南台農地守るため全力決起を
NAAの文書偽造明白に
次回3・18は市東さん本人尋問
耕作権裁判証人尋問
岸田政権は国連パレスチナ難民救済事業機関への資金拠出を停止し、イスラエルのジェノサイドに加担し、日ウクライナ経済復興推進会議で巨額の追加支援を決定するなど、参戦国化の道をひた走っている。労働者人民への戦争動員攻撃が本格化する中で、「反戦の砦(とりで)」として軍事空港建設を実力で阻み続ける三里塚闘争が持つ位置は決定的だ。2・28機能強化工事粉砕の現地調査&第3滑走路予定地内デモに集まろう。成田市天神峰の市東孝雄さんの農地をめぐる耕作権裁判が2月19日、千葉地裁民事第2部(齊藤顕裁判長)で開かれ、3人の証人尋問が行われた。三里塚芝山連合空港反対同盟と支援約100人は一日の行動を全力で闘った。
正午、千葉市中央公園で太郎良陽一さんの司会で決起集会が開かれた。
反対同盟事務局を代表して東峰の萩原富夫さんが発言に立った。
「成田空港機能強化の準備工事が今進められているが、これに対し2月28日に芝山町菱田をデモする現地闘争を行う。自民党・岸田政権の戦争政策の一環として成田空港を戦争のできる空港へと造り変えることが、機能強化の狙いだ。諸先輩方の命がけの闘いの歴史を継いで、市東さんの南台農地を守り、第3滑走路建設を許さず、軍事空港を粉砕する」
続いて動労千葉の中村仁副委員長などが連帯発言を行った。意気高くシュプレヒコールを上げ、強風と降り出した雨を突いて市内デモに出発。「農地強奪阻止、戦争反対、自民党裏金問題弾劾、ガザ虐殺許すな」の声が一帯に響いた。
午後1時45分、60超の傍聴席を埋めて開廷。
逃亡を決め込んでいた法理哲二元空港公団職員が法廷に引きずり出された。
原告・成田空港会社(NAA)代理人、上野至の主尋問に答え、法理は、1985年から91年に空港公団用地部職員として土地の買収にいそしんでいたことを述べた。冒頭から用地交渉について「タテのラインでやっていた」とし、課長代理だった自分はただ上司の課長に報告するだけだったなどと強調する。そして、自分は天神峰の石橋政次氏(元反対同盟副委員長)の家屋敷についてのみの担当で小作地の関係についてはまったく関与していないという。
主尋問はあっさりと終了し、弁護団が反対尋問に立った。当時の買収の具体的態様や実情を述べさせた。
法理は、石橋に直接連絡を取っていたのは自分だけだとし、反対同盟破壊・切り崩しの大罪を犯していることを十分に自覚しながら、石橋と会うときは自宅には訪れず、畑の一角などの人目につかない場所で密会し、買収・移転の交渉を進めていたという。84年の売買契約の時には立ち会った。移転先の石橋家にも訪れ、何かと世話を焼いたが、小作地の場所や耕作の現況などについての話などは一切していない、担当は私じゃない、と白を切った。
また、石橋に関連する一坪共有地の買収についても、用地部内の別の部署「特別用地対策室」が担当したと言い、さらに石橋家の敷地内に建っていた現地闘争本部の土地の分筆についても「知らない」と言い張った。
そして小作地の地主である藤﨑を担当していたのは故・上西亮治だったとして、底地の買収や小作権の解除について自分は一切かかわっていないことを強調した。藤﨑の家に行ったのは、2000年代に入ってから出向先の鉄道会社の別用でと述べた。
この裁判において重要争点の、市東東市さん(孝雄さんの父)が耕作地の位置を地主・藤﨑と確認し合い署名捺印したとする「同意書」「境界確認書」について、「私なら報告書を作成した」と言いつつ、「ほかの人の報告書などは見ていないし、わからない」とうそぶき、証言を終えた。
2人目の証人は、横井文美さん。支援として三里塚現地に常駐しながら身近に接していた市東東市さんの人となりを証言した。横井さんは開港目前といわれた76年に岩山大鉄塔を守る呼びかけに応え、大学から三里塚闘争支援に駆け付け、そのまま現地に残った。敷地内の天神峰・東峰の反対同盟農家に頻繁に援農に入っていた。
石橋家の耕作地は関係土地図のA、E、Fだった。石橋家の屋敷の土地とE1にまたがって屋敷林が存在し、それに続いて低木が植わっていた。
石橋家が87年に移転してから、E1を耕した者はいない。
横井さんは昨年秋に二度、石橋政次氏の遺族である4人を訪ね会話をした。そこで政次氏の長女から、低木が伽羅(きゃら)であることを教えられた。伽羅は上に向かって伸びず、横に広がり、垣根などに適している。
