2009年4月13日

尼崎事故から4年 4・25現地闘争アピール

週刊『前進』06頁(2387号2面1)(2009/04/13)

尼崎事故から4年 4・25現地闘争へアピール
 進むJR西日本の安全崩壊
 第2次国鉄決戦の火柱を
 動労千葉とともに 全労働者の怒りの結集へ

 尼崎事故4周年が近づいている。JR西日本の安全崩壊はすさまじい勢いで進行している。これに体制内指導部が全面的に加担している。国鉄労働者はこの現実を絶対に容認できない。職場には「事故責任は労働者にあり」に対する不満と怒りが充満している。今こそ闘いに立ち上がろう。動労千葉の反合理化・運転保安闘争は、その怒りに火をつけ、JR資本を追い詰める闘いだ。安全の崩壊というJR資本最大のアキレス腱を断ち切り、動労千葉派こそがJR労働運動の主流派に躍り出よう。それが尼崎事故への唯一の回答だ。

 第1章 民営化で現場労働者が今も殺されている!

 JR体制は超危機的状態になっている。資本が生き延びるためなら労働者が死のうが何でもするというのがJR体制であり、その行き着いた先が尼崎事故だ。
 JR西日本は、107人の乗員・乗客の命を一瞬にして奪った尼崎事故の責任を居直り、極限的な合理化で一層、安全の崩壊を推し進めているのである。
 JRの安全崩壊は、もはや一日たりとも許せない。JR体制を打倒しなかったら、労働者は次々と殺される。労働者階級とJR体制は非和解だ。
 破産したJR体制を打倒する労働者の決起を4・25尼崎闘争でつくろう。JRとJR体制内労組指導部と非和解的激突を開始して、青年労働者の決起をつくりだそう。
 安全崩壊の矛盾は、青年労働者に集中的に転嫁されている。

 第1節 効率優先させ死亡事故続発

 2月20日、山陽本線・明石駅—西明石駅間で作業中の労働者の命がJR西日本により奪われた。線路内で重機械を使用する作業は、原則として列車が走っていない夜間の線路閉鎖時間帯にしなければならないのに、「作業効率優先」で、隣接線に列車が走っている時に作業を強行し、作業員が列車にひき殺された。
 2・20明石事故の工事監督の責任者は21歳の青年労働者だった。今やJR西日本で、JR社員が線路閉鎖工事の監督者として責任をとる工事は皆無に近い。重機使用時と橋梁(きょうりょう)交換や大規模な線路交換などの工事以外は、すべて下請け会社に工事の監督を丸投げしている。
 重機使用時の工事で、独断でしかも直前に「工事計画変更」がされ、旋回リミッターや列車接近警報装置といった安全装置が解除される「違反行為」があったにもかかわらず、21歳の青年労働者は直ちに「中止命令」を出せなかった。JR西日本はこの間「営業線近接工事示方書」という「安全規定」を改悪し、「やむをえない場合は重機使用の作業でも線路閉鎖は不要」と安全基準の歯止めを外していた。
 自ら安全を崩壊させたJR当局が「なぜ工事を中止させなかったのだ」と現場労働者を責め、責任を転嫁したのだ。断じて許せない。線路閉鎖工事のすべての監督責任をJR責任体制に戻せ。さらにJR資本は、あらゆる「安全規定」を改悪し、労働者を殺している。
 8年前にも明石付近の朝霧橋梁で事故が起きている。01年1月24日、当時21歳だった青年が、橋梁枕木の作業中、背後から来た列車に跳ねられ殺された。「触車事故防止要領」に「簡易な検査・調査の場合は……」という例外規定を設け、最低2人以上の列車見張り体制がなければ入れない線路に「簡易だから見張りなしで入れ」という業務命令を出して線路内作業をさせていた。5分に1本列車が走るアーバン(都市部)線区で、見張りなしに線路内作業をさせる業務命令自身が殺人行為そのものだ。
 07年6月1日には津山線で、進来してくる列車に気づいた労働者が、高さ約4㍍の橋梁から飛び降りて骨折する事故が起きた。とっさに飛び降りていなかったら、朝霧橋梁事故が繰り返されていた問題だった。
 06年1月24日の伯備線事故も同様だ。21歳の青年1人を含む3人が保線作業中に特急列車に跳ねられ殺された。当時、工事責任者だった23歳の青年は禁固3年の判決を受けた。「悪天候時は作業を中止」という業務指示を出さなかったJR西日本の管理責任は一切問われず、その規定を教えられなかった青年に一切の責任を負わせたのだ。
 昨年12月28日には、広島支社管内の山陽本線・中野東—瀬野間でレール破断が起きた。
 現在の列車は、高速化・ボルスタレス台車化により、車輪でレールを削りながら走っているようなものだ。それによって進行するレールの「シェリング(貝殻状)傷」を発見する探傷業務も全面外注化されたため、発見できなくなっている。
 これは車両の高速化・軽量化、検査の合理化・外注化が引き起こした事故だ。この種のレール破断はJR西日本管内のカーブ区間全体で起きており、第2の尼崎事故に至る重大な事故だ。尼崎事故を起こしながら、JR西日本は安全を守る気など1ミリもない。

