週刊『三里塚』
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紹介された弔電

週刊『三里塚』02頁(0974号01面05)(2017/08/28)


紹介された弔電

群馬から現地に
 天台宗僧侶 青柳晃玄さん

 北原鉱治さんのご逝去の報を聞き、まだまだと思っていたのに本当に残念で残念でなりません。
 私が初めて三里塚の地を踏んだのは1971年の秋です。第2次強制代執行を巡る激しい攻防がニュースで報道されるなか、いてもたってもいられずに私は三里塚へと向かいました。
 北原さんとの直接の出会いは、群馬の三里塚集会にぜひおいでいただきたいとお願いに上がったときでした。北原さんは川で釣りをされていて、激しい闘争の中にあっても悠然とされている姿に感動いたしました。それ以来家族ともども親交を深めて参りました。
 北原さんが還暦を迎えた折には、末永く三里塚闘争の柱となっていただくよう祈念して生前戒名をつけさせていただきました。
 北原さんのご逝去に際し、本来ならば私自身が僧侶としての勤めを果たすべきでありますが、けがのためにそれがかなわないことが、本当に本当に残念です。
 北原さん、かの世にあっても三里塚闘争の最後の勝利の時まで末永くお守り下さい。
 そして北原健一さん、ご家族の皆様のご健康を心より祈念いたします。

基本路線を守り
 顧問弁護団事務局長 葉山岳夫さん

 ご尊父 北原鉱治様のご逝去を悼み、謹んで冥福をお祈りいたします。
 1967年4月にお目にかかって以来、50年以上三里塚空港反対闘争の中で共に活動をさせて頂きました。常に闘いの先頭で着実、的確な指揮を取られ、51年にわたる空港反対闘争をぶれる事なく、基本路線で正しく指導されました。
 海軍従軍時の経験を生かした地下壕作戦、あるいは要塞(ようさい)構築、岩山大小鉄塔、天神峰現闘本部建設、市東孝雄さんの農地取り上げに反対する闘いについての的確な指導で現地闘争を勝利的に闘ってこられました。いわゆる3・8分裂に際してもぶれる事なく反対運動の原則を貫かれました。おかげで今日の運動があります。
 裁判闘争での証言で型にはまらず面白く全体が聞き入って説得されました。度々お宅におじゃまして亡きご母堂様の手料理を美味しく頂き、又お酒も頂きました。1978年2月横堀で一夜を過ごした時に同じ事務局長だ、最後までやるほかないなと激励されました。
 健一様はご家族と共によくお店、ご尊父様をささえられ、ご尊父様は感謝されていました。反対同盟は最高の指導者を失いましたが闘魂必成、裁判闘争勝利、空港廃港まで私も微力を尽くさせて頂きます。後に続く者の闘いを見守って下さい。そして、安らかにお眠り下さい。

労働運動再生を
 動労千葉執行委員長 田中康宏さん

 ご逝去の報に接し、無念でなりません。
 北原さんは常に三里塚闘争と動労千葉の労農連帯の中心におり、最後まで私たちの闘いに期待を寄せ、激励してくださいました。
 生涯をかけて空港建設反対、反戦をうったえ、50年を超える闘争を原則を貫き通して闘った見事な生きざまに改めて敬服いたします。
 北原さんの意思を引き継ぎ、労働運動再生のために全力で闘うことを誓います。
 組合員一同、心からご冥福をお祈りいたします。