2008年4月14日

団結ひろば 投稿コーナー

週刊『前進』06頁(2339号6面1)(2008/04/14)

団結ひろば 投稿コーナー
 

 第1章 3・16に青年労働者とともに参加した 東京・三多摩 中原一朗

 3・16イラク反戦全世界一斉デモに、青年労働者Aさんとともに参加した。30代フリーターのAさんは、昨年11月集会に続いての参加。デモで、警察権力がデモ隊を分断して何度も足止めを食わされた時はイライラしていたようだったが、デモのあと、4人が不当逮捕されたことを知らされると、「本当に許せない」と怒っていた。
 根津さんについて、「"自分で考え、違うと思ったことには違うと声を出す"ということが誰でもできるようになれば差別も抑圧もなくなるはずだ」と感想を述べていた。そのとおり!
 3月27日、翌28日の都教委定例会を前にした根津さんの申し入れ行動に参加した。この日、都教委は根津さんが座ろうとしたイスを引っ込めて、根津さんにしりもちをつかせるという暴力行為を働いた。
 その直後に来たAさんに事態を説明すると、彼は「ひどいですね。ケガするじゃないですか」と怒った。
 コソコソとエレベーターで逃げ帰ろうとした都教委の1人を引き留めて、根津さんは追及した。「私は、『日の丸・君が代』の強制に従うことが子どもたちを洗脳することにつながる、教師としてそれだけはできない、と不起立をした。間違っているなら、間違っていると言いなさい」
 しかし都教委は、薄笑いを浮かべながら「完黙」で突っ立っているだけ。この態度には本当に怒り心頭に発した。
 これが都教委なのだ。処分しようとしている相手を見据えようともせず、話も聞こうとしない。何が正しいのか「自分で考え」ようともしない。こんなやつらが石原都政を支えているのだ。
 最後にAさんは、「志を同じくする人と団結することで、世の中を変えていきたい」と言っていた。本当にそう思う。団結! 団結! 団結して革命をやろう。

 第2章 京大入学式で革命派がストライキを訴え 京都 碧海

 4月7日、京都大学入学式で革命派が登場しました! 法学部自治会は、オリエンテーションで300人もの新入生を前に「6月にストライキをやろう!」と真っ向から訴えたのです。いまだかつてないほど緊張しましたが、この中に未来の同志がいるのだと思い、希望に満ちたアピールができました。
 サブプライムローン問題から、法大、西郡住宅闘争のことまで、資本主義の破綻(はたん)について語り尽くしました。そして何より強く訴えたのは、「学生には社会を動かす力がある。団結しよう」ということです。新入生は真剣に聴き入り、ワーキングプア弁護士の話や法大、西郡の闘争について特に敏感に反応していました。
 回収した100枚以上の感想用紙には「熱い想いが伝わってきた」「圧倒された」「共感した」「法大や西郡のことはまったく知らなかった。許せない」というものや、「ストをしたらどうなるのか知りたい」「ストを身近に感じた」というものが何枚もありました。
 わたしたちがより具体的な方針や展望を示すことが求められているのをあらためて実感しました。京大でもすごいことが起こっているんです! 全国の学生、労働者は団結の旋風を巻き起こしましょう!!

 第3章 豪雨の中で都立高校入学式ビラを貫徹 東京・西部 T・M

 4月8日、都立高校で一斉に入学式が行われ、私ももう一人の同僚とともに杉並区のある高校の正門朝ビラ入れを担当することになりました。
 当日は、天気予報どおり、あいにくのすさまじい横殴りの雨と強い風。同僚の傘はたちまちこわれてしまいました。しかし、ビラは薄いビニールの袋に1枚1枚入れておいたので、安心です。衣服はビショビショにぬれましたが、ビラは全然ぬれませんでした。
 「不起立で石原を倒そう」「不起立で10・23通達をなくそう」と声をかけながらまきましたが、雨にもかかわらず次々に受け取ってくれました。「ごくろうさま」「雨なのに大変ですね」と声をかけてくれる人もいて、結局、雨天でないときにまける数と全然変わらない数をまききることができました。
 また、通勤して来る教職員の表情が、卒業式のときと比べてとても明るくなっていることを同僚とともに実感しました。根津さんの解雇をうち破ったことが、東京の教育労働者の階級的魂を大いに揺さぶっていることだろうと思います。
 1時間のがまん道場のようなビラまきになってしまうかなという不安があったのですが、大きな手ごたえを感じた豪雨の中のビラまきでした。

 第4章 横浜事件「免訴」の反動判決を弾劾する 迎賓館・横田爆取デッチあげ弾圧裁判被告 須賀武敏

 3月14日、戦時下最大の言論弾圧とされる横浜事件の再審で最高裁は、有罪か無罪かの判断をしない「免訴」判決を言い渡した。
 私はこうした最高裁による、真実と事実を詭弁(きべん)によって隠蔽(いんぺい)・絞殺する司法犯罪を絶対許すことはできない。
 横浜事件の真実とは何であったか。それは特高警察が帝国主義戦争に反対する民衆の声を圧殺するために、残虐きわまりない拷問により虚偽の自白をさせて事件を捏造(ねつぞう)した思想・言論弾圧事件であり、それに司法が加担した犯罪が厳しく問われる事件であった。
 実際、治安維持法弾圧で拷問を受けた被害者は20万人。うち2千人が獄死。横浜事件でも4人が拷問死している。再審公判では、この問題の深刻さと重大さ、死をもたらした特高警察の拷問の実態がリアルに暴き出され、立証された。だからこそ東京高裁も再審開始を認めざるをえなかった。にもかかわらず最高裁は、無罪判決を出せば司法の戦争責任が厳しく問われることに恐怖して、そこから逃げるために「免訴」を言い渡したのである。
 今日、最高裁は再び戦争への道を掃き清めるために、裁判員制度を柱として戦時司法への転換を強行しようとしている。戦後憲法を司法権力が自ら破壊する攻撃に出ているのだ。
 3月27日の福嶋昌男同志への控訴棄却の極反動判決もその一端だ。私たちの差し戻し審もこれから始まるが、司法犯罪を徹底的に暴き弾劾する闘いをやりぬき、再び無罪判決をかちとりたい。それが横浜事件の遺族と弁護団の闘いに連帯する道だと思っている。

 第5章 東拘で面会―内田君が頼もしく見えた! 学生 村雨省吾

 「接見禁止が解けた!」――弁護士からこの一報を聞き、3月26日、ただちに東京拘置所に飛び、内田君と面会することができました。
 内田君は、半てん姿で面会室に現われ、とても元気そうでした。前日、法廷でお互い顔を合わせたばかりで、「久しぶり」という感じはまったくなく、同じ闘いを闘っているのだと実感しました。
 内田君は、接見禁止解除にも「一喜一憂」することなく、獄中闘争を自分の闘いの場として闘う決意を語ってくれました。ガラス越しに見えた内田君の落ち着いた姿からは、獄中闘争を現在進行形で闘い抜いている凄(すご)みと、獄外とは違う「時間」の流れを感じました。
 許せないのは面会時間です。内田君に限らず、拘置所に面会に来るすべての人が、たったの11分なのです。
 翌々日、東京高裁が地裁の決定をくつがえし、またしても接見禁止が決定されました。東京高裁は、あらためてあいまいさのない国家権力の立場を鮮明にさせたのです。今度こそ、必ず「保釈」=奪還をかちとるぞ!