靖国参拝を許すな  

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●小泉の靖国参拝を許すな 特集2006年

週刊『前進』(2259号1面1)(2006/08/28)

 8・15小泉靖国参拝をデモで痛撃

 “参拝強行はアジアへの宣戦布告”

 韓国・民主労総の代表とともに厳戒態勢を打ち破る

靖国神社へと肉薄 青年労働者と学生のコールがデモ全体を力強くリードし、沿道から途中参加者も続出した(8月15日 外堀通り)

 8月15日、小泉首相は靖国神社参拝を強行した。任期最後の「靖国予告登場」は、過去の侵略戦争、帝国主義戦争を居直るだけでなく、日米枢軸をもとに新たな侵略戦争に突入することを内外に宣言する攻撃だ。日本労働者階級とアジア人民に屈服を迫るものだ。この暴挙を弾劾する300人のデモが、厳戒態勢を破って靖国神社に肉薄した。

 アジア人民の怒りと連帯し

 午前7時45分、頭上を旋回するヘリの爆音がひときわ大きくなった。法政大学正門前の外濠公園に続々と結集する人びとは、怒りに満ちて拳を固めた。「いま小泉が参拝に訪れたところか。絶対に許せない!  厳戒態勢もろともデモでぶっ飛ばしてやる」
 8時から反戦共同行動委員会が呼びかける集会が、都政を革新する会の北島邦彦事務局長の司会で始まった。全学連の織田陽介委員長が冒頭に発言に立った。「小泉の参拝に腹の底からの怒りを爆発させよう。アジア人民の靖国糾弾の闘いにわれわれはどう答えるか。A級戦犯を分祀することではない。大学を侵略翼賛の場にするか、革命の拠点にするかが問われている。帝国主義を打倒しよう」
 続いて韓国の民主労総ソウル本部の2人の労働者が紹介され発言に立った。イジェヨンさん(ソウル本部首席副本部長)は「小泉が本来やるべきことは労働者の生活を作り出すことではないのか。ところが彼はかつて日本帝国主義が行った戦争を繰り返そうとしている。民主労総70万組合員は怒っている。退任しても責任を問い続けよう。靖国反対!」と訴えた。
 拳を振り上げてのコールに参加者全員が唱和し、大きな拍手がわき起こった。
 さらに東京労組交流センター、部落解放同盟全国連合会、婦人民主クラブ全国協議会の各代表が怒りの発言に立った。
(写真 集会で民主労総の発言に聞き入る【法大正門前】)

 今日の闘いを1万人決起に

 参加者一同の決意が最高潮にみなぎる中、東京反戦共同行動委の三角忠さんの行動提起をもって、デモに出発した。民主労総と動労千葉の田中康宏委員長、織田全学連委員長、相模原市議の西村綾子さんが「北朝鮮侵略戦争阻止、8・15靖国神社包囲デモ」と大書された横断幕を掲げ先頭を歩いた。青年労働者と学生の力強いコールが全体をリードし、パーカッション部隊のリズムがデモの勢いを促進した。一人ひとりが自分の怒りをゼッケン、ボード、プラカードなどで示した。
 この迫力の前に、日ごろは妨害や挑発をくり返す私服公安刑事らも歯がみしながら見守るだけで、一指も触れることができない。沿道からの声援を受けながら、デモは「参拝弾劾! 小泉打倒!」の叫びを靖国神社周囲にとどろかせた。
 デモ解散地点で再び織田委員長がマイクを握った。「日本の代表は小泉じゃない。われわれだ。この300人が1万人になる。これが決戦であり、ゼネストであり、革命だ。改憲阻止闘争を全力で闘い、11月1万人決起を絶対に実現しよう」
 最後に三角さんの音頭で団結ガンバローを行い、圧倒的勝利感をもって靖国参拝弾劾闘争をやり抜いた。

週刊『前進』(2258号4面1)(2006/08/14)

 8・15小泉靖国参拝を阻止し 教育基本法改悪粉砕の決戦へ

 全国から靖国デモに立とう

 マル学同中核派の闘争宣言

 全国の学友諸君。8月15日、巨万の民衆包囲で小泉の靖国神社参拝を粉砕しよう。靖国思想とは、日本帝国主義の侵略イデオロギーだ。今まさに日帝が北朝鮮侵略戦争に突入しようとしている情勢の中で、靖国思想と対決し、徹底的に批判し、木っ端微塵(みじん)に粉砕することが、改憲阻止の闘いにとって決定的なのだ。それは、闘うアジア人民との連帯闘争でもある。教育労働者の戦争協力拒否の「日の丸・君が代」不起立闘争や動労千葉の反合理化・運転保安闘争、共謀罪新設や教育基本法改悪を阻止した今春国会闘争など、労働者階級の闘いのうねりが高まっている。未来を担う学生・青年労働者の闘いこそが情勢を決する。
(写真 昨年8月15日の靖国参拝弾劾の闘い。韓国から民主労総のメンバーも合流した)

 「靖国」問題は戦争の問題だ

 小泉は今まさに靖国神社参拝をも突破口に、本気で北朝鮮侵略戦争をやろうとしている。靖国参拝とは、まさしく硝煙のにおいたちこめる現実の戦争の問題なのだ。
 イラク侵略戦争にのめり込む自衛隊を見よ。小泉は参戦国の首相として靖国神社に戦勝祈願に行くのだ。北朝鮮ミサイル発射を絶好の餌食として、軍事制裁(先制攻撃)の欲求が噴き出す現実を見よ。「戦争放棄」の9条を投げ捨てる自民党の新憲法草案を見よ。小泉は、これから膨大な「戦死者」が出ることを想定しているからこそ、「過去の英霊」をたたえ、現代の学生・青年労働者に向かって、”国家のために命を捨てよ”とあおっているのだ。
 靖国神社参拝とは、歴史認識という次元をこえて、アジア人民・ムスリム人民への日本帝国主義の公然たる宣戦布告である。絶対に阻止しよう。
 靖国神社がまき散らす腐りきった侵略美化イデオロギーを怒りを込めて粉砕することが必要だ。
 靖国神社とは何か? それは戦死者を追悼するのではなく、「天皇のために命をささげた英霊=神」として顕彰するものだ。日本帝国主義の市場獲得戦だったアジア侵略戦争、太平洋戦争を「日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです」(靖国神社ホームページ)と恥知らずに居直ることをどうして許せるか。
 アメリカ帝国主義(およびイスラエル)がイラク、パレスチナ、レバノンへと侵略戦争を拡大する中で、日本帝国主義はこれに食らいつき、北朝鮮侵略戦争のヘゲモニーをとろうと必死になっている。だからこそ9条改憲を頂点とした日帝の戦争国家化政策に靖国思想で魂を吹き込もうとしているのだ。いくら戦争法をつくり、軍備を増強しても、帝国主義戦争にとって最大の核心は、国民精神総動員の問題だ。
 しかし、この点において日本帝国主義は「お国のために命をささげる若者」を大量につくり出せていない。そればかりか、凄惨(せいさん)な帝国主義戦争を引き起こした「八紘一宇」「大東亜共栄圏」など、大破産したイデオロギーをまたもや持ち出すことしかできない。これは日帝にとって最大の弱点だ。学生・青年労働者は、天皇のためではなく、革命のために未来をかけよう。
 今日、靖国問題をめぐる支配階級の大分裂は、日帝打倒の大チャンスが到来していることを告げ知らせている。
 昭和天皇ヒロヒトのいわゆる「発言メモ」公表をも契機に、小泉の靖国参拝やA級戦犯合祀問題をめぐってブルジョア支配階級の中での分裂が深まっている。

