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繰り返すな戦争−天皇制と戦争− 第1回 天皇制は侵略戦争と一体 兵士に絶対服従強いる暴力装置

週刊『前進』02頁(3021号02面02)(2019/03/21)


繰り返すな戦争
−天皇制と戦争− 第1回
 天皇制は侵略戦争と一体
 兵士に絶対服従強いる暴力装置

(写真 靖国神社を参拝する陸軍部隊【1943年10月】)


 2月24日の「天皇在位30周年式典」に続き、3月12日には皇居内で「期日奉告の儀」と称する儀式が行われ、天皇代替わりに向けた一連の行事が始まった。安倍・自民党はこれと並行して、4月21日の統一地方選を改憲に向けた政治決戦と位置づけ、全国で極右改憲勢力の擁立を急いでいる。日本を再び「戦争する国」にする改憲攻撃と連動して、天皇を国家の頂点に押し上げ、天皇のもとでの「国民統合」「国民総動員」を狙う動きが始まっているのだ。この攻撃を打ち破り、新天皇即位を直撃する怒りの5・1メーデーを闘いとるために、あらためて「天皇制と戦争」が本質的にも歴史的にも表裏一体であることを明らかにしたい。

「軍人勅諭」で兵士を支配

 1868年の明治維新による天皇制国家の成立から1945年の第2次大戦終結に至るまで、日本が行った一切の戦争は、ただ一つの例外もなくすべて「天皇の軍隊」による「天皇の戦争」にほかならない。言い換えれば、十五年戦争に代表される極めて残虐で犯罪的な一連の侵略戦争は、天皇制国家のもとで全人民を「天皇の臣民」「天皇の赤子」として総動員することで初めて可能になったのである。天皇制がなければ、あのような戦争を引き起こすことも、それを長期にわたって継続することもできなかったのだ。
 「天皇の軍隊」の精神的支柱をなしたのは、1882年に明治天皇の言葉として出された「軍人勅諭」である。軍人勅諭は、その冒頭で「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある」として、日本の軍隊は天皇が自ら率いる「天皇親率の軍隊」であることを強調、その任務は「まつろはぬもの」=天皇に従わない者を討ち滅ぼすことにあるとした。そのような「天皇の軍隊」においては、兵士一人ひとりの命は「鴻毛(こうもう=鳥の羽毛)よりも軽しと覚悟せよ」と厳命され、さらに「下級のものは上官の命を承ること実は直に朕(ちん=天皇の一人称)が命を承る義なりと心得よ」とされた。すなわち、上官の命令は天皇の命令と同じであるとして絶対服従を義務付け、これに従わない者は天皇に逆らう「逆賊」とみなされることになったのである。
 日本軍の兵士全員に暗記・暗唱が義務付けられた軍人勅諭は、90年に布告された「教育勅語」とともに、全人民を「天皇の忠良な臣民」へと仕立て上げる決定的なテコとなった。

人命軽視し他民族を虐殺

 このように「皇軍」すなわち「天皇の軍隊」という特異な性格を持った結果、日本軍は他国の軍隊には見られない極度の人命軽視と他民族に対する異常なまでの残忍さを特徴とした。
 「欧米諸国の軍隊における指揮官の能力は、いかに少ない損害で多くの戦果をあげたかによってはかられるが、日本軍においては、死傷続出を意に介さず攻撃を続行する強固な意志が、指揮官の能力をはかる尺度とされた。戦闘における死傷者の数の大きなことは、指揮の拙劣さを示すことではなく、指揮官の統率力と勇気を示すものとされていたのである」(藤原彰著『天皇制と軍隊』)
 とりわけ中国侵略戦争やアジア・太平洋戦争では、現地で無謀極まる作戦を命じられた多くの兵士が無残な死を強制されたが、命令を下した大本営参謀や上級将校は何一つ責任を問われず、処罰もされなかった。
 兵士の命をこれほど軽視する軍隊が、他国・他民族の人々に対してさらなる残虐行為を行ったことは言うまでもない。陸軍兵士として中国侵略戦争に動員され、「殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす」という「三光作戦」を目撃した元兵士は次のように語る----「日本軍は皇軍ですからね。皇軍の任務とは天皇に従わないとか天皇を認めない者をブチ殺すことにほかなりません。御稜威(みいつ=天皇の威光)に逆らう者、つまり天皇の神聖を信じない者は敵だから殺してもよい。とまあこういう精神を頭の中いっぱいにたたき込まれているわけですよ」(本多勝一・長沼節夫著『天皇の軍隊』)
 そして、兵士にこのような精神をたたき込み、上官への絶対服従を植えつけるために、軍体内では陰惨極まる暴力、上官による下級兵への私的制裁(リンチ)やいじめが日常化した。「天皇の軍隊」の軍紀は、兵士の人格や思考能力を破壊する暴力によって支えられていたのである。

「天皇のための死」賛美する靖国神社

 軍人勅諭や教育勅語と並んで、「天皇の軍隊」の精神構造をつくりあげた今一つのイデオロギー装置が靖国神社であった。
 その前身は、明治維新の過程で天皇の側に立って戦死した者を祭った東京招魂社である。後に靖国神社と改称され、天皇が祭主となって全国10万の神社の頂点に置かれた。陸海軍省が直接管理し、合祀(ごうし)者も軍が選定した。
 それは決して一般的な追悼施設などではなく、あくまでも「天皇のために戦って死んだ者」「天皇に命を捧げた者」だけを選別的・差別的に「英霊」として祭り上げる「顕彰」施設にほかならない。そうすることで人間の生と死を天皇制国家の管理下に置き、残された者や次の世代の若者にも同じ死に方を強制しようとするのである。靖国神社に象徴される天皇制イデオロギーとは、「国家=天皇のために死ぬこと」を徹底的に賛美し、その対極で人間の命や自由な生をとことん軽んじ否定するものでしかないのだ。

敗戦前から軍紀は大崩壊

 だが、こうしてつくられた「天皇の軍隊」は、侵略戦争の行きづまりとともに内側から崩壊していった。1943年当時の陸軍の極秘文書は、「上官暴行、逃亡、勤務離脱、抗命、辱職などの軍紀犯著しく増加」「対上官犯、収賄、横領犯の多発」と軍紀の崩壊を記録している。「対上官犯」とは上官への反逆行為である。「上官の命令は天皇の命令とされた皇軍の中にあって......それは天皇への不服従として重大犯罪とされた」(本多・長沼著『天皇の軍隊』)。42年以降の軍法会議で処刑された兵士の数だけで年間7千〜8千人近くに上った(表)。すでに敗戦前から天皇制国家は崩壊寸前となり、侵略戦争に動員された兵士たちの反逆が始まっていたのだ。
 天皇を精神的支柱とした軍隊・国家など、凶暴な国家暴力で人民を沈黙させ、服従させることでしか成り立たないのである。安倍政権が狙う「天皇のもとでの国民統合」と再びの戦争への道を断固拒否し、5・1メーデーを世界の労働者とともに闘いとろう。