SANRIZUKA 日誌 HP版   2005/01/01〜31    

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 2005年1月

 

〔週刊『三里塚』編集委員会HP部責任編集〕 


(1月3日) 横田基地/軍民共用化で大筋合意(1/4千葉日報)

 在日米軍再編をめぐる日米協議で、米側が日本側の求める米軍横田基地(東京)への民間航空機乗り入れを航空自衛隊との連携強化を条件に受け入れる意向を示し、両政府が同基地を「軍民共用化」する方向で大筋合意したことが3日分かった。複数の政府関係者が明らかにした。日米間の懸案となっている一連の米軍再編問題で具体的な合意は初めて。
 ただ米側は陸軍第1軍団司令部(ワシントン州)のキャンプ座間(神奈川県)への移転など他の再編案との一括決着を求めるとみられ、実施時期などには流動的な要素も残る。日本側は横田基地だけ切り離して先行合意・実施できないか模索する構えだ。
 これまでの外務、防衛当局者による折衝で、米側は横田基地にある第5空軍司令部をグアムの第13空軍司令部に統合した上で、同基地を航空自衛隊と米空軍の「共同戦略輸送センター」とし連携を強化する構想を提案。これに対し日本側は東京都などの強い要望を踏まえ、1日15便程度の民間機の離着陸を想定した軍民共同利用が可能か打診してきた。米側は当初「軍民共用化」には難色を示したが、(1)緊急時の軍事使用優先、(2)空自との連携強化実現―などを条件に譲歩する姿勢に転じた。
 これを受け細田博之官房長官は昨年12月上旬、東京都の石原慎太郎知事と会談し「軍民共用化」を前提に大筋合意に至った経緯を説明。知事は12月9日の都議会で「非常にことは進みつつある」と答弁した。日本側はさらに、軍民合わせた離着陸回数を、米軍単独利用の現状程度に抑えたい意向で米側と最終調整している。離着陸回数が増えれば、周辺住民の理解を得るのが困難となるためだ。
 横田基地については小泉純一郎首相が2003年5月、ブッシュ米大統領との会談で軍民共用化の検討を要請。再編協議の中でも、同基地の軍民共用化と管制権返還を優先的に議論する方針で臨んでいた。

 【本紙の解説】
 石原東京都知事と日本政府が推し進めている横田米空軍基地の軍民共用化は、米軍戦力の削減と日本への部分的権利の返還ではない。むしろ、米軍戦力の強化に伴い、日本と自衛隊が今まで以上に軍事協力を進めることにある。米軍は「緊急時の軍事便用優先」さえ保証されれば、軍民共用化は願ったり叶ったりである。いまや、民間航空機は空軍戦力の重要な構成単位である。兵員と物資の輸送は軍用カーゴよりも民間機の方が圧倒的に多い。そのために、横田米軍基地に日米の民間機と民間パイロットが戦争前に慣熟していた方がいいのである。
 空自との連携強化は米側の要求だ。自衛隊と日本の航空会社が米軍とともに朝鮮侵略戦争の最重要の部署を担うことが横田基地の軍民共用化の狙いである。有事体制の最先端部分がこの横田基地の軍民共用化なのである。
 1日15便とは、首都圏の民間空港としてはおざなりの規模だ。アクセスも整備されていないので、不便きわまりない。他の軍民共用空港と比較しても、小松空港が民間機1日21便、徳島空港が16便。今回の横田案はそれ以下だ。民間空港の第3種空港の中の下位のレベルである。騒音を理由にしているが、それは、民間パイロットが戦争体制に組み込まれるための慣熟飛行にちょうどいい便数なのである。
 われわれの要求は横田米軍基地撤去であり、軍民共用化にも絶対反対である。

(1月4日) 空からの不審者事前チェック/警察庁など今日導入(1/4東京)

 警察庁と法務省入国管理局(入管)、財務省関税局は、海外から航空機で入国する旅客情報について航空会社から提供を受け、到着前に不審者のチェックを行う「事前旅客情報システム(APIS)」を、1月4日から導入する。増加する外国人犯罪やテロの未然防止に向けて、入国審査などによる水際でのチェックを強化するのが目的。
 APISは、警察、法務、財務の3省庁が共同で開発した。外国で搭乗手続きが終わった際、航空会社がすべての旅客の氏名や生年月日、旅券番号、国籍などの電子データを、3省庁が共同で管理する国内のコンピューターに送信する。
 データは各省庁に転送され、それぞれが保有するデータベースの不審者リストなどと照合。テロリストら手配容疑者の発見や不法入国者の上陸阻止、輸入禁制品の密輸阻止に活用する。提供されたデータは一定期間を経て消去するという。
 航空会社の情報提供はあくまでも任意。警察庁によると、日本に乗り入れている国内外の航空会社約60社のうち、送信システムが整っており協力を得られた約20社で運用を開始する。入管は、旅客情報を送信した航空機の搭乗客について、優先レーンを設けるなど迅速な入国審査の便宜を図るという。
 海外では米国が1989年にAPISを導入したのをはじめ、韓国やオーストラリア、カナダなどが同様のシステムをすでに運用している。

 【本紙の解説】
 いまや航空機と空港が平時においても最大の戦場であり、ゲリラ戦のターゲットになっている。イラク戦争の米軍の敗勢はそれを一層加速している。
 治安当局はそれを理由にデータベースを全面的にやり取りしている。その結果、特定の思想の持ち主の入国を拒否したり、正規のパスポートやビザを持っているにもかかわらず国外追放するなどのケースが横行している。「不法入国者の上陸阻止」といっているがデタラメである。
 不法入国者はこれまでも「上陸阻止」はしていた。こんどはその恐れのある人や過去に罪を犯した人というだけで、データベースに名前がのり「上陸拒否」になる。「上陸拒否」の正確な基準もなく、治安当局に任せられている。
 こんなことがまかり通っていいはずはない。テロ防止を口実にして世界的に強権的治安情勢がつくられている。また各国の航空会社もそれに「任意」という形で協力させられている。
 しかし実際のゲリラ実行者は、APISに引っかからないやり方で「出国」し「上陸」することが常識だ。そのため、APISは現実にはゲリラ阻止の実効性はない。

(1月4日) 成田空港・暫定平行滑走路、社長「年内早めに結論」(1/5朝日、読売、毎日、東京各千葉版、千葉日報)

