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週刊『前進』(1915号4面1)
狭山再審棄却宣言した高裁・高木打倒を
再審貫徹・差別裁判取り消しへ7−8月決戦に全力決起しよう
全国部落青年戦闘同志会
いよいよ、日帝・高木との決着をつけるべき決戦のときがきた。六−七−八月、新安保ガイドライン決戦の第二ラウンドのたたかいと結合して、高木体制打倒の決戦に総決起せよ。嵐(あらし)のような対高裁糾弾闘争を巻きおこし、第二次再審棄却を公言する東京高裁・高木裁判長に最後の引導をわたしてやろう。狭山闘争の〈無実・差別・糾弾〉の原点、その正義は不滅であり、日帝にたいする鋭い刃となってつきささっている。それは必ず全人民の心をとらえ、日帝国家権力にたいする大糾弾闘争となって爆発する。それは、日帝による朝鮮侵略戦争と、その戦争体制構築のための戦後史をひっくりかえす大攻撃にたいする階級的反乱の巨大な火種となるに違いないのだ。『この差別裁判を許すな』(部落解放同盟全国連合会中央本部発行)を徹底的に学習し、これを部落大衆と労働者階級のすみずみにまで徹底的に持ち込み、〈無実・差別・糾弾〉の全人民的な怒りの決起をつくりだそう。「狭山差別裁判取り消せ」の新百万人署名運動に立ち上がり、差別糾弾闘争の大爆発をもって、高木をして、恐怖のどん底にたたきこめ。
第1章 〈無実・差別・糾弾〉を貫き権力犯罪を裁け
狭山第二次再審闘争は、いまや、棄却切迫情勢から、棄却前夜の情勢に完全に突入している。われわれは、東京高裁第四刑事部・高木俊夫裁判長による狭山第二次再審棄却の宣言ともいうべき動きにたいして、満腔(まんこう)の怒りをこめて弾劾し、警鐘を乱打しなくてはならない。狭山第二次再審闘争史上最大の決戦局面に突入しているのだ。
高木裁判長は、三月の弁護団との面談において、弁護団からの「゛疑わしきは被告人の利益に”という白鳥決定を順守せよ」という申し入れにたいして、「白鳥決定は尊重するが、『疑わしき』については判断のあるところ」だという、とんでもない態度を表明した。
これは、あからさまな棄却宣言いがいのなにものでもない。この態度のなかに、高木続投体制の本質が、きわめて露骨に表されているのである。
刑事裁判における「疑わしきは罰せず」の意味は、「被告人が本当に犯人かどうか疑わしいときには罪を問わない」ということであり、冤罪(えんざい)を防ぐための戒めである。その趣旨からして、冤罪によって罪を問われた者を救済するための再審に、この鉄則が適用されるのは当然なのだ。
そのことを判例として示したのが「白鳥決定」と「財田川決定」だ。これにたいして高木は、あたかも、この「白鳥決定」をふまえるという建て前をとりながら、その実、「疑わしきは判断のあるところ」といって、狭山事件には適用しないということを公言しているのである。
第1節 事実調べ全く行わず再審の門閉ざす攻撃
だが、これほどふざけた、人民を愚弄(ぐろう)するペテンはない。そもそも、「白鳥決定」による「疑わしきは罰せず」とは、「新旧証拠を総合的に評価し、少しでも合理的疑いが生じたときには再審を開始すべき」ということなのである。しかし、高木は、就任いらい五年三カ月ものあいだ、一度の事実調べも行っていないのだ。
事実調べを行わずに、新旧証拠にたいする判断が、いったいどうやって下せると言うのか。高木には、「判断のあるところ」などと言う資格は一ミリたりともないのである。
この、高木の発言は、最高裁による「日産サニー事件」の再審棄却決定(三月九日)を最大の援護射撃にして、全国連を先頭とした昨年十二月の高裁にたいする実力糾弾闘争(座り込みのたたかい)いらいガタガタになった再審棄却体制を立てなおそうとするものである。
「日産サニー事件」に関する最高裁決定は、それじしんが実に許しがたい大反動攻撃である。それは「白鳥決定」いこう開かれてきた再審の門をふたたび閉ざし、「白鳥決定」を事実上抹殺しようとする悪らつな攻撃である。
しかも、「被告人の人権を守る」という戦後憲法の理念と、それに規定された戦後の刑事手続きを根底からひっくりかえし、「自白」にもとづくデッチあげにフリーパスを与えようとする、とんでもない攻撃である。
