた現場組合員は、本来こうした力を持っている。国労再生の現実的な展望はここにある。
動労水戸と国労郡山工場支部が国労と動労という組合の枠を越えて闘い抜いたK544闘争は、被曝労働を絶対に許さない闘いであり、被曝車両を運用させないという労働者としての誇りを貫く闘いであり、安倍政権の福島圧殺攻撃と根底的に対決する闘いだ。崩壊する新自由主義を葬り去る闘いだ。

(写真 被曝車両・K544の検修作業を拒否してストに立った動労水戸と支援の労働者ら【7月16日 勝田車両センター前】)

 ■「竜田延伸」を許すな

 JR東日本はこの闘いの真っただ中で、常磐線を来年3月に楢葉町の竜田駅まで延伸すると発表した。
 原発事故に伴い、ほぼ全域が警戒区域に指定されていた楢葉町は、12年8月10日に避難指示解除準備区域に再編され、町は復興計画を策定し、帰還に向けて除染作業を進めている。楢葉町はもともと警戒区域であったのであり、広野町とは比べものにならない高線量地帯である。
 来年3月に竜田延伸ということは、国、楢葉町は来年3月に避難指示解除準備区域の指定解除を構えているということだ。広野延伸の場合と同じだ。政府、東電は、避難指示解除準備区域を早急に解除したいのだ。ここを「安全」として、福島圧殺を進め、東電は賠償金の打ち切りを狙っている。
 それを促進するのがJRの「竜田延伸」の狙いだ。絶対に許すことができない。

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月刊『国際労働運動』(448号4-1)(2013/12/01)

 分割・民営化―外注化の破綻示すJR北海道の事故

 分割・民営化―外注化の破綻示すJR北海道の事故

 @貨物列車の脱線事故の原因は外注化と極限的な人員削減にある

 267カ所ものレール異常を放置

 13年9月19日、JR北海道の函館線大沼駅構内で貨物列車脱線事故が起きた。事故を調査している運輸安全委員会は9月25日、現場のレール幅の広がりが基準値の2倍程度まで広がっていたことを明らかにした。JR北海道ではレール幅の規格(直線で1067_)から19_(基準値)以上の広がりがあった場合は、15日間で補修することになっていた。運輸安全委の調査では、基準値19_を超える最大37_の広がりが確認された。その後、JR北海道は「レール異常は97カ所もある」「さらに約170カ所でレール異常が見つかった」「それを放置していた」と認めた。

 特急列車が脱線・炎上

 相次ぐ事故は国鉄分割・民営化と外注化の破産であり、「命より金」の新自由主義の崩壊を示すものだ。(表参照)。
 11年5月27日には石勝線のトンネル内で特急列車が脱線・炎上、乗客が命からがら脱出した大事故が起きた。この事故は、05年4月25日のJR西日本の尼崎事故と並ぶ大事故だ。JR北海道は「安全を最優先する企業として生まれ変わる」と何度も口にしたが、事故は収まらなかった。
 12年になると脱線事故が石勝線、函館線、留萌線で、そして江差線では2度連続して起きた。
 国鉄分割・民営化による1047名の解雇こそ、鉄道の安全崩壊をもたらした根本原因だ。90年に国鉄清算事業団から解雇された1047名のうち、453人の国労闘争団員と64人の全動労争議団員が、北海道の国鉄労働者だった。現場を熟知し、誇りをもって鉄道業務を担ってきた国鉄労働者を解雇したことが、技術の継承も断ち、安全崩壊の出発点になったのだ。

 4分の1に人員削減

 国鉄時代、北海道には約2万8千人の職員がいた。JR北海道は87年に1万2720人体制で発足した。13年段階で同社の人員は7116人に減らされている。動労千葉は、「JR千葉支社だけで人員は5千人。たった7千人で、広大な北海道のすべての線路を点検・補修できるわけがない」と指摘する。

 外注化で業務把握できず

 JR北海道では、保線も検修もすでに外注化されている。保線は下請け、孫請け化され、実際の作業は専門的な知識も経験もない労働者が担っている。人員は極限的に削減されている。
 検修部門の構内入換・誘導・構内信号業務が「北海道JR運輸サポート」に全面委託され、構内運転士の4割がJRからの出向者ではなく運輸サポートに雇われたプロパー社員に置き換わっている。
 JR北海道の特急車両の一部は、外注会社の「北海道高速鉄道開発」が保有し、JRはそこから車両を借りて運行している。こうしたあり方も、車両の検修がまともになされない事態につながった。
 11年5・29の石勝線事故においては、事故車両の車輪踏面が40aも剥離していたことが判明している。これが脱線の直接の原因になった。動労千葉は、「ごく普通の定期検査が行われれば、そんなひどい状態になる前に必ず発見できる。一定の剥離が認められたら転削するのは車両メンテナンスのイロハのイである」と指摘している。
 11年度にJR北海道が行った約3100回の車両検査のうち、延べ約900車両で必要な検査が行われず、延べ約1600車両の検査記録に不備があったことが、会計検査院の調査で明らかにされた。
 JR北海道自身、石勝線事故後の11年9月に策定した「安全性向上のための行動計画」で、「外部委託業務について、当社の側に、受託会社に業務内容を的確に伝え責任を持って管理しようとする意識が弱く、受託会社の多くがグループ会社であるという甘えもあり、役割分担が不明確な状態にありました」と無責任体制を自認している。外注化の結果、どこでどんな業務が行われているのかを、誰一人把握できなくなってしまったのだ。

 成田昭雄さんの話

 解雇され、今も1047名解雇撤回闘争の先頭に立つ国労旭川闘争団の成田昭雄さんは『月刊労働運動』11月号で、民営化以前の保線作業について語っている。
 「通常の検査は3人態勢で、レール何`というかたちで受け持って線路を検査する」「許容限度を逸脱しているところが見つかった場合には、それが作業班に、計画助役、作業助役を通じておりてきます」「私のような作業班がその現場に行って補修し、安全な線路をつくるというのがひとつのパターンです」「できあがった箇所を検査班も確認するという二重のチェック体制があった」
 手厚い保守・点検体制で線路の安全が守られていたのだ。

 無謀なスピードアップ

 13年になると特急の発煙・出火事故が相次いだ。
 7月15日、千歳線を走行中の特急スーパーおおぞら3号の空調配電盤から出火し緊急停車。同月6日にも函館線の特急北斗14号のディーゼルエンジンが異常燃焼、直径10aの穴が空き炎上する事故が起きたばかりだ。特に今回、エンジンが爆発し10aの穴が空いた北斗は、同じ事故を昨年の9月、今年3月、4月に立て続けに起こしている。
 国鉄分割・民営化により北海道では鉄道営業`で4000`から2500`に削減された。4割弱の路線が「赤字ローカル線」とされ廃止された。「民間企業」としてのJR北海道の金もうけのため、住民生活を破壊し、地方を衰退させたこともまた、新自由主義の原点だった。
 そしてJR北海道は利益を上げることを至上命令とされ、航空機との熾烈な競争にのめりこんでいった。幹線での大幅なスピードアップと増便を目指し、設備投資を行った。「命より金もうけ」に走り、その分、安全への投資は徹底的に削減された。
 北海道では電化区間が限られており、特急の多くはディーゼルカーだ。曲線でも高速が出せる振り子式に変え、時速130`で走らせた。
 札幌〜釧路間(315`メートル)を分割・民営化以前には、特急で4時間半かかったのが、現在は3時間40分で走り50分短縮している。特急の本数も民営化以前は78本だったのが、現在は140本と大幅増便している。
 車体は最新型に変えられていても、積んでいるディーゼルエンジンは二十数年前のものという特急もある。利潤を上げるための無謀なスピードアップと長距離運行に旧式のエンジンが耐えきれず、車両炎上事故の多発をもたらしているのだ。
 さらに、列車の高速運転は線路にも負荷をかける。ただでさえ気象条件が厳しい北海道で、基準を超える線路幅の拡大などの「異常」が、急速に拡大していった。そして9月19日の函館線の貨物列車の脱線大事故に至った。
 第6項 「経営安定基金」の虚構
 80年代の初め、臨時行政調査会は、「公社制度」を止めて「民営化」し、「交通市場の中での激しい競争」にさらせば経営はすべてよくなるかのように言った。
 もともと北海道、四国、九州が民営化されても採算が取れないことは明らかだった。そこで、分割・民営化時に3社に「経営安定基金」を提供し、その運用益で営業赤字を補填し、外見上は利益が出ているように見せかけようとした。しかし赤字は続き、「株式上場」もできなかった。
 11年には、「経営安定基金」を積み増し、さらに鉄道運輸機構がJR北海道に無利子で2200億円を貸与、その金をJR北海道が鉄運機構に年率2・5%で貸してその利ざやを得て、やり繰りするデタラメな仕組みをつくった。
 鉄運機構は国の特別会計が負担している。「経営安定基金」にしろ鉄運機構の資金貸与にせよ、国家財政で支えているわけだ。「民営化」はあらゆる意味で大破綻しているのだ。
 JR北海道は、相次ぐ事故で、運休が相次ぎ、今年の乗客数は昨年より2割減となった。特急の速度を落とし、便数減も強いられている。民営化されたJR北海道はまさに新自由主義の崩壊の象徴といえるような事態に陥った。

