SANRIZUKA 2006/05/01(No702
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週刊『三里塚』(S702号1面1)(2006/05/01)
「北延伸」変更申請許すな
6・25東京〜7・2全国集会へ
「09年供用」着工焦る
NAA 再び“最後通告”準備
NAA(成田空港会社)は、暫定滑走路の北延伸計画について、6月〜7月にも「航空法に基づく施設変更許可申請」を国交省大臣に提出する準備を進めていることが分かった。申請後は文字通り形式的な公聴会を経て同省の認可を受け、夏から秋までに警察・機動隊の制圧下で着工を強行する構えだ。過去40年の一方的な空港建設と同じく、「はじめに09年度供用ありき」で東峰・天神峰地区の地元農民はまったく無視された格好だ。NAAは変更申請を行う前後にこれも形式的な「地元申し入れ」(最後通告)を行う予定だが、「地元合意なしに滑走路を造らない」とした確約と建前は、ついに最後まで守られることはなかった。農家の頭上40bにジャンボ機を飛ばすな! 「あらゆる闘争手段で抵抗する」(同盟パンフより)決意を訴える反対同盟とともに、着工阻止決戦を闘い抜こう!
頭上40メートルにジャンボ機
NAAによる暫定滑走路「北延伸」計画は、すべてが「09年供用」の至上命令を前提に進められている。6〜7月計画変更申請から今夏〜秋着工のスケジュールは、NAAにとってもはや後に引けない生命線となった。彼らは着工への様々な前提課題を、ひたすらタイムスケジュールから逆算して進めている。
●東峰の森伐採は「最後通告」のみで強行の方針
NAAが最大の難題と考えてきた東峰の森伐採問題(新誘導路の建設=図参照)については、もはや東峰地区住民との形式的な「話し合い」すら放棄してしまった。NAAは国交省への計画変更申請に合わせて地区住民への「申し入れ」を行う予定だが、森を「樹林地として整備する」とした過去の確約(※注1)を無視した通過儀礼としか考えていない。
そもそも02年の暫定平行滑走路(2180b)開港自体が、「地元農民の同意なしには滑走路は造らない」とした円卓会議最終報告(94年)の公的確約を反故にする暴挙だった。NAAは農家の上空40bにジャンボ機を飛ばすことになる今回の「北延伸」について、それが殺人行為に近い問題であるにもかかわらず、あえて最後通告のみで強行する構えだ。
公団時代も含め、NAAは地元農民たちの怒りの大きさを常に過小評価して失敗を重ねてきた。今後、NAAが東峰の森を強行伐採するような手段に訴えてくるならば、“頭上40b飛行”という度はずれた人権破壊がまかり通っている現実が満天下に露呈する結果を生むだろう。それは必ずや、暫定滑走路「北延伸」計画そのものへの致命傷に転化するだろう。
●「覆土で廃止」の違法転用もくろむ成田市
また「北延伸」の滑走路北端に隣接する成田クリーンパーク(廃棄物処理場)の違法転用問題でも、NAAは焦りに満ちた対応を重ねている。反対同盟は3月30日付で成田市長宛にだした公開質問状(4回目)で@処分場の閉鎖―廃止を決定するプロセスはどうなるか?A廃棄物の全量撤去は行うのか?環境保全のため2年間の監視期間を法律が定めているが、どうするのか?B市が調査を丸投げした「第三者機関」とは何者か?――等を問いただしたが、成田市はこれへの回答を「検討中」と称して拒否した(4月7日)。
ところが回答直後の10日、市は定例記者会見で、同処分場の閉鎖方法に関する調査費を臨時議会に提案すると発表、さらに閉鎖―廃止の方法について「土で覆うなどを検討する」と明かした。成田市が、事実上の違法転用を示唆したことは重大だ。この問題は暫定滑走路「北延伸」の工期を左右する問題だが、市はNAAと通じて違法行為にあえて手を染めようとしている。反対同盟と地元住民は、このようなデタラメを決して許さないだろう。
国交省は何を焦っているか?
“成田闘争をつぶせ”
●騒特法の線引き確定も後回しか?
