2009年10月12日

法大弾圧の初公判 権力・当局の打倒を宣言

週刊『前進』06頁(2411号5面1)(2009/10/12)

10・16法大解放集会へ怒りの大結集を
 法大弾圧の初公判 権力・当局の打倒を宣言

 法大学生運動にかけられた暴処法弾圧と4・24法大集会弾圧裁判の初公判が東京地裁で相次いで開かれ、獄中で闘う8人の学生が元気に出廷した。彼らは法廷を演壇として自らの正義と勝利を確信した意見陳述を堂々と行い、弁護団、傍聴者と一体で闘いぬいた。この決起に連帯し、全学連を先頭に10・16法大闘争と11・1全国労働者集会の大結集を闘いとろう。

 暴処法裁判 “人間の尊厳守る闘い” 当局の悪行の数々を断罪

 10月5日、東京地裁刑事第1部(秋吉淳一郎裁判長)で法大暴処法弾圧初公判が闘われた。冒頭、鈴木達夫弁護団長が異様な法廷のあり方を怒りを込めて弾劾。「被告1人を2人の看守で両脇から挟み、数十人の廷吏と警視庁公安刑事が法廷を取り囲むという裁判は断じて許せない。直ちに措置を取るよう訴える」と裁判長に迫った。
 弁護団長の決起に続き、法廷に並んだ織田陽介君、恩田亮君、内海佑一君、増井真琴君、新井拓君の意見陳述が弾圧態勢を打ち破り、裁判長と検察官を圧倒した。織田君は「学生の未来を食いつぶす教育に正義などない。法大闘争は、大学とは何かという根本的な問いに答え、学生が立ち上がることの普遍的な正しさを獲得した」と訴え、「今なすべきことは、団結を組織し、一個の政治勢力として自己を組織することだ」と11・1集会への結集を呼びかけた。
 恩田君は、06年3・14弾圧以降の法大当局による人権侵害・団結破壊の数々を教職員・暴力ガードマンの実名を公表し怒りを込めて断罪。「法大闘争は人間の尊厳と権利を守る闘いであり、われわれの名誉回復闘争である」と誇り高く訴えた。
 内海君は、「暴処法弾圧こそ法大当局と国家権力の戦争突入宣言だ」と弾劾。当局の看板の不正義性を暴露し、「学費はマネーゲームにつぎ込まれ、学費が払えず除籍の学生は実名をさらされ入構禁止。こんな看板が学生の怒りで破壊されたとしてなんの不思議があろうか!」と叫んだ。
 増井君は、30分を超えるアジテーションで「問題の核心は教育の民営化にある」と鮮明に提起。国鉄分割・民営化以降の4大産別への攻撃と全国大学での学生自治破壊を一体で批判した。そして「法大は自ら社会に輩出してきた文学や音楽、学生運動以外に誇れるものがあるか!」と批判を突きつけ、「10・16は暴れるしかない」と法大闘争のさらなる爆発を傍聴席に呼びかけた。
 被告の熱烈なアピールは、法大生、ともに闘ってきた全学生、労働者の思いそのものだ。「そうだ」「よし」と傍聴席に共感が高まった。これに追い詰められた検察は、傍聴者を黙らせるよう裁判長に訴えたが、新井君が「裁かれるのは国家権力と法大当局だ」と徹底的に粉砕した。新井君は「われわれは、団結の無限の可能性への確信を強く打ち立てながら4・24へと上り詰めた」と語り、それは動労千葉がストとともに法大闘争を呼びかけて闘う姿を見てつかんだ確信であると労学共闘の展望を述べた。
 弁護団も検察・裁判長を徹底弾劾して闘った。藤田正人弁護人は、「本件は『ひとりの仲間も見捨てない』と文化連盟と全学連が団結して闘い、さらに労働組合と学生運動が合流することに激しい危機感を持ち、団結を破壊するための政治弾圧である」と暴処法弾圧の核心を明らかにし、ただちに公訴棄却し即時釈放せよと迫った。
 初公判は、暴処法弾圧への怒りと11月1万人結集に向かう迫力が一体となって大勝利した。