 成田空港会社の黒野匡彦社長は仕事始めの4日、地権者との用地交渉が難航している成田空港・暫定平行滑走路の2500メートル化について「年内の早い時期に結論を出したい」と述べた。交渉の進展がない場合に本来計画を一時凍結して逆方向の北方に延伸する「北伸」に向けた決断を今年上半期内にも行う可能性を示唆した。
 昨年11月、北側一雄国交相が昨年末までの用地交渉の進ちょくについて年明けの報告を求めているが、黒野社長は「(交渉について)話せる段階にない」と答えた。
 また、世界一高いとされる航空機の着陸料の値下げについては「値下げは行う」とした上で、「今年度の決算状況をみてから下げ幅をどの程度にするかなどを決めていきたい」と話した。値下げの時期については「国際航空運送協会(IATA)との交渉がどの程度(の時間が)かかるかによるだろう」と述べた。

 【本紙の解説】
 年末の会見は「地権者との交渉」を延長するということが中心であったため、新年初の会見では、その延長期限はいつなのかとの質問が集中し、黒野社長は今年上半期が想定される「年内の早い時期」と返答した。そして、北延伸案を決定しても、「地権者が土地を手放してくれれば、北延伸案は消滅する」との発言をしている。これこそ、脅しそのものである。基本計画としては南延伸しかない。しかし、地権者との用地交渉が成功しなくては百パーセント無理である。そのために、北延伸案を恫喝につかうと正直に述べているのである。
 なぜ、今年の上半期なのか。07年が上場予定年であり、そのためには遅くとも06年度中に工事を始めなくてはならない。そのためには、05年夏までの予算の概算要求基準(シーリング)を出す必要があるからである。空港会社は民営化したとしても、政府が100パーセント株式をもっている特殊会社であり、事業費も政府保証債の借り入れとなるので、予算と同じ手続きが必要なのである。そのために、05年上半期を期限としたのである。それまでに「北延伸案」を決定し予算化しないと、07年時の上場の時に暫定滑走路の2500メートルのメドは立たないことになり、成田空港株は二束三文になりかねない。羽田国際化が日の出の勢いで進行しているのに比べ、成田は沈みかけている。

(1月6日) 京急、羽田国際線ターミナル直結の新駅(1/6日経)

 京浜急行電鉄は2009年12月、羽田空港の新国際線ターミナルに直結する新駅を開業する。整備費用は約100億円。国土交通省によると新ターミナルは年間700万人が利用する見込み。京急は新駅開業により、国内線に続き国際線の利用客も取り込む。空港線の輸送人員を2割以上増やしたい考えで、増収増益のけん引役となっている同線の競争力を高める。
 空港新駅(仮称)を京急空港線の天空橋駅(東京・大田)と羽田空港駅(同)の間に地下駅として新設。新国際線ターミナルの供用開始に合わせて開業する。羽田空港駅は04年度上期(4―9月)の乗降人数が1日平均6万6300人。新駅との合計乗降人数は8万人程度を見込む。新国際線ターミナルの整備は国交省による羽田空港再拡張事業の一環。ターミナルビルなどは民間資金を活用した社会資本整備(PFI)方式を導入、公募で選んだ事業者が整備するが、新駅は京急が自ら整備する。競合相手の東京モノレールも新国際線ターミナルに新駅設置を検討中。国交省は「鉄道やモノレール、道路による円滑なアクセスを一体的に整備する」とし、駅周辺施設の整備について京急と東京モノレールの協議が05年中にも始まる見通し。
 羽田空港の再拡張は4本目の滑走路整備と国際線地区の整備が柱。年間発着回数は28万5000回から40万7000回に増え、国際定期便の受け入れも可能となる。

 【本紙の解説】
 09年以降の羽田国際線のあり方が示されている。初年度から国際線ターミナルは年間700万人が利用するという計画である。この700万人の交通手段の奪い合いが京急、モノレール、高速道路などの間で起こっている。京急は国際線で1日約1万4000人の増加を見込んでいる。1年で約500万人である。そこにモノレールも参入し、国交省が「一体的に整備」と称して調整に入る様子である。羽田国際線利用客が1年で700万人というのはどうも確かなことである。
 成田空港の国際線利用客は、02年で約2670万人、03年は2570万人であった。つまり、成田の02年、03年実績の約26〜27パーセントを羽田に移行させる計画である。国交省は羽田国際線で新たな需要が引き起こされるといっているが、国際線旅客数はこの数年間、横ばいであり、羽田国際化でもそう増加することはない。成田にとっては羽田国際化の前に中部国際空港とのシェア争いもあり、その結果、成田は現状の旅客・貨物の合計で約3割減少することになりそうだ。成田と羽田の「棲み分け」といっているが、首都圏国際線の約3割近くを羽田に移行させ、7割を成田にしておくということである。これは、成田の5割が東南アジアまでのアジアであり、残りが欧米便、オセアニア便、アフリカ、中近東などで5割となっている。つまり、アジア便の約6割を羽田に移行させるということである。
 これでは、民営化された成田空港会社が経営破産の状態にたたき込まれることは確実である。
 羽田国際化の全容を国交省は明らかにしていない。年間3万便を国際線に回すとだけ公表している。成田では03年実績は17万回であり、単純比率では、約17パーセントである。成田空港にとっては、この17パーセントでも大きな数字である。成田における離発着が17パーセント減少では経営破綻となる。しかし京急の新駅新設と羽田国際線ターミナルが年間700万人の乗降を見込んでいることは、そのレベルですらないことは確実である。
 また、昨年の12月16日の千葉県議会で「羽田発着の深夜国際便、千葉県に打診」ということがあった(04年12月16日付日誌を参照)が、それは、午後11時までの時間帯には国際線を運航することが決定しており、その上で深夜国際定期便を運航する計画なのである。もし、それが、実現すれば羽田の国際線は、24時間運航されることになり、成田以上の位置を占めることもありうる。いずれにしろ、成田の国際線の3割以上が移行することは、京急の新駅を開業することで明らかになった。

