2009年12月14日

三里塚から国際連帯を 萩原進事務局次長訪韓を語る

週刊『前進』06頁(2420号4面2)(2009/12/14)

三里塚から国際連帯を
 萩原進事務局次長訪韓を語る
 われわれは同じ敵と闘っている
 労働者の同盟軍=農民の決起を

 三里塚反対同盟の萩原進事務局次長が11月に動労千葉とともに訪韓し、韓国労働運動との交流を実現した。萩原さんがその体験と確信を大いに語った。(編集局)
 今回の訪韓をとおして一番印象的だったのはやはり、8日のヨイド公園での全体集会だった。その人の多さには正直圧倒された。
 われわれが到着したときはまだ後ろのほうがかなり空いていたんだ。前の方に席を取って、みんなと話していた。ところがものの30分とたたないうちに後ろを見たら、ぎっしりと人で埋まっていた。まるで海のように人の波がザーッと押し寄せてきたような感覚だった。興奮で震えたよ。
 大きなスクリーンが三つくらい用意されて同時中継されていて、どこからでも集会のメインステージを見ることができる。音響設備も充実し、アドバルーン、ロケットも飛んでいたな。あれだけのものを設営できるということそれ自体が勝利だと言っていい。裏方の人たちの努力も並大抵ではないと思う。
 参加者も老若男女問わず、行動、旗ざお、服装など実に統制が取れていた。集会への集中度も高いし、ああいうところは日本も見習ったほうがいいね。
 日本でも60年、70年の闘いの高揚があって、大規模の集会があった。それが一度沈滞して労働運動も学生運動も後退を強いられた。そこで日本の経験と総括を引き出して、韓国の運動がますます発展していく方向に役立てなくてはならない。
 前夜祭では訪韓団はKBS(韓国放送公社)の労組の出店を訪れて交歓した。その後、民主労総のチェジョンジン・ソウル本部長の案内で、動労千葉の田中委員長と一緒にテントをいくつか回って意気投合した。全解闘のイチュンベ委員長は三里塚43年の闘いに熱い共感と敬意を表してくれた。韓国の人びとは、三里塚闘争が40年を超えて闘いぬかれていることに異口同音に驚きと尊敬を示してくれる。
 日本と韓国とでは歴史的な背景がまったく違う。軍事独裁政権のもとで、反共法があって、運動・活動が地下でしかできえなかった時代が韓国では長く続いた。それが今こうして大衆的な形で爆発している。何十年と闘ってきた闘士が韓国には多くいただろうが、ひとつの地域運動が大衆的な形で続くのは困難だったかもしれない。だが、これからの韓国にはそういう運動が生まれる要素は大いにあるだろう。しかも労働者と農民が共闘する土壌は存在している。だから三里塚の闘いの経験を韓国には役立ててもらいたい。韓国からも大いに学び取りたい。
 そして今回、韓国の労働者らと交流する中で、本当にわれわれは同じ敵と闘っていることを実感した。新自由主義政策を推し進め、自由化の名のもとに労働者の生活を奪い農民を切り捨てる国家権力だ。韓国もまさに同じ構図の中にある。

 全世界の農民に思いを馳せ

 9日の理念交流会では、前日にヨンサンの現場を訪れた話からした。ヨンサンは宅地開発の名のもとに強制執行で立ち退きを迫られ、住民が実力で闘った場所だ。5人の命が奪われた。まさに敵のやることは三里塚と同じだ。「土地は支配者のものではない。けっして侵してはならないものだ」と強調し、市東孝雄さんの土地を裁判で強奪しようとする国家権力を弾劾し、農地を実力で守るという三里塚の闘いの核心を訴えた。
 最後に、労働者の同盟軍として農民の決起をつくり出すことを三里塚の名において呼びかけた。熱い拍手で迎えられ、アピールは届いたと思う。
 今回の訪韓では、韓国の農民との交流は十分に果たせなかった。だが帰りの空港に向かう過程でバスの中から見た農村地帯の風景は、日本と変わりなかった。季節もののビニールハウスがいっぱい並んでいたな。
 全世界の農民の苦境はひとごとではない。
 中国の農民は国家によってひどく虐げられている。一方で出稼ぎ労働者として都会に追いやられひどい環境で働かされ、他方で「土地は国のものだ」という論理で一夜にして土地を奪われることもある。
 フランスでは10月に農産物価格の下落に抗議する農民のデモ・抗議行動が爆発した。まだ出会えていないが、世界にはわれわれとともに手を結んで闘う相手がたくさんいるはずだ。
 韓国で自分が味わった熱気、集会の高揚、ああいう状況を日本でこそもう一度つくらなくてはならない、と肝に銘じて帰ってきた。そしてわれわれにはかつての経験もあるわけだから、十分手の届くことなんだ。
 今は日本、韓国の間で結集する人数に規模の差はあるとしても、1万人が集まればたちまち3万人にもなる。そういう現実性、手ごたえを今回の訪韓でつかんできた。