ZENSHIN 2001/09/03(No2019 p06)

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週刊『前進』(2019号6面1)

9・1防災訓練粉砕 関東大震災の虐殺の歴史くり返すな
 インタビュー 反戦自衛官 小田基実夫さん

 9・1自衛隊有事出動演習について反戦自衛官の小田基実夫さんにお話を伺いました。(編集局)

 自衛隊の作戦はすべて軍事行動 個々の自衛官に訴えることが大切

 統幕議長がすべて指揮

−−九月一日に七都県市合同防災訓練が行われます。今年の「ビッグレスキュー東京2001」はその一環として行われます。防災訓練と言っていますが、何が狙いなのでしょうか。
 石原都知事は、昨年の「ビッグレスキュー東京2000」と今年の「2001」を通して「都市防災」と称する自衛隊の有事(=治安)出動をひとつのフォーマット(型式)として確立しようとしています。昨年は政治的パフォーマンスという要素が強かったですが、今年はより実質的なところで踏み込んでいます。
−−昨年と今年ではどう違うのでしょうか。
 昨年の「ビッグレスキュー2000」では、自衛隊は七千百人を動員し、初の自衛隊三軍の統合演習として行いました。統合幕僚会議議長が自衛隊三軍の指揮をとりました。これも初めてです。そして統幕議長は、自衛隊だけでなく、実質的に「ビッグレスキュー2000」のすべてを統裁官として指揮しました。指揮の実体は、都庁よりも市ケ谷の防衛庁にある中央指揮所だったと言ってもいい。すべての訓練が自衛隊を中心に行われたのです。
 これを東京という政治・経済の中枢で実行したのが「ビッグレスキュー2000」の大きな特徴です。
−−では今年の特徴は。
 今年は七都県市合同としては川崎市が中心となり、自衛隊も川崎市に大量投入されます。東京では、自衛隊が指揮所演習(CPX)と呼んでいる、いわゆる図上演習を行った後で実動演習をやるという二段構えでやることがポイントです。
 ですから七月十七、十八日に行われた総合防災指揮所演習という図上演習には重大な意味があります。この指揮所演習には、都・区職員を始め警察、消防など八百人の動員に対し、自衛隊はなんと千二百人が参加しています。昨年の九・一では指揮幕僚関係での自衛隊の参加は百五十人ですから、十倍以上です。
 この指揮所演習は、自衛隊の大きなヘゲモニーの下で行われた。これは首都の治安維持や災害出動を自衛隊中心にやることを意味します。練馬駐屯地や朝霞駐屯地に指揮所を設置し、都や警察・消防と調整するという形で行われています。指揮系統も陸上自衛隊の東部方面隊が中心です。
 つまり、戦争であれ、災害であれ、自衛隊の指揮下に入らないと何もできないという状況になっている。自衛隊が情報や指揮系統をがっちりおさえているからです。この実動演習が九月一日に行われるのです。
−−具体的には指揮所演習で何をやったのですか?
 この指揮所演習は、初動対処から増援部隊の到着までをロールプレイング(役割演技)方式で三十二時間ぶっ通しで行っています。
 練馬駐屯地の指揮所演習では、政経中枢型師団と呼ばれる第一師団が、初動段階で東京二十三区に連絡幹部を派遣。続いて十五区を第一普通科連隊が、残り八区を第三一普連が制圧。この二個連隊に群馬・相馬原のヘリ旅団とか習志野の空挺団が加わり三十二時間持ちこたえて、その後、全国からの増援部隊と交代する、という想定で訓練を行っています。
 昨年の「ビッグレスキュー2000」の時もそうでしたが、訓練開始と同時に、東京周辺の空域は自衛隊の航空統制下に入ります。また知事の出動要請よりも早く、自主派遣という形でやっているのも重大な問題です。