(1月9日) 反対同盟、新年旗開き

 反対同盟旗開きが9日、成田市並木町の「はなまさ」で約150人の参加を得て開かれた。以下、反対同盟の年頭闘争宣言を掲載する(詳しくは本紙参照)。

■2005年闘争宣言

 2005年の新春を、反対同盟はかつてない勝利感をもって迎えている。成田空港会社は未だ展望を見いだせず、暫定滑走路の欠陥は空港経営を圧迫している。農地は豊かな実りをもたらし、われわれの闘志は不動である。
 昨年の闘いは空港の民営化と暫定滑走路の延伸をめぐって推移した。ちょうど1年前、黒野公団総裁(現空港会社社長)は「当初計画の完成が不可能ならここ数ヶ月のうちに北延伸を決断する」と宣言した。天神峰現闘本部撤去の不当提訴、市東孝雄同盟員の農地契約解除策動、三里塚野戦病院と岩山団結小屋への退去要求など、完全空港化への屈服を迫る攻撃が激化した。
 だが反対同盟はこれらをことごとく粉砕した。現闘本部裁判支援運動を新たに開始し全国的な支援陣形をうち立てた。敵の攻撃が逆にわれわれを強くした。
 おいつめられた北側国交大臣は「切り崩しに全力をあげその進捗状況を年明けに報告せよ」と空港会社に指示し、堂本知事は再選をねらって収用委再建を強行した。ともに凶暴な農地強奪攻撃であり許すことができない。
 暫定滑走路を北に延伸しても、未買収地によって狭(せば)められた連絡誘導路をジャンボ機は走行できない。その強行は暫定滑走路の欠陥と危険をさらに増幅させ、大惨事を招くであろう。「北延伸」の真の狙いは、南への滑走路延長である。そのための脅迫的切り崩し攻撃である。怒りをこめて粉砕する。
 自衛隊のイラク派遣と有事法制で、成田空港の軍事的役割が明確になった。成田空港は海外派兵の出撃地であり、有事の米軍兵站拠点である。小泉内閣はイラク戦争の泥沼に深々と引き込まれる一方で、教育基本法の改悪と改憲、年金などの社会保障制度の解体、郵政合理化・労働組合解体攻撃、そして農業破壊に血道をあげている。「軍事空港建設反対」の先見性はいよいよ輝きを増してきた。労働者の生活破壊と農家切り捨ては一体である。三里塚は「労農連帯」の旗を高々と掲げ、反戦の砦としての新たな発展を切り開く決意である。
 現闘本部裁判支援運動は今年の最重要課題である。反対同盟には確固たる地上権があり撤去要求は違法である。この闘いは市東同盟員の農地を守る闘いでもある。運動の拡大に総力をあげて取り組むことを訴える。三里塚闘争勝利へ、2・3現闘本部裁判傍聴闘争に決起し、3・27全国集会に総結集しよう。
  2005年1月9日
三里塚芝山連合空港反対同盟

(1月11日) 成田平行滑走路「北延伸検討」「3月期限」(1/11朝日、読売、毎日、日経各夕刊、1/12産経、東京各全国版、朝日、読売、毎日、産経各千葉版、千葉日報)

 成田空港の暫定B滑走路の2500メートル化延伸問題で、北側国土交通相は11日、すでに用地買収を終えている滑走路北側への延伸について検討作業に入るよう指示した。成田問題で国が北延伸に言及するのは初めて。北側国交相はまた、成田国際空港会社(NAA)が滑走路南側の地権者と進めている移転交渉の期限を3月末とした。地権者が応じなければ、国は当初計画の南延伸をあきらめ、北延伸に踏み切る可能性が強まった。
 北側国交相は昨年11月、同年末まで滑走路南側の地権者との移転交渉を進め、年明けに状況を報告するよう黒野匡彦社長に求めていた。北側国交相はこの日の報告で、黒野社長から交渉継続を要望されたが、北への延伸に向けた作業も同時並行で進めるよう指示した。3月末に結果を改めて報告するよう求めた。
 黒野社長は、記者会見で「昨年11月以降、かなり頻繁に地権者と接触し、協力を求めたが、目に見えた進展はない」などと説明。一方で「直接交渉した感触として、(移転合意に向けて)交渉の余地はある」と、交渉継続の意義を強調。北延伸の場合は引責辞任する決意で交渉に臨む考えも示した。

 【本紙の解説】
 北延伸問題が「用地交渉に応じなければ、さらに北へ延伸してジャンボ機の騒音で(地権者を)たたき出す」という「脅し」の次元を超え、正式な行政行為として初めて政治の表舞台に登場した。国交省は空港会社に、地権者への用地交渉の期限を今年3月までとすること、それと平行して北延伸の問題点の再検討と必要な法的環境の準備をするように指示した。結論として3月までの用地交渉の結果を踏まえて、今後の方針を判断することとなった。
 成田空港建設の決定から40年近くかかって解決しない用地問題が、2カ月半で解決するわけもない。それでも黒野社長は「北延伸となった場合は引責辞任する決意で交渉に臨む」そうだ。その“覚悟”で用地交渉に臨むのだろうが滑稽だ。この交渉はすでに何度も失敗したあげくに、現在の事態があることを新任の大臣は理解していないようだ。
 もともと北延伸案は黒野社長が公団総裁に就任したときに初めて言葉として使われた。用地交渉と北延伸の両にらみで暫定平行滑走路の2500メートル化をやると見得を切っていたのだ。その当人が北延伸を国交省から指示されそうになったら、引責辞任とはどういうことか?
 用地交渉の失敗がその理由だろう。しかし歴代の公団総裁は全員用地交渉で失敗してきたが、だれ一人として引責辞任などしていない。
 つまり今回黒野が「引責辞任」をいう本当の理由は、北延伸でジャンボ機を飛ばすという実現可能性のほとんどない方針(脅しの材料)が、現実方針になってしまったことの責任なのだ。たんなる脅し材料が現実方針になってしまい、収拾のつけようがなくなってしまったのである。
 これから北延伸が具体的検討に入れば、その問題点はいやでも明らかになる。NAAにとって用地交渉の解決は土台無理だと結論が出ており、この2カ月半の課題は、北延伸案の実効性の再調査ということになるが、実は暫定滑走路の計画時に公団内部で、それは「不可能」との結論がでている問題なのだ。それゆえ暫定滑走路は2500メートルにはならず、現行の2180メートルという中途半端な長さになってしまったのである。
 改めて北延伸の問題点を指摘しておこう。
 純粋な工事期間は実質的に3〜4年といわれている。しかし、騒音拡大にともなう騒音コンターの策定、地元公聴会の実施、また環境アセスメントも必要であり、工事開始前に3年前後の期間が必要だ。これだけで計7年になる。また、工事も暫定滑走路の運用中の工事なので、夜間のみの工事を強いられ、実質2倍の期間が必要といわれる。今年決定して来年度2006年に工事を開始しても完成は2013年だ。この時点ではすでに羽田国際化が進んでおり、成田の需要そのものがなくなっているだろう。
 そして問題は、北延伸の眼目であるジャンボ機が飛ばせないという現実だ。エプロンとの連絡誘導路が狭く、滑走路にジャンボ機を入れることもできない。この点をわれわれに指摘され、空港会社も「新たな誘導路の整備」を課題としてあげている。その候補地は滑走路東側となっているが、滑走路のアプローチを横切る誘導路となり常識的には誘導路として使用できるものではない。
 国道51号のトンネル化も、ジャンボ機の離着陸に耐える本格トンネル化であり、難工事だが、それ以上に東関東自動車道(延伸後の滑走路北端から400メートル。飛行高度40メートル)のトンネル化は、技術的にも予算面でも不可能に近い問題をはらんでいる。道路の付け替えとなると、新たな用地買収は15キロを超え、数千億円規模の予算措置が必要となる。意味のない滑走路延長にこれほどの予算措置はいまやありえない。
 また北延伸した部分は管制塔からの視野はまったくない。その結果、平行滑走路の大半が管制塔からの視野がなく、ほとんどがテレビ画像による誘導となる。
 このように北延伸は法的にも工事的にも難点が多く、「できれば国や空港会社は避けたい意向だ」(1/12産経千葉版)という代物なのである。
 しかし、2007年株式上場には「2500メートル化」は絶対必要事項だ。このジレンマの中で、NAA・黒野は事情に疎い国交相に指示され、「北延伸」を公式に検討するという事態に追いつめられたのである。彼らの苦悶が手に取るようにわかる。

