2009年2月 9日

書評 新版『甦る労働組合』 元全学連委員長鎌田雅志

週刊『前進』06頁(2378号4面3)(2009/02/09)

書評 新版『甦る労働組合』
 大恐慌=革命情勢下で説得力増す闘いの教訓
 元全学連委員長 鎌田雅志

 この種の本は、写真を見て色々なことを思い出し読み始めるまで時間がかかることがある。本書の場合は表紙の所で時が止まってしまった。真ん中でこぶしを振り上げている白ヘル姿の人は、私の出身大学である横浜国大によく来てくれた吉岡正明さんだ。当時は反対同盟も動労千葉も大学や地方の集会にはなるべく同じ人を派遣していた。そうやって強い絆をつくってきた。吉野さんはきりっとした二枚目で、教宣部長で話もできたからファンが多かった。

 第1章 90年3月スト

 90年3月ストの時は千葉刑務所にいた。国鉄1047名の解雇撤回闘争を生み出した歴史的なストは強烈に印象に残っている。春の行楽シーズンの連休中に午前中乗客を運んで午後からストに入った。大混乱したのは当然。ラジオと新聞の情報だけだが地元だからその騒ぎは伝わってきた。感激した。ちょうど天皇の代替わりの大決戦だった。やっぱり動労千葉だ!と。
 ただ、このストについては『共産主義者』157号の菅沼論文を読むまでは、動労千葉がストで90年天皇決戦の先陣を切ったという認識だけだった。実は、あの天皇決戦の攻防のただ中で国鉄闘争が日本労働運動の未来を決める重要な攻防を迎えていたのだ。この動労千葉の渾身(こんしん)の決起が90年の階級決戦に火をつけた。前倒し84時間ストの強烈な迫力は、国鉄攻撃への階級的な怒りそのものだった。それが1047名闘争を生み出した。そして今再び国鉄分割・民営化反対闘争の終結を狙う勢力と闘う勢力がせめぎあう情勢が生まれている。
 国鉄闘争がどう闘われてきたかを今の地平からとらえることは大事なことだ。「階級闘争論として、労働運動論として国鉄分割・民営化攻撃を見ないといけない」と語られている。
 国鉄に37兆円の借金を背負わせて偽装倒産させて新会社をつくった。この過程で大量首切りを強行し、国労を解体した。大方の見方は、分割・民営化はできないというものだった。実際に現職の国鉄総裁が反対していた。確かに「抵抗勢力」は大量にいた。国労委員長も「やるときはやる」と言っていた。
 だが彼らは何も理解していなかった。ヤミ・カラキャンペーンと「国鉄労働者国賊」論。現場では、動労カクマルを先兵に国労つぶしが進行し、自殺者と大量脱退が続いた。分割・民営化攻撃は、現場労働者、労働者階級そのものに照準をあてた階級性解体攻撃として激しく進行した。国労・総評に代表される体制内労働運動は、ここから完全に目をそらしていた。
 85年のストに向かう著者の思い。「もっぱら不安をかき立ててばかりいる国鉄当局に対する憎しみ、怒りが激しくわき上がった」とある。私は、国鉄職員だった父や伯父の姿を見て毎日の安全輸送こそが「国鉄マン」の誇りなのだと思っていた。そのすべてをはぎ取っていった国鉄攻撃。動労千葉だけが誇りを捨てなかった。ここに徹底的に依拠して闘うことなのだ。
 「ストライキで闘って動労千葉の団結をより強固にする以外にない、闘ってこそ団結は強化される」。この言葉が説得力をもって迫ってくる。
 道州制攻撃は「全員解雇、選別再雇用」の国鉄型攻撃だ。しかし、当時と決定的に違うことがある。それは、世界金融大恐慌情勢=革命情勢の存在と動労千葉の勝利の教訓だ。だから「はじめに」の言葉も非常に説得力をもっている。
 「労働者を軽んじ、蔑視(べっし)する考えに取り込まれない限り労働者は必ず勝てると確信している……自分たちの労働組合を甦(よみがえ)らせ、労働運動の現状を変革することだ。それこそが今、最先端の変革である」

 第2章 資本と闘う組織

 労働組合は資本と闘うための組織だ。徹底的に労働組合を重視しなければ、プロレタリア革命はできない。労働組合という組織をどうするかを革命党は真剣に考え、そのヘゲモニーを握り革命に労働者を組織していかなくてはならない。革命の根本問題だ。
 マルクス主義についても「一人ひとりの労働者の持っているエネルギー、労働者性に基礎を置く。これがマルクス主義の真髄だ。それがなければプロレタリア革命は成り立たない」と語る。こういうマルクス主義の理解は、衝撃だ。少しも難解なことを言っていない。
 電車の中で読み継いできたので読み込めていない。ただ、いつもそばにおいて繰り返し手に取り、学習会を組織し、売りまくる活動が死活的だと感じている。そうしたいという意欲がわいてくる。