 市街戦を想定した訓練

−−「防災」という言葉の持つイメージと離れた軍事演習そのものですね。
 そうです。自衛隊は、防災訓練を治安作戦としてやっている。災害出動も治安出動や市街戦の作戦として考えておけば間違いないということです。後はライフルを持つのか、スコップを持つかの違いだけです。
 自衛隊の作戦は、すべて軍事行動です。その意味で、災害救助も治安出動も基本的な考え方は全部同じ。作戦的にはほとんど同じと言ってもいい。災害救助も軍事行動の線を離れない。だから阪神大震災の時も、命令がないと自衛隊は何もしないで見ているだけ。個々の自衛官が人助けをするというように、臨機応変には動かないようになっているのです。
 結局、自衛隊の問題意識は、『周辺事態』や『防衛出動』にしろ『治安出動』にしろ、有事の際に自衛隊がどうやって首都東京を制圧するのか、あるいはどうやって戦時体制、戦争動員体制をつくるのかということなんです。
−−具体的には?
 ヘリコプターなどでの偵察訓練、地下鉄や輸送艦・輸送機を使っての部隊進出や部隊集結の訓練も、自衛隊による都心制圧作戦そのものです。災害時のがれきの撤去と内乱時のバリケードの撤去に違いはない。昨年銀座や都庁でレンジャー部隊がやったビルからの救出訓練と、ゲリラを制圧するためにビルに突っ込む作戦は、基本的に同じです。交通規制と称してやった検問などの訓練も、橋や高速道路のインターチェンジなど東京へつながる交通を封鎖する、全部そういう意味を持っている。市街戦がベースになっています。
−−被災者の救助という観点は全然ない……
 昨年の「ビッグレスキュー東京2000」のサブタイトルは「首都を救え」で「都民を救え」ではないのですね。だから想定死者の数は発表しても、何人救出したかは発表しないし、おそらく意識にもないのでしょう。
 自衛隊はそもそもレスキュー部隊ではないので、災害救助は得意ではない。石原の言うように、治安維持にこそ重点がある。台風や地震は、どこで起きるかはわからない。しかし治安出動とか戦争が始まったらどうするかは、あらかじめ想定できる。国会や首相官邸など永田町をどう制圧するのかとか、霞が関でどうとか、具体的にいろいろ想定できるわけです。だからこそ「防災訓練」を毎年やる意味があるわけです。自衛隊は「ビッグレスキュー」でそれをやっています。

 治安出動の「敵」は誰か

−−「防災訓練」は有事出動訓練そのものですね。
 ここで問題は、自衛隊が、軍事作戦として「災害出動」や「治安出動」する場合、「敵」は誰なのかということです。これは石原が言っているように、敵は在日を含むアジア人民ということなんです。「外国人は、必ず犯罪や騒擾(そうじょう)を起こす。首都を救え」ということです。そうして自衛隊を「国軍」として前面に押し立てて東京を制圧する。これは関東大震災の時の排外主義の構図そのものなんです。
 在日朝鮮人作家の朴慶南(パクキョンナム)さんが「毎年九月一日に防災訓練が行われるたびに、また襲われるのではないか、いざという時にこの日本人は守ってくれるのか、それとも襲ってくるのかと考える」と本の中で書いています。彼女は私と同い年ですが、思いにこんなに差があるのか、と愕然(がくぜん)としました。「敵」とされる側、殺される側の恐怖感をきちっと考えなくてはならない。
−−それは自衛官にもあてはまる。
 自衛官に働きかける場合も、そこが重要です。ひとりの人間としての個々の自衛官に、人民に敵対するなと呼びかけることが大切です。また小泉首相は「命がけで戦う決意を示すのが自衛隊だ」と言っている。しかし自衛官のほとんどは命をかけて国のために志願しているわけではない。総理大臣という自衛隊の最高命令権者の立場から有無を言わさず自衛官に「命を捨てよ」と要求するようなやり方は本当に許せない。
 「ビッグレスキュー2001」には、高校生もボランティアで動員するようです。参加しない人も自宅待機。内申書のことなどを考えると、ほとんど強制です。それを学校内で割り当て、親にハンコまで押させて校長の成果として動員するわけです。本人の考えとは関係なく学校、地域、親など周りの人間が高校生を半ば強制で参加させる。特攻隊とボランティア。案外近いのではないでしょうか。
−−最後に一言。
 石原たちは、九・一のフォーマットを完成させて全国化させると言っているが、労働者人民の側から言っても、石原に「敵」と名指しされた在日アジア人民との連帯・結合を深め、闘いを発展させるチャンスです。この訓練の階級的本質が自衛官にも強烈に伝わるように闘いましょう。
 【写真は「多民族共生社会の防災を考える9・3集会」のデモ(右)と装甲車上の石原慎太郎(左)(2000年9月3日)】

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週刊『前進』(2019号6面2)