さらにNAAは、「北延伸」後の滑走路北側で新たに拡大する騒音対策特別措置法(騒特法)による規制地域の線引きで、成田市久住地区住民との調整に手間取っているが、同法の線引きを管轄する千葉県・堂本知事は、着工を急ぐNAAの意向を受け、「集落を線引きで分断しないで欲しい」という地域住民の声を無視してでも、計画変更の申請手続き前に線引きを強行する姿勢をにじませた。
騒特法の線引きで集落分断が問題になっているのは久住地区の須賀辺田集落。30数軒の集落でその一部が騒特法の「特別防止地区」に入り、移転補償の対象となるが、地区の要望は全戸の移転補償だ。地域のコミュニティを分断することは許されないとの正当な理由だが、全戸の移転問題を解決する作業は、代替地の選定や補償額の問題など複雑を極め、10年がかりの大仕事となる。NAAとしてはこの問題を切り離して着工を先行する以外にない。
堂本知事の前記の対応は、このNAAの意向に沿ったもので、通じていると言われても仕方がない。
●“最後の決戦”を挑む政府・国交省
NAAと国交省は以上のような問題をすべて無視してでも夏から秋の着工強行を最優先する構えだ。09年の供用を一切に優先させたいNAAは、国道51号線のトンネル付け替え工事(※注2)を含め、基本的にすべての工事を同時的に強行してくるだろう。北延伸に関しては、もはや半年程度の遅れが致命傷に発展しかねないからだ。
「北延伸」計画は、成田空港全体の経営面では実はほとんど意味がない。NAAが先に発表した中期経営計画では、北延伸完成後の2010年度で、現状よりも年間発着回数が「4000回」増えるだけだ。1日わずか10回程度の増加だ。「処理能力が倍増する」といったかつての宣伝は完全に後景に退いてしまった。
民営化したことで収支や経営状態が死活問題となる成田空港で、わずかこれだけの便数増加のために本体工事だけで数百億円を投入するとは、常識はずれもいいところだ。NAA関係者は「09年にオープンする羽田新D滑走路との対抗」を強調するが、短距離アジア便の世界では所詮勝てる戦いではない。国内線とのアクセスなど、羽田の地理的優位はあまりに突出している。成田空港が長距離国際線と貨物空港に特化する可能性は極めて大きいのである。こうした見立ては、航空業界では周知の事実にすらなりつつある。
では「北延伸」にここまでこだわる理由は何か? 供用時期を強硬に「09年」と主張しているのは実は政府・国交省サイドだが、結局のところ、彼らは40年を超える壮大な政治闘争となってきた成田の空港反対闘争に対して“最後の決戦”を挑んできたのだ。北延伸「供用」にいたる06〜09年の過程は、沖縄米軍基地の新設をはじめとする米軍再編受け入れ(成田の有事使用を含む!)、教育基本法の改悪、共謀罪の導入(刑法改悪)、そして戦後憲法そのものの改悪という、空前の政治反動が押し寄せる文字通りの階級決戦だ。「国策」を40年間も実力で阻んできた労働者人民の砦=三里塚闘争の破壊は、権力・支配階級の必須の課題なのである。
着工阻止決戦の檄を発した反対同盟の決意に応え、6・25東京集会〜7・2全国集会(三里塚現地)の取り組みに全力を挙げよう!
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【注1】空港公団(当時)は空港周辺緑化基本計画(95年)で、東峰の森を「樹林地として整備する」と明記し、東峰区住民に対して「東峰地区樹林の段階的整備」(97年)と題する文書でその旨を確約している。この確約は民営化によるNAAへの移行(02年)後、法的にも引き継がれている。
【注2】現在の国道51号線トンネルは、過走帯(オーバーラン用の緩衝地帯)にあたるので強度が低い設計だが、北延伸後はこの部分が滑走路そのものとなるため、対衝撃強度を高めた本格的なトンネルに作り替える工事が必要。巨大クレーンを林立させる工事で夜間工事を強いられる(昼間は航空機が往来するのでクレーンを毎日撤去しなければならない)ので、09年完成の工期が極めてタイトになっている。
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週刊『三里塚』(S702号1面3)(2006/05/01)
憲法改悪阻止の人民的大運動を!
“戦後”を転覆する反革命
「平和基本法」の無力と敵対
人権は権力から闘いとるものだ
日本教職員組合(日教組)は2月、「憲法論議に関する日教組の基本的考え方(中間報告その2)」という職場討議資料を作成・配布し「平和基本法」の制定を求める考えを打ち出した。また自治労も昨年の8月の組合大会で同様の議案を提出した。
これらは、日教組と自治労を、連合が昨年7月14日に打ち出した公然たる改憲路線(7・14見解)にひきずりこもうとする許しがたい策動である。
しかし、人びとの中に「現在の憲法と自衛隊の現実の乖離の中では護憲だけを言っていても無力だ」「護憲を主張している内に、実際には軍事大国化がどんどん進行し、イラクへの派兵まで行われている。何らかの歯止めが必要」として「平和基本法的対抗策を打ち出しその中に自衛隊を閉じ込めたい」という一定の幻想が存在していることも事実で、改憲派はそれを利用している。
本稿では、改憲攻撃に対する「平和基本法」的対抗が現実には無力であるばかりか、攻撃に加担する役割しか果たさないことを明確にしたい。
平和基本法のそもそもの出発点は1993年に遡る。当時発足した細川連立政権に社会党が加わったところから「社会党主導の連立政権の可能性ができた時に備えて現実的な安保政策が必要」とのかけ声で、社会党系軍事評論家、憲法学者などによって作られ、発表されたものだった。
