SANRIZUKA 2006/01/15(No695
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週刊『三里塚』(S695号1面1)(2006/01/15)
着工阻止! 決戦の年だ
反対同盟旗びらき 「やれるならやってみろ」
40年目の地権者無視
北延伸で空港会社 「謝罪」すべて反故に
着工阻止決戦を宣言し、熱気あふれる旗開きとなった(1月8日 成田市内)
反対同盟は1月8日、成田市内で06年の新年旗開きを行い、切迫する暫定滑走路の北延伸「夏着工」攻撃に対し、着工阻止決戦に「不退転の決意で」臨むことを宣言した。北延伸は今年が着工のタイムリミット。NAA(成田空港会社)黒野社長は年末の会見で「夏着工」を挑戦的に打ち出し、地権者農民への圧力を強めている。三里塚闘争は02年暫定開港以来の決戦となった。折しも小泉政権の改憲攻撃が本格的にスタートし、成田空港は自衛隊イラク出兵の基地として焦点化している。反戦の砦=三里塚闘争の真価が問われる年だ。旗開きに参加した多くの団体が渾身の連帯を表明した。以下は主要な発言の要旨。(2面に解説)
米軍再編「基地化」も焦点
《2006年闘争宣言(抜粋)》 暫定滑走路の「夏着工」阻止へ反対同盟は不退転の決意で臨む。空港会社は北延伸で「ジャンボ機を10万回飛ばす」と地権者を脅迫している。攻防の焦点は東峰の森、廃棄物処理場、そして天神峰現闘本部裁判だ。
戦後を一変させる改憲攻撃が始まった。成田空港からの自衛隊のイラク出兵は絶対に阻止する。反対同盟は動労千葉をはじめとする戦闘的労働者と連帯して闘う。3・26全国集会に総決起しよう。(中郷部落 事務局員・鈴木謙太郎さん)
《北原鉱治事務局長・年頭のあいさつ》わずか60年前、私たちは第2次世界大戦で尊い2000万の命を犠牲にした痛苦の歴史を持っています。今年、成田空港から600名の自衛隊がイラクに出撃する事態を前に、私たち一人一人が、二度と歴史をくり返さないために何ができるか。声ある者は声を、勇気ある者は勇気を、力ある者は力を出して闘おうと訴えたい。
人民の未来のために三里塚で勝とう! 成田空港を廃港に追い込む闘いは、必ず政府を変える状況を生みだすでしょう。若い諸君の奮起を心から願います。(写真 北原鉱治さん)
《事務局次長・萩原進さん》今年は着工との決戦です。しかし北延伸は敵・空港会社にとって最悪の選択。東峰・天神峰の仲間が脅しに屈しなかった結果です。反対同盟は自信をもって決戦に臨んでいます。
「北延伸」攻撃は、三里塚農民にとって「これでもか」といわんばかりの攻撃です。力ずくの農地強奪の歴史の上に、24時間体制の権力の監視と嫌がらせが続いている。暫定開港で農家の頭上に飛行機を飛ばす。今度はジャンボ機で10万回飛ばすと脅している。
やるならやってみろ、といいたい。私たちは何があろうとこの地で農業を続けます。農民は最後は屈服するという国の考えは間違いだと証明しましょう。
本気で闘えば必ず勝てます。敵の本当の狙いは東峰部落を追い出しての本来計画(南延伸)。北延伸はそのための脅しです。暫定滑走路は「への字誘導路」など欠陥だらけ。官製談合も暴露されて民営化は風前の灯火です。
しかし北延伸着工は侮るべからず。小泉政権は改憲という大変な反動攻撃を始めたわけで、三里塚つぶしは必ず来る。だからわれわれは三里塚闘争をもう一歩大きな闘争にするにはどうすれば良いか、皆さんと一緒に考えたい。
小泉政権は”震度5”に耐えられない。倒せる体制です。三里塚は、あの中曽根内閣の300議席を背景にした国鉄民営化と成田二期工事を跳ね返し、動労千葉とともにここまで闘ってきた力がある。この地平をいかに生かすかです。
米軍再編と改憲の始まりで、沖縄や座間、横須賀、全国いたるところで自治体も巻き込んだ反対運動が始まっている。そのなかでの三里塚3月集会です。三里塚に圧倒的な結集を! 三里塚を炎のような闘い! 今年は着工決戦のなかで三里塚闘争40周年になる。5〜6月にも全国的な闘いをやろうと役員会で決めました。労農連帯の圧倒的な隊列を登場させましょう。
国策止める三里塚 全国から連帯の檄
《天神峰部落 事務局員・市東孝雄さん》
05年は現闘本部裁判や廃棄物処理場をめぐる攻防など、勝利の年でした。小泉政府は「改革」と称して私たち農民や労働者がますます生活しにくくなる政策を進めている。そして自衛隊を1月中にもイラクに送ることを決めました。ますます平和が遠のく政策ですね。成田空港を彼らに使わせてはなりません。
反対同盟は正真正銘の闘いを40年間貫いてきました。ここに三里塚がまだ現存していることをもっと広くアピールしたいと願っています。今年は着工阻止の決戦です。何としても完全勝利へ頑張りたい。農地死守! 戦争反対! 空港閉鎖! 3・26全国集会には一人でも多くの方々のご参加をお願いします。
(写真 市東孝雄さん宅の前に立てられた「出兵阻止」の大看板【8日】)
《動労千葉委員長・田中康宏さん》動労千葉は三里塚の同志と連帯し、小泉政権を打倒するために全力で闘いたい。小泉政権は日米新安保体制の米軍再編を受け入れ、沖縄や成田をはじめ全土を出撃基地にしようとしている。この情勢で三里塚が40年の闘いを貫いている意義を確認しよう。
労働者の闘いに新しい風が吹いている。尼崎事故やレール破断事故に対する安全運転闘争、反合運転保安闘争は大きな反響を呼びました。そして日米韓の国際連帯闘争は、全世界の労働者との共通の思いを手にすることが出来た。連合など既成労働運動の腐りきった姿を根本から変える。そして根本的に間違った社会を覆し、戦争の道を止める。それは三里塚の北延伸を止める闘いと一体です。団結し闘おう!
