週刊『三里塚』
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大地と共に 元全学連委員長が語る 10・20三里塚十字路戦闘(上) 武装した労学が機動隊撃破、2期着工攻撃を実力で粉砕

週刊『三里塚』02頁(1008号02面01)(2019/01/28)


大地と共に
 元全学連委員長が語る
 10・20三里塚十字路戦闘(上)
 武装した労学が機動隊撃破、2期着工攻撃を実力で粉砕

(写真 三里塚十字路へ進撃!【1985年10月20日】)

 1985年10月20日、三里塚第一公園に全国各地から1万4900人の労働者、学生、人民が結集した。中核派の白ヘル部隊は2千人。日帝国家権力は、28都道府県の機動隊9500人、ガードマン500人の1万人厳戒態勢を敷き、三里塚交差点には従来の千葉県警機動隊にかえて警視庁機動隊の主力、1機と4機を中心に布陣した。
 全学連は7月全学連大会において「三里塚2期着工実力阻止・中曽根打倒」「10・20成田空港突入、機動隊せん滅」を決定し、革共同・中核派の機関紙『前進』が全人民の総決起を呼びかけていた。この日は日帝・中曽根政権の反革命プラン「戦後政治の総決算」、とくに「90年三里塚2期工事完成計画」にもとづく2期着工強行の成否をかけた大決戦として、敵味方双方が総力を投入して真正面から激突する大会戦として据えられていたのだ。

丸太部隊先頭に

 午後0時30分から始まった全国総決起集会で、基調報告に立った北原鉱治反対同盟事務局長は「2期工事着工阻止へ新たな決意で臨む」と決意を述べるとともに、11月動労千葉スト支援を訴えた。敷地内農民をはじめ、反対同盟と全国の共闘団体が発言。動労千葉は4度目の5割動員で決起した。中野洋動労千葉委員長は「11月第1波ストを敢行し、国鉄分割・民営化を粉砕する」と宣言。
 そして、4時05分、鎌田雅志全学連委員長が登壇した。「機動隊を徹底的にせん滅し、第3ゲートに向かって進撃しよう」という火を吐くようなアジテーションに集会のボルテージは最高に達した。
 4時10分過ぎ、集会場に突入してきた数台の車両から鉄パイプ、カシ棒、角材、砕石、火炎ビンなどの武器がおろされ、全学連と反戦青年委の300人の行動隊があっという間に武装して整列した。先頭の部隊25人は長さ5bの丸太5本を5人ずつで抱えていた。集会場はどよめき、拍手と歓声があがった。装備と武器は、権力による捜索と検問をかいくぐってそのほとんどの搬入に成功した。権力機動隊の警備体制は研究しつくしていた。
 4時20分。出撃。行動隊が公園を出て約200b先の三里塚交差点へと向かう。「頑張れ!」の声援。同時に、機動隊による背後からの襲撃に備えて公園周辺の路地に部隊が配置についた。最初のターゲットとなった公園入り口前の公安刑事どもは卑劣にも脱兎のごとく逃げ去った。機動隊の指揮官がうわずった声で絶叫する。恐怖にひきつった機動隊員の顔、顔。部隊が一斉に喚声を上げて突進した。丸太が鈍い音をたててジュラルミンの盾を並べた阻止線にめりこむ。崩れた機動隊に一斉に襲いかかる。激しい乱戦となり交差点は一瞬にして騒然となった。機動隊が悲鳴をあげ、逃げだし、もんどり打って倒れる。戦士1人を逮捕すると連行するために3人も4人もの機動隊員が一緒に部隊を抜け出した。最初の突撃で捕らわれた仲間たちが次々に奪還された。

間断なき白兵戦

 攻撃が一旦やむと、間髪を入れずに火炎ビン部隊が投入された。火炎ビンの次は嵐のような投石だ。この連続的な猛攻で、正面の第3ゲート方面の阻止線は一気に崩壊し、機動隊はわれ先に装甲車の陰に逃げ込んだ。
 戦闘開始から約10分。4時30分には全学連・反戦の部隊が三里塚交差点を制圧した。それからさらに1時間以上にわたり、数十回におよぶ激突、戦闘が繰り広げられた。右方向の桜川・大袋方面でも左方向の大清水方面でも、すさまじい白兵戦が何十波にもわたって続けられた。正面の機動隊は完全に装甲車の陰に入り、殺人兵器のガス銃の水平撃ちに頼るしかなくなった。
 300人の行動隊が警視庁の精鋭≠ニされる1機と4機の計500人の部隊を打ち砕いた。全学連・反戦の本隊は、行動隊に呼応して投石部隊、武器補給部隊、治療部隊、路地でのバリケード戦部隊となって果敢に戦った。公園内に残った参加者も徹底抗戦した。対カクマル戦で鍛えた思想と闘い方が発揮された。

「ナリタで暴動」

 日が暮れて夜の闇に包まれた5時30分、行動隊は桜川方向から迫る9機に猛攻を加えて潰走させ、もっとも困難とされる撤収戦に移った。行動隊に本隊が続く。第一公園から迂回した部隊が続々流れ込んだ。撤収過程でもさらに数次にわたる戦闘を戦いぬいた。部隊は南三里塚をめざし機動隊を追撃しながら進む。後方から迫る8機らには反転して突撃し敗走させた。流血を恐れぬ「全員決起・全員戦闘」の戦いは、実に2時間半に及んだ。
 主戦場で敗北を喫した権力は、第一公園内で救護活動や兵たん活動にあたっていた人々を無差別に逮捕した。行動隊はガス弾直撃による骨折などの負傷者を出しながら、勇猛に戦った。241人の逮捕者(56人起訴)の過半は、公園内にいた人々だった。敵機動隊の負傷者152人(重体・重傷者29人)。約8個大隊が粉砕され、警視庁1機、4機の主力部隊は解体状態になった。行動隊員が受けた傷は正面からの攻撃によるものだったが、機動隊員の傷は背後からやられてできたものがほとんどだった。
 勝敗は歴然としていた。「厳戒泣く 警備当局の敗北」(10月22日付『千葉日報』)とマスコミが報じた。海外ではテレビ番組中に「ナリタで暴動」のテロップが流れ、ABCテレビなどのトップニュースになった。
鎌田雅志