2009年10月26日

カクマル松崎の復権策動粉砕を 「戸塚論文」のウソと犯罪性暴く

週刊『前進』06頁(2413号4面1)(2009/10/26)

カクマル松崎の復権策動粉砕を
 「戸塚論文」のウソと犯罪性暴く
 分割・民営化での大裏切りを隠蔽し国鉄1047名闘争の破壊を狙う

 大恐慌・大失業が激化する中、国鉄1047名解雇撤回闘争はいよいよ全労働者の死活を決する闘いとなっている。この時に、あろうことか、国鉄分割・民営化時のカクマル松崎による大裏切りを公然と免罪し、逆に美化する者が現れた。戸塚秀夫東大名誉教授による「試論 動力車労働組合運動の軌跡について——『JR総連聞き取り研究会』中間報告」なる論文と、それに連なる樋口篤三・元「労働情報」編集長らの動きである。そこで彼らは、JR総連との「大同団結」こそが1047名を救う道だなどという、とんでもない主張を始めている。松崎は自己とJR総連の延命を図るために戸塚らを手先に使い、1047名闘争の破壊を必死に策動しているのだ。われわれはこの醜悪なあがきを断じて許さない。階級的労働運動の前進への反革命的敵対として徹底的に断罪し、粉砕しつくすことを宣言する。本稿はその第1弾である。

