| |
週刊『前進』(1918号3面2)
極悪の高木決定糾弾し狭山闘争勝利まで闘う
全国部落青年戦闘同志会
第1節 ただ一度の事実調べも証人尋問もなく退ける
七月八日、東京高裁・高木裁判長は、狭山事件の第二次再審請求に対して棄却決定を強行した。
この七・八の棄却決定は、天人ともに許されない、極悪の差別決定である。われわれは全身の血潮が逆流するほどの怒りを抑えることができない。高木は、石川一雄さんの無実を示す幾多の証拠や証言のことごとくを、ただの一度の事実調べも、ただの一人の証人尋問もなしに退け、「棄却決定」という、ただ一片の紙切れによって否定し去ったのである。断じて許すことはできない。
石川一雄さんの無念、悔しさはいかばかりか。日帝権力は、石川さんを三十二年間も監獄に閉じ込め、青春を奪い、三十六年間も「殺人犯」の汚名を着せ、それでもまだあきたらないと言うのか。いったいどこまで無実の人間の魂の叫びを踏みにじり、人間としての誇りや尊厳を傷つけ、痛めつければ気がすむのか。石川さんの心中を思う時、われわれの胸は怒りで張り裂けんばかりである。
石川一雄さんは青天白日、無実である。この石川さんの無実は、絶対に晴らされなくてはならない。無実の石川さんを、部落差別によって「犯人」にデッチあげた国家犯罪こそ、絶対に裁かれなくてはならないのだ。これは、部落解放運動の存亡をかけた絶対的な原点である。そして、日本の労働者階級の階級的原点がかかった歴史的使命なのである。
われわれは、どこまでも石川さんとともに闘いぬく。そして、どんなことをしても再審を実現することを、あらためて厳粛に誓う。七・八の高木決定を、怒りの糾弾闘争によって粉々に爆砕しつくせ。
第2節 なりふり構わない棄却のための棄却決定
高木の棄却決定文は、煮えたぎる怒りなしには読むことができない、デタラメきわまりない文書である。それは、ただ棄却のためにのみ、石川さんに未来永劫(えいごう)にわたって「犯人」の汚名を着せるためにのみ、そして、狭山差別裁判糾弾闘争をおしつぶす目的のためにのみ作られた、露骨きわまりない差別文書である。そこには、もはや「裁判」の形さえも見ることができない。
「筆跡の違い」について高木は次のように言う。「筆勢、筆圧、配字、字画形態、字画構成、筆順、誤字、文字の巧拙、大小、書体、運筆などは、書き手の心理状態、文書の性格、環境、書き手の立場などに多分に影響されることを考慮すると、相違点があっても書き手の相違を意味するものではない」と。驚くべき開き直りである。では、何をもって「書き手の一致」とするのか。高木の言い分だと、そもそも筆跡鑑定はまったく意味をなさなくなる。だが、確定判決では、この「筆跡の一致」が有罪の重要な根拠とされているのだ。
この開き直りの論理は、「万年筆はなかった」という元捜査官の証言に対してはより露骨になる。「捜索から二十年あまり経てから得られたものであり、確かな記憶に基づくものか疑問」。冗談ではない。この証人は、二十年間にわたって差別犯罪への加担の苦しさに悩み続け、「死ぬ前だと思って本当のことを言う」と証言に立ったのだ。あまりにも露骨きわまりない証言の無視、抹殺である。
高木決定は、その結びにおいて、「請求人が新規、明白な証拠として援用する証拠を、その立証しようとする事項ごとに、確定判決審の関係証拠と伴わせ、事実認定の当否を検討した。これら所論援用の証拠資料を、確定判決審の全証拠と伴わせて総合的に判断した」と、あたかも、白鳥決定を尊重し、その判例に従って審理をつくしたかのような言い方をしている。だが、これはペテンだ。
高裁・高木は、第二次再審請求以来一度も、何一つの証拠に関する審理も行ってはいない。第二次再審請求での、石川さんの無実を示す鑑定書、意見書、補充書、証人などの総数は、実に百数十にものぼっている。だが、このすべてに対して、この十四年間もの「審理」の中で、ただの一度も証拠調べや証人尋問などの事実審理は行われていないのである。