《全関西実行委・永井満さん》萩原進さんから「闘いは勝利できるし勝利しなければ」との熱い檄が飛びました。「三里塚の地を100万の人民で埋め尽くそう!」との檄を受けて関西実行委を作って30年。反対同盟は一歩も退かず軍事空港を阻止し続けている。大変な力です。かつて淡路で関西空港問題が持ち上がった時、戸村委員長(故人)が訪れて「闘いは単なる住民運動ではない。権力を向こうに回した階級闘争だ」と訴えられた。そこから関西の私たちの闘いは始まりました。いまでは権力は、三里塚を潰さなければ憲法も教育反動も何もかもうまくいかないという事態に至っている。三里塚闘争は今この時こそ必要な闘いです。頑張りましょう!
《北富士忍草母の会》暫定滑走路の供用開始という嫌がらせに屈せず、農地を守って闘い抜く反対同盟に敬意を表します。秋にも北延伸の着工という、相も変わらぬ政府の農民殺しに怒りを禁じ得ません。
成田空港は軍事空港です。忍草母の会は北富士演習場の全面返還を求め、米軍と自衛隊のイラクからの即時撤兵を要求し、三里塚反対同盟とともに反戦運動の一角を担って闘います。(メッセージ)
(写真 東峰神社にしめ縄をかける反対同盟。ここは滑走路予定地のど真ん中だ【8日】)
《現闘本部裁判を支援する会 代表世話人・戸村義弘さん》
三里塚空港闘争が勝利しなければ日本は滅びると思っています。反対同盟の予言は当たるから心配です。たとえば反対同盟は、三里塚空港は軍事空港だと闘いの初期から表明している。本当にそうなっちゃった。この闘いが勝って空港がつぶれたら、これは革命が実現するということです。
三里塚闘争こそ人の生きるモラルです。いまの政府要人・大企業のモラルの頽廃ぶり。彼らは必ず自壊します。腐った壁は必ず落ちる。北原事務局長がいう正義と大義はこうして実現されるでしょう。
現闘本部裁判も、われわれが勝ったら政府は大変です。本部を封鎖しておいて、私たちは中にも入れないのに撤去しろと裁判を起こされた。我々が被告とは! 立場が逆ですね。
東峰神社がわれわれの手に返ってきたように、あの現闘本部で今日のようなお祭りができる時の用意をしようではありませんか。
《部落解放同盟全国連》全国連は暫定滑走路北延伸着工攻撃との決戦を反対同盟の皆さんと連帯してともに闘う決意です。私たちはこの一年、石川一雄さんの不屈の闘志をわがものとして、第三次再審闘争の再構築へ闘ってきました。寝屋川弾圧を粉砕し完全勝利しました。
06年、小泉政権の戦争と民営化、改憲の攻撃に対して、闘う労働者、農民とともに部落のきょうだいの総決起をつくりだしていきます。そのためにも、40年間も国策を阻み続けた三里塚闘争との連帯を改めて鮮明にする年にしなければと考えます。(メッセージ)
《婦人民主クラブ全国協議会/相模原市議・西村綾子さん》三里塚は40年、国策と闘って今の地平を築いた。この闘いが小泉政権の暴走に立ちはだかっている。
三里塚のような闘いこそが、小泉政権の対極にある民衆の希望なのだと実感します。私は1年前の反対同盟の闘争宣言を1年間机の前に貼っていました。今年も新しい闘争宣言を貼るつもりです。
米軍再編の焦点となって座間基地と三里塚の空港は密接な関係にあります。 日米の新たな軍事同盟としてアジアに出て行く。戦える軍隊として成田空港も使う。全国の空港と港を使う。
それを座間の司令部が指揮する。戦う労働者、民衆の組織化を全国津々浦々で進め、三里塚と共に闘いましょう。
(写真 東峰区の開拓道路から寒風をついて新年デモ。関西の永井満さんも隊列の先頭にたった)
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週刊『三里塚』(S695号1面2)(2006/01/15)
三里塚を軍服に蹂りんさせるな
1月下旬、成田から
自衛隊出兵 イラクで交戦迫る
改憲に先鞭 “東関道軍事パレード”も
陸上自衛隊東部方面隊によるイラク派兵が1月下旬に迫っている。制服を着た自衛隊が三里塚を蹂りんしようとしているのだ。また米軍再編による成田空港の米軍基地化という事態が迫っている。自衛隊派兵を許すな。成田を米軍の基地にさせるな。
陸上自衛隊東部方面隊の「イラク人道復興支援群」第9次派兵部隊が、1月27日に団結式を行うことが明らかになった。翌28日に成田を制服で蹂りんして出兵しようとの計画だ。成田空港の軍事基地化攻撃がいよいよ強まっている。反対同盟を先頭に全力で決起し、陸自東部方面隊の成田出兵を阻止しよう。
(写真 イラクに派兵される陸自第1師団の「隊テロ戦闘部隊」。交戦は時間の問題となった)