 闘いの現地からのアピール

 川崎 自治体労働者動員の有事演習と断固闘う

 今年の九月一日に強行されようとしている七都県市合同防災訓練は、小泉反革命とファシスト石原が一体となった戦争国家づくりの重大攻撃である。
 米日帝の中国・朝鮮侵略戦争の切迫情勢の中で「防災」に名を借りて、首都圏全体を対象にした治安弾圧訓練、有事出動訓練、有事立法の先取り演習を強行しようとしているのだ。

 防災訓練になぜ軍艦出動なのか

 今年は川崎市が幹事都市で、川崎市を中心に行われる。昨年九月三日に石原が自衛隊七千百人を投入して行った「ビッグレスキュー東京」は、その一環として位置づけられ、三多摩を中心に行われる。
 逆に言えば、昨年、東京都で強行された首都制圧の治安弾圧訓練をもっとエスカレートさせ、首都圏全体を連動させ、陸海空の自衛隊を総動員しての治安出動訓練を行うということだ。
 川崎市では、川崎の公共ふ頭(東扇島)に、戦後初めて自衛隊艦船が入港するという、許せない計画が強行されようとしている。
 海上自衛隊輸送艦「さつま」に陸上自衛隊の三十人(横須賀の一〇五教育大隊)とジープ二台を載せて(海自と陸自共同の物資・人員輸送訓練)入港し、東扇島の二号岸壁へ上陸。岸壁にはあらかじめ大型車両十台が結集、上陸した陸自とともに車両隊は中央会場まで「行軍」する計画だったが、これは中止された。
 「輸送艦」と称して正体を隠しているが、正式名称は戦車揚陸艦=LSTで、五〇口径三インチ連装速射砲と四〇_連装速射砲を装備する、まさに侵略戦争のための軍艦である。
 さらに海上自衛隊の特務艇「はしだて」を使って医療訓練と後方医療施設への搬送訓練。世界一優秀といわれる海上自衛隊の掃海艇「はつしま」も出動する。
 「はつしま」には二〇_機関砲と掃海装置が設置されている。掃海艇とは機雷を除去する以外なんの用途もない戦争目的の艦船である。当局は「水難救助」だと強弁するがまったくのペテンだ。防災訓練になぜ砲撃・射撃の装備した艦船が必要なのか。災害時に人民を救うのではなく、人民に銃口を向けるための治安訓練であることは、このことからも明らかだ。
 「自主防災組織」に参加する川崎区の住民二百人は、テントの中でこうした自衛隊の訓練を見学した後、自衛艦の施設を見学する計画となっている。「七都県市」という自治体の名前を使いながら、川崎港での訓練では、自治体や住民の出番はまったくない。自衛隊艦船三隻と海上保安庁のヘリコプターが主役の、有事立法制定の地ならしのためのものでしかない。
 戦前の港湾施設は、アジア人民を虐殺した日帝のアジア侵略戦争の出撃場所であり、それゆえ天皇直轄の管理下にあった。戦後、地方自治法や港湾法が制定され、港湾施設は地方自治体の管理になった。
 周辺事態法第九条一項には「地方公共団体の管理する港湾施設の利用」の項目がある。しかし、周辺事態法といえども「必要な協力を(自治体に)求めることができる」とされていて、自治体に港湾施設の軍事利用や港湾管理者に戦争協力を強制することはできない。そのため有事立法の制定が必要なのだ。
 今回の川崎港への入港は、それを突破するための反動的な訓練で、絶対に許すことはできない。
 中央会場(新鶴見操車場跡地)でも自衛隊が大量動員される。巨大なスクリーンを設置、各地の訓練、自衛隊の「活躍」を映し出し、参加した住民に見せる計画も予定されている。
 小泉ら政府視察団は、陸自ヘリ「ピューマ」に乗って移動し、調布→川崎港→中央会場を視察する。小泉は「自衛隊を尊敬し感謝すべき」と呼号し、自衛隊を「国のため、天皇のために喜んで戦って死ぬ」軍隊にしようとしている。