(1月14日) 開港以来最高/成田空港利用者(1/15毎日千葉版)

 年末年始(12月22日〜1月10日)に成田空港を利用した出入国者数は約149万6000人に上ることが、成田空港会社や東京入国管理局成田空港支局の調べで分かった。スマトラ沖大地震の影響で東南アジア方面の一部にキャンセルが出たものの、年末年始の20日間の人数としては78年の開港以来、最高となった。
 これまでは02〜03年の約144万9000人が最高だった。今回は03〜04年と比べ5・4パーセント増で、内訳は出国が約75万7400人(03〜04年比6・6パーセント増)、入国約73万9000人(同4・3パーセント増)。出国のピークが12月29日の約4万7000人で、入国は1月3日の4万7700人。3日は出入国合わせて9万400人でごった返した。
 増加の理由について、同支局は、03年末に流行した新型肺炎(SARS)などの不安材料がなくなったことに加え、最近の景気の回復をあげた。大手旅行代理店のJTB(本社・東京都品川区)によると、スマトラ沖大地震を受け、期間中に約900人のキャンセルが出たが、ハワイやオーストラリアなどに振り分けて対応したため、大きな影響はなかったという。

 【本紙の解説】
 昨年末の予測では年末年始の利用客は前年比0・5パーセント減(04年12月15日付日誌を参照)であったにもかかわらず、5・4パーセント増となった。SARSなどの不安材料がなくなったためといっている。年末年始過程は、12月26日に発生したスマトラ沖地震と津波の被害の全容がまだ判明せずにその方面の旅行はそのまま実行した例が多かったようだ。日航やタイ航空によれば、旅行客の多くがプーケットから被害の少ないバンコクなどに旅行先を変更したため、落ち込みが少なかったらしい。しかし、スリランカ航空によると、ほぼ満席だったコロンボ直行便は、地震後にキャンセルが相次ぎ、到着便も連日まばらになっているようだ。有史以来最大の地震災害といわれるスマトラ沖地震と津波による死者も16万人を超え、コレラなど、感染症大流行の危険が叫ばれており、今後SARS以上の旅行客の落ち込みになりそうである。

(1月14日) 陸自医療チーム被災地へ出発(1/15日経)

 インドネシアのスマトラ島沖地震の被災地を支援するため、陸上自衛隊の応急医療チームなど計30人が14日、航空自衛隊千歳基地や成田空港から出発した。インドネシアのアチェやシンガポールなどで、診療活動にあたったり、今月下旬に到着する本隊の受け入れ準備を進めたりする。
 現地に向かう盛一丈嗣一等陸佐は「早急に診療所を立ち上げたい。今後は防疫などにニーズが移ると思う」と話した。

 【本紙の解説】
 8日には、羽田空港からチャーター機で、陸上自衛隊の「第3次イラク復興業務支援隊」(約110人)のうち約90人が迷彩服姿でクウェートに向けて出発した。民間機での軍隊の搭乗はICAOのシカゴ条約違反である。実際は軍服での搭乗は固く禁止されている。それを承知で自衛隊は迷彩服で搭乗した。それは、侵略戦争へ赴く兵員を鼓舞激励する風潮をつくりたいためである。
 成田空港でもインドネシアへの災害支援という口実をつけて迷彩服で出発した。インドネシアへの支援は、米軍も積極的に出兵しており、それはトランスフォーメーション(米軍再編)の先取り的攻撃である。日本もその米軍と一体で行動を始めたのである。災害支援に名を借りた軍事行動なのである。そのために、成田、羽田から迷彩服という戦闘服で出発をしたのである。時代は菊と桜の時代が復興している。「日の丸・君が代」攻撃の激化とともに自衛隊の公然たる軍隊としての登場が始まったのである。
 三里塚闘争はこれと真っ向から対決する。成田空港の軍事使用は絶対に許さない。

(1月17日) 成田商工会議所賀詞交換会/「空港間競争幕開けの年」(1/17千葉日報)

 成田商工会議所(野間口勉会頭)の「新春賀詞交歓会」がこのほど、成田市のホテル日航成田で開かれ、成海山新勝寺の門前地区はじめ成田空港を含む市内9地区の商工業、空港関連業者の代表ら約200人が参加、新年の抱負を語り合い意見交換した。
 あいさつに立った野間口会頭は、来月開港予定の中部国際空港「セントレア」はじめ関空第2、羽田第4滑走路整備にふれ、「今年は国内空港間競争に突入する年」と位置づけ、空港間競争激化の幕開けを指摘。
 09年をメドとした羽田第4滑走路整備の前に成田暫定平行滑走路の早期完全化を成し遂げないと、成田は取り返しがつかないほど羽田に大きく遅れをとることになる、と危機感を示し、「地方の本気を国に届ける必要がある」と述べた。
 賀詞交歓会には黒野匡彦社長はじめ成田空港会社の役員らも参加。本来計画の完全化を断念した場合を想定し北側一雄国交相が「北延伸」の検討に着手するよう空港会社に指示した直後だけに新春ムードとはいえ緊張した空気が漂った。
 「北伸ばし」案を含めた完全化推進を求める声が地元経済界の主流を占める中、航空機騒音地域に居住する成尾政美県議は「朝な夕な騒音直下で暮らす身の一人としては、一日も早く本来計画による2500メートル化が実現できるよう強く望んでいる」と語り、複雑な思いを交錯させた。

【本紙の解説】
「成田の地盤沈下に拍車」、「成田はこのままでは沈む」、「成田は切迫した状態にある」などと、成田空港の危機を表す言葉が氾濫しだしているがこんどは、成田暫定滑走路の2500メートル化に失敗すると「成田は取り返しがつかない」となった。
 この会合は、成田空港の危機をアピールして、北延伸に向けての成田地域のコンセンサスづくりが目的であったらしい。また、そのことを空港会社への圧力をかけることもあったらしい。しかし、騒音下の住民も多い成田では北延伸は歓迎されていない。どうも商工会議所や空港対策協議会の方が地域から浮き上がっているようだ。
 しかし、羽田4本目の滑走路の09年完成と国際化、中部空港の供用開始と国際線・国内線の連絡ハブ空港としての売り出し、伊丹空港の縮小とその便の関空への移行と、国際空港の競争が開始されようとしている。一番のハンデを背負っているのは関空だが、伊丹空港の国内便の移管と第2滑走路建設はプラスイメージになっている。成田だけがマイナスの状況でこの競争に入ろうとしている。