では、高木の言う「検討」「判断」とは何か。それは、高木が勝手に判断したというものでしかないのだ。そして、その判断とは、一から十まで高木による推論、こじつけ、非科学的暴論であり、寺尾判決の開き直りなのである。ただそれだけなのだ。
第3節 やつらは国家犯罪糾弾の闘いに恐怖している
だが、こんなもので石川さんの無実の叫びを否定し、闇(やみ)から闇に葬り去ることなど絶対にできない。こんなもので狭山差別裁判糾弾の闘いをつぶせると思ったら大間違いだ。
高木による決定はその意図とは逆に、もはや狭山差別裁判護持の全体制が、ガラガラと音を立てて崩れ始めていることを示すものである。なりふり構わず、裁判という形式さえかなぐり捨てて、ただただ強引に開き直るしかなくなった姿は、打倒される寸前の独裁者の姿とうり二つなのだ。
日帝国家権力は、何ゆえに、これほどまでに差別裁判を護持し続けるのか。狭山闘争の何をこれほどまでに恐れるのか。それは、狭山事件において行われた、悪らつな国家犯罪のゆえである。石川さんの無実を百も承知の上で、国家権力の威信回復のために、部落差別を使って石川さんを犯人にデッチあげたのだ。そのために、警察、検察、裁判所のすべてが結託し、証拠を偽造し、無実の人間を虫けらのように扱った。それは恐るべき国家犯罪だったのである。
しかし、それだけではない。やつらは、狭山闘争が、石川さんの不屈の闘いを根幹として不死鳥のように発展し、国家犯罪に対する糾弾闘争が、七〇年代を超える巨大な人民的決起となって燃え上がることに、心底から恐怖している。そして、この闘いが、住宅家賃値上げ反対闘争を始めとする部落大衆の闘いと結びつき、部落解放運動の牽引(けんいん)車となることに震え上がっているのだ。
狭山事件のような差別的デッチあげと、部落差別による人民への分断支配こそ、新安保ガイドラインをもって朝鮮・中国−アジアへの侵略戦争に打って出ようとする日帝にとって、必要不可欠な支配体制にほかならない。今日の組対法三法案や「日の丸・君が代」法案を始め、ガイドライン関連法を軸とした、戦争への総動員体制の構築を狙った日帝の大反動攻撃の前に、労働者階級と部落大衆、人民が敢然と立ちはだかっている。狭山闘争はその人民の砦(とりで)なのである。この現実に対する支配階級の憎悪、反革命的敵視こそ、高木による棄却決定の真の動機なのである。
第4節 石川さんと固く連帯し異議審の貫徹かちとれ
われわれの回答は、ただ一つである。それは、高木と日帝・権力が恐れているものを真に現実のものとしてやる、ということだ。
闘いの第一の柱は、異議申し立ての貫徹である。七月十二日、石川さんと弁護団は、高裁に対して異議申し立てを行った。異議審の貫徹によって、高木決定を徹底糾弾し、粉々に爆砕し、撤回させ、事実調べを実現することが現下の最大のテーマである。
第二の柱は、無実・差別の狭山闘争の原点を今こそ復権し、国家権力に対する糾弾闘争の思想と路線を圧倒的に打ち立てることである。石川一雄さんの告発と怒りの糾弾こそ、狭山闘争の出発点であり原点だ。
われわれは訴える。解放同盟本部派は、高木決定に手を貸した、敵の手先だ。彼らは、再審棄却を公言する高木を「いい裁判官だ」と言い、石川さんに対して「国家権力とは言うな」「権力犯罪とは言うな」と弾圧・抑圧し、国家権力に対する糾弾闘争としての狭山闘争を内側から腐らせ、解体し、売り渡そうとしてきたのである。本部派との決別こそ、棄却決定に対する部落大衆の最も核心的な回答でなければならない。
全国連の発行した新パンフは、狭山闘争の原点を鮮明に復権する決定的な武器だ。今こそ無実・差別・糾弾の狭山闘争原則を三百万部落大衆と六千万の労働者階級の中にしっかりと打ち立てよう。「狭山差別裁判取り消せ」の新百万人署名を猛然と広げよう。
第三の柱は、狭山闘争を、新安保ガイドライン法と戦争国家体制づくりを打ち砕く闘いとして、部落差別攻撃もろとも粉砕する闘いとして発展させることである。
侵略戦争と戦争体制構築へと突き進む日帝に、一大反撃をたたきつけよう。
|
| |
|