2009年6月 8日

「戸村一作生誕100年記念会」開く “戸村精神継承を”

週刊『前進』06頁(2394号4面5)(2009/06/08)

「戸村一作生誕100年記念会」開く
 萩原進さん“戸村精神継承を”
 多くの参加者が闘いの意義語る

 空港反対表す鉄材彫刻並ぶ

 5月31日、成田市の三里塚教会で「戸村一作生誕100年記念会」が開かれた。キリスト者、芸術家にして革命家、三里塚芝山連合空港反対同盟の指導者であった戸村一作委員長が1979年に亡くなり30年、生誕から100年の今年、同教会の主催で記念会が取り組まれ、家族、教会関係者、反対同盟などが多数参加した。
 戸村委員長が空港反対闘争などをテーマにして生み出した鉄材を使った彫刻の作品群は、以前は教会の庭のあちこちに木々や雑草とともに置かれていたが、この日はサビをきれいに落とされ庭と鍛冶場(かじば)跡に展示されていた。有名な「闘う大木よね」と題した作品は、代執行時の大木よねさんの怒りを体現し続けている。教会堂内には油彩画、スケッチ、小説原稿、さらに戸村委員長の「真理はあなたに自由を与える」と書かれたヘルメットも展示されていた。

 北原事務局長「全国の希望」

 会は三里塚教会責任牧師の國安敬二さんのあいさつで始まった。「日本農民の権力に対する闘いとしても今日は特別に大きな意味がある。本当の平和と民主化の力となると信ずる」と述べた。
 続いて反対同盟を代表して北原鉱治事務局長があいさつした。「新空港計画は富里案が破産したあと、三里塚に突然やってきた。66年6月22日に発表されわずか2週間後の7月4日に閣議決定。こんなことは絶対に納得できない、と闘ってきた。三里塚は全国の闘う人びとの希望になっている」と委員長とともに率いてきた闘争の意義を静かに語った。
 続いて反対同盟顧問弁護団の葉山岳夫弁護士は、68年2・26闘争で戸村委員長が警察の警棒乱打で大けがをし、権力への激しい怒りをかき立てて立ち向かう転機となったことに触れ、「現在の三里塚闘争に戸村精神が脈々と受け継がれている。これある限り三里塚は勝利する」と確信も固く語った。

 “三里塚は日本のコミューン。

 戸村委員長の弟であり教会信徒の戸村義弘さんは、歴史学者・羽仁五郎が送った戸村さんへの弔辞(79年)を読み上げた。「三里塚は日本のパリ・コミューンだ。戸村一作は倒れてもなお彼を生んだ三里塚の闘いは倒れない。日本人民解放の先頭に立つ三里塚を世界の人民が見守っている」
 おいの戸村次男さんが「造形表現から見える伯父・戸村一作」と題し、影響を受けた画家や生まれ育った環境、作品の特徴などを丹念に解き明かした。さらに教会員の松本憲造さんがスライドを駆使して、戸村委員長の生い立ちや闘争指導者としての活動を跡づけ解説した。市東孝雄さんの農地をめぐる裁判攻防にも触れた。
 反対同盟の萩原進事務局次長は、「戸村さんは破防法適用が検討されるくらい激しい存在だった。敵との関係を『水と油』と言いきり、労農同盟論を訴え、階級的先見性を持った偉大な指導者だった。その遺志を引き継いで闘う」と決意を表した。まさに階級敵との一切の妥協を排し、革命の意志を貫いた戸村精神を、今われわれこそが自らのものとして立ち上がる時だ。
 ご子息の戸村勝二さんの閉会のあいさつで会は閉じたが、雨が降る中で参加者同士は名残惜しく故人の思い出を語り続けた。
 (田宮龍一)