 Aもう一つの元凶はJR北海道とJR総連・北鉄労の結託体制

 分割・民営化に屈し、外注化を容認・推進してきたJR総連・北鉄労、JR連合・北労組、国労本部の裏切りが、安全を崩壊させた一方の原因だ。
JR北海道は、国鉄時代と比べれば、人員は約4分の1にも減らされた。
この極限的な人員削減は、労働組合の解体と一体で強行された。国鉄分割・民営化を当局の先兵となって率先推進したJR総連は、北海道でも最大労組にのし上がった。
JR総連とJR北海道の癒着・結託体制は、大幅な人員削減と極限的な外注化を進行させた基盤になった。
JR東海以西では、91年にJR総連は大分裂し、御用労組としてJR連合が資本に育成されて、JR総連は極少数派に転落した。JR東日本も、07年7月以降、JR総連との従来の関係を清算しようと動き出した。あくまでJR総連との結託を労務政策の基本とし続けたのがJR貨物とJR北海道だった。
11年5月の石勝線事故後、JR北海道の社長だった中島尚俊は、JR東日本の動向にも促されて、ひとたびはJR総連との結託体制の清算に向けて動いた。だが、それはカクマルの陰湿な抵抗にあって挫折し、同年9月に中島は自殺した。中島の自殺後、会長に退いていた小池明夫が社長に復帰し、JR総連との蜜月関係をよみがえらせた。現在、社長の野島誠は小池の腹心だ。JR北海道は、JR連合さえ敵視している。
国労本部は資本にこびを売るだけの存在になり果てた。だからこそ、今日の事態を打開する鍵は、JR総連による支配に心底怒りを燃やし、JR資本と非和解的に対決する労働組合を、職場から粘り強くつくり出すことにある。心ならずも4・9政治和解に調印してしまった闘争団員も資本とカクマルへの怒りを忘れない限り、その闘いの中で果たす役割はあるはずだ。

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 ■多発するJR北海道の鉄道事故

●2011年
5月27日 石勝線特急列車脱線火災
6月6日 室蘭線で特急が発煙
6月14日 石勝線で信号故障
7月5日 函館線で車両事故
10月17日 石勝線で車輪空転 釧網線、函館線でも車輪空転
●2012年
2月16日 石勝線で脱線
2月26日 石勝線で特急で白煙
2月29日 函館線で脱線
3月3日 石北線で特急車両のガラスにヒビ
3月7日 留萌線で普通列車脱線
4月26日 江差線で貨物列車脱線
9月11日 江差線で貨物列車脱線
9月19日 千歳線で特急が油漏れ
●2013年
2月12日 函館線で特急から発煙
3月24日 室蘭線で特急から発煙
4月8日 函館線で特急から発煙
5月5日 函館線で特急から出火
6月25日 根室線で請負会社の保線労働者の死亡事故
7月6日 函館線で特急から出火
7月15日 千歳線で特急から出火
7月22日 根室線で特急から白煙
9月19日 函館線で貨物列車脱線
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JR各社の概要(2012年度末現在)

  北海道 東日本 、東海 西日本 四国 九州
営業キロ(キロ) 2499.8 7512.6 1970.8 5012.7 855.2 2773
社員数(人) 6789 57554 18094 26889 2570 7885
営業損益(億円) ▼309 3228 3991 1023 ▼96 15
経営安定基金(億円) 6822 0 0 0 2082 3877

※▼は赤字 (国土交通省の資料より)

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月刊『国際労働運動』(448号5-1)(2013/12/01)

 第2部 解雇撤回・JR復帰、最高裁へ新10万筆署名を

 国鉄分割・民営化攻撃と1047名解雇撤回闘争

 @「戦後政治の総決算」叫ぶ中曽根の新自由主義の攻撃、国鉄分割・民営化

 第1部を受けて、2014年に向けての最大の闘いとして解雇撤回・JR復帰の最高裁決戦を闘う上で、あらためて国鉄分割・民営化攻撃とは何であり、それに対して26年間にわたって闘われてきた1047名解雇撤回闘争がどのように闘われてきたのかを明らかにしたい。

 国労・総評・社会党をつぶし改憲をやる

 国鉄分割・民営化は、1987年4月1日であるが、その攻撃は、1981年3月の第二臨調(第二次臨時行政調査会)の発足から始まる(会長に元経団連会長の土光敏夫が就任)。この時はまだ鈴木善幸内閣だったが、中曽根康弘が82年11月に首相に就任するや、「私は戦後を総決算する使命を担って総理になった」と公言。それ以降、中曽根のメインスローガンとなるが、要は戦後憲法体制の下にある日本の「戦後政治」を根本から転覆し、戦争のできる国家へと大改造を図ることだった。そして「行政改革でお座敷をきれいにして、立派な憲法を安置する」とうそぶき、その攻撃の頂点に臨調・行革攻撃を据え、「(国鉄の分割・民営化は)中曽根行革の最大の目玉であり、行革の二〇三高地」と位置づけた。
 その狙いは、後に中曽根が「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に意識してやったわけです」(『AERA』1996年12月30日号)とあけすけに語ったように、戦後労働運動の基軸的位置にあった国鉄労働運動、とりわけその中心的な組合である国労をたたきつぶし、社会党を支持するナショナルセンターの総評を解体することにあった。
(写真 中曽根康弘)

 新自由主義の実験場

 国鉄分割・民営化は、日本における新自由主義の先鞭をつけた攻撃であった。70年代末から80年代初めに登場したアメリカのレーガンはPATCO(航空管制官組合)をつぶし、イギリスのサッチャーは炭鉱労働組合のストを圧殺し、そして日本の中曽根は国労解体を狙った。資本の自由な活動の障害となる労働組合をたたきつぶすことによって、資本の飽くなき利潤追求を行うという新自由主義を貫徹しようというのだ。
 国鉄闘争全国運動呼びかけ人である鎌倉孝夫さん(埼玉大学名誉教授)は、国鉄分割・民営化強行を目前に控え、「国鉄分割・民営は、新自由主義=供給の経済学の一大実験場であり、その全面的貫徹のための試金石ともいえる位置にある」(『破防法研究』86年2月号)といち早く断じていたが、まさにそのとおりだったのである。
※「供給の経済学」とは、鎌倉さんによれば、「資本にとっての供給条件、すなわち利潤形成条件を確保しようという路線」である。

 20万人の首切り攻撃

 そういう中曽根政権の下で、第二臨調は83年3月に最終答申を出した。電電公社、専売公社については民営化するだけで、財産も人間もそっくり新会社に移行する。国鉄については第二臨調第四部会が「国鉄を6旅客会社と貨物会社に分割・民営化する。新会社は21万5千人体制とする」という答申を出す。第二臨調が発足した80年度末の国鉄の職員数は41万3千人だったから、20万人の首切りだ。
 それに先駆けて82年7月には第二臨調が基本答申を提出し、「緊急措置11項目」を打ち出した。それは「職場規律の確立」や、新規採用の停止、あらゆる手当の削減、既得権の剥奪などだ。この攻撃が国鉄職場に吹き荒れた。
 自民党は82年2月、国鉄再建小委員会、いわゆる「三塚委員会」をつくり、国鉄職場に視察に入った。以後、「国鉄労働者は働かない」「ヤミ手当をもらっている」など、いわゆる「ヤミ・カラキャンペーン」がマスコミを総動員して吹き荒れる。「カラスが鳴かない日があっても国鉄の記事が載らない日はない」と言われるぐらい、すさまじいものだった。
 これに対して国鉄当局がどう対応したのか。国鉄官僚のほとんどが「国鉄擁護派」で「国体護持派」と呼ばれたが、後に「国鉄改革3人組」と呼ばれた井手正敬、葛西敬之、松田昌士らが台頭し、分割・民営化後は、それぞれJR西日本、JR東海、JR東日本の社長(→会長)のポストを与えられる。
 83年6月には「国鉄再建監理委員会」(会長・亀井正夫)が発足。国鉄の財産などの資料の提出を求めたが、国鉄本社はこれに抵抗した。仁杉国鉄総裁は、85年6月には更迭され、運輸事務次官だった杉浦喬也が国鉄総裁に就任する。これを機に国鉄本社の「国体護持派」は一掃され、「改革派」が常務理事に座り、国鉄分割・民営化攻撃が一気呵成に進むことになる。しかし、国労本部は、「国体護持派」に依拠したり、「自民党田中派と話をつけよう」などと言っている始末で、日本帝国主義の国鉄分割・民営化にかけた激しい執念や意図を見抜くことができなかった。

 A動労カクマルを先兵に国労に対する組織破壊攻撃・不当労働行為を強行

 首切り三本柱

 84年6月、国鉄当局が「余剰人員調整策」として、退職勧奨、一時帰休、出向の「首切り三本柱」を提案してきた。動労、鉄労などは早々にこれに応じ、国労、動労千葉、全動労は拒否した。国鉄当局は、これをのまない組合とは「雇用安定協約」を締結しないという攻撃をかけてきた。