それはまた、狭山第二次再審棄却という国家権力の意図を体現し、きわめて意図的に高木を援護射撃しようとする悪らつな目的に貫かれたものでもあった。
しかし、こんなもので狭山第二次再審闘争を圧殺できると思ったら大間違いである。そもそも、石川一雄さんは、はじめから法律もクソもないところで、ただただ部落民だという理由だけで犯人に仕立てあげられたのだ。このデッチあげそのものが、部落差別にもとづくものであり、断じて許されないのである。狭山闘争は、その裁判闘争を先頭にして、国家権力による差別犯罪を裁くたたかいである。この狭山差別裁判糾弾闘争の階級的性格、その原点が、どんな司法の反動をもつきぬけて勝利できる力をもっているのである。
高木が、いっかんして触れることもできない事実調べの、ひとつひとつの事実のなかには、石川一雄さんと全国の部落大衆、労働者人民の血に彩られた階級的正義と、力が宿っているのだ。この正義と力の前には、いかなる反動も無力だということを銘記しなければならない。高木は、絶対に「事実調べ」から逃れることなどできないのだ。
第2節 ガイドライン決戦の重要な一環なす闘い
高木による、第二次再審棄却策動をもっとも根底において規定しているものこそ、日帝による新安保ガイドライン攻撃である。
五月二十四日、ガイドライン関連法案が、自民・自由・公明の結託と、日本共産党の転向・屈服という翼賛国会のなかで参院を通過し、成立した。二九年型の世界大恐慌が始まり、帝国主義間の争闘戦が、現にNATOによるユーゴ・バルカン半島をめぐる侵略戦争として火をふき、帝国主義世界戦争への切り口となろうとしている。このなかで、帝国主義としての生き残りをかけて日帝は、新安保ガイドライン関連法という戦争法をテコに、戦後的無準備からの突破=戦後的あり方の全面的転覆へと一気につきすすもうとしているのだ。
だが、これは、ことの終わりではなく始まりである。日帝による戦争への転換は、まだ何一つの決着もついてはいない。組対法、「日の丸・君が代」法、「臨検」法、有事立法などの反動諸法案の成立なしに、ガイドライン関連法は、何一つとして発動、実行することはできない。いや、そもそも、沖縄闘争や三里塚闘争をはじめとして、労働者・人民のたたかいと力があるかぎり、沖縄の基地や成田空港を侵略戦争の拠点として使用することさえできないのだ。日帝による戦争への転換をめぐる激突と攻防は、五月二十四日をもって、真の意味でその攻防の幕が切って落とされたということである。
狭山闘争は、日帝による戦争体制構築の根幹に立ちはだかるたたかいである。それは、「日清戦争」いらいの日帝による侵略戦争体制をささえてきた、部落差別による分断支配を、その根幹において断ち切るたたかいなのだ。狭山闘争があり、部落解放運動がそびえ立っているかぎり、日帝は戦争などできないのだ。だからこそ、日帝は、いま、この狭山闘争解体への絶望的衝動にかられているのである。これこそ、高木による狭山第二次再審棄却策動の真の要因にほかならない。
いまや、狭山闘争は、完全に新安保ガイドライン決戦の決定的一環となっている。断じて負けられないたたかいなのである。
第2章 狭山パンフを武器に新百万人署名運動を
狭山闘争は、必ず勝利できることを、あらためて明確にしなければならない。その根拠こそ、〈無実・差別・糾弾〉という原点のなかにあるのである。
ここには、日帝がどんなにあがこうとも絶対に消すことのできない真実がある。日帝の不正義と、たたかいの圧倒的正義があるのだ。
この原点を真に全人民のものとすることこそ勝利の唯一の道筋なのである。
この点で、全国連中央本部から発行された狭山闘争の新パンフ『この差別裁判を許すな』の徹底的な学習と、全人民への持ち込みを訴えたい。
第1節 石川さんの証言をもとに権力犯罪暴く
このパンフこそ、狭山差別裁判糾弾闘争の勝利のための決定的な武器である。それは、七〇年代のなかばいこう、解放同盟本部派によって投げ捨てられてきた狭山闘争の原点を荒々しく蘇(よみがえ)らせるものである。いや、無実・差別という狭山闘争の原点を、ついに、はじめて明瞭(めいりょう)に示した決定的なパンフだと言っても過言ではない。
このパンフの意義は第一に、石川一雄さんの無実と、国家権力によるデッチあげという事実を完全に描ききっているという点にある。