 松崎がやった歴史的な大罪は絶対に消せない

 松崎明は、労働者階級にとって歴史的な裏切り者であり、正真正銘のファシストであり、不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である。日本における新自由主義攻撃の突破口だった国鉄分割・民営化を、日帝・中曽根政権と一体となり、その手先となって推進したのが松崎を頭目とする当時の動労(現在のJR総連)カクマルだ。今日の労働者階級の膨大な非正規職化、ワーキングプア化の恐るべき現実も、その一切の出発点はここにある。この歴史的大罪は、どんなへりくつをこね回そうと、絶対に消すことはできない。
 だがこの国鉄分割・民営化は、これに真っ向からストライキで立ち向かった動労千葉の闘いと、1047名の解雇撤回闘争の不屈の継続によって、根底で打ち破られてきた。JR資本とJR総連カクマルの結託によってかろうじて成立したJR体制は、日帝の新自由主義攻撃の柱であると同時に、その危機と矛盾の最大の集中点となった。そして当然にも破産した。JR資本との結託体制が破綻し、権力からも見放された松崎は、JR総連の分裂、松崎による巨額の組合費横領という歴然とした犯罪行為の露呈などによって、非常な窮地に追いつめられた。
 戸塚、樋口らを引き込んで行われた松崎を囲む「聞き取り研究会」なるものは、松崎が自らの階級的犯罪と腐敗の数々を隠蔽(いんぺい)して窮地からの脱出を狙う手段として設定された。そこにはゴリゴリのカクマル分子とともに、戸塚や樋口のほか、社会主義協会代表代行の山崎耕一郎などが集められた。松崎はそこで”JR総連はカクマルではない。分割・民営化当時も松崎はカクマルとは一線を画していた。悪いのは党派の介入であり、そのために松崎がやってきたことが誤解されている”などという、歴史を根本から偽造する大ウソをまくしたてた。
 松崎のこのファシスト的なデマと自己合理化を全面的に擁護して書かれたのが、今回の戸塚論文である。それは松崎から裏切り者の汚名をぬぐい去り、逆に松崎の所業を公然と正当化し美化してその復権を図ることを最大の目的にしたものだ。しかも「学者」を装い、あたかも「中立的立場」からの提起であるかのようにみせかけた、きわめて悪質なものである。
 松崎はこの戸塚論文を武器に、民主党・連合政権の成立を自らの反革命的再登場のチャンスとして、今や1047名闘争への介入と破壊を狙う策動を公然と開始した。同時に、戸塚論文をハングルに訳し、本にして、JR総連が金をばらまいて立ち上げたICLS(国際労働者交流センター)という組織を使って韓国の労働者に無料で配り、JR総連こそ「闘う労働組合」であるかのようなデマを意識的に流している。動労千葉と11月労働者集会への破壊と敵対だ。断じて許せない。
 ICLSとは、松崎が韓国・ソウルを拠点に設立した、JR総連の「国際活動」のための組織である。事務局長はカクマルの四茂野修だ。松崎は90年代以来、JR総連の組合費を私物化し、その潤沢な資金を使って「国際活動」を展開し、松崎自身の私腹をも肥やしてきた(前述の横領事件もここで発生した)。それを再編して03年以降に新たに立ち上げたのがICLSだ。それは松崎の危機と破産が深まる中、その反労働者性ゆえに国内の労働者からまったく相手にされないJR総連が、「労働組合」の仮面をつけて生き延びるための柱であった。
 彼らはこれを使って松崎とJR総連のダーティーな部分を覆い隠し、他方で浦和電車区事件を大々的に宣伝して、JR総連こそ「権力から最も弾圧されている労働組合」という大ウソをばらまいた。(この浦和事件は、JR総連カクマルによる組合員へのファシスト的恫喝と支配が権力・JR資本の容認する一線を越えたために起きた事件であり、労働組合として「闘った」ことへの弾圧などでは断じてない)
 今回の戸塚論文による松崎の新たな反革命策動との徹底対決・粉砕は、今や日本の労働者階級にとって必要であるだけではない。世界大恐慌が進む中、全世界で深まる労働者階級と資本家階級との生きるか死ぬかの激突のまっただ中で、労働組合と労働運動がまさに革命と反革命とが真っ向からぶつかる国際的規模での一大戦場となっている。この戦場に、ついにカクマル松崎とJR総連が決定的に引きずり込まれてきたということだ。
 民主党・連合政権下、階級的労働運動の道か、産業報国会の道かをめぐる大分岐と激突はますます激しくなっている。韓国では、イミョンバク政権の新自由主義攻撃との死活をかけた闘いが、サンヨン労働者の決起をもって新たな段階に入っている。
 松崎・JR総連とその先兵・戸塚らは、ここにおいて、日帝による国鉄1047名闘争解体・動労千葉破壊攻撃の最大の担い手として登場することで、松崎の延命と復権を必死に図ろうとしているのだ。それはまた、イミョンバク政権による韓国民主労総の解体と変質を狙う攻撃とも完全に連動して推進されている。
 だが松崎がどんなにずるがしこく立ち回ろうと、その背中に深々と刻印された「反階級的裏切り者」の文字とファシスト労働運動の正体を隠すことはできない。松崎の悪あがきを断じて許すな! 松崎を擁護し美化する一切の連中も同罪だ。階級的労働運動と国際連帯の前進をかけて、徹底的に断罪し、怒りを込めて粉砕・打倒しよう。

 “他労組を解体し動労カクマルが生き残る”