これに先立って、同じく陸上自衛隊東部方面隊からなる「復興業務支援隊」の第5次隊100人が軍服のまま、1月7日、羽田空港からチャーター機で、イラクに出兵して行った(半年の任務)。
これは従来の派兵と比べても重大な攻撃のエスカレーションだ。同支援隊は陸自第1師団の普通科で構成されており、隊員全員がレンジャー部隊の有資格者だ。「対テロ・ゲリラ」の戦闘訓練を受けた戦闘部隊であり、イラク・サマワでは「人道復興支援」と称する任務部隊を警備する役目を負っている。米軍再編で米第1軍団と共に座間に配属されるのがこの部隊だ。
米英日の軍事占領と戦うイラクのレジスタンス勢力にとっては直接の敵対部隊となるものであり、戦闘に最も近い任務の部隊だ。
さらに06年末に発足する自衛隊の中央即応集団に編入される部隊でもある。中央即応集団とは統合幕僚会議議長の直属部隊でこれも対テロ戦闘のスペシャリストを任じている。
この部隊は成田空港からの派兵を企図していたが、三里塚闘争の反撃を恐れて羽田から代替出兵した。第9次復興支援群の露払いの役割も果たしている。
そして前述のとおり、1月28日から3次にわたり、第9次人道復興支援群部隊が、制服のまま成田空港を出兵しようとしている(3カ月で交代)。それぞれ200人近くが、1週間ごとに3週間にわたって成田から出発する予定だ。
「軍事行動」の恫喝 米軍 対「北」協議の裏で
それぞれが、朝霞駐屯地内の東部方面総監で、政府首脳、石原慎太郎都知事ら列席の下、隊旗授与式を行い、その足で軍用バスに分譲して外郭環状道路、湾岸道路、東関東自動車道を車列行進し成田空港に到着、民間輸送機でイラクにむかうのだ。
そしてこれを3週間連続で行う。さらに第1次派兵部隊が交代する3月前後には帰還兵が成田に降り立つとともに第2次の派兵部隊が再び同様の授与式、部隊行動で成田から派兵されていく。これは反戦闘争の砦として40年間闘いぬいて来た三里塚闘争への挑戦・破壊攻撃そのものであり、改憲攻撃と一体の戦争国家化攻撃である。
中でも「制服を来て部隊編成のまま」で成田を出発するのかどうかが、重大な攻防点になっている。成田をめぐっては、イラク派兵に関してだけでも9回の軍事利用が行われているが、三里塚闘争との激突を回避し、「バスの中で制服を私腹に着替えて空港に入る」という軍隊としては屈辱的な対応を強制された経緯がある。
今回の派兵ではこれを突破し、公然と軍隊として成田空港を使い、軍事基地・成田の常態化を狙う重大な意図がこめられている。
反対同盟は1月8日の新年第1波デモで「陸自東部方面隊派兵実力阻止」の看板を2カ所に立て、「反対同盟は徹底的に闘う」と決意を明らかにした。
また、10月29日に発表された米軍再編に伴う在日米軍基地再編の中間報告でも「有事の際には民間空港、港湾を米軍に提供する」という形で、民間空港、港湾の軍事使用が明記された。具体的な空港名は秘匿されているが、すでに1997年の日米ガイドライン改定の際に成田空港、関西新空港をはじめ11空港、7港湾を米軍に提供する密約ができあがっている。
「開戦から80日以内に米国本土から海兵隊2個師団など60万人の兵力を投入する計画」(読売新聞)であり、その際に飛来する60万人の米兵は成田、関西空港などに飛んでくることが想定されている。
そして1月6日付け産経新聞によれば、昨年4月、アメリカ軍が北朝鮮に対して「6カ国協議再開に応じなければ軍事行動もありうる」とどう喝し、実際に軍事行動を準備していたことが明らかになった。朝鮮半島での軍事行動と成田空港の米軍使用は切迫しているのだ。
成田を自衛隊・米軍の軍事基地にさせてはならない。軍事空港化攻撃と対決してきた反対同盟を戦闘に自衛隊のイラク出兵阻止の現地闘争に決起しよう。
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週刊『三里塚』(S695号1面3)(2006/01/15)
“全ての樹を残す”と約束した
東峰の森で解説
萩原さん 新年第1波デモで
1月8日のデモ終了地点で萩原進さんが東峰の森について解説した(写真)。以下抜粋。
この土手は人工的に築かれたもので所有者から一坪共有地として提供された。この地点から東峰十字路に向かって斜めに新誘導路を通そうというのが会社の計画です。
ここは元々県有林だった森です。空港問題が起きたとき、この県有林と御料牧場があったため用地を確保できるというもくろみから計画が移転された。あとは東峰・天神峰が開拓農民だから買収しやすいという思惑があった。これが空港問題の出発点です。