 4・24裁判 登石裁判 長の強権と激突 傍聴の法大生に反乱の檄

 10月7日、4・24法大集会弾圧裁判が東京地裁刑事第17部(登石郁朗裁判長)で行われた。
 斎藤郁真君、倉岡雅美さん、冨山小太郎君、そして、5日の暴処法裁判を闘った恩田亮君、増井真琴君、内海佑一君の6被告が満身の勝利感と明るさで出廷した。
 冒頭から登石裁判長が強権を行使してきた。森川文人弁護人に続き、倉岡さんが異常な法廷警備に抗議を述べようとすると、裁判長は「弁護人以外に発言させない。警備態勢は変更しない」と言い捨てた。さらに、直接本人に行うべき人定質問を検察官に聞いて確認するという暴挙に出た。
 しかし、これを吹き飛ばす斎藤君の意見陳述が開始された。「全員の無罪を主張する。学問の自由がある場所こそが大学である。大学を私物化している現法政大学理事会の罪こそが裁かれねばならない」
 倉岡さんは、自らが法大闘争に決起していった経緯を踏まえ、「学生はおとなしく『ルール』や『しょうがない』に支配されるのみの存在ではない。それを法大生自身の行動によって示したのが4・24集会だった。新たな時代を切り開く情熱を誰も奪うことはできない」と熱く語った。
 増井君は、5日の法廷を圧倒した新自由主義大学批判と大学論を武器に、再び全面展開を行った。そして、傍聴席を占める法大生に向かって「法大で反乱を起こせ!」と檄を発した。傍聴席は大拍手で応えた。
 内海君は、傍聴席と被告席を交互に見渡しながら、不当処分を連発する法大当局を燃やし尽くす怒りのアジテーションを行った。
 恩田君は、法大当局者たちの実名を列挙し、学生支配の罪状を具体的に告発した。そして、法大当局の側に立ち学生弾圧の手先となってきた裁判所に「高所から被告人を見下して裁きを行っているが、本裁判ではわれわれが貴様らを裁く」と宣告した。
 この戦闘宣言に打ちのめされた登石裁判長は「貴様」という表現にケチをつけ、いきなり恩田君に退廷を命じた。傍聴者、被告、弁護団の怒りと弾劾で法廷が騒然とする中で、最後に意見陳述をする予定だった冨山君に「抗議の声をあげた」と言いがかりをつけ、暴力的に退廷させ、裁判を打ち切った。法大闘争の正義と迫力におびえ、暴力にすがりつく小心者。それが登石裁判長であり、法大当局であり、国家権力の正体そのものだ。
 法大闘争は、大反動をのりこえ、教育の民営化と対決し監獄大学を解放する勝利の路線を切り開いてきた。そして2日間の裁判で8人の仲間が団結を固め、法大闘争の卓越したリーダーとして感動的に登場した。とりわけ、傍聴に駆けつけた法大生は、4・24闘争を牽引し抜いた文連3役の意見陳述に心底から鼓舞激励された。獄中同志の不屈の決起と一体で、10・16—11・1へ大進撃しよう。
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 メモ

 ●暴処法 「暴力行為等処罰に関する法律」は1926年に治安維持法(25年)に続いて制定された。大衆運動、労働運動の弾圧に猛威を振るい、柳条湖事件の翌年32年には逮捕者5千人を超えた。戦後も廃止されず「多衆の威力」「数人共同」などのあいまいな構成要件で労働組合弾圧などに使われてきた。
 ●法大暴処法弾圧 警視庁公安部は5月に11人の学生を暴処法違反をデッチあげ逮捕し、5人を起訴した。容疑は、法大正門前の当局の看板(処分を下した学生の実名を挙げ立入禁止を通告)を破壊したというもの。
 ●4・24法大集会弾圧
 4月24日に法大文化連盟と全学連の呼びかけで「不当処分撤回! 監獄大学粉砕!」の大集会が労学1500人を結集して法大前で闘いとられた。警視庁は事後逮捕を含め6人の学生を「建造物侵入、威力業務妨害」でデッチあげ起訴した。