また次男からは、彼が71年9・16東峰十字路事件の事後弾圧で同年の12月初旬に逮捕され、クリスマス頃に釈放され出てきた時に、Aを石橋家が耕作しているのを見て驚いた旨の証言を得た。(Aはもともとの市東家の賃借地だが、石橋家の申し出でCと交換し耕作した。)
87年に石橋家が転居したのち、E、Fは荒地となり現在にいたる。
弁護団の質問は、東市さんの連れ合いのときさんの介護に向けられた。
84年にときさんは脳梗塞で倒れた。同年の市東家の母屋の新築は、この地で農業を続け闘うという東市さんの意志であり、またときさんとともに新しい家に住むという思いが込められていた。当初病院に入院していたときさんは、東市さんの強い希望で89年に退院して天神峰に帰宅し、横井さんをはじめ現地支援は交代での24時間介護態勢をつくった。89年には無農薬産直農業を始めるために、作業場を新築。
横井さんは、間近で接した東市さんを語った。「東市さんは、石橋副委員長ら反対運動をやめて出ていく人たちを目の当たりにしながら、彼らとは別の生き方をすると決め、連れ合いとともに反対運動を闘い抜く道を自信に満ちて進んでいた。NAAは、88年4月に東市さんが同意書、確認書に署名捺印したと言うが、一番輝いている生き方をしていたその時期に、事実と異なる内容に署名することなどありえない。また東市さんは小細工とはおよそ無縁な人柄であり、『同意書、境界確認書でE1が当初からの耕作地であったことを確認したのに、後になってそれを否定するために元永メモを作らせた』などというNAAの推測は成り立たない」
三番目の証人は千葉盛克さん。85~96年に三里塚現地に常駐していた。
84年の成田用水着工に反対して反対同盟が阻止線を張り、機動隊の暴行を受けながら5人の同盟員が逮捕された。額から血を流して逮捕される東市さんの報道写真と、その後の東市さんの「いかなる弾圧も怒りの炎に油を注ぐだけ」との不屈のコメントは、千葉さんに強い感銘を与えた。
成田用水をめぐる85年7・21菱田現地闘争でデモ隊と機動隊が激しく衝突したが、この集会で発言した東市さんは、直後に医師に「うまく言葉が出なかった」と明かした。成田日赤病院で診察を受けたところ、脳梗塞と診断された。千葉さんはその後、12月までドライバーとして千葉県救急医療センターに車で東市さんを送り迎えし、言語療法と右半身のまひの作業療法のリハビリに付き添った。さらに、東市さんが何でも報告していたかかりつけの医師を週に2~3回市東家に車で送り届けていた。
このように千葉さんも、最も身近で東市さんと接していたわけだが、弁護団が「藤﨑に頼まれて何か書類に署名したというような話はあったか」と質問すると、「まったく聞いたことはない」と言下に否定した。
「市東さんは戸村一作委員長を尊敬し、空港絶対反対、農地死守・実力闘争、2期工事阻止・空港廃港という反対同盟の原則を最先頭で体現していた。80年代は『国労をつぶし、総評・社会党を解体し、お座敷をきれいにして新しい憲法を床の間に飾る』と称して中曽根政権の戦後政治の総決算攻撃がかけられ、成田2期工事が切迫し、国鉄には分割・民営化攻撃が襲いかかった。その時に原則を曲げずに闘っていたのが東市さんだ。多弁ではないが、生き方を背中で見せた。小細工をするようなことはまったく考えられない」と、千葉さんは語気を強めた。
横井さん、千葉さんの証言で一層鮮明に浮かび上がった市東東市さんの不屈の闘魂は、NAAの描く珍説を完全に打ち砕いた。上野をはじめ代理人たちはこの間、失笑を買っても続けていた反対尋問を一切放棄した。
閉廷後の報告集会で市東さんがあいさつに立った。「法理は死んだ上西を出して責任逃れしただけ。横井さんと千葉さんの証言は、おやじとおふくろを思い出す本当にいい証言でした」
2人の証人と弁護団が勝利感をもって発言し、法廷を振り返った。法理は無関係を装い続けたが、「同意書、確認書はホンモノ」との主張もできず、NAAが関連文書を隠匿していることに確信が深まった。
日ウ復興会議粉砕へ実力デモ
日ウクライナ経済復興推進会議粉砕闘争が2月19日、改憲・戦争阻止!大行進東京の主催で闘われた。全学連を先頭に会場の経団連会館に肉薄するデモ。不当に通行妨害する警察をはねのけ、抗議行動を実力で貫徹した。