今立っているところはそもそも空港予定地ではない。予定地外の場所に新たに空港施設を造ろうとしている。しかもこの森は保安林、防護林、景観保護として残すと空港会社は約束していた。空港によって保水の力が弱くなり排水がでいなくなったから残すと。
この木は一本一本全部調べた。杉が何本、桧が何本、樫が何本、どういう動物が住んでいるか。下草も刈って下の葉っぱを農業の肥料に使うために整備した。
ところが今度はここに誘導路を持ってきて切り倒すという話になった。自分の畑は空港に囲まれてしまい入るのに地下道をくぐって行くということになる。これでもかという攻撃だが東峰の森を残すために闘いぬく。必ず勝てますよ。
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週刊『三里塚』(S695号1面4)(2006/01/15)
コラム
地元の大スーパー「ジャスコ」が24時間営業になった。そういえばコンビニやスーパーを筆頭に、様々な業界で24時間営業が広がっている▼街は眠らなくなった。真夜中に熱々の牛丼も食べられる。ネット販売の業界は24時間が当たり前だ。便利になった? でも厨房をいつ掃除する? 経験では外食店の厨房は閉店後の掃除と”みがき”が命だが…▼「自分の首を絞めるよな」。あるスーパーで働く友人がうめき声を上げた。その店は昨年、業界の大勢に倣って24時間営業・365日年中無休化を敢行した。正月休みも返上。次の時間帯の働き手に引き継ぐためにある種の手抜きも許されなくなった。労働者同士がしばりをかけ合う。なんてこった▼そのスーパーは以前、19時が閉店時間だった。毎週決まった曜日が定休日で、正月は当然休んでいた。そんな時代がウソのようだと友人は嘆く。「これが規制緩和ってやつなんだよ」…なるほど、世の中やたらと忙しいわけだ▼24時間営業化は売り方だけの事情ではない、買い方も24時間働かされている。同業者が夜中に稼ぎ出すと、自社も夜中に動かざるを得ない。資本主義の宿命である。夜中に牛丼を食べなければならない労働者がごまんと生まれている。48時間一睡もしないでハンドルを握る驚異のトラック運転手も実在する▼8時間労働制はマルクス主義の貴重な成果だった。だいたい夜中に働くこと自体が異常なのだ。規制をなくして競争すれば24時間化は必然。人間が機械と同レベルで働く時代の再来である。「そうなんだよ。労働者は団結しなければ殺される」
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週刊『三里塚』(S695号1面5)(2006/01/15)
闘いの言葉
1905年12月の蜂起以前、ロシア人民は闘う能力がないとされたが、鉄火の中で生まれ変わった。闘いの洗礼を受け、彼らは蜂起によって鍛えられた。
1920年12月 N・レーニン
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週刊『三里塚』(S695号2面1)(2006/01/15)
大規模な不正選挙が発覚
首都バグダッドで数万人が抗議デモ
イラク「国民選挙」の虚構
瓦解寸前の軍事占領 レジスタンスさらに拡大
■「米軍は、出てゆけ!」――これが“選挙”で示されたイラク国民の意志だ
▽…イラクを占領している米軍の「段階的撤退」がしばしば取り上げられているが、事実は、米軍は占領継続に自らの存亡をかけているということだ。占領に抵抗する勢力は徹底的に殺す。それがイラクの現実だ。この凶暴化したアメリカ帝国主義の意志は、投票から1カ月経った「イラク国民選挙」の結果がいまだに発表できない現実に表れている。
(写真 レジスタンスの爆弾攻撃で大破・炎上する米軍パトロールの車両【ラマディ】)
カイライ政権とのあつれきも表面化している。米中央軍司令官は「イラク・イスラム革命最高評議会(シーア・シスタニー師派)はイランと通じている」と公言した。英軍司令官に至っては「イランが爆弾や武器を持ち込み、武装勢力を訓練している」と発言。また米軍自身がイラク内務省に再三突入し幹部を拘束、バドル旅団(シスタニー師派の軍事組織)支配下の内務省に物理的介入をくり返している。
▽…「イラク国民は勇気をもって投票した」(ブッシュ演説)という宣言にもかかわらず、選挙の不正は公然の事実だ。年末にかけて何万という人が街頭にくり出し不正選挙を弾劾した。米軍がいかに占領をごり押ししようとも、イラク国民はこれを許さないとの意思表示である。
▽…凶暴化した米軍は「クリーン・アンド・ホールド作戦」と称する新たな虐殺に乗り出した。無実のイラク市民を「レジスタンス協力容疑」で片っ端から拘束し虐殺する。村や地域を丸ごと「撤去」する。この圧力で武装レジスタンスを封じ込めようとの思惑だ。パレスチナへのイスラエルの軍事作戦と同じだ。