 ヒロヒトこそが最大の戦犯

 しかし、はっきりさせなければならないのは、ヒロヒトこそアジア人民2千万人を虐殺し、日本の労働者人民300万人を死に追いやった最大の戦争犯罪人であることだ。それをA級戦犯の問題に切り縮め、自らの戦争責任は回避しようというのだ。この卑劣な居直りを許すな。
 一方で戦争動員のための靖国思想を必要としながら、他方でそれがただちに戦争責任問題(および天皇問題)としてはね返ってくる。この点において、靖国問題は、日帝にとっての決定的な破綻(はたん)点をなしている。絶対に解決することはできない。
 プロレタリア革命の勝利と戦犯天皇の処刑によってアジア侵略を革命的に総括できなかった戦後革命敗北の教訓に学び、今こそわれわれ自身の手で決着をつける時だ。それはつまり、侵略戦争によってしか生きていけない帝国主義体制そのものを打倒することだ。
 靖国闘争を突破口に、小泉・安倍打倒、改憲阻止の今夏今秋決戦に攻め上ろう。
 通常国会において、小泉は国民投票法案、教育基本法改悪、共謀罪新設法案、防衛庁「省」昇格法案という改憲に直結する4法案を成立させられなかった。労働者や学生の決起が衆院で圧倒的な議席を持つ与党の強行採決策動を粉砕したのだ。
 しかし、ブルジョア支配階級は、小泉の靖国参拝を突破口に、新たに安倍晋三を押し立て、一気に改憲に突き進もうとしている。今秋の臨時国会での反動諸法案の成立を許すのか、それとも改憲阻止の巨万人民決起をつくりだすのか。その帰趨(きすう)は靖国闘争の爆発にかかっている。
 安倍は、国連での北朝鮮決議問題で最も好戦的に突出した、小泉以上の右翼反動政治家だ。安倍はそれを「国連決議は私と麻生外相の『ダブルA』で原則を決め、初めて国連安保理の主役になった」(自民党東京ブロック大会)と、日帝の極悪の立ち回りは自分のおかげと自慢している。そもそも安倍は戦犯・岸信介(A級戦犯容疑で逮捕・元首相)の孫である。「自分は岸のDNAを受け継いでいる」「次の首相、次の次の首相も靖国に行ってほしい」などとうそぶく安倍を、小泉もろとも打倒しよう!

 学生と青年が歴史の原動力

 学生・青年青年労働者こそが、もっと大胆に日本階級闘争の表舞台に、歴史の原動力として登場しようではないか。
 行動によって現状を変革する――これこそが世界のスタンダードになってきている。フランスの学生と労働者はゼネストと実力デモで初期雇用契約(CPE)を粉砕した。全学連は、6月15日に法政大1千人決起を実現し、7月15日には北朝鮮への経済制裁決議と対決する自己解放的、躍動的なデモで渋谷を闘いと興奮のるつぼにたたき込んだ。いよいよ日本の学生も政治闘争の先頭に立つ時だ。全国学生は全学連の旗の下に結集し、靖国闘争の爆発から今秋改憲阻止300万ゼネストに向けて進撃しよう。
 靖国闘争はアジア人民との共同闘争だ。韓国の民主労総も8月15日に靖国参拝阻止に決起する。闘う朝鮮・アジア人民と心から連帯し、全国から東京に駆けつけ、小泉の靖国参拝を粉砕しよう。

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週刊『前進』(2258号4面2)(2006/08/14)

 靖国神社とは何か 戦争動員のための装置

 「国のための死」顕彰

 「天皇の軍隊」正当化

 柏木 俊秋

 明治維新後に建立

 靖国神社とは、どういう施設だろうか。
 靖国神社がつくられたのは、明治維新のただなかである。薩長倒幕軍(天皇政府軍=官軍)と幕府軍の間の戊辰戦争が函館五稜郭の戦いで決着の付いた1869年(明治2年)、天皇政府は江戸を東京と名づけて新首都とし、皇居に接した九段上に東京招魂社という神社を建立した。この東京招魂社が10年後の1879年に明治天皇の意思で靖国神社と改称され、全国各府県につくられた護国神社の総元締めとなった。
 戊辰戦争での官軍勝利の直後に創建されたことが示すように、靖国神社は最初から「国のため、天皇のために忠義をつくして死んだ者」を祀(まつ)るための神社であった。その後これが、帝国主義的侵略戦争に人民を駆り立てる戦争神社・侵略神社となっていく。
 靖国神社と他の神社の大きな違いは、祭神の中身と数である。神社というと、「アマテラスオオミカミ」のような『古事記』『日本書紀』の神話の中の神、あるいは特定の天皇・皇族や菅原道真のような歴史上有名な人物を「祭神」とするのが通例だが、靖国神社の場合はそれとはまったく異なり、ごく普通の兵士たちを「国=天皇への忠節」を唯一の基準にして「神」(祭神)に祭り上げている。しかも、今日では総数246万6千人もの戦没者が靖国神社の祭神とされ、その「魂」が「ただ一つの神の座」に一緒に祀られるという独特の形をとっている(これを合祀という)。
 さらに、同じ戦没者でも官軍に対して「朝敵」「賊軍」に回った会津藩の兵士や西南戦争で死んだ西郷隆盛や薩摩の兵隊たちは冷酷に排除されている。また、戦死者ではないが吉田松陰や坂本龍馬のような「勤王の志士」も「国事殉難者」の呼び名で祀られている。
 これらの事実からも靖国神社が単なる「慰霊」「追悼」や「平和祈念」のためにつくられた施設ではなく、実に政治的で手前勝手で差別的な性格の強い独特の国家主義的イデオロギー装置であることが分かる。
 実際に靖国神社が行ってきたことは、個々の死者を戦争の犠牲者として「悼む」ことではなく、「国のための死」を褒めたたえ、奨励し、天皇制賛美と結びつけて「顕彰」することであった。
 つまりそれは、「普通の人間(臣民)」でも国=天皇のために命をささげたら「神」になる、靖国神社に祀られれば「英霊」とたたえられ、「名誉の戦死」「誉れの家族」として尊敬され、経済的にも種々の恩恵を受けられる、といった観念を実利がらみで労働者や農民たちに植えつけ、「天皇の軍隊」「天皇の戦争」に次々と駆り立てていくための軍事的装置だったのである。

 軍管理の戦争装置

 靖国神社という独特の「神社」がつくり出された背景には、明治政府が天皇制国家の正統性を押し出すために案出した「国家神道」というエセ宗教(宗教ならざる宗教=超宗教)がある。
 これは、記紀神話(天孫降臨神話)と結びつけて天皇を「現人神(あらひとがみ)」として絶対化し「神道は国民が従わなければならない祭祀・道徳であって宗教ではない」というへ理屈のもとに全国の神社を統合した上、仏教、キリスト教、天理教などの諸宗教を天皇制国家にむりやり従属させる役割を果たした。国家神道の役割は、その後の歴史が示すとおり、天皇制の正統化にとどまらず、何よりも「天皇の戦争」を正当化し推進するイデオロギーとして日本とアジアの人民に巨大な惨害をもたらした。
 国家神道を実際に体現した最大の実体が靖国神社である。教育勅語と軍人勅諭と靖国神社がアジア侵略戦争への国民動員の要となったのである。天皇や南朝の忠臣らを祭神とする神社(橿原神宮、平安神宮など)が次々に建てられる一方、全国の約10万社に及ぶ神社が官幣社(伊勢神宮など)・国幣社・府県社・郷社・村社などに格付け・序列化された。靖国神社の場合は、祭神が天皇・皇族や神話上の神々ではない「臣民」のため「別格」の官幣社とされた。その下に府県社としての招魂社を位置づけ、ピラミッド型の支配機構をつくった。招魂社は1939年に護国神社と改称された。靖国神社の地方版である。
 戦前の国家神道下の神社はすべて内務省が管轄したが靖国神社だけは陸軍省と海軍省が直接管理した。日清・日露戦争や15年戦争など大量の戦死・戦没者を一手に扱う軍事機関だからである。
 この靖国神社の主な行事は、春秋の例大祭と新たな戦没者を合祀する際の臨時大祭である(戦後は、これに夏の「みたままつり」が加わった)。とりわけ臨時大祭の場合は、天皇の臨席のもとに国家的な一大イベントとして開催され、ラジオの生放送を通じて全国民が参加させられた。「名誉の戦死」をとげた戦没者の遺族たちは、この「ハレの日」に特別招待され、各種の恩典を与えられた。こうした国家祭祀・国家儀礼を通じて人民を新たな侵略戦争に動員していく軍事イデオロギー装置として、靖国神社は天皇制国家を支え続けたのである。