そこでは最初から個別的自衛権の否定や自衛隊の解散など、本来憲法9条に労働者人民が託した内容は問題にもならず、「現実的安保論議」の名で、自衛隊の承認と自衛権の保持を認める一方、文民統制、専守防衛、海外派兵の禁止、集団的自衛権の不行使、非核3原則などで「野放図な軍事大国化に歯止めをかける」とするものだった。
しかし、現在の憲法改悪の攻撃に対して、このような「現実的安保論」で対抗しようという発想は、改憲攻撃の本質を見ようとしないきわめて日和見主義的な考え方であり、労働者の間に、有害な幻想を持ち込むことで改憲攻撃に加担するきわめて危険な態度であると言わざるをえない。
(写真 教育基本去改悪攻撃を皮切りに改憲へ動き出した国会)
「平和基本法的対抗」の最大の問題点は、今回の改憲攻撃の本質を自覚しようとしない点にある。
現在の憲法改悪攻撃は、戦後60年の憲法的構造を根底から覆そうとする、まさに右からの反革命クーデターである。6000万労働者階級の底の底からの闘いによって、階級全体が火の玉となって立ち向かわない限りおよそ対抗できないレベルの大攻撃だ。
その理由は憲法が成立した政治的攻防史そのものの中にある。1945年8月15日の敗戦後日本国内は、15年戦争、太平洋戦争での数千万のアジア人民の殺戮および日本人自身の戦死やヒロシマ・ナガサキの被爆等日帝支配階級によってもたらされた言語に尽くしがたい現実への怒りが爆発、労働運動を先頭とした戦後革命への人民の闘いが爆発していた。第1次、第2次読売新聞争議をはじめ京成電鉄争議、三井美唄炭鉱争議、日立精機、関東配電群馬、沖電気、東芝などで闘いは生産管理闘争にまで発展した。
他方、アジアでは中国革命が爆発し朝鮮半島でも植民地支配からの独立を求める民族解放闘争が全土に拡大していた。
こうした激動の中で、プロレタリア革命を阻止し、天皇の戦争責任を免罪して天皇制を護持する一点で、GHQと日帝支配階級のかけ引きと譲歩が行われ、その産物として現行憲法が成立したのだ。その結果、戦力の不保持、交戦権の否定を明示した9条が成立し、国家の権力を抑制する「言論・思想の自由」「労働基本権」などが盛り込まれ、憲法と一対をなす教育基本法においては、「国家による教育支配の否定」が打ち出されたのだ。
何か「憲法の理念」なるものが最初にあってそれが物質化したなどというものではない。
その証拠に、戦後革命を圧殺する道筋がつけられ、かつ、1950年に朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)していく中で、一転して日米の支配階級は9条を邪魔者として扱うようになり、これを踏みにじって再軍備へと突き進んでいった。そして「解釈改憲」で軍備を次つぎと拡大し、1980年代には日本の軍事費は世界第2位と言われるまでに拡張され、1991年カンボジアPKOで自衛隊を海外に派兵し、イラク戦争では武器を持ったまま海外侵略に赴くようになったのだ。
そして帝国主義間の争闘戦が戦争として火を噴き始めた現在、世界のどこにでも独自の軍隊を派兵することが死活的に必要となって、解釈改憲の限界があらわとなったのである。
別の角度から言うと、現行憲法を成立させ、その後の改憲攻撃をことごとく粉砕してきた、戦後期以来の労働者人民の運動と闘いの一切を粉砕する攻撃として、現在の改憲攻撃は襲いかかってきているのだ。
また、改憲攻撃との闘いは百かゼロかの階級決戦そのものなのだ。
攻撃の構造がこのように激烈なものである以上、「自衛隊の存在を認めた上でしばりをかけよう」などという平和基本法的対応・対抗が無力であることは明白である。むしろ改憲攻撃の流れに棹(さお)差すものにしかならないのだ。
われわれに問われているのは、こうした改憲攻撃の本質を暴露・宣伝し、本格的な階級決戦が到来したことを明確にし、戦後革命のような闘いをやりぬくことである。6000万労働者の根底からの決起を実現していくことだ。
とりわけ労農学人民の闘いの結晶である三里塚闘争の位置は決定的だ。
その闘いに必要なのは4大産別(国鉄、郵便=全逓、教組、自治労)を始めとする労働運動の猛然たる爆発、そして40年間不屈に国策を阻止しつづけてきた三里塚闘争を始めとする住民闘争、反基地闘争の決起である。
国民投票法および教育基本法の国会審提出の攻撃が一気に強まっている。今こそ2006年憲法改悪阻止決戦に立ち上がり、巨万の人民の決起でこれらを阻止しよう。
「平和基本法」的屈服の道を乗り越え、改憲攻撃を真っ向から粉砕する階級闘争の爆発を勝ち取ろう。
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週刊『三里塚』(S702号1面4)(2006/05/01)
ピョンテク農民との連帯を!
韓国の平澤(ピョンテク)で、米軍基地建設のための強制収用が強行されている。4月7日、同地の約300人の農民たちは、5000人を超える戦闘警察(機動隊)を動員して行われた農地収用と農水路破壊に対し、体を張った抵抗闘争を貫いた(写真)。種籾を植えた田の一部は掘り返されたが、農民たちの実力抵抗は今も続いている。
ピョンテクの基地建設は、ソウルにある龍山(ヨンサン)基地を移転させるもの。38度線の前線からわずか40キロのソウルから、後方に米軍部隊を移転させることで、対北朝鮮戦争の開戦に備える目的。まさに開戦のための基地建設だ。
ピョンテクの闘う農民と連帯し、成田空港の米軍基地化を粉砕するぞ!