このなかには、無実の人間が、いかにして犯人にデッチあげられたかを、石川一雄さんじしんが受けた実体験をリアルに再現することによって、石川一雄さんの生の証言をもとにして完全に再現している。
これまで、狭山事件と犯人のデッチあげという核心問題は、石川さんの「自白」と事実のくい違いという問題に基本的な焦点があてられてきた。これは、公正裁判要求路線という解放同盟本部派の指導路線の影響下で生み出されたものであった。
しかし、新パンフは、こうした客観主義的視点ではなく、石川一雄さんによる、国家権力にたいする告発と糾弾に徹底的に光をあて、石川さんの体験と怒り、血叫びにとことんこだわっているのである。
ここには石川一雄さんの怒りが乗り移っている。読んだ者は、ひとりの例外もなく、石川一雄さんの受けた体験を追体験し、石川一雄さんの血叫びと、たたかいへの鮮烈な感動、圧倒的な感動と共感に胸がいっぱいになるに違いない。
第二の意義は、石川一雄さんの無実と、国家権力によるデッチあげのリアルな暴露をとおして、国家権力による部落差別犯罪を徹底的に暴きつくしている点にある。
読んだ者は誰しも、「なぜ、石川さんは犯人にされたのか」という疑問をとおして、国家権力総ぐるみによる部落差別犯罪の生々しい現実を、リアルに知るのである。ある意味では、国家権力による部落差別犯罪という核心点を、はじめて描ききったと言っても過言ではない。
これは、まったく当然である。なぜなら、国家権力によるデッチあげの生の姿を、石川一雄さんの体験そのものにとことん依拠して明らかにしてこそ、その背後に貫かれている部落差別に真に迫ることができるからである。
だからこそ、そこには、抽象的な形ではなく、生きた現実としての「部落差別」がきわめてリアルに示されているのだ。
そして、だからこそ、読んだ者すべてに、部落差別にたいする腹のそこからの怒りを呼びおこし、国家権力にたいする根源的な怒りをかきたてずにはおかないのである。
第三の意義は、したがって、狭山闘争とは、誰よりも石川一雄さんが、そして三百万の部落大衆が、さらには労働者階級と人民が、国家権力を裁くたたかいであることを、疑問の余地なく明らかにしている点にある。
より直截(ちょくせつ)な言い方をすれば、これを読んだ者全員が、狭山闘争の主人公であり、たたかいの当事者、石川さんとともに国家権力を裁く糾弾闘争の主体的な担い手になっていくに違いない。
「部落民のわたしを犠牲に選んで、権力の威信回復をはかろうとした、まさに天人ともに許されない悪逆非道なやり方に鋭く批判を加え、国家権力の自己批判を迫る」(石川一雄さんの第二審での最終意見陳述より)
この、人間としての誇りと自信に満ちあふれた石川一雄さんの戦闘宣言、ここにこそ狭山闘争の魂がある。
これこそがたたかいの原点なのである。いまこそ、この原点を蘇らせなくてはならない。そして、この原点を全人民の共同の誓いとすることこそ、勝利の道なのである。
第2節 パンフを広め7・5、23東京高裁糾弾へ
新パンフを武器に『差別裁判取り消せ』の新百万人署名運動を爆発的に推進しよう!
このパンフこそ、ついに手に入れた決定的な武器である。七〇年代に最大時十一万人の首都結集にまでのぼりつめた狭山闘争の巨大なたたかいの力は、全国の部落大衆と労働者人民の体内に潜んでいる。
いや、七〇年代をはるかにこえる大闘争を生み出すエネルギーは、戦争と失業、差別の洪水のなかで、ますます巨大に成長しつづけているのである。新パンフは、この力を解き放つ決定的な武器となるにちがいないのである。
すべての同志は、『この差別裁判を許すな』を徹底的に学習し、武装しよう。これを三百万の部落大衆と労働者階級・人民のすみずみに持ち込み、大学習運動を組織しよう。この大学習運動をテコにして、「差別裁判取り消せ」の新百万人署名運動の大高揚をつくりだそう。
〈無実・差別・糾弾〉の力を、事実調べ要求の切っ先に集中して、七−八月の高裁・高木との死闘に勝利し、高木を打倒せよ。六−七−八月のガイドライン後半決戦への決起と一体の闘いとして、全国連による七月五日、七月二十三日の東京高裁にたいする要請行動・糾弾闘争に結集しよう!
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