2008年8月18日

4者・4団体路線に現場の怒り 国労大会

週刊『前進』06頁(2355号3面4)(2008/08/18)

4者・4団体路線に現場の怒り
 国労大会 屈服和解策動を徹底弾劾

 国鉄1047名闘争は、その存亡のかかった一大分岐点に立っている。7月30、31日、静岡県伊東市で開かれた国労第76回定期大会は、1047名闘争の危機をまざまざと突き出した。
 7月14日の鉄建公団訴訟控訴審における南裁判長の裁判外和解の提案と、国交相であった冬柴の「解決に向けて努力する」との発言を受け、国労大会で高橋伸二委員長は「大会の名において裁判所からの提案を受け入れる」と言明した。あろうことか高橋委員長は、「大臣の言明はまさに真夏の日輪がほのかに黎明(れいめい)を兆す朝を象徴するもの」「発言を受け止めた闘争団遺族の思いは、両衫(りょうさん)を湿らせるがごとき感慨にある」と言って冬柴にひざまずいた。公明党出身の冬柴に向けて、ことさら宗教めいた言辞を連ね、こびを売ってみせたのだ。なんとおぞましい光景か。国交省(旧運輸省)こそ、国鉄分割・民営化で20万人もの国鉄労働者の首を切った張本人ではないか!
 国労本部がこうまでして持ち上げた冬柴も、大会翌日に行われた内閣改造で閣外に去った。政治解決などなんの展望もない。にもかかわらず国労本部は、「不採用問題解決の流れはもはや不動のものとなった」と唱える一方、「妨害に動じるな」と叫んでいる。それは、一切の反対を押しつぶして、1047名闘争を敗北のうちに一刻も早く終わらせるということだ。4者・4団体の枠組みで開かれる「10・24中央集会」も、「これで有終の美を飾る」ものとして位置づけられている。
 大会議事は「4者・4団体の団結を解決の出口まで堅持する」という大合唱に終始した。

 第1章 被告団先頭に本部打倒訴え

 だが、鉄建公団訴訟原告を始め、現場の組合員は断じてこんな屈服など受け入れない。
 大会会場のホテルに駆けつけた5・27臨大闘争弾圧被告団や、原則的闘いを貫く鉄建公団訴訟原告、国労共闘は、4者・4団体路線を批判するビラを大会参加者に配布して、解雇撤回闘争の貫徹と本部打倒を訴えた。
 大会1日目、闘う現場組合員が傍聴を求めて代議員・傍聴者受付まで赴くと、会場係の後ろに公安刑事が並び、弾圧の機会をうかがった。会場内に警察を引き入れるなど、かつてない事態だ。この露骨な権力の介入に、会場係は誰ひとり抗議しない。国労本部は5・27臨大闘争弾圧の再現をあからさまに狙ったのだ。権力の導入を弾劾する闘う組合員の怒りの声が響く中で、会場係は皆、首をうなだれた。
 解雇撤回の原則をあくまで貫き闘う者と、これを投げ捨て、警察と結託して闘いを抑えつけようとする者との対比は鮮明になった。4者・4団体路線を推進する者にとって、国家権力は打倒すべき対象ではなく、どこまでもすがりつく相手でしかない。
 大会2日目、闘う現場組合員は再度、代議員受付前に登場し、大会傍聴と公安警察の排除、解雇撤回の貫徹を求める申入書を突きつけながら、本部を弾劾し続けた。
 九州の鉄建公団訴訟原告も、和解解決を批判し、JR職場における反合理化闘争の強化を訴えるビラを独自に配布した。現場の闘争団員の意思は、あくまで解雇撤回を貫くことにある。

 第2章 解雇撤回を貫けば勝てる

 今日、鉄建公団訴訟原告団の一部幹部は、国労本部以上に4者・4団体路線の積極的推進者に転じている。だが、鉄建公団訴訟は本来、国労本部の裏切りに抗して解雇撤回闘争を貫くために起こされた闘いだ。一人ひとりの闘争団員がその原点に立ち返り、4者・4団体路線を粉砕して、敗北の道を拒否しよう。
 解雇撤回の原則を貫いて闘えば、1047名闘争は勝利できる。その絶好機が来ている時に、解雇撤回を捨て、敵にはいつくばれというのが4者・4団体路線だ。
 世界金融大恐慌とインフレが世界を覆う中で、労働者階級は至るところで怒りの反乱に立ち上がっている。日本において国鉄分割・民営化を切っ先に始まった新自由主義の攻撃は、青年労働者を始めとする労働者階級の闘いによって迎え撃たれている。1047名闘争が、こうした労働者の怒りを束ね、その先頭に立って闘えば、プロレタリア世界革命に向けた壮大な展望を切り開くことはできる。1047名闘争の勝利は、まさにこうした闘いの中に存在する。
 JR体制は今や完全に破産をあらわにした。反合・運転保安路線のもと、JR資本と非和解的に対決してきた動労千葉に、平成採の青年労働者が結集し始めた。これは、JR体制への平成採の反乱がついに開始されたということだ。JR労働運動をめぐる巨大な流動はますます激しくなっていく。青年労働者を闘いの戦列に迎え入れ、JR体制を打倒する第2次国鉄決戦を動労千葉とともに貫いてこそ1047名闘争は勝利できる。
 国労本部打倒を掲げて不屈に闘う5・27臨大闘争弾圧被告団は、旧弁護団解任によって4者・4団体路線への屈服を拒否し、国労の中に動労千葉に続く階級的労働運動をつくり出す不抜の拠点へと自らを打ち鍛えた。
 国労大会をめぐる攻防で、4者・4団体路線絶対反対派は確固としてその姿を現した。第2次国鉄決戦の突撃路は切り開かれたのだ。