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週刊『三里塚』(S702号1面5)(2006/05/01)
違法転用への加担は許さない
成田市が回答拒否
処分場問題の公開質問で
成田クリーンパーク(一般廃棄物最終処分場=写真)の違法転用をめぐる攻防で、反対同盟が出していた公開質問状(第4回目)に対して市は「検討中」として事実上の回答拒否(4月7日付)を行ってきた。
ところが直後の10日の記者会見ではメディアに対して「閉鎖―廃止の調査費に2500万円計上する方針」と発表し、「廃止は覆土の方向で」と表明したのだ。
メディアに対しては説明するが同盟の質問には答えられない。これが成田市の態度だ。しかも同盟質問を門前払いにするため、回答期限(12日)より5日も早いという異例のやり方で文書を送付してきた。回答期限の日付である12日付けで文書送付を行うと、10日に予定されていた記者会見での方針発表後になってしまうため「検討中」とは言えなくなる。それでわざわざ期限より5日も早い日付けで「回答書」を送付してきたのだ。
何たる農民無視か。反対同盟はこの市の対応に追及を強める方針だ。
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週刊『三里塚』(S702号1面6)(2006/05/01)
コラム
資源戦争がますます白熱している。イラク戦争では石油をめぐる奪い合いが露わだが、隠れた戦場がレアメタル(希少金属)だ。アフリカなど欧米の植民地主義が未だに影を落とす資源国では、採掘権争いは殺し合いが当たり前の世界だ▼身近なレアメタル問題といえば携帯電話やテレビの液晶に使われる「インジウム」。ガラス基盤に乗せる電極材だ。03年11月で1キロ200ドル台半ばだった相場が、現在900ドル前後まで上がった。日本は液晶世界生産の5割を占める圧倒的なインジウム消費国だ▼「フェロバナジウム」。日本の鉄鋼業界が得意とする高張力鋼の添加材。南アフリカやロシアが主要供給国で、強靱さが要求される石油パイプラインや橋梁などに使われる。潜水艦の外壁もこれだ。03年まで1キロ10ドル前後だった相場が、05年前半には120ドルまで急騰した▼背景は世界のエネルギー需要急増で、パイプライン用鋼管の生産が跳ね上がったこと。なかでも爆発的に伸びたのが中国だ。短絡的に見えるが、米ブッシュ政権はこうした問題を「世界戦争戦略」の大きな要因に据えている▼携帯電話に話を戻す。充電電池の性能を左右する「コバルト」。コンゴ、ザンビアが二大生産国だが、日本は世界のコバルトの3割(!)を消費する。燃料電池車の電極触媒としても注目されているが、普及すれば、即コバルトの供給危機だ▼エネルギー安全保障などという言葉は、まさに帝国主義の戦争用語である。日本だけで4000万台を超えた携帯電話。あの液晶画面にはそれほど深い意味があった。
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週刊『三里塚』(S702号1面7)(2006/05/01)
闘いの言葉
ロシア政府、請願人を虐殺す。我国もまさに相同じ。予は泣いて日露両国の貧民に代わりて両国の義人に訴えるものなり。谷中村の惨事は最たるものなり。
1905年1月31日 田中正造
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週刊『三里塚』(S702号2面1)(2006/05/01)
バグダッド占領3周年の現実
人民の手による復興を拒否した米占領軍
分断と宗派対立を持ちこんだ大罪
米軍の兵たんを支える航空自衛隊
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「主権委譲」からの推移 |
2004.6〜05.4 |
2005.4〜現在まで |
イラクの民間人累計死亡者数 |
3724人 |
36800人以上 |
イラク警察の死亡者数 |
1カ月平均 65人 |
1カ月平均 115人 |
誘拐事件 |
1500件 |
11000件 |
自爆攻撃 |
1カ月平均2件 |
1カ月平均50件 |
最大失業率 |
30.25% |
40% |
真夏の平均発電量 |
5400メガワット |
4446メガワット |
最大インフレ率 |
25%(20004.6) |
40%(20004.6) |
飲料水の需要に対する平均給水量の割合 |
81% |
54% |
1日あたりの推定石油生産量 |
225万バレル |
110万バレル |
栄養失調の子どもの割合 |
2.25% |
7.7% |
「アッシャルクル・アウサト」紙より
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なおも住民自治拡大 地区ごとに“自主武装”進む
イラクのカイライ「移行政府」は「4月9日のバグダッド解放3周年を記念して、この日を国民の祝日とする」と宣言した。しかし祝賀ムードはない。イラクでは移行政府に参加したシーア派も含め、米占領軍の撤退を求める声が充満しつつある。アメリカにとって引くに引けない事態だ。イラクは完全に”第2のベトナム”と化した。