 戦後も侵略を礼賛

 したがって、敗戦後の神道指令で国家神道が廃止された時、靖国神社も当然廃止されてしかるべきだった。だが実際には、天皇制存続の陰に隠れて、1946年の宗教法人令に続く52年の宗教法人法により、新憲法(政教分離)下の単立の宗教法人(東京都知事の認可)に「転身」することで生き延びた。管轄も陸海軍省から厚生省(現厚労省)に移ったが、その中身、特に精神的・イデオロギー的な中身は戦前とほとんど変わらないまま引き継がれている。
 宗教法人靖国神社の規則は、「明治天皇の宣らせ給ふた『安国』の聖旨」を絶対の基準に掲げ、「戦没者の命は国=天皇のもの」「だから合祀の決定権は神社にある」という言語道断の立場をとり続けている。これを盾に、韓国・台湾など旧植民地出身者を含む多くの遺族たちの靖国合祀取り下げの訴えや首相の靖国参拝違憲訴訟などを問答無用にはねつけているのだ。
 また、靖国訴訟のたびに厚生省―厚労省は「国は関係ない、神社の決めたこと」と言って責任逃れをしているが、最近、56年当時の国=厚生省主導の合祀事務実施の「要綱案」が明るみに出た(7月29日付朝日新聞)。政教分離の現憲法下にあっても、靖国神社と国とは一体の関係にあるのだ。
 戦後の靖国神社は、組織力800万と言われた日本遺族会と自民党・右翼勢力をバックに靖国神社国家護持運動や天皇・首相の公式参拝運動を執拗(しつよう)に繰り広げてきた。02年にオープンした神社境内の軍事博物館「新遊就館」は、さながら「新しい歴史教科書をつくる会」イデオロギーの独占的宣伝場である。戦争反対・9条改憲阻止を貫くためには、靖国神社の存在自体を許してはならない。

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週刊『前進』(2258号4面3)(2006/08/14)

 平和遺族会全国連絡会代表 西川重則さんに聞く

 有事法制下の靖国問題

 「A級戦犯靖国合祀/昭和天皇が不快感」――7月20日、日経新聞が報じた天皇発言メモ。翌日の朝日新聞朝刊には「A級戦犯合祀を不快に思うなら、なぜ自分の戦争責任について何も発言しなかったのか」との西川重則さんのコメントが載った。西川さんは本紙のインタビューに、「問われているのは有事体制化の靖国問題、あるいは有事法制下の靖国問題だ」と鋭く指摘した。
   ◇■
 マスコミはよくぞ言ってくれたと昭和天皇を評価し、平和主義者であったかのように論じている。8・15に小泉首相が参拝するのかしないのか、ここだけに問題を収れんするマスコミの姿勢は問題。ここで主権者がしっかりしないと、巨大な権力構造と闘うことが難しくなる。
 秋の臨時国会では、春に継続審議となった共謀罪や国民投票法案、教育基本法改悪案、防衛省設置法案が出てくる。私たちはこの悪法を時間もエネルギーも使って、阻止しなければなりません。
 99年に新ガイドライン、国旗国歌法が通り、今日の日米軍事同盟、軍事再編まで進んでいますから、有事体制化の靖国問題、有事法制下の靖国問題です。靖国参拝の定着が図られ、「象徴天皇の1日も早いご参拝を」というわけです。小泉首相は8・15靖国参拝を最後の公約と言う。日本遺族会に対する公約です。
 私の兄は45年9月15日にビルマで戦病死しました。わずか24歳で虚しい人生を終えたのです。兄の命を奪ったのは昭和天皇の絶対命令です。しかし私たちは、加害の責任のある家族の立場です。
 私たちに問われているのは戦争の惨禍を繰り返してはいけないということです。アジアに対する侵略、加害の歴史と向き合い、これを繰り返してはならないとの思いで平和遺族会全国連絡会を結成しました。
 首相は靖国参拝は「心の問題だ」と繰り返していますが、では憲法99条は誰に「憲法を尊重し擁護する義務」を課しているのか。国会議員は憲法遵守(じゅんしゅ)義務を負っているのです。国会議員に縛りをかける権利は主権者である私たちにある。これが立憲主義に基づく法の支配です。
   ◇■
 問題は、天皇制・国家神道体制です。マッカーサーと天皇による政治的共存、共生の結果、9条で戦争放棄をうたい、1条で象徴にすぎない天皇は残すとされました。石原知事が「象徴天皇の靖国参拝を」と言っていますが、これこそ戦後をもう一度戦前に戻す運動を進める勢力の目標です。
 1945年12月15日にGHQは国と宗教の分離原則を示した「神道指令」を出しました。55年に全国護国神社会が一日も早く20条3項の政教分離を削除することを申し合わせました。彼らには「亡国憲法」と「亡国指令」なのです。69年6月30日に靖国法案が出され、その年の5月3日に岸信介を初代会長とする自主憲法制定国民会議が発足しています。70年には「神道精神を国政の基礎に」を求める神道政治連盟国会議員懇談会ができ、歴代保守内閣を構成してきました。ですから「日本は天皇を中心とする神の国だ」と2000年に森首相が言いましたが、ごく当然なんです。
   ◇■
 私は、記憶の継承教育のひとつとして靖国ガイドを行っています。韓国と日本の高校生が一緒に私のガイドで靖国神社について学び、討論をする機会がありました。そこで歴史認識の深さの違いが浮き彫りになった。植民地支配について日本の高校生が知らない。やはり学びが必要です。新遊就館の何が問題なのか、率直に議論しました。これが平和教育です。若い皆さんにはぜひしっかりと学んで、戦後史を総括していただきたい。
 百万人署名運動は小異を残して大同につく運動だと思っています。私はキリスト者としてアメリカのキング牧師の運動に賛同しています。非暴力・平和主義ですが悪法には絶対に従わない。抵抗し、直接行動で闘うのです。神を畏(おそ)れ、人を恐れない。1人でも闘う、ともに闘う。
 天皇制右翼は靖国神社に昨年以上に集めると、1年間かけて準備しています。有事体制化の靖国問題としてとらえ、新たな侵略戦争を阻むためにともに闘いましょう。
 (聞き手・室田順子)

◎にしかわしげのりさん
 1927年生まれ。平和遺族会全国連絡会代表。とめよう戦争への道!百万人署名運動事務局長。主な著作『天皇の神社靖国』(梨の木舎)、『わたしたちの憲法』(いのちのことば社)、 『「新遊就館」ものがたり』(いのちのことば社)ほか

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週刊『前進』(2258号10面1)(2006/08/14)

 今、なぜ靖国問題なのか。帝国主義と戦争の危機

 9条改憲と戦争に反対する戦略的闘いに今こそ立とう

 東山 整一

 今、なぜ靖国神社問題なのか。それは日本帝国主義にとって、日本労働者人民にとって、戦争の危機がかつてなく生々しい現実として目前に迫りつつあるからだ。「戦死」にどう向き合うのかという形で、半世紀をこえてあいまいにしてきた敗戦帝国主義としての日帝の国是・国家イデオロギーが、待ったなしに、根底から問いただされるに至ったからである。小泉は首相就任以来5年続けて靖国参拝を続けている。もちろんこれは小泉の「心」の問題などではない。01年9・11以降の世界情勢を背景とするアフガニスタン・イラク侵略戦争への自衛隊参戦、そして有事関連諸法制の制定から米軍再編の名で進行する米帝新世界戦争戦略への自衛隊の限りない融合と一体のものとしてある。だが重要なのは、ここにこそ実は日帝の軍事政策の最大の破綻(はたん)点もまたあるということだ。敗戦帝国主義から侵略帝国主義への命がけの飛躍は、ここにおいて没落帝国主義としての最も深刻かつ無残、解決不能な墓穴へと転化しつつある。こうして日帝ブルジョア支配階級の内部には、靖国をめぐる亀裂が走り、分裂が深まり、動揺と右往左往が拡大している。61年目の8・15を前に、7月20日付日本経済新聞のスクープ=「昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感」うんぬんの記事は、この靖国と天皇制と日本帝国主義をめぐる危機を恥ずかしげもなく自己暴露したものだ。同時にそれはすべての日本の労働者人民に、今こそ改憲と戦争に反対する戦略的闘いに総力で立ち上がるべきことを教えている。
(写真 国際連帯のもとに闘われた昨年の8・15靖国弾劾闘争)

