週刊『三里塚』
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北原さんが残した言葉 勝利まで闘いやめぬ

週刊『三里塚』02頁(0974号02面06)(2017/08/28)


北原さんが残した言葉
 勝利まで闘いやめぬ

(写真 法政大学祭で講演【06年】)

(写真 新年デモの先頭に【10年】)


 半世紀におよぶ反対闘争で信念を曲げず闘いぬいた北原さんの生涯と言葉を紹介します。

 ◎酸素の欠乏が苦しい。全員が後頭部に痛みを訴え、私も足がしびれてきた。(中略)午前零時を過ぎても作業は続けられる。説得班もくる。答えは同じだ。最後までたたかいをやめない。勝利するまで。たとえ生命が奪われてもだ。(サンデー毎日「三里塚・地下壕からの報告」1971年7月)
 ◎商人なら金で動くというのが権力者の発想だろうが買収にのらない商人もいるのだ。農民たちと心を一つにして闘ってきた真実と道理を彼らは永遠に理解できないだろう。(『大地の乱』まえがき1996年)
 ◎敷地内の地権者はだれも同意していないのに家の軒先まで滑走路を造る。これが「空港と共生」なるものの正体だ。あの公開シンポや円卓会議の結果がこの現実だ。(『週刊三里塚』2000年)
 ◎閣議決定の当時は土地を取り上げるのに「国家的要請」だと言われた。つまり「お国のため」。何千万というアジアの民衆を殺した侵略戦争で、日本国民は「天皇のため」「お国のため」と教育された。その結果、自分たちも多くの親兄弟を失い、最後は原爆だった。(同2001年)
 ◎権利や民主主義は闘い取るものであることを実感している。職場や大学、地域で、今まで当たり前だった権利がおもちゃでも壊すように次つぎと破壊されている。紙に書かれただけの権利はむなしい。(同2007年)
 ◎ものを作り運ぶ労働者と命の糧を生産する農民がいれば、社会は立派に成り立つんだ。既成の政治や権力などいらない。(同2010年)
 ◎日本が韓国へ侵略行為を行ってきたことを謝罪する。日韓が「近くて遠い」関係であってはならない。アジア人民と連帯するならば戦争は起きない。(同2013年)

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北原さんの闘争と生涯

 1922年 佐倉市生まれ
 45年8月 海軍で敗戦を迎える
 46年 三里塚に移り住み結婚
 66年 成田空港閣議決定に対し反対同盟結成。事務局長に就任
 71年 同盟を率いて第1次・第2次強制代執行、7月仮処分、大木よね宅収用などと実力で闘う
 75年 成田市議当選(4期16年)
 77年 公団による岩山大鉄塔闇討ち撤去と闘う
 78年3月 開港阻止決戦で横堀要塞に籠城し徹底抗戦。管制塔が占拠・破壊され5月に出直し開港。
 83年 「熱田派」が同盟から脱落(3・8分裂)。反対同盟は原則堅持
 90年 天神峰現闘本部封鎖と闘う
 2006年 NAAが市東さんの農地明け渡し提訴。農地強奪と闘う15年まで集会発言、一斉行動辻立ち演説などに立ち続ける