3年前の03年4月9日、バグダッドは米軍に占領された。サダム・フセインの銅像が倒され、アメリカやイランに亡命していたイラク人たちが、米軍に先導されて帰国した。現「政権与党」最大勢力であるシーア派のイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)も、最高権威のシスタニー師をはじめイランに亡命していたグループだ。移行政府の前身「暫定政府」の首相だったアラウィは米CIAの要員だった。
バグダッド「解放」で帰国した亡命イラク人たちは政党を組織した。彼らはグリーン・ゾーンに続く一等地のビルを占領し政党本部とした。政党幹部たちはフセイン政権幹部の屋敷を自宅とした。「バース党狩り」と称し、無実の人びとを殺し財産も奪った。博物館や遺跡から貴重な歴史資料が盗み出され欧米で売りさばかれた。無秩序と破壊がバグダッドを覆った。
当時、この大混乱から復興に立ち上がったのは、バグダッドの労働者たちだ。彼らは電気と水を自力で回復させ、電話も復旧させた。消防士は再結集し、消防署を運営した。米軍が傍観する中、警官も市民と協力して盗賊団と闘った。スンニ派、シーア派、キリスト教の別なく、モスクや教会が食料や医療品の配給を実施した。医師は病院を再組織した。住民は地区ごとに警備隊を組織し、自治組織が秩序の中心となった。
これらはすべてイラクの労働者自身が行った。91年湾岸戦争の灰じんの中から立ち上がり、10年以上の米・英軍の空爆攻撃と経済制裁から町を守り、イラクの経済を支えたイラク労働者人民の経験が、秩序回復を可能としたのである。
この住民自治を破壊したのは米占領当局だった。彼らはイラク人自身による秩序回復を許さなかった。イラクを「解放」し「民主主義を確立する」主体はアメリカでなければならなかった。
イラク戦争の目的は、言わずと知れた石油資源の独占だ。米軍は、権威を失った族長や地主、資本家を担ぎ出し、住民自治を分裂させることに全力をあげた。キーワードは「分断」だ。「シーア派は我われの味方だがスンニ派は敵。クルド人も味方。彼らはスンニ派だがアラブ系ではないから。その他の民族は無視して良い」――ワシントンでは信じられないほど乱暴な”分類”が大まじめでまかり通った。(アラブ圏の日刊紙「アル・ハヤト」)
ブッシュは、占領に反対する者はすべて「サダムの残党」か「アルカイダ系のスンニ派」と呼び、徹底的な空爆(街や村ごと)と破壊・殺りくをしかけた。
占領者は早速、確認埋蔵量1000億バレル以上とも言われる石油資源に群がった。世界的企業が続々とバグダッドに拠点を構え、社員を派遣した。市民生活の再建は置き去りにされ、石油施設が最優先の再建対象となった。米政権に連なる軍事関連・建設会社は、巨大な米軍基地建設のプロジェクトで莫大な利益を得た。この「復興」計画はイラク戦争のはるか以前に立案されていた(■)。
米軍による占領支配は、イラク人民の利益と完全に対立していた。各地で武装レジスタンスが組織され、米占領軍への攻撃が開始された。攻撃は当初は散発的だったが、03年10月には、かなり統制の取れた攻撃に進化した。04年4月には、アンバル州ファルージャで米軍を完全に撃退し、自治権を獲得するまでに至った。シーア派のサドル師も「反米」を宣言、04年8月のナジャフの戦いで米軍は同派を軍事力で叩きつぶそうとしたが失敗し、「シーア派を使ったカイライ支配」の破綻の切り口をつくり出してしまった。
レジスタンスは米軍の兵站線を徹底的に狙った。イラク全土で、手当たり次第に米軍コンボイが攻撃された。補給が細れば米軍は烏合の衆だ。占領支配の破綻は次つぎと露呈、「同盟軍」も動揺した。スペイン軍撤退を皮切りに同盟軍が撤退を表明した。
米占領軍の頼みは軍事力だけだった。現政権与党SCIRI(前記)議長のハキム師とシーア派最高権威・シスタニー師が手をさしのべなければ、04年4月のファルージャと8月のナジャフで米軍の占領は終わったかもしれない。
SCIRIのシスタニー師は宗教的権威をたてに事態を収拾し、その功績で内務省と治安組織を手に入れた。8万のバドル旅団(シスタニー派の私的軍事組織)が治安組織に入隊し、その中核部隊を形成した。息を吹き返した米・英軍は04年11月、満を持してファルージャに襲いかかり、町を完全に破壊した。「新都市再建計画(!)」と称する残酷な大量殺りくである。
あまりの残酷さに、米軍兵士自身が精神的に崩壊し自殺者が続出した。米国内のイラク反戦闘争も再建され、ブッシュ大統領の支持率は急落。05年には、アブグレイブ刑務所での捕虜拷問・虐待など内部告発が相次ぎイラク占領の残忍な実態が暴露された。
長期戦略に転じたレジスタンスは、「イラクに米軍を引き込んでせん滅する」と宣言した。米軍司令官がいう「卑劣な戦法」を駆使し米軍を泥沼に引き込んだ。レジスタンスの前進は、中東を発信地にアフリカからアジア・インドネシアに至る13億人の「イスラム・ベルト」と呼ばれる反米ネットワークを生んだ。