 「転向」を誓った松崎

 特に動労カクマルは悪辣で、カクマルの頭目・松崎明は、自民党の機関紙『自由新報』や勝共連合の機関紙『世界日報』などに登場し、「もう社会主義はやめた」「カクマルとは離れた」「自衛隊も日の丸も認める」などと発言し、自民党や国鉄当局に取り入った。86年1月には国鉄当局が動労、鉄労などと「第一次労使共同宣言」を締結した。それは「国鉄の分割・民営化に全面協力し、民営化されてもけっしてストはやらない」という奴隷の誓いであった。
 そうして国鉄当局と一体となって「国労にいたら新会社に残れない」という集中的な攻撃をかけてきた。国労の現場組合員は、「こんな攻撃は許せない」と思っていた。しかし、国労本部が無方針という中で、毎月1万人もの組合員が国労を脱退し、あるいは国鉄職場を去り、24万人いた国労組織は、分割・民営化後には4万人にまで減らされたのである。
 また、86年3月には国鉄当局が北海道と九州からの「広域異動」を募集した。北海道と九州は廃止されるローカル線も多く「余剰人員」も多い。こうした中で、動労カクマルが「広域異動」に応じ、「血の入れ替え」と称して、東京周辺や大阪周辺にカクマル活動家の運転士を大量に送り込んだ。余った国労組合員は運転職場を追われ、駅の直営のそば屋や売店などに配転されたりした。JRになってからだが、ベンディング職場(自販機の缶飲料の入れ替えを行う)がつくられ、国労組合員が多数配属された。
 その動労でも甘い汁を吸ったのはカクマルだけで、年輩者に対しては「後進に道を譲れ」と退職を強要した。

 200人の自殺者

 86年7月には「人材活用センター」が1010カ所に設置され、「余剰人員」とされた国労、動労千葉などの労働者が収容された。そこでは草刈りや壁・天井・ホームなどのペンキ塗り、便所掃除、文鎮づくりなどをやらせるなど、国鉄労働者の誇りを奪う攻撃だった。
 そうした中で、国鉄労働者が200人も自殺するという事態になった。実にすさまじい不当労働行為が強行されたのだ。
 まさに闘う方針が求められていた。

 国労の「たこつぼ」論

 しかし、国労の民同、革同・共産党の指導部には、本当に国家権力が全体重をかけた攻撃に対して立ち向かう思想も方針もなかった。「たこつぼに入って、嵐が過ぎ去るのを待て」という思考しかなかったのである。

(写真 国鉄分割・民営化反対の第1波ストに立ち上がった動労千葉津田沼支部のデモ【85年11月28日】)

 B動労千葉は85年11月、86年2月の2波のストに決起し、団結を守る

 「死中に活を求める」

 動労千葉は当時1100人の組織で、国家権力相手に全面戦争して果たして勝てるのか、それどころか残れるのか、「悩みに悩んだ」と中野前委員長は振り返っている。結局、「迷ったら原則に帰れ」と、「死中に活を求める」道を選んだ。動労千葉は79年に動労本部からの分離・独立闘争を闘い抜き、81年には成田空港のジェット燃料輸送を止めるストライキを闘った。そういう闘いの蓄積の上で、組合員は、国鉄分割・民営化攻撃にビビることなく、逆に怒りを燃やしていた。「『よし、こいつらと生死をともにしよう。僕が本当に自分の全存在をかけて、命がけで闘いの先頭に立てば、必ずついてきてくれる』と確信を持ったし、『ここで一戦を交えよう』という決断になった」(中野洋『俺たちは鉄路に生きる2』)

 2波のストで28人解雇の大量処分に屈せず

 動労千葉は、85年9月の定期大会で、第1波ストライキを11月末に決行することを決めた。それは11月30日に雇用安定協約が期限切れになるということがあった。そして、「労働者のせいで、国鉄の赤字が膨れ上がった」という宣伝は何より許せなかった。
 第1波ストは、11月29日に設定した。警察が「ゲリラ対策」と称して、総武線沿線に1万人もの機動隊を配置し、動労カクマルと国労本部が当局のスト破りに協力しようとしていた。そのため、ストを半日前倒しして、28日正午からストに突入した。そして深夜には、国労津田沼分会も「スト破りの業務命令が出たら指名ストに入れる」と国労執行部に約束させた。
 このストは、社会全体に激しい衝撃を与えた。29日早朝に浅草橋でゲリラ戦が闘われたこともあり、杉浦国鉄総裁は、「ゲリラを惹起したストライキに対して、厳正な処分をする」と声明を出した。
 しかし、動労千葉は処分に屈せず、86年2月15日に第2波ストに決起した。2波のストに対し、28人の公労法(公共企業体等労働関係法)解雇(※)をはじめ、大量の処分が下された。国鉄清算事業団送りとなった12人と合わせて40人もの解雇者を出しながら、組織を切り崩されることなく、団結を守り抜いたのだ。
※28人の公労法解雇者は、97年に東京高裁で「全員の解雇撤回」を前提に勝利的に和解した。

 国労修善寺大会

 動労千葉のストは、国労組合員に対しても大きな激励になったに違いない。国労は、86年7月の定期大会で「大胆な妥協」方針を提起するが、同年10月の修善寺臨時大会で、それを否決し、国鉄分割・民営化反対方針を堅持し、新たな執行部を選出した。

 C国鉄改革法23条による国家的不当労働行為の策略

 国鉄改革関連8法は、86年11月28日に国会で成立し、12月9日に公布された。それから87年2月16日の新会社への採用通知まで、わずか2カ月余りだった。
 その過程で、国労、動労千葉などの労働者を不採用にしたのが、国鉄改革法23条による「一旦全員解雇・選別再採用」という仕組みである。これこそ、前代未聞の国家的不当労働行為を可能にした極悪の法律である。

 派遣法制定と一体で雇用破壊進めた悪法

 これは、同時期に制定された労働者派遣法(85年成立、86年施行)と一体で、戦後労働法制を根底から覆す暴挙である。派遣法は、それまで職業安定法で禁止されていた労働者供給事業を業種を限って(制定当時は13業種・現在は原則自由化)解禁し、雇用破壊・非正規職化を進めた悪法である。〔偽装請負という考え方は、この派遣法制定に伴い、事実上の派遣が請負として無制限に行われることに規制をかけたものだ〕

 国鉄とJRは「別法人」という虚構をつくった

 国鉄改革法23条は別掲のように、「国鉄がJRに採用される候補者の名簿を作成、これに基づきJR設立委員が採用を通知する」と定められている。「国鉄とJRは別法人」という虚構の下に、採用をめぐる国鉄とJRの権限を書き分けることで選別採用の仕組みをつくり、不当解雇・不当労働行為の責任がJRに及ばないとしたのだ。

 労働委員会命令を覆した裁判所

 しかし、国労などの採用差別事件の地方労働委員会の命令は、「国鉄とJRは実質的に同一」として、不当労働行為を認定し、「全員をJRに採用されたものとして扱え」という命令を出した。
 中央労働委員会では、「国鉄はJR(設立委員)の補助機関」だとして、JRの使用者責任を認めたが、不当労働行為については一部に限り、国労組合員の採用・再選考を行うよう求める命令だった。
 これらを全面的に転覆したのが、98年の5・28東京地裁判決だった。民事第11部(萩尾保繁裁判長)は、JRは採用候補者選定作業を支配・決定することはできなかった、国鉄とJRとが実質的に同一であるとは言えない、などとし、中労委や国労の主張を退け、JRに責任はないとした。また、民事第19部(高世三郎裁判長)も、中労委の命令を取り消した。

 最高裁では3対2

 裁判所の判断を確定したのが、2003年12月22日の最高裁第一小法廷(深沢武久裁判長)の上告棄却の判決である。判決は、「国鉄改革法はJR成立時の職員採用手続の各段階における国鉄と設立委員の権限を明確に分離して規定しており、国鉄(国鉄清算事業団)が労働組合法7条にいう『使用者』として不当労働行為の責任を負うのであって、JR各社はその責任を負わない」とした。
ただし、これは3対2のぎりぎりの多数意見であり、深沢裁判長と後に最高裁長官になる島田仁郎裁判官が反対し、「採用手続の各段階における作業は……すべて設立委員の提示する採用の基準に従った承継法人の職員採用に向けられた一連の一体的なもの」「採用手続過程において国鉄に不当労働行為があったときは、設立委員ひいては承継法人が労働組合法7条の『使用者』として不当労働行為責任を負うことは免れない」として、不当労働行為についてさらに審理させるために差し戻すべきだ、との意見を出した。
次節で見るように、国労が「JRに法的責任なし」を認めるようなことがなければ、判断は逆転した可能性もあったと言えるのだ。
いずれにしても、国鉄改革法23条が焦点である。この虚構を打ち砕くことで、必ず解雇撤回・JR復帰をかちとることができる。

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 ●国鉄改革法23条は、葛西らと最高裁から出向した江見が共謀してつくった

 