しかしこの戦略は破綻している。その証拠に、グリーン・ゾーン(バグダッド中枢の官庁街)への砲撃、半年ぶりのバグダッド国際空港への砲撃再開など、押さえ込んだはずの武装闘争が首都中枢で再び増加している。空港道路は再び「地獄へのハイウェイ」となり、南部の油井地帯にあるドゥーラ地区は再びレジスタンスの拠点となった。悪名高いアブ・グレイブ刑務所は毎日のように砲撃されている。レジスタンスは衰えを知らない! 人民の海は拡大している。
▽…米帝は駐留米軍16万の半分にあたる8万人を予備役と州兵に頼っている。1年を超えることが当然となった彼らの海外駐留は、米国内、特に保守党の牙城である中西部と南部で深刻な社会問題となっている。愛国法の延長が上院で否決(!)され、大統領命令で非合法的に行われた盗聴が暴露されたりしたのは、中西部・南部の動揺の結果でもある。国防総省は、予算不足を理由に、約束した年1万ドルの兵士へのボーナスをいまだ1ドルも支払ってない。石油産業は「史上最高の利益」を計上し、株価は天井知らず。にもかかわらず貧困家庭は激増している。ニューヨークの公共交通機関労働者のスト(昨年12月20日〜)が歓呼の声をもって迎えられた事態にも、新たな労働者階級の胎動が読みとれる。
▽…米軍は、予備役・州兵を部分的に削減せざるを得ない。その分、航空攻撃(無差別爆撃)を増やしてレジスタンスの拡大を押さえ込もうと必死だ。ユーフラテス川沿いの都市は、「レジスタンスに協力する都市」と見なされ、毎日のように爆撃で民家が破壊され市民が死んでいる。米軍基地近くの村落には「無人化政策」が採用され、村人が追い出され、寒さで凍死する事態となっている。日本で報道されない山のような現場写真を見れば、何が起こっているのかは容易に理解できる。【参照
ラクの現実――ダール・ジャマイル氏の報告(06年1月8日)
【ダール・ジャマイル・ドットコム】米国では報道されなかった最近のできごとを外国メディアから拾ってみよう。
《1月4日》武装勢力がイラク石油省のラヒム・アル・スーダニ総裁とその息子を、バグダッド市内のアミリヤ地区で1月4日に暗殺した。
ディカル州ナシリヤ市において、失業に抗議する一般市民とイラク警察の間で衝突が発生、数十人の民間人と警察幹部が負傷した。テレビは、キルクークで米軍パトロール部隊を狙った爆発がそれて、2人の民間人が殉教(死亡)し、別の2人が負傷したと報じた。
アル・シャルキヤTVは米軍機がモスルで墜落したと伝えた。現地特派員のレポートとして同テレビは米軍が現地に急行し墜落した現場を封鎖したと報じた。
《1月5日》イラク侵攻以来もっとも犠牲の多い日となったこの日、最低130人のイラク人と11人の米軍兵士が死んだ。(8月以降で最多)
《1月6日》ラマディ州立病院の医療関係者は、子ども3人を含む14人の一般市民が「今日、米軍狙撃兵によって殺された」と報告した。さらに「狙撃兵がラマディ市内にある高層ビルの屋根に陣取り、今朝、市内中心部に位置するマアリド地区でこれらの犠牲者を殺害した」と話した。アル・シャルキヤTVの記者はまた「ラマディでは市内のあちこちに配置された米軍狙撃兵に対する大規模な抗議が見られ、住民の中に恐怖が広がっている」とつけ加えた。米軍はこの件にコメントしてない。
ナシリヤ病院の医師は、失業に反対するデモの参加者とイラク警察の衝突がイラク南部のナシリヤで続いているなか、この日イラク人2人が死亡し23人が負傷したと報告した。
《1月7日》ファルージャでは、治安措置が強化され市内への主要出入り口がすべて閉鎖された。市内東部のサルサル通りで武装した男たちが米兵と衝突、米軍との間に激しい戦闘が勃発した。
住民の話によると、ファルージャ総合病院に所属するイラク人医師が米軍狙撃兵によって射殺された。
バグダッド在住の友から届いた最近の電子メールは、新しい「民主主義」のもとでのイラク人の生活を次のように要約した。
「バグダッド市内では隅々までいたるところをイラク国家警護隊(イラク軍)が見張っているために、私たちは非常に危機的な状況下で生活している。市の内外あらゆるところで殺人が続いている」
「この4日間、夜は電気なしだった…6時間停電しては30分だけ電気がつく。ガソリン価格は人びとが自宅で発電機を使えなくさせている。闇売買のガソリン価格がこれまでの50倍に跳ね上がった。ここ数日は給油所で列を作る者さえない。このため石油省の大臣が辞任し、今はアハメド・チャラビが大臣になった」