(1月17日) 千葉県収用委員会/館山自動車道未開通区間、裁決手続きを開始(1/18日経全国版、朝日、読売、毎日、産経、東京各千葉版、千葉日報)

 県収用委員会の会合が17日、千葉市内のホテルで開かれ、日本道路公団から出された館山自動車道未開通区間の土地明け渡しなど2件の申請書を受理し、裁決手続きを開始した。昨年12月に16年ぶりに再建されて以降、初めての会合で、機能停止の原因となった成田空港に関する土地収用の申請については、取り扱わないことで合意した。
 この日の会合は非公開で、委員7人の互選で弁護士の委員を会長に選任した。館山道関連以外では、市川市がJR市川駅南口で進める市街地再開発事業について、一部の地権者から申請書が出された。市の資産評価額を不服とし、県収用委が第三者として改めて評価するよう求めている。
 また、今後の委員会の運営についても協議。成田空港用地については、「関連申請が出た場合は、委員を辞めることも辞さない」などの声が多くの委員から上がり、取り扱わないことにした。
 会合後、委員らと懇談した堂本暁子知事は「(千葉は)全国で唯一、土地収用法が機能していない空白地帯から脱却し、やっと都道府県間競争のスタートラインに立てた。(成田空港を除外する)委員会の決定も大変心強く思っている」とのコメントを発表した。

【本紙の解説】
 県収用委員会は、館山自動車道の申請書を受理し、裁決手続きを開始した。収用法では、「裁決申請書の写しを受け取った市町村は、直ちに裁決申請があった旨を公告し、公告の日から2週間、書類を縦覧」しなければならない。それには、千葉県収用委員会の会長名を明記しなければならないのである。非公開の収用委員会はこのことをどうするのか。会長名が書いていなければ欠陥書類であり、法的手続きにはならないはずである。
 また、成田空港の事業認定は失効しており、申請は出せるはずもない。しかし、成田関連の申請が出されたら、収用委員は全員辞任するとの確認がされたという。
 会長名も公表せず、会合も非公開で、成田関連の申請が出たら辞任の確認とは、法的にも正常な収用委員会ではなく、そこで出される収用裁決は無効でなければならない。

(1月18日) 国際線・国内線の住み分け/見直し論議混迷(1/18日経)

 2005年は関西国際空港と羽田空港の拡張事業が相次ぎ本格化する。成田空港の暫定滑走路の延伸問題も大詰めを迎えており、大都市圏の空港整備が,一気に進む可能性も出てきた。航空行政には空港の機能住み分けなど「使い方」の工夫も求められる。
 「頭の固い従来型の発想」と横浜市の中田宏市長は13日、北側一雄国土交通相らとの協議の場で、羽田国際化を巡る国交省の方針を痛烈に批判した。羽田は再拡張事業に伴い、発着枠が年12万回程度増える。同省は国内線の必要分を差し引いた3万回分に限り、近距離の国際線に割り当てる考え。首都圏の首長らには「なぜ不便な成田を使い続けなければいけないのか」との不満が根強い。
 羽田国際化には地方線の削減につながる可能性もあり、自民党では反対論が多い。行政は利害が錯綜する空港機能の変更に及び腰。伊丹空港の格下げも先送りされた。大都市圏の拠点空港整備の05年度予算で2・2パーセント増。巨費の投資を無駄にしないために、有効活用が問われる。

【本紙の解説】
 13日の中田宏市長と北側一雄国土交通相らとの協議の場では3万回となっているが、17日に行われた日本航空協会の航空クラブ新春卓話会で岩村航空局長は「3万回にこだわらず」といっている。航空クラブとは、日本航空協会が主催している親睦団体であり、卓話会(講演会)などを事業として行っている。その1月の卓話会は国交省の空港局長が講演を行うのが恒例となっており、馴染みの講演で、つい本音が出たのであろう。
 「3万回」という数字は千葉県を刺激しないために作り出された数字であり、実際はその倍以上の便を成田から羽田に移行させるのが国交省の方針である。それは03年6月12日の首都圏サミット(03年6月12日付日誌を参照)で羽田拡張と3万回の国際便増便で、国交省と地元が基本合意したことによっている。したがって、国交省は公的会議、協議、報道では、羽田の国交省枠は3万回としかいえないのである。それ以上をいうと、羽田国際化を承認させられた千葉県の面子が立たなくなるのだ。
 しかし、3万回という数字の根拠も曖昧である。これは国土交通省が01年に行った羽田空港の需要予測をもとに割り出し数字である。羽田空港の国内線利用者数が99年度では5227万人であったが、15年度は7900万人になると予測し、この場合に必要な航空機の発着回数は、37・3万回。なお、01年当時の羽田の新滑走路(2500メートル)の完成のメドは15年度であった。つまり、それが完成すると、羽田は約41万回の発着回数枠が確保され、国内線需要の37・3万回を引くと余剰枠が約3万回生まれるとの説明だ。これを国際線に当てるということであった。
 まず、羽田の完成が2015年から2009年と6年も繰り上がった。現在の国交省による国内線の需要予測は年3パーセントの増加とみている。この3パーセントもかなりオーバーな数字だが、それを当てはめると、現行の羽田空港は年間約28万回であり、5年後でも約16パーセントの増加にしかならない。現行約28万回が32万〜33万回になる。拡張後の羽田は約42万回の離発着能力があり、余剰枠は約10万回になるのである。余剰枠の考え方によれば09年には10万回を国際線に回せるのである。
 これだけではない。国交省は深夜・早朝の国際定期便を運航させようとしている。23時から6時までの7時間である。この時間帯の国内線の需要はない。すべて国際線枠になる。昼間時(17時間)の発着枠が42万回であり、そのままの発着枠を計算すると、深夜・早朝の羽田の発着枠は約17万回になる。しかし、これは、騒音問題、飛行コースの解決、交通機関の深夜運行、国際線ロビーの整備、CIQ(税関、入管、検疫)の整備が必要なので、すぐにできるものではない。しかし、滑走路のポテンシャルとしてはある。昼間10万回、深夜早朝17万回、計27万回が国内線を運航した上での余剰枠となる。成田の年間離発着回数は17・5万回だが、そのかなりの部分(旅客便)が羽田に移管可能なのである。
 実は、国交省は、東京、神奈川など地元自治体や航空会社から羽田の国際線枠を増加せよとの主張が出ることを望んでいる。この声を背景に千葉県の反発を抑え込もうとしているのである。