国鉄分割・民営化当時、国鉄職員局次長で現・JR東海会長の葛西敬之は、著書『国鉄改革の真実』で国鉄改革法23条を作った経緯について次のように書いている。
「どうやったら職員をJR各社と国鉄清算事業団へ『振り分け』ることができるのかという難題……を見事に解決しくれたのが、法務課の法律専門家(※)だった。……『……本人が会社を選ぶのです。国鉄は設立委員会の依頼を受けて採用事務の手伝いをする。具体的には設立委員会の示す採用基準に基づいて希望者に推薦順位をつけ、その名簿を出せばよい。国鉄総裁が「お前は東海、お前は東日本に行け」などと命令を下して、それが「憲法に保障されている職業選択の自由に違反しているのではないか」と訴えられたら、命じた方が負ける。唯一の方法は、「国鉄イコール国鉄清算事業団」であり、「新しい会社は名実ともに新設の法人である」という仕組みしかありません』というのが彼の意見だった。その案を聞いたときに、目からウロコが落ちたように、『ああ、そういうことなのだ』と思った」
※法律専門家とは、最高裁調査官から国鉄総裁室法務課に出向していた江見弘武である。江見は現在、JR東海の常勤監査役を務めており、まさに葛西の盟友である。江見は、2010年4月、「(JR不採用問題について)大きな誤算だった」と共同通信の取材で述べている。

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 ●「国鉄改革法23条」の骨子

(第1項)設立委員が、国鉄を通じ、その職員に対し、労働条件及び職員採用の基準を提示して職員の募集を行う。
(第2項)国鉄が、職員の意思を確認し、設立委員から提示された採用の基準に従い、採用候補者の選定をした上、採用候補者名簿を作成して設立委員に提出する。
(第3項)名簿に記載された国鉄職員のうち、設立委員等から採用通知を受けたものが当該承継法人の職員として採用される。(第4〜7項略)

 D1047名闘争の開始と国労の「和解路線」との闘い

 

ここで、そもそも1047名闘争がどのように始まり、どう展開していったのかをあらためて振り返る。
すでに述べたように、10
47名闘争とは、国鉄分割・民営化でJR不採用になり、90年4月1日をもって清算事業団からも解雇(二度目の解雇)された1047名の解雇撤回・JR復帰を目指す闘いである。
国労は、86年の修善寺大会で分割・民営化反対は堅持するが、結局、国家権力と一戦も交えることなく、分割・民営化を迎えた。だが、清算事業団送りにされた労働者のうち1千名近くの労働者が清算事業団にとどまり、各地の地労委での勝利命令にも励まされ、不屈に闘っていた。

(写真 闘争団を先頭とする組合員が演壇を占拠し休会になった国労臨時大会【2000年7月1日 社会文化会館】)

 1047名闘争は動労千葉のストが生み出した

 こうした中で国労は、89年6月の臨時大会で「全面一括解決要求」路線を決定する。これはあくまでも国家的不当労働行為を追及するのではなく、採用差別問題から75年スト権ストに対する202億円損害賠償問題まで一括して中労委の場で和解解決しようというものだ。そして、90年4月が目前になると、社会党の田辺書記長と自民党、労働大臣、運輸大臣は、「いったんJRに復職させて、同日付で退職する」という形で和解決着させようとしていた。
 こうした策動を完全に吹き飛ばしたのが、「清算事業団解雇粉砕」を掲げた動労千葉の90年3月18〜21日の84時間ストだった。国労も19日からストを構えていたが、それは和解策動の圧力としてしか位置づけられていなかった。しかし、動労千葉が半日前倒しでストに突入したため、その威力は大きく、国労も72時間ストを貫徹せざるを得なかった。その結果として、104
7名が清算事業団から解雇され、1047名闘争が始まったのだ。つまり、動労千葉の闘いが1047名闘争を生み出したのである。

 100万の支援陣形

 国労闘争団は、物販や様々な事業を営み、自活体制を整えて長期の闘いも辞さず闘い抜く決意を固めていた。その闘いは、89年の総評解散―連合結成という右翼労戦統一にもかかわらず、連合傘下の自治労、日教組などをはじめ100万人とも言われる支援陣形を生み出し、連合化の完成を阻み続けた。闘争団こそ「国労の宝」であり、その勝利の中に日本労働運動の再生があるという確信があった。
 その一方、国労本部の協会派と革同の指導部は、「和解路線」を突き進み、98年5・28反動判決が出されると、全面屈服の道をひた走る。〔この5・28判決への怒りが結びついて、関西生コン支部、港合同、動労千葉の3労組共闘による11月集会が始まった〕

 「4党合意」で「JRに責任なし」を承認

 98年8月の国労大会に、突如、宮坂書記長が「補強5項目」を出した。それは国鉄改革法承認、不当労働行為事件の提訴取り下げ、国労の名称・組織のあり方の「検討」まで含むもので、さすがにこの大会では通らなかったが、翌99年3月の大会で、国鉄改革法承認だけが強行採決される。
 さらに翌2000年5月29日に、「4党合意」が登場する。与党3党(自民・公明・保守)プラス社民党の合意だ。翌30日は国労執行部が高橋委員長の反対を押し切って、受諾を決定する。その中身は、 「人道的観点」から解決を検討するとして、「JRに法的責任がないことを国労が認め、大会で承認する」ことが前提条件とされ、「与党はJRに対し、組合員の雇用の検討を求める」「社民党は国労に対し、国鉄関連の訴訟取り下げを求める 」「与党と社民党とで、和解金の位置付けや額などを検討する」というものだ。
 これを承認するために開かれた7月1日の臨時大会では、闘争団とその家族の怒りが爆発して、演壇占拠によって議事は中断した。国労再生への歴史的壮挙≠セった。
 だが、その後、8月、10月の大会を経て、01年1月27日の臨時大会で、機動隊が包囲する異常事態の中で強行採決されたのだ。

 闘う闘争団の結成

 しかし、「4党合意」に反対する多くの闘争団員が「闘う闘争団」を結成し、国鉄闘争共闘会議という新しい支援陣形もできて、不屈の闘いを展開する。国家権力は、業を煮やし、反対派を抑え込めと迫り、これに押される形で、国労本部は02年に入ると、4党合意に反対する闘争団員を除名処分するための査問委員会を設置する。そして5月27日の臨時大会で、闘う闘争団の査問委送致を決定した。

 5・27臨大闘争弾圧

 この臨時大会の暴挙に反対して宿舎でビラまき・説得活動を行った国労共闘に結集する国労組合員らを、国家権力は10月になって逮捕し、闘争団員を含む8人を暴力行為処罰法(暴処法)という戦前来の治安弾圧法を適用して起訴した。これが国労5・27臨時大会闘争弾圧である。闘う闘争団と国労共闘がともに闘うことへの国家権力の恐怖の現れである。
 この裁判では、次節で見る「4者4団体」の和解に応じた1人の闘争団員が脱落するが、09年11月の一審判決では、検察が「中核派による暴力事件の首謀者」と描き出した国鉄闘争支援者の無罪をかちとり、暴処法の適用も粉砕し、6人の組合員については「暴行で罰金刑」となった。この裁判は、13年1月18日の最高裁上告棄却決定をもって終わるが、国労再生への重要な裁判闘争として闘われた。

 鉄建公団訴訟の開始と「4党合意」の破産

 さて、5・27臨時大会に先立って、闘う闘争団は02年1月、国鉄清算事業団を引き継いだ鉄建公団を相手に新たな訴訟を提起する。この訴訟は、清算事業団による解雇を撤回させ、JR復帰の足がかりにしようというものだ。
 こうした中で、02年12月には与党3党が「4党合意」からの離脱を表明し、「4党合意」は完全に破産するのだ。

 E10年「4・9政治和解」に抗し国鉄闘争全国運動が発展

(写真 国労、全動労、動労千葉の被解雇者が揃ったJR採用差別事件の勝利解決を目指す総決起集会【06年2月16日】)

 動労千葉も含めた「1047連絡会」

 闘う国労闘争団の鉄建公団訴訟に続いて、動労千葉争議団も鉄建公団訴訟を04年12月24日に提起し、裁判が始まった。全動労争議団も同様の訴訟を提起したことで、国労、全動労、動労千葉の3労組が足並みを揃え、ともに闘おうという機運が盛り上がった。
 06年2月16日、「JR採用差別事件の勝利解決を目指す総決起集会」が日本教育会館に2500人を集めて大成功した。そして3闘争団・争議団を糾合した「1047連絡会」が結成される。これは、国鉄闘争に心を寄せる多くの労働者たちが望んだことでもあった。

 4者4団体が「解雇撤回」なき申し入れ

 だが、国労本部などは、動労千葉には何の相談もなく、4者4団体(※)として、「解雇撤回」要求を消し去った申し入れ書を、鉄建公団を引き継ぐ鉄道運輸機構に提出した。彼らは、解雇撤回をあくまでも掲げる動労千葉を排除したかったのだ。
 この4者4団体の「和解路線」の根拠になっているのが05年9月15日の鉄建公団訴訟の東京地裁・難波判決だ。この判決は、JRに採用されたかもしれないという「期待権」なる概念を持ち込んで、「慰謝料」として500万円の支払いを鉄道運輸機構に命じたものに過ぎない。
 国労闘争団も当初は、この判決を低額の金銭で解決するものとして批判していたが、いつの間にか、民主党への白紙委任へと「政治解決路線」にのめり込んでいくのだ。
 4者4団体は、「雇用・年金・解決金は譲れない要求」「解決要求を具体的に実現し、一気に解決に持ち込む」などと言いながら、「解雇撤回」の4文字を消し去ったのだ。
 09年3月25日、東京高裁民事第17部(南敏文裁判長)が国労闘争団の鉄建公団の控訴審判決を出すが、それは「慰謝料」を550万円に増額しただけのものでしかない。

