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ゼネスト情勢に入った沖縄 全軍労先頭に実現した全島総決起 今こそ71年を超える闘いに立とう 元基地労働者・水島満久さんに聞く

週刊『前進』02頁(2996号02面01)(2018/12/06)


ゼネスト情勢に入った沖縄
 全軍労先頭に実現した全島総決起
 今こそ71年を超える闘いに立とう
 元基地労働者・水島満久さんに聞く

(写真 水島満久さん。1966年に米軍牧港補給地区に就職し、68年から全軍労牧港支部執行委員。76年に解雇。80年に海兵隊職場に再就職し、2004年から全駐労マリン支部副委員長。11年に定年退職)


 安倍政権は、9月30日の沖縄県知事選での惨敗にもかかわらず、新基地建設絶対反対の声を踏みにじって辺野古への土砂投入を強行しようとしている。来年2月には基地建設の是非を問う県民投票も予定されており、改憲・戦争を進める安倍政権と沖縄の怒りがますます非和解的に激突する情勢を迎えている。辺野古阻止・全基地撤去をめざす沖縄闘争の勝利の展望はどこにあるか。元基地労働者で、全軍労(全沖縄軍労働組合)牧港支部青年部として1971年の全島ゼネストを闘った水島満久さんにお話を伺った。(編集局)

辺野古新基地への県民大会の怒りが県知事選勝利導く

 ----県知事選では政府・与党が支援した候補者が大方の予想を超える大差で惨敗しました。その背景には何があったのでしょうか。
 結果としては翁長雄志前知事が後継指名した玉城デニー候補が当選しましたが、この選挙戦は既存の政党が組織したのではありませんでした。情勢が一変したのは、7万人が結集した8・11沖縄県民大会からです。大雨の中、私たちは会場で『前進』を配布し、星野文昭さん解放を求める要望書を参加者から集めました。私もそこで多くの友人に会いましたが、最近はあまり顔を見なかった人なども、何かしなければという思いで駆けつけていました。そこで感じたのは、沖縄県民のマグマのようにたまった怒りです。安倍も度肝を抜かれたでしょうね。
 沖縄はもうゼネスト情勢に入っています。私は1971年5・19、11・10と2度のゼネストを経験しましたが、今、人生で3度目のゼネストの時を迎えていると思います。
 スト中止した幹部のりこえ登場した全軍労牧港青年部
 ----水島さんが米軍基地に就職してから71年のゼネストに至るまで、どんな苦闘があったでしょうか。
 私は高校卒業後は大阪で就職することを希望しましたが、米軍は私の渡航を許可しませんでした。教師からは「米軍は今、沖縄から人を出さないようにしているんだ」と言われ、米軍基地への就職を勧められました。当時はベトナム戦争の真っ最中で、ベトナム人民の攻勢で米軍が追い詰められていた。戦争は不利になるほど金と人間をつぎ込むようになるので、沖縄の米軍基地も大量に労働者を雇い入れたんです。それで私は米軍の牧港補給地区(現キャンプ・キンザー)で溶接工になりました。
 その矢先の68年11月、米軍のB52戦略爆撃機が嘉手納基地で墜落事故を起こしました。ただちに県民共闘会議が結成され、B52撤去を求めるゼネストを翌年2月4日にやることが決まった。ところが労働組合の幹部は「基地労働者に闘う体制がない」と言って、直前にゼネストを中止してしまいました。現役の執行部の先輩は、「第2・第3の執行部を準備している。一緒に頑張ろう」と話していました。私たちはショックでした。「世界中でベトナム反戦運動が巻き起こっているのに、沖縄の基地労働者は闘えないだって? うそだろう!」と。こんな組合の現状は青年の力で突破しなきゃいけないと思いました。ちょうどその頃から基地労働者の中で活動し始めた「全軍労反戦派」の人たちも、全軍労執行部を乗り越えて闘おうと一生懸命に訴えていました。そして70年2月4日に全軍労牧港支部青年部、略称・牧青が結成されたのです。
 牧青は米軍の大量解雇攻撃の中で「解雇撤回・基地撤去」を掲げ、全軍労執行部の制動を乗り越えていきました。三里塚青年行動隊を手本に700人くらいの「牧青行動隊」をつくり、右翼やカクマルの襲撃からスト体制を防衛しました。

闘いの中で新たなリーダーが現れて全体をけん引した

 こういう闘いの中では、必ず青年のリーダーが出てきます。11・14渋谷暴動闘争を全学連のリーダーとして闘った星野文昭さん。動労千葉の中野洋さん。全国反戦青年委の代表世話人だった鈴木達夫さんもあの頃、沖縄に来てくれたのを覚えています。そして牧青には仲田憲和青年部長(後に牧港支部副委員長)がいました。31歳の若さで病気で亡くなりますが、本当に多くの人に影響を与えたリーダーでした。先日の11・4集会で動労千葉の田中康宏委員長が「命をかけ、人生をかけた真剣さで改憲阻止闘争を呼びかけよう」と発言しましたが、仲田さんはまさにそうでした。運動に命をかけ、仲間を大切にし、組織づくりに非常に執念を燃やしていました。
 さらに71年ゼネスト後、牧港支部は激論をへて「基地の中での暴動的決起を」と書いたビラを出し、歴史に残る米軍基地内での集会・デモを決行しました。

「改憲・戦争阻止!大行進沖縄」結成し青年と共に闘う

 ----最後に、71年ゼネストを闘った経験を踏まえ、今の沖縄で改憲・戦争阻止の闘いに取り組む意気込みを聞かせてください。
 71年のゼネスト当時は、ベトナム戦争への怒りをばねにして、もうすべての基地を撤去するしかないという声が沖縄県民から噴出しました。私たちの基地内決起に対して米軍が銃を向けて弾圧したら、沖縄の民衆が暴動を起こし、フェンスをぶち破って基地に突入してくるだろうと議論しました。牧港支部は実際にそういう展望をもって、全電通を始め他産別との交流を広げました。こうして「基地が死んだ」とまで言われた闘いが実現されたのですが、先頭に立ったのはやはり青年労働者でした。
 今、青年たちが未来をかけて立ち上がり、時代を切り開いていくことを歴史が求めています。私もわくわくしていますよ。青年や学生を先頭にゼネスト情勢をつくりあげていくための運動体として「改憲・戦争阻止!大行進沖縄」をつくり、私もその一員として闘いたいと思います。


1971年沖縄全島ゼネスト
71年の沖縄全島ゼネストは5・19、11・10の2度にわたって闘われた。全軍労は同年2〜4月の3波にわたる全面ストを経て5月臨時大会で「一切の軍事基地撤去」のスローガンを決定、ゼネストの先頭に立った。11・10ゼネストは自治労の48時間スト、44単産・単組5万5千人の24時間スト、36組合の4時間から16時間の時限スト、さらに農民・漁民、商店、大学生・高校生が合流し、総勢70万人が「沖縄返還協定批准阻止」を掲げて決起。写真は11・10当日、那覇市内での6万人の実力デモ

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▼全軍労反戦派 1965年の日韓条約反対闘争以後、本土では労組青年部を主体とした反戦青年委員会が各地につくられ、既存の労組指導部を乗り越えて独自の「反戦派労働運動」を展開し、全学連とともに大衆的実力闘争をけん引した。沖縄でも69年4・28沖縄デー闘争を転機として各産別に反戦派が登場し、同年10月に沖縄県反戦青年委員会を結成。続いて全軍労反戦派が中心となって70年2月に牧青が結成された。