無実の大坂さん奪還を
救援大運動を呼びかけ集会
ピンスポット
木更津で「オスプレイ撤去!」
飛行再開を許さない
リレートーク、デモ、申し入れ
2月10日、改憲・戦争阻止!大行進千葉主催の「オスプレイ撤去!木更津反戦行動」は50人の結集で闘われた。動労千葉ほか県下の労働組合・市民団体が参加し、木更津駅前でのリレートークと陸自駐屯地へのデモ・申し入れがにぎやかに行われた(写真)。三里塚現地闘争本部を代表して二川光さんが反戦闘争の先頭で闘う決意を表明した。
木更津基地は佐賀空港への本格配備までの暫定とされているが、米軍オスプレイの整備拠点にされ続けている。昨年10月には、米海兵隊との共同訓練「レゾリュートドラゴン」に参加し、オスプレイが新石垣空港へ飛行した。木更津現地における反戦・反基地闘争は、沖縄・横田・横須賀などと並ぶ重大な闘いだ。
昨年11月、米軍オスプレイは屋久島沖に墜落し、搭乗員8名が死亡した。欠陥機オスプレイの飛行継続などありえない。飛行停止が続いているが、木更津での飛行再開を阻止するとともに佐賀空港への移駐に反対しよう。
(大戸剛)
団結街道
闘争スケジュール
第127回一斉行動
市東さんの闘いに共感
「3・31芝山」を呼びかける
反対同盟と支援連絡会議は2月18日、127回目の空港周辺情宣一斉行動に立ち上がった。午前8時半、成田市天神峰の市東孝雄さん宅コンテナハウス前に集合した仲間は朝の打ち合わせを行った(写真)。最初に、芝山町白枡の伊藤信晴さんが無投票に終わった芝山町議会選挙について解説。続いて裁判事務局が、法理哲二元空港公団用地部課長代理が翌日の耕作権裁判についに証人として法廷に引きずり出される勝利が勝ちとられたことを報告。さらに、東峰の萩原富夫さんが、2月28日に、機能強化工事実力阻止に向けた現地調査と第3滑走路敷地内デモを行うことを確認した。
この日用意された反対同盟ニュース第122号は、佳境を迎えた耕作権裁判への大結集を呼びかける内容だ。耕作権裁判は、成田空港会社(NAA)が2006年に提訴して以来18年もの長期にわたって闘われている。2面は、昨年11月からの証人調べでの勝利的前進についての解説記事。3面では、ヨーロッパ各地で環境規制を口実とした農民切り捨てと、実力で道路封鎖などに立ち上がる農民の決起を紹介。4面では、能登半島地震で被災地への救援体制が整わない中で強行された陸上自衛隊習志野駐屯地での8カ国合同でのパラシュート降下訓練を見て、「軍隊は住民を守らない」を実感したという地域住民の声を掲載。
打ち合わせを終えた仲間は、担当地域へと飛び出した。この日は暖かく雲一つない青空の下で、作付け準備に励んだりサツマイモ出荷作業に追われる農家が多くあった。
同盟ニュースを手にしたある農家は、市東さんの農地を守る闘いへの共感を示した。
「(写真にある)ドイツ、フランスもすごいが、イタリア、オランダの農民も立ち上がっている動画をユーチューブで見た。日本の農家はどうなるのか心配だ。NAAは買収した土地を新規就農者などに貸しているが、知り合いの農家は断られたと聞いた。明日の裁判に注目している」
芝山町のある住民は、「こんなに人家が減って町の将来に希望が持てない中で、誰が議員になろうが期待できない。議員はもっと減らせばいい」と。真行寺一朗元芝山町長への怒りを語った住民は空港拡張反対署名に協力した。
移転対象地域の住民は、「機能強化工事は利権の温床。軍事使用されれば、子や孫の命と生活が危険にさらされる。反対だ」。
さらに「市東さん、がんばっているね。昔天神峰でよく見た」「今度のデモ。声が聞こえたら見に行くよ」と激励した。
一日の行動を終えた参加者は、さらに深く広く周辺住民と結合し、3・31芝山現地闘争の成功を誓った。
戦争協力拒否、スト復権を
「分割・民営化不当解雇37年」国鉄集会
動労千葉が春闘スト決意
「国鉄分割・民営化で不当解雇から37年 戦争協力拒否! 鉄道の軍事利用を許すな!」2・11国鉄集会が千葉市内で開かれ、460人が集まった(写真)。反対同盟の伊藤信晴さんが連帯あいさつに立った。
全発言を通して参加者は、国鉄1047名解雇撤回闘争の継続こそが日本の参戦国化を阻んできた最深の力であり、世界戦争情勢の中で、国鉄闘争を軸に結集する階級的労働運動の発展が求められていることを自覚。「反戦の砦(とりで)」としての労働組合本来の姿をよみがえらせるべくストライキ復権をかけ24反戦春闘に立ち、11・3日比谷野音に昨年を倍する結集をかちとる決意みなぎる集会となった。
