2008年10月 6日

“労働者には無限の力が” 国労5・27弾圧裁判 東被告が法廷圧し宣言

週刊『前進』08頁(2362号3面5)(2008/10/06)

“労働者には無限の力が”
 国労5・27弾圧裁判 東被告が法廷圧し宣言

 9月26日、国労5・27臨大闘争弾圧裁判の第95回公判が東京地裁刑事第10部(植村稔裁判長)で開かれ、東元(あずまはじめ)被告への被告人質問が行われた。
 公判の冒頭、橘日出夫被告が意見陳述に立ち、7被告によって解任された旧弁護団らに「特別傍聴」を認めている裁判長を弾劾した。松崎博己被告との弁論分離をかちとった7被告にとって、松崎被告の弁護人となっている旧弁護団が法廷に来ること自体、許し難いことだ。橘さんは、松崎被告が4者・4団体の主催する10・24集会を公然と賛美している事実を挙げ、これを擁護する旧弁護団に怒りをたたきつけて、「特別傍聴を辞退せよ」と声を強めた。
 東さんへの被告人質問は、国鉄分割・民営化以来、不当配属の中でうつ病になりながら、あくまで闘いを貫いてきた人生を感動的に描き出した。
 貧しい家庭に育った東さんは、子どものころから社会の矛盾を強く感じていたという。
 大阪の森ノ宮電車区分会青年部で活発に活動していた東さんは、分割・民営化攻撃の中で人材活用センターに送られた。
 1986年10月の国労修善寺大会後、国労旧主流派は鉄産労を結成し、国労を脱退した。東さんのいた森ノ宮電車区分会でも、執行部を先頭に多数の国労組合員が脱退させられた。東さんは分会再建の闘いに取り組み、87年2月の分会再建大会で分会執行委員に選ばれた。分会委員長には橘さんが就任した。
 JR発足後は、鉄道本来業務を外され、喫茶店や輸入肉販売、コンクリートの支柱づくり、駐車場管理などの仕事に就かされた。仲間と会話する機会もない孤立した職場である駐車場に配属される中で、東さんはうつ病を発症した。それは、96年の8・30申し入れで国労が国鉄改革法を承認し、「JRの発展に寄与する」と全面屈服する過程と重なっていた。
 東さんは、「労働者の団結が解体されることと、病気になることは不可分の関係がある。私が病気と闘い、日常の労働や生活ができているのも、国労共闘の仲間や国労組合員との団結を求めて絶えず闘っているからだ。闘う以外に自分を維持できない」と述べた。5・27臨大における東さんの決起も、団結を求めての行動だったのだ。
 東さんは、国鉄分割・民営化反対の動労千葉ストライキの支援に駆けつけた体験に触れ、「動労千葉の根幹にあるのは職場生産点の闘いを一切の土台に据えていること」「動労千葉は国鉄当局やJR資本と一歩も引かずに闘いぬくことで、心と血の通った組織をつくりあげてきた」と動労千葉への共感を熱く語った。
 まとめの言葉を述べた東さんは、森ノ宮電車区分会青年部の時代に『共産党宣言』の学習会をする中で「ブルジョアジーの没落とプロレタリアートの勝利は不可避だ」という言葉に出あい、「労働者階級には無限のエネルギーがあることをつかみ、今までの狭い世界がパッと広がるときめきを感じた」と語った。その確信こそが、病気と闘いながら、資本や権力と不屈に対決してきた東さんの根源にあるものだ。
 弁護団の質問に答え、東さんは検察官や裁判官の質問には一切黙秘すると宣言。検察官の質問に黙秘を貫いた。
 次回公判は原田隆司被告への被告人質問が行われる。白熱的攻防にある公判傍聴に結集しよう。