 「防災」に名借りた治安弾圧訓練

 さらに川崎工業高校に、自衛隊・警察・消防を集結させ、中央会場までの移動訓練が予定されている。幸スポーツセンターでは死体収容訓練が行われる。また航空自衛隊入間基地から羽田空港を経由した川崎市への資機材等の広域輸送訓練も行われる。七会場のうち四会場に自衛隊が投入される。川崎市全域を自衛隊が制圧するという治安弾圧訓練そのものである。
 一九二三年関東大震災の時、六千人以上の朝鮮人、六百人以上の中国人が日帝軍隊、警察、自警団によって虐殺された歴史を絶対にくり返してはならない。
 当時、神奈川県では朝鮮人の在住者約三千人のうち千七百九十五人が虐殺された(朴慶植著『天皇制国家と在日朝鮮人』)。しかも今回の訓練会場のひとつである多摩川河川敷の二子玉川近くの中洲で当時三百〜四百人の朝鮮人が軍隊によって包囲され虐殺されている(同)。
 一九六〇年の安保闘争の高揚に危機感をもった日帝・自衛隊は、関東大震災のことを詳しく研究した。そして軍隊が素早く治安維持にあたったことを高く評価。それ以降、本格的な有事の治安弾圧体制の研究に入る。七〇年安保・沖縄闘争の高揚の中で、まさに治安の観点から九月一日が「防災の日」と定められ(関東大震災時の朝鮮人・中国大虐殺の史実を隠すものだ)、それ以降、毎年総合防災訓練が行われてきた。「防災」を利用しての自衛隊の治安弾圧訓練であることは明白である。

 市職労港湾支部が業務要請拒否

 川崎では反撃の闘いが開始されている。ある市民団体は、この訓練に抗議し、川崎港に上陸した自衛隊が中央会場まで移動する計画をついに中止に追い込んだ。川崎の在日朝鮮人が多く住む地域を自衛隊が「行軍」することを阻止したのだ。川崎市職労港湾支部などの組合も闘いに立ちあがっている。港湾支部は「自衛隊艦船の防災訓練参加に反対する抗議声明」を発表、港湾当局との交渉を続け、組合員一丸となって当局の組合員の防災訓練への参加−業務要請を拒否することを決定した。
 闘いはすでに切り開かれている。九・一防災訓練への怒りが、労働者、市民の間に広がっている。小泉反革命−石原ファシスト打倒の秋の決戦の突破口として九・一防災訓練粉砕に全力で決起しよう。排外主義を粉砕し、闘うアジア人民・在日アジア人民と連帯して闘い抜こう。
(労働者H・O)

 三多摩 石原の排外主義攻撃絶対許さない闘いを

 九月一日、七都県市合同防災訓練の一環で「東京都総合防災訓練(ビッグレスキュー東京2001)」が実施されようとしている。これは「防災」に名を借りた有事訓練であり、ガイドライン発動のための有事立法の先取り訓練だ。改憲と戦争国家体制づくりの最先端の攻撃だ。粉砕に立ち上がろう。

 自衛隊主導で行われた図上訓練

 ビッグレスキュー2001は、実動訓練に先立って本部運営訓練(図上訓練)を強行したことに最大の特徴がある。この図上訓練は、七月十七、十八日に三十二時間昼夜を徹して行われた。訓練会場は、東京都防災センター(都庁)、立川防災センター、杉並・江東・八王子・調布の各区市役所。さらに陸上自衛隊東部方面隊の朝霞駐屯地、練馬駐屯地、府中基地、横須賀基地(後に立川駐屯地も加わっていたことが判明)も会場となった。
 この訓練に参加した陸海空自衛隊員は統裁部(コントローラー)三百五十人、演習部隊(プレイヤー)八百五十人の計千二百人。都庁九階の訓練会場に大量の迷彩服の自衛隊員が入り込んだ。見学者がシャットアウトされた「陸自連絡室」では、二十人ほどの自衛隊員が、陸自の動きを秒単位でモニター表示。情報を自衛隊が一手に掌握。完全に自衛隊主導で行われた。
 各区市役所会場で行われた自治体での図上訓練は、総合防災ソリューション(河川情報センター)という会社がシナリオを作成し、すべてその指示のもとに動かされた。これは、その九割以上が自衛隊出身者(代表は元陸自一佐)の完全な自衛隊の御用会社だ。
 図上訓練は、自衛隊が企画・運営・訓練の評価に至るまで自治体と自治体職員を監督して行われた。東京都参与・志方俊之(元陸上自衛隊北部方面総監)は、昨年のビッグレスキュー2000を総括して、今回は「都市型大規模防災訓練のフォーマットを完成させたい」として「区役所や市町村役場、すなわち現場レベルのスタッフの訓練」を重視すると言っている。
 東京都は、「陸上自衛隊が本訓練と並行して東部方面隊指揮所演習を実施するので、訓練内容について連携を図る」としているが、「連携」とは、自衛隊の指揮下に区市町村が入ることを意味している。まさに「防災」に名を借りた戦時動員訓練にほかならない。
 ビッグレスキュー2001の訓練会場は、JR八王子駅前、都立南多摩高校、調布基地跡地、多摩川河川敷、立川広域防災基地である。さらに米軍横田基地および同赤坂プレスセンターを利用して自衛隊の大型輸送機による人員・物資輸送訓練が行われる。横田基地を防災訓練に利用するのは初めてだ。石原は、横田基地について「返還」公約を反故にし、地元住民の基地撤去の声を踏みにじって軍民共用化を狙っており、今回はそのための布石を打つものである。横田基地は、四千b級滑走路を有する戦略輸送拠点だ。この横田基地を利用することで、九・一訓練が侵略戦争を想定した戦時訓練であることがますます明白となった。