彼は次のように締めくくった。「米軍ハンビーとイラク国家警護隊を満載したピックアップ・トラックを(バグダッド市内の)あちこちで見かけるようになったことを除けば(民主主義といっても)何も変わらなかった」
(写真 血まみれの老人に銃をつきつける米軍【ファルージャ】)
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週刊『三里塚』(S695号2面2)(2006/01/15)
北延伸着工 遂に公言
NAA黒野 上場破たん表面化
解説
黒野社長は年頭の記者会見で、成田新高速鉄道の着工式、第1旅客ターミナルビルのグランドオープンを披れきし、北延伸の着工については、「2月4日に成田新高速鉄道・国道464号北千葉道路(印旛〜成田)の着工式、6月2日には第1旅客ターミナルビルのオープン」の言葉に並んで「平行滑走路の2500メートル化の着工など着実に前進する年だ」と語った。年末の記者会見でも「夏ごろには着工に持っていきたい」と宣言。空港計画の認可変更手続きへの着手なども報道された(1・11 NHK)。06年は間違いなく決戦の年だ。
一方、株式上場は延期となった。暫定滑走路の北延伸工事が成田空港の経営の桎梏になっている証拠である。費用対効果では北延伸は割に合わないのだ。黒野社長も「増収を見込める時期がずれ込んだ」といっている。北延伸工事が完成しても、羽田4本目の滑走路完成(09年)が早く、アジア便は大半が羽田へ移管することを空港会社は見込んでいる。これらが上場延期の理由だ。
問題は、それでも計画を強行するという国交省とNAAのかたくなな姿勢だ。採算を度外視して、日帝国家権力として、二期着工(86年)以来の三里塚闘争つぶしに動くという意思表示なのである。
また自衛隊がイラク出兵で「成田の公然たる使用」「制服で成田に乗り込む」ことにこだわっていることも大きな要因だ。日米新ガイドライン締結(97年)時に、日本政府は「周辺事態=朝鮮侵略戦争」の際に成田空港を米軍に明け渡すことを約束している。強力な反戦の砦の存在をこれ以上容認できないのだ。
しかし暫定滑走路「北延伸」は危機的だ。東峰の森や廃棄物処理場など、反対同盟と地元農民の抵抗拠点は健在だ。三里塚闘争の新たな展開が小泉政権ののど元を締め上げつつある。
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週刊『三里塚』(S695号2面3)(2006/01/15)
(21)
“あきれるほどの迷走”
燃料パイプライン
沿線住民が次々と決起
首都圏全域で連帯の火の手
機動隊導入の成田市議会を徹夜で包囲
千葉港から成田空港までのパイプライン計画は、千葉市住民の自治会ぐるみ1万5千人の闘いで頓挫に追いこまれた。1966年以来の三里塚闘争に熱い心をゆさぶられた都市住民の決起だった。
アジアへの帝国主義的膨張のためにのみ開港を急ぐ自民党政府の農民・住民無視政策が、地域住民からも告発されたのだった。
パイプライン計画の遅延状況を報告された佐々木英世運輸大臣は1972年8月14日、鉄道とタンクローリーを併用したジェット燃料の暫定代替輸送計画を指示した。しかしこの指示がさらに燃料輸送問題を泥沼に陥らせ、この後6年間も開港が遅延する原因を作っていったのだ。
代替輸送計画とは千葉港および茨城県鹿島港から成田市土屋貨物基地まで貨車でジェット燃料を輸送し、土屋基地から東関東自動車道の吉倉まで2・8キロをタンクローリーで輸送しようという計画だ。
ところがタンクローリー輸送の危険性は空港公団がそもそも認めていた事実だった。それが今度は手の平を返して「タンクローリーで」とはいかにも無責任で説得力に欠けた。
特に輸送区間とされた成田市は、地区住民を先頭とした猛反発を受けて反対の態度をとった。住民には「千葉がダメで成田ならなぜいいのか」という思いも強かった。
そこで公団は72年9月、あわててタンクローリーから暫定パイプライン方式へと計画を一転させたが、この変更自体、計画のズサンさを自己暴露するものであり、怒りの火に油を注ぐだけだった。
何よりも貨車輸送による代替輸送に対しては、1967年から共闘関係にある動労千葉が組織をあげた反対闘争を宣言した。(前々号既報)
(写真 パイプライン闘争が火を噴く中、反対同盟は三里塚闘争大政治集会を開いた【74年10月5日 日比谷公会堂】)
事故勃発の直後
ルートにあたる成田市寺台、山之作、吉倉地区住民が怒った理由は、パイプラインの安全性が検証されていなかったこと、油漏れの恐れがあったことにあった。
