週刊『三里塚』
[メニュー][トップ]

1000号記念! 秋山勝行 ×金山克巳 元全学連委員長対談 闘う学生を熱く迎えた三里塚

週刊『三里塚』02頁(1000号02面01)(2018/09/24)


1000号記念!
 秋山勝行 ×金山克巳 元全学連委員長対談
 闘う学生を熱く迎えた三里塚

(写真 成田市役所前集会で戸村一作反対同盟委員長【左】と秋山全学連委員長【1968年3月】)

(写真 秋山勝行さん【左】。横浜国立大学出身。1967年全学連委員長就任。現在は、星野文昭さんを取り戻す会・九州代表。 金山克巳さん【右】。横浜国立大学出身。1968年全学連委員長就任。現在は、星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議事務局。)


 7月2日、本紙1000号の記念企画として星野再審全国連絡会議の事務所で元全学連委員長の秋山勝行さん、金山克巳さんからお話をうかがった。(司会 本紙編集委員)

この人たち信頼できる

 司会 最初に三里塚を訪れたときのことを。砂川町基地拡張反対同盟副行動隊長の宮岡政雄さんの紹介があったと聞いていますが。
 秋山 50年代の砂川闘争は、社会党、共産党、総評が中心で闘い勝った。だけど、65〜66年から持ち上がった第2次砂川拡張計画というのはそうした旧体制の連中はあまり来なかった。60年安保闘争で革命的左翼の全学連がおぎゃーと誕生したのを転換点に、60年代の原潜反対闘争や日韓条約反対闘争はもう新左翼が中心だった。
 最初にわれわれが砂川に行ったときはそんなに信用はなかった。だけど、僕も砂川闘争で逮捕され、起訴され、実刑を受け、現実に体を張って闘っているというので、この人たちは信頼できると戸村委員長や北原事務局長に紹介してくれた。
 金山 68年2・26三里塚の前に佐世保という大闘争があった。
 秋山 僕は10月に山崎博昭君の追悼葬を日比谷でやった時に逮捕されて11月に「第2の羽田」があった時は僕はまだ入っていた。出てきて12月の全学連大会で「佐世保を第3の羽田に」というスローガンを決めた。
 金山 佐世保では大歓迎された。
 秋山 結局、ベトナム戦争が燃え盛っている、それへの怒りです。佐藤内閣がやることの背後に、ベトナム戦争があった。これに反対するというのが、当時の青年の普遍的な闘いだった。パリのカルチェラタンの闘いもあった。三里塚を僕らがやるというのも、これが戦争につながるから反対するということで説得力があった。世間一般の人も全学連がやっているから戦争に反対することなのだろうと理解してくれる要素があった。
 金山 三里塚はもっと直接的につながっている。実際に北原さんは羽田の見学に行き、民間空港のはずなのに、米軍のチャーター機がいっぱいいる。成田もこういうふうになると実感して、それが闘う一つのエネルギーになった。

ベトナム戦争に反対し

 秋山 だから三里塚闘争は当時の言葉で言うと侵略国家化に反対する反戦闘争ですよ。世の中全体が、政府とそれに反対するわれわれという大きな構図になって。われわれが三里塚に行っても反対同盟がすぐに受け止めてくれる。僕らも感激した。当時僕らはそんなに、社会の流れを決める中心的な役割を果たすと必ずしも思っていなかったけど。砂川で農民の人たちに支持されたというのは一つの大きな力だった。三里塚で農民の大衆的な運動を直接一緒にやるというイメージはなかったわけですよ。だけど、案ずるより産むが易し。現実にやってみたらすぐに結びついた。
 司会 その後、68年2・26、3・10、3・31と三里塚での3回の連続した闘争があります。秋山さんのアジテーションは印象に残っているとよく聞きます。
 秋山 あの時は機動隊が上にいて、相当な決意でこれはアジらないといけないなと思った。上り坂だからあきらかに不利なんだけど、ぐんぐんぐんぐん機動隊を破っていって結局一番上まであがった気がするね。
 金山 2・26のときに警視庁が前面に出て警備をうちがやりましょうかって千葉県警に言ったら、メンツにかけてそんなことは断ると。あの時は私もいたけど機動隊はどうしようもなかった。
 司会 それで3・10の時は巻き返しにきた。
 金山 本当に突撃ラッパを吹いたんだ。われわれが解散集会をやっていたら、ラッパの音が聞こえた。何だろうと思ったらどーっと機動隊が突っ込んできた。
 秋山 グラウンドが揺れたの。グラウンドって造成地だから大地がこう波立ったんだ。
 司会 三里塚は国家権力と同時にカクマルも寄せ付けませんでした。
 秋山 カクマルが果たした役割というのは70年代から見て、もうカクマルにしかできない反革命として、天下一品だよ。
 金山 世界に類例をみない。想像もできなかった。
 秋山 鉄塔決戦の日に京葉道路にくぎをまいたり、鉄塔を権力が壊すのを漫画にして喜ぶとか、本当に考えられないような敵対をやった。
 金山 やつらの内部文書には、京葉道路にくぎをまいたのは、「三里塚への闘いである」と書いている。
 秋山 だけど、戸村さんも北原さんもそれにたじろがなかった。中間的な文化人は、カクマルのテロの恐怖で中核派と付き合うのは嫌だと。カクマルについていく人間はそんなにいないんだけど、こっちに来る中間派的な人間を全部そぎ落とそうという。史上類例のない凶悪な反革命にもう二度とだまされないぞという意味で、対カクマル戦を闘ってよかった。
 金山 一つ一つの闘争でカクマルを排除して丸ごと頑張りぬいたのは三里塚だよね。三里塚はカクマル排除を正式に出しているからね。

星野さん必ず奪還を!

 司会 星野文昭さん奪還のアピールをお願いします。
 秋山 今年初めて沖縄に行ったけど星野奪還運動の広がりに衝撃を受けた。6・3高松集会で平良修さんが、11・14渋谷闘争を闘った星野さんを奪い返すのは自分の使命だ。星野さんが獄中に入れられているのは沖縄が監獄に入っているのと同じだと提起した。そこに北原健一さんも感激しているけど、同じように三里塚のためにがんばってくれた星野さんを三里塚の人間として何がなんでも奪い返さないといけない。三里塚を闘った人間としても星野さんは自分そのものなんだと。ありとあらゆる力をもって今年奪い返そう。
 司会 最後に若い人たちへのメッセージを。
 秋山 この前、京大生が東大に乗り込んで集会をやったのはすごい感動的だった。京大は民主化の砦みたいなところだったけど、新自由主義化の中でそこで学生がバンバン処分され、学籍がはく奪される。それでもなおかつ学生運動にこだわってやっていくという迫力で東大生もやっぱり聞きにくる。あの姿が学生運動の原点だと思う。犠牲も出るけど、恐れていたら限界のある運動しかできない。自分たちの人生をかけた闘いで血路を切り開いてほしい。
 金山 私もまったく同感です。