ZENSHIN 1998/03/23(No1854 p06)

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週刊『前進』(1854号4面1)

”部落解放運動の主役に”解同全国連第7回大会 

 狭山・家賃値上げ反対決戦へ ”戦争と差別許さぬ”の決意

 三月一〜二日、大阪で、部落解放同盟全国連合会の第七回全国大会が千六百人の参加で開かれた。大会は、戦争・恐慌・大失業時代の部落差別の激化の中で、部落大衆の流動化と戦闘的活性化が急速に広がり、解放運動をめぐる重大な決戦情勢が到来していることを確認し、@狭山再審闘争を柱とする差別糾弾、A住宅家賃値上げ絶対反対を柱とする生活防衛、B新安保ガイドライン粉砕、関連法案阻止の国会闘争と百万人署名、Cこれらをとおした五万人組織建設、の運動方針を確立し、闘う体制をうち固めた。
 一日目(一日)は、八尾市文化会館で開かれた。全国から部落大衆、共闘の労働者が続々と結集し、会場は開会前から戦闘的熱気に包まれた。
 正午過ぎ、解放歌の斉唱で大会は始まった。石川辰衛副委員長の開会あいさつに続き、主催者あいさつに瀬川博委員長が立ち、「解同本部派の同和対策返上で洪水のように部落差別が起きている。われわれは団結しなければ勝てない。無実の石川一雄さんの勝利も全国連の闘いにかかっている。多くの労働者階級との固い団結で反動攻撃と闘いぬき、全国連を大きく育てよう」と語り、大会での熱烈な討論を訴えた。
 来賓の各氏が紹介され、三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長と、全国沖縄青年委員会の仲宗根朝寿副委員長が、全国連とともに闘うあいさつを行った。
 続いて、小森勝重・狭山闘争本部事務局長が五・二三狭山中央闘争への総決起を呼びかけるアピールを行った。小森事務局長は、「解同本部派は昨年の五四回大会で、国家権力の部落差別と闘う差別糾弾闘争を綱領から削除し、狭山闘争も消し去った。だが、本部派中央が転向しても部落大衆が狭山闘争をやめることは断じてない。差別の強まりに部落民の怒りは高まっている。東京高裁・高木裁判長の再審棄却策動を絶対に許さず、本部派の屈服をのりこえて、五・二三を出発点に新しい狭山闘争をつくり出そう」と訴えた。
 第三次安保・沖縄闘争アピールを高橋昭一共闘部長が行った。高橋共闘部長は「戦争と差別の攻撃は一体だ。国会を十重二十重の隊列で取り巻いて、新安保ガイドライン関連法案を絶対阻止しよう。沖縄の基地撤去・安保反対の闘いをともに闘いぬこう。新ガイドライン反対の百万人署名運動を六千部落三百万のきょうだいに訴えていこう」と呼びかけた。
 続いて大会議案の提起が行われた。楠木吉秀事務局長が九七年の活動報告を行い、さらに中田潔書記長が九八年度運動方針案を約七十分間にわたって提起した。中田書記長は、「戦争と恐慌と大失業時代の到来」を「われわれ部落民にとって大変な受難の時代」と危機感をもって訴え、この危機の時代だからこそ「本部派は部落民を見捨てて逃亡を開始した」と怒りをこめて弾劾した。そして、今日の部落解放運動の課題を全面的に提起した。
 中田書記長はまず、日帝の危機の中で同和対策事業の全面的な打ち切り、首切り・賃下げ、福祉や医療の切り捨てなどの攻撃が集中的・差別的に部落大衆に襲いかかっている事実を、怒りをこめて弾劾した。さらに、この中で部落民に対する差別攻撃が、就職や学校、結婚を始めあらゆる生活場面で強まっていることを具体的に明らかにした。
 これに対して、解同本部派は、昨年の大会をもって国家権力への綱領的な屈服を一段と深め、「これからは人権の時代」などと言って帝国主義的融和運動に完全に転向したこと、このことが部落差別の堤防決壊的な激化をもたらしていることを弾劾した。「今や全国連は、本部派にとって代わり、部落解放運動の脇役(わきやく)から主役に躍り出なければならない。主役の交代を必ず実現しよう」と力強く呼びかけた。
 そして中田書記長は、第三次安保・沖縄闘争、狭山再審闘争と並ぶ今年の最大の決戦的課題として、住宅家賃値上げ阻止闘争を全国的に展開する方針を提起し、決起を呼びかけた。