 不当労働行為や雇用を争わない「政治解決」

 

10年に入ると、この「政治解決」の動きが一気に進む。4月9日、与党3党(民主・社民・国民新)・公明党と政府が合意文書を交わした。
「原告1人当たり2200
万円の解決金」と報道されたが、実際に闘争団員に支払われるのは、高裁判決の550
万円の慰謝料に利子を加えた額と訴訟費用等だけであり、4者4団体に対して「団体加算金」として総額58億円が支払われるというのだ。これを合わせて「1人当たり2200万円」と言っているに過ぎない。団体加算金とは、4者4団体幹部が解雇撤回を投げ捨てたことへの代償だ。
しかも、合意文書には、「不当労働行為や雇用の存在を二度と争わないこと。したがって、今回の解決金は最終のものであり、今後一切の金銭その他の経済的支援措置は行われないこと」とある。
さらに「政府はJRへの雇用について努力する。ただし、JRによる採用を強制することはできないことから、人数等が希望どおり採用されることは保証できないこと」と言い放った。このような屈辱的な「解決案」の受諾を、国労は4月26日に臨時大会を開いて決定した。そして、6月28日には、最高裁の場で「和解」が成立したのだ。
そして、「雇用問題が解決しなければ闘いは終わらない」と言ってきた4者4団体は11年6月24日、「雇用」のないまま、1047名闘争の終結と解散を宣言した。さらに国労本部は7月の定期大会で組合規約を改定し、闘争団員の組合員資格を奪った。

(写真 和解を拒否して闘う国労闘争団)

 和解を拒否して闘う闘争団員の決起

 しかし、この「和解」を6人の闘争団員が拒否した。そのうち成田昭雄さん(旭川闘争団)、石ア義徳さん(鳥栖闘争団)、羽廣憲さん(小倉闘争団)、小玉忠憲さん(秋田闘争団)の4人が「和解を拒否して闘う国労闘争団」として団結し、闘っている。成田さん、石アさん、羽廣さんの3人は訴訟を継続し、11年6月7日、最高裁で上告棄却となった。小玉さんが原告の鉄道運輸機構訴訟は、13年9月10日、最高裁で上告棄却となった。だが、4人の闘争団員はあくまで不屈だ。
 現在、4人の闘争団員は、国労本部を相手取って、国労組合員資格確認訴訟を闘っている。これは、被解雇者を組合員として、ともに闘うという、本来の労働組合を取り戻す決定的な闘いだ。全力で支援しよう。

 動労千葉が国鉄闘争全国運動を呼びかけ

 10年の「4・9政治和解」が明らかになるや、動労千葉は直ちに新たな国鉄闘争全国運動を立ち上げることを提起し、多くの呼びかけ人により「国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する全国運動」が発足した。「国鉄分割・民営化反対/1047名解雇撤回/新たな全国運動スタート6・13大集会」が東京・文京シビックホールで開かれ、会場を埋める1635人の結集で、ものすごい熱気と高揚の中でかちとられた。「国鉄闘争の火を消すな!」「新自由主義と闘おう!」を合言葉に、大恐慌時代に立ち向かう階級的労働運動の壮大な挑戦が始まった。
 この全国運動の3年間の運動の力が、動労千葉鉄建公団訴訟で東京高裁にも不当労働行為を認定させる判決をかちとる力となったのだ。
 いよいよ最高裁決戦だ。新たな10万筆署名を全力で集め、解雇撤回・JR復帰の判決をもぎり取ろう!

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月刊『国際労働運動』(448号6-1)(2013/12/01)

安倍―葛西を打倒し解雇撤回・JR復帰をかちとろう

 安倍―葛西を打倒し解雇撤回・JR復帰をかちとろう

 @新自由主義の破綻にあえぎ凶暴化する安倍政権とその盟友・葛西を許すな

 世界大恐慌は新自由主義の破綻がもたらしたものだ。
 アメリカもEUも、日本も恐慌対策としての天文学的な規模の財政・金融政策を行った。しかし経済は回復せず、全世界的な財政破綻と政府債務危機を生み出した。
 その象徴がアメリカの債務不履行(デフォルト)問題だ。これがもたらす衝撃は「リーマン・ショックの1千倍」と言われ、米国債とドルの大暴落、大恐慌の全面的・本格的激化を不可避としている。
 世界大恐慌の深化は、帝国主義・大国間の争闘戦の激化をもたらし、戦争の問題が現実のものになってくる。日帝安倍の改憲・戦争の攻撃は、ここから生まれている。
 全世界で労働者の反乱が始まっている。労働者に国境はない。戦争に対して、「万国の労働者、団結せよ」の言葉通りに国際連帯で闘おう。

 ■安倍は凶暴だが脆弱だ

 日本では、「異次元緩和」と称する日銀の超金融緩和政策も、円安の加速とインフレの恐れをもたらすと同時に、国債金利上昇=国債価格急落の危機を生みだしている。それは、国債を大量保有する銀行と利払いの急増を迫られる国家財政の双方の破綻の危機となっていく。
 新自由主義はあらゆる意味で完全に破綻している。
 一つは、福島第一原発事故と膨大な放射能汚染の拡大だ。大量の汚染水の流出は、第2の原発事故と同じだ。
 二つは、新自由主義の本格的突破口となった国鉄分割・民営化の完全な破綻を示した9・25東京高裁判決だ。
 三つは、国鉄分割・民営化の破綻としてのJR北海道の安全崩壊問題の爆発だ。
 労働者の団結を破壊し資本の利潤追求に躍起となってきた新自由主義は、崩壊し始めた。新自由主義にすがりつく安倍政権は、凶暴だが脆弱だ。

 安倍の大反動に怒り

 安倍が「成長戦略実行国会」と位置づける臨時国会が10月15日に召集された。12月6日までの53日間に、超反動法案の数々を成立させようとたくらんでいる。国家安全保障会議設置法案、特定秘密保護法案、産業競争力強化法案、国家公務員制度改革関連法案、社会保障改革プログラム法案、国家戦略特区関連法案、国民投票法改正法案などだ。
 特に秘密保護法は、戦争と治安弾圧に直結する決定的に重大な攻撃だ。民主党や連合の総屈服と改憲勢力化が安倍の攻撃を支えているのだ。
 さらに、集団的自衛権と改憲、TPP(環太平洋経済連携協定)推進、消費大増税、原発再稼働に安倍は死活をかけている。このすべてに労働者人民は怒っている。
 「成長戦略」は徹底した民営化、労組解体、労働規制撤廃=解雇自由化、総非正規職化の攻撃だ。その核心は公務員労働運動解体だ。
 しかし安倍の攻撃は早くも崩れた。何よりも「解雇特区」構想の破産だ。日本経済再生本部は、特区の具体的あり方を示す「国家戦略特区における規制改革事項等の検討方針」を決定したが、労働分野に安倍の意図は盛り込まれなかった。
 昨年行われた労働契約法の改定で、5年以上同一企業に雇われた有期雇用労働者には無期雇用契約への転換権が発生することとされた。安倍はその権利を否定することも優先課題に掲げていたが、これもできなかった。
 所信表明演説で、「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します」「特異な規制や制度を徹底的に取り除き」、「国家戦略特区制度を創設します」とぶち上げた。それも反動的願望に終わった。
 産業競争力会議や規制改革会議は、ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ法)や解雇の金銭解決制度を特区に導入するなど、労働規制解体策を叫び立ててきた。大阪市長の橋下は、大阪市・大阪府合同で労働基準法適用除外の特区を政府に申請した。だが労働規制緩和の多くは見送られた。
 この情勢を切り開いたのは動労千葉鉄建公団訴訟を軸とする国鉄1047名解雇撤回の闘いであることは明白だ。
 安倍は、「成長戦略」として鉄道、原発、水道、医療などのインフラパッケージ輸出に力を入れている。インフラ輸出は、海外権益と勢力圏をめぐる国家と国家の激しい衝突を生みだし、帝国主義戦争をはらんでいる。それで安倍は、国家主義・改憲・戦争の攻撃を激化させている。
 安部は、日米安保強化のため、安保の最大の破綻点である沖縄の辺野古新基地建設の攻撃に全力をあげている。しかし、オスプレイの沖縄配備への怒りがあり、巨大な新基地建設攻撃にはさらに沖縄の怒りがつのっている。
 来年4月からの消費税率8
%への引き上げは社会保障費削減と一体であり、来年度の家計の負担は総額7兆6千億円も増える。その一方で、初年度の実質増税額の5兆円余りの全額が大企業救済の経済対策につぎ込まれ、さらに企業減税が行われる。すべてはブルジョアジーのために、労働者から搾り取るものだ。
 また年金・医療・介護・生活保護などの社会保障の破壊を始めている。