 靖国めぐる混迷から日帝は逃れられない

 日経新聞という日帝ブルジョアジーの意向を最も忠実に代弁してきた機関紙による報道は、昨年6月の読売新聞社説、「国立追悼施設建設を急げ」の主張と並んで、日帝ブルジョアジーの内部において、小泉というブルジョアジーの政治的番頭が毎年続ける靖国参拝をめぐってきわめて深刻な混迷が深まっていることを示している。
 もちろんこれは、日本共産党あたりが恥ずかしげもなく片思いしているような財界の平和勢力化を意味するものではない。世界経済は、WTO交渉の決裂、保護主義の台頭、中東危機と並行して進む原油高等々の要因によって破局的危機をさらに深めている。日帝ブルジョアジーはここでの生き残りを米帝経済への一層の依存とそれとの一定の緊張をはらんだいわゆる「東アジア共同体」構想への道に求めている。日本の対中貿易が対米貿易を超えたのは04年である。今や「世界の工場」として急成長を続ける(その内的矛盾を爆発的に膨張させながら)中国、さらにはASEANからインドに至る何十億アジア民衆の搾取と収奪の上に今日の日本資本主義は成り立っている(消費量の9割を占めるペルシャ湾石油の確保を絶対的生命線にしてだが)。
 こうして日本ブルジョアジーは自己の存立のかかった死活的要求として、日米軍事枢軸の形成を、日米安保の「世界の中の日米同盟」への飛躍を、そして何よりも9条改憲による集団的自衛権の全面解禁を声高に叫んできたのである。一言でいえば、敗戦帝国主義としての殻を最後的に打ち破り、一人前の帝国主義としての世界大的な規模を持った軍事政策を奪還することの必要性を絶叫し続けてきたのである。
 だがここで最も困難なのが「国のために生命をささげる若者」の育成である。課題は二つある。ひとつは教育だ。だから「日の丸・君が代」強制であり、「つくる会」教科書であり、教育基本法改悪による「愛国心」注入である。いまひとつが宗教、ないしは「戦死者」を国がいかに扱うかの問題である。だがあのアジア・太平洋戦争における自己の壊滅的敗北(それは明治維新以来の近代日本の総破産であった)を何ひとつ総括せず、ただ「冷戦」下の米帝世界政策に寄りかかることで一切を頬(ほお)かむりし、狡猾(こうかつ)にやり過ごしてきた日本帝国主義は、前者では「平成の教育勅語」を持ち出すことしかできず、後者でも靖国神社以外に回答を持ち合わせていないのだ。
 だが靖国神社とは、その付属軍事博物館=遊就館のおぞましい展示内容を挙げるまでもなく、明治以来連綿と続く「大日本帝国」の朝鮮・中国・アジア侵略戦争と対米戦争を全面的に居直り、賛美するものである。いわゆるA級戦犯合祀は、このような靖国神社のあり方の逸脱としてではなく、その本質の顕現としてあるのだ。だがここへの毎年の首相参拝は、それが日本における新たな軍国主義台頭の最も鋭い、あくどい一環であるがゆえに、特に南北朝鮮、台湾、中国等の民衆の激しい怒りを呼び起こしてきたのである。
 これに対して日帝ブルジョアジーは、一方では明治以来の番犬帝国主義としてのアジア蔑視(べっし)的悪臭を振りまきながら対中国・対韓国の排外主義をあおりにあおってきた。そこでは北朝鮮・金正日政権の反人民性や軍事冒険主義がとことん餌食(えじき)にされた。だが他方で彼らは、小泉の靖国参拝が生み出す、とりわけ中国との間の「政冷経熱」をこえた「政冷経涼」的関係をもはや受け入れられなくなった。それは東アジア経済における日本帝国主義の陥没・失陥の危機を突きつけてきた。こうして日帝ブルジョアジーは、自らつくり出した危機にのたうち回りつつ、靖国の政治的・国際的焦点化をなんとか回避しようとあがき始めた。だがそこにはどんな回答も解決も用意されていない。日帝が日帝である限り、日帝が戦争への道を突き進もうとする限り、日本のブルジョアジーは、靖国問題という呪(のろ)われた軛(くびき)から解き放たれることはけっしてないのだ。

 戦争責任の追及恐れ戦犯合祀に「不快感」

 報道によれば、靖国神社は78年に当時の宮司松平某の独断でA級戦犯を合祀、これに不快感をもった天皇裕仁が以降参拝しなくなったとされている。だがその後の報道でも明らかにされているように、戦後における靖国合祀も、戦前の陸海軍省(靖国神社の管轄者)の業務を継承する厚生省(国)が地方自治体に協力させて、全面的に主導してきた。当時の宮司が合祀さえしなければ、今日の靖国問題はなかった(マスコミ報道はこのトーンに終始している)などというほど、ことは簡単ではない。
 A級戦犯とは、今からちょうど60年前の46年5月に始まる東京裁判において「平和に対する罪」で有罪判決を受けた戦争犯罪人を指している。東京裁判は、「非軍事化」と「民主化」を指針とするGHQの対日占領政策における、公職追放(約20万人におよぶ戦中期指導者の追放、いわゆるホワイトパージ)と並ぶ、最も重要な権力行為、権力発動としてあった。
 だがマッカーサーの対日占領政策は、もちろん日本軍国主義を再び米帝に牙をむくことができなくなるまで解体すると同時に、それ以上に日本の敗戦が日本の革命に転化することを防止するという目的意識性に貫かれたものであった。こうして東京裁判は、28年から45年までの天皇の軍隊の戦争犯罪の共謀の罪で何人かの軍人などを訴追しながら、その共謀に首尾一貫してかかわってきた唯一の人、大元帥・裕仁はあらかじめ免訴するという茶番、日米合作の政治裁判として開かれる。
 48年11月の判決は、東条英機以下7名に死刑、これを含む25名に有罪の結論を出した(2名は判決前に獄死)。そして52年4月発効のサンフランシスコ講和条約11条で(当時はまだ終身刑などのA級戦犯が獄中にいたが)、日本国は東京裁判を「受諾」し、そこで確定した刑を執行することを約束した。つまり、戦後日本は独立を回復するにあたって、(天皇の免罪と引き換えに)A級戦犯の処罰の「受諾」を国際公約として表明したのだ。
 だがこれは表向きだけ、日帝得意の二枚舌だった。独立回復とともに日帝は待っていましたとばかり、52年から55年にかけて衆参両院で4回にわたり戦争犯罪人の釈放・赦免の決議をほぼ全会一致で採択し、50年代前半からA級戦犯を次々と出獄させ、重光葵や賀屋興宣などの戦犯が直後から政界に復帰したことはよく知られている。ここで最も注目すべきは岸信介である。岸は一度はA級戦犯に指定され、逮捕されながら、裁判の長期化、「冷戦」の激化、占領政策の転換の中で、東条処刑の翌日(48年12月)には不起訴のまま釈放され、周知のように57年には首相になり、60年安保改定の立役者になった。そしてこれらA級戦犯の戦後的軌跡は、(公職追放の解除とともに)反ソ・反共の日米安保政策のもとでの米帝の強力な後押しを受けて生まれたのである。
 岸のように東条内閣の商工大臣として日米戦争の先頭に立った人物が、戦後は日米同盟強化の旗振り役を演ずるところに、日本帝国主義における戦前と戦後の断絶と継承の関係が象徴されている。そしてこのことは、実はA級戦犯うんぬんの次元に限ったことではなく、天皇制そのものについても言える。かつては統治権の総覧者であり、軍事大権から教育大権、非常大権までを一手に集中してきた絶対的天皇制が戦後象徴天皇制に変わることによって、それが大きく政治の表舞台から後景化したことは事実である。だがそのことを指摘するだけでは不十分である。一番肝心なことは、戦後の象徴天皇制は第2次世界大戦に勝利した米帝国主義の戦後世界支配体制の決定的一環として延命し、再生してきたということである。
 戦後天皇制はけっしてマッカーサー占領政策の方便としてたまたま延命したのではない。最近の研究では早くも42年半ばごろ(真珠湾攻撃の半年後)から、米帝中枢において、〈日本の敗戦が日本の革命に転化することを防ぐ〉という至上命題のために、天皇制を利用することが議論され始めている。これに対して天皇裕仁はおのれの戦争責任の帳消しとそれを通じての日本革命の防止のため、日本側において最も重要な役割を果たす反革命的主体として立ち現れる。47年9月の沖縄売り渡しの天皇メッセージから、50〜52年日米安保制定前夜の天皇外交がそれを示している。ここに明らかなことは戦後象徴天皇制と戦後日帝の基本政策としての日米安保政策は深く通底しているということである。
 A級に続いてBC級戦犯も58年までには全員赦免・釈放され、70年にはBC級の刑死者約千名が靖国に合祀される(BC級戦犯とは捕虜虐待など通例の戦争犯罪を犯したもの)。78年のA級戦犯の「昭和殉難者」としての合祀もこの流れの帰結と言える。そして今、小泉の参拝が毎年続いている。だがこのような「逆コース」以来の歴史はけっして平坦に進んできたのではない。ひとつは国内の階級的抵抗、特に60年安保闘争と70年安保・沖縄闘争である。前者は反安保の闘いであると同時に反岸の闘いであった。国外では「冷戦」で遅れるが特に中国からの反撃の結果として、82年教科書問題の爆発(「近隣条項」導入はこの時)、85年の中曽根参拝の挫折(ざせつ)等があげられる。
 78年合祀と裕仁の反応に戻れば、そもそも自分こそA級戦犯の筆頭として処刑されるべき戦争犯罪に手を染めてきた人物が、その「忠良なる臣下」の合祀に「不快感」を示すなどということはただ破廉恥・醜悪の極みと言うほかない。だが同時に裕仁はけっして「暗愚の帝王」だったのではなく、極めて反革命的嗅覚(きゅうかく)の鋭い政治家だった。その「不快感」の底には、A級戦犯合祀が靖国の危機だけではなく、戦後象徴天皇制のすでに見てきたようなあり方の危機を招きかねないことへの恐怖が横たわっていたに違いないのだ。
 78年段階もすでにベトナム失陥後で米帝の戦後世界支配体制は大きく揺らいでいたが、今日では91年ソ連崩壊をはさんで、とりわけ中東危機の激烈な進展(イラン革命→湾岸戦争→9・11)を導火線に、それは音を立てて崩壊しつつある。そして戦後象徴天皇制もまたその存立の大前提、すなわち米帝による戦後世界支配の安定とそのもとでの日帝の安定的繁栄の崩壊とともに政治的激浪にのみこまれ、一方では天皇制本来の凶暴性をあらゆる場で衝動的に突出させ、他方ではそれが呼び起こす階級的反撃と国際的孤立におびえつつ、没落帝国主義・日帝の最大の政治的・軍事的弱点を形成しているのだ。