 戸塚論文の最大の目的は、国鉄分割・民営化で松崎と動労カクマルが日帝・中曽根の先兵としてやった悪事をことごとく塗り隠し、逆に「松崎がやったことは正しかった」と公然と主張し、美化することにある。松崎の階級的大罪をこれほどまでに擁護し賛美した者はいない。怒りなしには読むことができない。
 戸塚論文は言う。「当時の動労指導部の言説を先入観なしに読み返す者には、彼らが手探りで進むべき道を選択しようとしていたその緊張感が伝わってくる。未曽有の合理化攻撃にたいして、血気にはやる活動家の声をおさえて、既得権を譲っても反撃の拠点を固めようとする主張。玉砕戦法への誘惑をしりぞけて組織を維持し、包囲網を突破していく道を探ろうとする主張。そこからさらに、教条にたよらず、組合員の英知を集めて労働者的な合理化プランを作成し、その実現を追求しようとする主張が生まれてくる。……それが『大転換』のプロセスであったというのが私の辿(たど)りついた解釈である」
 「『集中豪雨的』な国鉄叩(たた)きに直面して、動労は労働者の『既得権防衛』の闘いに猪突猛進する道をさけた。一歩後退し、『エリを正して』反撃のための拠点を準備しながら、国鉄改革の嵐に立ち向かう方向を選択したのである」
 こんな恥知らずなデマ宣伝はない! 80年代の国鉄分割・民営化の過程で起きたことは、戸塚が描くようなきれいごとの話ではまったくない。40万人いた国鉄労働者の半数、20万人が問答無用に首を切られ、職場を追われた。実に許し難い非人間的な仕打ちを受ける中で、200人を超える労働者が自殺した(実際には虐殺だ)。この大量首切りと虐殺は、単に当局の攻撃によるのではなく、松崎と動労カクマルがそのお先棒を率先してかつぐことで初めて可能になったのだ。
 実際に彼らが現場でやった悪行は、今思い返してもはらわたが煮えくりかえるほどのすさまじいものだ。そこで国鉄労働者が目にしたのは、松崎の「路線転換」のもとで動労カクマルが大量解雇攻撃に全面協力し、とりわけ分割・民営化に反対する動労千葉や国労組合員の首を「直ちに切れ」と当局に繰り返し迫る姿だった。
 他組合をつぶして動労カクマルだけが生き残る——これが、戸塚が歯の浮くような美辞麗句で絶賛する動労の「路線転換」の実態である。そのために当局と結託し、合理化でローカル線が廃止された北海道や九州から「広域配転」の名で動労カクマルの運転士を東京や大阪に送り込み、玉突きで国労の活動家を運転職場からすべて排除した。そして「人材活用センター」という名の収容所に「余剰人員」として隔離していったのだ。「余剰人員」とは、こうした当局と動労松崎の結託によって国労つぶし、動労千葉つぶしのために意図的につくりだされたものなのだ。残った国労の組合員には、「お前も首だぞ」と脅しをかけて国労からの脱退を露骨に強要したのである。これが「労働組合」と名のつくもののやることか!
 動労千葉の中野顧問は、これを激しく弾劾し、次のように証言している。「その時に松崎が言ったことは、『俺は動労の委員長なんだから、動労の組合員の雇用を守ればいいんだ』と。『別に、国労の組合員の雇用なんか守る必要はさらさらないんだ』と。しかし、そういうことは、たとえ口実としてでも言えない。国鉄労働者全体の利害を守る立場に立たない限り、個別の動労や国労の労働者の利害も守れない。これは本質的なことだ」(中野洋著『新版 甦る労働組合』第9章)