(1月18日) 成田新高速鉄道/ルート変更か地下化を(1/19千葉日報、1/20東京千葉版)

 北印旛沼をまたいで整備予定の「成田新高速鉄道」と「北千葉道路」について実施された環境アセスメント(環境影響評価準備書)に対し、日本野鳥の会県支部(志村英雄支部長)は18日、鉄道事業者の成田新高速鉄道アクセスと県に意見書を提出した。
 意見書では、北印旛沼や周辺の里山を通る計画ルートにオオタカやサンカノゴイ(サギ科)などの貴重な鳥類が生息。鉄道や道路の供用で鳥類の生息環境を著しく悪化させるなどとして、同沼を通らないよう路線を変更するか、地下トンネル工法を採用するよう求めている。
 県野鳥の会(富谷健三会長)も同日までに、同様の事業計画の変更を求める意見書を提出した。
 環境アセスでは北印旛沼や周辺の水田に貴重な鳥類など「重要な生物」を確認。同沼に生息する希少鳥の一部で「成育に影響が出る」と予測したが、ヨシ原造成や防音壁などの環境保全措置で「予定設計ルートでも野鳥などに与える影響は低減できる」と結論していた。

【本紙の解説】
 成田新高速鉄道と北千葉道路についての環境影響評価準備書の縦覧が昨年12月1日から今年の1月4日まで行われていた。意見書の提出期限は1月18日までとなっており、その最終日に日本野鳥の会が意見書を提出した。
 地元成田市は、成田新高速鉄道の完成に市の発展を託して工事実施の熱気のある運動を行ったが、成田市土屋駅設立を拒否され、その熱気はまったくなくなった。むしろ、スカイライナーが基本的に成田新高速鉄道を使い、京成本線の成田駅はスカイライナーは通過もしなくなるので、成田新高速鉄道の完成は成田市の発展を阻害すると敵意をもつ人まで現れている。
 今後の工事までの手順として「意見概要・見解書の作成」「意見概要・見解書の公告・縦覧」を経て「市町村長・県知事意見」があり、「環境影響評価書の作成」に行く。ここで県知事の意見表明が入る。堂本知事はかつて自然保護を叫びながら「三番瀬再生計画案」を議会に提出せず、県民を裏切った。これと同じように、今回も自然破壊の先頭に立とうとしている。

(1月24日) 成田空港周辺/NPOなどが道整備(1/24毎日千葉版)

 成田空港周辺の自然に親しんでもらおうと、非営利組織(NPO)の成田「里山を育てる会」(高中洋理事長)と成田市、成田空港会社などが整備した「里山遊歩道」が開通した。
 ヒルトン成田(成田市小菅)わきの市道から、国道295号につながる全長約7キロ。2時間ほどで散策できる。周辺には自然林が残され、幅約3メートルの取香川沿いを歩く。空港周辺のホテルの宿泊客のジョギングにも適している。
 この遊歩道は、空港会社の保有する自然林が遊休地になっていたため昨年夏、関係者から「観光客や住民に里山の良さを体験してもらおう」と提案があり、整備が始まった。会のボランティア約100人が、竹やぶを伐採。空港会社は遊歩道内に長さ約100メートル、幅90センチの木道を設置した。
 同会の相原亮司さんは「遊歩道がきっかけで、自然の大切さを見直すきっかけになれば」と話している。

 【本紙の解説】
 現在、成田空港会社が所有している空港周辺の山林、田んぼ、畑が620ヘクタールあり、その荒廃が進んでおり、その保全が問題になっている。そのために、NPO的手段でボランティアを動員し、できる限り安い費用での保全を行おうとしている。その空港会社の手先になっているのが、かつての三里塚闘争活動家で脱落派として闘争から逃亡した連中である。「里山を育てる会」の相原亮司とは、木の根に居住し、小川一彰と一緒に屈服し移転したあの元労学連活動家の相原亮司である。
 相原はいまや、三里塚闘争の立場をすべて清算し、成田空港と成田市そして空港周辺ホテルの立場に立っている。いまなお闘いが続いているにもかかわらず、脱落派元活動家の多くが空港会社の手先になって生計を立てている始末なのである。

(1月24日) 空港闘争の記録 後世に(1/25千葉日報)

 成田空港問題の記録を資料収集し後世に伝えることを目的とした財団法人航空科学振興財団の「歴史伝承委員会」(座長・新井勝紘専修大教授)は24日までに、「3カ年計画」(04−06年度)をまとめ、2006年秋に収集資料の企画展を開き、一般公開することを決めた。
 これまでに収集した元小川プロ撮影の反対闘争収録映像はじめ文書類や写真、証言テープなど資料約3万点を常設展示する「場の実現」を最終目標とし、3カ年計画で(1)企画展の開催(2)収集資料の活用策検討(データベース化)(3)常設展示への企画書策定による一般への理解と協力要請―を推進する。
 企画展は06年9月か10月ごろに約1カ月間開催の予定。今年4月にプロジェクトチームを立ち上げ展示内容や場所、予算確保などの諸準備を進める。企画展に合わせ成田空港問題のあらましがコンパクトに分かる図録を作成する。
 また、これまで収集に専念してきた資料の活用策を調査、研究するとして、当面は元小川プロ映像資料を最優先に完全目録化とDVD化による資料公開をめざすほか、一般にアピールする手段として「歴史伝承委員会だより」(年3回)を4月から発行する。
 同委員会では「資料収集は反対運動のものが多く、旧空港公団関係が圧倒的に不足している。今後、成田空港会社の協力を得たい」として、反対闘争に偏る収集資料の幅を旧空港公団側にも広げる考えを示した。

 【本紙の解説】
 国家権力と成田空港に屈服し、うちひしがれた人たちに三里塚闘争史を正しく後世に残せるはずもない。三里塚はいまだ、生き、闘っている闘争であり、日帝の首都圏空港整備計画を基本的に失敗させ、成田空港の軍事空港化を阻止している。けっして伝承の対象となる歴史的過去の闘争ではない。また、成田空港会社の空港関連の資金で空港反対運動の記録を残すとなると、農民が空港反対をしてきたが、結局、空港建設を理解し、共生の道を見いだした、という歴史にならざるを得ない。これは闘争の歴史ではない。敗北の歴史への書き換えになるだけである。事実の記述という意味も、彼らはシンポ・円卓会議(91〜94年)での歴史検証と称する場で、政府・空港公団側の犯罪行為(二期着工時の強制収用への着手など)の記述を抹殺するなどの歴史の書き換えを行った連中だ。
 また、この歴史伝承委員会は04年4月に、成田空港地域共生委員会の歴史伝承部会が移管し別法人になったものである(04年4月16日付日誌を参照)。成田空港の民営化にともない、周辺対策費の一環である共生委員会への資金提供が少なくなるなかで、廃止の運命であったものが別法人になったのである。
 この歴史伝承委員会は脱落派の石毛博道と坂志岡団結小屋にいた大塚敦郎が中心である。「場の実現」とは、多くの批判を浴びて頓挫した「共生会館建設」なるハコもの計画の焼き直しだ。「里山を育てる会」の相原亮司と同じく、歴史伝承委員会なるものは大塚の“食い扶持”なのである。

