2009年10月12日

運転士登用差別高裁逆転勝訴 不当労働行為を認定

週刊『前進』06頁(2411号2面3)(2009/10/12)

運転士登用差別高裁逆転勝訴 JR体制打倒への号砲
 不当労働行為を明快に認定

 東京高裁は9月30日、動労千葉組合員に対する運転士登用差別事件について、1審判決と中労委命令を取り消し、組合側完全勝利の判決を出した(前号速報)。判決は「JR東日本は所属組合を理由に当該組合員を不利益に扱い、動労千葉の弱体化を図った」と不当労働行為を明快に認定し、「1998年1月1日付けで運転士に発令したものとして取り扱わなければならない」とJR東日本に命じた。
 これは、動労千葉の団結と、不当労働行為根絶の不屈の闘いがもぎりとった成果であり、同じ運転士登用差別事件を巡って昨年12月に出された動労水戸の最高裁勝利判決と一体の大勝利だ。

 極悪の組合差別

 この事件は1980年、81年、82年に国鉄に採用された動労千葉組合員を、国鉄時代に運転士免許を取得していたにもかかわらず、動労千葉の組合員であるというだけの理由でJRになってからも運転士に登用してこなかったというものだ。“ストをやるような組合にいたら運転士にはしない”という極悪の不当労働行為だ。
 動労千葉は、1047名解雇撤回闘争、反合・運転保安闘争と一体で、百人に及ぶ組合員の強制配転と、運転士登用差別の解決を最重要課題に位置づけてきた。
 今回の高裁判決文は、以下のJR東日本幹部の発言を引用している。
 「会社にとって必要な社員、必要でない社員のしゅん別は絶対に必要なのだ。会社の方針派と反対派が存在する限り……おだやかな労務政策をとる考えはない。反対派はしゅん別して断固として追及する。処分、注意、処分、注意をくり返し、それでも治らない場合は解雇する」(松田昌士常務取締役=当時、87年5月)。「このような人たち(分割・民営化に反対する人たち)が残っているということは非常に残念だ。このような迷える子羊を救っていただきたい。皆さんがこういう人たちに呼びかけ、話し合い、説得し、皆さんの仲間に迎え入れて頂きたい」(住田正二代表取締役=当時、87年8月、JR東労組定期大会でのあいさつ)。
 まさに怒りなしに読めない。国鉄分割・民営化攻撃の過程で20万人の労働者が職場を追われ、7628人がJR不採用となった。90年には1047名が国鉄清算事業団からも解雇された。動労本部カクマル(現JR総連カクマル)と結託した当局は「血の入れ替え」と叫んで広域配転で動労の運転士を首都圏に送り込み、東京管内ではほとんどの国労組合員を運転職場から排除した。
 動労千葉に対しては、運転業務7千㌔を東京に移管して仕事を奪い、強制配転、組合脱退強要、相次ぐ拠点職場の廃止、運転士登用差別などを続けてきた。当局・カクマルが結託した異常な労務支配のもと、あらん限りの不当労働行為の山の上に民営化体制はかろうじて成り立ってきたのだ。

 階級的団結守り

 動労千葉は、こうした攻撃に一人ひとりの組合員が激しい怒りを燃やして立ち向かい、労働者としての誇りを貫き、階級的団結を守ってきた。
 その対極で、JR体制はその矛盾を爆発的に噴出させ、新自由主義攻撃の破綻を満天下にあらわにしている。どちらが勝利者かは明らかだ。
 動労千葉は、07年定期大会で「国鉄分割・民営化攻撃に対する勝利宣言」を発し、本格的な組織拡大に踏み出すとともに、1047名闘争の責任勢力として登場しようとしている。今回の勝利は、こうした動労千葉の前進の中でかちとった勝利であり、いかなる国家的不当労働行為も階級的団結の力で必ずぶち破れることを示した。労働者階級の側から、国鉄分割・民営化攻撃にいよいよ革命的決着をつける時が来たことを告げ知らせているのだ。
 11・1労働者集会への1万人結集こそ、その巨大な扉を開く闘いだ。
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 “スト闘う組合の勝利” 当該の内田晃さんが発言

 本部のみなさん、支援のみなさん、ありがとうございました。本当に動労千葉で闘ってきて良かったです。
 ストライキをできない組合は腐敗していくしかない。やっぱりストライキを始めとする闘いによって勝利判決もかちとれたんだと思います。
 この運転士登用差別は国鉄分割・民営化の過程で国労をつぶし、動労千葉をつぶし、日本の労働運動をつぶそうという攻撃の中でかけられた攻撃でした。まだ高裁段階ですが、これに対して勝利判決が出たことは、当時の中曽根内閣、そして現在の政府に対しても一矢報いることができたのかなと思っています。
 いま、すごい失業率じゃないですか。自分たちは運転士に登用されなかっただけですが——これも簡単なことじゃないんですが(笑)、世の中には派遣切りにあって飯も食えない人たちが、すごいたくさんいます。そういう人たちに少しでも希望を与えることができたんじゃないか。
 これは単に一地域の、一個人に対する勝利判決ではありません。この間、政府がやってきた国鉄労働運動に対するすごい攻撃に対して、ストライキを構えて闘ってきた動労千葉があったから勝利判決が出たんだと思います。
 そうは言っても、その行間には、つめの間から血が流れ出てくるような悔しさ、語り尽くせないこともあるんですが、これからもともに闘っていきたいと思います。(10・1スト貫徹!動労千葉総決起集会での発言)
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運転士登用差別事件の経過
87年4月1日 国鉄分割・民営化
90年3月30日 千葉地労委申立
93年6月1日 地労委で勝利命令
    (※会社側、再審査申立)
06年7月19日 中労委、地労委命令
       を取り消す反動命令
  11月22日 動労千葉が中労委命
       令の取り消しを求め
       東京地裁に提訴
08年3月3日 東京地裁、動労千葉
       の請求を棄却
  3月13日 動労千葉、東京高裁
       に控訴
09年9月30日 東京高裁で逆転勝利
       判決