 第2章 事故の責任を運転士にすべて押しつけたJR

 重層的な下請け化・合理化により、安全性の崩壊はもはや後戻りが利かない。JR資本は組織の深部から事故を爆発させ続けている。
 労働組合と労働者の団結を根絶する攻撃と一体となって、外注化・委託化・非正規化が極限まで進められている。JR西日本は、運転士以外は車掌も含めて派遣または契約社員に切り替えようとしている。駅関係の契約社員化、保線・電気・車両の関連企業化・子会社化などが果てしなく続き、すべての工事監督の責任は下請け会社に丸投げされている。つまりJR資本は、事故の責任まで現場労働者と下請け会社の労働者に転嫁しているのだ。
 JR西日本が尼崎事故直後の05年5月30日に発表した「安全性向上計画」は、安全闘争つぶし、団結破壊の攻撃だ。

 第1節 資本の先兵=体制内派組合

 「安全性向上計画」の中でJR西日本は、「国鉄時代の反省に基づいて取り組んできた」「信賞必罰を基本とした職場管理の徹底」などと言っている。国鉄時代は労働組合が職場を支配し、安全闘争を闘ってきた。JR西日本はその状態を覆し、JR資本に反抗して労働者の権利を主張する者や安全闘争で無謀な業務に抵抗する者に対しては、「必罰」を基本とした職場管理を徹底し、労働組合の団結破壊をとことんまで追求してきたのである。また「安全性向上計画」は「個人の責任追及を重視する風潮を醸し出していた」とも言っている。
 これは、JR西日本の「稼げ」「同業他社をしのぐ強い体質づくり」というスローガンに示される「強労働・利益優先・安全無視」が引き起こした事故の責任を、すべて労働者個人に転嫁し、懲罰でしかない「日勤教育」をやりまくってきたということだ。
 尼崎事故から4年間、JR西日本は地に落ちた職場支配体制を再建するために、事故を労働者支配の道具として使い、「尼崎事故を起こした責任は社員一人ひとりにある。遺族に謝罪せよ」という団結破壊を仕掛けてきた。高見運転士を犠牲者数から外し、亡くなった「106人への黙祷(もくとう)」を毎朝点呼時に強要し、全社員に「反省文」を書かせ、事故現場への「慰霊」「献花」「立哨」運動を強いてきた。そして労働組合を丸ごと会社防衛隊にさせる「労使安全会議」に引き込み、JRに対する責任追及闘争を徹底的につぶしてきたのだ。
 それに屈服したのが国労・JR連合・JR総連指導部である。彼らは遺族から「労使ともに腐っている」と言われるほどに、会社の先兵と化している。
 事故の責任を現場の労働者個人に転嫁する「安全性基本計画」を、今こそ国鉄労働者の内部からの決起で爆砕しよう。

 第3章 国鉄1047名闘争の新たな出発点を築こう

 今や世界大恐慌がJR資本を直撃し、極限的な安全破壊を加速させている。乗降客や輸送量の激減は、特にJR貨物において著しい。昨年9月のリーマンショック以来の半年間で輸送量は12%も減少し、貨物列車は空気を運んでいる状況だ。
 危機に陥ったJR貨物は、年度途中の3月15日、社員割引制度(旅客会社を使った時、交通費の2分の1をJR貨物が負担する制度)を一方的に廃止した。これだけでも、賃下げ攻撃粉砕としてストで反撃すべき問題だ。こうした攻撃が、賃金面だけでなく解雇として労働者に襲いかかってくることは明白だ。
 大恐慌が激化する中で、JR東海の中央リニア構想も、JR西日本の大規模駅建設による集客構想(大阪駅・京都駅など)も、JR東日本の新型車両投入構想もすべて吹き飛んだ。これに加え、JR資本が安全投資を極限まで削減してくることは間違いない。そうなれば、今でもとどまるところを知らないJRの事故がさらに激発するのは目に見えている。

 第1節 4者4団体派と徹底対決を

 4・25尼崎現地闘争は、破産したJR体制と全面的に激突する闘いだ。時あたかも、国鉄1047名闘争が今、最大の決戦局面を迎えている。3月25日の鉄建公団訴訟控訴審判決は、「不当労働行為があっても解雇は有効」として、1047名闘争の分断と最後的圧殺をもくろむ超反動判決だ。これに屈した4者4団体幹部は、一層「政治解決」路線にのめり込み、政府・自民党への土下座運動に闘争団員を引き入れようとしている。
 1047名の解雇撤回は、JR体制を闘争団とJR本体労働者の手で打ち倒すことによってかちとることができる。4・25尼崎闘争は、JR資本と根底から対決する新たな1047名闘争の出発点となる闘いだ。それはまた「労使安全会議」に加わり、JR資本の防衛に躍起となる国労西日本本部を打ち倒し、国労を階級的労働組合につくりかえる闘いでもある。
 動労千葉のように職場から運転保安・安全闘争を徹底的に闘い、JR体制を打倒しよう! 全国から4・25尼崎闘争へ!