 形式強制する暴力が天皇制と靖国の本質

 靖国問題に長年取り組んできた大島孝一氏は、ある時、靖国神社の「本音」を聞いたとして次の言葉を紹介している。
 「あなたがたクリスチャンが、神社を参拝なさるのを私たちは歓迎しますよ。心の中で、キリスト様にお祈りなさっても結構です。ただし、形だけでも神社に拝礼だけはしていただきます」
 まさに本音、靖国と国家神道の核心、ひいては天皇制・天皇制イデオロギーの本質が語られている。内心ではなく形式、この形式を守らせるための暴力と強権、これが天皇制のすべてである。戦前の帝国憲法をつくった伊藤博文は、欧米諸国にあるキリスト教に代わるものが日本にもなくてはならないとして、天皇を現人神、上御一人とする一神教に似せた国家神道というエセ宗教をデッチあげた。だが似て非なり、であった。
 ここでは宗教一般についての批判は捨象するが、まずキリスト教には教祖がいて、教典がある(仏教やイスラム教も同じだが)。そこには「教え」があり、内心が問題にされ、「内心の救済」を求める個人の宗教がある。もちろんキリスト教の歴史はさまざまな権力と結びついて民衆を支配してきたイデオロギーの歴史である。最近では帝国主義の植民地侵略・支配の先兵の役割を果たしてきた。だがにもかかわらずそれは、個人、内心にかかわる宗教であるがゆえに、たとえばベトナムには、フランス帝国主義が撤退した後にもキリスト教徒は残った。
 これに対し国家神道はどうか。それは古代神道に起源を持つ、教祖も、教典もない自然宗教を基にしている。「教え」も「内心の救済」も関係ない、形式、儀式こそすべての集団の宗教である。そこでは徹底的に個人が否定されるが、それは古代社会においては共同体からの逸脱は死を意味したことにさかのぼる。これを近代国家イデオロギーの基軸に祭り上げるためには何より暴力と強権がすべてだった。だから天皇制日本は、朝鮮神宮を始め、植民地各地に数々の神社をつくり、現地の人びとを強制参拝させるが、8・15以降どこの旧植民地にも国家神道の信者など一人も残らなかったのだ。
 日本帝国主義は最も遅れて世界史に登場した帝国主義である。近代日本国家の設計図をつくるために、大久保利通、木戸孝允、伊藤らを含む岩倉使節団が欧米に旅立ったのは明治4年だが、それは1871年のパリコミューンの年そのものであった。彼ら明治の元勲たちは、こうして日本の資本主義化、ブルジョア的近代化をスタートさせるはるか以前から、自由とか、人権とか、民主主義とかを許せばやがて社会主義がやってくるという強烈な反革命的恐怖心で針ねずみのように満身を武装して、明治国家の建設に取り掛かるのである。
 もともと近代ブルジョア憲法のタテマエは、個人の尊厳(封建的秩序・しがらみからの個人の解放)を核とした権力の分立と人権の保障からなる。しかし自由民権運動の圧殺・取り込みの上に成立する帝国憲法体制は、家族制度を国家支配の末端に組み入れながら、封建社会的限界(忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず)を「忠孝一本」的思想で突破し、全人民を天皇と国家のもとに暴力的に組み敷いていった。そしてこの秩序を乱すものは「非国民」として社会的に抹殺されていった。
 先に国家神道には教典がないと言ったが、強いて挙げれば帝国憲法の翌年に発せられた教育勅語がそれにあたる。「滅私奉公」、私=個人の否定としての公への翼賛がすべてである。ちなみに「公」を広辞苑で引けば「@天皇、A朝廷」とある。そしてこの勅語の核心は言うまでもなく、さまざまな儒教的徳目に続く「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」にある。そしてこれは軍人勅諭の「義ハ山嶽ヨリモ重ク死ハ鴻毛ヨリモ軽シト覚悟セヨ」から、戦陣訓における「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコト勿レ」へと一直線に連なる。こうして滅私奉公の思想は、究極的には生の否定としての死(=天皇のための忠死)の顕彰・賛美、すなわち靖国の思想に行き着くのである。
 内心ではなく形式だけなどと攻撃を侮ってはならない。じわじわと締め付け、一歩一歩と後退を強いられ、気がついた時はもう身動きがとれず、最期には「玉砕」と「特攻」と「集団自決」に追い込まれ、そしてその恐怖から、自らをアジア何億民衆に最も憎まれた「日本鬼子(リーベンクイズ)」に改造していった日本の民衆、労働者農民兵士たちの歴史を忘れてはならない。日本帝国主義が再び戦争を始める時、日米同盟のもとであれ何であれ、「自由」や「人権」のために若者を戦場に駆り立てられるはずがない。結局かつてのやり方以外に何もないのだ。教育の場でそれはすでに先行している。

 天皇制を突き崩す質獲得した不起立闘争

 東京都教育委員会の03年10・23通達下で今、東京都の教育現場で進行している事態は何なのか。要するに石原と都教委の直接の目的は、卒・入学式を厳粛な「儀式」として成功させること、これに尽きる。だがこうして現場からの戦後教育の暴力的解体と皇民化教育の復活が始まっているのだ。実際、少なくない教育労働者が、内心ではこのような権力の教育への介入に強い抵抗感を持ち怒りを抱きながら、その後の処分と報復を恐れて、起立と斉唱と伴奏を強いられている現実を軽視することはできない。
 しかしまた他方では、たとえ少数ではあっても、勇気ある教育労働者の決起、不起立の貫徹、40秒間のストライキが各地で、形を取り繕うことだけに汲々(きゅうきゅう)とした、空疎な儀式を粉々に粉砕し、10・23通達の無力性を完膚なきまでに暴き出しているのである。これは天皇制・天皇制イデオロギーをその核心において突き崩す闘いである。戦後60年、われわれが先達たちの闘いを引き継いで、血と汗で切り開いてきた階級闘争の地平は、敵がかつてと同じ手法で(彼らにはそれ以外にないのだが)戦争を準備しようとしても、それを許さないだけの質を獲得していることを、このような闘いがわれわれに教え、勇気づけているのである。
 靖国と教育は日帝の新たな戦争に日本の若者を総動員するためのイデオロギー的両輪である。9条改憲のイデオロギー的支柱である。「日の丸・君が代」強制と「愛国心の法制化」の行き着く先が「戦死者の英霊化」である。靖国神社とは、天皇の名のもとに、国家が戦死者を管理・顕彰し、それをとおして生者を新たな戦場・戦死に駆り立てるための死の祭壇である。人倫の根源を踏みにじる死のイデオロギー装置である。だが靖国神社はその本質からして天皇の参拝がなければ成り立たない宗教施設なのである。ところが今回は、なぜ天皇が参拝してこなかったかのぶざまな内幕までさらけ出してしまったのだ。分祀? 無宗教化? 千鳥ケ淵? すべて問題をさらにこんがらがせるだけだ。日本のブルジョア支配階級はただうろたえ、途方に暮れている。
 日本帝国主義は、1945年8・15によっていったん折れた、つぶされた帝国主義である。そして直ちに起こる戦後革命の嵐を米軍の力に依拠してかろうじてのりきる。その中で生まれたのが現行憲法であり、教育基本法である。戦後革命敗北の副産物である。それから60年余り、日本のブルジョアジーは長年の悲願であった改憲に着手している。日本階級闘争は今日、完全に改憲をめぐる攻防のステージに突入した。ポスト小泉政権のもとで事態は一層明らかになるだろう。
 だが改憲といっても、自民党も民主党も改憲派だから、スムーズにいくだろうなどと思ったら大間違いである。そもそも61年前の8・15そのものをまともに対象化も、総括もしてこなかった日帝ブルジョアジーが、8・15以降の「屈辱の歴史」(ブルジョアジーにとっての)を清算するといっても、具体的論点に踏み込んだとたんに混乱・迷走・分裂の渦に飲み込まれることは目に見えている。靖国問題で今現出しているブルジョアジーの右往左往は、改憲本番をめぐって起こることの前触れに違いない。
 今こそ改憲阻止闘争への渾身(こんしん)の力を込めた決起が求められている。だが改憲闘争といっても、それは今現在あらゆる分野で闘われている闘いと別のところにあるのではない。労働運動を軸に、学生運動、市民運動、農民運動のすべてを包含した全人民的闘い、そして政治闘争と経済闘争の全領域における闘いを、全力で、かつ「改憲阻止・日帝打倒」の質的高さをもって闘い抜き、その中で憲法闘争としての憲法闘争を06年秋をとおして離陸させることが、まさに今待ったなしの課題になっているのである。

