2009年6月29日

全金本山 菅原さん偲ぶ会 ”最後に勝つのは労働者”

週刊『前進』06頁(2397号6面3)(2009/06/29)

全金本山 菅原さん偲ぶ会開く
 ”最後に勝つのは労働者”

 6月7日、全金本山労組・菅原徹さんを偲(しの)ぶ会が仙台市内で行われました。菅原さんは全金本山労組の副委員長などを歴任し、34年に及ぶ争議に勝利し「解雇撤回・職場奪還」を果たした本山闘争を先頭で闘い抜いた人です。菅原さんご自身も2005年3月に職場復帰をかちとり、60歳の定年年齢を越えて07年12月まで本社工場での闘いを貫きました。そして、昨年開校したみやぎ労働学校の呼びかけ人として、青年に闘いの魂を伝え始めた矢先の逝去、享年64歳でした。
 偲ぶ会では、菅原さんとの思い出が口々に語られました。「本山のマルクス主義者」として「事実は真実、事実を直視せよ」が口癖だった菅原さん。お酒をこよなく愛し、物販オルグで全国に団結を広げた菅原さん。「労働学校、もう少しやってみたいなあ」と語っていた菅原さん。そして、3月8日の動労千葉結成30周年レセプションに「絶対に行きたい」と涙していた菅原さん。まさにその3月8日の朝、菅原さんは帰らぬ人となりました。
 偲ぶ会に参加した動労千葉の田中康宏委員長は「菅原さんほど”生涯一労働者”という言葉が合う人はいない。日本労働運動に金字塔を打ち立てた本山闘争を生かすのはこれから」と決意を込めて発言。全金本山の組合員からも「彼が目指した”労働者の世界”を実現するために闘う」「ストライキを構えて闘う」と決意表明がなされました(全金本山労組は、6月11日に37年ぶりにストライキを決行!)
 私と菅原さんが出会ったのは11年前、私が大学に入学したばかりのころでした。”一人の首切りも許さない”という生きざまに、「この人、かっこいいなあ!」が第一印象でした。私が持病で入院した時には、ひょっこりとお見舞いに見えて、固い握手で元気づけてくださいました。
 昨年は体調が優れないにもかかわらず、春と秋の三里塚全国闘争、そして11月の全国労働者総決起集会に最先頭で参加されました。11月集会でお会いした時に、「私は自分のことマルクス主義者だと思っているんですよ。資本家連中が大恐慌だなんだってごちゃごちゃ騒いでも、最後に勝つのは労働者だってね」と語られた笑顔を忘れることができません。
 4者4団体を始めとする体制内労働運動の指導部が雪崩を打って資本に屈服する中、それとは正反対に菅原さんが最期まで貫かれた「一人の首切りも許さない」労働者の生き方を絶対に青年労働者の中に継承します! 
菅原さん、どうか温かく私たちの闘いを見守っていてください。絶対に勝利します!
 (投稿/宮城・青年労働者 A)