 国際的な孤立化を深める

 安保・外交の領域でも安倍は破産を重ねている。外交的には一番肝心のアメリカ、韓国、中国との間で矛盾とあつれきを深め、帝国主義間・大国間の争闘戦を激化させつつ、争闘戦での敗退を自ら招き寄せている。米帝オバマとまともに首脳会談も開けない安倍の現実は危機的だ。
 また、日韓関係で破綻に次ぐ破綻を重ねていることは、米帝との関係をもきしませている。対中対抗的な新軍事戦略に踏み出した米帝にとって、米日韓体制の構築はその大前提になるからだ。
 10月18日に新藤義孝総務相らが靖国神社参拝を強行したことに対し、米帝は「対話を通じて歴史問題の解決に取り組め」と述べて、日韓・日中関係の修復を安倍に迫った。
 10月3日に開かれた外交・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)は、日米防衛協力指針(ガイドライン)の再改定に着手することで合意したが、自衛隊に敵基地攻撃能力を持たせるという日帝の主張に対して、米帝は黙殺に等しい態度をとり、日帝の独自動向の抑え込みにかかった。
 韓国のパククネ政権は、米帝が日帝の集団的自衛権の行使を容認しているとして、米帝に反発している。
 今や日本の最大の貿易相手国となった中国との関係が緊張していることも致命的だ。新軍事戦略をとる米帝にとっても、対中対決はあくまで米帝の主導のもとに日帝を補完的に動員して進めるべきものであり、日帝が米帝のコントロールを外れて動くことは、けっして容認できない。
 安倍は今、日米同盟堅持を最大の口実にして秘密保護法制定に突進しているが、その実、基本となる日米関係そのものが揺らいでいるのだ。

 ■日帝の急先鋒の葛西

 この安倍の盟友で、日帝ブルジョアジーの急先鋒として登場しているのが葛西敬之だ。葛西は国鉄分割・民営化で労働者を大量解雇し労組を解体した功績で、ブルジョアジーの中枢に成り上がった。
 何よりもJRは、安倍の成長戦略の柱をなす鉄道インフラ輸出を担い、日帝の海外侵略の先兵になっている。さらに福島圧殺のため、常磐線の延伸を積極的に推進して、安全キャンペーンを張り、避難者の帰還を促進している。国と東電と一体となった国策を遂行している。そして葛西はリニア新幹線で、日帝の絶望的な延命を図ろうとしている。その意味でも葛西は、日帝の中枢に成り上がった。
 安倍の私的諮問機関「安保法制懇」の中心メンバーでもある。

 「不当労働行為はうまくやる」とカクマルに放言

 国鉄分割・民営化攻撃において、国鉄の内部から中曽根と一体となって攻撃を進めたのが葛西敬之(当時の国鉄職員局次長、現・JR東海会長)ら「改革3人組」だった。
 86年5月、カクマルが牛耳る動労新幹線各支部三役会議で葛西は、こうあいさつした。
 「不当労働行為をやれば法律で禁止されていますので、私は不当労働行為をやらないということで、つまり、やらないということは、うまくやるということでありまして」
 葛西は、国労と動労千葉の組合員を採用名簿から排除するようにとのカクマルの要求に応え、JR設立委員長だった斎藤英四郎(当時の経団連会長、新日鉄会長)の直接の指示で、87年2月初めに国労や動労千葉の組合員を排除する採用基準を作成した。葛西は「不当労働行為をうまく」やり、井手正敬(国鉄総裁室長=当時)は「選考基準は不当労働行為といわれないギリギリの線で葛西君が案をつくった」と証言している。

 社会保険庁の首切りも

 葛西は、組合つぶしの「功績」を買われて国鉄分割・民営化後、JR東海の社長―会長となった。06年には国家公安委員に就任し、翌07年には「年金業務・社会保険庁等監視委員会」委員長となり、国鉄とそっくりの「一旦全員解雇・選別再雇用」の仕組みをつくり、500人を超える社保庁労働者の首を切った。社保庁労働者首切りの元凶も葛西なのだ。

 原発を再稼働せよと叫び

 産経新聞9月30日付で葛西は、原発再稼働の必要を叫び、「原発に反対する勢力による規制委員への心理的な圧迫や一部メディアの情緒的な報道姿勢を考えると、(再稼働は)安心はできない」と、反原発闘争への恐怖と憎悪をあらわにしている。
 また「放射能による直接的な死亡者はいなかった」「火力発電に伴う死亡者はその千倍」「火力発電よりはるかに安全な原発」「1_シーベルト基準は過剰」「廃棄物も原発の方が少ない」というとんでもないことを言っている。
 原発は安全だとウソをついてきた御用学者が、今度は大惨事を起こした原発が火力発電より安全だと新しいウソをついている。原発を推進する葛西はそうした御用学者のウソにのっかっているのだ。破廉恥だ。もうお前たちがどうしようもないウソつきだということは分かっているのだ。
 1_シーベルト以下の除染基準は、福島圧殺を狙う避難民の帰還をめぐって、政府・東電と福島県民の闘いの攻防になっているところだ。20_シーベルトで安全という攻撃を粉砕しなければならない。

 戦争狙う秘密保護法

 また読売新聞10月6日付で葛西は、特定秘密保護法案の早期制定を主張している。葛西はここでも「法案の画期的な点は敗戦以来初めて、公務員は『国家』『国益』『国民』のために存在、機能するという位置づけがなされたこと」と主張し、階級的労働運動、公務員労働運動への憎悪をあらわにしている。
 これは国家に忠実でない公務員の首を切り、労組を解体し、改憲と戦争に動員するということだ。
 さらに「主権国家こそが国際的政治単位」「日本は米国と等質の貢献」という言葉に象徴されるように、米帝と対等な日米同盟を主張している。それにふさわしい「標準装備」として、つまり戦争ができる体制として「集団的自衛権に関する憲法解釈を正す」、日本版NSC,秘密保護法制定を要求している。

 安倍を持ち上げる

 

さらに『Voice』11月号では「安倍総理以上に今の『危機の時代』にふさわしいリーダーはいない」などと最大限に安倍を持ち上げ、反動的な「教育再生」、対中対決の立場からのTPP推進と日米同盟強化を主張している。
葛西は、労働者階級の団結した力と闘いを心底から恐れているのだ。こんな葛西が、まるで支配階級のリーダー然として振る舞っているところに、日帝支配階級と安倍政権のどうしようもない危機が示されている。
国鉄決戦と階級的労働運動の前進で安倍・葛西を打倒しよう。

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 ■社保庁の国鉄型解雇、24人の免職取り消し

 09年末の社会保険庁解体・民営化による525人の分限免職処分=解雇に対して、人事院闘争を続けてきた71人中24人の免職処分取り消しの判定が10月24日までに出された。これは国鉄分割・民営化型の一旦全員解雇・選別採用・非正規職化の不当性を示している。

 A関生支部・港合同・動労千葉の3労組共闘と国鉄闘争全国運動を発展させよう

 今こそ闘う労働組合を全国の職場に!

 11・3全国労働者総決起集会は、「今こそ闘う労働組合を全国の職場に!」という一つの目的のために5600人を結集して大成功した。この集会は、1047名闘争に対する98年5・28反動判決に対する怒りと危機感で結合した、関西生コン支部・港合同・動労千葉の3労組共闘が呼びかけた11月労働者集会として16回目を数える。国鉄闘争の原則的な闘いとその前進、日本労働運動の変革をかけて「闘う労働組合の全国ネットワークをつくろう」と訴えて開催されてきたのである。
 3労組は、それぞれの特色を生かした階級的労働運動を推し進めてきた。
 武建一委員長の下で生コン業界および全労働者の年間所得を上回る賃金や労基法を上回る労働条件をかちとってきた関西生コン支部は、大恐慌下の建設不況を「資本の側が弱っているのだから労働者にとってはチャンスだ」ととらえて、百数十日に及ぶ産業ゼネストをぶち抜きゼネコンを屈服させた。この闘いは、大恐慌下での階級的労働運動の可能性を指し示している。しかも大弾圧をはね返し、日本共産党の「反社会的勢力だ」という攻撃を打ち破り、組織拡大を実現している。
 故大和田幸治事務局長を先頭として港合同が実現してきた闘いも、この時代にますます輝いている。中小零細企業に働く労働者が、使用者概念をも拡大して徹底的に資本との対決を貫く中で、経営をも蚕食していくほどの力を持つ「自覚的団結」を形成し、地域を一つの労働組合のように組織した闘いは、階級的団結についての比類のない最も深い思想に基づいている。この10月には中村吉政委員長体制を確立し、その強化・発展に向けて邁進している。
 故中野洋前委員長の下で「闘えば組合は分裂する」「反合理化闘争を本当に闘った歴史はない」という戦後労働運動を乗り越えて、反合・運転保安闘争路線を確立し、動労本部カクマルとの組織争闘戦に勝ち抜いて分離・独立を果たした動労千葉は、国鉄分割・民営化に唯一ストライキで反撃した。そして今、田中康宏委員長を先頭に、「解雇撤回・JR復帰」「外注化阻止・非正規職撤廃」の路線で闘い抜いている。
 この3労組の闘いに学び、自らの職場に闘う労働組合をつくるために奮闘しよう。

 国鉄闘争の火をさらに大きく!