 実際に松崎は、松崎本人と戸塚が必死に強弁するように、動労組合員の雇用を「守った」のか? これもとんでもない大ウソだ。事実はまったく逆に、松崎は自分の組合員にも出向や派遣や一時帰休を強要し、さらには退職を公然と要求した。労働組合の幹部が職制に代わって、先頭に立って労働者の肩たたきをやるという、前代未聞のことを彼らはやった。年輩の組合員に「いつまで鉄道にいるのだ」「早く辞めろ」と強要し、応じない者にはロッカーや靴の中に泥水をぶち込むという陰湿ないじめさえ行った。
 この結果、彼らが牛耳る職場には50歳以上の労働者はほとんどいないという状態にまで行き着いた。「動労組合員の雇用を守る」を口実に、実際には動労の組合権力を握る松崎とカクマルが生き残るためには何でもやる。権力・資本とのどんなどす黒い取引にも応じる。これが松崎の本質だ。
 これらのことは当時の労働者には決して忘れることのできない天下周知の事実だ。戸塚が知らないとは言わせない! だが、だからこそ戸塚は、現実に職場で展開された動労カクマルを最先兵とする首切り攻撃の実態に一言も触れない。触れられない。
 今ひとつ、戸塚が徹底して避けて通っていることがある。松崎とは正反対に、全国鉄労働者の怒りの先頭で、分割・民営化に唯一真っ向からストライキをもって立ち向かった動労千葉の闘いだ。戸塚は松崎を「玉砕戦法への誘惑をしりぞけて組織を維持し」たなどと擁護するが、動労千葉はまさに、組合員全員が首をも覚悟して階級的団結の力のみに依拠して絶対反対の闘いに総決起し、そのことによって自らの組織を守りぬいたのだ。
 それは「一人の首切りも許さない」という労働組合の原則を文字どおりに貫く闘いだった。権力・当局と動労カクマルの一体となった組織破壊攻撃により、「日本労働運動の最強の組合」と言われた国労は20万人以上いた組合員が5分の1以下に激減し、崩壊の寸前まで追いつめられた。だが動労千葉は闘って逆に団結を強化し、一人の自殺者も出さなかった。戸塚はこの事実に絶対に触れない。そこに触れた瞬間に、戸塚が描く一切の虚構は崩れ落ちるからである。
 その上で戸塚は、松崎をとことん免罪するために、「裏切る」という言葉の意味をわざわざ広辞苑で引いてきて、松崎は裏切り者とは言えないと必死に強弁している。「組合の指導部はなによりも組合員との約束、組合員への信義を大事にすべきだ、という立場にたてば、動労の指導部は決して『裏切り』などしていない」と! 語るに落ちるとはこのことだ。これこそ、松崎がやったことの犯罪性を戸塚が強烈に意識している証拠ではないか。
 ここには、戸塚が「学者」としても実にインチキな人物であることが示されている。そもそも戸塚は、元自動車総連会長で反共・御用組合幹部の代表的人物だった塩路一郎や、アメリカのAFL—CIO前会長のスウィーニーのような典型的な労働貴族を、「すぐれた労働運動指導者」と呼んで賛美してきた。戸塚は一貫して体制の側に立ち、現場労働者の苦闘や思いとはまったく無縁なところで、労働運動を食い物にして生きてきた人物だ。
 松崎はこの戸塚を宣伝隊長にすえて自己とJR総連の「復権」を図ろうとしているが、それは逆に松崎の墓穴を掘るものだ。労働者階級は裏切り者を絶対に許さない。どんな装いを凝らそうと、その正体を必ず見抜く。戸塚ともども、徹底弾劾されて葬り去られる運命が待つだけだ。