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週刊『前進』(2257号3面4)(2006/08/07)

〈焦点〉A級戦犯合祀と天皇発言メモ

 天皇の戦争責任封印狙う

 7月20日、靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)に関する昭和天皇ヒロヒトの1988年の発言メモが報じられた。靖国神社が1978年にA級戦犯を極秘に合祀したことにヒロヒトが「不快感」を示し、「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の富田宮内庁長官に語っていた。天皇による靖国参拝は戦後も計8回行われたが、A級戦犯の合祀以降は一度もない。中断はヒロヒト自身の意思であることが明らかになったのである。
 この事実が公表されたことで、小泉首相の靖国参拝問題がいよいよ重大焦点化した。だが小泉は、8月15日の参拝をあくまで強行する姿勢を取り続けている。その一方で、政府・自民党内には大きな動揺が広がっている。天皇の参拝を可能にするにはA級戦犯の分祀が必要との声(古賀日本遺族会会長など)も上がり、自民党総裁選への動きともからんで、支配階級内の分裂が一挙に深まっている。
 これは、靖国問題が日本の支配階級にとって解決不能の矛盾点、危機点であることを示すものだ。同時にこの天皇発言は、それ自体が労働者階級にとって絶対に許せないものだ。何よりもそこには、ヒロヒト自身の戦争責任に対する極めて卑劣でペテン的で傲慢(ごうまん)な居直りがある。この発言自体が徹底弾劾の対象だ。
 天皇ヒロヒトこそ、日本帝国主義が引き起こしたかつての戦争を最先頭で推進し、陣頭指揮した張本人だ。アジア人民2千万人を虐殺し、日本の人民も310万人が犠牲になった戦争の、最大最高の責任者はヒロヒトである。だが戦後の天皇はマッカーサーらの天皇制存続の方針を背景に、自らが犯した戦争犯罪の責任のことごとくを、卑劣にも東条英機ら一部の政治・軍事指導者に押しつけることで戦犯としての訴追を免れ、延命した。そのヒロヒトにとってA級戦犯の靖国神社合祀は、封印したはずの自己の戦争責任を再び焦点化させる危険を生むものだった。88年発言はそれへの恐怖と「怒り」の表明としてあったのだ。
 このことは、戦争国家化に突き進む日帝にとって、靖国問題が実は最大の弱点であることを突き出している。日帝は今日、日米同盟のもとで新たな侵略戦争・世界戦争に乗り出そうとしており、戦死者を再び“国に命をささげた英霊”としてたたえる装置の復活を絶対に必要としている。それは靖国神社以外にない。小泉が靖国参拝にこだわる理由はここにある。だがその公然たる復活は同時に、かつての帝国主義戦争がもたらした地獄絵と、そこにおける天皇と日帝の戦争責任をあらためて逃れようのない鋭さをもって突きつけずにはおかない。
 昭和天皇発言メモが明るみに出たことは、「天皇=平和主義者」のデマ宣伝とともに、天皇の権威を正面に押し出すことで現在の危機を突破しようとする新たな動きをも生んでいる。労働者階級にとって必要なことはただ一つ、天皇制や靖国神社の存在そのものを徹底糾弾し、その解体を要求して戦争反対に立ち上がることだ。闘うアジア人民と連帯し、小泉の8・15靖国参拝を阻止しよう。

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週刊『前進』(2256号1面1)(2006/07/31)

 小泉の8・15靖国参拝 させるな

 北朝鮮・中国侵略戦争のため「国に命をささげよ」とあおる

 7・30東西革共同集会へ

 7・15国連安保理決議をもって米・日帝国主義による北朝鮮への経済制裁と侵略戦争の攻撃がますます加速している。サンクトペテルブルク・サミットも北朝鮮への非難決議を採択した。日帝・小泉政権は安倍や麻生を先頭に安保理「7章決議」に向け反動的に突出し、日米枢軸のもとで北朝鮮侵略戦争を本当にやろうとしている。これは改憲と戦争への恐るべき歴史的踏み切りである。敗戦から61年目を迎えるこの8月が、労働者階級にとって決定的な闘いの時となった。8・6広島―8・9長崎反戦反核闘争に全国から総結集しよう。小泉の8・15靖国参拝を絶対にさせるな。怒りの反撃をたたきつけよう。9条改憲阻止・戦争阻止の大運動に今こそ全力で踏み出そう。(関連記事4面)

 侵略戦争動員狙う小泉

 今年の8・15闘争は、例年にもまして重要な闘いとなった。小泉は9月の任期切れを前に、8月15日の靖国神社参拝を今度は実際に強行しようとしている。首相による公式参拝をここで正面突破的に正当化し、以後完全に定着させることを狙っている。
 小泉はなぜ靖国参拝にこだわるのか。イラク侵略戦争に続いて、北朝鮮や中国への侵略戦争に本気で突き進むことを考えているからだ。出兵した自衛隊員が実際に米軍と一体となって戦闘を行い、他国の人民を虐殺し、自らも戦死者となって帰ってくる事態を想定しているからだ。そのためには1945年以前のように、兵士の死を「国のための死」「英霊」として、大々的にたたえる装置の復活がぜひとも必要になっているからだ。
 イラクへの陸自派兵もその最大の目的は陸上自衛隊に戦場の実体験を積ませることだった。陸自撤収と引き換えに、今度は空自が米軍物資の輸送を戦火の中心であるバグダッドまで拡大する。6月29日の日米首脳会談では「新世紀の日米同盟」が宣言された。米帝と日帝が公然と軍事ブロックを形成して、世界の資源・市場・勢力圏略奪のための新たな侵略戦争・世界戦争に突き進むことを宣言したものだ。そしてミサイル問題を口実に北朝鮮への制裁=侵略戦争発動へと突っ込み、その既成事実化の中で9条改憲をも強行しようとしているのだ。
 小泉は、「戦没者に哀悼の意をささげるのは当然」「これは心の問題だ」などと言っている。だが重要なのは次のことだ。靖国神社に「英霊」としてまつられている人びとは、何のために、誰によって死に追いやられたのか。天皇を頂点とする日帝支配階級、当時の財閥や大地主の利益のために、朝鮮・中国・アジア人民に対する残虐極まりない不正義の侵略戦争に動員されて死んだのだ。あげくの果てに第2次大戦で「最後の一兵まで戦え」と玉砕を強いられ、地獄の苦しみの中で犬死にに追い込まれたのだ。
 靖国神社はこの歴史の真実を百八十度歪曲し、かつての侵略戦争を「聖戦」として美化してきた。しかもA級戦犯を合祀して、天皇と日帝の戦争責任を真っ向から否定し居直っている。小泉はこれを支持し、「国家に命をささげるのは素晴らしいことだ」とあおるために8月15日に靖国に行こうとしている。侵略戦争へのこの美化と居直り自体、断じて許せない。
 しかもこれは過去の歴史の問題ではない。小泉と日帝は、60年前にやったのと同じ帝国主義戦争の道に今日、再びのりだしている。トヨタやキヤノンなど日帝の大資本や金融資本の利益のために、労働者階級をとことん搾取し収奪するだけでなく、新たな戦争に駆り立てることが狙いなのだ。これが小泉靖国参拝の目的だ。
 それは同時に憲法改悪(9条改憲)と一体の攻撃であり、また「わが国と郷土を愛する態度を養う」と愛国心を導入する教育基本法改悪の攻撃と一体である。