 

2010年の「4・9政治和解」による1047名闘争終結策動に抗してスタートした国鉄闘争全国運動は、動労千葉の鉄建公団訴訟を通して、すべてが国家的不当労働行為だった「国鉄改革の真実」を暴き出し、最高裁決戦に向けて新たな10万筆署名運動を呼びかけている。この運動は、国鉄・郵政・自治体・教育の4大産別をはじめ、民営化・外注化・非正規職化・国鉄型解雇と闘う労働組合を甦らせる力となる。「動労千葉を支援する会」と「共に闘う国労の会」を発展させよう。

(写真 動労千葉の田中委員長【右)、長田書記長【左)を先頭に進む3労組と民主労総などのデモ隊【11月3日 銀座】)

 14年国鉄決戦の爆発をかちとりプロレタリア革命の道を切り開こう

 革共同の『綱領草案』

 革命的共産主義者同盟(革共同)は2009年秋に『綱領草案』を採択した。その中で「労働組合の革命的役割」を次のように規定した。
 「この党建設は、資本との絶対非和解を貫く労働者階級の階級的団結の形成を一切の軸にすえて闘う中でこそかちとられる。現代においては、何よりも、闘う労働組合をよみがえらせることと一体で形成・確立される」
 「こうした党を建設し、労働者階級の革命的な階級形成をかちとっていく上で最も重要なことは、労働組合の存在と役割である。労働組合の革命的役割を復権することこそ、マルクス主義をよみがえらせる闘いの核心である」
 「労働組合は、労働者が団結して資本と闘う武器であり、労働者階級の最も基礎的な団結形態である。第1インターナショナルの決議『労働組合、その過去・現在・未来』は、『労働組合は、資本と労働のあいだのゲリラ戦のために必要なのであるが、賃労働制度そのものと資本の支配を廃止するための組織された力としてより一層重要である』と提起した。すなわち、労働組合は、党の闘いを媒介として、職場生産点における資本との日常的な闘いをとおして個々の労働者を階級として団結させ、革命の主体として打ち鍛える『社会主義の学校』(マルクス)である」
 党と労働組合の一体的建設の提起である。

 レーニンの提起

 レーニンは、世界革命の実現に向けた執念の書としての『共産主義における左翼空論主義』において、党と労働組合の関係を次のように提起した。「労働組合を通じる以外に、労働組合と労働者階級の党の相互作用を通じる以外に、世界のどこにもプロレタリアートの発展は起こらなかったし、起こることもできなかった」「日和見主義と社会排外主義の度しがたい指導部の信用を完全に失墜させ、労働組合運動の中から追い出すまで必ず闘争を推し進めなければならない。この闘争がある程度まで進まないうちは政治権力を取ることはできない」と。

 国鉄決戦の基軸的位置

 革共同は、マルクス、レーニンの革命的労働組合論を踏まえ、「国鉄決戦と反原発・反失業でプロレタリア革命を切り開け」(12年1・1アピール)、「外注化阻止・非正規職撤廃でプロレタリア革命の勝利開け」(13年1・1アピール)と提起した。
 なぜ「国鉄決戦で革命を」なのか。それは第一に、日本の戦後労働運動において国鉄労働運動が基軸的位置を占めてきたからである。
 敗戦後の日本は、次々と労働組合が結成され、「戦後革命期」というべき時期だった。その中で結成された産別会議は日本共産党が指導的位置にあった。国労は46年2月に国鉄総連合として結成される。そして47年の2・1ゼネストが準備されるが、中心は官公労働者で、「飢餓賃金突破」から「吉田内閣打倒」へと突き進む。その中心を国労と全逓が担う。だが、アメリカ占領軍、GHQの圧力によってストは中止に追い込まれる。日本共産党が屈服したのだ。その直後に日経連が発足し、労働運動弾圧を開始する。
 それに呼応する形で労働組合運動の分裂が始まる。その先端を担うのが産別民主化同盟、国鉄反共連盟だった。48年、マッカーサー書簡を受けて政令二〇一号が公布・施行される。これで、官公労働者、国労も全逓も自治労もストを禁止される。公務員法が改悪され、公労法が公布される。翌49年には定員法による国鉄9万5千人をはじめとした首切り攻撃が襲いかかる。
 50年6月には朝鮮戦争が勃発し、7月に総評が結成される。明らかにGHQの肝いりであり、総評結成大会の方針は「国連軍支持」だった。ところが総評は51年には「ニワトリからアヒルへ」と言われる左転換をする。そのポイントとなったのが国労新潟大会だった。社会党は左派が握り、「平和四原則」を採択する。これを受けて、国労内の民同左派が「愛国労働運動」派を破り、「平和四原則」を採択する。これがその後の総評を中心とした労働運動の高揚をもたらすのだ。
 革命的左翼の誕生に大きな影響を与えた57年国鉄新潟闘争、60年安保闘争と三井三池闘争、64年4・17スト、70年安保・沖縄闘争と一体で闘われ勝利した国鉄反マル生闘争、75年スト権ストなどが、国鉄を軸に闘われる。その過程は、右翼労戦統一の流れの中で総評労働運動が限界にぶち当たる過程でもある。
 民同や共産党の路線は完全に行き詰まった。この時、カクマルのように資本の先兵となって生き残る道を選ぶのか、あくまでも資本と真っ向から闘うのかが問われた。動労千葉は断固闘って団結する道を選び、反合・運転保安闘争を確立し、国鉄分割・民営化反対闘争に決起したのだ。

 新自由主義に引導渡す

 第二に、その国鉄労働運動を解体するために仕掛けられた国鉄分割・民営化攻撃が日本における新自由主義攻撃の始まりであり、今現在の「解雇撤回・JR復帰」の闘いは、国鉄分割・民営化に決着をつけ、破綻する新自由主義に引導を渡す闘いだからである。
 第三に、国鉄決戦の中で打ち立てられた「外注化阻止・非正規職撤廃」のスローガンは、新自由主義と闘う全世界の労働者階級の共通のものとなっているということだ。
 国際連帯がなければ、プロレタリア世界革命は不可能だ。3労組共闘の11月集会が実現している韓国・民主労総などとの国際連帯の広がりは、「世界単一の労働者党」の展望をも指し示している。
 以上、国鉄決戦の革命的な意義について明らかにしてきた。最後に、全国・全世界の労働者が闘う労働組合をつくり出すとともに、青年労働者を先頭に革共同に結集し、ともにプロレタリア世界革命に向かって闘う労働者党を建設することを呼びかける。

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月刊『国際労働運動』(448号7-1)(2013/12/01)

■葛西語録

 葛西敬之職員局次長発言

  1986年5月21日当時。 動労新幹線各支部三役会議

 ▼不当労働行為をうまくやる

 「分割・民営化を遅らせれば自然に展望が開けるという理論を展開してる人達がいる。国労の山崎委員長です。私は、これから、山崎の腹をブン殴ってやろうとおもっています。……不当労働行為をやれば法律で禁止されていますので、私は不当労働行為をやらないという時点で、つまり、やらないということはうまくやるということでありまして……」

 原発再稼働

 2013年9月30日産経新聞

 ▼再稼働安心できない

 「年明けに稼働が期待されるが、原発に反対する勢力による規制委員への心理的な圧迫や一部メディアの情緒的な報道姿勢を考えると安心できない」

 ▼原発は不可欠

 「当時、日本は地震、津波、原発事故に恐慌を来し、『放射能が怖い、原発は嫌だ』という心理状態に満ちていた。この時こそ政府は一歩踏み込んで、日本経済の生き残りに原発は不可欠だと説くべきだった」

 ▼火力より原発の方が安全

 「チェルノブイリで、即死者は31人であった。火力発電に伴う死亡者はその千倍強に及ぶとされる」「火力発電よりはるかに安全な原発を速やかに稼働すべきではないか」

 ▼1_シーベルト基準は過剰

 「1_シーベルトの除染基準は過剰である」

 ▼廃棄物も原発の方が少ない

 「使用済み燃料の処理が不可能だとの理由で原発反対を唱える声を聞くが、放射性廃棄物の発生量は火力発電に比べ遥かに少なく」

  秘密保護法案

 2013年10月6日読売新聞

 ▼主権国家が原単位

 「米国もかつての圧倒的な経済力、財政力と燃えるような使命感の輝きを失ったかに見える。変わらないのは主権国家こそが国際政治の原単位であり」

 ▼TTPと日米同盟

 「日米同盟はこの基盤(TPP)に立つことで一層強固になる」
▼日本は米国と等質の貢献
 「冷戦下の日本は米国の抑止力に自国の安全保障を依存して経済成長を遂げてきた。しかし、その時代は終わった。いまや日本は米国と等質の貢献を求められる同盟国である」

 ▼主権国家の「標準装備」

 「そのためには主権国家としての必需の『標準装備』を備えなければならない。集団的自衛権に関する憲法解釈を正すことは不可欠だ。外交・安全保障政策の司令塔として国家安全保障会議の創設も、また必須である」

