週刊『三里塚』
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北原鉱治さんを追悼する

週刊『三里塚』02頁(0975号02面02)(2017/09/11)


北原鉱治さんを追悼する

約束の言葉「三里塚に来い」
 徳島刑務所在監 星野文昭さん

(写真 北原事務局長が星野文昭さんと面会し再開を約束。星野暁子さんと記念写真(2007年9月18日】)

 10年前に徳島まで足を運び私に会いに来られ、親しくお話しができた光景が昨日のように思い出されます。1971年11月14日の「渋谷暴動闘争」の前の夏、秋の三里塚現地闘争以来の再会でしたが、空白を感じさせない面会でした。そして、「三里塚に来い!」が約束の言葉でした。
 北原さんをひと言で言うと信念の人だったと思います。戦争を身をもって体験して、その本質が財閥はじめ1%のために労働者人民を殺し合わせるもの、半分以上に餓死・病死を強いるものであることを骨の髄まで刻み込んでいたからこそ、二度と戦争を許さない、戦争の無い世の中を、という信念は一点のくもりのない譲ることのできないものだったと思います。だから北原さんにとって三里塚軍事空港は絶対に反対し、農地死守が勝利の道であることは揺るぎなく、幾度かの脱落・逃亡と闘うことによってそれは不動なものになり、その真の勝利が労農連帯にあることも、闘いの中で揺るぎないものになったのだと思います。
 それは今日の情勢のなかで全ての労働者人民に勝利の道を示すものになっています。朝鮮侵略戦争・核戦争、数百万人を虐殺し、特区・労働法制改悪で低賃金・長時間労働を強い、TPPで農業・農民を切り捨てる安倍政治を絶対反対と労農連帯・団結の闘いで打倒し、労働者人民の手に全てを奪い返す道を示しています。
 北原さんにとって、三里塚闘争に責任を取りきって闘うことを通して、勝利しめざすものを手にしていったのだと思います。酔うと「ロマンが大事」と言っていたというように、戦争体験から戦争絶対反対を三里塚闘争に貫いて闘うことを通して、労農連帯、労働者人民の団結の力で世の中を変えていく、安倍やトランプの労働者人民に戦争・搾取・貧困、人間が人間として生きられなくする権力を打倒して、戦争・搾取・貧困の無い、誰もが人間らしく生きられる社会を実現していく、そのことが北原さんのロマンそのものだったのだと思います。
 面会での「三里塚へ来い」は、その闘いを一緒に闘おうということであったし、その約束は必ず果たしていきたいと思っています。亡くなる時、北原さんの中には、本当にやり切ったという思いと、その自分を戸村さんや大木よねさん、宮本さん、鈴木さんなどが「ご苦労さま」と握手の手をさしのべる光景があったのではと思っています。そして、北原さんの遺志を引き継いでいくことを誓いたいと思います。
 三里塚・沖縄を闘い、無実で無期43年投獄の星野、46年指名手配の大坂の解放をかちとりましょう。

長い闘争≠ナ対話 ゴアレーベン核廃棄物処分場建設反対同盟前委員長 ケアスティン・ルーデックさん

(写真 現地を訪問したケアスティンさん【右端・2014年3月13日】)

 北原鉱治さん逝去の報を聞き、心からお悔やみの言葉を申し上げます。
 私は、2014年3月に反対同盟を訪問したこと、そしてその際に北原さんにお会いしたことをよく覚えております。
 北原さんは、私に非常に強い印象を残しました。
 私は、そのときの会話を今でもよく覚えています。
 北原さんは私に、「もう何十年も反対運動にかかわっている」と言いました。
 それを聞いて私は彼に、「では、私はゴアレーベンの闘いにかかわって30年ですから、北原さんはそれよりもずっとずっと長い間反対運動をやっていらっしゃるんですね」と言いました。
 そうしたら北原さんは私の年齢を聞いて、笑って言いました。「あなたのこれまでの人生の長さから比べれば、私よりもずっと長い間闘争にかかわっているじゃありませんか」と。〔ケアスティンさんは10代半ばから闘争にかかわっている〕
 話は大いにはずみました。そういうわけで、北原さんとその誠実な人柄は、私の記憶に深くとどまることになったのでした。
 北原さんのご家族・友人・知人のみなさんに、私のこの気持ちをぜひお伝えください。
 2017年8月26日