(1月27日) 黒野社長/暫定滑走路で本来計画続行を改めて表明(1/28読売、毎日、産経、東京各千葉版、千葉日報)

 成田国際空港会社の黒野匡彦社長は27日の定例記者会見で、暫定平行滑走路の2500メートル化について、「本来計画がはるかに望ましく、国土交通大臣も話し合いで解決せよといっている」と述べ、南側の反対派地権者からの用地取得を前提とする本来計画の続行を改めて表明した。
 用地交渉が進展しなかった場合の代替計画である北側延伸については、(1)北端を通る国道51号線の改修などで工期が6年強と、3年の本来計画よりはるかに長い、(2)滑走路北側の住民に騒音源が近くなる、(3)本来計画よりターミナルビルから離れるため、航空機が地上走行する時間が長く燃料を浪費する――との理由で、「交渉が決着しない場合の最悪の選択」と説明した。

 【本紙の解説】
 黒野社長はいよいよ追い込まれたようである。この定例記者会見では、北延伸の選択は「最悪の選択」、南延伸が「すべてにわたってベスト」といっている。「両にらみ」でことを進め、用地交渉が不調に終わったら北延伸であるという「恫喝」的発言は昔の話になった。
 しかし黒野社長は、「本来計画が望ましく、めどが立たないからといって放置するのは最悪の選択。北伸ばしは代替策として最悪の場合には手がけざると得ない」(1/28産経千葉版)と、むしろ、自分が追い詰められた心情を吐露している。
 黒野社長は、北延伸は51号の付け替え工事、新たな法的手続き、北部地域への騒音拡大、空域改善(航空機進入ルート)などをあげて、工事期間は「6年強」としている。これは、本欄が指摘した「工期7年」に対応している(05年1月11日付日誌を参照)。工事の課題も、51号線の付け替え工事をして本格トンネル化が課題といいだした。また「騒音コンターの策定、地元公聴会の実施、環境アセスメント」のことも「新たな法的手続き」としていいだした。
 しかし、北延伸で決定的問題になる東関東自動車道に関してはふれていない。北延伸が滑走路の長さだけは2500メートルになったとしても、東関道がそのままならば、航空機の北側進入で滑走路が使える距離はいままでと同じで、2500メートル化した意味はまったくない。ただ形だけを2500メートルにしただけに終わるのである。北延伸は工事期間が掛かるというだけでなく、東関道自身のトンネル化、付け替え工事の費用が膨大になり、費用対効果の問題で民営化された空港会社は選択できないのである。
 だが3月の年度末まで用地交渉が不調の場合、その責任はNAAにあり、国交省のメンツもあり、2500メートル化を形だけの北延伸をやらざるを得ない情勢になっている。黒野社長はいま、北延伸阻止のために、本来計画がベストと主張しているのである。自分の脅しの手段であった北延伸で自分が脅されているのが現実である。逆に、脅しの対象とされていた反対同盟農民は、「北延伸をやれるならやってみろ。できる代物ではない」と闘争心を燃やしている。

(1月27日)  芝山町にアグリ・パーク(1/28日経首都経済版、朝日、毎日各千葉版、千葉日報)

 成田空港建設の騒音対策などで取得した遊休地の農地活用を検討していた成田国際空港会社(NAA、黒野匡彦社長)は27日、芝山町岩山地区に散策路や農業体験用農地を提供する「エコ・アグリ・パーク」(仮称)を整備する一方、新規就農者のための「有機農業研修生受け入れ事業」を来年度内に実施すると発表した。
 アグリ・パークは、A滑走路南端と国道296号に挟まれた地域の山林約22ヘクタールを「自然に親しむ場」として水辺、森林、竹林などを整備して散策路を設け開放、農業体験用の農地も提供するほか、近隣農家の農畜産物を扱う農産物直売所を設置する計画。
 整備費は約5億円を見込み、新年度に工事着手する。「1、2年で完成する」と同社。自然をなるべく残すよう間伐、下草刈りは最小限に抑え、維持・管理はNPO法人やボランティア団体に委託したい考え。
 一方、新規就農者を対象にした有機農業研修生受け入れ事業は、同町菱田地区の農地約5ヘクタールで実施する。農機具一式を同社が提供、1人あたり畑50アールで研修を行い、期間は1〜2年程度で初回は10人程度を見込む。
 農地使用料や研修費も無料で、農業の基礎を習得したいという希望者を公募。講師には有機農業を実践する地元農家や県農業関係機関OBらを予定。来年度中に研修を開始する。
 このほか、遊休農地の一部を牧草化、畜産農家に無償提供する方針。
 同社は1998年に策定した「エコ・エアポート基本構想」で(1)地球的視野に立った循環型空港づくり、(2)周辺地域の農業再生への協力を2本柱にあげている。

