週刊『三里塚』
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大地と共に 植木職人森脇照晃さんが語る 10・8羽田から三里塚へ 「佐藤訪ベト阻止」で決起 農民が「羽田の学生」歓迎

週刊『三里塚』02頁(1012号02面01)(2019/03/25)


大地と共に
 植木職人森脇照晃さんが語る
 10・8羽田から三里塚へ
 「佐藤訪ベト阻止」で決起
 農民が「羽田の学生」歓迎

(写真 佐藤首相の南ベトナム訪問阻止!弁天橋で装甲車の上から飛び降りる中核派の学生【1967年10月8日】)


 今回は番外編として市東さん宅の植木の世話をしてくれている植木職人の森脇照晃さんにお話をうかがった。
    ◇
 ----最初に三里塚を訪れたのはいつですか。
 1967年10月10日の外郭測量でのくい打ちの日です。僕は2日前の10月8日の羽田闘争に最先頭で行って弁天橋に着いたんだけど、機動隊が投げた石が装甲車の上で顔に当たって、秋山勝行全学連委員長がもう降りて来いって言うんで、負傷退場。逮捕を免れたんですよね。
 翌日、三里塚でくい打ちがあるから出て来いと言われて。突然だったこともあって全学連は当初闘争を予定してなかったんだよね。それで、そのとき法政にいた学生で三里塚に駆けつけました。そしたらくいの周りに反対同盟の人たち、社会党や共産党が遠巻きにいた。その中で僕ら全学連は、わずか5人くらいの部隊だったけど「10・8羽田闘争を闘った学生さんだ」と農民の方々に大歓迎されました。次に3月10日の成田市営グランド(現栗山公園)での闘いに行動隊として先頭に立って闘って逮捕されます。でも、起訴されず釈放されて、その後王子野戦病院開設阻止闘争に行きました。
 僕は3月に成田で逮捕されてから三里塚にはずっと来てなかったんだよね。三里塚に対して申し訳ないというかな。何でくい打ちをされた日に引っこ抜かなかったのかなという後悔というか残念だという気持ちがずっと残っていました。
 ----その後再び三里塚を訪れたのはいつ頃ですか。
 5年以上前かな。現地集会に40年ぶりくらいに参加しました。僕は、70年頃に第一線の闘争から退いていたので、市東東市さんも北原鉱治事務局長も全然存じ上げない。今ここにこうしているっていうのが不思議なくらい。サラリーマンを20年くらいやって、45歳の時に会社を辞めて造園技能士の資格をとりました。今72歳なので、それから26年間植木屋をやっています。
 3年ほど前に昔の仲間から「植木やってんだって。ちょっと市東さんの周りの面倒見てくれないか」と言われ、突然、昔の記憶がよみがえって絶対に行かなきゃと思ったんだよね。だから二つ返事で「行くぜ」と。それから毎月一回くらい仕事をしています。

革命を見すえて

 ----学生時代は反戦の思いで立ち上がったのでしょうか。
 いや基本的には革命運動。反戦運動は絶対に必要な闘争なんだけどそのために何かをやるっていうのじゃなくて、革命を見すえた上で勉強し、日常的な活動、様々な闘争をやろうと。
 ----なぜ革命運動をやろうと思ったんですか?
 権力や支配をとにかく突き破りたいという気持ちがあったんだよね。機動隊の壁を見ると、それに突っ込みたくなる(笑)。イデオロギー的に言っても何かを突破するとなったら今のブルジョア社会では革命が自分を解き放つ最高の最良の手段だと思う。最初からそういう気持ちだったよね。
 当時僕らは全学連でなくマル学同(マルクス主義学生同盟・中核派)という意識だった。秋山さんが全学連の委員長になった再建全学連(三派全学連)のときはマル学同だったわけだから。
 ----60年安保は全学連というイメージがありますが、その後厳しかったと聞きます。
 70年安保なんて爆発しないと思われていた。誰か「10・8は青天の霹靂(へきれき)」と言ったけど、本当によく突破できたなと思う。
 だけどやる気はあって、ゲバ棒だけじゃなく、はしごも用意してたんだからね。装甲車の上に上がる時にはしごがいるんだから。
 とにかく佐藤首相の南ベトナム訪問を阻止しようと。多分ゲバ棒を持った最初だったと思うけど、僕は行動隊長だった。第1艇団、第2艇団をつくり、大体後ろは地方の学生と女性部隊だった。みんな石ころをいっぱい持ってさ。それで機動隊の壁の一角が崩れたら、ドーッと機動隊が逃げていって、それを追いかけて行く時の気持ちというのは、信じられないようなものなんだよね。
 あと、10・8前は党派闘争の真っただ中だったからそれぞれが別々に行動をとった。お互い対抗意識があって、負けるわけにはいかないからね。三派全学連だからできた闘争だったと思う。
 『中核』第4号の「東大・日大闘争50年」の中で「すべては10・8羽田から始まった」という一行があるだろ。おっ今の学生さんもこう思ってんのかと感動した。

カラを突き破れ

 ----若者へのメッセージをお願いします。
 運動の継承性・発展性を考えたとき、いかに若い人にメッセージを残し、闘いを続けられるような環境を作り、引っ張っていくか。あるいは下から押し上げていくかという努力をすることが僕らの仕事。
 若い人には、今までのカラを突き破るような闘争をやってほしい。逆に言えば、上が認める闘争に終始してたらダメ。やっぱり超えなきゃ。常に指導部を超える気持ちで闘争に参加してほしいし、行動でそれを示してほしい。
 僕らの例で言えば「佐世保を第3の羽田にせよ」という闘争方針だって、あれは第1次羽田でかなりがんばって、第2次羽田では他の党派に遅れをとったんだよね。その忸怩(じくじ)たる思いがあったから「佐世保を第3の羽田にせよ」て言ったらね、後で本多延嘉書記長(当時)に「そんな方針決めてないぞ」って怒られてね(笑)。でも、全学連の会議で決めて、バンとやったからね。
 ----4月統一地方選挙にはほらぐちともこさんが立候補します。
 僕は前から「何でこういう若くて元気のいい女性を出さないの」と思っていた。だから聞いた瞬間に「やったー」と。僕がほらぐちさんのファンだというのはあるけどね(笑)。絶対に勝たなきゃならない。できることは何でもやろう。
 ----ありがとうございました。