2010年5月24日

迎賓館・横田爆取差し戻し審 6・2判決公判 被告団からのアピール

週刊『前進』06頁(2440号6面2)(2010/05/24)

迎賓館・横田爆取差し戻し審
 6・2判決公判に結集を
 “勝利の決着をつけよう” 被告団からのアピール

 6月2日、迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判の差し戻し審が、ついに判決公判を迎える。デッチあげ起訴以来23年間に及ぶ闘いに勝利の決着をつけるときだ。
 判決は無罪以外にない。被告団と弁護団は、3月23、24日の最終弁論において、本件が治安弾圧としてのデッチあげであり、「被告人」とされたわれわれ3人(須賀武敏、十亀弘史、板垣宏)が無実であることを完璧(かんぺき)に明らかにした。検察側「証拠」はどれ一つとして証拠になっていない。3月24日、われわれの最終意見陳述の最中から、法廷は、すでに無罪判決が出されたかのような勝利の確信と解放感に満たされた。6月2日は、その確信が事実に変わる日だ。東京地裁429号法廷で勝利をともに迎えよう!
 迎賓館・横田の両戦闘(1986年)を口実に、われわれ3人が東京拘置所で逮捕され、福嶋昌男同志が全国指名手配を受けたのは87年秋である。80年代半ば、国鉄・三里塚決戦を最大の激突点として、革共同と労働者階級は権力との死闘と党派闘争を不屈に闘っていた。革命の前進に対する最も卑劣な反革命、それが本件のデッチあげ弾圧である。
 反革命には革命のさらなる前進でこたえるほかにない。われわれはそのような公判闘争を闘い抜いた。完黙・非転向の原則を貫き、法廷を徹底非妥協の階級闘争の現場に変えた。根本的には、闘いの中で団結が強化され革命が前進すればそれが勝利なのだ、という姿勢を崩さなかった。
 だからこそ、法廷内の「証拠」調べをめぐる具体的な攻防においても攻勢を貫き、検察官「立証」の一つひとつを完膚なきまでに粉砕して、2004年の無罪判決をかちとることができたのだ。われわれはまず、基底的な階級闘争の原則を堅持することにおいて勝利した。その勝利の上に公判においても、事実を武器として検察側「証拠」を完全に無化し、無罪を闘い取ったのだ。
 治安弾圧としてのデッチあげは、権力が被告人の無実を熟知しながら、総力を挙げて意識的、計画的、組織的に準備し実践する反革命である。権力の一角には当然裁判所も含まれる。一審無罪判決を破棄し、地裁に差し戻した東京高裁の中川武隆裁判長らも、本件における証拠の不在に気付かなかったはずはない。その上で、中川らは事実を無視して支配階級の弾圧意思を最優先させた。しかし、その中川らさえ、自ら「有罪」を宣告することはできず地裁に差し戻すしかなかったのだ。無実という厳然たる事実を消し去ることはできない。
 一昨年6月から始まった差し戻し審における検察官の主張と「立証」は、それ自体の虚構性を一層明白にしただけであった。それに対して、被告団と弁護団は新証拠を提出して追撃し、われわれの無実をさらに鮮明に立証した。覆しようのない確かさをもって本件がデッチあげであることを証明し切ったのだ。
 判決公判を迎えるわれわれの闘いは、同じ年月を闘い抜いている国鉄1047名解雇撤回闘争の新たな大運動と結びついている。革命を実現しようとする労働者の闘いは、敵のどんな攻撃にも屈することなく、また、決着を曖昧(あいまい)にすることはない。
 帝国主義の命脈は尽きている。世界革命の現実的な展望が眼前に大きく開けている。情勢は、われわれがデッチあげ逮捕された23年前から激変している。われわれもまた、われわれ自身の闘いで革命情勢の一端を切り開いた。獄中・法廷を貫いての完黙・非転向の実践は、階級的労働運動における絶対反対・団結強化の実践と結び付き、息を合わせて、不断に革命を前進させてきたのだ。
 われわれの無罪戦取の闘いは、国鉄決戦を軸とする階級的労働運動と一体だ。法大弾圧を粉砕する闘いをともに推し進めている。沖縄・三里塚と連帯する闘いであり、なにより、星野文昭同志を奪還する闘いである。
 福嶋公判においては今、全力を挙げて上告趣意書の補充書を作成している。そして、われわれ3人への無罪判決は、そのまま福嶋同志の無実を鮮やかに指し示す。6月2日は真に決定的だ。だから、もう一度心から呼びかける。東京地裁で勝利をともにしよう! 
 (迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判被告団)
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迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧 差し戻し審判決
6月2日(水)午後1時15分開廷
*12時30分 傍聴券配布所前集合
*12時〜12時30分 地裁前街宣
*公判終了後、報告集会 弁護士会館508号室