米軍やカイライ政府が占領の破綻を「宗派対立」を煽って乗り切ろうとするなど、イラク情勢は混沌としているように見える。だが抵抗闘争の展望は見え始めている。イラク人民全体の利益を代表しうる勢力が、この激動を生き残り、宗派利害を止揚してイラクを再建を導くだろう。
人民レベルで、この問題は大きく前進している。住民は地区ごとに武装を開始している。米軍とカイライ治安部隊が今さらのように「掃討作戦」をくり返すゆえんだ。「占領反対」の戦いは、自治権力の実質的獲得として進んでいる。最近のイラク国内の一部の爆弾事件が、明らかに無差別殺りくの様相を呈しているのは、イラク人民による自治権拡大に対する攻撃だという見方が急速に広がっている。欧米のメディアですら「ミステリアス・ボム」(不可解な爆発)などの呼称が増えている。
4月に入り、自治権拡大を図る労働者人民と内務省・治安組織との対立が激しさを増している。ニューヨーク・タイムズは、在イラク米大使館や軍関係者らがまとめた内部報告(「各州の安定評価」)が、イラクの18州のうち6州で情勢不安定化が「深刻」で、1州(アンバル州)は「危機的」との評価を下した、と報道した。(時事)
駐留米軍の現実は惨たんたるものだ。米軍の兵站拠点、クウェートのドーハ基地からは「毎日3050台のトラックが80組の車列を形成してイラク国内に各種の兵站物資を運んでいる。平均1日2回、輸送車列に爆弾攻撃がある」(『星条旗』紙)。輸送の危険度は日に日に増している。
米軍は兵站輸送をできる限り航空機に切り替えたいが、膨大な兵站物資の空輸には限界がある。兵站の限界はイコール部隊展開の限界だ。ICタグをつけたコンテナが常に人工衛星によって監視され、「今、どこに、何があるのかが瞬時に検索できる画期的な兵站輸送システム」「必要な時間に、必要な量の兵站物資が戦場へ」…。「兵站革命」とうたわれた最新の輸送システムが、レジスタンスの古典的なゲリラ攻撃の前に破たんしている。
米軍が、航空自衛隊のC130輸送機の支援を要求しているのは、こうした事情からだ。年内にはナシリアからイタリア軍が撤退する。日本はこの穴を埋めて米軍支援を強化する計画だ。(4・11共同)
第10次イラク復興支援群の派兵を阻止し、イラク人民との連帯闘争に立ち上がろう!
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週刊『三里塚』(S702号2面2)(2006/05/01)
蘇るむしろ旗 三里塚闘争40年の真実(28)
敷地内決戦が闘いの本番 右派との分岐始まる
79年10月、分裂集会に断 動労千葉 「貨車輸送延長」に猛反撃
戸村委員長逝去、遺影に「二期絶対阻止」誓う
1979年6・15の島寛征―加藤紘一秘密交渉問題から1981年3月のジェット燃料貨車輸送延長をへて1982年の石橋政次裏切り〜1983年3・8熱田派脱落まで、三里塚闘争は二期決戦を闘う体制の構築をかけた激闘に入っていく。
一方には、17軒の敷地内農家を保持して「一期工事をめぐる闘いはほんの前哨戦。二期工事阻止決戦こそが三里塚闘争の本番だ」(萩原進さん)と闘いの決意を燃やす戦闘的部分。他方には、「空港開港」の重圧に屈服し、東峰十字路裁判での重刑攻撃の中で闘いの“終結”に動いた一部の青年行動隊(青行)や「条件獲得にむけ着地点を探る」という発想を捨て切れなかった芝山社会党(小川総一郎芝山町議=中郷部落、内田寛一行動隊長、石井英祐事務局次長ら)を中心とする動揺的分子。こうした対立構造が生み出されていった。島寛征・柳川秀夫らの秘密条件交渉は、反対同盟の弾劾によって頓挫したものの、根っこは根絶されずに”伏流水”となって沈潜していった。
福田―大平内閣は、1979年後半から1981年にかけ、総力をあげてこうした反対同盟動揺分子取り込みに全力を上げる一方、二期工事着工の圧力をかけつづけた。
79年3月に「年内2期着工」発言を行った森山欽司運輸大臣は、8月28日、今度は「80年夏に二期工事に着工したい」旨の発言を行い反対同盟にゆさぶりをかけた。これが粉砕されると81年1月には空港公団理事・角坂仁忠が「横風滑走路の年内着工」と発言するなどして、二期着工の脅しをくり返した。
これに対して、同盟は東峰十字路戦闘の日に合わせた9・16全国集会(79年)を対置、2万人の大結集を実現して彼我の力関係の現実を見せつけた。
さらに、中央政治闘争のシンボルとして闘われてきた10・21反戦デー闘争を三里塚現地で開催することを労農学諸団体に提起して2万1千人の大結集でこれを実現、日本の労農学の基軸的闘いへと三里塚闘争を押し上げることに成功した。同時に二期工事阻止100万人署名運動が音を立てて開始された。
ところが、ここで右派との対立が公然と現出することになる。同盟執行部が「二期決戦は敷地内決戦」との主張から、10・21集会を敷地内十余三部落に設定したことに対して、青行らは「カンパニア集会反対。飛行機に打撃を与える飛行阻止闘争を行うべきだ」などの口実をもうけて反発、岩山地区でのアドバルーン闘争や黒煙闘争などの形で分裂行動に走ったのだった。
一見勇ましく見えるこれらの「直接行動」の提唱者たちが、後に闘いの手打ちを路線化し、成田シンポ・円卓会議(91年〜94年)などの闘争終結を導くことになる。彼らは二期決戦全体を見通して、反対同盟の側が力関係で敵を圧倒しているという情況を認識できなかったのである。