当時、この地区は地下水を飲料に使っており、漏油による水の汚染、さらに地震時の安全性の不安が募っていた。その根底には農民殺しの空港建設とその当事者である空港公団そのものへの強い不信感が横たわっていたのだ。さらに前年の72年7月30日、新潟県板倉町で帝国石油によるパイプライン事故が発生したばかりだった。
この運動の中心を担ったのが1968年以来、成田の平和を守る市民の会を立ち上げて反対同盟に連帯してきた村田豊さんと小川ルミ子さん(前衆議院議員小川三男さんの3女)だった。共に寺台地区の住民で「寺台パイプライン反対懇話会」を作って地域ぐるみの闘争を展開した。反対同盟と全学連現闘も全力で協力し闘いを盛り上げた。
両地区住民は1年2カ月にわたってパイプライン工事の着工を阻みつづけた。 1973年3月13日、ルート住民は「燃料パイプ埋設道路占用許可申請の不許可に関する請願」を成田市議会に提出した。さらに成田市議会議員2期目で空港対策委員会に属していた戸村一作委員長を先頭に成田市民、反対同盟、全学連現闘が奮闘した。
4月6日、請願不採択のために開かれた空港対策委員会には40人が傍聴におしかけて採決を阻止した。翌7日、市議会議長は私服警察の導入と機動隊の待機を要請。この中で、「請願不採択」を強行採決した。
5月22日、長谷川録太郎市長と小川源之助議長は、臨時市議会を開いて、請願不採択を決めようとしていたが、反対同盟、成田市民が傍聴席を埋め議場を取り巻いて徹夜で阻止した。
翌23日、議長は史上初めて機動隊を導入して反対者を排除、請願不採択を強行採決した。道路占用許可は5月26日に出された。
ところが着工はできない。寺台住民は監査請求や千葉地裁への提訴などで徹底抗戦した。10月1日、公団はやっとのことで着工にこぎつけたが、今度は農地転用を受けていなかったという農地法違反が判明、着工したばかりの工事が3月も中断した。
農地委員会に工作して工事が再開された直後の74年2月、またまた違法な土壌凝固剤の不正使用が明るみにでた。パイプラインが根木名川の地下をくぐる際に出水したため土壌凝固剤を注入したのだが、この中に有害なホルムアルデヒドが含まれていることが判明、成田市の要請で4月27日、工事は中断、再開まで今度は6カ月も要した。
こうしてパイプ埋設が完了したのは実に75年の6月30日だった。予定工期7カ月の3倍もかかったことになる。
しかも、この他にも問題が各地で噴出していた。まず成田新幹線計画の事実上の中止である。都心から空港へのアクセスの中心として計画された同新幹線は船橋住民や江戸川区住民の反対運動で粉砕された。湾岸道路や東関東自動車道路へも住民運動の火の手があがっていた。
さらに銚子市民によるボルタック設置(航空機無線誘導施設)反対運動が火を噴いた。空港公団が銚子市に「上空に飛行機は飛ばさないから設置用地の確保をを」とウソの確約をしていたことが判明、航空機騒音への市民の怒りの火に油を注いだ。「銚子の空を飛ばさせない住民の会」などが反対同盟と連帯して運動を展開した。
また茨城県鹿島から成田市土屋までの鉄道輸送そのものについても反対が起こった。72年2月23日、佐原市篠原の踏み切りでダンプカーとディーゼル車の衝突事故が起こった。
このことを背景に「燃料貨車輸送の危険性」が突き出され、住民の請願を受けて佐原市議会、鹿島町議会、神栖町議会が貨車輸送反対決議を行ったのだ。燃料輸送問題の迷走ぶりにマスメディアも「もはやあきれるほかはない」(東京新聞)と指摘するほどだった。
萩原進さんは次のように語る。「三里塚闘争の波もあってだと思うが、千葉県や東京都の住民までが、さまざまな課題で立ち上がっている。これらは空港計画の不当性をあらためて広く示すものだ。さらに今振り返っても驚くほどの政府・公団の無計画、無方針、行きあたりばったりの体質。それは今日まったく変わっていない。暫定滑走路そして現在の北延伸のつぎはぎ計画。われわれは勝てるという自信を深めさせてくれる」。(つづく)
●石油危機…
73年10月に起きた第4次中東戦争によってアラブの石油産出諸国は、石油輸出国機構(OPEC)などを通して原油生産削減とアメリカ、オランダ向け輸出の禁止、輸出価格の4倍化を断行した。これによって世界的なインフレが起こった。しかし原油価格の高騰のかなりの部分は、アラブ諸国の動きに乗じて暴利を求めた大手石油会社の値上げによるものだった。
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週刊『三里塚』(S695号2面4)(2006/01/15)
市長 3度居直りの回答
“成田市は当事者じゃない”?!
