《法政大学1年生からのアピール》

いま、戦争への道をとめるために立ち上がろう!

 今回の沖縄サミットが「平和の発信である」というのは、とんでもないデタラメで、政府の平和というものの概念は、日米安保が日本の安全と国際平和を維持するために存在し、沖縄の米軍基地はこれに必要不可欠である、という理論の「平和」です。僕たちや沖縄の人々が考えている平和とは根本的に反するものです。
 だが、政府は意地でも基地の県内移設という名の下に米軍基地の再編統合政策を沖縄に受け入れさせようとし、サミットを利用し、ウソとデマ(経済振興策という)によって世論操作を行っています。

 戦争は突如として起こるものではない

 およそ人間である限り戦争が好きな者がいるでしょうか? 戦場で殺したり、殺されたりすることを好む者がいるでしょうか? だが、地球上では、何度も戦争が繰り返され、何回も大量殺戮が続いているのです。それは、55年前の過ぎ去った古ぼけた記憶ではなく、私たちが学園で一見平和な、こうした生活を送っている最中にも、毎日人と人が殺しあっているのです。
 なぜ戦争は起こるのだろう? 憎んでいるはずの戦争になぜ加わってしまうのでしょうか。僕たちは、戦争に絶対反対する者として、この問題をはっきりさせなければなりません。
 戦争は突如として起こるものでは決してありません。戦争が始まるまでは長い準備期間があります。列国がごく少数の者の利益のために、国際的発言力や威信を高めようと対立し、軍事的に競争し合っているうちに、ささいなキッカケで対立が火を噴いてしまうのです。第一次世界大戦ではオーストリア皇太子事件であり、日中戦争では盧溝橋事件でした。

 沖縄サミットは戦争準備会議

 今は、そのような戦争の準備期間にあたるのではないでしょうか。
 今世界は、資本主義の矛盾が噴出しています。日本でも、銀行の破綻や企業の倒産が続いています。そのような中で、その倒産を防ぐために、リストラという名の人員削減や賃下げという形で、労働者にしわ寄せされています。それは、平均寿命を下げさせるほどの大量の自殺者を生みだすほどのものです。
 しかも、アメリカのバブル経済がはじければ(はじけないということはない、そのときはいつかくる)、1929年の世界大恐慌よりもっとすさまじい大恐慌が来ると言われています。だから今、各々の先進資本主義国(帝国主義国)は、それにそなえ、何とか自国だけは延命・繁栄しようと躍起になっています。
 このような中で行われるサミットは、各帝国主義が自国の利益を見いだそうとする、いわば強盗どうしの会議であり、また現代世界史における戦争準備会議です。
 特に今回の沖縄サミットに関しては、緊迫する北東アジア情勢に対し、米帝は、すでに対北朝鮮戦争計画=「作戦計画5027」も示すとおり「南進やミサイル発射の“兆候”が確認できたら先制攻撃を加える」という姿勢で、彼らの言う“平和”を実践しようしているのです。同時に、その戦争における沖縄米軍基地の重要性を示そうとしています。現に去年のケルンサミットでは、多数の死者を出したユーゴ空爆の正当性を総括として決議しました。

 「しまった」と気づいてからでは遅い

 このようなサミットに本土の僕たちは無関心でいいのだろうか? それは否です。絶対に反対すべきです。
 すぐに戦争が起こる訳ではない。しかし戦争前夜を迎えてしまったら、戦争を阻止することは絶対できません。それは「きけ、わだつみの声」が物語っているとおりです。戦争が準備されていく過程(今)に全面的に反対して闘わなければ「わだつみの声」は何度でも繰り返されてしまうのです。
 今、日帝は「日の丸・君が代」法案を通し、石原や森の発言によって国家意識を煽ろうとしています。僕たちに、沖縄の悲劇や広島・長崎の悲劇を忘れさせようとし、反戦=平和の意識をなくそうとしています。その行き着く先は、いつか“日本を守る栄誉ある戦い”と言われる戦争に自ら加わるようにさせられてしまうということです。歴史はそう示しています。「しまった」と気づくのは家族、友人、恋人が死んでしまったあとなのです。
 そうした事態を許すまいと、今こそ僕らは考え、立ち上がるべきです。歴史的に、学生は先頭に立って闘ってきました。今こそ真価が問われています。
 今まで様々な苦しみと闘ってきた沖縄の人達と共に闘おう! 沖縄へ行き、労働者、学生の力を思い知らせよう!