 公営住宅法の改悪により、部落大衆の住む公営住宅(改良住宅を含む)に六倍〜二十倍の大幅な家賃値上げ攻撃がかけられている。これは、部落大衆が差別との長い闘いの中でかちとってきた同和住宅に住む権利を奪い、部落の団結、部落解放運動を破壊しようとする大攻撃である。すでに大阪・荒本や兵庫・西宮を始め西日本各地で値上げ反対の大衆的決起がまき起こっている。これまでの全国連の闘いの枠を大きく越えて、総力を挙げて全国の部落のきょうだいの怒りを組織し、値上げ反対闘争を大爆発させていくことが急務となっている。中田書記長は、全国署名運動や全国連絡会議の結成、家賃の供託などをとおして「部落の隅々からの立ち上がりをつくろう」と熱烈に訴えた。
 中田書記長は最後に、「部落解放運動のど真ん中を堂々と勝ちぬいていこう。待ったなしに全国連の頑張りが求められている」と訴えて基調報告を締めくくった。参加者は、決戦方針の提起に奮い立ち、大きな拍手でこたえた。
 続いて二つの特別報告が行われた。長野県連(準)は須坂高校の生徒による部落差別事件と糾弾闘争の報告を行った。差別を受けたA君と母親が登壇して報告と決意を表明した。日共弁護士と日共系教師による差別者の擁護、解同本部派の敵対と真っ向から対決して、闘いの広がりをつくり出していることが報告された。「差別を俺は絶対に許さない。あやまるまで闘う」とのA君の決意表明に、会場から大きな拍手と激励が送られた。
 また阪神大震災被災地の芦原(西宮市)と番町(神戸市)から約四十人が登壇し、差別行政と不屈に対決して闘いぬいていることを報告した。さらに広島の部落大衆が住宅家賃値上げ反対闘争の報告を行った。
 一日目の最後に五万人組織建設の決意表明が福岡、茨城、荒本、山口、婦人部、中央青年対策部から行われた。部落差別への強い怒りと徹底糾弾の決意とともに、全国連が解放運動に全責任をもつ主流派に飛躍する決意がこもごも語られ、「青年部五百人の軍団を絶対に実現する」(青対部)などの若さと元気にあふれた決意表明に、会場は一体となって沸き返った。熱気が最高潮に達する中を、一日目の議事を亀井広敏副委員長のまとめで締めくくった。
 二日目は、大阪市天王寺区の大阪府中小企業文化会館を会場に、午前中は三つの分科会(糾弾闘争、要求闘争、共同闘争)が開かれ、白熱的な討論が繰り広げられた。午後からはまとめの全体集会が行われ、すべての議案を提案どおり採択し、瀬川委員長を先頭とする九八年度の闘う新執行部を確立した。
 こうして七回大会は、時代認識と戦闘的な運動・組織方針で強固な一致をかちとった。「全国連創立以来のすべてをかけた勝負に出よう」「この成果を村に持ち帰って、直ちに闘いを」との気迫と意欲にあふれて参加者は再び全国の闘いの場に散った。

 書記官に糾弾の嵐 狭山事実調べ強く迫る

 三月九日午前十時から、解同全国連は部落解放共闘の労働者とともに東京高裁に対して狭山糾弾要請行動を行った。すでに石川さんの無実を証明する新証拠が数多く提出され、再審開始の条件は十分ある。にもかかわらず、東京高裁刑事第四部(高木俊夫裁判長)はいまだに事実調べを開始していない。この高裁の差別を徹底的に追及し、事実調べ−再審を強く要求した。
 この日は高裁・高木に対して、突き刺さるような糾弾が連続的にたたきつけられた。「再審申し立て以来十二年間も事実調べすら行わないのは部落差別ではないか」という追及に、主任書記官の山中らは「お答えできない」「コメントを差し控えたい」の一点張り。あくまでも高裁・高木のついたてとなり、寺尾差別判決を守り抜こうとする反動的対応を繰り返した。
 「お前、なめてんのか!」「いい加減にせい!」。要請団から怒りの声が次つぎと浴びせられた。山中は顔面蒼白(そうはく)となって黙り込んでいるだけだ。要請団は、面前で高木と対決している気迫をもって、五時間にわたる糾弾・要請行動を貫徹した。

 

 

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