 戦争責任の徹底追及を

 そもそも靖国神社は、宗教施設の装いをとっているが、その本質は軍事施設だ。戦前は陸海軍が直接管理していた。その目的は戦死者の「慰霊・追悼」ではなく、国家によるその死の「顕彰」にある。すなわち、生きている人びとに対し、戦場で死ぬことこそ「最高の価値」であり、“彼らに続いて天皇の国に命をささげよ”と扇動し、強要していくための国家的装置が靖国神社である。
 その役割は戦死者を「英霊」化しただけではない。天皇の軍隊が朝鮮・台湾や中国全土、アジア各地で繰り広げた〈殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす〉という残虐行為のすべてを塗り隠し、「洗い清める」ことで戦争犯罪を逆に美化し居直るという意味をもったのだ。
 まさに靖国神社こそ、かつての侵略戦争を支えた最大の支柱だ。こんなものは敗戦とともに打ち壊され、労働者階級の手で怒りを込めて廃止・解体されるべきだった。これが一宗教法人に姿を変えて今日まで生き延びることを許したのは、戦後革命の敗北の結果である。日本の労働者人民自身の手による戦争責任の追及がきわめて不徹底にしか行われず、東京裁判によるそのすりかえと、何よりも最大の戦犯である天皇ヒロヒトの免罪を許したことが大きい。
 A級戦犯合祀に関する昭和天皇の発言メモが報じられているが、それは「A級戦犯合祀」をめぐる支配階級の分裂の深まりを示している。同時に天皇制をテコにこの危機をのりきろうとする動きである。靖国問題は同時に日帝の弱点である。労働者階級が「二度と侵略戦争の歴史を繰り返させない」という決意をもって立ち上がる時、靖国闘争は改憲阻止決戦の突破口を開くものとなる。

 アジア人民との連帯を

 小泉の靖国参拝は、朝鮮・中国人民への排外主義を露骨にあおり立てるものとなっている。小泉や、安倍、麻生ら次期首相候補と目されている閣僚が、靖国参拝への韓国や中国の抗議を「内政干渉」と非難し、国内での批判を「中国の言い分に従えというのか」と恫喝している。
 日帝のアジア・太平洋戦争は2千万人にのぼるアジア人民を虐殺した。とりわけ朝鮮・中国人民は、日帝の植民地支配と侵略戦争によって最大の犠牲と苦しみを負わされた。その償いは今なおなされていない。そして今、小泉や安倍や麻生のような連中(彼らの父や祖父はかつての戦争指導者だ)が、侵略と虐殺の歴史を公然と美化し、靖国神社を再び新たな侵略戦争の道具として復活させようとしている。これに対して、朝鮮・中国人民には誰よりも真っ先に糾弾し、阻止する権利がある! 靖国神社が彼らの怒りの火で焼き討ちされたとしても、日帝には文句を言う資格はない。
 問題はA級戦犯合祀だけではない。日帝は植民地支配していた朝鮮・台湾からも人民を日本軍に徴兵・徴用し、その死者を一方的に靖国神社に合祀してきた。日本政府は一片の補償も行わず、逆に彼らの民族的尊厳を戦後も一貫して奪い続けてきたのだ。すでに韓国と台湾から、遺族を先頭に合祀取り下げの闘いが起こされている。台湾原住民族の代表は昨年、日帝権力・右翼の妨害をはねのけ、「祖先の霊を返せ」と要求して靖国神社への実力糾弾闘争に決起した。この闘いに連帯し、日本の労働者階級が今こそ8・15靖国闘争に立ち上がろう。
 小泉らが「北朝鮮の脅威」をあおり、「日本も敵基地攻撃能力を持つべきだ」と叫んで大軍拡と9条改憲に突き進むことを断じて許してはならない。戦争をしかけているのは日米帝の側だ。北朝鮮スターリン主義の反人民的な軍事的対抗政策は、帝国主義に侵略戦争の引き金を引く口実を提供している。
 日帝・小泉政権は今や本気で改憲と北朝鮮・中国侵略戦争をやろうとしている。絶対に阻止しよう。8・6―8・9、8・15闘争をその突破口としよう。4大産別決戦・改憲阻止決戦に勝利しよう。今秋11月労働者大決起を実現しよう。
 すべての闘う労働者は、7・30東西革共同政治集会に結集し、夏秋決戦をともに闘おう。

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週刊『前進』(2256号4面2)(2006/07/31)

 これが靖国神社の実態だ

 

靖国神社とは何か、その反人民性はどこにあるか――その本質を知る上で欠かすことのできない問題として、「驚くべき遊就館の実態」と「朝鮮人・台湾人合祀問題」にスポットライトを当ててみよう。(1面に8・15アピール)

  

写真 【上左】ロケット特攻機「桜花」 【上右】人間魚雷「回天」 【下】陸軍少佐・藤井一の遺筆。藤井は妻子があり特攻への志願が認められなかったため妻と二人の子が入水自殺その結果特攻に任命され戦死した【遊就館の展示より)

 青年を戦場に送るため特攻隊の死をたたえる

  遊就館が描く歴史

 日帝・小泉があくまでも靖国参拝にこだわるのは、今に生きる子どもたちに「国のため、天皇のために戦争を担い、命を捧(ささ)げる生きざま」をたたき込むためである。そのことを端的に象徴しているのが「遊就館」だ。
 遊就館は、靖国神社の拝殿のすぐ北側(法政大学に接する側)にある。1882年に「軍事博物館」として開館した遊就館は、敗戦直後の1945年12月に閉館したが、中曽根康弘が首相として靖国神社に公式参拝した85年の翌86年に再び開館された。そして「靖国神社創立130周年記念事業」で全面改装工事が行われ、小泉が靖国に参拝した2001年の翌02年に「新遊就館」として開館、今にいたっている。戦後の日帝の戦争国家体制づくりとともに歩んできた施設と言える。
 遊就館はその目的を、ホームページで以下のように記している。「我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視(み)れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦いに尊い命を捧げられたのが英霊」「英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにするのが遊就館のもつ使命」
 「近代史の真実を明らかにする」とは、“これまで語られてきた近代史は「日本はひどい戦争をやった」という誤った歴史観だった”という意味だ。それに対して、“日本の戦争は自存自衛のため、自由で平等な世界を達成するためのすばらしい戦争だった。そのために命を捨てた英霊たちの生きざまを受け継ごう”と描くのが、靖国の「近代史の真実」なのだ。
 これは「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の中身と軌を一にするものである。小泉の靖国神社参拝は、首相としてこのような歴史観を身をもって示そうとするものである。

  戦争被害を抹消

 靖国神社には日本帝国主義の明治以来のアジア侵略戦争―帝国主義間戦争による戦死者246万6000人余が「英霊」として祭られている。遊就館では、この明治以来の侵略と戦争の歴史を、さまざまな展示品とともにたどっている。
 何よりも特徴的なことは、日本の侵略戦争によって虐殺されたアジア民衆のことが一片も存在しないことだ。あたかも、日本軍はただの一人殺さなかったがごとく、である。また、沖縄―広島―長崎を始め、日本の労働者民衆が受けた戦争被害にもまったく触れない。
 館内で上映している映画「私たちは忘れない」のサブタイトルは「あなたは考えたことがありますか? 国のために生命を捧げた多くの人々の上に、私たちの“今”があることを」である。ここでも、日本の戦争の歴史を描きながら、戦争による被害の実相はまったく登場しない。そして“祖国を守るために死んだ英霊に感謝と祈りと誇りを持て”と誘導するのである。
 20ある展示室の最後の四つは「靖国の神々」。壁を埋めるのは靖国に祭られている戦死者の数千枚の顔写真だ。そして彼らが家族に書いた遺書や手紙を陳列し、どれほど真剣に祖国と家族のことを思い、どれほど純粋な気持ちで死んでいったのか――と描いている。

  「英霊受け継ぎ」

 大展示室には、特攻隊の兵器が並ぶ。胴体下に250`グラムの爆弾を装着して敵艦船に突っ込んだゼロ戦、1・2dの爆弾を搭載した人間ロケット「桜花」、1・55dの爆薬を装着して敵艦船に体当たりする人間魚雷「回天」などである。
 一度出撃すれば生還はありえず、5000人近い死者を出した特攻作戦は、帝国主義戦争の非人間性の極致である。その死は、天皇制国家を護持するための死であり、戦争を長引かせるための捨て駒であった。この特攻隊を大絶賛し、「このすばらしい死に方を受け継ごう」というのが、遊就館の目的なのだ。
 02年の遊就館新装開館に合わせて「遊就館友の会」が設立された。同会は25歳までの青少年を対象にしており、「英霊が、祖国のために大切な命を捧げられた、尊い『みこころ』を受け継ぐ」とうたっている。
 なぜ25歳までの青少年なのか? これから戦争に行く世代だからである。その世代の青少年に特攻隊の生き方を受け継がせ、アジア侵略戦争のために再び命を投げ出せと言っているのだ。国のため、天皇のために命を捧げる若者を二度と生み出してはならない。
(写真 人間魚雷「回天」出撃直前、満開の桜を手にした搭乗員。再び青年を戦場に送ってはならない)