 【本紙の解説】
 空港は、その周辺十数キロの範囲で騒音をまき散らすため、そこはバッファーゾーンとして整備すべき土地なのである。諸外国では空港管理政策としてバッファーゾーンの整備がかなり行き届いている。しかし、日本など人口密集地では内陸空港でもこのバッファーゾーンを整備していない。しかし、その日本でも成田、伊丹などで騒音問題が起こり、このバッファーゾーンが問題になってきた。そこで国交省の空港建設において、バッファーゾーンを無視することができなくなった。そのために、いままでの政策との整合性をつけるために最近は「空港の緑地などのバッファーゾーンを単目的で整備するのではなく、もっと多目的に有効活用」をいいだしている。つまり、単純に緑地などで無人化するのは良くない。多目的利用として、いままでの建設計画をそのままにしているのである。その代表的例が成田で、バッファーゾーンにさまざまな施設や営利目的のテニスコート、公園までつくろうとしている。
 また、成田周辺で新たに問題になってきたのは、里山、遊休農地の荒廃である。この整備保全の費用は莫大になりつつある。
 今回、芝山町菱田の遊休農地を約5ヘクタールで有機農業研修生受けや、遊休農地の一部を牧草化、畜産農家に無償提供となっている。いままで農地は、田んぼや畑は貸し付けの対象だった。しかし、農業環境の激変で農地の借り手はいなくなった。無償でもいないのである。むしろ、農地保全のためには金をだして保全してもらうようになってきた。米づくりは、基本的に赤字が多くなり、減反政策もあり、生産者自体が激減している。畑も同じである。専業農家が少なくなり、畑地を借りてまでやる人がなくなっているのである。むしろ、地主が耕作をやめた場合に、貸すのではなく、保全費用を払わなくてならない事態になりつつある。保全せずにそのままでは荒廃し、雑草が多くなり、周辺の畑へ雑草被害が及ぶからだ。
 公団は騒音対策地として空港周辺に620ヘクタール(約620町歩)を所有しており、その保全とその費用の膨大化が問題になってきたのである。農地貸し付けを募集しているが応募者がいないのだ。農業法人などに無料貸し付けを交渉しているとのことだが、空港周辺の田んぼは1枚が狭く、企業化した農業法人も敬遠している。
 そのために牧草化して「畜産農家に無償提供」となってきた。いままでは、農地を無償提供してもその整備は借り手が行うことが多かった。それでは借り手は見つからず、今回の措置となったのだろう。つまりバッファーゾーンの整備の費用をできる限り低くするために「有機農業研修生」などと称し、エコ・エアポート基本構想や周辺農業との共生のイメージを打ち出すことに躍起になっているのである。

(1月29日) 東峰神社/鳥居を木造からコンクリートに(1/29毎日千葉版)

 成田空港・暫定平行滑走路南側にある東峰地区は、成田空港会社との間で立ち木伐採訴訟の舞台となった東峰神社(敷地面積約154平方メートル)の鳥居を従来の木造からコンクリート造りに建て替えた。
 東峰地区は、2本目の平行滑走路の本来計画地内にある。このため、空港会社の前身である新東京国際空港公団が00年、東峰神社の土地所有者から土地を買収した。しかし、東峰地区の住民らが「地区の財産だ」と主張し、土地返還を求めて提訴。裁判は03年12月に和解し、所有権は住民側に移転された。
 新しい鳥居は、高さ2・5メートル、横幅2メートルで、建造費は裁判の和解金を充てた。昨年10月には本殿の全面改修もしている。
 成田空港を巡っては、今月11日に北側一雄・国交相が黒野匡彦・成田空港会社社長に対し、東峰地区で難航している用地交渉の期限を3月末とし、進展のない場合は逆の北側に滑走路を伸ばす「北伸」案の検討に入るよう指示している。


 【本紙の解説】
 毎日新聞で「コンクリート造り」となっているのは誤りで、実際は白御影石である。東峰神社の本殿改修と御影石の鳥居の建立は、暫定滑走路の運命を指し示し、公団に打撃を強制している。神社は滑走路延長上のど真ん中にあり、この神社が移転しない限り、滑走路の南側延伸はない。神社の所有形態は東峰地区住民の総有であり、このことが裁判でも確定した。したがって、東峰地区の全員が賛成しない限り神社は移転できない。また、東峰から一部の住民が移転した場合も、その人は神社の総有権の構成者としての資格を失うので、東峰地区に1人でも住民が残っていれば神社の移転は不可能なのだ。
 現在、東峰地区住民は全員が意気軒昂で頑張っている。今回の神社改修・鳥居建立はその意思表示で、この先、数世代にわたって神社が移転することなどあり得ない。

(1月29日) 成田空港/04年航空旅客数発着回数も過去最高に(1/30千葉日報、2/2毎日千葉版))

 好調な中国・太平洋路線に支えられ、成田国際空港を利用した昨年1年間の航空旅客数が3122万人に達し、開港以来初めて3000万人の大台を突破、過去最高を記録したことが、29日までの成田空港会社の調べで分かった。
 同社がまとめた04年の空港運用状況(速報)によると、航空機発着回数は18万5200回(前年比9パーセント増)、旅客数は3122万2000人(同17パーセント増)でいずれも過去最高となった。
 発着回数の内訳はA滑走路が前年比6パーセント増の13万3200回、B暫定滑走路は5万2000回で17パーセント増の高い伸びを見せた。路線別では中国、太平洋、東南アジアの3路線が全体の7割を占めた。累計でも開港以来の発着回数が291万回に達し、年内に300万回を超えることが確実の見通し。
 一方、旅客数の内訳は大半を占める国際線が3008万1000人(17パーセント増)、国内線が104万人(6パーセント増)。航空需要に打撃を与えた03年の新型肺炎SARS、イラク戦争のようなマイナス要因がなく順調に回復、活況を見せる中国路線が追い風となった。
 出発客は年が明けてからも好調で1月22日現在、前年比12パーセント増の好調を継続している。
 黒野匡彦社長は「昨年は好調な航空需要に支えられたが、(空港の処理能力としては)これが限界ではないか」と語り、右肩上がりの伸びがほぼ限界に近づきつつあるとの認識を示している。

 【本紙の解説】
 前年比で発着回数は9パーセント増、旅客数は17パーセント増で、過去最高と、一見景気のいい報道だが、2002年度比では発着回数で5パーセント増、旅客数で4パーセント増にすぎない。暫定滑走路は、この2002年4月に供用開始したばかりで、同年の夏ダイヤまでは試運転的使用だった。それとの対比で「過去最高」となるのは当然だ。
 国交省では、旅客数が2012年まで国際線で5パーセント、国内線で3パーセントと予測している。03年度をSARS、イラク侵略戦争での例外的落ち込みとして計算し、国交省の予測通り、国際線が年間5パーセント増と右肩上がりで上昇すると予測しているのなら、2002年から2年間では10パーセント以上増加していなければならない。それが実際には4パーセントでしかないのである。1年間の増加予測は5パーセントだが、2年間でもこれを下回っている。
 今月、中部空港が開港し、国際線・国内線の乗り継ぎが便利になりハブ空港としての機能が注目されている。中部空港の思惑通りだと、成田空港の国内線からの乗り継ぎ、JRや羽田空港を使った乗り継ぎが大打撃を受けるだろう。
 そのためか、NAAの黒野社長は「これが限界ではないか」と語っている。成田の処理能力のことをいっているような発言だが、本当は空港需要上昇に見切りをつけているのである。
 なぜか? 航空需要が年5パーセントの右肩上がりで上昇し、09年に羽田新滑走路が供用開始され国際化したと仮定すると、5年後には首都圏の国際線需要は約27パーセント以上増加する。それで成田の需要は減ることはないと国交省はNAAに説明しているのだが、この数字を黒野社長は信用できないのだ。航空需要は実はそれほどには増加しない。黒野社長は、国際線の羽田への移行は成田空港の経営破綻を招きかねないと考えているのである。

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