2009年12月21日

新証拠で無実は鮮明に(星野再審)

週刊『前進』06頁(2421号6面2)(2009/12/21)

新証拠で無実は鮮明に

 破損ない鉄パイプ①東急本店前の星野同志

 写真1(弁16号証)は機動隊員殴打現場を過ぎて、デモ隊が東急本店前に到着して間もなく撮影された写真から、星野同志を拡大したものである。星野同志が所持する鉄パイプに何の変化もないことが良く分かる。
 星野同志が所持した鉄パイプには紙が巻かれていた。もしこの鉄パイプが殴打に使用されたものならば、巻かれた紙は破れる。星野同志が所持する鉄パイプの紙に破損がないということは、それは殴打に使用されていないということである。星野同志が機動隊員を殴打したというのは完全なデッチあげである。この鉄パイプの写真はそれを証明している。

 車の反射光の証言②神山東十字路で確認

 星野同志は35年間一貫して、機動隊員への殴打現場とは離れた神山東十字路にいたことを主張している。星野同志は、「十字路でNHK方向を見た時、NHK方向を走る車が光っているのを見た」と訴えてきた。
 当日は曇り空で、日没1時間前の時間帯であった。誰も車のフロントが光ることなど想像していなかった。星野同志の訴えに、早速弁護団は現地調査を行い、実際に車の反射光を確認した。
 この事実は、当日、その時間帯に、その十字路に立った者しか知りえない事実であり、いわゆる「秘密の暴露」に当たるものである。
 写真2(弁7号証)は、今年の11月14日、午後3時23分の少し前に写したものである。この日は、午前中の小雨がやっと上がったばかりの曇り空で、事件当日よりも、雲が多かったと思われるにもかかわらず、「反射光」はしっかりと確認でき、写真に撮ることができたのである。

 十字路にいる必要があった

 星野同志は、代々木八幡駅を降りた200人近くのデモ隊のリーダーだった。星野同志は、神山交番前の戦闘で乱れたデモの隊列を整えるために、デモ隊の最先頭に出る必要があった。星野同志は走り、前にデモ隊の誰もいなくなったところで立ち止まった。そこが十字路だった。
 四方に目を配り、どこから襲撃してくるか分からない機動隊の動きを監視しつつ、後続部隊の結集を待つこと、十字路に立った星野同志の一切の関心事はそこにあった。すぐに、NHK方向から機動隊がゾロゾロ出てくるのが見えた。緊迫した状況の中、道路はみるみるデモ隊で埋まった。星野同志は「行くぞ」と声をかけ、そこを出発した。
 機動隊員の捕捉から出発まで、40〜50秒間の出来事である。その間、星野同志は十字路から離れることはできなかったし、離れなかった。そこでNHK方向に機動隊の出現を目撃し、車の反射光を見た。もし殴打現場にいたら、これらは見ることはできなかった。

 「服の色はきつね色」③Kr証人は見ていない

 Kr証人の「殴打者の服の色はきつね色」だとの供述は、取り調べ段階でも公判証言でも一貫している。さらに、殴打現場を目撃した第三者であるAb氏とFk氏の供述調書が明らかにされているが、2人とも、殴打者の中で最も印象に残った人物として「黄土色の作業着」、あるいは「ベージュの薄いコート」を着た人物をあげている。いずれも「きつね色」系統の色である。
 Kr証人は、最高裁が言うように、「薄青色」の服を着た星野同志を見て、その色を「きつね色」と見間違えたのでは断じてない。
 写真3(弁12号証)は、当時朝日新聞社写真部に所属していたカメラマンUt氏が撮影したものであり、これと連続する別のシーンが、『週刊朝日』(1971年12月3日号)に掲載されている。
 写真は、神山交番前で阻止線を張る機動隊と対峙するデモ隊を正面から写したものである。最前列中央に、きつね色の服を着たデモ隊員が写っている。
 この写真は、デモ隊員の中に「きつね色」の服を着た人物がいたことを示すものである。
 星野同志はこの日「空色(薄青色)」の服を着ていた。これは最高裁も認めざるを得なかった事実である。全体が黒っぽい服装の中で目立つ明るい色であったにもかかわらず、第三者の目撃者であるAb氏もFk氏も、また6人の「共犯者」も誰ひとり、殴打者の中に「空色」の服を着た人物がいたとは供述していない。