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繰り返すな戦争 −日米安保と沖縄− 第1回 辺野古新基地を許さない 不屈の闘い22年 基地と戦争阻む

週刊『前進』02頁(3009号02面01)(2019/02/07)


繰り返すな戦争
 −日米安保と沖縄− 第1回
 辺野古新基地を許さない
 不屈の闘い22年 基地と戦争阻む

(写真 主催者の予想をも大きく上回る7万人が結集した昨年8月11日の沖縄県民大会。「辺野古新基地NO!」のボードを一斉に掲げ怒りを示した【那覇市・奥武山陸上競技場】)


 昨年12月14日、安倍政権=防衛省沖縄防衛局は、沖縄県名護市辺野古沖への土砂投入を強行した。沖縄全土で基地建設絶対反対の怒りが沸騰し、県知事からも工事の違法性や建設計画の破綻点を多数指摘されているにもかかわらず、今も基地建設の暴挙が進められている。だが、これに対する沖縄と本土の怒りの爆発は改憲阻止・安倍打倒の巨大なうねりとなり、日米安保体制そのものを崩壊のふちにたたきこむことになる。このような決戦情勢の到来を踏まえ、沖縄と日米安保の歴史を捉え返し、その本質をともに考えたい。今回は、今や日米安保の矛盾の爆発点となった辺野古に焦点を当て、22年を超える攻防を振り返る。

建設計画は大破綻に直面

 土砂投入が強行された12月14日、米軍キャンプ・シュワブゲート前は労働者や市民、学生らの怒りで埋め尽くされた。「読谷村から参加した女性(70)は......先島への自衛隊配備も含め、戦争ができる国が整っていくと話し『この先、徴兵制が復活するかもしれない。この流れを止めないと』と孫を見つめた」(12月15日付沖縄タイムス)。22年間辺野古に通っている84歳の女性は「だいたい、国が暴力を使うのは負けている印だよ」と悲壮感なく語ったという(同)。基地建設への怒りの根底に流れるのは、安倍の戦争・改憲を絶対許さないという不屈の決意であり、そこにあきらめや敗北感はない。
 他方で、今や辺野古新基地の建設計画は大破綻に直面している。埋め立て予定海域北側の大浦湾に「マヨネーズ状」と言われる軟弱地盤があり、安倍は1月30日、国会で「地盤改良工事が必要」と認めた。工事の計画変更は不可避であり、これには県知事の新たな承認が必要だ。しかも地盤改良は海底に6万本もの杭を打つ途方もない大規模工事となる。政府は当初、埋め立てと施設整備に工期8年、費用3500億円を見込んだが、県の試算では工期13年、費用は2兆5千億円に膨れ上がる。
 要するに辺野古新基地は完全に破産しているのだ。それにもかかわらず、防衛省は3月に別の工区への土砂投入を予定し、1月28日には新たな護岸建設に着工した。安倍があくまで工事を強行するのは、基地と戦争に反対する沖縄の闘いを圧殺するためである。