 「働こう運動」を「対案戦略運動」と全面美化

 カクマル松崎が戸塚を使ってこれほどまでに分割・民営化時の裏切りの隠蔽と正当化に必死になっているのは、ここに松崎とJR総連の最大の弱点があるからだ。
 松崎と戸塚の目的は、危機を深めるJR総連の復権にある。世界大恐慌の爆発は、階級対立の急速な非和解化と、資本の支配を打ち倒すための青年労働者を先頭とした労働者階級の根底的な大決起、総反乱の情勢を世界的規模で生み出している。これに松崎は心底から恐怖している。今始まった労働者階級の歴史的決起が動労千葉・動労水戸・動労総連合、さらに国労5・27臨大闘争弾圧被告団を先頭とする国労共闘の闘いと結びつき、国鉄1047名解雇撤回闘争の不屈の発展を切り開いていった時、JR体制は完全に打倒される。それはJR総連のファシスト労働運動の息の根をも絶つ闘いとなっていく。
 だからこそ松崎とJR総連は今日、4者4団体に急接近し、その屈服・取り込みを図り、1047名闘争への介入とその破壊・解体を狙う策動を全力で開始した。それが、戸塚や樋口が松崎の意を受けてにわかに提唱し始めた「大同団結」論だ。”民主党・連合政権ができた今こそ、JR総連を含めた大同団結が必要だ。それが1047名を救済する道だ”などというとんでもない議論である。だがそのためには、新たなファシスト的デマとペテンを使って松崎の裏切りを公然と免罪することがどうしても必要だった。その役割を買ってでたのが戸塚論文だ。
 松崎と戸塚は第一に、松崎とJR総連から「カクマル」のレッテルをはぎ取るためのペテンに熱中した。だがこれは最初から破産している。松崎と動労本部が日帝・中曽根の手先となって国鉄分割・民営化に率先協力し、総評解散に道を開いたのは、カクマルの組織的方針によるものだ。カクマルとは「左翼」の仮面をかぶったファシストであり、松崎こそそれを労働運動の現場において誰よりも強烈に体現し続けてきたのである。JR総連カクマルの中央派カクマルからの分裂をもって、「JR総連はカクマルではなくなった」などというのは「論証」にさえならない。戸塚のような松崎のちょうちん持ち以外、信じる者は誰もいない。
 彼らが第二にやったことは、分割・民営化への松崎の屈服と大裏切りを「新たな労働運動を生み出すための苦闘」だったと美化して積極的に意義付与することである。”資本主義の危機の時代は労働者階級にとって冬の時代だ。この時代には、既得権の擁護や合理化への絶対反対を掲げる闘いは通用しない。これまでとは違う新しい運動が必要だ。松崎は実はその先駆者だった”というわけだ。
 ここには何重ものウソとペテンがあるが、紙面の都合で最大の核心点だけをはっきりさせておきたい。すなわち、その狙いは、松崎が動労組合員に強要し、現在のJR総連組合員にも一貫して強要し続けている「働こう運動」の美化にある。
 松崎は、分割・民営化の際に20万人首切りの最先兵として行動しただけではない。「国鉄の赤字は労働者が働かないからだ」という日帝の激しい国鉄労働者攻撃のデマキャンペーンに屈服し、動労組合員に「エリを正せ」と号令して、一生懸命働いて効率を上げろという運動を強要した。それも「骨身を削る覚悟が必要だ」と言って、賃金も満足に支払われない状態での超長時間労働や過密労働を暴力的に強制していったのだ。
 戸塚は、この松崎の「働こう運動」を「労働者の対案戦略運動」などと持ち上げ、あたかもそれが大恐慌・大失業の時代に労働運動が生き残る唯一の道であるかのように言うのだ! だがこれは正真正銘の産業報国会の思想である。帝国主義の危機、資本の危機を救済するために労働者は進んで犠牲になれ、企業のため、お国のために働け、文句は言うなとするものだ。それを労働組合が先頭に立って推進し、抵抗する者はたたきつぶす。最後は侵略戦争・帝国主義戦争に動員して、命まで差し出せとなっていくものだ。
 その根底にあるのは、昔ながらの「会社あっての労働者」というイデオロギーだ。資本主義は永遠に続く、労働者は闘っても勝てないという奴隷の思想だ。底の底まで腐りきっている。
 松崎と戸塚はこれを、今日の自治労本部などが掲げる「攻めの民営化対応」論を積極的に後押しし合理化する立場から押し出し、それをもてこに松崎とJR総連の復権を図ろうとしている。自治労内のカクマルがその先頭に立っている。
 だがこの「新しい労働運動」なるものはすでに完全に破産し、恐るべき腐臭を放っている。今日のJR体制の現実を見よ。尼崎事故が暴露したものは何だったか。利益を一切に優先し安全の崩壊に何の関心も払わず、一切の責任を労働者に押しつけて自らは卑劣な隠蔽工作に走る資本の姿。運転士への過酷な「日勤教育」が示す職場の恐るべき非人間的な現実。いったい誰がこの現実をつくりだしたのか! JR資本だけではない。松崎のJR総連を先頭とする労働組合の腐敗と変質こそがその最大の元凶ではないか。
 すでに戦後自民党支配の打倒を突破口として、社会の根底的変革へ向けた労働者階級の大決起は開始された。その先頭に動労千葉と11月集会派に代表される階級的労働運動の新たな潮流が立っている。大恐慌・大失業下で、絶対反対を貫き階級的団結の力に依拠して闘う者だけが、労働者の権利と生活を実際に守り、資本主義を本当に終わらせて新しい社会を築くことができるのだ。その時代はもう始まっている。
 それをひしひしと感じ、恐怖するからこそ松崎は、1047名闘争の圧殺に一切をかけて新たな反革命策動にのめり込んだのだ。逆にいえば、階級的労働運動の前進と1047名闘争の不屈の貫徹が、ここまで松崎を追いつめたということだ。
 松崎の反革命的あがきを粉砕し、JR総連カクマルの完全打倒に突き進もう。動労千葉派が今こそ日本労働運動の主流派に躍り出よう。11・1労働者集会を大成功させ、大恐慌を革命に転化する闘いに総決起していこう。