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上原正男同志を悼む 県党と労働組合の組織化に情熱を注いだ革命家 革共同新潟県委員会

週刊『前進』04頁(2925号04面02)(2018/03/19)


上原正男同志を悼む
 県党と労働組合の組織化に情熱を注いだ革命家
 革共同新潟県委員会


 1月24日、家族と同志たちが見守る中、上原正男同志が静かに息を引き取った。享年67。早すぎる死だった。上原同志は骨髄性白血病と肺線維症を発症しながらも、10年にわたり活動の先頭に立ってきた。酸素ボンベを携行して闘う同志の姿に、どれだけ勇気づけられたことか!

労組委員長として奮闘

 上原同志は西蒲原郡中之口村(現新潟市西蒲区)で生まれた。芝浦工業大学に入学し、70年安保・沖縄闘争の過程で革命闘争に身を投じた。以来、常に革共同の闘いの先頭に立ってきた。1970年代、反革命カクマルとの戦争を先頭で闘い、獄中闘争も貫徹。その後、県党の常任として闘い、とりわけ障害者解放闘争に責任を取った。障害者同志の介護を担いながら、無実の精神障害者・赤堀政夫さんの奪還を闘った。
 90年代半ばに福島・郡山に居を移してタクシー労働者となり、福島県党の先頭にも立った。2000年代に新潟に戻ってからも、タクシー労働者として労組委員長として会社と渡り合い、職場の組織化のために奮闘した。
 上原同志は実直・誠実で面倒見がよかった。活動や生活上の悩みをもつ同志に的確な意見を述べ、いつも頼りにされていた。一方、国家権力に対しては、どんな時も決然と対決した。1985年の三里塚十字路戦闘で起訴された同志を支え、地元から離れたことのない両親を連れて千葉刑務所に面会に行ったり、獄中同志との文通や家族対策などに奔走した。

国鉄全国運動の中心に

 上原同志は国鉄闘争に並々ならない情熱を注いだ。2010年4・9政治和解に対して結成された国鉄闘争全国運動・新潟の中心で闘った。県内の労組オルグを率先して行い、持ち前の粘り強さで多くの労組活動家との関係を築いた。
 病に倒れた後も、県党の組織と運動の強化・発展に尽くした。マルクス主義の学習とオルグ・組織化への踏み込みを特に強調した。
 上原同志のひつぎには『革共同50年史』、動労総連合・新潟と新潟地域一般労組の腕章、星野ゼッケンが入れられた。
 上原同志! あなたのめざした革命へ、新潟県委員会は若い同志を先頭に同志と共に闘います。亡くなる1カ月ほど前、ベッドで「本が読めないのがつらい」と言っていた同志! マルクス・レーニンの書物を思う存分読みながら見守っていてください。