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「徴用工」は日帝の犯罪(上) 安倍政権の歴史偽造を撃つ

週刊『前進』02頁(3005号01面02)(2019/01/24)


「徴用工」は日帝の犯罪(上)
 安倍政権の歴史偽造を撃つ

(写真 昨年10月30日、判決を前に韓国大法院の前で集会を開く新日鉄住金の元徴用工と支援者ら)

 安倍政権は「徴用工」問題やレーダー照射事件で韓国(朝鮮半島)へのすさまじい排外主義をあおり立てている。これは改憲・戦争攻撃の一環であり、朝鮮・中国へ再度の侵略と侵略戦争を狙う攻撃である。昨年10月、韓国大法院が徴用工訴訟で新日鉄住金に損害賠償を命じて以来、安倍政権は65年の「日韓請求権協定で解決済み」と騒ぎ立て、マスコミを始め「リベラル」を自認する政党・人士までこぞって安倍を追認している。だが日帝の朝鮮・中国―アジア侵略戦争と台湾・朝鮮植民地支配の歴史を抹殺し居直ることは許されない。徴用工の強制連行・強制労働の実態を元徴用工の証言を中心にして明らかにする。

植民地下、暴力と脅迫で連行

 徴用工の問題は、明治以来の日本の朝鮮侵略と植民地化(1910年韓国併合)の歴史と切り離すことはできない。日本帝国主義は朝鮮民族の民族性を抹殺し、土地を奪い、資源を奪い、朝鮮人民を差別し酷使し、その命までも奪い取った。
 1930年代に日帝の中国侵略戦争が激化すると、日本国内の労働力不足を補うために朝鮮人・中国人の大規模な強制動員が進められた。1939年から政府の承認による募集が始まり、42年からは朝鮮総督府が積極的に関与する官斡旋(かんあっせん)、44年からは国民徴用令を発動して、労務動員が進められた。割り当て人員を確保するために、初期の段階から行政や警察が積極的に関与し、暴力や脅しによる人集めが行われた。39〜44年の朝鮮からの強制動員は約80万人に上った。
 動員先は、炭鉱など危険な現場が多かった。逃亡を防ぐために賃金の多くは強制貯金された。職場では厳しい監視や統制が行われ、反抗する者には暴行や拷問が行われた。逃亡すると警察が指名手配し、発見されると逮捕され、職場に連れ戻された。
 とりわけ1941年12月から太平洋戦争に突入すると、日本国内の労働力不足から徴兵・徴用はますます大規模になり、朝鮮では暴力や脅しで日本に強制連行することが一挙に増えた。以下は朝鮮人労働者の生の証言である。
 「1943年7月中旬(26歳)のことだ。……近所の田植えを頼まれて……手伝っていた。そこへ日本人の巡査が来て私に用があるから来いという。ついていくと留置場に放り込まれた。……翌日、トラックで全羅南道の麗水港に連れていかれ……日本の下関に着く」(その後、長野県御岳発電所の工事現場に動員された)
 「日本人警官2名と面事務所の役人が一緒にやって来て連行していきました。面事務所にはすでに15名の青年が連行されていました。……行きたくないと拒否すると、おまえらが行かなければ親兄弟を皆殺しにするぞと、脅しました」(1942年7月、その後、三井造船岡山機械製作所に動員された。「面」は朝鮮の行政単位。日本の村に相当)
 また、日本から朝鮮に出張した北海道炭礦社員は、次のような事実を報告している。全羅南道のある郡で軍務の動員割当数100人のところ、指定日時までに36人しか集まらなかった(これも強制的手段で集めたもの)。そこで郡警察と面の役所は予想外の結果に驚き、さらに120人を各方面に割り当てるとともに、「郡庁職員9名警察署高等経済係員および面職員を総動員、寝込みを襲いあるいは田畑に稼働中の者を有無を言わせず連行する等、相当無理なる方法を講じ、ようやく……84名に対し令状を交付」し、日本に送り出したというのだ。
 このように行政当局や警察は割当数を達成するために「掠奪(りゃくだつ)的拉致」(当時の報告書)を強行した。三井鉱山三池染料の労務係長は「憲兵とともに朝鮮に行き、役に立ちそうな者を手当たり次第トラックに乗せて連れてきた。徴用というより人さらいだ」と語っていた。
 夫や息子が日本に連れて行かれるのを阻止しようと、家族が必死で抵抗し、各地で職員や警察と大乱闘になったという。移送中にも港や船から逃走する者が続出した。

八幡製鉄所で過酷な強制労働

 強制連行された朝鮮人は炭鉱や鉱山、製鉄所、港湾など、危険で重労働の現場に送られた。日本製鉄八幡(福岡)に4千人、釜石(岩手、鉱山と製鉄所)に2千人、三菱重工長崎造船所に6千人、三菱鉱業高島炭鉱(長崎)に4千人、三井鉱山三池炭鉱(福岡)に9千人以上が連行された。
 八幡製鉄所の元徴用工キムガンチョルさんら5人は、2005年2月、ソウル地方法院に、新日本製鉄(旧日本製鉄)に対する損害賠償を求める裁判を起こして闘ってきた。
 彼らは次のように語っている。キムガンチョルさんは、募集人が村に来て、名簿で指名され、行きたくなかったが逃げられない状況だった。
 イユンテさんは、労働の現場では食事は少量でいつも空腹であり、食事、休息、労働などで日常的に差別され、悔しい思いをした。賃金がきちんと支払われなかったので、出勤を拒否して逃亡し、海軍施設の工事現場にいたが、捕まってしまった。
 キムギュスさんも強制的に集められ、線路のポイント操作に配置された。逃亡したが捕まり、殴られた。
 チュソッポンさんも動員に応じなければ配給が止められ、家族が食べられなくなるので、避けられなかった。シャベルで石炭を移す仕事をした。空腹でつらかった。逃亡した者は捕らえられ、半殺しにされた。
 戦争が終わると、政府と旧日本製鉄は、証拠資料を焼却し、未払い賃金の支払いもせず、一切の補償も行わずに朝鮮人徴用工の首を切り、路頭に放り出した。(参考資料:外村大著『朝鮮人強制連行』岩波新書、竹内康人著『調査・朝鮮人強制労働@炭鉱編』社会評論社ほか)