昨年の2・15農地強奪強制執行から1年。学生を先頭に非常に団結した戦闘的闘いで反対同盟破壊を打ち破ることができました。
廃線化問題は地方切り捨て、農業破壊の問題でもあります。全国農民会議の小川浩さんは反対同盟旗開きで、農民は社会を変えるため根底的な決起をしなければ生きていけないと訴えましたが、本当にその通りです。
北総台地は農業地帯。私たち自身が問われています。成田で年間発着50万回、朝5時から夜1時まで飛行機を飛ばす。地域を徹底的に破壊し、空港を完成させ、戦争の準備・体制をつくる。これが市東さんの南台農地強奪の理由です。
同じような状況が皆さんの職場にもあります。これを突破するためにも市東さんの耕作権裁判に勝利したい。この裁判は千葉地裁を圧倒しています。しかし、戦争情勢下において内容的に圧倒していても、どんでん返しをしてくる。沖縄、福島においてもそうでしょう。私たちも肝に銘じて闘います。軍事空港反対を掲げる3・31芝山現地闘争を世の中を根底から変える出発点にしたい。
新版・現闘員奮闘中!日誌
市東農地決戦の先頭に立つ
3・18千葉地裁デモへ
法理証人ついに出廷
三里塚現地闘争本部員 平井雅也
関西空港を戦争に使わせない
全国農民会議総会開く
反戦・労農連帯で活動強化へ
全国農民会議第10回総会が2月17日、埼玉県で開かれた(写真)。4年ぶりに全国から集まった会員が、結成10年の総括と今後の運動方針をめぐって活発な意見を出し合い、「再スタート」を切る総会としてかちとられた。三里塚反対同盟の市東孝雄さんも一会員として討論に加わった。
この10年で激しく進行した農業消滅、農民抹殺の攻撃は戦争でしか生き延びられない資本主義の危機から生まれていることを怒りをもって確認し、戦争絶対反対、反原発、三里塚連帯を柱に、社会の根底的変革に向けて労農連帯・国際連帯で闘う方針を確立。戦争反対を第一に掲げた新のぼりをもって各地で奮闘することを誓い合った。
国家権力による強制執行が去年の2月15日。ちょうど一年。当時は悔しさなどいろんな気持ちがあったのですが、それではいけないと再建のためのビニールハウスやユニットハウスなど取りそろえ、今、前向きに進んでいます。代執行の時には遠くから来ていただいて本当に励まされ、一人で闘っているんじゃないと感じました。
まだ耕作権裁判があります。本来であればこちらが絶対に勝てる。でも三里塚の場合は北原鉱治事務局長が言っていたように、裁判の進行では勝っていても判決は違う。
農業について国がやることは何一つ私たちの支えになっていない。地種も採れなくなり、種代も資材も高騰。空港のためならなんでもOKと。今、生きさせろ、食べさせろの声がいろんなところで出てきています。私たちも声を出し続けないといっぺんにつぶされてしまう。周りに声をかけることはなかなか難しいですが、同盟一斉行動でビラをまき、情勢を知らせ、拡大を目指しています。農民会議も日本全国で農業について同じように考える人たちがいるわけですから、一人でも多く参加してもらいたい。人間は食べるものがなければ生きていけない。だけど、アメリカは戦争の軍備でしか経済が成り立たないとし、日本もその方向に向かっている。それをつぶす闘いを今まで通りの農業をやりながら一生懸命続けたい。
福島
椎名千恵子さんの寒中見舞い
お正月セットは、ひとり暮らしの私にとり年一回のぜいたくであり、分にかなった量。目も舌もカラダ全部を見開いて挑みました。マイヒットは、揚げゴボウ丼、何度もしました。
反対同盟の新春座談会記事の一つ一つにえりを正されました。「今まで農業をないがしろにしておいて、有事になったらイモを作れと強制しようなんてとんでもない話だよね」。本当にギャフンと言わせたいです。「食料安保」に驚がく! 断じて許せません。
耕作権裁判でのNAAの偽造、完全粉砕に胸すく思い! 3・18市東さん尋問、3・31芝山現地闘争どちらにも行きたく迷っています。 椎名千恵子
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汚染水とめろ! 岸田をたおせ! いまこそ全原発を廃炉に!