 ボランティアは戦時動員の道

 特に南多摩高校の高校生をボランティアとして動員しようとしていることは絶対に許せない。なんと二学期の始業式を三日にずらして強行するという。ここでは、トリアージも訓練項目に入っている。トリアージとは、「治療の優先順位による患者の選別」ということで、「回復の見込まれる人」を優先治療して戦場に送るという軍事用語だ。
 防災訓練への生徒の参加は、応募の形をとっているが、「安否確認訓練」ということで事実上全員が防災訓練に参加させられる。沖縄戦では鉄血勤皇隊や従軍看護婦隊も「志願」によって編成されたが、実際は強制だった。このことを想起すれば、事態は重大だ。小泉の「国のために命を捧げよ」という扇動が、実行されようとしているのだ。
 そもそも、自衛隊の「災害派遣」は、治安出動の一環として位置づけられている。「自衛隊の災害派遣に関する訓令」第一八条には「派遣部隊等は……救援活動のために特に必要がある場合は、最小限度必要とする火器及び弾薬を携行することができる」と明記されている。自衛隊の災害派遣の目的は明白だ。火器・弾薬がなぜ必要なのか。
 防衛庁の作成した「南関東災害派遣計画」によると、自衛隊の活動は、第一に「航空機による空中偵察や艦艇による被災地沿岸の偵察」であり、「要人の緊急輸送や交通統制の警察支援」である。人命救助については「可能なかぎり救助活動を実施」としか書かれていない。自衛隊にとって「災害派遣」の主目的は治安維持でしかない。実際、自衛隊は「人命救助」の訓練など行っていないし、装備もノウハウもない。

 大虐殺は過去の問題ではない

 小泉や石原らは関東大震災で多くの死傷者が出たことは語るが、六千人以上の朝鮮人・中国人虐殺という歴史的事実は隠ぺいする。
 関東大震災の発生で危機に立たされた当時の支配階級は、軍隊と警察による戒厳令を敷き、「朝鮮人が放火し、井戸に毒を投げ込んでいる」といったデマを流布、大虐殺を強行した。そして自警団に組織された日本人は、武器を手に虐殺を繰り返した。さらに亀戸事件のように、社会主義者・労働組合活動家へのテロルも吹き荒れた。この国家的犯罪を忘れてはならない。
 石原は、昨年四月九日、陸上自衛隊記念式典で自衛隊に在日外国人襲撃をあおる許しがたい暴言を吐いた。今年四月八日の記念式典でも、まったく同趣旨のことを述べている。
 排外主義攻撃は、過去のことではなく、今現在、身震いして見据えなくてはならない課題である。九月一日を、虐殺の歴史を見据え、二度と繰り返さない闘いの日としなければならない。調布の多摩川河川敷周辺には在日朝鮮人が多く住む。あえてこの場所を会場としたこと自体が許しがたいことだ。
 当日、小泉や石原らは、各訓練会場を訪れ、視察するという。小泉は「侵略されたとき命がけで戦う決意を示すのが自衛隊だ」と自衛隊を扇動し、自衛隊を侵略軍隊にしようとしている。戦争に突き進む小泉政権と対決し、九・一合同防災訓練(ビッグレスキュー2001)粉砕に立ち上がろう! (労働者K・M)

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