ZENSHIN 1998/01/19(No1845 p06)

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週刊『前進』(1845号4面2)

 狭山闘争の大発展を
 部落解放東日本共闘 総会で決意新た

 十二月十四日午後一時半から東京・品川区の南部労政会館で部落解放東日本共闘会議の第六回総会が九十人の参加をもってかちとられた。九八年を狭山勝利の決定的な年とするための闘う方針を確立した。
 冒頭、主催者あいさつに立った中野洋解放共闘議長は、狭山闘争と労働者階級をとりまく内外情勢のポイントを明らかにし、「戦争と大失業の時代が本格的に到来した。六〇年、七〇年を超える第三次安保・沖縄闘争の爆発をかちとり、その中で解放共闘の組織を拡大し、狭山闘争の勝利へ前進しよう」と呼びかけた。
 続いて解同全国連の小森勝重糾弾闘争本部長が「狭山第二次再審をいかにかちとるか」と題して講演を行った。
 小森さんは、〈戦争と部落、戦争と部落解放闘争〉を主要なテーマとして展開し、戦時下に部落差別攻撃が強まる中で一九三〇年代の全国水平社の闘いが爆発したこと、しかしそれが日共スターリン主義の指導によってゆがめられ、侵略戦争に屈服し動員されていった歴史を、まさに今日、日本労働者階級が教訓化し、のりこえるべき重大な課題として総括した。そして、だからこそ解同本部派が五四回大会で「階級闘争史観は誤り」と公言し、「身分(的)差別」規定を抹殺し、差別糾弾闘争を追放し、日帝と闘わない帝国主義的融和運動の「新綱領」と路線を打ち出したことは、日帝の侵略戦争攻撃への屈服であり、徹底的に弾劾しなければならないと訴えた。そして本部派の屈服を打ち破って狭山闘争を戦闘的に発展させ、解同全国連と解放共闘の強化・発展をかちとることを強く訴えた。
 基調報告を山川博康東日本解放共闘事務局長が提起した。山川さんは最初に九七年の総括を提起し、解同全国連と解放共闘が、高裁第四刑事部(高木裁判長)とどれほど直接的で、熾烈(しれつ)な攻防を毎月の要請行動で闘いぬいてきたかを具体的に総括し、「闘争に次ぐ闘争の一年であった」と総括した。そして第二に内外情勢の特徴を提起し、第三に、この内外の重大情勢のもとでの九八年方針を提起し、第三次安保・沖縄闘争、国鉄闘争と狭山闘争を結びつけて闘いぬくことを訴えた。
 この中で山川さんは、労働者階級にとって、狭山闘争=部落解放闘争を自らの課題として闘うことが、労働者自己解放の原点をつかみ、真の階級意識を形成していく上できわめて重要であることを提起した。全体が大きな拍手をもってこたえた。
 基調報告を受けて、最後に労組交流センターや動労千葉など解放共闘に結集する各団体と、解同全国連茨城県連など各地区代表が力強い決意表明を行い、全員で九八年を狭山勝利の決定的な年とするために、石川一雄さんと連帯して全力で闘うことを誓って総会を終了した。階級的使命感と、躍進への情熱あふれる総会だった。

 「自白」の矛盾追及
 高裁行動 棄却阻止へ全力

 翌十五日、東京高裁に対する狭山糾弾・要請行動が五十人の参加で闘われた。(写真は高裁正門前抗議)
 要請団は、石川一雄さんのデッチあげられた「自白」におけるさまざまな行動の時間的矛盾、実際の現場状況との食い違いを具体的に暴いていった。
 そのことは、事実調べ・現場検証を行えば、直ちに明らかになることだ。にもかかわらず、東京高裁は、第二次再審申し立て以来十一年たってなお事実調べ・現場検証を行っていない。高木裁判長は、まさに「第二の寺尾」にほかならないと、要請団は怒りの糾弾を行った。
 また要請団は、高木裁判長の「障害者」差別を徹底糾弾した。水戸事件(「知的障害者」差別虐待事件)で、三月不当判決直後に差別者=赤須を徹底糾弾した支援者三人が「監禁・暴行罪」で不当逮捕・起訴された。水戸地裁がようやく十一月にKさんの保釈を決定したのを東京高裁・高木裁判長が検察の抗告を受けて保釈許可を取り消し、九カ月以上の勾留を続けている。要請団は、これを怒りを込めて糾弾した。
 こうして要請団は、午前十時から約五時間にわたり糾弾・要請行動を行った。

 

 

 

 

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