3・11反原発福島行動24
3月11日(月)正午開場 集会後市内デモ
とうほう・みんなの文化センター小ホール(福島市春日町5―54)
主催/3・11反原発福島行動実行委員会
明日も耕す 農業問題の今
「食料有事法」国会提出へ
国家総動員体制が狙い
食料有事法が動き出した。2月9日、マスコミ各紙は「国内で食料が不足する有事に備えるための法案の概要が分かった」など、政府が今国会に提出する新法の概要を伝えはじめ、14日には自民党が法案を了承した。
小欄では日本農業新聞にならって「食料有事法」と新法を表してきたが、法案の名称は「食料供給困難事態対策法案」(仮称)となっている。
今国会には食料安全保障を柱とする「食料・農業・農村基本法」の改悪案が提出される。しかし、基本法は宣言法なので、内容を具体化する個別の法律がなければ機能しない。今度の法案はその個別法の一つであり、最も注視すべきものだ。
法案の概要は、まず食料供給の状況を平時を含め4段階に分けている。
米や小麦、大豆など特に重要な「特定食料」について供給不足の兆候を把握した段階(食料供給困難兆候)で、首相が本部長を務め全閣僚が参加する「食料供給困難事態対策本部」を設置する。
自主的な取り組みとして、出荷調整や輸入拡大、生産拡大を要請する。特定食料が大幅に不足するような食料危機時(食料供給困難事態)には、政府が供給目標を設定。農家に増産計画の届け出を指示できるとし、従わない場合は20万円以下の罰金を科す。現在生産している人だけでなく、過去にその品目の作付け実績があるなど生産能力が見込める人も省令で定め、対象に加える。
国民の生活に最低限必要な食料が不足する可能性がある場合(特に深刻な段階)は、カロリーを重視した生産転換を生産者らに要請・指示し、事業者への割り当てや配給も検討する。
農水省はすでに条文をまとめ、2月下旬にも国会に提出するという。
2月12日付日本農業新聞で資源・食糧問題研究所代表の柴田明夫氏は「食料・農業・農村基本法の見直しに対しては、平時における国民一人一人の食料安全保障を考えると宣言しておきながら、いつの間にか議論は不測時における安全保障にすり替わっている」と指摘した。
「(まずは)国内農業生産の増大を」という氏の主張は至極当然だが、すり替わっているのではない。はじめから不測時=有事のための法整備が目的なのだ。
それがよくわかるのは「特に深刻な段階」で「配給」まで検討していることだ。実際に戦争をやるために、戦争まっただ中でしかあり得ない事態まで検討している。
農水省の資料に目を通すと、「国民生活二法、食糧法により割当て・配給を実施」「物価統制令により価格を統制」「既存農地以外の土地の利用」などの項目が並ぶ。
地方自治法改悪など国家の権力を強大化し、中国侵略戦争に向けた国家総動員体制をつくるための有事法制として新法は狙われている。
国会闘争に立ち上がり、岸田政権を倒そう。
三里塚営農だより
南台で育つ野菜たち
市東さん宅
北総の空の下で
強制執行から1年
耕作権裁判大詰め