 ▼秘密保護法/国家のための公務員を明確化

 「この法案の画期的な点は2点。その第1は、敗戦以来、初めて、公務員は『国家』『国益』『国民』のために存在、機能するという位置づけがなされたことである」

 ▼公務員を徹底調査

 「さらに画期的なのは『適性評価』の導入である。機密を漏らす危険性があるかどうかを調査し、その危険性がないと判断された人にのみ機密情報に対するアクセス権を与え、漏洩するリスクを可能な限り低減させようとする制度である」

 安倍は世論に媚びない 

月刊「ボイス」13年11月号

「日本の政治を見渡したとき、安倍総理以上にいまの『危機の時代』にふさわしいリーダーはいないと思います。総理には確固たる国家感、歴史観がある。背骨がしっかりしていますから、世論や海外に媚びたり、へつらうことがない」

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月刊『国際労働運動』(448号8-1)(2013/12/01)

動労千葉・鉄建公団訴訟、解雇撤回・JR復帰の判決を求める新たな最高裁判所署名運動の呼びかけ

2013年9月27日
国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する全国運動

 私たちは、解雇撤回・JR復帰の判決を求める東京高等裁判所署名運動を呼びかけてきました。多くの皆さんのご支援のもと4万4327筆(うち団体署名361筆)の署名を集めることができ、4度の提出行動を行って東京高等裁判所第12民事部(難波裁判長)に突きつけることができました。心より御礼申し上げます。
 動労千葉・鉄建公団訴訟控訴審は9月25日に判決日を迎えました。難波裁判長は、名簿不記載基準をつくって採用候補者名簿から排除したことが不当労働行為であることを一審に引き続き認めざるを得ませんでした。この間の経緯を見れば、国鉄分割・民営化に反対する闘いをすべて切って捨てることが難波裁判長の「使命」であったはずです。一審判決を下した白石裁判長は突如として左遷され、同じく解雇撤回を闘う国労闘争団の裁判では白石裁判長の下した判決内容を一つ一つ否定した判決が確定させられています。さらに、難波裁判長自身が他の裁判において、「停職6ヵ月または2回以上」という名簿不記載基準を合理的として、全ての請求を棄却する判決を下ろしてさえいます。
 この中で、難波裁判長に不当労働行為を認めさせたことは、この「国鉄改革法に触れるものは許さない」という国家的意志による攻撃を、私たちの運動の力で押し返したことによる勝利です。署名運動への多大なるご協力が大きな力となる中で、この勝利を勝ち取ることができたのです。
 しかし、この判決は国鉄改革法の枠組みを何としても守り、解雇撤回・JR復帰だけは認めないという許し難い反動判決でもあります。そして、それゆえに矛盾に満ち満ちています。
 私たちは裁判の中で国鉄分割・民営化が国家的不当労働行為であったことを完全に暴き出す証拠を見つけ出しました。「国鉄改革前後の労務政策の内幕」なる座談会(2000年9月1日)で、「国鉄改革三人組」の一人であった井手正敬(元JR西日本社長)が、国鉄分割・民営化の隠された真実を語っています。JR設立委員会と国鉄は、選考基準、名簿の作成、不採用基準による選別にいたる全過程で、綿密に打ち合わせながら完全に一体となって進めていたのです。斎藤英四郎設立委員会委員長が葛西らに選考基準作成を直接命じてさえいます。「国鉄とJRは全く別法人」「採用候補者名簿を作成したのは旧国鉄であり、不採用の責任はJRに及ばない」という嘘とペテンは完全に暴き出されているのです。これだけの事実が明らかになれば、結論は解雇撤回・JR復帰以外にあり得ないはずです。
 私たちの闘いは、ギリギリと裁判所を追い詰め、ついに国鉄分割・民営化攻撃、国鉄改革法の破綻を暴き出しています。あと一歩で解雇撤回を勝ち取るところまできているのです。
 これまで国鉄方式の解雇や非正規雇用化の嵐が吹き荒れ、千数百万人の労働者が非正規雇用に突き落とされました。労働者の権利は奪われ、労働組合運動は後退してきました。安倍政権は、労働規制をさらに緩和して全労働者の非正規職化、社会全体を覆う民営化をやろうとしています。そのすべての土台が国鉄分割・民営化です。だからこそ、どんな壁も突き破り絶対に解雇撤回を勝ちとらなくてはなりません。
 私たちは解雇撤回・JR復帰を勝ち取るまで闘い抜く決意のもと、新たな最高裁判所への署名運動を呼びかけます。高裁署名運動に引き続き、新たな署名運動への多くの皆さんのご支援・ご協力を呼びかけます。

(連絡先)国鉄千葉動力車労働組合 〒260―0017 千葉市中央区要町2―8 DC会館
電話 043(222)7207 FAX 043(224)7197
メール doro-chiba@doro-chiba.org

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月刊『国際労働運動』(448号9-1)(2013/12/01)

■国鉄決戦年表


1981年3月 第2臨時行政調査会発足

1982年3月 第2臨調、「国鉄分割・民営化20万人体制」の答申

1983年1月 中曽根、「戦後政治の総決算」発言

1985年
 10月 「国鉄改革のための基本方針」決定
 11月 動労千葉、第1波24時間ストライキ
    男女雇用機会均等法、労働者派遣法成立

1986年
 2月 動労千葉、第2波ストライキ
 7月 全国1010カ所に人材活用センター設置
 10月 国労修善寺大会、「大胆な妥協」方針を否決、分割・民営化反対決議
 11月28日 国鉄改革法などが成立

1987年
 2月2日 鉄道労連(現JR総連)結成大会で「国鉄改革に反対する不良職員を採用するな」と特別決議
  この頃、国鉄がJR採用候補者名簿策定
 2月16日 JRへの採用、不採用が振り分け
 4月1日 JR発足、JRに採用されなかった
  7628人が国鉄清算事業団に送られた

1990年
 3月 動労千葉、国労がストライキ
 4月1日 国鉄清算事業団が1047名を解雇
  1047名の解雇撤回闘争が始まる

1993年12月 中央労働委員会、採用差別で命令

1995年5月 日経連「新時代の『日本的経営』」(プロジェクト報告)発表

1998年5月28日 東京地裁が1047名解雇撤回について「JRに責任なし」の反動判決
 11月 関西生コン、港合同、動労千葉の3労組呼びかけで労働者集会開く

2000年
 5月30日 国労本部が「4党合意」受諾
 7月1日  国労臨時大会で「4党合意」阻止

2001年1月27日 機動隊包囲下の国労大会で「4
  党合意」受諾を強行決定

2002年1月28日 国労闘争団の鉄建公団訴訟開始
 5月27日 国労臨時大会、闘争団を査問委送致
 10月 5・27臨時大会闘争を口実に不当弾圧

2003年12月22日 最高裁が「JRに責任なし」の反動判決を確定

2004年
 11月30日 国労闘争団の鉄道運輸機構訴訟始まる
 12月24日 動労千葉の鉄建公団訴訟始まる

2005年9月15日 鉄建公団訴訟の一審判決

2006年
 2月16日 国労闘争団、動労千葉などが「1047連絡会」結成
 9月16日 4者4団体、鉄道運輸機構に提出した要求書から解雇撤回の項目を削除し屈服方針を明確化し、動労千葉を排除

2009年12月16日 動労千葉鉄建公団訴訟で伊藤嘉道証人が不当労働行為を認める重大証言

2010年
 4月9日 4者4団体が政治和解案を受諾
 6月13日 国鉄闘争全国運動が発足
 6月28日 4者4団体が最高裁で和解

2011年
 3月11日 東日本大震災、福島第1原発事故
 6月7日  和解を拒否した国労闘争団3人の鉄
  建公団訴訟で最高裁が上告棄却の反動決定
 7月2日 国労大会で闘争団員の組合員資格剥奪を決定
 10月8、13日 動労水戸、被曝労働拒否でスト
 11月24日 国労組合員資格確認訴訟始まる

2012年
 1月10日 動労千葉、京葉車両センターで外注化阻止のスト
 6月〜 原発再稼働阻止の官邸・国会行動が高揚、数万〜数十万人の規模
 6月29日 動労千葉鉄建公団訴訟の一審反動判決(白石判決)、不当労働行為認定
 7月30日 動労水戸、除染作業強制に抗議スト
 8月28日 動労総連合、強制出向粉砕・偽装請負弾劾の24時間スト
 9月26日 動労水戸、出向通知に怒りのスト
 10月1〜5日 動労千葉、検修・構内業務外注化−強制出向粉砕! 偽装請負粉砕へスト
 12月26日 動労総連合 強制出向は無効だ¢g合員53人が東京地裁に提訴

2013年
 3月1日 動労千葉、強制出向粉砕へ春闘第1波スト
 3月14〜17日 動労千葉、春闘第2波スト
 3月26日 動労水戸、被曝車両K544の運行作業指示に抗議しストライキで阻止
 7月16日 動労水戸、K544の運用許さない、交番検査強行粉砕のスト
 7月18日 国労郡山工場支部、K544の全般検査めぐる3週間闘争
 9月10日 国労秋田闘争団の小玉忠憲さんが原告の鉄道運輸機構訴訟で最高裁が上告棄却
 9月25日 動労千葉鉄建公団訴訟の2審反動判決(難波判決)、不当労働行為を認定

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