海上実力闘争で着工阻止

 辺野古をめぐる攻防の発端は、1995年9月に起きた米兵3人による女子小学生暴行事件である。本土復帰から23年を経ても基地は一向に減らず、この間の米軍犯罪は県警が把握しただけで累計4784件、うち殺人・強盗・婦女暴行などの凶悪犯罪は511件に上った。米軍関連の事故や騒音被害は県民の命と生活を踏みにじり続けた。この現実に対し、米軍用地の賃貸借契約を拒否する「反戦地主」が多数現れるなど、基地に反対する闘いは本土復帰後も続いた。
 少女暴行事件を糾弾する95年10月21日の県民大会8万5千人(他会場含め10万人)の総決起は、沖縄の積もりに積もった怒りの爆発だった。これを背景に、当時の大田昌秀県知事は軍用地使用を認める代理署名を拒否、沖縄の多くの米軍基地が「不法占拠状態」となった(後に大田知事が国との裁判で敗訴し、軍用地使用手続きが行われた)。
 日米安保を根底から揺るがす事態に青ざめた日米両政府は「沖縄に関する日米特別行動委員会」(SACO)を設置。そして96年4月12日、橋本龍太郎首相はモンデール駐日米大使との共同会見で「5〜7年以内の普天間基地の全面返還で合意した」と発表し、あたかも政府が沖縄の声を受け止めて基地の整理・縮小に動いたかのように大宣伝した。ところが、その3日後に出されたSACO中間報告は「十分な代替施設の完成」を普天間返還の条件とし、続いて12月の最終報告で辺野古への「代替施設」建設案を提示。この内容で翌年1月に日米政府が合意した。こうして普天間基地「返還」は「移設」にすり替えられた。
 しかもそれは実際には、普天間基地の「移設」でも「代替施設」でもなく、最新の機能と設備を持った完全な新基地の建設計画だった。後に公開された米国防総省の文書では、辺野古の海上施設は「普天間の代替ではなく作戦運用面からの要求に基づくもの」と明記されていた。その実体は当時開発中だった海兵隊輸送機オスプレイの配備を前提とし、朝鮮半島への海兵隊の投入を想定した巨大な侵略戦争出撃基地だった。
 辺野古現地ではただちに闘いが始まり、97年12月の名護市民投票では過半数の52%が反対票を投じた。ところが、99年に稲嶺恵一県知事や岸本建男名護市長が条件付きで「普天間代替施設の辺野古受け入れ」を表明、同年12月に政府が建設計画を閣議決定した。
 2004年4月19日、那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)が辺野古沖でのボーリング調査を開始すると、地元のおじい、おばあを中心につくられた「命を守る会」や全国から駆けつけた青年・学生が体を張って阻止闘争を展開。浜にテントが張られ、昼夜を問わぬ連日の座り込みと監視、海上阻止行動が闘われた。ついに502日目の05年9月2日、防衛施設局は1カ所の調査もできないまま調査用の海上やぐらを撤去。その後、建設計画は白紙撤回に追い込まれた。この勝利が今日の辺野古をめぐる情勢を規定している。

沖縄を再び戦場にするな

 06年5月、日米両政府は「米軍再編のためのロードマップ」に合意し、V字型2本の滑走路を持つ新たな基地建設計画を決定。県や名護市と合意した「使用期限は15年とする」などの約束も一方的に破棄した。現在、強行されているのはこの建設計画である。
 SACO合意から22年を超える攻防は、米日帝国主義による朝鮮侵略戦争を阻み、アフガニスタンやイラクへの侵略戦争に反対する全世界の闘いと一つになって闘われてきた。
 安倍政権は現在、辺野古の工事強行と並行して自衛隊の「南西諸島シフト」を進め、地対空・地対艦ミサイルや高速滑空弾などを扱う新部隊を与那国・宮古・石垣などの島々に配備しようとしている。近く米軍と共同での対中国対艦ミサイル訓練も予定する。改憲と一体で進むこれらの動きは、沖縄を新たな戦争の出撃拠点とし、再び戦場にする策動にほかならない。
 沖縄戦を経験し、今も辺野古現地で闘う島袋文子さん(89歳)は、「戦争のできる国をつくるなら、死んだ人間の血の泥水を飲んでからやれと安倍総理に言いたい」と弾劾し、「戦争するための基地はどこにもいらない。命をかけて座り込む」と語る。この怒りに応え、全国で「辺野古を埋めるな! 9条変えるな!」の闘いを巻き起こそう。

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辺野古新基地をめぐる関連年表
1995年9月 米兵の少女暴行事件
  10月 県民大会に8万5千人
96年4月 日米政府、「5〜7年以内の普天間返還」を発表
  12月 SACO最終報告
97年1月 辺野古移設で日米が合意
  12月 名護市民投票で反対多数
99年12月 辺野古移設を閣議決定
2004年4月 ボーリング調査開始
  8月 沖国大に米軍ヘリが墜落
05年9月 防衛施設局がボーリング調査用海上やぐらを撤去
06年5月 V字型滑走路計画を決定
07年9月 教科書検定意見撤回を求める県民大会に12万人
10年4月 辺野古移設反対県民大会に9万人
12年10月 普天間にオスプレイ配備
13年12月 仲井真弘多知事が辺野古埋め立てを承認
14年7月 ボーリング調査開始
17年2月 海上工事開始
18年8月 県が辺野古埋め立て承認撤回。県民大会に7万人
  9月 玉城デニー氏が知事当選
  12月 辺野古に土砂投入