反対同盟が昨年12月20日に出していた成田クリーンパーク(一般廃棄物最終処分場)の違法転用問題に関する公開質問(第3回目)に対して回答が1月5日に成田市長から送られた。事実上の回答拒否と呼ぶべきもので抗議しなくてはならない。
反対同盟の質問趣旨は次のようなものだった。
@第2回目の回答(12月6日付け)で市長が「クリーンパーク問題については原因者である空港会社に問い質してほしい」と言ってきたことに対して「クリーンパークの管理責任は成田市にあるのだからその立場から誠意ある回答をすべきではないか」と質した。
A同じく第2回目の回答で「空港会社と協議中につき信頼関係を守るため協議の内容を明らかにできない」と回答してきたことに対して「信頼関係で重視すべきなのは市民との関係の方ではないのか」と質した。
これに対して回答では@については答えず、Aについては「従来の答えで回答済みと考えております」という居直りの内容だった。 要するに市の態度は、空港会社と一体となって、クリーンパーク違法転用を行うというものであることが、いよいよ明らかになってきたということだ。
しかし、市と空港会社がどのように悪知恵をしぼろうとも、北延伸工事の09年完成に間に合わせるようにクリーンパーク用地を転用することは不可能である。
廃棄物処理法では一般廃棄物最終処分場の廃止については、「閉鎖」後最低でも2年の監視期間を置くことが定められている。しかも、クリーンパークのようなダイオキシン類が埋められている処分場の場合は自然浄化のために5、6年は要する。反対同盟はクリーンパークの違法転用を許さない成田市追及の闘いをさらに強める方針だ。
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週刊『三里塚』(S695号2面5)(2006/01/15)
北総の空の下で
継続は力
無我夢中の30年間
1月8日、旗開き。雲ひとつない冬晴れの空に空港粉砕・延伸阻止のシュプレヒコールが響き渡ります。生活圏がフェンスで囲まれて寸断され、農村風景は一変しましたが、新年のデモで敷地内を一周すると2期工事を阻み続けている様が、実感を伴って参加者に伝わります。
デモ前日と当日、市東孝雄さん宅前の小見川県道沿いにイラク派兵阻止の立て看板が立ち、飛行機からよく見えるようにと、別に20bの横断幕が高々と掲げられました。
三里塚闘争40年の節目の年、“農地死守・軍事空港粉砕”がますます重く権力に突き刺さる局面を迎えて、“継続は力”だと確信しています。この地で農業を続けてきた農民の存在と日常こそが国家権力を追いつめているのです。
思えば私は、その内の30年を現闘員として共に歩んできたことになります。76年2月、鉄塔決戦前夜の緊急集会に初参加、急きょ各大学から1名ずつ現地に残ることになりました。
未明の岩山攻防戦で、あれよあれよという間に初逮捕、不起訴出獄後、6カ月の決戦現闘として、再び三里塚の地を踏みました。
援農と自転車でのビラ配りが主な活動でした。初めて田んぼに入ったものの長靴ごと足が抜けなくなったり、ビラ配りの途中、道に迷って犬に追いかけられたり、何とも頼りないスタートでしたが、あのころは初めてのことばかりで、無我夢中の内に時が過ぎたように思います。
去年の12月から日本列島全体が大寒波の中にあり、凍てつくみぞれの中で正月明けの農作業が始まりました。低温と乾燥で葉物が育たず、今年も新年早々から自然相手の農業の厳しさを味わっています。
(北里一枝)
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週刊『三里塚』(S695号2面6)(2006/01/15)
三芝百景 三里塚現地日誌 2006
12月7日(水)〜1月10日(火)
●北延伸阻止!現地闘争に立ち上がる 反対同盟は「東峰の森を守れ、クリーンパークの違法転用許すな、陸自東部方面隊の成田からの出兵許すな」をかかげて現地闘争を闘った。その後恒例の団結忘年会を開催し1年の前進を称え合った。(10日)
●本部裁判で第9回口頭弁論
天神峰現闘本部裁判の第9回口頭弁論が開かれ、地代の領収書問題などで空港会社側の暴論に反対同盟側が反論した。(15日)
●成田市長へ第3回目の公開質問状 反対同盟は成田クリーンパーク問題で、成田市長あて第3回目の公開質問状を発送した。前回回答が「協議中なので中身は明らかにできない」「質問は空港会社にしてくれ」という責任放棄の内容であったため、責任のがれを質す趣旨となっている。(20日)
●支援する会会報出る 天神峰現闘本部裁判を支援する会から第9号の会報が発行され、会員に送られた。(25日)
●「06年夏に着工する」 空港会社の黒野匡彦社長は北延伸工事の着工について従来06年秋としていた計画を「夏ごろに着工したい」と明らかにした。(28日)
●北原事務局長宅で新年会 現地支援連が北原鉱治事務局長宅に集まって事務局長主催の新年会が開かれた。(1月4日)
●市長から居直りの回答 クリーンパーク問題の公開質問に対して成田市長からの回答が寄せられた。しかし、事実上の回答拒否の内容となって
いる。(5日)
●動労千葉旗開きに北原事務局長 千葉市のDC会館で行われた動労千葉の旗びらきに反対同盟から北原事務局長が参加して、労農連帯の絆を改めて誓った。(7日=写真)
●新年デモと団結旗開き
反対同盟は06年最初の現地集会を敷地内東峰の開拓道路で行い、東峰の森までのデモを貫徹した。その後場所を成田市のレストランに移し、団結旗びらきを開催して、2006年北延伸工事着工攻撃との闘いの火ぶたを切った。(8日)
●関西実の旗開きに萩原事務局次長 兵庫県の神戸学生青年センターで開かれた関西実行委員会の団結旗びらきに反対同盟から萩原進事務局次長がかけつけて06年三里塚闘争への決起を訴えた。(9日)
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