 朝鮮人・台湾原住民からの合祀削除要求を拒否

  植民地支配居直り

  靖国神社には、246万人余の兵士が「英霊」として祭られている。その95%が1931年柳条湖事件以後の「15年戦争」の死者である。そのうち朝鮮人、台湾人計5万人余が遺族の意志を無視して合祀されている。靖国神社自身が2001年10月現在として次の数字を挙げている。
 台湾出身28863柱
 朝鮮出身21181柱
 靖国神社とは、天皇の軍隊の戦死者を「神」として祭るところだが、それはあくまでも「天皇のため(日本帝国主義のため)」の戦争での戦死者であって、明治維新での官軍の兵士以外は賊軍として祭られていない。
 そして、日帝のアジア侵略戦争でアジアの民衆を殺し、その中で死んだ兵士が祭られている。1874年の台湾出兵以来の台湾侵略と植民地支配(1895年〜1945年)、1875年の江華島事件以来の朝鮮侵略と植民地支配(1910年〜1945年)の中での民族解放闘争を鎮圧する戦争、侵略戦争での死者を祭っている。靖国神社は「アジアの独立をもたらした戦争」などと言うが、日本帝国主義自身が朝鮮と台湾の人民の民族独立の闘いを武力で押さえつけてきた歴史がそこに示されているのだ。

 

写真 【左】台湾原住民の先頭で靖国神社と闘う高金素梅(チワス・アリ)さん  【右】父親の合祀取り下げを要求して闘う李煕子(イヒジャ)さん

  先頭に立つ人々

 台湾では、植民地支配下で原住民(先住民族)に対する徹底した皇民化教育が行われた。「高砂義勇隊」として戦争に動員され、最前線に立たされた。その3分の2が戦死した。台湾立法院の議員である高金素梅(チワス・アリ)さん(タイヤル族)は、自分の祖先が靖国に合祀されて「われわれを殺した人と一緒に祭られている」ことは「最大の侮辱」であるとして、03年2月に大阪地裁に合祀取り下げを求める訴訟を起こした。同時に、靖国神社に対する糾弾行動を行っている。映画「出草之歌」は、チワス・アリさんらの民族の尊厳をかけた数年間の闘いを記録している。
 また、1歳の時に父親を軍隊にとられ、中国で戦死、靖国神社に合祀されていることを知って、01年6月に韓国人遺族代表として、東京地裁に靖国合祀取り下げを提訴した李煕子(イヒジャ)さんは陳述書で次のように言っている。
 「父親が靖国神社に合祀されているということは、いまだに父親の霊魂が植民地支配を受けていることだと思います」
 映画「あんにょん・サヨナラ」は、イヒジャさんの闘いを中心に描いた記録である。

  対立は非和解的

  靖国神社は、この当然の要求をかたくなに拒み続けている。「台湾ご出身の英霊の方々は、まったく日本人と同じようにまつられたのであり、今後とも靖国神社の姿勢は変わらない」。これが靖国神社の基本的態度だ。
 朝鮮人・台湾人戦死者の合祀を取り下げないということは、いわゆるA級戦犯合祀の取り下げを拒否していることと表裏一体の関係にある。
 A級戦犯を靖国神社は「昭和殉難者」すなわち「不当な東京裁判によって殺された戦争犠牲者」として合祀している。これを取り下げることは「聖戦」ではなく不正義の戦争だったことを認めることになるから、拒否しているのだ。
 同様に、朝鮮人・台湾人の合祀取り下げは、台湾と朝鮮の植民地支配が不当なものであり、「日本兵」として駆り出し、死地に追い込んだことを謝罪しなければいけないことになるから、絶対認められないのだ。
 いずれも、靖国神社の存立にかかわる問題だ。対立は非和解的だ。「聖戦」だったと賛美し、植民地支配のもとで「日本人として命をささげた」と美化して居直ろうとする靖国神社の態度は、中国や韓国にどれほど非難されても靖国参拝をやめない小泉の態度と同様、新しい戦争のために譲れない一線なのだ。したがって、合祀取り下げ要求の闘いと連帯することは、9条改憲阻止の闘いと一体の課題である。

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●靖国合祀取り下げを要求する闘いを取材した2本の映画
「出草之歌(しゅっそうのうた)―台湾原住民の吶喊(とっかん)背山一戦(ぺいさんいつぁん)」企画/制作 NDU(日本ドキュメンタリスト・ユニオン)
「あんにょん・サヨナラ」共同制作 情報工房スピリトン・在韓軍人軍属裁判を支援する会・民族問題研究所・太平洋戦争被害者補償推進協議会 監督 キムテイル 共同監督 加藤久美子

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週刊『前進』(2254号3面2)(2006/07/17)

 〈焦点〉 8・15靖国参拝強行を狙う小泉

 中国への敵意と排外主義

 小泉首相は6月27日夕、日米首脳会談を前に訪問中のカナダで靖国神社参拝について「何回行こうが問題にならない。個人の自由だ」と言い放ち、8・15参拝の意思を表明した。
 9月の自民党総裁選の争点を同行記者団に聞かれ、小泉は「アジア外交は靖国だけではない。靖国参拝すれば、時の首相と首脳会談に応じないというのがいいのか。突き詰めれば『中国の言い分に従いなさい』というのが、靖国参拝はいけないという人たちだ」と中国への排外主義的な敵意と愛国主義・ナショナリズムをあおったのである。
 01年4月、「8月15日終戦記念日の靖国神社参拝」を公約として自民党総裁となった小泉は、以来5度、毎年の靖国参拝を繰り返してきた。しかし中国・朝鮮人民や日本の労働者人民から巻き起こる弾劾の嵐の前に「8月15日」当日の参拝には踏み込むことができなかった。小泉は9月の自民党総裁任期切れを前に「最後の8月15日」の参拝を狙っているのだ。
 そもそも小泉はなぜ靖国神社参拝にこだわるのか。天皇の国のために戦い、戦死した兵士を「英霊」として祭る靖国神社と靖国思想を政府が公認し、再び日本を戦争のできる国にするためだ。
 日帝のアジア・太平洋戦争では2千万人にものぼるアジア人民が虐殺された。労働者や農民を実体とする日本人兵士は侵略戦争に動員され、アジア人民を虐殺し、自らも230万人が殺された。「天皇の赤子」として「特攻作戦」の自爆戦士となり、「玉砕」を強いられた。その約6割は餓死・戦病死だった。これは帝国主義による犬死にではないのか。
 靖国神社は「A級戦犯合祀」を頑として取り下げない。あの侵略戦争、帝国主義戦争を「聖戦」として美化したたえているからだ。小泉は、「靖国参拝は侵略戦争を肯定し美化するものだ」と中国人民、南北朝鮮人民から繰り返し弾劾されても態度を改めない。それは、小泉が再び北朝鮮・中国侵略戦争をやろうとしているからだ。
 6月23日、最高裁第2小法廷は、01年8月13日に「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した小泉の靖国参拝の違憲性を問う裁判で、日韓の戦没者遺族ら原告の上告を棄却する反動判決に及んだ。
 憲法判断には踏み込まず、「人が神社に参拝する行為自体は、他人の信仰生活に圧迫・干渉を加える性質のものではない」(!)というのだ。問われたのは現職の総理大臣の参拝であり、このようなペテンで小泉の靖国参拝を容認し、尻押しする最高裁を徹底的に弾劾しなければならない。
 北朝鮮の「ミサイル発射」をとらえて経済制裁に踏み切った今、小泉は本格的な北朝鮮・中国侵略戦争への突入のテコとして8・15靖国神社参拝を強行しようとしている。
 昨年8月15日、全学連は靖国神社に突入し、右翼・ファシストが集まる真っただ中で「靖国神社参拝糾弾!」「侵略戦争阻止!」と叫び、実力闘争に立った。闘う朝鮮・中国人民、韓国民主労総と連帯し、8・15小泉靖国参拝を阻止するために闘おう。