10・21集会に向かった結集運動はこうした動揺をはね飛ばして展開された。10・11関西、12富士、群馬、16横浜、湘南、17鶴見、湘北、静岡、千葉、東京西部、18浜松、大阪、19広島大学で地区集会が闘われ、敷地内反対同盟を中心にして2期決戦にむかう三里塚闘争の勢いを示した。
革共同は、革命的ゲリラ戦のエスカレーションで応え、8・30パイプライン工事現場へのゲリラ(千葉市花見川)、10・18スカイライナー炎上ゲリラ(上野、高砂、成田市宗吾)などが敵の重心に向かって的確に打ち込まれていった。
また、成田空港の運用をめぐる動労千葉のジェット燃料輸送阻止闘争は確実に空港を締め上げていた。5度にわたる燃料阻止ストライキによって、航空燃料の備蓄が日に日に減っていく危機が発生していた。
大塚茂公団総裁は7月27日にジェット燃料の増送要請を国鉄当局に行う意向を明らかにしたのだ。動労千葉はこれに対しても、「増送反対」の10・22半日ストライキ、11・124時間ストライキで応えたのだった。また反対同盟もジェット燃料路線・沿線デモを11月2日から7日まで、鹿島線沿線(成田から茨城県鹿島まで)で展開し動労千葉に連帯した。
ちょうどこの時(11月2日)、折から体調を崩して入院していた戸村一作委員長が急逝した(70歳)。次の10・21集会へのメッセージが戸村委員長の遺言である。
「いま三里塚の農民にとって必要なことは革命的なたたかいの魂ではないでしょうか。三里塚と動労千葉の労農連帯こそ勝利の道だ。この道こそ80年代の日本を革命にまで導く不可欠のものです」「三里塚は日々勝利しているのです。このぶざまな空港を御覧なさい。われわれの闘いは目前で敵を圧倒しているのだ。同志よ! 固く手を握り合って最後の勝利まで闘いぬきましょう」。同盟は11月17日に同盟葬を行って戸村委員長の偉業に応え、遺志を貫くことを誓った。
列車30本止める
次に焦点となったのが再びみたびジェット燃料問題だった。成田空港のジェット燃料貨車輸送は3年間の計画だった。その期限は1981年3月。その間に本来計画であるパイプライン工事を完了させ、危険な貨車輸送は完了する、というのが運輸省・空港公団の約束だった。
ところが、78年開港後も千葉市花見川沿岸住民をはじめとする住民の闘いはねばり強くつづけられた。パイプライン工事をめぐる千葉市当局への抗議行動、工事阻止を求める裁判闘争など、真砂地区自治会他が徹底的に抵抗した結果、工事は当初予定の2倍の6年もかかる難工事となったのだ。80年6月26日、地崎宇三郎運輸大臣が、ついに「ジェット燃料輸送2年2カ月延長」を求める発言を行った。何度目かの約束違反を政府・公団はまた再び犯したのだった。反対同盟、沿線住民そして動労千葉労働者の怒りが爆発した。
ジェット燃料の期限延長の正式提案が時間の問題と見られる中、同盟は80年7月15日千葉市、19日鹿島町、21日成田市・佐倉市に貨車輸送延長の承認要請を拒否するよう申し入れる行動を行った。
81年に入ると動労千葉と同盟の交流会がくり返され1・24動労千葉支援集会や2・19線見訓練反対闘争に同盟がかけつけた。そして動労千葉は81年3月1日から6日まで指名スト、24時間ストライキを含む大闘争に立ち上がったのだ。この闘いで30本もの燃料列車を止めた。三里塚と動労千葉の労農連帯はまたいっそう深まった。
この一方で、同盟を揺るがす重大な攻撃が準備されていた。いわゆる農業振興策だった。萩原進さんに説明してもらおう。「農振策は、成田用水と公団用地貸し付け計画の2つだが、特に成田用水の方は芝山菱田地区を狙い打ちにした攻撃で、従来見返り条件のなかった騒音下の農民への初めての買収策であり、それも一軒あたり1千万規模の高額補助金で買収しようという話だから、飛びつく農家も出てきた」。
右派との激闘はこの成田用水攻撃に対する対応をめぐって再び激しさを増していった。(つづく)
(写真 自作の彫刻「闘う大木よね」とともにカメラに収まる戸村委員長)
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●韓国光州蜂起…
1979年12月12日に全斗煥(チョンドファン)、盧泰愚(ノテウ)らがクーデターで軍を掌握、戒厳令を全国に拡大したことに、80年5月18日から27日まで光州市で20万人が民主化を要求して蜂起した。全は光州市に軍隊を投入し市民を無差別虐殺した。10日間で2000人以上が犠牲になったと言われる。後に米国が武力鎮圧を承認していた事実も暴露された。
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週刊『三里塚』(S702号2面3)(2006/05/01)
一坪裁判証言より 憲法学者 萩原重夫さん
頭上40メートル飛行の衝撃
「空港に市民的公共性なし」
昨年11月16日に行われた一坪共有地強奪裁判における憲法学者・萩原重夫さんの証言を紹介する。萩原さんは「成田空港に憲法本来の意味での公共性はない」と明快に証言した。
まず、公共事業における「公共性」というものの意味について、最近の考え方を紹介しますと、ただ単に国や自治体が行っている事業だからただちに公共性があるという考え方は間違いとなっています。その事業が公共性を主張するためには、憲法の基本的な3つの価値にのっとって判断されなければなりません。3つの価値とは「平和」と「民主主義」と「基本的人権」です。
私どもは従来のいわゆる国家的公共性に対抗して市民的公共性を実現することが重要であると考えています。その場合に重要なのは@情報公開、A環境アセスメント、B関係住民の参加という3点ですが、成田空港建設にはこれら3つが3つとも欠如しており、公共性はない、と断定できると思います。
空港がもし空港会社が言うような立派なものであれば、交通アクセスとか燃料輸送の問題とか、環境対策とかが備わっていなければならない。ところがさまざまな諸問題を度外視して、しゃにむにそこに滑走路と誘導路だけを造った。そうすることで無理やり住んでいる農民を追い出そうという意図だったと思いますが、その結果今どういう空港になっているか。
先日現地を見せてもらいましたけれど、惨たんたる姿に言葉を失いました。誘導路が「へ」の字に曲がっています。農家のすぐわきにまで敷地が迫りジェット噴射が吹き付けます。農家の頭上40bをジェット機が飛び交っているのです。よくも平気でこういうことができるな、というのが実感でした。農地の取り上げは単なる所有権の剥奪とはちがいます。生存権的所有権にあたるものであって生き死にに関係するため特段の保護を必要とするのです。
つぎに本裁判の空港会社による民法の共有地分割請求についてですが、まったく筋違いの判例の悪用だと思います。この判例は財産を争っている民間人同士の紛争を調停する場合に、きわめて例外的に共有物の分割を認めたものですが、一坪共有地は、別に所有権があるかないかでもめているわけではありません。
また、本件で会社側の主張を退けたところで、当事者の公平性をそこなうわけでも何でもありません。憲法的権利が焦点になっているわけですから、判例の悪用であり、一種の脱法行為で提訴自体許されません。
しかも空港会社は農民の合意なしに土地を取り上げることはしないと1993年の収用法取り下げで表明したわけですから、民法を収用法の代わりに使うというのは脱法行為です。江戸時代の悪代官が農民の土地を取り上げるのとどこが違うのか、というのが正直な感想です。
農民の闘いについて一言しておきますと、こういう憲法の価値を否定するような権力の行使に対して、人びとが抵抗権を行使するのは国民の義務ですらあると思います。それ自体憲法の保障を受けるべき闘いです。
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週刊『三里塚』(S702号2面4)(2006/05/01)
三芝百景 三里塚現地日誌 2006
4月5日(水)〜4月18日(火)
●処分場問題で、反対同盟無視の回答 成田クリーンパーク(一般廃棄物最終処分場)の空港用地転用問題で、3月30日に反対同盟が出していた第4回目の公開質問状に成田市長から回答が来た。しかし、同盟のすべての質問に「現在検討中につき答える段階にない」という同盟無視の内容だった。(7日)
●誤操作で脱出用シューター開く 午後1時ころ北京発成田着の日本航空780便=B767機で、客室乗務員の誤操作のため脱出用シューターが開く事故が起きた。(8日)
●処分場問題で調査費計上の報道 成田市が10日の記者会見で、成田クリーンパーク問題で臨時議会に2500万円の調査費を要求する方針を表明したことが報道された。これは7日の反対同盟への回答では「今は調査中」と答えていた内容で、外部コンサルタントへの委託料にあたる。第3者のマスコミには話せても当事者の成田市民である同盟の質問には答えられないという農民無視の態度がエスカレートしている。(11日)
●騒音下住民が県に要望書
暫定路の北伸で騒音が拡大する成田市久住地区の住民らが県庁を訪れ、県が進めている騒特法の騒音対策基本方針見直し作業について、要望書を堂本暁子知事に手渡した。 要望書では、騒特法による線引き・地区指定で、同地区内の集落が分断されることへの懸念が地元住民に高まっているため、「騒音下住民の心情的な公平さに配慮してほしい」と集落を分断しない移転政策を要求している。
北延伸にともなう騒防法地区の線引きは3月に確認された。しかし、騒特法の特別地区の線引きと2本の滑走路に囲まれた谷間地区の補償問題は決まっていない。このことで成田市久住地区の住民が要望書をもって県庁を訪れた。
移転が問題になっているのは同市久住地区の幡谷部落。その中で須賀辺田地区の住民が、騒特法の特別防止地区の線引きで地区内が分断されることから集団での移転を要求している。集落の過半はうるささ指数80のコンター外であるが、コンター内の住民だけが分断された形で移転すると、従来からの地域社会の絆、祭祀等の維持・存続が困難となる。したがって、集落の一部が移転対象になった場合は全戸移転が生きるための当然の要求だ。(14日=写真)
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